「…ちょっと艦長? 今なんて言ったの??」

 私が提案したその考えを聞いて、呆気に取られた様子を見せてくるエリナさん。その隣にいるアカツキさんはちょっとだけ驚いたような表情をすると、『ああ、成る程』っていう顔を見せて。
 そして私の隣でプロスさんが困ったような顔をしてくるなか、私はもう一度エリナさんに満面の笑顔を浮かべながらそのプランを提案する。
 「ですから、シャクヤクのYユニットをナデシコにつけるんですよ。あっちの本体は昨日の攻撃で潰れちゃいましたし……どうせならちゃんと使わないと、勿体無いじゃないですか」
 「あ、あのねぇ……『勿体無い』って、そんな……だいいちただでさえ貴方は、機密の漏洩なんてやらかしてくれたっていうのに」

 でもなんだか頭を抑えながら、エリナさんは反論しようとしてきて。―――う〜〜ん、けっこういい案だと思うだけどなぁ。
 と、そんなエリナさんの横でアカツキさんが、意地悪そうに微笑むと楽しそうな口調で言ってきて。

 「まぁいいじゃないかエリナ君。今更シャクヤクを作り直すのも大変だし……せっかくのYユニット、ここは一つ貸しと言うことでナデシコとユリカ君に有効利用してもらおうじゃない?」








 機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜


  第3章 『あまりにも冷たい真実と、逆らいきれない運命と』

  Act3




 1.

 …と、いうわけで。

 あれから三日がたった今日になっても、ナデシコと私達はYユニットの接合作業とその後の点検・補修なんかのために未だにネルガルの月ドックに留まってい たりする。まぁウリバタケさんの話によればそもそも四番艦のシャクヤクと一番艦のナデシコでは、外観は似ていても中身は結構違っていたらしく、Yユニット をナデシコの環境下で最大限に使用できるようにするためにはかなり苦労したらしい。
 そしてそれからもう一つ。
 この間に私にあった重大な出来事と言うのが、セイヤさんとユウキさんが前々から少しずつ取り組んでくれていた、私のエステの『サレナ・カスタム』への本格的な換装だった。


 「――――しかしまぁ、ホントにここまで作れたもんだよ」
 格納庫の片隅、0G戦フレームを元に幾つかの追加装甲を取り付けられたサレナ・カスタムを見上げてそう感慨深げに言ってくるユウキさん。
 いつもの整備班のつなぎを着て、小さな笑顔を見せながら言ってくる彼の隣に立つ私は、そのまだ出来かけの黒い機体を見ながら…『記憶』の中のあの機体と はまだまだかけ離れたフォルムながらも、私にとってはある意味哀しみを髣髴させるようなその機体を見上げながら、でも今はちょっとだけ嬉しくなりながら言 葉を返した。
 「ウリバタケさんや、ユウキさんや、それに整備班の皆には…ホント『ありがとう』じゃ言い切れないくらいに感謝してるよ。私のデタラメな注文に応えてここまで作ってもらえたんだから」
 「…しかしまぁ、まだまだ課題はあるんだよな」
 と、ここでそうため息を小さくつきながら、ユウキさんは手元の設計データを覗き込む。
 「これは他のエステにも言えることだけど…今のままの武装じゃ例の『ゲキガン・タイプ』に対して火力がちょっと乏しいし、かといって月面フレームみたいにレールガンを装備するには、出力がなぁ」
 それからそう言って眉根を寄せたユウキさんを見て、私も小さくため息をついて。
 「月面フレーム、数が限られてるもんね。でもまぁ、いざとなったらディストーション・フィールドもあるんだし、体当たりすればいいじゃない」
 「…お前な」

 そしてふと私がサレナ・カスタムのコクピットのほうへと目をやると、そこからはちょうどシステムの調整をしていたリュウザキさんが出てきたところだった。
 「リュウザキー! 調整のほうは完了したのか?!」
 リフトでゆっくりと降りてくるリュウザキさんに、ユウキさんがそう大声で呼びかける。腰まで届く、ややウェーブのかかった長い黒髪を後ろで一つに束ね、少し大きめの作業着に身を包んだ彼女は仰々しく肯きながら地面に到着し、小走りにこちらへとやってくる。
 イズミほどではないとは言え170を幾らか超える長身の彼女は、その勝気な猫のような、愛くるしいのか勇ましいのか良くわからない表情ととにかく細いマ ネキンみたいな体つきもあって整備班の中では良く目立つ。なにせ私の隣に立つユウキさんとほぼ同じ背の高さだし……って私も一応170あるんだけれどね。
 一方で私の隣に立つユウキさんは、整備班としてはやや細身の体型に人好きのする優しい顔つき、というか大人しくしていれば意外と美形気味な顔をしてて。
 そしてそんな二人は整備班ではある意味で有名なドツキ合いコンビらしく、なんでも最近では1日に10回は過激なコントがただで見れるとか何とか。

 …で、何故かその彼女は私とユウキさんの間に、さりげなく強引に入り込んできて。

 「あれ? 班長何処行ったんだよ、いないじゃんか」
 ユウキさんの手元のデータを覗き込みながらそうぶっきらぼうに訊いてくるリュウザキさん。そんな彼女にユウキさんは特に気にした様子もなく言葉を返す。
 「Yユニット組のほうに顔出しにいったんだろ、多分。それよりもリュウザキ、ここのデバイスのことなんだが―――」

 そうして専門的な話を始めた二人から視線を外し、私は格納庫に鎮座するそのサレナ・カスタムと、他の機体に目をやった。
 私の機体の他に手を加えてあるのは、現在のところ最初からそういう仕様だったらしいアカツキのカスタム機だけ。後の皆は、現状での大幅なカスタムは本人の希望次第となっている。
 だからヤマダはなにやらカスタム化を希望しているらしいが、他のパイロット――――リョーコやイズミにヒカル、それにアキトの機体は代わり映えのしないまま。

 ……シーリーの機体は、もう置いていない。この三日間の間に艦の外に出されてしまった。
 そのことについて私は、何も言うことが出来ないと思う。『もしかしたら』の可能性があっても…ナデシコの皆にとってはシーリーは行方不明か、若しくは既に亡き人だったから。
 だから何も言えない。その曖昧な可能性を…願いを、口にできるなんて私には思えなかった。



 ――――そして何よりも今の私には、だんだんと強くなっていく不安と迷いとがあった。

 私の心の奥底で、ゆっくりと再生されていく『アキト』の記憶。その記憶はまた無意識のうちに…私自身にも影響を与えてきているのがはっきりとわかっている。だからこそあの時私は月臣を追いかけ、そしてあの男を――――『北辰』を暗い闇の中から燻りだそうとした。

 でも……それはいったい『誰』の意思だったのだろう?
 私はそれを、自分の意志でやっているのだと思っていた。そう思いたかった。
 でも――実際にそのすべての私の行動を決定付けているもの、それが本当は……私ではなく、私の中に存在しているのかもしれない、『テンカワ・アキト』という黒い意思なんじゃないかと考えてしまう。
 そしてそのことが私自身に……私という人間が私ではなくなるような気にさせてしまって、だから胸の奥には小さな恐怖と絶望とが消そうとしても消しきれずに燻っていて。
 私はそれをたった一人で抱えていくことが出来るかどうかはわからなくて。

 ……だから、この私の中にある秘密を、誰かに打ち明けることが出来たほうがいいのかもしれない。
 真っ暗な夜の海に一人突き落とされた私に、この薄暗い今の中で――――現実か虚構かもわからないあの『夢』と『記憶』を思い出し続ける私に、どんなものでもいいから、その一筋の月明かりに匹敵する何かを与えてくれる誰かに……そういう誰かに――――――



 …そう一人煩悶する私の脳裏に、やはりと言っていいのかあの人の姿が、その温かい微笑みが思い浮かぶ。
 だからこそその姿を必死になって私は打ち消して。


 (…あの人じゃ、ユリカさんじゃ駄目なんだ。それじゃあ私がやろうとしている事の意味がない。アキトにも、ユリカさんにもきっとこの事はきっと話してはいけないんだ。
 ―――…でも、だったら誰に――――――)








 2.

 「……そう。そんなことがあったの」
 しんと静まり返った診察室の中で私と二人きり。私のその暗い身の上話を聞いてくれたドクターは、僅かに目を伏せるとそうとだけ優しく言ってきてくれた。
 …その暗くてつまらない身の上話。
 私の過去に2度にわたって起きた、悲しい別離をふと漏らしてしまった私。
 そしてその話を親身になって聞いてくれたドクター。

 (――――この船に乗っている人達は、私も含めて過去に囚われている人達が多すぎるのよ…)


 …不意に、私に向かって微笑みかけてきてくれていたかつてのあの人を――優しい声で『イズミ』と読んでくれたあの人の事をまた思い出しながら、私はそんな事を思う。
 その次に必ず心に浮かんでくるのは、薄暗く真っ白な部屋の中で…どんな言葉すらも話すことの出来なくなったあの人の、あの人達の冷たい身体に抱きついて号泣している私の姿。
 呪われているのだとしか思えない、そんな私の黒い姿―――――


 「……ドクターは、強いんですね」

 そして私の口からは、そんな小さな呟きが漏れていた。……でも、それは何故?


 …だってこの人も、自分の過去に囚われた人だから。
 なくしてしまったという過去の記憶に囚われている人だから。

 ――――そう、サレナが何かに対してがむしゃらなまでに挑もうとしているみたいに、この人も臆することなくその過去へと立ち向かっていっているように私には見える。
 そしてそんなドクターの姿が、サレナの姿が、もう絶望と諦めに囚われてしまったこの私には眩しいのかもしれないから。

 だから……




 「私は――――私は探し物を見つけ出すのに、精一杯なだけだから」


 …そんなドクターの自嘲気味な呟きも、私にはひたすらに眩しく突き刺さっていって。








 3.

 『――――こちらからの通達は、以上だ』
 最後にそうとだけ言って、司令部との通信は切れた。
 そして照明の落とされた提督室の中で私は一人、真っ白になってしまった頭のまま…無意識のうちに傍らのその写真へと視線をやっていた。


 ……提督の任を、解かれる。
 通信の内容は非常に遠まわしなものだったけれど、それが先日の機密漏洩の責任を私に取らせようとするものであった事だけは確かで。そしてそれは私にとって、そのまま私の将来の破滅を意味していると言ってもいい――――事実上の最後通告のようなものだったのよ。

 ふと…思い返してみれば、あの日が転落の始まりだったのかもしれない。第1次火星会戦の際にフクベ提督の下で戦い、その無残な敗退の結果から私はフクベ提督についてこのナデシコに乗せられることになったわ。
 そしてナデシコ拿捕の失敗、火星でのフクベ提督の死。
 いわゆるエリートコースから…私が本来望んでいたその道から外されていったこの私に次に与えられたのが、フクベ提督を継いでのこのナデシコの監視・統括だったというのに……

 「……なんで――――こんなに私は無力なの…?」
 その呟きは、気がつかないうちに私の口から漏れ出ていたわ。
 この任務は…すでに崖っ淵に立たされていた私にとってのこのナデシコでの任務は、どんなミスも許されないものだったっていうのに…だからこそ今までにないくらいに厳しくクルーにあたってきたっていうのに。
 なのによりにもよって、スチャラカなナデシコ・クルーのせいで私が降格させられるなんて。
 …パパの名前にまた傷をつけてしまうなんて、そんな…そんなのは――――


 (――――ええ…理不尽よ、こんな――――所詮私はこんなものだってわかっていても……それでもこんなのって――――)






 4.

 ――格納庫の片隅にある、その全体が見渡せる2階のデッキから…俺とリョーコちゃんはその向こうできびきびと作業を進めていく、整備班の皆の姿をぼおっと見ていた。
 二人並んで、手すりにもたれかかりながらただそうやって。
 ちらりと横を見てみれば、リョーコちゃんは気だるげな顔をしてその視線の先にある赤いエステを見下ろしている。そして誰かを探しにでも来たのか、その向こうから呆れたような苦笑を浮かべてやってくるアカツキ。
 「…なんだ、君達まだ悩んでるのかい?」
 「るせえな。……いいじゃねぇかよ、俺らはお前と違ってあんな事実知らなかったんだから」
 少し離れたその場所からそう言ってきたアカツキに、振り向きもせずにリョーコちゃんはそう言い捨てる。アカツキは手にしたドリンクを一飲みすると、続いて俺のほうへと視線をやってきた。
 「で、テンカワ君のほうはどうなのかな。そのアンニュイな表情からするに、まだ吹っ切れてないみたいだけど」
 少しだけムッとした気分になって、その問いには答えずに訊きかえす俺。
 「じゃあアカツキ、お前は……お前は本当の事を聞いたとき、どうだったんだよ?」
 そしてアカツキは可笑しそうに笑う。
 「――僕かい? 別にどうもしないさ。エリナ君程とはいかなくても、やはり僕もネルガルの中にいる人間だからねぇ。だいいちそういう人間の一面なんて、そこらじゅうに転がっているじゃないか。だから『ああ、そうなのか』でお終いだったよ、僕の場合は」
 「……本当に、それで納得できるのかよ?」

 と、ふとその顔を上げたリョーコちゃんがアカツキのほうを振り返りもせずに、そうポツリと言ってきた。

 俺は体を起こし、アカツキのほうに向き直る。ふと少しだけ真剣な…そしてほんの少しだけ困ったような顔をしてきたアカツキは、それでも次の瞬間にはいつもの軽薄そうな表情に戻って口を開いて。
 「納得できるか出来ないかなんて、そんなものは一時の問題にしかすぎないと僕は思うけどね。そんなことで悩んでいたって木星人達が侵略を止めてくれるわけでもないし…現に僕達がやっているのはただの戦争なんだ、その迷いが命取りになる。
 だから……君達もそんな感傷は胸の奥にでもしまっておいたほうがいいと思うよ? これは正義だとか大義だとか、そういう曖昧なもののための戦いじゃないんだからさ」

 …そう言い残して去っていくアカツキ。
 手すりに背中を預け、俺は格納庫の高い天井を見上げてみる。そしてなんとなしに思うことがある。


 ――――俺たちパイロットの中で今もこうして悩んでいるのは、もう俺とリョーコちゃんだけかもしれない。

 …そう、そうなんだよな。
 ヒカルちゃんやイズミさんは、もう立ち直ったようだった。イズミさんはまだ少しいつもより暗いけれど…ヒカルちゃんだけはその理由をなんとなしに知ってるみたいだけど、あの二人は表面的にはいつもとかわらないように見える。
 いっぽうでガイは、前までにましていっそう頑張ろうとしている。そのショックだった事実に身体ごと立ち向かおうと、トレーニングにずっと明け暮れている。そうして諦めずに、挫けずにひたむきに、現実に立ち向かう姿はやっぱりガイらしいやって思う。

 それからアカツキに関しては、エリナさんと何かの繋がりがあるらしいあいつについては問題外というか―――元々知っていた側の人間で、そして最後に、サレナさんは――――


 「……サレナもさ、アカツキと同じような事言ってたよな」
 「――――」
 ふとそう呟くリョーコちゃん。俺はそんなリョーコちゃんの言葉に、何も言い返すことが出来ない。
 「あいつ……カワサキ・シティでお前と一緒に跳んでから、どこかおかしいぜ?
 どこか冷めてるみたいで、時々何かに追い立てられてるみたいな雰囲気をたまに見せてきて――――でも俺達とはなんか違う。どこかがちげぇんだよ」
 リョーコちゃんは俺のほうに一度顔を向けて、そしてまたデッキの下に視線を戻す。俺は躊躇いながら口を開く。
 「…うん、俺もそうは思うけれど…でもサレナさんだって何かに悩んでるんだよ、きっと。俺、あんなサレナさんは初めて見たもの。
 だから俺も――――」

 と、そんな時に。
 「……アキト、ちょっといい?」
 「ユリカ??」

 いつの間に現れたのか、なんだか困ったような顔をしたユリカが俺にそう声をかけてきた。
 そして何故か、リョーコちゃんが呆れたように手を振るなか俺は有無をも言わされず…そのユリカに引っ張られてどこかへと連れて行かれて。




 「…で、なんなんだよ? いったい」
 ユリカは俺の右手をとりながらナデシコの通路をずんずんと進んでいく。そのユリカに正直困りながらそう訊ねる俺。
 チラリとこっちを振り向きながら言ってくるユリカ。
 「んーと、整備班の予算のことで問題が発生してね。ウリバタケさんに尋問しなくちゃいけないんだけど、なんかちょっと不安だったから」
 「でもなんで俺なんだよ? そういう事ならジュンだっているだろ??」
 「だってジュン君、今忙しくて手が離せないんだもん…。それにアキト、ウリバタケさんとは仲がいいでしょ?」
 「……まーそう言われればそうだけど」

 とまぁそんなこんなな会話を続けながら、結局は断ることも出来ずにこいつに連れられて歩いている。
 メグミちゃんと俺が付き合い始めた頃から事あるごとにギクシャクとしがちだった俺とユリカだったけれど…俺が月に跳んでから、何故かユリカの俺に対する 態度が以前の頃に戻ったような気がするんだよな。ことによっては前よりも積極的に俺にかまってきているような気までするし。

 …で、そんなこいつの心の変化みたいのには、正直戸惑うしかなくて。
 それでも俺自身の心の奥にあった気持ちに気がついてしまった今は、それがなんだか少しだけ、嬉しいような気がしてきてしまって……


 (――――って、何考えてるんだよ俺。メグミちゃんとのことだってまだちゃんとケジメつけてないのに……)



 そして格納庫の片隅にある部屋で、一人何かの設計書に目を通しているセイヤさんのところへと俺達二人は辿り着く。セイヤさんはその設計書かなにかを睨みながら難しい声を上げている。
 「……ウリバタケさん、お話があるんですけれど」
 「げ?! 艦長??」
 で、そのユリカの声を聞くなり、何故かいきなしそんな声を上げてくるセイヤさん。その上慌てるようにその紙を―――何故かわざわざ紙に書いてあるそれを机の上に伏せる。なにかがひじょーに怪しい。
 「…『げ』ってなんですか? 『げ』って」
 こっそりと俺に目配せをしながら、セイヤさんの前に立ちはだかるようにユリカが位置をとった。その意味目配せの意味を図らずとも理解してしまい、小さくため息をつく俺。
 そしてそんな俺とユリカのやりとりには気がつかないセイヤさん。
 「い…いや、ちょっと考え事をしてた時にいきなり現れたもんだからよ。なは、なははははは…」
 「まぁそれはともかく。先日提出された整備班の会計報告書のことなんですけれどね―――」

 …瞬時に、セイヤさんの腰が椅子から浮く。

 「あ! そういや俺、サレナの機体の整備があったんだよなぁ。というわけで艦長…」
 「――――駄目です。その前にお話を」
 それをあっさりと遮るユリカ。冷や汗をたらすセイヤさん。
 「…逃がして、くれない?」
 「逃がしてあげません」
 そして俺がさり気な〜く、そのテーブルのほうへと移動していって。

 「…………? なんだコレ。エステの設計図??」
 「??」
 「って、あーーーーーーーーー!!! おいテンカワ、なに勝手に見てるんだよ?!」
 「ほいユリカ」
 「ごくろーさま♪」
 「んがっ??!」
 セイヤさんが身を引き裂かれるような絶叫を上げる中、ちょっとだけ罪悪感を感じながらその紙の束をユリカに渡す。
 いっぽう椅子の上ではセイヤさんが、壁のほうを向いて縮こまりながら、やたらといじけたような年不相応な顔を見せてくる。そんな中その設計図に目を通していくユリカ。
 「んーー…と―――」
 「……なんだよ、せっかく俺らが秘密で開発してたってのによ。キメ台詞吐きたかったってのによ。男の浪漫だったってのによ……なのに、それなのによぉ〜〜〜〜!!」

 …そしてしまいにはそんなことを言って天井に向かって絶叫したセイヤさんをよそに、ユリカは満面の笑顔を見せながら言ってきた。


 「……じゃあウリバタケさん。今開発中の『コレ』、実物をちゃんと見せてくださいね? そうすれば予算のちょろまかしのことは大目に見てあげますから」






 5.

 ―――で。
 ただ一人なにがなんだかさっぱりな俺もその二人についていって、薄暗い格納庫の片隅にある『開かずの間』―――パイロットの誰もがその中を見たことのなかった、13番目のエステの格納スペースの中に足を踏み入れて。

 「……うわ?! これ、新型っすか?!!」
 その秘密の格納スペースの中に鎮座していた、見たこともない形のエステバリス。その背中から2対の長いブレードみたいなものを、前方に向かって生やしているその機体を見た俺は思わずセイヤさんにそう問いかける。
 そして俺の質問に、どこか吹っ切れたような遠い視線の混じった笑みを浮かべるセイヤさん。
 「フッ、そういうことさ。…俺達ナデシコのクルーが木星との戦いを始めてからもう随分経って、あちらさんの機動兵器もどんどんパワー・アップしてきてやがる。正直現行のエステのままではこの先が不安にもなってくるってもんだ。
 ――――そこでだ!!! こんなこともあろうかと…そう! こんなこともあろうかと…!! この俺を中心に整備班の有志によって極秘のうちに開発されていたのがこのグラビティ・ブラスト搭載型0G戦フレーム、通称『X-エステバリス』!!!」
 「X-エステバリス…?!」
 「んー……」
 次第になにやらノってきた調子のセイヤさんに合いの手を入れる俺。黙って目の前の機体を見上げているユリカ。
 そしてさらにヒートアップしたセイヤさんが言葉を続ける。機体に向かって両手をかざしながら。
 「そのとおりだテンカワ!! さらに略せば『エクス=バリス』!!! つまりこの機体は俺の開発した新型ジェネレータを搭載することによって重力波の変換効率を従来の5倍にアップ!
 そしてその有り余るエネルギーを利用することによって小型のグラビティ・ブラスト―――『X-キャノン』の搭載を可能とした、0G戦フレームの機動性と月面フレームのパワーを兼ね備えた夢の超兵器ってわけよ!!!」

 ……と、
 「――――でも、なんでそんな機動兵器を私達やプロスさんに黙ってこそこそと作ってたんですか?」


 そのユリカの素朴な質問にセイヤさんはピタリと動きを止めると…突然額に青スジを浮かべながらこっちを―――俺とユリカのほうを向いてきて。

 「…お・と・こ・の浪漫なんだよ!! 圧倒的な力を持った敵の機動兵器! 立ち向かうも歯が立たないパイロット達!!! そしてその時、この俺様が声高らかに叫ぶわけだっ!!!
 『こんなこともあろうかと! この俺が秘密裏に開発していたこのエクス=バリスを、今こそ使うが良いっ!』てなぁ…!!
 ――そぉれを艦長ぉお……アンタって人はああああっ!!」
 「ひゃあっ?!」
 そしてその怨念たっぷりにしか見えないセイヤさんの表情に、たまらず俺の背後に隠れるユリカ。
 ちょっとだけヒキつつもなんだか呆れて声が出ない俺。
 「……ねぇアキト、私ちょっと怖い」
 「しょうがないよ、セイヤさんの悪い癖だから。――――でもセイヤさん、流石に大人気ないですよ…?」
 そしてセイヤさんはしまいに開き直る。
 「…ったく、わぁってるよそんくらい、半分は冗談だからな。
 でもせっかく完成してからお披露目してビックリさせようと思って黙ってたんだ、思わず絶叫したっていいじゃねぇか。こりゃあ俺達技術者のささやかな夢なんだぜ?」
 「「はぁ…………」」

 …つまり、その後のセイヤさんの説明を聞くに―――セイヤさんを中心とした整備班の有志が前々から計画していて、整備費用とか弾薬の値段なんかをちょっ とずつごまかしたりしてためていった資金と資材をフル動員して作られた……プロスさんに大目玉くらいそうな曰くつきの機体が目の前のコレっていうことらし い。

 (―――なんだか、ある意味呪われそうな機体だよなぁ。プロスさんとかエリナさんあたりに)

 と、間違ってもセイヤさんの前では口に出来ないそんなことを思いながら、改めてその独特なフォルムの機体を俺は見上げる。
 設計書に目を通していたユリカがセイヤさんに次々と経済的な質問をしていく中、目の前に鎮座するエクス=バリスは、その突き出たブレードから鈍い輝きを格納庫に向けて放っていた。












 6.紅い兄妹 〜古い写真〜

 久しぶりに訪れた、母の実家。
 そのシンクレア家の薄暗く何処までも続いていくような廊下を、私とグリモーはゆっくりと進んでいく。

 …クリムゾン家に勝るとも劣らない広大な敷地。その一角に立つ、豪州で10本の指に入るだろう名門中の名門でもあるこの家の主は、その血の繋がった孫をこのような薄暗い廊下の先にある書斎じみた一室に事実上押し込めていた。
 そう。まるでフランスの片田舎あたりの聖堂の中を思わせるような、荘厳で、そして重厚で、威圧感のある…しかしともすれば牢獄を思い浮かばせるようなこの離れの先に。

 「……しかしいつ来てもここは素晴らしい空気ですな。私の愛すべき退廃と絶望が厚い壁の内側からにじみ出ていて、昔のように天井裏から奇声を上げながらせせこましい灰色の彼等が飛び出てきそうですよ」
 ふと高い天井を見上げながら、オレンジ色の暗い照明によって映しだされた表情のない顔で言ってくるグリモー。
 彼のその色素の抜けたような、まるで銀のような輝きを見せる前髪が揺れる。
 …彼は私の血縁上の兄を――――リロィ兄さんを嫌っているような節をよく見せるけれど、ここの雰囲気だけは何故か好きらしい。彼が育ったという火星の教 会の天井裏を思い起こさせるのか、ここではその表情とは裏腹にいつもとは違う感情的な口調になって、昔のことをポツリポツリと話してくれることがある。
 そして話を続ける彼。
 「そうそう。当時はまだ、ネズミに対する嫌悪感もそれほど持ち合わせてはおりませんでしたからな。むしろ一欠片のパンを巡ってやんごとなき死闘を演じるほどの戦友でしたし……本当にここはあの頃の、私と妹が二人いた頃のあのコロニーの雰囲気を再現してくれている。
 いえ、勿論今彼らと出会いでもしたら問答無用でくびり殺して差し上げますがね。特に火星のネズミは本当に始末が悪いですから」

 ―――『妹』。それはグリモーの前ではある意味禁句で。その上ネズミが絡むとさらに始末が終えなくなってしまう。
 彼がお父様に拾われた経緯を私は詳しくは知らないけれど、過去にあっただろうその話をグリモーは一度もしてくれたことはなかったけれど……いえ、それは話してくれないからこそ彼を狂気の泉に浸しているその大元なんだろうから。


 …兄さんに言わせてみれば、いえ、それを聞かなくても自ずとわかることだったけれど…彼はとうの昔に人間としては壊れていた。なんとも言い難い不自然な陽気さと残忍性を秘めた狂気に包まれていた。
 彼が時たまに見せる、人を馬鹿にしたような不可思議な言動は全てその彼にとっては気に食わない人物に向けられた破滅と軽蔑の言葉であったし、また普段の奇妙な行動も内に秘める歪んだ心を隠すための薄いヴェールにしかすぎない。
 彼が義妹のエスメラルダや年下の主である私に異常なまでの保護欲と執着心のようなものを見せるのも…その暗い狂気の根源からなるものらしいから。
 だからこういうときのグリモーには、例え私や当のエスメラルダでも、何も言わないほうがいいというのが暗黙の了解でもあった。


 そうして一人話し続けるグリモーと、沈黙したままの私はその廊下の果てにある重い扉の前に立つ。
 私の前にスッと立ち、その扉を開いていくグリモー。開け放たれたその先にある広い部屋には主である兄の姿はなく、いつ見ても息を飲むような膨大な量の書物が棚という棚に鎮座しているだけ。
 「…ちょっと、早かったみたいね。まだ車の中かしら?」
 その静謐な空間に足を踏み入れながら、私は一人呟いた。
 なんとなしに足は壁際にある机へと向かう。グリモーが静かに扉を閉めるその静寂の音が聞こえてくる。
 いっぽう机の上に置いてあったのは、読みかけらしい幾つかの本と幾つかの論文。兄さんがここのところ興味を持っている、火星の先史文明が残したと思われる遺跡に関するもの。

 「――――?」

 と、その机の片隅に、見慣れない一枚の写真が無造作に置かれていることに気がついて。


 「……どうかされましたか? お嬢様」
 グリモーがそう声をかけてくる。その写真に写っているのは、火星にいる頃の兄さんとそしてもう一人。どこかで会ったような気がする、黒髪の女性。
 …首下まで伸びた後ろ髪、切れ長の目とスッと通った鼻、東洋系の印象を持ちつつもどこかラテン系を思わせる顔つき。素っ気なさそうな顔でいて、どこか照れた微笑も浮かべながら兄さんの隣に立って写っている彼女。
 そして写真の裏を見てみると、文面からするに別の女性のものらしい筆跡で走り書きがあった。

 『写真の一枚くらい撮っとけよ! ヒロィとサレナに――――ミキより』

 「…………」
 瞬間私はこの空間に、沈黙の内に秘めた一つの意思を解き放つ。ほんの一瞬だけの、激しく燻るその胸の感情。
 ヒロィ―――『ヒロィ・バートン』というのは、確か兄さんが向こうで使っていたという偽名。でも……
 …サレナ。その名前はどこかで聞いたことのある気がする。何かが心に引っかかっている。
 そして私が手にしたその写真を見たグリモーが、不意にポツリと呟いて。

 「―――おや? この女性はいつぞやテニシアン島に来た、ナデシコのクルーではないですか?」

 そして無造作に、重い音をたてながら。再びこの部屋の扉が開かれていく。






 7.

 「……やぁ。お疲れ様、サレナ君」
 「アカツキ…?」

 いつもと同じパイロット達の訓練の時間。皆それぞれが割り切ったり割り切れなかったりする気持ちを抱えて過ぎていった時間。
 その後も一人残って続けていた例の『個人的な訓練』を終え、やはり散々だった戦果と身体に残る疲労とを引き摺りながらシミュレータ・ボックスを降りた私に、アカツキはそう腕組みをしながら言ってきた。

 彼のその、演技なのかそれとも地なのかイマイチわからない軽薄そうな態度を見ながら私は内心警戒感を強める。
 実のところはネルガルの人間――――しかもよりにもよってなポストにいるのかもしれない彼は、『記憶』の中のアキトにとっては癖のある協力者であっても、今の私にとっては正直厄介な人物なんだから。
 「ホントに毎日毎日ご苦労さんだよねぇ。そうやってひたむきにパイロットとしての仕事に取り組んでくれているのは、今のところ君くらいなようだし。頭が上がらないよ」
 そしてそんな私の様子を見てか見ないでか、ふらりと自販機の前に足を運んで楽しそうな笑みを浮かべてくる彼。
 言葉の端々に見え隠れしている、何かを探るような雰囲気。
 「何か飲むかい? せっかくだから奢るよ」
 「……遠まわしな詮索はいらない。聞きたい事をはっきり聞いたらどう?」
 だから私はちょっとだけ意地悪くそう言ってみた。そしてアカツキの顔が静かに歪む。

 「…ふぅむ、やはり君はなかなかに賢い人のようだね。この船のクルーには珍しいタイプの人かな」
 今までとは僅かに違う、まるで声の温度が下がったようなその響き。
 「貴方たちネルガルの人間が油断ならないって事を知っているだけよ。もっともアキトはうまく懐柔させられたみたいだけど」
 私もそれに呼応するように、横目ではっきりと彼の姿を捉えながら応える。彼は壁に片腕をついたまま、すっと目を細めると凍るような声で一言訊いてきた。
 「―――サレナ君、君はあの時なんでテンカワ君と一緒に『跳んだ』…いや、『跳べた』んだい??」
 「貴方たちならもう知ってるんでしょ? 私とアキトは火星からボソン・ジャンプでこの地球へとやってきたらしい。その確信が私にはあったから跳んだだけよ」
 そして私の答えに首を横に振るアカツキ。
 「それでは完全な答えにはなっていないよ、正直君がそんな曖昧な確信で動こうとするとは思えない。
 だとしたら君は――――あの時自分はジャンプに成功するという別の確信があったからこそ、あそこまで無茶をしようとしたんじゃないかい?」
 「…………何が、言いたいわけ?」
 私とアカツキの間に一瞬の重い沈黙が下りる。気がつけばアカツキの顔はすでにまったく笑っていなかった。
 ふと彼は一瞬目を伏せると、どこかあらぬ方向へと視線をやりながら思い出すように言葉を紡ぎだす。

 「―――サレナ・クロサキ。ユートピア・コロニー出身、ユートピア大学総合学科2年生。
 2196年の初秋、蜥蜴戦争の勃発と同時に同コロニーで知り合ったテンカワ・アキトとともに原因不明の方法で地球へと渡来。そしておよそ3ヵ月後、ネルガルのスカウトがテンカワ・アキトに接触した際に何故か、彼との同行を希望する。
 当初の配属先は生活班。まぁ君がこのナデシコに乗ることを認められたこと自体奇跡みたいなもの―――プロス君のちょっとした好奇心の結果だったのだけれ ど、君は彼の思惑を大きく裏切ってくれた。テンカワ夫妻の一人息子であり、場合によれば人類初の生体ボソン・ジャンプ実行者だったかもしれないテンカワ君 の『おまけ』みたいなものだった君は、ナデシコのサセボでの初戦で予想もしなかった戦果を上げてくれたわけだ」
 「…………」
 沈黙する私。かまわず言葉を続ける彼。
 「そして君はエステバリスのパイロットの一人となる。経歴が不透明ながら、何故か一級の腕を持つパイロットにね。…そのままただの一級パイロットで終われば問題はなかったのだけれど――――先日のカワサキ・シティの市街戦で君はまったくもって不可解な行動に出てくれた。
 ―――いくらなんでもあの場でアレを追っかけるかい? 直前にフォン君がどうしようもないくらいに失敗例の見本を見せてくれていたと言うのにさ。
 でもテンカワ君との会話から察するに君は、確証はないまでもかなりの確信をもってジャンプに望もうとしていたように思える。僕達ネルガルは君に対して、ボソン・ジャンプの説明を殆ど行っていなかったのにだよ??」

 と、ここで彼は一息ついて。
 そのアカツキの顔を見ながら、彼の話を何処となく聞きながら…私はまた頭の中で、まったく別のことを考えていた。



 …目の前にいるこの男、アカツキも、私の『記憶』、『アキトの記憶』の中にもまた出てくる人物だった。あまつさえはエリナまでもいる。
 そしてそれだけでなく、このナデシコという船に乗ってから私が出会ってきた人達のことごとくが、私の心に眠る『記憶』にもまたその姿を現していたんだ。

 『アキト』、『ユリカ』、『ルリ』……『アカツキ』に『エリナ』、『イネス』――――『月臣』、そして『北辰』。

 思い起こしてみれば、『リョーコ』までいた。『高杉』と一緒に。
 そしてその幻想のような世界の中では、地球と木連とが一つの長い戦争の歴史から新しい道へと進もうとしていて。その過程の中で『アキト』と『ユリカ』、そして『ルリ』は一つの悲劇に出会い、そこから時間をかけて立ち直っていった。
 …その先に築かれていったのは……『アキト』の、『アキト』達の、小さくて幸せな一つの家庭。
 昔のようには戻れなくても、それでも新しい家族を迎えて皆それぞれが強く生きようとしていた『私』達の、尊い絆。

 そして――――その先で『アキト』をずっと待っていた、身を引き裂かれるような真実。赤い大地の記憶。

 新しいナデシコのクルー達に冷たい微笑を見せてくるあの男……彼に、ヒロィに似すぎるまでに似ているその男と―――絶望と復讐心に彩られた黒いステルンクーゲルのパイロット。そのもう一人の『私』、もう一人の『アキト』。
 その火星上空に展開された一つの戦場の中で、『アキト』と、『月臣』と、そしてもう一人の『私』と――――


 …その赤い記憶はまだ霧の向こうにあった。
 おぼろげでいて、不透明で、それでもはっきりと『彼女』の悲しみと憎しみとが伝わってきた。そしてそれはいっぽうで『アキト』の慟哭でもあり、またそれは黒い鎧を身に纏っていた頃の『アキト』の心と結びついていって、私の心を徐々に黒く焦がしていっていた。
 だからそれが、私の心が生み出した壮大すぎるまでの空想にすぎないのだったらどんなに報われるんだろうと思ってしまう。私の心にいつのまにか住み着いていたその絶望によって創られた、ありもしない嘘だったとしたらと思いたくなる。

 ―――でも、今の私はそれがどんなに願ってもありえないのだと、何故かわかってしまっているんだ。
 私が遠い昔から夢見続けてきた、その『記憶』……そのともすれば呪いのような意思と記憶は決して絵空事などではなく、また私の心が作り出した性質の悪い虚構などでもない。
 だってそれはこの世界に決められている、厳然とした事実。

 そう。私にはもうわかってしまったんだ。
 それが……今ここにいる私達の進むべき、どんなに忌避しても進まざるを得ない未来―――つまり一つの運命なのだと。
 だから私の中に存在するその『記憶』は、この私に一つの強い意思をぶつけてくる。ずっと心の奥で囁き続けている。――――『この運命を変えてくれ、この俺が望まなかった、絶望的な運命を』と。その呪いのような強い意思で。

 ……つまりは、そういうことだったんだから。






 目の前では再びアカツキが話し始める。

 「…ここから先は推論になるけれど、それでも一つだけほぼ確かに言えるのは、君がボソン・ジャンプについて何かの知識を持っているということじゃないかな?」

 彼のその問いかけは肯定だ。『記憶』にはボソン・ジャンプに対する『アキト』の知識の全てがある。
 ……そしてまた、私の中ではっきりとしてきた、その理由。私がここにいる理由。
 ずっと昔から続いていたその強迫的な意思があったからこそ私は、このナデシコにいるのだろう。あの時にアキトを追いかけて、そしてここまで辿り着いたんだろう。…でも、それは全部『アキトの記憶』に引き摺られた結果だったんだとは私は思いたくなかった。
 例えそのきっかけがそうだったとしても、心の片隅に小さな恐怖感があったとしても、全てがそのためなんだとは思えなかった。

 「そしてその事実にはテンカワ君が関わっている。違うかい? 彼自身は見てのとおり平凡な青年ではあったけれど……多分君も知らないわけはないだろう、彼の両親はボソン・ジャンプについての研究を行っているネルガルの研究者だった。
 だからプロス君から彼が生体ボソン・ジャンプを成功させたらしいという報告を受けた時、ネルガルは確信したんだよ。彼は両親からボソン・ジャンプに関する『何か』を残されていたんじゃないかとね」

 なぜなら私はアキトに―――ユリカさんに、出会ってしまったのだから。
 彼らに出会い、そしてその優しく、純粋でいて強さを秘めた心に触れてしまったのだから。……あの二人に、まるで太陽のような暖かさと明るさと、そして強い輝きを放つ何かを持ったあの二人に惹かれてしまったんだから。
 だから私はあの人達が望む……『アキト』が望んでいたのかもしれない世界のために足掻こうと決めたんだ。

 「…君がボソン・ジャンプについてどれほどの知識を得ているのか、僕達ネルガルやドクターを凌駕するほどの知識までもを持ち合わせているのかどうかは僕にはわからない。けれどもし君にその気があるのなら……ネルガルは君に協力を申し出たいと考えている。
 君の知識を僕達に与えてくれ。君の目的を僕達に教えてくれ。そのかわりネルガルは、君のために、君の目的のために出来る限りのことをしよう。どうだい? 悪い話ではないだろう??」

 だからせめて、だからこそ。この私の中に眠る記憶と運命はアキトにもユリカさんにも話すことは出来ないんだと私は感じている。その絶望の記憶は決してあの人達に向けて開け放ってはいけないものなんだと。
 …でも、それは私一人で出来るような事なのだろうか? たった私一人だけで、絶望することなく、挫けることなく、その未来を切り開こうと足掻きつづけることが出来るのだろうか?
 そんなことを一人思い沈んでいた私の前に仮面の下の素顔を除かせながら現れたアカツキ。彼が提案してきたその一つの道。

 そして私の脳裏にはもう一人……私と似たような境遇を持つのかもしれない、その時間という運命に翻弄された人物のことが思い浮かんできて。



 「――――やれやれ、こっちがこれだけ話したっていうのに結局だんまりかい?」
 目の前に立っていたアカツキは、お手上げのジェスチャーをしてみせながらそう言ってくる。その言葉によってようやくこの狭い時間の中に呼び戻された私。
 そして私は自嘲的な笑みを浮かべながら、静かに彼へと言葉を返した。
 「…貴方の提案はとても魅力的だった。でも、今の私には正直それが望まれる結果を生み出せるかどうかはわからない。だから―――少しだけ考えさせて。貴方達が本当に信頼できるかどうか、私が望む未来への手助けをしてくれるのかどうか」
 「……オーケイ。まぁあっさりと断られるよりはありがたい返事だよ、色々と面倒事を抱えたりしないで済むからね。
 でも一つだけ、これだけは教えておいてくれないかな? 君は――――なんのために、誰のために、これからその何かをしようとしているのかを」

 …そして、そのアカツキの問いかけにただこう答えるしかない私。
 全ての感情もなく、絶望的な意志に根源を持つ、でもそれでいてただ一つの…あの人たちへの感傷的な想いを含みながら。

 ただ、あの人たちを強く想いながら……。


 「手を貸してあげたい人がいるのよ、多分貴方の想像どおりのね。
 …この先あの人達に、悲しい未来を進んで欲しくないというのが、私ともう一人の心からの願いだから――――」








 8.紅い兄妹 〜サレナと、リロィ〜

 「……遅くなってすまなかった、アクア。官舎を抜け出すのに思ったより手間がかかってな」

 連合空軍の士官服に身を包んだ兄。その重たいドアを開けて部屋の中へと入ってきたリロィ兄さんの姿を見て、私は自分の胸が一瞬波打つのを感じた。
 贔屓目に見ているのだとしてもやはり、その士官服は良く似合っていると思う。6フィート程(約185cm)の身長、軽くバックに流した、僅かに波打つそのブロンドの髪。男らしくも柔和な笑みを浮かべるその優しい顔、深く青い瞳。
 それらがどこか悲劇的なまでに輝いて私には見える。その私にとっての悲劇的な何かが大きく私の心を打つ。

 (――――ああ……こうして兄さんを眺めていると、まるで私が悲劇のヒロインになったような気分になってくるわ)

 そんなことを心の片隅で恥ずかしげもなくふと思いながら、私は何とかして微笑みを浮かべ、兄さんのほうへと歩み寄っていく。
 「兄さんの初陣での華々しいご活躍、聞きましたわ。本当におめでとうございます」
 「なに、上官がちょっとしたサービスをしてくれたまでだよ」
 軽く抱き合う私と兄さん。私は爪先立ちになり、親愛の情を込めて頬に口づけを交わす。言いようのない気持ちが少しだけ私の心に湧いてくる。
 ……どうも私は少しだけ、この立場に酔っているらしかった。

 それから兄さんと二人、時折グリモーも一言二言口をはさみながら、クリムゾンの近況の報告やちょっとした雑談などを交わしていく。
 他愛もない話、でもそれでもほんの少しだけ楽しくいられる唯一の時間。そんな中だった。
 グリモーが突然に、あの写真を手にリロィ兄さんへと質問を投げかけたのは。

 「…ところでリロィ殿。この写真に写っている、ゲイシャと砂金荒らしの開拓民とが程よくブレンドされた女性は何方なのですか? 『サレナ』と名前がありますが」

 その写真を見せられたときの兄さんの反応は、どこかおかしかった。…いいえ、少なくとも私にはそう写った。
 でも私の視線に気がついたのだろう。少しだけ苦笑を漏らした兄さんは、顔を僅かに上へと向けると言葉を返してくる。
 「ああ、火星時代の大学の知り合いだよ。なかなかに面白い――――というか、私に少しだけ似たような感じのする女性でね」
 「ほほう…つまりは失礼ながら『そういう関係』だったと」
 そして私が機嫌を損ねるのをわかっているだろうに、だからこそそう言葉を続けるグリモー。その口元が冷たく歪んで。
 でも兄さんは一瞬だけ寂しそうに見えるその表情を垣間見せた後、まるでそれを誤魔化すかのように肩をすくめて言ってきた。
 私の心を、その優しい言葉で無遠慮になだめるように。

 「…まぁ世間一般的にいえば、そういう関係にまわりからは見られていたのかもしれないな。でも……もう過去の話だよ。
 彼女は死んだ、おそらくはね。あの日木星の連中が火星に侵攻した時、私が地球へと引き返したその翌日…彼女はユートピア・コロニーにいたんだ」
 「……そう、そうですか兄さん――――」
 だから私は兄さんの言葉に、ただそう応えていて。
 その兄さんの優しい表情に、胸の底に熱い痛みを感じていて…。



 ……それから程なく。兄さんは最後に別れの抱擁を私と交わし、ここへ来た時と同じように、ひっそりと軍の官舎へと引き返していった。
 そしてその薄い暗がりの中に揺れるテールランプを見送りながら、空の境目に輝く真紅の黄昏を胸に抱きながら。傍らに立つグリモーへと私は一つの言葉を投げかけていた。
 ある意味非常に私らしいのかもしれない命令、その一つの感情に彩られた言葉を。
 「――いいわね? グリモー」
 「ええ、お嬢様」











 9.

 「…とまぁ、堅苦しい話はここまでにして。どうだい? 予定がないのなら食事に付き合ってくれると嬉しいんだけど」
 「ふぅん…私は別に構わないけれど、いいの?」
 「これでも意中の彼女にはなかなか振り向いてもらえなくってねぇ。君はある程度僕のことをわかってくれているみたいだし、そういう人と食事したほうが気分が落ち着くかなって思うんだよ。……駄目かい??」

 ――――とまぁ、さっきまでとは一転してそんな気の抜けたような会話があった後。私とアカツキは連れ立って適当な話なんかをしながら食堂への道を歩いていた。
 「しかし君とテンカワ君との関係って、ホント気になるよ。まさか生き別れの姉弟なんてオチじゃないよねぇ」
 道すがら、ふとそんな面白いことを言ってくるアカツキ。私はその推測に軽い苦笑を漏らす。
 「ある意味似たようなものかもね。もっともアキトは私のことを知らなかったし、こっちの一方通行みたいなものだったんだけれど……言ってみればずっと昔から、私はアキトと関わりがあったんだよ」
 「それって、テンカワ博士達と、ってことかい?」
 「秘密。……でもそういえばどうして、ネルガルはアキトをスカウトしたの?」
 続いて質問を重ねてくるアカツキと、それを流す私。そしてちょっと気になってたことを訊ねてみたら、アカツキは肩をすくめながら答えを返してきた。
 「さぁ? それは僕の知らない事柄だよ、僕はそこまで色々と詳しくはない。ただ一つ知っている事を言えば、テンカワ君をスカウトしたのはプロス君の独断らしいから…詳しい理由は彼に訊いてみるのがいいのかもね」
 …その話は私にとっては少し意外な事実だった。てっきり私達が地球へとやってきた頃から、アキトはなんらかの方法でマークでもされてたのかなと思っていたのに。
 「それってつまり…プロスさんとアキトって知り合いだってこと?」
 そしてニマリと笑うアカツキ。
 「ここから先はまだ秘密だよ、サレナ君。今日は色々としゃべりすぎたからね」
 「…けち」
 それに対して不機嫌気味な顔を作りながら言い返す私。そして。
 「今に限ってはケチでもなんでも結構さ、この先君がネルガルに協力してくれるようになったらもっと色々と話してあげれるだろうしね…………って、なにかな? 食堂のほうが騒がしいみたいだけど」

 と、そのアカツキの言葉どおり、すぐ先にある食堂の入り口のほうからは、誰かと誰かが言い争いをしているような声が聞こえてくる。

 「――――……」
 「………!」
 「………………」
 「――――?!」
 その、はっきりと聞き覚えのある力の篭ったような声と、低く押し殺したような声。私の頭の中に何かのイヤな予感が湧いてくる。
 「……って、あれ、もしかしなくてもヤマダと提督?」
 「これは困ったねぇ…あの二人、とにかく反りが合わないから」
 「んなこと言ってる場合じゃないでしょ?!」
 そして慌てて飛び込んだその食堂の中では、周りにいるクルーが揃って困った顔を見せている中…一つのテーブルに向かい合ってにらみ合っているその二人の姿があって。

 「あれ? サレナ…アカツキさんも」
 「ねぇヒカル。これっていったい何事なの?」
 食堂の出口近く、その二人から幾分離れた場所にいたヒカル達にそう訊ねる。私とアカツキのほうを見てほんの少しだけ戸惑ったような表情を見せてきたヒカルは、続いて小さくため息をつくと小声で顛末を簡単に説明してくれる。
 「…もうどうもこうもないよ。ヤマダ君が鼻歌交じりでなんかの設計書みたいのを眺めてたところに提督が来ちゃってさ、それでなんだか不機嫌だった提督の売り言葉に買い言葉。止めようにもアキト君もサレナもいないんだもの」
 「って、アキトはともかくどーして私の名前まで挙がるわけ??」
 「だってサレナ、ヤマダ君処理班その2でしょ」
 そして微妙に呆れたような声でそんなことを言ってくるヒカル。アカツキが全然困っていないような声で一言言ってくる。
 「あー、確かに彼の手綱握れる人って限られてるからねぇ」
 その彼の言葉にヒカルがいつもとは違う、少しぎこちない苦笑を漏らした先…その片隅のテーブルからまた大きな声が聞こえてきた。


 「――まったく、わけわかんないわね。アンタもこの戦争の真実を聞いたでしょ? なのにまだそんな夢みたいなことをぬかしてられるわけ??」
 どこか苛立ちを抑えきれないような調子でそう声を上げるムネタケ提督。
 「俺は提督みたいに冷めきった気持ちで現実を眺めてるんじゃねぇんっすよ。むしろ現実がこんなンだから、誰かが夢を見せてやらなきゃいけねえんだって思うんです…!」
 苦悩の混じったような、でもそれを振り切ろうとしているような声で言葉を返すヤマダ。そしてそれを提督は無碍にも切り捨てて。
 「それが夢だって言うのよ。…ゲキガンガー? なれるわけないじゃない。正義の味方?? いるわけないじゃない。
 人は所詮、人。現実を知っているアタシ達はその現実の中でこそ足掻くべきなの。そこに理想なんてものを詰め込もうとしても…それはほんの少しの、欠片のようなものとしてしか入りえないわ。
 なのにアンタがしようとしているのは、その理想っていう塊をまるごと現実にぶち込むのと同じなのよ。―――そんなこと、人間にできるわけんなんてないでしょ…!!」
 そしてヤマダが、テーブルに両手を叩きつける。
 「んなこと言ってるから結局はできないんだろうが?!! なんで足掻こうとする前から諦めるんだよ?!」
 「アンタみたいな人間は、最後にはボロボロになって何もなくなるのよ!! そうやって理想しか追いかけられない人間は! 昔のアタシが、そうだったみたいにして……!!」
 「――――?!!」

 …瞬間、言葉を飲み込むヤマダ。食堂中の視線が二人の下へと降りそそがれる。
 ゆっくりと、重く、その続きを口にする提督。

 「……だからアンタみたいな人間を見てるとイライラするのよ。そんな人間にアタシの邪魔をされるとむかっ腹が立つのよ。人の心の黒さも知らないような、現実の本当の厳しさも知らないような…ガキがそのまま大人になったようなアンタ達にはね」
 「――――つまり提督、あんたは逃げたんじゃねぇのかよ? あんた自身が持っていた理想っていう奴から」
 そして顔を歪めたヤマダが、そう声を震わせながら言って。
 でも提督はほんの一瞬だけヤマダのほうへと視線をやって、ヤマダとは別の厳しさを備えた表情を見せながら……そう。誰に対してでもなく、まるで提督自身に言い聞かせるようにその言葉を紡いでいったんだ。

 「…違うわね、アタシは現実に気がついただけよ。だからアタシは、この現実の中で足掻いているわ――――例えこれで最期になるとしても」








 10.

 …その頃食堂でそんなことが起きているとはまったく知らずにいた俺は、自室で仰向けになりながらぼんやりと天井を見つめていた。一人そうしてあいつのことを考えていた。

 (10年ぶりに再会した、幼馴染……か)

 脳裏にずっと昔にあった俺とユリカの間の色々な出来事を思い出させる。あの頃の淡く輝く、火星の草原を。
 もうどうやったって誤魔化すことは出来ない。俺はやっぱり、ずっと心の底でユリカのことが気になっていたんだ。10年ぶりにあいつに会って、あいつに惹かれている自分がいて。
 でも、心の底にはもう一つ…俺とユリカには決して幸せが訪れることがないんじゃないかっていう迷いが、やるせない思い出があったから――――多分、だからなんだろう。メグミちゃんと付き合おうと思ったのは。
 どこかで怖がっていたから、どこかで躊躇っていたから。だから俺のことを好きだと言ってくれた彼女と…少なくとも俺も好意を持っていた彼女となら、また悲しい思いをすることはないんだって思って。
 …なのに今俺は、その遠ざけていたはずのユリカのことをどうしようもなく愛しく思ってる。その気持ちを貫きとおせる勇気がなくて逃げたはずなのに、でもやっぱり、それはどうしても諦めきれないものだったんだ。

 「――――ホント、勝手だよな。俺……」

 自己嫌悪に陥ってしまいそうだった。メグミちゃんの気持ちを踏みにじってしまったような気がして、俺がメグミちゃんのことをもまた愛しいと思っていたこ とには間違いはなかった筈なのに――――でもやはり、ユリカのことを綺麗きっぱりと忘れてしまうなんて…俺にはできそうにない。できるわけがない。
 ……だから、俺がやるべきことは、できることはただ一つだけなんだと思う。このままでいいわけなんてないって、それだけはわかっているから。
 そうして俺はゆっくりと立ち上がり、言うことを聞かなくなりそうになる身体を引き摺りながら、メグミちゃんの部屋へと向かっていって。

 「アキト……さん?」
 「――――メグミちゃん、話が…あるんだ」




 …久しぶりに訪れた、メグミちゃんの部屋。
 少しだけ戸惑ったような笑みを浮かべながら俺を中へと入れてくれたメグミちゃんは、一人座る俺を残してお茶の準備を始める。
 「アキトさんはいつもので…いいですよね?」
 「あ、うん」
 「ちょうど良かったです、ハルミさんからお茶の葉のおすそ分けを貰ってたんですよ――――はい、どうぞ」
 「…………ありがとう」
 笑顔を見せながら、今までのこともあってなんだろうか、『いつも』どおりに振舞うメグミちゃん。俺は少しだけぎこちないような笑みを浮かべながら、そのミルクティーを口にして。
 その暖かい液体がゆっくりと染み渡っていく。控えめに入った砂糖の甘味、程よいその紅茶の香り。ふと一瞬だけ心が落ち着いてしまいそうで、決心がぐらりと揺らいでしまいそうで、チクリと微かな痛みが胸を刺す。
 メグミちゃんは小さなテーブルの向かいに座って、クッションの上で目を細めながらコップを手にしていた。この一瞬だけは数ヶ月前の、一番満ち足りている ようでどこかが足りないようなあの頃の雰囲気を保とうとしていた。でも……それを俺は、今から崩していかなくちゃいけない。胸の痛みがどんどん強くなって いっているとしても。

 「――――どうしたんです? アキトさん」
 そう微笑いながら声をかけてくるメグミちゃん。そんなメグミちゃんの笑顔はどこまでが本当で、どこからが強がりなんだろう。俺がこうして胸に痛みを伴う決心を抱えて、どこか浮かないような顔をして座っていることを、メグミちゃんが気がついていない筈はないのに。
 そして……だから。
 だから俺は、懸命な思いでコップをテーブルの上に置くと、身を絞るようにしてその言葉を紡ぎだした。


 「……メグミちゃん、ごめん。俺――――もう、これ以上メグミちゃんと一緒にいることはできない。そんな資格、なくなっちゃったんだ」
 「――――――」

 その瞬間、メグミちゃんの顔が凍った。でもそれは、驚きの表情とかそういうものではなくて、まるで小さな怒りの感情がその中を駆け巡っていったみたい な、不意に納得のいかない何かが湧き上がってきたために起こったものに見えた。そしてメグミちゃんはほんの僅かな沈黙の後に言葉を繋いでくる。
 「……資格って、なんですか?」
 「え―――?」
 ぼそりとした、でもはっきりとしたその小さな声に、呟きを返す俺。
 「そんなものがないと、アキトさんは私と付き合ったり出来ないんですか? 恋人にはなれないんですか?
 ……私にはそんなもの、必要ないです。私は心の底から、本当にアキトさんのことが好きなんです。だから、そんな『資格』なんてものがなくたって――――アキトさんが私のことを好きでいてくれるなら、ずっと一緒にいたいって思っているのに……」
 メグミちゃんは臆することなく俺の目を見つめながら、震えるような声になりながらそう言ってきた。そのメグミちゃんの言葉に、なんて言えばいいのかわからなくなる。その俺に追い討ちをかけてくるように、その顔を伏せながらメグミちゃんの言葉が続いてくる。
 「……それとも、本当はアキトさん、私のことがもう好きじゃなくなったんです…か? だからこんなこと、言い出したんですか??」
 「そっ、それは違うよメグミちゃん!!」
 思わず、そう言い返す俺。叫んでから、ハッとなる。
 メグミちゃんはどこか泣き出しそうな顔になりながら、無理矢理なように微笑んで。
 「じゃあ――――こんなこと言い出さなくても、いいじゃないですかアキトさん。この前のことがあっても…やっぱり私はアキトさんのことが好きです。本当に好きなんです。だからまた、やり直せますよ……今度こそ、今まで以上に」

 ……そんなメグミちゃんの笑顔を見て、俺は何も言えなくなりそうになる。胸に刺さるトゲがきりきりと痛む。頭がぐちゃぐちゃになりそうになって、ただ静かに肯きそうになって。
 でも、そんな俺の心の中に浮かんでいるのは――――あの日と同じ、アイツの姿。大人になったユリカの笑顔。
 俺は、もう一度そのかけがえのない笑顔を思い返して……もう一度その心に決めた誓いを噛み締めて――――――


 「……メグミちゃん」
 「――――?」

 どうしてだろう、自然と寂しい笑顔が俺の心からこぼれ出て行っていた。
 メグミちゃんがふと顔を上げる。そして。

 「ごめん。本当はさ、俺は……きっと俺はずっとあいつのことを、ユリカのことだけを想ってたんだ。メグミちゃんに告白されて、そして一緒にいたこの数ヶ 月間の時間も決して嘘なんかじゃない。俺はメグミちゃんのことを確かに愛しく思ってた。でも……本当は俺は、ずっと、心の底ではずっとユリカのことを見て いて、どうしても忘れようとすることが出来なくて。
 ……ごめん、こんな話を聞かせちゃってさ。でもメグミちゃんに嘘をつくことは出来ないから…俺が確かに好きになった人だから、やっぱり話さなくちゃいけないんだって、今本当に思い知らされたんだ。だから今は、はっきりと、口に出来る。
 俺…俺は――――ユリカのことが好きなんだ。一番大事に思ってる人なんだ、あいつは。そしてこれからも……ずっと――――」

 「―――っ……!!」
 もう一度、メグミちゃんは俯いた。俯いたままだった。
 俺は胡座をかいた格好のまま、メグミちゃんのそんな様子を…メグミちゃんが何かを言おうとしているのをただ待っていなくちゃいけなかった。
 …微かに、すすり泣くような声がする。そっと隠れるようにして、その涙の溢れてくる瞳を拭おうとするメグミちゃん。しばらくたって、ようやく少しだけ一時の落ち着きを取り戻したようで。


 「……やっぱり、そうだったんですね、アキトさん。ユリカさんのこと、ずっと…気になってたんですよね。
 はぁ――悔しいです。本当に、悔しいですけれど、アキトさんが本心を話してくれたから…ほんのちょっとだけ、安心…できました。正直ちょっとだけ、ユリカさんには敵いそうにもないなぁって、思ってたんですよ、私」
 その目に涙を浮かべながら、微笑いながらそう言ってくるメグミちゃん。こんなとき俺はどういう顔をすればいいのかわからなくて、でもメグミちゃんのそんな姿を見て、ただ黙っていることしか出来ない俺。
 そしてメグミちゃんはまた僅かに顔を伏せて、ポツリと言ってきた。

 「でも……アキトさん、本当に―――こんな質問、意地悪なのかもしれないですけれど―――ユリカさんじゃないと駄目なんですか…?」


 …そのメグミちゃんの言葉は、どんなに俺の胸に突き刺さっただろう。
 メグミちゃんのその表情は、もう隠しきれない何かがはっきりと現れてしまったそのいたいけすぎる表情は、どんなに俺をどうしようもない気持ちにさせてくれただろう。
 だからこれはきっと、誰かがこの俺に与えたどうしようもない罰なんだと、その時ふと俺は心の中で思った。自分の心を偽っていた俺に対する、残酷に甘く、身を苛むような罰。
 俺は、やっとの思いで…でも躊躇うことすら出来ずに、搾り出すようにその言葉を吐き出した。


 「ごめん――――ごめんね……」

 「――――ううん……もう…もう、いいんです…」




 長い、長い沈黙。二人だけの沈黙。
 そしてメグミちゃんは、ベッドの上に置いてある小さな時計へと目を向ける。
 「―――…もう、こんな時間ですね。ごめんなさいアキトさん、この後、ハルミさんに用事があるから…支度しなくちゃいけないんです」
 「そう……そっか」
 困ったような笑みを浮かべながらメグミちゃんはそう言ってくる。どこか空々しいようなその言葉に、ゆっくりと俺は席を立って。
 「じゃあ……アキトさん、明日からは私達、普通のクルーとクルーですよ? 未練なんか見せるような振りをしたら、私もユリカさんも、ただじゃ済ませませんからね…!」
 そのメグミちゃんの言葉に、思わずまた『ごめん』と言いかけそうになって、その言葉は心の奥へと飲み込んでいった。そしてその代わり、いつものように彼女の肩を抱くこともなく、ただ静かに微笑する。


 「―――うん。それじゃあお休み、メグミちゃん」


 「……ええ。お休み―――なさい、アキトさん…っ――――――」






 …そうして何気ないような装いの内、突き刺さるような痛みとその他の色々な何かを胸に抱えながら、俺とメグミちゃんは別れていった。

 ふと足が向いた食堂、そろそろ閑散としてきたその中で、サユリさんとミカコちゃん、それにハルミちゃんがせっせとクルーの注文を捌いている。
 「―――ほら、ハルミー! 後2時間なんだからだるそうにしてないで、今夜は特に用事ないんでしょ?」
 「はぁい……あれ? アキトさん、ご注文ですか??」
 そのハルミちゃんの言葉に、ゆっくりと首を横に振る俺。
 「ううん。なんとなく足を運んだだけだから……」
 「…どうしたの? アキト君。なんだか迷子の子猫みたいな顔してるけど、悩みあるなら相談に乗ってあげよっか??」
 そして終いには心配そうな顔をするサユリさんにそんなことまで言われてしまって。
 「……そうじゃなくて、その…色々と吹っ切れちゃったみたいだから――――サユリさん。やっぱとりあえず、お茶一杯だけ貰えます?」

 程なくして厨房の奥から顔を出すホウメイさん。いつものように精一杯の姿で働く皆。
 特に急いだ様子もなく働いているハルミちゃんの姿は、あの時のメグミちゃんの小さな嘘を教えてくれていて。

 俺は飲み干した茶碗をそっとカウンターに置くと、静かに食堂を後にした。










 11.

 一人、提督室のデスクの上へと突っ伏した。
 もうアタシの身体と心には、ともすれば晴れやかなものに思えてしまうような絶望しか存在してなかった。
 そしてただポツリと、声にならないような微かなその息を肺の奥から搾り出す。

 「もう……打つ手は何もなし、ね」

 ここからアタシの地位を挽回させることはどうやったって不可能だった。アタシが目標としていた、パパの後継という地位は完全に遠く霞んで消えてしまっていた。
 今のアタシに出来ることは、このまま一人のたいした事のない士官としてパパの名を汚しながら惨めに生き続けることだけ。でも……そんなことができるわけがない。
 ……だから、ぼんやりとした頭でアタシはアタシの右の手の甲を見る。その真新しいIFSのタトゥーを。
 全身を襲う倦怠感も、あと1日もすればきっと心地よい痛みに変わってくれている。虚ろな思考の中でアタシにできる最期のことを考える。
 そしてその中で、ふと昔のアタシのことを…アタシはぼんやりと思い出していって。

 (――――現実っていう重いものに気がついていったのは、いつの頃からだったかしら。
 …初めて人に向かって銃を撃ったあの日、紛争の鎮圧という任務の中で、信頼していた部下が死んでいったあの日…アタシの中にあった『正義』というもの が、その殻を破っておぞましい正体を見せてくれたあの日……そして木星蜥蜴に追われて、なす術もなく地球へと逃げ帰ってきたあの日――――
 でも、それももう終わりね。アタシはこのアタシをずっと苦しめてきたその重圧から、自らを解放するんだから…………)


 ふと、頭を上げて。
 アタシは多分最期になる、その短い語りかけを――――写真の向こうに見える遥かな憧憬へとしていった。

 静かに。そっと、あの陽だまりを思い起こしながら……。



 「……だから、ごめんなさいね、パパ。アタシはもう、ここにはどうやっても居られないのよ――――」












 12.

 ……その日、ようやくYユニットとの接合作業が完了した新しいナデシコはコロニーを離れ、次の任務地へと飛び立っていきました。
 ちょうど艦の前方部分、2本の突き出たブレードの上に重なるようにして装備されたYユニットの2機の相転移エンジンとその他火器が上乗せされたナデシコは、グラビティ・ブラストの出力も大幅に上がることになって今まで以上に強力な戦艦へと生まれ変わったみたいです。
 そしてその新しいナデシコにとっての初航海、数日間その艦体を休ませていたこのお月様ともお別れをして、私達は地球へと向かうことになっていたのですが―――

 ―――でも、順調に行けば翌日には北アフリカのカサブランカ付近に到着していたはずの私達に……その唐突な別れは待っていたんです。



 「――――敵艦隊、ナデシコの正面に補足。旗艦は有人型の戦艦のようです」
 正面のスクリーンにその状況を映しながら、淡々と報告をする私。続いてブリッジの上から副長の声が聞こえてきます。
 「どうする? ユリカ。ここで戦闘に時間を取られると、明日の作戦時間に間に合わなくなるかもしれない」
 「う〜〜ん…そうだね、要は適度に打撃を与えて追い払えばいいんだし―――ルリちゃん、敵艦隊の数と動向は?」
 その艦長の質問に、私は映像を拡大しながら答えて。
 「ミナトさんのお話にあった『ゆめみづき』型が1隻、それにヤンマ級の大型戦艦が2隻とカトンボ級の小型艦が4隻です」
 「…たいした数ではないな。有人艦以外は今のナデシコなら組みし易い相手でもある」
 「でもゴートさん、相手には例の『ゲキガン・タイプ』がいますよ?」
 「さて艦長…いかがなさいますか?」

 そして艦長のユリカさんはほんの僅かな沈黙を挟んだあと、凛としたその声を上げてきました。

 「グラビティ・ブラストの遠距離射撃により小型艦の撃破後、エステバリス隊を2部隊に分け旗艦への攻撃と敵機動兵器への応戦を行います。
 月面フレーム2機は旗艦への攻撃にまわしてください、短期決戦でいきますから!!」






 12.

 ……ちょうど、俺とアキトとが格納庫の中へと駆け足で入っていったそのときだった。
 「――――?」
 その暗がりの向こう、『開かずの13番格納室』のほうで何か気になる人影が動いたように俺には見えた。思わず立ち止まり、辺りでせわしなく動いている整備の連中に目をやるが、誰も気がついた様子はない。

 (…今のは、見間違いか? でもあの見覚えのある士官服は――――)

 そして立ち尽くす俺に気がついて声をかけてくるアキト。
 「ガイ?! 早くしないと出撃に遅れるよ!!」
 でも俺はこの場で逡巡すると、その気になった影を確かめるために暗がりのほうへと一歩を踏み出していく。アキトの奴に一言声をかけながら。
 「ワリィ、アキト!! ちょっと野暮用だから遅れていくわ! お前月面フレームでの第1陣だろ、気にしないで早く行けって!!」
 「え?! あ――――じゃ、後でっ!!」
 その後ろから聞こえてくるアキトの声を受けながら、俺はなんだか嫌な胸騒ぎとともに……戦闘時にはどうしても人気の少なくなるその格納スペースのほうへと走っていった。

 ……そう、何かものすごくイヤな感じがしていた。
 一昨日にあったムネタケ提督と俺との口論、人づてに聞いてしまった、提督がナデシコを降ろされるという噂。まさかとは思うけれど、あの男が……去年の初めに地球からナデシコが脱出した際、この俺に銃口を向けてきたあの男が、また何かをしでかそうとしている気がしてきて。
 最初の頃はずっと、いけ好かない奴だと思ってた。連合宇宙軍の堕落した一部分を象徴するような男だと思ってたんだ。だから思いっきり突っかかりもしたし、険悪な仲でもあったっていうのに――――

 (――――でもそれならあいつ、一昨日のあの時……なんであんなに辛そうな顔を見せてきやがったんだよ?)


 格納スペースの入り口は、特殊コードで開かれていた。
 特殊コード、つまりは艦長と副長、プロスの旦那と……それに提督だけが使用できる権限。だが艦長も副長も、旦那も今はブリッジにいるはす。だとしたら――――
 一瞬だけ、その扉の先へと足を踏み入れるのを躊躇いそうになる。その気持ちを気合と根性で押しとどめると、俺はその薄暗い空間の中へと思い切って飛び込んでいって……そして。

 「――――!!…おい、提督! ここで何やってるんだよっ?!!」



 ……イヤな予感は多分、当たっていた。
 その先にある、見た事のないフォルムのエステの前に立ち尽くしている提督はゆっくりと俺のほうを振り向いてくる。その右腕には、その一点だけ黒く塗りつぶされたようなその凶器が、過去にこの俺の身体を貫いたその拳銃が握り締められている。
 そして静かに口を開く提督。
 「誰かと思ったら…………いい加減にしつこいわねぇ、アンタも」
 その提督の声は、いつもとは違う暗い迫力に、絶望や狂気と呼べるものに包まれた声だった。僅かに怯む俺に構う様子は見せずに、再び目の前のエステを見上げていく。
 「……本当はナデシコのシステムに介入して防御プログラムを停止させておきたかったんだけどね、流石にホシノ・ルリにバレないように裏工作をするのは無理だったから仕方ないわ。ま、今の状況でもうまくいけばアタシの望む展開にはなってくれるでしょうし」
 「お前――――何言ってんだ…?」
 胸の奥の、危険を知らせる曖昧な信号は強くなっていた。目の前のこの男は僅かに震える両手をかざしながら、その両手で顔を覆おうとしてその動きを途中で止め、再び口を開く。
 不意に今までとは違う、どこか憧憬のような感覚の混じった声で。
 「――――こういう時、アンタなら…昔のアタシならどうしたかしらね。やはりこんな馬鹿な真似なんて考え付きもしなかったかしら?
 そう、もっとがむしゃらに足掻こうとしたんでしょうけれど……でも、なまじ現実がわかっているとそうもいかないのよ。この先アタシを待っているものがな んなのか、結局は落ちこぼれになってしまったアタシを待っているものがなんなのか、嫌って言うほど理解してしまっているんだからね」
 その提督の声に、俺は思わず問いかけて。
 「……じゃあ、本当なのか? 提督が、責任を取らされてナデシコを降ろされるって言う噂は」

 …瞬間、提督の声が爆発する。

 「…そうよ!!! アタシはアンタ達のへまのせいでこうなったのよ! ここがアタシにとっての最後のチャンスを与えられた場所だったっていうのに、それをアンタ達は見事なまでに台無しにしてくれたわ!! 理想に限界がある事を知らない、子供じみたアンタ達にね……!!」
 振り向いてくる提督。その顔には今までに見たこともないくらいの憤怒の表情が浮かんでいる。その目ははっきりとわかるほどに血走り、髪は振り乱れ、そして全身は湧き上がってくるその感情のために微かに震えていて。
 でも不意に、その表情がスッと引いていく。気味が悪いくらいに。
 何も言うことが出来ない俺をその細めた目で見通してくる提督はそして、薄い笑みとともに形を変えた絶望が込められた声を漏らしてきた。
 「――だからアタシはここで幕を下ろすことが出来るのよ。華々しい遺言とともに、とうの昔に捨て去っていた、一つの生き様とともに。そしてそのために最後に、このナデシコを利用する事をアタシは選んだわ。アタシの幕切れを演出する……最高の舞台としてね」
 「な……何言ってるんだよ、お前――」
 声が掠れているのが自分でもよくわかった。目の前で淡々とそんなことを語る提督が、だんだんと黒い不確かな情念に飲まれていっている様が俺の心には感じられた。
 俺が必死になって振り切ろうとして……そしてやっと解き放たれたその絶望に、目の前の男がはっきりと飲み込まれていっているのが痛いほどに良くわかってしまった。
 そして提督は、満足そうに目を瞑る。
 「…最後にアタシはアンタに思いがけないプレゼントを出来たかしら? 物分りの良くなかったアンタにね。
 ――――本当は、艦長や副長にこの贈り物を届けるつもりだったけれど、まぁいいわ。あの二人は軍人をやっていただけあって、そういう部分はちゃんとわ かっている。だからこそ、アンタみたいな人間にアタシの知っているこの現実を突きつけられたことに満足すべきなのよね……きっと」

 …その提督の言葉に、俺は両の拳を握り締めながら――――そしてはっきりとその顔を睨みながら。
 怒りと悲しみとを心に燃やしながら答えていた。

 「……わからねぇよ、俺には。俺にはそんな提督の選択はわからねぇ。わかりたくねぇ…!!
 結局は提督も、なんかの理想に向かって生きてたんじゃねえのか? だからこんな最期を、ナデシコを守って死ぬっていう最期を選ぼうとしてるんじゃねぇのかよ?!!」
 「――――」
 提督の顔に、沈黙がやってくる。でもそれでも構わずに言葉を続ける俺。
 「足掻くって、辛いことだけどよ、時には投げ出したくなるけれどよ! でもそれを諦めちゃあ何も残んないってことは、俺なんかよりもあんたのほうがよく知ってるんじゃないのかよ?!! だったら――――」
 「…ヤマダ・ジロウ」

 そして提督の言葉が、俺を遮る。見えない力に支えられたその言葉が。

 「……結局アンタは、何もわかってないみたいね。
 理想と現実の間には、大きな溝があるのよ。現実の中でそのかけ離れた理想を追い求めようとする人間は、その溝にはまって一人取り残されることになるのよ。
 そしてそのことをいくら言ってもアンタが理解できないというのなら――――」
 「…………?!!」

 ……不意に、その提督の右手に握られていた拳銃が恐ろしい沈黙とともに俺の姿を捉える。
 血走った目の提督が、立ちすくむ俺にどうしようもない悲しみのこもった声を向けてくる。

 そして――――




 「――――アタシが最期にもう一度、アンタにその現実を理解させてあげるわ……!!」








 14.

 『艦長、緊急事態だ!!』
 「……ウリバタケさん?」
 戦闘開始早々にその火力の増したブラビティ・ブラストで敵の小型艦を撃破し、戦況を有利に進めていた中。
 突然格納庫のウリバタケさんが焦った調子の声で、そう艦長に通信を繋いで来ました。
 『13番のアレ―――エクス=バリスを誰かが操縦してカタパルトに出ちまったんだよ! 止めようにもこっちじゃどうにも出来ねぇ!!』
 「…!! 誰が乗っているかわからないんですか?!」
 そのウリバタケさんの通信に鋭い声を返してくる艦長。そう言っている間に、ナデシコからその『エクス=バリス』とかいう機体が発進していきます。
 そしてウィンドウの向こうの格納庫で、数人の整備士と何やら会話を交わしているウリバタケさん。
 『…って……ああ?!…ちょっと……――――提督だとぉ?!!』
 「「「「提督?!」」」」
 そのウリバタケさんの叫び声に、驚いた声を上げるブリッジの上の艦長達。状況を確認するために私がその問題の機体に回線を接続しようとしますが――――
 「ルリちゃん、提督の乗るエステに通信繋げられない?」
 「…駄目です。ロックされています」
 と、さらにここでウリバタケさんが、一際大きな怒声をウィンドウの向こうから上げてきました。
 『――――って、何ぃ?! ヤマダの奴が銃で撃たれて負傷だと?!! なんでそんな奴をエステに乗せたんだよ!!』
 『違うんですよ班長! あいつ、俺らを振り切って提督の機体を追いかけていったんです!』
 『怪我は! あいつは大丈夫なのか?!』
 『左肩を撃たれてました。でも……いったい誰が――――』
 その会話の一部始終を聞いて、何かを察したのか艦長は低く抑えた声でメグミさんに声をかけていって。
 「メグちゃん、ヤマダさんに通信を繋いでください」
 「…了解」
 どこか元気のないメグミさんのその声に続いて、スクリーンに現れたのは…その左肩を赤黒く染めたヤマダさんの姿。

 『……なんだよ? 艦長。俺様は今忙しいんだけどな』
 その苦痛を堪えるように、脂汗を流しながら、顔を歪めながら言ってくるヤマダさん。艦長はそのヤマダさんに、重たい声でその命令を下します。
 「ヤマダさん、艦長命令です。直ちにナデシコに引き返して下さい。さもないとかなりキツイ処罰が待っていますよ」
 でもその艦長の命令に、ヤマダさんは苦笑いを浮かべながら……ゆっくりと首を横に振りました。
 『悪いが……命令は聞けねぇよ。あいつを連れ戻さなくちゃいけねぇからな。
 ――――あいつ、最後に躊躇いやがったんだ。最初から俺を本気で撃つつもりじゃなかったんだ。だから……今なら、間に合う。あいつが馬鹿な真似をする前に、この俺様がなんとしても止めなくちゃな。
 なんたって――――俺は『ヒーロー』になってみせる男なんだからよ…!!』
 「…ヤマダさん!!」
 語気を強める艦長。その艦長にもう一度、苦笑を見せるヤマダさん。
 『……すまねぇ、艦長』

 そして通信は一方的に切られ、ヤマダさんの乗るブルーのカラーリングの0G戦フレームはナデシコの傍を離れ、戦場へと向かっていって。


 「――――ゴートさん! 手の空いているパイロットは?!」
 「無理だ! 各機とも敵との応戦で動きが取れん!!」
 「くっ…! ユリカ、こうなったらヤマダと提督の機体に供給するエネルギー・ビームの出力を抑えて――――」
 「それは駄目!! 最悪敵の攻撃に耐えられなくなる!」
 ナデシコの眼前に繰り広げられている戦場ではこちらのエステが次第に相手を圧倒していっている中、ブリッジは緊迫した空気に包まれていきます。
 提督の乗る機体はちょうどナデシコと敵艦隊との中間。その後ろをヤマダさんの乗る機体が追随していく中…不意に提督の機体がある一点でぎこちない動きながらも静止してみせました。
 そしてその光景をみたウリバタケさんが、悲鳴のような声を上げて。
 『マズイ!! エネルギー・チャージを始めちまいやがった…!』
 「ウリバタケさん……?」
 『艦長!! ヤマダの奴にすぐ戻るように伝えろ! ああなっちまったらもうあの機体はどうすることも出来ねぇ、後は暴走して自壊しちまうんだ!! くそっ!』
 「…どういうことですか?!!」

 そして同じように声を張り上げる艦長。息を飲むブリッジの皆。
 ウリバタケさんはウィンドウの向こう……格納庫で、すぐ側の壁に思い切り拳を叩きつけると、やるせない表情を見せながら…そのどうしようもない事実を告げてきて。

 「…艦長には説明しただろ? あの機体はまだまだ改良が必要だって。今のジェネレータじゃあ機体とのバランスが不完全で――――通常の機動ならまだしも、X-キャノンのためのエネルギー・チャージには耐えられねぇんだよ…!
 だからもう手遅れだ。このままいくと間違いなく、あの機体は爆発しちまう!!」
 「そ、そんな……」
 もうどうしようもなく、呻き声をあげる副長。怒声を上げるゴートさん。
 「ホシノ!! アサルト・ピットを強制射出させろ!!」
 「了解。――――機体側に拒否されました!」
 「なんだと…!」
 『――――おいナデシコ! あそこの機体には誰が乗ってるんだ?! 射線上にいるからすぐに退避するように言え!!』
 続けてゲキガン・タイプと交戦中のリョーコさんがそう通信を入れてきて。
 それには構わずに、私とメグミさんに声を張り上げてくる艦長。
 「何とかして、二人に通信を繋いでください!!」


 ……そしてスクリーンの向こうでは、遂にヤマダさんの乗る機体が提督に追いつき、その装甲へと手をかけていました。






 15.

 「へ…………マズイな、痛みの感覚がだんだんなくなってきてやがる」
 そう一人コクピットのなかで呟く俺。流石に出血が多かったか、時たま朦朧としそうになる頭をなんとかして動かしながら、ようやくの思いであいつの乗る機体に追いついた。

 …さっきから、ナデシコからの通信を知らせるウィンドウがうるさく鳴っている。それでも感覚の麻痺してきた左手では、その通信を開こうとするのもままならない。
 そして俺はあいつの機体の前へと回り込み、その装甲の隙間から時折火花を散らせるその機体のアサルト・ピットへと手をかけた。
 「下手に抵抗されると困っちまうからな、ムリヤリにでも引き剥がさせてもらうぜ…!!」
 右手に力をこめ、いつものように脳裏にイメージを浮かべ、エステの全馬力をもって機体の胸を両側に開いていく。
 僅かに揺れ、安定感を失うアサルト・ピット。続けて脚部からイミディエット・ナイフを取り出し……気絶しそうになる意識と戦いながらジョイント部分を無造作に、繊細に切断していって。

 (――――!!)

 …不意に、提督の乗るそのエステに右の肩を捕まれた。ぎこちない動きながらも、この俺の機体を引き離そうと力を込めてくる。
 そしてあいつから届いてくる通信。

 『……どうやら、アンタのその馬鹿は死なないと治らないみたいね』
 そのウィンドウの向こうで、あいつは……提督は笑っていた。とても皮肉げに。そんな提督に、苦笑いを返すしかない俺。
 「馬鹿は……お互い様だろ? 待ってな、すぐにそこから引きずり出して、今度はこの俺様の容赦ない鉄拳をその面に叩き込んでやるからよ」
 だけど提督は、ゆっくりとその首を横に振った。
 まるで俺の後ろに何かを見ているように、その何かを哀しんでいるように。
 『必要――――ないわね。そういう拳なら、とうの昔に貰ったことがあるわ。それに今のアタシには、そんなものは何の意味もなさない…。
 だからアンタはここから去るがいいわ。去って、アタシがナデシコに与えてやった現実を…ネルガルの連中が教えてくれた、正義なんてものは非常に曖昧で、そして自分勝手なものなんだっていう現実を抱えて生きていくがいいわ……そして――――』

 「…………!!」




 ――――そして今度こそアンタも、その現実に打ちのめされてしまえばいい。




 …最後、あいつは本当に満足そうに俯いて目を閉じた。
 その瞬間俺とあいつは白い光に包まれていって、まばゆい閃光と絶え間ない振動とに覆い尽くされていって……












 16.

 『――――ガイ!! ガイっ!!!…なぁ、しっかりしてくれよ! 目を開けてくれよ!!
 なんで、なんでそんな身体で戦場に出てたんだよ?!! なんで、こんな…ことに――――』

 (なんだ……? アキト、か…………?)

 遠いところで、赤いランプが点滅していた。
 遠いどこかで、警報が鳴り響いていた。
 …全てがあやふやになってしまった感覚の中で重い瞼を開いていくと、そこには俺の親友の……アキトの奴の姿があった。ノイズの激しいウィンドウの向こうから、涙でくしゃくしゃにした顔を向けてくるあいつの顔があった。

 「ア…キト……?」


 ―――どうしてだろう? 声を出そうとしても上手く出てこねぇ。腕を伸ばそうとしても、その感覚が何処にも感じられねぇ。

 そしてぜんまいのイカれたカラクリみたいな首を下に向けてみると、血まみれの…所々に内壁の突き刺さった無残な俺の身体が見えて。
 …だから、どこか諦めの気持ちを漠然と持ちながらふと俺は考えていた。まるでそれが他人事のように。

 (そうか……俺、もう死んじまうのか――――
 イチロウ兄貴、怒るだろうな……ナナコさん、泣いちまうかな…………クロサキの奴は、どんな顔すんのかな――――――)



 なのに、こんな最後に…俺の頭には走馬灯って奴も思い出って奴も、何も浮かんでは来やしねぇ。
 ただ、暖かいのか冷たいのかもわからねぇ…不思議な感覚だけが心の中に広がっていって……




 ……でも。
 でも、よ…………



 「―――最後の最後、で…仲間助けようとして死ぬなんて……ほんっと、俺らしいのかも…な――――――」






 『……ガイ?―――ガイッ?!! なぁガイっ!!!』
 「――――――」


 『う…うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!』








 17.

 ――――戦闘はユリカさんの作戦どおり、早々に終結した。

 アキトと私の2機の月面フレームによる対艦ミサイルの直接攻撃によって幾ばくかの打撃を受けた敵艦は、特に目立った反撃を見せる様子もなく引き揚げていった。
 …どうも敵のほうもこちらの戦力の調査が目的だったんじゃないかと、ゴートさんは静まり返ったブリッジから言ってきていた。敵のゲキガン・タイプも目立った攻撃はして来ずに、ナデシコの周辺でリョーコ達と睨み合いをしていた程度。
 その戦闘はホントに挨拶程度のもので……でもそんな中、敵大型無人艦のグラビティ・ブラストの一斉射撃は――――ポツリとその宙域に浮かんでいた2機の小さなエステバリス達を、紙屑を蹴散らすように薙ぎ払っていったんだ。


 ……あいつの、ヤマダの遺体は血でドス黒く染まっていた。顔だけは丁寧に、綺麗に、やるせない跡を残しながらその血が拭き取られていた。
 提督は遺体すら見つからなかった。私が16の時に、演習中の事故で火星の空に消えていった私の父親と同じように。
 そして私達パイロットは、一人冷たくなっていくヤマダの身体を前にして…アキト以外には何も言うことが出来ずに最後のお別れを済まそうとしていた。

 …アキト。アキトは、ヤマダのすぐ側に座り込んで、その右手を両手でぎゅっと掴んで。時折悲しい音とともにその肩を揺らしながら俯いていた。
 そのアキトの側にあるヤマダの静かな、安らかな顔は…もう以前とは全く別のものになっていて、まるで人の皮とは別の蝋のような何かで出来ているような、そんな恐ろしい錯覚を起こしそうになって。
 不意にそれがなんなのかはわかっていても微かな恐怖感を……その決して全てを理解することの出来ない、『死』というものへの漠然とした恐怖感を湧き上がらせてくる。…5年前のあの日と同じように、この私のすぐ目の前で。

 そしてこの小さな部屋の中を、その静かすぎる空気が支配していく。その空気に私達は、否応無しに飲み込まれていく。


 ――――もう、しばらくは……誰も、何も、動くことさえ叶わないようだった。















 18. 〜そして、あの木漏れ日のなかで〜

 ……穏やかな、優しげな陽射しの夢を見ていました。
 その懐かしい故郷の草原で、心地よい風と柔らかな草に包まれて太陽の光を一身に浴びている夢を見ていました。

 そう。その緑色のじゅうたんの上へと広がる、私の黒い髪を片手でなんとなしに弄びながら…何か幸せなことを考えていた私。小鳥の歌う馴染み深い詩や、時折風が奏でてくれる、胸に染み入っていくような草の音に耳を傾けながら寝転んでいた私。

 そしてその幼い頃の記憶は次第に遠くなっていって、だんだんと太陽の白い光が私の視界を包んでいって――――




 「……気がつきましたか? お嬢さん」
 「――――え?」

 その男の人の声に、ぼんやりとした天井の明かりにふと意識を起こされて。
 知らない部屋の、見覚えのない布団の上。あの太陽の光が未だに残る頭をゆっくりと持ち上げてもう一度辺りを見回してみると…すぐ側には深い藍色の着物に身を包んだ、一人の男性が座って私のほうを見ていました。
 「あの、ここは……?」
 その男性、年の頃はもう30に近いくらいでしょうか? 着物の上からでも鍛えられていることがわかるその体躯、それでもまた鍛錬によって体全体を絞られ ている、洗練された体つきで…涼しげな、精悍な顔つきには柔和な微笑みが浮かび、長い黒髪を、その後ろ髪を一つに束ねています。
 そしてその男性は私の問いかけに、とても丁寧な物腰で答えてくれて。
 「ここは私の家が営む、とある武芸のための道場ですよ。申し遅れましたが私はここの師範代である七条と申します」
 「道場……ですか? どうして私はそんなところに―――」
 重ねて質問をする私。先程から何かの不思議な違和感が、私の心に付きまとっているのを感じていました。
 「3日程前でしたか、この近くで意識を失って倒れておられた貴方を家の門下生が見つけましてね。そのまま放り置くわけにもいきませんし…ここへ運ばせてもらったのですよ。……あ、ご心配なく。看病は全て私の家内がさせていただきましたから」
 「はぁ…………」

 …と、その時部屋の障子を、とんとんと叩く音が聞こえてきて。

 「七条師範代」
 「なんですか?」
 その声に顔を横へ、すぐそこの障子の向こうへと向ける七条さん。
 「月臣殿がお見えになっています。是非お話をしたいことがあると」
 そしてその声に、七条さんは嬉しそうな表情を見せて言葉を繋ぎます。
 「おお! 元一朗ですか。少し待つように伝えておいてくれますか」
 「かしこまりました」
 障子の向こう、静かに去っていく影。一部始終をぼおっと見ていた私に、七条さんはまた柔和な微笑みを投げかけながら言葉を紡いで来ました。
 「…さて、すみませんが少々用事が出来てしまいました。後ほどまたお伺いさせていただきたいと思いますが……そうですね、せめてお名前だけでも伺ってよろしいでしょうか?」
 
 「名前……ですか??」

 その七条さんの言葉に、何故だか私自身にもわからないのに戸惑ってしまって。
 私の心にかかっていたその靄のようなものが晴れていくにつれて、その中にはあまりにも空白が多いことに―――それが違和感の正体だったことに気がついて…。

 …黙り込む私を見て、不思議そうな顔をしてくる七条さん。あてもなく視線を彷徨わせる私。
 そしてふと、その空白の隙間にあった名前を何とかして拾い出すと……私はようやく微かな笑顔を取り戻して、七条さんへと私のその名前を告げました。



 「―――私は…イツキ。…………それが私の、覚えているたった一つの名前です――――――」






 (第3章 interludeへ)