「――――本気なんですか?! 師範代!!」

 木連市民艦『れいげつ』の一角にある道場の、その小さな8畳間。
 俺は純白の木連軍制服に身を包み、目の前で正座し静かな表情を見せている師範代に……この俺に木連式柔を教授してくれた2人の人間のうちの一人である、七条師範代に声を上げていた。ひざを浮かせて詰め寄っていた。
 だが師範代はその目をまっすぐに俺のほうへと向けてくる。その深さに、強さに、思わず気圧されそうになる俺。
 そしていつもと同じ、その深い紺の着物を着た七条師範代は微笑しながら口を開いて。
 「……ああ、本気だよ元一朗。私はあの『イツキ』という女性を養子にしようと思う」
 「っ!――でっ、ですが師範代、ご自分の立場も考えてください! それにあの女は身元も何も、全く知れていないんですよ?!」
 腰を浮かせ、前のめりになりながら、俺は師範代を思いとどまらせようと声を張り上げる。困ったように首を捻る師範代。だが。
 「そうは言っても、このまま彼女を見捨てるわけにもいかないだろう? お前がそう疑心暗鬼になるのもわからなくはないが…せめて彼女の記憶が戻るまで、仮の養子縁組とは言え身の安全を保障してやることの何が悪いというのだ」
 「そ、それはそうですが…」

 そして心の中で小さく、俺はため息をつく。
 先日、前線から戻ってきた俺が久しぶりにこの道場に顔を出して―――『北辰』のことで師範代に話をつけようと思っていた矢先、よりにもよって七条師範代が抱えていたお荷物というのが、今話題に上がっている記憶喪失の女。
 しかもその女は、木連の市民台帳に登録されてすらいないのだ。

 ……まさか、とは思ったが、俺の心の中にははっきりとした疑念があった。
 あの小賢しいクロサキとかいう女は、そしてあの中型機動兵器の操縦者は生体跳躍を完全に実現していた。つまりそれは、この木連にスパイが紛れ込む可能性すら示唆している。
 クロサキとやらの得体の知れない素性はともかくそのことだけは秋山に報告し、苛立ちを抱えて本国に一時帰還してみれば…心馴染んだこの道場にもまた厄介事だ、正直うんざりした気持ちにもなってくる!

 と、師範代が不意に顔を若干曇らせながら……硬い声で俺に声をかけてくる。

 「…元一朗」
 「は?」
 訝しげに答えを返す俺。師範代の顔はやはり曇ったままだ。
 「北辰殿の件だが…連絡がやっと取れたよ。今日の夕刻にはここに足を運ぶそうだ――――」
 「あ、はい……ご足労おかけしました」
 そして、俺と師範代は二人して俯いた。
 この話題はどうしても、暗くならざるを得なかった。特に七条師範代にとっては。…でも、だからだろう。師範代は苦笑を浮かべると、俺の顔を見やりながら何気ない調子で言ってくる。
 「…まったく、久しぶりにあの人には愚痴らしい愚痴を言われてしまったよ。『我に話を通すのならば、せめて新城(しんじょう)に言伝を頼め』ってね。北辰殿も、私と新城中佐の仲があまり良くないことは知っているのに」
 「師範代……その発言は少し問題があると思いますが…?」
 そして今度は小さくため息をつきながら、それでも何とか笑みを浮かべながら、俺はそう言葉を返して。

 …草壁閣下の忠実な腹心であり、優人部隊の中では実質上トップ5に入る新城有朋と、目の前にいる七条師範代は、言ってみれば全く正反対の人間同士だ。
 片や主君に忠実であり任務のためならば冷徹になりきれる新城と、片や正義と友愛を重んじ、情の脆さが表に出やすい師範代。
 5年前のあの時―――隠密部隊の創設を巡って師範代と壮絶な『やり合い』をした新城に、今回の記憶喪失の女の件が仮にその新城の耳に入ってしまえば、事を大きくしてしまうことは目に見えている。
 軍の中でも忠実な草壁派に属している俺としてはやはり、頭が痛くなる問題なのだ。

 (―――まったく、どこを見てみても頭の痛くなることばかり。九十九は九十九で、あの戦闘以来様子がおかしいし、な…)

 やはりため息が漏れてしまう。
 師範代と互いに正座して向かい合いながら、急にふって湧いて出てきたその厄介事どもの事を考える。
 余程険しい顔つきになってしまっていたのか、七条師範代が仕方なさそうに苦笑いを浮かべたその時。部屋の外から声がかかってきた。


 「…十真さん、月臣さん。お茶を持ってきました」
 「――――!」
 その声を聞いて、俺の心が跳ね上がる。
 自分でもよくわからない、焦りと警戒とが混ざったような緊張。平静な声で返事を返す七条師範代。
 「……イツキ君、どうぞ入ってください」
 「はい。失礼します」
 スッ、と…その障子が開かれていく。拳に力が入りそうになる。
 そしてその向こうからゆっくりと、そろそろこの道場の雰囲気に慣れた様子で入ってきた、その藤色の着物を着た女――――



 ――――その美しく長い黒髪と、清楚でいて凛とした顔つきをした…しかし正体のはっきりしない記憶喪失の女こそが、『イツキ』だった。












 機動戦艦ナデシコIF 〜メビウスの欠片〜


  第3章 『あまりにも冷たい真実と、逆らいきれない運命と』

  Act4




 1.

 (――まったく、師範代もどうかしている! 何故わざわざ得体の知れない…しかも地球人かもしれない女の面倒をここまでして見ようというのだ!!)

 やんわりとした光の下、その道場へと伸びていく曲がりくねった一筋のその木張りの床を、苛立ちを抱えながら歩いていく。
 いつもならもっと精神を落ち着かせて歩くこの廊下も、今日だけはそうもいかない。つい先程まで七条師範代に無理矢理立ち会わされていた例の『イツキ』とかいう女の養子縁組話のせいで、言いようのない不快感が俺の中を駆け巡っているからだ。
 踵が木の板に叩きつけられる感触。低く鈍い音が耳に届いてきて。
 ……そして俺は不意に立ち止まり、自分でもわかるほどに表情を顰めながら後ろを振り返った。

 「―――で、何故お前も俺と同じ方向へ来るのだ?」
 「え…?」
 振り返った先には空になった2つの椀と急須を乗せた、漆塗りの盆を持って立っているイツキの姿。静流殿――七条師範代の奥方に借りたというその藤色の着物と、腰まで伸びた長い黒髪を結んでいる幾つもの赤いリボン。
 その外見だけならばまさに『大和撫子』と言っていいだろうその………いいや!! それもこの俺や師範代を欺く一つの手段に決まっているその表情!


 と、そのイツキは、俺の顔を見て困ったように微笑むと険のない声で言ってきて。

 「あの、お台所がちょうど同じ方向ですから…」
 だがその返事も今の俺には気に障る。理由などあってないようなものだ、俺ははっきり言ってこの女を信用しておらん。
 「ふ、ふん! だがそう俺の後ろをこそこそとつけるように歩くのはやめろ。正直気分が悪い」
 「す、すみません……」
 そして俺がそうきつめに言い放つが、しかしそれでもイツキは困った顔をして謝るだけだ。…しかもなぜか、どこかそわそわしているように見える。
 上目遣いになり、無防備な視線で俺の顔をちらりと伺ってくるイツキ。だが俺と目が合った瞬間、まるで俺の眼光に驚いたとでも言わんばかりに視線を横へとやってしまう。

 (……なんなのだ、こいつは?――――もしや、俺に対して何かの『探り』でも入れているのか? やはりスパイなのかっ?!)

 困惑と警戒とが交じり合った頭でそう考え、僅かな沈黙の後に俺がついつい軽く身構えたその次の瞬間。
 イツキは意を決したように俺の顔をもう一度見ると、苦笑を浮かべながらその言葉を紡いでくる。

 「…あのう、そろそろ前に進んでくださいませんか?」
 「…………あん?」

 ……この俺としたことが、非常に間の抜けた台詞をその時吐いていたらしい。
 きょとんとした顔を見せたイツキは、ほんの僅かな間を置いてからおかしそうにクスクスと笑ってきた。
 「なっ――――き、貴様! 先に進みたいのならばさっさと言えばいいだろう! なぜ俺が笑われなければいけないのだ!!」
 どうしようもない気恥ずかしさと、突然笑い出された怒りから俺は声を荒げてそう叫ぶ。
 「あ、えーと…ごめんなさい、月臣さん。でも今の月臣さんの表情、なんだかおかしかったんです」
 しかしそれでもまだ、イツキは不思議な笑い顔をしながら俺の顔を見ていた。片手で盆を持ちながら、その右手を口元に当てて。
 …その手の甲にある、あのクロサキとかいう地球人の女がしていたのと同じ形をした刺青を俺に向けて見せながら。

 それをもう一度はっきりと目にして、不意に俺の頭から血が降りていった。
 肩の力を軽く抜きながら、それとは逆に自身の体全体に、神経の一本一本に感覚を鋭く伝わらせるようにしながら…俺はその低く冷たい言葉を出した。
 「それで―――その不可解な刺青のことは思い出せたのか?」
 それを聞いてイツキは黙ってしまう。困ったような表情を、辛そうにも見える表情を垣間見せ、ゆっくりと首を横に振る。
 少なくとも、嘘をついているようには見えない。さもなければこいつは余程の芸達者と言うことだろう。俺はイツキの目の前で、彼女を気にすることなく小さくため息を漏らす。
 そしてまた、気まずそうな顔に戻るイツキ。
 大抵は七条師範代か静流殿が、記憶喪失だと言うこの女の側に付き添って、こいつに不安をなるべく感じさせないようにしている。お二人のこいつに対する気の使いようは並のものではない。
 だが……二人にそうさせてしまった理由の一因は、実は俺にあった。
 俺はこいつに初めて会ったその日、師範代に言わせるところの『とんでもないヘマ』をやってしまったのだ。

 そう。あれは俺が前線から帰還して、『北辰』のことで七条師範代に話をしようと思いこの道場に来た日の翌日のこと。
 道場に改めて顔を出した俺がこいつと初めて顔を合わせたとき……その右腕の刺青に気がついた俺は頭に血が上って、イツキの右手を乱暴に掴んで―――まだ現状をはっきりと認識できていなかったこいつに、キツイ言葉を浴びせてしまったのだ。

 『貴様――――もしやして、地球人だな?! あのクロサキとかいう女の仲間なのか?!!…答えろ! なぜ貴様はこの木連にいる!!』


 …あの時のこいつの、混乱した、狼狽した表情は、今になって思えばとても痛々しいものだったのだろう。だがそのときの俺はそんなことにまで気がつく余裕すらなく、騒ぎに気がついた師範代が俺を制止しなければ、俺はこいつを打ち殺してしまっていたかもしれないのだ。
 だから多分、そのせいだろう。
 こいつが本当に記憶喪失だとしても、或いはそうではないにしても、こいつは大きな不安を抱えることになった。そして俺も、多少の後ろめたい気持ちを、やはり拭い去ることの出来ない一抹の不安を抱えて今もこいつに接している。
 …正直に言えば、今すぐにでもこいつがこの道場から出て行ってしまってくれればとさえ思っている。

 ―――なのに、そんなことがあったのにこいつは、イツキは俺に声をかけてこようとするのだ。
 どこか恐れるように、また俺に罵られるのではと恐れているに違いないのに…それでも俺に声をかけてくる。それが俺には理解できない。いや、逆にこいつを疑ってしまうのだ。


 (ふぅ……少し、張り詰めすぎているのかもしれんな、俺は。やはりあの男が来るまで、道場で座禅でも組んでいるか――――)


 「…? あの、月臣さん――――」
 俺は踵を返すと、後ろからそう声をかけてくるイツキには構おうとせず、右足を踏み出す。
 だが何故か、罪悪感のようなものがふと心の隅をよぎる。

 (……くそっ、この俺としたことが、なんてザマだ…!!)

 背後に、イツキの気配をはっきりと感じる。その不安に満ちた息遣いが聞こえてきた気がする。
 自分でもよくわからないままに、声を上げている俺。
 「――――イツキ」
 「…あ、はい」

 そして。


 「…さっさと静流殿のところへ戻れ。そしてできるだけ、身に受けた恩を返しておくんだな」
 「は――――はい……」


 そして俺は早口にそう告げると、どこか変な声を返してきたイツキを置いて、道場へと一目散に歩いていった。












 ――――ここで一旦、話は前日に遡る。




 2.

 「…ふむ、やはり茶の葉は『睦月』に限るな」

 木連軍有人艦・『かんなづき』の一室にある会議室で、そう言いながら豪快な仕草で椀を傾けたのは秋山艦長。この俺、高杉三郎太の上官であり、この有人艦『かんなづき』を指揮する人でもある。
 そしてその両脇を固めるようにして同じく茶を啜っているのは白鳥少佐とアララギ少佐。3番目のクソッタレはともかく、我等が木連の誇る優人部隊のエリート将校というわけだ。

 「しかしそのナデシコという戦艦、侮れませんね」
 椀を手に一息つき、そう言ってくるアララギ少佐。右隣に座る秋山艦長に向けられたその言葉は、その艦長のさらに右に座る白鳥少佐によって返される。
 「先日手合わせした第十六分隊の報告によれば、さらに改装を行っていたというし、な。無人艦程度の重力波砲ではびくともせず、逆に向こうの主砲と中型機動兵器のために危うく撃沈するところだったそうではないか」
 そして口を開く秋山艦長。
 「まちがいなく単艦としての能力は、『ゆめみづき』やこの『かんなづき』を遥かに越えておる。だがそれを決定的にしているのはおそらく…艦を動かしている人間だろうな」
 「ほう…秋山中佐から見てもそれ程優れているのですか? あの艦を動かしている人物は」

 …と、驚いたような声を出してアララギ少佐は秋山艦長のほうを向く。
 まぁそれもそうだろうな。秋山艦長は優人部隊の中でも知略に優れた知将中の知将、その艦長をしてそう言わしめるのだとすれば、そりゃもう大した人物ってことになる。
 そしてそれを艦長自身がわかっているのかどうか、秋山艦長は笑いながら言ってきた。
 「まだわからんな。少なくとも報告を見る限りでは並大抵でないことは想像に難くない。的確な戦力の配置、返す手を与えない迅速な攻勢、自身の艦を知り尽くしていなければまず無理だろうよ。一体どんな男が動かしているのか―――」

 「…………」
 「…あれ? 白鳥少佐、どうかしたんですか?」
 ふと俺が見てみると、秋山艦長のすぐ横に座る白鳥少佐はなにやら難しい顔をして考え事をしている。
 その白鳥少佐は俺の言葉に曖昧な肯きを返すと、言葉を濁しながら言ってきた。
 「いや…私が考えていたことはナデシコそのものの事ではないのだが…今回の戦争、地球の連中がまさかここまで持ちこたえるとは予想もしていなかった。草壁閣下にとってもこれは予想外だったのではないかと」
 「「「む……」」」

 …その白鳥少佐の言葉に、秋山艦長やアララギ少佐、それに俺は声を詰まらせる。

 「――そもそも草壁閣下がこの戦争を開始する決意を下した理由の一端、それは地球側がまだ遺跡の技術を完全に手中にしていないという調査結果があったからこそだと聞く。
 …確かにあの方は、地球連合の非情な連中が我々の歩み寄りを蹴ったからと言って、すぐに攻勢に打って出るほど血気盛んなわけではない。木連の未来を見据え、確かな道を模索する方だ。
 だが…現実には地球にはあのナデシコと言う戦艦が我々の予想よりも遥かに早く出現し、事実一時は完全に制圧した月の半分を奴等に奪還されている」
 白鳥少佐は拳を膝の上で握り締め、その視線の先、『激我』の文字が刻まれた掛け軸を見ながら言葉を続ける。
 その白鳥少佐に尋ねる秋山艦長。
 「…つまり白鳥、お前は閣下が大局を見誤ったと言うのか?」
 そして白鳥少佐は、迷いがちに首を横に振って。
 「今になってからどうとでも言うことは出来る。私にしてもあの時の閣下の判断は間違っていなかったとは思うのだ。ただ……少し、判断を急ぎすぎたのではという気はしている」
 「ふぅむ、折りしも本国では予想外に長引いた今回の戦線に対し、議会の方々が和平論を持ち上げてきたこともありますしね」
 「っ…何暢気に言ってるんですかアララギ少佐! 今更地球人と和平など出来るわけないでしょう!!」

 と、ふと横から鷹揚な口調でそんな考えもしないことを言ってきたアララギ少佐に、俺は思いっきり噛み付いた。ここには今いないが、多分月臣少佐だって同じ事を言っただろう。
 そんな俺を見たアララギ少佐は、椀を手に苦笑する。
 「軍人と政治家とは根本的に見ているものが違うものだよ、高杉君。…まぁ、草壁閣下が議長を兼任している今の政情では、余程の勢力にならない限り和平論が通ることはなさそうだがね」
 そのアララギ少佐の言葉に続くように、腕を組み目を閉じた秋山艦長が静かに言ってくる。
 「うむ。しかしそれも時間との戦いだ、だからこそ閣下も事をお急ぎになられようとするだろう。自然、我々前線にいるものにかかる期待と使命も大きくなる。
 ――――だとすれば…これはそろそろ、大攻勢をかける時が来たのかもしれんな」

 「!!……じゃあ艦長!」
 その言葉に喜びのあまり、血の滾りのあまり声を上げる俺。
 一方で白鳥少佐は何故かまだ浮かない顔をしていたけれど、でもそんな俺をなだめすかすようにして秋山艦長は笑いながら言ってきた。
 「まぁ落ち着け三郎太。そうは言ってもおそらくあと数週間は後のことだ、こちらもすぐには動けまい」
 「…はぁ、そうっスか」
 「――――そこで、だ」

 そして艦長は…ゆっくりとその目を見開き、不敵な笑みを見せる。

 「だからその前にこの俺が直に……その『ナデシコ』とやらの力量、どれ程のものか推し量ってやろうと思うのだよ」








 3.

 …いつもどおりの私の部屋での、そのいつもの定例報告。

 私が報告し終えたその書類を目の前のテーブルの上に置き一息つくと、目の前のソファに深々と腰をかけていた彼は珍しく大きなため息をついた。
 「……どうされたのですか?」
 そしてその私の問いかけに、彼は右手を大仰に振りながら言ってくる。
 「いやさエリナ君。ここのところイマイチ僕等の思うとおりに事が運んでくれないなぁって思ってさ」
 それを聞いて、眉をひそめる私。
 「…シャクヤクのことですか」
 「ああ、アレもそうだね。まさか就航前に連中に見事に破壊されるとは思っていなかったし……折角セキュリティを最高ランクにまであげて隠蔽していたっていうのに、アレのせいで折角の火星奪還計画が遅れ遅れるハメになったわけか」
 「ですが会長、2番艦と3番艦のみでも十分に任務は可能ではないですか?」

 と、彼はさらに身体をソファに預け、天井を見上げながら苦笑交じりに言ってきた。

 「流石にそれは木星の連中を過小評価しすぎだとは思うけどねぇ。――――ま、それはまた後で考えるとして、他にも頭の痛い問題は山積みなんだよ。
 この前の機密漏洩の件にしてもそうだし、最近続いているウチの研究所に対する破壊工作もそうだし…サレナ君はここ2、3日ずっと、なにやらドクターと密談をしている最中だし――――おまけにテンカワ君はユリカ君とよりを戻そうとしているらしいときている」
 「…………会長、最後のはまったくネルガルには関係ないと思いますが」

 最後にもう一度、大きなため息を吐いた彼に私は半眼になりながら、冷たい声でそう言い返す。
 ところが彼は心外そうな顔をして、大真面目な顔をして私のほうを眺めてきた。
 「なんでだい? 大いに関係アリじゃないか。僕が将来のパートナーとして相応しいと思った女性に関する話だよ??」


 ――――その彼の言葉を聞いて、なにやら頭痛がしてきた気がする。


 「会長…………本っ気、なんですか??」
 頭を抑えながらそう問いかける私。
 「ああ、本気だね」
 事もなげに返事を返してくる彼。こめかみを震わせる私を見て肩をすくめた彼は続いて、腕を組むと面白そうに問いかけてくる。
 「――エリナ君。君はミスマル・ユリカという人物をどう思っているのかな?」
 その言葉に、私は僅かに黙考して。
 「…戦術の資質があることは認めます。ですが軍人としての資質については大いに疑問が残ると言わざるを得ません。規律よりも感情を優先し、時には思いもよらないような破天荒な行動まで平気で取ろうとする、一貫性にかけた人物―――でしょうか」
 「でも、ナデシコでの評判は悪くないよねぇ」
 「それは――――この艦の連中も同じようなものだからです」

 と、彼は楽しそうにニヤリと笑うと、それから少しだけ真面目な口調になって言ってきた。

 「まぁ、確かにエリナ君の言うとおりに、彼女のその性格というか天性は…『軍人』にはあまり向いていないのかもしれないね。件の秘密漏洩の件でも分かるとおりにさ。
 でもそれは、人の上に立つ者として彼女を見たときとはまた別の話だと思うんだよ、僕は。
 根は人懐っこく天真爛漫ではあるけれど…それと同時に相手の裏を読みきるしたたかさや、的確に、瞬時に状況を読み切る判断力、それと驚くほどの強い意志 も同時に併せ持っている稀有な人物――――それが僕の見たミスマル・ユリカという人間だよ。パートナーとしてはうってつけというわけさ」
 「…買いかぶりすぎじゃ、ないですか?」
 半ば呆れたような、鋭いところを突かれて困ってしまったような気持ちになりながら私はそう問いかける。
 それに不敵な、そしてどこか冷徹にも見える瞳を返してくる彼。
 「かも、ね。僕が彼女に対して個人的な感情を持ってしまっているせいもあるかもしれない、彼女が僕にとって魅力的なのもまた事実だから。でも……
 ……それを抜きにしても、ミスマル・ユリカは貴重な人材だよ。だから諦めるもんか。僕は是非とも――――彼女をものにしたいのさ」


 「――――」

 ――そして、そんな彼の顔に私は、不意に理由もなくドキリとしてしまって。


 「……あれぇ、どうしちゃったのエリナ君。なんだかヘンな顔しちゃってるけど」
 「な、なんでもありません!! それより先程の続き、始めますよ…!」
 どこか愉快そうにそんな事をぬかしてくる彼。私は内心の動揺を隠しながら手元の書類を手荒に掴む。
 そんな私を見て、彼はふてぶてしくも小さな笑い声を漏らす。
 「いやさ、エリナ君って本当にこういう話に免疫ないよね。そういうところ、けっこう可愛いのに」
 「会長! 茶化さないで下さいっ!」
 「いやぁ、だって本当に可愛いんだもん」
 「――っ、の…! 貴方ねぇ、いい加減に私も怒るわよ?!」
 「エリナ君、言葉遣いが素に戻ってるよ?――もしかして照れてる??」
 「………!!」




 …………で、そんな腹立たしいやりとりから、およそ10分後。

 「―――さぁて、そろそろ報告の続きと行こうか」
 …乱れたその長髪を丁寧に撫でつけながら、腹立たしくもまだ口元に笑みが残っている彼を一睨みし、私はなんとかして落ち着き払いながら報告書の続きを手に取る。
 この憤りは後で、きっちり仕事の量で返してやろう。
 なにしろこの男が私のそういう一面を面白がってからかおうとするのは今回だけのことではないのだ。

 「……では、続きです。まずは連合軍の行っていた極秘捜索の件ですが…これは3日前にようやく打ち切られたようです。さしたる収穫もなかった様子で、おそらくは続行を断念したのもかと。
 ただ一つだけ付け加えれば…どうも目的は、敵機動兵器の残骸ではなかったようですね」
 そうして息を整えながら、淡々と報告する私。ようやく真剣な表情に戻った彼。
 「そうか…じゃあやはり軍の目的はフォン君だったのかな? まぁ今にしてみればもう過ぎたことだろうけれど」
 「…ええ。次に現在進行中の生体ボソン・ジャンプ実験についてですが……ドクターの協力とテンカワ・アキトから得られたデータを元に、ようやくCCを使った人工的なジャンプ・フィールドの安定形成に成功しました」
 さらに続く報告、私のその喜びが滲んでしまった声に、彼は感嘆の息を漏らす。
 「へぇ……。やったじゃないか、君の仮説が正しかったわけでしょ?」
 「はい。ただ…まだテンカワ・アキトが生体跳躍を実現できるその理由については完全には解明できていない状況です。やはり現段階では安定してジャンプ可能なのは非生体のみですね」
 「ふむ、まぁそれはじっくり気長に行けばいいさ。鍵は僕等が握っているんだから」
 そして今度は私のその曇り気味な声に、でも彼は大きな自信……いえ、確信のようなものを持ちながら声を返してきた。

 …おそらくそれはテンカワ・アキトのことだけではなく、今彼とドクターがなんらかの『交渉』を行っている、サレナ・クロサキの事を言っているんだろう。
 先日彼女はよりにもよってクリムゾンの秘密諜報員と一悶着を起こしたばかりだというのに、以前の態度とは一転して何故か彼は彼女に甘い。だとしたらそれだけの理由が、彼女にあるというのだろうか?
 「――――」
 私はその事に私自身が関われていないことを少し不快に思いながら、その気持ちを頭の隅に追いやるようにして最後の報告へと目を移す。

 「では……最後に先月より活発化していた、ネルガルの研究所を狙った破壊工作ですが――――こちらについては申し訳ありませんが、未だ詳細は不明のままです。
 クリムゾンの仕業でないことは分かっているのですが…その、襲撃を受けたどの施設も損壊状況が酷く、手がかりがほぼ皆無に近い状態でしたので」


 …と、その私の言葉を受けて、彼は怪訝な顔を見せてきた。

 「――――それはつまり、建物ごと大っぴらに破壊されているってことだよねぇ」
 「…はい。所員も一人残らず殺害されています」
 そして浮かない顔をして考え込む彼。
 「だとしたら確かにクリムゾンの連中の仕業じゃなさそうだな。
 仮にもそんな大々的な破壊活動なんて起こそうものなら、それはその身に大きな不発弾を抱え込むのと同じだけのリスクが伴う。連中はそういうことに関しては意外にデリケートだ。
 なのにそれを躊躇せずに行っているということは――――」

 やがて彼は、何かに気がついたように顔を上げた。
 「…エリナ君。確か、襲撃事件が起き始めたのは去年の暮れ頃からだったよね?」
 「そうです。最初の事件が起きたのが、去年の11月22日。それから次第に頻度を増していきましたが、同じく去年の12月下旬をピークに襲撃件数は逆に減少、今年1月現在はかなり沈静化しています」
 「そしてカワサキ・シティの生体ボソン・ジャンプ実験場に例の巨大機動兵器2機が現れたのが、12月24日、か……」
 「諜報部も同じ意見です、木星側の襲撃ではないかと。…ただ先程も言いましたとおり、手がかりは皆無に近いのですが」
 「――――本当に、何も出てきていないのかい?」
 そしてそう問いかけてきた彼に、私は報告書にあった一枚の写真を差し出した。


 「……これは―――」

 その異様な写真を見つめ、呟く彼。
 私は淡々と、報告書にあった内容を伝える。
 「唯一データの回収出来た暗視スコープに捉えられていた映像だそうです。今のところ襲撃者を示すデータはこれしかありません」
 「…そう、かい。しかしまた――――異様に時代錯誤な連中だねぇ」

 苦笑する彼の声には、慄きの色が混じっていた。
 ――そこに映し出されていた惨劇の光景は、私の知りえない世界のもの。

 …照明を断ち切られ薄暗い闇に包まれたその一室に散らばる、赤い飛沫と黒い塊。研究者だったもののなれの果て。そしてそれらの間に忽然と立つ、幾人もの顔のよく見えない襲撃者達。
 皆揃って、暗い色の外套を纏い、そしてその頭には編み笠をかぶっている。
 それぞれの手に握られているのは、日本刀や長柄の槍、それに不思議な形状をした長い杖。

 そして彼らの中央に立つ一人の男。
 その返り血一つすら浴びていない―――しかし手に持つ杖は明らかにドス黒く染まった―――男の俯く顔、その顔の一点にのみ…うっすらと赤い光が灯っていた。
















 4−1. それぞれのひととき 〜ミナトの場合〜

 「……すまなかった、ミナト」
 「へ?」

 それはそののんびりとした昼下がりのこと。彼は突然私の前に立って、ただそうとだけ言ってきた。


 (…あ〜〜〜〜)
 他にはまだ誰も帰ってきていない、お昼休みのブリッジには私と彼…ゴートの二人だけ。だからいきなりの彼のそんな態度に、正直言っちゃえばどう対応しようか困ってしまう。
 なにせこの間の辞表絡みの件があってから全く口を利いていなかったわけだし、白鳥さんの脱走のことまであって向こうは物凄く不機嫌だったわけだし……。
 …でもなにはともあれ、彼から話しかけてきたんだから「今忙しいの」ってわけにもいかないわよね。

 で、だから。

 「――――それって、この間のことかしら?」
 操舵席に腰をかけたまま、右横に立つ彼の顔を素っ気ない素振りで見上げてみる。
 「……ああ、そうだ」
 ちょっとだけまただんまりしてしまったけれど、それでもそう言ってきてくれる彼。…でもそれだけじゃ、何が言いたいのかよくわからないのよね。
 それに私はまだ、彼のあんな態度に腹を立てていたわけだし、小さくため息をつきながら言ったんだ。
 「…ねぇゴート・ホーリー? 『そうだ』だけじゃわからないわ。貴方は私に怒鳴った事を謝ってくれているの? それとも辞表の事を謝ってくれているの??」
 でもその途端、彼は黙ってしまう。その大きな身体で、私の事をどこか困ったように、少しだけ苛立ったように眺めてくる。
 やがて彼は、口を開いて。
 「両方、だ」
 それを聞いた私は、彼のその右手をなんとなしに取って…その大きくて暖かい掌に私の顔を触れさせてみた。
 「…………」
 無言のままではいたけれど、彼の息遣いが聞こえてきた気がする。彼の力強さが感じられる。
 でもこうすることで…私には私自身の中にある途惑いが、次第にはっきりと見えてきてしまう気がする。
 …私はゆっくりと目を閉じながら、問いかけるように、彼に言葉を投げかける。

 「―――本当は…どうなのかしら?
 私も貴方も、やっぱり譲れないことがあるわ。言いたいことだって多分たくさんある。だからってそれを全部言うことなんて出来ないけれど…。でも、私が今ここでこういう仕事をしていることに生きがいを感じていること、貴方はわかってくれる?」
 「……わからないなどとは、俺は一言も言っていない。ただ俺は、君に危険な目にあって欲しくないだけだ。それでは駄目なのか?」

 ゆっくりと、今度は目を開ける。視界に入ってくる彼の手の平。

 「…駄目じゃあ、ないわ。でもそうじゃないのよ。
 息も詰まりそうだった前の会社からこのナデシコに来てね、ルリルリやメグちゃんや艦長や…貴方にも出会ってさ。―――それを今更さよならしろなんて、冷たすぎると思う……」
 「さよならではない。会いたくなったらまた会える」

 ―――いつになく優しい、彼のその不器用な言葉。


 「……私の欲しい時間が、この今だとしても?」
 「君ならきっと、新しい時間を見つけ出せる。それにここは…近いうちに死が近い場所になる。居心地のいい時間は、それまでだ」
 「…………そっか。それまで、かぁ――――」


 ―――でも、貴方は……やっぱり私の事をわかろうとはしてくれないのね…。




 そっと彼の手を離して、私は気だるげな気持ちで前方のスクリーンを見上げた。
 目の前には宇宙。すぐ隣には頑固者で実直な彼。そしてホントに際どいタイミングで、艦長と一緒にお昼に行っていたルリルリが帰ってくる。
 「あ、ルリルリお帰り〜。艦長は一緒じゃないの?」
 「アキトさんと一緒です。私だけ先に帰ってきました」
 なんだか可愛らしい顔をして、ちょっとだけ不機嫌っぽくも見える顔で言ってくるルリルリ。
 またまた仏頂面になっちゃった彼の脇を通り抜けると、ちょこんといつものようにオペレータ席に腰掛けて。
 「…………」
 「ミナト、また後で話そう」
 そんな彼女を最後にチラリと見たゴートは、そう言ってブリッジから出て行ってしまう。

 「――私、お邪魔しちゃったみたいですね」
 「…いーのよ、かえって助かっちゃったくらいなんだから」
 それからいつもの調子でそう言ってくるルリルリに、私も軽い調子で言葉を返す。なんかよくわからないけれど、二人して目の前のスクリーンに映っている宇宙をぼうっと眺めてみる。
 そして。

 「…ルリルリ、ちょっと不機嫌じゃない? なんかあった??」
 「……そんなことありません」
 「艦長とアキト君、かなぁ?」
 「…………どうしてここでユリカさんとテンカワさんの名前が出てくるんですか?」
 どこか不服そうな顔をして振り返ってくる彼女。
 そんなルリルリの姿に思わずくすりとしてしまった私。
 「ううん、なぁんとなくね。…でもルリルリ、艦長のこと『ユリカさん』って呼ぶようになったんだ」
 「…そう呼ばないと、拗ねるんです。あの人」
 「あはは。らしいわねぇ、艦長も」
 「呆れて物も言えませんでした」
 「…………」
 「…………」

 「……でもさ、イヤじゃないんでしょ?」
 「―――――はい。たぶん」




 …そんな話をしながら、ふと―――白鳥さんの事を、私は思い出していたのかもしれない。

 (――――そういえばあの人も、彼に似て実直で、ちょっとだけ頑固っぽくて……でもすごく優しかったわよね…)

 そうして思い出して、思わずもう一度微笑ってしまって。

 「………? どうしたんですか、ミナトさん」
 そう、不思議そうに問いかけてくるルリルリ。最近のルリルリを見ていると、もしかしたらそろそろ彼女も恋をしてるんじゃないかなぁって思えてしまう。
 私なんかが言うのも『なんだかなぁ』だけど―――この頃にしか出来ないような、瑞々しい恋っていうのをね。

 だからそんな彼女に私は笑いかけて、ルリルリはやっぱり不思議そうな顔をして。


 ―――今日のブリッジの雰囲気は、結局そんな感じだったみたい。







 4−2. それぞれのひととき 〜メグミの場合〜

 昼休みのちょっとした時間を利用して、私と、ミカちゃんと、それにハルミの三人は、私の部屋でのんびりとくつろいでた。

 「はぁ……暖まります」
 まずそう言って私の淹れた紅茶をこくりと飲んでいるのはミカちゃん。食堂のウェイトレスの一人で、最近けっこう親しくしている子。
 そのミカちゃん―――食堂では最年少で末っ子扱いの彼女の隣に座って、のほほんとコップを手にしているのはハルミ。彼女はずっと私とアキトさんとの相談に…ううん、私がアキトさんと別れた今も、乗ってくれているんだよね。
 そしてそのハルミは、栗色がかった黒髪を三つ編みにした彼女はいつものように、ほんのりとした調子で言ってきて。
 「ねぇミカコ?」
 「はーい、なんですかハルミさん」
 「そういえばこの前取っ手が取れちゃったカップ、『何が何でも直すんだあ!』って言ってたけどどうなったの?」
 「ああ、あれですか? あれならタニマチのおじさんが接着剤でくっつけてくれました。顔は怖いけれどイイヒトです」
 そうやって能天気な返事を返してくるミカちゃん、首先くらいまでの髪をサイドに分けて可愛らしく纏めた彼女は、いつもそんな感じで不思議な雰囲気を醸し出してるみたい。
 いっぽうミカちゃんの元気な返事に首をかしげたハルミは、コップを口に持っていきながら呟いて。
 「タニマチさん? ええっと、誰だっけ??」
 「やだなぁハルミさん、ウリバタケ班長さんとよく一緒にいる人ですよ。それでアキトさんの担当の人で……」

 ―――途端、ハルミの顔がこわばる。
 もしかしたら私が気づかないうちに反応してたせいかもしれないけれど、でも彼女は続いて、何気ない表情と声を装いながら言ってきて。

 「ああ、そう言えばいたわね。タニマチさん。でも接着剤って、なんだか頼りなさそうだけど」
 「それはエリさんにも言われました。でもすっごくキレイにくっつけてくれたんですよ? お陰でちょっと見たくらいならもうバッチリです」
 「ふぅん…タニマチさんって、そんな一面あったんだ」
 「―――メグ?」
 そして私の漏らしたそんな一言に、ハルミは眉を少しだけ顰めながら声をかけてきた。
 でもそんな彼女の雰囲気に気がつかなかったのか、それとも気にしていないのか、ミカちゃんは身を乗り出して私に訊いてくる。
 「メグミさん、タニマチおじさんと親しいんですか?」
 …その彼女の問いに、ゆっくり首を横に振る私。
 「ううん、そうじゃないかな? 前はアキトさんと一緒にいることが多かったから、たまに声をかけてきてくれたりとかしたんだけれどね」
 「はぁ……そうなんですか」
 なんだかちょっとだけ残念、といったような顔をするミカちゃんと、コップを口にくわえながら黙り込んでしまうハルミ。
 そんなハルミが、私のことを心配してくれているのはわかる。まだ立ち直りきれてないんじゃないかなぁって思っているのはわかるんだ。
 …あの日、食堂に訪れたっていうアキトさんの様子が変だったのを気にかけて、それでベッドに包まってずっと泣いていた私の所に、慌ててやってきたのは彼女だったから。


 あの時はただ、悔しくて……本当は泣き叫んででもアキトさんを引き止めたかったけれど、でもそんなことしたらきっと嫌われるって思ったから―――私は聞き分けのいい子を演じなくちゃって、自分に必死に言い聞かせてて。
 だから、全部終わっちゃって、全部気が抜けちゃって……ただ何も考えずに泣いてしまえば、少しは楽になれるから――――

 ――――それで、そんなぐしゃぐしゃの顔の時に部屋に飛び込んできた彼女は、夜が明けるまで一緒にいてくれて。

 『…泣きたいって思ったときは、やっぱり何も考えずに泣ききってしまったほうがいいと思うよ。私は。
 だからメグも、今は…ね? 私はずっと、ここにいて話を聞いてあげるから』



 …そんなこんながあって、私は少しずつ、頑張らなくちゃって思うようになった。
 今はまだアキトさんと、普通に話は出来ないけれど…表面を取り繕うだけで、心の中はどうしようもなくぐちゃぐちゃになってしまうけれど。
 でもいつかは……って、思えるようになってきたと思う。すんごく大変だけれど、ね。

 「はぁ……自分でいれといてなんだけれど、やっぱ美味しい」

 だから私はいつもの紅茶を―――でも、アキトさんと二人で飲んでいたときとは違う茶葉にしてしまった紅茶を飲んで、そう呟いた。
 ハルミは呆れたような、安心したような表情をしてくる。
 ミカちゃんはいつもどおり、『うんうん』と嬉しそうに肯いてくる。

 そしてそんなミカちゃんのコミュニケに飾られている、小さなマスコット人形。
 ……ミカちゃんがヤマダさんから貰ったっていう、小さなゲキガンガーの人形。
 それを今になっても変わらずに身につけていて、それでいて元気でいられるミカちゃんは、ホント凄いって思う。食堂の皆、それにクルーの皆に可愛がられるのもわかるんだよね。
 ハルミの話では、ヤマダさんが亡くなった時は本当にひどかったらしいんだけれど…それだけヤマダさんのことを『お兄さん』として慕っていたらしいんだけれど。
 でも、今はこうして笑ってる。

 …ハルミも、今ちょっとしんどい恋をしてるって言ってた。相手の人は―――整備班だとしか教えてくれなかったその人は、もう好きな人がいるみたいだって言ってたけれど、それでもやれるだけ頑張ってみるって言ってた。

 だから……だから私も…………



 (…うん、私も頑張らなくっちゃ――――)








 4−3. それぞれのひととき 〜ジュンの場合〜

 「……おんやぁ、副長さん。どうしたのさ? そんなため息なんかついちゃって」

 溜まり込んでいた雑務なんかを昼前に一気に片付けて、一人遅めの昼食をカウンターで取っていた時のこと。
 厨房越しに顔を出していたホウメイさんは苦笑なんかをしながら、そう僕に声をかけてきてくれた。
 「いえ、ちょっと仕事が忙しかったものですから。息抜きのため息ですよ」
 「…ふぅん、そうかい?」
 サラダにフォークを就きたてながら、応える僕。ホウメイさんのそんな声。一方ですぐ近くのテーブルからは、整備班の人達―――特に班長であるウリバタケさんの声が聞こえてくる。

 「――――そろそろサレナの機体のほうも大詰めだよなぁ。ユウキ、レールガンとのコネクティング・システムはもう完成してるんだろ?」
 「…はぁ、だいたい9割方は。ただ補助のリュウザキのヤツがサボリ気味で俺ばっか作業してたもんですから、デバッグが完璧じゃないんですよ」
 「あ?? なんだ、お前等また喧嘩でもしてんのか?」
 「それはアイツに聞いてくださいよ! 最近ずっと俺に対して、ワケわかんない行動ばっかとってくるんですから…!!」

 …そんな声を耳にしながら僕がボリュームのあるサンドウィッチを口に運ぼうとしていると、カウンターの向こうで鍋に蓋をかけたホウメイさんが諌めるような口調で言ってきた。
 「しかし副長さん、昼食はもっとたくさん食べたほうがいいんじゃないかい?」
 そのホウメイさんの言葉に、僕は笑いながら返事する。
 「昼はあまり食べない習慣ですからしょうがないんですよ。あまり休憩する時間もありませんし、満腹だとかえって動きにくいですからね」
 「ふぅん、そうかい。でもそれにしたって、ちょっと働き尽くめな気はするけどね…。ここのところずっとじゃないか」
 「…ま、仕方ないですよ。ユリカはユリカであれでも仕事はたくさんありますし…それに今は、戦況として大きな局面にきているんです」
 「はぁ、そりゃあまた」
 そう言って、互いに苦笑しあう僕とホウメイさん。
 まぁ、本当に大事な情報はこの人には勿論話せないけれど…こうやって時々、一人で食事する時には僕はホウメイさんに話し相手になってもらっていたりする。そしてそんな時に、時たまに今の戦況の話だとかそういう話になることがあるんだ。

 「最近、木星のほうで大きな動きがあるみたいなんです。それもあって連合軍のほうでも、部隊の再編とか色々動きが慌しくなってきていて――――もちろんナデシコも例外じゃありませんから、ユリカはプロスさんと一緒に連日の会議、会議ですよ」
 「地球も盛り返してきているもんねぇ、最近は」
 「…ま、そうですね」
 なんだか感心したように、嬉しそうに言うホウメイさん。僕は軽く肯いてから、ミルクと砂糖を少しだけ入れてあるコーヒーを口に運ぶ。
 ……ところで背後のテーブルでは、ウリバタケさんやユウキ君がなにやら白熱しているみたいで。


 「―――ったく、最近あいつってばホントにワケわからないんですよ。班長からも何とか言ってください」
 「…いや、なんとかって言ったって、ユウキ。お前さ…………なぁタニマチ、お前はどう思う?」
 「聞かれるまでもないですよ、先輩。――――ていうかユウキよ? アレ、嫉妬なんじゃねぇか?? お前がクロサキにばっか構ってやがるから」
 「タ…タニマチさん、なんすかそれ?!」


 (…なんだか平和な会話してるよなぁ、ウリバタケさん達)
 そして戦艦で取る食事としてはもう破格なくらいの、このランチを口にしながらそんなことを考える僕。
 と、厨房の奥のほうで何やら作業をしていたらしいミズハラ君が、小さなケーキの乗った小皿を手にやってくる。
 「…??」
 「ジュンコ、そのケーキどうしたんだい?」
 首をかしげる僕と、煮込み途中の鍋の火加減を調節しながら訊いてくるホウメイさん。
 ミズハラ君はボブカットの黒髪が大きく揺れそうになるくらいに慌てながら僕達の所までやってきて、その出来たてらしいケーキをぽんとカウンターの上に置いて。
 「あ、あの…ジュンさん?」
 「はい?」
 それからなんだか少しだけ緊張しているような雰囲気の彼女は、続けてぎこちないような笑みを浮かべながら言ってきた。
 「今食堂でメニューに新しいケーキを入れようかって、エリやサユリと話しているんですけれど……これ、試食してみていただけますか?
 ジュンさん料理とかお菓子作りとか意外と上手いですし、男の人の意見も色々と聞いてみたいなぁ…って」
 「え――――うん、じゃあ…喜んでいただいてもいいかな?」
 「あ、はい! ありがとうございます!!」

 ……そして内心その理由っていうのにちょっと複雑気味な僕がそう返事をすると、ミズハラ君はなんだか嬉しそうな笑顔を見せてきてくれて。

 「気が利くねぇ、ジュンコ。お疲れ気味な副長に手作りのケーキかい」
 「シェ、シェフ!! ヘンな言い方しないでください!」
 そんな二人の会話を聞きながら、ミズハラ君の作った可愛らしいケーキを見ながら。僕はちょっとだけ懐かしい…でも少しだけ寂しいような気持ちになってあの頃を思い出す。
 それは僕がユリカのすぐ側にいた、あの頃の時のこと。

 (――――そう言えばお菓子作りも、ユリカがきっかけで始めたんだよな。ユリカが『どうしても上手く作れない』って僕に話してくれて、それじゃあってことになって僕がユリカと一緒に挑戦してみせることになって……
 …ホントはユリカの手作りのクッキーを食べてみたかったんだけど、何がいけなかったのか僕のほうが上手くなっちゃってさ――――)

 ホント、今になってしまったら…それはもう『懐かしい』っていうものになりかけているみたいだ。
 今もまだ、僕は心のどこかでユリカのことを諦めきれていないけれど…でも、まがりなりにも10年間、彼女の側にいた僕だ。ユリカのテンカワへの想いっていうのは、一番悔しいくらいにわからされている。
 だから、まだやっぱり僕はユリカのことを好きなんだって思う。けれどもう、無理なんだって事もわかってる。

 そして、だから……今はまだ胸が苦しくなるけれど、それでも僕は、せめてユリカが幸せになるのを見届けなくちゃいけないんだなぁって――――



 「……ジュンさん? あ、あの―――どうされたんですか??」
 「え……ああ、いやなんでもないよ。ちょっと考え事」
 不意に黙ってしまった僕を見て不思議に思ったんだろう、ミズハラ君はそう声をかけてくる。
 それに小さく苦笑いしながら僕は返事をして。でもホウメイさんには、困ったような笑みを浮かべているあの人には何かしら察せられたみたいだ。

 (…ふぅ。僕もまだまだ、頑張らなくちゃな)

 そうして小さく気合を入れて、残りのサンドウィッチを思い切り口に詰め込んで。
 「ご、豪快……」
 呆気に取られたようにそんな言葉を呟いてきたミズハラ君。
 続いて今度はゆっくりとコーヒーを胃に流し込んでいくと、僕はそのせっかくのケーキを目一杯ご馳走になることにする。
 「じゃあ、ご馳走になるね」
 「あ、はい!」
 …と、彼女は、一転して緊張した顔を見せてきた。
 やっぱり料理人だから、自分の作ったものが受け入れられるかどうかは気になるんだろうね。それはわかる気もする。
 そして、僕はゆっくりとフォークを――――




 「だーかーらー!! なんでそこでそういう話に持っていこうとするんですか班長達は!!! 大体今はエステの整備の話をしてたんじゃないですか?!」

 ―――を……って、なんでだろうね?
 そんなときに限って、突然後ろの席からそんなユウキ君の大声が聞こえてきて。

 「なんだよユウキぃ? 最初にノロケ話を始めたの、お前のほうじゃねぇか」
 整備班副班長であるタニマチさんの、ウリバタケさんの後輩でもあるらしい彼のそんな声まで聞こえてくる。
 「愚痴です、愚痴! ノロケなんかじゃありません!! だいいち班長もタニマチさんも、あいつの破壊的な性格のことは知ってるでしょう?!!」
 重ねるようにユウキ君の声がまた響く。
 そしてさらに聞こえてくるのは、なんだかやる気なさげで挑発的なウリバタケさんの一言。
 「てぇかなー。そんでもやっぱ整備班に咲く数少ない毒の花なワケで、そんなリュウザキと仲睦まじくしてるユウキ君に嫉妬の声も上がるわけだ」
 「「「そうだそうだー!!」」」
 その上性質の悪いことには、残りの整備班の人たちまで一緒になって彼をからかっているらしくて。

 「……あ、ええと――――」
 僕の目の前では、どこか固まった表情をして何かを言いかけるミズハラ君。…場をいきなり崩された気がして、どうすればいいかわかんないんだろうね。
 僕の背中の向こうでは、さらに騒がしくなっていく整備班の人達。……少しはまわりにも気を使って下さいよ。
 でも、そんな僕の願いも空しく…ウリバタケさん達はますますヒートアップしていくみたいで。

 「だいいちユウキよう。お前がリュウザキのヤツにつれなくするのを止めにすれば、全部話は収まるんじゃねえか? いい加減に腹決めちまえよ」
 「なんでそうなるんです班長!!」
 さらにねちねちと彼をいたぶる気になったらしいウリバタケさんに、内心どう考えているのかはわからないけれどユウキ君は否定の叫びを漏らす。
 「てか先輩? もしかしてユウキってクロサキのほうが気になってるんじゃないっすか??」
 「ん? おおなるほど、それもあり得るな!」
 「って、タニマチさんまでいきなり何言ってるんですか?!!」
 しかも雲行きはさらに怪しくなっているみたいだし…。
 「成る程ユウキ、そういうことか」
 「俺の見立てではまず間違いなさそうですよ先輩」
 「……つーかタニマチさん、これ以上あることないことぬかしてると…班長に言いますよ? タニマチさんが昔班長の奥さんに――――ふがっ?!」
 「っとあぁ?!! ちょっと黙ってもらおうかこのさらさらヘアー君!」
 「ふがふぐ! むー!!」
 「っと、なんだかよくわからんがとにかくユウキ!! 班長命令だ! 俺らのささやかな楽しみのために今すぐ、どっちでもいいから当たって砕けて――」

 …そしてそんなウリバタケさんの剛声が響き渡りかけ、僕がため息と共に、注意しようと席を立とうとしたその時。


 「――――ああ、もう! セイヤさんに他の連中も!! 副長が休んでるんだからもうちょっと静かにしておくれ!!!」

 それまで黙っていたホウメイさんが両の腕を腰にあてながら、食堂中に響くその声を張り上げて。


 「お……す、すまねぇ」
 「「「「すんませーん…」」」」
 「お、俺悪くないのに……」
 途端にしんと静まり返る整備班の皆さん。
 みんなして呆気に取られた顔をして、ホウメイさんのほうをぽかんと見てる。……ああ、ユウキ君だけしょげた顔だけど。
 「…まったく、もうちょっとまわりを見ておくれよ」
 そしてそんな彼らを一人一人睨むようにして見回したホウメイさんは、最後に僕のほうを向いて肩をすくめながら言ってくる。

 「……さ、副長さん。こんな所で悪いけれど―――たまには仕事を忘れてさ。うちのジュンコが作った新作ケーキ、ゆっくりと味わっていっておくれ」








 4−4. それぞれのひととき 〜リョーコの場合〜


 ―――部屋に、うるさいのが一人来た。




 「だからさぁヒカル。ここのシチュエーションはもっとこう『どどーん!!』と見た目のインパクトがあるやつにしてだなぁ…」
 「ええ〜? でもさ、もうちょっとこう、せっかくなんだからベタでも『ちゃらりら〜♪』っていう感じのほうが私は好みなんだけど」

 …さっきからそうしてヒカルと二人、なんだかよくわからん漫画の話をしているのはリュウザキ・トオル。整備班で二人しかいないっていう女性整備士の一人で、さらに運が悪いことには俺の担当でもあったりしやがる。
 見た目としてはまぁけっこう―――キツメではあっても美人と言える部類ではあるんだけどよ、コイツの場合はその性格にすっげぇ問題があるんだよな…。
 おまけにヒカルと共通の趣味を持っているらしく、こうやって度々俺達三人の部屋にやってくるようになったもんだから…イズミはどうかしらねぇけれど、俺としてはたまったもんじゃなくて。

 (――――ったく…ただでさえ今日は昔の夢見て、気分良くねぇっていうのによ……)

 ちなみにイズミは爆睡中。俺も同じくベッドの中で転がってはいるけれど、でも全然眠気なんか訪れてねぇ状態で。二段ベッドの一階でカーテンを半分閉めたまま、うすぐれぇ天蓋をぼおっと見ながらヒカル達の話を聞き流してるだけだ。
 そしてカーテンの向こうではまだまだ二人の話が続いている真っ最中で―――

 「……ああ、もう!! やっぱ駄目だ!」
 早速、そんなリュウザキの気の立った声が聞こえてくる。
 「そもそも女二人でこんな議論してても埒があかないんだよ。『男と女の間にはエベレストより高い壁がある』ってやつだ!」
 「あー、またトオルってばヘンなこと言い出すし」
 布越しのそんなヒカルの嘆息。言葉を続けるあいつ。
 「変?? 微妙にひっかかるがでもそうだろ?……ホント、こういう時にヤマダがいてくれると色々話が聞けたのに」
 「―――はぁ…でもまぁそうかもね……」

 そしてどことなく伝わってくる、沈んだ雰囲気。……俺はなんだかムカムカしながら、ごろりと寝返りをうつ。
 なんであいつはこんな時にヤマダの名前なんか出してくるんだよ?
 確かにヒカルとリュウザキはヤマダともそういう意味ではそれなりに親しかったし、格納庫で漫画の話をやかましくやってることも度々あったけどよ……

 (――――って、そんなの俺の勝手な憤りだよな…。なんだかんだ言ってヤマダのあんな最期が俺には……俺が考えたくなかったことをどかんって突きつけられた気がしたしただけで…)

 …そうだよ。なんだかんだと理由をつけてみたって、俺たちがやってることは結局は戦争で、ただの人殺しで。
 それは俺だってわかってるんだ。でも、それを認めちまったら――――俺が小さい頃から目指してた今の俺は、結局はなんなんだよって思っちまうから……



 ――――小さい頃に、空軍のパイロットだった親父の肩の上で聞かされた、自分だけの一番星の話。
 『どんなことだっていい。これだけは自分にとっての一番星だって、そう胸を張っていえるものを持ってる大人にきっとなれよ』……って、そう言っていた親父。
 そしてあの時に親父と一緒に見た、たった1個だけきらめいてた…その小さくてもキレイだった一番星。
 久しぶりに夢に見て…なんでだか気分が悪くなっちまった、あの頃のそんな思い出。

 『――わたし、大きくなったらお父さんみたいにパイロットになる!!』

 当時思いっきりそんな宣言をして、親父もお袋も度肝を抜かされたみたいだったけれど…それから俺はとにかくそんな夢目指して頑張ってきてよ。
 周りの男どもにナメられないようにって、言葉遣いも仕草も半分強引に乱暴にしていって、髪もバカみたいに緑に染めてみて。

 それでやっとパイロットになれたっていうのに、今更自分のことが、自分のやってきたことがわからなくなってきて――――




 ―――リュウザキとヒカルはまだ話を続けてた。
 俺が背中を丸めて、その隙間から見える明かりをぼおっと見つめてる中、まだ話を続けてた。

 「…つまり結局さ、女っていうのは『心のキレイさ』みたいな話が好きだったりするんだ。
 一見キタナくてもその中にはそういう純粋培養されたキレイさが欲しかったりして、でもキレイなだけなのもちょっと嫌だったりして。そういう論理的に見れば矛盾して曖昧してるようなそんな心情がわかりやすかったりする。なんたって実感出来るからさ。
 でもさ、そういうのって男にはあんまわからないだろ?」
 「………いや、私に言われても」
 「うん。とにかくあんまわからないらしいんだ。俺も班長とかユウキなんかを観察してて改めて納得した気がするんだが。
 それでもって逆に、俺達女も―――ちょっと不本意ながら俺もその範疇に入るんだが―――男の好きな、なんていうか肉体的というか真っ向勝負的な『カッコ 良さ』っていうのはあんま理解できなかったりもする。理路整然とした、ぴったり論理に当てはめるみたいな考え方もワケわかんなかったりするんだ」
 「うーん、そういうふうに言われたらなんとなくわかった気もするかな? 女の子の『カッコいい』って、キレイって意味もけっこう入ってたりするもんね」

 ……そんなヒカルとリュウザキの話が耳に入ってくるにつれて、なんだか少しだけ憂鬱になってくる。今の場所に来るまでに何度か味わった、腹の立つ出来事が心に湧いてくる。
 昔から、『女のくせに』って言われるのはすげぇイヤだった。でも、『女らしくないな』って言われるのも同じくらい……ううん、もっとイヤだったんだ。
 だからそんな二人の会話は、何かが俺の中で引っかかってて。
 そしてヒカルが不意に、どこかトーンを抑えたような声で言ってきて。

 「……でも、あのさ? トオルの場合はどうなの? トオルってそういう当てはめみたいの、キライに思えるんだけど」
 「んー…そうだな」
 なんだか間延びしたようなリュウザキの声。
 それからちょっとだけ時間を置いて、リュウザキはいつもになく真剣な雰囲気の声で言ってきて。
 「ぶっちゃけていえばさ、俺はなんていうか――――確かに型にはまった『女らしさ』みたいのがあまり好きじゃないせいもあるんだけど、やっぱホントは『少年のままでいたかった』みたいな気持ちが今でもあるのだよ。
 子供の頃からなんていうか、『少年』っていうやつの中にあるよくわかんない単純さみたいのに憧れてて…だから、ずっと『少年』のままでいたい、オンナになんかなりたくないって思ってた。
 ……あれだぞ? 俺、初めて股の間から血ぃ流した日なんか、その晩ずっと1人で泣きはらしてたんだから」
 「…そりゃあまた、乙女だわねぇ」
 「そう、それでそんな感傷的な自分もなんだかヤだったんだよ。
 今はもう、少年な自分ともオンナな自分とも折り合いつけてやっていけるけれど…当時は全然、ダメだったんだよなぁ――――」

 (――――――……)

 「……というわけで、リュウザキお姉さんのお話はここまでなわけだ」
 「なぁーんかあんまりわかんないような、参考になったような…だねぇ〜。少なくとも私は女になってヤだとか思ったこと、ほとんどないもん」
 「ヒカルはそうかもな。それは皆それぞれだろうから……」




 …言葉も、出なかったよ。
 まだ向こうからは二人の会話が聞こえてきてるけど、俺は窮屈なベッドの上で体を起こして、気がつけば顔は二人のいるほうを向いていて。

 ―――なんていうか、どっかが同じなんだ。
 リュウザキと俺とじゃやっぱり違うけれど、でもやっぱどっかは同じで。俺は『女らしく』がどんどん出来なくなっていったから……そうするのを自分で抑えていったから今みたいになっちまって。
 あいつは『女らしく』に抵抗していて……やっぱり抑えていったからあんなんなりやがって。

 ……でも、でも私の場合は――――――


 (―――ダメなんだよ。他に何もねぇんだよ…今の私は。パイロットがダメになっちまったら、もう…………)




 「…………あれ? リョーコ??」
 「お? お転婆な眠り姫のお目覚めか?」

 カーテンを開けて、のろのろとベッドから這い出てく。
 そんな声をかけてくる二人にも今は何も言えそうになくて。

 「…水、かぶってくる」

 俺はただそれだけ言い残して、バスルームへと重い頭を動かしていった。








 4−5. それぞれのひととき 〜そして、アキトの場合〜

 …結論から言えば、その日もユリカは俺に構いっぱなしだった。
 いや、あいつはあいつで仕事はきちんとやっていて、俺のところに顔を出していたのは休憩の間だけだったから『構いっぱなし』っていうのは正しくないのかもしれないけれどさ。
 でもそうやって一日は過ぎていって、気がつけば俺とユリカはなんだかよくわからない間柄になってて。
 こうやってぼおっと自分の部屋の畳の上に寝転がりながら、『これってやっぱりそういう仲に見えるんだろうなぁ…』なんてことを考えていたりする。そんな話を今日、なんとなしにサレナさんにしてみたら思いっきり呆れられてしまった。


 ―――それに最近、色々なことを考える。
 昔ならあんまり考えなかったようなややこしいこととか、今の自分たちのこととか、それから…この戦争の先のこととか。

 これから俺達がどうなってしまうのか、それを考えればきりがなくなってしまうけれど。落ち込むこと、やりきれなくなることが一杯だけれど。
 それでも俺にはやりたいことがあって……今はパイロットしか出来なくなったけれど、また絶対にコックに戻るんだって思ってる。だから時間を見つけては、ホウメイさんに頼んで厨房を借りて、まだまだ料理の勉強を続けてる。

 それでそんな一方ではさ……やっぱりユリカのことが、頭の中にははっきりとあって。


 (なんだろうな……。今はなんとなくだとしてもやっぱり幸せだけれど、このまま行くと俺、あいつと結婚までいくのか?)


 天井を見つめながらそんなことを思って、まだ現実味の湧かないそんな考えに自分で苦笑して。

 ただ……そんな漠然とした予感というか、期待みたいのを考える時。やっぱりどうしてもそれは不安になるんだ。そんな不安なんて、きっと当たり前のことだろうけれど――――それでもどうしても、思わずにはいられない。
 だから身体をうつ伏せに横たえる。
 最近になってはもう何度目かわからないくらいに思い起こしていた、あの頃のこと。


 (――――――そうだよ、な……。今になったって、コウイチロウおじさんが認めてくれるわけないよな…)



 ……あれだけが途惑いの原因じゃない。
 でもたぶん、あの頃の、怪物みたいにして俺に一気に襲ってきたたくさんの不幸は俺には大きすぎたんだ。
 バカみたいに、俺の中に刻まれたんだ。

 …でも、それでも。
 そろそろそんな臆病な自分を乗り越えたいって、俺はもうはっきりと願っているから―――――

















 5. 〜告白〜

 「―――――…ふう、それじゃこの辺りで一休みしましょうか?」
 「ええ」

 その医務室の奥にある、私のための小さな休憩室。
 今日になってもこの私にとっての小さな憩いの場で、サレナ・クロサキのその長い話に耳を傾ける。連日続いている、彼女のその不思議な告白と……その不思議な『昔話』に。
 しかし一番最初の日に、あの休暇の時に突然私のところへ戸惑った表情のゴートを連れ立って現れた彼女は、そのとんでもない証拠というものを私にまず突きつけてくれたのよね…。


 ……最初彼女の話は、ネルガルが行っていた生体ボソン・ジャンプの研究への協力の話だったはずなのだけれど――――少しずつ彼女自身の持っているその知識を聞いていって私は、自分でもまさかと思うくらいに取り乱してしまったわけ。
 何故なら彼女は、ネルガルが現段階でようやく辿り着いたはずのその結論―――まだ私達の他には誰も知ることのないはずだった結論を既に知っていたのだから。

 『―――生体ボソン・ジャンプと呼ばれるその特殊なジャンプを成功させるためには、私が『知っている』限りでは2つの特殊な手段が必要となります。
 まず一つ目は…このナデシコ級の超高密度のディストーション・フィールドで保護された物体を、チューリップと呼ばれる一種のゲートを用いて跳ばす方法。これは実際にナデシコが火星から地球まで跳んだ方法ですよね。
 ただ、厳密に言えばこれだけではジャンプは成功しません。生体ボソン・ジャンプを成功させるためには、この方法にもう一つの、絶対的なその条件―――2つ目の手段と密接に関わる、その条件を加える必要があります。
 そして、もう一つの条件というのが……ジャンプ実行のための媒体として、私やアキト―――そしてイネスさんの中にもある特殊なナノ・マシンを用いることなんです』
 『…!!!』


 ――非常に簡潔な言い方をしていたけれど、そのサレナ・クロサキの言ったことにほぼ間違いはなかった。
 しかもそれどころか、私達でさえ偶然の結果から発見できた―――その極小サイズのナノ・マシンは、かろうじてアキト君の血液中から検出できたものだった ―――そのボソン・ジャンプの鍵、現在の私達の技術では生成も複製も出来ない未知の物体について彼女は多くの事を語ってみせたのだ。

 それらのナノ・マシンが保有者の脳の片隅に補助脳を形成すること。
 そのナノ・マシンの働きにより、保有者は生体活動を停止させることなくチューリップを通り抜けられる…ジャンプできること。
 そしてまたそれらがジャンプの際に活発に活動し、ことにチューリップを使用しない単独ジャンプにおいてはジャンプ先のイメージを保有者の脳神経から受け 取ってなんらかの処理を行っていること。同時に、CCを媒体とし保有者の周囲にジャンプ・フィールドと呼ばれる特殊な空間を形成すること。
 そして全ての条件が整ったとき――――保有者は自らのイメージしたその空間へとジャンプすることが出来ること――――

 それらは全て、私達が苦難の末に勝ち得たばかりのものと同じだった。
 ……しかも彼女はその話をしてくれた翌日、私と…そしてその日に限って呼んでいたアカツキ君のすぐ目の前で事もなげにその成功例を見せてくれたのだ。


 …だからこそ当初アカツキ君は、彼女の事をクリムゾンに所属していた生体ボソン・ジャンプの被検体ではと推測した。
 だってそれも当然でしょう? ネルガルの他に地球圏でまがりなりにもボソン・ジャンプに関する研究を行えているのは、連合軍とクリムゾンだけ。そして何より彼女は現にクリムゾンのシークレット・サービスに命を狙われたんだもの。
 なら彼女は自分の身の安全を図るため、このネルガルに保護を求めてきたと考えることも出来る。

 ただそれは彼女―――サレナ・クロサキがアキト君となんらかの繋がりを持っていることを説明は出来なかった。
 そしてなにより、彼女自身の苦笑がそれを否定していた。




 ――――――そして、ここから先は私にだけ語られた話。
 彼女が言うところの、『今はまだ一握りの人にしか理解できない』という話。


 サレナ・クロサキは言ったわ。
 …彼女が木連の存在について、あのカワサキ・シティでの日以前から知っていたこと。

 サレナ・クロサキは言ったわ。
 …彼女の持つボソン・ジャンプについての知識は、やはり同じくらい前から既に彼女の内にあったこと。
 彼女自身のその異様とも言えるパイロットとしての腕が、IFSを扱う技量が『先天的』なものであったこと。


 ……彼女は私の事を、そして私の本当の名前を知っているということ。その時を超える運命を知っているということ。




 ―――――そして、サレナ・クロサキは言ったのよ。


 …彼女が持つ知識は全て、未来から――――遠い未来にいるアキト君から、私にとっての『お兄ちゃん』から受け取ったものなのだと――――








 『――――私は幼い頃から、ずっと一つの夢を見続けていました。
 …それは、黒い、哀しい…優しい心の人の夢。曖昧な、風景と音だけの世界の中で―――黒い鎧を身に付けて必死に戦っていた男の人の夢……』


 そう静かに、目を閉じて囁くように言ってきた彼女。

 『その人の名前は、テンカワ・アキト。……このナデシコにいる、アキトです。
 そして1年前のユートピア・コロニーで――――まだ小さな子供だった貴方が…『アイちゃん』が出会ったアキトです――――
 ――――そのアキトの、成長した姿なんです……』


 …彼女が語った、過去と、未来。



 いつの頃だったろう? 私はそのかけがえのない過去を取り戻していた。
 それはあのクリスマスの夜だったのかもしれない。1年前の―――そして20年近く前でもあるあの時と同じ、青い光に包まれて『お兄ちゃん』が私の前から消えていったあの夜に。
 ……そう。私は『アイ』。あの日ユートピア・コロニーでアキト君が出会った一人の少女。
 あの時にアキト君の――――そしてその場に彼女もいたのだろう、サレナのジャンプに巻き込まれ…遠い過去へと旅することになった一人の少女だったんだ。


 …そして彼女が続けて語ってくれた未来は…アキト君の、お兄ちゃんの未来は、言葉にすら出来ないものだった。

 幸せに満ちていたはずの二人の門出を襲った、理不尽な悲劇。
 大切な人は遠く囚われ、アキト君自身も深い傷をその身に刻み込まれ、やがてその黒い鎧に身を包んで自らを血塗られて道へと進めていく。
 やがて彼は、かつての家族だったひとりの少女に出会う。自身の生存すらも、伝えようとしなかったその『家族』に。

 『――――――君の知っている、テンカワ・アキトは死んだ』

 …その未来のアキト君の小さな言葉の裏には、ホシノ・ルリへと向けられたというその言葉の裏には…どんなに多くの、やりきれない思いが混じっていたのだろう。
 淡々と語られるしかなかったという、その言葉の裏にある本当の気持ちには。

 そうしてその気持ちをずっと押し殺し、宿敵とも言えるその一人の男に立ち向かっていったというアキト君。
 長い戦いの果てに、その血塗られた道の終わりに辿り着いたというお兄ちゃん。
 …でも、サレナのその話はそこでは終わらなかったのよ……。




 『長い、暗い、その茨の道の果てに、アキトやルリちゃん達は彼女を……ユリカさんを取り戻すことが出来ました。
 ただその時には、アキトは彼女に会うことはもう出来ないと思っていました。だから、一目見ることさえなく去っていきました。
 ―――それから先は……本当に長かったんです。
 時間にしたら、ほんの2年足らずの話でした。でも長い2年でした。
 ユリカさんは体に残っていた後遺症もすぐ消えていって、外面的には前のように元気になれても…アキトには、赤黒い血溜まりに浸かりきってしまったんだと 自虐的になっていたアキトには、変わってしまった自分を恐れていたアキトには……そのユリカさんの元にすぐに帰っていくことなんてできなかったんです』


 ……顔を俯かせ、そう噛み締めるように話してくれたサレナ。

 『私はその頃のユリカさんの気持ちは、知ることはできませんでした。でも…ほんの少しだけ、想像することならできます。
 ユリカさんとまた一緒に暮らすようになったルリちゃんも、似たような気持ちだったんじゃないかって思います。アキトにしたって、そのことはわかっていたんだと思うんです。
 そして、そんなアキトのまわりには…アキトの側にいることが、五感が衰えてしまったアキトを支えることだけが生きがいだと思っている少女―――ラピス や、その血塗られてしまった日以来アキトを支えてきてくれたエリナ…ネルガルの会長として、そしてかつての友の一人として、アキトを利用し、また手を貸し てくれたアカツキ……』

 そのサレナの語る言葉は、まるで彼女自身がその未来のアキト君になったとでも言うような口ぶりで。


 『……その他にも、ゴートや、月臣という一人の男、そしてイネスさん――――他の誰でもない未来の貴方もそのアキトの側にいて、彼にとっての支えになってくれていました。
 もちろんかつてのナデシコのクルーも、アキトには会えなくても、ルリちゃんとユリカさんのことをずっと心配してくれていて。支えになってくれていて。
 …そうやって皆、アキトがユリカさんのもとへと帰ってくる日を願っていたんです――――』






 ……そうしてその長い話を、3日間に渡って彼女はしてくれている。
 私には口をはさむことすら出来ないその話を。
 そして私の言葉をきっかけに、しばし無言で紅茶に口をつけていたその小さな時間。サレナはカップを抱えるように持ちながら、それを膝の上に乗せながら、ふと微笑んで訊いてきた。

 「――――イネスさん。今までの私の話、信じてくれているんですか?」
 そんな彼女に私は同じような微笑みを返して、ただ言うだけ。
 「…さぁ、どうかしらね? ただ嘘を言っているようには思えない」
 「…ええ、嘘なんかじゃありませんよ。少なくとも私にとっては」
 そしてまた、少しだけの沈黙が訪れて。
 私はその沈黙に続いて、微かなため息と一緒に言葉を付け足した。
 「まぁ正直、今の時点ではまだ見えていない部分が多すぎるわ。それに私にとっては客観的に判断できそうにない話だしね」
 「……?」
 するとサレナは首を傾げ、私の目を見てくる。苦笑しながら言う私。
 「―――科学者、だからね。本当はちゃんと主観っていうものを排除しきった心で貴方の話を聞かなくちゃいけないのよ。
 でもそうするには貴方の話は、私の心に響きすぎる。貴方が言ったとおり、私は確かに1年前のユートピア・コロニーでアキト君と出逢った…『アイ』という少女だったんだから」
 「…………」

 カップを口につけながら、寂しそうに微笑うサレナ。そのサレナを目にし、私は言葉をただ続けて。
 「全く、貴方が一番最初に言ったとおりよ。こんな話、私でないときっと誰も信じはしないでしょうね…。―――ええ。そして私は貴方の話を、はっきりと信じ始めているみたいね…」
 「――続き……始めていいですか?」
 「ええ。お願い」
 そしてその白いカップをテーブルに置き、サレナは再び話しだそうとする。

 「…詳しい話は今は省きますけれど、色々あって――――本当に色々あって、2年ぶりにアキトはルリちゃんと…そして時の止まったあの日以来初めて、ユリカさんと再会しました。その時に、ずっと離れ離れだった家族はやっと一つになれたんです」
 …まず、そう切り出してきたサレナ。
 そう語った彼女の表情は、本当に優しげで、そして何かをそっと思い起こすような……そういう表情。
 「アキトは…アキトはもう以前と同じような生活はできなかったけれど、それでもそれからの1年はきっと幸せだったんだと思います。
 今度こそ本当に、ユリカさんと一緒に、そしてルリちゃんと…新しい家族となったラピスと一緒に、4人で小さな家庭を築いていきました。年の暮れには新しい家族も出来ました。
 もうアキトには、かつてと同じ仕事は…その実現したはずのささやかな夢を続けていくことは出来ませんでしたけれど、それでも……」

 でも、そう言いかけて彼女はその表情を沈ませた。
 まるで私に何かの覚悟を、それまでの話以上の覚悟をさせようとでも言わんばかりに。
 「それでも……アキトは家族のために、ネルガルで就いていた自分の新しい仕事を懸命にこなしていたんです。懸命になって、そして僅かな希望を胸に持って。
 ――――そしてそれはその翌年、2204年の秋のことでした。
 2198年に終結した、今私達が真っ只中にいるこの戦争…通称『蜥蜴戦争』によって荒廃した、火星の大地。
 その火星の、赤い大地の上で…アキトは―――――」


 ……突然、彼女はその言葉を打ち切った。
 打ち切って、その胸を両手で押さえつけるようにして…そう。まるで胸の奥から湧き上がってくるその何かに耐えるように。

 「…サレナ?」
 彼女のその苦しそうな顔を見て、私は声をかける。
 ゆっくりと息を吐き出しながら、サレナは肩を落とし、苦笑を浮かべながら私のほうを見返してくる。


 ――――今日はここまでにしておいたほうがいいようね…。
 そう考えた私は仕方なく彼女に、そっと声をかけた。

 「…とりあえず今日の話はここまでにしておきましょうか? 私も少し内容を整理したいしね」
 「はい――――」
 どこか悔しそうな顔をしながら、それでも素直にそう言ってきてくれる彼女。
 私はポットを手にとって一言問いかける。
 「もう一杯、いかがかしら?」
 …小さく、「じゃあ、いただきます」と言って彼女はカップを預けてくる。少しだけ前かがみになって、何かを考える素振りを見せてくる彼女。
 そして私が淹れたその紅茶をそっと受け取った彼女は、不意にポツリと漏らしてきた。

 「イネスさん……私のこの『記憶』って、なんだと思います?」
 「え……?」
 それはあまりにも不意な問いかけで、私は応えることが出来なかった。
 私が話を聞き始めていてから、ずっと疑問として持っていたそのこと。彼女の『記憶』の正体。
 「私はこの『記憶』のことを…ずっと、私の前世の記憶なんじゃないかなって思ってきたんです。前世の私が、何かの理由でどうしても忘れられなかった記憶なんだって」
 「…まぁ、気持ちはわからなくないけれど。でもそれじゃ変じゃない? 私には魂とか輪廻とかそういう話は縁遠いけれど、その記憶は今の私達より未来の―――」

 そう言いかけて、私は言葉を止める。サレナはその私を見て、ゆっくりと肯いた。

 「……はい。ボソン・ジャンプって、空間だけじゃなく時間を超えられるんですよね? だからもし、未来のアキトが過去に跳んでいたとすれば―――例えばの話ですけれど、そんなことも考えたりしました」
 「…だんだん話がきな臭くなってきたわね」
 ソファに深く腰をかけなおして、私は自分の中に芽生えてきたその思いとは裏腹にそんな言葉を投げかける。私もサレナも多分、形は違っても同じような思いを心に抱き始めていたのだろう。
 そして。


 「――――でも、多分そうじゃないんですよ」

 「……え?」
 彼女の顔を見つめ、私はその小さな言葉の響きを心に染み渡らせていく。
 この静かな時間と部屋の中で、彼女は自分のその重ねあわされた手を見つめて。

 「…私はまだ、アキトの記憶を全部『思い出せた』わけじゃありません。いったいアキトに、アキト達に何があったのか――――まだ話してないその先からはわからないことのほうが多いんです。
 でも、私に……サレナ・クロサキっていう、火星に育った一人の人間に降りて来たその記憶と願いは、たぶんもっと形の違う―――」


 …この子は、こんなにも不思議な微笑みを見せる女性だったのかしら?

 私はゆっくりと語っていく彼女を見ていてふとそんなことを思った。思わざるを得なかったんだろう。
 彼女とそれ程親しかったわけじゃない。会って初めての頃に、少し興味深い話をアキト君と一緒に聞かせてくれた程度よ。
 でも、何が彼女にあったのかはわからないけれど――――そんなはっとするような微笑を彼女は見せてきていて。

 「――――きっと、ボソン・ジャンプって人だけじゃなくて『心』も跳ばすことが出来るんじゃないかな? って最近思うようになったんです。…すごい変な話ですけれどね。
 でもそうしてそのアキトの『心』を、未来から送られてきた願いを小さい時に受け取った私にとっては……アキトとユリカさんはもう他人なんかじゃなかったんです。だって…もう十何年も続いて、そのアキトの哀しい横顔を、ユリカさんへの想いを夢に見続けてきたんですから。
 …アキトの記憶が『思い出されてきた』のは、初めて会ったアキトと一緒にこのナデシコに来てからでした。思い出されるにつれて、だんだんと自分が怖くもなってきて、暗い気持ちにも引き摺られそうになって。
 ―――でも私は、ここにいるアキトと、ユリカさんに救われたんだと思います。
 二人の強さに、暖かさに救われて。それから…ニースでは、また一つ、アキト達に訪れた―――私にも関わってくるその悲しい未来の事を知って。
 だから私は…その未来を、運命っていうものを違う方向に変えていくために……アキトと、ユリカさんと、そして…その私の知っている人達のために…どうしてもうまくは言えないですけれど――――私がいまやるべきことは、これなんだ…って」




 …そうして、今までで一番長い静寂が訪れた。

 けれど、私はもう彼女の話に半信半疑になっていたりはしていなかったわ。
 ただ、二人静まり返って…私もサレナも、私たち自身の中に生まれてくるたくさんの気持ちに身を任せていただけなんでしょうから。
 そして私は、ふと口を開いて。

 「…じゃあ、あの『サレナ・カスタム』もそのためなのかしら?」
 「ええ―――そうです。私の中で何かが、気がつかないうちに作り出していた願いの形なんだと思います」
 僅かだけ顔を寂しげに肯かせ、そう言ってくる彼女。
 「一つだけ言えるのは、アキトにとって…イネスさんにもお話したその『火星の後継者』の事件が、彼からたくさんのものを奪っていったその出来事が、大きな後悔になっているってことなんです。
 アキトはきっと、ユリカさんのところに帰っていってからもずっと、そのことを引き摺っていて……」
 その彼女の言葉を受けて、ふと思う。
 先程彼女がその胸を詰まらせていたのは、そのアキト君の記憶にあるっていう後悔なんじゃないかって。
 サレナは、言葉を続ける。

 「……ですからその後悔は、やっぱり私の中にも別の形でずっと燻っています。黒く染まったそういう気持ちも私の中に入ってきてるんです。
 だからそのアキトの後悔を断ち切るために――――そして未来のアキトに訪れた悲しい出来事を断ち切るためにも…私はあのサレナ・カスタムを使って、アキトからその幸せを奪い去っていった男、『北辰』を倒さないといけない……」


 「…………」
 私はそう話すサレナの顔を見た。その時だけは、その瞬間だけは、彼女の表情はどこか暗くなっているようにも見えた。
 決して純粋なだけではない想い――――願いだけじゃない、理不尽な憎しみがないわけじゃない。
 そして同時に、その表情が悲しくも見えた。
 まるでその事が、彼女自身が一番良くわかっているとでも言うように。

 「――――その男を倒せば、アキト君の未来は変わるのかしら?」
 私のその問いかけに、たった一つの問いかけに首を横に振りながらサレナは応える。
 「……それだけはわかりません。これは私にとっての決着―――本当に自己満足みたいなものですから。
 でも、木連の内にあってただ1人他に類を見ない程と言われたあの男を、月臣にそこまで言わせた彼を…アキトをその血塗られた道に誘った彼を倒すことさえ出来ればもしかしたら――――」



 ……つまりそれは、彼女の内にある二つの願いなのだろうと思う。

 アキト君と艦長と、そして彼女が語らなかった彼女自身の未来を想うがための、白い願い。
 彼女自身が囚われているのだろう、その理不尽な憎悪に決着をつけるための、黒い願い。


 そんな願いを抱えながら生きていくなんて、本当に…この子は。



 「……ホントしょうがないわね。貴方の話、信じるしかなくなっちゃったじゃない」
 「イネス―――さん?」

 そうちょっとだけ大げさな身振りを見せながら、私は言っていた。
 言って、もう心には決意を固めていた。

 「だから私も貴方に協力する、いいえ、協力させてちょうだい。私だってアキト君には……お兄ちゃんには幸せになって欲しいって、今の話を聞けば思ってしまうからね。
 …アカツキ君とエリナには、私がちゃんと話をつけておくわよ。あの二人だって企業利益だとかそういう話になれば協力してくれるでしょうし、ああ見えてもけっこう人情はあるんだから」
 「――――」

 ゆっくりと立ち上がって、なんて言えばいいのかわからないような、嬉しさと驚きが同居しているような顔を見せている彼女の下へと歩いていく。
 そして彼女の後ろに、静かにまわって。

 「……失礼?」
 「え??――――」


 …私は前かがみになって、座っている彼女の身体をそっと抱きしめた。そしてそっと手を回した。
 カウンセリングの方法としてはどうしようもなく反則というか、絶対にやってはいけないことだったけれど、そんなことは関係ないの。
 ……ええ。もうそんなことは関係ない。

 まわした手の内から、すぐ側を流れ落ちる彼女の黒い髪から、彼女の戸惑った様子が伝わってくる。
 不思議そうに顔を少しだけ横に向けて、私のほうを見てくる。

 「……ホント、どうしようもないわね。そんなことを1人で抱えていたなんて。…でも、仕方ないか。そんな話じゃ私以外に誰も信じられるわけなかったでしょうから」
 「――――ええ」

 そう言った私の手に、彼女はその手を重ねてくる。

 「でも、これからは1人で抱える必要なんてないからね?
 少なくとも、私がいる。全部を話すことは出来なくても、アカツキ君やエリナにも協力してもらうわ。貴方が思っているとおり、アキト君にも艦長にも話すことは出来ないでしょうけれど――――それでももう、貴方は、私達は、一人じゃないんだから」

 「――――――ええ……」


 彼女の手が、僅かに震える。




 「……だから、ほら。あんまり泣いたりしないの」

 そして。


 「それは……無理ですよ、イネスさん――――」



 …彼女の閉じられた瞳からは、ただひたすらに綺麗なその涙がゆっくりと零れ落ちていった。










 6.

 その日。私がイネスさんに私の中にあった気持ちを打ち明けた日の夜。
 私はユリカさんの部屋にお邪魔して―――ユリカさんとなんでもないような話をずっとしていて。

 ベッドの横に敷いたその布団の中、ちょっとだけ上から顔を覗かせて。ユリカさんはアキトとのことや懐かしいユートピア・コロニーのこと、それにナデシコの皆のことなんかを話してきてくれて。
 「…そういえば、ひさしぶりだよね。こうやってサレナさんとお話するの」
 「そうだねー。ちょっと最近は色々、余裕なかったし。そう言えばアキトともあまり話してなかったな」
 布団の中でうつ伏せになって、白いシャツ一枚に包まれた上半身だけを起こしながら私は隣のユリカさんの顔を見上げる。
 優しい顔をして笑うユリカさん。
 「あ、アキトもそれ、今日言ってたよ。『ここのところ、からかわれてなかったなぁ』って」
 「…ひどい言いようだね、アキトってば」
 「あははっ」
 私はムスっとした顔をしてみせる。オレンジ色の光の中、ユリカさんは枕に顔をうずめるようにしながら、ほんの少しだけの時間をおいて言ってくる。

 「……でも、よかった」
 「??」
 私は首を傾げて、左上からそう言ってきたユリカさんへと視線をやった。
 微笑みながら続けてくるユリカさん。
 「皆…クリスマスからずっと落ち込んでたり、ピリピリしてたり、そんなだったから――――でも今はほんの少しだけれど元気になっていってるから、私そう思ったんだ。
 …アキトもね、やっぱり今でもすごく辛いんじゃないかって思うの。でもアキトはそんな中でも頑張っていて、だから私も少しでもいいから、支えになってあげたくて」
 「――アキトのこと、そんなに好きなんだね」
 なんだか優しい気持ちになりながら言う私。
 「…うん」
 恥ずかしそうに微笑いながら、肯くユリカさん。
 「それにナデシコの皆も……ルリちゃん、ジュンくん、ミナトさんに…メグちゃん。プロスさんもゴートさんも、イネスさんもホウメイさんもウリバタケさんも――――パイロットの皆に……それに、サレナさんも」

 ……そしてそんなユリカさんの笑顔を見て、私は少しだけどきってして。

 そういう、ユリカさんの持っている―――誰に対してでも優しくなれる心。
 そんな太陽みたいな心を持っているユリカさんに、彼女のそんな一面に憧れる気持ち。その、優しくて強い――――ううん、『強い』っていう言葉ともどこか違う、なんて言ったらわからないその心に、憧れて、救われて。

 「サレナさんも、ずっと大変そうだったから…私心配してたんだよ?心配で、力になってあげたくて。でも私なんかが―――」
 「…ううん、ユリカさん。私元気になれたよ。ユリカさんのおかげで」
 「――――そっかぁ。嬉しいな……」


 ――――どちらからだったかわからないけれど、そっと、互いに手を伸ばした。

 握った手の暖かさと、そのつながりが嬉しかった。だから気恥ずかしさみたいのなんて、もうどうでもよくなって。


 「――――そういえばさっき、アカツキの名前…挙がってなかったよね」
 ちょっとだけ可笑しくなりながら、私はふとそんなことを言ってみる。
 「…えーっと、アカツキさんはね。ちょっと苦手で、でも頼りになる人。エリナさんも同じかな」
 見たことないくらいに困った顔をしながら、そう言ってくるユリカさん。

 「……ユリカさんにはアキトがいるもんねー。アカツキも勝ち目はないっていうのに」
 「知ってたの?」
 「なぁんとなく」

 「――――」
 「――――」


 そしてだんだんと、言葉も少なくなっていって。


 「―――――ねぇ、サレナさん」
 「…なに?」

 「サレナさんは、好きな人――いるの……?」



 ……もう心は半分、夢を見ながら――――



 「……いるよ。今もまだ、ずっと覚えていて…この戦争が終わったら、そいつに絶対に逢いにいってやるって決めた人――――」








 …そして、その翌日。
 午前の訓練が終わった私は格納庫に足を運び、私の願いのためのその機体――――『サレナ・カスタム』を一人眺めていた。その因縁めいたような、黒い機体を眺めていた。
 そして……。

 「―――――…なんで、これって…?」

 そして思わず私がぽかんとしながら口に出した、その言葉。
 それもそうなのだ、私の目の前で鈍い光と共に鎮座しているその黒い機体。そのエステからはもうかけ離れてしまった外観を持つ私の機体は――――
 「……おお、サレナ! ちょうど良かった」
 「ユウキ、さん? ウリバタケさんも」
 そのユウキさんの声に振り向く私。ちょうど資材の陰から出てきた彼は、何かいいニュースでもあるというような顔をして私のところにやってきた。
 「見たか? これ」
 「うん、見たけれど……」
 ユウキさんのそんな言葉に語尾を濁しながら私が見上げたのは、私の機体に装着された、鈍い銀色の光を放つ長身の銃。
 その右腕に半ば固定されるように装備されている銃は、そしてその輝きとコントラストを織り成す黒い装甲は……私に、今までとはまったく違う危うい印象を与えてきたんだ。
 「…ま、見てのとおりだクロサキ。この前のエクス=バリスのジェネレータの改良になんとか成功して、な。
 前程の出力じゃあねぇが代わりに安定性には問題がなくなってよ。こいつを使えばお前さんの機体にレールガンならつけてやれるって思ったんだよ」
 機体を見上げながら、どこか侘しさのようなものを滲ませてウリバタケさんが言ってくる。
 きっと、ヤマダと提督のことを言ってるんだろう、そのことについては私には何も言えそうになくて……そしてどうしても、私の目はそのレールガンに釘付けになっていて。


 ――――――――まるで、『黒いステルンクーゲル』みたい。

 …見た瞬間、私はそうはっきりと思っていた。
 エステとほぼ同じか、やや高いくらいの全長の機体。その機体の3分の2はあるかと思えるような長さのレールガンを握り、黒い装甲がその両脚と両肩と、そして胸部とを覆う…それでも十分に華奢に思える、目の前の機体。
 「……こんな大きさの銃を持って、安定性のほうは大丈夫なの?」
 内心の僅かながらではない動揺を抑えながら、ウリバタケさんにそう尋ねる。
 「真空中なら問題ねぇな、重心のバランスも設計段階でかなり気をつかってやってある。ただ流石に、大気圏内ではこいつの最大加速を出すのはムリだぞ?」
 「ちなみに威力のほうはお墨付きだからな、サレナ。例のゲキガン・タイプのフィールドだって、真正面からなら貫ける」
 そう続けて言ってきてくれるウリバタケさんとユウキさん。

 「…そっか。きっと頼もしくなってくれたんだね―――」
 「サレナ…?」

 ―――そして私は足を踏み出していって…その新しい機体を、どうしても悲しさを感じそうになる機体を見上げていく。
 どこか慌てたように、ユウキさんが私のすぐ横に並んでくる。
 そして、思う。

 …確かに、そんな錯覚を私に起こさせそうになったけれども、この機体はそんなもののためにあるんじゃない。
 ウリバタケさんもユウキさんも、そんなことのために作ってくれたんじゃないんだから。
 そしてこの機体が、私にとっての決着をつけるための手足ではあっても……私もそんなことのためだけに、この機体を使うんじゃないんだから。

 ……だから、私がこの子を使いこなしてあげないといけないんだろうな。


 「―――ありがとう。ちょっとお転婆そうだけれど、すごく頼もしい」
 「…へへっ。どういたしまして」
 横を向いて、そう頬を緩ませながらお礼を言う私。はにかみながら返事を返してくれるユウキさんと、なんでだか後ろで口笛を吹いているウリバタケさん。
 かと思えば突然どこからか現れたリュウザキさんが、そんなウリバタケさんに容赦のない体当たりを敢行していって。
 「あれ、どうしたの?」
 「…あー、気にしないでくれサレナ。最近ちょっとヘンなんだ――――って、お?」

 …そして、突然。

 「「「!!?」」」


 この格納庫に―――ううん、ナデシコ全体に、その轟音と振動とが襲いかかったんだ。








 7.

 「はーっはっはっはっは!! 所詮卑劣で肝っ玉の小さい地球人、この『かんなづき』の跳躍砲に恐れをなして逃げの一手か!」
 この『かんなづき』の艦橋の中、秋山艦長の側に立つ俺は画面に写る小さな光点を見つめながらそう高らかに声を上げた。

 …秋山艦長が指揮するこの木連有人艦・『かんなづき』。
 言ってみれば『ゆめみづき』を横二列に直結させたような外観をしてはいるが、その実保有する兵装は全く異なると言っていい。
 『ゆめみづき』に配備されていた無限砲のかわりに重力波砲が一門と、そして我が木連の最新兵器―――中距離次元跳躍法によって時限機雷を直接目標地点へと送り込む、『跳躍砲』を配備しているのだ。
 そして俺達が月周回軌道上であのナデシコという戦艦との邂逅を果たしたのがつい先程。
 結果はまぁ、この俺の言葉のとおりというわけだ。

 「―――いや、三郎太。そう簡単な話ではなさそうだぞ」
 「…は? 艦長??」
 と、それまでその太い二の腕を組んで黙考しておられた秋山艦長は俺にそう言ってくる。
 「僅か2回の跳躍砲による攻撃のみでその性質を見切り、反撃の気配すら見せずにまんまと射程外にまで後退してみせたのだ。まさに迅速、かつ的確な判断。…そうだろう? 白鳥」
 「ああ、やはり流石だ」
 続けて秋山艦長と同じように首を肯かせる白鳥少佐。少佐は今回の作戦の際に、是非と言ってこの艦に同行してきたのだ。
 そしてその白鳥少佐が、秋山艦長に問いかける。
 「…秋山、やはり私も『ゆめみづき』で来るべきではなかったか?」
 だがその言葉に艦長は首を横に振って。
 「いいや、木連男児たるもの、如何に相手が地球人といえども1艦に対して多勢で攻めるとあっては誇りが廃る。それに…我が艦ただ1騎のみであれば万が一にも慢心の気配を見せはすまいかと高を括っていた面もあるのだが――――」

 その言葉を一旦途切れさせ、ニヤリと笑う秋山艦長。

 「―――だがどうも想像以上だったらしいな…」
 「…艦長、買いかぶりすぎではないですか?」
 そんな艦長の、そして白鳥少佐の慎重すぎるように思える姿勢が俺には少し不服に思えた。そう艦長に疑問の声を投げかける。
 しかしそれでも、秋山艦長は画面に写るその光点を見つめ、どこか楽しそうに言ってくる。
 「なぁに、そうであってこそ刃を交わす価値があるというものよ。……さて、この次はどう出てくるか」








 8.

 さて、あれから30分後。
 いきなりでなんだけれど、私やアキト、それにリョーコ達エステのパイロットは宇宙の海にぷかぷかと浮かんでいたりする。
 その背中におっきなソーラーセイルを広げながら。

 『あ〜…ホントにこんなんで大丈夫なのかなぁ?』
 そう危機感のないような声で私に通信を繋いでくるのはヒカル。
 『陰に潜んで騙まし討ち……いいわ』
 なんだか暗い声でそんな物騒なことを言ってくるのはイズミ。
 『しかし我等が艦長も大胆な作戦を思いついてくれちゃったものだよねぇ、テンカワ君?』
 『はぁ…大胆っていうか危なっかしいっていうか』
 そう口々に言っているのがアカツキとアキト。
 『…………』
 それからリョーコは何があったのか、作戦が始まってからずっと黙ったまんま。

 そしてそんな中で私は、このサレナ・カスタムのコクピットの中……その黒い海を、冷たくもいとおしく思えるその宇宙を眺めていた。


 …そう。まるで白く輝く貝殻細工を、無限に散りばめたようなその空。
 月の陰になったこの薄暗い宙域に私達6人はぽかんと浮かんで、その時間が来るのをじっと待っている。

 その特大の獲物が網にかかるのを私達はじっと待っている。


 ――――つまりその、ユリカさんが苦心の末に考え出した作戦は。
 それは言ってみれば用心深い狐をあの手この手で誑かして、挙句の果てに檻に飛び込ませる―――みたいなものだったんだよね。
 …まず、ナデシコの全機関の作動状況を最小限にまで抑えて、敵艦がこちらの動向を察知できないようにする。
 そしてエンジンもディストーション・フィールドも切っているから、代わりに潜水用の圧縮空気バラストを放出してナデシコを敵艦と同じ進路軸から大幅に移動させ、砲撃による被弾を回避。
 で、ここからがこの作戦のいやらしい所だけれど……敵艦の予想進路上に段階的に自動追尾ミサイルをばら撒いておいて、さらにその先の宙域にはその予想進路の上下に展開するようにして待機している私達エステバリス部隊。
 敵がミサイル網に感づいてそれを回避するようにして脇を進んできたとしても、進路上にナデシコを発見して慢心したその瞬間に――――


 『……ねぇ、どうしたのリョーコ? なんだか昨日から変だよ??』
 と、不意にヒカルがずっとだんまりなリョーコにそんなことを言ってきた。その問いかけに無言を返したリョーコに、ヒカルは心配そうに言葉を続けていく。
 『昨日もシャワーに入ったままずっと出てこなかったし、身体の調子悪いの? ねぇリョーコってば』
 『…リョーコちゃん?』
 アキトのやつも気になったのか、そう声をかける。でもそれでも、やはり無言のままのリョーコ。

 …その表情はきつく、口は硬く結ばれていて、彼女はその先にある宇宙をじっと睨んでる。
 何を思っているのか、何を悩んでいるのか、それはわからなかったけれど―――でも彼女の表情はそういう風に見えて。

 「…リョーコ、黙っていただけじゃ皆何もわからないよ。せめて少しでもいいから―――」
 『―――そろそろ、来やがるぜ。通信回線を閉じろ』


 私のその言葉を遮るようにして、リョーコは硬くそう言ってきて。






 9.

 「…重力波砲、発射用意!」
 「了解――――重力波砲、発射!!」

 そして秋山艦長の号令の下、黒い光の塊が目の前の宇宙へと放たれていく。
 放たれていくが、その先には何の影も映らない。
 「……艦長、重力波砲の進路上には敵艦の反応はありません」
 「ふむ…」
 部下のその報告に、小さく唸る艦長。その艦長に、俺は言葉を投げかける。
 「…流石に艦の位置は変えているようですね」
 「それは当然のことだろう、な。相転移炉だけでなく時空歪曲場も各種アクティブ・センサーも全て停止して音なしの構えだ、どこかに潜まないほうがおかしい。
 ―――しかしいったい、何を企んでいるのか」
 そして艦長のその言葉に続いて、画面を見据えていた白鳥少佐が固い口調で口を開いた。

 「秋山、私の推測なのだが」
 「…なんだ?」
 「おそらく―――敵の艦長は跳躍砲の特徴について既にあらかたのことを掴んでいるのではないだろうか?
 私と元一朗が地球で戦った時もそうだった。初戦であったにも関わらず、驚くほどの短時間でテツジンに搭載されている跳躍システムのパターン性を見抜き、即座に反撃の手を打ってきたのだ」
 「―――成る程。もしお前の言うとおりだとすれば、敵がついてくるべき跳躍砲の弱点は…」
 口に手をあて、考え込む艦長。
 僅かな時間の後、俺は思い当たったままに声を上げる。
 「…やはり、射程のことでしょうか? だとすれば敵は超長距離からの攻撃を仕掛けてくるのでは」
 「…………」
 しかし艦長は、星空のみが映るその暗い画面を睨むと。
 「いや、違うな。こちらも向こうも単艦だ、よしんば重力波砲の連続砲撃を行ったとしてもこの『かんなづき』の時空歪曲場はそうやすやすと貫けはせん。その間に射程距離に入ったこちらの跳躍砲の一撃で勝負は決まる。
 かと言ってそれ以上の火力を得る方法は、そうそうは…」
 「艦長!!! 進行方向より多数の熱源が接近中! おそらく誘導ミサイルかと思われます!!!」
 「何?!」
 「回避、間に合いません!!」


 そして突然、この『かんなづき』に襲い掛かってくる多数のミサイル。時空歪曲場に衝突していく余波で、この艦橋までもが小刻みに揺れる…!!

 「…っのれ、地球人め!! ふざけやがって!―――ミサイルの発信源はどこだ?!!」
 壁に手をつきながら、そう血の上った頭で俺は叫ぶ。
 「現在割り出し中です!」
 「艦長、敵艦の予測位置を割り出してその宙域に…!!」

 「―――落ち着けぃ! 三郎太!!!」
 そして飛ぶ、艦長の叱責。

 「…これは、罠だ。おそらく敵はこの先でミサイルの包囲網を築き上げ、我々を待ち構えている筈。その中にもし我々が飛び込んだとすれば、多量のミサイルの爆発の上に重力波砲の波状攻撃を受けかねん!」
 「で、ではどうすれば…?!」
 「…ミサイル網の脇を抜けるぞ。そのさらに先に敵艦はいるはず――――それにおそらく、敵の真の狙いは長距離射撃ではない」
 …そう言って、チラリと白鳥少佐のほうを見やる艦長。
 「白鳥の言葉を信ずれば、敵艦の艦長はもう一つの跳躍砲の弱点に感づいていることになる。即ち――――高速移動物体への攻撃だ」
 「な?!」
 その艦長の言葉は、推察は…俺には予想もしていなかったもの。
 「跳躍砲は対戦艦用の兵器だと言ってもいい、機動力に優れる目標、的の小さい目標に対して確実に命中させることは至難の業だ。
 だとすれば敵は小型の機動兵器をこの付近に潜ませ…我々がのこのことミサイル網を抜けて油断を見せた瞬間、この『かんなづき』に直接攻撃を仕掛けてくるはず――――」
 「し、しかし…機動兵器如きで『かんなづき』の時空歪曲場は」
 「対歪曲場兵器を以ってすれば不可能ではない。敵も持っていると考えるが妥当だろう。……三郎太、デンジンを貸してやる! 連中に一泡吹かせてやれ!!」

 「―――りょ、了解しましたっ!」
 そして会心の笑みを浮かべてそう言ってくる艦長に、俺は敬礼を返し格納庫へと走っていった。
 …後に残されたのは、次のような会話。


 「……秋山、高杉中尉一人では正直危険かもしれない。私もダイテツジンで出よう」
 「――――頼む、白鳥」
 「ああ。彼らナデシコの人間には、借りもあったからな」








 そして。



 10.

 『ええ〜〜〜〜〜っ?!! ゲキガン・タイプがお出迎えなんて、聞いてないよぉ!』
 『なんかバッタもわらわらといるみたいだしねぇ…!!』

 そう焦りの色が混じる声で言ってくるヒカルとアカツキ。私は思ってた以上にクセの強いこの機体を操りながら、次々に飛来してくるバッタ達を躱して敵艦へと向かっていく。
 …ユリカさんの作戦どおりに、敵艦はまんまと私たちの待ち構える宙域へとやってきてくれた。そこまでは問題なかったんだ。
 でも、思いもしなかったことに――――敵は私達の意図をどうも見抜いてしまったらしくて…。

 『はーっはっはっは!! 来たか艦長の予測通りに! だかここから先はこのデンジンが、この高杉三郎太が決して通させはせんぞ!!!』
 「あ、高杉君」
 『……って、よりによってお前か地球人!!!』
 まず敵艦の下方から突き上げるようにして迫っていた私とアカツキ、それにヒカルとリョーコに、そんな言葉と一緒に右腕のロケット・パンチをお見舞いしてくる高杉のその機体。
 私達はその一撃を左右に散開するようにして躱し、ヒカルが敵艦の上方から来ているはずのイズミとアキトに通信を繋ぐ。
 『イズミぃ?! こっちにお邪魔虫が来ちゃってる!』
 『―――奇遇ね、こっちもだよ!!』
 そして聞こえてくる、アキトと…白鳥さんの声。
 『誰かと思えばお前かっ! 今日はこの前の決着をつけてやる!!』
 『来るがいい、私とて決して負けるわけにはいかん!』


 「…マズイわね、ここで時間を食ってたらナデシコがボソン砲で落とされる…!」
 アキト達の、白鳥さん達のそんな声が飛び交っていくその空のなか、IFSコンソールを握りながら呟く私。
 そして流れていく景色の中、突然サレナ・カスタムの進む先に高杉の機体がジャンプ・アウトしてくる。
 『―――行かせはしないと言っただろうがっ!!』
 「…高杉っ!!」
 …でもそのとき、その声に神経が……ううん、直感が反応した。
 そして瞬時にその直感を信じ、機体を軋ませ――――私は恐ろしいまでのその加速とともにこの黒い身体を右へと持っていって…!

 『……なにいっ?!!!』

 高杉の撃ち放ったグラビティ・ブラストは、一瞬遅く機体の残影を薙ぎ払い、掠めて飛んでいった。
 絶叫する彼。その彼の機体にすぐさま右手に持ったレールガンをお見舞いする私。そのまま彼を振り切っていく。
 『すっ…ごーい!!』
 『なんだいなんだいサレナ君、そのシャレになっていない加速力は?!』
 「アカツキ、ヒカル!! 時間がない、このまま私が敵艦に突っ込むから援護して!」
 『…って、サレナさん?! むちゃくちゃですよっ! フィールド・ランサーもなしにどうやってディストーション・フィールド破るんですか―――うわっ?!』
 飛び交うヒカルとアカツキの声。叫ぶ私、絶叫するアキト。
 さらに私の一撃を左腕に被弾した高杉の機体が、その重い身体を翻して咆哮してくる!
 『きっさまぁ!! あまりこのデンジンを舐めるなよっ!!』
 そして高杉はその機体の口から放たれるレーザーを、まるで鞭のようにして縦横無尽に振り回してきた。
 慌てて回避行動を取るアカツキ機と、ヒカル機。

 でも……そんな時に、リョーコが―――――


 『サレナぁーーーーーーーーーっ!!! このデカブツは俺が食い止める! お前はアカツキ達と敵艦に行けえっ!!』
 『リョーコ?!』
 『リョーコ君!』
 「えっ?!」
 …見れば、リョーコはその赤いエステの機体を一直線に…その全てを薙ぎ払おうとするレーザーにも構わずに高杉の機体へと疾らせていた。
 『一人じゃ、ムリだよリョーコっ!』
 『いいから行けって言ってんだよ!! リーダーの命令だ!』
 そのヒカルの絶叫に、さらに絶叫を返すリョーコ。
 そのまま高杉の機体に、無謀にまでも見えてしまう突撃を敢行する。
 『……なんだなんだ?! またオンナかっ?!!』
 『――――っ!!!』

 …そしてその高杉の呟きに、リョーコは身を切り裂くような怒鳴り声を上げて。


 『―――女で……悪かったなああああああああああっ!!!』






 11.

 …アカツキとヒカルが、その機体の手にフィールド・ランサーを――――ディストーション・フィールドを瞬間的に焼失させるその槍型の兵器を持って、敵艦へと先行していく。
 私の機体は抑えた速度のまま、迫り来るバッタどもに次々と弾丸をお見舞いしていく。

 ……そして、リョーコ。
 ずっと後方で、必死に高杉の機体を食い止めている彼女。
 その彼女の、どうしようもない叫びが、回線を通して私たち皆に響き渡ってくる――――



 『―――わかってた……そんなこと、私にはわかってた! 私からパイロットを取り上げたら、もう何にも残んないってことくらい!!』

 「…っ!!」
 また1機、私は体当たりを仕掛けてくるバッタを逆に横へ弾くようにして吹き飛ばす。
 アカツキとヒカルの二人の機体が敵艦のフィールドに接触していく。

 『…でも! でも私にはこれしかないんだ!! 私はこうやって戦うことしか知らないから、他に何も――――!』
 『―――な、にを…ごちゃごちゃとっ…!!』
 『リョーコっ?!!』

 ヒカルが叫び声をあげる。
 背後に向けられた補助カメラが映し出す、デンジンの一撃を受けて右腕を吹き飛ばされた赤いエステ。
 私たちの耳に痛いほどに響く、リョーコのその叫び声……。


 『――――そうさ、ただこの道だけを見てきたから、他には何も残さなかったから…!! だからそんな私が、この先いったい何ができるっていうんだよっ!!!…やっと手に掴んだはずの、私にとっての一番星がこんなんで!』
 『き……貴様っ?!』

 私は焦りに締め付けられる心を抑え、揺らぎ始めたその敵艦のフィールドへと一直線に向かっていった。
 ただ全てが背後へと流れていき、撃ち放たれた弾丸がその小さな穴を穿ち――――そして私の機体はその隙間へと渾身の力で突入していく。

 『―――しまった! 高杉中尉、あの機体を!!』
 『?!!リョーコちゃん…!!』
 重なるようにして聞こえてくる、白鳥さんとアキトの声。

 (間に――合え……っ!!!)

 そうしてただ、がむしゃらにボソン砲へと、発射態勢を整え始めていたその砲身部へと無数の弾丸を叩き込んでいく私。
 そして――――




 『――――だからもう…この身体なんて、なくなってしまえばいいって思っちまうんだ…。なのに、どうしようもなく悔しいんだ…。
 お前等が人間だったことにずっと戸惑っている自分が情けなくって、そうじゃなかったら何も考えずに戦っていたかもしれない自分が嫌でたまらなくて……!』
 デンジンの首にとり付き、フィールド・ランサーを突き刺した状態でリョーコはそう言っていた。
 だというのに何故か、高杉は彼女にすぐさま攻撃を仕掛けようとはしなくて。
 『…ば……バカか、お前はっ!! 戦場でそんな弱音をぬかしてて、生きていけるわけなんてないだろが!!』
 『知るかよそんなこと!! 私にもわかんないんだよっ!』
 代わりに聞こえてくる、二人のそんな罵声。デンジンはその機体を急旋回させ、リョーコの赤いエステを振りほどこうとする。
 その光景を見て…救援に向かう脚が止まりそうになりながら、感情の抜けたような声でヒカルが呟く。

 「……ねぇ、サレナ。なんであのリクガンガーのパイロットの人、ジャンプしようとしないんだろう?」


 ―――――そして、そのヒカルの呟きをかき消すようにして…リョーコ達の下へと駆けていく二つの影。




 『……戦場で敵に情けをかけたら、それ即ち敗北ってことだよ蜥蜴さん…!!!』
 『リョーコちゃん―――!!』


 『『……!!!』』
 『高杉っ?!』
 一瞬だけ動きを止めたデンジン。
 リョーコの機体に手をかけ、デンジンから引き剥がしていくアキト機。そのデンジンの背中にフィールド・ランサーを突き刺したアカツキ機。
 …デンジンのその背中から、一瞬炎が吹き出る。

 「あ……もしかしてやばい?」
 『――――いいや、多分そうでもないだろうね』
 「え??」
 と、私のそんな呟きに反して醒めた顔でウィンドウの向こうから、アカツキはそう言ってきた。
 やばげな雰囲気を感じて一気にデンジンから距離を取った私達だったけれども、そのアカツキの言葉どおり…デンジンがその場で爆発することはなく、ただその動きをゆっくりと停止しただけだった。
 そしてデンジンのすぐ近くにジャンプ・アウトして来て、動かなくなったその機体に近づいていく白鳥さんのダイテツジン。
 程なく、ウィンドウの向こうから高杉が悔しそうな顔をして声を上げてくる。
 『……どういうつもりだ、地球人…!!』
 『どうもこうもないさ、おあいこってやつだよ』
 『な…?!』
 軽く肩を竦めて見せながら、そうつまらなそうにアカツキが言って、そして高杉は信じられないと言ったような顔をした。
 その高杉の顔を見て、アカツキは言葉を続ける。

 『――それにね、うちの艦長さんはどうも無駄な殺し合いっていうのが好きじゃないみたいだから…ま、僕としてはどっちでもよかったんだけれど、顔を立てておこうかなって』
 『――――――』


 …そして、高杉は今度こそ、大口を開けたまま固まってしまった。
 同じようにしてアカツキのそんなどこまで本気かわからないような話を聞いていた白鳥さんは、ただ真剣な表情で私達のほうを見てきていて。

 その、戦場にはとても不釣合いな、静かな空間。
 その空間にそっと入り込むようにして、メグミの通信が私達の下へと届いてくる。



 『…皆さん、艦長からの通達です。“作戦は終了しました。ただちに木連の軍人さんにお別れの挨拶を済ませて、ナデシコへと帰艦してください”―――――』












 11.

 ……そうして戦闘は終わり、その私達の帰路の途中。


 「しかしアカツキさぁ、あれってどこまで本気だったの?」

 私はすぐ側を行くアカツキのコバルトブルーの機体に近づきながら、そう意地悪く訊いてみる。
 その私の問いかけに苦笑を浮かべるアカツキ。
 『人が悪いなぁ、サレナ君も。ちょっとしたリップサービスじゃないか』
 「ふぅん……誰に? ユリカさん??」
 『僕だって色々と面の皮を厚くしなくちゃいけないんだよ、ナデシコのパイロットとしてはね』
 「…ちょっと、意外」
 それからわざとらしいため息をついて見せたアカツキの顔を見ながら、そんな彼をなんとなく可笑しく思う。

 ――――ようは、ユリカさんが喜ぶようにしてみせた…ってことなんだよね。
 アキトに敵いそうにないのはわかってるんだろうに、ホントに彼も熱心というかなんていうか。…そういうところはけっこう好感持てるんだけれど。

 「…でもユリカさん、帰ったらまずアキトのところに飛んでくるんだろうなぁ」
 『君は時々、ホントにきついねぇ……』



 とまぁ、私とアカツキがそんな会話をしている中、先行して進んでいたリョーコとアキト達はというと…。


 『―――――まだ、わからないよリョーコちゃん』
 『…テンカワ?』

 ずっと黙ってたリョーコに、アキトはそう声をかけた。
 リョーコはウィンドウの向こうで俯いたまま…でも少しだけ、その顔を上げた。

 『なんて言ったらいいか、わからないけれどさ。でもまだ…今は戦うしかないけれど、俺も大切なものをなくしそうだったけれど……それでもまだ、先が真っ暗なんてことは絶対にないんだから…。
 ―――だからきっと…いつか本当に一番のものが、見つかるよ。だから――――“なくなったっていい“なんて悲しいこと…もう言わないで』

 …そしてアキトの、胸が詰まったような声が聞こえてくる。


 『…そうだよーリョーコ。私、リョーコがいなくなったら思いっきりずっと、朝が来てもずっと泣いてやるんだからね』
 『――――――私も』

 イズミとヒカルの、続くそんな声。

 『僕も、悲しくなるさ』
 「……私もだよ、リョーコ」

 四人の後に続くアカツキと私の、その声。
 …リョーコは、ぼうっとその顔を上げて。そっと、上げて。


 『……そっか。そうだよな――――じゃあ私、まだきっと…頑張れるかな――――――』


 そうして…ホントにキレイな泣き笑いの顔を、見せてきてくれた。






 『――――そういえばテンカワ…俺のこと、“リョーコちゃん”って呼ぶよな…』
 『え? うん、そうだけど…』
 『……なんで?』
 『…なんで、って――――う〜ん…理由、って聞かれると困るんだけど…………嫌だった?』

 『――――ううん、全然……でも、そっかぁ』

 『……??』


 『――――――…一番星、見つけられたかな?…ちょっと、遅かったけど……でもまたきっと――――』










 12.

 「完敗……だったな」
 …秋山艦長は、遠ざかるナデシコを見つめながらそうとだけ漏らした。
 白鳥少佐も、どこか不思議な顔つきをしながらその光点を見つめている。そして俺はどこか情けないような、でも少しだけ気分のいいような気持ちで…同じようにして画面を見つめていた。
 静かに、言葉を続けてくる秋山艦長。
 「この俺の予測を超えていた部分が、多くあった。敵の小型機動兵器が持つ能力、あの恐ろしいまでの性能を持っていた黒い機体…。だが、なにより―――」
 「――――彼らの、魂だろうな…秋山」
 「ああ……」

 そしてまた、艦橋は静けさを取り戻す。
 その中で俺はなんでだか、あのナデシコとかいう船の連中のことをぼんやりと考えていて。

 (――――――……極悪非道な、地球人…か。でもそのわりには変な連中もいたもんだ……)


 「…しかし、あれ程までにして見事な采配と、そして部下に寄せている全幅の信頼。さらにはあの引き際の素晴らしさ。――――いったいどんな快男児なのだろうな? あのナデシコの艦長とやらは」
 不意に、秋山艦長のそんな言葉が艦橋に響く。
 「……ああ、そうだ秋山。いい忘れていたが」
 と、やおらそう言ってポンと手を打つ白鳥少佐。
 「ん? なんだ白鳥」
 そして。
 「そういえばな。あのナデシコという船の艦長――――確か女性だったぞ」
 「「ぬ、ぬわにぃ?!!!」」
 俺と秋山艦長のそんな声が、『かんなづき』の艦橋に木霊して。












 …………そしてその頃。
 木連本国、市民艦『れいげつ』では――――――








 13.

 ――――夕刻が、近づいてきた。

 コロニー内を照らす人工の光は次第に赤みを増していく。その底の見える天井に映しだされた、紛い物の空が茜に染まっていく。
 その中で、そして入り口の開け放たれた道場の中で一人座し、あの男の…『北辰』の到着を待つこの俺。

 そして…その一瞬に、吹くはずのない一陣の風が、この道場の中を通り過ぎていく感触を覚えた。


 「――――――……」

 …ゆっくりと、目を開ける。
 その視線の先には、久方ぶりに見ることになった……あの男の、あの人の――その枯草色の外套と深い編み笠をかぶった姿がある。
 『彼』は何言を発することもなく、恐ろしいほどに静かに、道場へと足を踏み入れてくる。

 無言のまま、一礼をする俺。
 『彼』はその編み笠を取り、静かに脇へと投げ置いた。
 その双眸が、そして赤い左眼が煌いていた。

 ……そして俺は、ただその言葉を言うことしか出来なかった。




 「――――お久しぶりです。師範……」








 14.〜夕闇に〜

 「……月臣よ」

 彼のその冷たい言葉が、俺に向かって降り注がれる。
 「…はい」
 その言葉に、身体が硬直するのが分かる。彼の纏う静謐さと穏やかな殺気とに、僅かならずとも竦まされるのがわかる。
 「前にも言ったであろう、我のことを師範などと呼ぶな。かつての名も最早意味を持たぬ。…今の我は――――『北辰』、閣下より賜ったその字名のみが、我を表す全てなのだ」
 「……申し訳、ございません――――」

 そして両手をつき、俺は彼に…北辰殿に深々と頭を下げた。
 その一連の様子を、無表情なまま身じろぎ一つさえせずに、眺めていた彼。やがて彼は視線のみを動かし、口を開く。
 「して、今日我を呼び出したのは如何なる用件なのだ?」
 「…は。どうしても、し――北辰殿のお耳にだけは入れておかねばならぬ話があった故、ご足労願った次第です」
 「ならば話せ。端的にな」
 俺は唇を固く結び、鉄の意志を築き上げようと努力し、そしてその言葉を紡ぐ。
 「――先日、私と九十九が地球にある生体跳躍の研究所に奇襲をかけた後のことです。その戦闘の折に捕虜とした地球人の兵士が、『サレナ・クロサキ』と名乗るその女が……その、何故か北辰殿のことを知っていたのです」
 「…………」
 一旦言葉を区切り、俺は北辰殿の顔を見上げた。その表情はまだ何も物語ろうとはしていない。
 だが。

 「ですが秋山やその他の者がいる中でその兵士を断りもなく殺害するわけにもいかず、また事の真偽を確かめる必要もあり――――」
 「――――解せんな、月臣」
 「?!」

 …突然に発せられた言葉だった。
 彼の眼光はこの俺を貫き、その義眼の赤い光が俺の中にあった躊躇いを鷲掴みにしたようだった。
 「…何故、その場で殺さなかった? 貴様は我にそのような下らぬ報告をするために呼び寄せたというのか??」
 「で、ですが……!!?」

 ……チャキッ――――

 その鍔鳴りの音、懐の小太刀を抜いた彼の動作に、俺は言葉を失った。
 その右手をゆっくりと横にかざし、北辰殿は射るような冷たい瞳でいて。
 「……甘い。お前は未だに甘いのだ、月臣」
 「――――」
 「――我等は木連の内にあって、決して表の者に知られてはならない影の中の影。
 そしてその事を知っている数少ない人間のうちの一人であるお前も、七条も、その事実を知ったものを生かしておくことは許されぬ。…それは前にも言ったであろう?」
 その刀を首筋に突きつけ、北辰殿はそう言ってくる。

 「は……それは心得ております」
 額を冷や汗が流れ落ちていく中―――俺はそう掠れた声音で答えて。
 「…いいや、お前はやはりわかってはおらぬ。七条もな」
 だがその手首を返し、刃を首もとから上へと向けながら、北辰殿は言い放った。
 「お前に木連式柔を教えたのはかつての我だ、だからこそ手に取るようにわかる。……お前の心で邪魔をしているものは、下らぬその正義感なのだよ。
 『女』だから―――たったそれしきの理由で、貴様はその地球人を砕けなかったのだろう?」
 「…………」

 ……そして俺は沈黙するしかなかった。
 だが、その沈黙は肯定を意味していたのだ。そしてその沈黙を見てとった北辰殿は――――俺のかつての師は、侮蔑するような息を漏らした。

 「…我なき後のお前の教育を七条などに任せたのは、失敗であったようだな。まさかそのような脆弱で甘い気質を備えることになるとは思いもしなかった」
 そう言って、音もなく手にした小太刀を鞘へと納める。
 その北辰殿の所作をただ金縛りにあったように見ていた俺は――――不意に心のどこかで、どうしようもない寂寥が湧いてきているのを感じていた。
 そう…その帰ることのないあの日を、悔やんでいた。

 (北辰殿は…………師範は、やはり変わってしまわれたのか。あの、5年前から――――)




 ……5年前。
 あの時までは確かに、目の前にいる師範は歴史の表舞台に立つ人間――――この道場の師範であり、木連建国以来百年の歴史を持つ『木連式柔』の正統継承者だった。
 いや、柔だけでなく杖術や抜刀術、槍術の秘伝までもその身に修めた、稀代の使い手…そしてなによりも、その正道を極めんとする武人だったのだ。

 だが、師範の生まれた家がその業の元凶だった。
 代々草壁家に仕えるその家に生まれついた師範。その草壁家の現当主でもあり、今の木連にとって最も重要なお方でもある草壁閣下。その草壁閣下は5年前のあの日…来る地球との正義の戦いのために、非情の理を以って生きる隠密部隊を結成される事を決意された。
 そしてその部隊の頭領として、閣下は師範を選ばれたのだ。

 …七条師範代の反意は物凄かった。兄弟子であり師でもあった師範を食い止めようと必死だった。
 計画の責任者でもあった新城との軋轢もその時に生まれたものだ。

 しかし、師範は……師範は―――――


 『…正義の道が、その陽光だけでは決してなり得ないこと、時には非情なる力を以ってかからねばならぬこと…この私は重々理解しております。
 ならば後の世のため、そして草壁閣下の築こうとなされる木連の新しい未来のため――――私は影と、修羅と…そして外道となりましょう――――』



 そしてその先の事を思い出し、俺は唇を噛む。
 その時のことだけはどうしても、胸に去来する慙愧の念なくして思い起こすことは出来ない。

 (…その言葉に、当時の俺は感動したのだ、師範の悲壮な決心も知らずに。その決意の凄まじさも知らずに――――)


 そう、その影の業の深さも知らずに――――






 ――――あれは、師範が閣下から新しい名を、『北辰』の名を賜る前夜のこと。
 その冷え込んだ春の夜のこと。

 ……その一人の男は、武人だった男は自らを修羅となすため…自らの妻と幼い娘とを、その無慈悲な黒い手で深い血の海へと沈めたのだ――――






 「―――――立て、月臣」

 …無造作にそう言い放つ北辰殿。
 言われるままに立ち上がる俺。その赤い左眼が冷たい輝きを放つ。
 そしてその左眼は、自らの手で抉り取られた眼は……その手で殺めた家族に対する、最後のはなむけ。そして修羅の道を突き進む決意。

 だが俺は、果たして俺は……

 「…やはりお前は、閣下への忠誠がまだ足らぬ。決意がまだ足らぬのだ」
 「――――」
 北辰殿の言うとおりだった。それはあの日以来、俺がずっと心に思ってきたことだった。
 …この俺に、目の前にいるこの男ほどまでの忠誠心はあるのか? 家族や友を見殺しにしてまでの、非情なまでの忠誠心はあるのか??
 その苦悩が俺の中を包み込む中、淡々と言葉を繋ぐ北辰殿。
 「そしてならばこそ、ここで貴様はその惰弱な甘さを捨て去らねばならん。この木連のために、草壁閣下のためにな」
 そして北辰殿は…その口の端に幽鬼の如き笑みを浮かべ、暗い声で言ってくる。

 「――しかし…幸い、ちょうど良いところに贄(にえ)がおったわ。七条のヤツもたまには役に立つというもの」
 「…な―――?」
 その突然の言葉に思わず絶句しかけ、途惑いの声を返した俺に北辰殿は喜悦の笑みを…その歪んだ笑みを返してきた。
 「先日、記憶を失った女をここに引き取ったそうだな? しかも身よりはないと聞く」
 「北辰殿?!!」
 …彼の言わんとしている事はわかった。わかってしまった。拳を握り締め、気がつけば声を張り上げていた俺。
 そしてその俺を不可解な目で見据えてきた北辰殿は、言ったのだ。

 「――何を戸惑っている、月臣。至極簡単なことであろう。
 …その素性の知れない女、我の秘密に立ち入る恐れある故――――お前のその手でくびり殺すのだよ……」
 「!!!」



 ……言われた一瞬、俺は何も考えられなかった。
 だがその次に浮かんできたのは――――この俺自身に対する疑念。俺が感じていたらしい不可解な途惑いに対する疑念の思い。

 (…そうだ、北辰殿の言うとおりではないか。なのに何故、俺はあの女の…イツキの口を封じることを戸惑う?)

 北辰殿はまだ知らぬようだが、彼女は地球人である可能性が高い。ならばこの木連で、なによりこの場所で生かしておく道理はない。
 そう。北辰殿の言う言葉は正しいのだ。

 …しかし。しかし――――!




 『――――七条イツキ、って…あの、十真さん……?』

 『いいんですよ、イツキ君。貴方が記憶を取り戻すまでのことだとしても、やはり今のままでは色々と不便なこともありますし…。
 それに私達夫婦には子供がいませんから――――それがせめてもの恩返しと思っていただければ』
 『あ……はい。…ありがとうございます―――』

 …思い出されるその七条師範代とイツキとの会話。嬉しそうに、気恥ずかしそうに微笑っていた二人。
 そしてそんな二人を少しだけ、納得のいかない気持ちで俺は眺めていて。だが師範代のその配慮に、その温かな笑顔に俺は、何も口を出すことは出来なくて…。

 …そして、だからこそ……!




 「―――――く…」
 「……できぬと、言うか」

 刃のような声。溢れ出る威圧を寸前で押し殺した眼差し。
 やがてゆっくりと北辰殿は編み笠を拾い上げ……俺に無慈悲に告げてくる。
 「――――ならば仕方がない。せめてこの我が直に引導を渡してくれるまで」
 「……!」
 そうして背を向けた北辰殿に、彼に……俺は何を思ったのだろう。気がつけばその右手を伸ばそうとしていて。

 「…お待ちください!! しは――」

 そして次の瞬間。



 「…………この、うつけが…っ!!!」



 ――――――ズダァン…!!

 …それはまさに刹那の技。
 神速の如き勢いで繰り出された掌底は俺の鳩尾を捉え、旋風とともにこの身体を吹き飛ばす。
 「が…ぁぁぁっ?!!」
 その凄まじい衝撃に耐え切れず、事もあろうに背後の壁に叩きつけられる。視界が一瞬焼き切れたように白く染まり、続いて体の底から激しい嘔吐感がこみ上げてくる。

 (―――は…反応すらできなかった…………!!)

 そう微かに思いはしても、俺の身体はすでに言うことを聞かなかった。
 無様にその壁にもたれ掛かり、かろうじてこの頭のみを、ゆっくりとこちらへ歩んでくる――――北辰殿へと向けることしか出来なかった。
 そして静かに、だが僅かながらの怒りを伴って口を開く彼。
 「……どういうつもりだ、月臣。よもやそこまで惰弱な精神に成り下がったなどとは言うまいな?」
 「が、はっ…!」
 言葉を発しようと口を開き、しかしそこからは呻き声だけが漏れていった。呼吸は止まりそうになり、脂汗が浮き出ていく。
 「答えろ。それともこれしきの一撃で指一つ動かせぬのか」
 目を細め、眉間に皺を寄せ、北辰殿はそう言ってくる。

 …震える、手。
 だがその手を渾身の力をもって床へと叩きつけ、俺は身体中を駆け巡る激痛と共にこの身を起こす。

 「―――捕虜、とした地球人を…始末できなかった、のは…確か、に私の落ち度…です。
 で、ですが……あの女を今すぐ始末しないのは、私に、考えがあって故。…彼奴に有益な情報を吐かせるまでは――如何に北辰殿の言葉と言えど、従うわけには行きませぬ…!!」
 「――――」



 …沈黙は、僅かにしか訪れなかった。
 一陣の風が再び、今度こそ確かに。この冷たい道場に吹きそそいでいた。茜色に染まりきった風が吹いていた。
 不意に何の前触れもなく、北辰殿はその身を翻させる。そして思わず言葉を失い、呆気に取られたまま立ち尽くす俺に、彼は静かに言ってくる。

 「……月臣よ。今回のことに関しては今しばらく目を瞑っていてやろう。だがそのクロサキとやら、我の名を口にした地球人を生かしておくわけには行かぬ。
 そしてなれば故、この我を戦場まで連れて行け――――」


 夕闇は、既にこの道場を覆いつくしていた。






 (Act5へ)