『日々平穏』


 近辺ではなかなか評判の、女主人が切り盛りするこの店のカウンターに一人の男が突っ伏していた。
 黒ずくめの服装に、顔を覆うこれまた黒いバイザーをつけた人物。閉店後の店内には他に人影はなく、仄かな照明がこの男だけを照らしている。



  ―――――名を、テンカワ・アキトという。

 半年前に勃発し、そして終止符を打たれた『火星の後継者』によるクーデターに関わる重要人物。自ら血塗られた道へと歩み、幾多の命をその手で摘み取り、そしてその身を返り血に染めた復讐人。
 その目的を一応の形として果たした彼は、この店に身を寄せていた。





 ・・・・・・・最初は、もう死んでしまおうと思った。生きる意味など最早なかった。


 過去の全てを捨て去り、復讐に身を焦がすことによってかろうじて支えることの出来た、己の弱い心。
 何故なら、そうしなければ生きていけなかったからだ。
 残された家族、かつての仲間には会うつもりはなかった。会えなかった。

 ―――――――会えば、きっと今の自分は壊れてしまうだろうから。

 そうして忍び寄る狂気と戦いながら、いや、もう半分以上は呑みこまれていたのだろう。復讐を果たした己の最期に残されたのはやはり、何もない、空っぽの心だけ。

 今まで必死になって見まいとしてきた、隠そうとしてきた絶望に彩られた空虚な心だけだった。


 ・・・・・・それでも――――そんな自分を思いとどまらせた、あの言葉。




 「でもアキト君。実際貴方が死んだら残された彼女はどうすると思う?」


 (イネスさんにいわれたあの言葉が決定的だったんだろうな・・・・・・)


 胡乱な意識で、ふとそんなことを考える。



 ――――――彼女に言われた。
 はっきりと言われた。

 「貴方、彼女のことを何もわかっていない。いいえ、わかりたくないのね。なら私からはっきり言ってあげる。・・・・・・・・・いいこと?今の彼女にとっては貴方だけが全てなのよ?
 そう、彼女にとっての幸せとは貴方とともに生きること。貴方なしの幸せなんて考えられない。そして彼女を巻き込んだのはあなた自身。
 だから、今まで彼女を付き合わせたことを悪いと思っているなら、貴方がちゃんと責任を持って彼女を幸せに導いてあげなさい。それを放棄して逃げ出そうなんて、そしてなにより自分の人生から逃げ出そうなんて――――、私は絶対に許さないわよ――――――」


 ・・・・・・あの時の彼女は、本気で怒っていたんだろう。
 でも、それからすぐに柔和な微笑みをうかべてこうも言ってくれた。

 「それに、貴方には帰るべき場所があるでしょう?待っている人がいるでしょう?
 いかに貴方のやったことが許されざることだったとしても、貴方にはそこへ帰る権利が、そして義務があるわ。
 今すぐに帰れとは言わない。貴方が自分の心に決着をつけるだけの時間は必要でしょうから。
 ――――――だから自分でゆっくり考えなさい、貴方の心によぉく手を当ててね」






 ・・・・・・結局、俺とラピスはホウメイさんのところに居候することになった。


 料理店、しかもホウメイさんのところに居候することにはいささか――――いや、かなりの抵抗があったが、テンカワ・アキトという人物を良く知っていてなおかつ、信用の置ける人物ということで納得をせざるを得なかった。

 極めつけは、思いもよらないラピスの発言である。

 「ホウメイ・・・・・・アキトが世話になったひと・・・・・?」
 「あ、ああ・・・・・・そうだが・・・・・・?」

 「だったらわたし、そこに行ってみたい・・・・・・」


 そういった経緯によりついには承諾したわけだが、その理由として、なによりラピスのためというのもあったのかもしれない。ホウメイさんに頼るというわけではないが、自分の経験から言っても、彼女の心の成長を助ける意味では頼もしい人だったからだ。
 ・・・・・・そんなこんなで色々とあった末に、今はネルガルのシークレット・サービスの仕事をたまに請け負いながらここで暮らしているわけである。






 「・・・・・おや、どうしたんだいテンカワ?そんなところで」
 「ホウメイさん」
 明日の仕込みが終わったのだろう、厨房からこの店の料理長兼女主人が顔を見せる。
 「なんだか死にそうな顔をしてるけど、仕事の疲れでもたまったのかい?」
 「いえ、それだけならまだいいんですけどね。俺の悩みはさらに深刻なんですよ」
 「なんだい、言ってみな。よければ相談に乗るよ」
 包丁の手入れをしつつ、気軽に声をかけるホウメイ。
 「気持ちはありがたいんですけど、こればっかりはどうしようもないんですよね」
 そういって自嘲気味に笑うアキト。
 「なんでこう、うまくいかないんでしょう?いつもいつもこの問題で悩んでいる気がするんですよ、俺。ホント、人生ってままならないって言うか」
 グラスに入った水を飲み干し、彼はそのまま天井へと視線を伸ばす。
 「確かに俺は一応働いていますよ。給料もちゃんとネルガルからある程度は貰っています。仕事は散発的とはいえ、危険手当も考えたらそれなりにいい額は入ってくるんですけれどねぇ・・・・・・」




 「つまり、金がないってことかい?」
 「・・・・・・はい」
 ため息とともに、空のグラスがカウンターへと置かれた。

 「ようやく借金返し終わったと思ったら、今度はこいつの治療費がバカにならなくて・・・・」
 そう言って苦笑しつつ、人差し指で頭の横を小突く。
 「・・・・・・直るのかい?」
 「いえ、今のところは多分無理だろうって。ただ、もしかしたら治療法が見つかるかもしれないし、それに定期検査は必要ですから。
 なのにエリナの奴が『もうこれ以上会社の経費では払えないから、これからは自分の金で検査を受けろ』ってね。それで給料の半分以上が飛んでいく始末ですよ。・・・・・・医療費って、やたらとかかりますからねぇ」
 ――――最後にいたってはあさってのほうを向きながら、哀愁たっぷりに呟くアキト。
 「それでも幾らかは手元に残るだろう?」
 手入れの終わった包丁を仕舞い、次のを取り出しながら不思議そうにホウメイが尋ねる。
 「・・・・・ああ、あとの分はなるべくラピスの為に使ってやろうと思って」
 そうアキトがやさしい微笑を浮かべながら言った直後、店の奥からラピスが顔を出した。


 「アキト?帰ってきたの?」

 「・・・・・・ああ。ただいまラピス」
 「うん、おかえり」
 白いネグリジェ姿(どうやらエリナの教育方針らしい)に上着を一枚羽織っただけのラピスは、パタパタとスリッパを鳴らしながら歩いてきてアキトの右隣の席へ腰掛ける。そしてそのまま何をするでもなく、アキトの顔をじっと見つめた。
 アキトは苦笑しながらラピスの頭をそっと撫でてやる。その様を横で見ながら、ホウメイが安心したように微笑った。
 「大分落ち着いたみたいだね、テンカワ」
 「・・・・・・そうっすか?」
 「そうさね。最初のころなんて、本当にどうしようもないくらい自分を責めてたろ?」
 「――――かもしれませんね。それは今でもあまり変わりありませんよ。
 ただ、それだけじゃ意味がないって気づいただけです」
 右手で冷水の入ったグラスを弄びながら苦笑するアキトを見て、ホウメイは少し安心した気分になった。

 (・・・・・・最後に大喧嘩をやらかしたのはいつだったかねぇ)
 ふと、そんなことを考える。

 あの頃とは違い、少なくとも今のテンカワは現実を受け止めてそれに立ち向かおうとしている。やっと一歩、また前に進むことが出来たのだろう。
 ―――――――もっとも、まだ一番重要な踏ん切りはつかないらしいが。

 「そうかい、なら結構結構。だったら後はさっさと帰る決心しちまいな。それが一番だってわかってんだろ?
 ま、あたしとしては別にこのままここに居てもらっても構わないんだけどね。時々ルリ坊が寂しそうな顔をしてここに来るんだよ。・・・・・・・・・それを見ちまうと、どうもねぇ」
 それを聞いて顔をしかめるアキト。いや、しかめるというよりかはどこか申し訳なさそうな、それでいて何かを懐かしむような顔といったほうがいいかもしれない。

 「・・・・・・なるべく早く、そうできるように努力しますよ」
 そう言うアキトの横で、頬杖をついたラピスが気持ちよさそうに目を閉じていた。



 「―――――――さて、もうそろそろ閉めるけどいいかい?」
 包丁を仕舞いながらホウメイが尋ねる。その問いに肯きかけたアキトは、ふと視線をドアのほうへやると軽く首を振った。ラピスが不満そうにドアのほうを見やる。
 「いえ、どうやらお客みたいです」







 「―――――――ちぃ。ここもハズレか」
 そこには、端整な顔を憤怒の形相でかためた女が立っていた。それを見たアキトが心底イヤそうな表情を浮かべる。
 「またアカツキの追っかけか?エリナ」
 「そーよ!!あいつってばまた仕事をほっぽりだしてどっかに遊びに行きやがって。どんだけ仕事が溜まってると思ってんのよ?!おかげで私にまでとばっちりが来るんだからね!!!
 ・・・・・・・あ、ホウメイさん、お茶もらえます?」
 床を踏み抜くのではないかと思えるくらいに音を立ててカウンターに歩いてきたエリナは、アキトの隣に座ると苦笑するホウメイから茶を受け取った。
 「あー、おいしい」
 至福の表情で茶を口にするエリナ。
 「エリナ、捜さなくていいの?」
 ラピスが不思議そうに尋ねる。
 「もー知らないわよ、こうなったらどこかで野垂れ死んで貰ったほうがいいくらいなんだから。
 ・・・・・・・いや、まてよ?アキト君、もしかしてなんかあいつから聞いてない?」
 「いや、なんにも」
 素っ気なく答えるアキト。本音を言えばさっさとどこかに行ってほしいらしい。
 なにしろこの数ヶ月、時々こうやってここへ来ては愚痴をこぼされるのである。聞き手のアキトとしてはたまったものではない。
 「だいいち、もう労働時間外だと思うが?基準法にひっかかるぞ」
 「あのバカにそんなものは関係ないわよ、そもそも昼間の仕事だっていい加減なんだから。一度なんか本気で首輪でもつけておこうかって考えたくらいなのよ?
 ―――うーん、それとも内緒で発信機でも埋め込んだほうがいいかしら・・・・・・」
 そのまま俯いて、ナノマシンがどーだの、妖しい独り言を始めるエリナ。
 「まったく、どっちが上司かわかったもんじゃないな。こんなんで大丈夫なのかネルガルは」
 思わずアキトがため息をつく。

 (――――今ごろあの道楽会長はなにやってるんだろうか?
 翌日地獄を見ることはわかりきっているはずなのに、あの男もよくわからん)


 「・・・・・・というわけでアキト君!さっさと捜索に行ってくれない?」
 「あん?なんでそうなるんだ?」
 いきなりのエリナの支離滅裂な提言に、思わず険悪な様相で聞き返すアキト。隣ではホウメイから特製オレンジジュースを受け取ったラピスが、おいしそうにそれを飲んでいる。
 「つべこべ言わない!上司からの命令よ!!」
 「現在待機中につき却下だ。だいたい俺の上司はゴートだし、あんたに命令権はない。
 ・・・・・・あ、ラピス。寝る前だからそれくらいにしておかないと駄目だぞ」
 「・・・・・・もう一杯だけ」
 「いーから行ってきなさい!こっちはもう疲れて動けないんだから。
 それとも、減俸のほうがお望み?最近ちょっと仕事の粗が目立つみたいだからねー。書類をちょちょっと書くだけであなたの給料、カットできるわよ」
 意地の悪い目をしながらそう言い放つエリナ。『減俸』の二文字に反応したアキトが、わずかに顔をしかめる。
  「その原因を作ってるのが誰だと思ってるんだ?ここのところ毎日のように入れ替わり立代わりお前らがちょっかい出してくるから機嫌も悪くなるんだよ」
 「・・・お前ら?」
 一人事情のよくわかっていないエリナがアキトとラピス、それにホウメイの顔を見回す。
 ちょうどその時、店のドアが大きな音とともに放たれた。

 「――――――来やがったか」
 そう呟くと、いかにも面倒くさそうに立ち上がるアキト。エリナがドアの先に目を向けると――――




 「テンカワ・アキトォォォォォォォォオ!!!今日こそお前との決着をつけてやるぅ!!」
 そこにあったのは、なにやら大仰なポーズでアキトをびしっと指差すハーリーの姿だった。


 「やかましい」
 一方アキトは有無を言わさず、側にあった椅子を掴むと躊躇いもなく投げつける。
 「う、うわぁぁぁぁぁ!!」
 「――――――あ。惜しい」
 ラピスの呟きとともに、出鱈目な加速を受けた椅子はハーリーの顔をかすめて外へとかっ飛んでいった。
 「な・・・なななななな、なにするんだいきなり!!!危なかったじゃないかぁ!!!」
 そうとうびびったらしく、腰を抜かすハーリーの後ろで同行者らしいアオイ・ジュンがため息をつきながら椅子を拾いに行く。
 「黙れ。いいからもうしゃべるな動くな息をするな。今日こそは完全に止めを刺してその息の根止めてやる。なにしろここ三日間お前らのせいでろくに寝てないんでな、今なら爽やかな気分でお前を撲殺できると思うぞ」
 そう言って凄絶な笑みを浮かべるアキト。
 「・・・・・・だから言ったでしょマキビ君。三日間連続はヤバイって」
 「で、でもジュンさん。サブロウタさんが持久戦に持ち込めばきっと勝てるって・・・・・・」
 「彼より先に君の生命力が尽きると思うけど、僕は」
 「そ、そんなぁ・・・・・・」
 傍から見ていても明らかに殺気全開のアキトを前に、明らかに怖気づいているハーリー。

 「――――――なんなの?アレ」
 傍観者に徹することにしたエリナがホウメイに尋ねる。
 「テンカワの不機嫌の元凶だよ。しょっちゅうここに来てはああやって揉め事起こすからね、いい加減あいつも堪忍袋の緒が切れたんだろうさ」
 「気にしなくていい。すぐ終わる」
 ラピスはあまり興味がないらしい。ちゃっかり3杯目のオレンジジュースを飲み始めていた。


 「・・・・・・さて、心の準備はいいか?いっておくが仮によくなくてももう俺は待てんぞ、いい加減にお前の戯言は聞き飽きたんでな。さっさと貴様を裏のごみ箱に詰めてそして安眠させてもらう」
 「う・・・うぬぬぬぬぬぬぬぬ!!!
 しかぁし!!これも全ては艦長のため!今日はただ黙ってやられる僕じゃないぞ!!」
 そう言ってごそごそと何かを取り出すハーリー。
 「見よ!これを!!!」
 彼が高々と掲げた一枚の写真を見てアキトの、そして何故かジュンの動きが止まる。
 「・・・・・・なんなのかしら?」
 不思議そうに呟くエリナ。
 「ぃよぉし!!やっぱり効果があったみたいだな、そうして動揺しているのが未練のある何よりの証拠!!!
 さぁテンカワ・アキト!!!このユリカさんとお前の恥ずかしい秘蔵写真、関係者にばら撒かれたくなかったら僕の目の前で土下座して今までの非礼を詫びるがいい!!そして潔くユリカさん達のもとに――――――」
 ――――全部言い終わる前に、アキトにその顔面をグヮシと掴まれる。

 「かえ・・・・・・・・って、いやあのちょっと・・・・・?聞いてますテンカワさん・・・・??」
 常人らしからぬ膂力で宙に持ち上げられたハーリーは両足をばたばたさせながらアキトに話し掛け、次にその表情を見て大河のごとく冷や汗を流した。


 「―――――――極刑確定だ。三秒以内にお祈りしろ」

 「え゙あ゙・・・?」
 真っ青になったハーリーの目に入ったのは、哀れみの表情と共に首を左右に振るジュン。

 そして、



 「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!!!!」




 ――――――夜の帳に、一匹の哀れな愚か者の絶叫が木霊した。







 「・・・・・これでアキトの15戦14勝1引き分け」
 「え?全勝じゃないの?ラピス」
 「店壊したアキトがホウメイさんに怒られた」
 「あ、そう・・・・・・」








 「・・・・・・だいたいなぁジュン。お前が止めてくれればアレがここに殴りこんでくることもないだろう?」
 「言っても聞かないさマキビ君は、彼だってこれでも必死なんだよ。・・・それにまぁ、僕はただのお目付け役だしね」
 あのあとハーリーから没収した『秘蔵写真』を切り刻んでごみ箱に放り、茶を飲みながら会話を交わす二人。ホウメイはアキトに任せて引っ込んでしまった。
 一方、当のハーリーは気絶したまま縄でぐるぐる巻きにされて壁にぶら下がっていた。
 その顔面にはラピス直筆で、
    『変態小僧』
 と書いてあったりする。
 「・・・・・・アキト君、もしかして今までも毎日のようにこんなバカなことやってたわけ?」
 呆れたような顔をしてエリナが尋ねる。
 「――――言うな。それに、毎日じゃない。
 ・・・しかしジュン、一体誰がコイツにこんなくだらん手段を教えたんだ?」
 ごみ箱を見やりながら不機嫌そうに尋ねるアキト。
 「多分、タカスギ大尉だろうね。というか彼しか思い当たらないよ」
 嘆息しながらそれに応えるジュン。間にはさまれたラピスは、不思議そうな顔をして両者を交互に見回していた。
 「・・・・・・あ!そうだ!!ちょっとアキト君!!それよりも早く会長を捜してよぉ!!」
 「・・・会長?アカツキさん、また仕事ほっといて遊んでるの?」
 「どうもそうらしいな」
 最早店を一歩も外に出る気はないらしく、完全にエリナを無視するアキト。
 「聞いてるの?!!早くしないと――――――――」
 「減俸なら別にかまわん」
 「―――――へ?」
 思わず呆けた声をあげるエリナ。
 「もう決めたんだよ俺は。今夜こそは絶対にぐっすり気持ちよく、そう!心の赴くまま寝てやる!!
幸い一番の阿呆も片付けてそこに転がってるしな。たとえどんな罰を受けようが、これ以上面倒ごとになど首を突っ込むものか」
 そうきっぱりと言い放ったアキトの目の下にはうっすらと隈が出来ていた。
 「・・・・・・ねぇラピス。もしかしてテンカワの奴、全然寝てないの?」
 「昨日から徹夜で仕事だったから。その前の夜もエリナに振り回されてた」
 隣でこそこそと話をするジュンとラピス。

 「というわけで、他をあたれエリナ」
 「・・・・・・ふーん、そういうこと言うんだ。―――――ええと、テンカワさん宅の電話番号は何番だったかしらねぇ?」
 「ちょ、ちょっと待て!!」
 エリナの呟きに過剰に反応するアキト。その側ではジュンが、いやに冷めた声で、「最終兵器、発動みたいだね」と呟いていた。
 「どうしたの?アキト君。私はただ出前を頼もうとしただけよ?
 ――――ああ!そういえば今は店主が居なくて休業中だったっけ?だとしたら電話に出るのは奥さんかなぁ?」
 してやったりといった顔で楽しそうに言うエリナ。それに反比例するようにアキトの顔が青くなってゆく。
 「でも今すぐアキト君が会長の捜索に行ってくれれば、お夜食を食べなくてもぐっすり寝れるような気がするのよねぇ〜」
 「・・・・・・残念だけど、アキトの負け」ぽつりとラピスが呟く。
 「こりゃ落ちるのは時間の問題かな?」お茶を飲み干しながら呟くジュン。

 「はぁ・・・・・・わかったよ。今から――――――」
 アキトがついに白旗を揚げかけたその時、
 「ここに居たか、エリナ」
 本日三度目、またもやドアが大きく開いた。





 「「―――――!!」」

 そこに立っていたのは二人の人物。ネルガルのシークレット・サービスの一員である。一方の大男はどこか申し訳なさそうな様子で突っ立っていたが――――、もう一人の男の発する刃のような雰囲気により、店内は一瞬にして静まり返ってしまった。

 ・・・・・・そして何よりも、アキトの顔つきが別人のものへと変わる。

 「なに?もう時間?」
 あまりその雰囲気が気にならないのか、胡乱げに入り口を振り向いて尋ねるエリナ。
 「ええ、残念ながら時間切れです。・・・それと、結局今夜も逃げられました」
 真顔でそれに答える巨躯の男、ゴート・ホーリー。ただちょっとその顔に冷や汗を浮かべているようにも見える。

 「はぁ・・・・・・しょうがないわね。もうちょっと遊んでいたかったんだけど」
 何かしらの報告らしいその言葉を聞いたエリナは、ため息をつきながら立ち上がった。
 ――――その科白を聞いたアキトの眉がピクリと動いたが、何も言わない。
 「エリナ、もう帰るの?」
 そんなアキトを知ってか知らずか、ラピスが名残惜しそうに尋ねる。
 「ええ。残念だけど、これから大事なお仕事があるからね。
 ・・・・・・じゃ、ゴートに月臣君。貴方達には引き続き会長の捜索をお願いするわ」
 「ああ」
 ゴートの傍らに立つ長髪の男、月臣元一朗が短く応えた。
 「それじゃ、皆さんごきげんよう。
 ―――――ああ、アキト君?今日の貸し、ツケとくからね」
 「・・・・・・さっさと忘れろ」
 しかめっ面をするアキトの顔を見て薄く微笑みながら、エリナは迎えの車で運ばれていった。





 一方、店のドアに寄りかかった月臣はアキトに向けて静かにその口を開く。
 「・・・・・・まぁ、半年前よりは大分マシになったようだな。いつまでも不抜けているようだったら今夜は久しぶりに揉んでやろうと思っていたんだが、その必要はないらしい」

 「――――――そうか、それはなによりだ」

 静かにそれに応えるアキト。
 ――――――張り詰めるような場の空気に、ジュンとラピスは息を飲んでいた。


 いっときの静寂、それよりもさらに深い『何か』に包まれる店内――――――



 「・・・・・・ゴート、行くぞ」
 最後に何かを言いかけたようだった月臣だが、結局口をつぐむとゴートに声をかけてそのまま店を後にした。
 続いてゴートもアキトのほうを一瞬見やった後、無言のまま月臣のあとを追っていく。





 「・・・・・・はぁぁ、心臓に悪いなぁ、あの二人」
 暫くして、ジュンが安堵のため息を漏らす。
 心配そうにアキトに寄りかかるラピス。不安げな瞳が彼のじっと顔を見つめている。


 「ああ、そうだな・・・・・・・・」

 二人の言おうとしたことがなんとなくわかってしまったアキトは、ラピスの頭を優しく撫でつつも苦笑するしかなかった。

 (・・・・・・まったく、あの二人にまで心配されたらおしまいだよな、ホント・・・)













 「・・・・・・さて、と」
 席を立つアキトにジュンが問い掛ける。
 「もう休むのかい?」
 「ああ、いい加減に限界だしな。で、お前はどうするんだジュン?」
 「・・・ジュン、今日も泊まってく?」
 口々に尋ねる二人。どうやら彼は時々ここに泊まっていくことがあるらしい。
 「いや、アレを軍の寮に捨ててから家に帰るよ。明日は早いからね」
 それに対しジュンは、壁にぶら下がる『変態小僧』を見やりながら肩をすくめて応える。
 「明日?明日は休日だろう?」
 「個人的な用事ってことさ」
 そう言うジュンに対し、アキトが意地の悪そうな笑みを浮かべた。
 「――――成程。ユキナちゃんとデートってところか?」
 「う、うるさいなぁ。別にいいだろ!」
 「・・・・・・ジュン、照れてる」
 寝ぼけ眼で突っ込むラピス。どうやら相当眠たいようだ。


 「か、艦長ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおっ!!!!」

 「うわ!!」
 「―――!」
 途端、悪い夢でも見ていたのか急に絶叫するハーリー。ややあって現状に気づいたらしくあたりを見回す。
 「――――あ、あれ?なんだコレ?」
 「起きやがったか」
 やれやれといった表情で呟くアキト。ついでに困った表情のジュン。

 その横では、突然の大声にびっくりしたラピスが、これ以上ないくらいに不機嫌な顔をしていた。

 「・・・・・・ハーリーうるさい。だからルリに相手にされない」
 「う゜・・・・・・」
 突然の一撃に絶句するハーリー。
 「あちゃぁ」
 ジュンが『あぁ、言っちゃったよ』というような表情で、哀れみの表情とともにハーリーを見やる。
 ――――――呆れた表情のアキトがラピスの耳を覆い隠してやったその直後。

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああん!!!!!」

 これ以上ないくらいに絶叫しつつ暴れたハーリーはそのまま頭から地面へと落下し、今度こそ完全に夢の世界へと旅立っていった。




 「最期までやかましい奴だったな、こいつ」
 そう言いながら、さりげなく踏んづけてぐりぐりと止めを念入りに入れるアキト。
 「そうだね。じゃ、あとの処理は僕がやっておくから」
 ため息とともに縄の端を掴むと、そのままずりずりと引き摺ってジュンは出口へと向かう。
 「じゃあな、テンカワ。早くユリカのところへ帰ってやれよ」
 「うるせい」
 不意打ちに顔をしかめるアキト。
 「・・・・・・おやすみ、ジュン」
 もはや半分寝ているラピス。とろんとした目でジュンを見上げる。
 「――――ああ。おやすみ、ラピス」
 そうしてジュンは特大の蓑虫を引き摺りながら、夜の街へと消えていった。



 「さて、ラピス。俺達も寝るか」
 「・・・・・・うん」
 どうやらもう殆ど眠っているらしい。辛うじて返事をするラピスの目蓋はほぼ閉じていた。
 「ほら、先に部屋にいってな。戸締りしてから俺も行くから」
 「・・・・・・うん、おやすみ・・・・・・」






 ――――――最後にラピスも居なくなった店内で、一人後片付けをするアキト。グラスと茶碗を片付けて、きれいに拭いたカウンターに一人腰掛け、宙を見やる。

 「―――――そっか。もう半年になるのか・・・・・・」



 『・・・ユリカは多分、テンカワがここに居ることを知ってるよ』

 そう、ジュンが言っていた。
 あれは一月前のことだったろうか。涙目でたんこぶをさするハーリーを尻目に(あの頃はまだ手加減してたっけ・・・・・・)、二人で飲んでいた時のことだ。


 『・・・・・・知ってる上で、テンカワが自分から帰ってくるのを待ってるんだろうね』




 「さて、どうしたものかな・・・・・・」
 ジュンのいっていた言葉を思い出し、苦笑する。

 ―――――正直、自分でも帰るべきなのかはまだわからない。いや、決心がつかないといったほうが正解だろう。
 確かに心の内ではあの場所に帰ることを望んでいる。だが果たしてそれが自分に許されるのか、それはまだ自分にはわからなかった。

 (・・・・・・・・・結局、未だに自分で自分が許せないだけの話、か―――――――)




 ―――――不意に軽く微笑ったかと思うと、アキトは電気を消して暗くなった店内を後にする。
 今日も決着は着かずじまい、まだ暫くはこの調子だろう。


 「・・・・・・まぁ、いい。今日のところは寝るとするか」

 ゆっくりと、微かな足音を立てながら彼は階段を上っていった。












 「・・・・・・しかし、テンカワもずいぶんと変わったよな・・・・・・」
 特大『蓑虫』をずるずると引き摺りながら、ジュンは一人呟く。
 彼も知らない四ヶ月の空白の間にいろいろとあったのだろう。でも、テンカワは少しずついい方向に向かっているに違いないと彼は思う。
 おそらく、そう遠くない未来には―――――

 (―――――そう遠くない将来には君のもとへ帰ってくると思うよ、ユリカ)


 ・・・・・・心の中で彼はそう、かつての想い人へ告げた。
 そして、同じくして彼を待つ人たちにも――――――





 ――――ふと、気になる光景が視界の隅に入る。
 「ん・・・・・・?あれは、アカツキさんかな・・・?」

 横手のBARに女性と一緒に入っていった、長身長髪の見覚えのある男。
 しばし立ち止まって思案していたジュンだったが、気を取り直すと再び気合を入れて『蓑虫』――――気絶したマキビ・ハリ――――を引き摺りながらその場を後にした。











 ――――――移動中の車内から、流れてゆく夜景をひたすらに眺めているエリナ。
 その横顔はどこか残念そうながら、また何かを嬉しがっているような風だった。

 「・・・・・・結局、ドクターの判断が正しかったってことかしら?
 まぁ、あとしばらくはかかりそうだけど、ね」












 「――――もう、半年になりますね」
 薄暗い天井を見上げる少女が、隣に横たわる女性に話し掛ける。

 「・・・・・・まだ、半年だよ」
 窓の外を向いたまま、隣の女性がやさしい声で応えた。



 しばしの沈黙のあと、彼女が言う。

 「・・・大丈夫だよ。もうちょっとだけかかるかもしれないけど、絶対にアキトは帰ってくるから」


 「・・・・・・・・・それ、六回目ですよ。ユリカさん」










 ・・・・・・そして、傍らですやすやと寝入っているラピスの横顔を見ながら、アキトはふと、いつもになく穏やかな気分になるのを感じた。
 思えば、今のささやかな『平穏』の始まりは、彼女がもたらしてくれたものだったのかもしれない。彼女の存在があったからこそ、あの絶望から自分は抜け出すことが出来たのだろうと――――――――彼はそう思ってもいた。


 (ユリカも今ごろ、こうやってルリちゃんと一緒に寝ているんだろうか・・・・・・?)

 そんなことを考えながら、次第に彼もまどろみの中へと入ってゆく。




  ・・・・・・そうして彼の、彼女の夢に映るのは、一緒になって笑う四人の家族の姿。



  ――――――――新しい家族。

  ―――――残してきた家族。


  いつの日かその二つが一緒になるまで――――――そしてそれからも――――――



  彼の『平穏な日々』は続いていくに違いない。














あとがき

 このSSを読んでくださった皆様、はじめまして。
 私、モデレの初投稿作となる当短編ですが、いわゆる劇場版のその後のお話になっています。冒頭が説明口調になってしまったり、なんだかひたすらにだらだらと続いてしまった感があったりして結構反省しているんですが。

 あと、それなりに真面目な話を書こうとは思ったんですが、その反動のせいかハーリー君をスタンダードな扱いにしてしまいました。やってることもスタンダード。まぁ、彼だから別にいいとは思いますけど。
 でも、彼としてはいたって真面目です。ただ単に彼の背後にいるであろうユリカ(+サブロウタ)のせいで不幸が加速されているだけの話ですから。

 また、入念な下調べを行わずに書き上げましたので、細かい設定なんかを突っ込まれても回答することができません。その辺は大らかな目で見てくださると助かります。
 それでは。









代理人の感想

ん〜〜んんんんんんんんん。

いいじゃないですか!

半ば「劇場版オールスター」のような感じで次々登場するキャラクター達、

彼らとの絡みを通してアキトの葛藤と変化を描く構成が綺麗にまとまっていて、すっ、と読めました。

 

「だらだら」と謙遜してらっしゃいますが、それが必要な描写であり、物語に適したペースであれば

スローペースは決して悪いものではないと思います。

要は面白ければいいんですよね(笑)。

 

>不幸が加速

・・・ユリカまで裏にいたんですか。そりゃジュンには止められない訳だ(笑)。