ミスマル・ユリカはテンカワ・アキトと一緒に通学路を歩いていた。遠くから「か…ち…う」と誰かが自分を呼んでいる気もするが、多分関係がないのだろう。
 自分はミスマル・ユリカであるし、将来はアキトのお嫁さんになるのだから。…ウエディングドレスをまとい、アキトと共にバージンロードを歩く自分を想像して、何だか嬉しいような恥ずかしいような気分になる。
 
 (あれ?アキトと私って結婚しなかったっけ?)

 ふとそんな疑問が頭によぎる。

 (そうだよ、自分はアキトと結婚したじゃない。ルリちゃんや皆に祝福されて…)

 (『ルリちゃん』? 『皆』?……って誰だっけ?)

 (なんでこんな事を考え出したんだろう?)

 突然歩くのを止めて考え込むユリカに「早く学校に行くぞ。」とアキトが声を掛ける。
 
 「あ、ゴメンゴメン。……って、ちょっと待ってよアキトぉ!」

 考えることをやめたユリカは、アキトの事を追いかける。

 校門まで着くと、何人かの高校生らしき人たちが自分とアキトに挨拶をして校舎に歩いていく。よく思い出せないが、多分クラスメイトなのだろう。そうユリカは考えてアキトと校舎に向けて歩いてゆく。
 
 「よっ、テンカワご夫妻。ようやくのご到着ってか?もう少しで遅刻だぞ?」

2人に対して1人の男が声を掛けてきた。長い髪をしたいかにも軽薄そうな男だが、ユリカはその男を知っているような気がした。

 (えーと、確かア…ツ…。よく思い出せないなあ。)

 「ば、馬鹿野郎!俺とユリカはそんなんじゃないぞ!」

 考え込むユリカを横にアキトがその男に反論している。

 「真っ赤な顔で否定されてもねェ? 相変わらず面白いよ、君は。」

 軽薄そうな男にそう言われ、アキトの顔が更に赤くなる。

 「……く、くそっ。お、俺は先に行くからな!」

 走るアキトの姿がユリカの視界から消えていく。その途端にユリカの周囲の景色もぼやけていく。アキトをからかった男も、歩いていたはずの学校の廊下も何もかもが段々消えていく。

 (すまん……)

 景色がぼやけ、消えていくと共に、自分の意識も薄れていく中でユリカはアキトが自分に謝ったような気がした……。




機動戦艦ナデシコ アナザーストーリー  明日を信じて





 「……おい、艦長ぉ!」

 自分を呼ぶ声に気が付き、テンカワ・ユリカは目を覚ました。自分が最後に見た時より、大人びたナデシコの仲間達が自分を心配そうに眺めている。
 
 「……みんな老けたね……。」

 ユリカは自分の感じている事を正直に口にした。途端にナデシコクルーの間を脱力したような、安堵したような微妙な雰囲気が支配する。

 「……変わってないね、艦長も。」

 ハルカ・ミナトが遺跡と融合されても変わらないユリカに安堵しつつもつつも呆れたように呟いた。その言葉を最後に、しばしの間沈黙が場を支配する。

 「……あれ、アキトは? アキトはどこにいるの?」

 自分を見つめる仲間達に対して、ユリカは彼らが今一番答えたくない質問をする事でその沈黙を破った。

 「あ、あのよ…、テンカワの奴は…。」

 誰もがそれに答えたくない状況の中、スバル・リョーコはあえて正直にユリカに答えようとする。だがその前に彼女が答えようとした相手は眠たげな声を出す。

 「……ゴメン。やっぱりまだちょっと眠いや……、アキトが来たら起こし…。」

 ユリカはそれだけ口にすると再び目を閉じた。

 「お、オイ! 艦長!」

 リョーコは突然目を閉じたユリカを心配して声を掛ける。

 「……眠っただけよ。心配ないわ。」

 マキ・イズミが冷静にユリカを見ながらリョーコに声を掛ける。確かに寝息を立て始めているので問題は無いだろう。

 「……ったく寝ても起きても心配させられるぜ……。ま、それはそうとこれからどうすんだよ?」

 誰に問うわけでもなく、空を見上げながらリョーコは呟いた。テンカワ・アキトが乗っている「ユーチャリス」の姿が段々と小さくなってゆく。

 「一旦戻ります。ユリカさんをイネスさんに診てもらわないといけませんし、アキトさんを探しにいく『口実』を作る必要もあるので。」

 今までユーチャリスを眺めていた為に、会話に参加しなかったホシノ・ルリがリョーコの質問に答えた。

 「そうね、リョーコ、ヒカル、戻る準備をしましょ。」

 イズミが残りの2人に呼びかける。3人で各々のエステバリスに向かう途中、ルリに対しヒカルが尋ねる。

 「ルリルリィ、アキト君を探しだせても『戻らない』って言われたらどうする?前にルリルリに『君の知っているテンカワアキトは死んだ』って言ったんでしょ?アキト君、そう簡単に帰ってこないと思うけどなー。」

 「帰ってこなかったら追いかけるまでです。」

 ヒカルの問いに対し、ルリはそう答える。

 「だってあの人は…… 大切な人だから……」

 その場に居た全員が見たことも無いような笑顔でルリは自分に誓った。

 「……強くなったね……」

 シリアスモードのまま、イズミがルリを評する。

 「……強い訳じゃありません。……1人で勝手に結論を出されても、『はい、そうですか』と納得する訳にはいかないんです。」

 イズミの評価に答えると言うよりも自分自身に語りかけるようにルリが話し出す。

 ……アキトさんが自分の意志で居なくなったのなら、それを追いかけるのも私の意思です。……こうなるとただの兄妹喧嘩になりますかね。」

 最後には苦笑を交えながら話すルリ、その表情を見てナデシコクルーは呆気に取られる。ヒカルだけは獲物を捕らえた鷹のように目を輝かせたが。

 「アキトさんが逃げるんなら、さんざん心配をかけたナデシコの皆さんや自分の奥さんにきちんと話してからじゃないと許しません。一体何人の仲間に心配をかけたかあの人は本当に分かってませんよね……。」

 ルリの言葉にその場の全員が頷く。彼らが今ここにいる理由の大半をアキトが作っているのだから。

 「とにかく一旦帰還します。皆さん、帰る準備をして下さい。ユリカさんをよろしくお願いします。」

 皆と帰還準備を行いつつ、ルリはアキトに対し内心で宣言する。

 (アキトさん、あなたは私にとって『大切な人』なんです。そう簡単に逃がしはしませんからね……)








 「……で、どうなのかね?ユリカの容態は?」
 
 それから2日後、ユリカが運び込まれたネルガルの病院で彼女の父であるミスマル・コウイチロウは娘の診察、治療を行っているイネス・フレサンジュに尋ねていた。

 「分かりました。説明しましょう。」

 イネスの『説明』と言う言葉にネルガルの医療スタッフの顔に一瞬縦線が何本も走ったが、質問する側も答える側も真剣であった。その雰囲気にスタッフも表情を改める。
 
 「オペレーター用のナノマシンが注入されていることしか今はまだ分かりません。私の研究データでも分からないナノマシンや薬品が多数投与されていることだけは確認できたのですが……。」

 悔しげに話すイネス。コウイチロウはあまりの事に言葉も無い。

 「ただ身体機能には異常がさほどありませんので、おそらくはボソンジャンプをコントロールする部分のみに処置を施されたものと推測できます。一番の心配事だった遺跡と融合したことによる障害も無いものと考えて良いかと。
 ……あくまで仮定ですが、アキト君やその他の人で行った実験データの成功部分のみをユリカさんに使ったと私は考えます。……彼らは遺跡と直接コンタクトを取ることのできる存在としてユリカさんをある程度大切に扱ったかと……。」

 最後の部分は小声になりながらイネスはコウイチロウに報告する。

 「そうか……。そうすると火星の後継者の研究所の爆破を防げなかった事が非常に痛いな……。ユリカやアキト君を治すために真っ先に部下を送ったのだが……。」

 コウイチロウは悔しげに呟く。ユリカの体に致命的な異常は無いようだが、それがアキトや他の人間の犠牲によって成り立っているのであれば、喜ぶわけにも行かない。
 火星の後継者が降伏勧告を受託した時点で、コウイチロウはネルガルとの協力で特別に編成した部隊をとある場所に急いで向かわせた。目的は火星の後継者達がアキトやユリカに対して行った研究の詳細なデータの回収が目的であった。
 しかし、彼らがアキトやユリカに対して行った研究データが存在すると思われた研究所は草壁が降伏した知らせとほぼ同時に爆破されたという報告がコウイチロウに入っていた。

 「……こんな事を私が言えた義理では無いが……、ユリカを、娘を頼む!何とか元に戻してやってくれ!」

 突然土下座をしてコウイチロウはイネスに懇願する。

 「……提督、顔を上げて下さい。以前アキト君を助けた時に彼らの研究データを一切回収できなかったネルガルにも責任はありますし、何よりユリカさんは私の大切な『仲間』です。……むしろ『家族』と言っても良い位の絆があると思っていますから。彼女の治療に全力で当たらせて頂きます。ご安心下さい。」

 前半はネルガルの一員として、後半は自分のユリカへの嘘や偽りの無い自分の想いを込めてイネスはコウイチロウに語りかける。だが、このある意味感動的な場面も、イネスが地雷を踏んでしまったことで台無しとなる……。

 「そおぉぉぉですかぁぁ、イネス君も私の娘になってくれますかぁぁぁ。これでユリカが直ってアキト君も帰ってくれば、ミスマル家は安泰だぁぁ……。ふつつかな父親ですがよろしく頼みますぞぉぉ、イネス君!」

 イネスの手を取り、体中の水分が出てしまいませんか? と周りがツッコミを入れたくなるほどの滂沱の涙を流しつつ、コウイチロウは馬鹿父に変身する。
 ええ話や……とハンカチを出そうとしていた医療スタッフは突然起った場の雰囲気の変化について行けずに動きを止めている。
 自分の手が握られた時点で自らのミスに気が付いたイネスは黙って背中からハリセンを取り出し、コウイチロウに必殺の一撃を加える。
 


Spacoooooonn!!!
 


 「おふぅ!」

 コウイチロウ、沈黙。

 背中からハリセンを出し、コウイチロウの頭に叩きつけ、そして背中にしまうまでの一連の動作の隙の無さと美しさにスタッフは思わず見惚れる形で再起動を果たす。

 (さ、さすがイネスさンのハリセンアタックはごっついのう……)

 (この間会長に使ったときより力を抑えているな、峰打ちか……)

 ……日頃この部屋で何が起っているかが理解できるようなスタッフの感想である。
 これさえなければいい人なのに……とイネスが呆れた時、部屋の扉の方からイネスには懐かしく、コウイチロウには待ち望んでいた女性の声が響いた。

 「もう!お父様っ!恥ずかしい事はやめてくださいっ!」

 両手を腰に当てて、テンカワ・ユリカは父に文句を言う。その顔は父の行動の恥ずかしさの所為か、赤くなっている。

 「ユ、ユリカ!何しているんだ!早く部屋に戻りなさい!」

 コウイチロウは流石に娘を心配してユリカを諭す。

 「あなたの体は検査したばっかりで治療とかはこれからなんだから!そんな状態で歩き回ったら何が起きても保証できないわよ!」

 イネスも流石に声を荒げてユリカを叱責する。

 「……お父様、イネスさん、アキトはどこですか?」

 普段なら「ふええぇぇ……ごめんなさぁぃぃ……」と小さくなるはずのユリカのはずだが二人の言葉を無視するかのように、毅然とした態度で逆に問い掛けた。
 
 「そ、それは……」

 イネスは口篭もる。教えてあげたいのは山々とイネスは思うが、言ってしまったらユリカはそのままボソンジャンプでもしそうな勢いである。あえてそれを無視して再びユリカを部屋に戻すため、イネスは話そうとした。

 「……息子はまだ行方が分からないんだ、ユリカ……」

 イネスが口を開く前にコウイチロウがユリカに話し掛ける。

 「じゃ、じゃあ、早く探しに行かなくちゃ……。」

 それを聞いて急いで部屋を出ようとするユリカにコウイチロウは大声をあげる。

 「だが! お前の体は完全に回復していない! ……アキト君はルリ君、ハーリー君、タカスギ君の3人がナデシコCで探してくれている。お前はイネス先生の許可が下りるまで、ここで治療と回復に専念しなさい……。」

 「で、でも!」

 「……ユリカ、お前は軍を退役しないまま新婚旅行に出かけたな?ならば私は『上官として』お前に命令する!」

 何とか言い訳しようと試みたユリカの台詞を、コウイチロウは軍人としての口調で遮る。上官と言われた時点で、何かを言おうとしたユリカの動きが止まる。
 
 「……テンカワ・ユリカ。別命あるまで病室での体の治療、体調の回復を命ずる! ドクターイネスの許可無く病室を出た場合は、軍法会議の対象とする! ドクター! 彼女を部屋に連れて行ってくれたまえ。」

 有無を言わせずコウイチロウはユリカに命令する。初めは驚きの目で父親の命令を聞いたが、徐々に肩を震わせて悔しがりつつも命令を受諾する。

 「…………了解。テンカワ・ユリカ、これより『任務』に就きます……。」

 イネスに手を取られて下を向いたままユリカは部屋を出ようとする。その間、父親の顔は全く見ようとはしなかった。

 「ああ、それとドクターイネス。」

 部屋を出る直前にコウイチロウはイネスに軍人口調のまま話し掛ける。

 「ドクターには2週間以内にテンカワ・ユリカが軍務への復帰が可能となることを強く要望する! この要望達成のためには私の名をいかように使っても構わん!」

 言っている事は滅茶苦茶である。だが、イネスは笑いを抑えることが出来なくなった。

 (ホントに親子で『バカ』なんだから……)

 「はっ、了解いたしましたわ。提督。」

 苦笑しながらイネスはコウイチロウに告げ、敬礼した。

 「……息子を探す手段は私がアカツキ君に相談する。2週間でイネス先生の許可を頂けるようにユリカ、お前も努力しろ。命令無視は許さんからな……。」

 厳しい顔のままユリカに話した後、コウイチロウは表情を緩めて自分に気合を入れる。

 「さあて、これから忙しくなるぞおぉぉっ! ユリカ、お父さんも頑張るからな。お前もイネス先生の言う事をちゃーんと聞いて元気になるんだぞぉぉぉぉ! あ、イネス先生。後で私の部屋に通信をくれないかな? 頼みましたぞ。」

 大声を張り上げて医療スタッフの聴覚を麻痺させつつ、コウイチロウはイネスに話した後、部屋を後にした。

 「分かったわお父様っ!愛する旦那様を救うため、ユリカ頑張っちゃいますっ!」

 ちょっと熱血気味になって自分に気合を入れているユリカに呆れつつも、イネスは例え不眠不休になってもこの2週間でユリカを治すことを決心した。

 (熱血とか浪漫回路とかは好きじゃないけど……、そうも言っていられないわよね)

 「さあっ! 2週間で何とかするわよっ! 皆、頼むわねっ!」

 「「「イエス、マム!!!」」」

 ユリカの手を取りながらスタッフに呼びかけるイネスと、それに答えるスタッフ達。……後に医療関係者から「奇跡の2週間」と呼ばれるようになる、それが始まりだった。








 「……で、僕とウリバタケ君に力を貸して欲しいわけですね? ミスマル提督?」

 ネルガル会長であるアカツキ・ナガレは目の前のコウイチロウに尋ねた。彼らが居るのは、かつてナデシコでコックを務め、アキトの第2の師匠ともいえるホウメイが開いている「日々平穏」という店の中であった。

 「おいおい、俺にもそれに手を貸せってか? ・・・・・・全くいきなり押しかけてきて何を言い出すかと思えば・・・・・・。」

 かつてナデシコで整備班長を務めたウリバタケ・セイヤもコウイチロウに質問というより愚痴をこぼしていた。突然コウイチロウが家に押しかけて来て、強引に連れて来られたので当然の反応かも知れない。

 「うむ、ルリ君達に手伝ってはもらっているが、最後の締めはやはりユリカに任せたいのだよ。『アキト君の出迎え』という作業は。」

 今も忙しく宇宙を飛び回っているルリ達を確実に敵に回すような台詞を親馬鹿節全開でコウイチロウは喋る。

 「提督の父親としての気持ちは分かりますが……ルリ君を敵に回すような事態だけはこちらとしても避けたいんですけど……。」

 言葉を選びつつアカツキはコウイチロウに話し掛ける。アキトの妻としてのユリカとアキトの義父であるコウイチロウから出された提案には、民間企業の社長という立場を考えることなく協力したいと思う。
 だが、文字通り不眠不休でアキトを捜しつづけるルリはどう思うだろうか。ルリはユリカにゆっくり休んで体を治して欲しいと思っているはずだし、そのユリカが強引にアキト探索に参加するとしたら、ルリはどういう反応を自分達に示すだろうか?
 彼女を怒らせでもしたら、ネルガルでも倒産、別企業に吸収・合併という憂き目に遇いかねない。そんなリスクは犯したくないという考えもある。
 その一方で、今のネルガルの主要取引先である連合宇宙軍の重鎮たるミスマル・コウイチロウの意向も無視する訳にはいかない。つまりユリカ達に協力しようがしまいが、ネルガルは一定のリスクを背負う事になる。しかも両方のリスクはどちらともネルガルにとって致命傷となりかねないのである。

 (どっちについてもネルガルには明るい未来は無いと思うんですが……?)

 アカツキは自分の秘書であるエリナ・キンジョウ・ウォンを連れて来なかった事を後悔しながら心の中で涙を流していた。

 「俺もちょっと賛成しかねますね。お嬢さんは救出されたばかりでしょーが。そんなんでいきなりアキトの奴を捜しに行かせるのはどうか……と俺は思いますが……。」

 (・・・・・・アキトの事が心配だし、俺も一応父親だから親父さんの気持ちも分からなくはねーんだが、今も必死にアキトの奴を探してるルリルリの事も考えると簡単にOKは出せねーや。それに2週間で艦長の体が元に戻るとも思えねーしなぁ・・・・・・。それにただでさえオリエの奴が妊娠中でナーバスになってるっていうのに……。これ以上家を空けたらあいつがどうなっちまうか分からねぇからな……)

 ユリカやアキトの事、更には自分の妻の事も考えつつ、ウリバタケも反対気味の意見を述べる。

 「・・・・・・分かった。息子の友人である君達なら私に協力してくれると思ったのだが・・・・・・。ユリカァァァッッ! 父さんの気持ちは裏切られてしまったよぉぉ!」

 突然立ち上がり、また涙を流しつつコウイチロウは絶叫する。大声で叫んだ後、急に真顔になってアカツキとウリバタケに向き直る。

 「いや、取り乱して済まなかった。・・・・・・手伝ってくれる気になったらいつでも連絡をくれたまえ。私は待っているぞ! あ、ホウメイさん、お勘定ね。領収書もお願いできるかね?」

 支払いを済ませホウメイから領収書を貰うと、コウイチロウは頼りない足取りで店を出て行った。残されたアカツキとウリバタケは2人で話し出す。

 「・・・・・・で、どうなんだいウリバタケ君、あれを2週間で提督の言う通りに出来るのかい?」

 アカツキがコウイチロウが話した『計画』について確認する。

 「ああ、俺の部下達総動員で何とかなるっていやあなるけどよ・・・・・・。肝心の艦長の方が追いつかないんじゃないか? イネスさんは何か言ってたか?」

 ナデシコ乗船時代に自ら鍛え上げた部下達の顔を思い出しながら、ウリバタケはアカツキに尋ねる。

 「うーん、イネス先生も昨日から連絡がつかなくなっちゃんだよ・・・・・・。
もしかすると提督の言っていた件に関係しているね、これは。」

 突然イネスと連絡が取れなくなり、一時は大騒ぎになりかねなかったが、すぐにイネス本人からメールが届いたので事態は収まった。というより今後2週間はイネス・フレサンジュの好きにさせると決定したからである。何故なら・・・・・・

 「2週間ほど連絡が取れなくなります。ネルガル第3病院に居ますが、むやみに来ない事。用も無いのに来た人にはじっくり『説明』を『なぜなにナデシコ』形式でさせて頂くのでよろしく。無論出演して頂きます(はあと)。」

 とメールには書かれていたからである。この内容を無視してイネスに会おうと考える猛者はネルガルにはいなかった。

 「イネス先生が一枚噛んでいるとなると、艦長も提督も本気らしいな・・・・・・。だがよ、俺達が提督に手を貸せば、ルリルリを敵に回すかも知れねえしな。どうするんだよアカツキ?」

 ウリバタケは普段は見せないルリの恐ろしさを思い起こしながら、アカツキに聞いてみる。どのみちアカツキがコウイチロウに協力すると決めたとしたら、自分と部下達が必ず必要になるという確信からである。ルリへの対策立案は必須になるだろう。

 「そうだねぇ、とにかく一旦会社に戻ってエリナ君に相談するよ。もっとも彼女なら自分も乗せろと言い出すかも知れないけどねー。・・・・・・そうすると後はルリ君に対する保険を掛けないとな・・・・・・。まあ、何かお願いするかも知れないからその時はよろしく頼むよ。あ、ホウメイさん、勘定ここに置くね。」

 ウリバタケとホウメイに声を掛け、対ルリへの言い訳を考えつつアカツキはテーブルに代金を置いて店を出る。

 「へっ、既にやる気満々じゃねーか・・・・・・、俺も腹を括るしかねーか。けど、オリエとルリルリをどうするか、これが問題だよなー。」

 「あの娘が怒ったら、あたしがあんたらの援護をしてやるよ。ただし、嫁さんの方は自分でちゃーんと説得するんだね!」

 どうすれば被害を減らせるか悩み始めたウリバタケに、ホウメイが厨房から声を掛けた。

 「アキトを捜してるルリ坊の気持ちも分かるし、あの親父さんや艦長の気持ちも十分分かるじゃないか、ええ? そりゃルリ坊と喧嘩になるかも知れないけどさ、それもアキトの奴を見つけないと始まらないだろ?。アンタもナデシコのクルーだったんだからさ、そんな細かい事は気にしないでドーンと構えてアキトを連れ戻す手伝いをすりゃ良いんだよ。」

 「そうだな、じゃあ『自分らしく』あの親父さんを手伝うか! ・・・・・・・けどよ、ホウメイさんに励まされるたぁ、俺もまだまだだな。」

 ホウメイの励ましに、ウリバタケも決心を固めながらも自嘲気味に呟く。

 「はっ! 何を偉そうに言ってるんだい! あたしから見りゃあんたらなんて皆まだガキじゃないか! そんな事よりさっさと帰って嫁さんにきちんと話をするんだね。間違っても勝手に出て行くんじゃないよ!」

 「へいへい。勘定、ここに置かせてもらうぜ。さーてとオリエに何て言えばアイツは怒らねーかな?」

 ホウメイの言葉に追い出されるかのように、ウリバタケは勘定をテーブルに置いて店を出た。あれこれ考えているようである。

 「全く・・・・・・男だったらあれこれ考える前に行動すれば良いのにねェ・・・・・・。アイツもうじうじ逃げる前にあの子達に会ってから今後を考える度胸があれば皆、こんな苦労はしてないんだろうけどね?」

 呟きながら食器棚の横に貼られた写真に目を向ける。自分にアキト、それに今は「ホウメイガールズ」として有名になった弟子達の姿が映っている。

 「早く帰っておいでよ・・・・・・。教えたい事は山ほどあるのに勝手に出て行かれたら、あたしの名前に傷が付いちゃうじゃないか・・・・・・。」

 皆の前では決して出さない弱々しい声でそう呟く。ホウメイはアキトが簡単に戻って来れるとは思っていない。自分の妻を奪われ、復讐に駆られて多くの人命を奪った事は、自分達以外の人間から見れば決して許されるものではない。そしてルリからはアキトが味覚を失った事を聞いた。料理人を志す人間には死刑宣告にも等しい現実、もし自分自身が味覚を失ったらそれに耐えることは出来ないと思う。
 だが、それでもアキトには帰ってきて欲しい、ホウメイはそう思う。諦めなければ可能性は残されているものと考える事も出来るし、アキトが皆の前に戻って来て初めて『あの時』から止まっているアキトと自分達の人生という時計も再び回り始めるであろうから。
 世間からどう思われても良い、例え体が治らなくても、自分達の前に戻って来て欲しい・・・・・・。そう思いつつもホウメイは夜に備えて料理の仕込を始める。ホウメイが淡々と作業をする物悲しい雰囲気の中、日々平穏の午後は過ぎていった。
 

 

 

 

 どのように妻を説得するか考えながら、ウリバタケは自宅に帰ってきた。

 (まあ、嘘ついてもどうせばれるからな。正直に言うしかねーか・・・・・・。いざとなりゃアカツキの奴をダシにすれば問題ねーだろ)

 「おう、今帰ったぞー。」

 一応の説得方針を決めたウリバタケは妻に帰宅した事を告げ、家に入る。そこには困惑した顔をした彼の妻であるウリバタケ・オリエがいた。

 「あなた・・・、今ミスマル提督がこんな書類を持ってきてくださったんだけど・・・。」

 オリエはそう言って書類が入った封筒をウリバタケに渡す。

 「そうか、あの後家にも来たのか。・・・・・・こ、こりゃあ!あっちに先手を打たれてるじゃねーか! ここまでしておいてわざわざ引き下がるたぁ全く・・・・・・。」

 ウリバタケは苦笑しながらその書類を改めて確認していった。その書類はとある病院のパンフレットと、その病院に入院するためのコウイチロウ自筆による推薦状、その病院の近くに立地しているマンションの契約・入金済の賃貸契約書が入っていた。ご丁寧に引越しが出来る位の金額をウリバタケの口座に振り込んだという紙も入っている。

 「・・・・・・しかも『あれ』がある近くの病院を指定してくるたぁ、念を押しているぜ・・・・・・。」

 ウリバタケは呟きながらも、コウイチロウの計らいに感謝していた。ここまで援護してもらって自分の妻を説得できないなら自分の漢が廃る、そう考えたウリバタケはオリエに対して口を開いた。

 「・・・・・・なあ、オリエ。俺達が始めて仲人をやった夫婦を覚えているか?」

 敢えてそう話し始める事で、ウリバタケは妻に事のいきさつを話し出した。未だに帰って来ないアキトを捜すために、ユリカが宇宙に出ようと必死の努力をしている事、ユリカがアキトを探すには自分と元ナデシコ整備班の協力が不可欠な事・・・・・・。

 「・・・・・・と言う訳なんだよ。先のクーデターの時にも、お前にはずいぶん苦労を
掛けちまったが、また傍にいてやる事ができねー事になるんだ・・・・・・。子供の出産予定日はもうすぐなんだよな・・・・・・。下手すりゃ生まれた子供にすぐ会えねー事もありえるんだ。」

 妻への申し訳なさを感じながら、ウリバタケは言葉を紡いでいく。

 「でもよ、自分の子供と同じようにアキトの奴と艦長の事も気になるんだよ。・・・・・・それとかこの書類をこの時期に家を空ける言い訳にはしたくねえ。それでも俺はアキトの奴と艦長と会わせてやりてーんだ。あの2人をちゃんと会わせてやらない限り、俺は生まれてくる子供に胸を張って会えねー気がするんだ。」

 一気に自らの思いを吐露した後、ウリバタケはオリエに向かって土下座して懇願する。

 「と言う訳なんだ。俺の身勝手と言うのは分かる! 俺を艦長の手伝いに行かせてくれ、頼む!」

 ウリバタケは頭を床に叩きつけた。そのまま妻の返事を待つ。

 「……女の子ですって。今のところ経過は順調よ。」
  
 オリエの口からは、ウリバタケを非難する言葉は出なかった。罵倒されると思っていたウリバタケは妻の言葉を一瞬理解できなかった。思わずオリエの方を見る。

 「昨日、お医者さんに行った時に聞いてみたの。『女の子で順調に胎内で育っているから安心してください』って言われたわ。」

 オリエの言葉はウリバタケを狂喜させるには十分だったが、今の状況で聞かされるとは予想できなかったウリバタケは妻の言葉を黙って聞いている。

 「……アキト君もユリカちゃんには子供がまだなのよね……。もしもユリカちゃんが妊娠していたら、アキト君もすぐに戻ってきたかも知れないわね……。」

 オリエの言葉はさらに続く。

 「……順番がおかしくなっちゃったけど、あなたの質問に答えるともちろん『はい』よ。お腹を痛めて産んだ訳じゃないけど、あの子達だって私達の立派な『子供』のような人達じゃない。あなただってあの子達の式の時に『俺達を仲人にした以上、お前らは俺達の子供の様なもんだ。だから、何かあったらいつでも俺達に相談に来やがれ!』って言ってたじゃない?」

 微笑みながらウリバタケに、なおも語りかける。

 「……子供の心配をしない親がいる訳ないじゃないでしょ。あなたも『親』をあの子達に名乗りたいのだったら、ちゃんとユリカちゃんを手伝って、アキト君を連れ帰ってらっしゃい……。」

 「……オリエ……。」

 オリエの言葉を聞いて、ウリバタケは妻の名前だけようやく呟いた。

 「……正直いうとね、こういう時にあなたがまた傍に居ないのはとても不安よ。ツヨシやキョウカの時も結局帰ってこなかったし……。」

 「……はうっ! あ、あれはだな……」

 なんとか理解してもらえたか……と安堵しかけたウリバタケに襲い掛かるオリエの強烈な一撃。オリエの目つきも鋭くなっている。冷や汗が流れるのをウリバタケは全身に感じながら、必死に言い訳を考える、が過去2回は完全に自分の我侭で出て行った自分の方が悪いことだけは理解しているので、言葉が出ない。
 
 (う……、オリエが『あの目』をしていやがる……。ど、どうすりゃいいんだ? 畜生!アカツキの奴を一緒に連れてくりゃなあ……。いや、そもそもアキトの野郎が帰ってこねえから……)

 自分一人での反撃を諦め、内心でアカツキやアキトを非難しはじめるウリバタケ。敵との戦力比は圧倒的である。もはや組織的な抵抗すらできない状況に陥ってしまったと彼は感じていた。

 (前半まではすんなり行かせてくれるかと思ったがなァ……、どうすりゃあいつは許してくれるんだ?)

 色々考え悩むウリバタケを見て、オリエは目つきを緩めて優しい声で夫に話し掛けた。

 「……まあ、ちょっとは過去の自分に反省したかしら? 色んな手続なんかは私が自分でやるから、早くユリカちゃんを助けに行ってあげたら?」

 「……分かった。なるべく早く済ませてお前ンとこに帰ってくるようにするぜ!」

 妻の許可をようやく貰ったウリバタケは彼女に約束した後、すぐに出て行こうとはせずに不意に身重になっている妻の体を優しく抱きしめた。いきなりの抱擁に驚く妻の耳元に囁く。

 「……こまめに連絡は取るようにするからよ、お前も元気な女の子を頼むぜ…… じゃあ、ちょっくら行ってくらあ。」

 そう言って彼は自分の家を出ようとする、そこに学校が終わったのであろう、彼の子供が2人で玄関前にいた。子供達は自分達の父親をにやにやしながら見た。ウリバタケの長男のツヨシと長女のキョウカである。

 「「えへへー、おとうさんとおかあさん、らぶらぶだー! ひゅーひゅー!」」

 ツヨシとキョウカは見事に声を揃えて父親を揶揄する。

 「へへん、そうさ。俺達がラブラブじゃなかったら、コウノトリさんはお前達を家に届けてくれなかったんだぞ?」

 子供達に誇らしげに自慢した後、ウリバタケはしゃがんで自分の子供達を両手で抱きしめる。

 「……いいか、父ちゃんはな、これから王子様を助けに行くお姫様の手伝いに行かなくちゃーなんねー。ちょっくら家を留守にするがツヨシ、母さんを頼んだぞ! キョウカ、母さんの言う事をちゃーんと守っていい子にしててくれよな! おお、そうだ。みやげもちゃんと買ってくるからな!」

 自分達の父の願いに対し、子供達は元気に応える。

 「わかった! かあさんとキョウカはぼくがちゃんとまもるからね!」

 ツヨシは力強く父に宣言する。

 「……おとうさん、『こんど』はすぐかえってくるの?」

 一方のキョウカは寂しげに父に質問する。

 「……なあに、前ほど長くはないさ。お前達にはいっつもわりーがな……そうだな、今度母さんと俺ンとこにコウノトリさんが来たら父さんも休みを貰うからな、それでどこか連れてってやるからな。」

 子供達に詫びながら、ウリバタケは自分に出来る最大のご褒美を子供達に約束する。

 「「ほんと?」」

 父親の言葉にツヨシとキョウカは喜びの笑顔を浮かべる。

 「ああ、必ずだ。……よし、じゃあ父さんもう行くからな、2人共後は頼むぞ。」

 子供達の頭を撫でながら約束すると、ウリバタケはとある場所に向けて歩き出す。

 「「おとうーさーん、いってらっしゃーい!!!」」

 子供達の声を背中に浴びながら……








 「……会長? 先程からミスマル提督より通信が何度も入っているんですが?」

 ネルガル本社に戻ったアカツキを待っていたのは、彼の秘書であるエリナ・キンジョウ・ウォンであった。

 「……ああ、分かった。提督には『了承した。』と伝えておいてよ、多分それで分かるからさ」

 ある意味、一企業の命運を決めかねない事柄をアカツキは簡単に了解し、エリナに伝える。

 「……あなた、まさか『アレ』をユリカさんに使わせるつもりじゃないでしょうね……?」

 ちょっぴり怒りの成分を交えながら、エリナはアカツキに問い詰める。

 「……え? 何がだい?」

 エリナの情報収集能力に今更ながらに感心しながらも、すっとぼけた態度を崩さないアカツキ。

 「……イネスが篭ってる病院は『あそこ』だし…… ウリバタケがさっきから旧ナデシコ整備班をコミュニケで集めてるし…… それに連合宇宙軍からの突然のナデシコ関連部品の発注もさっきあったわ…… これだけの状況証拠で分からない方がおかしいわよっ!」

 最早怒りを隠そうともせずに、エリナはアカツキに怒鳴る。

 「まあまあ、そんなに怒ると皺が増えるよ?」

 エリナを宥めにかかるアカツキ、無論彼とてこの程度で彼女が納まるとは思っていない。ここで卑屈な態度で対応したらまた休暇が減らされるからである。

 「……ユリカさんに肩入れしたら、下手をすればネルガルはあの娘に解体されちゃうのよ? ……そりゃあユリカさんの気持ちは分からないでもないけど、ホシノ少佐のことも考えてあげたら?」

 ……エリナにとっては将来的な連合宇宙軍との取引よりも、目先の恐怖の方が勝っているようである。

 「……『今』のアキト君を知らない人には参加して欲しくないってか? 君にとってはユリカさんは敵なのかも知れないけど、こーゆー勝負はホラ、公平に行かなくっちゃ?」

 「!」

 アカツキの思わぬ台詞に、エリナの動きが一瞬止まる。だが、すぐに意地の悪い表情になって反撃を試みる。

 「……あなただってユリカさんを無理やりアキト君探しに出してもいいの? ……ユリカさんの病状を提督の次くらいに心配してたじゃない?」

 自分に言った台詞に対するお返しとばかりにわざと意地悪な口調で話すエリナ、自分の言葉に続いて出てきた彼の台詞は、「会長」としてでなく「個人」の気持ちを話しているようにエリナは感じた。

 「……ボソンジャンプ…… これでアキト君やミスマル艦長、それ以外の多くの人が犠牲になった。地球ではウチ、あっち(木連)では草壁がメインになってね…… まあ、他にも色々居たけどさ。」

 他人事のようなアカツキの台詞、だが沈痛な面持ちで言葉を続ける。

 「もしナデシコに乗ってなかったら、こんな風には思わなかっただろうね。今の状況からどうやってネルガルがジャンプ技術を独占するか、そう考えていると思うよ。……そんなボクにもナデシコは一応「友人」をくれたんだ、『ネルガルの会長』でなくて『アカツキ・ナガレ』としてボクを見てくれる人たちがね……」

 アカツキの表情が穏やかになるのを見て、エリナは少なからず驚いていた。……とぼけているようで本心を他人には見せない。そんなエリナのイメージを覆すような表情であった。

 「ま、親父達からの遺産が多くの人の人生を変えてしまった、これは紛れもない事実だ。けれど、そのおかげで僕にも友人が出来た…… 彼らはボクにとってはこのネルガルと同じか、それ以上の大切な物なんだ。彼らをきっちり幸せにして、ボソンジャンプは僕らの手でなんとか封印する。そうする事で親父たちの呪縛から完全に開放されて、ボクは『ネルガル会長のアカツキ・ナガレ』として本当に生きていける気がするね、今は。」

 「……プロジェクトを諦めて宜しいんですか? 今までかなりの予算を計上している為、ともすれば会社の存続問題に繋がりかねますが?」

 エリナは会話の録音手段を講じなかった事にいささか後悔しながらも、わざと「会長秘書」として聞いてみる。研究が進めば、A級ジャンパーを媒介としなくてもボソンジャンプは可能になるかもしれないが、そこに至るまでは今後どのような悲劇が起こるか分からない。エリナ個人としても、これ以上自分の「友人」達をボソンジャンプに巻き込む事は反対であった。

 「……テンカワ君達の結婚式を見たときかな……」

 アカツキの反応を待っていたエリナの耳に痛みを伴うアカツキの言葉が入ってくる。……喜び、妬み、悲しみ…… 様々な想いが複雑に絡み合う記憶が蘇る。 自分の気持ちを知っているはずのアカツキに対し、怒りの感情が湧き出そうとした刹那、

 「『人はどんな過去があっても、本人次第でいくらでも幸せになれる。』そう感じたのは…… ナデシコクルーは先の戦争の真実を完全に知っている。その使い方を間違えなければいくらでも優雅に暮らせる手段はあったはず…… でもどうだい? そりゃ皆の安全には『当時考えうる最高の』気を配ったけどさ、それ以外にボクらや軍なんかが多少手を貸した人ってメグミ君とホウメイガールズ位のモンでしょ? ……テンカワ君達だって6畳一間の
長屋暮らしだよ? それで屋台引っ張って結婚だもんねー。」

 「……」

 その時の事を思い出すかのように話すアカツキにエリナは言葉もない。クルーのほぼ全員が「今までの生活」に戻る事を希望したあの時の事を思い出しながら。

 「それを見たらさ、自分が色々あくどい事やってまで守ったモノになーんか執着心が無くなっちゃってさー。ま、これでも地球トップクラスの企業なんだし、ジャンプ関連以外の事業でなんとか食べていけるんじゃないかな? ボク達も。」

 頭を掻きながら恥ずかしげに話すアカツキを見て、エリナは初めの自分の考えを変える。……アキトが帰ってきたら色々と考えれば良い。今は皆の想いを叶えるためにネルガルも自分も動こうと……

 「……ま、アカツキ君の『会長として』の意見も伺えたことですし? ……早速プロスと色々取り掛かる事にするわ。そっちもサボるんじゃないわよ?」

 軽くウィンクをして普段は仕事を真面目にやらないアカツキにエリナは釘をさす。

 「……ま、細かい手配なんかはそっちに任せるよ。ちょっとイネス先生と提督の所に打ち合わせに行くからあとヨロシク頼むねー。」

 いつものペースに戻ってエリナに頼むアカツキ。「家族」ともいえるアキトがまた普通に暮らせるように、ネルガルも本格的に動き始めた……!








 「よーしっ! 全員揃ったな!」

 「はいッ!」

 ウリバタケの号令に、集まった元ナデシコA整備班メンバーは大声で返事を返した。

 「……さっきも説明したが、今回の作業はちっとばかし今まで俺達が扱ってねー物も入ってる。それに時間もちーとばかし厳しいモンがある! だがッ! 『俺達にッ!』」

 「「「「『扱えないモノはないッ!』」」」」

 ウリバタケの語尾に重ねるように、整備班全員が唱和する。

 「よーしその意気だッ! 艦長とアキトのためッ! 我が家の平和のためッ! 皆の力を借りるぜぇッ!」

 さりげなく? 私情を交えるウリバタケを不思議に思った整備員Aが隣に事情を知らないか尋ねてみる、すると整備員Bからはこのような答えが返ってきた。

 「ああ、班長の奥さんがなもうじき出産するらしいんだけど、涙を流して引き止める奥さんを振り切って今回参加しているらしいぜ。離婚届もつきつけられたらしいがね。」

 「芸……じゃなかった仕事の為なら女房も泣かす、か…… ナニワ節だねェ、班長は。」

 「……そーゆーもんなのか? ま、早いとこ作業に取り掛かろうぜ。」

 この整備員AとBの会話が整備班全員に伝わるのにそう時間は掛からなかった。……結果として彼らの作業効率は30%ほど上昇するのだが、この噂の発生源がアカツキとエリナの想像の産物であることまでは知らなかった。

 それから3時間ほど経過した。

 「よーし、そこはそれで良い! おい! あっちはもう2、3人連れてきて作業しろ! こらッ! そっちはそうじゃねェだろうが! もっと丁重に扱え!」

 ウリバタケは自分の担当部分の仕事をこなしながらも、部下に的確に指示を与えている。そこにイネスがやってきた。データ保存用のディスクを3枚ほど持っている。

 「そっちも始めたようね、何とかなりそうかしら? 人が足りないようなら会長に頼んでくるけど?」

 「ふん、このウリバタケ・セイヤが率いるナデシコ整備班に不可能はねェ! きっちりこいつを完全なワンマン・オペレーション仕様に改造してやるぜ!」

 イネスの質問に余裕の表情で答えるウリバタケ。彼と整備班が取り組んでいるのは初代ナデシコをたった一人の人間で運用する為の改造作業であった。無論、ユリカ専用としてである。

 「……もともとルリルリのナデシコB・Cとユーチャリスの色んなデータなんかがあるからな、それを利用しているだけだから艦自体の改装はさほど問題はねェ。……あっちの方も1ダースほど載せる事が出来るだろうしな。」

 そう言って自分の背後を指差すウリバタケ、そこには球状のボディに砲身やマニピュレーターの取り付け作業を行う整備班の集団が居た。それもとても嬉しそうな表情をしながら……

 「……あれは何かしら? あんな物を載せるなんて私は聞いていないけど?」

 イネスが呆気に取られた感じで呟いた。丸いボディにぽつんとついた目玉(=カメラアイ)、貧相な両腕のマニピュレーター、そして頭の部分には砲身が一門ついている。今の兵器とはあまりにもかけ離れたデザインだったからだ。

 「……何を言うッ! 俺が過去のデータから復刻した『RB-79 ボール』だぞッ!今の兵器を過去の遺物とする為に復活した、次世代の艦載型機動兵器だッ!頭の180oレールガンはカトンボクラスの装甲なら一撃だし、一見貧相な腕だが、実は格闘戦もこなせるッ! そして低コストで生産できる経済性! 正に艦長の護衛をする為に生まれてきた、最強の無人兵器だッ!」

 「……こんな足も無い機動兵器でほんとに大丈夫なの……? 80%の出来にしか見えないけど……」

 ウリバタケが力説する割にはちっとも頼もしく見えない「新兵器」に、イネスは内心の 不安を隠そうともせずに呟く。

 「それはぜーんぜん問題ナッシングッ! アカツキにも足が無いのは質問されたが、宙域戦闘では足なんてモンは飾りだしな! 現状のスペックで100%OKだ! ……ま、アカツキみてーなお偉いさんにはそれが分からんのですよ! 勿論、戦闘プログラムやシステムも俺様自慢のモノが組み込まれているからな! ふっふっふ、こんな兵器を簡単に作ってしまう事が出来る自分に思わずブルっちまうぜぇ……」

 「……もしかしてとある組織のボスが嫌うモビルなんたらとか、乗った人間に未来を見せて頭をテンパイさせちゃうシステムとか、そーゆーモノじゃないわよね?」

 一部口調を変えながら悦に入るウリバタケにツッコミを入れるイネス。何故彼女がそれを知っているかは謎である。

 「おッ! よく分かったなイネスさん! 零システムは積んでないけど、機動人形システムは万全のものを用意したぜ! ……言っとくが、こんな状況で俺ァ均ちゃんの仮装大賞に出す作品を作ってるつもりはねェからな…… 1人で戦わなくちゃあいけねえ状況の時に助けてくれる、こいつァそんな『兵器』だ。」

 「……そう。そう考えているなら安心だわ……」

 最後の部分だけウリバタケは真面目な口調で話し、イネスはその口調を聞いて安心する事にした。

 「……そうだ、頼まれていた今までの色んな戦闘データを持ってきたわ。データの量ならナデシコCやユーチャリスを遥かに凌ぐわ。」

 そう言ってイネスは持ってきたディスクをウリバタケに渡す。

 「すまねーな、これで『イツ花』の奴も戦闘時にはより役立つようになるぜ……」

 「そうね、簡単に『説明』し直しておくと次世代ワンマン・オペレーション対応型AIの最新作である正式名称『タイショウテン・ヒルコ』……普段は長いので略して『イツ花』と呼んではいるけどね。
 AI自身がほぼ人間に近い自我を持ち、操鑑者を完全にサポートする。場合によってはAI単独で戦闘をこなす事も可能…… むしろこっちが機動人形システムに近いのかしら……? あ、それとオモイカネシリーズの発展型だから、あえてオモイカネの由来になった神話とは別の話から名前は拝借したわ。気にしたら負けだから。」

 「俺ァツッコまないからな……」

 ウリバタケの礼に、誰に対して行っているか分からない『説明』で返事をするイネス。それを見て、「もうお腹一杯です、かアさん。」といった感じで呟くウリバタケ。しばし両者の間に沈黙という名の川が流れる。

 「……で、艦長の容態の方はどうなんだい?」

 沈黙を忌み嫌うかのようにウリバタケはユリカの容態を尋ねた。

 「極めて順調に回復しているわ…… はっきり言って現代医学では説明出来ない速さと言えるの……人間の体の神秘性を医学はまだ完全に理解できていないわ、無論私達もだけど。」

 感心した表情でイネスが話す。

 「そうか、艦長は順調なのか…… なあ、彼女を治療したノウハウをアキトの奴に活かせないか……?」

 「……それは私も考えたし、期待もしていたわ。何か少しでも『お兄ちゃん』の体を治す術が見つかればと…… でも駄目だった。……1、2年の延命は可能だけれど、それ以上は本当にもう無理なの……」

 一縷の望みを託したウリバタケの願いも、悔しそうに話すイネスに消されてしまう。

 「……そうか。ま、戻って来ねェ奴の事を今議論しても始まらなねェか…… ま、アイツは今の状況を自分の責任と感じてるから逃げているかも知れねェが、アイツの帰りを待っている俺たちにもかっきり責任を取ってもらわんとな…… そーじゃなきゃ不公平だと俺ァ思うんだがね。」

 ウリバタケの言っている事は全く論理的でない、イネスは思ったが口には出さなかった。彼もまた、自分と同じくアキトに帰ってきて欲しいと強く願っている事を知っているからである。
 無論、仮にアキトが帰ってきても簡単に元の生活に戻れるとはイネスは無論考えていない。自分たちはアキトがしたことの理由を知ってはいるが、コロニーを襲撃し多数の死傷者を生んだ「今世紀最悪のテロリスト」という視点でしか見る事の無い一般人から見れば、その犯人が屋台を引いてラーメン屋を営む等は許しがたい事だろう。

 「……ふう。」

 首を軽く振りながら一息ついて、イネスは今の思考を頭から追い払った。確かに問題は色々とある。
 だが、夕食を食べる前から次の日の朝食のメニューを考えるのは愚かな事だ。どんな状況でも諦めずに、今出来る事を確実にこなす事。それが未来に繋がる事をイネスはナデシコでの戦いから学んでいた。

 「それじゃ、私は一旦戻るわね。こっちもユリカさんをちゃんと治すから、そっちもちゃんと仕事をしてね。」

 「そりゃァ言うまでもないこった! ま、お互いベストをつくそうや。」

 互いに挨拶を交わし、自分の為すべき仕事に戻る2人。その後テンションの高まった2人は周囲に若干の被害を与えながらも、通常の3倍に近いスピードで仕事をこなすのであった。
 

 

 

 



 「……出来たな。」

 「「「「「出来ましたッ!」」」」」

 「完璧だな……」

 「「「「「はいッ! 完璧ですッ!!」」」」

 「さすが俺様ッ!」

 「「「「「さすがは班長ッ!」」」」」

 「そしてお前らッ!」

 「「「「「凄いゼ俺達ッ!」」」」」

 「俺たちの技術は世界一ィィィィィッッッ!!!!」

 「「「「「オオオオオッ! 世界一ィィィィィッッッ!!!!」」」」」

 ナデシコの換装作業が始まって10日後、ウリバタケを中心とした整備班は作業終了を確認し、勝手に盛り上がっていた。

 「よおおおしッ! 『ナデシコA改』ここに完成だッ!」

 「班長ー、名前はもうちょい捻らないんですか?」

 「あン? じゃあ何か? 後継機に近いから『グレートナデシコ』とか『ナデカイザー』なんて付けンのか? ……今回はマジなんでな、シンプルで良いンだよッ!」

 改装したナデシコのネーミングを巡って、ウリバタケと整備班で若干の意見の相違があるようだが。

 「……それは『艦長』に決めてもらえば良いんじゃない?」

 イネスの声が両者の意見に割って入る。彼女の後ろにはもう1人女性が立っており、その女性はナデシコを見て喜びの声をあげた。

 「うわー、これが『ユリカ専用ナデシコ』ですかー。……ん? 赤くないしツノが無いけど白がベースだからマツナガさん専用と思えば良いか!」

 (ああ、ホントに治ったんだ…… 元気になってよかったネ……)

 登場早々、常人には理解不能といえる奇妙な感想を述べるユリカに対し、他の人間は治ったのを喜ぶべきかツッコむべきかの判断に困った。

 「……その格好をしているって事は、すぐにでも捜しに行く気なのか?」

 ナデシコ艦長時代の制服に身を包んだユリカにいち早く気づいたウリバタケが質問する。

 「もちろんですっ! イネス先生の許可も頂いたし、皆さんには無理を言って頑張ってもらいましたっ! 今度は私が頑張る番ですっ!」
 
 色々とご迷惑をお掛けしました、最後に皆にそう言って頭を下げるユリカ。礼を言われるとは予想しなかったウリバタケ達は、驚いたあまり硬直した。

 「それじゃあ、早速アキトを連れ戻しに行ってきますっ! 出航準備を手伝って貰えますか?」

 「……はっ! よ、よし分かった! オラッ! さっさと出航準備をするぞっ!」

 ユリカの願いによって、硬直状態をいち早く解除したウリバタケの号令で整備班全員が素早く準備の為に動き出す。忙しく作業をし始めたクルー達にもう一度頭を下げると、ユリカはナデシコ内のブリッジに向け足を向けた。




 「イツ花ちゃん、準備の状況はどうかな?」

 『当主様! 作業は9割方終了しました。もうすぐ出航可能ですッ!』

 元気な女性の声が、ブリッジに着いたユリカの質問に答える。同時にユリカの目の前に眼鏡をかけ、和風の着物を着た女性の姿が映しだされた。
 ユリカ専用……もといナデシコA改のAIである「タイショウテン・ヒルコ(通称:イツ花)」のイメージ画像である。

 「ありがとうイツ花ちゃん。……それと『当主様』ってのはやめてくれないかな……」

 『何を言ってるんです? 私の当主様なんですから、そう呼ばせていただくのは当然のことですッ!』
 
イネスから紹介されて以来、依然として慣れないこのAIの呼び方に困惑しながらもユリカはお願いしてみるが、イツ花はその命令を聞こうとはしない。

 「テンカワ家の当主は私の旦那様のアキトだけだよ? だから私の事はユリカって呼んで欲しいな。」

 『……そこまで言われちゃァしょうがないですネ…… 了解しましたユリカ様ッ! では準備も完了したようなので、当主様を探しにバーンとォ! 出発しましょうか?』

 「そうだね! ……皆さん、準備を手伝ってくださって本当にありがとうございましたっ! 今から発進しますので、離れてくださーい!」

 イツ花と外のクルーたちの双方にお願いしながら、ユリカはワンマンオペレーション用に新しく設定された専用のIFSを使って出航用意を始める。それに伴い、ユリカの体全体にナノマシンのパターン模様が発生し、徐々に光りだす。
 ハルカ・ミナトがその姿を見たとしたら「墓場で会った時のルリと話すアキト君と同じ。」という感想を漏らすだろう。

 (アキト…… これが私の決心だよ…… あなたを見つけるために私は『艦長』ではなく、あなたを見つける『装置』になるよ…… もうこれ以上、私たちの我侭に皆を付き合わせたくないから…… だから早く『ナデシコ』に帰ってこようよ、アキト……)

 内心ではそう考えつつも、ユリカはイツ花と連携して素早く準備を整えていく。

 『ユリカ様ッ! 出発準備が完了いたしましたッ! ご命令を!』

 イツ花の報告で、周囲の状況を確認したユリカは発進命令を出す。

 「こちらテンカワ・ユリカ! マツナガ専用ナデシコ、略してナデシコA改! いっきまーす!」

 『ユリカ様ッ! ご出陣ッ!』

 自らの想いは別にして、あえてさっきやったボケを繰り返しながら発進するユリカと高らかに発進を宣言するイツ花、

 「……そういえば、俺たちって試験航行とかやったっけ?」

 「そ、そういえば……」

 「だーいじょーぶーッ! このウリバタケ様の指揮の元で改装されたナデシコにンなモンは無用だぜい!」

 ナデシコA改が飛び立った後のドックでは整備班とウリバタケの間で大騒ぎになった。彼らの騒動は、1時間後に届いたイツ花からの大気圏脱出報告まで続いたのである。








 「ふーん、それでナデシコA改は無事に宇宙に到達したんだ。……処女航海でいきなり大気圏突破かい? 全く無茶するねえ……」

 エリナの報告をアカツキは苦笑しながら聞いていた。

 「ふう。今更だけど、ホントに1人で大丈夫なのかしら…… まだ若干火星の後継者の残党もいる筈だし……」

 報告を終えたエリナがユリカの事を気遣う。それに対してイネスが反応する。

 「よろしい、簡潔に説明しましょう。……あのナデシコA改は、イツ花と艦長が自ら新型IFSを使う事で、今やエステ並みの操艦の柔軟性を実現したわ。要するに部下を介することなく艦長の指令がダイレクトに反映されるから、そんじょそこらの艦隊じゃ歯が立たないわね。シミュレーターでの訓練では、アレ1隻で20隻の敵艦隊にも勝ったから……
 ま、それ以上の大規模な艦隊に襲われない限りは問題ないわ、いざとなればジャンプで逃げるという選択肢もあるしね。」

 説明と聞いて身を硬くしたアカツキとエリナであったが、イネスの説明が比較的短かったので内心でほっとする。
 
 「そのとーり! 加えて俺が発明した、目標のジャンプ先を把握できる『ジャンプトレーサー』の装備! さらに復刻された新兵器がナデシコA改を守る! これを完璧といわずして何を完璧と喩えるのか? いや、無い!」

 いつのまにか部屋にいたウリバタケもイネスに合わせるかのようにテンション高く叫ぶ。

 「おや、ウリバタケ君? 家の方に戻らなくても大丈夫なのかい?」

 「今連絡を取ってきた所だ。『すぐには生まれないから、ユリカちゃんを手伝って来い。』だとよ。オリエの奴も提督のおかげで少し余裕を持てたようだから、もうちょいここで待つことにするわ。」

 コウイチロウから事情を聞いていたアカツキの質問に余裕の態度で返事を返すウリバタケ。

 (……ま、後は早く艦長がアキトの奴を連れて帰ってくりゃあ大成功だがな…… 今度こそちゃんと2人で俺とオリエの前に来てくれよ……)

 言葉には出さずにウリバタケは内心で思う。ここにいる皆が同じ事を考えていると信じながら……








 「ユーチャリスをレーダーに補足出来ました! 後15分35秒で接触可能です!」

 「……分かりましたハーリー君、今の接触予定時間の根拠は?」

 ナデシコC艦橋にある自分の席でユーチャリスを発見したハーリーは、少し計算した後に
艦長のルリに報告する。彼女から計算の根拠を聞かれた彼は嬉しそうに説明を始める。

 「はい! ユーチャリスは推進機関部分に被害を受けているようです。向こうはとっくに
こちらを補足しているはずなのに、今以上速度を上げていません。だから……」

 「了解ですハーリー君。」

 ハーリーの説明を途中で遮るルリ、悲しげな表情になるハーリーを無視しながら考え込む仕草をした後に、艦全体に対して放送を始めた。

 「艦長のホシノ・ルリです。皆さんに命令を伝えます…… 今から10分以内にタカスギ・サブロウタ、マキビ・ハリ以外の全クルーはシャトルで退艦してください。 ……今まで私の我侭に付き合って下さり、ありがとうございました。」

 最後にぺこりと頭を下げ、放送を終えるルリ。サブロウタは納得した表情で退艦作業を始める。が、

 「な、なんでですか? 艦長!」

 突然の命令にハーリーは驚きながらも説明を求める。

 「……今日は徹底的に追っかけるつもりなんだろ、艦長は。クルーのほとんどはジャンパー処置をしていないから、いざとゆー時には大惨事になるだろ? ……分かったら早く準備をしないと艦長に嫌われちゃうぜ、ハーリー君?」

 「あ……分かりました 艦長! 早速クルーの退艦作業及び操鑑モードの切替を行います!」

 ルリが答える前にサブロウタがハーリーに対しフォローを入れる。サブロウタの台詞の最後の部分が効いたのか、素早くハーリーは作業を開始する。

 「クルーの退艦準備、完了しました! シャトルを発進させます!」

 「了解です。近くにユリカさんがいるはずですから、シャトルの回収は彼女にお願いしちゃいます。」

 ハーリーとルリの短いやり取りの後に、シャトルはナデシコCから発進していった。
その飛び去る様を確認しながら、ルリは改めて残った二人に作戦を説明する。

 「ユーチャリスに乗っているあの娘には、火星の後継者達に使ったようなハッキングでは敵わないでしょう……」

 そう言いながら、ルリは『彼女』=ラピス・ラズリとの出会いを思い出す。火星で交わした本当にわずかな会話を……




 『私はホシノ・ルリ。この子はオモイカネ。私の友達。あなたは誰?』

 『私はラピス・ラズリ。私はアキトの目、アキトの耳……』

 その言葉を交わした時に、ルリは直感で理解した。

 「 この娘はもう1人の自分だ」と。

 自分はかつてナデシコに乗ったことでマシンチャイルドから『ホシノ・ルリ』になった。でも、彼女はどうだろうか?

 ルリは彼女を見て、ナデシコに乗らなかった場合の自分の姿と重ね合わせていた。ただその場合の自分と違うのは『誰かのために彼女は行動している』と言う点である。彼女もおそらくテンカワ・アキトによって変わったのであろう。ならば、あの時墓場で宣告された「君の知っているテンカワ・アキトは死んだ」というのは違うのではないだろうか? まだ彼には自分達の所へ戻る余地があるのではないか? ルリはそう思いたかった。

 「艦長? どうしたんスか? 」

 サブロウタの声によってルリの思考は現実へと引き戻される。

 「……いえ、何でもないです、済みません…… さっきの続きですが、確実性を増すためにナデシコBをユーチャリスに隣接、直接回線でのハッキングを行います。……サブロウタさん、操艦お任せします。ハーリー君、サポート宜しく。」

 「了解です艦長! オラ! ハーリー! 艦長に男を見せるチャンスだぞ? 俺の足を引っ張らねーようにしてくれよ?」

 「勿論ですとも! サブロウタさんだって、ミスしたらリョーコさんに言っちゃいますからね? リョーコさんから色々と監視も頼まれてますし。」

 「……お前とは後でゆっくりと話し合う必要があるな、ハーリーよ?」

 「……ええ、これが終わったらリョーコさんも交えて話し合おうじゃありませんか、サブロウタさん?」

 自らの仕事をこなしながら漫才をする二人の「仲間」の会話に一瞬口元を緩めたルリであったが、すぐに表情を引き締め、自らの準備を進めていく。

 (今日こそは絶対に逃がしませんよ、アキトさん…… 私やユリカさん、そして皆が待っている場所に帰ってきてもらいます…… あなたが帰って来ないと、前に進めない人達が一杯いるんですから……)

 彼女の想いと2人の従者を載せて、ナデシコCはユーチャリスとの距離を少しづつ詰めていく。
 だがこの時、彼女が完全に失念していた点がある。それはアキトと自分達を狙う存在がまだこの宇宙には残っている事であった……








 ナデシコCからシャトルが発進してしばらく後、別の地点では四連筒付木連式戦艦「地辺」がナデシコCから発進したシャトルを補足していた。
 元々は火星の後継者に属していた戦艦であったが、先のクーデターで火星でのルリのハッキングやその後の地球側の追跡を辛くも逃れた後、当ても無く逃げ惑っていた。

 「何、地球側のシャトルだと?」

 「はっ! おそらく例の魔女の船から出撃したものとかと思われますっ!」

部下の報告に、艦長の金 巣紺は興奮し、急いで命令を下した。
 
 「よーしッ! 火星では魔女に後れを取ったが、ここで奴らを見つけたのも草壁閣下のお導きに違いないッ! 積尸気12機を全部出せィッ! 中の地球人どもを捕獲した上で閣下との身柄交換に使うッ!」

 その命を受け12機の積尸気が発進した。「地辺」と積尸気部隊はシャトルへとまっすぐ進路を定める……!




 『ユリカ様! 積尸気12機と四連筒付木連式戦艦1隻、それにナデシコCの脱出用シャトルを補足しました! 火星の後継者の残党がシャトルを襲撃すると推測されますが、いかがなさいますか?

 「何ですって! 両者の予想接触時間は?」

 『あと5分ほどです!』

 「分かった。後継者さん達には悪いけど、シャトルの皆さんを助けるために攻撃を仕掛けます! イツ花ちゃん、ボールを全機発進! 敵をこっちにひきつけてから一気にやっつけます! 本艦はグラビティブラストのチャージ開始! ミサイルも一緒に発射して、撃ちもらした積尸気とあの戦艦を一気にやっちゃいます!」

 『かしこまりましたァ! ボールを積尸気の予想接近コースに配置! グラビティブラスト、四連筒付木連式戦艦に照準合わせ!同時にミサイルの発射用意もしておきますッ!』

 ユリカとイツ花は敵の迎撃準備を始めた。同時にシャトルに対してあえて通常回線で通信を行う。その通信を受けてシャトルはナデシコA改へ向かう。

 「艦長! 敵シャトルの逃走先に撫子型らしき戦艦を通信から探知しました! どうやら合流するようです!」

 地辺のオペレーターは当然、ナデシコA改の通信を傍受し、報告した。

 「何ィ! その船は魔女のものか?」

 「いえ、違うようです! 形から見ると、撫子の初期型のようですが……」

 「構わん! 戦争初期の戦艦なぞ、我らの敵ではないわ! 全機! あの撫子型へ向かえィ! 奴を片付けてからシャトルを捕獲する!」

 艦長の金 巣紺の新たな命令を受け、火星の後継者達の残党はユリカのナデシコA改にその進路を変更し、飢えた狼のように突進を開始する。
 
 戦術も陣形も何も無く、ただナデシコA改に向け突進していく後継者達。彼らは先程艦長が言った『シャトルの地球人共を捕らえて、草壁閣下を取り戻す。』事に酔っていた……
 自らに向かってくる敵にナデシコ側も当然戦闘準備を整える。ボールに搭載された機動人形システムは接近してくる積尸気のコクピット部分に完全に照準を合わせ、待ち構える……!

 「敵艦及び正体不明の機動兵器、射程内に入りましたッ!」

 「よーしッ! 攻・撃・開・始ッ! あの艦を生かして帰すなよ!」

 金 巣紺の命令で後継者側が攻撃を開始した。積尸気のハンドカノンがボールに向かって火を噴き、対艦ミサイルがナデシコを襲う……!

 「もうちょっと引き付けてからボールは攻撃だよ! 指令は『回避重視』で! 対艦ミサイルはホム・ガードで対処しよう!」

 『かしこまりましたァ! ホム・ガード展開ッ!』

 イツ花の指令でナデシコA改から12発のミサイルが、向かってくる対艦ミサイルに向けて発射される。

 ボール隊も機体の各所に設置されたブースターを使って、積尸気のハンドカノンの弾丸を華麗に避ける。その内1機がハンドカノンの弾を回避に失敗して被弾し、くるくると機体を回転させながら後方へ吹き飛ばされるが、すぐに態勢を立て直し他の機体と行動を合わせる。

 双方のミサイルが激突する直前に、ナデシコ側のミサイルは弾頭から細かいミサイルが多数発射され、後継者側の対艦ミサイルに命中、瞬く間に対艦ミサイルは全て撃破された。

 「今だよっ! ボールへの指令を『射撃重視』に変更! 積尸気に180oキャノンを三連射! その後に敵艦にグラビティブラストとミサイル発射ぁ!」

 『かしこまりましたァ! 皆、バーンとォ! 発射しましょ!』

 ユリカとイツ花の命令に従い、12機のボールは各々極めて正確な三連射を行う。発射された36発の180o劣化ウラン弾は積尸気12機のコクピットに正確に命中し、機体を破壊した。
 
 それを確認したユリカは、グラビティブラストとミサイルを四連筒付木連式戦艦に向けて発射する。

 「ば、馬鹿な…… 積尸気12機が3分も持たないだと……! な、何故だ……!」

 艦橋で立ちながら戦況を眺めていた金 巣紺は、自らの椅子に座り込みながら呆然と呟いた。

 「敵重力波砲とミサイル、本艦に接近しますッ! ……だ、駄目ですッ! 回避できませんッ!」

 「こ、こんなことがあってたまるか…… 閣下の大義が、我らの夢と理想が……!」

 オペレーターの報告に絶望した呟きしか返せない金巣紺。その刹那、彼らの意識は白く塗りつぶされていった……




 『ユリカ様、敵部隊の全滅を確認しましたァ! 大勝利ですね!』

 「……うん、早くアキトとルリちゃんの後を追いかけようか……」

 イツ花の報告に元気なく答えるユリカ。

 (……また一杯人を死なせちゃった…… 人殺しってやっぱり慣れるものじゃないね……アキトはいつもこんな想いをしながら私を探してたのかな……)

 『……ユリカ様、敢えて言わせていただきます。彼らに降伏の意思はありませんでした。
……よってシャトルとユリカ様をお守りする為に、私の判断で敵機はコクピットを、戦艦は完全破壊を前提に照準を合わせました。』

 普段の明るい感じとはうって変わり、冷徹な口調でイツ花はユリカに説明する。

 『……無論、敵を行動不能にした上で降伏させ軍にでも引き渡す手段も考慮しましたが、先程の敵の動きからして降伏勧告を受諾する意図は感じられなかった為、そのプランは放棄しました。よって今の結果は私の責任です。……ユリカ様がお気になさる必要はありません。』

 「……うん、ありがとうイツ花ちゃん……」

 『そうですよォ! これから当主様をお迎えに行くんですから、そんな顔してちゃァ駄目ですってば!』

 「そうだね…… 今はそう考えるよ…… イツ花ちゃん、シャトルの人たちを収容してあげて……」

 『了解しましたァ!』

 イツ花の言葉に表情と気持ちを切り替え、イツ花に指示を出すユリカ。その後で今後の行動を考える。

 「……それとアキトを止める為に、ルリちゃんは多分ハッキングを仕掛けると思う。アカツキさんの話だと、ユーチャリスに居る娘もルリちゃん並に凄いみたいだから、ルリちゃんはユーチャリスになるべく近づくと思う。だから最悪の事態を考えて、クルーの人達を船から降ろしたと思うんだけど…… イツ花ちゃんはどう思う?」

 『私もそう考えますッ! ……残念ながら私とユリカ様ではルリ様とユーチャリス側の人にハッキングなんて出来ませんので、こちらはユーチャリスの逃走経路を先読みして牽制とルリ様のサポートをするのが宜しいかと存じますッ!』

 「よーし、その手で行こう! ……収容した人たちは?」

 『シャトルは、ハンガーに固定いたしましたァ! あの方達には悪いんですが、しばらくシャトルの中に居ていただきます。この艦には余分な人員用スペースが無いので……』

 「分かったわ! ナデシコA改、発進! ルリちゃんのサポートに回るよ!』

 『かしこまりましたァ! 本艦はこれからバーンとォ! 発進しますッ! シャトル内の方はご注意くださーいッ!』

 イツ花の元気な声と共に、ナデシコA改は改めてアキトを追い始める。そのブリッジでユリカは自らアキトを止める事の出来ない自分に幾分かの悔しさを感じていた……





 『ユリカ様! 当主様とルリ様の船を補足しました! 当主様をルリ様が追跡されているようです!』

 「よーし! 私たちはアキトの予定逃走経路に回りこむよ! 通信はキャッチできるかな?」

 『……まだです! 両艦の間ではすでにハッキングの前哨戦が行われているようで、ナデシコA改では彼らの会話はまだ傍受出来ません!』

 「……そう、引き続いてユーチャリスとのコンタクトを試して……」

 ナデシコA改は、ようやくナデシコCとユーチャリスを肉眼で確認できる距離まで接近していた。ユリカの目の前では、接近しようとするナデシコCとそれに対し回避運動を行うユーチャリスが艦チェイスを行っている。

 そのナデシコC内でルリはようやくアキトとのコンタクトを果たしていた。

 「アキトさん!! ……ユリカさんもあなたを探しているんですよ! せめて一目会うだけでも―――して下さいっ!!」

 「……! そうか……元気になったのなら、それで良い。後は朽ち果てるだけの俺とあいつはもう会うことは無い。 ……今の俺を……血と殺した人間の怨念に塗れた俺をあいつには見せたくないんだ、分かってくれルリちゃん……!!」

 懇願するルリの台詞に一瞬動揺したものの、アキトは表情を一切変えずに拒絶の言葉を吐き出す。

 「そんなの、そんなの分かりません! ユリカさんに、アキトさんを待っている皆さんに会ってもらうまで私は諦めません!」

 「……ラピス、ジャンプの用意をする……」

 「……リョウカイ、アキト。」

 ルリとの会話を一方的に打ち切り、ボソンジャンプの用意を淡々と始めるアキト。無表情な顔からは、何を考えているのか想像はつかない。だが、アキトのサポート役であるラピス・ラズリは、アキトの五感と感情を彼と共有していた。

 (……アキトはクルシンデル、カナシンデル、ニクンデル。アキトがコウナルのはワタシもクルシイし、カナシイ。 ……アキトをクルシメルのはアキトのテキ。アキトがタタカウとクルシムダケ。ダカライマはテキからニゲル、ソレがアキトのタメ……)
 
 ラピスはアキトのことを想いながらもジャンプの準備を進める。

 「アキト、ジュンビデキタヨ。」

 「よし……どこに行こうか、ラピス?」

 「……アキトがイキタイトコでイイ。ラピスはアキトのソバにイルダケダカラ。」

 「……よし、イメージを開始する。」

 口調も変えずに淡々と話すラピスに一瞬だけ視線を向けるが、すぐにジャンプ準備を進めるアキト。ジャンプフィールドがユーチャリスを包んでいく。

 「……そうはイカの何とやらだ!!」
 


 ガシイッ!
 


 サブロウタがナデシコCの船体をユーチャリスにぶつけることで、接触に成功した。

 「ありがとうございますサブロウタさん! 直接回線をユーチャリスに接触、強制ハッキングでユーチャリスを止めます! ハーリー君! クルーの皆は?」

 「ミスマル艦長が火星の後継者に襲撃されかかっている所を助けてくれました!もう肉眼で確認できる所まで来ています!」

 「よく出来ましたハーリー君。……すみませんサブロウタさん、私に付き合ってもらって……」

 ハーリーの報告にほっとしながらもサブロウタに謝るルリ。

 「なあに、いつもより積極的な艦長を目の前で見せていただいてますからね、それで充分です。アララギさんにいい土産話が出来ましたよ。それにコイツと艦長を二人きりにすると何をしでかすか分かりませんから。」

 「さ、サブロウタさん! な、何を言うんですか! リ、リョーコさんに言いつけますよ!」

 「ほーう、何を言いつけるのかなァ? ハーリー君? あること無い事言うなら前の『日々平穏』でのツケ、すぐに払ってもらおうか? タカスギ金融の利子は高いぜ?」

 「うっ…… そ、それは……」

 おどけながらルリとハーリーに話すサブロウタ、ハーリーは大慌てで反撃を仕掛けるが、すぐにカウンターを受け、撃墜される。

 「……ふふっ、これから私はユーチャリスに仕掛けます! ハーリー君はサポートよろしく。」

 思わず微笑んだ後、その表情を引き締めユーチャリスにハッキングを仕掛け、ジャンプのキャンセルを試みるルリ、その体がナノマシーンのパターンに覆われていく。が、突然ナデシコC艦内に警報が響き渡った。

 「ルリちゃん! 早くここから逃げるんだ!」

 ユーチャリスから焦ったアキトの声で通信が入る。

 「……! これは……!」

 「艦長! ユーチャリスのジャンプシステムが暴走しています! 多分さっきの衝撃で目的地をイメージしないまま、ジャンプ態勢に入ってしまったみたいです! このままじゃ……!」

 突然の状況の変化に驚くルリ。彼女のサポートをしていたハーリーが現状を素早く報告する。

 「……ってことは、まさか……?」

 「何処にジャンプするのか分からない『ランダムジャンプ』になっちゃうんですよ! イネス先生みたいに昔に飛ばされるかもしれないし、どうなっちゃうか分からないんです!」

 ルリの驚きぶりに事態の深刻さを感じ取ったサブロウタに、ハーリーが解説を加える。

 「じ、じゃあ! 早く離れないと! 不味いですよ艦長!」

 「後2分以内でジャンプが発動します! 艦長! 早くユーチャリスから離れないと!」

 サブロウタとハーリーがルリに離脱を促す。だがルリは目を瞑り、一心に何かを祈っている。

 「「艦長!!」」

 「……逃げたいなら、逃げて下さい。私はアキトさんを追いかけます。目的地の無いジャンプなら、せめてアキトさんの傍に居られるようイメージします…… 
これで逢えなくなるなんてイヤなんです……! あの人は私の大切な人だから……!」

 サブロウタとハーリーに対して目を瞑ったまま答えるルリ。取り乱す事も無く懸命に祈るルリを見て、ハーリーが覚悟を決めた。

 「……そうですね。僕も艦長に会えなくなるのはイヤですから、一緒に付き合いますよ。1人より2人でやった方が成功率は高そうですし……」

 「……おっ! この期に及んで告白たぁ、お前もやるじゃんか。……俺も付き合いますよ、艦長。古人曰く『1人より2人が良いさ、2人より3人がいい』ってね。それにハーリーが艦長に振られた時の顔も見たいし、慰めてもやんねーと。」

 「な、何を言い出すんですかサブロウタさん! 僕はただ……」

 「おいおい、文句いう暇があったらさっさとイメージとやらを頑張ってしろよ…… ちゃんとやらねーと艦長と離れ離れになっちゃうぜー。」

 この状況でいつものような口喧嘩を始めるハーリーとサブロウタ。それを聞いて、ルリの口元が綻ぶ。

 「……ありがとうございます、そしてごめんなさい…… アキトさん……自分が行きたい所をイメージして下さい。 ……私も一緒にそこへ行きますから……」

 目の前の2人に謝り、アキトに対し呼びかけるルリ。そこへ



 「アキト、アキト、アキトー!!!」

 

 ルリの耳に、ユリカの叫びが聞こえてきた。




 ユリカは目の前の出来事がにわかには信じられなかった。ルリがユーチャリスにハッキングを仕掛け、その動きを止めるはずだった。自分はそれをイツ花とサポートするはずだった…… しかし何が起こったのか、両艦ともボソンジャンプの態勢に入っている。

 『ユリカ様! 両方ともあと少しでランダムジャンプを始めちゃいますッ! ……悔しいですが私には止められませんッ!』

 イツ花が悲痛な声で報告するがユリカには聞こえていない。ただアキトを呼ぶだけである。

 「……ユリカか…… ……そうか……よ……な……」

 そこにアキトからの通信が入った。ユリカが前面の通信モニターに目を向けるが、「SOUND ONLY」の文字しかなかった。「そうか……」の後に、アキトは何かを呟いたようだったが、ユリカにははっきりと聞こえなかった

 「アキトッ! どうして! なんでこうなっちゃったの!?」

 「……報いだな…… 今まで多くのモノを犠牲にした俺に対する・・・・・・ ここで俺が消えればお前も、ナデシコの皆も平和に暮らす事が出来るんだ…… 俺のことはいいから、ルリちゃんを早く助けてやってくれ……」

 「何を言ってるのアキトッ! 皆、みんなアキトを待ってるんだよ! 自分だけ格好付けて消えるなんて…… 逃げるなんて…… そんなの……そんなの卑怯だよ! それに……結婚式の時に神様に誓ってくれた『死が2人を分かつまで一緒に居る』って約束、あれは嘘だって言うの! そんな事言ってないで、早く皆とこっちへジャンプしなよ! アキトォ!」

 自嘲気味に呟くアキトにユリカは怒る。

 「……それは俺が『テンカワ・アキト』だった頃の話だ……  今の俺はお前の傍にいる資格など無い『黒いテロリスト』等と呼ばれる殺人鬼だ。……妻や義妹と一緒にラーメン屋をやる事に燃えていたアキトは、奴らに味覚を奪われた時に既に死んだ……」

 「そんなのアキトの身勝手でしかない! 簡単に逃げる事を選ばないで! 私だって火星の後継者に手を貸した犯罪人なんだよ!」

 「……お前は単に奴らに利用されただけだ。自分でこの道を選んだ俺とは違う…… いいから早くここから離れろ……」

 「イヤ! 今回の真相をきちんと2人で皆に明らかにしないと! また同じ事が起きるよ!? また私とアキトのような人達が出るかも知れないんだよ! そんな簡単に自分の事を決め付けないで! 私以外にもアキトを待っている人達が大勢居るんだよ! 帰って皆に相談しようよ! それからでも遅くないよ! だから早くこっちにジャンプしてェェ! アキトォ!!」

 「ユリカ…… し、しあ……」

 ユリカの叫びにアキトが答えようとした時、ナデシコCとユーチャリスが光に包まれた。

 『ランダムジャンプ、開始されますッ! 本艦はこの場から退避しますッ!』

 ユリカの命令を待たずにイツ花がナデシコA改をジャンプに巻き込まれないよう後退させる。

 「あ、アキトォォォ……!」

 ユリカの絶叫が響き渡るのと、ボソンジャンプの光がなくなるのはほぼ同時の事であった。……2隻の船が存在した場所には何も浮かんでは無く、ただ虚空があるのみであった。

 『……周辺宙域に艦影と機影はありません…… ユリカ様、この艦に搭乗しているナデシコCのクルー、その他ユリカ様と当主様のお帰りを待つ方達のためにも、あえて艦を後退させました……』

 顔を下に向け体を震わせるユリカに、イツ花が冷徹に事実と後退した理由を報告する。

 「……うん……その判断は間違ってはいないよイツ花ちゃん。……また私は無駄に人を死なせちゃう所だったんだ…… ありがとう、そしてゴメンね、イツ花ちゃん。」

 何かに耐えるようにしながらも、ユリカがイツ花に謝辞を述べる。

 『……トンでもありませんッ! ジャンプトレーサーで、ナデシコCとユーチャリスのジャンプ先が予測できるかも知れません! 一旦帰還して、ナデシコCのクルーの皆さんを降ろした上でまた追いかけましょう!』

 「……え?」

 思いがけないイツ花の言葉に、ユリカの顔が上がる。

 『……一つの可能性が計算されただけです。詳細な検証が必要ですのでもう少しお時間を頂けますか?』

 「分かったよイツ花ちゃん…… お願いするね。……はあ、何だか今の私って皆に頼ってばっかりだなあ…… 全然役に立ってないよ……」

 イツ花の話に喜びながらも、ユリカは自分がした事について思いを馳せる。

 「アキトを探せるようにしてくれたのはイネス先生だし、ウリバタケさん達は私にアキトを探せる手段をくれた。アカツキさん達も当然バックアップはしてくれているし、実際にアキトに逢っても、イツ花ちゃんやルリちゃんみたいな事は出来ない…… なら私は何でここにいるんだろう?」

 アキトに拒絶された事のに対するショック等様々なことがユリカの脳裏に浮かぶ。何も出来なかった自分に対し、彼女は自己嫌悪に陥っていた。

 『そりゃァ、当主様の頬っぺたを引っ張ってでも皆の所に帰らせるために決まってるじゃァありませんかッ!』

 イツ花がさも当然の如くユリカに話す。

 「……え?」

 『……皆さん全員、当主様とユリカ様が大好きなんですよ! だからお二人が又幸せに暮らす為にこうやってお手伝いしてくださるんじゃァないですかァ! それに恩返しがしたいンなら、早く2人で戻ってラーメン屋さんをまた始めましょう! 当主様がお作りになった大盛りチャーシュー麺でもご馳走すれば皆さん満足しますって!』

 自分をプログラミングしたイネスとウリバタケの想いを振り返りながら、イツ花があっけらかんと話す。

 「そうか…… そう考えるよ…… アキトに又逢えるんならチャンスはまだあるよね?」

 自分の中で渦巻いていた自己嫌悪を振り払いながら、ユリカが笑顔で話す。

 『そうですよォ! ユリカ様はどんなピンチでも、笑って乗り切ったそうじゃありませんかァ! 天然さんは後先考えずに突っ走ればいいんですッ!』

 「……なーんかちょっと最後の部分が引っかかるけど、まあいいか! 今はとにかく…… アキトに!」

 『当主様にッ!』

 「『逢ってから!!』」

 『にしましょ!』

 ユリカとイツ花は一気に言い終わった後、同時に笑い出す。考え、やらなければならない事は山ほどあるのは理解している。

 (でも敢えてシンプルに考えよう。)

 ユリカはそう思った。

 (……先の戦争で、私達は『人の想い』を最後まで貫いた。ならば今回もそうしよう。喩えそれが違うといわれても、今の私にはこれしかない、これしか出来ないんだから……)

 「よしイツ花ちゃん! 進路を地球に取ろう!」

 自らの気持ちに一応の整理をつけたユリカは、イツ花に指示を下す。

 『了解しましたァ! それじゃァバーンとォ! 帰りましょ!』

 明るくイツ花も返事を返す。『今できること』する為に、ナデシコA改は地球へと再び進路を取った。







 「……そうすると、アキト達は『別の世界』に行った可能性があるって事?」

 地球への帰還の途中、ユリカとイツ花は先程のランダムジャンプに関する検討を行っていた。

 『……はい。当主様がきちんと目標をイメージされていらっしゃれば、確実にこの世界のどこかにジャンプされるはずです。』

 イツ花がユリカの質問に答える。

 『……ところが今の所ナデシコCとユーチャリス、双方の発見の連絡は入っていません。逃走中だったユーチャリスならともかく、軍所属のナデシコCなら通常空間に戻った時点で連絡を入れるのでは…… と仮定します。』

 「……それは分かったけど、イメージをきちんとコントロールしないと危険なんじゃないかな? ……後継者さん達だって、それに気を遣ったんだし。」

 自身のおぼろげな記憶と、リハビリ中にイネスに聞いた事を思い出しながらユリカが疑問を口にする。

 『……ここからは私の完全な推測になりますが……』

 イツ花は先程のジャンプトレーサーからのデータと、自身に入力されたボソンジャンプに関するデータを照合しながら一つの結論を出す。

 『……マスターイネスがジャンプの研究で考慮しだした点は「世界は様々な選択肢により、その選択肢の数だけ存在するのでは」と言う部分です。』

 「……つまり、『私達が遺跡を破壊した世界』や『私とアキトが攫われなかった世界』があるってことかな? ……今私達がいるこの世界とは別に。」

『そういう事になります。……システムの暴走によるランダムジャンプという事態になって、当主様はご自身が望まれる事をとっさにイメージした結果、この世界から当主様が望んだ世界にジャンプしてしたものと推測します。』

 「……それって例えば『昔に帰って人生をやり直したーい!』とかかな? ……何だかアキトは色んな事から逃げ出したいような感じだったし……」

 先程交わしたアキトの会話から、ユリカも一つの仮定を生み出す。

 『……それも十分ありえる仮定です、ユリカ様。マスターイネスによると遺跡には時間と空間の概念がないそうなので、今私達がいるこの世界の枠を越えてのジャンプも十分考えられます。……今の状況とデータでは、非常識といわれようがこの結論しか私には算出できません……』

 イツ花は様々なデータから推測した現時点の結論をユリカに報告する。普通の人間には理解の範囲を超えた話である。

 「……そうすると、今私が出来る事って『私のアキトの事だけを考えながら』ジャンプをするしかないのかなぁ…… そーゆー理屈なんだよね? イツ花ちゃん?」

 イツ花から言われた結論を元に、自分なりにユリカは結論を出す。

 『そーゆー理屈になりますッ。……もっとも、他の皆様からは反対されるでしょうが、こんなプランは……』

 「……でも…… 皆は反対するかもしれないけど、それでも私は……」

 『無茶を通せば道理は引っ込みますッ! 偉大なる先人達はそういう大博打を打つ事で難局に立ち向かって、勝ち抜いたんですからッ! 今回もきっと大丈夫ですッ!』

 「うんっ! ……結果はどうあれ、周りがどう思おうときちんとアキトに逢いたい! 常識的に考えれば、今の話自体が突飛な話しだし、仮にそんなジャンプが出来たとしてもアキトにちゃんと逢えるかも分からない。だけど……それでも私はアキトにもう一度逢いたい! 逢って話をちゃんとしたい!」

 『その意気ですッ! ユリカ様! 古人曰く「挫けそうでも信じる事さ、必ず最後に愛は勝つ!」ですよッ! 宝くじで1等と前後賞を同時に当てるより低い確率かもしれませんが、ここはバーンとォ! 張りこみましょうッ!』

 「……そうだね! じゃあ早速戻ってクルーの人達を降ろしたり、CCなんかを補充しないと!」

 ここに至って、ようやくユリカの瞳が彼女本来の輝きを取り戻す。自分と未来を信じる強さを持った昔のように。

 『はいッ! ナデシコA改! 地球衛星上へジャンプしますッ! シャトルの乗員の方はご注意下さいね!』

 イツ花が元気良く宣言した後に、ナデシコA改はジャンプフィールドを形成し地球へと向かった。








 「報告書は読ませてもらったよ、ミスマル・ユリカ艦長…… 気持ちは分からなくも無いけどホラ、昔から言うじゃない『果報は寝て待て』ってさぁ。だから……」

 「アナタはもうちょっと巧く言えないの! ミスマル艦長! ネルガルとしてはこんな無茶なプランにナデシコを使わせる気は無いわよ! ……貴女までいなくなったらどうなるのよ! ……その、私は……ゴニョゴニョ」

 「はいはい。それはともかく、イツ花が出した推論は興味深くはあるけれども科学者として、そして貴女の主治医としてはそんな科学的に実証できないような行為は許可できないわ。……残念だけど。」

 「そーだぞ艦長! 大体まだあいつらが行方不明になって1日ちょっとしか立っていないじゃないか! いいか艦長、いい女ってーのは黙ってりゃ男の方から勝手にひょこひょこ穴から出てくるモンだぜ! 心配すんなって!」

 「「「……奥さんに聞かせてあげたい(やりたい)わね…… 今の台詞。」」」

 ネルガル会長室内でアカツキ、エリナ、イネス、ウリバタケの順に発言する。最後はウリバタケ以外全員の台詞が見事にシンクロした。途端にウリバタケの顔は通常の3倍のスピードで赤くなり、彼の体は即座に後ろへジャンプする。

 「ま、待て! 今のは一般論じゃないか! お、お前ら何を考えている!」

 「「「そうだよね(そうよね)、その一般論にそこまで反応する方もするほうだけど(だわ)。」」」

 「もうっ! 漫才はその辺にして下さいっ! イツ花ちゃんが出してくれた推論に異議でもあるんですか?」

 「……よろしい、では理由を二点説明しましょう。第一の理由はウリバタケが言ったとおりね。ナデシコCとユーチャリスが消息を立ってまだ30時間程しか経っていない。現在、ミスマル提督指揮の元、捜索隊が動いているわ…… 彼らがおおよその捜索を完了させるにはあと2週間は必要なの。 ……ネルガルでも独自にネットワーク経由等で捜索している。この結果を待ってからでも遅くない、これがまず一点。」

 自分を置いて話すアカツキ他に業を煮やしたユリカが大声で怒鳴る。それに対してイネスは冷静に、冷徹に一つ目の理由を答える。何か言いかけようとするユリカを有無を言わせぬ視線で遮り、説明を続ける。流石に他の人間も大人しく聞いている。

 「もう一点の理由…… それはイツ花の出した推論はあくまで『推論』て事なの。仮にアキト君達が捜索で発見できなかった場合、イツ花の推論は理論と呼べる『かも』知れない。」

 一部語句を強調しながらも、イネスは説明を続ける。

 「……でも、その事を実際に証明できないモノを『理論』とは呼べないの。当たり前だけど、百回同じ実験をして全て成功するくらいのものじゃないと確かな理論とは定義できない。しかもこの場合、明確な証拠を提出するわけにも行かないしね。……そんなハイリスク過ぎることを私は出来ないわ。勿論皆も賛成できない、これが理由の全てよ…… 何か異論は?」

 そこまでイネスはユリカに説明し、目はしっかりとユリカを見つめた。そこにいるのは自分のリハビリを手伝ってくれた『イネス先生』ではなく、冷静に事実を観察し曖昧さを許さない『イネス博士』であった。

 「……それは分かります、分かるつもりです。それでも……」

 「アンタもいい加減にしなさいよ!」

 それでも抵抗を試みるユリカに対し、エリナの一喝が飛んだ。

 「そんな実際にできるかどうかも分からない事に、私達が諸手を振ってアンタを送り出すとでも思うの? 状況も分からないままに勝手に飛び出して、逆にアンタが遭難するかも知れないじゃない! それに……」

 一呼吸置いて、エリナは又話し出す。

 「イネスの話だと、『世界』は様々に分かれているそうじゃない! そんな無数の世界の中からアンタは『本当の』アキト君を本当に見つけることができるの? ……億が一、見つけたとしてもまた無事にここに帰ってくることができるの?」

 「……」

 エリナの質問に、ユリカは答えることが出来なかった。彼女の指摘はイツ花と話したときから胸の奥に沈んでいた。『アキト』をイメージしてジャンプするにしても、アキトと自分の願った事が一致しなければ、同じ場所にたどり着く事は出来ないだろう。

 (私が2年間、彼らに利用されていた間にアキトは変わった。……私はその『変わった』アキト自身を理解しようとしているかな?)

 ユリカの心に、綻びが生じかける。ユリカの心情の変化を知っているのかそうでないのか、エリナの糾弾は続く。

 「全く、アキト君もアンタも! 自分勝手に行動してばっかり! この前も、そして今回も! いっつも残されてるアタシ達の気持ちを考えた事があるの?!」

 「……はい、そこまで。……その辺にしておきなさいよ。」

 なおも話し続けようとするエリナをイネスが制した。

 「……でもね艦長、私も気持ちはエリナと同じよ…… 貴女は1人でアキト君を探しているわけじゃない。皆だってアキト君の帰りを待っている、そして今探している最中よ。……だから今は私達にも手伝いをさせて……ね?」

 「……分かりました。ナデシコA改の件でかなり我侭を言わせて貰ったのに、また皆を困らせる所でした…… エリナさん、皆さん、済みませんでした。」

 そう言ってユリカは皆に頭を下げる。エリナやイネスのいう事ももっともであったし、ユリカ自身、自分の心に綻びがあるまま皆の反対を押し切るつもりは無かった。

 「わ、分かってくれればそれでいいのよ…… 私もちょっと言い過ぎたわ……」

 顔を赤らめ、そっぽを向きながら話すエリナ。

 「さ、ミスマル艦長、検査をするわよ。……リハビリ後にいきなり実戦だったからね、身体への影響を調べておきたいの。」

 ユリカの手を取って自分の研究室に向かわせようとするイネス。ユリカは素直にそれに従い、会長室を後にした。

 「ふーっ、エリナ君も中々言うねェ…… テレ顔も可愛かったけど。」

 「全くだ、普段からもうちょい可愛げがあればねェ 男が放って置かないんだがなァ。」

 自分を茶化すアカツキとウリバタケの顔面にそれぞれ裏拳を叩き込むエリナ。顔の下半分を朱色に染め上げていく2人に、自身の顔をまだ赤くしながら言い放つ。

 「……会長! さっさと今の話を提督に報告しなさい! それとウリバタケ! アンタはナデシコをチェックして、奥さんのところにでも行ってなさいっ!」

 「ふぁい、鼻血を拭いて直ちに報告に行きまーす。全く、金持ちなめんなよ……

 「ふぇー、ふぇー。さっさと行かねえと、顔の形が変わっちまうぜ……

 ごにょごにょと呟きながら部屋を出て行く2人を睨みつけるエリナ。彼らが部屋を出た後、ため息を一つついた。

 「ふーっ…… ま、あの位であの娘が諦めるわけは無いと思うけどね。私だってアキトにもう一度逢いたいんだから、あの程度は言っても問題ないわよね……」

 言いながらエリナは変わり果てたアキトと再会し、彼が火星に決戦に行くまでの日々を思い出す。

 (……あの人は自分の事を『本当に』見てはいなかった。でもあの時は確かに自分の傍にいてくれた、そして自分を感じてくれていた……)

 それは満たされたような 満たされないような。

 それは幸せなのか 不幸なのか。

 それは自分が望んだことか 望まなかった事なのか。

 どちらの想いが正しいのか分からないままアキトと過ごした短い逢瀬。心が燃えるような凍えるような、そんな『昔』の日々。

 (早く2人揃って私に笑ってくれないと、この不安定な気持ちにけじめが付かないじゃない……)

 「……ま、今考えてもしょうがないか…… あ、プロス? ちょっと今後の方針を話し合いたいんだけど……」

 自分自身と別室のプロスペクターに話しながら、エリナは気持ちを切り替え、会長秘書としての自分に戻ることにした。







 「……ふむ、ユリカがそんな事を口走ったか…… いや、すまないアカツキ君。親子共々迷惑を掛けたね。」

 「いや、彼女の気持ちを考えればあのように考えるのは至極当然でしょう。どうか御気になさらないように。……で、そちらの具合はどうですか?」

 連合宇宙軍内の執務室でミスマル・コウイチロウはアカツキと連絡を取り合っていた。アカツキの質問に残念そうに答える。

 「……ムネタケ君、秋山君、アオイ君に指揮を執って貰って捜索隊を出してはいるが…… いかんせん先のクーデターの影響と連合宇宙軍の現状ではな…… まだナデシコCもユーチャリスも発見できないのが現状だ。」

 「そうですか…… こちらでも各国政府に接触は続けていますが、見つかってません…… ま、そのドサクサ紛れに後継者がらみのスキャンダルを結構握りましたからね、テンカワ君が帰って来た時に役に立ちますよ。」

 「すまんな、アカツキ君。……でユリカはどうしているかね?」

 「今はイネス先生のところで検査を受けています。後で報告させますよ。ああ、提督。ネルガルからも捜索隊を出しますのでヨロシク。」

 「……頼む。情報が入り次第こちらからも連絡する。すまんがそちらもよろしくな。」

 「了解です。次の通信では吉報が届くと良いですね。」

 通信を終えて一息ついたコウイチロウは、机の引出しから写真を取り出した。

 笑顔満面でアキトに抱きつくユリカ。

 ユリカに抱きつかれ、顔を真っ赤にしながらも緊張した表情でカメラを見るアキト。

 普段より若干表情を穏やかにしているルリ。

 そして三人の背後で目から滝を流している自分。

 それは、アキトとユリカの結婚式直後に撮影した『家族の写真』であった。懐かしさと悲しさの入り混じった複雑な表情をしたコウイチロウは、もう一枚の写真を取り出した。

 どこかの病院玄関前で撮ったのだろう。

 生後間もないと思われる赤ん坊を抱いた女性。

 その女性の肩に手を回しながらも、表情は喩えようも無く緩みまくっている在りし日の自分。

 「ユリエ……」

 コウイチロウは写真に写る自分の妻に語りかける。ユリカを生んだ1ヵ月後にこの世を去った最愛の妻に。

 「アキト君とルリ君はまだ見つからんよ…… お前との『自分達の分までユリカを幸せにして』っていう約束はまだ果たせないなあ……」

 「……ユリカはお前と私の娘だからなあ…… 私も万一の時には腹を括らんといかんようだ…… もし仮にそうなっても私を許してくれるか? ……そうか、ありがとう。」

 自分の妻ならば許さない事は無いと確信しつつも写真の妻に許可を求めるコウイチロウ。しばし瞑目した後、2枚の写真を引き出しに仕舞い、別室の副官に通信を繋げる。

 「ああ、すまんがムネタケ君と秋山君に繋いでくれ。」

 すぐに2人に通信が繋がった。コウイチロウは小声で何かを打ち合わせた。

 ……5分後、達観した表情の2人と交信をコウイチロウが終えると、イネスから直接回線で通信が入っていた。ユリカに関する報告を聞き、自身の用件を述べて通信を終えるコウイチロウ。その表情にはある種の決意があった。







 「ふう、疲れたなあ。……また今日も見つからなかったなあ……」

 『ユリカ様、お疲れ様でした! お部屋をお連れします……あややや間違えたッ! ひとまず部屋に帰って休みましょう!』

 ナデシコCとユーチャリス失踪から1週間、ユリカはイツ花の協力を得て軍やネルガルのアキト達捜索を手助けすべく、ネットからの情報収集をひたすら続けていた。元々コンピューター関連には疎い彼女ではあったが、イツ花の協力によりこの1週間で大抵のハッキングはこなせるようになっていた。……自室に戻ったユリカは、備え付けの冷蔵庫からオレンジジュースを取り出しコップに注いだ。

 「……めぼしい所は探し終わっちゃったなあ……」

 一気に飲み干した後、そうぼそりと呟く。

 『そォですねェ。各国政府や企業のスキャンダルとか、コウイチロウ様の失脚を狙う連中のリストとか、直接関係無いものは山ほど集まりましたがねェ…… 会長は喜んでましたが。』

 「そうだね……でも、アキトの足取りは全く分からない…… 私はどうしたら良いのかなぁ……」

 『ユリカ様は……どうされたいのですか?』

 「え?」

 何気ない会話の中でイツ花がした質問に、ユリカは思わずモニターに移るイツ花のイメージCGの方に視線を向ける。

 『……失礼ながら、当主様がお隠れになった直後に比べ、今のユリカ様には覇気が感じられません。私のサポートの元で淡々とデータの検索を行い、会長にデータを渡す……』

 「……」

 ユリカはイツ花に返答を返さない。その瞳は困惑に揺れていた。

 『……一体、何を恐れていらっしゃるのですか? 未知の世界にジャンプしなくてはならないことですか? 当主様を見つけられない事ですか? ……仮に逢えた所であの時みたいに拒絶されるのではないかと恐れていらっしゃるのですか?』

 容赦なくユリカの心を貫くイツ花による本音の矢。それを受けながらもユリカは淡々と話し出す。

 「……そうだね……ホントにその通りだよイツ花ちゃん…… 今はアキトに関することの全てが怖い。アキトを探してネットを懸命に探す自分もいれば…… データが無い事にほっとしている自分もいる。……ホントの私って今何処にいるんだろう……?」

 『では、探してみたらいかがですか?』

 先程の厳しい口調から一変し、優しくユリカに語り掛けるイツ花。

 「え?」

 『思い出してみたらいかがです? 今の心情はともかく、「何故貴女が今ここにいるのか」をです。』

 「『ここ』にいる訳?」

 『そう。今あなたの中にいる二人のミスマル・ユリカは心の形は違えど、テンカワ・アキトの事を考えていませんか?』

 「アキトの事?」

 『ええ、何故アキトの事を考えるのかをもう一度振り返ってみたらいかがですか? ナデシコで再会したときからを振り返って……』

 「……」

 そう言われユリカは記憶を再現する。




 ナデシコの初出発の日、途中で出会ったアキト。幼い頃と変わらなかったあの瞳、そして戦闘……
 (そう言えば、あの時は私の勘違いだったってずいぶん後からアキトに言われたな……)

 やっとの思いで火星に到着するも、自分のミスで死なせてしまった人々……
 (あの時私が余計な嫉妬をしたのが原因なんだよね…… 私はその時自分の事しか考えてなかったな……)

 地球への帰還、そして『敵』の正体の発覚、自分ならできると信じた和平の失敗……
 (……もっとアキトの事も和平の事もとるべき手段があったのかな…… これはまだ答えが見えないや……)

 アキトと共に終わらせた戦争、その後の長屋生活、プロポーズ、結婚……
 (そういえば、アキトからは『す、するぞ、結婚……』としか聞いてないなあ…… 一体何故私と結婚する気になったんだろう?)

 新婚旅行での悪夢、そして火星の後継者の反乱……
 (……あの時見たモノって、私と彼らにとってだけ都合の良いモノだったんだよね…… その時アキトは多くの人を殺していた。……何のために戦ったのかを聞きたいな……)

 そしてナデシコCと共に消えたユーチャリス、残されたのはアキトの拒絶……
 (ふふっ。結局アキトも私も自分の言いたい事だけしか叫んでないや…… 結局アキトは……)




 「いつも何を考えていたんだろう?」

 記憶の中から浮かび上がった一つの疑問。思わずユリカはその疑問を口にしていた。

 「うん、私はアキトの事や考えがもっと知りたい! 又逢って色々話をしたい! ……例え、それでアキトに拒否されたとしても…… 私の押し付けじゃない、ホントのアキトの心が知りたいの!」

 『そうですね、ユリカ様。』

 ようやくユリカ自身も理解した『自分の本心』にイツ花も同意を示す。

 『全く、世話が焼けますねェ…… ホントの自分の気持ちってそーゆーシンプルなモノだったんですよォ! ユリカ様!』

 優しい口調から一変し、普段の伝法な話し方に戻るイツ花。

 「うん…… 私はそれが知りたい! アキトが今何処にいるのか分からないけど、絶対ジャンプで追いつくの! そして今度こそしっかりアキトと話をする! そして、『みんな』でここに帰る!」

 『かしこまりましたァ! それじゃ、バーンとォ! 出発しましょォ!』

 「うんっ!」

 部屋のクローゼットを開け艦長服に着替え、ドックに向かうユリカ。その瞳には迷いは見えない。ただ前だけを見つめる意思の光が宝石のように輝いていた。




 「……おやおや、ようやくのご出発かい? ま、ここらが潮時かと思ったけどね。」

 「……何を言ってるのよ? ユリカさんのデータでこっちは世間や軍にかなり影響を持てた癖に…… ホントに行かせて良いの?」

 「ま、ナデシコA改を無償で貸すんだからね、これ位の対価は貰って当然でしょ?」

 「……ま、そっちは今は不問にするわ。で、どうするの? 実際の所」

 「そーゆーエリナ君こそ行かせても良いのかい? あんなに反対したくせに……」

 「あそこまで腹を括ったんなら止めても無駄ね…… ああなったら逆にアキト君をホントに連れて帰ってもらわないと困るわね……」

 「ま、結局、科学は人の心までは計れないか…… 私も期待させて貰いましょ、人が生み出す『奇跡』にね……」

 「ま、とにかく関係各者に連絡しようか。エリナ君、急いでよ!」

 会長室でイツ花とユリカのやり取りを中継で見ていたアカツキ、エリナ、イネスはそのような会話を交わした後に各々の仕事をすべく、会長室を後にした。




 「あン? 艦長が出発するゥ? ちょっと待ってくれよ! こっちはオリエの陣痛が始まってるってーのに! 俺に何をしろってんだ?」

 「だから、ナデシコA改の最終点検をして欲しいんだけど…… 駄目かな?」

 「おいおい! 今言われてもだな…… ちょっと待ってくれ、こっちから又連絡するわ。」

 その頃、ウリバタケは妻のいる病室にいた。陣痛で苦しみだした妻を見ておろおろしている最中にアカツキから連絡があったのである。断ろうとした彼の手を妻が握ったため、ウリバタケは一回通信を切った。妻の方に向き直る。

 「おい、大丈夫か? すぐに看護婦さんを呼んでくるからな、待ってろよ!」

 妻の手を離して部屋を出ようとするウリバタケをオリエの言葉が止める。

 「……私は……大丈夫だから……ユリカちゃんの手伝いに……い、行ってあげて……」

 「で、でもよ……」

 「……今……回で3……人……目よ、今更……あなたが慌てる……ほどの事じゃないわ……」

 「う…… それはそうかも知れねェが…… あーもー! 俺ァどーすればいンだよ!」

 妻よりも錯乱し始めるウリバタケ、その夫の手を強く握り返し、オリエは夫に囁く。

 「……出産はね……私にしか出来ない事なの…… あなたには……あなたしか出来ない事があるでしょ…… 忘れないで…… ユリカちゃんだって…… 私達の子供じゃない…… 行って……助けてあげて……」

 その言葉を聞いて、ウリバタケの瞳が落ち着きを取り戻す。そして次第に仕事をする『男』のものに変わる。

 「……そうか、そうだったな…… 分かったぜオリエ、お互いやるべき事をしようや。元気な女の子を頼むぜ……」

 妻を両手でしっかりと抱きしめ、彼は囁いた。妻の唇に軽くキスをして、素早く病室から出て行く。

 「……」

 陣痛の痛みも忘れ、唇を抑えながら顔を真っ赤に染め上げるオリエ。そこに医者と看護婦が入ってきた……!

 「おう、俺だ! すまねーがあと10分ほどで行く! 最終チェック作業を始めててくれ! 特にジャンプシステム関連のチェックは入念に頼むぞ!」

 病院から飛び出した彼の最初の会話がそれであった。すぐに通信を切り、急いでドックへ駆け出すウリバタケ。妻の事は既に頭に無く、ナデシコ改の事が彼の頭を占めていた。








 「……え?」

 こっそりとドックに侵入したはずのユリカは目の前の光景に言葉が無かった。

 ナデシコA改を囲むように整備を行う整備班。自分に手を振るヒカル、その後ろでこちらを見ているリョーコ、イズミ。2人で話し込んでいたミナトとホウメイがこちらに気づくと、なにやら叫んでいる。呆気にとられるユリカに、アカツキ、エリナ、 イネス、プロスペクター、ゴートが近づいてきた。

 「あ、アカツキさん? これは一体……?」

 「どうもこうも、君の出航準備と見送りに皆集まったんじゃないか。いやあ、友情パワーは偉大だねぇ。」

 「……腹を括ってここに来たんでしょ? チャッチャと彼とその他を連れて帰ってきなさいよ! これは約束だからね…… 破ったら承知しないわよ……」

 「イツ花と打ち合わせたランダムジャンプの仮想データをジャンプシステムに組み込んでみたわ…… ちゃんと帰って来て結果を報告してね。その時にじっくりとそのデータについて説明してあげるから。」

 「いやー、ネルガルとしても是非アキトさん達には帰って来て欲しいものでして、ハイ。……え? 理由はいわゆる企業秘密って奴でして…… 無事にテンカワさん達を連れて帰ってきたらお教えしましょう。」

 「……航海の無事を祈る ……全員で帰って来い。」

 4人は思い思いにユリカに話す。

 「皆さん……」

 ユリカの涙腺が徐々に緩みだす。そこへナデシコクルーが駆け寄ってくる。

 「オラ艦長! 泣くのはアキトに逢ってからにしろよな! 単純にアキト達を連れ帰りに行くだけじゃねェか…… 辛気臭せェのはよしてくれよな!」
 リョーコが口調だけは乱暴に、しかし表情は優しくユリカに話す。

 「そーそー、漫画のネタにするにはみんなでちゃーんと帰って来てくれないと困るんだから!」
 ヒカルも自分なりにユリカを励ます。

 「……古今東西、悪の栄えた試しは無し…… 古き良き伝統を破るんじゃないよ……」
 ギャグだかシリアスだか微妙に判断しにくいコメントをイズミが発する。

 「……ちゃーんと全員揃って帰って来るんだよ、艦長。……信じた人から残された人間ってしばらくは立ち直れないんだから……」
 一瞬表情に痛みを浮かばせながらも、笑顔でミナトはユリカを送る。

 「……うん! 良い面をしてるじゃないか! ……戻ってきたら、ウチの店でタダでパーティーをやってやるよ! あ? 料理は勿論アキトの奴に作らせるさね! それくらいはホストに負担してもらうよ!」
 ホウメイもまた彼女らしい激励をする。

 「はァ……はァ…… ふえーっ、やっと着いたか…… 全く、こんなタイミングで出発しなくてもいいのによォ……」

 息を切らしながらウリバタケがドック内に入ってきた。ユリカの姿を認めると、大声を投げかける。

 「おい艦長!」

 「は、はいっ! 何でしょう?」 

 「いいか艦長! アンタの所為で俺ァ『三度目の正直』を実現出来なかったんだからな! これで無事に皆で帰って来なかったら、たたじゃァおかねェからな! ……ランダムジャンプにも耐えられるよう整備は万全にして あるんだからな! ……必ずアキトの奴の首根っこを引っ掴んで来いよな。オリエにもアキトの奴を会わせてやりてェンだ……

 最後は小声で呟いたウリバタケはその場を後にしてナデシコA改のチェックに向かって行った。

 「さーて、皆の挨拶も終わった事だし…… ミスマル艦長は出航の準備をした方がいいんじゃない? 今の艦長の場合、砂時計の砂はダイヤモンドより貴重なんだからさ。」

 「分かりました! 皆さん、本当に、本当にありがとうございました! 必ずアキトやルリちゃんたちと一緒に帰ってきます!!」

 泣き顔ではなく笑顔で皆にそう言うと、ユリカはブリッジに向かって歩き出した。

 

 

 

「ユゥゥリィィカァァ……! 母さんだけじゃなくお前まで父さんを置いていってしまうのか?」

 「……お父様…… 何故ここに?」

 ブリッジに着いたユリカを待っていたのは、滂沱の涙を流すコウイチロウであった。父には後で通信を入れようと思っていただけに、父親の予想外の行動にユリカは驚いていた。

 「どうしたもこうしたも無いんだよォォ…… 統合軍や反ネルガル派が私を軍から追い出そうとしているんだ…… だから仕方なくユリカと一緒にしばらく雲隠れをしようと思ってな……」

 「……本当の理由はなんですか? お父様?」

 父がここにいる訳がそれだけではないと察し、つい詰問口調になるユリカ。

 「……ふむ、そこまで分かるようになったかユリカ。父さんは嬉しいぞ! そう! 私がここにいる理由は唯一つ!」

 表情を改め、大真面目に叫ぶコウイチロウ。

 「一つ! ユリカの為!」

 「二つ! 息子の為! ……あ、二つか……」

 「……え? どういう事なの、お父様?」

 真顔でボケるコウイチロウにツッコミを入れることなく質問するユリカ。

 「う、うむ、それはだな ……父さん、寂しいぞォ…… ユリエとの約束を果たす為なんだよ……」

 「お母様との?」

 「うむ、ユリエが亡くなる前の日にな、2人で約束をしたんだ…… 『ユリカと将来結婚するだろう旦那さんの事を私の分まで見守って』とな……」

 「……そんなことがあったんだ。それで……」

 目の前のユリカではなく妻に確認しているかのように話すコウイチロウ、娘離れをしようとしない理由の一部が理解出来たように呟くユリカ。

 「お前達が結婚した時は……まあ、あの時は色々あったが…… 母さんにもちゃんと報告したんだぞ! ……その後すぐにああなってしまった時はどうしようかと思ったがな……」

 『その時』の事を思い出したかのように悲痛な表情となるコウイチロウ。

 「だからだ! 今回は黙ってお前達の帰りを待つ訳にはいかん! 私も一緒に捜しに行くぞぉっ! ……こんな事もあろうかとイネス先生にIFSとジャンパー処理もしてもらったしな……」

 コウイチロウは話しながら右手の甲を娘に見せた。確かにIFSの紋様が描かれていた。

 「それにな…… アキト君とも約束をしているんだ…… それを果たしてもらう為にもな、行かねばならん。」

 「どんな約束をしたの?」

 「アキト君は新婚旅行に行く前に『帰ってきたら男同士でゆっくりお酒でも飲みませんか?』と言ってきたんだ。……私も『息子』と飲む酒を楽しみにしていたのにな…… 今度こそその約束を果たさねばならんからな……」

 口には出さなかったが、ユリカは今とても嬉しかった。結婚を賭けたラーメン勝負以来、父はアキトとの結婚を喜んでいないように感じていたからだ。自分の知らない所ではあったが、父がアキトの事を認めていてくれたことが堪らなく嬉しかった。

 「了解しましたっ! 乗艦を許可しますっ! イツ花ちゃん! 各部最終チェックを急ごう!」

 『かしこまりましたァ! コウイチロウ様はそちらのシートに座ってて頂けますか?』 

 「うむ、分かった。 ……和服に眼鏡……これはこれで……

 ユリカが命令し、イツ花がコウイチロウにお願いする。そして彼は何か呟きながらも大人しく席に着いた。

 「ウリバタケさん! そっちはどうでしょうか?」

 「ああ、ジャンプ用の設備やプログラムなんかも完全だぞ! こっちはOKだ!」

 自信を持ってウリバタケが断言する。

 「あーそうそう、艦長? アオイ君から伝言だ『ユリカの分の仕事は残しておくから、早く帰らないと大変な事になる』ってさ! ……男の嫉妬も怖いよねー。 メグミ君とホウメイガールズは今コンサート中だからここには来れないけど、帰ってきたらコンサートでおもてなしをしてくれるってさ! あ、あと宇宙軍関係は万事抜かりは無いからって提督に伝えておいてくれ!」

 コミュニケで誰かと会話をしていたらしいアカツキが、通信していた相手からの伝言を伝える。

 「了解しました! ジュン君に『お手柔らかに』って伝えておいて下さい! ……それではナデシコA改、発進しまーす! 危ないですから黄色い線の内側にお下がりくださーい!」

 『テンカワ家、ミスマル家両家、ご出陣ッ!』

 ドック内にいた人々の避難を確認し、ナデシコA改は満月が照らす夜空へとその巨体を上昇させていった。

 

 それから数時間後、ナデシコA改はとある宙域のチューリップの前に来ていた。先のクーデターの影響により、全てのチューリップは使用の禁止もしくは破棄されていたが、ネルガルと宇宙軍によってここだけは確保されていたのである。

 「……これからランダムジャンプを開始します。……お父様、宜しいですね?」

 「勿論だ。」

 流石に緊張した面持ちで確認を交わすミスマル親子。

 『だーめですよォ! そんなに緊張していたら! ランダムジャンプシーケンス準備完了していますが? どうなさいますか?』

 「よし! ジャンプを開始しよう! お父様、イメージの方法はさっき話したとおりです。ナデシコが始めてサセボを出航したあの日の自分を思い出してくださいね! ……多分アキトがいるならそこか、後は小さい頃の火星だと思う。今回は前者を探しに行きます!」

 ユリカが父にジャンプのイメージ方法を再確認する。黙って頷くと、コウイチロウは目を閉じた。イメージ作業を始めたのだろう。

 「イツ花ちゃん、ランダムジャンプ開始! 私もイメージングに入るね……」

 『かしこまりましたァ! ジャンプシーケンス、フェイズ1を開始しますッ! ……』

 イツ花がジャンプ準備を始めるのを確認し、ユリカもイメージ作業を始める。サセボドック、ジュンの言う通りに持っていく荷物を最小限にしていたら、あり得なかったかも知れない久しぶりの再開……

 (今度会ったら何て話し掛けようかな? 「久しぶり?」 「ようやく逢えたね、アキト!」? ……うーん、どうしよう?)

 『フェイズ4 終了…… フィールド形成完了ッ! いつでもチューリップに突入できますッ! ユリカ様ッ!』

 「……チューリップに突入してください。ランダムジャンプ最終フェイズに入ります。」

 『かしこまりましたァ! チューリップに突入ッ! ジャンプ開始しますッ!』

 イツ花の命令に忠実に従い、ナデシコA改はチューリップへ艦体を徐々に接近させていく……

 「オイ、ホントに大丈夫なんだろうな? 今更だけどよ……」

 ドックの巨大モニターでジャンプの一部始終を見守っているナデシコクルーの中からそんなリョーコの呟きが漏れた。

 

 『大丈夫ですッ!』

 

 突然、モニターにイツ花の映像が大アップになる。思わずのけぞるナデシコクルー達。

 『今日は当主様や他の方々はいらっしゃらないかも知れませんが、明日には皆揃って帰って来れるかも知れませんッ! 今日より明日の方がきっといい日に決まってますッ!』

 「うんっ! その通りです! では皆さん、行ってきます!」

 ユリカの声を合図にしたかのように、ナデシコA改の船体はチューリップへ進入していく。

 『明日をバーンとォ! 信じましょ!』

 イツ花の明るい声を最後に、チューリップへ完全にナデシコの船体は消えた。それと同時に通信回線も途絶した。

 「へッ、AIの癖にナマ言いやがって…… 『明日を信じろ』か……」

 リョーコが頭を掻きながらそんな呟きをもらす。

 「ま、ボク達に出来る事は待つしかない訳だからねー。とりあえずは……」

 アカツキに全員の視線が集まる。

 「彼らが帰って来た時にちゃーんと『普通に』暮らせるようにしておかないとね…… 明日から又色々と忙しくなるから、今日はこの辺で解散しようか。とりあえず明朝11時にまたここに集合してくれよ。じゃあ、ボク達はこの辺で失礼するよ。」

 そう言ってアカツキ、エリナ、イネス、プロスペクター、ゴートはドックを後にした。

 「じゃあ、残りはウチに飯でも食べに来るかい? 今日は特別にサービスしてやるよ!」

 ホウメイのありがたい宣言を聞き、大歓声をあげるナデシコクルー達(整備員)。しかし、

 「すまねェ、俺は病院に戻るわ。もう生まれているかも知れねェからな……」

 ウリバタケはそう言って歩き出す。

 「「「「「きっと大丈夫ですよ! 班長!」」」」」

 整備班達の激励に右手を上げて応え、彼の姿は消えた。

 

 

 

 「……会ってきた?」

 「ああ、見たらすーすー寝てたよ……  ご苦労さん、オリエ……」

 病院の新生児室で生まれたばかりの我が子を窓越しに眺めた後、ウリバタケは病室のオリエを訪ねていた。言いながらそっと妻の手を握る。

 「ユリカちゃんは……?」

 「ああ、親父さんと一緒に行っちまったよ…… 明日帰ってくるかも知れねーし、ずいぶん先かも知れねー。ま、明日からまた頑張るさ…… あいつ等が戻って来ても大手を振って暮らせるように、できる事から始めるさ……」

 「そうね…… 私も退院したら長屋の掃除に行かなくちゃね。 ……いつ帰って来てもいいように、ね。」

 「ああ、そうしてやってくれ。 ま、とりあえず今はゆっくり眠ってくれ。今夜はここにずっといるからよ……」

 「そう…… 嬉しいわ……

 夫が来た事に安心したのか、オリエは急速に眠りの国へ誘われていく。その寝顔をしばし眺めた後、ウリバタケ自身も忘れていた疲労に身体を覆われる感覚を感じた。それに身を任せるようにして目を閉じる。

 (ま、気をつけてな…… 俺達の期待を裏切るんじゃねェぞ……)

 一瞬、アキト達が住んでいた長屋の前でナデシコ関係者全員が揃って写真を撮ろうとしている光景が脳裏に浮かび、それが消えると同時にウリバタケの意識も眠りについた。

 

 

 

 

 

(終)

 

 

<後書き>

 どうも、ナイツです。100キロバイトを超えてしまったこの長ったらしい作品を読んでいただき誠にありがとうございました。

 この作品を書くきっかけを与えてくださったペス様には深い感謝の意を表したいと思います。

 

 ……一応、「リアル系ユリカ(何それ)が主人公」、「自分の書きたい事を書く」、「一つの話として成立させる」、「ネタを組み込む」の3つを目標に執筆し、その3つの最大公約数となったのがこの作品です。

 しかし、蓋を開ければウリバタケの描写が多いとか、ホントに「イタくないユリカ」が書けたのか?とか、読んでくださった方にユリカが主人公とみなしてもらえるか?等心配事も多いです。細かい設定等は重いコンダラ(古)で潰しながら書いてしまったので。 こればっかりは第三者の皆様の感想でないと分からない部分なので、是非感想を頂きたい所です。よろしくお願いします。

 次作品は木連ベースになるでしょう。もっともリアル系か「北」系かは未定です。 それではここまで読んで頂いて、誠にありがとうございました!

 

 最後に元ネタを列挙しておきます。前作の「北」でわからないと言うご指摘を頂いたので……

 AIの「イツ花」はPS1のRPG『俺の屍を超えてゆけ』から拝借しました。某FFやDQとは違った面白さがあるので、お勧めです。ベスト版も出ているので安く入手できますし。

・ガン○ム:「ボール」と戦闘シーンで使用しました。敵の艦長の金 巣紺と言うネーミングは、その中の稀代のやられ役から採用しました。対戦格闘ゲームの「連邦VSジオンD○」からも少し。

・ガ○ダムW:「ボール」のシステムとして勝手に採用しました。

・太陽戦隊サンバル○ン:サブロウタの故事で引用しました。EDの一節です。

・KAN(歌手):イツ花の「愛は勝つ」の台詞は彼の歌詞の一部です。

・「明日はきっといい日」発言:PS1の「ゲーム」のガンパレード・マーチに出てくるキャラクターの台詞を引用しました。ちなみに彼女は時ナデハーリーと同じ位?不幸属性を持ってます。眼鏡ッ娘です。




代理人の個人的な感想

力作、楽しませて頂きました。

よくあるご都合主義な展開が殆どないのが良かったですね。

ウリバタケは女房の事で悩みますし、コウイチロウもアカツキもエリナも、

そしてもちろんユリカとルリも色々な困難にぶつかってそれをどうにかしようと足掻いています。

そんな所が「リアル」だったかなと。



>三つを目標に

「・・・・・あ、4つか。」は?(爆)