時ナデ・if
<逆行の艦隊>

第20話その1 白銀の戦乙女




時が止まる、という比喩がある。

アリサ・ファー・ハーテッド中尉はまさにそれを体験していた。

それでも内心の動揺を表情へ出さないことには成功していたと言える。

あるいは心の空隙は彼女の顔面からあらゆる感情の仮面をも剥ぎ取っていたのだろうか。



なんとなく、わかってはいた。



わざわざ親展扱いで最前線に送られてくる手紙。

通常なら私信の類でさえ電子情報としてやり取りされるのが一般的となった昨今にもかかわらず

紙という手間のかかる通信媒体を使用してやりとりされるものはそう多くない。

そして手紙を持ってきてくれた自分の父親と同じ年齢ほどの軍曹の沈痛な面持ち。



「……中尉?」



恐る恐る、と言うように部下の一人が声をかけてきた。

彼らも手紙の内容は大体察したのだろう、気遣うような調子だった。



「両親が、亡くなったそうです。

 戦闘に……巻き込まれて」



声の震えは抑えられた。

軽く目を伏せ、それだけ絞り出すように告げる。

動揺していることは隠しようもなかったが、それを極力表に出さないようにする。

仮にも指揮官である士官がそんなありさまでは部下の士気と信頼に影響する。

思い出に浸りながら泣きじゃくるのは個室に戻ってからにすべきだった。



「軍人である私より先に……いえ、個人的なことでした」



できることなら部屋に戻って恥も外聞もなく泣き喚いてしまいたい。

大して広くもない部屋だが、それでも個室を使えるだけ下士官や兵よりはマシだった。

シーツの替えが届かないせいでもう3日も同じものを使いつづけている薄汚れたベットに伏せて、

似合わないと揶揄されることさえあったお気に入りのヌイグルミを抱いて、ついでにだいぶぼろになっている枕にとどめをいれて、

大らかな性格だった父と、料理上手が自慢だった母の名を叫びながら泣き崩れてしまいたい。

しかし、それが許される立場ではない。

少なくとも小隊指揮官として振舞っている間は、『白銀の戦乙女』と呼ばれるに相応しい態度を……たとえ演技でも続けるべきだった。



「中尉殿、この後のこともあります。 ここは30分後にブリーティングルームというのは?」



小隊の中では一番年かさの軍曹がそう提案した。

彼は階級こそ下だったが、下士官上がりとあって戦場での生き残る術とこういった場合の対処は誰より心得ていた。

士官学校の出身であり、欧州方面軍司令長官を祖父に持つアリサを『お客さん』扱いするところがあるが、

今回ばかりは素直にありがたいと思う。



「では、後ほど」



そう告げて去っていく仲間たちの後姿を見送ると、アリサはそっと体重を壁に預けた。

気を抜けば溢れそうになる涙を堪え、送られてきた手紙の文面に視線を落とす。



そこには見慣れた姉の字体でことの顛末が書き綴られていた。

自分の故郷であった町が戦火にさらされたこと、そしてそこで父母がなくなったこと。

アリサが目を通したのはそこまでだったが、簡潔に過ぎるほどの文面でそうしたことが書いてあった。

逆にそのことが姉の悲しみの深さを語っている。

所々に見られる崩れた字や水滴を拭き取ったような跡もあった。



……姉さんは今、どんな気持ちなのだろう?



悲しみに鈍磨した頭でぼんやりとそんなことを思う。

アリサが軍の士官学校を受験することを決めたとき、最後まで反対していたのは姉だった。

軍人家系に反発して家を出た父は無論のこと、母もアリサが軍隊というたとえ平時であってもある種の危険が付きまとう仕事を選ぶことに反対した。

両親は「普通の女の子として、平凡な幸せをつかんでほしい」と言って彼女を説得しようとしたが、

それでも彼女の意志は変わらず、結局は折れる形で許してくれた。



しかし、姉は違った。

家を出る前、アリサは姉のサラと今までにないほどの大喧嘩をした。

「軍隊なんて、人殺しじゃない!」そう言った姉と口論になり、最後はお互いの頬に平手を見舞った時点で父に止められた。

軍の士官学校を選んだのは祖父の影響と言うのももちろんあった。

思春期の少女にありがちな、決められた道を無難に選択していくことへの反発もあった。

しかし、一番の理由は……ただ、守りたかったからだ。

故郷が好きだったから、友達が居たから、家族を愛していたから。

だからこそ、アリサはそのすべてを守りたいと思った。



『どうして姉さんはわかってくれないの!』



そう言ったことも一度や二度ではない。

士官学校の寮に入ってからも両親との連絡は密にとっていたが、その際に姉と話すことは稀だった。

気まずい、と言うのも確かにあったが、少女らしい潔癖さでもって軍を嫌悪している姉に軍隊生活の何を話せばいいのかわからなかった。

また、確かに軍は彼女の理想としたような『崇高な意志でもって高貴な義務にあたる現代の騎士たち』ではありえなかったから、それは尚更だった。

サラとアリサの2人が考えていたものとは程遠く、軍もまた巨大な官僚組織の一つにすぎないと気付いたのは、

何かと教官たちから“優遇”され、同期から反発を買うようになる2年目のことだった。

アリサが考えているよりも祖父であるグラシス・ファー・ハーテッドの影響力は強く、中には露骨に取り入ろうとする者さえいた。



軍というものの現実に直面し、いくらかの失望とそれでも得た愛着との両方を抱きながらアリサはパイロットとなった。

パイロットたちは特に自由な気風を好むことから、もっとも保守的と言われる陸軍の中でもいくらかマシと思ったためだ。

結果から言うならそれは最も正解に近かった。

元々の適性に加え、何かと祖父の名を出されることに対する反発からくる実力を認めさせたいと言う向上心によってアリサは西欧でも指折りのパイロットとなっていた。 

連合宇宙軍による第四次月攻略戦が(一応は)勝利に終わる頃には『白銀の戦乙女』というニックネームまでつけられていた。



これで皆を守れる。

心のどこかでそう思っていた。

この手紙が届くまでは。



「……守れなかった。 守れなかったよ、お父さん………お母さん……」



もう、何も考えられなかった。

込み上げてくる衝動のまま、アリサは涙を流した。

うずくまり、低い嗚咽を漏らしながら。





○ ● ○ ● ○ ●





アリサが部屋に戻るまで誰にも出会わずにすんだのは幸運だった。

もっとも、幸運以外にもこの基地そのものから人が少なくなっているという理由もあった。

戦争で命を落とすのは民間人ばかりではない。

むしろ、真っ先に犠牲を払うのは軍人であるからだ。

最前線ともなればそれはより顕著だった。



そして、アリサはそれを当然と受け止めていた。

あるいは『死の序列』とでも言うべきだろうか。

平時には無駄以外の何物でもない軍に少なくない額の税金をつぎ込んでいるのは、

いざ有事の際は軍が市民を守ると言う保障のためだ。(無論、平時の軍は抑止力という面もあるが)



祖父からは、軍人というものは祖国への義務と献身による忠誠心と言う一点においてのみ殺人者との一線を引かれる存在だと教えられた。

彼女も常にそれを心に留めていたからこそ、理想とはほど遠い軍でこれまでやってこれた。

戦争に突入してからは死をなおさら身近に感じ、出撃のたびに慣例とはいえ家族に宛てた遺書を書いた。

その度に自分が死んだら家族は悲しむだろうと思った。 姉もきっと自分のために涙してくれるだろうと。



だが、その逆は想像すらしていなかった。

まるで足元からすべてが崩れていくような衝撃だった。

月並みではあるが、失って初めてわかることもあるのだと。



「………酷い顔」



パイロットとしてのニックネームの由来ともなった銀髪は乱れ放題だった。

顔色はまるで死者のように青ざめ、充血した目の赤だけが唯一の色彩だった。

今のアリサは精神の衝撃がわずかな時間で肉体に及ぼす影響ということの見本市のようなありさまだった。

唇をきつくかみ締めたせいで口の中に鉄錆のような生臭い味が広がっている。

気持ちを落ち着けるために深く息を吸い込んで、吐く。

鉛のように重たい空気を絞り出すと、それだけで感情まで空になりそうだった。

水道の水は凍てつくように冷たかったが、思い切って叩きつけるように顔を拭うと、意識ははっきりした。



鏡に映る顔。

見慣れた、自分の顔だったが、アリサは同時にそこにもう一人を重ねた。



「姉さん……」



素直に会いたいと思った。

戦火で両親を失い、さらにその場に居合わせた姉はどう思うだろうか。

両親を守れず、ほとんど会うことすら稀だった妹のことを。

反対を押し切ってまで軍へ入隊した自分を、今はどう思うのか。



なんと言われてもいい。 どうせ自分は親不孝者だ。

でも、できるなら ―――



そこまで考えてアリサは気付いた。

そう言えば、姉のサラが今どこで何をしているのか知らない。

手紙には2枚目があったことを思い出し、水滴を落とさないようにタオルで顔を拭くと、

机の上に放り出してあった手紙をもう一度手に取る。



彼女の予想した通り、そこにはサラの現在の状況に関して書いてあった。

サラは戦火で荒廃したレーバークーゼンから近隣のケルンへと疎開したらしい。

ケルン、その地名は聞き覚えがあった。 確か連合陸軍の駐屯地があるはずだ。

根っからの軍隊嫌いだったはずの姉が疎開先に駐屯地のある町を選んだのは少し意外だったが、

あるいは半ば強制的に避難させられたのかも知れない、と考える。

陸軍の救援部隊が多大な損害を出しつつも住民の避難を成功させたというニュースはここ数日で何度も耳にしている。

まあ、それは身内のアリサから見ても明らかに軍広報部による大本営発表という感じだったが。



――― 現に両親は助からなかった。



思考が暗い方向に進みかけたのを感じ、頭を振ってそれを追い払う。

文字通り命をかけて救援にあたった人々を恨むのは筋違いと言うものだ。

気持ちを落ち着かせ、続きを読む。



今は基地の近くで食料品を卸している店で働かせてもらっていること、そこには小さな女の子がいて、仲良くなったこと。

女の子は母親を亡くしていて、自分が両親を亡くしたことを話したら慰められたことなどが書いてあった。



思っていたより元気そうな(そう思わせるようなことばかり書いている可能性もあるが)姉の様子に安堵する。

あるいはお嬢様育ちのサラの方がアリサよりよほど芯は強かったのかもしれない。

そう思いながら、姉だけでも無事であってくれたことを嬉しく思う。

この戦争はほとんど軍民の差別なく攻撃を受けている。

一家全員が全滅などという話も、それこそ『よくある事』なのだから。



わずかに上向きになった気持ちは、しかしそこまでだった。

最後のほうに書かれていた文面を読み進めるにしたがい、アリサは先程とは別種の負の感情が湧いてくるのを自覚した。



「中尉、時間が……ハーテッド中尉?」



不幸にもそのタイミングでやってきた部下の少尉はアリサの肩が小刻みに震えているのを目撃し、こう思った。



……ああ、さっきは強がっていても、やはり一人になると悲しみは深いのか。



彼はこの戦争で同じく軍人であった父親を亡くしていたから、アリサに同情的であった。

今回、部屋を訪ねたのも時間になってもいっこうに来ないアリサを心配してのことであり、そう言った意味では善良に分類される人間だった。

しかし、少尉としてもいつまでもそのまま突っ立って見ているわけにはいかなかった。



アリサを含め、小隊はこの基地からケルンの駐屯地への異動命令が出ている。

航空優勢が敵の手中にある欧州の空を飛ぶのは危険と隣り合わせだ。

空軍のスクラムジェット戦闘機が護衛につく手はずになっているが、どこまであてになるかわからない。

バッタやジョロが相手でも戦闘機では厳しいし、空戦専門のカナブンに会った場合は逃げることすらままならなかった。

ゆえに安全な時を見計らって行われる空輸はスケジュールが常に一杯で、アリサの個人的な事情で出立を遅らせるわけにはいかない。



「中尉、申し訳ありませんが」



意を決して少尉が口を開くのとほぼ同時にアリサが振り向いた。

それは声に反応したと言うより別の何かに導かれたかのような、

例えるなら操り人形が糸で引かれたような不自然さだった。



「そうですか、姉さんは……ふふふふ」



おして、振り返ったアリサの表情とその呟きを耳にして少尉は困惑と憐憫の入り混じった視線を向けた。

彼はまだ若かったが、それ以上に若い小隊長が感じた精神的衝撃に関して考えを巡らせた。

彼が考えたのは若くして両親を亡くした悲しみによってアリサがその繊細な(彼の主観)精神に異常をきたしたのではということだったが、

それに関してはまったくの誤解であった。

このときのアリサはある種の興奮状態にあったけれど、それは彼が心配したような類のものではなかった。

むしろ、人間としてはごくごくあたりまえに持ち合わせている感情と言ってよいだろう。



「少尉」



それは短い一言であったけれど、年上の部下を硬直させるに十分なものが篭っていた。



「はっ、中尉殿!」



一方、彼は新兵時代に行われた海兵隊との合同訓練で教官を担当した軍曹を思い出していた。

まさしく背筋が凍るとはこのことだとそのときに思い知らされたのだ。

陸軍でさえ使われなくなった敬称までつけて応じた彼は、直立不動を保っていた。

「口でクソをたれる前と後にサーと言え!」と続けられても素直に応じたかもしれない。



「行き先は、ケルン、でしたよね?」



アリサは子供に言い聞かせるように文節を区切って言った。



「姉さんが、そこに居るの」



「はぁ……」



唐突過ぎる言葉に少尉が気のきいた答えを返すことができずにたが、気にした様子もなくアリサは続けた。



「恋人が、できたらしいわ」



「それは…………おめでとうございます」



そう言いつつも、彼はまったくその言葉で正しいのか自信が持てなかった。

いや、確かに少なくとも姉は健在が確認され、新しい出発をしようとしているのだから「おめでとう」でいいはずなのだが。



「ありがとう」



アリサはその前のことさえなければ、自分に好意を抱いているに違いないと少尉に錯覚させそうなほどの極上の笑みで応じた。

もっとも、彼はその笑みを牧師が死刑囚に向けるのと同じ類のものだと思ったが。



「どんな人かしら? 楽しみだわ」



それでもやはりアリサは嬉しそうで、その一点だけで十分以上に奇妙だった。





○ ● ○ ● ○ ●





軍用機の乗り心地が悪いのは古今東西変わらない。

それは輸送機にしてもまったく同じことだった。

C−2と呼ばれる汎用の戦術輸送機は最大で一個中隊分の人員を乗せて飛べるが、今はその席はがら空きだった。

乗っているのはアリサを含めた小隊のパイロット9名のみで、他には偶然乗り合わせた数名の整備兵たちだけだ。



彼女らの愛機も同じようにC−2に2機ずつ積んで運ばれているはずだが、窓からその姿を確認することはできなかった。

敵からの探知を極力避けるために雲の中を飛んでいるためだ。

おかげで風景の変化もなく、退屈この上ない。

しかし、それでもアリサは外から見る分には非常に上機嫌だった。

とても数時間前に両親の訃報を受け取った人間には見えない。



「軍曹、どうしたんですかね、うちの女神様は?」



アリサよりは10とさらに幾つか年上の伍長が、やはり20近く年上の軍曹にそっと聞いた。

小隊の中ではこの2人が年長組であり、あとはアリサと大差ない若者たちばかりだった。



「わからん。 が、落ち込んでるよりはマシだろう」



軍曹もあまり答えになっていない答えを返しつつ、首を傾げる。

少尉から聞いた話では姉が健在で、しかも恋人ができたらしいとのことだったので、

それが原因だろうとは思っていたが、それほど(両親の訃報の悲しみを打ち消すほど)嬉しいものだろうかという疑問があった。



「まあ、確かに。 今度はさらに激戦区ですからね。

 落ち込んでる暇もなく……なんてことになりかねませんよ」



軍曹も同意を示しつつ、内心では別のことを考えていた。



確かに激戦区だろうが、今以上に悪くなることはそうはあるまい。

何しろこの小隊からして殺しても死なないくらいのベテランか、初陣で生き残れるかどうかの新米しかいない。

まったくありがたくないことに前者は彼と伍長の2人のみで、あとはアリサを除けば機動戦がやっとという腕の若いパイロットしかいない。

腕の良い、あるいは中堅クラスのパイロットは欧州戦線の初期戦で消耗しきっていた。



今回の異動もケルンでの救出作戦に参加した大隊の補充要員としてだった。

基本的に陸軍でも宇宙軍でも機動兵器は戦術レベルでは中隊単位で運用するから、1個小隊だけ補充と言うのは異常だ。

つまり、充足にあてられる中隊がなかったのだろう。

そこで仕方なく小隊を寄せ集めて中隊をでっち上げるつもりらしい。

寄せ集めの中隊では実戦で支障をきたすのはわかりきっている。

通常なら再編成のために後方で休養と訓練が必要となるが、そんな贅沢は言ってられない。



ようやっとまともな機動部隊が揃いつつあるとはいえ、欧州の情勢は混迷を極めている。

平たく言うなら、どちらに転んでもおかしくないというわけだ。

まあ、これでも『不利、ひたすらに不利』だった初期に比べれば五分にもって来ただけ改善されている。

これがさらに改善されるか、悪化するかは誰にもわからない。

ゆえに前線に一機でも多くの機動兵器を!というわけだ。



また、アリサはいわゆる偶像の意味もある。

若く美しい女性パイロットの華麗な活躍と言えば、むさい親父が泥まみれで塹壕に篭っているよりはよほど若者たちにうける。

軍は人手が足りていないのだ。

それで若者たちが志願してくれるなら万々歳というわけだ。

『白銀の戦乙女』というニックネームも軍の広報がつけたものだ。

戦況が不利なときほどこうした『英雄』は生まれる。



ある意味詐欺に近いが、軍曹はそれを悪だとは思っていなかった。

彼は時として希望がなによりも大きな効果を生むことを知っていたからだ。



「ああ、そう言えば」



ここ数日楽しからぬ話題ばかりであったので、少しでも明るい話題を提供しようと軍曹は口を開いた。



「ケルンには例の……あー、なんて言ったか。

 黒い鷲だか豹だかっていうパイロットが居るそうだ」



「ああ、知ってます。 『黒い鷹』ですよ、“鷲”じゃなくって“鷹”」



さっそく少尉が乗ってきた。

この手の話題はパイロットにとっては食いつきやすい。



「でも、それは機体のコードネームだと思いましたけど。

 広報は『漆黒の戦鬼現る!』なんて言ってましたよ」



その広報誌には一機で200機以上の敵機を仕留めた(無論、累計で)とか、初陣で中隊の危機を救ったとか、

眉唾物になるとネルガルの新兵器でチューリップを叩き斬っただのとゴシップ新聞にも劣らないほど上げ底された情報が載っていた。

彼らもどうせ“大本営発表”だろうとは思っていたが、赴任先にエース級のパイロットが居るのは心強い。

少なくとも自分たちの死ぬ確率は下がるからだ。

兵士にとって重要なのはまずもって生き残ること。

欧州の地では特にそれが最大の課題だった。



ネルガルの新兵器についてはあまり期待していなかった。

アリサにも『新兵器』の触れ込みでフィールドランサーが提供されていたが、

いくらフィールドを無効化できるといっても槍には違いないので使える場面はかなり限られていた。

だいたい、誰が好き好んでバッタと白兵戦をやらかすというのか。

アリサのように出力に余裕のあるスーパーエステなら、それよりもレールガンでも送ってくれたほうがよほど使い出がある。

(実際、フィールドランサーが役立ったのはそのレールガンすら弾くほどのDFを持ったジンタイプとの戦闘からだった)



ネルガルは妙に近接戦闘用兵器にこだわるところがあったが、実際は戦闘の大半は射撃戦が主体であり、

訓練された兵士ほど近接戦闘は極力避ける傾向にあった。

なぜなら白兵戦は搭乗者の技量に左右される部分が大きいため、格闘技でもやっていない限りは有効な武器となりえない。

また、その訓練に時間を割くぐらいなら射撃訓練に充てたほうがよほど効率がいいというのが軍の見方だった。

もちろん基礎的な近接戦闘の訓練は行っていたけれど、決してそれは余技の域を出るものではなかった。

そういうことでチューリップ撃破の件に関しても、フィールドランサーで空けた穴に集団でミサイルでも撃ち込んだのだろうと思っていた。

スノードロップやフッケバインで運用できるラムジェットミサイルは数さえ揃えば大型艦やチューリップでさえ撃破できる性能を持っている。



ただ、接近戦云々に関しては一概にネルガルの選択が間違っているとも言いがたいところがあった。

エステバリスの設計には第一次火星会戦の戦訓が多分に取り入れられており、その戦訓とは『機動兵器は機動力と運動性能が命』だった。

戦場が地球上に移行してからも戦闘機の機動ではバッタにまるで対抗できなかったから、これはますます重視された。

結果としてエステは『バッタを撃破できる最低限の火力を備え、飽和ミサイル攻撃に耐えるためのDFを備え、機動力で敵の無人兵器を圧倒する』

というコンセプトにたって開発が進められた。(後に施設内で活動するために6m以内に収めるなどの条件は加わったが、方向は変わらなかった)



エステの存在意義は無人兵器(当時はバッタとジョロ)から艦を守るための移動砲台であればよく、火器もラピッドライフルで十分と考えられた。

ただし、強力な火力が必要になる場面も考えられたため、火力支援用の重機動フレームや重装型の1−B型まで用意された。

ネルガルの開発陣とて白兵突撃でなんとかしようと考えていたわけではない。



エステにとって不運だったのは月攻略戦以降、木連も新型DF発生器を装備したバッタや一式戦<尖隼>などの新型機を投入してきたことだ。

これらに対しエステのラピッドライフルはいかにも火力不足であった。

結果として射撃戦だけは双方の撃破率は著しく低下し(火力不足は尖隼も同様だった)、そこかしこで本来なら最後の手段だった白兵戦が行われた。

パイロットたちからは現状の改善を求める声が上がり、それを営利企業らしい正直さで改善に乗り出したネルガルは

早速不足していた白兵戦用の新兵器を開発したというわけだ。



もちろん射撃兵装に関しては新型のビーム砲やオプションのマシンキャノン、六連装ミサイルポッドも開発されたから決しておざなりにされたわけではない。

たが、機動兵器が携帯できる範囲でもっとも有効とされたレールガンに関しては月面フレームが開発中止となってしまったために技術の蓄積がなく、

1-B型の大型で取り回しに苦労するような旧式のものしかなかった。

スーパーエステ用のレールカノンが開発中であったが、まだ実戦部隊には回ってきていない。



その点では陸軍のパイロットたちは火力重視(というか偏重)のスノーフレイクを好む傾向にあった。

もっとも、スノーフレイクはエンジンを装備したことや、装備の換装を用意にするためにミッションパック方式を採用したことによって

逆に本体の整備がやたら手間のかかるという実に整備員泣かせな欠点も抱えていた。

増加装甲のアスフォデルや空軍向けのフッケバインを装備したときなどは味方の整備員にとっては悪夢に等しかった。

AGIが陸軍向け増加装甲<フィリティラリア>を発表したときは普段は何かと張り合う各軍の整備員が、

このときばかりは揃ってストでも起こしかねないほど団結したという。



「軍曹はどう思いますか?」



士官学校出らしい丁寧な口調でアリサに話を振られた彼は思考に没頭していた意識を引き上げた。



「はあ、すいません中尉。 居眠りしてました」



「この騒音の中で眠れるなんて、さすがに叩き上げは違うのね。

 ああ、話だけど、ケルンに停泊している艦についてよ」



「戦艦らしいんだけど、陸軍駐屯地のはずだろ?」



士官二人はそのことについて話していたらしい。

確かに陸軍は戦艦を保有していない。 せいぜいが輸送艦や揚陸艦の類だった。

海軍からも戦艦という艦種が姿を消して久しいから、戦艦といえば宇宙軍のはずだった。

第一、ケルンは海に面した都市ではないから、艦艇といえば宇宙艦艇に決まっている。



「ゆうがお級ならいいんだよ。 あれは一応はグラビティブラストもディストーションフィールドもある。

 いくら地上では対地支援が主体だからって、旧式の戦艦なんて持ち出したって役立つ前に沈められるのがオチさ」



「機動母艦、ではないんですね?」



軍曹は自分の息子ほども歳の離れた少尉に敬語で聞き返した。



「宇宙軍の連中、機動母艦はほとんど月かアジア方面に投入してるからね。

 戦艦なんて地上じゃどれくらいの役にたつのか」



少尉の感想は陸軍の人間が宇宙軍に感じていることの代弁だった。

地上戦では双方ともに機動兵器が主体であり、戦艦などは対地支援がほとんどだった。

土地に居座り続けるということができるのは小型の機動兵器でないとできない。

300mを超える戦艦が降りられるような場所は実に限られていた。



しかし、実戦経験豊かな軍曹は少尉の言葉に頷きながらも、チューリップや敵戦艦が出てきたときは

こちらも戦艦をぶつけるのが一番の対抗策になるということを知っていたから、必ずしも役立たずとは思っていない。

無論、地上戦の主役が自分たちであることは当然だと思ってはいたが。



「ああ、それはナデシコ級ですよ」



意外なところから声が上がる。

それは今までアリサたちと距離をおいていた整備兵の一団からだった。



「3番艦<カキツバタ>が欧州へ派遣されているんですよ。

 聞きなれないかもしれませんが、エステも30機以上積める機動戦艦です」



突然のことに呆けたようにその整備兵を見るアリサたちに整備兵は、

「いえ、こっちも退屈してまして」といってコーヒーを差し出した。



「ありがとう」



「いえ、どういたしまして。 アリサ・ファー・ハーテッド中尉」



初対面のはずの整備兵にフルネームを呼ばれ、驚きが顔に出たのだろう。

整備兵は「中尉は有名ですから。 よく聞いてます」と続けた。



「ああ、自分はサイトウ・ダダシ整備伍長です」



「よろしく、伍長。

 で、ナデシコ級というのはネルガルの戦艦じゃなかった?」



「ええ。 それを陸軍が借り受けて運用してるんですよ。

 人員なんかも半分くらいは軍属です」



「それはまた豪気だな」



少尉が感心したように呟いた。

恐らくそれを要求したのは欧州方面軍のグラシス・ファー・ハーテッド中将だろう。

つまりはアリサの祖父である。



「それじゃあ、今回の異動も……」



「ケルンのカキツバタと無関係ではないと思いますよ。

 もしかしたら、カキツバタに配置されるかもしれませんね」



サイトウ伍長の言葉にアリサは微かなめまいを覚えた。

陸軍軍人が戦艦に乗るなんて、世も末だ。

いや、あるいはチャンスだろうか?

そこで今まで密かに考えていたことを実行に移せるかも。



「サイトウ伍長、カキツバタには日本人が多いの?」



「ネルガルが日本に本社を置いてますからね。

 他に比べればだいぶ多いですよ」



それがなにか、と言うようなサイトウにアリサは言葉を選びながら告げた。



「姉がレーバークーゼンから避難するさいに助けてくれた人が居るそうで、その人は日本人らしいのよ。

 だったらカキツバタのスタッフかもしれないと思って。 お礼も言いたいし」



実際は小一時間ほど問い詰めたいのだが、それは黙っておく。

サラからの手紙にはケルンからの脱出のさいに助けてくれた人(出身は日本とのこと)と今付き合っているという

主旨のことが書いてあったのだが、アリサとしてはその男が姉に相応しいか確認してやろうという気持ちだった。



何しろ姉さんは温室育ちだから。 悪い男に騙されているのかも。

ああ、天国のお父さんお母さん、どうか姉さんを守ってください。



「そうですか。 そうすると、カキツバタのスタッフじゃなくてうちの大隊長かタカバ副官の可能性もありますね」



そんなアリサの内心を知る由もないサイトウはごくごく普通にその可能性を考えた。

カキツバタも確かに敵を殲滅したあとに避難民を収容したから、助けたといえばそうなのだが、

真っ先に駆けつけて脱出を支援したのは連合陸軍第13機甲戦闘団であったのだから。

そして、そこに所属する一員としてのプライドがサイトウにそう言わせた。



「そうですか。 そのお二人は……いえ、下世話かもしれませんが若い女性に人気がありますか?」



微妙に関係ない(サイトウ視点)話題だったが、アリサの目は拒否を許さない代物だった。



「それはどうですかね。 大隊長もタカバ副官もいい歳ですし。

 大隊長のオオサキ中佐には中尉くらいの娘さんもいますし」



それを聞いてとりあえず安心する。

が、続きを聞いてアリサの表情は凍りついた。



「ああ、でも大隊長は最近、ドクター・フィリスと……とっ、いえ忘れてください」



もちろん、忘れるはずもない。

オオサキ中佐の名前をブラックリストに追加。



「まあ、女性の人気ならカキツバタのアオイ少佐やテンカワの方が有名ですよ。

 すいません、関係ないはな……」

「ぜひ聞かせてください」



すでに当初の話題からは遠く離れていたが、アリサにとってははこれこそが最重要なのだ。

有無を言わせぬアリサにサイトウはなんで中尉はテンカワのことをこんなに気にかけるのだろう?

同じパイロットとしてやはり気になるのだろうか、と思っていた。

彼はアリサがテンカワ・アキトが軍広報によって“漆黒の戦鬼”と渾名されているパイロットであることを知らないとは思いもしなかった。

だから、アキトの話を聞いていくうちに険悪な表情になっていくのもライバル心を燃やしているんだなとしか思わなかった。

双方に微妙な誤解があり、これがカキツバタでの一騒動に結びつくのだが、このときのサイトウは気楽なものだった。



このあと彼らが放り込まれる地獄に比べれば、はるかに。





○ ● ○ ● ○ ●





彼の日常は気楽とは程遠いものだった。

特に同居人の寝起きの悪さといったらない。



「ラピス! 起きてよ〜!」



ラピスが自分と同じ研究所に移されたことによって、部屋を共同で使うこととなった

マキビ・ハリは2段ベットの上に眠っているラピスを揺さぶった。

布団からは薄桃色の髪が覗いているが、その本体の方はほとんど反応しない。



「はぁ、昨日は何を見てたのさ」



「うーん、缶詰妖精」



それならハーリーも知っていた。

災厄の詰まった缶詰を開けたあとには希望が残っているのだ。

うっかり缶を開けてしまった少年は残された希望という名の妖精とともに蘇った災厄の化身である怪物をまた缶に封印していく話だ。



「……って、そんなことはどうでもいいんだよ!

 ラピス、起きて! なんか変なんだ」



ラピスはまだ半分夢の中のような有様だったが、それでもハーリーが布団を引っぺがすともぞもぞと起き出した。

一緒に暮らし始めてわかったことだが、ラピスは常識というものがいささか欠如している。

今回にしてもそうなのだが、夜更かしをすれば朝起きられない、というごくあたりまえのことさえ忘れたような振る舞いをすることさえあった。

ルリとアキトから「よろしく頼む」と言われているからにはぞんざいにも扱えず、ハーリーから見ればラピスは手間のかかる姉のようなものだった。



「……まだ4時」



時計を確認したラピスが不機嫌に言う。

確かに両親が起きだすまでにもまだ時間がある。



「緊急事態だよ」



短く明快な答えを返すと、ハーリーは端末からダッシュを呼び出した。

先のクルスク戦で研究所のコンピュータを一部おしゃかにしてしまったため、しばらくは動きづらかったのだが、

あの一件は敵対組織の工作であったと調査部は結論付けたようだった。

また、ナデシコそのものが解散してしまったためにハーリーとラピスはその後の方向が決まるまでやることがなかったというのもある。



しかし、アキトが志願して欧州の戦争に参加してからは情報収集に余念がない。

ルリはミスマル家に引き取られているし、ユリカは極東方面軍司令部に勤務となった。

ユリカからも多少は情報が入ってくるが、ルリに関してはほとんど期待できない。

今はこの2人が最後の砦だった。



「ダッシュ、スカパフロー泊地の映像を」



ハーリーの指示に従い、ダッシュがネットワークを検索。

最終的に軍の監視カメラの映像をハッキングして表示する。

もちろんライブ映像だ。



「ほら、船が減ってるんだ」



イギリスのスカパフローは有数の艦艇泊地として近代海軍というものが誕生した数百年前から使われ続けている。

今は連合海軍の北大西洋艦隊と宇宙軍の欧州派遣艦隊の一部が停泊しているはずだった。

ハーリーに言われたことを確認するようにラピスは寝ぼけ眼をこすりながら画面を確認する。

ラピスたちの住居を兼ねている研究所とスカパフローの時差は数時間しかなく、現地も暗かったが監視カメラの赤外線画像は鮮明だった。

真昼のようとまではいかないが、画像処理を施してあるため、少しくらいなら色の識別さえできる。



まず目に付くのが平坦な飛行甲板を備えた4隻の大型空母だった。

確か海軍向けのTM−20M<スノードロップ>を搭載する<イラストリアス>級のはずだ。

そして女王に付き従う従者のように巡洋艦や駆逐艦などの水上艦艇。



さらにその奥にはセンサーレドーム複数を備えた特徴的な艦影の電子作戦艦が在る。

さらに宇宙軍のみが保有する戦艦の姿も確認できた。

周囲の小さな影は護衛艦や駆逐艦だろう。

まあ、小さいと言っても水上艦艇よりはたいがい大きかったが。



「全部いるよ」



そう、どう見ても海軍と宇宙軍の主力が揃っていた。

ハーリーの気のせいじゃないの?と言いかけてただならぬ様子を思い出す。

ハーリーは自分に気付かない何かに気付いたのかもしれない。

そう思いなおし、再度数えてみるが、やはり変わらず。



「うん、だけど船の数は減ってるんだ」



「ハーリー、もっとわかりやすく」



「ああ、ごめん。 軍艦は揃ってるんだけど、輸送艦が居なくなってるんだ」



「ダッシュ、一週間前までさかのぼって検索して。 行き先とかは?」



ラピスの反応は早かった。

先程まで布団の中でもぞもぞやっていた少女と同一人物とは思えないほど。

数秒の沈黙があって、ダッシュは検索結果を表示した。



「『不明』? 電子データに残してないってこと?」



≪欺瞞と思われる情報多数。 故の不明≫



「うーん、どうしよう。 いくらなんでも欺瞞情報とそうでないものなんて区別しきれないよ」



「なに言ってるの」



本当に困っているらしいハーリーにラピスは呆れた、と言わんばかりの様子で告げる。



「輸送艦の移動にこんなに偽の情報を混ぜるってことは、少なくても何か大規模な行動を起こそうとしてるってことでしょ?」



「そっか! それなら通信量の増加の傾向とかで何かわかるかも」



「ワタシはもっと深いところの情報まで潜ってみるから」



「えっ、ラピスが!?」



ハーリーは先月、ラピスが軍のサーバーに侵入した際、迎撃にあって軍のコンピュータをダウンさせて逃げてきたことを思い出していたのだが、

ラピスは心配そうというより、彼女が何かやらかさないか不安そうなハーリーに対してそっけなく告げた。



「ワタシの方がハッキングは得意じゃない」



「うう、わかったけど、無茶はしないでね」



『無理はしないで』でないところがラピスとハーリーの関係を物語っている。

ラピスは「まったく世話が焼けるんだから」とかなりお互い様なことを考えつつIFS端末に手をあてた。



2人が大慌てでこれから数日振りの睡眠をとろうとしていたユリカの安眠を妨害することになるのは

これよりさらに3時間後のことだった。





<続く>






あとがき:


御大の新刊が出るそうで。
しかも表紙絵は戦争狂の人に変わってるし。
中公はどうしてしまったんでしょう?
どうせならその勢いで日本軍をパナマに上陸させてあげてください。

などと、あとがきなんぞ誰も気にしてないのをいいことに、好き勝手書いてみるテスツ。

 

 

代理人の感想

今回は助けてないのに・・・・・いつの間に。

 

つーかナデシコの連中はどーした?(爆)