今から約三年前の、蜥蜴戦争終末期。革命の狼煙は、唐突にあがった。突如、鳴り響く警報。一瞬前まで味方だった基地駐在機動部隊が反旗を翻し、レーダー施設、シャトル発着場、格納庫と、続けざまに制圧していく。それと並行して、武装した歩兵隊が作戦本部棟の各部署を手際よく占拠し、草壁は為す術もなく追い詰められていった。

 絶体絶命かと思われたとき、退路は外部からもたらされた。基地を離れていた遠征部隊の一部が、予定外の帰還を果たしてきたのだ。経理ミスからくる物資不足が原因だった。その一部艦隊からの通信を受け、すぐに本隊も帰還。全くの偶然から、遠征部隊と反乱部隊の予期せぬ艦隊戦が始まった。

 だが、もとより戦力差は反乱軍のほうに大きく傾いていた。草壁にとって頼みの綱である遠征軍が徐々に疲弊していくなか、草壁は自身も機動兵器に乗り込んで、最後の決戦を挑もうとした。それを引き止めたのが、それまで忠実に草壁の手足として働いていた、幕僚幹部の面々であった。

「どうか、その怒り、この場はお諌めください。今はまだ、散るときではありません」

「私は怒りなど抱いていない」

 草壁は言った。

「裏切られたとも思っていない。秋山という男を、私は良く知っている。信頼できる男だ。そのような人物が私を見限ったという事は、相応の落ち度が私の内にあったということだ。私がここで死ぬ運命にあるなら、それでも構わない。ただ、死に方は選ばせて欲しいものだ」

「運命を信じるなら、なおさらお諌めください。私も運命を信じます。閣下は、ここで散る運命にはありません」

 結局のところ、草壁は制止を振り切り単身ジン・タイプを駆って戦闘に参加した。そして月臣元一朗との一騎打ちの末に撃墜されるのだが、幕僚たちの咄嗟の機転により一命を取り留めることとなる。

 草壁の保護に成功し、戦場からの脱出を果たした草壁派の人数は、およそ百五十人。戦力は、たった巡洋艦六隻のみであった。宇宙をさすらう流浪の民となった敗残艦隊の中で、たった七人しかいない医療チームに手当てを施された草壁に、幕僚たちは語った。

「死ぬ覚悟で出撃なさった閣下は、いまだ生きています。我々の信じる運命と、閣下の信じる運命、どちらが正しいのでしょうか」

 草壁は降参した。

「分かった。どうやら当分、私は死ねないらしい。だが諸君は手足をもがれた私に何をして欲しいのだ」

「考えてもらいたいのです。手足なら閣下、まだ我々がいます。ですから閣下には頭脳の役割に専念してもらいたい。我々は閣下に付き従い、拝命することに生命を注ぎ込みます」

「やりたいことなどない。私は敗れたのだ。《遺跡》が失われた瞬間から、私の野心は既に潰えている」

「《遺跡》はまだあります。宇宙の何処かに存在しているではないですか。望みを捨てるには、まだ早すぎます」

「その何処かを、どうやって探るというのだ。砂浜から針を掬うというレベルではないぞ」

 無論、幕僚たちに答えられるはずはなかった。だが、それでも草壁の忠実な腹心たちは、ことあるごとに草壁に再起を囁きつづけた。

 それに洗脳されたというわけでもないが、草壁も段々と胸の内に、かつて抱いていた野心、地球と木連の理想的未来の形態、つまりは夢物語のようなものを蘇らせていくようになっていった。

 

 ……将来における我々人類の文明社会には、《ボソン・ジャンプ》が根幹要素として確立しているべきである。地球と木星の間にある八十億キロメートルもの距離を無にしうる超技術。それは、人類が通常の成長過程を辿っていては、一世紀ニ世紀では到底辿り着けぬだろうと言われる境地である。我々人類は、未だその威力の全容を推し量ることすら成功していない。だが、《ボソン・ジャンプ》とはまさしく革命の爆弾だ。その爆発力は、人類がこれまでに培ってきた生活、社会、習慣、道徳、文化等の全てにおいて威力を発揮し、その根底から覆すに違いない。

 だが、当然ながら威力のありすぎる兵器は、いつ何時諸刃の剣と変貌するやも知れたものではない。そのため、《ボソン・ジャンプ》は当面の間、一部の限られた人間によって厳正に管理されなければならない。だが、これは決して《ボソン・ジャンプ》を特権階級に独占させる事を容認する措置ではない。《ボソン・ジャンプ》は、人類全てに平らかに施される恩恵でなくてはならない。

 現在の状況からその理念を現実化するには、その準備段階として、まず以下の項目を完璧に近い形で達成する必要がある。

 @《遺跡》の回収。

 A組織力の確保。

 B軍部編成。

 @は、今後の活動を保証する大前提であり、まさしく必要不可欠な項目である。これの達成なくして、理想の実現はありえないと断言する。

 Aは、@や、その他の計画を実行する上での、手足となる人的資源、そしてそれらを養い、補償するだけの物的資源の確保が問題となる。行動を起こすには「人」と「物」が必要である。「人」の方は、クーデターに敗れ、不本意にも地球連合に下ってしまった残りの腹心たちにもコンタクトを取ることは考えているが、その場合、彼らにはそのまま間諜として働いてもらわなければならない。

 となると、実際に私の命令を聞き遂げ、それを実行に移すだけの労働力が決定的に不足している。協力者が必要だ。現状では、大戦当時から交流があったクリムゾン・グループが最適か。

 クリムゾンや、他の反ネルガル企業と同盟関係を結べれば、人員・物資の補給は愚か、ボソン技術の開発にも大きな躍進をもたらす事も可能であろう。

 Bは、もはや語るまでも無い。我々の存在を公的に認知させるには、不本意ながら軍事的外交を持って掛かるしかない。我々が目指す理想社会は、これまで数々の革命軍が抱いてきたものとは、まるで違う境地にある。

 これまで人類が築いてきた文化を、一変させる。《ボソン・ジャンプ》なら、古代火星文明の技術力ならそれが可能なのである。行うべきはすなわち、戦争である。いや、この場合は反乱か。闘争と混乱の果てにのみ、新たなる秩序は完成する。そしてそのためには、兵士、戦艦、機動兵器等々、相応の質と量を兼ね備えて用意せねばならない。でなければ、強大な物量を誇る連合に抗する事など、到底出来はしない。

 ある意味、これこそが最重要項目であり、もっとも懸念しなくてはならない要素である。クリムゾンを初めとする、反ネルガル企業との連携に期待するしかない……。



 これは、あくまで草壁の夢物語の、ごく基礎的な部分のみの抜粋である。しかし草壁自身、その夢物語が日の目を見ることはあるまいと確信していた。全ては《遺跡》の回収が可能であるという大前提の下に草案されているものだ。《遺跡》の回収の目処が全く立たない現状で、《遺跡》の回収後の計画をつらつらと並び立てたところで、何の意味も無い。だが、運命はそんな草壁の思惑をも取り込んで、流転し始めた。

「《遺跡》は探せます。A級ジャンパーのみが持つ、《遺跡》との空間を越えた奇妙な繋がりを見つけ出し、それを辿ることによって、再び《遺跡》を手に入れることができます」

 ヤマサキ・ヨシオという男は、元々木連人ですらない、全くの部外者であった。明日香インダストリーに勤めていた彼が、完全なプライベートで研究していたテーマを、草壁の腹心の一人が嗅ぎ付け、それが切欠となり草壁とヤマサキは出会うことになったのだ。「A級ジャンパーと《遺跡》の繋がり。そして、それを利用した《遺跡》探知法」。草壁が心を奪われるには十分な魅力を、ヤマサキの研究テーマは有していた。

「テレパシー、というものがありますね。オーラ透視、過去世透視、遠隔透視、未来予知。つまりは五感以外の器官による、外界との情報交換のことです。これに類するものが、A級ジャンパーと《遺跡》の間にあるのは間違いありません。それの正体を掴む事は、今の技術では到底不可能ですが、なぁに、原理が分からずとも利用する事は出来ます。《相転移エンジン》と同じようにね」

 《マーシャンズ・リンク》と名付けられた、A級ジャンパーと《遺跡》の意識交換は、ニュートリノによって為されているものではないかと、ヤマサキは推測していた。ニュートリノとは、一九三三年にウォルフガング・パウリによって理論的に存在を予言され、二十六年後にフレデリック・ライネスとクライド・コーエンの実験により確認された、極小粒子のことである。他の粒子との相互作用が弱く、ありとあらゆる物質、それこそ地球すら素通りすることができる。

 そのニュートリノが、あるいはそれと酷似した特性を持つ何らかが、《遺跡》より散布されており、あらゆる障害物を透過してA級ジャンパーの脳に到達する。それがテレパシーの役割を果たしてフィーリング・コネクションを形成し、空間を越えたイメージ伝達を可能にしているのではないか。推測の域を出ず、試験も完全とは言えないが、極めて信憑性、そして説得力に富む学説であった。

 事実、《遺跡》入手の可能性を示唆し、なんとか協力体勢を取り付けることが出来たクリムゾン・グループの援助のもと、研究に研究を重ねた結果、A級ジャンパーと遠い宇宙にある《遺跡》の間にある、未確認の指向性素粒子を発見する事が出来た。次いで、その探査方法も確立できた。さらに名称も定められた。火星の名を頂いた、マーズ型ニュートリノ。まだ何処の学会にも発表されていない、彼らだけが知る名前である。

 探査方法が確立されれば、《遺跡》の発見は時間の問題だった。相転移エンジンを搭載した戦艦で、木星からさらに太陽系外方面に進む事、六ヶ月。往復で1年も費やした遠征の末、草壁たちは遂に《遺跡》を再び手にした。革命は、この時をもって正式に動き始めた。クリムゾン・グループを初めとする、反ネルガル企業との正式な同盟関係が締結され、物資と人員を得た草壁は、自分の夢物語の第一章がまさに現実のものとなったことに驚きを禁じ得ず、また今一度、かつて抱いた理想を夢見ずにはいられなかった。

 組織の名は、《火星の後継者》と決まった。

 

 ……以上の条件をクリアしたところで、論点は遂に組織的活動の具体案作成へと移行する。戦争に勝利するためには戦力と戦略が必要だ。

 戦力を整えるには、クリムゾンや各企業に大幅に依存せざるを得ない。既に木連時代に基礎設計案が完成していた、次世代型ジン・タイプの開発は委任してある。《火星の後継者》の主力となる量産機の基礎構築に役立つだろう。

 戦力を整え終わったら、次は戦略の問題に映る。まず、《火星の後継者》が行う革命に際して、戦略・戦術どちらにおいても《ボソン・ジャンプ》が根幹要素になることは確実である。我々が持つ純粋な戦力のみで巨樹を切り倒す事など不可能。彼我の戦力格差を鑑みた結果、我々に戦略段階における選択の余地は無い。

 今回の場合、《ボソン・ジャンプ》による奇襲・強襲を中心とした一撃必殺戦法が最も望ましい。短期決戦で、一気に決着を着ける。具体的には、決起後即座に、地球連合議会場を初めとする、各主要施設地球を総攻撃するわけだが、《火星の後継者》の本当の勝負は、むしろ決起直前までの水面下の活動にある。決起直前までに、我々が完成させなければならない事業は幾つもあるのだ。

 総攻撃が成功しようとしまいと、我が軍勢が圧倒的物量を誇る地球連合の鎮圧艦隊と真っ向から対決する必要に差し迫られる時が来るだろう。それに対抗するに当たって、我々にはチューリップ施設を完備した軍事運営上の拠点というものが必要になる。

 小が大を打ち破るには、いかに軍勢を素早く集中させるかが問題になる。戦力集中のこの上ない手段として、やはり採用されるは《ボソン・ジャンプ》だ。

 ジャンプ施設、もしくはチューリップ施設が豊富な、新たなる軍事中継点を用意する必要が在る。戦いを行うには、相応のお膳立てがいるということだ。そのお膳立てを整える役割は、地球連合そのものに依頼すればいい。

 《遺跡》が失われたとて、一部の異能者によるA級ジャンプ、チューリップ等を介するB級ジャンプは未だ健在である。地球連合が、軍事以外でのそれらの活用に目を付けないはずが無い。クリムゾンの名前を拝借し、《遺跡》所持の事実を隠したまま、連合政府に《ボソン・ジャンプ》による一大宇宙交通網の建造案を提出する。ネルガルがA級戦犯の汚名を着せられている以上、採用されたからには一切の責任は我々の手に委ねられるだろう。これで公的事業の名の下、《火星の後継者》の土壌確保を行う事が出来る。

 チューリップ施設を持つ宇宙軍事基地を、地球圏の各所に点在されば、それは《ボソン・ジャンプ》で空間を越えて連結された、宇宙の螺旋、ボソン・ハイウェイである。その螺旋は、《火星の後継者》が決起した後、軍事活動の有用な拠点となるだろう。

 また戦闘とは、機動兵器によるものだけを指すのではない。情報戦・宣伝戦というものもある。元来これらは戦争において重要な位置を占めるものだが、テロリストの汚名を敢えて被らなくてはならない我々にとってはなおさらである。

 我々がただのテロリストで終わらないために、我々は歌わなくてはならない。歴史上における名誉ある反乱軍と、醜悪なテロリストの違いとは、勝敗はもとより、民衆を初めとする第三者の理解と支持を得られるかどうかにある。

 我々が目指すところは、当然のことながら前者の「名誉ある反乱軍」にあり、そのためには我々の掲げる理念を声高に主張し、また相対的に、仇敵である地球連合政府を悪に仕立て上げる必要がある。それには、現在の地球における木連出身者たちに対する不平等待遇が、強力な武器に為り得るだろう……

 

 そして、軍事面における《火星の後継者》の活動計画の他にも、テンカワ・アキトの運命を劇的に改変するに至った悲劇の苗床もまた、草壁の胸中に作られていた。



 ……さて、ここまでが《火星の後継者》の軍事活動における、言わば「攻め」の作戦案である。だが、攻撃だけが戦闘ではない。

 我々が最も恐れなくてはならないのは、他でもない、我々の最大の武器たる《ボソン・ジャンプ》である。我々の理念がそう言うように、《ボソン・ジャンプ》とは一組織に独占されるものではない。それは肯定すべきものだが、戦いに勝つためには、それでは困る。一時の方便として、我々は完全に、《ボソン・ジャンプ》をこの手に収めなくてはならないのだ。

 その障害が、たった一つだけある。A級ジャンパーである。彼らは何処にでもいる。それこそ連合政府内部にもだ。ジャンプによる奇襲は諸刃の剣。我々の武器が《ボソン・ジャンプ》であると悟った瞬間、彼らは同じ手を使って我々の首をはねようと画策するに違いない。そして、それを防ぐ手段は今の我々には無いのだ。

 A級ジャンパーと《遺跡》の間にある関係性は、おぼろげながら掴む事が出来た。だがその正確な実体や利用法、例えば限られた者からのイメージングのみを《遺跡》に受け取らせるなどという画期的なシステムは、未だ霧中の彼方にある。

 そもそもA級ジャンパーの存在自体、我々の理念、ひいてはボソン社会の有り様に反するものだ。よって私は、真に遺憾ながら理想実現のためには、彼らに対して非常手段を取らざるを得ないと決断する。戦いに流血は避けられないものとは言え、持って生まれた能力のために犠牲となってしまう彼らの無念を、実際にその手にかける我々は忘れるべきではない。

 しかし、矛盾するようだが、この事実は《火星の後継者》の中でも、ごく限られた人間の胸中にのみ、あるべき事柄である。どんな計画・陰謀を実行するにしても、我々という偶像が清廉でなくては組織が破綻しかねないのならないのだから……

 《遺跡》を入手してからの二年間に渡って、草壁の夢想は着実に消化されていった。全てのA級ジャンパーは、草壁の直属にある特務チームにより全世界中から集められ、非合法人体実験の最中に悉く死滅していった。蜥蜴戦争の最前線であったこともあり、火星の住人は著しくその数を減少させていたものの、一体何百もの命が失われた事か。

 次世代型ジンタイプ《夜天光》、そして《六連》は、大戦終了一年後には無事ロール・アウトした。次いで、その量産機である《積尸気》も既に大量生産ラインに乗っかっている。これら機動兵器は、新型ジャンプ装置によるB級ジャンプ能力しか持たないものの、ミスマル・ユリカの力を併用すれば、火星から地球まで一気に跳躍することも可能であった。

 《ヒサゴ・プラン》は連合政府の援助もあって、順調に拡大していった。《火星の後継者》なる異分子の存在など、気付きもせずに。また、統合軍内部や、連合政府の一部の人間に対する懐柔工作も進んでいる。人員は揃い、敵の中にも味方は大勢。もはや、土壌確保は完全なものとなった。

 そして現在!

 火星の極冠に本拠地を据えた《火星の後継者》の総帥は今、ボソン通信も併用し、地球圏全土へ向けて自らの姿と言葉を発信していた。旧木連の統治者であった彼の事は、子供ですら知っている。全人類規模と言っても良いほどの視線を、彼は今独占していた。三年もの雌伏の時を経て、草壁春樹は今、雄飛する。

「《火星の後継者》は、地球の敵、木連の敵、そしてあらゆる腐敗の敵である。我々は、火星の遺志に基づいて、諸君らに反乱する。それを今、この場にて、地球連合政府に向けて宣言する」

 








 統合軍も宇宙軍も預かり知らぬところで、《火星の後継者》達との争いを繰り広げていたネルガル重工。その会長は今、プライベートルームのモニターで、その宣言を拝聴していた。

 懐かしい、実に懐かしい顔がそこにあった。痩身の体躯でありながら、木連人に多く見られる力強い眼差しや威厳は、この男にも十分すぎるくらいに備わっている。朗々と並びたてられる言葉の一つ一つが、まるで重量があるかのように、耳と胸に重く響く。歴史上の名君に共通することは、演説の上手さであると良く耳にするが、そういった面において草壁という男は、十分に名君になる素質を有している。

 彼が宣戦布告に乗じて語った物の一つに、現在の地球連合政府の悪癖がある。主として、旧木連人に対する差別的な処遇。子供の喧嘩の如き総議会の揶揄。相互に対等な立場を望んで、結んだ和平だったはず。これでは、共存とはとても言えないではないか……等といった、アカツキに言わせれば何の面白みも無い正論。

 この点に関してのみ、アカツキは草壁に失望感を抱かずにはいられない。たしかに、言っていることは正しい。共存を謳いながら、地球圏は、未だニ分割されている。

 だが、それを解決するのは時間だ。真っ二つに割られた傷口が完全に癒着するには、どうしても長い年月を必要とする。それを大戦が終結してから、まだ三年しか経っていないというのに、声を張り上げて糾弾するのは、実に建設的でない。

 恐らく草壁自身にも、今の状況を改善できる画期的且つ平和的な策など、持ち合わせていないのだろう。ただ現政府を非難するための理由を、無理やり持ち出しているに過ぎない。だが、効果はある。特に、不満を胸の内に燻らせているであろう旧木連人は、草壁の言明に強い共感を抱くはずだ。

 しかしそのようなことに、アカツキはまるで興味を抱かない。早く退屈な宣伝文句は終わらせて、事の主題に突入してくれるよう、アカツキはモニターに念じた。聞きたくて聞きたくてウズウズしているものがあるのだ。

「諸君。我々はA級ジャンパーという言葉を知っている。条件が整えば、何処へでも自由に《ボソン・ジャンプ》できる人種がいるのを知っている」

 来た! と内心で喝采を挙げて、アカツキはソファーに座りなおした。

「A級ジャンパー、生まれながらにしてボソンの偏愛をその身に宿す人種。彼らを判別する方法は無い。だが、彼らは間違いなくいる。諸君らの隣に、向かいに、あるいは諸君自身がそうなのかもしれない」

 効果的な脅し文句である。これは、一見して政府に向けられている言葉のように見えるが、その実本当に《後継者》が望む聴衆は、一般のTV画面からこれを見ているであろう一般市民であろう。

 A級ジャンパーは何処にでもいる。それが、誇張の類を一切含まない、厳然たる事実なのだから始末に負えない。もっとも、今となっては、その事実も《火星の後継者》の手により怪しいものと化しているが。

「A級ジャンパーは存在する。その証拠は、すでに市民の間にも公開されている。たった一人で世間を賑わせた歴史的犯罪者が、まさにそのA級ジャンパーであることを、諸君らは既に突き止めているはずだ。だが、諸君らはその情報を民衆から隠匿し、有耶無耶にしてしまおうと企んでいる。たった一人で、統合軍の軍勢犇くターミナル・コロニーを制圧した《幽霊ロボット》こそ、まさしく我々の言うA級ジャンパーであることを、貴方方はひたかくしにしているのだ。何故か?」

 必ずしも、公開する必要がなかったからだろうか。CC無くしては、A級ジャンパーも凡人と変わりない。それは、幾つものコロニーを制圧したテンカワ・アキトでさえも例外ではないのだ。

 そのことが連合政府の気を宥め、火星生まれの人間の人権を尊重する流れを生み出した。だが、これは諸刃の剣でもある。もし、政府がA級ジャンパーたちの動向を逐次チェックしていたら、A級ジャンパーを根こそぎ断絶するなどという暴挙が、叶えられるはずが無かったのだ。

「会長、紅茶を」

 声を掛けられて初めて、手にもったカップの中身が空になっていることにアカツキは気付いた。苦笑して、カップを差し出す。エリナは、丁寧な手つきでポットの中身をカップに注ぎ込んだ。

 アカツキは仕草だけで、礼を述べた。答えるエリナも無言である。今は二人して、TVの画面に夢中だった。草壁の発する言葉を一字一句たりとも聞き逃がさぬよう、沈黙に協力し合ってている。

「彼らは、恐れている。恐れ、目を背けている。なんら、対策を講じようとしない。ヒトの域から、明らかに逸脱した異能を有する者達に対し、何一つ行動を起こすことなく、あろうことか、市民に対し情報を隠匿する始末。その態度が《幽霊ロボット》を生み出し、死者数万人にも及ぶ犠牲者を出したのだ。諸君、《幽霊ロボット》は、あまりに危険すぎる。彼らは木星と地球を一足飛びに移動する事も可能なのだ。今にも、《幽霊ロボット》は空間を越えて、諸君らの頭上に現われるかもしれないのだ。我々は、それを防ぎたい。そして、未来の《幽霊ロボット》を無くしたい。そのために、《ボソン・ジャンプ》の価値を、今一度全人類が見つめ直さなくてはならないと確信し、今この場に立っているのである」

 いいよ、いいよぉ、とアカツキが手拍子を打たなかったのは、すぐ隣で苛立たしさを隠そうともせず、彼と同じ紅茶を飲んでいる元秘書を慮っての事に過ぎない。

 草壁の演説が、クライマックスに差し掛かった。

「我々は、進歩を促したい。旧世代の産業革命などを初めとする、過去にある幾多の進歩例全てを超越する劇的進歩を促したい。そのために、目の前の脅威からも、天恵からも目を逸らし、民衆を瞞着することにしか精を尽くさない現政府を、我々は打倒してみせる。我々には、A級ジャンパーの力を人為的に作り出す方法がある。それを用いれば、いますぐ腐敗した地球連合政府の真上に、我が軍勢を出現させる事も可能である。革命は一瞬だ。恐らく血も、流れまい。無血革命が完遂されれば、そこには新たなる秩序が生まれる。そのために、我々は戦うのである」

 草壁の声明はここで終了した。アカツキとエリナが眺めているモニター画面から、草壁は姿を消し、今は取るに足らない緊急ニュース速報が流れている。アカツキはリモコンを操作して、つっかかりが目立つキャスターの弁舌を断ち切った。エリナは何も言わずに、カップに口付けている。

 ひとまず今回は、《火星の後継者》という名の組織が抱く、理念のみの発表に留まったようだ。実際に現政府を打倒した後、どのように《ボソン・ジャンプ》を用いて、どのような社会体制を構築するのかは、語られなかった。それが少々物足りなくはあったが、逆にそのことが、余計にアカツキの想像力に、フル回転をけしかけて楽しませる。

 A級ジャンパーを吸収した《遺跡》による擬似A級ジャンプにより、時空跳躍による交通網はさらに発展するだろう。現在の《ヒサゴ・プラン》を上回る、新たな《ヒサゴ・プラン》。人類の活動範囲は、飛躍的という言葉では足らぬほど劇的に拡大する。

 遠くへ、より遠くへ! 冥王星をも突き抜け、見知らぬ大宇宙へと飛び出し、未知の銀河、未知の惑星、そして未知の資源や未知の生命体。宇宙科学という限られた分野だけでも、この有様である。《ボソン・ジャンプ》の、いや、《遺跡》とミスマル・ユリカの力がある限り、草壁の言うところの「劇的進歩」は必然であり、何ら誇張を含まない。

「夢があるよねぇ」

 アカツキは、自身が抱く夢想に呑まれたかのように、恍惚と呟く。それが、隣に居る秘書には呑気な仕草に映ったようだ。

「夢のままで、終わってくれれば良いんですけどね」

 不機嫌な返答が帰ってきた。

「君は夢が無いね、エリナ君。そうさ、《ボソン・ジャンプ》は天恵なんだ。天から恵まれたものなんだよ。艦長を助けたいとは思うけど、それを思うとああ胸が苦しい」

「私は今のままでも十分だと思いますけど」

 商人にあるまじき言い分だ、とアカツキは思った。常に先へ先へと進歩を追い求めていくのが、アカツキ流の商人哲学だった。その点については、エリナも賛同するところなのだが、しかし先ほどの意見を撤回するつもりも無いらしい。

「なかなか彼も優秀そうじゃないか。いっそのこと、皆で彼に手綱を預ければ、上手い事やってくれるかもしれないねぇ」

 これが性質の悪いジョークに過ぎない事を、エリナは長年の経験から承知していたが、それでも目元が痙攣するのは止められなかった。

「彼が人類の指導者となったら、一番の寵愛はクリムゾン行きですわ。私たちは、せいぜいお零れを預かれるかどうか、というとこでしょうね。そんな立場を、会長はお望みですか?」

 直情的なエリナにしては、上出来な反撃だった。アカツキは両手を軽く掲げることで、元秘書の健闘を称えた。まったくもって、その通りだった。結局のところ、思想的には草壁に近いと言っても良いアカツキが、あえて《火星の後継者》に敵対する理由、そしてテンカワ・アキトに協力する理由は、今のエリナの言葉に全て集約されるのだ。

「まさか。僕のネルガルは常にトップさ」

 カップの中の紅茶を一気に飲み干す。アカツキの内で燻る高揚感を宥めるには、どうにも力不足だった。ブランデーでも用意しておけばよかったと、心から思う。

「さぁて、ネルガル浮上だ」

 

 

 

 

 連合宇宙軍という名称の通り、戦後から活動範囲が宇宙のみに限定されるようになった宇宙軍の組織図は、陸海空宇宙と四つの分野に分かれる統合軍と比べ、幾分簡潔である。

 地球連合政府の組織図の中で、国防委員会の真下にて、まず統合軍と連合宇宙軍は袂を分かつ。そしてその後、連合宇宙軍は、最初に大まかに言えば「文」と「武」の二手に分けられる。宇宙軍そのものを、組織として成り立たせるための宇宙軍作戦本部と、軍事力の一切を司る宇宙軍総司令部である。

 総司令部とは、総司令長官ミスマル・コウイチロウ元帥を筆頭に、宇宙軍艦隊司令官秋山源八郎大将、総参謀長ムネタケ・ヨシサダ大将らによって構成される連合宇宙軍艦隊の中核とも言える部署である。先述の三名を含めた計十五名の人員に、副官や補佐など、その他の要員が集って、宇宙軍総司令部は成り立っている。

 明記するわけにはいかないとある場所にて、《火星の後継者》に対する実戦的な対策会議が開かれていた。政府のお偉い様方が登る山を決めたのなら、実際にその山を昇る手段や、ルートを選別するのは彼らの役割だった。

 しかし、今はまだ作戦会議ではない。実戦部隊の将校達を招いての会議を開くほど、《火星の後継者》に対する攻撃プランは練り込まれていないのだ。それを練る為の会議が今、一握りのトップクラスの間で行われていた。

 草壁春樹の宣戦布告が為されてから五日が経過していた。突然すぎる戦争勃発に、世間は大混乱に包まれた。蜥蜴戦争の時と違うのは、混乱していたのが、政府の情報操作を受けていた民衆のみではなく、その政府ですら、全くの不意を撃たれて茫然自失となっていたことだ。連合政府緊急対策議会では、またもや地球組と木星組に割れて、議論ともいえない議論を繰り返して、喧喧諤諤の様相を呈していた。

 統合軍中尉、スバル・リョーコからもたらされた《遺跡》の情報が、さらに政府の危機感を助長していたと言えるだろう。彼女と同じく《アマテラス》から無事に帰還を果たせた連合宇宙軍少佐、ホシノ・ルリらによる報告を統合した結果、敵が長距離《ボソン・ジャンプ》を物にしていることは明らかだった。

 子供の喧嘩のような会議でも、何とか《火星の後継者》に対する、今後の対策の方向性を決定する事は出来ていた。

 統合軍がひたかくしにしてきた、謎のテロリスト《ゴースト》の存在。統合軍の一部を取り込んでの《火星の後継者》の台頭。獅子身中の虫の他、《火星の後継者》の理念に感銘を受け、純粋に寝返った者も少なくない。ターミナル・コロニー《アマテラス》を始めとする、各主要コロニーの占拠。度重なる不祥事により信用を失い、なおかつ自軍の戦力のニ割が敵に寝返り、しかも未だ内部にスパイがいる可能性が高い統合軍は、実質的にも政治的にも瓦解一歩寸前にまで追いやられている。

 そのため地球連合政府は、《火星の後継者》討伐の任務を、連合宇宙軍に一任することにした。統合軍は、ターミナル・コロニー、つまり《ヒサゴ・プラン》そのものの奪還、また有事の際には宇宙軍の要請を受けて援護に回るなど、後方支援的な役割を請け負う事となった。《火星の後継者》に拘束されているアズマ准将などがそれを知ったら、まさに活火山のように荒れ狂うに違いない。

 戦力を著しく減少させた統合軍は、《火星の後継者》の襲撃に備えて、大々的な軍事編成の組み直しを余儀なくされた。その際、木星出身者の多くが軍の中枢から遠ざけられ、前線に追いやられていた。あからさま過ぎる軍上層部の意図に、前線付近の軍隊の士気は、減少の一途を辿っているが、止むを得ない処置でもあると言える。

 一個艦隊を預かるミナミ中将までもが、裏切り行為を見せたため、将官クラスの間でも疑心暗鬼が蔓延り、統合軍上層部は碌に連携行動が取れていない。《火星の後継者》は、決起するだけで、すでに統合軍の戦力を半減させる事に成功していたのだ。

 一方、連合宇宙軍総司令部はその間、《火星の後継者》対策にあたっていた。《アマテラス》襲撃戦において、ホシノ・ルリが収集したデータを元に、まず真っ先に敵組織の情報分析に当たった。草壁の宣戦布告と共に、すぐにでも地球上の各主要施設を長距離ジャンプで奇襲するかと思われた《火星の後継者》は、それ以降大規模な動きを見せず、本隊は依然として火星に留まっている。地球側の工作が実を結んだ結果であり、宇宙軍は獲得した猶予期間をフル活用して、なんとしても反撃手段を打ち立てなくてはならない。

 まず、会議の口火を切ったのは宇宙軍艦隊総参謀長、ムネタケ・ヨシサダだった。

「報告によれば、敵の情報プロテクトはホシノ少佐でも梃子摺るほど強固なものだったようです。強化体質者を幾人か、抱えているようですな」

「ということは、ネルガルが絡んでいることも有り得ますか?」

 疑問を挟み込んだのは、艦隊司令官、秋山源八郎である。

「関係あるにしても、今のところ、向こうはこちらに敵意は無いようです。《ナデシコC》やイネス・フレサンジュ女史のこともありますし」

 ムネタケは、仕方ないといった様子でこたえる。ネルガルを取り仕切る青年会長とは、つい先日面識を得たばかりだ。

「目には目を、歯には歯を」などと冗談めかしながら、死んだはずのイネス・フレサンジュを紹介されたとき、総司令部一同は腰を抜かしかけた。

 ミスマル、秋山、ムネタケの三名だけは何とか持ち直したものの、驚愕と呆れを通り越してもはや笑うことしかできなかった。煮ても焼いても喰えないと称されるアカツキ・ナガレの評判が、まさに的を射ていたことを強烈に証明した瞬間だった。

 迂闊に信用するわけにはいかない相手であるが、とはいえ少なくとも現時点において、彼らネルガルが宇宙軍の味方をしてくれていることは断定せざるを得ない。

「《火星の後継者》のバックボーンは、ネルガルではなく、それと敵対関係にあるクリムゾンを中心とする、幾つかの企業の複合体のようです。例の強化体質者も、おそらく供給源はネルガルではなく、ここらへんでしょう。とくに《ボソン・ジャンプ》を伴って現われた白色の機動兵器には、木連系技術のほかにも、《ステルン・クーゲル》と同じクリムゾン系列の癖がよく見られると専門家の意見にもあります。地球側ではまだ実現していない、小型機動兵器の単体ジャンプを可能としている辺り、戦争終結直後から、既に同盟関係を結び、準備を整えていたと言って良いでしょうな」

 淡々と、報告書を読み上げるムネタケ。秋山にしてみれば、聞いている傍から耳を痛めずにはいられない内容である。戦争終結直後から、すでに草壁春樹は《火星の後継者》として具体的な行動に移っており、そして数年の時を経て、現在の状況が起こってしまっている。

 これらのことが、木連内クーデターの際に草壁春樹を取り逃がした、秋山を初めとする当時の木連若手将校達の詰めの甘さに起因している面があることは、否定できない。

「元木連組としては、本当に申し訳ない」

 屈強な体格が幸いして、精一杯に身を縮みこませても、依然として堂々たる風格が伴ってしまう秋山である。

「まぁまぁ」

 宇宙軍総司令であり、この場において誰よりも強い権威を握るミスマル・コウイチロウは、そんな秋山に対して手を振るだけで済ませた。

「敵の目的は、《ボソン・ジャンプ》の管理体制の見直し。そして、それに基づく政治形態の織り直し。《ボソン・ジャンプ》というフィルターを通して、全人類を見た場合、人々はA級やB級といった位分けをされる。その位の差は歴然です。A級ジャンパー一人の手によって、コロニーが幾つも陥落してしまうことからも、それは分かるでしょう。これらの事実は、下手をすれば新たな人種差別運動、魔女狩りの始まりにすらなりかねない。また、自分達の特異性に気付いた一部のA級ジャンパーたちによる横暴をも招く可能性もあります。第二、第三の《ゴースト》の出現です。それらを防ぐために、《ボソン・ジャンプ》の真価から目を背けるのではなく、改めて見直すことによって新たな管理体制を作り上げようというのが、彼らの目的でしょうな。もっとも、第二の《ゴースト》に関しては、《後継者》たちが先手を打ったことで、もはや心配は無用であるようですが」

「ムネタケ参謀長は、草壁閣下の宣伝に毒されてますな? テレビの見すぎは、眼だけでなく、心にも毒でありますよ?」

 秋山が冗談めかして言う。

「囲碁とゲートボールを除けば、老人の唯一の暇つぶしを、易々と取り上げないでくれますかな?」

「若輩ながら、私にもそれなりの情報網がありましてな。知ってますよ? 参謀長は密かに楽器を嗜むとか。なかなかのベース捌きだと聞きましたよ。うちの若い連中が感心してました」

「おはずかしい」

 ひとしきり照れて見せたあと、世間話はここで区切り、ムネタケは新たな議論の対象を提示した。

「宣戦布告以降の、草壁春樹による宣伝活動は、周到です。布告の時に起こった電波ジャック紛いの強引なものはあれからなりを顰め、ネットなどを中心に、密かに密かに民衆に浸透させつつあります」

「怒鳴りたてれば、いくら意見が正しくとも、聞く者は耳を塞いでしまうからねぇ。子育ての難しさを感じる時だよ。子供を叱るには、感情をぐっとこらえて静かに囁くくらいが丁度いい」

 せっかく元の軌道に戻した話を、またもや脱線させる総司令である。ムネタケは、意図的に無視した。

「しかし、A級ジャンパーの件に関しては、割と無口ですな。《ゴースト》の存在に触れてはいても、その先に行こうとしておりません」

 そのムネタケの言葉に対して、秋山はお手本のような角刈り頭を撫で付けながら、ぼやくように言った。

「こういっては何ですが、A級ジャンパーというのは、既に映画に出てくるエイリアンやミュータントと同等です。石ころ一つあれば、身一つで何時でも何処でも、何処へでも瞬間移動できる人間。そして、彼らは火星のみに生まれる。それをそのまま世間に伝えるのは、《後継者》達も躊躇したのでしょう。度が過ぎた混乱が眼に見えます」

「大分、地球の文化に親しんできたねぇ、秋山君。アニメだけでなく、映画にまで詳しくなるとは」

「総司令は、先ほどから茶々しか入れませんな」

「私だって真面目に考えている」

 総司令は心外そうな顔で、必要以上に厳かに答えた。

 実際、ミスマル総司令は外からは見て取れないだけで、本当に真面目に考えているのである。草壁という男が巻き起こした、《火星の後継者》の乱。これは、決して昨今に見られるような盲目的、即物的なテロリズムではない。情報戦の重要性を十分に理解した、戦略、戦術、共に極めて卓越した一大反乱劇と言える。

 クリムゾンを初めとする各企業との協力体制により、地固めは十分。なにしろ《ヒサゴ・プラン》の大半が、いまや彼らのものだ。さらに、単独ジャンプ性能を有した機動兵器の数々。《遺跡》の所持。いまや、戦力的には地球側と互角と言ってよい。いや、はっきり言うならば、本来なら、地球は既に敗北しているはずなのだ。今でこそこうして呑気にしているミスマルら三人も、本当ならとっくのとうに《火星の後継者》に捕縛され、一人用の独房に詰め込まれ一人分の食料を三人で争っているところだったのである。

 敵がA級ジャンプを有している以上、《火星の後継者》が有する機動部隊の奇襲により、地球連合政府の各主要施設は、草壁の宣戦布告直後に陥落していてもおかしくはなかった。

 ミスマル総司令曰く、地球連合政府による『大引越し計画』。そして『大かくれんぼ計画』。この両作戦により、なんとか地球側は首の皮一枚繋がった状態でいられている。ちなみに正式名称は対A級ジャンパー用緊急避難態勢、並びに情報徹底管制令である。当初は対《ゴースト》用に考案された、大規模緊急避難プロセスであった。

 A級ジャンパー相手に、施設防衛は不可能。ターミナル・コロニー《ホスセリ》の司令部を預かっていたアイリーン・アダムスが口にした言葉であるが、けだしこれは名言であった。

 A級ジャンプの脅威が骨身に染みていた地球連合政府は、今にも自分達の頭上から敵機動部隊が降下しかねない状況から脱するべく、既存の主要施設を一時放棄、防衛戦力を有する軍事施設等に人数を分割して一斉に緊急避難する手はずを前々から準備していた。《火星の後継者》の速攻を回避できた理由はここにある。そして現在、ミスマル・コウイチロウらを始めとする要人達は、ギリギリのタイミングで敵の眼から逃れ、どの施設に誰が居候しているのか、そういった情報は、徹底的に隠蔽されている。

 一見して至極単純な作戦であるが、A級ジャンプが目的地のイメージを絶対に必要とする以上、「かくれんぼ作戦」は敵に対して絶大な効果を持つ。現に、あれだけ啖呵をきっておいて、現状では攻めあぐねている《火星の後継者》の姿が良い証拠である。

 だがこの作戦の弱点は、その持続性の怪しさにある。「情報を徹底的に隠蔽」とあるが、現代ほど情報化が進んだ時代では、それは軽はずみに口に出来るものではない。物事には、常に良い面と悪い面があるが、現代の情報化社会の弊害を挙げるとすれば、まさにこういった緊急時の情報統制の難しさが、そうであった。

 たとえホシノ・ルリの力を持ってしても、完全なる隠蔽工作は難しい。仮に外から情報を盗み取ろうとする害虫を完璧に駆除する事が出来たとしても、万が一、内側から這い出ようとする内通者がいたら、そこまでは手が回らない。宇宙軍内部や、ともすれば身を隠している当の要人の中にまで《火星の後継者》の手が及んでいる事も、考えられなくはないのだ。

 現在、連合宇宙軍の最高幹部である三人が集っているこの場所も、本来の本部を引き払い、仮住まいしている他所の軍事施設の一室なのだが、その情報が《火星の後継者》側に知られてしまうのも、そう遠い出来事では有るまい。さらなる防御対策、あるいは即効性のある反撃方法を早急に考案する必要があった。

 また、ミスマル・コウイチロウの個人的事情として、自分の勤労姿勢を疑いの眼でみやる部下たちに対して、上司の威厳といったものを示しておきたかったので、彼はわざとらしいほど勤勉な表情で議論を再開させた。

「移転計画により大部分の連合政府主要施設はもぬけの殻となり、要人たちをいきなり人質に取られるという最悪の事態は防いだ。だが、それはあくまで守り一辺倒。なんの事態の解決にもならないものだ。それも効き目がある時間は、有限ときている。ここらで一発バシっと、会心のカウンターパンチを喰らわせてやりたい所だが、如何かね諸君」

「少数による奇襲が、せいぜいですな」

 ムネタケ参謀長が、この上ない悲観的意見を、至極平然と言ってのける。

「かくれんぼしているお偉方の護衛戦力を、取り除くわけには行きません。何しろ、相手は何時どこからやってくるか分からないのです。守り一辺倒と総司令は皮肉られましたが、その姿勢を、我々は崩すわけにはいかないのです。敵に《遺跡》がある限り。我々が自由に攻撃に使える戦力は、ごくわずか」

「精鋭部隊による奇襲ですか。それも一撃必殺の気構えが必要ですな」

 秋山が豪胆に笑う。

「私もムネタケ参謀長に同意見です。性に合わないことですが、防戦一方の今の状況を安易に崩すわけにはいかないという点については、反論しようがありません。しかし、現状打破のためには、やはりどうしても攻撃が必要です。だとしたら狙うは当然、火星の極冠。《遺跡》です。そこを叩けば、敵はA級ジャンプ能力を失い、我々は全戦力を攻撃へと転じさせることができます」

「しかし、敵は遥か彼方の火星にいる。フレサンジュ女史の力を借りるとしても、《ボソン・ジャンプ》で送り込めるのは、せいぜい戦艦一隻。彼女の身体を省みなくとも、恐らく三隻が限度。それ以上の艦隊を送り込むとするなら、《ヒサゴ・プラン》を抑えられている以上、片道数ヶ月の長距離遠征になることは避けられない。戦争というものは、基本的に遠出をした方が不利だよ? 秋山君」

 ふぅむ……と、秋山は両腕を組んで唸る。

「統合軍中心による、ターミナル・コロニー奪還はどうでしょうか? 参謀長」

「先日の、ターミナル・コロニー《アマテラス》襲撃戦を見るに、あまり捗らないでしょうな」

 現在、地球側の《火星の後継者》に対する唯一の攻撃活動と言えるのが、統合軍中心による《ヒサゴ・プラン》奪還任務である。

 その手始めとして、草壁による宣戦布告のほぼ直後。統合軍第三艦隊所属の、機動部隊と対要塞部隊の混成部隊が、《火星の後継者》に占拠された《アマテラス》を襲撃した。皮肉なものである。つい先日まで《ゴースト》から必死に護らなくてはならなかったコロニーを、今度は統合軍自身の手で襲撃しなくてはならないのだ。

 結果は統合軍側の惨敗。《ボソン・ジャンプ》を駆使する戦術により、艦隊は次々と分断され、各個に撃破されていった。

「《ヒサゴ・プラン》を奪い返すのも難しい。かといって、正直に火星を攻めるのも大きな博打、それも明らかに分が悪いと来ている。どうにも、手詰まりですな……」

 ムネタケのボヤキが、現在の連合宇宙軍の状態を的確に表していた。

 問題は距離である。敵にとって、火星と地球との距離がほとんど無に等しいのに対し、地球側の前には約六千万キロメートルもの距離が立ちはだかっている。それだけの距離を踏破するだけでも、相応の資材と物資が必要だというのに、その間断続的に各ターミナル・コロニーを経由して《後継者》達が、長く伸びきった艦隊を側方から襲撃してくることは想像に難くない。それらに一々対処し、地球と火星の間にあるターミナル・コロニーを占拠しながら、火星まで辿り着き、そして本隊を叩く。

 これだけのことを成し遂げるのには、果たしてどれだけの戦力を要すことか。それだけの戦力を割けるだけの余裕は、守りを疎かに出来ない今の宇宙軍には無いのだ。

 結局、具体案は何一つ出ないまま、今回の会議は一先ずの休息を挟んだ。





「秋山大将、如何でしたか」

 対策会議が小休止に入った直後を見計い、部屋から出てきた秋山に声をかけたのは、アオイ・ジュン中佐である。一戦艦の艦長でしかない彼の本来の地位を考えれば、秋山の姿を視界に入れる機会すら滅多に許される事ではないのだが、しかし秋山は、前大戦中は宿敵関係にあった元《ナデシコ》のクルーに対して、ほぼ無条件に好意的であり、特に階級がかけ離れているとはいえ、直属の部下と言えるアオイ中佐の事は、周りに見えないところで良く可愛がっている。

 まるで師弟のような気安さが二人の間にはあった。だから、階級を考えれば出すぎた質問を、出会い頭にぶつけてきたアオイ中佐にも、秋山は嫌な顔一つせずに答えた。

「いまだ具体案は無しだ。何分、《ヒサゴ・プラン》を抑えられているのが大きい」

 しかし、念を押す事は忘れない。

「もっとも、お前の気にすることじゃないぞ?」

「それは分かっています。行けと命令されれば、《アマリリス》は何処へでも行くだけです。ですが、僕にも知識欲はあります」

 そんなジュンを、秋山は「なかなか見上げた根性じゃないか」などと、大雑把に評価した。

 秋山はジュンを自室に招いた。適当な場所に座らせ、適当に茶菓子を振舞う。遠慮しつつも、ジュンは丁寧にそれを受け取った。

「とにかく、現状はあまり芳しくない。このままでは《ナデシコC》もお蔵入りかもしれんな」

「やはり、敵の方にもホシノ少佐の仲間が」

「恐らくな」

 《ナデシコC》とは、このあまりに不利すぎる状況において、宇宙軍の起死回生を叶えうる唯一の手段である。三代目の《ナデシコ》、《ナデシコC》。《ナデシコB》の運用試験で得られたデータの全てを受け継ぎ、新たに誕生した《ナデシコ》シリーズ。前代のと比べて、基本的なスペックのみを一見した所、それほど顕著な性能向上は見られないが、《ナデシコC》の《C》たる所以は、その特化された電子戦性能にある。

 ホシノ・ルリが月面で見せた、敵の強化体質者が仕掛けた《スタン》を悉く蹴散らした能力が、《ナデシコC》の性能を経てさらに昇華された形で発現すれば、ともすれば《ナデシコC》一隻のみで、火星全域の敵艦隊を無力化さえることすら可能と言えるのだ。

 そうなれば話は早い。今すぐにでもイネスの力で《ナデシコC》を火星極冠に送り込み、火星駐留艦隊を一網打尽にし、草壁率いる幹部クラスを根こそぎ逮捕してしまえばいい。そうすれば全てが解決する。

 だが、この作戦には一つの懸念事項がある。先ほど話にも出た、敵の強化体質者の存在である。月での一件を考えれば、敵側の電子戦能力が、ホシノ・ルリを上回っているとは思えないが、仮に《ナデシコC》が火星まで行き着くことが出来たとして、万が一にも《ナデシコC》によるシステム掌握を防がれたとき、或いは数分たりとでも持ち堪えられたとき、《ナデシコC》は飛んで火に入る夏の虫と化す。切り札が、まさにブタと成り下がるのだ。故に、宇宙軍は軽率にこの切り札をめくるわけにはいかなかった。

 しかし、いずれにせよ火星侵攻の際には、ホシノ・ルリが攻撃部隊の中核を担う事はほぼ決定していた。要人警護により、攻撃に人員を回せない宇宙軍とって、一人の強化体質者による艦船運用を可能とする《ワンマン・オペレーティング・システム》は、まさに適材適所なのだ。

 《ナデシコB》以外に、ネルガルの方でも独自に行われていたワンマン・オペレーティングの実験から得られたデータ(《ユーチャリス》の実戦データも含む)も統合させて、《ナデシコC》は既に完成している。

 本来ならネルガル月面支部のドックにて航宙式が開かれるはずだったが、《ヒサゴ・プラン》を握られた事により、現在制宙権のほとんどは《火星の後継者》に手の内にある。そんな状態で、月で切り札のお披露目を行うわけにはいかず、《ナデシコC》は建造中の段階から既に、極秘裏に地球のサセボドックに居を移していた。ホシノ・ルリもそれに同行して、今ごろはイネス・フレサンジュと感動の再会を果たしていることだろう。

 ナガサキ・シティの北西にある湾岸都市は、旧世紀に勃発した第二次世界大戦中も軍港として古くから働いており、鎮守府も置かれていた街である。初代《ナデシコ》が飛び立ったのも、その街からだった。

「お前も行けばよかったな。思い出話に、さぞ盛り上がっただろう」

 ジュンは笑って首を振った。ただ、同じ軍に在籍していても、ジュンとルリが顔を合わせることなどほとんどない。旧友との再会は、確かに魅力的ではあった。

「ホシノ少佐と《C》がコンビを組もうと、勝利が確約されることはない。問題は敵強化体質者の存在だ。この問題は大きい。とりあえずは時間稼ぎとして、『引越し計画』の二次案、三次案の作成に取り掛かることになりそうだ」

 攻撃が封じられているとなれば、防御に専念するしかない。だが、それでは何ら現状を変革させる結果にならないことも事実だった。

「移転計画もそうですが、敵の牙を砕くことも重要です」

「ほう、話してみろ」

 ジュンの出すぎた真似を笑って許し、尚且つ悪童のように目を煌かせて先を促してしまうところが、秋山の欠点でもあり美点でもあった。階級差を物ともせず、自分に好意を寄せてくれる秋山に対し、日頃は遠慮する事の多いジュンだが、この時だけは甘える事にした。

「やはり《アマテラス》を何としても落とすべきです。地球に一番近い《アマテラス》は、言わば奴らにとって最重要の前線基地。A級ジャンプで直接地球を叩きに来る部隊の退路でもあります。また、《ヒサゴ・プラン》の中でも特に多くのジャンプ・ラインが交差しているので、そこを叩けば敵の移動力を半減させる事も出来ます」

 ジュンの考えている事は、制宙権のほぼ全てが《火星の後継者》に握られている現状を改善する事である。ターミナル・コロニーの存在によって、A級ジャンプの往復が利かずとも、彼らは《ヒサゴ・プラン》を駆使する事によって宇宙を縦横無尽に駆け巡る事が出来る。このままでは、宇宙軍は艦隊を宇宙に上げることすらままならない。

 一先ず《アマテラス》を制圧、もしくは完膚なきまでに破壊し、制宙権を少しでも五分五分のところに近づけようというのだ。A級ジャンプの脅威が依然として残るが、それでも《ヒサゴ・プラン》を失うことによって敵の機動力は削がれるはずだった。

「ユリカを擁していても、所詮彼らはA級ジャンパーじゃない。《ヒサゴ・プラン》さえ沈黙させれば、《遺跡》の力だけで幾らでも応用が利くものじゃない。《火星の後継者》だなんて、名乗ることもおこがましいんです」

「あまり熱くなるな。中佐」

「分かっています」

 だが、ジュンの表情は、未だ険しい。普段は温厚な彼も、今回のテロ騒ぎに関しては冷静さを失いがちだった。その原因は言うまでも無い。

 ミスマル・ユリカと《遺跡》のことは、《アマテラス》より生還してきた唯一の統合軍人からもたらされた情報である。スバル・リョーコ中尉。彼女は今、《ナデシコB》と共に地球へ降り立ち、統合軍の医療施設で療養している。パイロットに不親切な《サレナ》(彼女の証言から、《ゴースト》のパイロットが自分の機体を、そう呼んでいたことが分かった。軍内部では、以後は機体の方は《サレナ》、そのパイロットの方は今まで通り《ゴースト》と呼称することになった)の設計の被害にあい、重力制御が機動兵器にまで組み込まれている昨今では、そうそうお目にかかれない過剰Gに、体力が消耗しきっていたからだ。

 しかし、ホシノ・ルリからの言伝という形で、十分な事情を聴取することは出来ていた。それによると、彼女は何と、一騎打ちに敗れた《ゴースト》に招かれ、《サレナ》に同乗して《アマテラス》の奥深くまで潜入し、《火星の後継者》が極秘裏に回収していた《遺跡》と、ミスマル・ユリカ大佐の変わり果てた姿を目撃したというのだ。

 そして偶然と片付けるには怪しすぎるほどのタイミングで、今度は宇宙軍のコンピューターに送り主不明の画像データが送信されてきた。そのデータには、《遺跡》の一体化したミスマル・ユリカの姿が、まさにスバル中尉の報告にあった通りのものが映し出されていた。二つの証拠が揃ってしまえば上層部は、人間と《遺跡》の融合などという、荒唐無稽な現象を完全に信用せざるを得なかった。どちらか一方の証拠が欠けていれば、見間違い、あるいは性質の悪い悪戯として片付けられていたかもしれない。

 ミスマル・ユリカの生存を知った時、ホシノ・ルリは瞑目し、秋山源八郎は頭上を見上げて溜息をつき、ムネタケ・ヨシサダは複雑な面持ちで顎鬚を弄くった。もっとも極端な反応を見せたのがアオイ・ジュンである。彼に宛がわれた士官室の壁には、ちょうど拳大のへこみが刻まれている。彼自身の性根もあり、あまりに素直に己の内を体現してしまった結果だった。

 ちなみにミスマル・コウイチロウはというと、彼を稀代の親馬鹿と知る周囲の予想を裏切って、意外にも冷静だった。ホシノ・ルリからの報告書を受け取った時も、例の画像データを見たときも、宇宙軍の技術科学部の見解で、《遺跡》と融合した状態でもユリカの生存の可能性が少なからずあることが示された時も、彼は無言のままだった。

 唯一、ミスマル・コウイチロウが娘に関連する事で何かを口にしたのは、情報部の調査により、ここ数年の間で火星生まれの人間が、事故や通り魔殺人あるいは原因不明の失踪などで、悉く消息を絶っていることが明らかにされた時である。

「どうして気付けなかったかねぇ」

 そうとだけ、彼はポツリと漏らしたらしい。それ以降、やはり彼は娘に関する事のみにおいて無言の男となった。上官がそうであるものだから、逆に直情的なジュンの態度は、秋山としてはむしろ対応しやすかった。

「お前の提案はもっともだが、問題もある。《アマテラス》を制圧もしくは破壊すると言っても、そう簡単な事ではない。まず周囲に張り巡らされた《ビッグ・バリア》が邪魔をする。バリア衛星を幾つか潰して突破口を開いたとしても、どこからともなくやってくる敵の増援に、タコ殴りにあうのが目に見えている。我々は《ゴースト》ではない。数を集めても、彼のような仕事は出来んよ」

「ですが、このままでは」

 食いついてくるジュンを、秋山は制した。

「その意見ももっともだ。確かにこのままではいけない。『引越し計画』もそうだが、《ヒサゴ・プラン》の奪還ないし破壊も、今後の最重要課題となるだろう。検討はする。あせるな」

 いまだに感情を燻らせているジュンの肩を、秋山は軽く叩いた。ジュンの心情を心底慮っての事だが、ジュンには、それが呑気に映ってしまう。歯がゆかった。

 

 

 その頃ホシノ・ルリはサセボの港にいた。かつて《ナデシコ》が飛び立ち、降り立った土地。その時に見た景色と重なり合う場所を探しあて、ルリはそこに腰を下ろしている。提案したのはルリであり、同意したのはリョーコである。彼女らをそんな気分にさせたのは、共に通じ合える懐旧の情だった。

 《初代ナデシコ》のクルー達は、一部を除いてみな此処に集い、連れ合い旅立った。別れの場所も、また此処だった。思い出が砂となり舞うような感覚があった。

「ほい、ルリ」

 振り向けば、夕焼けの空を背負って思い出を共有する友人が缶ジュースを掲げていた。二つともホットコーヒー。受け取ったルリは、包み込むように缶を持ち、冷えた両手を暖めた。隣に座ったリョーコは、手っ取り早くブルタブを開けて一気に煽る。

「懐かしいなぁ」

「ですね」

 サセボというのは、それだけで通じる場所だった。

「新しいエステの調子はどうですか」

「いいよ。それよりは俺自身を鍛えなおさなきゃだ」

「なまってたんですか?」

「そりゃな。しばらく実戦なんてなかったし」

「やっぱり違うものなんですね」

「そうさ」

 ふとリョーコは考える顔つきになった。ルリもまた、赤く光る海面の揺れように視線を戻す。無言の時間が、二人の選択だった。

 リョーコが所属していた《ライオンズ・シックル》中隊は、メンバーの大半が《アマテラス》にて《火星の後継者》の捕虜となり、なかば解散状態に陥っていた。不本意に身軽な立場となったリョーコは、済し崩し的に連合宇宙軍に転属し、《ナデシコC》の機動部隊員に任命された。《火星の後継者》の決起による混乱は、統合軍が碌に人員整備にも口を出せないほど大きなものだった。

「とにかく次こそ負けねぇぜ」

 不意に囚われた思考を自己解決し、リョーコはそう言い放った。

「誰にだろうとな」

「《ゴースト》でも」

 リョーコはルリの目を見た。

「そいつが一番のライバルだ。俺の一番の、初めての弟子だったんだ」

 リョーコの目は決意に揺るぎないように見える。

「まだ、そうと決まってない」

 自分に言い聞かせるようでもあるルリの呟きに、リョーコは首を振った。

「生き返ったところで嬉しくないか? そうだろうなぁ。死人が生き返るってのも状況によりけりだ」

 ルリは何も返さなかった。

 テンカワ・アキトが生存していること、そして彼こそが《ゴースト》であることは、既にリョーコにとっては事実と認識されていた。なにせ生身で接触したのだ。声も聞いた。証拠がないとルリは言うが、リョーコには諦めの悪さにしか見えない。

 テンカワ・アキトとミスマル・ユリカ。シャトルの事故を機に停止していたはずの彼らの時間は、今このときまで確かに続いていた。ルリたちの知らないところで、確かに彼らは生きていた。

 《ゴースト》が放った叫びを、リョーコの耳はしかと覚えている。気絶寸前の薄らいだ意識の中で聞いたことだが、リョーコはそんなことは関係ないとして頑なに信じている。あれはアキトの声だと。

 事情聴取の形でそれを聞いたルリは、しかしミスマル・コウイチロウらに報告しなかった。リョーコも、そんなルリを見ても何も言わなかった。今に見ていろという態度である。今のルリには、むしろありがたかった。

 休憩を終え、二人は仕事に戻ることにした。結局テンカワ・アキトの話題を振られてから、ルリの舌は一向に回転せず、気まずいままの別れだった。

 《ナデシコC》への出向手続きを終えたイネス・フレサンジュが、宇宙軍医療班の制服に着替えてルリの部屋にやって来た。この人の場合はまだいいと、ルリは思う。

「どうかした?」

 ルリは首を振って、返答を逃れた。追求しないのは、イネスなりの後ろめたさである。

「これからのことだけど、面子だけ集めておいても、あまり先行きハッキリしてないのは民間人として不安ね」

 イネスの言う面子のことは、ルリも少々悩んでいることである。

 現在、宇宙軍がどれほど不利な状況下にあるかは、ルリも理解していた。しかし《ナデシコC》が、初陣の機会が失われることは、恐らく無い。上層部から送られてきた、新たな《ナデシコC》のクルー編成表を見ても明らかだった。

 彼らの乗る戦艦には、《初代ナデシコ》のクルーが集いつつある。つい数時間前、リョーコは機動部隊構成員の名簿欄に旧い戦友二名の名があるのを見て、思わず目をこすった。同じくルリは、ブリッジ・クルーの項目で、何人か見知った名前を確認している。

 いくら人手不足に悩まされていようと、既に退役した者を呼び戻すというのは、よほどその人物が優れているか、それとも何か裏があるのかのどちらかしかない。今回の場合、前者も皆無とは言えないが恐らく後者の方が比重が大きい。

「《ナデシコ》のクルーを一掃してしまいたいようね」とはイネスの意見であり、ルリも同意するところだ。古代火星文明に関わる機密を知る集団が、大半が民間人となり普通の暮らしをしていることは、一部の人間にとってはほとほと扱いかねていた問題であった。実際にはイネスほど乱暴な意図ではなく、前線に送り出して少しでも人数が減ってくれればよしと、そういう目論見だろう。

「憎き敵を討伐しようという時に、その敵と似たような事をしてしまうのよね。人間って」

「同じ人間ですから、似ていて当然です」

 ルリは、簡単な算数の問題を答えるように言った。 ミスマル・コウイチロウの権限を踏み越えて、このような采配を実現させるのだから、よほどの権力を持った暇人だろうとルリは予想している。しかしそのような俗物は、今回問題ではない。

「とりあえずワープ装置として協力はするけど、死地に直行は勘弁したいわ」

「《ナデシコC》が、まったくの単独で敵地に突入することはまず無いでしょう」

「あら、自信ないのね」

 ルリは黙殺した。

「《ナデシコC》による単独制圧。敵地にいる私の兄弟たちは、それを防ぎたいがためだけに用意されたのでしょう。ならこの戦いの結末は、私の手の中にはありません」

「あまりに活躍しすぎたものだから、最初から警戒される。残念な結果ね。まぁ噂によると、あなたあまり戦功に興味ないみたいだけど」

「戦功は確かにそうかもしれませんが、今回のテロリズムにはとても関心があります」

「そうなの?」

「ええ」

 機械人形としてではない、少女としての感性の成長が伺える可愛らしい笑顔をルリは浮かべた。その薄皮一枚下に、穏やかでない感情が見え隠れするところなど、まっこと人間らしいではないか。

「ですから本当ならこんな身動き取れない場所ではなく、身軽な傍観者として自由に見物場所を決めたかった。例えば、月とか」

 なんでもない風に付け加えられた地名が、イネスの脛の傷を直撃する。仕方ない問題だが、悪巧みのメンバーの中で、自分だけがここに放りだされてしまうのは、やはりとんだ貧乏クジだとイネスは声無しにぼやく。自分よりずっと要領が悪く、それだけに盾にしやすいゴート・ホーリの到着が待ち遠しかった。

 一方、おそらくここいらだろうと目安を設けて放った皮肉の矢を、見事的中させたルリは何事も無かったかのように備えつきのコンピューターを起動させている。イネスの手続き用に、書類を作るのだ。その顔は何時もの無表情である。

 出向手続きは、いくらかの形式をすっ飛ばして、物の数分で終わった。イネスが出て行った後もしばらくコンピューターをいじっていたルリは、疲れたのか背もたれに寄りかかり目を瞑った。仮眠でも取ろうかと迷ううちに、ふと鈴の音に似たアラームがコンピューターから鳴り響く。メール着信の報せである。送信元の名前をチェックして、ルリは眉を寄せた。知っている名前であったが、その名前の人物との交流は無いに等しい。好き好んで交流したいと思う人物でもない。恐らく向こうもそう思っているはずなのに、今その人物から食事の誘いが届いた。

 軍内で個別に割り当てられるアドレスを私的に使用することは、軽く軍規に触れる事柄であるのだが、この人物は堂々と本文の最後に「証拠隠滅よろしく頼む」などと書いている。ルリは少し考えてから、了承する旨を記載されていた相手のプライベートアドレスに返信した。

 

 

 指定された日時は忙しいことに今晩の夕食だった。人を誘うにしては無礼な事だと思いつつ、ルリは無礼でない程度に身支度を整え、約束のレストランへと向った。ウェイターに案内されるまでもなく、ドアを開けたらすぐ見える位置に、礼の誘い主が座っていた。イツキ・コゴロウ。作戦本部に在籍する言ってしまえば後方勤務事務官の一人で、直接戦場に立つことはないが、ルリとは何度か顔を合わせている。もう五十代間近だというのに、表情は若々しく、張りに満ちている。もっとも根本的なファッションセンスの問題か、極道の頭領に見えないことも無い。

 性根も子供じみたこの軍人を、ルリはあまり好ましく思っていない。子供のようなと言えば宇宙軍最高司令官にも似たような性質があるのだが、そこは身内の欲目だろう。

 イツキ・コゴロウ准将は、いわゆる不良軍人と呼ばれる類の人物である。軍規違反は日常茶飯事で、酩酊した状態で軍務にあたった事もあるほど歳の割に落ち着きが全く見られない。彼が降格、もしくは除隊されないのは、事務官としての彼の才能がなかなかに得がたいものであることと、彼の起こす軍規違反の九割九分が、先の軍内アドレスの私的利用のような、矮小でしみったれたものばかりだからだろう。

 そういうせこさが、同じく隠れた不良軍人であるルリの気に食わないところであるかもしれない。そしてイツキ准将本人も似たような事を思っている。「最近の若いもんは」とは、イツキ・コゴロウの中での、ルリに対してのみの口癖である。

 この壮年の軍人は一人ではなく、となりに連れがいた。同僚なのか友人なのか、コゴロウと同じような歳と見て取れる。こちらは歳相応の落ち着きと、親しみやすそうな人柄が滲み出ている。ルリにとっては、間違いなく不良軍人よりは親愛に足る人物のように思われた。要するに、この人物をルリに紹介することが、今回の食事の目的なのだろう。

「お久しぶりです、イツキ准将。そちらの方は?」

 私服になってますますヤクザじみている壮年の軍人は、頭を掻きながら答えた。

「民間人だが、古くからの友人でな。アサヒナ・ノブスケというんだ。こいつをお前さんに紹介したくてな」


 

 

 

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代理人の感想

ふむふむ、このルリの心情が墓参りのシーンに繋がるわけですな。

実際に出てくるのが楽しみだ。

出てくるといえばアサヒナ・ノブスケ氏(アキトの姉貴分アサヒナ・サクラコ女史の義父さんですね。8話参照)。

アキトによる真相の暴露から1年ほど経っている訳ですが、この人のよさげなじいさんが水面下でどれだけ動いてたか、次回が楽しみですね。