機動戦艦ナデシコIF



   〜 黒の涙 〜

      第三話:廃棄



 広い部屋。そして白い部屋。

 その部屋は現在様々な機器で埋め尽くされ、節電の為か照明はモニターの光しかない。

「あれれ〜?どうしちゃったの、彼?動かなくなっちゃってるけど」

 部屋の中央。そこには部屋にある様々な機器の全てと接続された、巨大な試験管としか

言い様の無い物が据付けられていた。

「どうやら、先程の耐久実験で過剰投与されたサンプルJ73に耐え切れなかった神経系

が焼き切れた様です。現在検査中ですが、大脳神経層にも異常が見つかる可能性もあります」

 そしてその試験管は今、緑色の培養液で満たされ、その中には一人の男が浮かべられていた。

 辛うじて息はあるようだが……体中に繋がれたコードや、頭部には何本もの管がつきた

てられている事から、「生かされて」いると言うしかできない状態であった。

「う〜ん。そうなると自力で立つことも難しいね〜。うん、しょうがない。切れちゃった

神経はナノマシンに肩代わりしてもらおう。

 これより、神経ナノマシンの投与を行う。H12とC43を三乗投与。ついでにどこま

で耐えられるか逐一データも残しといてね」




「で、どう?」

「はい。二乗投与からレベル4を超えた辺りで神経系の擬似復元には一応成功したようで

すが、味覚、嗅覚等を含む上半身の感覚神経の形成は失敗。さらに擬似神経の制御用とし

て増設した補助脳がサンプルの脳を圧迫。処置が僅かに遅れたために脳の0,63%が壊死を

起しました」

「つまり?」

 試験管の中に浮かんだ男が目を開く。しかし緑の培養液越しで黒く見える瞳は光を返さ

ず、その瞳孔は開ききっていた。

「感覚神経で受けた信号を正常に受信することは無理でしょう。三半規管に関する箇所は

無事ですので、外部から直接データを入力すれば端末操作である程度の運動行為は可能と

思われます」

「う〜ん。残念だな〜。彼は数少ない例の事件の成功サンプルの一つなのに……」

 言って一人の研究員――他の研究員の言葉づかいや態度を見ると班長か何かなのだろう――は

純粋に困った顔をして、正面に浮かぶ焦点の差だらない瞳を見つめた。

 ――その目には、ただ純粋にモルモットをみる目つきであり、ぼろぼろになった人間に

対する労りなど欠片も見えなかった。

「しかたない。彼もこれまで頑張ってきたんだし、そろそろ楽にさせて上げようかな?」

 言ってコンソールに幾つかの指示を入力し、それに従って試験管の中の培養液がゆっく

りと排出されていった。

「ま、北辰さんの注文に答えられ無かったのがちょっと怖いけどね。

 ……あ、次の在庫持ってきて。それと誰か彼を廃棄場に放って来といてね」

 そう言い残すと部屋を出て行く研究員。

 先程まで試験管に入れられていた人間は、そのまま部屋の隅にある大型のダストシュー

トに無造作に放り込まれる。やがて部屋の扉が開き、入れ替わるように別の人間が試験管

に放り込まれた。

 そしてまた、無慈悲な実験は続けられる――




(どうしてこんな事になったんだろう……)

 青年は深い闇の中で一人ごちた。

(親父が居て、母さんがいて、でも二人はいつも仕事ばっかりで……

 週に何度か調理学校に行って、同い年くらいの奴等と馬鹿やって……

 家に帰れば大切な妹が、ルリちゃんが居て……

 休日には彼女と一緒にどこかに出かけて……)

 思い返すのは失った日々。もう無くしてしまった、宝物の様に幸せだった時間。

(俺が何をしたって言うんだ……

 俺は悪くない。俺はただ毎日を平凡にくらしていただけだ……

 俺の目が紅いのだって、俺のせいじゃない……)

 何故自分がこのような仕打ちを受けねば成らないのか。

 青年はただ一人暗闇で思考を続ける。

(親父も、母さんも……殺されて。

 俺も酷い目にあわされて……

 ああ、でも……)

 青年の心に最後の光、唯一の救いが思い描かれる。

 愛しい、何者にも変えがたい、最愛の妹の顔が。

 照れたように、はにかむ様に笑う、その顔が。

 哀しそうに目を伏せ、何も言わずに俯く、その顔が。

 怒ったように唇を尖らせ、拗ねるその顔が。

(ルリちゃんを……守ることができた……)

 会いたい。逢いたい。遇いたい。遭いたい。

(一目だけで良い……彼女にアいたい……)

 無限にも続く思考の渦。ただ切望するのは過去の情景。それを象徴する妹の姿。

 いつ果てるとも無く、繰り返し、繰り返し、思考の渦は回る。回り続ける。

 ――最早、未来永劫叶わぬ夢と悟りながら。




 彼を思考の渦の底から引き摺り上げたのは――叶わぬ夢と願った、愛しき金色の瞳だった。




「くそっ……。情報が漏れていたのか?」

 そう呟いたのは真っ白の学ラン――木連優人部隊の制服で有り又木連男子全ての憧れの

的――を着た、ストレートの黒髪を腰まで伸ばした端正な顔立ちの男だった。

 彼こそが今回の出撃における部隊指揮官、月臣元一朗だった。

 彼らは先日、木連内に数ある反地球派の過激派組織の所有する研究所の一つで悪逆非道

な人体実験を繰り返している、との情報を情報が掴み、上層部から研究所の破壊と所員の

拘束を命じられてやってきたのだった。

 だが月臣元一朗率いる木連の最精鋭部隊、優人部隊の先発隊が現場に到着した時には既

に全ての所員が撤収した後だった。

 彼らが発見したのは夥しい死体の山と、僅かばかりの生き残りだった。

 ここで行われてきたのだろう数々の実験を想像し、元一朗は嫌悪に顔を顰めた。

 そこに部下の一人が近寄って来た。

「隊長、生存者の数が確認されました」

「よし、報告しろ」

 そう言ったのは元一朗の部隊に遅れて現場に到着した本隊の指揮官、白鳥九十九だった。

 彼もまた元一朗と同じ木連優人部隊の制服に身を包み、ボサボサの髪をし、やや浅黒い

色をした肌は無意味に暑苦しい雰囲気を持った男だった。

 元一朗と並ぶと、二人の雰囲気は正しく静と動、正反対の雰囲気を持っていた。

「はい。生存者は現在の所14名を確認。内13名を施設内の「在庫入れ」と呼ばれる場

所で保護、1名を実験用培養層から保護しました。

 現在、「廃棄場」と呼ばれる箇所に人員を多数配置し、遺体の弔いと生存者の捜索をし

ております」

「分った。下がって良いぞ」

 部下が下がったのを確認し、元一朗は沈痛な面持ちで呟いた。

「…………しかし、生存者の数は聞いても死者の数は正直聞きたくないな」

「ああ、全くの同感だ。それにしても酷すぎる。一体何の実験を行っていたのやら」

「情報端末の洗い出しを行っている班の報告によれば、遺伝子改造を施す類の物が行われ

ていたらしい。

 となると強化人間か、はたまた生体跳躍の実験か……。どちらにしても、碌なものでは

ないな」

「なんと非道な!過激派には良心と言う物が存在しないのか!?」

 元一朗の言葉に怒りに顔を歪める九十九。握り締められた両の拳は真っ白になっている。

 そこに部下の一人が血相を変えて駆け寄ってきた。

「報告します!「廃棄場」内にて生存者を確認!現在極度の興奮状態にあるらしく、取り

押さえようとした何人かの隊員が負傷しました!」

「分った、すぐに向かう。案内してくれ」

「はい、こちらです!」

 行って再び駆け出す部下の後を追って二人もまた現場へと駆け出した。




 深い深い意識の底。何重にも纏わり付く闇の中で、青年は確かにその金色の瞳を見た。

(ルリちゃん!)

 彼は叫んだ。何故この意識の底に彼女が現れたのかと言う事に一切の疑問を感じず、た

だその金色の瞳へと呼びかけた。

(…………ダレ?)

 金色の瞳が微かに戸惑いに揺れる。同時に意識の内に響くように意思が伝わる。

(ルリちゃん!ルリちゃん!!)

 彼は声も枯れよとばかりに叫び続ける。やがて僅かにぼやけていた周囲の闇は晴れ、た

だ穏やかな白の支配する空間へと変貌した。

(アナタハ…………ダレ?)

 そして金色の瞳、その全てとそれ以外のモノがあらわになる。

 現れたのは7、8歳くらいの幼い少女。腰を超える髪は綺麗な桃色であり、その肌は最

愛の妹に負けない程に白い。だが彼が少女を間違えたのはその金色の瞳ではなく、瞳から

伝わる孤独と悲しみ、愛に餓えた者特有の瞳に宿る想いだった。

(俺はアキト。テンカワアキト……君は?)

 青年――アキトは優しく微笑む、いや彼は微笑もうとし、そのイメージは確実に彼女に

伝わった。

(名前……ナイ……私ノ……名前…………?)

 少女の言葉にアキトは深い憤りを覚えた。名前すら付けることの無かった研究員に更な

る憎悪が募る。

(名前……私ノ名前……アキト……名前……ルリ……瑠璃……?)

 名も無き少女はひたすら自へ問いかけを繰り返す。答えのない問いを。

(なら君に名前をあげる。俺が名前を付けてあげる。君の名前は……ラピス。ラピスラズリ)

 それは愛しき妹の名。「瑠璃」を表す言葉。

 アキトは優しく少女へと右手をさし伸ばす。

(ラピス……ラピスラズリ……。私ノ名前……私ダケノ名前……)

 おずおずと、少女――ラピスもアキトの手へと右手を伸ばす。

 二人の指が絡み合い、手と手がふれあい、互いに握られ――突如、二人の右手の甲に浮

かんだナノマシンタトゥーが眩い光を放ちながら互いの全身を覆い尽くし、一つのナノマ

シンパターンを形成した。

 二人の意識は溶け合う様に引かれ合い、重なり合い――次の瞬間には白の闇さえがもが

アキトの眼前から消え去った。




「ん?」

「おい、どうした?」

 「廃棄場」と呼ばれる場所。夥しい死体と腐臭、蛆虫によって埋め尽くされた空間で、

今は優人部隊の制服の上に防護服とガスメットを装着して遺体を弔うために回収しなが

ら、あまりにも絶望的な確率で生き残ったかもしれない生存者を探していた彼らのうち、

一人が視界の端で何かが動いたような気がした。

「いや、さっきあっちの方で何かが動いた様な気がして……」

「気のせいだろ?」

「この有様だ。生存者なんていやしないって」

「でも、一応確認しといた方が良くないか?」

「そうだな。もし生きていたら見殺してしまう事になる」

 この作業に従事する数人の隊員は、すでに物の数分で士気は落ちるところまで落ちてい

る。例えるならホルマリン漬けの仕事を一定時間ごとにひっくりかえすバイトを受けた一

般学生のようなものだろう。だが彼らは正義、人情をこよなく愛する生粋の木連軍人。生

存者がいるかもしれないと言う可能性は放って置く事はできなかった。

「どのへんだ?」

「確かこの辺りだと……」

「まだこの辺りは腐乱の進み具合が遅いな。もしかしたらまだ生存者は居るのかもしれないな」

「うへぇ、また内臓踏んじまった……」

 隊員が何人か固まって――やはり、勇猛果敢で知られる彼らでも、何百と言う腐乱死体

の中でも心細いのだろう――周囲の死体の山を調べていると、突如最初に声をあげた隊員

が遥か後方へと吹き飛んでいった。

「な!?」

「なんだ!?」

 うろたえたのもつかの間、彼らは直ぐに密集陣形を取ると臨戦態勢を取り――彼らの目

の前で、ゆらり、と一人の男が死体の山の中から立ち上がった。

 そして彼らは、人の形をした獣に襲われた。




 目的の場所に近づくにつれて、段々と腐臭の濃度が濃くなっていく。

 そして目的地まではあと一つ角を曲がれば良い、と言うところまで来て。彼らは急に足

を止めた。

 何故かは分らない。だが、本能が彼らに命じたのだ。止まれ、と。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ズドン!

 「廃棄場」で作業を行っていた一人だろう。防護服に身を包み、ガスメットをつけた隊

員が角の向こうから飛び出して来、そのまま反対の壁にぶち当たって停止した。

 そしてソレを行ったであろう人物が、通路の角から姿を表した。

 黒い獣。

 それがその場に居た者の共通の理解だった。

 確かにその人物は間違いなく人間だ。だがその鬼気迫る気迫が獣、それも手負いになり

全ての力を出し切らんとする獣を連想させた。そして何も身に付けていないその体中に付

着した、腐り、固まり、黒く変色した元は鮮やかな紅を示したはずの血糊。恐らくは自分

のものではなく、周囲に転がっていた物の血。伸びるに任せられた荒れた髪には、腐肉の

破片すらこびりついている。

 まさに、黒い獣としか良い様のない姿だった。

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 視線は明後日の方向を向いたまま、しかし確実に獣は元一朗と九十九の元へと駆ける。

案内を務めていた部下は既に遥か後方に逃げ去っていた。

「ふっ!」

「はぁっ!!」

 九十九がただ力に任せて叩きつけられる拳を絡めとろうとし、元一朗が当身の掌底をく

りださんとする。

「くぁっ!」

 だが拳はその痩せ衰えた体の何処にそんな力がと思わせる力で振り抜かれ、九十九の胸

に重い一撃をくれる。九十九が無様にも床に叩きつけられるのを横目に、それでも元一朗

は冷静に腹部へと当身を食らわせた。




 それから一時間後。彼ら優人部隊は全ての遺体を回収し、復元できるだけのデータを全

て複製して本部へと帰還した。








  □■□ス○イヤーズ的な後書き(2)□■□


ルリ:……アキトさん、実験されてますね。
カラス:うん。でも今回描写してるのはあくまでも連れ込まれてからのごく一部分だけどね。
ルリ:それにしても……私は出番無し、ですか?ラピスはあるのに。
カラス:まあ、本当はもうちょっと長くなってルリちゃんも出る予定だったんだけど……
    区切りが良いから、サブタイトルを「廃棄」に変更してここでやめたのよ。
ルリ:プロットでは第三話は「帰還」ですからね。
カラス:まあ、今回はラピスとの出会い(?)が予定より膨れちゃったからね。
ルリ:あれ、何ですか?
カラス:「記憶麻雀ネタ」。お互いに「プラント」から採取されたナノマシンが投与されてて、
    ナノマシンが二人の意識を繋いだの。んでもって二人がお互いを求めたから、二人に
    感覚と意識のリンクが偶然に確立する。
ルリ:そのココロは?
カラス:だって、みんなアキトの感覚回復にラピスが「犠牲」になってるじゃん?だからたまには
    「事故」とか「偶然」リンクが出来るのも良いかな、って。
ルリ:凄い捻くれモノ……。でも、ラピスには犠牲って言うより役得って感じじゃないですか?
カラス:まあ、ね……。でも、劇場版のラピスのセリフも捻くれて解釈すれば、別に彼女がアキト
    にベタボレって事でなくても良い、って解釈できるかな?てか私はした(笑)。
ルリ:……。まあ、おいといて。今回の実験期間――「間」はいつ頃公開ですか?
カラス:ん。随分先。ただ断片的にはアキト君に悪夢として魘されて貰うけど(ニヤリ)。
ルリ:(ボソボソ)オモイカネ、私が退室と同時にドアをロック。酸素濃度を通常の3倍にして。
カラス:彼には今後「女たらし」アキトとして進んでもらうからね〜。これくらいしないと(嫉妬)!

一人延々となにやら説明を続けるカラス。ルリは一言「あほらし(by漫画ルリ)」と言うとさっさと部屋を出て行く。
やがて……

カラス:う……。吐き気が……ああ、視界が黒く……(バタン)



  □■□追記□■□
2話で代理人様が御指摘してることですが……
とりあえず、うちのアキトのメインは「復讐者」です(爆)。
それに……「囚われのお姫様を助ける」のは王子様の役目だとしても、
騎士の役目は「迫り来る魔の手からお姫様を守る」事なんだと考えてます。
つまり、私のアキトは「Prince of darkness」ではなく言わば「Knight of darkness」なんですよ。
まあ、取りあえず「助ける」相手が居ない事も無いんですけど、ね(苦笑)。

 

 

代理人の感想

ふむふむ、黒い王子様ではなくて黒い騎士なのですね。理解しました。

もっとも、常にそばに控えているわけでもないようですから、何か別の呼称の方が適当かもしれませんが。

お姫様がピンチの時にやってくる黒ずくめ……鞍馬天狗(核爆)?

 

 

 

 

やっぱり「黒い騎士」にしときましょう(爆)。