『火星の後継者』

 自らの手でボソンジャンプの管理をするため決起した彼らは、最後は一隻の戦艦によって鎮められた。

 そして二週間足らずで決着のついたその戦いの裏で、およそ二年間に渡り続いたもう一つの戦いもまた終わりを迎えた。

 長い長い悪夢に終止符を打ったその男はというと、純白の戦艦の中でぼんやりと外を眺めている。

 

 やっと終わってくれた・・・・

  

 今の心境を一言で表すなら、そんなところだった。

 大切な人を救い出せたことは喜ばしい、しかし復讐を終えたのに何も感じない。

 最後に放った一撃を思い出す。

 あれほど憎んでいた相手を殺せたというのに少しもすっきりしない。

 いつもの人を殺した後に感じる、虚脱感があるだけだ。

 

 「アキト」

 

 振り向くと、ラピスが立っていた。

 

 「ラピス。どうした?」

       

 「・・・・・・・・・・」

 

 ラピスはじっとアキトの顔を見つめていたかと思うと、ぎゅっと抱きついた。

 

 「?何だ?どうしたラピス?」

 

 「アキトの心、ズキズキしてる」

 

 小さな声で、ぽつりと呟いた。

 そして、

 

 「大丈夫?」

 

 と、見上げて聞いてきた。

 アキトは苦笑しながら、

 

 「悪い、心配かけてしまったな」

 

 ラピスの髪を撫でる。

 ラピスはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、結局口を閉じた。

 

 「ジャンプの用意をしてくれ」

 

 「わかった」

 

 ブリッジに一つだけあるシートに座ると、ラピスはジャンプの準備を始める。

 

 「これからどうするかな・・・・」

 

 小さな声で、アキトはそう呟いた。 

 

 

 

 

                                 『前へ――』

 

 

 

 

 

 ネルガルの月基地。 

 そこには、一握りの人間しか知らない機密ドッグがある。

 そして今そこで、エリナはアキトとラピスの帰還を待っていた。

 やがて空間に歪みが生じたかと思うと、一隻の戦艦が光る粒子をまき散らしながら現れる。

 

 「おかえりなさい。それと、おつかれさま」

 

 エリナが二人に近寄る。   

 手に持っていた缶を手渡すと、アキトはバイザーを外してプルタブを開けた。

 ラピスもよくわかってない顔をしながら開け、

 

 「それじゃ、ささやかな祝勝会だけど、乾杯」

 

 エリナがそれぞれの缶に自分の缶を軽く打ちつける。

 

 (これどうすればいいの?) 

 

 ラピスが目でアキトに訴えた。

 

 「自分の缶を相手の缶に軽く当てればいいんだ」

 

 そう言いながら、自分の缶をエリナとラピスの缶に当てる。

 ラピスもそれを真似て、

 

 カン、カン

 

 硬質な音をたてた。

 エリナは一気に飲み干すと、アキトの顔を見つめ、そして笑った。

 

 「思いつめた顔でもしてるんじゃないかと思ってたけど、平気みたいね」

 

 「ああ。緊張の糸がぷっつり切れたみたいだ」

 

 実際、戦いに明け暮れていたころに比べるとすっかり緩んでしまった。

 もっとも、いまさら張り詰め直そうとは思わないが。

 

 「それで、これからどうするわけ?艦長の所には帰らないの?」

 

 そう言いながら内心では帰って欲しくないと思っていることには、当然アキトは気付かない。

 気付かれても困るけど、と思いながら、改めてアキトの顔を眺める。

 この二年間ずっと見てきた中で一番落ち着いた表情だ。

 普段の凍りついた空気も無く、さりとて戦闘後の絶望の色を浮かべているわけでもない。

 まるでナデシコ時代の彼に戻ったかのようだ。

 だが、けして昔と同じではない。

 彼は様々なことを知った。

 人間が持つ残酷な一面を。

 相手を八つ裂きにしてやりたいと思うほどの憎しみを。

 その手を血に染めることの意味を。

 現実は無情だ。

 それでもその現実に押し潰されない、目を逸らさないのが、彼の強さだと思う。

 そんな風に感慨にふけっていると、アキトが口を開いた。

 

 「そのことなんだが、実は」

 

 (きゃははははははあはあははは!!)

 

 何か言おうとした瞬間、アキトは電波を受信した。

 

 「な、何だ!?」

 

 慌てて周りを見回すと、どこか逝っちゃった目をしたラピスがクルクルと回っている。

 いや、それはもうクルクルなどというメルヘンちっくなものではなかった。

 腕もちぎれよとばかりに振り回しギュインギュインと旋回している様は、正にヒュ−マノイドタイフーン。

 

 「ラピス、どうしたんだ!」

 

 急いで駆け寄るアキト。

 労働基準法を真っ向から無視した待遇に、ついに怒り狂ったのか?

 さすがに小遣い八百円(月一)はまずかったかなぁ・・・・などと、冷静な顔をしながらしっかり混乱する。

 が、どうやらそういうことではないらしい。

 ラピスの足元に転がっていた缶を拾って見てみるとそこには―のど越し爽やか、こんなビール初めて!―と書いてあった。

 無言でエリナの方を向く。

 「エヘ、失敗失敗☆」という感じで舌をペロッと出し自分の頭をコツンとたたく彼女も、大概混乱しているらしい。

 その間も、リンクを通してラピスの思考がダダ漏れ状態だ。

 

(私はあきとの目!耳!手!足!あきとは誰にも

渡さない、特に奥さんと娘!あきとは私とず

ーっと一緒にいるんだから愛以外何もいらないん

だから二人で逃避行するんだからそして誰もい

なくなったんだからーーーー!!)

 

 ボルテージを上昇させながら延々と続くラピスの叫びに、アキトの頭蓋骨はミシミシと悲鳴をあげる。

 ラピスの叫びがギガヘルツの域に達するのと俺の頭がはじけ飛ぶのとどっちが先だろーなー。

 既にあきらめの境地に達したアキトは、朦朧とした頭でそんなことを考えていた。

 そのどちらも果たされることなく叫びが止んだのは、アキトにとって実に幸いだった。

 まだくらくらする頭を振りながら身を起こすと、ラピスが目を回しているのが見える。

 まあ、あれだけ回転すればな・・・・

 ため息をついてラピスを抱き上げる。

 

 「話の続きはまた明日だな」

 

 「ええ、そうね・・・・」

 

 こちらも同じく疲れたようにため息。

 そこでふと興味にかられて、アキトはエリナに尋ねた。

 

 「ところで聞くが、なんでラピスにまでビールを出したんだ?」

 

 「・・・・・一度マシンチャイルドが酔っ払うところを見てみたかったのよ」

 

 もう金輪際、二度と、絶対にやらないわ、と呟きエリナはドッグを出て行く。

 アキトも自室に向かいながら、もしマシンチャイルドの研究者に会ったら、アルコールに対する耐性についてじっくりと   

 話し合う必要があるな、と深く心に思った。

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 目を覚ますと目の前にラピスの寝顔があった。

 その寝顔を見つめながら、俺はラピスと出会った頃を思い出した。

 ラピスと行動を共にするようになって数日の間は、二人とも別々に寝ていた。

 だが、一週間もしないうちにラピスは俺の部屋に飛び込んできた。

 震えながら、赤い目の男が来る、と言って。

 だから一緒に寝ることにしたのだ。

 そういえば、何故かイネスが激昂していた。

 やっぱりお兄ちゃんってそういう人だったのね!とか言っていたが、あれはどういう意味だったのだろう。

 ともあれ、ラピスは俺にべったりくっつくようになった。

 初めのうちこそ守っているつもりでいたが、すぐにそれが間違いだと気付いた。

 夜中、夢の中で殺してきた人々に責めたてられて跳ね起きた時、黙って手を握ってくれたことにどれだけ安堵したか。 

 目前でユリカを連れ去られる度に苛立ちささくれ立つ心を、見上げてきた瞳が何度静めてくれたか。

 命を救われたことも二度や三度ではない。

 だから俺は誓う。

 今度は俺がラピスの助けになろうと。

 昨日の叫びはきっと、ラピスの不安だ。

 戦いが終わった今、自分は必要無い存在ではないか、捨てられてしまうのではないか、そんなことを考えたのだろう。

 

 「ん・・・・」

 

 目を覚ましたラピスに笑いかける。

 

 「そんなことないからな」

 

 不思議そうな顔をするラピスを連れて、俺は月基地の執務室に向かった。

 

 

 

 

 

 執務室にはエリナだけでなくイネスもいた。

 コミュニケの画面越しに、アカツキもいる。

 

 『やあテンカワ君。ひさしぶりだね〜』 

 

 相変わらず軽そうな笑みを浮かべている。

 しかしこんな顔をしているが、かなりの策謀家である。

 蜥蜴戦争終結後クリムゾンに巻き返しをくらうとすぐに、裏でサレナの開発や敵対勢力の内偵、秘密工作を開始。

 そこに、アキト救出の報せ。

 アキトに火星の後継者の情報を与え、代わりに彼らが有する研究データ等を手に入れた。

 加えてブラックサレナの実戦データを基に、アルストロメリアを製造。

 火星の後継者とつながっていたクリムゾンをたたくと同時に機動兵器のシェアも奪おうと画策したのだ。

 と言っても、

 

 『こっちは大変だよ。この間も全然見覚えの無い女性がやって来て、責任取って!なんて言われちゃってさ〜。

 いやホントぜんっぜん見覚えないからね?だからそんな人間の根源的恐怖を呼び覚ますような顔しないでくれないかな

 エリナ君?』

 

 「その前は確か子連れの女が来て、子供に『ぱぱ』って呼ばれたんだったよな?」

 

 「自分では説明せずに、あえて子供の口から言わせるところがうまいわね」

 

 「この二十四時間三百六十五日連続発情記録樹立男がー!!」

 

 基本的にはお気楽ご気楽スケコマシだが。

 話が進まないのでエリナはアカツキを黙らせた。

 どうやって黙らせたかは神のみぞ知るというやつである。

 

 「ともかく、問題はアキト君の今後よ。どうするつもり?」

 

 「もちろんここを出る。いつまでもコロニー襲撃犯をかくまうわけにはいかないだろ。それに、ルリちゃん達には俺とネルガル

 のつながりを知られている。準備が整えばすぐにでも連れ戻しに来るだろう」

 

 「ここを出てそれからどうするの?あなたには五感も戸籍も無いのよ。まともな生活なんて送れない」

 

 「なんとか生活できるぐらいには五感は回復した。戸籍は・・・まあ、金を使えばなんとかなる」 

 

 「・・・・・」

 

 それ以上何も言えなくなるエリナ。

 アキトが戦っていた時、彼女はアキトに帰って欲しくないと思っていたが、その想い以上に帰って欲しいと思っていた。

 自分ではアキトの居場所になれない、だから早く本当の居場所に帰れるようになって欲しい、そう願っていた。

 けれどアキトは帰ろうとしない。

 そのことが悲しくもあり腹立たしくもあった。

 沈黙したエリナを横目にイネスが聞く。

 

 「それで?ここにとどまらず艦長のところにも帰らず何をするの?」

 

 「後始末をする」

 

 「後始末?」

 

 「まだ奴等の残党がいる。奴等とクリムゾンの関係を暴く決定的な証拠も手に入れてない。なにより・・・・」

 

 その瞬間アキトの顔に、ナノマシンが描く模様が浮かび上がった。

 

 「償いを、しなければならない」

 

 その言葉に何か言おうとしたエリナを遮って、いつのまにか復活していたアカツキが問う。

 

 「で、君はいったい何を償うって言うんだい?コロニーの爆破はあいつらが証拠隠滅のために勝手にやったことだよ」

 

 「だが、俺がもっと手際良く襲撃していれば死なずにすんだ。それに、俺自身も多くの人間を殺した」

 

 「なるほどね」

 

 アカツキがうなずく。

 エリナは我慢できず、

 

 「何で!?どうしてそこまでするの!?もう全部終わったじゃない!!」

 

 アキトは突然のエリナの叫びに驚いたが、すぐに首を横に振る。

 

 「駄目なんだ。まだ終わってない、終わらせちゃいけないんだ」

 

 「どうして?」

 

 かすれた声で聞く。

 

 「これを乗り越えないと前へ進めないから。このまま帰っても、きっと幸せに疑問を持つ。

 『こんなところでぬくぬくと幸せに浸ってていいのか?』って」

 

 アキトの目には強い決心が見えた。

 

 「そう・・・・」

 

 もはや誰にも彼の決心を変えることはできない。

 そう悟ったエリナは、彼を止めることをあきらめた。

 

 「わかった。勝手にすればいいわ」

 

 つっけんどんに言いながらも彼女は笑っていた。

 

 「ああ、そうさせてもらう」

 

 アキトも同様に微笑んだ。
                                                            
 女たらし
 48の心をとらえて死んでも離さない顔と52の全身206個の骨を抜くセリフを持つアキトの奥義、『天使の微笑み』炸裂!

 エリナだけでなく、イネスやラピスまで頬を赤く染めてしまった。

 

 『話は決まったね。じゃあ善は急げだし、すぐに住居や戸籍を用意しよう』

 

 「いや、それはこっちで取り揃える。ネルガルを通して用意したらルリちゃんに一発でばれる」

 

 アカツキは彼女の二つ名を思い出した。

 『電子の妖精』の名は伊達ではない。

 ネルガルのデータバンクにハッキングされて終わりだろう。

 

 『悪いね、力になれなくて』

 

 「これまでに散々世話になった。十分だよ」

 

 アカツキは自分とネルガルの益にならないことはしない主義だ。

 しかし、少なくとも自分は向こうを親友だと思っている男に何かしてやりたいと考えた。

 自分でも珍しいことだと思う。

 僕も少なからず彼に影響を受けたということかな。

 だが、悪い気分ではなかった。

 

 『それじゃあ餞別をあげるよ』

 

 「そうか、すまないな」

 

 「アキト君」

 

 振り向くとイネスが真剣な顔をしていた。

 

 「私はまだあなたの治療をあきらめたわけじゃないわよ」

 

 「けど・・・・」

 

 救出されてからずっと治療を続けたが、たいした効果はなかった。

 それにもうアキトはあきらめている。

 だからレシピをルリに渡した。

 料理人のテンカワアキトは死んだのだ。

 

 「あいつらが捕まったから、実験時のデータが手に入る。治せるかもしれないわ」

 

 「本当・・・に?」

 

 信じられなかった。

 だが、かすかな希望があった。

 もしかしたら・・・・そんな思いをアキトは振り払った。

 

 「期待しないで待ってるよ」

 

 イネスはそんなアキトのセリフに一瞬悲しげな顔を浮かべるが、すぐに自信満々な声で言った。

 

 「まかせなさい!」

 

 そしてアキトは全員の顔を見まわした。

 思い返してみればこの二年間、常に誰かに助けられてきた。

 この場にはいないが月臣やゴート、他にもいろんな人達に世話になった。

 

 「俺がこうして目的を果たせたのもみんなのおかげだ。ありがとう・・・・・本当に感謝している」

 

 そう言って深々と礼をした。

 

 『こっちこそ色々いい思いしちゃって悪いね〜』

 

 「意地でも治してみせるから待ってなさい」

 

 「まだ終わってないんでしょ?もうしばらくは協力させてもらうわよ」

 

 横にいるラピスを見る。

 見上げてきた彼女に、アキトはわかりきったことを聞いた。

 

 「ラピス・・・・・一緒に来るか?」

 

 「うん」

 

 ラピスは迷わず頷いた。

 

 

  

 

 

 暑かった。

 九月に入ったばかりの日本はまだまだ涼しくならない。

 太陽はサンサンと紫外線たっぷりの光を振りまいている。

 その陽光を反射している白いビルの前に、アキトとラピスが立っていた。

 

 「やっと着いたか・・・・」    

 

 疲れたような声で呟くアキト。

 今の格好は以前と違って、白いシャツにジーンズという簡素で正常なものだ。

 ただ・・・・

 

 「まさか五回も職質されるとはな・・・・」

 

 バイザーだけはそのまま着けていた。

 そのため、そのような結果になってしまったのだ。

 アキト一人だったならば変わったファッションとでも思われて終わりだったのだが、ラピスと一緒ではそうはいかない。

 傍から見たらただの少女誘拐犯である。

 アキトとラピスでは兄妹には見えないため尚更だ。

 顔が光るのを抑制するために着けてきたのが仇になったか、とアキトは後悔した。

 脳裏に、遠い親戚だと説明した時の警官の顔が浮かび上がる。

 ほどほどにね・・・とか、まあ趣味嗜好は個人の自由だから・・・といった感じの顔だった。

 かなり腹が立つ。

 ただ、一人だけ我が同士よ!と言って抱きついてきたのにはびびった。

 

 「ごめんなさい、アキト。私のせいで」

 

 「ラピスのせいじゃない、これを着けてきた俺が悪い。今度イネスに会った時にもう少し普通なのを作ってもらうから」

 

 そう言って手荷物を背負い直した。

 

 (そういえば、アカツキの餞別って何なんだろうな?)

 

 そう思ったアキトだが、まさか一人で戦争起こせそうなほどの銃器やら個人用ジャンプ装置やら等とは夢にも思わない。

 数分もすればすぐにわかることだが。

 

 「早く入ろう。ここ暑いよ」 

 

 ラピスが先にビルに入って行く。

 アキトはビルを見上げた。

 ここから、俺の次の戦いが始まる。

 きっと辛くて苦しいことがたくさん待っている。

 償えるかどうかもわからない。

 それでも、足を踏み出さなければ。

 前へ――

 

 

 

 

 

 後書き

 

 初投稿になる源と申します。

 無謀なことに、SSを書いたこともないド素人が投稿してしまいました。

 初めはシリアスでいこーとか考えていたのに、気がついたらこんなのになる始末。

 やっぱり頭がデンプシーロールするような状態で書くもんじゃありませんねー(爆

 話のきっかけは、コロニー爆破したのは本当にアキトか?というところからです。

 それで、じゃあ大犯罪人じゃない(襲撃してる時点で十分大犯罪だけど)アキトを書いてみようと思ったわけです。

 初書きなので色々なことを試したんですが、あまりうまくいきませんでした。残念。

 ヘボヘボな文章で御目汚しをしたんではないかと戦々恐々しながら、失礼します。

 

  

 

代理人の個人的な感想

おー。

「まともな劇場アフターのアキト」というのはかなり珍しいので楽しく読ませていただきました。

人目を引くけれんや派手派手しさはありませんが、良くまとまっていると思います。

それでは、次回作に期待して。