桜の木の下

第二章 人間×人形×道具








 オムライスは美味しい。

 ラピスははぐはぐとホウメイ作のオムライスをカウンターで食べている。少し量が多めだが、此れなら残さずに食べる事が出来る。
 ホウメイとミナトは隣の席に座っている。ミナトはラピスの、高めの椅子に座っていても床に届きそうな髪を梳き(なが)ら、眼を細めてラピスの食べっぷりを眺めていた。
 ラピスはミナトが髪を梳き始めた時に、一度小首を傾げてミナトを見たが、優しげな微笑みを返されて再びオムライスを食べ始めた。

「ナデシコは如何なるんだろうね」

 ホウメイがつい零してしまった言葉に、ラピスは食べるのを一時止めて、為るように為るよと答えた。

「出来る事は出来る。出来ない事は出来ない。出来ない事を出来ると勘違いしない限り、前に進めるんじゃないかな」

 ホウメイとミナトは眼を丸くした。其れからミナトは眼を細めて、再びラピスの髪を梳き始めた。

 そうさね――ホウメイはコップの水を一口飲んだ。



 ラピスは医務室で休んでいた処を、銃を持った連合宇宙軍の兵士に拠って食堂まで連れて来られた。何でもナデシコの所有を巡ってネルガルと軍が対立してしまい、今、プロスとユリカ、ジュンが軍の戦艦まで行って話し合いをしているらしい。現在はアキトと山田が扇動して、皆が軍の制圧からナデシコを奪還しようと躍起に立って各所で頑張っているみたいだ。
 無論ラピスは肉体的にそんな事に活躍出来る筈がなくやる気もないから、最初に奪還した食堂で手持無沙汰にしていたホウメイに料理を作って貰ったのである。



「ねぇホウメイ。みんなは銃を恐くないの? 軍の人たちは皆が凶器を持っているのに、如何して立ち向かえるのかな」

 ホウメイとミナトはラピスの問いに息を飲んだ。同じく手持無沙汰にしていたサユリやミカコたちも眼を見開いてラピスを見た。

「銃だよ。必殺の代名詞足る凶器を前に如何して立ち向かってるのかな」

 ラピス以外のナデシコクルーは部屋の隅を見た。縄で縛られた兵士二人が貌を厳めて床に座っている。兵士の隣のテーブルには黒光りする自動小銃が置いてある。兵士は縛られているからといっても、余りにも不用心だ。

「其れは――」

 恐いに決まっている。銃だ。女子供でも人を殺せてしまう凶器である。しかしホウメイは答えようとしたが、行動を起こしたが故に言葉が止まってしまった。もしかしたら、ナデシコ内で現在人が死んでるかもしれないのだ。



 オムライスを食べ終えたラピスは口元をナプキンで拭い、横を向いて高い椅子からちょんと飛び下りた。長い桜色の髪が空気を含んで膨らみ、ふわりと落ち着いた。空色のワンピースもさらりと舞った。

「戦争じゃなくて平時でもさ、動機なき殺人などと云う尤もらしい言葉が(はやされるようになったのは最近の事だよ。けどよく考えてみれば、其れ以前に比べて動機が希薄になったわけでは決してない。神代の昔から殺人の動機などというものは一様にくだらない。其れは生命の価値が過剰に肥大したの言説だし」

 ラピスは食堂の中を歩く。空色のワンピース。桜色の髪は床すれすれを流れる。今や兵士さえも此の幼子を凝視(みつめ)ている。

「人が人を殺す動機なんてものは、実はちっぽけな事じゃないのかな。結果起きてしまったことは重大な事なんだろうね。人の長い歴史の中で、数え切れないくらい人殺しは行われているけど、真実殺されるに値するような動機で殺された人間が何人いるの。金が欲しいだのむかつくだの、命の重さに釣り合うだけの動機なんて何処にもないよね」

 ラピスは一つのテーブルの前に立った。椅子を使って(よじ)登り、黒い塊を両手で抱えた。テーブルにお尻を乗せて足をぷらぷらとさせた。座った位置は兵士の正面だ。

「私は死んでも生きても如何でも良いんだけど、恐いんだと思う。そんな事で壊してしまう人間が、そんな物で壊されてしまう人間が(とて)も恐いんだと思う」

 桜色の髪がラピスを覆っている。溢れた髪がテーブルの端から零れた。

「如何してそんな人間が立ち向かえるのかな」

 ラピスは不釣り合いな小銃を無理に構えて兵士へ向けた。表情は髪に覆われていて、正面にいる兵士さえも口許しか見えない。
 二人の兵士は此の異様な空気に飲まれていたが、眼の前にいる銃を構えている少女の事を理解して、瞳を震わせた。一瞬、少女の口許が歪んだ気がした。

「や、やめろ!!」

「ラピスちゃん!!」

 兵士は安全装置(セーフティ)が掛けられているのを忘れて叫び、ミナトやホウメイらは異口同音で声を上げて、異様な空気を揺さぶった。

「――ほらね。恐いよね。ならば何故アキトやジロウは立ち向かったんだろう。何故みんなは立ち向かったんだろう。アキトは火星を助けたいと、何をしたいかを探しにナデシコに乗ったと云ってたけど――私には解んない」

 ラピスは小銃を脇に置いて、テーブルの上にころんと転寝した。テーブルの上に桜色の髪が広がって、さらさらと輝いている。

 其の時、くん、と食堂が揺れた。微かなメインエンジンの振動がユニットから広がったのだ。其れが、艦長であるユリカの帰還とナデシコの再出発を(しら)した。

「ナデシコって如何なるんだろうね。民間人は死とか戦争とかよく解ってないんだよ。勿論、私も」

 ラピスの当たり前な独白は、食堂に残っていた者、皆の心に深く刻み込まれた。























 有り得ないよね、とラピスは静かに呟いた。

「如何しました。ラピス」

 二つあるオペレーター席の片割れに座っている少女、ルリが小首を傾げてラピスの方を振り向いた。

 別に、とラピスは答えた。

「ただ、ナデシコというものが全く解らなくなったの。軍に襲われるわ艦長を補佐する副長が立ち塞がるわで、何やってるんだか」

「副長はナデシコを戻してとか、艦長とは戦いたくないなどと云っていましたね」

「アキトは戦いたくないと云い(なが)ら、エステバリスとかいう物騒な兵器を使ってるしね」

「副長は艦長を地球の敵にしたくないと云ってましたが、地球というのは何処の誰を指したもの何でしょうか」

 ラピスとルリは溜息を()いた。



 軍はナデシコが火星に行く事を無理矢理止める為に、無人兵器を壊す兵器を使ってナデシコの地球脱出を防ごうとしたのだ。其の時、第三次防衛ラインのデリフォニウム部隊を率いていたのがナデシコの副長だったのである。
 其れを食い止めるのに活躍したのが機動兵器であるエステバリスを操縦したアキトと山田なのだが、ラピスとルリには彼ら三人の会話が解らなかった。

 意味は解るのだが、行動や会話に多くの矛盾が見つけられたのだ。ただの感情論だといわれてしまったら其れまでだが、何を考えて、何を目標にしているのか支離滅裂で解らなかった。

「ミナトは如何思う」

 ラピスは右隣のミナトに話を振った。
 ミナトはぼうと呆けていた表情から一転、眼を丸くしてから、うーんと云い乍ら口唇を人差し指で(いじ)くった。

「――私は、若いんだと思うな。此れから色色体験して不安定だった道程が一つに定まるのよ。まだ彼らは子供なのね。メグミちゃんもそう思うでしょ」

「えっ!? 私ですか? 私は、私もよく解らないんです。だって、葵さんは艦長の立場を考えて行動したんですよね。其の行動に善悪を付けられないと思うんです。天河さんも、山田さんも」

 メグミはそう云うと、手に持った紙切れを眼の高さまで上げた。

「何ですか、其れは」

 ルリが()いた。
 シール、とメグミは答えた。

「山田さんが持っていたアニメのシール。骨折してよく転げていたから、何時の間にか落ちたんじゃないかな」

 ゲキガンガーシールとミナトが云った。

「食堂で流していたアニメの奴でしょ。(たし)かエステに貼るんだとか云ってなかったかしら」

 云ってましたとルリが答えた。

「瓜畑さんが色色云っていましたが、山田さんの事ですから、きっと今頃貼りに行っているのではないでしょうか」

「山田君なら止めても聞きそうにないわね。けれどシールがなくて如何するのかしら」

 ミナトは苦笑いを浮かべた。

「私が届けに行く」

「「「ラピス(ちゃん)?」」」

「ジロウなら私の疑問に直ぐ答えてくれると思うから」

 三人はラピスの返事に貌をしかめた。

「慥かに問いの返事は早そうよね」

「如何いった答えが返されるか予測出来でしまいますよ」

「せめて天河さんにしておいた方がいいと思うよ」

 ミナトとルリ、メグミは口を衝いて出したが、ラピスはふるふると小首を振った。

「稀な対象を観測するのも必要な事だから」

 何に必要なのかと三人は問いたかったが、ラピスは椅子から飛び下りるとメグミが 持っていたシールをすと抜き出して扉の方に行ってしまい、彼女らは問いかける機を逸してしまった。

「大丈夫かな。山田さんの影響を受けないと良いんだけど」

「大丈夫でしょう。彼女は迷っているけど――強いから」

 食堂の件を考えていたミナトが静かに呟いた。其の言葉にメグミは小首を傾げた。























 瞭然(はっきり)云ってラピスは山田が答える内容に期待していない。短い時間しか山田を観ていないが、彼は信奉者だと断言出来る。人が信仰するのは何も神や仏でなくても良い。アニメに尊い想いを抱き、宗教の様に信仰の対象にする事は十分に可能である。

 いうまでもなく、宗教の本質とは『憑物を落とす』事にある。所謂(いわゆる)悟りだとか、解脱という術語はそうした憑物を完全に払拭した境地を指す言葉といって良い。しかし。
 現存するほぼ凡ての宗教が固定化された悟りという幻想を振りかざし、新たな『憑物を憑ける』事で維持され成り立っている。

 実際は、悟った時点で終わるのだが、山田は固定観念に憑かれている。様様な(しがらみ)から悟って辿り着いた筈なのに、憑かれているのだ。しかし。
 彼は宗教信者と違う箇所がある。山田は一人で辿り着いた。アニメと云う触媒を用いたが、一人で辿り着いたのだ。其れは完成された個であろう。彼は内側で完結している。故に迚も興味深い観測対象と成り得るのである。

 些細な事では揺るがない。強大な事でも揺るがない。だが。
 根本から崩れさす出来事があれば容易く迷うだろう。
 しかし其れが――。
 人間だ。



 ラピスは格納庫を眼の前にして、歩いていた速度を(とて)寛悠(ゆっくり)にした。

 匂いがする。口の中を切った時に味わった人間の味。
 血の匂いだ。格納庫の奥から血の匂いと話し声がする。

 ラピスは壁の際に寄って格納庫を覗き観た。直に貌を戻す。死んでいた。

 山田ジロウが死んでいた。床に血溜まりが広がっていた。

 躰が震えて自分の足許でかつ、と音がした。

「何だ、誰かいるのか」

「如何します、ムネタケ准将」

「見られていたら殺すしかないでしょう。さっさと行きなさいよ」

「はッ」

 心臓が動いている。膨らんだり縮んだりしている。
 血管の中を血の固まりが巡って、ラピスは一瞬眼の前が真っ白になった。

 死んでも生きても如何でも良いけど、今は駄目だ。まだラピスは残っている。――残っているんだ。

 如何しよう如何しよう。如何しよう。此奴らは。
 山田を殺した連中だ。

 何故山田が死んでるんだとか、何故山田が殺されたんだとか頭の中を情報が走り回る。

 かつんかつんかつんと(あしおと)が複数する。二つだ。二人此方に来る。

 ラピスは咄嗟に壁に張り付く。
 何も云えない。喉の奥がくっついて声が――出ない。助けを呼ぶという考えは忘却してる。

「本当にいるのか、俺には何も聞こえなかったぞ」

「俺も自信ないんだけどな、一応だよ一応」

 声が近付いて来た。ラピスは遣り過す。

 格納庫への通路はラピスが今いる箇所を含めて三つある。

 心臓が。心臓が。
 跫はゆっくりと。とてもゆっくりと。
 通り過――。
 一つ前の通路でぴたりと止まった。指が。
 指が震える。い――。
 いやだいやだいやだ。

「いねぇな」

「あっちじゃねぇの」

 駆け出した。脚を踏み出す。踏み下ろす。床を踏み締める。

 走る。逃げろ逃げろ逃げろ。角を曲がれ、敵を巻け。

「おいッ」

「ああッ」

 跫が凄い速さで近付いて来る。当然だ。体格を考えろ。

 息が上がる。全然進んでいないのに、こんなにも喉が苦しい。

 止まるな。止まれば死ぬ。

 死ぬ。死にたくない。

 ――私はラピスだ。人形だ。道具だ。

 狭まっていた視界を脇に向けた。壁だ。四角い装飾が施された壁だ。

 否、扉だ。鍵が掛かっている他人の部屋だ。開かない。

 否、開かないのか。

 ――私はラピス・ラズリだ!

 扉の鍵に向けて腕を伸ばして勢いよく叩く。端末(コミュニケ)から紫電がバチリと走る。

 開いた。閉めろ。早く閉まれ。

 背後ですうと扉が閉まる。鍵が掛かる音が聞こえた。

 其の場に崩れ落ちる。

 桜色の髪の海に包まれる。

 瞼をぎゅうと閉める。

 跫は、過ぎて行った。

「は、あぁ」

 吐息が洩れた。薄らと瞼を開けた。部屋は真っ暗で何も見えず誰もいなかった。そして格納庫から10メートルも離れていなかった。
 情報に依ると、這入った部屋は倉庫みたいで、様様な荷物が整理されて置いてある筈だ。格納庫の近くは作業中に大きな音が起つから、人が住むのには不適切だったのだろう。荷物置き場だ。

 瞼を、閉じた。























 ただ、何かの匂いがした。

 時間が解らない。場所が解らない。何も解らない。
 (くら)くて――(こわ)い。暗くて――恐い。(くら)くて――怖い。

 ラピスにとって生きるとは、どこか他にある真実の世界を、モニタを通じて見ているだけ。高い位置からラピスが、桜色の人形を通して見ているだけなのだ。

 生きているんだか死んでいるんだか、其れじゃあ判りやしない。

 ラピスの心臓が止まって、脳波が止まったっても、何も変わりはしない事になる。数え切れない程ある人という世界の端末の一つが、ぷつんと消えるだけだから。元元質量のないものが、本当になくなるだけだから。

 それなのに――。

 如何してこんなに怖いんだろう。
 思い出すだけで頸から背中にかけてが硬直する。指が震える。喉が渇く。あの男たちは――銃を持っている。あの銃で、あの鈍い金属の塊で、ラピスの躰を貫くつもりだったのか。壊すつもりだったのか。

 ――痛い。

 痛いな。
 こんな気持ちになるくらいなら生きていない方が善い。こんな。
 こんなのは嫌だから。

 でも、如何して逃げたんだろう。

 死んでも生きても如何でも良いと云っていたのに何なんだ、とラピスは思った。ヴェリスセス研究施設で過程の一つとして生産され潰れて行く(はこ)の中のプログラムである筈だった桜色の少女だ。そういう風に造られたのだから、周囲の思惑に流されて壊れてしまっても良い。
 しかし。
 瑠璃との暮らしで知ってしまった事があった。どんなに人形として道具として造られても、桜色の少女は世界に人間として観られているという事だ。

 そして人間はあんな事で壊してしまい、あんな物で壊されてしまう。其れが、恐い。
 そして。
 桜色の少女は人形か人間の何方(どちら)だ。道具かラピスの何方だ。其れが、解らない。

 闇の中でラピスは――。



 唐突に、さあと光が差した。ラピスは躰を起こして明かりの方を見た。四角い明かりの内側に小さな人影が立っていた。ラピスは眩しさの為に眼を細めた。人影は蒼い少女。

「瑠璃、姉さん?」

 ラピスは床にぺたんと座ったまま見上げた。其れから尋いた。

「違います。星野ルリです」

「ルリ?」

 はい、と蒼い少女、ルリは答えた。

「如何したのですか、ラピス。幾つもある工程を省略して1工程でオモイカネへ強制介入し、第二予備貯蔵室の開門施錠をするなどと。山田さんが発見される直前に端末(コミュニケ)の所在記録が切れていましたから来てみました」

「ごめん」

 ルリは眉を顰めた。

「何故謝るのですか」

「此処まで来るの面倒だと思うから。そして此処にいるのは、――解らない。壊されても別に良い筈なのに」

「つまり山田さんを殺害した方から追われて逃げていたという事ですね」

 其の言葉にラピスは、小さくこくりと肯頷いた。

「そうですか。ラピスが壊されなくて善かったです」

 如何してとラピスは小首を傾げて尋いた。

「決まっているでしょう。山田さんは代えが利きますが、貴女には代えが利かないのです。私の仕事に直接関わりますしね。貴女が壊れれば作業効率が悪くなります」

 そうだねとラピスは応えた。

「ねぇルリ。私や貴女って、何」

「酷く曖昧な問いですね。私と貴女は道具として造られた人形です。そうでしょう。ヴェリスセス第三世代後期情報型機械人形No.08」

「あっ」

 ラピスは小さく、本当に小さく声が零れた。

「マシンチャイルドを保有しているとは興味深かったのでハッキングを仕掛けてみたのですが、流石秘匿し続けていたヴェリスセス研究施設です。第63プロテクトを解除中に、セリシスに出入り口を封鎖されてしまいました。深度が高かったので結構危なかったのですが、此方側の情報を一部公開しましたら不問にされましたけどね。貴女の詳細はセリシスより聞きましたよ」

 ラピスはぼうとルリの瞳を凝乎めた。綺麗な硝子玉の様な金色の瞳。

 セリシスとは瑠璃の架空存在。使い魔の様に行使する疑似情報体。意志はなく、瑠璃が現実世界に干渉する代行者。自分そっくりの人形みたいな物だ。

 ルリが自分と同じマシンチャイルドに興味を持つのは解る。だが。
 瑠璃は何を考えているのだろうか。ラピスには解らない。しかし。

「ありがとう、ルリ。私は道具。私は人形」

「何を悩んでいるのか知りませんが、業務に支障が出ないようにして下さい」

 うんとラピスは答えた。
 ラピスは立上がり、ルリの前に立った。ルリの方が背が高いので見上げた。ルリの服の袖をきゅっと掴む。

「ラピス?」

 ラピスはルリの胸に貌を埋めてぎゅっと抱き締めた。

「如何しました」

「何でもない。ちょっと、こうさせて」

 ルリは眉を寄せて困りましたねと云った。

「――好きにして下さい」

 ラピスはありがとうと呟いた。

 如何して抱き付いたか解らない。瑠璃が何をしたいか解らない。自分自身が解らない。

 不安、なんだと思う。

 匣の中で決まってた人形としての在り方。
 瑠璃との生活で得た人間としての在り方。
 同様な出生を持つルリの未知数な在り方。

 解らない事が沢山あってラピスは迷う。人形として得た揺るがない在り方は、人間(ラピス)として世界に観測されていると自覚してしまった時に、生じた歪みで迷ってしまったのだ。

 ラピスは(しばら)く、ルリに抱き付いていた。























 ラピスは展望室で大きめの箱にぺたんと座り、ふわりと浮き乍ら作業をしている瑠璃を、じぃと見上げていた。
 瑠璃は、自分を囲む様に展開している幾多のモニタを、とっかえひっかえ手にしてはぱらぱらと作業に没頭している。其の間、口を尖らせたり眉間に皺を寄せたり、微笑んだり舌打ちしたりで実に忙しい。



 ナデシコは山田の葬儀を終え、補給の為にサツキミドリ二号に向かったのだが、コロニーは無人兵器の襲撃を受け、壊滅されて寄港出来なかった。しかし幸いな事に、帰属予定だった3人のパイロットと4機の機体は無事だった。此れからの目先の予定は、壊滅したコロニーから残った資源を出来るだけ回収する事である。



 瑠璃はモニタを次次に閉じて行き、二つ残してラピスへ視軸を移した。其れからラピスの前にふよふよと移動した。
 暫し、二人を沈黙が包む。

「其れで、話って何ですか」

 質問とラピスは答えた。

「質問?」

 瑠璃は小首を傾げた。
 ラピスはこくりと肯頷いた。

「瑠璃姉さんが以前云っていた観測行為の仕方は、此方からも対象に影響を与えて観測するらしいけど、普通は干渉せずに、多くの対象を観測して記録するものじゃないの」

 ラピスはそう云ったものの、今まで瑠璃の言動の通りに観測行為をしていた。軍に制圧されていた時の食堂での件は、瑠璃からの助言に依って、観測対象に言葉という道具を使って干渉し、反応を観ていたのだ。ただ此れは、人と関わる事に慣れていないラピスにとって余りにも面倒である。故に、ラピスは干渉行為の意味を瑠璃に尋いたのだ。

「観測行為ですか。そういえば、食堂で妙に饒舌に話していた時がありましたけど、観測(もくてき)の為に干渉していたんですね」

 ラピスは眉を顰めて、そうだけど、と云った。

「如何して知ってるの。慥か、瑠璃姉さんは一定領域の情報しか把握出来なくて、オモイカネは眠っていた筈だよ。食堂に来ていたの?」

「ええ、慥かに私の把握している領域は人とたいして変わりませんし、オモイカネも休眠状態でした。故に、わざわざ赴いたんです。軍に制圧されていた時に、ラピスにもしもの事があったら困りますからね」

 ラピスは小さくこくりと頷いて納得した。展望室にも軍の兵士が来て、瑠璃は疑問に思ってナデシコ内を彷徨い、事態を把握したのだろう。

 観測行為についてでしたねと瑠璃は云った。

「第一に、ラピスの認識は観測行為の本質と若干食い違いがあります。観測者が干渉せずに、多くの対象を観測し記録する事は、平均や統計を用いて算出する場合です。詳しくは省きますが、量子理論では観測する行為自体が、対象に影響を与えてしまうと考えられています。匣の中のシュレディンガーの猫が生きているか死んでいるかは確率でしかなく、其れを決定するのは観測者です。だから観測者が干渉せずに観測する事は不可能なんです。ならばこそ、対象を目的に収束する様に干渉する事は有意義なんですよ」

 瑠璃が云った、量子理論のシュレディンガーの猫は余りにも有名である。

 世界は凡て、確率で成り立っているという考えである。観測者が匣の中の猫は生きていると知っていても、観測(けってい)する前は、匣の中にいる猫は死んでいるかもしれないという訳だ。猫が消えてしまうかもしれないし、猫の代わりに犬が入っているかもしれない。匣の蓋を開ける前は、可能性は無限であるという。

 此処で重要な点は、観測者が観測(けってい)する件だ。無限の可能性を一つに絞ってしまう事が観測の力である。つまり、観測する行為自体が対象に干渉しているのだから、対象に干渉するしないという事は今更なのか。ならばこそ、何を観測したいかによって、対象を収束収斂させて、少量で高質な観測行為にする訳か。

 瑠璃の言葉を整理し理解すると、一息に喋りすぎ、とラピスは云った。

「けれど関連する知識を保有している貴女は、内容を把握出来たでしょう」

 ラピスはこくりと頷いた。

「其れと、普段貴女は口数が少ないのに、饒舌なのは何か良からぬ事を考えている時ですしね。干渉するしないは、関係ないのではありませんか」

 ラピスはふるふると小首を振った。桜色の髪がさらさらと流れる。

「良くない事じゃない。必要な事だよ。その様な事を云うなら、瑠璃姉さんの方が何を考えているか解らないじゃない」

「私も必要な事ですよ」

 静寂が展望室を包んだ。ラピスと瑠璃は互いにきれいなえがおで微笑み合っている。

「ん?」

 瑠璃が小首を傾げた。
 如何したの、とラピスは尋いた。
 瑠璃は残して置いたモニタを除き込んだ。

「如何やら利用者が来るみたいです。此れは――メグミとアキトですね」

 瑠璃がそう云うと、扉がすうと開いた。

 メグミは貌を臥せて入って来たが、先に利用者がいるのを気付いて貌を上げ、ラピスちゃん、と呟いた。























 展望室は夕焼けの景色を利用者たちに観せている。ラピスとメグミ、アキトは芝生の上に座っていた。瑠璃はラピスの近くで浮いていた。

「みんな、人が死んでも如何でも良いんだよな。彼奴が死んだって悲しんでるのは俺だけなんてさ」

「私だって人が死んだら悲しいですよ」

「メグミちゃんぐらいだよ。そんな風に思ってくれるのは」

「そんな」

「俺がパイロットとして頑張ろうと思ったってみんな何もしちゃくれない。彼奴の為にも、みんなで頑張ろうとかいう気持ちないのかよ。俺だけ一人でもがいて、一人で苦しんで、如何しようもなくて。俺、訳解んないよ」

 そうかな、とラピスは呟いた。

「心配したって死ぬ者は死ぬ。しなくたって生きる者は生きる。自分の心の中がどんな風になってたって、其れがこの世界に与える影響なんかない。祈れば何とかなるとか、願えば叶うとか、私は思わないから。だから――癇癪を起こす暇があるなら、今、如何するか考えるべきだよ。――何とかする」

「ラピスちゃん?」

 アキトは箱の上のラピスへ視軸を移した。

「考えてたって悩んでたって、それは自分だけのことだから。私は何とかするよ。私は――人と関わるのが下手なの」

 ラピスは箱の上で小首を傾けた。さらさらと髪が流れ、金色の瞳がアキトを凝乎た。

「そんなの。俺だって」

 アキトは常に孤独だった。両親を失い、眼の前で火星の人々を見捨て、アイちゃんを守れなかった。
 心の傷は、どんなに時が経っても決して完全に消えはしない。

 アキトの心は失うことを怖れ、己を孤独の中に置くことを選んできた。深く人と付き合えば、失った時の喪失感が大きいことを誰よりも深く知っているから。

「其れなら解るでしょう。例えば――私がアキトの事を凄く心配してたとする。でも、私にはその気持ちをアキトに伝えるだけの表現力がない。アキトには私が心配している事が判らない。離れていたなら余計に判らない。だから――何とかするしかない」

 心は通じないよとラピスは云った。
 そして尻の下の箱をぽん、と叩いた。

「人の心はこうして箱に入っている。外から何が入ってるかは想像するしかない。互いに想像し合って、それで通じた様な気になるだけだよ。合ってる時もあるしはずれてる時もある。でも合ってるかどうかも――想像するしかない。だから蓋にね、中にはこんなものが入っていますと書いて、知らせる事ができる人もいる。ラベルを貼られる事もある」

 でもさ――ラピスは立ち上がった。
 そしてアキトの眼の前に立った。

「何が書いてあったって、どんなラベルが貼られていたって――蓋は開けられないんだから、本当かどうか判らないんだよ。信用できるかできないのか――結局想像することになるの」

 アキトは金色の瞳に縛られた。

「アキト、蓋に何か書くような器用な真似をするかしないかは、其の人の自由だよ。だから、他人の箱の中を想像するような面倒な事をするのなら、癇癪を起こさないで、寛悠(考えて。コック兼パイロット」

 ラピスはそう云うと、アキトとメグミを背に、展望室の出入り口へ向かった。

『此れも、必要な事ですか。と云うよりもラピス、貴女は真実(ほんとう)は何歳ですか』

 ――マシンチャイルドに年なんて関係ないよ。知識は、人が普通に学んでたら追いつけない程保有してるから。

『そうでしたね。では、またいらっしゃって下さい』

 ――うん、また来るね。

 ラピスは、アキトとメグミを残して展望室を後にした。







第二章 人間×人形×道具 終幕









ヒカル「出番がない人の救済コーナー、落人の宴だよ。今日は私と山田君で進む予定でーす」

ガイ「――――――」

ヒカル「どうしたの、山田君」

ガイ「なぜ、なぜだ!? 出番がないのに俺が殺されるなんて――キョアック星人の陰謀か!?」

ヒカル「名前だけ呼ばれたり、地の文で書かれていただけだもんね。どんまいだよ、山田君! 君の死は皆の立派な礎になったんだから、誇らなくちゃ。それに、作者が回想として書くかもって言っていたよ」

ガイ「本当か、ヒカル。俺の、ゲキガンガーのように燃える場面が残っているのか」

ヒカル「燃えるかは解んないけど、これで終わるガイじゃないって聞いたから」

ガイ「そうかそうか! 俺のガンガーと燃える場面が残っているのか」

ヒカル「そこまでは言ってないよ、山田君」

 閑話休題

ガイ「――――――」

ヒカル「どうしたの、山田君。また黙っちゃて」

ガイ「ラピスが黒い。育ての親の瑠璃は、よりどす黒いんじゃないか」

ヒカル「子供は純粋で残酷だって聞くから、ラピスちゃんは思う事があってやってるんじゃないかな。ある意味真っ直ぐだよね。瑠璃ちゃんの方は解んないや」

ガイ「そうか。それとルリのヤツ、自分とラピスの事を人形とか道具とか、何言ってやがるんだ。俺には訳解んねぇぞ」

ヒカル「うーん。ルリルリはナデシコで人形からヒトになったから、序盤ではこんなのもありなんじゃないかな」

ガイ「あんな人形で良い訳がないだろ。どうにかしろよ、ヒカル」

ヒカル「私には無理だよぉ、山田君。この物語では役割が振られていて、私には当て嵌まってないの。こんなコーナーに来ている時点で重要な役が振られてないこと解るじゃん」

ガイ「待て、じゃあ俺は――」

ヒカル「尊い死に役だね。では、モニタの前のみんなー、次回もよろしくね」

ガイ「俺を闘いに出せェ!」



業務連絡。

ヒカル「作者のHPの華戍にて、読者の方がどの作品の続きを楽しみにしているのかを把握出来るコンテンツを設けたみたいだよ。順位が高い作品から完結を目指していきたいと思っているらしいので、投票してみて下さいね」<br><br> [2004.05.17]



ゴールドアームの感想

 毎度、ゴールドアームです。さて。前回煽った続きは……

 うわ、むっちゃ面白い。

 いや参りましたね。今回基本的に、批判するというかけなすというか、そういうところが全然見あたりません。登場するキャラ全員、びしっと筋が通っています。
 主人公たるラピスに視点を絞り、彼女を中心としてその心の動きや関わる人物の様子がきっちりと描写されています。
 そして彼女と関わっていない部分はばっさり。これがいい意味で話全体に緊張感を与えています。

 ストーリーの進むリズムもよく、全体的には淡々としたリズムの中、緩急の付け方も見事。前作ではテーマ的に平坦にならざるを得なかった部分も改良され、きちんとした『ドラマ』になっています。
 そして読み終わったとき、きちんとラピスの姿が見えている。
 脱帽です。



 さすがに『プロみたい』などという言葉は出せませんが(プロとアマでは求めるべきものも違いますし)、同人小説としてはかなりのレベルに達したと私は思います。
 私自身も続きが楽しみですので、ゆっくり、あわてず、じっくりと、続きの話を綴っていってください。
 アマには締め切りはありませんし。待つのもまた粋な楽しみ方です。
 だいたいこんな話うかつに書いちゃったら、作者が書くのを我慢できなくなりますわ(笑)
 どんな物語も、第一の読者は作者自身。
 そして自分の中にある物語を形にするというのは、結構大変な作業。
 とくに第三者にも判りやすくしようとすればなおさら。
 けど、そこで妥協してしまったら、結局自分も楽しめません。
 苦しみつつ、その苦しみ自身を楽しめるようになりましょう。
 それこそが、『好きこそものの上手なれ』と言うことの極意に通じます。



 最後に、この場で言うのは少し変ですが、この物語を読んでくださった方達へ。特に、ここへ作品を投稿している方達へ。
 私が初めて霞守さんの作品を知った頃、ひどい話ですが、わたしは『なんだこりゃ、これは日本語か?』と思ったものです。
 実際、散々なものでした。
 でも、彼はその後努力して、あっという間にこれだけの文章を書く力を身につけました。
 本当に、『あっという間』にです。
 文を書くことが好きで、努力する心があれば、誰だってこうなれると私は思っています。
 簡単な約束事を覚えるだけで、まず1レベルUP。
 頭を空っぽにした状態で、自分の書いたものを客観的に読めればまた1レベルUP。
 他人の目で見て自分の文章のおかしいところが判るようになればさらにUP。
 他人に読んでもらって、おかしいと指摘されたところを直せるようになればまたUP。
 本当におかしいか自分で考えられるようになればまたまたUP。

 ……と、段階を踏んでいけば難しい事じゃないんです。
 代理人から内容以前の感想しかもらえない投稿作家の方々、ちょっとだけ考えてみてください。



 では、また。ゴールドアームでした。






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