――その人は、暗い夜道をずっと走り続けていました。
 黒い鎧をその身に纏って、石のような身体を引き摺って。それでもかけがえのない人を取り戻すために、長い長い夜を走り続けていました。
 そしてその人は私にとっての、大切な人でした。私に大切なものを教えてくれた人。大切な家族であり、それ以上でもあった人。
 そう…私にとって、本当にかけがえのない人でした。
 もう二度と戻らないと思っていた、私達の時間を作ってくれた人。二度と逢うことができないと思っていた人達。
 でもあの人達は生きていて、そしてあの人は一人走り続けていて。血みどろになってまでもずっと一つの願いを追い求めていたのに。

 「君の知っているテンカワ・アキトは、死んだ」

 それなのに気がついたら、あの人の手には何も…綺麗なものなんて残っていませんでした。きっと残っていなかったから、あの人は行ってしまいました。
 …いいえ、あの時は。あの時の私にはあの人のその言葉の意味がわからなかった。本当の意味がわからなかったから。もしかしたらその言葉にさえ、あの人の優しさが滲んでいたのかもしれないのに。
 なのに私にはその裏にあったものが――あの人が必死になって隠そうとしたものが――でも、だからこそ見えなかった。
 見えなかったけれども、でもなんとなくわかってしまっていたから。

 「…帰って、きますよ。来なかったら追いかけるまでです」

 だからそれは私が願い…そして決意したこと。
 その言葉のとおり、私は帰ってこないあの人を追いかけました。ユリカさんと二人…いいえ、あの人の帰りを待つ皆と一緒にそれを信じました。
 私達がかつてと同じようにはなれなくても、新しい幸せを作っていけることを。兄とも違う、父ではない、でも決して他人なんかではないあの人を、私達が…あの人のいるべき場所へと連れ戻せることを。
 そして私が本当に好きだった――そして今でも、形は違っていてもずっと好きでい続ける――あの人とまた、3人で一緒に歩いていけることを願って。
 今度こそ、あの人の本当の笑顔が見られることを信じて。


 ……そしてそれから、3年の歳月が経って。











  〜Anemone〜

  アネモネよ 咲いていって

  風に咲いて 空に咲いて
  その赤い色を届けていって


  アネモネよ 染めていって

  その心を深く その涙を綺麗に
  私がずっと忘れなかった あの遠い場所を赤く染めていって…












 0. 〜2204年、火星にて〜

 それは見慣れた風景だった。
 眼下に映るその味気ない光景。赤黒く染まった火星の大地と、そこへと散っていく幾多もの機動兵器。そう、もはや日常の景色となり果てたその戦場の風景を見ながら、彼、月臣元一朗は冷め切った氷の刃のような心で木連艦隊を指揮していた。
 飛び交う光弾。爆炎を上げて散っていく鋼鉄と合金の塊。それを目の当たりにしても、彼にはもはやあの頃のような血の滾りは訪れない。例え戦場にその身があっても、心を躍らせるようなことは決してない。
 そう。彼はただ己の責務を果たさんがため、心に刻んだ誓いを守るため…自らをこの戦いの中に投じるのみ。そのためだけに彼は生きているのだ。
 「――ゆきまちづき二番艦、中破!!」
 『積尸気部隊、半数が撃墜されました! 敵艦、4割が戦闘続行不可能!』
 「敵機動兵器部隊、接近中!」
 戦況は芳しくなかった。オペレータが的確に状況を報告する中、画面にはこちらへと向かって接近してくるステルンクーゲル部隊の姿が見える。右手を横に薙ぎ払い、月臣は鋭く声を上げる。
 「重力波砲、発射準備! 四番艦は弾幕形成、引き付けてから撃て!」
 「了解!」
 「…重力波砲、発射!!」
 そして一条の白い光が、敵陣めがけて放たれていく。
 巻き起こる幾重もの爆炎。艦橋に木霊する低い咆哮。まばゆいばかりの青に染まった空と土色の大地に、小さな残骸たちが散っていく。
 訪れる、一欠けらの沈黙。
 「…やったでしょうか?」
 僅かな時をおき、副官の七条が微かに呟きを漏らした。未だに激しい砲火の行き交う中、クルーの静かな声が上がる。
 「敵影確認できません……いえ、9時方向に1機確認! これは――」
 そして。
 「艦長、例の“黒いステルンクーゲル”です!!」
 「!!」
 「なんですって?!」

 そしてその黒く禍禍しい機体は、一直線にこの切っ先へと向かってきた。








 〜メビウスの欠片 終章〜

  赤い大地の記憶




 記憶の1 「2204年」


 1.アキトにとっての始まり

 「――テンカワ。お前にはナデシコCへ出向してもらう」
 ネルガル本社のブリーフィング・ルームに呼び出されて、いきなりゴートに言われた言葉がそれだった。
 薄暗い部屋の中、中央の地面に浮かぶいくつかの資料を視野に入れながら…ネルガルSSの黒いスーツに身を包んだ俺は目の前に立っているゴートに問いかける。
 「…俺が、ナデシコCに?」
 「そうだ」
 それに対しゴートがいつものように、短い肯定の言葉を述べたのに続いて、隣に立っていたイネスが腕組みをしたまま理由を述べてくる。
 「今回の紛争について、ネルガルは連合軍に全面的に協力することになったのよ。
 2ヶ月前に連合議会で木連国民の火星移住が正式に決定して、それに反発した一部諸国――言うまでもなく、クリムゾンの勢力の強いところだけど――が、統合軍の一派を動かして火星の主要拠点を占拠したことは知っているでしょ?」
 「ああ。連中は『第2の草壁の出現を招きかねない』なんて言ってるが」
 暗い部屋に、微かなその光が反射する。
 「ま、その点については何とも言えないわね。現実問題として、火星はその存在自体が重要な戦略的意味を持つんだし…」
 「……A級、ジャンパーか」
 イネスの言葉に続いて、俺の口から苦々しい声が漏れる。
 特に気にする様子はなく、言葉を続ける彼女。
 「そうね。火星に領土を持つということは即ち、いずれ大量のA級ジャンパーを国家が保有するということになる。チューリップによる補助を必要とせず、CCのみで長距離の生体ボソン・ジャンプ実行が可能な…私やアキト君と同じ、文字通りの『火星の落とし子』をね。そしてそれはそれ以外の国にとっては脅威にもなりえるわ。だからこそ今までは中立地帯として連合に管理されてきた。
 でも今回は皮肉にも遺伝子改造に抵抗感のある地球の世論の影響、それに木連への経済進出を狙う政財界の思惑でこの議題が可決されたんだけど…やっぱりクリムゾン・グループは納得がいかなかったみたいね。
 で、木連の再三にわたる連合への抗議と、それを受けての連合の撤退命令を全て撥ねつけた統合軍の豪州方面軍を中心とする一派に対して、最終的に連合は木連の武力による『領土奪還』をやむを得ず承認した。…これが1ヶ月前のことよ」
 わずかにため息をつくイネス。そしてゴートが再び口を開く。
 床の、軋む音がする。
 「現在戦闘は膠着状態に陥っていると言っていい。その泥沼の状況の中で連合は、先日の決定を翻してナデシコCを紛争調停のために派遣することになった。テンカワ。お前が乗艦するのは、ナデシコCが戦闘に巻き込まれた際の保険だ」
 「それはいいが…でも、何故俺が?」
 「……理由は、これだ」
 そしてそう言ってゴートは、床に新しい映像を映し出した。それを見た俺の口から、小さな息が漏れる。透明の息が、薄暗い天井へと消えていく。
 「ステルンクーゲルじゃないか。これが一体どうしたんだ」
 そこに写っていたのはカラーリングが黒のステルンクーゲルだったからだ。
 …確かにあの機体の性能自体はいいが、EOS(EasyOperationSystem)がまだ未成熟なこともあってそれ程手強い機体とは言えない筈。
 だが、ゴートはそれをはっきりと否定した。
 「ただのステルンクーゲルとは明らかに違う。出力・火力ともに底上げがされている上に、試験段階のようだがボソン・ジャンプユニットが組み込まれているらしく、単独でのジャンプが可能だ」
 「それだけならまだいいんだけどね……加えてパイロットの腕が異常らしいのよ」
 そして加えるように言ってくるイネスの発言に、疑問を覚える俺。静かに彼女のほうへと視線を向ける。
 「パイロットの腕? EOS機体にはあまり影響しないだろう?」
 「それがどうも殆どマニュアルで操作しているみたいなのよ。行動パターンを分析した結果、明らかに他の機体とは異なっていたわ。
 はっきり言って、かなりの凄腕よ。木連のパイロットでも対等以上に戦えるのは月臣大佐くらいでしょうね」
 「成る程――だから俺に声がかかったってわけか…」
 そう小さく呟き、俺は口元に軽く手を当てながら黙考する。
 …ネルガルが連合に協力するのは、火星にある研究施設の早期奪還が目的だからだろう。そもそもそれらが破壊・もしくはデータが略奪されるのも阻止しなければならない。
 だが、クリムゾンの奴らは――――
 「…結局は、遺跡テクノロジーの奪い合いか?」
 「!!」
 俺の言葉を聞いて、僅かに視線を向けてくるゴート。一方イネスは微動だにせず、
 「――その通りよ、アキト君」
 「……」
 そして微かに、自嘲的に笑った彼女が言葉を続けてくる。
 「ネルガルにとっては研究施設の奪還と機密保護が最優先課題。それに火星極冠にあるコア・ユニットの共同実験場の存在も忘れちゃいけないわね。
 一方のクリムゾンは…彼らは旧草壁派との関係が消えた以上、遺跡テクノロジーの獲得・開発においては一歩後退せざるを得ない状況にある。何せ手元に肝心のオリジナルがないんだから。だからこそ木連の火星移住には反対なわけだし、こうして現在の暴挙にも出たんでしょう」
 「出向は明後日。詳しい資料はお前のフォルダに転送しておいたから、よく読んでおくといい」
 そして俺の中のある種の感情の変化を感じ取ったのだろう、話を切り上げるようにそう言ってくるゴート。
 思わず自分の口元が歪んでいくのが、はっきりとわかる。踵が甲高い絶叫を上げていく。
 「了解だ。連中の最後の悪あがき、この目でしっかりと見てきてやるよ」
 そして背中越しにそう冷たく言い放つ俺。どこか感情を押し殺した瞳で見届けるイネス。重い沈黙が俺を支配していく。自分の感情が抑えきれずに昂ぶり始めているのがわかる。
 …ゆっくりと、まちがいなく。俺にとっての何かが始まろうとしていた。




 2.黒のパイロット

 ――黒い、海。
 無限の白く輝く貝殻細工が散りばめられた、いとおしくも冷たい空の海。
 その心奪われそうになる海の中を、私の黒い機体はただひたすらに駆け巡る。

 『―“シェリエ”中尉。艦から離れすぎだ、深追いは止せ』
 不意に母艦の“クレマティス”から入ってくる通信。この声は、彼だ。
 「大丈夫だ。それにあの白い奴、“黎明”を今日こそ落としてやるって決めたから」
 「…無茶はするなよ?」
 視界の隅で僅かに呆れたような顔をする画面越しの彼。ブロンドの髪、その冷たい眼差し。そして私は再び意識を海の果てへと向けて。
 「邪魔だよ!」
 無造作に撃ち放った弾丸が、目の前をうるさく飛んでいた“積尸気(ししき)”のグレーのボディに深く命中する。続いて横手から迫ってきたもう1機の射撃を余裕でかわしつつ、こいつにも一発をくれてやる。
 眼前の戦艦から放たれてくる白い奔流も、私にとってはただの眩しいライトにすぎない。迫り来るグレーの機動兵器も、私にはただの羽虫のようなものだ。
 そして気がついたら、そのうるさい羽虫は一匹もいなくなっていた。
 …どうやら敵の機動兵器はあらかた片付けてしまったようだ。私の周りには被弾した数機の味方と、最早くすんだ黒でしかない幾つもの残骸が漂っているだけ。
 「確かに少し深追いしすぎたかな。…でも、まだアイツに会ってない」
 そう一人呟く私。それを聞いてか聞かないでか、部下の一人が通信を繋いでくる。
 『中尉、これ以上前線に出るのは得策ではありません。一旦後退するべきでは?』
 「ん……」
 敵艦の砲撃も流石に激しくなってきた。私はともかく部下たちにはこれ以上は辛いかもしれない。そう思った私は離脱命令を出そうとして。
 「仕方がない。速やかに現宙域を――?」
 と、その時。敵艦方向から新たな機動兵器部隊が飛来してくるのをステルンクーゲルのセンサーがはっきりとウィンドウに映し出した。……その数、およそ8機。
 『中尉?!』
 「流石にこの数では不利だな。…仕方ない、『間引く』か」
 狩りの予感に思わず口元を歪めつつ、私は冷たくそう呟く。
 そしてレールガンをその機動兵器たちへと向け、全方位へと向けていた神経をただその一点へと収束させていく。
 …操縦桿を握る指の感触が次第にはっきりとしてきて、そして再びなくなっていくまで、ほんの数秒。ほんの僅かな間だけ機体を慣性移動に移し、そして続けざまに2回、引き金を引いて。
 そして。その研ぎ澄まされた弾丸は一直線に星の海を駆け抜け、二つの小さな火の花をその場に咲かせていった。
 と、先頭を進んでいた見慣れない機体が不意に機体の向きを変えてくる。
 頭の隅に浮かぶ、ぼんやりとした嫌な予感。
 操縦桿を思いっきり倒しつつ、思わず私は叫んだ。
 「…散開しろっ!!」
 慌てたように四方へと散らばる各機。その残された空間を黒い奔流が駆け抜けてゆく。
 『――――!』
 しかしそれでも運悪く、逃げ遅れた1機がその光に飲まれて声もなく吹き飛んでいった。それを見届け、陣を展開する敵部隊。私の口から漏れる呟き。
 「……グラビティ・ブラスト? あれは新型か??」
 そしてその敵部隊の中央に位置する、メタリック・イエローの巨大な機体。
 肩から両の外側へと真っ直ぐに突き出た、角のような…翼のような1対の装甲。前方に向けてせり出した胸部。そしてクーゲルにどこか似た、スラスターの塊のようなやや短めの脚部とそれを覆うように後部へ伸びるスカートに、その背に見える巨大なエンジン部と両脇から伸びる2対のウィングにスラスター…。
 ゆうにステルンクーゲルの3倍近くはあるだろう。ジン・タイプの後継機とも思えるその優美でいびつな機動兵器は、さらに僅かな間隔をおいて再びグラビティ・ブラストを撃ち放ってきた。
 「…くそっ! チャージが早すぎる!!」
 流石に2射目は難なくかわす。お返しとばかりに部下の1機がレールガンを発射するが、向こうの加速性能も積尸気以上らしくあっさりと回避されてしまった。
 そしてさらにその華奢な右腕に備えられた砲身から通常弾―――おそらく、その速度からしてレールガンを放ってくる黄色い機体。ウィンドウの向こうから声を上げてくる部下の一人。
 『中尉! あれは相転移エンジン・タイプではないですか?』
 「…多分、な。出力は確かにハンパじゃないし加速力もクーゲル並だ。だがちょっと小回りが利かないらしい。そうそう手強い相手でもあるまい、すばしっこいジン・タイプだと思えばそれで十分だ。
 ――よし、アレは私がやる! お前たちはまわりの連中だ、積尸気のジャンプに気を取られてグラビティ・ブラストにやられるなよ!!」
 『『『『了解!!』』』』
 そしてそう叫び、挨拶代わりに手近な積尸気にレールガンを打ち込み、さらに私は機体を黄色い機動兵器へと向けていった。
 不意に前方でジャンプ・インする1機の積尸気。それを確認した部下たちは一斉に各機を思い思いの方向へと移動させる。それを見計らっていたかのように、その中の1機へと向けてレールガンを発射してくる黄色い機体。
 『くそっ?!』
 間一髪のところでクーゲルはそれを回避し、その隙を突いたように時間差でジャンプしてきた2機目の積尸気は、こちらのクーゲルの狙撃によって右腕を破壊された。
 しかし不意をついた黄色い機体の狙撃により、こちらの1機も脚部に被弾する。
 「ったく…! 味な真似をしてくれるじゃないか!!」
 思わず毒づきながら、私はあくまで距離を取っている黄色いデカブツに向けてレールガンを発射した。しかしそれをぎりぎりで、きわどい機動で回避するその機体。いらつく心を押さえつつ、思いっきり操縦桿を押し込んでクーゲルを加速させる。
 『――くっ…ああああああああっ!!』
 右後方で、派手な花火となって散っていく部下のクーゲル。
 それが視界の隅に消えていくのを見届けながら、意識はあの黄色い機体へ集中していく。その極限の集中力の中で、私は思考する。
 (……積尸気のジャンプはただの1回きり。ここを凌げばこちらに利はある!)
 こちらは私を含めて4機、相手は5機。そのうち向こうの1機は手負いで、ジャンプ済みが2機だ。おそらく、あの黄色い奴もジャンプが可能な機体だろう。あの火力でジャンプを連発されたら、流石に手に負えなくなりかねない。

 (そうだな。やるなら……今しかないね!!)

 アイツが私の機体へ向けて、レールガンを構えているのが見えた。輝くその装甲が急激に近づく感覚を覚える。躊躇わずにヤツに向かって機体を加速させる私。
 最小限の動きを操縦桿に伝え、私はその弾丸を紙一重で回避していって。
 「くらいなっ!」
 そしてアイツとの限界距離目前で、私の黒いクーゲルの砲身から。一筋の弾丸がアイツへと放たれていった。
 …狙いはこれ以上ないくらいに正確。回避もジャンプもこのタイミングなら間に合わない。遅すぎるはず。だがそう思ったその一瞬。よりにもよって黄色い機体は私に向けて、同じタイミングで胸部中央の砲門からグラビティ・ブラストを放ってきた。
 「――――!!」
 声にならない声が漏れる。間に合わないとはわかっていても、私は機体を左に逸らしつつ瞬時にジャンプイメージを思い描こうとする。しかし幸いにもグラビティ・ブラストは機体の横を掠め、遥か後方へと消えていって。
 機体を急旋回させ、すれ違いざまに威嚇がわりに一発ぶっ放すがそれも僅かに逸れていった。同じようにして機体を捻りながら、その両肩の装甲下にある球形の銃座を回転させ、無数の銃弾をばら撒いてくる黄色い機体。
 そしてアイツは距離の離れていく私に構わず、突然どこかへとジャンプした。
 「…各機注意しろ、奴が跳んだぞ!!」
 そう思い切り怒鳴りながら、私はスクリーンに目を見張る。
 右手には手負いの積尸気に狙いを定めているクーゲル。中央には別のクーゲルを執拗に追い詰めている2機の積尸気。さらにその向こうにはやや膠着した様子で一進一退を繰り返している二つの機動兵器。
 …動物的な勘から、私は一気にこの黒いクーゲルをその中の一つへと向かわせた。獲物に狙いを定めんとするその友軍の1機に。
 そしてその2機からやや離れたところへジャンプ・アウトしてくる例の黄色い機体。続けてアイツはすでに狙い済ましていたかのような速さでレールガンを発射した。それにあわせるように、私も奴へ向かって残り少なくなってきた弾丸を撃ち放つ。
 直撃を受けて大破するクーゲルの1機と、寸前で回避したがゆえに右肩の装甲を抉り取られたのみの黄色い機体。
 …思わず、私の口元に笑みが浮かぶ。
 「――ったく、敵ながらなかなか良い反応してるじゃないの」
 そして小さく呟いて、私は手負いの積尸気にトドメの一撃をお見舞いした。




 『――中尉。そろそろ部隊を引き上げさせろ』
 と、突然母艦から入ってくる通信。彼の冷めたその一言。いつだって楽しいことは不意打ちで終わりになるものだ。
 「なんだって? こっちはそれどころじゃないよ」
 でもまだまだ私は終われない。あの白い奴程とは行かなくても、久しぶりに潰しがいのある奴に会えたんだから。
 ぶっ壊すのが楽しみな奴に、会えたんだから。
 『相手方も撤退を始めている。そこの機動兵器もこれ以上戦闘を続ける気はないだろう』
 「あ〜〜〜……わかったわよ、しょうがないね」
 なのに彼は、リロィはいつもああやって冷めている。冷めた声で私を引き止める。…いや、私がこんな性格だからか。だいいち曲がりなりにも指揮官だから、逆らうわけには行かない。
 そうして途端に欲求不満気味になった私は、腹いせもかねて例の黄色い機体に通信を繋いでやることにした。
 『……え?』
 そして画面の向こうに現れたのは、いきなり通信をつないできた私に驚いたのか変な顔をしている若い女性。よりにもよってこの黄色い機動兵器のパイロットは木連には珍しい女性軍人だったらしい。構わず私は言葉を投げかける。
 「――聞こえるか? こちらは統合軍豪州方面部隊、“ステルンクーゲル=シュヴァルツ”パイロット、シェリエだ」
 すると、あからさまに険悪そうな笑顔をしてその女は所属を告げてきた。
 『私は木連軍優人部隊第2分隊所属、機動兵器“星辰”のパイロット、七条イツキです。貴方が噂に名高い“黒いステルンクーゲル”のパイロットなのですね? ……正直、もっと厳つい男性かと思ってました』
 …私にしてもそうだがパイロットとしてはどうかとも思う、その長く腰まで伸びた真っ直ぐな黒髪を後ろで一つに束ね、さらに幾つもの紫のリボンを使ってそれを丁寧に結わえているその女。
 綺麗に切り揃えられた前髪と小ぶりでエキゾチックな顔つき、加えてパイロットスーツも美しい色合いの黒。なんていうか、『木連情緒』とかいう言葉が似合いそうな女性だ。
 まぁ勿論、こんなところで会わなければの話だが。
 「それはどうも。こっちもちょっと驚いたよ。まさかあんな真似しかけてくる奴がこんなおっとりした女だったとはね」
 そんなこんなで肩の力を少し抜きつつ、操縦桿を握る手を少しだけ緩めながらその女に言う私。そして目の前の彼女、シチジョウ・イツキがどこか怪訝そうな表情をするのを見届けながら、私は肝心の用件を彼女に突きつけた。
 「一つだけ言いたいことがあったんだ。あの白い奴、“黎明”のパイロット……ツキオミ、だっけ? 彼に伝えておいてくれないか、『お前がいないと戦場が退屈でしょうがない』ってさ」
 『な…?!』
 途端、私の言葉ににその顔を硬くするシチジョウ。
 「それだけだ。では、また戦場で会おう」
 それに構わず、通信を切ろうとする私。しかしいきなりシチジョウが思いっきり大きな声で叫んでくる。
 『あ、貴方如きの相手をするのに月臣大佐のお手を煩わせる必要などありませんっ! 今度戦場で会う時が貴方の最期だと思っていてください!!』
 「…………あん?」
 『それでは失礼しますっ!』
 どうやら自分の腕にはかなりの自信があったらしい。そう、凄い剣幕で言い放ったシチジョウとか言う女は通信を乱暴に切ると、残存部隊を率いて猛スピードで彼女らの艦へと帰還していく。まさに失礼極まりない態度というヤツだ。
 だからそんな相手の様子を見ながら一瞬、その背中を狙ってやろうか? などと不謹慎かつ協定違反なことを考えて。でもこんなことで上官の手を煩わせるのもバカらしいと思い直し、大人しく私も母艦・“クレマティス”へと帰艦することにした。


 …そしていい加減に見飽きた、でも私にとっては特別な意味を持つ、その不毛な火星の大地。黒い海の中にぽっかりと浮かぶ、その小さな命の星。
 その星を背に頼りなく浮かぶ幾隻かの戦艦群の中、軸をなすスカイブルーの艦に向かいながら、ステルンクーゲルを半自動航行に切り替えながら。私は操縦桿を手放して通信士に訊ねる。
 「…しかし突然の戦闘中止なんて、何か動きでもあったのか?」
 『ええ、流石はシェリエ中尉ですね。新地球連合が今回の紛争について調停大使を派遣することになったそうです』
 「大使?」
 そして通信士の男は、私にとっては不意打ちだった情報を告げてきた。シートに深く寄りかかり、息を吐く私。
 「大使、ねぇ……」
 『中尉?』
 「いや、なんでもない。それで、その大使様はいつ到着するんだ?」
 そして彼の口から聞こえてくるその言葉。
 『ええと、5日後に連合宇宙軍の戦艦、“ナデシコC”に乗って火星に到着する予定だそうですよ? 大佐の話だと、今から上の人たちと色々な調整を始めるらしいんですが…』
 「――ナデ、シコ…?」
 私にとっての、始まりの言葉。
 『はい、ナデシコCです。あの“火星の後継者の乱”の……って、中尉? シェリエ中尉ー! 一体どうしたんです――――』










 3.

 ―――その何気ない夕食の時間。小さなマンションのとある一室で。私達は一つのテーブルを囲んで、かけがえのない時間を過ごしていました。
 あの日にやっと取り戻した、私達の大切な時間を過ごしていました。

 「え?? …アキト、明後日から出張なの?」
 白く輝く照明に照らされた、テンカワ家の食卓。お茶碗片手に驚いた顔をしながら、すぐ横に座ってご飯を食べているアキトさんに訊ねるユリカさん。そして私にとっての『妹』であるラピス。
 ちょうどアキトさんから、その思いがけない話が飛び出たところでした。その話は私…ホシノ・ルリにも初耳でしたが、私の隣に座っているラピスはもう聞いていたみたいで、何食わぬ顔をして唐揚げを口に放り込んでいます。
 そしてアキトさんは仕事中はともかくさすがに家の中では黒ずくめのスーツというわけもなく、少し大きめの白いシャツに、でもやっぱり黒のストレートパンツをはいていて。いっぽうのユリカさんはクリーム色のニットのカットソーに動きやすいジーンズ姿で、肩先くらいまでの黒髪を今は後ろでまとめていて。
 そのお二人の向かいに並んで座っている私とラピス。どこにでもあるはずの、そんなありふれているはずのその空間。

 …でもそんな、今ではもう当たり前になってしまったこの光景――アキトさんとユリカさん、それに私とラピスが一緒にいるこの光景も、あの頃を思えばとても幸せなものでした。
 ユリカさんが遺跡という檻から開放されて、アキトさんの願いは叶うことになって。でもそれでも私達と同じ場所には帰ってきてくれなかったアキトさん。それから1年以上続いた、私達にとっての一緒でいて別々でもあった時間。
 …今は話すことはないでしょう、その不安と希望とに彩られていた日々。
 でもその日々の先でやっと、私達はこうして一つの家族になることができて。だからこの幸せは、今度こそずっと続いていって欲しいと願っていて…。
 そんなことをふと――どうしてもまだ、時々そんなことを私は考えてしまうのですけれど――思っていた私の耳に、今そんなふうにしてアキトさんの突然の話がやってきたわけでした。
 そしてアキトさんが笑いながら口を開いてきます。
 「ああ。しばらく留守にすると思うから、その間はよろしく頼むよユリカ。今日になって急にゴートに呼び出されてさ」
 そう言ってからアキトさんは、私のほうをチラリと見てきました。
 「……どうしたんですか?」
 不思議に思った私がそう問いかけると、意外そうな顔をしたアキトさんが言ってきます。
 「あ、まだ聞いてなかったんだルリちゃん。俺、ナデシコCに出向することになったんだよ」
 「えーーっ?! そうなの??」
 と、途端にユリカさんがなんだか嬉しそうな声を上げて。一方ラピスは微妙に不機嫌そうな顔をしていて。
 でもかくいう私はちょっと意外だったその知らせにただ箸の動きを止めていて。アキトさんはいつものように優しく微笑んで。
 「ん。期間は短いと思うけど、一応パイロットとして配属されるから。よろしくね、ルリちゃん」
 「はい。…でもいきなりだったんでびっくりしました。確かに上層部からは特別なパイロットを派遣するって話が今日あったんですけど」
 「うーん、それがアキトだったなんて確かにびっくりだよね〜!」
 そう言って今度は楽しそうに笑うユリカさん。同じようにして頬が緩んでいく私。
 でもそれとは対照的に、ラピスはちょっとむっすりしたような顔をしてご飯を口に運んでいきます。それから彼女はその腰まで伸びる、黒く染めた髪を無造作に横に払って。
 …まぁ、無理もありません。昔とは違って今のアキトさんは四六時中ラピスと一緒にいるわけではないですし。イネスさんたちの努力の甲斐もあって、ラピスのサポートなしでも日常生活をほぼ問題なく過ごせるくらいに五感は回復しつつあるんです。
 それに何よりラピス自身が新しくネルガルで仕事についているので――ただこれは、彼女の教育といった意味合いも強いのですが――日中はあまりアキトさんに会えないって、前に愚痴っていました。おまけにアキトさんの寝室は言うまでもなくユリカさんと一緒ですしね。
 それと、それにもうひとつ。ラピスがその部屋で一緒に眠れないそのわけがあるんです。
 「んぎゃぁ、んぎゃぁ、んぎゃぁ…!!」
 「あ、いっけなーい! もうミルクの時間だっけ」
 不意に寝室から聞こえてくる、その子猫の鳴き声にも似た泣き声。
 「ん〜…ちょ、ちょっと待った。俺が行ってくるよ」
 「えー? でもアキト、この前うまくできなかったでしょ?」
 「だから今度は大丈夫だって!」
 慌ててお湯につけてあった哺乳瓶を取りにいこうとしたユリカさんを、大急ぎでご飯を飲み込みながら制したアキトさん。でも結局一緒にドタバタしながら寝室へ向かっていきます。さすがに日常茶飯事のことなので、それをこともなげに見送るラピスと私。
 やがて寝室から聞こえていた泣き声が止んで、かわりにアキトさんのおどけた声なんかが聞こえてきます。
 …はい。つまり、そういうことなんです。
 「もう、“サクラ”もせめて、食事の時くらいは眠っていてくれればいいのに」
 そしてムスッとした顔をしながらそう言うラピス。
 ちなみに彼女の服装は赤のノースリーブにブーツカットになっているジーンズ、さらに先程も言いましたとおりちょっとした理由から髪を黒く染めていまして…でも彼女本来の色素の薄い赤毛のせいで、見た目には赤いメッシュを所々入れているようにも見えて。
 そんなラピスは最近、なんだか色々な意味でユリカさんの影響が出てきたみたいです。いい意味でも、そうじゃない意味でもですけど。
 「…ラピス。だからと言って、あんまりあの子にあたっちゃ駄目ですよ?」
 そして私がラピスに釘を刺そうとすると、彼女はボテトサラダへと伸ばしかけていた箸をちょっとだけ止めて、私のほうを横目で見て言ってきました。
 「うるさいルリ。そんなこと、私だってわかってる」
 「ホントにそうですか?」
 「そうなの!」
 と、その時。サクラを―――お二人の愛娘を抱えたユリカさんと、サクラ用の椅子を持ったアキトさんが戻ってきました。
 「…ん? どうしたんだラピス??」
 非常にタイミングが悪いというかなんというか、不機嫌そうなラピスの顔に気がついたアキトさんがそう声をかけると。すると彼女は拗ねたような顔をしながら答えて。
 「――なんでもない」
 「というか、アキトさんが最近全然構ってくれないからつまんないんだそうです」
 「ルリ!?」
 そこに不意をついて私がそう口をはさむと、ラピスは物凄い勢いで私のほうを振り向いてきました。
 「しかも明後日からはしばらく離れ離れですし。はぁ…困っちゃいましたね」
 「…!!」
 途端、ラピスがテーブルをバンっと思い切り両手で打ち叩いて。ギロリと私を睨んでくる横手の彼女にそっけない視線を返す私。食卓に訪れる微妙な沈黙。
 「お、おいラピス?」
 アキトさんのそんな声もむなしく、ラピスの怒気と私の理不尽なもどかしさが火花を散らします。一人、目をぱちぱちさせるユリカさん。
 「……なに、ルリ。なんか言いたいことあるの?」
 「たぶん言っても無駄っぽいです。見ていればあからさまに分かりますから」
 「…自分が不機嫌だからって、人にあたるのはみっともない」
 「かも知れないですけれどね。でも、いい加減に私もラピスも『子供』じゃないんですよ」
 「…………」
 「…………」
 と、そんなラピスの不機嫌極まりない雰囲気に反応したのか、サクラがまた少しぐずりだして。
 「ふぇ…ふぇえええぇぇ」
 「あー、ほらほら! ルリちゃんもラピスちゃんも落ち着いてよ。ごめんねサクラ〜、お姉ちゃんたちがびっくりさせちゃったね」
 そして慌てたように抱きかかえるサクラをあやし始めるユリカさん。ゆっくりと解けていく、テーブルのまわりの空気たち。そして私は小さく息を吐き出し、苦笑まじりの笑みが漏れるのを感じながら食卓へと、サクラへと視線を移します。
 …そうそう、ユリカさんが髪を短くしたのも育児のためなんですよね。はじめの頃は空回りも多々あったユリカさんでしたけれど…今はけっこう母親というものが板についてきたようにも思えます。いえ、でもやっぱりまだまだ慌てることのほうが多いのですけれど。
 そんななかラピスはぴたりと動きを止めると、まだ不満げな顔で私のほうを睨みつつも、サクラのほうを気にしてかどさりと腰を下ろして。
 なんだかんだと文句を言うことも多いラピスでしたが、やっぱり一家で一番下のサクラのことは気にかけているみたいで、意外と遊び相手になってあげていたりするんです。…ラピスのそういうところはとても感心、というよりは尊敬できるんですけれどね。

 と、サクラを両腕に抱えながらユリカさんが小さく苦笑を漏らしました。
 「それにしてもルリちゃん、最近ちょっとご機嫌斜めじゃない?」
 「…ちょっとだけです。たぶんそのうち収まってくれます」
 「どーせハリとなんかあったんだ。大人ぶってても大人気ないんだから、ルリは」
 「ほら、ラピスちゃんもそんなこと言わないの」
 続く私達3人の会話。ラピスの言葉にちょっとむっとしながらも、平静を装ってご飯を口にする私。
 そして、肝心の父親であるアキトさんはというと。
 「…はぁ、次は男の子が欲しいかなぁ」
 なんて、一人ちょっと情けないような…でも思わずちょっとだけ可笑しくなるようなことを呟いていました。




 そしてその翌々日。
 マンションのエントランスに立つ私達3人。いつものように笑顔のユリカさんに見送られて、私はいつもの、アキトさんは初めて着る…白地の輝く宇宙軍の士官服に身を包んで。
 ユリカさんが嬉しそうに微笑っているなか、ラピスは一足先に出てしまっていましたけれど――私はアキトさんのそのきりっとした姿を…そしてアキトさんも私のこの身体に親しんでいる宇宙軍の制服姿と、あの頃とは違って少しだけまた背が伸びて、この長い髪もおろしている私の姿を目を細めながら眺めてきてくれます。
 そしてユリカさんのほうを向き直るアキトさん。その優しい微笑みをユリカさんへと向けて。
 「…じゃあ、いってくるよユリカ」
 「うん。二人とも、いってらっしゃい」
 「ああ、留守中のことはたのんだぞ?」
 「いってきます、ユリカさん」

 …二人、兄妹のように自然に並んで。私とアキトさんは出迎えに来ていたその黒塗りの車へと歩いていきます。私はどこか不思議な、今までになく高揚した気持ちでアキトさんの横についていきます。
 それからアキトさんは、自分の制服を苦笑しながらもう一度眺めると…視神経を保護するために身に付けているいつもの黒いグラスをかけ直して。
 「行こうか、ルリちゃん」
 「はい」
 そして私とアキトさんは迎えの車へと乗り込みます。向かうのはもちろん、ナデシコC。
 私とアキトさんがともに戦うことになる、その舞台へと。




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