機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜


  第1章 『理想は遠すぎて、この手には掴みきれないけれど』

  Act6





 1.

 「――――アキト………?」

 部屋の中に入ってきたあいつを見て、そう声を上げる私。
 アキトは部屋の電気をつけると、どこか心配するような声で訊いてきた。

 「サレナさん……もう大丈夫なんですか? まだしばらく横になってたほうが――」
 「――ごめんね、勝手に部屋に入ったりして。…ただちょっと、ひさしぶりにアキトと二人だけで、話したかったから」
 そんなアキトの心配そうな顔を見て、少しだけ気が安らぐのを感じながら私は言う。
 そのまま私は部屋の壁に背中を預けると、入り口に突っ立ったままのアキトの顔を見上げた。


 「……やっぱり、みんな生きてなかったね」
 「………」
 …その私の言葉に、困ったような顔を向けてくるアキト。構わず言葉を続ける私。
 「あの人が言ってたよ、ユートピア・コロニーの人たちは…一人も生き残ってなかったって。もう…火星の生き残りだった人たちはあの科学者さんを除いて、みんな死んじゃったからあまり大差ないんだけどさ。
 でもやっぱり――――」
 「……ヒロィさん、ですか?」
 唐突に、アキトが無表情なままそう訊いてきた。私はそれに素直に頷く。
 「―――うん……あいつが死んじゃったっていうのが多分、一番ショック、だった。……もう…あいつの顔が見れない…あいつの声が、聞けないん…だ、って――――」

 …その先はもう言葉にならなかった。
 こみ上げてくる嗚咽が、涙が。……もう、そういう感情で心がいっぱいで――――――



 ――――私はただひたすらに泣いた。
 自分の心を慰めるために。あいつがいないこの現実を認められるようになるために。


 …そしてこんなにも弱かった自分を認めるために――――――










 「……ごめん、ね。――――アキトも同じような気持ち、味わってるって…わかってはいるんだけど……どうしても誰かに聞いてもらいてくて………」
 そうしてひとしきり泣いた後、気持ちの幾分落ち着いた私はそっと目の前に座り込んできていたアキトにそう言う。
 かすかに首を横に振るアキト。
 「いいんですよ、サレナさん。
 …確かに俺には失った人がいるし、それはとても悲しかったけれど……その人たちは俺にとっての『大切な人』じゃあなかったから……
 ――だから俺は、サレナさん程は悲しくなれないんです。ガイが死にかけた時に…サツキミドリの事件の時に、なにかが吹っ切れちゃったんですよ。
 今の俺はただ、ここが戦場なんだって実感するだけで…」

 そう言ったアキトはまるでそういう自分を責めるように薄く笑った。そう、まるでそういう自分を蔑むように。
 …私は思わずアキトの顔に手を伸ばすと、その頬をゆっくりと撫でる。驚いたような顔をして私を見てくるアキト。

 「―――大丈夫だよ、アキト。お前は私と違って、やさしい心の人だから。…だから今はそう思っても、そのやさしさはきっと失わない。
 だって、その心こそがお前なんだから」
 私のその言葉に、アキトはほんの少しだけ瞳に戸惑いの色をにじませる。
 「本当に、そうなんでしょうか……?」
 訝しげに問いかけてくるアキト。私はそんなアキトを見て、ゆっくりと微笑んだ。
 「うん、私が保証する。お前は自分が思っているほど、冷たい人間でも薄情な人間でもないよ――――」

 そしてそう笑いかけながら言った私は、不意にその『何か』に気がついた気がして、思わず苦笑をもらしてしまった。
 「な、なんですかサレナさん」
 その私の変化が理解できないといった様子で訊ねてくるアキト。
 私はそんな彼の顔をなんとなしに眺めながら、その微かに笑みを浮かべさせた唇で言う。
 「……いやね、なんとなくわかったんだ。私にとってアキトは――――弟みたいなものなんだなぁ、って」

 「――――弟、ですか?」
 アキトが小さな声で呟いた。どこか不意をつかれたような表情をしている。
 「うん……アキトには迷惑かもしれないけれど、手間のかかるかわいい弟、って感じ。だからお前には、なんでも話せるんだろうなぁってさ」


 そして私はアキトの黒い髪を撫でながら、涙の残った顔で笑いかけながら言う。
 ……そう、言ってみれば目の前のこの男の子は…『私に限りなく近い私』。

 ――――あの夢の中の『アキト』につながる、私に最も近い人みたいなものに思えてくるんだ。




 ……ゆっくりと腰を上げると、私はまた二言三言アキトと会話して――――それ自体はどうでもいいような内容だったと思う。
 そしてドアへと私は歩いていって。

 「……話、聞いてくれてありがとね。おかげで随分気持ちが楽になったよ」
 「――――いえ、その。……サレナさんが元気になってくれて、俺も嬉しいです」
 アキトがどこか戸惑ったような顔をしながらもそう言ってくれて。


 「ふふっ。……………じゃ、おやすみ」
 「?!!」

 不意に私はアキトの頬に軽くキスをすると…そういうのには慣れていないらしく、驚いた表情をしているアキトを残して、そっとその場を後にした。










 2.

 「――――――ん? どうしたんだよアキト。そんな暗い顔しやがって」
 「……いや、ガイ。なんでもないんだ。なんでもないんだよ。―――ただ、ちょおっとショックなことがあっただけで」
 「ふぅん……ま、元気出せよ?」
 「ああ……」

 自販機のところでばったりあったガイと、そんな会話を交わす俺。
 端から見てもそんなに落ち込んでるように見えるのだろうか?



 「…―――――――はぁ…………『弟』、かぁ……」

 そしてその少しだけ『ショック』だった言葉をまた思い出して。自分でもその意味がよくわかってなかったけれども。
 それでも、照明の落ちた廊下で一人ため息をつく俺だった。








 ……そしてそれから一夜があけて。




 「あ、アキト。こっちこっち」

 ゴートさんからパイロットは待機してるようにと言われて、とりあえず食堂に向かった俺にそう声をかけたのはサレナさんだった。
 向かいの席には何故かイネスさんとルリちゃんが座って何かを話していたりする。
 「?……なんですか、サレナさん」
 「あら? 貴方も講義に参加したいの?」
 ちょっとだけ昨日のことを思い出して戸惑いながらもサレナさんの隣の席に向かった俺に、イネスさんはどこか嬉しそうな顔をして訊いてきた。
 利用しているクルーもまばらで、どこか重たげな雰囲気の食堂の中、そんなイネスさんの様子はどうも浮いているように感じられる。
 そのイネスさんの斜め前、ちょうどルリちゃんの目の前に立ちながら俺は尋ねる。
 「講義、ですか?」
 「そう。『相転移エンジンの原理とその応用』についてよ」
 「ほら、いいからいいから」
 得意満面、といった表情でそう言うイネスさんに、俺の腕を掴んで強引に席へと座らせて来るサレナさん。
 ……なんかサレナさんの態度に少しだけ不自然なものを感じるんだけど…
 「では、続きから行きましょうか。――――ええっと、どこまで話したっけ?」
 「真空の転移温度と圧力の関係についてまでですけど」
 「…へ?」
 首をかしげながら言うイネスさんと、そんなイネスさんを横目で見ながら答えるルリちゃん。
 俺はと言えば、そのルリちゃんの発したわけのわからない単語に思わず間の抜けた声を出していた。
 …ふと横を見ると、サレナさんがなんだか申し訳なさそうな顔をしながら俺の顔を見ている。

 ――――もしかして俺、巻き込まれたのか?

 …そんなことを考えたのもつかの間、やけに弾んだ声でイネスさんがその『講義』を再開し始めた。



 「そうそう。今私たちが住んでいる宇宙では、通常の空間で真空の相転移を行うにはとてつもない高温・高圧の環境が必要って話だったわね。
 でも勿論、そんな条件のもとで真空を相転移させてエネルギーを取り出してもまるっきり元が取れないし何より技術的にも不可能だわ。そこで登場するのがディストーション・フィールドの基礎理論なんだけど……」

 目の前で繰り広げられている、壮大なまでにわけのわからない会話。どうもルリちゃんはわかって聴いているみたいなんだけど……俺、科学系科目は苦手だったんだよなぁ。
 いっぽうのサレナさんは真剣にイネスさんの話を聞いている。でも時折困ったような素振りを見せているし、あまりわかっているわけでもないみたいだ。

 「――――というわけで、その見事な発想の転換によって現在の宇宙に満ちている真空をよりエネルギーの低い、『冷たい真空』に相転移させることが可能になったわけなの。ちなみにある程度の重力場の影響下で反応が悪くなるのも、その理論を基盤にしているせいね」
 「……その相転移させた『冷たい真空』はどうなるんですか?」
 俺にはまったくわけのわからなかったイネスさんの説明が終わると同時に、サレナさんが訝しげな顔をしながらやっぱりわけのわからない質問をイネスさんにしてきた。
 その質問にこともなげに答えるイネスさん。
 「相転移炉から外に排出された瞬間、周りの真空からエネルギーを取り込んで蒸発しちゃうわ。もっともこっちは別の『閉じた空間』内で処理するんだけどね」
 「ふぅん……でも、真空を相転移させるなんて凄い技術、誰が開発したんです? もしかして、あなた??」
 そしてそれに続くように、不思議そうな顔をしたルリちゃんが訊ねる。
 サレナさんも同じような顔をしているなか、イネスさんはどこか怪しげに笑うと……不意に静かな声で言ってきた。

 「まさか。誰も『開発』なんかしていないわ。――――――…私たちは、見つけたのよ。それをこの火星でね」
 「……見つけた?」

 イネスさんのその言葉を聞いて、かすかな声でそう呟くサレナさん。
 「そう。私たちはその発見された『遺跡』と『遺産』を研究して、そのままそれをコピーしているに過ぎないのよ。ディストーション・フィールドもグラビティ・ブラストも」
 そしてイネスさんはそう言い放つと、静かにため息を漏らした。
 「もっともその二つはすでに理論とシステムが解明されて応用的な研究が行われているけれど……相転移エンジンだけは、そう簡単にはいかなかった。
 ――――確かに同じ物を作ることはできるようになったけれど…でも肝心のその理論については、未だ完全には解明できていないわ」


 最後にそう締めくくって、白いコップに注がれたコーヒーに口をつけるイネスさん。
 俺はというと、やっと小難しい話から開放されてこっそりと安堵のため息をついていた。

 ……と、不意に神妙な表情をしたサレナさんがその口をゆっくりと開く。

 「…『見つけた』ってイネスさんは言いましたけど……いつ、どこでそれを見つけたんですか?」
 それを聞いてサレナさんのほうを見やるルリちゃん。
 そしてイネスさんは少しだけ不可解そうな顔をすると、何かを考えるような仕草をしながら言ってくる。
 「う〜〜ん、本当なら企業秘密に属する話なんだけど…ま、そんなことはどうでもいいわね。
 ――――ネルガルの資料によれば、今から大体30年くらい前。火星に人類が入植して間もない頃に、オリンポス山の麓で発見されたのが最初」
 「最初?…ってことは、いろんな所から見つかってるんですか?」
 俺が不思議に思ってそう問いかけると…イネスさんはどこか憂いを帯びたような顔をしながら俺の顔を見てきた。
 そして不意に思いもよらなかった言葉を告げてくる。


 「――――そうよ、テンカワ・アキト君。……知ってた? 貴方のご両親、テンカワ夫妻も、その遺跡技術の研究者だったの」


 「な?!!―――俺の両親のこと、知ってるんですか?!!!」
 思わず大声を上げて立ち上がった俺は、テーブルに両手をつきながらそう問いただす。―――もしかしたらこの人は、父さんと母さんの殺された理由についてなにか手がかりみたいなものを持っているんじゃないだろうか? その思いが俺の中を駆け巡る。
 そんな漠然とした期待と不安が俺の中に湧きあがってきて、どこか訝しげな様子で俺のことを見てくるルリちゃんも今は頭の中には入っていなくて。
 でも。

 「――直接お会いしたのは数えるほどだったけれど、ね。今の貴方と同じくらいの年だった時に、貴方のお父様の研究を見せていただく機会があったの。
 貴方のお父様ほど優秀で良識のある研究者は、そうはいなかったから……テロで亡くなったと聞いたときはとても残念に思ったわ」
 「そう…です、か……」

 …でもイネスさんは少し俯きながらそう言うだけで。俺はそうとだけ呟くと、ゆっくりと腰を下ろすしかなかった。









 3.

 「――――艦長? 艦長、よろしいですか?」
 「あ、はい。すみません、続きをお願いします」

 そのいつもなら滅多に使うことのないだろうミーティング・ルームで、ユリカと僕とフクベ提督、それにプロスさんとゴートさんはこれからの方針について話し合っていた。
 …昨日のユートピア・コロニーでの一件でユリカのことが心配だったけれど、どうやら僕が何かをするまでもなくユリカは立ち直ったみたいだった。
 そんなユリカを見てちょっとだけ、なんだか寂しいような気分を覚える僕。
 そしてそんなこととは関係なく、照明の落とされているミーティング・ルームでは話し合いが続いている。

 「……というわけでして。現在敵のグラビティ・ブラストの集中砲撃を受けて相転移エンジンのうち1基は事実上使用不能。おかげで本艦は火星を脱出することもままなりません。
 そこで現在、相転移エンジンのスペアがある火星極冠地方の研究所へと向かっているわけなのですが――――」
 中央に表示されているデータのうちのその一つを見ながら言ってくるプロスさん。それに口をはさむようにして僕が言う。
 「でもプロスさん。仮に無事エンジンの換装が終了したとして、そのまま任務を続けるのですか?」
 と、プロスさんは首をゆっくりと横に振って言ってきた。
 「いいえ。生き残りの方々は一名を除いておそらくは…という状況ですし、それにこれ以上任務を遂行するにはこちらの条件が悪すぎます」
 「では―――」
 「……本艦はエンジンの換装終了後、速やかに火星から撤退―――というわけですね? プロスさん」
 そして僕の言葉の上に重ねるようにして言ってくるユリカ。その表情はいつになく厳しい。

 ……無理もない、だろう。
 本来なら命に代えてでも助けるべきだった火星の生き残りの人々は、ナデシコと木星蜥蜴との戦闘に巻き込まれるようにして亡くなった。
 その衝撃はユリカや僕たちナデシコのトップに位置する人間、それにブリッジとパイロットのメンバーだけでなく、整備班や生活班といった隅々の人員にまで広がってしまっている。
 ―――皆、やりきれない思いをしているのだ。そしてそれはユリカの采配ミスを責めれば解決するものではない。
 そんな一時凌ぎの感情に任せた非難で解決するような問題ではないんだ。

 でもそんな中で僕らはただ、逃げ出すことしかできなくて―――――


 …そしてふと、僕の意識はずっと無言を貫いているフクベ提督へと向いた。
 第1次火星会戦を指揮し、自艦をチューリップに激突させることによって一矢を報いるも結局は火星から撤退せざるをえなかった提督。

 ―――――提督は…今度こそはと決意してナデシコに乗ってきたであろう提督は、まるであの時を再現するような今の状況をどう思っていらっしゃるのだろう……?








 4.

 (はぁあ〜〜〜……なんだかみんな、暗いよねぇー)


 ――――そんな不謹慎なことを考えながら通路をてくてくと一人歩いている私。
 リョーコはなんだか不貞寝してるし、イズミはふつーに寝てるし…おかげで一人あぶれた私は今やってる途中の原稿を描く気にもなれなくて、こーして『なんかないかなー?』って艦内をうろついてるんだけど。
 …みんな火星の人たちを助けられなかったのがショックだったみたいで、どこにいってもクルーはなんか元気がないんだよね。
 私もそりゃあちょっと堪えたけれど、でもこれって戦争なんだからしょうがないじゃないって思ってる。
 まぁ、大体の人もそういう考えみたいなんだけど、でもやっぱ、そう簡単に割り切れたら苦労しないんだよね……

 と、イヤ〜に静かなその通路の先の、トレーニング・ルームのドアから明かりがもれていることに私は気がつく。

 (……だれだろ、アキト君かな??)

 そう思いながら入り口に近づいていくと、中から微かにサンドバッグを叩くような音が聞こえてきた。


 (あれって……やっぱりヤマダ君?)

 ―――その途切れ途切れに聞こえてくる打撃音から中の人物を推測した私は、思わずトレーニング・ルームにはいるのを躊躇ってしまう。
 なんていうか、あの人はちょっとだけ『苦手』なタイプみたいだから。確かに私と同じアニメとか漫画の趣味を持ってる人なんだけど…こう、私にも色々あってね〜〜。整備班長のウリバタケさんと違って年が近い分、なんかこう心の中で身構えちゃうんだ。
 …それになんだかしらないけれど、『ジロウ君』って一度呼んだらわけわかんないくらい怒ったし。サレナが言うには『アレは禁句だから』だそうだけど。

 だからどーしよっかなぁってドアの前で私が考えていると、不意に中から聞こえてくる音が一瞬止んで。




 「……くそっ!!!」



 ―――――ドゴッ!!

 …そんな呟きとともに、壁を思いっきり殴りつけたような物凄い音がドアの向こうから聞こえてきた。
 それを聞いた私には、中にいるヤマダ君の悔しさとか憤りとか、そういう感情がはっきりと見えて。だから気軽に声をかける気にもなれなくて…ただ黙って忍び足で、その場を立ち去るしかなかった。


 ―――だって今中に入ったりしたら、凄く気まずいじゃない? そんなことを思いながら、仕方ないので部屋に引き返すことにする。
 流石にウリバタケさんは忙しいだろうし、サレナは食堂でイネスさんたちとムッズかしい話なんかしてたし。

 だからしょうがないし、私も部屋でおとなしくしてよーっと。











 5.

 そしてしばらく食堂の片隅で、サレナさんとイネスさんと、それにルリちゃんと俺で昔の火星のことなんかを話していたんだけど――――
 もっともルリちゃんは火星に居たわけじゃないからもっぱら聞き役で、主にしゃべっているのはサレナさんとイネスさんと俺だったりする。
 ……それでもっていつのまにか、話はみんなの昔のことになっていた。

 「…じゃあアキト君はずっと孤児院で生活してたのね?」
 「はい。俺、後になってから知ったんですけど…当時の火星には孤児のための施設っていうのが不足してて、でも幸い両親の遺してくれたつてで結構いいところに引き取られたんですよね。
 毎日、ホントに大変だけど楽しかったですよ? 小さな子の面倒を見てあげたりとか、シスターに料理を教わったりとか…」
 イネスさんの問いにちょっとだけ笑いながらそう答える俺。
 なんだかすごく優しい感じで微笑むイネスさん。
 「サレナさんは? サレナさんは家族の人とか、どうだったんですか?」
 続いてルリちゃんが、興味津々と言った様子でサレナさんに聞いてきた。

 「私?…そうだねぇ、あんま一般的な家族じゃなかったかな。
 ――父親は軍人だったんだけど、私が高校生の時に演習中の事故で死んじゃってね。母さんはそれから体調を崩しちゃって今は地球の病院にいるから、私は奨 学金と軍人遺族の扶養手当で生活してたんだ。……まぁもっとも、こんなんなっちゃったから借金返さなくてもいいかなーなんて考えてんだけど」
 「…そうなんですか」
 そのサレナさんのあっけらかんとした話に、どこか申し訳なさそうに言うルリちゃん。それに対してサレナさんは、全然気にしてないっていったような感じで笑いかけた。
 「別に気にしなくてもいいんだよ? こんなんよくある話なんだからさ」
 「はい」
 そんなサレナさんに少しだけはにかみながら笑みを返すルリちゃん。

 ……そういえば、ルリちゃんは人工授精で生まれたってプロスさんが言ってたよなぁ。
 でもこんなに大人びたふうに育ったってことは、やっぱり施設の生活が厳しかったのかな…。『家族』の話にこんなに興味を示すなんて、思ってもいなかったし。
 そうして目の前でサレナさんと会話を交わすルリちゃんを見ながら俺がそんなことを思っていると。

 「――――で、イネスさん。イネスさんってやっぱり火星生まれなんですか? それとも生まれは地球なの?」
 サレナさんがコーヒーをすすって一息ついていたイネスさんにそう尋ねる。
 するとイネスさんはなんだかとても楽しそうに、とても不敵に微笑んでコップをゆっくりとテーブルに置いた。
 「……?」
 そんなイネスさんの仕草を不思議そうに眺めるルリちゃん。
 そしてイネスさんが口を開く。
 「―――私の生い立ちもかなり変わってるわよ?………貴方たち、怖い話は大丈夫かしら??」

 そのなんて言ったらいいかわかんないようなイネスさんの表情に、ちょっとびっくりしながら頷く俺。サレナさんとルリちゃんも興味津々と言った顔をしている。
 俺たちのその様子を見たイネスさんは、少しだけ穏やかな顔になりながらしゃべり始めた。

 「そう。じゃ、話してあげようかしら。とは言っても生い立ちとはちょっと違うんだけれど……。
 ………私ね、8歳以前の記憶が一切ないのよ。気がついたら大きな病院のベッドの上にいて、知らない男の医者が私の顔を覗き込んでたわ。
 聞けば、私は火星の砂漠に一人でいるところを発見されたって言うのよね。
 幸運なことにたまたま近くを通りかかった遺跡の調査隊に発見されて運び込まれてきたらしいんだけど、どう考えても子供が一人でいけるような場所じゃなかったし…誰か他の人間がそこにいた様子も、どこかから連れてこられたような痕跡も、その場所には一切残ってなかったの。
 言ってみれば、その場所に突然現れたとしか考えられなかったのよね」
 「………それは」
 ふとサレナさんが小さく呟く。何かに思い当たるように。
 構わずに話を続けるイネスさん。
 「しかも私の戸籍は存在していなかった。遺伝子情報すら登録されてなかったのよ。……で、結局私が誰なのかは一切わからないまま、現在の養父母に引き取られたってわけ。
 手がかりは発見当時私が身に付けていたっていう小さな金属プレートだけだったから――――あとでそれが、火星のあちこちにある『古代火星人』の遺物とよく似てるってことがわかってね。
 だから私は研究者になったのよ」
 「―――古代火星人、ですか?」
 そのなんだか怪しい単語を聞いて聞き返す俺。そしてイネスさんは可笑しそうに笑った。
 「ま、ちょっとインチキっぽい呼び名だけどね。
 でも私たち人類が誕生する遥か以前の火星に、かなり高度な文明があったって話は貴方達も聞いたことがあるでしょう?
 その文明を築いた生命の名称…私たち研究者の間でつけた呼び名が『古代火星人』ってわけ。そして何故か、木星蜥蜴も彼らと同じ技術を保有している。
 その砂に埋もれていた彼らの遺跡と木星蜥蜴の関係は不明だけど、連中もきっとどこかでその技術を拾ってきたんでしょうね……」
 「……あるいは彼らが『古代火星人』の末裔、とか?」
 不意に両腕で頬杖をつきながら聞いていたサレナさんが、イネスさんの話にそんな疑問を返す。しかも何故か、どうも機嫌が悪いように見える。
 サレナさんが頬杖をついている時は機嫌が悪い時、っていうのは…地球に来てまもない頃に俺が気がついたちょっとしたサインなんだ。
 「その可能性は低いと思うわよ? 技術的な面から見るとね」
 それに対してそんなサレナさんの様子には気づいていないらしいイネスさん。
 続けてサレナさんが質問を繰り返す。

 「じゃあ、もう一つ訊きたいんですけど――――
 その発見された『古代火星人』の技術に、人間とか物とかを瞬間移動させるような技術っていうのは、あったりはしないの?」

 「……なかなか面白いこと言うわね。どうしてそう思ったのか、訊いてもいいかしら?」
 遠まわしに『Yes』と言いながら、少しだけ妖しい笑みを浮かべながらイネスさんが言ってくる。
 サレナさんは俺のほうをチラリと見てから、ちょっと怖いくらいに真面目な顔をして口を開いた。
 「私とアキトが、そういう経験をしたからです。
 4ヶ月前、ユートピア・コロニーにいた私達は…気がついたら地球に来ていました。その時何が起こったのかは、私もアキトもよく覚えていないんです」


 …それを聞いたイネスさんの驚きようは、正直予想もつかなかった程だった。

 「―――それ、本当なの?」
 とても信じられない、といった表情で俺の顔を見てくるイネスさん。
 「…ええ。避難していたシェルターがバッタに襲われたところまでは覚えているんですけど、その先はさっぱり――――」
 「――――で、気がついたら地球にいて。川辺にアキトと二人で寝転んでたわけです」
 俺の言葉に続いてそう言うサレナさん。
 身体を前のめりにさせて俺たちの顔を覗き込んでくるイネスさん。
 そして不意に笑って言ってくる。
 「ま、あんまり気にしないほうがいいわよ? はっきり言わせてもらうと、ネルガルの企業秘密にかなり関わっていると思うから」
 「……どういうことっすか? それ」
 思わずイネスさんに問いかける俺。
 でもイネスさんはあいまいに笑みを浮かべるだけで。
 「今はなんとも言えないわね。そのうち説明できるようになると思うから、それまでは貴方たちの胸の内にしまっておきなさい。それが貴方たちのためよ?」




 『―――イネスさん。ちょっといいですか?……って、あ。アキト…』

 と、突然ブリッジのユリカから通信が入ってくる。
 俺の顔を見て、少しだけ顔を曇らせるユリカ。
 ……頼むからサレナさん、そんな怪しい目つきで俺のことを見ないでくださいよ。
 俺だって昨日の今日だしどう接していいかわからないんですから。


 「いいけど、いったい何の用かしら?」
 一方そのイネスさんの声を聞いたユリカは、厳しい表情をして俺たちに告げてきた。

 『4人とも、至急ブリッジまで来てください。皆さんにお見せしたいものがあるんです』













 6.

 「あれは――――――」

 スクリーンに映し出されているその戦艦、私たちナデシコクルーには見覚えのある戦艦をまのあたりにして私はそう言葉を漏らした。
 ブリッジには既にリョーコやヤマダたち他のパイロットも来ている。
 そしてみんなが目をやる先には、随分とボロボロになったチューリップと一隻の地球の戦艦が横たわっている。

 「……で、あの戦艦がどうかしたのかしら?」
 ただ一人事情のよくわかっていないイネスさんがそうユリカさんに向かって尋ねると、かわりに傍にいたアオイさんが口を開いた。
 「あれは、地球での木星蜥蜴との戦闘でチューリップに飲み込まれた護衛艦・『クロッカス』なんです。識別信号を確認しましたから間違いありません。
 …でも、何故そのクロッカスがこの火星にあるのか、イネスさんのご意見を伺いたいのですが――――」
 「……ふぅん?」
 なにか意味ありげに私のほうを見てくるイネスさん。
 そしてイネスさんは嬉しそうに見解を述べ始める。
 「まさにタイムリーな話題ってわけ、か。
 ―――昨日、チューリップが一種のワームホールの役目を持っているってことは、サレナ以外のここにいるみんなには話したわよね?
 だとしたら答えは簡単だわ。あれは地球のチューリップを通してここへと運ばれてきた。それだけのことよ」
 「ではミス・フレサンジュ、同じく地球でチューリップに吸い込まれたもう一隻の護衛艦・『パンジー』が存在しないのはどういうことだ?」
 視線をチューリップからイネスさんに移しながら、そう質問してくるゴート。
 それに対してイネスさんは少しだけ逡巡するような仕草を見せてから、チューリップを見て言ってくる。
 「これは仮説になるのだけれど、それぞれのチューリップは言ってみれば端末に過ぎなくてそれらが大きなネットワークを構成しているんじゃないかしら。
 そして地球でチューリップに吸い込まれた2つの戦艦が、それぞれランダムにネットワークを経由して出口となる別のチューリップに送られたとすれば…ここにもう一隻が存在しなくても不自然じゃないわね」
 「「「「「はぁ…」」」」」
 あまりにも組み立ての早いイネスさんの仮説に思わず感嘆の息を漏らすブリッジの面々。

 「―――それで現在の問題は、クロッカスの調査およびクルーの救出活動なのですが…」
 そしてどうも困った顔をしながら声を上げてくるプロス。
 みんなの視線が一斉に彼に注がれる。
 「…我々も蜥蜴に追われる身である以上、正直時間がないのも事実なのですが…ナデシコを運用するにあたって連合軍から提示された、最低限の協定というものがありましてねぇ。少なくとも生存者の確認だけは行わなければならないのです」
 「そこで今からクロッカスの調査班を選定する。まずパイロットからのメンバーは…スバル、それとテンカワ。この2名だ」
 そしてプロスさんに続いて指示を出してくるゴート。それを聞いたアキトが驚いた顔をする。

 「え?…俺っすか??」
 まわりのパイロット、ヤマダやリョーコ達の顔を見ながら不思議そうな顔をするアキト。
 「そうだ。
 続いて内部の簡単な調査については……フレサンジュ。お願いできるだろうか?」
 「ええ、構わないわよ。一応私もまだ、ネルガルの社員だしね」
 それに構わず続けるゴート。イネスさんはそれを意外とあっさりと承諾した。
 そして不意にあがる、その老いた声。

 「…私も行こう」
 「――――提督?」

 と、今まで黙って話を聞いていたフクベ提督が不意にそう声を上げる。
 困ったように提督のほうを向き直るゴート。
 「クロッカスの艦内構造に詳しい人間は必要ではないかね? これでも私は、あの世代の艦の構造については熟知しているつもりだよ」
 「し、しかし提督!」



 「……提督―――?……もしかして貴方、フクベ提督かしら??」


 突然訝しげな表情をしながらそう問いかけるイネスさん。
 最初こそ驚きに満ちていたその表情は、次第に影を帯びたものへと変わっていった。
 「…イネスさん? いったいどうしたんですか?」
 そのイネスさんの変化を不思議がったユリカさんがそう訊ねる。
 みんなもイネスさんのほうに顔を向けるけど、私の隣で微かに俯いているイネスさんは何も言おうとはしない。

 ――――そして、提督も何故か、わずかに顔を下へと向ける。


 「……そう、道理でどこかで見たことある顔だと思ったわけね。まさかお会いできるとは思わなかったわ」
 ゆっくりと顔を上げながら…僅かに、悲しそうに微笑んでそう言ってくるイネスさん。
 隣にいるルリちゃんが、同じようにしてイネスさんの顔を見上げる。

 「まあまあ! 昔話はあとにして!! 今はそれよりもクロッカスの調査のほうが大切――――」
 「…フクベ提督が、どうかしたんですか?」

 そしてプロスさんのまるで不自然な大声をさえぎるようにして、私はイネスさんにそう尋ねていた。
 私も同じ顔をしているのだろう。ふと横を見てみると、アキトの顔はなんともいえない複雑なものだった。
 小さなため息をついたイネスさんが、私とアキトを交互に見やりながら言ってくる。

 「……その様子だと、フクベ提督が第1次火星会戦で木星蜥蜴と戦ったことは知っているんでしょう?
 でもね。その時ユートピア・コロニーにいて、そのまま地球へといつのまにかやってきていた貴方たちには知りえないことが一つあるのよ」
 「イネスさん! 今はそのお話は……」
 「彼らには知っておく権利があるわ。例えそれが連合軍の機密情報だとしてもね」

 突然声を上げたユリカさんを遮るように、厳しい表情をしてイネスさんは言ってくる。
 戸惑うような表情をしている大半のクルーに対し、ユリカさんやアオイさん、それに提督とプロスさんはどこか沈んだ表情をしていて。


 「……で、いったい何なんですか? 俺たちの知らないことって」

 …まるでもう耐え切れないといったようにそう訊ねたアキトに対し、イネスさんは静かにその事実を告げてきた。


 「多分貴方たちでも知っているでしょうけど、火星に侵攻してきた最初のチューリップはフクベ提督が率いていた母艦を直接ぶつけることによって撃墜することができたわ。それくらいのことだったら連合軍も発表するでしょう。
 ――――――でも、その撃墜されたチューリップはどこへ落ちたと思う?
 この火星のどこが、その絶大な質量の直撃を受けたと思う??」



 「「………まさか―――――――」」


 ぴったりと重なるようにして、私とアキトの呟きが静かなブリッジへと響いていく。




 「――――そう。ユートピア・コロニーよ」



 …その、はっきりと重い言葉に。
 私の心に黒い感情を引き起こそうとするその言葉に。

 その心にせめて抗うために、私はたまらずブリッジから駆け出していた。








 7.

 ブリッジに僅かな時間、沈黙が訪れました。
 ――――そしてその沈黙を破ったのは、やはりテンカワさんでした。


 「……あんたが……あんたがアレを落としたのかよ…!!!!」
 「お、おい? テンカワ?!」

 震える手を握り締めながら、物凄い形相でフクベ提督を睨むテンカワさん。リョーコさんの声もまるで聞こえていないみたいに。
 対するフクベ提督と事の張本人のイネスさんは、ただ黙ったままです。

 そして激昂したアキトさんは、そのままフクベ提督に掴みかかろうとしました。


 「あんたが! あんたが!! あんたがああああああああああああっ!!!!」
 「バカ! 何やってんだよアキト?!!」

 慌てたヤマダさんに後ろから組み付かれるのにも構わず、ヤマダさんを引きずってまでフクベ提督に掴みかかろうと空を手で掻くアキトさん。
 「おいヒカル!! 鎮静剤だせ! 早く!!!」
 「ちょ、ちょっと待ってよ?!……ああ、もぉ!!!」
 「ああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
 「うわ?! アキト! ちょい待て!!…ぐぁ!!!」
 「こんの…落ち着けこのバカ!!!!」
 終いにはリョーコさんに思いっきりはたき倒されて、二人係で押さえつけられたところにヒカルさんがトドメの鎮静剤を注入しました。
 その一部始終を、ただ黙って何もしようとはせずに見ていたフクベ提督。

 「……いやはや、困ったことになりましたな。ゴート君、至急編成の組直しを」
 「それには及ばんよ」
 意味もなく眼鏡の位置を直しつつ、そう言いかけたプロスさんを提督は遮ります。
 「しかし、提督…」
 「フレサンジュ君、君は構わないかね?」
 「ええ。正直彼らと違って、私には貴方に対して感情的になる理由はありませんから。
 …ただ、いいんですか?私はともかく、アキト君がなんていうかはわかりませんよ?」

 「構わんよ、いざというときのためにスバル君もいるしな。――――彼には、罰だと思ってもらえばいい」








 8.

 「サレナ〜〜? 大丈夫?……って、んなわけないか」
 「……ヒカル。あんたねぇ」

 休憩所のベンチに座って一人ため息をついていると、ちょっとだけ神妙な顔をしたヒカルが声をかけてきた。
 ヒカルはそのまま自販機にカードを入れると、躊躇いもなくボタンを二つ押す。
 「はい、これ」
 「…サンキュ」
 ヒカルは私がいつも飲んでいる、とあるメーカー製のアップル・ティーを渡してくれる。
 礼を言った私を見て、隣に座り込んで自分用の怪しいスポーツドリンクを開けるヒカル。
 「……あれから、ブリッジはどうなったの?」
 「ん〜…アキト君がねぇ、ものすごく怒って提督に掴みかかろうとしたんだよ? それこそもう、『うがあーーっ』ってかんじでね」
 「ホント?」
 「うん。で、結局ヤマダ君とリョーコに取り押さえられて…そのまま鎮静剤投入。――――ホント、大変だったんだから」
 ヒカルの話を聞きながら、手にしたドリンクを一口飲んでから、それを片手で持ってくるくると軽く振ってみる。

 「そっか……」
 「それで、なんかねぇ……アキト君。なんていうか、自分のことだけじゃなくて…サレナの分まで怒ってるみたいだった」
 そう言ったヒカルの顔を思わず横目で覗き込む私。
 ヒカルはそれを見届けると、少しだけニヤリといったふうに笑みを浮かべる。
 「やっぱ、なんかあるの??」
 「……まぁ、ね。
 ――――あのさ、私…ユートピア・コロニーに親しい知り合い残して地球に来ちゃったんだ。そいつにもう一度会いたいってのもあってナデシコに乗ったんだけど……見てのとおりだったでしょ?
 それで、ここでフクベ提督を恨むのは違うってわかっていても…やっぱり、ちょっとさ」

 「…その知り合いって、――――やっぱ男?」

 不意に興味のあるような目つきでそう訊いてくるヒカル。
 ちょっとだけ私は面食らったけど、別に隠しとおすようなことでもないし正直に答える。
 「うん、まぁ。―――当時の私はそういうつもりじゃなかった気もするけど、世間一般的に言えば付き合ってたんだと思う。失った今になってみれば、あの頃は本当に幸せって言える時だったんだなって思えるの。
 ……なんだかんだ言っても、私はアイツのことを心の底から想っていたんだな、って」
 「…じゃあ、それってアキト君も知ってる、ってこと?」
 そしてそう続けて問いかけてきたヒカルに、私は苦笑いを返す。
 「あれでも男だから、アキトの奴には詳しいことは言ってないけど…まぁそれとなくは言ってあるよ。
 それで昨日はアキトに色々話聞いてもらって、それで少しは心の整理がついたつもりなんだけどね……」


 「ふぅん、そうなんだ………」
 「そう。そうなんだよねぇ…」
 一緒になってそんなことを言いながら、ドリンクを飲む私とヒカル。
 と、不意にヒカルが小さくため息をついた。
 「なに? どうしたの??」
 「いやさー。私も昔、付き合ってた人がいたんだけど…私の場合は最悪なくらいのケンカ別れしちゃったんだよね。
 …あまり、うまくいかなかったんだ。
 だからサレナの話聞いてたら、不謹慎だけど少しだけ『うらやましいなぁ』って」
 そう言って一気にドリンクを飲み干すヒカル。
 私は隅の観葉植物を何気なく眺めると、容器を弄びつつなんか色々なことを考えてみる。


 …必ずしも幸せとはいえなかった少女時代のこと。アイツと会って、結構幸せだと思えた大学時代のこと。
 そしてやっぱり心の中に浮かんでくる、『彼』の――――『アキト』という名のあの人物のこと。


 「……ま、こういうことってそう簡単にうまくいったりはしないもんだよね。…こういう、ことはさ。
 ―――そろそろ戻ろっか? あまり長くここにいると心配かけちゃうし」
 そう言って立ち上がる私。ヒカルは私を見上げて心配そうに訊いてくる。
 「サレナ、大丈夫?」
 「大丈夫だよ、もともとここにはアタマ冷やしにきたようなもんだしね。…ほら、ヒカルのおかげでもうすっかり良くなったしさ!」
 「…あ、ちょっとムカ。サレナの胸でそういうことやられると案外頭にくるかも」
 胸を少し反らせながらヒカルに笑いかける私。
 それを見たヒカルがちょっとだけ険悪な顔をして。
 「でもなんでサレナはそんなにスタイルいいわけー? なんか秘密とかあるんでしょ、きっとそうなんだ!」
 「えー? 欧米型の食習慣ってやつしておけば大体こんな感じになると思うけどなぁ。それに私、ハーフだし」
 「うそ?!! 初めて聞いたよそんなこと!」
 「……あれ? 言ってなかったっけ?」
 「聞いてなーーい!!!」


 ……結局ぎゃあぎゃあ騒ぎながらブリッジに戻っていく私たちだった。
 もちろん、プロスさんとゴートさんに呆れたような顔で出迎えられたことは言うまでもない。











 9.

 「……しかし、これはちょっと妙ね」

 そう呟きながら先頭を歩いていくイネスさん。彼女の持つライトに照らされた先には、一面が氷結したクロッカスの廊下がある。
 続いて俺とリョーコちゃんの後ろに位置する提督がイネスさんに声をかけてきた。

 「妙とは、どういうことかね?」
 「ナデシコの資料によれば、このクロッカスが地球でチューリップに飲み込まれたのは僅か1ヶ月ほど前。でもこれじゃあ、まるで半年以上も時間が経過しているみたいだわ」
 少しだけ後ろを振り向きつつ、そうイネスさんは言ってくる。
 「…それってどういうことだよ? どう考えても計算が合わないじゃねぇか」
 「普通に計算したら、ね」
 そのリョーコちゃんの問いかけに対して、イネスさんは微かに笑って前に向き直った。
 そして口を開くフクベ提督。
 「では、このクロッカスが過去へと時間移動したとでも言うのかね?」
 「さあ。正直、現時点では私からはなんとも。……ただ、可能性として全くないわけではありませんが」
 「――――まるでSFの世界だな。にわかには信じ難い」

 そして再びだんまりする俺たち4人。正直、みんなそれぞれに気軽におしゃべりをするような気分でないことは確かだ。
 …クロッカスのクルーの大半は、どこにも姿が見えなかった。
 殆どがもぬけの殻になった部屋で、そして極たまに干からびた死体が、何かに押しつぶされたように粉々になった死体が転がっている。
 でもそれもほんの僅かな数だけ。
 ホントに、不気味なくらいに人がいた様子がなかった。


 「……そこをまっすぐ行けば、ブリッジだ」
 「はい。――――これで最後の部屋ですね」
 そうして薄暗い通路を進んでいく。
 リョーコちゃんも厳しい顔をしたまま、警戒しながら俺の隣を歩いている。
 ゆっくりと、まだ稼動するドアを開くイネスさん。

 ――――――不幸中の幸い、とでも言えばいいのか。
 ブリッジには死体は一切転がっていなかった。


 「……これは」
 イネスさんがパネルを操作してブリッジの電源を入れていたその時。
 ふと提督が、キャプテン・シートに落ちていたロケットを見つけて拾い上げた。
 「――――遺品、か」
 静かに呟くリョーコちゃん。
 提督がゆっくりとした動作で顔を上げ、そしてその中を覗き込む。
 俺は手持ちのライフルの銃口を下へと向けて。
 「…あら?」
 突然、イネスさんが驚いたように声を上げる。
 「どうしたんですかイネスさん」
 「通路1−Bに何かいるようね。生物かどうかはわからないけれど、ゆっくり艦内を移動しているわ」
 それを聞いて顔を見合わせる俺とリョーコちゃん。
 「もしかして、生き残りか?」
 「いや、俺は多分バッタだと思う」
 続いて持っていたロケットを静かにパネルの上に置いた提督が問いかけてくる。
 「フレサンジュ君。他に艦内で活動しているものは?」
 「いいえ。私たちのほかにはおそらくこの物体だけです。………どうやら外に向かっているようね」
 「ふむ……」
 ほんの少しの間考え込む提督。そして俺とリョーコちゃんに向かって言ってくる。
 「すまないが、君たち二人で確認してきてくれ。警戒は怠らないようにな」
 「「了解」」






 「はぁ〜〜〜……正直ホッとしたよ、ブリッジから先に出てこれてさ」

 そして暫く無言のまま、二人っきりで通路を歩いていたら、不意にライフルを肩に担いだリョーコちゃんがそんなことを言ってきた。
 「え? なんで??」
 一応あたりを警戒しつつそう訊ねる俺。
 と、リョーコちゃんは俺の顔をじっと見つめてくる。
 「…このアホ。いつお前が暴れだすか、気が気じゃなかったからに決まってんだろ? ずっと険悪な顔してたじゃねぇか」
 「――――ごめん。余計な心配かけちゃって」
 そう言われて思わず俺が謝ると、リョーコちゃんは少しだけ笑いながら言ってきてくれる。
 「ま、仕方ねぇよ。それにちゃんと我慢できたみたいだしな。うん、上等上等」
 「我慢って…俺は子供かよ?」
 「似たようなもんだろ?」
 そう言って意地悪く笑うリョーコちゃん。ちょっと悔しくて顔をしかめた俺だったけど、前を向き直りながらポツリと呟いた。
 「子供だったらさっきも我慢なんかしてないさ。理屈では…全部あの人が悪いわけじゃないって、悔しいけどわかってるしね。
 ―――でも、どうしてもあの時はどうしても我慢できなかったから」

 「……」
 「―――? どうしたの??」
 見ると、リョーコちゃんは意外そうな顔をして立ち止まっていた。
 その顔を覗き込んだ俺を見て、慌てたように叫んでくる。
 「このバカ! いきなりお前が変な事言うからだろ!!」
 「へ? あ、いや…」
 「いいからさっさといくぞテンカワ! もたもたすんな!」
 「あ! 待ってよリョーコちゃん!!」

 言われるままに何故か艦外までダッシュする俺とリョーコちゃん。
 がむしゃらに駆けて分厚い扉を蹴り飛ばした先には、ナデシコのブリッジから飽きるくらい見ていた火星の氷原が広がっていた。

 「う〜〜〜、さすがに風が冷たいな。…で、問題の不審者はどこだよ?」
 左手で顔に吹きつけるそのその冷たい風を遮りつつ、地面に降り立ったリョーコちゃんがあたりを見回す。
 2メートルくらい離れた地面に軽く飛んで着地してから、俺も改めて周りを見回してみる。
 「…!! あそこ!」
 その30メートルくらい離れたところに、うごめく何かが見える。人にしては背が低すぎるようで、それは地面に向かって何かをしきりに繰り返していた。
 それを確認して僅かにかがみこむリョーコちゃん。
 「――――よしテンカワ、接近するぞ」
 「え? 作戦とかは??」
 「んなモンこの状況であるわけねぇだろ。なるたけ気配を悟られないようにゆっくり行くだけさ」
 「……そうは言ってもなぁ」


 そしてソレへと俺たちは近づいていく。
 …近づいていくごとに、その場所から何かの音が聞こえてきた。




 ――――――がりがり。ざくざく。

 それは多分、地面を掘り起こすような音。


 ………どさっ。

 続いて何かをその穴に落とすような音が聞こえる。


 「え……」


 ―――ざっ、ざっ。ざっ、ざっ、ざっ。

 そしてその上にまた土をかけて。



 「……って、テンカワ。ありゃあ―――――」
 「まさか……嘘だろ?」

 …その信じられない光景に、俺とリョーコちゃんは思わず立ち止まった。




 ……ざくっ。たん、たん、たん、たん。たん。

 最後に一本の黒く長い直方体の板をその上に立てて、その一連の作業は終了する。
 ため息をつくように『シューーッ』という機械音を立てるその小さなバッタ。

 ―――もう、何かを言うまでもないだろう。
 そいつの目の前に完成したソレは……クロッカスのクルーのための、小さな墓標だった。




 そいつのすぐ横にはもう一つの遺体。
 少しの間だけ動きを止めていたバッタは、やがて新しい穴を掘り始める。
 ……ライフルだけは一応右手で構えながら、リョーコちゃんはゆっくりとそいつの元へと近づいていった。

 「…そっか。ナデシコからだと陰になってわからなかったけど…こんなところに墓なんか作ってやがったのか。
 ――――ここならクロッカスのおかげで、冷たい風もあまり吹いてこないもんな」

 …そう言ってリョーコちゃんが目をやったその先には、何十もの黒い墓標が立っている。
 そう。何十ものクルーの亡骸がそこに葬られている。


 「……こいつ、全部一人でコレを立ててたっていうのかよ……?」

 それを見て思わず、そう呟く俺。
 たまらずライフルの柄をぐっと握り締める。

 …たまらず、目の奥から悔しいくらいに何かが溢れてくる。


 「――――こいつ、蜥蜴のくせになんでこんな真似してるんだよ?
 なんで機械のくせに、こんなことができるんだよ?!………なん、で………!!!!!」



 「テンカワ……」




 ―――不意に俺たちに気がついたのだろう。そのバッタは作業を一旦止めて、こっちのほうを見てきた。

 膝をついて、霞んだ視界でそいつを見る俺。
 その隣で立ち尽くしているリョーコちゃん。

 バッタは二度三度と赤い目を点滅させると……まるで何かを言おうとしてるようなその合図の後、再び作業を再開し始めた。












 10.

 ……しばらくして、そのバッタは新しい墓標を作り終えた。
 俺たちのほうを少しだけ振り向いた後、そいつはまたクロッカスの船内へと戻っていく。

 そして何故か、不意に姿を現すイネスさん。

 「――――なんとも皮肉な光景ね……」


 そうイネスさんが呟いたその時。突然クロッカスの船体が浮上を始めた。






 11.

 『―――――現在のナデシコなら、このクロッカスでも船体を貫くことは可能だ』
 「はあ?!…提督? いったい何を……」

 …突然クロッカスが浮上したかと思ったら…よりにもよってこっちに向かって対空砲を向けた上に威嚇射撃までしてくるってのは一体どういうことなのさ?
 ユリカさんをはじめとするブリッジのみんなも、そんな提督のわけのわからない行動にただ驚くだけで。
 そしてどう考えても気がおかしくなったとしか思えないような行動を取っているフクベ提督は、続けてナデシコにとんでもない命令をつきつけてきた。

 「クロッカスより打電。前方のチューリップに入るように指示してきています」
 「な?!! 提督!!」
 こともなげにその通信内容を報告するルリちゃんに対し、滅多にないほど慌てた様子のプロスがスクリーンの向こうの提督を凝視する。
 「チューリップに入れっていったって、それって……」
 困ったようにそう言うミナトさん。続いてメグミさんが厳しい表情をして、外装がボコボコにへこんだクロッカスのほうを見て。
 「最悪、ああいうふうに潰れちゃうってことですよね…」
 「提督?! コレは一体どういうことですか?!!」
 そしてユリカさんがそう大きく叫ぶと、提督は僅かに顔を俯かせて静かに言ってきた。

 『艦長。君ならわかっているだろうが、最早我々には一刻の猶予もない。
 だがそこのネルガルの二人はどうしても納得してくれないようなのでな、少々強引な手を使わせてもらったよ』
 その言葉を聞いてさらに慌てた表情をするプロス。
 「提督〜!! その案はどう考えても無謀だと説明しましたでしょう?! 何度考えても損害しか計算できませんよ!」
 『プロス君、その点なら心配ない。フレサンジュ君が保証してくれたよ。
 ……少なくとも、これから研究所に赴いて、あるかどうかもわからないエンジンを探すよりは確実だ』
 「で、ですが…!」


 『…おいこら提督! 聞いてんのか?!! アンタ、いったい何考えてんだよ!!』
 「あ、アキト君」
 そしてさらにタイミング悪く、『ヒナギク』からどうしようもなく激怒した様子のアキトの通信が割り込んでくる。
 それをみてまずそうな顔をしながら小さく呟くヒカル。
 多分リョーコが操縦してるんだろう、アキトの横ではイネスさんが浮かない顔をして座っていて。
 『なんでいきなりナデシコに向かって発砲するんだよ?!!
 ―――それともお前、もしかして……』

 「違う!! アキト、違うの!」
 どんどん厳しい表情になっていくアキトに耐え切れなくなったように、突然ユリカさんが声を張り上げた。
 それに構わず言葉を続けるアキト。
 『いいや、違わないさ!! 提督は、コイツは俺たちに火星での事を知られたから―――』

 そしてユリカさんの悲痛な声がブリッジに響く。


 「――――提督は、私たちを火星から逃がそうとしているのよ!!!」




 「―――本艦後方、方位247度に敵艦隊捕捉。現在こちらへ向けて侵攻中」
 一瞬静まり返ったブリッジに、ルリちゃんの冷静な報告が木霊する。
 『艦長! 早くしたまえ!!』
 画面の向こうで、そう声を上げるフクベ提督。
 「…ミナトさん、チューリップへの進入角度を大急ぎで!」
 そしてユリカさんは、そうはっきりと告げて…。

 「って、艦長?!! 何考えてるんですか! いくらなんでも無謀すぎます、もう一度かんが――――」
 「ご自分で選んだ提督が信じられないのですか?!!」
 尚も食い下がろうとしたプロスをユリカさんはその一喝で静まらせて、そして険しい表情でスクリーンを見上げる。
 「提督! 提督も早くナデシコに帰艦なさってください!!」
 でも提督は何故か、首を縦に振ろうとはしなかった。
 黙ってその顔を僅かに俯かせるだけだった。

 『…すまないが、私にはここでやるべきことがあるのでな。迎えはいらんよ』
 「提督…!」





 ……ゆっくりとチューリップへの進路を進んでいくナデシコ。その気配を感知したのか、チューリップの口が大きく開いていく。
 そして、ナデシコのその後ろをついてくるクロッカス。

 「おいユリカ! 引き返せ!! アレに入ったらどうなるかわかってんのか?!!」
 突然、ブリッジのドアを突き飛ばす程の勢いで飛び込んでくるアキト。
 でも艦長席のユリカさんは首をただ静かに横に振る。
 それを見たアキトは必死の形相をして叫んできた。
 「クロッカスのクルーはなぁ! 死んでたんだよ、みんな!! 一人残らず死んでたんだ!
 俺たちもあそこに入ったら、同じ運命になるんだぞ?!! それでもあいつの言う通りにするっていうのかよ!!」
 『…そうとは、限らないんじゃないかしら?』
 そのアキトの言葉を裏返すように、格納庫にいるイネスさんが言ってくる。
 『クロッカスとは違って、ナデシコにはディストーション・フィールドがある。木星蜥蜴の戦艦と同じようにね。
 …だから、私たちがクロッカスと同じ道をたどる可能性は低いわ。多分、大丈夫なんじゃないかしら』

 ―――その言葉とともに、ナデシコはチューリップへと飲み込まれていく。


 「クロッカス、チューリップ手前で反転しました」
 「…敵と戦うつもりか?!!」
 そのルリちゃんの報告に、大きく声を上げるゴート。ブリッジの全員がスクリーンに映る提督を見つめる。
 そして、必死な形相で提督へ訴えかけるユリカさん。
 「おやめください、提督!!
 ナデシコには…いえ! 私には提督が必要なのです!! これから、どうすればいいのか、私には何もわからないのです!! ですから、どうか…!」

 そしてそれを聞いた提督は、今までに一度も見せたことのなかったその微かな笑みを浮かべて、そしてゆっくりと言ってきた。


 『……嬉しい言葉だな、私をそうもまで言ってくれるとは。
 ―――だが艦長。君にはもう私は必要あるまい。まぎれもなく、君はナデシコの誇るべき艦長だ。
 …それに君は、一人ではない。君には、彼らがいるだろう?』

 ゆっくりと、ブリッジにいる私たちを見回してくる提督。
 最後に、私とアキトを交互に眺めて…提督は言葉を続けてくる。


 『私は万人に誇れるような軍人ではなかった。おそらく、いい大人ですらなかっただろう……最期の最期で、自分のささやかな我侭を貫き通すのだからな。
 …だがそれは、私にとってもっとも大切なものなのだ。
 自らの命を賭してでも果たさねばならない、私が私であるための全てなのだ!』
 「なんなんだよ、それは?!」
 声を張り上げるアキト。提督は一瞬だけ、アキトのほうを見やる。
 一瞬だけ、私のほうを見やる。

 『私にとってそれが何であるか、はっきりということはできない。……だが、君たちも必ずそれを持っているはずだ。
 ――――今はなくとも、きっとそれはいつか見つけ出すことができる!!』


 ……段段と、画面にノイズが混じってくる。
 それでもみんなは、画面の向こうの提督を見つめるしかなくて。

 『―――…君らに…れだけは…ておこう。…デシコは、君ら…けの船だ!…怒りも…なしみ…愛も…れは君らだけの…けがいのな…唯一の…のだ!
 言葉は何……も持た…い。…ぜ…ら、それは―――――』



 ……ザッ…!!


 「―――提督っ?!!」
 「戻せぇっ!!!!」
 身を乗り出して叫ぶユリカさん。たまらずミナトさんに大声でそう指示を出すゴート。胸の底から搾り出したような、彼のその悲痛な叫びがブリッジに響いていく。
 無残に―――響いていく…。

 「…クロッカス、及びチューリップの消滅を確認」
 そしてただ一人、あくまで冷静にそう報告をしてくるルリちゃん。

 ……ユリカさんが、俯きながらやっとの思いで口を開く。


 「――――相転移エンジンの出力は、ディストーション・フィールドの維持を最優先に。
 …この先、何が起こるかはわかりません。各員…対ショック準備を、忘れずに…」


 目の前のスクリーンには、悲しいくらいに虹色の空間だけが映し出されていた。









 12.

 「……クロッカスの傍にさ、バッタが小さな墓を作ってたんだ」


 ずっと黙って俯いていたアキトが、ふとそんなことを言った。

 ――――食堂には私とアキトのふたりしかいない。
 サレナさんはまだブリッジにいる。メグちゃんとリョーコさんもすぐそこまでは来たけれど、アキトのやるせなさそうな姿を見て食堂に入ってこようとはしなかった。
 そして私の目の前で、テーブルにうつぶせにしていた身体を起こしながらアキトは言葉を続けてくる。

 「ほんとに小さな墓だったよ。このくらいの、胸の高さくらいの小さな墓標さ。……それが、そのあたり一面に何十とあったんだ。
 ――全然わけわかんなくなってさ。クロッカスのクルーを殺したのも蜥蜴の奴らなのに、そのバッタは……
 …いいや、だからこそ。そのバッタは…まるで罪滅ぼしをしているみたいに、たった一匹でせっせと墓を作ってたんだ」

 「………」
 そんなことを、とても悲しそうに言うアキトに私は何も言えなかった。
 そしてアキトはその両の手をぎゅって握りしめて。
 「そいつは俺とリョーコちゃんを見て、何か言いたそうにしてたんだけど……結局そのまま行っちゃってさ。
 ―――アイツもそれを、クロッカスのブリッジから見ていたはずなのに! なのにアイツは一人で勝手に死んでいって!!」
 「アキト……!」


 「――――テンカワ」
 不意にホウメイさんが、テーブルの横にやってきた。
 まるで子供を諭すような声でアキトに呼びかけたホウメイさんは、懐から一通の手紙を取り出した。
 『天河 明人殿』と書かれた、その私には見覚えのある字体の手紙を。

 「…今朝、あの人から預かったんだよ。もう一通、サレナ宛てのもある。
 あの人は…お前たちに火星での事を知られる前から、この手紙を書いていたんだ。
 ――――――多分、最初からこうするつもりでいたんだよ、あの人は。最初から、あの人は火星で死ぬつもりだったんだよ……」


 ―――――バンッ!!!


 突然立ち上がって、そのテーブルに置かれた手紙を払いのけるアキト。
 そして悲しいくらいに怒った目で、ホウメイさんを…その先に見てるだろうフクベ提督を睨んでいる。

 「だから許してやれ? だから感謝しろ?!…冗談じゃない! こんな結末、俺は望んじゃいなかった!!
 ――――アイツは……あいつは生きるべきだったんだ! 例えそれが望まなかった過ちだったとしても、あいつは生きて償うべきだったんだ!! あいつは火星のみんなや、それに……!」


 「――――だから私たちは生きるんじゃないか!!」



 そのやりきれなくなったようなホウメイさんの叫びに、アキトの声が止まる。
 そしてその言葉は、私の中にもはっきりと重く響いてくる――――

 ……ゆっくりと椅子に座り込むアキト。
 そのまま視線を静かに下へと向けていく。
 私はそんなアキトを見つめながら、知らないうちに小さく呟いていた。




 「……ねぇ、アキト」

 「――――ん」





 「その、バッタさん。……その罪滅ぼしのバッタさんは、今頃無事でいるのかな――――――」








 (第2章へ)




 <1章を終えて>

 どうも、モデレです。
 何を気が狂ったのか書くことになったナデシコIF物 『メビウスの欠片』、とりあえずの導入編な第1章はいかがだったでしょうか。
 とりあえずここまでの流れはTV本編をほぼなぞりつつも…アキトと並ぶ主人公その2のサレナ・クロサキさんには色々事情がありそうだったり、数ある逆行SSや再構成SSの常としてヤマダはしぶとく生き残っていたりしていますが(苦笑)。

 というかこの1章Act1からAct6については、これから物語を広げていく上での様子見…と言う意味がたぶん強いです。ですから上記2点(というかサレナの存在と彼女の『記憶』について)以外は特に目立った点がないというのも事実だったり。
 でもその分アキトとユリカを中心(?)に、メグちゃんやジュン君、それにヤマダジロウ(何故かガイとは呼ばない私)などなどについて私なりにちょちょっ と書いてみたり、挙句は勝手設定ぶち上げたり(ヤマダの兄さん&告白ジュンとかですね…)しちゃってます。ここらへんはけっこう、気ぃ入れて(楽しん で?)書いてます。
 ただそのなかでルリちゃんがちょっと出遅れている感じですけれど…この話の彼女はスロースターターということで、どうかのんびりゆっくりと見守ってあげてください(笑)。

 というわけで、以上モデレの言い訳及び補足でした。
 次回のコメント(とか裏話とか)は、第2章終了後にて〜。

 
(2004年11月 第1章加筆・修正)