NADESICO
-COOL-






 イネスはラピスが突然頭を抱えて震え始めたのに気が付いた。

「どうしたの、ラピス」
「アキト、アキトが」
「アキト君に何かあったの?」

 先ほどクルーが揃う前に先行して月でCのセットアップをさせるためにハーリーを地球まで迎えに行っていたイネスはアキトが現在地球で何か作戦中であることを聞いていた。詳しくは知らないが。

「アキトが苦しんでる、アキトが怪我してる!」

 ラピスはがたがたと震えながら呟きつづける。地球―月間の距離をものともせずにアキトの感情がダイレクトに流れ込んできていた。イネスは対処の仕様もなく、ラピスを宥めるように背中を摩りながら待つしかなかった。そこに見慣れたジャンプの光がユーチャリスの艦橋を照らし出す。そして血塗れの姿でアキトが現れると同時に倒れた。

「アキト!」「アキト君!」

 ラピスとイネスは叫びながらアキトに駆け寄った。ラピスは必死にアキトにすがり付きながらひたすらアキトの名前を呼びかけるが全く反応は無い。そしてイネスは顔を蒼褪めさせた。目に当てられたガーゼが血でぐっしょりと濡れて重くなっているのを見る限り恐らく右目は失っただろう。そして左腕は肩口から無くなっていた。同居を始めた頃に比べて若干表情が豊かになっていたはずのラピスが再び表情を凍らせて泣きじゃくりながらアキトにすがり付くのを引き剥がす。そして直ちにネルガルの医療班に連絡を取ってICUに放り込み、緊急輸血、応急処置などを施した。
 一時間ほどしてアキトは目を覚ました。麻酔で頭がぼーっとしていたが、イネスの顔を見るとその顔を歪めた。

「イネスさん、すまない。奴らを逃がした」
「いいのよ、アキト君、気にしないでゆっくり休みなさい」

 イネスがとにかくアキトに落ち着くように言い聞かせる。患者が負の感情に囚われていると回復が遅くなるのだ。だが、アキトはそんなイネスの気遣いを無用とばかりに断言した。

「ダメだよ、イネスさん。あいつらはジャンプが自由に出来るようになった。多分大攻勢をかけてくる」
「そんな・・・・・・」

 ジャンプのコントロールに成功した、それはつまり彼女の母が彼らの言うがままになったということである。

「俺たちも出なきゃならない。ユーチャリスとあれの準備は出来てるの?」
「ええ、それは大丈夫だけど、あなた、そんな傷であれを乗りこなせるわけないじゃない」
「痛み止めを打てばいい。目も腕も要らないよ、IFSで全ては動くんだ」

 アキトの壮絶なまでの決意と薄っすらと滲み出る殺気にイネスは絶句した。確かに応急手当とアキトの体内に異常なまでに増殖した治療用ナノマシンのおかげで急激に傷口は塞がったが本来なら動ける状態ではない。ましてや機動兵器戦をや。しかも増殖したナノマシン分のエネルギーはアキトから急激に取り立てられたため、アキトはげっそりとやつれている。だがイネスは今アキトに必要なのは優しい気遣いではないと悟った。

「そうね。期待してるわ。全部片がついたら素敵な義眼と義腕をあつらえて上げるわ」
「楽しみにしてるよ。会長に連絡を取ろう」











 ターミナルコロニー・サクヤ近傍空間において、統合軍第三艦隊は火星の後継者の艦隊相手に熾烈な攻略戦を繰り広げていた。統合軍は数の上で圧倒的に優位にたっており、戦況も有利に推移している。艦隊司令はしかし満足そうな表情を浮かべてはいなかった。敵は彼が友と思っていた人物が指揮をとっていること。そして劣勢の敵が士気を落とさずにこちらの激しい攻撃にひたすら耐えている理由が判らないからである。

「司令、敵損耗率50%を越しました。我が方の損耗率は3%です」
「先ほど第五艦隊からクシナダを落としたと連絡が入りました」
「よし、こちらも降伏勧告を送れ」

 副官の報告を聞いて迷いを振り切った彼が敵に止めをさそうとしたとき、戦域内に多数の光芒が現れた。

「なんだ?」

 彼が座乗する大型戦艦の艦橋の目の前にも光が煌いた。そして中から現れ出でたのは見た事が無い機動兵器。そいつは現れると同時に艦橋に四発の大型ミサイルをぶちこみ艦隊旗艦はたまらず爆沈した。多くの艦が旗艦の後を追った。











 火星極冠遺跡に陣を構えた火星の後継者達の司令部では戦場からのライブ映像に多くの男たちが息を飲んだ。そしてプロジェクタに映し出された白衣の男、ヤマサキヨシオ博士がにこやかに笑ってVサインを出した。中心で見ていたクサカベが声をかける。

「ヤマサキ博士、これは大成功と見ていいのかね?」
「はい。イメージ伝達率98%、この数字は完璧と申し上げてよろしいでしょう」
「どうやってこれを可能にしたのだ?」
「それは麗しい親子愛です」

 ヤマサキの説明を要約するならばこういうことだった。遺跡と融合させられた女性に今まではイメージを伝達するように強制していたがそれでは伝達率が低く、危険すぎて使い物にならなかった。そこで発想を転換、彼女に自ら協力させようとしたのである。彼女の過去を探り、小さな娘が一人いた事を発見した事が突破口となった。あとは彼女に子供がどこかへおでかけしたがってねだっている、もしくは駄々をこねているシーンを延々と夢見させるだけだった。そのおかげでネルガルからクリムゾンが探り出したB級ジャンパー処理法及び木連で開発した手法両方で手に入れたこちらのB級ジャンパーが好きな地点をイメージし、彼女に伝える事で好きな場所にジャンプできるようになったのである。
 ちなみに敵艦隊を攻撃していた積尸気という機動兵器もヤマサキ発案である。ジャンプによる奇襲を想定したもので、兵装は四発の対艦ミサイルとハンドガンのみ。燃料式ブースター装備で稼働時間は短く、ジャンプユニットは外付けで一回しか使えないという全くの特攻兵器である。火星の後継者には大義に忠実な者、つまりは狂信者が数多くいるのでパイロットには事欠かない。安い機体一機と一人のパイロットで敵戦艦一隻を沈められるならばいい取引だった。

「よくやってくれた、ヤマサキ博士」
「どーも〜」

 上機嫌のままヤマサキが画面から消えると部下の一人が立ち上がった。

「あと一日あれば奴らの宇宙戦力は殲滅できます。そして混乱している奴らを一網打尽にします。こちらが目標一覧です」

 選挙の当落表に模した巨大な紙製の目標一覧を壁に張る。連合議会や宇宙軍本部、ネルガル重工本社ビル、重力波通信研究所などがその名前を連ねている。クサカベはそれをざっと見ると立ち上がり激を飛ばした。

「諸君らの働きに期待している」
「はっ」











 その頃、リクルートされたユリカ達ナデシコクルーはシャトルで月面へと向かっていた。連合宇宙軍艦隊の護衛を連れてもしもの事態に備えている。しかし順調に進んでいた彼らのフライトも航程を半分ほど消化したところで慌しくなってきた。彼らの後方に火星の後継者の大部隊が突如ジャンプアウトしたのである。シャトルの発進を地上から見送った北辰の部下たちの連絡に呼応したものだった。シャトルは操舵士をミナトに変えて直ちに加速、火星の後継者の相手は宇宙軍に任せて遮二無二月まで行こうという作戦だ。しかしそれを読んでいたように火星の後継者の攻撃部隊第二陣がシャトルと月の間にジャンプアウト、挟み撃ちの態勢となった。

「ちょっと、艦長、ヤバイよぉ。こっちは非武装なのよ?」
「ミナトさん、腕は鈍ってないですよね? なんとか敵を躱して突っ込んでください」
「了ー解」

 ミナトはスリル満点の作戦に舌なめずりをした。右に左に上に下にと、ミナトは自由自在にシャトルを操り敵の攻撃を避ける避ける避ける! しかしそんな彼女の獅子奮迅の活躍にもかかわらずシャトルは段々追い詰められつつあった。そんな中、更にボゾンジャンプの煌き。

「前方50kmにボゾン反応!」
「敵の増援?!」

 サブロウタの警告にミナトが悲鳴を上げる。ユリカもルリも表情を硬くするが、現れたのは一隻の白い戦艦だった。ユリカ達には見覚えがあるその艦はアマテラスで彼女たちを助けた艦だった。ミナトがその脇をすりぬけると同時にそれはグラビティ―ブラストを斉射、忽ち火星の後継者達を蹴散らす。そしてその艦から一機の機動兵器が飛び立った。エステバリスやアルストロメリアより一回り大きく、不吉な黒いペイントに赤いマーキングを施している。両肩と両脚がやたらとごつくなっているのはスラスタでも内蔵しているのだろうか。両腕にはビームガンを抱え背中からテールダンパーをたなびかせていた。その機体はとてつもない加速を見せると忽ち火星の後継者の部隊に突っ込み、その急加速急制動急旋回で敵を翻弄、同時に正確な射撃で次々と敵を撃墜する。

「すごい、あはは、すごいね、あれ」

 シャトルに乗っていたヒカルはその機動を見て呆れたような笑いを漏らした。パイロットである彼女には判る、あの機体の中のパイロットがどんな状況なのか。慣性中和機能を最大に使っても、あれでは10Gを超える加速度がパイロットを襲っているだろう。そんな人としての限界を超えた殺人的な加速度に耐えてあれほど醒めた動きを見せるパイロットの実力はどれほどのものなのだろう。そしてどれほどの覚悟でその力を手に入れたのだろうか?

「そうね、命張ってるわ」

 イズミも真面目モードで頷いた。彼女もヒカルと同様のことを考えていた。そして更に思考を推し進めてもいる。彼女は婚約者を失って以来どこか危うさを漂わせた危険な男に惹かれるものを感じるのだ。あのパイロットは彼女の心をびんびんに刺激していた。

「ユリカさん、やはりあの艦はネルガルのものですね」
「そうだね、ルリちゃん。全体のフォルムもそうだけど、やっぱりこの場面で出てくるってことはそういうことだよね」

 そしてユリカとルリはぼそぼそと二人で密談していた。あの艦にはA級ジャンパーが乗っている。あの艦はネルガルの艦である。それすなわち・・・・・・アキトが乗っているのだろうとルリは考えた。イネスの死が偽装というのも信憑性が高くなってきたがそれでも、だ。あれほどの怪我を昨日負ったというのにも関わらず、あのとんでもない動きを見せている機体のパイロットは彼だろうと確信を抱いていた。そして更に考える事が一つ。ネルガル所有でナデシコ系列に属すると思われるあの艦にもオモイカネクラスの思考制御装置が載せてあるはずだ。するとそれをオペレートしているのは一体誰なのだろうか、と。

 やがて敵の殲滅に成功した一隻と一機は後方の宇宙軍艦隊が同じく敵を撃退してシャトルの護衛に戻ってきたのを確認すると再びジャンプでその姿を消した。











 アキトはごつい耐Gスーツに身を包み、コクピットに満ちた衝撃吸収用ハードゲルを排除すると己の体を身動きできないまでに固定していた器具を解除、コクピットから降り立った。アマテラスに出撃する前の数ヶ月と出撃後のシミュレータにおける猛訓練にも関わらず体が悲鳴を上げていた。麻酔のおかげで失った左腕の痛覚はまるでない。逆に失ったばかりなので幻肢感覚があり、この機体の操縦に際してIFSイメージを作り上げるのになんら支障は無い。片目を失った事にしても、ブラックサレナのセンサーからのフィードバックをナノマシンで受け取る事にしたため両目が揃っていた時より視界は広がっていた。
 アキトは機体を振り返った。強襲戦用エステバリス追加パーツ・ブラックサレナ。それがこれの名前だった。アルストロメリアの開発前、コンセプト研究の段階でこれの建造案が出され試作されたものの、あまりの性能に乗りこなせる者が無くお蔵入りした機体だった。アキトはアマテラスで出会った敵の機体(その後夜天光及び脚無しが六連という名前と判明)との戦闘を経験して、アルストロメリアでは勝てないと悟りネルガル側に更なる高性能機の提供を要請、これが渡されたのである。改良型小型重力波ユニットと大量のスラスタを搭載し、化け物のような推力を誇る。装甲に組み込んだCCとバッテリーを重力波ユニットと併用するによってディストーションフィールドも強化され、追加装甲自体の強度とあいまって多少の攻撃にはびくともしない防御力を持つに至った。
 更には足りない攻撃力を補うための高機動オプションを装備する事で圧倒的な火力とジャンプ能力まで獲得する事が可能となっているが、ジャンプ能力はとりあえず必要とされていないので今回は装備されていない。

「アキト君、大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ」

 声をかけたのはラピスを連れたエリナだった。彼女はアキトの左側に回りこむように近付いた。彼が失った視界を気にしたのである。彼女はそういったさり気ない心遣いができるイイ女だった。ラピスはアキトに走り寄ると耐Gスーツをしっかりと握り締めた。三人一緒にブラックサレナを見上げる。

「本当にこれを乗りこなせるなんて思いもしなかったわ」
「どうしてもこれを使わなければならないんです。要は今までの積み重ねと気合です」

 アキトは本番の前に一度、この機体での戦闘を実際にテストしておきたかったため、本来ならばユーチャリスだけで十分だったにもかかわらず今回わざわざ出撃したのだった。

「これでルリちゃん達はナデシコCと合流できたわけね」
「勝ったな」
「・・・・・・それでも行くのね?」
「ああ。クサカベ達はあいつらにくれてやる。俺たちは遺跡を必ず奪回するんだ」

 アキトは右手を握り締めた。

「ああ、そう言えば地上はどうなってるんですか?」
「会長達が頑張ってるみたいね」











 クサカベの激を受けて火星の後継者は地上戦部隊にそれぞれ機動兵器を支援につけて次々と地球上にある要所要所にジャンプさせていた。完全な奇襲に成功、次々と目標を落としている。当落表を模した目標リストには次々と当選(制圧)を示す花が飾られた。その目標のうちの一つ、地球連合議会では制圧部隊が議場に侵入した途端、大きな驚愕に見舞われた。会議を行っているはずの議員たちは一人も居らず、メグミとホウメイガールズ達がコンサートを行っていたのである。襲撃部隊を馬鹿にするように宇宙軍の重鎮たるコウイチロウやヨシサダ、ゲンパチロウらがそれに参加、とどめはネルガル重工会長の登場だった。

「撃てーっ」

 襲撃部隊が一斉に銃撃を加えるもののそれらは全て個人用ディストーションフィールドに遮られた。アカツキは更に彼らの神経を逆なでするように皮肉な笑いを浮かべるとおちょくった。

「はん、金持ちを舐めるなよ?」

 その台詞と同時に火星の後継者側のステルンクーゲルが二機、直接議場にジャンプアウトした。二機は無言でアカツキに手にしたライフルを向ける。襲撃部隊の隊長が興奮しながら命令を叫んだ。

「おのれ奸賊アカツキナガレ! 死ね!!」

 しかし、そこへ彼らの間に割って入るように一機の白い機体がジャンプアウトした。すぐさま右腕を振りかぶるとクローを装着、忽ちのうちに二機を叩きのめした。そしてコクピットハッチを開いて現れたパイロットは月臣だった。

「久しぶりだな、小林少尉」
「つ、月臣中佐?!」

 その後、地球全域に月臣の演説が流れた。故白鳥少佐の遺志を継いで熱い思いを語り、クサカベの非道さを糾弾する彼の姿に火星の後継者の襲撃部隊は次々と降伏、武装解除した。







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