NADESICO
-COOL-






「やれやれ、またやられたね。それともネルガルはそこまで恨まれてたってことかな?」
「両方でしょうな」

 例のごとくアカツキとプロスがネルガル重工会長室で話し合っていた。
 アルストロメリアが統合軍の競争試作に敗れた事で、開発費や接待などのロビー活動費用が全て水泡と帰した。アカツキは実力で叩き伏せればいくらなんでもより弱いと判明した兵器が採用される事はないだろうと踏んでいたのだが、あっさり当てが外れた。それは確かに木連出身者の多い統合軍にネルガルが嫌われている事、そしてクリムゾンが形振り構わない接待攻勢に出た事もあるが、それ以外にも理由は存在した。
 ネルガル側パイロットがジャンプを使用したこと、ひいてはアルストロメリアにジャンプ機能が付与されている事は、ネルガルが人工的にB級ジャンパーを提供する事が可能であると提示したものの、過剰兵装であり(つまりそれがなければもっと安くなる)実戦にそぐわないとしてノーカウントとされた。またクリムゾンが統合軍に後から提出したデータにはネルガル側のパイロットのバイタルデータも含まれていたのだが、一人のナノマシン濃度が異常に高かった事が問題視された。そこまでしなければ乗りこなせないような機体は不必要であり、求めているのは訓練学校を出たばかりのヒヨッコから熟練者まで幅広く使用できる機体であった事。そして何より重要だったのがステルンクーゲルの操縦にはIFSが必要とされない事だった。蜥蜴戦争終了後でもまだナノマシン注入者に対する偏見・差別は全く減じておらず、パイロットを志望するものの中にもIFS用ナノマシンの注入に嫌悪を示すものが多かったからである。
 つまりは完全にネルガル側の読み違いであった。連合宇宙軍が性能調査及び戦術研究用に極少数を購入する事を決定したものの焼け石に水だった。

「はぁ、また社長派の連中が活気付くね、これは」
「はい。なんらかの手を打たねばなりません。それと先日の工作時に証拠隠滅の為現場に向かった処理班がステルンクーゲルのプロトタイプと思われる機体のサンプルをいくつか採取してきたのですが、分析の結果かなり高度な遺跡技術を使用している形跡が確認されました」
「ほう? 彼らはどこからそれを入手したんだろうね?」

 今まで遺跡技術はネルガルの独占状態だった。おかげで戦闘艦艇の大型部品―相転移エンジンとディストーションフィールド発生機構及びグラビティーブラスト発射機構―とエステバリスを渋々統合軍も購入していたのである。しかしステルンクーゲルに遺跡技術が使われていたのなら、これからはその契約すらクリムゾンに奪われてしまう事を覚悟しなければならない。

「ラピスさんの記憶とあわせましても、どうやらクリムゾンは地下に潜ったはずの木連の強硬派と手を組んでいるものと思われます」

 火星から帰還したアキトは再び月に居を定めラピスと同居を開始していた。これはアキトのテストパイロットとしての仕事が終了した事、またアキトが配属されるはずだったNSS(ネルガル・シークレット・サービス)の部隊が壊滅状態なので暫くヒマとなり、またぞろジャンプ実験に取り組む事になったためである。アキトと一緒に暮らすことによって幾分落ち着いてきたラピスに、アキトも交えたソフトな事情聴取が行われ、いくつかの断片的な知識が入手された。その中で最も重要視されたのが、どうやら彼女は遺跡へのアクセスをさせられていたこと、そして飽和酸素液の満たされた巨大シリンダの中から見た人物の一人が白い学ラン、つまり木連優人部隊の制服を着ていたことである。
 ここで重要なのは木連強硬派がおそらくクリムゾンと手を結んだ事、そして彼らはどこからか遺跡を入手したと見られる事である。その遺跡はどこから手に入れたのだろうか? 考えられる可能性は三つ。火星極冠遺跡を占拠したか、新たな遺跡を発見したか、もしくはナデシコを回収したか、である。極冠遺跡は連合も監視しているのでありえない。新たな遺跡についてはなんとも言えないが、ナデシコ回収というのはいかにもありそうだった。
 そしてここで新たな問題が生じる。ネルガルの裏の戦力を削ることと引き換えにネルガルはラピスを手に入れた。恐らく彼女はすぐにでも殺される手はずだったのだろうが、万に一つの可能性でネルガルが彼女を生きたまま手に入れるという事態だとて考えられたはずだ。にも関わらず彼女を囮として使ったということは、敵はそれらの事実がバレても構わないと考えている、つまり具体的に目的がなんなのかは不明だが彼らの計画は最終局面を迎えつつあるのではあるまいか?

「どうやらまた君たちに頑張ってもらわないとならないようだね」
「はい」
「あ、そうだ。火星出身者連続誘拐の件も絡めて調べてみてくれるかな?」
「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「うん。チューリップ使って太陽系内を自由に行き来する例のヒサゴプランとやら、あれがあと半年くらいで稼動するだろう? なーんか胡散臭いんだよね」
「なるほど。わかりました。至急調査を開始します」
「頼んだよ」











 火星での仕事が終わると同時に地球にジャンプで帰ったアキトは、ラピスを引き取るに当って月面で以前自分が住んでいた8畳一間の部屋では二人暮らすには手狭だろうという事で引越しを敢行する事にした。新たな部屋の割り当てを申請して三週間、ようやく通達がきたのでラピスの片手を引いて新居の前までやってきていた。新居といっても特別研究区画内の一室であることに変わりはないのだが。玄関を開いて中を見渡した。

「あれ?・・・・・・なんか、広い?」

 確かに広かった。8畳のリビングダイニング、小さなキッチン、ユニットバス、そして8畳の個室が三つ存在していた。アキトの顔が蒼褪めた。今までジャンプ実験やテストパイロット、NSSでの仕事といった危険手当たっぷりな仕事を数多くこなしてきたためかなりの収入があったので相当目減りしているとはいえ、彼は未だに借金もちなのだから当然である。こんな立派な部屋を割り当てられたという事はかなり給料の手取り額が減っているのではないかと不安になった。

「あら、ここで間違いは無いわよ?」

 後ろからそう言って声をかけてきたのはエリナだった。傍らにはイネスもいる。二人はずかずかと室内に入ってくると「あら、中々いい部屋じゃない」だの「じゃあ私はこの部屋ね」など勝手な事を言い始めた。何より二人は大きなトランクを持っており不審な事この上ない。

「あの、エリナさんにイネスさん、二人ともここで何やってるの?」
「聞いてないの? 私たちもここに住むのよ」
「はぁ?」

 アキトの不得要領な返事を聞いてイネスは嬉しそうに身を乗り出した。

「説明しましょう! あなた達二人が住むのなら勿論こんな部屋は割り当てられないわ。けれど私たちも同居する事でラピスに広い空間でゆったりと暮らしてもらおうと思ったのよ。何よりラピスだって小さいとはいえ女の子なんだから男のアキト君と二人暮しじゃ色々と問題もあるでしょ?」
「ちょっと、勝手にそんな大事な事を決め付けないで下さいよ!」
「それとね、擬似的とは言えラピスには二親が必要だと考えたのよ。アキト君なら判るでしょ?」

 また流されそうになって不満そうに声を上げたアキトの耳元にイネスが小さく囁いた。それを聞いてアキトは黙るしかなかった。情緒育成において周囲の環境、ひいては両親の存在というのは非常に大きな影響力をもつ。そのことはアキトも十分に理解していた。何よりも家族を欲していたのは自分なのだから。渋々ながら納得するとアキトはラピスに尋ねる事にした。

「ラピスはこの二人が一緒でもいいかい?」

 ラピスは暫し間を置いてからこっくりと頷いた。ラピスはとにかくアキトと一緒ならば余計なおまけがついてきても何ら気にしなかった。一方、アキトはラピスの事にばかり気が行っていて気付いていなかったが、後に「美女二人に美少女一人でハーレム作るなんてやるね、テンカワ君も」と某元大関に評されてようやく女性との同棲生活であることに気が付いて大慌てする事になる。ちなみに某元熱血将校は「内縁の妻と私生児と愛人を囲っているのか、腐ってるな」と評してアキトと全力で格闘訓練を行うこととなった。付け加えるならば、どちらが内縁の妻でどちらが愛人であるかは明示されなかった。











 手際よくアキトとの同居権を手に入れた美女二人は、しかしながらアキトとラピスの蜜月ぶりに唖然とする事になった。先にジャンプで帰ったアキトが三週間二人きりで暮らしていたおかげか、ラピスはすっかりなついていた。上着の裾を掴んでどこに行くのにもついて来るラピスをアキトも猫かわいがりするので、よりいっそう二人の親子仲は親密になっていた。同居一日目、粗方荷物を片付け終わるとアキトは言ったものだ。

「じゃあラピス、働いて汗かいたし風呂入ろうか」

 素直にユニットバスについていって二人で入ろうとするのを、しばらく固まっていたイネスとエリナはようやく再起動して止めた。

「ちょっとアキト君、それはいくらなんでも拙いんじゃないの?」
「俺もそう思ったんですけどね、ラピスはどうも水にトラウマがあるらしくて一人で風呂入れないんですよ。かといって風呂に入らないままってわけにもいかないから俺が一緒に入る事にしたんです。エリナさん達以外に女性の知り合いいなかったんで頼めなかったし」
「そ、そう。なら私たちが面倒を見るわ、それでいいわよね?」
「俺はそれで構わないっていうか、むしろそっちのほうがいいんですけど・・・・・・ラピス?」

 ラピスはきゅっとアキトの腰にしがみついて震えていた。よしよし、とアキトが頭を撫でて宥める。それを呆れたように眺めたイネスとエリナはしょうがない、と風呂でのラピスをアキトに任せたのだった。

 その後、食事のときは子供用の補助椅子などない状況ではテーブルに手が届かないラピスをアキトが膝の上に座らせて食べさせてやったり、膝枕して綿棒で耳掃除をしてやるなど二人の熱い関係にエリナとイネスは呆れっぱなしだった。ちなみにアキトはラピスの成長のためにはバランス良い食生活が欠かせないとして、自炊を再開していた。ラピスが好き嫌いを言わないように自分も同じ物を食べて見せている。テンカワアキト、22歳、親馬鹿街道まっしぐらだった。その事実を決定的に彼女たちに知らしめたのは就寝のとき。三部屋ある個室はそれぞれアキト、エリナ、イネスが占拠していた。それではラピスはどこで寝るのか?
 やはり当然のようにラピスの手を引いて自室へ向かうアキトの両肩をがっしりと二本の白い腕が捕まえた。

「「アキト君?」」
「いや、あの、父親として添い寝したって不思議じゃないでしょう? それにラピスは夜中によく魘されるんですよ」

 怖い笑みを浮かべて釈明を要求する二人にアキトは慌てて弁明した。考えてみれば当然の事だ。今まで8畳一間で二人で暮らしていたのだから寝るのも一緒であってもなんの不思議も無い。ラピスを無理やり引き離そうにも泣きそうになって嫌がるのでどうしようもなかった。











 翌朝、四人で朝食を取っているときにイネスが奇妙な事に気が付いた。ふとアキトが醤油の小ビンを取ると全く自然な素振りでそれをラピスに手渡したのだ。ラピスも当たり前のように目玉焼きに醤油をかけると再びテーブルの上の所定の位置にアキトがそれを戻した。その間、二人の間になんの会話も無かった。思い返してみれば前日にも似たような事が何回かあった。

「アキト君、今ラピスが醤油が欲しいってなんで判ったの?」
「え? 今ラピスが言ったじゃないですか」
「・・・・・・なんて?」
「『アキト、醤油』って。イネスさん聞いてなかったんですか?」
「ちょっと待って、アキト君。私も聞いてないわよ、それ」
「は?」

 三人は揃ってもぐもぐとご飯を食べているラピスを見た。ラピスはつい、とアキトの顔を見た。

「え、どうしたのって言われても」
「今、ラピスが『どうしたの』って言ったのね?」
「ひょっとして言ってないんですか?」
「私には聞こえなかったわね」「私も」

 そこでちょっとした実験を行う事になった。アキトとラピスを部屋の両端に立たせてイネスがラピスと共に、エリナがアキトと共にいる。イネスがラピスに何事か囁く。するとアキトが右腕を上げた。ついでエリナがアキトに囁き、ラピスが無言で左足を上げて片足で立った。
 これらのことから二人はお互いに相手の思考が読めるという事実が判明した。イネスとエリナが囁いた内容(「右腕を上げてとアキト君に言って、口に出さないで」「左足を上げてと頭の中でラピスに伝えてみて」)を考えただけで相手に伝わったのである。当然二人はイネスに拉致されるように研究室に連れて行かれると嵐のような検査を受けさせられた。それで判ったのはお互いに何か伝えようとすると、アキトに発見された例の用途不明のナノマシン、それが活性化するということである。これが二人の意識のやり取りの媒体となっているのは明らかだった。
 しかしながら二人の間でどんな形にせよエネルギーのやり取りは行われていない。つまり電波を送って会話、というような事ではなかった。それは光、電波、音波など全ての通信手段を無効化する室内にどちらか片方を閉じ込めても二人の間で意思疎通が出来ることによって確かめられた。
 何故そのようなナノマシンが二人の体内で増殖し二人の間でリンクが結ばれているのかという理由まではイネスにはお手上げだった。彼女が知る由も無いが、実はこの二人、先日の施設内での撤退戦闘中に初めて会ったときからリンクが結ばれていた。戦闘の極限状態で活性化されたアキトのナノマシンとラピスのナノマシンが共鳴したのである。アキトの脳内に流れたイメージはラピスのものだった。同時にアキトの記憶がラピスにも伝わり、ラピスはアキトに興味を持つ事になったのである。

 それが一体何を意味するにせよ、アキトは全く気にしていなかった。彼が体を張ってコンペに勝利したにもかかわらずネルガルが契約を取れなかった事は確かにくやしい。しかし新しく出来た家族にアキトは舞い上がっており、そのささやかな幸せな日々がいつまでも続くと信じていた。











 黒い宇宙に華咲く一輪の白い花。その艦はどこか優美ささえ感じさせるシルエットを持っていた。連合宇宙軍所属ネルガル製戦艦ナデシコBは三ヶ月に及ぶ小惑星帯での慣熟訓練を終えて地球圏に戻ってきたところだった。これでようやく正式配備されることとなる。コウイチロウとムネタケが少ない予算を割いて建造した連合宇宙軍の切り札である。二人はナデシコという先の戦争休戦の立役者のネームバリューを重視し、量より質を取ったのだった。

「地球に帰ってくるのも久しぶりー♪」

 相変わらずの脳天気な台詞を口走っているのはやはり、初代ナデシコA艦長であったミスマルユリカ艦長(中佐)である。当初、コウイチロウはユリカを再び前線配備する意図など全く無かった。しかしながら最近になってユリカを目標とする襲撃やテロが多発。ヘタに地球においておくより手出しできない戦艦に乗せておいたほうが安全なため、ユリカはナデシコBの艦長に就任したのである。もちろん彼女のネームバリューも考慮された。彼女はナデシコA時代の功績、参謀本部における業績、そして総司令であるコウイチロウの引きで中佐にまで昇級していた。

「ユリカさん、極東艦隊司令部より入電、そのまま地上に降下、サセボに入港せよ、だそうです」

 そう声をかけたのはこの艦のメインオペレータにして副長をも兼任するホシノルリ大尉だった。ルリは現在公表されている数少ないマシンチャイルドの一人であり、ナデシコ、ひいてはナデシコ艦載AIであるオモイカネとはっきり言ってワンセットで扱われていた。つまり、彼女が宇宙軍に奉職したその時からナデシコBのオペレータになることは決定されていたのである。ちなみにもう一人のマシンチャイルドであるマキビハリ少尉はサブオペレータとしてルリに扱かれる毎日を送っている。
 彼女たち二人以外に元ナデシコクルーは一人も乗艦していないものの、艦内の雰囲気は初代ナデシコと大差無い。これも艦長の人徳であろうか? ユリカは時々思い出したようにアキトアキトと騒ぐもののその間隔も最近は間遠になっていた。もう忘れつつあるのだろう。また、ルリもアキトの事はあの頃にあった良い思い出の一つとして扱っており、現在特に恋愛感情は抱いてはいない、と本人は考えている。

「了解、ルリちゃん。それではこれより本艦は地上管制と連絡を取り、許可が出次第、地上に降下します!」







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