AKITO



 ネルガル製の次世代型戦闘艦の一号機、ND−1《ナデシコ》。
 建造からすでに五年の月日が流れた現在においても、『最強』の称号を冠する最高の戦艦。地球で初めて古代人のオーバーテクノロジーを搭載した遊撃艦であり、最高のポテンシャルと最高の乗組員を併せ持ち、戦争当時は敵味方共に畏敬と憧憬の念を抱かせたという。

 その戦艦ナデシコを語る上で、どうしても外せない人物が3人程いる。
 稀代の天才軍師と呼ばれ、多対一の単独戦闘を常とするナデシコに勝利を呼び続けた若干22歳の女性艦長ミスマル・ユリカ。
 当時最高峰のナノマシン処理を受けた、たった11歳にして一流どころ十人分の機械処理能力を持つマシン・オペレーター、ホシノ・ルリ。
 そして、一流ぞろいのナデシコ所属パイロットの中も目を見張る活躍を見せたエースパイロット、テンカワ・アキト。

 そう、テンカワ・アキト。パイロットを初めとする機動兵器に何らかの関わりを持つ人々の中で、彼の名を知らぬものが果たして何人いよう。テンカワ・アキトが初めてナデシコに乗艦したのが18歳のとき。本来ならパイロット候補生として実戦に出る事すら許されない年齢であるのに、彼は戦った。そして歴戦の勇士すらも上回る驚異的な戦闘記録を打ち立てた。しかし、何より彼が尊敬され、同時に恐れられているのは、記録だけではない。全世界のパイロットや士官たちを戦慄せしめたのは、乗艦当時、彼が機動兵器に関して『まったくの』、『素人』だったという点についてだ。
 彼のナデシコ内における役職は次のように移り変わっている。
 当初はコックとして半ば飛び入りに乗艦、IFSを所持していることからコック兼予備パイロットとなり、後に功績を買われ正式にパイロットに就任する。なお、戦争終結までコックの仕事は続けたという。
 だれにも理解できなかった。というより、初めは誰も信じなかった。
 コックが、それまで機動兵器など触るどころか見た事も無いであろうコック見習が、いくらIFSによる簡易操縦とは言え『英雄』と称えられるほどの功績をあげるなど。

 後に、彼の操縦を目の当たりにした一人のパイロットは語る。
「彼には間違いなく才能があったのだ。料理人を志し、戦争とは無縁の生活を望む彼には、皮肉にも我々パイロットなら誰もが羨むほどの才能が与えられていたのだ。コックを夢見る純朴な青年は、機動戦闘の天才だったのだ」
 それほどの戦闘技術を有する彼だが、戦争終結後の消息は知られていない。一説にはネルガルに残りパイロットを続けているという話もあるし、望み通り戦いとは縁の無い生活に戻り、どこかで小さな屋台を開いているという話もある。

 そういうわけで数年もの間歴史の表舞台から身を消していた彼だが、つい最近また世間に顔を出した。 『2199年六月十九日、テンカワ・アキト死亡』という見出しと共に。
 飛行機事故としか書かれていない、死亡記事が彼の神秘性をさらに強めた事は否めたいだろう。
 あれから数年。彼、テンカワ・アキトを越えるパイロットは残念ながらまだ現れていない。

                            

−−2203年度発刊 蜥蜴戦争人名辞典より抜粋−−
  

 狭い部屋の一室に、数人の男女が身を寄せ合って座っている。彼らはそれぞれがそれぞれに勝手な事をしていた。ある者は虚空を睨み付け、何事がぶつぶつ呟いており、またある者は、ポータブル・ラジオに流れる音楽に乗せて体を揺らしている。誰一人として他者に干渉しようとせず、各々だけの世界を構築していた。
 例外が二人いた。その二人は、お互いに顔を突き合わせて会話をしている。両方、男。一人は熊を思わせる大柄な男。もう一人は、よく分からない。黒いバイザーで目元を覆っているからだ。
「単身突入・・・ね」
 バイザーの男が言った。その言葉に含まれる皮肉を無視し、大柄な男は続けた。
「制圧が完了したら連絡を入れろ。続いてデータ解析班、護衛班が突入艇より外部から侵入する」
「素人に無茶をやらせるな、ゴートさん」
「素人に忠告するが、作戦中はコードネームを使え。いいな、AT(アット)」
「了解、リーダー」
「それと、CCの使用量はチェックしておけ。今後の参考にする」
「分かった」
 声と同時に、部屋の中に青白い光が立ち込め、片方の男が消えた。その面妖な光景を、室内の人間は誰一人気にすることなく、各々のイメージ・トレーニングに集中し続けている。リーダーと呼ばれた男は壁に背をついて座り込み、瞑想を始めた。これで当分、連絡を待つのみである。待つことは苦痛ではない。彼らはその道のプロなのだから。
 
 プラント・コロニーというものがある。
 その名が示す通り、コロニー全体で一つのラボを形成している宇宙空間における多重多層型研究施設である。その内部は幾つかの区画に分かれ、それぞれが独立した研究を行い、時には各区画で共同作業を実行する事もある。
 火星圏、公転型プラント・コロニー。形式番号P−MA32288《マガルタ》。
 このコロニーは全部で五つの区画に分かれている。
 遺伝子工学、宇宙航空学、宇宙医療学、火星考古学、そして最後に異能的人種研究の施設だ。異能的人種研究。つまり、旧世代から連綿と受け継がれてきた、ESPやそれを操る(と思われる)人間達を調査し、その原理を解明する事を理念とする研究の事だ。だが皮肉にも科学技術が進歩するにつれて、それらの超常現象の科学的原理も次々と解明され、いわゆる異能力者その物の存在が危ぶまれている昨今、その規模縮小の流れは止められないかと思われていた。
 しかし、不思議な事に、このプラント・コロニーにて最も多くの予算が割かれているのは、その失われて久しい、超能力者たちの研究なのだ。

 修羅は何の前触れもなく、現れた。
 研究員の一人が、空間に蛍の群れのような光芒を目撃したのは、その者が人生を終える一瞬前であった。ボソン光! そう叫ぼうと開いた口に、熱い鉄の塊が飛び込んでくる。何者かが放った銃弾は、その男の喉を食い荒らし、貫いた。響き渡った銃声と、突如視界を遮った紅い液体により、その場にいた研究員達は全員、異常事態を察知した。
「ボソンジャンプだッ!」
「馬鹿なッ、そんなはずは・・・ッ」
 ほんの数秒前まで何事も無く、ただ己の仕事に従事していた者たちは、皆血の気を失った。だが、頭は冷静であった。さすがにこのような襲撃までは想定していなかったが、ここにいる人材は皆、最低限身を守るための訓練と装備を受け取っている。それぞれが白衣の内ポケットから、護身用小型銃を取り出し、たった今同胞の口に銃弾を叩き込んだ侵入者に銃口を向ける。
 だが、そこにはだれもいない。ただ、不運な犠牲者が血まみれで横たわっているだけである。
「どこだ、どこにいったッ!」
 目の前で起こった奇怪な光景と、迫り来る不安から研究者の一人が悲鳴にも似た叫びを上げた。
「ここさ」
 突如聞こえた、低い声。
 背後に、人の気配が『生じる』感覚。
 首の後ろに感じる、殺人鬼の息遣い。
 先ほど叫んだ研究者は、身を裂くような恐怖感と嫌悪感に、全身が総毛立った。ほとんど半狂乱になりながら振り向く。
 そこに在ったのは光。そして、光を伴って現れたのは闇。
 否、人間である。
 声の低さから男であるとは判断できるものの、外見から性別の判別は出来なかった。その人間が、目の部分を黒い仮面で覆っていたからである。さらには黒い衣服の上から黒のロングコートを羽織り、まるで翼を休めた鴉のように、その人物は『漆黒』という言葉をそのまま体現していた。身長は、平均男性程度。髪は短く刈ってあるものの、瑞々しく、艶やかな黒髪である。年齢は二十代前半と知れた。
 そして、響く銃声。その男の思考はそこで永久にストップした。本日二発目の弾丸に脳みそを撃ち抜かれ、倒れこんだ床に、己の血液と弾けた脳を塗料にして真っ赤な華を描く。
 弾けた奇声、悲鳴、金切り声。
 それらに彩られるは阿鼻叫喚の地獄絵図。
 我を失い、錯乱した残りの研究員達は、ニワトリのような泣き声をあげ、逃げ惑った。そしてその中で最も精神に異常をきたした男が、狂気に満ち満ちた雄叫びを上げながら、辺り構わず拳銃を乱射する。周囲に居るはずの同僚のことなど気にもかけない。同士討ちなど恐れもしない。ただただ自己の安全と、死の恐怖を打ち払うために、必死に銃弾をばら撒いた。
 流れ弾にあたり、一人の女性研究者が倒れた。もう一人も、また。
 生き残りが自分一人になっても、それでも男の狂気は止まらず、いまだ銃声は鳴り響きつづける。
 そしてそんな愚か者の首に、安全圏に退避し、男の狂態をのんびりと見物していた死神の鎌がそっとかかった。
「奇襲は成功。制圧を開始する」
 その言葉を生きながらに聞いたものは、コロニー内に一人も居なかった。
 宇宙に数百機点在する宇宙施設の一つ。無限に広がる星々の大海のほんの片隅。
 たった今、その内部で凄惨たる殺戮劇が繰り広げられている事など、地球人全人口の内、一体何人が知っているのだろうか。

 絶え間なく轟く、銃声、銃声、銃声。
 同時に弾ける肉片、肉片、肉片。
 生命の尊さなど知った事か。今この瞬間に散ってゆく命は、日ごろ面白半分に殺されてゆく虫けら達のそれと、どれほど差があるのだろう。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・はぁぁッ」
 血濡れの白衣が重い。
 男は、血を吸いすぎ真っ赤に染められた『白衣』を乱暴に脱ぎ捨てた。
 彼には今の状況がまったく理解できなかった。A級ジャンパーの研究を担当していた区画の連絡が急に途絶えたと思ったら、見知らぬ黒ずくめの男がいきなり目の前に現れ、破壊の種を撒き散らしていった。応戦しようとした警備兵は残らず肉塊と化している。まるで幽鬼のごとく消えたり、現れたりを繰り返すたった一人の工作員に、誰もが為す術を持たなかった。
「A級ジャンパーだ・・・ッ まだ残っていたんだッ」
 だとしたら、納得できる。
 あの闇を纏った、いや、闇そのものといえる青年の、正気と思えない行動全てが納得できる。
 A級ジャンパーの生き残りならそうする。それだけのことをしたのだと、彼には自覚があった。
 必ず殺される。おそらく自分に関しては、最も厳しいやり方で。
「はぁ・・はぁ、着いた・・・」
 やっとの思いでたどり着いた、遺伝子工学研究区画。そこの研究員はすでに全員事切れているが、血と死臭の香りなど、この数分間でとうに慣れきってしまった。重要なのは、今この場所にアノ男がいないということだ。
「・・ッ、こちら《マガルタ》! ただ今、工作員に襲撃されているッ! 応援を、至急応援をッ!」
 《火星の後継者》本部ターミナルコロニー《アマテラス》に直通する回線機器を作動させ、力の限り叫んだ。
『・・・受信OK。内容を復唱してください』
「敵だァッ! 敵が来てるんだよォッ! みんな殺されちまったッ! 早く来てくれェッ!」
『落ち着いてください。状況をもっと詳しく・・・』
 詳しくだと? こっちにはそんな暇は無いんだ、殺されたくなかったらさっさと『ヤツラ』を送れ。
 のんきな通信士に、そう拳銃を突きつけて怒鳴ってやりたかった。
 だが、それは物理的に無理な話であるし、将来においても念願成就の可能性はゼロであった。男は、自分の腹が破裂するのを、生きながらに目にした。
「見つけたぞ。ナガノ」
 生き別れの恋人と、何十年か振りに再会したような、そんな響き。
 ナガノ、と呼ばれた男は腹部から血を流したまま、振り向いた。
 そこには黒ずくめの男が、煙立ち上る拳銃を構えながら、バイザー越しにこちらを見ていた。もはや墓場と化した死し累々たる研究区画に屹然と立っているその様は、死神以外の何者でもない。なが、男がなにより目を奪われたのは、その男の顔。
 唖然とした。
 呆然とした。
 信じられない。アノ男は・・・アノ男は!。
 目元を隠していても、見間違えようが無い。
 《木連》出身者ならば誰もが知る、忌避すべき対象。
 かつての戦乱の時代において最強の名を欲しいままにした戦艦、そのエース・パイロット。
 赤紫に塗装された機動兵器を駆り、その数倍もの質量を誇る《木連》の人型兵器を悪鬼のごとく蹴散らし、単体で戦艦を堕とし、戦争終結のカギともなった人物。
 空間跳躍を自在に操る異能者。
 その危険性のあまり、これからの『計画』にあたって真っ先に『処理』したはずの人物。
 彼の体を、魚を捌くように切り開き、脳みそからつま先まで弄繰り回し、その魂を陵辱し尽くしたのは、他ならぬ自分だ。
 その人物の名は・・・。
 自分への恨み、憎しみ、呪いが骨髄にまで徹しているに間違いないであろう、その男の名は・・。
「テ・・カ・・ワだ・・・・」
 いまだ繋がっている通信機に、息も絶え絶えに語る。
《なんですか・・?》
「ヤツだ・・・・。死んだはずの、《テンカワ》が・・・」
《繰り返します。状況を詳しく・・・》
「《テンカワ・アキト》がここに居るんだァァァーーッ!」


    
《こちらAT(アット)、制圧完了》
 耳の中に仕込んだ通信機が、その知らせを受信したのは、作戦開始から僅か二十分たった頃だった。
「了解。データ解析班を出動させる」
 通信を受け取った男は、手首のデジタル時計を一瞬眺め、
「十分で到着する」
 しかし返って来たのは、時間がないとの声。
《研究員の一人に通信を許してしまった。増援が来る可能性がある》
 それを聞いて、思わず男は舌打ちする。
 やっかいだった。
 『例のもの』を奴らが手にしている以上、増援が駆けつけてくる前に作業を終わらす事は不可能である。作戦指揮官の任に当たっているその男は、すばやく頭の中で計算し、『アット』と同じく撤退するべきだと判断した。
「わかった。お前は直接帰還しろ。こちらはすぐに出る。それと・・・」
《ん?》
「今回の作戦でCCをいくつ消費した」
《11、だ》
「了解。悪かったな、すぐに準備にかかってくれ」
《了解・・・あぁ、それと隊長》
「なんだ?」
《俺の事も知られてしまった》
「・・・報告しておく.。なお、以前からの約束どおり、これが最後だ。うちの部隊がお前に協力するのも、お前の協力を仰ぐのもな」
 そう言って、隊長は通信を切った。
 彼は今、従えている部隊の隊員数名と共に、輸送船の一室に座り込んでいる。機動力と兵装を優先させた機体であるため、中に乗り込む人間に対する配慮が十分に為されているとは言いがたい。今居る部屋も、本来は一人用個室くらいの面積しかないのに、そこに部隊全員を無理やり詰め込ませているのだ。
「こちらリーダー、操縦室へ。撤退開始」
《了解》
 結局最後まで自分達の出番は無かった。隊長は疲れたようにため息をつき、壁に背中をついた。
「たったCC11個で、単独でコロニーを堕とす・・・か」
「隊長」
 部下の一人が、なにやら独り言を言う隊長に声をかける。隊長に習って緊張状態を解いたのか、足を崩してリラックスしている。
「バレたんですね。ATのことが」
「そうらしい。ミスったようだな」
 いや、そうではあるまい。
 そもそも敵勢力のコロニーに単身突入し、なんら気取られる事無く事を成しえることなど不可能なのだ。テンカワも、そして隊長である彼もまた、それを承知で彼を単身で敵地に送り出した。
 これは宣戦布告なのだ。
 テンカワ・アキトの生存と、ネルガルとの繋がりをあえて公開することにより、敵の注意をこちらに向けさせるのだ。
 隊長は、いつも飄々とし、それでいて油断を見せた敵の喉をあっさりと食いちぎる素晴らしい性格を持つ、大企業の会長、そして自分の最上級の上司でもある男の顔を思い浮かべた。
「相変わらず、嫌な手を使う」
 呆れと苦笑と共に、呟く。
 必ず喰らいつくはずだ。確信できる。
 自分達にとってそうであるように、ヤツラにとってもテンカワ・アキトは何としても抑えておきたいカードなのだ。
「これで《後継者》やクリムゾンの連中は、てんてこ舞いだな」
 部下の一人がそういうと、他の皆も同調して笑った。
「帰るまで油断は禁物、と言いたいが・・・今言ってしまおう。皆、今日はご苦労だった」
 そう言って、まるで熊のような大柄な体躯の隊長、ゴート・ホーリは何も出来ずに任務を終えてしまった部下達を労った。

 通信を終えたテンカワ・アキトは、耳の穴に僅かに覗く通信機のスイッチを切り、倒れ付しているナガノに視線を戻した。腹の銃創以外にも両手両足に一発ずつ撃たれたナガノは、痛みを誤魔化すため転げ回ることも許されず、ただ五体を投げ出して襲い掛かる激痛の為すがままとなっていた。その様子を、テンカワ・アキトはただただ静かに見下ろしている。
 そのバイザーの中に透けて見える瞳は、冷厳にして冷酷。一ミリグラムたりとも憐憫の感情が含まれていないのは明らかだった。
「たす・・けて・・くれ」
 ナガノは泣きながらに、懇願した。
「・・・・」
「ぁぁ・・・頼むぅ・・・たす・・け・・」
「・・・・」
「頼む・・・話した・・・じゃないか・・・彼女は・・・・・ターミナル・コロニーの、どれかに・・・いるって・・・・」
「ああ、聞いたよ。素直に話してくれて助かった」
 心の無しか、テンカワ・アキトの口元が吊りあがる。
「ちょうど、そのことについてだったんだ。今日、こうしてアンタを訪ねて来たのは」
 訪ねる? 
 空間跳躍で現れ、目に入るもの全ての命を刈り取り、わざと急所をはずして人を苦しませ拷問にかける事を、お前は『訪ねる』と言うのか?
 そう言ってやりたかった。二ヶ月前の時点ならそうしていただろう。アノ頃は、自分が絶対の強者で、奴が弱者だった。自分の、もはやお遊びに近い実験・手術を、この男は嫌でも受けざるを得ない状況にあった。自分は一切の危険無しに、この男の命と体を消費して思う存分楽しむ事が出来た。
 何故だ? なぜその役割が今では逆転しているのだ。
「驚かせたようだな。無理も無いか。俺もあそこから生きて帰れるとは思っても見なかった」
「あ・・・あぁ・・・ぎ」
「その節は本当に世話になった。『妻』の分まで礼を言わせてもらう」
 口調はいたって穏やかだが、その言葉を吐き出しているのは魔王の壺だ。
 憎悪、呪詛、憤怒。あらゆる負の感情を、粘土のようにごちゃまぜに練り込んで一緒くたに閉じ込めて攪拌した壺である。一度蓋を開けてしまえば、この世の仇敵を根こそぎ喰らい尽くすまで殺戮を終える事は無い、最悪の壺。人の形をした怪物。 
「これがその礼だ」
 怪物はそう言って、弾倉に残った最後の弾丸をナガノの頭部にプレゼントした。もはや今日何度目か分からぬ銃声。潰れた蛙の鳴き声のような、小さな断末魔。煙る硝煙。血の匂い。
 テンカワ・アキトは、しばし立ち尽くした。
「ターミナル・コロニー、の、どれか」
 口に出して呟く。途端に湧き上がる、実感。
 千里の道への一歩を、ようやく踏み出した。
 体の隅々まで染み渡る、戦意、闘志、士気。呼び方は様々なれど、厳然たる決意と気概を、テンカワ・アキトは感じていた。
 しかし、いつまでも感傷に浸っている暇はない。すぐさま我に帰り、撤退の準備を始めた。最も彼にとっては石ころ一つを用意するだけの事でしかないが。
 そんな折、テンカワ・アキトは自分を見ている視線に気がついた。
 生き残りか? すぐさま身を捻り、すでに弾込めを完了していた拳銃をそちらに向ける。
 そこには少女が居た。
 一糸纏わぬ裸身を晒しながら床に座り込んでいるその少女は、このコロニー内の人々を皆殺しにした殺人鬼を目の前にして何をするでもなく、ただその顔をじっと見つめている。
 ここは全体が一つのラボとなっている、プラント・コロニー。そして今居る区画は遺伝子工学を専門にしている。ならばこの娘はその対象となっていたデザイン・ヒューマンの一人であろう。
 不覚にも、今までその気配に気付かなかった。というより、面と向かっている今でも感じられない。こうして真正面に相対していると言うのに、この存在感の希薄さはどうだ。まるで幽霊、いや、魂を持たぬ人形と面しているような印象を、テンカワ・アキトは受け取っていた。
 年のころは10歳くらいだろうか。とにかく、その少女はあらゆる面で現実離れしていた。体全体の色素が極度に薄く、文字通り肌の色を示す肌色が、この少女の肌には全く見受けられない。髪の毛に関しても同様だった。白髪、いや、銀髪と言うのだろうか。脱色剤を一瓶費やしたとしても、こうも見事な色にはなるまい。どこか薄桃色がかかっているようにも見える。
 そして、最後に瞳。遺伝子操作を受けた証明であるその金色は、少女の幻想的な容貌を一層際立つものにしている。
 まるで絵本の世界から飛び出してきた妖精のようだと語って、一体何人の現実的な人間がそれを否定することができるだろうか。
「逃げないのか」
 沈黙を先に破ったのはテンカワ・アキトの方であった。質問をされて少女の瞳は微かに揺れたものの、その口は開かれなかった。
「逃げないのか」
 再度、問う。やはり少女は口を利かない。
「・・・あぁ、行くところが無いのか」
 ようやく、少女は頷き・・・と言うには余りに、微々たる動きでは在ったが・・・を返した。
「行くところが無くても、がむしゃらに逃げる事は出来るはずだ。なぜ生きようとしないんだ」
 依然、沈黙。テンカワ・アキトは、この娘に返事を求める事を諦めた。どうやらよほど特殊な幼児期を過ごしたらしく、自分の質問に答えるだけの言葉を持ち合わせていないのだろうと、悟った。
 それにしても、この少女は一体いつからここにいたのだろうか。血と肉の香りが立ち込めるこの場所で、幼い少女が顔色一つ変えずに座っているとは異常な話である。
 この少女は見ていたのだろうか。たった数分前まで自分を対象に研究を行っていた職員が、理不尽なまでに易々と殺されていく光景を。先ほど、両手両足と腹部を撃ち抜かれ、最後には脳みそを貫かれた男の姿を。そして、それら全てをたった一人で成し遂げた人間が、目の前の黒ずくめの青年であることを。
 見ていたのだろう。そしてその上で、少女はこうして微動だにしていないのだろう。
 テンカワ・アキトはそう直感した。
 だとすれば、その少女はもはや人間ではない。生きようとしていないからだ。
 その少女は・・・。
「人形、か」
 少女に負けず劣らずの無表情で言い捨てる。
「ここにいた連中の教育の賜物、か」
 テンカワ・アキトは考えた。
 正直な話、いつまでもこの娘に構っている時間的余裕はない。いつ何時、『奴ら』が空間を渡って目の前に現れるか知れたものではないのだ。
 だが、このまま見捨てていくのも気が引けた。それをするには、あまりに少女の容姿が『彼女』に似すぎていた。
 そう思考の迷宮に陥ったその時、テンカワ・アキトは初めて少女の声を聞く事が叶った。
 少女の第一声。
「ワタシは、人形じゃ、ない」
 思わずして、彼は笑ってしまった。
 それは少女が、自分が呟いた人を人と思わぬ発言に怒りを覚えたからではなく、ただ単に文法的矛盾を指摘しただけであると気付いたからだ。
「まるでロボットだな」
「ワタシは、ロボットじゃ、ない」
「そうだな、言い直す。君は人間だ。だが、活きていない。死人と同じだ」
「・・・」
「・・・・・まぁいい、か」
 何かを決意したかのようにそう言って、テンカワ・アキトは少女を小脇に抱え込んだ。軽く開いた目が、かろうじて少女が驚いている事を主張する。
「君の素体ナンバーは?」
「・・・・」
「答えな。いくつだ」
「・・RHシリーズ・ナンバー8」
「ならジャンパー体質を保持しているはずだな。運がいいよ、君は」
 アキトは懐に探り、一つの石を取り出した。
 その石は、まるで海のように透き通るブルーの輝きを持っていたが、宝石店などに立ち並ぶのとはまたちがい、落ち着いた硬質の光を放っている。水晶か何かの一種だろうか。
「ジャンプは、初めてか?」
 そうアキトが言った途端、何の変哲も無いその石が突如輝き始めた。テンカワ・アキトの意思に答え、ボソンの光が瞬く間に二人の体を包み始める。
 その輝きは、まるで千の蛍を従えたかのように華やかで。
 夜空の星々を呼び寄せたかのように荘厳で。
 そしてその一瞬後、二人の存在そのものが、《マガルタ》から消失した。

 ネルガル重工。時には「死の神」として畏怖され、また時には「火星の守護者」として崇め奉られる病と戦の神。バビロニアでは「エルラガル」とも呼ばれる。そのような神話の住人が、宇宙船から箱詰めのお菓子まで取り扱っている大企業の名前として、現代に今も息づいているとはおかしな話である。
 ネルガル重工の月面支部は、地球から最寄の衛星基地であり、火星への航路の経由点としても大変重用される施設である。だからこそ常に宇宙船ドッグを開放しており、ネルガル製の宇宙船はもちろん、その他の民間宇宙船、時には宇宙警察や軍事用任務艦すらも収容し、メンテナンスや高度な修理を行う事ができる。その間、軍人達は軍事行動をストップし、ささやかな休暇を楽しむのが常となっている。また、戦艦の修理の間、退屈させないだけのレジャー施設も完備されている。だが、その施設で僅かな休暇を満喫する軍人、警察官は知る由もないだろう。自分達の居るところから、僅か五百メートルほど地下に潜った極秘階層に、史上最も悪辣なテロリストが同じように羽を伸ばしている事など。
 羽を伸ばしていると言っても、彼が戦闘以外にする事と言えばせいぜいトレーニングか身体検査くらいのものである。
 プラント・コロニー《マガルタ》を攻撃してから一週間。今ネルガル情報部は、彼が先の作戦で得た情報の分析にかかりっきりであった。その間、純粋な戦闘要員である彼は上階に居る連中と同じく休暇中というわけだ。
「さすがにターミナル・コロニーのどれか、までは特定できないようよ。草壁がどこにいるのかも今は分からないし、防衛隊の質、量ともに怪しいと言えるほどの差はないし・・・」
「そうか」
「もうちょっと時間が欲しいところだけど。そうも言ってられないわ。彼らがいつユリカさんを手篭めにするか分からないし、遺跡を完全に手中に収められたら厄介だから」
「そうか」
「まぁ、結局アナタが今回の戦いの鍵であることは、以前とも変わらないのよね。やんなっちゃうわ」
「そうか」
「・・・ねぇ、聞いてるの」
 後方から聞こえてくる女性の口調が刺々しくなったのを、射撃訓練用防音イヤーパットの上から察知したのだろうか。テンカワ・アキトは拳銃を備え付けの台の上に置き、パットをはずして振り返った。それを見て女性も、先ほどから両耳を抑えていた手を戻す。
「ようするに全部を当たってみるしか無いということだな?」
「随分といい耳してるわね。そんなものを付けてた上に、銃声の中で聞き取るなんて」
「皮肉か」
「・・・ごめんなさい。言い過ぎたわ」
 テンカワ・アキトは微笑した。もっとも、顔全体で笑っているのか、それとも口元だけのものなのか、エリナと呼ばれた女性からはバイザーに隠れて判断できないが。
「今のはただの意地悪だ。あまり気を使わなくていい。おかげさまで、今では随分と楽になったんだ」
 そう、と呟くエリナは未だ肩を落として項垂れている。
「それで? いつごろ始めるんだ」
「・・・あと一月はいるかしら。サレナの改修もあまり進んでないし」
「世話をかけるな、本当に」
「まさか。今までの出来損ないで、データは全て集まったわ。後はそれを元に『完成』させるだけ。逆に大助かりよ。こっちとしてわ」
 そうかい、とテンカワ・アキトは企業の人間として情熱を燃やす彼女に、呆れを含めた返事を返した。『下手な芝居はよしたほうがいい。あんたに仕事人間は似合わない』という言葉を内心に押し隠しながら。
 テンカワ・アキトはロッカールームに戻り、ハンガーに掛けておいた黒のロングコートを羽織ながら、横に立っているエリナに声をかけた。
「俺は食事をしに行くが・・・アンタはどうする」
「あら、誘ってくれるの」
「部屋で食うつもりだが、付き合ってもいい」
 あらあら、とエリナはからかうような目つきでテンカワ・アキトを見やる。
 黙って立っていれば、以前と比べて大分伸びた黒髪も相見って、貞淑で麗しい日本的女性に見えないことも無いのだが、本人の気質か、或いは生まれもって得た意地の悪さか、あまり彼女という人間を手放しで褒め称える者は居ない。美人なのは確かなのだが・・・。
「で、どうする?」
「ええ、ご一緒させてもらうわ。ラウンジにしましょう」
 この男が自分から誰かを食事に誘うなど、滅多にないことである。エリナとしては、その数少ない機会をフイにするつもりは毛頭無かった。

 日の当たらぬ地下施設とは言え、生活面での快適さは上層部ともそれほどの差は無い。機密を第一に優先されているため、幾分かの不自由はあるが、この階層にいる者は大抵が堂々と表を歩けない立場にいる人間ばかりだ。安全を保障されるならその程度の事、どうということでも無かった。
 そういうわけで、昼食を取るラウンジの入り口でIDカードを通し、一、二分かけて厳重なプロテクトを通過し、ようやく入店した二人はウェイトレスに一番良い席に案内してもらう事が出来た。このあたりは、ネルガルにおけるエリナの地位が大いに役立っている事だろう。
「先に座ってて。私は品物を選んでくるから」
 このラウンジは、大仰な言い方をすればバイキング形式となっている。それほど種類は多くない中から好きな料理を選ぶ形式だ。経費は給料から既に引き落とされているので、どれほどの量を食べようと食費は同じであるから、割と好意的に受け入れられている。
「アナタはいつものでいいのよね」
「ああ」
「じゃ、それも取って来るから」
 そう言ってエリナは様々な料理が窮屈そうに置かれているカウンターの方へと歩いていく。横目で黒ずくめの青年がテーブルに座るのを確認しながら、自分用の料理を気分に任せて手早く選んでいく。そして最後に、彼の分。エリナはカウンターの片隅に置かれたカロリーメイトやクッキーの箱に目を留めた。このカウンターに並ぶ料理はどれも絶品、とまではいかなくとも、それなりの味を誇っている。それらを差し置いて、このような味気ないものを昼食に選ぶものはほとんどいない。まるでクラスのいじめられっ子のように、テンカワ・アキトのもっぱらの主食はカウンター内で孤立していた。一瞬躊躇し、そしてすぐに振り払って手早くそれらを二つ三つ適当にトレーの上に乗せる。
「しょうがないわよね。舌が馬鹿になってるんじゃね」
 あえて、口にした。
「お待たせ」
 先ほどの逡巡を露とも感じさせず、笑顔満面でエリナはテーブルにやって来る。なるだけ目を見ないように、カロリーメイトとオートミールの箱を渡す。そして何も言わずに受け取る男との、気まずい沈黙。しばらく食器が鳴る音だけが響く。
 何か話さなくては。食べながらもエリナは脳内で話題を探し周り、やがて思いついたように話を切り出した。
「ねぇ、あの女の子のことなんだけど・・・」
「誰だ?」
「ホラ! アナタが《マガルタ》で保護した・・・」
 テンカワ・アキトは思い出したように頷いた。
「あぁ、ナンバー8のことか」
「ナンバー8?」
「そう言っていた。RHシリーズの八番目。そう言えばドクターに預けてから一度も会っていない」
 RHシリーズというのが、テンカワ・アキトの良く知る人物のイニシャルを表すのだということは、つい最近知った。教えてくれたのは、彼の主治医でもある女性科学者だ。
「ルリ・ホシノシリーズ・・・か。人間のクローンをこの目で見られるとはね」
 戦闘直後に毎回行う定期検診と一緒に少女の体を検査したとき、彼女はそう言っていた。
「あの時も聞いたけど、一体どういうつもりなの? 初対面の実験体を保護するなんて」
「いけなかったか?」
「そういうわけじゃないけど、らしくないとは思うわ」
「単なる気まぐれだ。で、あの子がどうかしたのか」
「ドクターから色々報告を受けたのよ。アナタにも知ってもらおうと思って。言っておくけど『なんで俺が』なんてのは無しよ。あの子を保護したのはあなた。私じゃないわ」
 指を突きつけられてまで念押しされた男は、何の反論もせずに続きを促した。
「あの子はホシノ・ルリの同じくナノマシン強化体質なのよ。まぁ、それは外見を見れば想像つくと思うけど、あの子の場合ホシノ・ルリの遺伝子を元に操作を受けているから、分かりやすく言えば後天的クローンみたいなものなのよ。それがRHシリーズ、そしてその八番目があの子」
「後天的クローン、ね」
「そうよ。そして調べた結果、もともとはネルガルの方面の出身だってことが分かったわ。ネルガルのほうでホシノ・ルリのコピーを作る研究なんかされていないから、《後継者》たちが宇宙軍の切り札への対抗馬として独自に仕立て上げたんじゃないかしら」
 宇宙軍の切り札。それを聞いてテンカワ・アキトの鉄面皮が微妙に揺らいだのを、エリナは見逃さなかった。だがそれも一瞬にも満たぬ刹那のことで、すぐにいつもの虚ろな表情に戻る。
「それで本人は今どうしている」
「何もしてないわ」
 そういうエリナの口調に引っかかるものがあり、テンカワ・アキトは重ねて訊ねた。
「何もしてない、とは?」
「文字通り何もよ」
 エリナは胸の前で、両手を広げる動作をして見せる。
「ただ部屋の一箇所に座り込んで延々とじっとしてるだけ。他人から言われなければトイレにすら行かないわ。一体何を見てるのか、何を考えてるのか全然分からない。私も一回様子を見たけど、どう見てもあの子が正常な知能を持っているとは思えないわ。まるで植物人間みたいよ」
 それを言ったそばから、エリナは何やら皮肉な思いにとらわれて自嘲した。
 胎児のころから遺伝子操作を行い、そしてそれが生後にまで及び、そうまでして作り出した人間が植物人間とは! 一体あの少女の育成を担当していた研究者は何がしたかったのだろう。
 そして何よりやりきれない事は、ネルガルにもそういった愚か者が確実に存在しており、そういう連中を従え、時には人道を無視した研究を行うよう命令する立場に、今現在の自分が就いてしまっているという事だ。
 今の自分を卑下しようとは思わない。だがどうしても、エリナは考えてしまう。自分は、果たして・・・。
 だがその思考は、やはり正面に座っている男に断ち切られる。
「少し顔を出してみるかな」
 そんな声を聞いて、弾かれたようにエリナは面を上げた。
「なんですって?」
「会ってみるかなと言った」
 エリナは信じられないものを見たかのように、皿のように大きく目を見開いた。
「あなたが?」
「ああ。アンタの言う通り、あの子を連れてきたのは俺だ。さすがに任せっぱなしはドクターにも悪いだろう」
 そう言ってテンカワ・アキトは空になったカロリーメイトの箱を押しつぶし、テーブルの上に投げ捨てた。コップの中の水を飲み干し、立ち上がる。
「検査の時間だ。そのついでに会ってみるさ。それじゃ」
 テンカワ・アキトは、慌てて立ち上がったエリナにそう言い残し、ラウンジを後にした。取り残されたエリナは、いまだに驚きから立ち直っていない。
 だいたい、名も知らぬ(もともと名前がないらしいが)少女を保護してくることからしておかしかったのだ。彼なら、いつものテンカワ・アキトなら、いとも簡単に見捨てていたはずである。彼には目標がある。それ以外を全て除外して彼は生きているのだ。余計な荷物を自分から抱えるなど、彼にとっては信念に矛盾した行動のはずである。
 そう、全ては昔ならいざ知らず。
「ルリちゃんに・・・似ているから?」
 エリナは、いまや宇宙軍の切り札として若干十六歳にて一戦艦を任されている少女の顔を、思い浮かべていた。その瞳の色と、特殊な髪質と、肌の色の薄さは、当然ながら彼女のクローンであるナンバー8にそっくりであった。
 ホシノ・ルリ。かつて、テンカワ・アキトがコックだったころに共に過ごしていた家族の一人であった。


 

 

 

代理人の感想

ううむ。

今は劇場版の再構成がブームなのでしょうか。

しかも面白いし。(面白いってのは重要なことです、ええ)

 

ところでなんも書いてませんけど、第一話でいいんですよね?