コロニーの方へ流れていく大きな岩の塊が見えた。

 隕石である。このまま流れていけば、遠からずコロニーに衝突するだろう。コロニー外壁の強度は、隕石くらいで損傷するような情けないものではないが、わざわざ見逃すこともあるまい。《ステルンクーゲル》を寄せて、マニピュレーターを使って軌道を変えさせる。マニュアルでやろうとすると、中々に難しい作業なのだが、藤田中尉はこともなげにやってのける。

 その際、正面モニターに美しい青い惑星が映った。とても機動兵器では移動できない距離の向こう側に位置するそれは、チンケなコックピットのモニターに収まりきってしまうほど縮尺されていたが、それでも無限の生命を有する矜持と威圧感を藤田中尉に感じさせた。だが、それも見慣れた風景の一部に過ぎない。天に思いを馳せる蟻のような気持ちはすぐに撃ち捨て、藤田は目の前の無骨な岩石に注意を戻した。

「大きいな」

 機動兵器が楽々と収まるくらいの隕石である。念のためにサーモ・グラフィーを使って熱源反応を調べてみる。周囲の光景を、まるでテレビ・ゲームのように多少デフォルメして映し出している正面モニターが、出来損ないの絵画のような奇怪な色彩に彩られる。そんな中、目の前の岩石は見事に青一色。生体反応、火薬反応、ともに無し。それを知るや否や、もう用済みとばかりに遥か彼方へ押し出す。心なしか先の惑星の方面へ向けて押し出してしまったのは、藤田の軽い悪戯心である。

「火星によろしくな」

 火星へ向かわせるための綿密な軌道計算をしたわけでもないのに、藤田はこの隕石が火星とニアミスすることをどこか確信していた。子供じみた考えだった。

 藤田は機体を旋回させて、今度はモニターの枠をぶち抜くほどの巨大な建造物を正面に移した。といっても、実際の寸法では火星の百分の一にも足るまい。人の手によって作られた宇宙建造物『コロニー』。時には擬似星とも謳われるそれは、宇宙の奇跡そのものと言える生命の源泉たる惑星と比べれば、明らかに卑小であった。

 だがその内には一万人を越す人々が生活し、三千人を超える軍人が刀を地に置き、身を休めているのだ。現時点において彼らを外部からの悪意から護る為の、己の職務まで卑下するつもりは無かった。

《でも、本命の機雷、ちっとも釣れませんねぇ、隊長》

 部下のボヤキがスピーカーを通って飛び込んでくる。元木連軍所属の藤田東二(フジタ・トウジ)中尉は、右手脇のコンソールを弄くり、目の前に小さな空間投影型ウィンドウを出現させた。中空を四角く切り取ったウィンドウの中に、無骨なヘルメットを被った見慣れた部下の顔が仕舞われている。いつも思うが、統合軍の規制ヘルメットは実に不恰好だ。軍人とは言え労働者の一人である以上、制服には気を使いたいのが人情である。

「言うなタマキ伍長。釣れないのは構わないが、釣れるものは見逃さんようにな。除隊ものだぞ」

《まぁ、訓練にはちょうど良いですけどね。宇宙空間での移動訓練は、いくらやっても足りませんから》

「エステ乗りに志願すれば、そのへんのストレスは無くなるぞ?」

《ちょっと勘弁です》

 通信窓の中のタマキ伍長が、ヘルメットの上から頭を掻く仕草をする。

 ネルガル製量産型機動兵器《エステバリス》は、性能だけなら総合力で現在自分達が搭乗している《ステルン・クーゲル》の方が上回るものの、最大の特徴として操縦システムによって《IFS》による思考入力方式を採用している。それによって、乗り手に相応の技量が伴えば、基本性能差など覆すほどのポテンシャルを獲得しているのだ。
 
しかし、確かにIFSによってパイロットが反応してから実際に機体が動くまでのタイムラグは画期的に縮まったが、《ステルン・クーゲル》に搭載されている学習型コンピューター《EOS》によるオート・サポートによってほぼ同等の効果が得られる(それでも、その柔軟性は比べ物にならないが)ことと、若手パイロットの大部分が体内にナノマシンという異物を注入する事を嫌っていることから、好き好んで《エステバリス》に搭乗したがる者は少ない。

「良い機体なんだがな」

 統合軍に入隊した際に搭乗機の選択を迫られたとき、《エステバリス》と《ステルン・クーゲル》のどちらにするかで三日三晩悩んだ身としては、そう言いたくなる。そしてそんな藤田の呟きを、タマキ伍長は耳ざとく拾った。

《今から志願したらどうです? あちらは人手不足に悩んでるから、志願者はほぼ無条件で受け入れるっていうじゃないですか》

「いや、今になって考えてみればクーゲルに乗って正解だった。元木連組としては、どうもあれに乗ってはいけない気がする」

《へぇ》
 平静を装って相槌を打つタマキだが、ウィンドウ越しで、しかもバイザーの上からでも分かる爛々とした瞳が、いかに藤田の話の続きに興味を持っているかを雄弁に語っている。案の定、さらなる追撃のためにタマキは口を開いた。しかし、そこで今度は別の部下から通信が入ってきた。新たに現われたウィンドウに映る、褐色の肌の男は自分の副官のロイ・マクフェルだ。

《それって、やっぱり《ナデシコ》ですか》
 どうやら先程までのやり取りを受信していたらしい。非常時においても円滑な情報交換を実現するために、基本的に通信サウンドは受信のみなら無条件で行える。盗聴紛いの行動を楽々と行えるため、一見問題があるようなこのシステムも、多忙きわまる戦闘時では非常に便利なものでもあるのだ。だが、それでも藤田東二は副官に注意しないわけにはいかない。

「立ち聞きとは感心せんな」

《すみません、隊長》

 タマキ伍長とは違い、こちらは律儀である。タマキ・ヨシタカとロイ・マクフェルは、現在の階級にこそ差があるものの、養成学校を同期に卒業した過去を持ち、今でも気の置けない友人同士としての付き合いを続けている。技量も才覚もあるが、無茶をしがちなタマキ伍長のブレーキ役を務めるのが、ロイ第一小隊長補佐の主な役目だ。
 
 因みに、一中隊を束ねる藤田中尉には、この二人の他にあと十二人もの部下がいる。それを四つに分けた四人ずつを一小隊と括っている。そして、藤田東二は四つの小隊の頂点に立つ中隊長であると同時に、第一小隊の小隊長でもある。中隊全体を仕切る際に、第一小隊の指揮はロイに委ねるのだ。そして藤田率いる第一小隊にはタマキとロイの他にもう一人仲間がいて、レベッカ・タウネンというアメリカ系の女性である。今は、藤田からはかなり離れた場所に今は位置している。残り二人とは違って、自分の職務を果たすのに余念が無いようだ。
 
 藤田中尉を先頭とした計四人の小隊。この形態が統合軍機動小隊の基本形態であり、宇宙軍を含む全ての機動部隊に通じることだ。

《火星での遺跡争奪戦で、旧木連の戦力はほとんど火星に集結したと教本に載っていました。隊長も参加されていたのですか?》

 藤田中尉は好奇心旺盛な部下二人に苦笑しつつも、今や過ぎ去って数年経つ光景を思い出すように、コックピットの天井を見上げた。なんの面白みも無い無機質な壁面に、藤田中尉は三年前の火星の空の青さを見出していた。

「ああ、いたよ。《遺跡》が跳んで無くなるのも、この眼で見た。もちろん初代《ナデシコ》もな」

 共に遺跡の独占を画策する旧木連軍と、地球連合軍。二つの大軍勢が入り乱れる中、たった一隻でその火中に飛び込み、戦乱の根源を封印した《ナデシコ》。当時、藤田中尉は《ナデシコ》を肉眼で確認しただけではない。旧木連の人型機動兵器を駆り、彼は《ナデシコ》と戦ったことがあった。正確に言えば、その王城を守る赤、黄、緑、そして赤紫の騎兵、《エステバリス》と。そのときの情景が、まざまざと蘇ってくる。忘れがたい記憶だ。昨日のことのように思い出せる。

「それでも、もう三年か」

 またもやタマキが、そんな隊長の呟きを拾う。

《どうしました。隊長》

「いや・・・、おしゃべりはここまでだ。ノルマを終わらせなければ訓練追加だぞ」

《いーっ!》

「文句あるか?」

《了解。任務に戻ります》

《・・・と、こちらも了解》 
 すぐさま敬礼を返すロイを見習って、タマキもまたひょうきんな敬礼を返し、ウィンドウから姿を消した。暗闇を映すのみになったウィンドウを消去し、藤田は再び周囲の警戒に注意を払う。宇宙はどこまでも暗い。戦争が終結してから、この暗闇はじつに静かになった。それでも、その圧倒的な空間は、けっして人類に優しい顔を見せない。平和という時代に突入しても、それでも宇宙にはどこか恐ろしいものが潜んでいそうでならなかった。


 クリムゾン・グループを中心とした企業群の古代技術解読部門が研究に費やした十二年間、構想を練るのにかけた八年間、そして設計から完成に至るまでの二年、総計二十年もの歳月が実体を伴ってついに完成したのは、つい最近の事だ。ボソン・ジャンプ・ハイウェイとも言うべき、道無き道。通称《ヒサゴ・プラン》。

 長年の研究に渡り、クリムゾン・グループは《遺跡》の力無くして《チューリップ》を利用した《ボソン・ジャンプ》、通称《B級ジャンプ》と呼ばれる時空間跳躍術を手中にした。その結果生み出された一大交通網、《チューリップ》という列車に乗り込み、《ボソン・ジャンプ》というレールを走り、駅の役割を果たすターミナル・コロニーへと一瞬に移動する画期的交通手段、それが《ヒサゴ・プラン》。まさに宇宙を巡る瓢の大螺旋とも言える、至高の発明であった。

 そのターミナル・コロニーの一つに、《タカマガ》という名のコロニーがある。
 クリムゾン・グループを初めとする各企業から約二百人の専門職員が派遣され、千八百人前後もの民間労働者を雇い、施設の管理を行っている。また、各ターミナル・コロニーには、《ヒサゴ・プラン》の中枢であり最重要拠点でもある《アマテラス》を中心に、統合軍全体の約四割が駐在している。《アマテラス》に至っては丸々一個艦隊が、《タカマガ》にも、第十二艦隊所属の第二十四機動戦隊、第二十六機動戦隊、第十六駆逐隊、そして第十八駆逐隊という、それでも大規模な戦力が集結している。

 なぜ、これほどの規模の軍勢が、ターミナル・コロニーに駐在しているのか。それは、統合軍自体が《ヒサゴ・プラン》に監修という形で、完成以前より深く関わっていたことが関係している。また、各コロニーに二十機ほど設置されている転移装置《チューリップ》。これらを利用した瞬間移動は、当然のことながら宇宙の治安維持に絶大な効果を及ぼす。よって《ヒサゴ・プラン》は、宇宙に張り巡らす交通網としてだけでなく、そのまま統合軍の宇宙基地としての役割も果たす事になったのである。

 そして藤田東二中尉も、《タカマガ》の守備隊として第二十四機動戦隊に所属している。守備隊には、有事の際の軍事的防衛力としての役割以外に、大戦時の機動兵器の残骸などのスペース・デブリの除去といった、至極雑用的な役目も担っている。

 もちろんそういった人工物のゴミは、コロニー建設の際にあらかた掃除し尽くされている。そのため宇宙のゴミ掃除の任務を仰せつかった部隊の主な目標は、自然発生する障害物、いわゆる隕石ということになる。しかし、ただの隕石ならば、それほど躍起になって除去する必要も無い。

 では一体何を恐れて、機動兵器に宇宙のゴミ掃除などをさせるのか。

 それは地雷である。宇宙空間にて、その効力を発揮する、言わば宇宙機雷。大戦当時、大量の宇宙機雷が、かなりの規模でばら撒かれていた。それも敵の眼を欺くため、何の変哲も無い隕石を模して。旧時代においても、戦後の不十分な地雷処理によって、民間被爆者が後を絶たなかった。

 それなりの資産家なら誰でも個人用のスペースクラフトを所有できる昨今、宇宙機雷除去は戦後において何よりも優先されるべき作業であった。大戦終結後の一年間で、木連・地球連合の共同作業によって大部分は除去されたものの、それでもリストによるとまだ数機の取りこぼしがあると言う。宇宙にたった数機しかない機雷に衝突する可能性など、万に一つもないが、それでも除去作業をやめるわけにはいかない。大規模な撤去作業は終了したものの、こうしてそれぞれの施設の守備隊が定期的に、周辺宙域の探索を行っているわけである。

 通例として、その作業は二、三中隊ほどの人数で行われる。そして分割されたコロニー周辺エリアが各中隊に振り分けられ、さらにそのエリア内で、四つの小隊にそれぞれの担当宙域が廻って来る。その担当宙域が、所謂『ノルマ』と呼ばれるものである。例えばタマキ伍長などは、藤田東二が率いる小隊の中でも、コロニー外壁に最も近い部位を担当している。すぐ傍に管制室も見えた。ここまでコロニーに近づけば、宇宙機雷など万に一つも存在しない。今回の担当区域に関してのみ、彼としてはそれほど神経質に探索を行う必要も無かった。それに何より、自分より真面目で神経質なきらいもある友人がすぐそばにいるのだから、なおさらだ。

《ヨシタカ。あんまり隊長を困らせるなよ》

「はいはい」

 藤田隊長との通信終了後も、タマキ・ヨシタカ伍長のコックピットにはロイの通信が流れ込んできていた。タマキは嫌がらせに受信拒否してやろうかと思ったが、やめておいた。黒人で厳ついルックスをしている割に、ロイという男は意外と繊細なのだ。

《けど、隊長もやっぱり色々思うところがあるんだろうな》

「元敵の機体には乗りたくないな。俺だってそうだ。そういえばうちの軍にも、たしか《ナデシコ》出身のパイロットがいたな。どこだったか?」

《かの有名な《ライオンズ・シックル》。そこの若き隊長だとよ》

「ああ、そうだった。精鋭部隊が年下にこき使われているわけだ。同情するよ」

 そう口では言うものの、言葉面ほどタマキの口調に侮蔑の感情は篭もっていない。統合軍、第十七艦隊所属・第三〇一機動戦隊の精鋭機動兵器中隊、通称《ライオンズ・シックル》の『鬼女』の噂は広く統合軍の末端にまで届いている。そのうちの一つが、『鬼女』の搭乗する機体に関するものである。

 いわく、主な推進力として重力波推進を採用している《エステバリス》の性能に不満を抱いた『鬼女』ことスバル・リョーコは「二つ付ければ出力も二倍だろ?」という、メカニックが頭を抱えたくなるような単純明快な理論を持ち出して、半ば無理やり二本目の重力波受信アンテナを自機に装備させたと言う。それがエステ隊の中でも生粋のエース・パイロットにしか与えられないと言われる《エステバリス・カスタム》の原形となったことは有名な話である。その性能は、最新鋭機であり、連合宇宙軍、統合軍問わず主力兵器として採用されている《ステルン・クーゲル》をも凌ぐ。しかしながら、IFSを装備してもなお劣悪な操作性と整備性から、大量生産には至ってはいない。

 そしてこの話には後日談が存在するのである。己の力量に見合った機体を手に入れた彼女は嬉々として、且つ易々と二つ目の心臓を手に入れた暴れ馬を乗りこなし、初出撃で優に十一機もの敵機を撃墜したという。この話は様々な尾ひれを付けて軍内を飛び交ったが、とにかく、精鋭部隊《ライオンズ・シックル》の女性隊長が、統合軍で一、ニを争う腕前を持っていることを、疑う者は今や一人もいないというわけだ。

《そして付いたあだ名が『鬼婆』。でも、黙っていれば美人らしいから少し変えて『鬼女』になったらしい》

 そんなロイの軽口に苦笑しながら、タマキ伍長は気の進まない補修訓練を回避するためにも、ノルマ達成を目指して自機を移動させた。するとコロニー外壁が目前というところまで来て、前方を浮遊する巨大な隕石を見つけた。《ステルンクーゲル》がスッポリと入ってしまうくらいの質量である。タマキ伍長は口笛を鳴らした。

「レールガンで打ち抜きたい」

《よせよ。クビになりたいか》

「訓練の一環じゃ、だめか?」

《当然だ》

 見ればその隕石は、緩やかな速度だがコロニー管制室の方向に流れていってるようだ。放って置くのも手だが、衝突でもしたら、管制室の強化ガラスに傷ぐらいはつくかもしれない。タマキはその隕石を追うことにした。

「照準オーケー。撃墜する」

《短い付き合いだったな》

「冗談だよ。とりあえず進路を変更させておく」

 そう言って《ステルンクーゲル》を隕石の傍へと移動させる。藤田中尉とは違い、《EOS》に指令を下し、操縦桿をコンピューターに預けてオートで作業を行う。新米に無理は禁物。訓練時間は一五〇時間を突破しているが、その辺り謙虚さは失っていない。もっとも、単に手動操作を面倒臭がっているだけかもしれないが。とにかく、タマキ伍長はコンピューター操作に任せて至極のんびりと、自分の意志とは無関係に迫り来る隕石を正面モニターに見ていたのである。





 この時点で、タマキ・ヨシタカには知る由もないことだが、彼が正対している隕石は、藤田中尉が部下二人との通信を始める前に押し流したものと同一のものである。たしかに藤田中尉によってコロニーとは反対の方向に押し出されたはずのものだが、何故それが藤田中尉よりさらにコロニーに近い位置にいるタマキ伍長の眼前にあるのか。他の漂流物とぶつかり、再び方向を変えてしまったのだろうか?

 これも、この時点では誰も知る術のないことだが、答えは否である。

 その隕石は、明らかな『意志』を持って、『自力』で方向転換したのだ。なるべく哨戒中の機動兵器を避けるルートを通って。よりコロニーに接近できるよう。そこにタマキ伍長がたまたま現われたに過ぎない。もはやコロニーは目前。そして隕石の眼には、はっきりと見えていた。周辺宙域を視認できるよう外壁に面する形で設置されている施設。コロニー外部に錯綜する情報を統括し、各部署に指令を下すコロニーの二つある内の『頭脳』の一つ、『管制室』。隕石の眼からも、透明な強化プラスチックの窓を通して内部を伺えた。幾人かの人々の姿が垣間見える。数秒後に訪れる己の運命も知らず、あくせくと働いている。まさに目と鼻の先。二度目の進路妨害を許して、また人目を忍んでUターンする必要はどこにもない。

 隕石は自分を明後日の方向に押し出そうとする白色の機体に、視線を戻した。

 恨みは無いが、邪魔はされたくない。

 溶けろ。

 隕石は火を吹いた。正確に言えば、荷電粒子の光条を。隕石の外壁を突破して、白い機体のコックピットを貫いた。それでも光は威力を失わず、そのまま管制室に突き刺さる。隕石すら跳ね返す強化プラスチックの窓が、呆気なく融解した。そして管制室内部にいた人も、また。彼らは自分の肌が気化するのを知覚することなく、タマキ伍長と同じ運命を辿った。

 作戦第一段階、成功。ターミナル・コロニーとしての『頭脳』は潰した。

 隕石は、殻を破る事にした。機体を起動させた以上、敵方のレーダーにこちらの存在は示されているはずである。となれば、手の込んだ擬態も、もはや必要ない。 IFSを通じて指令を下す。途端に、隕石の外壁が火花を散らして分解した。ダミー隕石の内部に、息を潜めて潜伏していたのは、禍々しく黒い機動兵器。《ブラック・サレナ》 In 《高機動フレーム・重武装タイプ》。パイロット、テンカワ・アキトは、このとき既に、自らの勝利を確信していた。





「敵襲ーーーッ!」

 友人の乗る機体が青白い業火に貫かれる様をウィンドウ越しに目撃したロイ・マクフェルは、この宙域にいる誰よりも早く、事態を把握した。一瞬目の前の光景が信じられなかった。また、信じたくも無かった。だが、訓練された彼の精神は、悲しみよりもまず先に義務を全うせよと彼に囁いた。《タカマガ》司令部に回線を開いて、あらん限りの声量で叫ぶ。

「敵機、管制室付近に出現! 隕石に偽装して接近した模様。数、一機。管制室と友軍一機、破壊されました。増援願います!・・・・隊長!」

 チャンネルを切り替えて、今度は隊長機に繋ぐ。直接の上官に指示を仰ぐのと、仲間の殉死を知らせるために。 

《聞こえている。すぐに行く! 無理はするな》

 聞こえてきたのは、いつもの雄々しく頼もしい声。その響きに、どうにかロイは心を落ち着かせる余地を見出す事が出来た。だが、友人の死という絶対的な悲哀に、そんな薄っぺらな安心感はすぐに掻き消える。まるで悲鳴をあげるように、ロイは叫んだ。

「タマキが死にました!」

《わかっている》

「追います!」

《お前は死ぬな!》

 了解、とは言えなかった。目の前で親友を屠った黒い機体が、今度は自分目掛けて突進してきたからだ。反射的に、ロイは操縦桿を動かした。とっさに身を捻る《ステルン・クーゲル》。

 かろうじて回避。その原始的で荒々しい戦法に、ロイは戦慄した。

「体当たりだと・・・!」

 振り向きざまに、敵機の背後に向けてハンド・レールガンを発射する。《物干し竿》と呼ばれる長大なライフルから、極超音速の弾丸が撃ち出される。だが、当たらない。黒い巨躯の戦闘機は、まるで貴婦人が舞踏でも踊るかのように軽やかに回避して見せた。

「速い!」

 ロイはほぞを噛んだ。さすがに、もはや廃れて久しい戦闘機型である。

 戦闘機型とは、旧時代の空力戦闘機と同じく、推進力をほぼ後方一方向に集中させて、人型にはない超高機動力を実現させた宇宙用機動兵器の一形態である。しかし、宇宙空間での戦闘が研究されていく内に、基本的に前進のみの戦闘機が宙間戦闘に酷く不向きである事が分かってきた。そのために球体型戦闘ポッドなど、全方位に対応できるタイプの小型戦闘機が開発され、その次の世代では両腕両足を装備した準人型兵器が登場した。その汎用性が注目され、その時点で全ての機動兵器は人型形態へと歩を進める事と為った。

 そして今日、二二〇一年では、古代文明から発掘した高性能無人兵器を除いて全ての機動兵器は人型、もしくは砲戦用マシンなどに見られる準人型形態を採用している。ロイにとっても、非人型と戦うのはコレが初めてであった。特にこの黒い機体のスピードは、《ステルン・クーゲル》の比ではない。

 しかし、厳然たる事実が一つ。所詮はたったの一機である。ロイはレーダーを見やった。コロニー内の戦力が展開され、戦闘態勢をとりつつある。包囲してしまえば、たった一機の敵など、宇宙に浮ぶ塵芥も同然。

「だが、敵を堕とすのは俺だ!」

 敵も大軍勢の接近を察知したのか、こちらを無視して移動を開始した。ロイも、当然追撃する。すると、後方から接近してくる機体を見つけた。隊長機である。

《ロイ、無事か》

《大丈夫? 副長》

「隊長。レベッカも・・・」

 これで小隊は全員揃った。精神を寄りかからせることのできる場所が眼に見えたとき、血が上った頭が急速に冷えてゆくのを感じた。同時に、もはや小隊四人が集結する事は無いという事実に、心が捻り切られるような思いに捕らわれる。そして同時に、猛るような怒りもまた、皮膚の下から沸々と湧き上がってくる。

「隊長・・・タマキが」

《終わったら、考えよう。それより追撃だ。いいな」

「・・・了解」

 隊長はいつも冷静だ。それが、戦場では必要な事なのだろう。自分は副隊長だ。緊急時には、指揮権を預かるものとして隊長の代わりを務めなければならない。ロイは、先程までの自分の、あまりに非理性的な態度と精神状態を恥じた。だが操縦桿を握る手に、必要以上に力が篭もる事を止めるのは、今でもどうしても出来ない。


 《タカマガ》守備隊司令部。

 ニ階層に分かれた内の上層にて、戦闘指令室には相応しくない高級な革の椅子に座った男は、状況報告として目の前に乱舞するように現われるウィンドウに目を走らせていた。その男の襟元につけられた階級章から、その男が『准将』であることが分かる。そしてその男が、一司令部を預かれる階級に相応しい堂々たる体躯と威厳を有している事は、将官クラスが羽織る事の許される赤い外套の上からでも見て取れる。

 キタノ・マサノリ司令は、自分を取り巻くように表示されたウィンドウの一つ、周辺宙域の俯瞰図を示したウィンドウに目を留め、睨みつける。敵機を表示する赤いアイコンは、まっすぐにこの司令部へと続くゲートに向かっている。

「頭脳を潰すつもりです」

 傍らに佇む参謀のキヨスミ中佐が言う。キタノ司令とは対照的に、長身ではあるものの、やや痩せ型で不健康な印象がある。目元も穏やかで、日向ぼっこをする老人のような、のんびりとした雰囲気をかもし出している。だが、その内にひっそりと隠れている誰も知らない知性の光を、キタノ司令は何よりも頼りにしている。

「極めて妥当な戦術だな」

 そう答えて、司令は下層の専用ブースにて情報処理に没頭している通信士に、指示を飛ばした。

「各隊に伝達」

「了解。各隊に伝達」

「各機動戦隊はそれぞれの艦隊を従え、司令部を守りつつ迎撃。敵をコロニーから引き離せ。残りは、敵の伏兵にそなえ待機。特に《チューリップ》施設に注意を払いうよう伝えろ」

「了解」

「消火班出撃。救護班も同様。管制室付近の負傷者を救助しろ」

「了解。消火・救助両班出撃」

「敵をコロニーに近づけるな。砲戦マシン、部署につけ」

「了解、砲戦マシン、出撃」

 一通りの指示を出し終えたキタノは、クッションの利いた椅子に深々と身を沈み込ませ、ワイヤーワークで立体的に表された戦域情報のウィンドウに再び視線を固定させた。そこに示される敵機の情報は依然、変わらない。正体不明機《アンノウン》。一機。《ステルン・クーゲル》からのカメラを通して、その大まかな立体映像も表示されており、コロニー側は正体不明機の外観情報を入手したことになる。《アンノウン》は確かに、現行の機動兵器の歩みからは逸脱した形態を持っているが、それでも常識を覆すほどの戦力を単機で有しているようには見えない。

「本気で単機でコロニーを堕とすというのか?」

「わかりません」

 声ならぬ呟きをどうやってか捕らえ、キヨスミ・ハルヒコ参謀は首を振って答える。戦術養成学校からの付き合いでもある友人を、キタノ司令は椅子を回転させて振り返った。

「馬鹿げているとは思わんか?」

「問題なのは敵の目的です。コロニーの制圧なら、准将がおっしゃる通り、戦力が小さすぎる。可能かどうかは、この際関係ありません。たとえ可能にせよ効率が悪すぎる」

「目的はコロニー制圧ではないと?」

「今は出方を見るしか」

 四つに分かれた艦隊が、守勢に応じた戦陣を完璧に構築しつつあった。キタノは、キヨスミ以外の部下に悟られぬよう、こっそりため息をつき、再び正面を向く。

「全軍に伝達! これより敵機を、その外観からちなんで《ゴースト》と呼称することにする! 全員、幽霊退治に意力を尽くしてもらおう!」


 


 《タカマガ》が所有する戦力は、機動戦隊、駆逐隊、共にニである。その内の一つの第二十四機動戦隊は、戦闘空母《キルタンサス》を旗艦に、《エリカ》、《ラークスパー》の計三隻の戦闘空母で構成され、それぞれが搭載する計一九二機の機動兵器による作戦行動が主な役割になる。

《我が戦隊は敵機殲滅が任務だ。全機出撃。《ゴースト》をコロニーから引き離し、殲滅せよ》

 《キルタンサス》からの命令を受けて真っ先に《ゴースト》に立ち向かったのは、《キルタンサス》を母艦とするクーゲル部隊の面々である。
 
 《キルタンサス》が誇る四つの機動中隊《ブルース・D》、《ホワイト・ティーゲル》、《レッド・バーズ》、《スネイク・タートル》。その中でも最も好戦的な《ホワイト・ティーゲル》は、我先にと《ゴースト》の前面に踊り出て、射撃体勢を整えた。別部隊の敵機発見者(ロイ・マクフェル)からの報告により、《ゴースト》の簡単な特徴は把握していた。黒色の戦闘機型であること。高出力のビーム砲を装備していること。そして桁違いの高機動力を有している事。だが、例え機体性能が圧倒的であろうとも、同じく圧倒的な戦力差を覆す結果にはならない。

 敵味方の戦力の値を測るとき、単純計算で人数の二乗倍が彼我の戦力差となる。敵が単独であるに対し、コロニー側は機動兵器だけでも三八〇を越える。一対約10万5千。コレが敵と味方の戦力の比だ。そして、たった一機で一万機分の戦力を有する機動兵器など在り得ない。十万人力のパイロットもだ。

「白虎隊の連中! 俺に続け!」

「了解!」

「了解!」

「了解!」

 総勢十五人の部下達の、打てば鳴るような返答に、《ホワイト・ティーゲル》隊長バートン・ズーは満足したように口元を歪める。次いで正面を見やれば、例の《ゴースト》がまるで彗星のような勢いで、宇宙空間を飛翔しているのが分かる。機体自体が黒一色で背景に溶け込んでいるせいか、敵が発するブースターの光だけが目に見えて、まるで一筋の流れ星のようにも見える。
 
 戦闘中毒者であると自他共に認めるバートンは、一瞬似合わないロマンチシズムに捕らわれた。だが、そんなものは苦笑と共に口と鼻から追い出した。その流れ星は、凶器を持った犯罪者に過ぎない。その犯罪者は、真っ直ぐ自分達の方へ向かってきている。いや、正確には自分達の後方にある司令部を目指してだ。それを防ぐのが目下のところ自分達の役目である。
 
 司令部に直進する《ゴースト》の正面にて、《ホワイト・ティーゲル》隊は一斉に砲門を開いた。

「今は司令部に向かうのを止めろ! いいかあ、引き付けろぉ・・・・・今だ! 撃てーー!」

 《EOS》のオート・サポートに導かれ、正確無比な弾道を描いて可動伝導体の弾丸が跳ぶ。音速にまで至る弾丸の運動エネルギーは、命中時には熱に変換され、弾体の衝撃力に加えて、その超高温のガスがフィールドごと装甲を溶融させる。元は地上戦においても安定した威力を発揮する兵器を求められて造られたのがレール・ガンだが、その貫通力を買われ、《ディストーション・フィールド》が普及した今日では、宇宙機動戦においても主兵装となっている。

 だが、電磁力によって加速された五十を越える数の弾丸は、悉く回避される。まるでこちらの弾道を予知しているような、その回避運動の鮮やかさに、バートンは息を飲んだ。一体だれだ! 敵のパイロットは!

「突破される! 散開しつつ撃ちつづけろ! 自分の戦艦に撃ち落されるな!」

 背に伝った冷たい汗を感触を意識しないように、怒声を張り上げる。すると、小うるさい砲撃に業を煮やしたかのように《ゴースト》が動きを見せた。《ゴースト》の前面に、灰色の噴煙が巻き起こった。それはミサイルの噴煙だ。そう理解したとき、バートンはとっさに飛び跳ねるように機体を動かした。

 短距離宇宙用赤外線ホーミングミサイル。砂漠に生息するガラガラヘビのように不規則な線を描きながら飛翔してくる数機のミサイルを、バートンは自慢の機動力で回避、あるいは胸部バルカン砲で狙撃していく。その見事な回避運動の際、視界の端に映ったレーダーが、部下の大多数が被弾した事を知らせる。

「下手糞ども!」

 部下の不甲斐なさに対する怒りを、敵機にぶつける。ミサイルのお返しとばかりにバートンは、回避運動の直後に攻撃態勢に入り、レールガンをニ、三発お見舞いしてやった。すると、まさか無傷で避けきる者がいるとは思わなかったのか、対応を遅らした《ゴースト》は回避しきれず、レールガンの弾体は《ゴースト》のフィールドに見事に突き刺さった。

「当たった! だが・・・・だめか!」

 敵のフィールド強度もまた、現行のそれを大きく上回っていた。たった一発の弾丸など、蚊が刺したほどのダメージも感じてないように、《ゴースト》は一直線に二十四機動戦隊の領域を突っ切っていった。忌々しげに舌打ちするバートン。だが、ようやく敵の姿がおぼろげながら見えてきた。

 子供のケンカから機動戦闘に至るまで、それに参加する兵士・兵器の性能は攻・守・走の三要素によって測られる。例えば《ステルン・クーゲル》なら、高速低速切り替え可能なハンド・レールガンを装備し、高出力の《ディストーション・フィールド》を備え、燃料スラスターの採用により《エステバリス》以上の機動性を誇っている。攻・守・走の三要素がバランスよく、かつ高レベルに纏まっているのだ。

 それに対して《ゴースト》の武器は、現行の常識を大きく突き抜けた圧倒的スピードと堅牢な装甲の二つ。そして、もう一つ。

「グラビティ・ブラスト広域放射! ッてーー!」

 機動兵器による壁が完成する前に、突破されたと見るや第二十四機動戦隊提督・《キルタンサス》艦長ベイオウーフ・ロブマンは腕を振りかざした。すると同時に、艦首に搭載された大口径ニ連装の《グラビティ・ブラスト》が、《ゴースト》に迫る。続いて《エリカ》、《ラークスパー》、そして戦闘空母三隻を守護するように囲む第十八駆逐戦隊もまた、各々の重力の火砲を解き放つ。広範囲に拡散されて発射された六本の無色のエネルギー帯を完全回避する術は無い。必ず当たる。総勢九隻もの戦艦から放たれた無色の槍は、それこそ大海の波涛のように《ゴースト》を飲み込んだ。

「回避、回避、命中!」

「続けて命中・・・・・ダメです! 弾かれました!」

 津波のように押し寄せた《グラビティ・ブラスト》のほとんどを《ゴースト》は回避して見せた。それだけでも十分驚きに値することが、なにより艦橋の人間が度肝を抜かれたのは、完全回避が不可能だったのにも関わらず、《ゴースト》がいまだ健在であると言う事実である。つまりそれは、たった一機の機動兵器が展開するフィールドが、戦艦の火砲に、数発とはいえ耐え切った事ということである。
 
 現代兵器において、《グラビティ・ブラスト》と《ディストーション・フィールド》は、紛れも無い最強の矛と盾であった。しかし、『矛盾』という言葉に纏わる有名な中国の逸話は、この二つには当てはまらない。最強の矛である《グラビティ・ブラスト》と盾である《ディストーション・フィールド》がぶつかれば、同レベルの出力ならまず間違いなく盾が勝つ。

 皮肉な話である。重力波による矛と盾は、共に《相転移エンジン》の威力行使に過ぎないという面で見れば、まさしく表裏一体だ。《相転移エンジン》が改良されればされるほど、《グラビティ・ブラスト》はその威力を増し、《グラビティ・ブラスト》が威力を増せば、それだけ《ディストーション・フィールド》の防御力も増す。フィールドが持つ、重力波砲に対する優越性は決して失われない。これから先も。
 
 しかし、それはあくまで同レベルの出力を得ている場合のみの話だ。《ゴースト》は、クーゲルに比べれば幾らか大型とは言え、それでも全長十五メートル前後。戦艦に抗するだけの出力をその中に収めているはずがない。猫に馬の心臓を移植するようなものである。
 そして、その謎に対する解答をベイオウーフ提督は《ゴースト》の解析を受け持っていたオペレーターから受け取った。

「艦長! 《ゴースト》の展開する空間断層が、前方のみに集中して見受けられます!」

「前方のみ、だと?」

「はい! フィールドの収束現象です! 機体の全包囲を包み込むはずのフィールドを、一方向のみに集中して展開させています! その空間歪曲断層の厚さは、この戦艦とほぼ同等の域にまで達しています!」

 《ディストーション・フィールド》の収束現象。
この《ゴースト》を技術的に分析した結果と称して、ネルガルが三ヶ月の後に発表することになる新たな防御機構である。その際には《ディストーション・ポイント》という正式名を賜り、全戦艦、機動兵器に搭載されることになる。だが、この時点ではまだ未知の技術でしかない。それでも、ベイオウーフにとっては有難かった。未知とはいえ、それは絶対的な恐怖の対象とはなり得ない。弱点が既に目に見えているからだ。一方向にフィールドを収束させるとは、それ以外の方面のフィールドをゼロにするということである。敵は、多角的な攻撃に弱い。

「ならば、やはり機動兵器による包囲殲滅しかないか・・・」

「敵機より反撃! 荷電粒子砲、来ます!」

 《キルタンサス》のオペレーターが叫ぶ。ベイオウーフは直ちに総員に対ショック態勢をとらせた。

「着弾まで六、五、四・・・・!」 

 これから起こるであろう現象は、誰もが確信していることではある。だが、それでも得体の知れない敵機からのプレッシャーが、《キルタンサス》のブリッジに冷たい緊張を強いる。

「三、ニ、一・・・着弾! ビーム粒子湾曲! 被害ゼロ!」

 《ゴースト》が繰り出した蒼白のビームは呆気なく、《キルタンサス》のフィールドにより散らされた。当然である。最新鋭の大型戦闘空母たる《キルタンサス》のフィールドが、たかが一機動兵器の火力で打ち破れる道理はない。だが、《ゴースト》自体の質量に比べれば、《ゴースト》が装備するビーム砲は大仰な兵器であることは間違いない。《ステルン・クーゲル》程度のフィールドなら容易に撃ち貫いてしまうに違いない。だが、その高出力ゆえ連射が利かない。ならば警戒を解かなければ、クーゲルの機動性なら難なく回避できる。

 謎の敵《ゴースト》の正体が、ようやく掴めてきた。けっして勝てない敵ではないのだ。そのことを改めて認識しつつ、ベイオウーフは己自身を鼓舞するためにも、部下に檄を飛ばした。

「敵は決して無敵ではない! 必ず仕留めるぞ!」

「了解!」

「了解!」 

 


「頃合、か」

 暗いコックピットの中で、呟く。

 彼の目の前には、戦域俯瞰図をあらわすウィンドウ。自分という敵を追い詰めるため、コロニー側は半数を防衛に残し、もう半数を迎撃に回している。両断された守備隊は、すでに二万キロ近い距離が開いている。『陽動』は成功した。これ以上ないくらいに。あとは『伏兵』の出番である。

 彼はイメージングを開始した。出撃前に、写真を使ってさんざん頭に叩き込んだ光景を思い浮かべる。《タカマガ》の《チューリップ》施設。《チューリップ》の数、形。施設の造形。周囲の星々の配置。全てが明確な形で脳内に描かれたとき、《ブラック・サレナ》は輝き始めた。それは、装甲に内蔵されている《チューリップ・クリスタル》の輝き。

 《ボソン・ジャンプ》は今、発現する。





 誰が叫んだのか。

「ボース粒子の増大反応! 並びに《ゴースト》を中心とした半径十メートルに、ジャンプ・フィールド展開! 《ボソン・ジャンプ》です!」

「《チューリップ》施設付近にボソン・アウト現象を確認! ・・・・・ッ! やられました! ジャンプ施設沈黙!」

「《チューリップ》が破壊されたのだな?」

 キタノ准将は、悲鳴混じりの報告を挙げたオペレーターたちを叱咤する気持ちで、努めて冷静に受け答えた。だが、頭の中ではオペレーターと同じく、悲観的な思いで満ち溢れているに違いない。敵は自由に《ボソン・ジャンプ》を扱える。それは戦況を一気にひっくり返してしまうほどの事実。現に、いとも簡単に《チューリップ》を破壊されてしまった。これで、他のコロニーからの援軍を呼ぶと言う選択肢が消えたことになる。退路が断たれた。

「敵はA級ジャンパー、か」

「嫌な敵ですね。これまでの経験と常識が通じない」

 テレポーテイション。一瞬にして数千キロメートル離れた場所に瞬間移動できるという空想の中だけの現象が、今ではもはや架空のものではなくなっている。新しい理論や技術が戦争に利用されるのは、当然の事。現在の高等数学も、物理も、化学も、軍事利用という経緯を経てここまで発展してきたのだから。

 だが、《ボソン・ジャンプ》という事象を司る《遺跡》が人の手に渡らない所に廃棄されてからは、《ボソン・ジャンプ》の研究も半ばストップし、結局は既存のボソン技術、《チューリップ》を介しての決められた場所からの決められた場所への瞬間移動(B級ジャンプ)が大衆化され、普及されるに留まった。それが《ヒサゴ・プラン》である。だが、戦争終結のためには止む無しと思われた《遺跡》の廃棄は、思わぬ側面を持ち合わせていた。

 それは《遺跡》の消失によって、《チューリップ》を使わずに生身のまま行うA級ジャンプが、たった数百人のA級ジャンパーに独占されてしまった事だ。最低限の訓練をつめば、たった数人で戦況を変えてしまうほどの能力を持つ異常者たちを、地球連合政府の誰もが恐れた。

「太陽系の平和の為に、A級ジャンパー死すべし。そう唱えた人もいましたね。どうも、賛成したい気分です」

 口元を緩めながら、キヨスミ中佐は言った。
 キタノ准将も、それに応えて笑う。

「私もだ」

 そして面を上げる。司令官たるもの、いかに勝算がゼロに近づこうと、戦いが終わるまで指揮棒を下ろしてはならない。

「各機に伝達。《チューリップ》は破壊された。敵はジャンプを行える。各機不意打ちに注意しろ。何が何でも、敵を包囲するのだ。奴にこれ以上、跳躍を行わせるな」

「りょ、了解! 伝達します」

「それから、コロニー内の人間の避難を開始しろ」

 復唱しようとして、通信士は慌てて准将を振り向いた。

 それは事実上の敗北宣言だからだ。

「敵はその気になればコロニー内部に、いつでも突入できる。当然の処置だ。復唱、どうした?」

「りょ、了解。コロニー内の避難を開始します」

 通信士は手元のコンソールを操作した。

 これでコロニー内に、仰々しいサイレンと共に避難勧告が流れるはずである。

「見事でしたね」

「・・・ん?」

「敵の戦術です」

 こういうときでも、キヨスミ参謀は冷静である。それが時々憎たらしく思う時もあるが、今の意見だけは全面的に賛成せざるを得ない。

 隕石に偽装して接近。まず頭脳の一つであり、外部を見張る有能な眼でもある《管制室》を破壊する。そしてこちらの戦闘態勢が整うのを待ち、圧倒的な戦力差に押し出されるような振りをしつつ、こちらの部隊をコロニーから引き離す。そして、跳躍。一気に《チューリップ》施設を破壊し、増援の憂いを断つ。要はこれは、『囮』と『伏兵』を一人二役でこなす、陽動作戦だったのだ。そしてもう一つ、分かる事がある。敵機が本気であるということだ。《ゴースト》は、本気で単独でこのコロニーを制圧するつもりなのだ。

 忌々しい事実だが、逆に晴々しくもある。一機が敵拠点を堕とす。長年培われてきた宇宙戦闘の戦術に革新が起きようとしているのだ。だが、その歴史的瞬間の道化役に甘んじるつもりはない。この戦、なにがなんでも負けるわけにはいかなかった。

「腕前は認めるが・・・悪いが、敵を誉める気にはなれん。奴は私が預かるコロニーを攻撃したテロリストだ。沈めてみせよう」

「もちろん。私もお手伝いします」

 付き合いだけは長い上官の心中を察し、キヨスミ中佐もまた己の役目を果たすべく、正面に向き直った。






「奴をこれ以上跳ばせるな!」

 《チューリップ》施設に最も近い位置で警戒態勢を敷いていた第二十六機動戦隊提督・旗艦《シロツメクサ》艦長アンドリュー・ペリントンの怒号が響く。その声に応じて、《シロツメクサ》所属のクーゲル部隊が一斉に、飛翔を開始する。

 だが、その編隊にどこかぎこちなさが見えるのは、此度の戦闘のあまりの特異性が起因している。一機動戦隊が所有している機動兵器は一九二機。それだけの数で、たった一機の敵を追い詰めるのが今回の戦いだ。まさに前代未聞であると同時に、各隊長格の人間を大いに戸惑わせた。大部隊で包囲網を敷くにしても、同士討ちになるのがオチである。また今回の場合、敵機の速度がこちらを遥かに凌駕しているという事実もある。

 アンドリュー提督はここで、前例の無い独自の作戦を考案する必要があった。

「艦隊は後方待機! 各機動兵器中隊は防波堤を作れ! 《シロツメクサ》所属の部隊を先頭に、《アカツメクサ》、《ヨイマチクサ》と直列に並び、また各中隊ごとに四つの層を! 敵を迎え入れろ! 攻撃は前方のみに限定! 味方の背中を撃つなよ!」

 アンドリュー提督が出した指示は、本来なら正面突破を仕掛けて来る軍勢を迎え撃つための艦隊の布陣を、対機動兵器用に即興で修正したものである。あたかも襲い掛かる波を防ぐ堤防のごとく機動兵器を配置し、突進してくる敵機を迎撃する。《ステルン・クーゲル》の武装は対フィールド兵器としても効果の高いレール・ガンである。敵のフィールドが如何に協力で、数発の弾丸なら防げても、鉄壁防衛網を敷いた上での一斉射撃には到底耐えられる物ではない。

「引き寄せろ! 狙いは二の次だ! ・・・・・ってーーーー!」

 総勢一九二機による、正真正銘の一斉砲火が放たれた。電磁力を纏った黒色の弾丸は、宇宙の闇をさらなる深い闇に塗り替える。この闇が、先程の《グラビティ・ブラスト》と決定的に違うのは、その追従性だろう。《ゴースト》がどんなに華麗な回避行動をとっても、二百機近いクーゲルの眼全てを眩ませる事は出来ない。逃げても逃げても喰らいついてくる弾幕に、ついに《ゴースト》は敗れた。それまで無敵を誇っていた《ゴースト》のフィールドはあまりの過負荷に、ついに貫通した。フィールドが掻き消える。途端に、無傷だった《ゴースト》自身の黒い装甲が瞬く間に削られていく。

 勝った! 誰もがそう思った。たった一人を除いて。他でもない、《ゴースト》こと《ブラック・サレナ》のパイロット・テンカワ・アキトを除いて。

 テンカワ・アキトは確信していた。己の勝利を。そして、《ゴースト》が滅ぶ様を、アンドリュー提督が目撃する事が決してないことを。

 この時点で既に、アンドリュー提督は致命的なミスを一つ犯しているのだ。それは、艦を一地点に固定させ、なおかつ敵機撃墜を焦るあまり、艦隊の周囲に機動兵器部隊を一機たりとも配備させていない事だ。確かに《ゴースト》が自身の性能だけでこの戦陣を突破する事は不可能だ。だが、《シロツメグサ》を取り仕切るアンドリューは未だ、《ボソン・ジャンプ》を、いや、A級ジャンパーを甘く見ていたと言えるだろう。それが彼と、彼の艦の命運を分けた。

「《ゴースト》周辺に、再びボソン反応!」

 それは在り得ない現象だった。

「馬鹿なッ! あの砲火の中でイメージングを行えるだと!」

 彼自身はA級ジャンパーではないため、『イメージング』というものが具体的にどういうものなのかは詳しくないが、クリムゾンの技術開発センターは、それを『ボソン・ジャンプの目的地の光景を明確に思い描く事』と定義している。そのイメージが、この宇宙のどこかに存在する《遺跡》に送り込まれ、ジャンプが開始される。『目的地を思い描く』、そのイメージが鮮明であればあるほど、ジャンプの精度は高まると言う。だが、戦闘中に、それもアリ一匹逃がさぬ密度の砲火を受けている最中に、そのような芸当ができるものなのか? できるはずがないではないか。

 答えはYESであり、NOでもある。凡夫には不可能な瞬間的イメージング。A級ジャンパーのみがそれを可能とする。

 空間跳躍。チューリップ無しの、ボソン・イン。A級ジャンパーのみが持ちえる能力。その出現位置は・・・。

「《シロツメグサ》の真上です! フィールドの内側にボソン・アウトします!」

 絹を引き裂くような、オペレーターの悲鳴。敵の出現位置は超至近距離。《ディストーション・フィールド》の内側。フィールドの内側にボソン・アウトされては、戦艦など金の掛かった棺おけでしかない。

「近接防御!」

 ファランクス。近距離 艦対空防空システムの名称であり、本来は古代ギリシャ重装歩兵が用いた密集戦闘隊形の呼び名。20mmバルカン砲を使用した艦艇用、近距離防空システム。目標の探知・追跡・破壊までをフル・オートで行う、飛来する対艦ミサイルや機動兵器から艦艇を守る最後の手段。毎分六千発で放たれる劣化ウラニウム製の弾芯は、しかしながら一発たりとも《ゴースト》の装甲に触れる事は無かった。全長四百メートルにもおよぶ統合軍が誇る最新鋭戦闘空母は、《ゴースト》のビーム砲の一撃であっけなく沈んだ。





 一つの頭脳を中心に、手足として作戦行動を取るのが戦闘というものだ。司令部という名のもっとも大きな頭脳は未だ健在だが、艦隊を直接指揮するのは提督だ。その提督の指揮能力を奪われれば、艦隊の指揮系統は乱れる。パイロット達も混乱する。

 旗艦の轟沈に呆然とする僚艦《アカツメクサ》、《ヨイマチクサ》を、《ゴースト》は丁寧に一隻ずつ、葬っていった。この瞬間、総勢一九〇を越える機動兵器部隊は、帰る場所を失った彷徨える子羊と同等に成り下がったのだ。考える脳を失った家畜を一網打尽にすることなど、《ゴースト》にとっては児戯にも等しい。

 ましてや機動戦隊の戦闘空母の周囲に群がる駆逐戦隊など、居ないも同じ。艦隊のど真ん中に位置する敵に、《ゴースト》にとって最も注意すべき重力波の主砲など撃てるはずが無い。同士討ちになるのが関の山である。また、陣形を整えなおす事も不可能である。戦艦の中では最速を誇る俊足艦とは言え、《ゴースト》の前ではウサギの前の亀でしかない。

 駆逐艦はあくまで戦艦である。

 『軍勢』と正面に対したときにその性能を最大限にまで発揮することができるが、たった一機の敵を狙い撃ちにするような作戦には、至極不向きなのだ。斧を振り回して一匹のハエを切り落とそうとするようなものである。しかもそのハエは、空間跳躍によってフィールドの内側に侵入する事が可能であり、斧を打ち砕くだけの必殺の一撃をも有している。皮肉な話だが、軍勢相手なら守りの要として絶大な戦果をもたらすであろう駆逐戦隊が、たった一機の化け物にはなす術も無いのである。

 司令部防衛の為には仕方ないとは言え、《シロツメクサ》と共に位置座標を固定させていたのが運の尽き。自由に空間を行き来する《ブラック・サレナ》には、まさしく絶好の的であった。第十六駆逐艦隊はその優れた統率力で、我を無くして火砲を周囲にばら撒き、同士討ちになるような愚行は犯さなかったものの、テンカワ・アキトの猛攻の前には、結果的には大きな違いは無かった。

 前方に一門のビーム砲と二つの大型ディストーション・ブレードを伸ばし、無重力の大空を駆け抜ける《ゴースト》は、幻想を扱う者達が作り出す架空の動物『三首竜』を想起させる。

 だが、現に今たった一撃で数百人の命を奪ったそれは、どんな絵師や彫刻家たちが作り上げたものよりも雄々しく、力強く、そして見るものを恐怖のどん底に陥れる。

 他の艦艇も、《グラビティ・ブラスト》やその他の光学兵器で必死に応戦したが、己のフィールド出力を弱める結果にしかならず、まさに《ゴースト》の思う壺であった。フィールド中和兵器の役割を果たす三首竜の角によって、突き破られる《ディストーション・フィールド》。

 空間歪曲場の幕の内へと踊り出で、ミサイル・ハッチが破壊の卵を解き放つ。煙に巻かれた第二十四機動戦隊の援護が届く前に、第二十六機動戦隊および第十六駆逐戦隊は半壊状態に陥った。コロニー側戦力の半分が事実上瓦解したのだ。

 戦闘開始から二十分にて、コロニー側の戦死者は既に千の単位まで昇っていた。

 たった一人の襲撃者の手によって!





 数々の命を一息に握りつぶしながら、テンカワ・アキトは考えていた。

 この場にいる人間の中で、自分が狙う敵は果たして何人いるのか。コロニーに存在する軍勢は、人数にして約二千人。その中に、《火星の後継者》として秘密裏に統合軍に潜入している人間がいる。その人間が、自分が狙う敵である。理想論を言えば、その人間だけを正確に選出し、静かに抹殺するのが最も望むところである。

 しかし、そんなことは不可能である事は分かっている。なら、どうすればいいのか。手当たり次第、殺せば良い。《火星の後継者》の間諜どもは、少なくとも統合軍の一割にまで食い込んでいる。十人のうちに、たった一人である。

 だが、躊躇は出来ない。目の前に映る全てが、たった一割しか存在しない憎き敵と見るしかない。

 テンカワ・アキトは思った。

 キサマらの大部分に恨みは無い。だが、死ね。骨まで溶かして死んでゆけ。

 貴様らの役割は、俺という存在を知らしめるための生贄だ。貴様ら全員の命を持って、『奴ら』はようやく気づくことだろう。
 
 自分の首筋に、常に死神の鎌がかかっている事に。

 この大仰な武装の数々は、《ゴースト》という名の亡霊を照らす号砲だ。そして貴様らの死は、A級ジャンパーの恐ろしさを再び『奴ら』に思い知らせる結果となる。

 だから死ね。俺の為に、俺の目的の為に。

 目的を果たすまで俺は決して死なないが、安心しろ。近いうちに必ず、貴様らの下に行く。そこで恨みを晴らせばいい。嬲るなら嬲れ。輪姦すなら輪姦せ。
 
 だから、貴様らはここで死ね。死んでゆけ。

 そして、この俺を呪えばいい。

 俺は貴様らの恨みと憎しみを一身に浴びるに、相応しい人間だから。
 


「クソッ! クソッ! やめろーー!」

 ロイ・マクフェルは低年齢の幼児のような稚拙で悲痛な叫びを挙げる。漆黒の《ゴースト》を示す赤いアイコンが戦況俯瞰図上の味方軍に次々と×印を書き加えていく。それはあまりにも彼の常識を逸脱した光景で、パイロットとしてあるまじきことだが、ロイは操縦桿から右手を離し、目の前を覆った。

 あまりに、酷い。酷すぎる。なぜだ。なぜ、負けるのだ。たった一機に。

 狂った現実と、狂った自分自身の感情を溜め込んで肥大化した思考能力のために、その疑問の答えは出そうに無かったが、思いのほか、すぐに答えは出た。それは余りに明々快々な答えであったからだ。

 A級ジャンパーだからだ。敵が。

 A級ジャンパーだから、一瞬にして《チューリップ》が破壊された。

 A級ジャンパーだから、フィールド内側に侵入され《シロツメクサ》が堕ちた。

 A級ジャンパーだから、単機突入という無謀な戦術に勝機を見出せる。

 A級ジャンパーだから、基地一つを相手に、互角以上の戦いができる。

 A級ジャンパーだから、奴は《タカマガ》に戦いを挑んできた。

 つまり、やつは、A級ジャンパーだから自分の目の前に現われ、親友を殺したのだ。

「貴様『ら』は悪魔だ! A級ジャンパーなんて、みんな死んでしまえばいい!」

 率直な感情の吐露。紛れも無い本心。彼は憎んだ。《ゴースト》だけではない、この世に現存する何の罪咎のないA級ジャンパー全員を憎んだ。殺したいとも思った。A級ジャンパーなど、いないほうがいいのだという確信を持った。そう信じる他無い。それを画策する秘密結社などというものが存在するのなら、自分は喜んでその組織に魂を売ろう。

《ロイ、落ち着け!》

《ロイ!》

 彼の精神状態を危ぶんで、通信をかけてくる藤田やレベッカの言葉も、今の彼には届かない。

 憎しみだけで人を殺せたらと願いながら、彼はあらん限りの憎しみを込めて、忌まわしい呪文を吐き出した。

「ゴーストォォォォーーー!」

 彼は錯乱していた。狂乱していたとも言える。だからセンサーが示す目の前のボソン反応にも気づかなかった。アラームが必死に自己主張したのにもかかわらず、彼の耳には入らなかった。だから彼は、何も知らないまま、何一つ気づかぬまま親友の下へ旅立っていったのである。






 呪え。俺を。

 黒い三首竜が、救いの無い破滅の吐息を撃ち出す。無慈悲な荷電粒子の束は、友の仇討ちを切望する若者を、やはり無慈悲に射抜く。機体の中央に風穴を開けた《ステルン・クーゲル》。一瞬の沈黙。そのクーゲルは、自分の腹に空いた風穴を覗き込むように首をもたげて、そして、爆発した。

 テンカワ・アキトは又一つ、聞こえるはずの無い断末魔を聞いたような気がした。

「すまないな」

 弔い代わりに、そうとだけ呟いた。そして彼は、再び《ブラック・サレナ》を飛翔させるべく、意識をIFSに送った。

 彼は、自分が人類史上最も愚劣で恥知らずで、鬼畜にも劣る賊に成り下がっている事を、確かに自覚している。

「すまないな」

 もう一度彼は呟いた。今度は先程自分が殺したパイロットに対してではない。

 自分が歩む殺戮の道の終末に座す女性と、その道の始まりにいて、堕落の下り坂を降りる自分の背中を見送った女性に対して、

「本当にすまないな、ユリカ、アサヒナ」

 もう一度、彼は呟いた。

 なぜか無性に、あの桃色の髪の少女に会いたくなった。






 司令部に勤める人々は、大別して二つに分ける事が出来た。

 一つは、己の常識のみに拘り続け、ついには目の前に現実を手放して呆然と精神を遊飛させているもの。例えばオペレーターの一人、マリア・ヒュステルなどがそうである。たった一機の敵機アイコンによって、戦場俯瞰図が次々と×印に埋まってゆく様子を見届けていた彼女は、ついにはインカムをコンソールに叩きつけて、何事かをぶつぶつと呟いている。

 彼女だけではない。通信士も、管制士も、マリア以外のオペレーター達も、皆がそれぞれに現実を受け入れられずに程度の差はあれど混乱を起こしていた。

 無理も無い事かもしれないが、キタノ司令にとっては軍人としての不甲斐なさを見出さずにはいられない光景であった。彼などはキヨスミ参謀共々、もう一つの分類に属している。それは圧倒的劣勢に立たされているのにも関わらず、まるで開き直ったかのように堂々とした態度を取りつづける者達のことである。

 彼らのような態度を、他者にまで強いるのは酷であるかもしれない。軍人にとって敗北は、そのまま死に繋がる。それはパイロットのような戦闘の最前線に位置する者達だけの話ではないのだ。その死を目の前にして、屹然と佇める者たちこそ精神に異常をきたしているのかもしれない。

 だが、とにかくキタノ司令は部下が訝しむほど冷静で、憎たらしく思うほど厳然としていた。だが、彼は彼なりに激しい焦燥感と、絶望的な敗北感に駆られていた。それが外見から見て取れないのは、部下の手前で弱音を吐くことを自分で許していないためである。だから、彼はキヨスミ参謀だけに聞こえるくらいの声量で、現段階からの自軍の勝率を訊ねた。

「勝利というなら司令、ゼロですよ。既に味方の五割近くが死滅しています。この状況で勝利などという華々しい結果は在りえません」

 友人の辛辣な言葉に失笑しながら、キタノは襟元の階級章を弄くった。その華々しい結果を求められてこの襟章を賜ったというのに、なんたるざまか。

「すまないな。キヨスミ。私はお前の信頼を裏切った」

 本来なら統合軍本部司令参謀長にまで上り詰めるだけの器と才能がありながら、自分のような堅物に惚れこんでここまで付いて来てくれた長年の友人に、キタノは謝罪とも感謝ともつかない言葉を述べた。背を向けたままなのは、顔を見せづらいからだ。

 キヨスミは、あえて何も答えないつもりだった。だが、親友をこのままにしておくのも憚られて、ぽつりともらす。

「次があれば、あなたは二度と負けない。そう信じています」

 それが一万以上の生命を預かる司令官にとって、なんら慰めとしての機能を果たさない事はキヨスミにもわかっていたし、わかっていながらも言わずにいられなかったキヨスミの思いやりも、キタノは理解していた。

 だから、決断できた。今はまだ、死ぬ時ではない。

 通信士に、全戦闘宙域への声明通信を頼んだ。

「我々コロニー守備隊は、全面降伏を宣言する」





 その声明通信は、当然のことながら戦場全域に響き渡った。第二十四機動戦隊提督・《キルタンサス》艦長ベイオウーフ・ロブマンも、《ホワイト・ティーゲル》中隊々長バートン・ズーも、《ラークスパー》所属の《サザンクロス》中隊々長藤田東二も、現時点で、何とか生命を手放さないで居られた幸運な連中は皆、この声明を聞いた。ある者は安堵にも似た感情を感じながら、またある者は、居なくなった同僚や部下のことを思いながら。思いは様々なれど、これ以上の戦闘を望むものは、一人も居なかったのである。

 それは好戦的なバートン・ズー中隊長においても、二人の直属の部下を失った藤田東二においても同様なのだ。勝てない戦ほど、無駄なものは無い。

「全員、機体の火を落とせ」

 藤田中隊長は、自分が悲しんでいるのか、それとも憎んでいるのか、自分でもよく分からないまま、部下にそう命じた。あらゆる思いが、錯綜しすぎていた。とにかく今は、帰ってビールを飲んで、ベッドに倒れこみ思いっきり眠りたい気分だった。





 敵機からの反応はすぐに現われた。《ゴースト》はその破壊活動の一切を停止し、こちらにも武装解除を求めてきた。《ゴースト》のパイロットと音声のみでの通信を交わしたとき、単機でこれほどの戦果を成し遂げたパイロットが思ったよりも遥かに若い年齢であることが分かった。二十台前半といったところか。

 こちらが武装解除に応じたとき、《タカマガ》の全部で十二個ある、それぞれの外部ゲート付近にボソン反応が発生した。それも各々に複数。そのシルエットは、五、六機の編隊を組んだ《バッタ》であった。全長約三メートルという極めて小型なサイズとその軽量さから、空間戦闘から対人戦闘までをこなす虫型無人兵器である。今、ボソンの光と共に現われたのは、大戦以前から木連で開発されていたそれを、地球製のパーツを使って改良した、言わば《バッタ改》ともいうべき万能戦闘機。なぜそれらまでがA級ジャンプを行って、跳躍してきたのか、考える気にもならなかった。地球連合に牙をむいたA級ジャンパーは、一人ではないと言うのだろうか。

 《バッタ改》が侵入を開始した。制圧するつもりか。《ゴースト》のパイロットから、無駄な抵抗さえ控えれば、これ以上の死傷者はでまいとの、脅迫にも似た忠告が送られてきた。司令部の人間は皆、自分達が護るべきコロニーを、不細工な虫型兵器に蹂躙されるのを黙ってみているしかなかった。民間人の避難が完了していたのが、せめてもの救いだったと思いたい。そうでなければ、あまりにも屈辱的だ。

 だが、敵の無人兵器が侵入を開始してから数分もたたない頃に、緊急事態が起こった。

「わがコロニーの中枢ブロックに、新たなボソン反応七つ!」

「《バッタ》か」

「いえ・・・これは・・・人型機動兵器ですッ!」

 途端に、宇宙空間にいながら、まるで地震のような大地の鳴動が司令部に届いてきた。どこか遠くない場所で、爆発が起きたに違いなかった。キタノ司令はただちに《ゴースト》に連絡を取ろうとした。白旗を掲げた敵に攻撃を加えるのは、鬼畜にも劣る賊の所業だ。どういうつもりか問いただそうとしたところで、ふと喉がつまった。

 まさか、全て《ゴースト》の計画通りなのだろうか。始めから奴は、我々を生かしておくつもりが無かったのではないか。制圧ではなく、破壊こそが奴の目的なのではなかったのか。

「よせ! 我々は降伏したのだ! 攻撃を中止しろ!」

《そうしたいのは山々だが、今のは俺じゃない》

 サウンド・オンリーの真っ暗闇な通信ウィンドウから、憎々しく落ち着き払った若い男の声が流れてくる。

「どういうことだ!」

《死にたくなければ脱出しろ。貴様らに害意を持つ敵が跳んで来た》

「それはなん――」

《教える義務は無い。とっとと逃げるんだな。そのために、ありあまる数の脱出ポッドを用意しているんだろう?》

 そういって、ウィンドウは暗闇から一変して白と黒の砂嵐を移し始めた。《ゴースト》のほうが通信を切ったのである。

 キタノは顔も知らぬ《ゴースト》のパイロットに対して、忌々しげに舌打ちした。同時に、彼の言葉で気づいた事もあった。自分が指揮棒を振るうのは戦闘中だけではない。戦いに敗れた今でも、今ここでコロニーに残る軍人たちを皆生き残らせるのは自分の役目だ。キタノは後ろを振り向いた。そこには何時も自分の背後に佇んでくれている無二の友人。その友人は頷いた。キタノは頷きを返して、再び指揮棒を振るう。

「全員退避ーーーッ! 速やかに《タカマガ》およびこの宙域から離脱せよ!」

 その避難勧告は、再び鳴り響いた鳴動と重なり、再び周辺宙域に届き、皆の鼓膜に突き刺さったのである。

 《タカマガ》に残存する守備隊々員は、それこそ火が付いたように、且つ確固たる統制のもと、速やかに避難を開始した。




「土壇場で、先を越されたか」

 中枢ブロックとは、コロニー全体の動力・電力・その他のエネルギー全てを司る、言わば人体で言う心臓である。そして現在、コロニーは各区画にエネルギーの過負荷が溜まり、堪え切れず爆発を起こしている。となれば、敵がその心臓に一体何をしたのか、自ずとしれようものだ。動力配給の、制御システムを破壊したのだろう。許容量を遥かに越えた血液を、各内臓に送りこめば、待っているのは破裂にも似た、おぞましい死である。奇しくもそれは、《タカマガ》以降のコロニー襲撃の際にテンカワ・アキトが予定していた攻略法そのままであった。

 人類が生み出した小惑星にも迫る最重量級の建築物は、無尽蔵に湧き上がる焔に焼かれ、見るも無残な様相を呈していた。しかし、見る目を変えれば、それは宇宙を照らす火の華のようで、見る者の眼を奪う魔力を持っていた。しかし、そんなものには一ミリグラムの関心を払わず、テンカワ・アキトは、炎以外の熱源の探索に余念が無かった。

 すると、現われた! 中枢ブロック付近のゲートから飛び出してきた、七つの流星。その内、中央に位置する星は、どことなく血の色をしているような。

 その七つの星は、自分達を見つめている黒い三首竜の存在にも恐らく気付いていただろうに、何をするでもなく遥か彼方へ飛び去っていった。

「北、辰」

 意識して、呟いた。するとその呟きに呼応したかのように、耳の奥で『シャリン』という束ねた鈴を打ち鳴らしたような音が鳴った。

 底の見えない、暗闇のドツボに、はまっていく自分を自覚した。

 そして不思議な事に、そういう自分を意識すると、何故か彼は決まってあの少女に会いたくなるのである。

「ラピス・・・」

 仕事は終わった。

 帰ろう。

 彼は今日最後になるイメージングを開始した。視界の端で、無事に脱出した数十機の守備隊の脱出ポッドが見えた。

 まぁ、いい。とにかく、疲れた。

「ジャンプ」

 帰ったら、少女の顔を見にいこう、と思った。



 

代理人の感想

何が知識だ、貴様は甚だしい勘違いをしている!

「ビバ」はイタリ「ホワイト」は英語で「ティーゲル」はドイツ語だ!

 

 

と、判らない人には全くわからないつかみですがそれはさておき。

これで三回目ですね、「アサヒナ」さんの名前が出てきたのは。

何者か、果たしてアキトにとってどう言う存在であるのか。

まぁ、今回は最初から最後までアキト大暴れの話だったので関係無いっちゃあ関係ないんですけどね(爆)

でも、なんか気になるじゃあないですか?