時ナデ・if
<逆行の艦隊>

第16話 やっぱりいつもの『キス』・その1








悪夢(ゆめ)。



悪夢(ゆめ)を見ている。



毎回、見る悪夢(ゆめ)。



終わりのない闇の中で、来るはずのない終焉を望んで、いくつもの闇の中を漂いながら。

そして最後は同じ場所に帰ってくる。



銃声、悲鳴、砕かれる身体、引き裂かれる心。



流れる命、消えていく命。

赤く染まった世界。



誰かの呼び声。

少女の呼び声。

紅い世界の向こうで静かに、誰かが泣いていた。



どうすることもできずに、

ただ、見ていた。



だから、せめて

流れる涙を拭いたかった。



だけど手は動かなくて……



頬伝う涙は、紅い水の中に吸い込まれて……



泣くことしかできなくて……



悔しくて……



悲しくて……



「いま、行くから……」



「だから……」



言葉にならない、届かない声。



「だから……もう少しだけ」



それは誰の言葉だっただろう。

視界が別の色に染まっていく……。





○ ● ○ ● ○ ●





ゼンマイ仕掛けの人形のごとく跳ね起きた。

ぐっしょりと汗をかいていた。

張り付いた寝巻きが気持ち悪い。



宇宙戦艦にとって必須と言える空調設備は室内の気温を適温に保っていてくれるが、

それでも別種の寒気を感じて震えた。



夢の中での痛みが再現されたかのように胸の辺りをさする。

それが錯覚であり、しょせんは“他人の記憶”であることはわかっているのだが、

それでも悪夢というのは心地の良いものではない。



それに、彼の場合は悪夢を見るほうが多かった。

研究者の一人はこれが一種の精神感応であり、

悪夢が多いのは人間は生存本能から快楽より恐怖の方に敏感であるからだと説明した。

原因は異常な働きを見せるIFSに酷似したナノマシンではないかということだ。



しかし、解決手段に関しては夢を見ることもないほど深い眠りへ

薬によって強制的に誘うと言う手段しか提示してくれなかった。

しかも、現在はその手すら使いづらくなっている。



何しろ“記憶喪失”なのだから、正直に理由を述べて睡眠薬を処方してもらうわけにもいかない。

『夢見が悪くて眠れない』では最初の1回や2回ならともかく、そう何度も使えないだろう。

あまり多用するとよからぬことに使っているのかと疑われかねない。



……と言うのは、建前であって、本当は『イネスの睡眠薬』というあたりが怖い。

なんか、こう、飲んだら目覚めることのないほど深い眠りにつきそうで。



とにかく、そんな深刻な(大げさではなく命に関わる)理由から睡眠薬にも頼れない。

だが、他人の記憶をトレースしているだけとは言え、あまり気持ちのいいものではない。

この種の精神感応能力は役に立つことの方が稀で、大抵はノイローゼになって自殺か、発狂するからしい。



「……狂わないもんだな」



自嘲するように笑う。

今のところ彼が正気を保っていられるのは、悪夢以上に凄惨な戦場の現実を知るからだ。

諜報員として受けた対拷問訓練のおかげ(といっていいものか)もあるかもしれない。



それからふと思う。



……今のこれはいったい誰の体験だったのだろうか?



程度の差こそあれ、彼の見る“夢”は誰かの体験を追ったものだ。

それも俗にA級ジャンパーと呼称される人々のそれだ。

このナデシコに跳んだときに見ていたのは、木連のパイロットの“夢”。

彼のトレースできる体験とはリアルタイムのそれまで含まれる。

ヤマダ・ジロウの居場所がわかったのはそんな理由からだ。



そして今の状況から推測すると、この悪夢を体験した人間はナデシコの中に居る可能性が高い。

『夢見』と研究者から名付けられたこの能力は、いまいち曖昧なところが多いが、

精神感応できるのはある程度近くにいる相手か、知っている人間の場合が多い。

(ただし、極稀にまったく関係ない人の体験を夢に見ることもあった)



「考えてもしかたないか」



情報部の人間の性癖のようなものだ。

深く考えて答えが出るものばかりではない。

それがわかっていながら情報となると分析してみたくなる。



悪い癖だ。

あるいは、そうやって分析という客観性を保つことで

精神の平衡を図ろうとしているのか。



そこでまた考え込んでいる自分に気付いて苦笑する。

これは相当に重傷らしい。



寝巻きを着替える前に汗をシャワーで流そうかとも思ったが、

考え直してナデシコ内の大浴場まで赴くことにする。



のんびりと湯にでも浸かって休むことにしよう。

彼にとっては眠りですら安息ではないのだから。







手早く支度を済ませて部屋を出る。

相部屋であるために本来ならルームメイトに気を使うところだが、

ことヤマダ・ジロウに関してはそれは不要であるようにすら思ええた。



まあ、ゲキガンガーは嫌いではないし、

向こうもこちらを恩人だと思っているらしく対応は好意的だった。

知り合ってから24時間後には彼とヤマダ・ジロウは友人となっていた。

まったく素性が知れない相手に対してもナデシコはやたらフレンドリーだったが、

その中でもヤマダ・ジロウは同じ趣味の人間が見つかったのがよほど嬉しかったらしい。



今は爆睡しているヤマダを踏み潰さないように注意して部屋を出る。

時間的には深夜に近い時間帯だけあって、廊下の電灯も省エネモードだった。

だからと言うわけでもないが、彼は最初、その人影が誰かわからなかった。



「……えっと、確か……ライザさん?」



通り道だからと言うのもあったが、近付いて相手を確認する。

本当はクルーの名前などとっくに暗記していたから、これは演技だ。

“記憶喪失の青年”を装うのも中々どうして大変だ。



「まずいところを見られたかしら」



一瞬、緊張する。

彼女は名目上はネルガル広報部に雇われた雑誌の編集者だが、

その実体は地球連合の戦略情報軍仕官。

要するに軍お抱えのスパイ組織の一員。



ナデシコで何をしているかは知らないが、スパイが身分を偽っていればそれだけで要注意だ。

任務中は『場合によっては実力で障害を排除する権限』、平たく言うなら邪魔者は消すことを許されている。

言うまでもなく非合法に。



自分が銃を持っていないことに内心で舌打ちした。

オモイカネによるセキュリティー管理がネルガルが言うほどあてにならないことは知っている。

少し細工をしてやれば拳銃くらい簡単に持ち込める。



「一応、職務規定に反することだし」



筋肉を収縮させてとっさの動作に備えた。

が、彼女は予想とはまったく別のことを口にした。



「噂を気にするような歳でもないけど、黙っていてくれないかしら。

 その……私が深夜に男の部屋から出てきたことは」



「え? ええ、口は堅いほうです。

 恋愛は自由だと思いますし」



「ありがとう、カイト君」



そう言って艶然と微笑む。

そこで初めて彼は自分の誤解に気付いた。

よく見るとライザの髪は微かに湿っていて、服も少し乱れていた。

そしてここはナデシコの男性クルーの部屋が集まるブロック。



その扉一枚隔てた別世界で何が行われていたのか、想像するのは容易だった。

さらにそこから妄想を膨らませるのはもっと簡単だった。



畜生、うらやましい。



「それとも、あなたもこれから、かしら?」



「風呂に行くだけです」



悲しいことに。



「便利よね、24時間営業だと」



それだけ言ってライザは体を180度回頭。

最後にもう一度だけ、『本当に秘密にね』と言ってそのまま立ち去った。

その後姿をバカみたいに見送ってからカイトは我に返った。



畜生、やっぱり人生は不公平だ。

富はともかく、幸せの偏在はここに存在する。



ちらりと今しがたライザが出てきた部屋のネームプレートに視線を走らせると

そこに書かれていた名前を心のメモ帳へ5mmのマジックペンで記録しておく。

ついでに注釈には『女喰い』と赤ペンで記載。



カタオカ・テツヤか。

オーケー、刻んだ。



それからカイトは浴場までの5分間を情報分析にあてた。

題して『湯煙ナデシコ浴場密室事件・記憶喪失青年の事件簿』。

『そのとき密室で行われていたことは!?』『記憶喪失の名探偵に秘められた過去!』。

適当なテロップまでつけてみる。

そして情報分析の専門家にあるまじきことだが、その内容は極めて主観的であったという。



そしてまったくの余談ではあるが、カイトの心のメモ帳には先約があった。

同じく赤ペンで『女たらし』と書かれたその人物は、同時刻には艦橋にいた。

カイトが言うところの幸福の偏在を象徴するように。





○ ● ○ ● ○ ●





「ん、ん……」



甘い吐息が漏れる。

それすら逃がさないとばかりにアキトはさらに相手を抱き寄せる。



手の平から伝わる温もり。

柔らかな髪の手触り。

確かに感じる鼓動。



すべてを記憶するように。



「ユリカ……」



「アキト……」



濃厚な口付けをかわしながら、唇を離したあとは子供のように赤面してしまう。

恋愛と言うものに極めて鈍感なタチであるアキトと、

思考から未だに子供っぽいところが抜けないユリカであるから、

それも納得できてしまいそうな光景だった。



「そ、そのだな」



「うん」



アキトの腕に抱かれながらユリカは無邪気に頷いた。

いちおうは年上なのだが、それを感じさせない可憐さがある。

その仕草にますます赤面しながらアキトは一気に言葉を吐き出した。



「改めて言うぞ」



「うん」



「俺はお前が好きだ」



「うん、アキトは私を好き。

 そしてね、私もアキトが大好き!」



そう言うなり全体重をアキトにあずけるようにして抱きつく。

行動そのものは無邪気な少女のそれなのだが、ユリカはれっきとした成人女性。

しかもかなりグラマラス。



「ユ、ユリカ、ちょっとまて」



結果、アキトはその感触に大いに焦る。

こちらも一応、精神年齢だけならユリカを追い越しているはずなのだが、

やはり恋愛ごとに関しては奥手なアキト。



「やだー。 アキトに抱きつけるのなんて久しぶりだし」



「それは、確かに悪かった」



「いいよ。 怒ってるわけじゃないの。

 だけど、本当にアキトがいるんだって、

 こうして手の届くところに居てくれるんだって確認したくて。



 もう、どこにも行かないでね、アキト」



「……ユリカ」



こんなにもユリカを不安にさせてしまう自分が情けない。



かつての自分はユリカから逃げてばかりだったように思う。

ユリカを救出した後も帰らなかったのは、怖かったからだ。



血に汚れた自分は資格がないといって、その実、逃げていた。

それは裏返せばユリカに拒絶されることを恐れているが故だった。

ルリの言葉を借りれば確かに『かっこつけていた』のだろう。



自分の不甲斐なさを責める一方で、そんな彼女の不安を拭い去ってやりたかった。



なにを言えば安心させてやれるだろうか?

なにを言えば悲しみの記憶を消してやれるだろうか?

なにを言えばユリカを癒してやれるだろうか?



「…………」



「あ…………」



結局、アキトが選んだのはいかなる言葉でもなかった。

もう一度、ユリカの唇に自分の唇を重ねた。

今度は子供のような不器用なキス。



そっと唇を離すとアキトはユリカの瞳を直視した。



「なんかさ、俺もうまく言えないけど、今ここに俺とユリカが居られるってのは、

 運命だか何だかよりも俺たちの絆の方が強かったってことだろ?」



何しろ時間や次空だって越えても会えたんだからさ。

そういうニュアンスを込める。

ユリカも頷いた。



「だから、今度こそ絶対、一緒に居る」



「アキト……大好き」



控えめに、しかし、しっかりとした意思を持ってアキトに体を寄せる。

アキトもそれをしっかりと抱きとめ……



「0130時、航路確認。 全システム正常」



「了承」



静寂に替わって沈黙が落ちた。

おそるおそると言う感じに2人は艦長席から一段下がっているそこを覗き込んだ。



「若いですね〜。

 ふふっ、私たちのことはお構いなく」



「ええ、アキトさんもユリカさんも、私たちのことは置物だと思ってください」



認めたくないものだな、若さゆえの過ちと言うものは。



そのとき、アキトはそう言った赤い人の気持ちが良くわかった。

それはもう、実感していた。



「ルリちゃん!?」



「て、提督もいつからそこに?」



オペレーター席のルリが不機嫌なのはきっとアキトの錯覚や、

ましてや被害妄想のせいではあるまい。



「ユリカさん」



「は、はい!」



なぜかビシッと敬礼するユリカ。

静謐なルリの声には有無を言わさぬ何かが込められていた。



「『作戦領域になったらミナトさんの操艦じゃないと危ないから、

 悪いけどそれまではルリちゃんがお願い』って

 言ったのはユリカさんだったと記憶していますけど?」



「うっ」



「いえ、構いませんよ。

 確かにナデシコの修理中でもユリカさんは仕事が多くてほとんどアキトさんに会えませんでしたし、

 地球に降りてからも軍の人たちとの調整で休む暇もなかったはずですから。

 ええ、人気のないブリッジで、深夜に、安全が確保された航路ですし、

 ちょっとくらいアキトさんとくっつきたいっていう気持ちはわかりますよ」



「ルリちゃん、ひょっとして………怒ってる?」



「いいえ、まったく、これっぽっちの、欠片の、微塵ほども」



嘘だ。

絶対嘘だ。



金色の瞳に宿る光が思いっきり言葉を裏切っていた。



『目は口ほどにものを言う』って諺は嘘だよ。

だって、言葉では伝えられない何かまでヒシヒシ伝わってくるもん。

絶対それ以上だもん。



お互いにアイコンタクトで会話してみる。

夫婦ならではだった。



「アキトさん」



「は、はいぃ」



戦神も形無しだった。



「お腹が空きました」



笑顔だった。

ただし、裏に夜叉の面が見える。



「夜食作るよ、なにがいい?」



即答する。

北斗にも劣らぬ素晴らしい反射神経だった。

と言うか、これなら勝てる気すらする。



……役に立ちそうもないが。



「私、チキンライスがいいです」



「わかりました」



なぜか敬語だった。



「私にもサンドウィッチをお願いしますね」



「あ、それじゃあ私は特製ラーメンで」



「ええっと、ルリちゃんがチキンライスで、提督はサンドウィッチ。

 ユリカがテンカワ特製ラーメンだな」



確認するとアキトは素晴らしい加速でブリッジを飛び出した。

厨房は閉まっているだろうが、部屋に行けば趣味で揃えた器具がある。



「あの、提督」



「はい?」



「プロスさんには内緒にしてくださいね。

 お給料に響くんです」



「ふふっ、了承」



あっさりと、ある意味いつもどおりに了承する。



「えっと、ルリちゃん」



「私、少女ですから」



「……うう、ルリちゃんが怖い」



艦長席でいじけているユリカを見ながらルリは久しぶりに呟いた。



「バカばっか」



同時にことの発端を思い出す。

それは……







ようやく修理と改修を終えたナデシコのブリッジには主要クルーが集まってた。

新たに提督として着任したミナセ・アキコ少将が軽い口調で告げる。



「それでは、皆さんにちょっと戦争をしてもらいます」



ほんとうにいつも通り、おっとりとしたそのままの口調で、

まるで夕食にでも誘うかのような気軽さだった。



「私たちに軍人になれっていうの?」



反発したのはミナトだった。

当たり前だろう。

ナデシコのクルーはただの民間人。

戦争をやれといわれても戸惑いの方が先に立つ。



未だに徴兵制を拒んでいる日本では短期の予備役制度すらない。

平時ならそれもいいだろうが、戦時となってはそれは軍における致命的な人手不足と言う現実となっていた。

同時に、戦争を未だに対岸の火事のように感じている節もある。

町の近くに陣地を構築するのにすら面倒な手続きが必要だし、無視すれば横暴だと住民が騒ぎ立てる。

軍人としては、たまったものではない。



そして、その意識は少なからずナデシコクルーにもあった。

戦艦に乗りながら、彼らは未だに戦争をしているという実感がない。

彼らの大半はちょっと職場が変わっているだけのサラリーマンだった。



内心で先のことを考えて暗澹たる気分になりながら、

それでもアキコは辛抱強く説得にあたった。



「正確には『軍属』になります。

 軍へ入隊するわけではなく、軍へ出向している民間人と言うことです」



これは本当だった。

だからクルーには相当な手当てが支払われる。

もちろん軍人には危険はつきものだから、そんなものはない。



「いやー、本当は君みたいな美しい女性に、戦場は似合わないんだけどね」



「誰、あなた?」



「俺はアカツキ・ナガレ。 コスモスから来た男さ」



あからさまに不審気なミナトを口説こうとするが、あっさり跳ね除けられた。



……若いですね。 彼女、外見よりもずっと古風な考え方をする人ですよ。



そう思いながらアカツキを見ると、彼はこちらにもウインクしてきた。

丁重に、無視。



「ミナセ少将。 仰りたいことはわかりました。

 ですが、ナデシコには統合作戦司令部より理不尽な命令に対しては拒否権が与えられています」



「ええ」



まったく贅沢なことに。



戦時の軍人に命令の拒否権はない。

拒否すれば良くて査問会か、最悪は軍法会議だ。

逆を言うなら、戦時の軍隊と言うところはそれだけ理不尽な命令を連発すると言うことでもある。

いちいち拒否権を与えていたのでは戦争などできたものではない。



「ですから、私、ミスマル・ユリカはナデシコ艦長の責任として、

 理不尽だと判断した命令に関しては拒否させて頂きます」



やはり、軍人向きではない。



アキコは苦笑しながら確認した。

ユリカの父親であるコウイチロウには悪いが、

ユリカはあのまま士官学校を卒業しても優秀な軍人にはなれなかっただろう。

能力に関してまったく不足はないが、軍と言う理不尽の塊のような組織に合う人間ではない。



まったく持ってナデシコというある種の特異な環境でこそ彼女の能力は活かしきれるのだ。

自分を監査役に選んだ人事部やクロフォード中将には悪いが、このナデシコを軍に組み込むつもりはない。

提督の権限として、あくまでナデシコはナデシコとして運用させてもらう。

それこそが双方にとってベストだろう。



だが、その考えを語ることはなく、アキコもこう答えるに留めた。



「了承」



「ほぇ?」



「ですから、了承。

 拒否権は艦長の権限において、必要と感じた時に行使してください」



「えっと、自分で言っといてなんですけど、いいんですか?」



ユリカは拒否権が形式だけのものであると知っていたが、

それでも事前に宣言することでナデシコの姿勢を明確にしておくつもりだった。

いざとなれば軍は強権を発動するだろうが、その時はその時だ。



しかし、ナデシコで唯一の軍人である提督にあっさりと了承されて、

ユリカは肩透かしを食らったような気分だった。



「困るのは私ではありませんから」



「はあ……」



つまり、命令を拒否すれば困るのはナデシコという意味なのか、

それとも海軍軍令部であって宇宙軍の自分ではないという意味なのか、

どちらを示唆しているのかはその表情からはうかがい知れない。



前回のムネタケよりはまともな軍人のようだったが、

だからと言って組みやすい相手でもなさそうだ。



「それに、今回は戦闘任務ではありませんし」



「やっぱり白熊さんでも助けに行くんですか?」



半ば皮肉混じりにルリが言うが、アキコは子供の冗談と受け取ったようだった。

軽くルリに微笑んでから続ける。



「動物園を開くならそれもありかもしれませんが、違います。

 でも、場所は似たようなものですから、運がよければ会えますよ」



ミーティングルームを兼ねるブリッジの床にはスクリーンが埋設されている。

そこに表示された地名にブリッジクルーの大半は首を傾げた。



「ナデシコの今回の任務は北極海域ウチャツラワトツスク島に墜落した輸送機の“積荷”を回収すること。

 同時に生存者がいた場合はそちらの救助も行います」



「敵情は?」



「付近にチューリップが1基。 無人兵器多数が陣取っています。

 大型艦艇の存在は確認されませんが、安心はできません」



「チューリップは一種のワームホールであることは火星でも思い知ったし、

 ナデシコ自身が体験したわよね」



イネスの言葉に黙って話を聞いていたエリナがピクリと反応する。

が、それだけで何も言わない。



「敵の目をかいくぐっての救出作戦となります。

 基本は隠密行動ですが、場合によっては強襲に近くなります」



「質問がある」



手を挙げたのはアキトだった。

口調が厳しいのは、相手が軍人であるからだろう。



「どうぞ、テンカワさん」



「もし、生存者の救出と積荷の回収、どちらか一方を優先させなければならない場合は?」



アキトとしては一番懸念する問題だった。

軍人は目的のために人命を浪費することをいとわないと人種だと考えるアキトは、

もし積荷優先などとこの提督が言うなら、早々に見切りをつけようと考えていた。



「もちろん、人命を優先してください。

 ただし、これはパイロットの命も含めます。

 危険だと判断した場合は帰還してください」



言外に例え見捨てることになっても、と言うニュアンスが込められているのを感じて、

アキトは微かに不快気な表情を見せた。



「積荷はいいのか?」



「AGIの方からは回収して欲しいと言ってきましたが、人命優先です。

 回収不能と判断したら破壊してください」



「了解した。 あなたがまともな軍人でよかったよ、提督」



「あら、ありがとうございます。

 それでは、皆さんの働きに期待させていただきます」







つまり、そう言うことだった。

任務の内容は変わってもやることは大して変わらない。

故にユリカの作戦も前回をほとんど踏襲したものだった。



敵のレーダーをかいくぐるために低空飛行で島影を縫うように移動する。

そしてある程度接近したらエステバリスを出して輸送機の調査を行う。

生存者がいた場合はこれを最優先で保護。

積荷はできれば回収し、無理な場合はナデシコのミサイルなりで破壊する。

そしてナデシコは任務を完了したら全力で海域から離脱する。



大雑把に言ってしまえばそれだけだ。

まあ、言うは易く行なうは難しというから、確かに楽な任務ではない。

が、困難ではあっても不可能な任務ではないとルリは考えていた。



ミナトの神業的操艦技術を持ってすれば、レーダー網をかいくぐることくらいできるだろう。

熱源探知に引っかかる心配もないし、画像識別で発見される可能性も低い。

それらは2日前から吹き荒れるブリザートによってほとんど無力化されていた。



ナデシコに増設された対空レーザーですらこの天候では使用不能だろう。

ミサイルですらビジュアルホーミングや赤外線追尾方式ではまともに追尾できるか怪しい。



ちなみにECMの類は使えない。

あれはレーダーを妨害できるが、隠密行動中に使えば、位置はばれなくてもこちらの存在を暴露する。

心配なのはDFを察知する空間センサーや、相転移エンジンの反応を見るエネルギーセンサーだが、

それらはDFや相転移エンジンの出力を落すことで探知を難しくできる。



「でも、提督。 これってナデシコにやらせる任務ですか?」



隅でのの字を書き始めたユリカは無視してルリはアキコに疑問をぶつけた。



「ルリちゃん、人命救助は立派なお仕事よ」



子供に諭すような口調だったが、ルリは誤魔化されなかった。



「能率が悪すぎます。 ナデシコは戦艦ですよ。

 人命を救うなら、思い切って前線に投入するべきです。  そうすれば少なくとも軍人さんたちは助かります」



「ふふっ、まるで軍人さんみたいなものいいね。

 それに発想も」



これでも一応、艦長で少佐でした。

そう言いたいのを堪える。



「確かにそのとおり。

 でも、見落としている点があるわ」



「クルーの士気ですか?」



「半分は正解。

 でも、相手の側に立ってみないとわからないこともあるのよ?」



「もしかして、ナデシコに対する信頼度ですか?」



いつの間にか復活したユリカが答える。

その答えにアキコは頷く。

出来のいい生徒を得た教師のようだった。



「ナデシコは火星へ行って戻ってきただけですから、

 軍としては平たく言うなら『どの程度使えるのか?』と言う疑問があるんですよ」



「簡単に言ってくれますね」



その行って帰ってくるだけのことがどれほど大変だったことか。

クルー14名とフクベ提督を犠牲にしてようやっと戻ってこれたのに。



「気に障ったなら、ごめんなさい。

 ただ、軍がそう考えているということは理解して欲しいの」



「今回の任務は試金石ですか?」



「確かにそれもあります。

 だけど、同時に今の連合軍には余裕はないんです。

 正規の部隊を救出任務に当てるような余裕は」



アキコの言うことは事実だった。

第四次月攻略戦は連合軍にとっても紙一重の勝利だった。

ようやく配備が始まった最新鋭艦艇を根こそぎかき集めて投入したのだ。

これで負けるようなことがあれば、反撃はさらに1年遅くなっただろうと評する専門家もいた。



何しろ、第四次月攻略戦では連合軍側は旧式艦艇はほとんど参加させなかった。

旧式戦艦のビームでは駆逐艦すら撃破できず、逆に一方的に叩かれるだけだというのがわかりきっていたからだ。

例外的に、旧式のミサイル艦はDFに対しても有効だとして参加していたが、

残りは軒並みここ1年以内に建造された若い艦ばかりだった。



まさに乾坤一擲の大博打もいいところだったが、連合はそれでも勝った。

虎の子のドレッドノート級を1隻喪失する悲劇に見舞われながらも、何とか勝った。

問題はむしろその後だった。



第四次月攻略に参加した艦艇は、その後、逐次ドック入りを余儀なくされた。

小破程度の艦でも例外なくそうなった。



なぜ?



それは新型の艦艇が揃って相転移エンジン・ディストーションフィールド・グラビティブラストを装備していたからだ。

これらはまったく新しい未知の技術で、しかも、1年以内に建造された若い艦ばかりである。

クルーも当然ながらようやっと艦になれたばかりの新米ばかりで、

結果として戦闘後に機関トラブルなどで行動不能になる艦が続出。

この一戦だけでも戦えれば良しと考えていた艦政本部もさすがに青くなったという。



ろくな試験期間も設けずに新しい技術をほいほい盛り込めば不都合が出て当たり前だが、

その新技術がないとまったく対抗できないのだから仕方ない。



ネルガルの新鋭戦艦ゆうがお級も、AGI自慢の巨大機動母艦ダイアンサス級も例外なくどこかに不具合を生じていた。

唯一、その例外にいることが出来たのは、もともと試験艦的な意味合いが強く、

ある程度の問題点は克服されていたコスモスだけだった。

(それにしたって攻撃隊のアスフォデルが着艦事故を起こしてカタパルトの一基が使用不能になったり、

 4基ある相転移エンジンの内、一基がトラブルを起こしていた)



地上軍がコスモスの派遣を要請しても、それは第1機動艦隊のクロフォード中将は断り続けた。

ドレッドノート級が2隻揃っていれば良かったが、2番艦のダンテ・アリギエリは撃沈され、

1番艦のドレッドノートも修理のためにドック入りしている。



第2艦隊の戦艦群もあてにならない現状で、

コスモスまで外せば再度の侵攻を受けた場合に月を守りきれないと言う判断からだった。

アスフォデルで戦艦を撃沈できるのだから機動母艦部隊で十分ではないかと言う声もあったが、

彼はそこまで楽観できなかった。



機動兵器で戦艦を沈められるのは『機動兵器が戦艦の防御に勝る攻撃力を持って叩く』のが前提だ。

フィールドを破れるASM‐096<パイソン>は在庫切れの状態。

加えて、攻撃が成功したのは敵の防空力がこちらに比べて著しく劣っていたからだ。

同じことを第1機動艦隊に仕掛けた場合、攻撃隊の3割が撃墜。

全体では5割がなんらかの損傷を負うと判定された。



そんなに急に敵艦隊の防空力が上がるとも思えないが、油断はできない。

それに、もともと機動母艦は攻撃にはめっぽう強いが、逆に防御戦闘には向かない。

搭載する艦載機のための燃料や弾薬を抱えた状態の機動母艦は巨大な可燃物に過ぎない。

損害覚悟で駆逐艦あたりに駿足を生かして突っ込まれたら、

あるいは艦載機が出払っている状態で戦艦と出くわしたら目も当てられない。



結果、買ったには勝ったが、今度は月を防衛するための戦力すら確保できない状態に軍は陥っていた。

第四次月攻略戦のために相転移エンジン装備の艦艇は所属を問わずかき集められていたから、

地球を防衛する第3艦隊はもっと深刻だったといえる。

彼らに残されたのは数ばかりで実質的には戦力にならない旧式艦艇ばかりだったのだから。



「ナデシコが救出作戦にあてられたのは、ある意味で理にかなっています。

 現在、地球圏で最強の戦力であるナデシコなら敵中に単独で送り込んでも大抵のことは何とかなりますから」



「それって褒めてるんですか?」



「もちろんです」



ていよく使われているだけのような気がする。

裏返せば、何かあるかもしれないけどナデシコならまあいいやという意味では?



「やったね、ルリちゃん。

 褒められたよ!」



「………ユリカさん」



相変わらずマイペースなユリカに嘆息。

それでも何とかなってしまうのだから、単に自分が苦労性なだけなのか。



「お待たせ!」



そこにタイムミング良く(あるいは悪く)アキトが戻ってくる。

手にした岡持ちのなかにはラーメンとチキンライスとサンドウィッチが入っていることだろう。

考えてみれば妙な組み合わせだが。



「わー、アキトのラーメンって久しぶり」



「こらユリカ、ちょっと落ち着けって」



「えへ、ちょっと待ちきれなくって」



そんなやり取りをする2人にまたちょっと嫉妬心が湧き上がる。



まあ、(元)夫婦なんだから仲がいいのは結構ですけど。



そんなルリを楽しそうに見ながらアキコは呟いた。



「今夜は荒れそうですね」



きっと天気のことだ。

明日もきっとブリザードなんだろう。

冷えそうだ。

こことは違って。



そう決め付けるとルリはアキトがつくってくれたチキンライスを頬張った。

今はこれで妥協することにする。





○ ● ○ ● ○ ●





外は一面の白。

視界にいたっては2mあるかないかだ。

こんな天候で人間が生存できるかは大いに疑問だった。

ミナセ少将は人命救助だと言ったが、それをどこまで信じているのか怪しい。



つまりは建前だろう。

テツヤはそう判断した。

ナデシコにはまだ甘い連中が揃っている。

どんな楽観主義者ならこの吹雪の中で墜落した輸送機のパイロットが生きていると思えるのか。



「それで、俺になにをしろと?」



ディスプレイの向こうの相手に問う。

いわゆる『夜のお楽しみ』の最中に連絡を受けたせいで少し機嫌が悪い。



あと少しでライザに秘蔵のメイド服を着せられたのに。

しかもオプションで猫耳あり。

素晴らしい。



<だーから、回収だよ>



「その輸送機は高度400mで墜落したんだろうが?」



<意外と頑丈だから大丈夫だよ>



ここにも楽観主義者が一人。

彼にはどう考えても回収の対象が無事とは思えなかったが、仕事ならしかたない。



<まあ、ミナセ少将にも頼んだから大丈夫だと思うけど、

 グラビティブラストで遠距離から破壊なんてされたらたまらないし>



それが一番楽なのだが、それは口にしなかった。

わざわざ好き好んで機嫌を悪くさせることもあるまい。



「輸送機は2機あったはずだ。

 どちらに積んでいたんだ?」



<1番機の方だけど、墜落地点はほぼ同じ。

 例えどんな状態でも必ず回収すること。

 わかった?>



「了解した。 それで、回収物の特徴は?」



それらを一通り頭に叩き込む。

もしかしたら回収するのは破片かもしれないので念入りに。



<まあ、アキトも居るし、大丈夫だとは思うけど>



「どうかな。 あれで出し抜こうと思えばできる」



<それは経験からくる自信?>



「…………」



テツヤは答えなかった。



<それじゃあ、本当に頼んだよ>



「了解した、会長」



感情を込めない声で返事をして通信を切る。

AGI会長のガーネットから直接話があるから何かと思えば……



「まったく、面倒なことになったな」



その一言が彼の心情の全てを集約していた。





<続く>






あとがき:

本筋には大して関係ない話にする予定だったんですが、
それなりに伏線とかが入りそうな予感。

そろそろDFSも出さないといけないし。
うーん、どうしよう。

とりあえずラブラブなアキトとユリカが書けたので満足です。
テツヤが何をしていたのかは想像にお任せします。
詳しく描写すると裏行きになりそうだし。

それでは次回また。

 

 

代理人の感想

・・・・・つーか、ねぇ。

 

 

 

 

 

堕ちたな、テツヤ(爆)。