「昨日、鯖食べたんですよ」

「ほう」

適当に相槌を打ちながら、彌太郎は手に持った町内の観覧版に目を通していた。
台所の方から、威勢の良いアキトの声が響く。

「やっぱり冬の鯖は身が締まってて美味しいですよね」

「うむ」

『大福引き大会!』と大きく印字された藁半紙を手に取り、彌太郎はジーッと見つめていた。
一等はどこぞの高級桐タンス、二等は米、三等から後はもう景品と言えるかどうかも解らない物だった。
(桐タンスか……欲しいな)
古くから使っている、現在のタンスの老朽化が激しい事を、前々から懸念していた。
何より虫食いが増えてきた。それは、困る。
彌太郎が所持している和装のほとんどが、父や祖父の代から続く年代物の一品なのだ。
防虫処理を施せば、臭いが付く。それは避けたかった。
玉を転がすだけで新品のタンスが手に入る福引きは、正に彌太郎にとって好機だった。

「……聞いてますか?師範」

台所で何やら作業していたアキトが、彌太郎が居る居間にひょこりと顔を出した。
彌太郎はハッと我に返り、アキトの方を向いた。

「いや……聞いてない」

厳格な顔つきで、彌太郎はハッキリと答えた。
溜息を吐いて、再びアキトが台所へと姿を消した。






隙我 十二つ幕.「明疑」




昼休みだった。
いや。
正確に言えば昼を取る為に休んでいるのだった。
理由は単純、

「腹が減って……力が出ない」

と、彌太郎が切実にアキトに訴えかけたから、である。
そこでアキトの出番。大抵は、彌太郎が既に食材を買いそろえている。それをアキトが調理するのだ。
彌太郎自身も料理は出来るが、当然アキト程とは言えない。上手くもなければ、不味くもない。
アキトをして、

「微妙っすね……これ」

それが実は結構ショックだったらしく、アキトが居る場合、アキトに調理全般を任せているのだ。
彌太郎の食べ物は、基本的に魚中心である事が、この所解った。
用意されている食材には、肉の割合が極端に少ない。と言うか無い。
替わりに、魚。
しかも旬の、最も美味しいと思われる魚であった。
その点では、アキトは驚いていた。毎回美味な魚を買ってくるのだ。
選魚眼もあるのだろうか?

彌太郎はこたつの上に上半身を投げ出し、虚脱感を露わにしている。
この男にして、このような無防備な体勢を見られるとは、初めアキトも予想していなかった。
いや。
恐らく、恐らくはこうして力を抜いている様に見えても、警戒、本能的な警戒は怠ってはいないのだろう。
そんな事を考えながら、手に持ったフライパンの中で、野菜を踊らせる。
八宝菜と、魚の中華風あんかけ。
申し分ない。アキトは上唇を舐めた。




「と、すると何ですか。宇宙軍には週に数回来い、と言う訳ですか?」

「有り体に言えば、そうなるんだろうな」

八宝菜をつまみ、彌太郎とアキトは口をモゴモゴとさせながら、世間話に花を咲かせていた。
彌太郎は先日宇宙軍へ師事をしに行ったのだが、宇宙軍たっての要望により、週数回の直参を命じられていた。
彌太郎の方と言えば、断る理由も無い為、呑んだ。

「午後から、と約束している。お前の方にはさほど影響はせんよ」

アキトのどこか心配そうな顔を見て、彌太郎が言った。
アキトが恥ずかしげに笑い、その話題は終わった。






「さっきも言ったんですが、鯖を……食べたんですよ、昨日」

「ほう」

鰺の中華風あんかけをつまみ、彌太郎とアキトは口をモゴモゴさせながら、次の話題へ移っていた。

「この時期の鯖は美味しいです。身も締まってて、脂も乗っていて」

「それは良い」

と、言いながらなめこの味噌汁をすする。

「鯖と言えば」

味噌汁のお椀を置き、彌太郎が思いだした様に呟く。

「昨日な、宇宙軍の中佐さんに土産を持っていったんだ。社交辞令と言うやつだな」

「へえ」

鰺の背中の部分の肉を、骨を丁寧の取り除きつつ食べながら、アキトは相槌を打った。

「その土産が鯖だったんだ」

一瞬、ピクッとアキトの箸が止まった。
まさか、と小さく呟く。微笑を浮かべて、箸で頭をコツコツと叩く。

「いやこれが、会ってみれば女の子でな。流石に鯖はどうか、と思ったんだが。快く受け取ってくれたよ」



沈黙。



「そ、そうなんですかー。ハハハハー」

一瞬の沈黙を破り、アキトが高らかに言った。
箸を持つ手をワナワナと振るわせながら、アキトが彌太郎に笑顔を向けた。
その笑顔に彌太郎が顔をしかめる。
顔面神経痛にしか見えない、唇がピクピクと痙攣し、脂汗を大量に浮かべている。
傍目に見ても、危険な笑顔だ。何をそんなに焦る事があるだろうか。
……鯖。
アキトの昨日の夕食も、鯖。
まさか。

「同居人が喜ぶ、とか言ってたな」

片目を細めながら、彌太郎がポツリと呟いた。
アキトの動きが再び硬直した。こたつに肘を当て、彌太郎がアキトをじっと見つめる。
視線が痛い。

「まさか」

彌太郎が呟くと、ビクリとアキトが体を震わせた。

「いや、そんなまさか、な」

ふむ、と息を吐き、彌太郎が食器を持って立ち上がった。
アキトが安堵の溜息を漏らし、肩を落とした。

「お前『ソッチ』方面の犯罪者だったのか?」

彌太郎が立ちながら、アキトに声を掛けた。






午後の鍛錬に力が出なかった。
違う、違う。
俺は決して犯罪者では無い、いや犯罪者だが、『ソッチ』の犯罪者じゃない。
誤解は良くない。人の相互関係は得てして信頼から始まる物なのです。
ああ、視線が痛い。その汚物を見るかのような眼はやめてください、師範。

「正拳突き……二億回」

無理です。




「ふむ」

「……ご理解は頂けたでしょうか」

何故自分はこんなに卑屈になっているのだろう。
身の回り、一切合切を彌太郎に告白した。そうしなくては、絶対零度の鬼の視線を浴び続けなければいけない。
それは辛い。耐えられない。
世間的にも耐えられない。
だが、だがだ!上は二十歳過ぎから、下は一桁の女性三人と同棲しているなど、言えるはずがない。

「信じる」

ホッと胸をなで下ろす。
良かった、理解有る人で本当に良かった。

「が、まともな生活とは言えないな」

「……」

「……」

「……ですよね」

「……うむ」

何故かゆっくりと溜めを作って、彌太郎は大きく頷いた。
それに釣られて、何故かアキトも頷いた。
さめざめと、心の中で号泣しながら。



「おも〜い〜では〜いつのひも〜あめ〜」

足取りは重く、口調も重い、口ずさむ歌詞の内容も重ければ、アキトの表情は一等重い。
遠い昔、随分と遠い昔に流行った歌らしい、が、そんな事はどうでも良かった。
彌太郎に聞けば、ルリは直接師事を請うたらしく、彌太郎曰く、

「やる気だけは怪物級だな。身体能力の是非は……あえて言わん」

らしかった。
意外。
それを聞いた時、何よりも先に意外だった。
およそ身体を使役する作業は、あまり好まなかった筈だ。そのルリが、やる気満々?
薄暗い帰り道を歩きながら、アキトは顎に手を当てて唸っていた。
腕時計に目配せすれば、時刻は六時と少し過ぎ、夕食を作るのは自分なのだから、時間の融通は効く。
近頃は世界情勢も沈静化しているらしく、宇宙軍が出向する様な仕事は無い。
それ故に、ルリの帰宅も早い。定時と言う言葉は、宇宙軍には無いのか、と思ったことが何度か有る。
まあ、食事の時に全員が集まる、と言う事はこの上なく良い事なのだろう。定時など、些末な事柄だ。
ともすれ、ルリが彌太郎師事の元で格闘技に勤しむ、と言う事なのだろうか。
彌太郎の定期的な通軍がその理由。
もしかしたらルリちゃんが要請したのか?

「ふぅ」

息を吐き、茫洋と辺りを照らす街頭に目をやった。
……なんて取り留めも無い。
そう思いながら、アキトは嘆息した。
取り留めも無い事を考える余裕が、今の自分にはある。
取り留めも無い事で頭を悩ませる事が、今の自分には出来る。
あれこれと思案する事が出来る。
夕食の献立を考える事も出来る。
日常が日常でなくなった自分は、今又日常の上に立っている。
吐く息が白い。
それは自分が呼吸をしているからだ。
目を開けていれば乾く。
それは自分が目を開けているからだ。
普遍的な事に幸せを感じる。
それは、自分が生きているからだ。

「急いだ方がいいぞ、もう全員揃っている」

アキトのすぐ横から、飄々とした男の____聞きようによっては少年の、声が聞こえた。
声の主はアキトの側により、肩をポンと叩いた。
街頭が男の顔を照らす。

「サイメイか」

男___サイメイはにっと笑った。





サイメイ・リョウ。
数ヶ月前、だろうか。兎に角少し前、アキトがまだアキトだった頃。アマカワアキヒトで無かった頃。
彼、サイメイはネルガルの直命を受けて、アキトの救出作戦に従事していた。
あの小惑星群で起こった戦闘、あそこで何が起こったか。アキトが知ったのは、救出された後、それより更に数日後だった。
単身火星の後継者旗艦に潜入し、『あの』北辰麾下を『一人残らず』殺害した上に、アキトに投与されたナノマシンのリストを奪取、
その後に脱出し、ユーチャリスのグラビティブラストをサレナ発展型一機で『防ぎ』、アキトとの一騎打ちで勝利した。
初め聞いた時は、思わず耳を疑った物だった。
腑に落ちない点はあったのだ。
北辰とその部下が全員生き延びた事は、微細とは言えないが、多少は解っていた。
そして、自分が闘ったのは北辰ただ一人である。
まず、あり得ない。
北辰麾下と思われる六連も無かった。
それも、あり得ない。
北辰の部隊と言えば、いずれ劣らぬ暗殺謀略の専門家レベルの人間が集まった異常者だ。
北辰を抜けば、六人。
その六人を僅かに一人、たったの一人で殺した。
ともすれば、サイメイは北辰部隊六人より更に高度な闇兵、と言う事になる。
実際、アキトの現在の生活基盤は全てサイメイの裏工作の末。
更に火星の後継者に荷担していたクリムゾンの追撃を、事も無げにあしらっているのも、サイメイである。
それを間近で感じていたアキトにとっては、あの惑星群で行われた戦闘報告は、信ずるより他に無い、と言う事になった。
アカツキ・ナガレ。現ネルガル会長は、アキトにこう行った。
「間違いなく、彼はこの地上、宇宙で最も強いよ。安心して守られなよ」
と言った。
サイメイの外見は、十六歳程度にしか見えなく。言うなれば少年のそれだった。
サイメイは、アキト達の住むアパートの隣の部屋に居を構えている。
警護、監視と言った事情を含めれば、最も好都合な位置構えであろう。
ともなれば、自然と交流も増えてくる。
ルリは彼の事を知っていた、彼がネルガルのどこにも籍を置かない、ネルガルの工作員である事も知っていた。
サイメイは思うよりも早く、ユリカ、ルリ、果てはラピスまで慣れ親しんでいた。
アキトとも親友の様な感じで付き合っている。何よりも、命の、人生の恩人とも言うべき人物なのだ。
だが、それが本当のサイメイ・リョウでは無い事も、多少ながら解っていた。
本質は、漠然とした泥濘、又は混沌とした汚濁。そのどちらか。
端的に言えば、サイメイと言う男は全て滅茶苦茶なのだ。
何が、とは言っても解らない。
それが解らない故の______混沌なのだ。
そう言った謎めいた部分を含みつつも、サイメイは『気の良い隣人』なのだ。
それだけだ。
そうアキトは、自分に言い聞かせてきた。





「しっかしまぁ……良く続くな、毎日、毎日」

夜道を歩きながら、サイメイが呟いた。

「ほっとけ」

「まぁいいさ、格闘技っつーのも悪く無い。精神面でもあれは希有なもんだからな」

「打算じゃないさ」

「本当かよ」

「ああ」

「……。お前はどうしてそう……飄々と嘘を言えるんだ?特技か?」

「嘘……な訳ない」

「はっ!どーだがな。顔に書いてあるぜー、『自分が解りません』ってよ」

「……」

いつもながら、この男は嘘を見逃さないし、心の深い所を容赦無く指摘する。

「別に構わないんだ。いいんじゃないか、お前なりの懺悔なら……それを隠す事は無い」

そして時折、急に真面目な口調になる。
あの時、自分を説得した時と同じような声に。
『後悔しながら、死ね』と言った時と同じ様に。

「懺悔とか、後悔とか、俺には良く分かんないんだ」

「そんな物さ、言葉だけで象徴化される精神論なんて、俺は信用しない。感覚で理解すればいいんだよ」

「難しいな」

「救われたければ頭を丸めれば良い、死にたければ一本の縄を用意すれば良い。ま、そんなもんさ」

「やろうと思えば直ぐに出来る……って事か?」

「さぁって……ね。どうだろう。でも昔の人は言ったぜ、考えるな、感じるんだ……ってな」

「そんなもんかな」

「そんなもんさ。難しく考えなければ、状況は流れていく。自然とな」

「でもそれって、ずるくないか」

「卑怯だ、と思えば自分もやれば良い。だが出来なくて、羨ましいから人は卑怯なんて言う」

「つまり」

「流されるのも又……一つの生き方って事だな。俺の持論だ、お前が鵜呑みにするこっちゃない」

「生き方……ね」

「ただ」

サイメイがはっきりと良く通る声で言った。

「ただ、俺達には忘れてはいけない事が、山の様に有る。それを忘れないように生きて行かなくちゃな、仏さんにも悪い」

「ああ」

「俺達が通った道は死体の山だ。振り返ったら、呑まれるだけだ」

「……ああ」

「かといって、だ。振り返る必要は無い。どうせ人生限りがある、前だけ向いて自分がやりたい様にやれば良い」

「ぷっ……」

アキトが軽く吹き出す。
サイメイが歩を止め、不思議そうな顔つきで、

「ん?どうした。俺そんなに爆笑の渦へ誘い入れる様な事、言ったか」

「爆笑はしてない……いや、お前って説教臭いな、って思ったらな」

「性分だ。見逃せ」

「いや、タメにはなった」

「そりゃどーも」

肩を上げて戯ける様な動作を取った所で、サイメイとアキト、両名足を止めた。

「着いた」

「着いたな」

アキト達が住むアパート、『アルカトラズ荘』と古びた看板がこれまた古びた石に張り付けてあり、緑が繁茂している。
物騒な名前です。とはルリの弁。
アキト達が住む部屋は二階、錆びきった鉄の階段を、先頭アキト、その後ろをサイメイと昇っていく。
カツンカツンと心地よい音が静かな住宅街に響き渡る。
二階の奥の部屋から、「ほら帰ってきたよ!」とか「あまり焦らないでください」と威勢の良い声が響いてきた。

「モテモテだな」

「……」

からかう様なサイメイの口調に、アキトは終始無言だった。

「んじゃな」

「おう」

サイメイが自分の部屋のドアに鍵を差し込みながら言った。

「あー後でさ」

「何だよ」

サイメイはパンッと両手を併せて、

「夕飯の余り……くれ!」

「……」

いつも通りの懇願をした。
アキトはいつも通り嘆息して、了承した。




ドアの前に立つと、そのドアの奧で既に待ちかまえているのが解った。
三人。
またか、とアキトが苦笑した。






ドアを開ける。

「ただいま」

いつも通りの挨拶をした。








_______________________________________

どうもこんばんみ、胡車児です。

内容がありそうで実は無い、説教小説隙我、如何でしたでしょうか。
サイメイは説教癖がありますな。
えっと、もしサイメイ・リョウって誰だ?って人が居たら。
駄作「ファイルタイプ・テンカワ」をご一読下さい。

一応三部作なんですよね。
第一部「ファイルタイプ」→第二部「隙我」→第三部「???」
三部でこの一連の流れが全て完結する予定なんです。

だけどこの隙我がいつ終わるか、のメドが立たなくなってしまってもう大変。
やっぱりプロットは重要ですね。
自分は立ててません、プロット。心の赴くままに書いてます。天啓です。啓示です。

もう少し真面目に執筆にとりかかった方が良いですな。
うん、本当に。



では、又。




ポリエスチレン・テクニカルズ外伝『竜の胆』
http://polytech.loops.jp/ktop.html


 

 

代理人の感想

(プロットを)考えるな、感じるんだ。(爆)

 

・・・・まぁ私もプロットと言えるほどのものを立てて書いた事は無いですし(汗)。

感覚を通さずに頭で考えた話ってのは時々どこかおかしかったりしますからね〜。

ま、それもよしではないでしょうか。

 

 

>犯罪者

ナニを今更。(核爆)