時ナデ・if
<逆行の艦隊>

第18話その4 遠すぎた艦




そこは“地の果て”だった。

あらゆる雑音から切り離された場所。

真空でもなく深海でもないが、そこは深い海だった。

詩的な俗称を使うなら“電子の海”と呼ばれる。



「本棚じゃないんだね」



浮遊感に慣れ始めたころにポツリとアキトは洩らした。

前回のようにデフォルメされたエステではなく、しかし彼本来の姿でもない。。

そのまま等身大のエステバリスを模した姿が今のアキトだった。



視力を喪失していたときにエステとのデータリンクで直接カメラの映像を脳へIFSから入力するという案があったが、

あれが実用化されていたらこんな気分なんだろうか。

擬似的なものとは言え、自分がサイボーグにでもなったような気分だ。

ただ、感覚的はいつもの操縦と大差ないように思える。



「今回はそこまでしている余裕がありませんでした。

 海のように見えているのは情報の流れを簡潔にビジュアル化した結果です」



眼下の光景は圧倒的だった。

薄暗い海面は底があることすら伺わせず、視線をスッと横に流してもあるのはわずかに境界線のみ。

あるいはその境界こそアキトの見るべきものかもしれない。



「状況を再度確認します。

 わたしたちの目的はオモイカネと連携してナデシコのコントロールを取り戻すことです」



「手段は?」



「わたしが直接オモイカネとコンタクトして相手にクラッキングをし返します。

 敵は……わたしと同じマシンチャイルドですが、オモイカネとわたしならそれが可能だと思います」



後半部分は微かに自嘲するような響が混じった。

それだけの能力を持ちながらルリはミスを犯した。

クラッキングに対する備えを怠った。

オペレーターとしてあるまじき初歩的なミス。



ただ、それは無理なからぬことでもある。

ルリは月から地球へ、ナデシコが戦場を移したときはオモイカネのストレス発散にひたすら心を砕いていたからだ。

なだめすかし、説き伏せ、ときには説教まがいのことまでしてオモイカネに『大人の事情』を教え込んでいた。



幸いと言うべきか、月における戦闘で連合軍がナデシコを支援してくれた一面もあった(好意からではなく、純粋に戦術的判断からではあるが)ので、

北極海での作戦が終わる頃にはオモイカネになんとか『連合軍全体は敵ではない』という認識を植えつけることができた。

主にそのときに使われた教材はラピス経由でもたらされたアニメーションやマンガの類であることはアキトには秘密だ。

ちなみにルリも最初はオモイカネに付き合ってみていたのだが、いつの間にか続きを楽しみにしていたことも。



「行くよルリちゃん」



「……覚悟完了、です」



いつものように淡々と答えると、ルリを肩に乗せたままアキトは海面へ降下した。

ルリもまた、混沌とした情報の海を睨みつけながら呟く。



「大丈夫です。 一人じゃありませんから」





○ ● ○ ● ○ ●





彼は孤独だった。

それは指揮官の宿命とでも言うべきものだ。

階級や名目上こそ最高位にあるのは連合海軍のオザワ中将だが、作戦そのものを仕切っているのは彼だった。

第1機動艦隊の参謀長の役にあっては作戦立案の最高責任者であったわけだが、指揮官として決断の義務まで負っていたわけではない。

楽な仕事と思ったことはないが、今ほど重責を感じたことはない。



「天城のゴルコフ准将からは?」



「何も。 データリンクで状況は確認できますが?」



ササキ大佐は少し考えてから頷いた。



「前線は酷いことになっているな」



端的にして的確な表現と言えた。

連合陸軍の構築した陣地は圧倒的な人海戦術(人ではないが)によって蹂躙されつつあった。

交換比率(キルレシオ)こそ20対1……つまり、こちらが1機やられるときには敵を20両破壊していることになるが、

如何せん敵の数が多すぎる。

ゴルコフ准将は陣地の前縁は放棄し、後退戦術によって火力の縦深内に敵を誘い込む方法を採っていた。

山間に構築された陣地は前縁が広く、後方は狭くなった三角形をしており、後退することで逆に火力密度は増している。

敵は文字通りの十字砲火に晒されると言うわけだ。



問題はこれからの展開だ。

確かにこのままでも陸は持つだろう。

しかし、それだけだ。

守ってばかりでは勝てない。

攻撃側に常にイニシアティブを握られていることに変わりはないのだから。



それに、



「あと2時間30分」



敵にはナナフシがある。

時計を確認して改めて憂鬱になった。

それまでにナナフシを破壊できなければ陸軍も宇宙軍の生き残りも、ナデシコも、

もろともにマイクロブラックホールの蒸発に巻き込まれて消滅する。

頼みの綱はナデシコの艦載機と陸軍の部隊のみ。



「これでは何のための空母かわからんな」



何も海軍は見た目の華やかさを演出するために2隻の大型空母を作戦に参加させているわけではない。

だが、今はその胎内に宿したイカルスの後継者たちは沈黙を保っている。

理由は色々あるが、航空行政における混乱がその一つだ。

もっと早く対策を行えていれば、この作戦にも間に合ったかも知れないというのに。

官僚特有の実行に移るまでの遅さがこの事態を招いている。

平時における組織維持ならともかく、戦時は何もかもが迅速さを要求されると言うのに!



「例の装備は?

 AGIの連中はなんと言っている?」



「あと1時間ほど欲しいと」



「ダメだ。 それでは間に合わない。

 30分以内に何とかしろと伝えてくれ」



艦艇の巡航ミサイルは撃ちつくしているし、対艦ミサイルでは射程が足りない。

この飛鳥と鳳翔に備えられた“長槍”なくして逆襲の成功はありえないとササキ大佐は確信していた。

その重大な局面を民間人に委ねなければならないというのがさらに彼を憂鬱にさせる。



あとは時間との勝負だ。





○ ● ○ ● ○ ●





対する木連側も全てが順調、というわけにはいかなかった。

陣地へ殺到した彼らを出迎えたのは圧倒的な阻止砲撃の十字砲火だった。

陸戦に関する経験などほとんどない木連の兵たちは完全に恐慌状態に陥っていた。

地球製の砲弾が炸裂するたびに大量の土砂が吹き上がり、ときにその中に鋼鉄と人の残骸も混じる。



「進め! 止まれば狙い撃ちにされるぞ!」



一式戦<尖隼>は3機が固まって泥濘を疾駆し、塹壕を乗り越えていく。

いわゆる突撃用の『凸』形陣をとっているのだが、右翼と左翼の2機は盾を頭上に掲げていた。

むしろ正面からの阻止射撃は後退しつつの攻撃であるために散発的だ。

今、もっとも恐ろしいのは頭上から超音速で雨霰と降り注ぐ155mm砲弾だった。



このときに木連側が受けた砲撃は凄まじい云々などの表現で追いつくものではなかった。

砲弾の大半は遅延信管と誘導装置を備えた徹甲榴弾だった。

運悪く直撃を受けた尖隼が掲げていた盾ごと腕を吹き飛ばされて地面に転がった。

さらに倒れこんだ僚機を救おうと立ち止まった1機も背中に破片と爆圧を受けて倒れ伏す。

そこを見逃さずさらに降り注いだ155mm徹甲榴弾が2機を直撃し、もろともに黄泉路へ誘う。



警告はまさしく真実だった。

動き続けない限り誘導砲弾は恐るべき鉄槌となって彼らに降り注ぐことになる。

弾着間隔は異様なほど短かった。

今ここに存在する音は、爆発音だけだ。

振動と轟音がひたすらに反復される。



「間一髪だ! まだ、我々は生きているぞ、畜生の地球人が!

 進め! 木連軍人の意地を見せろ!!」



それでもこのときの富永少佐は怒鳴れるだけの気力があった。

しかし、本当はこう言いたかった。



『なぜだ!? いったいどこから見ているッ!』



既に外界は夕闇から真の闇へとなっていた。

敵の無人偵察機は真っ先に叩き落してある。

陣地の中に前進観測班を置くということも考えられるが、この混乱の中でまともな弾着観測ができるか疑問だった。

それらしきレーダー波の観測も行われていない。

観測班が見つかればそこに真っ先にロケット弾を叩き込む算段もついていた。



それなのに、この砲撃はなんだ!



本当はそう叫びたかった。

狼狽と困惑を口にし、誰かに答えて欲しかった。

しかし、それはできない。

彼は指揮官なのだから。



そう、木連優人部隊指揮官として相応しい言葉を口にせねばならない。

実戦とは程遠い技術部で花形の機動兵器設計を手がけていたはずなのに!

それでも部下のため、自分と同じく左遷で実戦へ駆り出された部下のために、彼は勇敢とならねばならなかった。



ならばそれに相応しい台詞を口にしろ!

そう、例えばこうだ。



「たとえ灰になっても敵艦を目指せ! 撫子は目前だ!

 前進、前進、前進だ!」



果たして効果はあった。

亀のように盾を掲げたまま塹壕にこもっていた尖隼が次々と飛び出していく。

『前進!』の掛け声が各所で上がり、エンジンが唸りを上げる。



彼らはナナフシの次弾が放たれれば諸共に吹き飛ばされかねないほど敵艦に接近している。

だが、それがどうしたと言うのか。

元よりこの地に配置された時点で生還など臨むべくもない。

彼らは皆、戦果を上げるために捧げられた生贄の羊だ。

連合の戦力を吸収するための、牙を持った羊の群れ。



彼らは知っている。

ただ、勇敢に死ぬ術を。

王者のために勇者のごとく倒れることを、彼らは知っていた。





○ ● ○ ● ○ ●





HMDのモニターを見ていた琥珀は異変にすぐに気付いた。

どうやらナデシコ側から自艦の制御を取り戻すべく侵入した者が居るらしい。



「一人……いえ、二人ですか」



オモイカネと呼ばれる中枢コンピュータに直接アクセスを試みるようだ。

OSを制圧したことでオモイカネはオペレーターとの接触を絶たれている。

それを回復できれば挽回できると言う考えなのだろう。

そしてそれは正しい。

陽炎の中枢コンピュータの演算能力の全てを投入してもオペレーターを得たオモイカネには勝てない。

琥珀と翡翠の2人がかりでも無駄だろう。

そこまでルリとオモイカネの組み合わせの実力は隔絶している。

言ってみれば今の状況は出会い頭の不意討ちで怯んだところへ手足を縛られたようなものだ。

無力化が精一杯で、とても破壊などできたものではない。



「となれば、ここは接触を極力妨害すべきですね」



琥珀は自分の能力になんら過信は抱いていなかった。

ただあるものを有効利用しているという認識に過ぎない。

マシンチャイルドであることは特殊ではあっても特別だとは思っていなかった。



「翡翠ちゃん。 無人部隊と艦の制御は任せますよ」



妹から了解の意を示す信号が送られてくるのを確認して琥珀は意識をIFSに集中させた。

視界が狭くなり、自分の鼓動が響く。

幽体離脱にも近いような浮遊感が襲った。



「潜行」



一言だけ呟いて彼女もまた電子の海へと意識を埋没させていった。









目の前には鍵が掛けられた扉がそびえ立っている。

某空にそびえる鋼鉄の城も真っ青な巨大さだ。

ルリが言うにはこれがオモイカネの深層意識へと繋がる扉らしい。

そしてアキトにはまったく意味不明の言語で書かれたウインドウがいくつも彼の周囲を回っていた。

否、それはアキトではなく肩に乗ったルリを中心としているのだった。

と、それらを無言で操作していたルリが不意に顔を上げた。



「アキトさん、敵です」



ただ一言。

短く、明快で、ゆえに誤解の仕様がない言葉。

とっさに振り返ったアキトの視界に飛び込んできたのは青白く発光する刃。

とっさにDFSでそれを受ける。



「受けた? DFSを?」



赤色の光を発するDFSと青白い燐光を放つイミディエットブレードは双方の刃を受け止める形で停止していた。

相対するのはテニシアンでも見た赤い機動兵器……二式局戦<飛電>だった。



「アキトさん、これは現実ではありません。

 DFSに見えるのはわたしの作った攻勢プログラムです。

 相手に接触させれば感染して破壊することができますけど、実際のような破壊力はありません」



「じゃあ、この敵機は?」



「侵入に気付かれました。

 敵の放ったワームプログラムです。

 わかりやすいように視覚化してますが、相手も同種のプログラムなんです」



センサーアイの不気味な光まで再現されているが、つまりこれはゲームのようなものと言うことらしい。

ただ、ゲームと違うのはここで負ったダメージはIFS経由で生身の体にも影響を及ぼすだろうと言うことだ。

致命傷を負った場合、そのダメージは脳を焼きかねない。



「このッ!」



わずかに剣を引き、相手が前のめりになった瞬間に刃を下げて力を流す。

それについて来れずにたたらを踏んだ隙を逃さずに胴を薙ぎ払う。

DFSの刃に敵機は両断され、爆発炎上 ――― はしなかった。

砂でできた人形が崩れ落ちるようにサラサラと切断面から崩れ落ちていった。



「なんか、あっけないね」



「イメージですから。 次、来ますよ」



確かにルリの言うとおりだった。

休むまもなく次の敵が襲い掛かってくる。

それは見慣れたバッタやジョロだったり、あるいは例の人型兵器だったり様々だ。

ただ、数が尋常ではない。

優に100は越えているだろう。



「この扉を開けるのにわたしは全力で対処しなければなりません。

 その間はほんとうに無防備になりますから」



「わかった。 ルリちゃんに敵は近づけないよ」



一礼してルリは再び作業に戻る。

目を閉じ、いくつもの光の文字がその周囲を回っている。

それは未来で呼ばれていた電子の妖精の名に相応しい幻想的な美しさを醸している。

その姿を背にしてアキトはDFSを構える。

妖精を守る騎士のように。









……これは予想外だったかもしれませんね。



修羅のごとき奮戦を続ける漆黒のエステバリスを見ながら琥珀は思索を続けた。

今のところは適当に作ったワームで対処しているが、これでは数に頼っても無理そうだ。

OSを破壊しないように機能は限定的ではあるが、ゆえに対ワーム・ウイルス用に特化された攻勢プログラムはいとも簡単に彼女の作ったワームを駆逐している。

電子世界に不慣れな人間に対処するための仮想世界も相手に利している。

あのパイロット(なのだろう、たぶん。 でなければわざわざ人型兵器を模す必要もない)は現実世界でも相当の実力を持つはずだ。

火星における戦闘で北斗用に改修された零式52型と互角以上に渡り合ったのもたぶんこのパイロットだ。



誰が考えたのか知らないが、無茶苦茶な配役だ。

外では戦車隊と尖隼の部隊が殺到していると言うのに、わざわざそこから外してまでたかがプログラム担当に使うなんて。

あのマシンチャイルド一人なら何とかなるのだが……



「そう、ですね」



ならば、先に騎士の方にご退場願おう。

そう決めると膨大な情報の中から選別を始める。





○ ● ○ ● ○ ●





他の戦場と比較するなら、ここは静かなものだった。

モーターの低い駆動音と地面を踏み締めるわずかな音を除けば、兵器特有のやかましいエンジン音すらない。

付近一帯は夜の帳に覆われ、その姿は肉眼ではほとんど確認できないはずだった。

また、可視光のみでなく、ジェネレータなどの熱源から発せられる赤外線も最小限に抑える努力が試みられている。

旧式の赤外線センサーしか持ち合わせないレーヴェでは100mの至近まで接近しなければ感づかれることはあるまい。

エンジンを持たないゆえに余計な騒音もなく、電気駆動のモーターは極めて静粛性に優れる。



ネルガルの技術の結晶とも言うべきエステバリスは強化合成樹脂と軽量セラミックで構成された四肢を使い、

まるで人間の兵士が行うような行軍を行っていた。

その数は6機。

ナデシコを発ったアカツキらである。

3機の陸戦フレームが距離をとりながら先行し、さらにその後方に重装の1-B型と重機動フレームが続く。

もちろん、万が一を考えて誘爆に巻き込まれない程度の距離は保っていた。

と、不意に先頭を行っていた赤いエステが片手を挙げて合図する。



「またかい?」



いささかうんざりしたようにアカツキは言った。

それに対する相手の返答もまた、溜息とともに帰ってくる。



「まただ」



リョーコの答えは端的で、ゆえに誤解のしようもないものだった。

両脇の2機が周囲を警戒する中、慎重にナイフで地面を掘り起こす。

掘り出されたのは直径1mほどの円盤。

言うまでもない。

旧式の対戦車地雷だ。



エステにも吸着地雷が装備されているが、これはそれよりもずっと旧式だった。

昔ながらの感圧式で、信管の上に一定以上の重量負荷がかかると爆発するという代物だ。

条約によって対人地雷は全面禁止されているため、連合軍の制式装備からは外されているが、このような対機甲兵器用の地雷までは禁じられていない。

戦争に人道的も何もあったものではないが、一応はIFFによって敵味方を識別でき、人が踏んだ程度の負荷では爆発しないという理由から対戦車地雷は条約を抜けた。



「よくもまあ、地雷原とは古いものを……」



「そうでもありませんよ。 特に人型兵器の登場以後は地雷原の価値が見直されてきましたし。

 防衛用の兵器としては安価で、しかも半自動となれば警報代わりにも役立ちます」



同じ重機動フレームのイツキがアカツキの言葉を訂正する。

元宇宙軍所属と言っても、機動兵器パイロットは基本的な陸戦の知識もある。



「なにより、私たちがここで足止めを被るのも事実ですし」



その言葉に頷く。

ようするにこの作戦は時間が全てだった。

ナナフシの次発が放たれる前に何とかできればこちらの勝ち。

阻止できなければ敵の勝ち。

なんとも単純で分かりやすい。



それだけに敵はこちらの足止めに躍起になっていた。

地雷原に始り、各種のセンサートラップなどもあった。



「こんなので間に合うのかよ、ちくしょう」



ヤマダが苛立ちを隠そうともせずに吐き棄てた。



「焦っても仕方ないことだよ」



「あんたは気楽なもんだな」



アカツキの軽い口調にヤマダがいささか険のこもった声を返す。



「事実だよ」



それでもあっさりとした口調でアカツキが返し、

それに対してヤマダがさらに口を開こうとした瞬間だった。



「ミサイル警告!?」



視界の正面を赤い表示のウインドウが埋める。

レーダー波によるロックオンを感知したコンピュータが自動的に回避を選択。

陸戦や重機動フレームには標準装備されているチャフとフレア、スモークディスチャージャーが展開される。



発射炎は確認できなかった。

ほとんど警告がくるのと同時に光の矢が曲線の残像を描きながら飛来する。

着弾と爆発は一瞬のプロセスで行われた。









「全員無事か!?」



遮蔽物も何もない路上に突っ立っていたのでは的にしかならない。

とっさに森の中へ逃げ込んだリョーコは怒鳴った。



「なに〜、今の?」



「無事よ」



すぐにヒカルとイズミから返答があった。

さらにIFFで残る3人の無事も確認。



「ミサイルってことは戦車じゃないね」



レーヴェはあくまで戦車だ。

主兵装は155mm滑腔砲であり、対戦車ミサイルなどは装備していない。

そしてアカツキの言葉を裏付けるように斜面の茂みを割って蜘蛛のような足が伸びてきた。



「ありがたいね。 向こうから来てくれるなんて」



リョーコはその軽口に辟易しながらも、半分は同意した。

確かに向こうから出向いてくれたのはありがたいと。

これでどこに居るのかわからない敵を警戒しながら進む必要はなくなりそうだ。



「まいりましたね。 ドイツ製の防空ユニット<イーゲル>ですよ」



「事前情報にはあった。 ああ、ミサイルまで詰めるなんてのは初耳だけど」



「後期型のA6型ですよ」



そう言われてもどう違うのか、兵器マニアでもないアカツキにはわからなかったが、イツキはしきりに頷いている。



「やっかいです。 基本的にイーゲルは防空ユニットですが、対地戦闘もこなせないわけではありません。

 今のように待ち伏せ攻撃を受けた戦車1個中隊が壊滅したこともありますし」



「それは希望が持てる話だね」



エステなら動かなければこの距離でも察知される危険は少なくなる。

煙幕やチャフの効果が未だに持続しているからだ。

一部の煙幕は爆風で吹き飛ばされてしまったが、それでも彼らの姿を隠すことには成功していた。



「今は私たちをロストして待機モードに入っている筈ですけど、次は……」



その言葉が終わる前に、彼らの後方にあった木の幹が爆ぜた。

それは最初の一本に留まらず、さらにその後ろの数本もまとめて幹を抉られ、耳障りな音をたてて地面へ倒れる。



「……公算でレールガンを掃射してくると思います」



12.7mmとはいえ、音速の数倍で飛来するレールガンの地上での破壊力は凄まじい。

生身の歩兵なら30m離れていても衝撃波で吹き飛ばされかねない。

イーゲルは多脚戦闘車両としては移動力はさほど高くないものの、レールガンはミサイルの飽和攻撃に対抗できるように開発されたものだ。

当然のように連射機能はとんでもなく高い。



「伏せろッ!」



甲高い発射音と弾丸が音速を超えるときに発生する衝撃波の炸裂音が立て続けに起こり、

遮蔽物として利用していた木が薙ぎ払われ、着弾によって派手に吹き上がった土砂がエステの装甲を汚す。



「くそッ! 身動きとれねえぜ」



弾をばら撒いているだけで命中は期待できないが、機関砲のように面を制圧することでこちらの足止めをするという意味では効果的だ。

小口径弾を使用していることもあり、弾数も桁違いに多い。

だが、それでもフルオートの連射では十数秒で撃ち尽くすはずだ。

それが終わらないということは、何らかの手段で補給しているか、それとも……



「まずいぜ、増えてきてる」



斜面に陣取っているイーゲルは1機どころではなかった。

確認できるだけでも12機がいる。

レールガンを撃ち尽したらしい機はかわりに30mmチェーンガンを撃ってきている。



「とことんこっちの足止めをしたいらしいな」



呻き、考える。

このままでは間に合わないのは明白だ。

一刻も早くナナフシの元へ向かわねばならない。

リョーコは決断した。



「ロン毛、お前たちは迂回して突破してくれ。

 こっちはオレたちで抑える」



「無茶ですよ、リョーコさん!」



「やらなきゃ、この作戦は失敗する。

 だから、頼む。

 お前らを信じるしかねえ」



アカツキはわずかに沈黙した。

確かにそれしか手はない。

だが、それは彼女たちを見捨てるに等しい選択となるのではないか?

重火器を持たない陸戦フレームではいずれ火力と数で押し切られる。



「まったく、どうして艦長といい、君らといい、

 ボクみたいのに信じる何て言えるんだろうね」



『信じて“すくわれる”のは足元だけ』と言ったのは本心だった。

ネルガル会長として、その権力を維持するためにずいぶんと汚いこともした。

軽薄な仮面をかぶり、外の世界を斜めに見ることで信じるに値しない世界を嘲っていた。



「仲間だからに決まってるじゃねえか」



リョーコは言い切った。



ああ、確かにそうなんだろうね。

君にとっては。



『仲間だから』



そんな曖昧な言葉で信用できてしまう。

なんて愚かで……羨ましい。



「まったく、そんなこと言われたらさ……」



グリップを強く握る。

うつむいていた顔を上げた。



「答えてみたくなるよね、ボクだってさ!」



苛立ちはない。

後ろめたさもない。

ただ純粋に、それだけ思った。



「突破する!」



宣言してアカツキはフットペダルを踏み込んだ。





○ ● ○ ● ○ ●





不意に人の気配を背後に感じてルリは振り返った。

電子情報の世界にあって『気配』とは変な表現だと思ったが、そうとしか表現できない感覚だ。

そしてその通り、振り返った先には見知った顔があった。



「えへへ、来ちゃった」



白い連合宇宙軍の制服にネルガルのロゴをあしらった艦長服。

腰まで届くロングの髪に女性らしい……ルリが羨ましいと思った女性らしい起伏を描く体のライン。

そしてあどけない少女のように無邪気な笑顔が対照的な女性。

オモイカネに潜る前に見た恰好そのままのミスマル・ユリカがそこにいた。



「ルリちゃんやアキトが頑張ってるのに、ユリカだけ見てるだけなんてできないからね!」



そう言ってVサイン。

ユリカはルリに近付き、



「私にも手伝えること ―――」



「誰ですか?」



ユリカの言葉を遮ってルリが訊いた。



「えっ? やだなー、ルリちゃん。

 私は……」



「その声で喋らないで下さい。

 その笑顔で、その顔で、それ以上喋らないで」



ルリが一歩近付く。



「ここはプログラムの世界です。

 だから、わたしでも戦えますよ?」



そう言うルリの手の中にはDFSを模した攻勢プルグラムが握られていた。

それに気圧されるようにユリカは ――― ユリカに偽装した琥珀は一歩下がった。



「おかしいですね〜。 ちゃんと記憶から抽出して構成したんですけど?」



言いつつ口調を本来のものに戻す。

その言葉通り、この姿や口調はIFSから補助脳を経由して記憶を読み取り、それを元に構築したものだ。

だから仕草も、声も、姿もルリの中にあるミスマル・ユリカのイメージと合致するはずだ。



「簡単です。 ユリカさんはちゃらんぽらんですが、戦闘時に艦橋を放り出してまで来るような人ではありません。

 それに、わたしに『お願い』と言いましたから」



DFSを構えたままルリは琥珀を睨みつける。



「ですから、あなたの三文芝居は見破れたんです」



「あはー。 これでも演技には自信があったんですけど。

 でも、こんな三文芝居でもあなたのナイトには効いたみたいですよ?」



その言葉にルリの表情が崩れた。









「嘘だろ……君は……」



実際にはないはずの胸が締め付けられるような感覚。

視界が狭まり、息が荒く乱れる。



「どうしたの、お兄ちゃん?」



無邪気そのものの笑顔が向けられるたびに泣き出したくなる。



――― だって、君は、死んだんだから。



「メティちゃん?」



「うん、久しぶりだよね、お兄ちゃん。

 あのね、昨日お姉ちゃんとアキトお兄ちゃんのこと話したんだよ。

 ほら、今度一緒に買い物行こうって言ったよね。

 お姉ちゃんとヤガミのおじさんも一緒に行ったらどうかなって。

 あのおじさん、お姉ちゃんにベタぼれなのに、お姉ちゃんてば鈍いから」



嘘だ。

ああ、わかっている。

ここはオモイカネの中で、これは幻だって。

記憶をハッキングして再現してるだけだ。



「お姉ちゃんって、あれで結構ドジなんだよ。

 お父さんも心配してばっかりだけど、さすがにあれは……」



「ああ、わかってるんだ」



「どうしたのお兄ちゃん?」



小さな瞳。小さな手。幼い命。

何もかもがあの時のままだ。

あの、失われてしまう前の。



「汚いぞ! こんな……こん……」



「ごめんね」



消え入るような小さな声。



「ほんとうは知ってるんだ。

 私はもう死んじゃったんだって。

 こっちの私はお兄ちゃんとまだ知り合ってもいないんだって」



アキトの言葉が途切れる。

メティの手がおずおずと伸ばされた。



「でも、お兄ちゃんと話したくって。

 ほんとうに、私はアキトお兄ちゃんが好きだったから。

 だから………ごめんなさい」



「メティちゃん……俺は、君を……」



「痛かった。 苦しかった。 でも、お兄ちゃんに会えたの。

 最期だったけど、お兄ちゃんに会えたの。

 だから、もういいよ、お兄ちゃん」



メティの小さな体を包み込むように抱きしめる。



「泣いてくれたの、知ってるから。

 だから、お兄ちゃん……」



メティの小さな鼓動と震えを感じた。

謝りたかった。

守れなくてごめん、と。



――― それが偽りだとしても。



「バイバイ」









「アキトさん!」



飛電のブレードが背後からアキトを串刺しにしていた。

その瞬間までアキトは動かなかった。

何かを守るようにその場にうずくまったまま、ルリの言葉も聞こえていた様子がない。



「簡単なものですね。 人の心の隙間につけ込むなんて」



「あなたはッ!」



「そうじゃありませんか?

 あなただって、この人の姿をした私を攻撃できてませんしね」



ルリが奥歯を噛み締めた。

琥珀の言うとおり、ルリは攻撃できる位置にいながらユリカの姿をした琥珀を攻撃していない。



「さて、ここであなたを処理して帰ってもいいんですが……」



「なら、そうしたらどうですか?

 こんな小娘一人処分するのは簡単でしょう?」



「ええ、確かにあなた一人なら。

 でもちょっと引っかかるんですよ。

 なんでわざわざここまで危険をおかして潜ってきたのか」



ルリは答えない。

時折、アキトのほうを見ながら、それでも油断なくDFSを構える。

まるで形にもなっておらず、舞歌や優華部隊の訓練を見慣れている琥珀から見れば稚拙そのもだが、

だからこそ何となく引っかかる。



「他にも安全な方法があったと思うんですよね。

 あなたとオモイカネの結びつきはそれほど強い」



「OSを制圧されたんです。

 他ならぬあなたによって」



「はいー。 そこですよ。

 OSを何とかするだけなら、もっと他にやりようがあったんじゃないですか?

 お互いにマシンチャイルドなんですから、手の内は大体わかりますよ。

 

 そこで私は思うんですよ。

 もしかして、あなたは囮じゃありませんか?

 私をおびき出しておいて本命は……そこで覗いてる人とか?」









いきなりの指摘にマキビ・ハリ ――― 通称ハーリーは心臓が飛び出しそうになった。

横のラピスも眉をしかめている。

こちらは精神がリンクしているというアキトのことの影響もあるだろうが。



「ラ、ラ、ラピス! 思いっきりばれてるよ!?」



「わかってるから、ちょっと黙って。

 くるよ、ハーリー」



想像以上に手ごわい。

ハッキング能力そのものはルリやラピス、ハーリーに劣るかもしれないが、洞察力などが半端ではない。

純粋にそれが経験の差から来るものだとラピスは理解していた。

あのルリを手玉に取ったのはさすがとしか言いようがないほど見事な手際だった。

だが、そんなことよりもラピスには気がかりなことがある。



……大丈夫だよね、アキト。



今はリンクは途切れている。

それはとりもなおさずアキトの意識が途切れたと言うことだ。

その前に感じたのは深い、深い悲しみ。

哀惜の慟哭が聞こえてきそうな深い悲しみだった。



「ナデシコからのハッキングを感知!」



「防壁を張って! ランダムパターンでアクセス権限を変えるの!!」



<ラピス。 ここの研究所のコンピュータじゃ、演算能力的にはナデシコのサブコンピュータにも追いつかないよ>



「わかってる。 だから、とことん時間を稼いで」



ダッシュの言葉は多分に真実を含んでいた。

オモイカネを制圧されたナデシコは敵の手中にあると行って過言ではない。

例えオモイカネが使えなくても敵はその他のサブコンピュータを使ってこちらの排除を目論むはずだ。

ラピスやハーリーの使わせてもらえる程度のコンピュータではとても演算能力が足りない。

研究所のすべてのコンピュータを使えればまだマシだろうが、半ば実験動物扱いの2人ではそこまでは無理だ。



「防壁の第7層まで突破されたよ!」



悲鳴が上がる。

このままではこちらのコンピュータまで制圧されるのは時間の問題だ。

考えている時間はない。



「……ハーリー、例の準備して」



「やっぱり、やるの?」



「うん、やるの」



泣き出しそうなハーリーにラピスはキッパリと告げた。





○ ● ○ ● ○ ●





………なぜ、俺はこんなところにいるんだ。



狭苦しいコクピットに収まりながら自問した。

もちろん答えはわかりきっている。

それが命令だからだ。



「大尉。 繰り返しになりますが、こいつはまだ先行量産型です。

 どんな欠点があるかわかったものじゃありません。

 コンピュータは計算は速いが、バカです。

 いきなり掛け算を教えてもパニックを起こす。

 まずは足し算からです。 でないと、どこでフラッターを起こすかわからない」



「わかってる。 だが、無茶はさせてもらうぞ。

 娘の命がかかってるんだ」



「テスト中のフラッターは回復できますが、実戦では致命傷となります。

 やってはいけないことをこのメモに書いてあります。

 現地に着く前に見て置いてください」



「わかった。 ありがとう」



「お気をつけて。 娘さんともどもの生還を」



敬礼して整備スタッフが機体から離れていく。

それを確認してから彼はラダーを戻した。

はっきり言って視界はよくない。

コクピットが胴体部にあると言うのも未だに慣れない。

ハッチを閉め、コクピット内のモニターで周囲を確認。

機体は牽引車両によって格納庫からエレベーターに運ばれていく。

その間はまったくやることがないのでコンソールに写真を貼り付けた。

まだ娘が小さかったころに空軍基地で愛機を背景として撮った写真だ。



「オレは空軍パイロットだぞ」



一応、着艦訓練や艦載機への機種転換訓練は受けたものの、まさかこの歳で空母に乗せられることになるとは思わなかった。

甲板ではすでに全力で発艦が行われていた。

普段なら着艦専用のアングルドデッキのカタパルトまで使用している。

数年前までは想像すらしなかった光景がそこでは繰り広げられていた。

リニアカタパルトから放り出されていくのは彼の新しい愛機と同じ白い戦闘機と、対照的な漆黒の機体。

白い機体は見た目は古臭いジェット戦闘機そのものだった。

今のスタンダードである翼胴一体化や、ステルス化のための無尾翼といった工夫がまるでない。

開発者の趣味なのか、それは20世紀の可変翼のジェット戦闘機、F−14に似ていた。



対して黒い機体は、これもまた異質だった。

胴体そのものの形状で揚力を得るリフティングボディはいいとして、背中に生えているのはまるで鳥の翼だ。

分厚い翼は揚力を得るためというより、ブースターのように見える。

その不気味ともいえるスタイルから、パイロットたちの間ではフッケバイン(凶鳥)と呼ばれていた。



「大尉、最終チェックを」



カタパルトについてしまえばあとはパチンコ玉よろしく放り出されるのを待つだけだ。



「問題ない(オール・グリーン)」



短く答え、待つ。

果たしてその時は来た。



<ランチ・エアクラフト>



慣性中和装置のおかげで発艦時のGは軽い衝撃としか感じられないが、いきなり下は海面というのは心臓に悪い。

徐々に機体を引き起こし、海面から十分な高度を取ると、スロットルを押し込むかわりにフットペダルを踏み込む。



「死ぬな、リョーコ」



小さく呟いてスバル・リュウジ大尉はさらに機体を加速させた。

速度計のデジタル表示が瞬く間に超音速領域に入ったことを知らせる。

最終的にはマッハ3まで加速し、超音速巡航へ。

その先には、戦場がある。





ナナフシ次弾充填まで、あと1時間





○ ● ○ ● ○ ●





ルリの顔からは完全に表情が消えていた。

蒼白を通り越えて、白い……のは元からか。



「頑張りましたけどねー」



ナデシコのコンピュータに比べて、研究所のものはお粗末だった。

確かにオモイカネシリーズを除けば世界でも屈指のものに違いないが、如何せん相手が悪い。

しかし、これだけバリエーションのある防壁を展開できたと言うのは、相手もまたマシンチャイルドゆえか。

残念ながらコンピュータの性能が不足していたが。



琥珀は着実にハッキングを阻止しつつ、防壁をかいくぐって逆に研究所のコンピュータに侵入した。

脆い。

オモイカネに比べて何の手ごたえもない。

あさりと制圧下におくと、カメラでハッキングの主を確認する。

それは黒髪の少年と桃色の髪の少女だった。

少年の方は泣き出しそうな表情で、対する少女の方は毅然とこちらを睨む。



「残念でしたねー。 でも、これで詰みですよ」



「やっぱり気付いてたんだ」



「隠し切るにはコンピュータの性能がお粗末でしたね。

 ナデシコのほうを囮にすると言うのはいい案でしたけど……」



「そう、そこまでしかばれてないんだ」



「? まだなにか ――」



言いかけて、少年が握っているものに気付く。

それは何の変哲もないスイッチ。



「まさか、それ ―― ッ!」



「お父さんお母さん、ごめんなさい!」



少年は一息で叫ぶとスイッチを押し込んだ。

その瞬間、リモコンの電波を受信してとある仕掛けが作動した。

本来は他のコンピュータに回されているべき電力の供給が突如として停止。

ある一点に集中した。

そこまでなら単なる事故で済んだかもしれない。

が、本来働くべき安全装置はことごとくが動作せず、その結果……



―――――!?



琥珀は声にならない悲鳴を上げた。



潜り込んでいた研究所のコンピュータの回路が過電圧により焼き切れた。

外部との接続端子が火花で弾け飛び、接続が強制的に遮断。

通常の人間ならばそれだけで終わったはずだ。

が、マシンチャイルドである彼女には自己の一部が引き裂かれたような衝撃となって襲い掛かる。









「確かにあなたの言ったとおりですね。

 人の心の隙間につけ込むなんて簡単なこと。

 特に、慢心には……ああ、もう聞いていませんね」



オモイカネとのリンクが復活したことを確認。

一気にナデシコのコントロールを掌握する。



「それと、言い忘れてましたけど」



聞いていないだろうと承知の上でルリは言う。



「アキトさんの心を踏みにじったこと。

 ユリカさんの姿をして現れたこと。

 わたし、相当に怒ってますから」









「―――― 琥珀! しっかりしない!」



「気を失っています。 脈も乱れていますし」



飛厘が倒れた琥珀を介抱する。

何があったのか、本人以外にうかがい知る術はない。

飛厘に医務室へ運ぶように指示して、自分は席に戻る。



戦況は一進一退と言ったところだ。

ナデシコ側の侵攻部隊は2手に分かれたようだが、一方は守備隊と交戦中。

もう一方の所在が掴めていないのだが、気にすることもあるまい。

3機の機動兵器では例え守備隊を突破してもナナフシを攻撃できる余力はあるまい。

ナナフシの時空歪曲場はかなり強化されている。

たとえ重機動フレーム3機の全力射撃を受けても貫通されることはない。

零式や尖隼、飛電と敵の機動兵器との戦闘は陸戦では敵機動兵器は脅威となりうるという戦訓を示した。

当初、ナナフシには時空歪曲場の搭載は予定されていなかったが、この戦訓により駆逐艦クラスとまではいかないが、

それなりに強固なものが採用されている。

破壊するとしたら、艦砲射撃でも行わない限り不可能と言わしめたほどだ。



「撫子、エンジンの起動を確認!」



「琥珀から制御を取り戻したようね。

 でも………遅いわ」



「はい。 特射砲の充填完了しました!」



ナデシコが今からグラビティブラストで破壊しようとしても遅い。

起動直後の相転移エンジンはいきなりグラビティブラストを撃てるほどの出力がない。

しかも大気圏内では出力も上がらないはずだ。





――― ナナフシ、次弾充填完了





○ ● ○ ● ○ ●





彼らは呆然とその光景を見ているしかなかった。

ナナフシは遠い。

そして例えたどり着けたとしても、弾薬は空だ。

すべて今までの戦闘で使い果たしていた。

その戦果は少なくない。

3機で少なくとも20両のイーゲルを撃破している。

が、果たして十分だったのかはわからない。



「……間に合わなかったのか」



動き出したナナフシを見てヤマダが呟く。

その声にいつものような力はない。

イツキは無言。



そしてアカツキはただ空を睨んでいた。

地面には撃破されたイーゲルの残骸が散らばり、黒煙を上げている。

その黒煙に遮られ、空は見えない。

しかし……



「いや、間に合った!」









よくぞここまで一機も欠けずに飛べたものだと思う。

コクピットからは衝突防止のための翼端灯のオレンジ色の光がわずかに確認できるだけだ。

敵による探知をさけるために、クルスクに近付いてからは計器だけを頼りの超低空飛行を行ってきた。

夜間にそれだけの芸当をやるために、彼らは各部隊から集められた貴重なベテランぞろいだ。

おかげでスバル・リュウジ大尉のような空軍からの出張組も多い。



「静かなものだな……」



対空砲火もなければ迎撃機もない。

完全に敵の裏をかけたようだ。



<こちら機動戦艦ナデシコ! 貴隊とのデータリンク完了!>



無線封鎖が破られ、幼さを残した女性の声が通信機から流れる。

言葉が事実であることを確認し、感謝の言葉を告げる。

飛鳥と鳳翔の2隻の空母から飛び立った攻撃隊はナデシコからのデータをミサイルへ入力していく。



この攻撃における障害は3つ。

先行型ゆえの稼働率の低さとミサイルの誘導をいかにして行うか、そして敵の防空網をいかにして無力化するかだった。

稼働率はAGIからスタッフを大量に借りてくることで何とか作戦に間に合わせ、ミサイルの誘導はナデシコとのデータリンクで行う。

特にナデシコのほうはギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際だった。

この誘導が受けられなかった場合、損害覚悟で肉薄攻撃を行わねばならないところだった。

そして、イーゲルをはじめとする防空網はナデシコのエステ隊が先に排除してくれた。

彼らの目的は果たされたのだ。



「よし、攻撃開始!」



攻撃ガンホー! 攻撃ガンホー!>



攻撃隊のフッケバイン ――― 正式名<アスフォデル・エアロバージョン>から次々に炎の矢が放たれた。

スノーフレイク用のオプションとして開発された強化型追加装甲<アスフォデル>は第4次月攻略戦において一定の成果を挙げた。

うまくいけばそれを利用できないかと考えるのが人間で、当然、アスフォデルも様々なバージョンが検討された。

空力設計を見直し、燃料式スラスターからスクラムジェットへ換装したエアロバージョンもその一つ。

まだ試作の段階だが、海空軍向けの先行量産型が作戦に参加していた。

また、スバル大尉の愛機もフッケバインとは別の新型機だ。



そして、放たれる矢の名はAGM−9X。

正式名称すらまだない新型の対地ミサイル(実質的には汎用ミサイル)だった。

ラムジェット方式でマッハ7まで加速する科学の生み出した魔法の矢は、先端部に誘導装置以外のものも内蔵していた。

DF発生装置と収束装置を一体化させたユニットだ。

105mm対機甲ライフルやフェアリースノーなどの実験機を経て実用までこぎつけられた新種のミサイル。

その威力は例え戦艦クラスのディストーションフィールドであろうとも最大速度の時点では運動エネルギーと収束されたDFの徹甲効果によって貫通できる。



攻撃隊から放たれた数は合計で112発。

不良で墜落した8発を除く104発がナナフシに対して襲い掛かった。









その光景ははるか彼方からでも確認できた。

降りそそぐ光の矢はナナフシの巨体を食い破って炸裂していく。

はじめ、それがなんなのか彼には理解できなかった。

そして次に敵の攻撃だと理解すると絶叫した。



「馬鹿な! ありえない!

 艦隊からのミサイルなら察知できるはずだ!」



富永少佐は塹壕の中からナナフシの末路を叫んだ。

それも無理のないことだ。

艦隊からのミサイルならたとえ誘導を阻止できなくても陽炎の対空砲火と防空ユニット<イーゲル>で対応可能なはずだった。



「少佐! あれは航空機による攻撃です!!」



燃え上がるナナフシの炎に照らされて茜色に染まる空。

その中をいくつもの影が横切っていく。



信じられない!

なぜ!?

今までうまく行っていたのに!



航空攻撃の可能性?

もちろん考えた。



だからこそ真っ先に周辺の飛行場は潰してある。

空母艦載機という可能性もあるが、その場合は往復分の燃料が問題となる。

空中給油でも行えれば話は別だが、航空優勢がこちらの手にある以上、それは自殺行為だった。



まさか、完全な片道出撃?

そんなことは木連でもやらない。

しかし、それでも目の前の事実は覆せなかった。

ナナフシは敵の航空攻撃によって破壊されたのだ。









状況は絶望的以外に表現仕様のないものだった。

周囲は敵に囲まれ、こちらの弾薬はつきかけている。



「どうする、リョーコ?」



最後のマガジンを交換したイズミが訊いた。

リョーコの機はすでにラピッドライフルは撃ち尽した。

残っているのは吸着地雷とイミディエットナイフくらいのもだが、この状況を打破するには不足だ。



「決まってんだろ。 近付いてきたらぶん殴る」



「リョーコらしいねー」



苦笑まじりにヒカル。

彼女の場合は既に機体そのもののバッテリーが切れた。

今となっては愛機も単なる高価な棺桶に過ぎない。



「死に花咲かせるには悪くないね」



「縁起でもねー」



イズミに言いつつ、しかし彼女も否定しきれたわけではなかった。



ナデシコは無事だろうか?

せめてあいつらだけでも……



そんな思いが胸を過ぎる。



「来るよ」

こちらの抵抗が少なくなったのを確認するようにイーゲルが近付いてくる。

ハリネズミ(イーゲル)の名前とは違い、外観は蜘蛛のような6脚の戦闘車両だ。

レールガンは撃ち尽したようだが、チェーンガンだけでも弾薬の尽きたエステならパイロットごとミンチにできる。



「よし ―――」



リョーコが悲壮な覚悟を決めかけた瞬間。

一機のイーゲルがいきなり炎を上げて爆発した。

さらに立て続けに3機。



「なんだ!?」



「リョーコ、上だよ」



それを見た瞬間、リョーコは感動や感謝などより先にこう叫んでいた。



「なんだありゃ!?」



それは航空機というには奇妙すぎる形状をしていた。

端的に言うなら、戦闘機から足と手が生えている。

その珍妙な機体は滑るように空中を滑空すると、狙いを定めて更に一両のイーゲルを撃破した。



「すごいよ、リョーコ。

 きっと機体番号はVF−0だよ!」



「いや、なんだそれ?」



そんなことを言っている間に白い手足付き戦闘機はイーゲルを掃討すると、今度はエステのような人型になる。



「なんだ? スノーフレイク?」



機体形状は確かに酷似していた。

ただし、スノーフレイクにはそんな変形機能はない。



<TMー20<スノードロップ>。 それがこいつの名称さ。

 花言葉は『希望』。 いい言葉だろう>



通信が開かれ、ウインドウに相手のパイロットが表示される。

その顔を見てリョーコは固まった。



「お、親父! あんたこんなところで何してんだ!?」



「娘の援護に駆けつけたに決まってるだろう」



絶句する娘に対し、父親は嬉しそうにそう告げた。









今や戦況は一変していた。

敵の航空部隊はナナフシを撃破すると次は対地攻撃に移行した。

単なる航空機かと思ったが、どうやらむしろ人型機動兵器に近いらしい。

航空機なら航続距離が足りなければ不時着するか脱出するかだろう。

しかし、人型兵器なら、ここまで飛んできてさらに一戦交えるくらいのことはできるはずだ。

強行着陸にしても、航空機ほどの危険はない。



白い細身の機体は航空機のような形状と、それに手足を生やしたような中間形態、

そして人型の3種類を巧みに使い分けて猛禽のように上空から襲撃を仕掛けていた。

加えて烏を思わせる黒い機体の方はミサイルの他にレールカノンを装備している。

弾数は少なく、発射速度も遅いが、上空から狙撃されたら尖隼の防御ではどうしようもない。



ミサイル攻撃で尖隼が吹き飛び、上空からの掃射を受けてレーヴェが擱坐する。

地を這うものは空を征くものには手も足も出ない。

必死に応戦するものの、簡単にかわされて逆襲を受ける。

彼らは退くことも進むことも不可能になりつつあった。



「少佐、東准将より撤退せよと」



「撤退?」



「はっ。 特射砲が撃破された今、もはやこの地に留まっても勝機はない。

 ここは兵を退き、明日に備えよとのことです」



ぼんやりと富永少佐は聞き流した。



……そうか、我々は敗北したのだ。



空ろな視線、その先には白亜の戦艦があった。



機動戦艦ナデシコ。

確かに我々は敗れたのだ。

だが……



「我、敗れたり。 されど屈せず。 さらば祖国よ!」



退ける道理がない。

彼らは木連から厄介者としてこの地へ飛ばされたのだから。

そのことに思うところはあるが、この一式戦<尖隼>は彼の誇りだった。

だから、最期までこの機体と共に戦うしかない。



「全機、続け!

 我ら木連軍人の意地は、こんなところでは終わりはしない!

 退けぬ戦いもあるのだと、その目に焼き付けよ!!」



言葉と共に愛機を飛翔させる。

残りのスラスター燃料を確認し、確信する。

まだ一矢報いることはできる。



だから、彼らは駆けた。

泥濘を踏破し、友軍の残骸を踏み越え、銃弾の嵐を掻い潜って走った。

あとわずかなのだ。

後退に次ぐ後退で敵陣地の縦深も限界に来ている。

ここを突破できれば!



「なでしこーッ!」



続いていた一機が銃弾の直撃を喰らって倒れた。

前を行く一機が砲弾の直撃を受けて吹き飛んだ。

左に並んでいた一機が敵機に突っ込んで諸共に四散した。

右を守っていた一機が空からの一撃に力尽きた。



それでも彼は止まらなかった。

いつしか孤独となっていても、止まらなかった。

いつになくその白亜の船体が大きく見る。



「木連軍人の意地を見よ!」



残った力を振り絞るように跳躍。

尖隼の名に恥じない動きを愛機は見せた。



例え戦艦と言えども、艦橋の防御は薄い。

フィールドランサーを構え、振りかぶる。





そして ――― 剣が振り下ろされた。





交差は一瞬。

フィールドランサーを振り上げた敵機は際どいところで阻止できた。

振り返ると、胴からDFSで両断された機体の残骸が地面に叩きつけられるところだった。

その姿は、翼をもがれた鳥のようだった。









アキトは知らない。

あの機にどんな人間が乗り、どんな思いで戦っていたのかを。 そして何を思って死んだのかを、知ることはないだろう。



「それでも………今度こそ守ってみせるから」



うずく胸を押さえ、アキトは呟く。

この痛みは消えそうもないけれど。

それでも……





○ ● ○ ● ○ ●





舞歌は一気に疲れを感じながらナデシコの姿を見ていた。

夜闇がこの陽炎の存在を隠してくれる。

この戦域から離脱するのにはもうしばらくかかりそうだが、戻ってくる機体はない。

撤退指示を出したにもかかわらず、彼らはそれを拒否した。

残されたのは優華部隊の面々のみ。



「……勇を履き違えてるわよ」



生きていれば復讐戦の機会もあろう。

それなのに、彼らは死を選んだ。

そのことが無償に腹立たしい。



「また、撫子でしたね」



「…………」



千沙が愁然と呟く。

舞歌も内心で思った。



あの艦は、遠すぎたのね。

遥かなる撫子……その先の運命に、何を定めるのだろう。



2人は黙ってその艦影を見送る。

これが、舞歌たちと機動戦艦ナデシコ……のちの言い方をするならナデシコAとの最後の決別だった。

彼女たちはこのとき、まだ自分たちがナデシコに与えた致命傷を知ることはなかった。

知ったとしても喜んだろうか?

ついに木連はナデシコを沈めることはできなかったのだから。









ナデシコAは、その生涯最後の戦闘を勝利で終えた。

クルスク攻略戦の成功により連合軍は第7軍を欧州方面へ脱出させることに成功する。

これはのちの欧州における反撃作戦に大きな影響を与えることとなった。



その後、調査のためナデシコAはヨコスカにてドック入り。

ハッキングによって機能を喪失したことが判明し、対策を講じられるまで無期限の保管が決定。

しかし、ネルガルの新造戦艦<カキツバタ>の就役によりそれはナデシコAの調査解体へと変じてしまう。

実験艦でありながらこれほど多大な戦果を挙げたことに当のネルガルスタッフですら驚愕していたというから、

その秘密を探りたいと思ったのも無理なからぬことであった。

しかし、戦後の研究や各クルーの回想ではこれは艦そのものの性能ではなく、クルーたちの優秀性に依存していたという説が一般的となる。

だが、この時点でそれに気付いている者は少数だった。



同時に連合軍統合作戦本部によってナデシコクルーの解散が決定された。

なお、この決定にはナデシコ艦長ミスマル・ユリカの実父であるミスマル・コウイチロウ中将の意向が大きかったと言われる。





<続く>






あとがき:


あー長かった。
今回でTV版地上編は終わり。
というわけで、次回より西欧偏に入ります。
今回でメティちゃん出しちゃったので、西欧編ではメインにはなりません。

ちなみにスノードロップは北極海で出てきた試作機のうちの一つ。
まんまマクロスのバルキリーとか。

アスフォデル・エアロバージョンはサレナの案の中にあったので、使用。
モールドタイプとかいずれ出るかも。
紛らわしいので愛称はフッケバインで。

それでは、次回西欧編『英雄なき戦場』でまた。

 

 

 

代理人の感想

結局のところ最強の武器は人間の知恵と勇気だ、みたいな話でしたねー。

好きです、こう言うの(笑)。