「最後にひとつ、聞いてもいいかい?」

 すべての話が終わって会長室を去ろうとする彼のことを、何を思ったのか会長が呼び止める。

「……なんだ?」

「君はなぜこんなことをするんだい?

 君は、何を望んでいるんだ……?」

 それはある意味、核心に触れるような質問。

 それだけあって、もちろんそんな問い掛けは無視されるだろうと私は思っていたけど、予想に反して彼はその場で足を止めてじっと黙り込んでしまう。

 そして、振り返った彼はおもむろにバイザーを外すと、そこには思ってた以上に幼い顔つきがあらわになる。

「もう二度と、悲劇を繰り返したくない。

 過ちはもう、繰り返したくないんだ……」

 その言葉と共に見せた彼の表情はものすごく寂しげで、横から見ていただけの私でさえドキッとさせられるほどのものだった。

 それは、つい先ほどまで私達を恐怖させたものではなく、ごく普通のひとりの少年のものに思えたのでした……











機動戦艦ナデシコ another story
―― Dual Darkness ――





Chapter1:もう一度、『はじめまして』
stage3






「……会長。

 彼の処遇、本当にあれでよかったのですか?」

 彼がこの部屋を立ち去って少し経つと、ふと我に返ったかのようにエリナ君が僕に問い掛けてくる。

「まあ、テンカワ君のことなら一応信じてもいいと思うよ。

 本来ならマスコミに持っていったほうが金にもなるデータを、わざわざお願いと言う形で持ってきたんだ。

 その気になれば、脅迫されても僕達は従うことしか出来なかったのにね」

 実際、あのデータはネルガルの首筋にピタリと突きつけられた刃のようなものなわけだし。

「確かにそうかもしれませんが、彼は絶対…」

「うん、そうだね。

 彼はまだ、何か隠してるよ。

 そしておそらく、僕らに対する手札もね」

 困惑したような表情で問い返してくるエリナ君に、あっさり同意する。

 これは勘に過ぎないが、彼は絶対に切り札とも言えるジョーカーを隠し持っている気がする。

「だったらあんな簡単に……!」

「だけどまぁ、別にいいんじゃないの?

 そんな人が、僕らの味方になってくれたわけだからさ」

 釘を刺してくるエリナ君を、気楽に笑い飛ばす。

「………一応の、ね」

「今のところはそれで十分さ。

 僕らが敵にでも回らない限り、彼はきっと味方でいてくれるよ」

 少し楽天的かもしれないけれど、彼にはそんなことを信じさせてくれる何かがある。

「そうそう。

 ついでに今作っている新しい人型戦闘兵器の名前だけどさ、まだ決まってなかったよね?

 彼にテストパイロットをしてもらう予定のヤツ。

 どうせなら『エステバリス』にしないかい?」

「えすてばりすぅ……?」

 胡散臭げににらみつけてくるエリナ君に、苦笑して答える。

「ああ。

 『悲しき思い出』っていう花言葉の、キンポウゲ科の宿根草のことさ。

 彼にピッタリだと思わないか?」

「……洒落たつもりかもしれないけど、それってきっと彼にはいい皮肉よ?」

「わかってるさ。

 だけど、ここまでいいようにイニシアチブを取られたんだ。

 少しぐらいなら、皮肉を言ったところでバチは当たらないだろう?」

「……ふぅ。

 勝手にしてください」

 処置なしって感じで答えるエリナ君に、僕は楽しそうに笑いかける。

「よし、なら決定だ」

 それでテンカワ君に関する話を切り上げ、通常の業務に復帰することにする。

 思っていた以上に彼と話し込んでしまったため、今日のスケジュールが大幅に狂ってしまっただろうな……

「さてと。

 それじゃ、今日は僕はどうすればいいんだい?」

「あ、はい。

 本日のスケジュールですが……」

 それからしばらくエリナ君の話を適当に聞き流しながら、彼の深い悲しみを湛えた瞳を思い出す。

 優しさと強さを同時に感じさせるような、深い眼差しを……

「それと、まずはこれらの書類すべてに目を通してください。

 それが終わったら……」

 次に彼に会える日を少し楽しみに思いながら、今日も雑務に追われていくのでしたとさ。













 それから1年の間、俺は主にネルガルの研究室でナデシコを完成させることに時間を費やすのだった。

 それと言うのも、この世界でのネルガルは相転移エンジンを完成させてなかったから。

 どうしてそんなことになったかと言うと理由は簡単、この世界のイネスさんがまだ22歳だったからだ。

 ……はっきり言って、それをシスイに聞かされた時は俺も驚いた。

 俺がいないことが、まさかナデシコの出航にまで影響してくるとは思わなかったからだ。

 火星でランダムジャンプに巻き込んだ状況が違ったからか、もしくはもう一度ボソンジャンプした時の状況が違うからか。

 とにかく、イネスさんがこの世界に現れた時期が5年ほどずれていたのだ。

 その結果、イネスさんが完璧な相転移エンジンの設計図を完成させる前に火星会戦に巻き込まれ、その消息を絶ってしまった。

 確かに、これでは相転移エンジンを作ろうにも上手くはいかないだろう。

 それでもネルガルは火星で見つけた遺跡のデータを元にして、相転移エンジンの複製品を作ろうとしているようなのだが……

 完全なものを知っている俺からしてみれば、それは欠陥だらけの粗悪な模造品に過ぎなかった。

 それで仕方なしに、アカツキと交渉して俺が介入することにしたのだ。

 だが、ここまで干渉してしまうともうこの先の歴史がどうなっていくのか、少し不安になってくる。

 俺と言う不確定要素が混じった結果、確実に俺の知る未来とは重ならないだろうが、それがいい方向に向かうのか悪い方向に向かうのかまったく予想がつかなくなる。

 はぐれてしまったアイちゃんが無事だったことには本当に安心したが、これでは現在も火星で無事に生き残っているかわからない。

 どちらにせよ、それを確認するためにも火星に行ってみるしかないわけだが……

 このままでは、ナデシコが本当に1年後に出航できるかどうかさえ危なかったのだ。

 それはさすがに困るので、俺はシスイの持つデータを参考にしながら現行の試作型相転移エンジンの欠陥部位を修正し、何とか1年以内に完成にこぎつけた。

 しかも、俺の知ってる技術は若干未来のものとなるので、それのまったくの再現とはいかないものの以前ナデシコに積まれていたやつより3割近く出力を上昇させることが出来た。

 ついでに、以前のナデシコはグラビティブラストに頼りっきりで他の武装が弱かったので、アカツキにふっかけて色々と武装を強化させたりもしたし。

 ただ、それに専念していたおかげでエステバリスの設計にはほとんど参加できなかった。

 できることなら、俺の乗りこなせるような機体を作り上げたかったんだが……

 まあ、その辺はナデシコが出航してから自分で改造するなり、ウリバタケさんにお願いするなりすればどうにかなるだろう。

 ……いや、本当は1機だけ、テストパイロットをした関係上口出しをさせてもらったんだが……

 その結果、とてもじゃないが使い物にならないものが出来上がってしまったため、結局破棄されてしまったのだ。

 そんなこんなで時は流れ、ナデシコの出航の日が刻一刻と近づいてきていた……













「第一次火星会戦敗退から一年余り。

 すでに火星と月は完全に敵の制圧下、地球も時間の問題に過ぎない」

 暗く、明かりの落とされた会議室。

 そして部屋の一角のスクリーンに、木星蜥蜴の進行状況を示されたホログラフが映し出されている。

 それはわかるんだが……、なぜ自分がここにいるのかがよくわからない。

 わかりきったことをなぜ今更説明されるのかも、なぜネルガルの重役が集まるこの会議に自分が出席しているのかも、だ。

「質問があります」

「なんだね? ゴート君」

 自分の言葉に、副社長……1年程前に新しくなったため、自分はよく知らないが……が答えてくる。

「要するに、私にどうしろと?」

 その言葉に、副社長は口元に笑みを浮かべる。

「スキャパレリプロジェクト、聞いたことがあるね?」

「はあ……」

 今ネルガルが推し進めている最重要プロジェクトだと、自分は聞かされている。

 そのために、新造戦艦1隻とネルガル一押しの新製品エステバリスが莫大な資金を投入して作られたのだから。

「我々の中でも、従軍経験のある君を推薦するものが多くてね」

「私を……?」

 それは、自分にその船に乗れと言うことなのか……?

「それは軍需計画ですか?」

 ネルガルと軍はそれほど仲は悪くないとは言え、今のネルガルにとって軍に協力することが利益になるとは思えない。

 逆に、せっかくの新造戦艦を危険にさらしてしまっては元も子もないような気がする。

 まあ、上がどう考えていようと自分には関係ないことだし、乗れと言われれば自分は乗るだけだが……

「まあ、それはともかく、今度の職場は女子が多いよ」

 そんな自分の考えをさえぎるように、隣に座るプロスペクターが声をかけてくる。

 そして、どこからともなくその手に電卓が取り出される。

「で、ボーナスも出る」

 ボーナス?!

 その言葉に、顔には出さないものの一瞬反応してしまう。

 ……これもしがないサラリーマンの性か……

「ひぃふうみぃよぉ……このくらい」

 提示されたその金額は、思った以上に高い。

 軍にいたときはもとより、このまま保安部にいるよりかはずっといい給料だ。

「ひとつ聞いていいですか?」

「……なにか?」

「それ、税抜きですか?」



「まあそれはともかくとして、まずは人材が必要だね」

 会議が終わるとすぐに、自分はプロスペクターに連れられ本社を後にしていた。

 結局自分は戦闘アドバイザーとして、プロスペクターと共にスキャパレリプロジェクトに参加することになったのだ。

 ……あの質問に答えが返ってこなかったことだけが、若干心残りではあるが。

「人材?」

「そう、人材。

 最高の……

 多少性格に問題があっても」

 そう言って不敵に笑うプロスペクターと共に、自分達は街へと繰り出していくのであった。





「俺をメカニック?!」

 うちの看板娘、リリーちゃん(重武装ver)の開発中に突如現れた怪しいふたりを観察しながら、その言葉の意味を聞き返す。

「ああ。

 違法改造屋だが、いい腕前だ」

 このふたり、ネルガル重工の使いを名乗ってはいたがどうにも不審だった。

 中肉中背の愛想のいいメガネサラリーマンと、でかい体を無理やりビジネススーツに包み込んだ無愛想の軍人もどきの組み合わせからして、なんとも言えず不自然だ。

 それに、少し離れた場所で俺たちの会話を見守るかみさんの視線もまた気になる。

 なんでそう、「アンタ、また何かやらかしたのかい……?」と言わんばかりの呆れたような視線を俺に向けてくるのかな……

「ぜひともうちの………」

 生真面目な表情の軍人もどきと、俺の耳になにやら小声で話し掛けてくるメガネサラリーマン。

 まあ、この天才技師ウリバタケ・セイヤ様の実力を考えれば、引き抜きの話なんてそれこそ掃いて捨てるほどあるが……

 しかし、その話の内容を聞いた途端俺の目の色は変わり、即座にそのふたりを見る眼も変わる。

 それはまさに、俺に運命の天使が舞い降りた瞬間だった!!

「しぃっ! しぃしぃー!!

 そうと決まったら話は早い!

 今すぐその新造戦艦とやらに、乗ってやろうじゃねぇか!!」

 小声で、だが確実に目の前のふたりにだけは聞こえる音量で、俺は同意の意思を力強く伝える。

 それはもう、今すぐにでも俺をここから連れ出さんと言わんばかりに。

 後ろのかみさんに、このことを気取られるわけにはいかん!!

「しかし、条件の確認とか、契約書とか……」

 俺の積極的過ぎる態度に困惑したのか、メガネサラリーマンは俺に問い返してくるが……

「いいのいいの!

 あいつと別れられるなら、地獄でもいい!!」

 後ろにいるかみさんを盗み見るようにしながら、そう言って話を押し切る。

 こうして俺は、晴れて新天地へと旅立つことに決まったのだった。





「……本気なのかい?

 そんなに社長秘書って嫌なの……?」

 今まで勤めていた会社の人事役の人に辞表を提出すると、その人はさも残念そうに私に聞き返してくる。

 確かに、ここのセクハラ社長に毎日付き合うのには、若干うんざりしていた。

 とは言え、それを我慢するだけのことはあってお給料はなかなかのものだったから、私は今まで我慢して続けてきたけど……

 でもこれは、何人かの秘書候補の中からたまたま……もしかしたら見栄えだけで……選ばれただけの、本来なら誰でもよかったはずの役職。

 それ自体には、もともと大した未練は持っていない。

 私は、隣に座る人のよさそうなメガネのおじさんと、怒ったような顔のマッチョなおじさんにちらりと視線を向ける。

 だけどこのふたりは、他の誰でもないこの私、ハルカ・ミナトが必要だと言ってくれたのだ。

 だから私は、胸を張ってこう答えるの。

「って言うか、やっぱ充実感かな?」





「さあ、戦いましょう!」

 現在、アニメのアフレコの真っ最中。

 私は共演する2人の声優さんと一緒に、最後のシーンの録音を進めていた。

「よぉし、行くぞ!」

「「「おぉー!」」」

 シーンが終わり、若干の沈黙の後に外の監督から声がかかる。

『はい、オッケー!』

 ようやくオッケーが出た。

 何度かリテイクが出て結構時間はかかってしまったが、これで今日の分の取りはおしまいだ。

「「「お疲れ様でした」」」

 私達3人は、外にいるスタッフの人にも見えるように声を合わせて頭を下げる。

 やっと仕事が終わったこともあり、若干開放されたような感じで私達の顔に笑顔が浮かぶ。

「お疲れ様でしたー」

「お疲れー」

 そして、挨拶をしながら外に出た私を、スタッフの人が呼び止めてくる。

「メグミちゃん、ネルガルの人だって」

 ネルガル重工……?

 ただの声優の卵な私に今をときめく大企業がいったい何の用だろうと思いつつも、スタッフが指し示す先に視線を向ける。

 その先にいたのは、メガネのオジサンとムキムキのオジサン。

 ……なんか、変な取り合わせ。

「……はぁ」

 そう思った私は、とりあえず気の抜けた返事を返すのでした。













「とりあえず、今のところ10件近く回ったが……いったい後何件あるのだ?」

 近所から近所と、かなり効率のいいまわり方をしているようだが……

 単純な肉体労働と違い、頭を使う交渉となると勝手が違ってどうにも疲れる。

 どうも、こういうことは荒事担当の自分には肌が合わないのだが………

「まあまあ、愚痴を言うにはまだ早いですぞ?

 ナデシコの最大乗員数は約300人、予定乗員数だけでも200人ほどです。

 しかもそのほとんどがスカウトになるので、要となるメインクルーだけでも確実に我々の目で見てその人となりを確認しておきませんと」

「むぅ………」

 プロスペクターの言っていることが正論なために、どうにも反論できない。

 自分としては、このようなことはすべてプロスペクターに一任しておきたいのだが………

「まあ、確かにそろそろいい時間ですしね。

 お昼にするついでに、食堂で一休みしましょう」

「うむ」

 時刻は、午後の1時を少し回ったところ。

 その言葉に、少しだけ救われた気分になる。

「もちろん、そこの店主のスカウトを終えてからの話ですけどね」

「………」

 だが、抜け目のないプロスペクターの言葉に、自分は思わず沈黙してしまうのだった………





「わりぃけど、その話には乗れねぇな」

 ナデシコとか言う船にスカウトの話を持ってきたプロスの旦那に、俺ははっきりと首を横に振る。

「こんな小さなうちの店でも、気に入ってしょっちゅう足を運んでくれるようなありがたい客がいるんだ。

 その客を無視してまで、店を畳むわけには行かねぇよ」

「そう、ですか………

 サイゾウさんの料理の腕、ぜひともうちのナデシコに欲しかったものですが………」

 俺の返答に、明らかにがっかりとした表情を見せるプロスの旦那。

 ちなみに、プロスの旦那はうちの店にも時々飯を食いに来てくれるので、常連とまでは行かなくとも俺とは十分に顔見知りだ。

 もっとも、手伝いのユウキにはまだ顔を覚えられてねぇみたいだが……

「すまねぇな」

 昼の客足もようやく一段落がつき、旦那の食べ終わった皿をユウキに手渡したあとそのまま旦那の隣に腰を下ろす。

 皿洗いはユウキの役割だ。

 向かいに座る旦那の相方……こっちは初めて見る顔だ……のほうは、話に加わらずにいまだに味噌ラーメンと格闘している。

 どうも、でかい図体といかつい顔に似合わず猫舌なようだ。

 まあ、そんなこたどうでもいいんだが、少しのいたずら心と共にいい考えがひとつ思い浮かぶ。

「そうだ。

 俺の代わりと言っちゃあ何だが、ユウキのやつを乗せてやってはくれねぇか?

 見習いとはいえ、人手があるに越したことはねぇだろう?」

「ユウキさん、ですか……?」

 俺たちはふたりして、カウンターの向こうにいるユウキに視線を向ける。

 ユウキは俺たちの視線に気付いてないのか、鼻歌を歌いながら楽しそうに皿を片付けている。

「ああ。

 そのナデシコとやら、火星に行くんだろう?」

「!?

 どこでそれを……?」

 一瞬驚いた表情を見せるものの、すぐに誰かに聞かれぬよう声を潜めて聞き返してくる。

「まあ、蛇の道は蛇って言ってな」

 鋭い視線を向けてくるプロスの旦那に、はぐらかすように笑って答える。

「ユウキのヤツは火星出身でな。

 どうやら火星会戦の折に、どでかい忘れもんをしちまったらしいんだ」

「なんと!

 あの火星会戦の生き残りですか……」

「ああ」

 感心したような表情でつぶやくプロスの旦那に、俺も頷き返す。

 あの会戦の折に、火星に住んでいた人々のほとんどが犠牲になったらしい。

 だからか、火星出身者と聞くとたいていの人は少し反応する。

「両親も、友人も、みんな火星に置き去りにしちまったらしくてな。

 できるものなら、もう一度火星に行かせてやりてぇんだ」

「……ちょっと待ってくださいよ?

 火星からの生き残りの中に、ユウキと言う名前は確かなかったような気がしますが……」

 確かに、火星から唯一生還したシャトルは「奇跡の生還」とか謳われて大々的に報道され、その生還者もある程度詳しい情報誌にはリストアップして載せられていたが……

 それを全部覚えているとは、さすがはネルガルの敏腕社員だ。

「ああ。

 ユウキ自身、どうして自分が助かったのかは記憶にないそうだ。

 ただ、ある男が自分を守ってくれて、気がついたら地球にいたってこと以外はな」

「ある男、ですか……?」

 何かを計算するように視線を宙に向ける旦那を、何とはなしに観察してみる。

 もちろん、その『ある男』とは以前うちに顔を出したあの黒マントの少年……テンカワのことなんだが、そこまではあえて説明する必要はないだろう。

 実のところ、ナデシコが火星に行くと俺に教えてくれたのはそのテンカワだ。

 前に一度だけ顔を出して以来影も形も見ねぇなと思っていたら、ついこないだユウキのいないときにひょっこり顔を出しにやがった。

 そこで今何をしてるのかって聞いたら、今度は「ナデシコと言う名前のネルガルの戦艦に乗って火星に行く」とか何とか答えるし……

 はっきり言って、相変わらずにわけわからねぇ野郎だった。

 そこで、ユウキ自身がまだテンカワのことを忘れられないようなので、せっかくだからあいつと会える機会を作ってやろうと言うわけだ。

 アイツを避けるテンカワには悪いかもしれねぇが、1年近くもユウキはテンカワを探し続けているのだからそろそろ報われてもいい頃だろう。

「まあ、アイツも1年間俺が鍛えただけあって料理はそれなりの腕だ。

 ネルガルとしても、雇って別に損はねぇだろう?」

「そう、ですね……

 わかりました。

 それでは最後に彼女の意思を確認して、彼女が頷いてくれるのならばナデシコに乗ってもらうことにしましょう」

 結論を出したプロスを見て、俺は大きく頷く。

「そうと決まれば話は早い。

 早速ユウキに確認することにしようか。

 オイ! ユウキ!!」

「……はい?」

 俺たちの話はまったく聞こえていなかったようで、唐突に名前を呼ばれたユウキは濡れた手をタオルでぬぐいながら、キョトンとした表情で調理場から顔を出すのであった。













 あれからさらに十数件。

 夕日もなかなかいい感じにとっぷりと暮れ、もはやだいぶいい時間だ。

「いったい後何件あるのだ……?」

 自分を先導するように歩くプロスペクターに、疲れを隠せないままに問い掛ける。

 ちなみに、自分は現在何かずっしりと重いものを詰め込まれたカバンを持たされていて、それがまた疲労をあおっている。

 先ほど、休憩してた際にプロスペクターが持ってきたものだが、なぜかこれは下手な銃火器より重みがあるのだ。

 そう、言うなればミサイルランチャーを抱えて歩いているような……

「まあまあ、次で最後ですよ。

 後はネルガルの人材開発センターに行くだけですから、そこさえまわればそれでおしまいですよ」

「むぅ……」

 最後のひとつと言えば気は楽になるが、人材開発センターはここからだと距離的にかなり遠くだ。

 移動時間を考えると、これでは本社に戻れるのは夜中になってしまうではないか。

「今日のところはそれでおしまいですから、そんなに嫌そうな顔をしないでくださいよ」

 「今日のところは」、だと……?!

 明日もまたこんなことを続けないといけないのかと思うと、さらに気が重くなる。

「人材開発センターについたらそのままそこで一晩泊まって、明日はそこから出発です。

 ナデシコ出航まで後2週間。

 もはや、もたもたしてる暇はありませんぞ」

「むぅ………」

 確かにナデシコの最終調整の際に我々がいないわけには行かないから、少なくともあと1週間以内に外でやるべきことはすべて終わらせなければならない。

 だが何も、こんな直前に言ってハードスケジュールにする必要はないと思うのだが……

 そうは思いつつもそれを口にすることはなく、しがない1サラリーマンとして大人しくプロスペクターの後に続くのであった。





「ネルガル重工の方、ですよね……?」

 私に面会に来たと言うふたりが自己紹介をする前に、私はそう問い掛ける。

「おや、お気づきでしたか?」

 どこか感心したように問い返してくるメガネさんに、私は頷き返す。

 隣に座る大男さんのほうは私達の話には口を挟まず、どこか上の空で眠そうだ。

「先ほど、私の実験中にあなた方が研究員と話しているのが中から見えました。

 その際、金塊か何かを渡していたようですが……私はネルガルに買われたのですか?」

 今までは一応ホシノ夫妻の養女として『研究に協力』していた形だった私だけど、本格的にネルガルのものになるらしい。

「買ったわけではありませんよ。

 あの人には、あなたの親権をネルガルに移譲してもらっただけです」

 それでも、実質的には変わらないだろう。

「別にそれはどうでもいいんですけど、ネルガルから迎えが来たと言うことはナデシコが完成したのですか?」

 もともと、私はナデシコのオペレーターとなるためにここで訓練を受けていたのだ。

 それが必要になったと言うことは、つまりはそう言うことなのだろう。

「はい。

 ですから、我々はあなたを雇いに来たのです。

 ……年齢的には、少し早い気もしますけどね」

 現在の私年齢は11歳。

 普通に考えると、早いなんてものじゃないでしょう。

 まあ、いつになるかを知らなかっただけでこうなることは初めから決まっていたのだから、驚くほどのことでもないけど。

「わかりました。

 では、ナデシコにはいつ頃乗り込めばいいのですか?」

「そうですね。

 ナデシコの中枢コンピュータ……これはオモイカネと言う名前なのですが、オモイカネの調整もありますし1週間は前に乗り込んでもらいたいです。

 と言うか、できればルリさんには準備が整い次第すぐにでも乗艦して欲しいくらいですが……」

「わかりました。

 それでは明日にでもナデシコに向かいます」

 その言葉に、メガネさんは少し驚いたような表情で問い返してくる。

「よろしいのですか?」

「別れを惜しむ人はいませんし、作るべき荷物もありません。

 別に、今すぐここを出発しても何も問題ありません」

 お金で私を売った養親に未練などあるわけがなく、適当に与えられた私物だって別にどうしても必要なものじゃない。

 せめて着替えが必要なくらいだけど、それは別に向こうで買ったところで問題はないでしょう。

 私が唯一惜しむのは、このペンダントだけだから……

 特に意識せずに胸のペンダントを握り締め、メガネさんにそう答える。

「わかりました。

 それでは後ほど迎えの者をよこしますから、それまで待っていてください。

 そのほうが、ルリさんひとりでナデシコのあるサセボまで行くよりも、少しは早く着くでしょう」

「わかりました」

 そうして私のナデシコ乗艦が決まり、翌日にはナデシコに向けて人材開発センターを後にするのでした………











Stage4に続く


あとがき、です。

 主人公、ほとんど出番なし(笑)



 とまあ、それは別にいいのですが……とりあえずナデシコ出航の下準備です。

 火星からのボソンジャンプの際に姿を消したアイちゃんは、やはりイネスさんとなってしまわれました(苦笑)

 ……しかも若いし(爆)

 この年齢には特に深い意味があるわけではありませんが、これはもうどうやってもアキト君の知る歴史の通りには進まないぞと言う実例です。

 実際にこの歴史では、アキト君がネルガルに干渉しなければナデシコは予定通りに出航できませんでしたしね(苦笑)


 

 

 

代理人の感想

いえ、胸をはって「説明お姉さん」と名乗れるだけで十分意味はあります(爆)。

 

それはともかく今回の主役はやはりゴートでしょう(爆)。

身につまされるかたは手を上げて〜・・・・・・・嗚呼、サラリーマンは辛い。

 

ちなみに「ユウキ」というのは姓で、アヤナの事ですのでおまちがえなく。