――――――私はひたすらに走っていた。



 胸の苦しみも、気を抜けば止まりそうになる脚も。悲鳴をあげているこの胸も今の私には気にならない。



 ・・・だって、目指すあの人は、きっとすぐそこにいるから。
 きっとそこで寂しそうにうつむいているだろうから。


 だから、私は走る。――――――あの人を・・・・・・あのもう一人の『父』を、『兄』を。


 ・・・・・・私の『大切な人』を、失われた私たちの時から取り戻すために――――――――









 〜ルリは無慈悲な黒の女王〜














 1.

 「・・・・・・・・・いい加減うるさいですよ、ハーリー君」
 「!―――うっ・・・うわあああああああああああああああああああああああああああん!!!!」


 ・・・そう泣き叫んで書類を散らかしながら走り去っていくハーリー君を尻目に、私は黙々と仕事をしていました。
 確かにアキトさんの捜索について色々と反論を唱えてくるハーリー君もどうかとは思いますが、それに腹が立ってついつい冷たくあしらってしまう自分にもちょっとだけイヤになってしまいます。

 ・・・・・・ハーリー君も、せめてサブロウタさんくらいしっかりしてくれれば嬉しいんですけどね・・・

 そうしてそんなことを考えつつ、宙を見やりながら手元の始末書にサインをしていると・・・そのサブロウタさんが困った顔をしながら部屋の中へと入ってきました。
 「はぁ・・・・・・艦長、何ですかこの有様は?」
 「ハーリー君に聞いてください。あの子が思いっきり散らかしていきましたから」
 ため息をつきつつそう言ってくるサブロウタさんに私は彼の予想通りの答えを返してあげます。多分原因が私にあることもわかっているのでしょう、なんだか『仕方ないなぁ』っていう顔をしたサブロウタさんは、頭の後ろを軽く撫でつつ床に散乱した書類を拾い始めました。
 「・・・あ、すみません。私もやりますから」
 「いや、大丈夫ですよ。それより艦長はそっちの書類を早く、ね?」
 慌てて私がペンを置きつつそう言うと、なにやらウィンクをしながら言ってくるサブロウタさん。そんな彼の仕草にちょっとだけドキッとしつつもおとなしく席に座り直した私は、そんな自分の気持ちの動揺をごまかすかのように手元の書類とのにらめっこを再開します。
 そして軽い鼻歌なんかを口ずさみながら、楽しそうな様子で書類を拾っているサブロウタさんの背中が視界の隅に入ってきて。


 ・・・・・・そうなんです。最近ちょっと、サブロウタさんの一挙一動が気になってしょうがないというか、何故かドキッとさせられることが多いというか・・・・・・
 これは、アレです。アキトさんの時と何かが似ている気がします。考えてみればサブロウタさんとアキトさんは、タイプこそ全然違いますが私にとっては『兄』みたいな感じで接している人―――私の『家族』ですし、サブロウタさんもアキトさんと同じくらいかそれ以上背が高いですし。
 なんて言ったってサブロウタさんはよく気が利く人ですからね。接していて安心できるというか、ハーリー君とは別の意味で素直になれるというか――――



 ――――――って、もしかして・・・・・・・・・私、サブロウタさんのことを『好き』になり始めているんでしょうか???




 「・・・どうかしました?艦長。手が止まってますよ??」
 「?!――――い、いえ。なんでもありません」
 不意にサブロウタさんに話し掛けられて内心物凄く動揺しつつも、なんとか表情を作って乗り切ります。
 「そうっすか?・・・じゃ、書類ここに置いておきますから」
 サブロウタさんはいつものように軽く微笑みながらそう言うと、拾い集めて整理した書類の半分を私のデスクの上に置き、残りを持って自分のデスクへと向かいました。
 そんな彼を横目でぼおっと見送る私。心拍数が少しだけ上がっているみたいです。

 ・・・ホントに、アキトさんの時に似ている気がします。始めは頼りになる『お兄さん』で、だんだん『男の人』として見ている自分に気がついて。そして私はつくづく運がないんでしょうか、恋人がいるって所までそっくりです。
 アキトさんにはユリカさんがいました。あの二人は・・・・・・特にアキトさんは表面上はそうではないように振舞っていても、やっぱり心の底ではずっとユリカさんだけを見ていたんだと、あの頃の3人の生活をしていた時に気がつきました。そんなユリカさんだから、そんなアキトさんだから私はあの人たちのことを『大切な人』だと思えるようになって。
 それで私の『初恋』が終わって・・・・・・次に気になった人もまた別の愛する人がいるというのは、ちょっとあんまりなんじゃないでしょうか?





 ―――――つまり、アレです。私の好みが『年上の優しいお兄さん』になったのも、恋愛運が限りなくなさそうなのも、全部アキトさんのせいです。



 そんなことを考えつつちょっとだけ腹立たしい気持ちになった私は・・・今どこにいるかも知らない私の『大切な人』のことを想って、この部屋の天井のはるか向こう側――――――冷たい星々の輝く闇の空を見上げました。











 2.

 その狭く冷たい部屋の中で、俺の目の前に立っている女性はどこか寂しそうな表情をしながら静かに口を開いた。
 「・・・・・・もう、いいのね?」
 部屋には俺と彼女の二人きり。ラピスは・・・・・・あの子は今頃深い眠りについているだろう、小さめの黒いソファにもたれかかる俺の頭の中には、ただ空よりも深く黒い、安らかな闇だけが広がっていた。
 「一通りの迷惑はもうかけた。あとは、そっちの好きにしてくれればいい」
 自分でも理由のわからぬまま、そう言い放ちながら手にしたグラスを一気にあおる。程なくして、アルコールを飲んだ時の独特の胸の熱さがほんの少しだけやってきた。
 グラスを静かにテーブルの上に置く。向かいのソファに腰掛けながら、話しかけてくるエリナ。
 「そう・・・・・・―――ブラックサレナとユーチャリスは、破棄することになったわ。それから一連のコロニー襲撃は火星の後継者の内紛ということになると思う。・・・そして貴方は今後、ネルガルの保護下に置かれることになるでしょうね・・・・・・」
 そこまで言ってから、ふと言葉を止めたエリナは手前に置いてあったグラスにバーボンを注ぐとそれを一気に飲み干した。そしてどこか熱っぽい顔になりながら、半ば崩れるような形でソファに身体をもたれかけさせる。彼女の手元で握り締められるグラス。
 「その決定について文句はないさ。本来なら殺されていても不思議じゃないくらいだ、アカツキには感謝しているよ」
 エリナと同じくソファにゆっくりともたれかかりながら・・・・・・本当に不思議なくらい、自分でも考えられないくらい、穏やかな声でそう俺は言う。それを聞いたエリナはどこか怒ったような寂しいような表情をした顔をこちらに向けながら、ゆったりとした手つきでボトルへと手を伸ばした。


 「――――やっぱり、あの人たちのところへは帰らないつもりなの?」


 「・・・・・・・・・・」
 それはエリナが始めて口にした言葉だった。ゆっくりとその輝く液体を飲み干して、そしていつもとは違う、深い深い海のような瞳で訊いてくる。
 バイザーごしに目を逸らし、俺は俯くしかなかった。・・・本当にエリナは残酷なことを訊いてくれたものだ。俺があの場所に帰ることを望めば望むほど、俺の心は深く引き裂かれていくというのに。
 この身体に刻み込まれた罪の意識と深い悔恨はもう一生消えることのないものであり、俺の脆弱な心では耐え切れるものでもないのだと思う。でも、それでも俺は自分があの場所へ帰って傷を癒すことを許すことはできない。
 ・・・俺の心が強くはないからこそ、それを自分で許すことさえできないんだ。


 「帰らないんじゃない、帰れないんだ・・・・・・」
 だからこそそれだけを言うと、俺は小さく皮肉のこもった笑みを浮かべた。
 「復讐の終わった今だからこそ、自分がどん底にいるっていうのが悲しいくらいにはっきりとわかる。濁りきったドス黒い血と後悔のプールに浸かっている自分がわかるんだ。
 だから・・・・・・さきのことは俺にもわからないけれど。でも、今は帰れない」
 僅かに顔をしかめるエリナ。そしてやはり、悲しそうな表情になる。いつもははっきりとは見せてくれない本音の感情も、今夜ばかりはそうでもないらしい。俺に向けてどこか非難がましい視線をそっとぶつけてきていた。
 「―――ユリカさんには今の自分を見せたくないのかしら?ラピスや私には見せられるのに??」
 そう言って少しだけたどたどしくなった手つきでボトルを傾けると、その液体の入ったグラスを通して俺を覗き込んでくるエリナ。僅かに言葉の端に見え隠れする、刺のある感情。
 「今夜はいつになく絡むな・・・」
 そんなエリナに正直困りながら、俺は3杯目のバーボンを口にするべくグラスを手に取った。・・・今夜は少し、長くなりそうだ。













 3.

 ・・・・・・いつもと同じ朝が来て、いつもと同じように職場に向かったはずなのに。でも、今日はやっぱりどこかが違っていました。
 「ふぁ〜〜〜あ、っと・・・・・・ん〜〜、やっぱちょっと眠いねぇ」
 「―――それはサブロウタさんの勝手ですけど、なんで僕の机に腰掛けて伸びなんかしてるんですか?」
 視界の横にはいつものようにハーリー君に絡んでいる、少し眠たそうな顔をしたサブロウタさんとその被害をばっちりこれから受けそうなハーリー君。そんな二人のやりとりが、今日はなんだかいつも以上に気になってしまっているような気がします。
 「硬いこというなよ?だって俺の机の上、書類で埋まってるんだからさー」
 「だったら椅子に座ればいいじゃないですか・・・」
 「お前の机の高さがちょうどいいんだよ」
 「・・・・・・・・・」
 サブロウタさんと会話するごとに表情が拗ねていくハーリー君と、それを見てなんだか楽しそうにしているサブロウタさん。続いてサブロウタさんは、『いつものこと』といわんばかりにハーリー君のおでこを指で軽くパチンと弾きました。
 「いたっ!?いきなり何するんですか?!」
 思わず抗議するハーリー君に、意地の悪そうな笑みを返すサブロウタさん。そして余裕たっぷりの顔をして言い放ちます。
 「はっはっはっ、いくら俺の背が高いからって嫉妬はいかんよ?流石にこればっかりはどうしようもないからなぁ、今更縮めろってわけにもいかないし」
 「う〜〜〜!!ぼ、僕だって、あと2年!いえ、3年もすればサブロウタさん並みの背丈になってみせますよ!」
 思わずハーリー君は立ち上がって、それでも全然目線の上にあるサブロウタさんの顔を思いっきり睨みます。
 「ホントにかぁ?お前カルシウムあんまり取ってないだろが。それにもっとなんでも食べないとでっかくなれんぞ」
 それに対して挑戦的な笑みを浮かべるサブロウタさん。そうするとハーリー君がムキになるのを、わかっててやってますからね。この人は。
 ・・・でもこの人の場合、悪意が感じられないというか、やっぱりどこかハーリー君のためを思ってそういう行動をとっている気がするのは、私の気のせいでしょうか?――――まぁ、確かにからかっているだけっていうのも結構あるみたいですけれど・・・・・・


 ――――はぁ、やっぱりどうしてもサブロウタさんが『カッコよく』見えてしまいます。その隣にいるのが『お子様』なハーリー君のせいなのかどうかはわかりませんが、これはもう決定的といってもいいかもしれません。
 はたしてこれは、『お兄さん』に憧れているのか、それともやっぱり『男性』としてはっきり見ているのか・・・・・・


 「ねぇ艦長。艦長はどう思います?」
 「・・・はい?」

 と、書類を書く手を休めてぼおっと二人を見ていた私に突然サブロウタさんは話しかけてきました。どこか期待するような目をハーリー君がとてもわかりやすく向けてくるなか、不意をつかれた私は思わず間の抜けた返事をしてしまって。
 そしてちょっとだけドキリとしながら、内心の動揺を隠すように視線をゆっくり落としながら答えました。
 「正直、大きくなったハーリー君っていうのは想像がつきませんね。・・・でもやっぱり、私よりは背が高くなるんでしょうか」
 「・・・ふぅん。『お姉さん』としてはコイツが大きくなるのは不満ですか?」
 私の言葉にすぐさま苦笑しながら切り返してくるサブロウタさん。ハーリー君は彼がたまに見せる、困ったような拗ねたような表情をしています。
 「――――そうですね。嬉しい気持ち半分、寂しい気持ち半分、ってところです。あとは・・・・・・」
 「・・・・・??」
 それから私がサブロウタさんとハーリー君を眺めながら答えかけて、不意に自分の言おうとしていることの馬鹿らしさがはっきりとわかってしまった感じがして。


 ――――――だから。



 「・・・いいえ。なんでもないですよ」

 だからそうとだけ言って、再び私は書類へと向き直りました。
 「艦長〜。そりゃズルいっすよ?」
 なんだかがっくりした様子で―――何を期待していたのかは知りたくもありませんが―――そう言ってくるサブロウタさんと、こっちも複雑そうな、でもやっぱり単純そうな顔をしているハーリー君。
 ・・・結局そんなこんなでいつものように時間が過ぎていく中、陽も傾きかけた頃にこの部屋をノックする音が聞こえてきました。


 「情報部のナカマです。報告書を持参してまいりました」
 「「???」」
 その聞きなれない名字に私とハーリー君がサブロウタさんの顔を二人そろって見ると、彼はちょっとだけ悪戯っぽく笑うとドアの向こうに立っているだろうその女性職員に中に入るように言いました。
 「――――失礼します。・・・っと、タカスギさん?例の件について新しい報告が入ってきたんでお知らせに来たんですけど―――」
 「あ、ホント?いやぁ、ありがとね。わざわざ持ってきてくれちゃってわるかったかな、連絡くれればそっちまで取りに行ったのに」

 ・・・・・・そして部屋に入ってくるなり、そのロングの黒髪の女性はなんだか『とても』親しげな様子でサブロウタさんと話しかけます。そんな彼女に『いつもの調子』で律儀に受け答えするサブロウタさん。

 「いいえ〜、私ちょっと時間空いてましたし・・・それにこれ、早くタカスギさんにお伝えしたほうがいいかな、って思いましたんで」
 「そっか。・・・助かったよ、ユキちゃん。今度何かお礼をしなくちゃな」


 ―――――彼女、書類を渡す時にさり気なく手を握りましたね。



 「あはは。期待はしないけれど待ってますよ?・・・・・・・・・・・・それじゃ、失礼しまーす」
 最後に私に向かって軽く微笑みかけると、彼女はなんだか楽しそうな雰囲気を発しながらこの部屋を出て行きました。続いてその報告書とやらを眺め始めるサブロウタさん。
 と、
 「・・・『大尉』じゃなくて、『さん』付けでしたね。あの人」
 一人まったく蚊帳の外にいたハーリー君が、ボソリと呟きました。そしてジト目でサブロウタさんのことを睨みます。それを黙って眺めている私と、全然反応しないサブロウタさん。
 「・・・・・・しかも『ユキちゃん』なんて呼んでましたし」
 さらに呟くハーリー君。やっぱり黙って眺めている私と、これまた報告書にしか目がいっていないサブロウタさん。
 「・・・・・・・・・スバルさんが聞いたら、きっと激怒するだろうなぁ」
 そしてトドメらしい言葉を口にするハーリー君と、その名前を聞いて少しだけ気持ちが曇り気味になる私。でもサブロウタさんはやっぱり全然反応してくれません。


 「「―――聞いてるんですか、サブロウタさん?」」

 終いには私とハーリー君の二人一緒で、彼のデスクに詰め寄っていました。書類から目を上げて不思議そうに私たちの顔を見てくるサブロウタさん。
 「ん??艦長もハーリーも何そんなことで目くじら立ててるんですか?」
 「いえ、私はそういうんじゃないんですけれど・・・・・・」
 それに対し私が隣にいるハーリー君を若干困った気持ちになりながら横目で見やる中、そのハーリー君は予想通り見るからに不機嫌そうな顔になっていきました。
 ・・・まぁ確かにサブロウタさんが彼女に気がないっていうのはわかっているんでしょうけど、多分ハーリー君からすればああいう接し方は納得いかないんでしょうね。対する私の気持ちは『だからいいんだけど、でもよくない』っていう、ある意味理不尽なものに近いので、あまり言うべきではないのかも知れません。
 ただ一つ、彼女が『要注意人物』になったことだけは確かですが。・・・・・・一応リョーコさんにも伝えておいたほうがいいかも。


 「・・・それより、艦長」
 そして尚もハーリー君が不機嫌そうな顔を悪化させていく中、不意に真剣な表情になったサブロウタさんが私の目をはっきりと見て言ってきました。
 「なんですか?」
 そのサブロウタさんの雰囲気に心を引き締める私。隣で少し戸惑ったような顔をしたあと、やはり気持ちをすばやく切り替えるハーリー君。
 そして、サブロウタさんのその一言。


 「テンカワさんの件で、ネルガルに動きがありました。―――――ブラックサレナとユーチャリスは、このまま公表せずに廃棄するそうです」













 4.

 ・・・・・・最近、エリナの態度がおかしいと思う。どうも俺に対して冷たいというか、怒っているというか。
 たいした任務もなく訓練場で一日を過ごしていた俺のところに、ラピスと一緒にエリナが顔を出したのはそんななかのある日のことだった。
 「―――また大事な娘を放っておいてそんなことやってたわけ?」
 そしてラピスの手を引きながら、開口一番そう言ってくる。標的の僅か右にそれる、俺の放った弾丸。
 「日課なんだ。こうして訓練をしていないと落ち着いていられない」
 ヘッドギアをずらしながらそうとだけ言うと、俺は空になった弾倉に弾を込め始めた。
 「訓練も悪いとは言わないけれど、たまにはラピスと一緒にいてあげなさいよ?本当なら貴方から進んでそうしなきゃいけないんだから!」
 強い口調で言ってくるエリナ。その顔も心なしか高揚しているように見える。と、ラピスがエリナの手を軽く引いて、小さく何かを言った。
 「・・・アキト、忙しいの。だから二人だけでもいい」
 「いや、でもねラピス。私たちが連れ出さないと絶対にこいつはここから出ようとしないわよ?」
 続いてそう言いつつ嘆息するエリナ。それを見て思わず、俺の口元が緩んだ。
 「――――随分『母親』が板についてきたな」
 と、とたんに物凄い形相になったエリナに睨まれる。それを見てほんの少しだけ、不安そうな素振りを見せるラピス。
 「貴方ねぇ、一体誰が保護者やってないせいでこの子が寂しい思いしてると思ってんのよ?!だったら私がラピスの面倒見るのは当たり前じゃない!!」
 「い、いやな・・・・・・」
 「どうせ今日も夕方までここで過ごして、ラピスのことなんか全然構うつもりなかったんでしょ?!ホントいい加減にしなさいよ!」
 どうやら触れてはいけないものに触れてしまったらしい、今のエリナは明らかに激怒している。ラピスが彼女の手を何度も引っ張るのにも構うことなく、俺に向かって思いっきり怒鳴ってきた。
 「・・・いや、その。俺が悪かった」
 このまま説教が続くのもかなり怖いので、仕方なくそう謝る俺。疑い深い目で俺を見てくるエリナ。
 「ホントに悪かったって思ってるの??」
 彼女はラピスのすぐ後ろに身体を動かしつつ、そう訊いてくる。その肩に置かれたエリナの手に触れながら、俺とエリナの顔を交互に見やるラピス。・・・・・・これは、『ラピスに謝れ』って言ってるんだろうな・・・・・・

 「――――俺が悪かった。許してくれラピス」
 「違うわよ。そうじゃないでしょ?」
 と、見上げてくるラピスに俺がそう言った早々、エリナの横槍が入る。続いて軽くしゃがみつつラピスの髪をゆっくりと撫でたエリナは、真剣な目で俺のことを見てきた。
 そんなエリナの行動に、最初はわけがわからなくて、どうすればいいかわからないまま軽くしゃがんでラピスと同じ目線になってみて。
 床にそっと握り締めていた拳銃を置いて、俺はゆっくりとした動作で顔の黒いバイザーを外した。

 目の前にはいつもの無表情に近いラピスの表情。でもその顔には、よく見ればいろんな表情が見え隠れしている。―――――そういえば最近、こうやってちゃんとラピスと向かい合ってはいなかった気がする。
 ただ自分の後始末のことだけでアタマがいっぱいで、彼女のことをあまり考えてやれなかった気がする。



 ・・・・・・いや、それは最初からか。


 そう思ってふと、心の中で俺はどうしようもない自嘲の笑みを浮かべた。この子はずっと俺の傍にいてくれたのに、俺は結局自分のことだけで頭がいっぱいだったんだ。
 だからエリナは怒る。ラピスが寂しがっているといって。
 だからラピスはどこか、俺に対して最後の一つの距離を置いている。俺に本当の『何か』をぶつけてこようとはなかなかしない。その前に躊躇ってしまうんだ。

 ・・・俺は床の拳銃を手に取ると、弾倉からゆっくりと全ての弾を抜いた。


 「ごめんな、ラピス」
 「・・・・・・?」
 そして向かい合ってそう言った俺に、ラピスはどこか不思議そうな顔を向けてくる。彼女の頭にそっと手を置く俺。
 「今まで、全然構ってやらなかったものな。ラピスが俺にたいして怒ってもそれは当然だし、それに――――」
 その先を言いかけて、俺は言葉を止めた。代わりに戸惑うような目をした彼女の髪をそっと撫でて。
 「だから、これからはちゃんとラピスと一緒に・・・本当の意味で一緒にいるって約束する。だから、許してくれるかな?」


 「――――ありがとう、アキト」


 そして本当に僅かだけ、でもはっきりと微笑みつつ、ラピスはそう言った。






 「・・・・・・で、私に対する感謝と謝罪の言葉はないわけ?」
 ラピスの手を握りつつゆっくりと頭を上げると、機嫌がいいのか悪いのかさっぱりわからない顔でエリナがそう言ってくる。
 「ああ、エリナもありがとう。それと、すまなかった」
 どこか照れくさいのと、胸の奥にあるらしい微かな罪悪感―――そのごちゃ混ぜになった罪悪感から、ただ簡単にそうとだけエリナに告げる俺。
 「・・・なんだか釈然としないわね」
 対してエリナはゆっくりと立ち上がりつつ、腕を組みながら俺の顔を横目で軽く睨んできた。
 「それよりも、これからどこか行くんじゃなかったのか?」
 「ええ。貴方まだランチは取ってないでしょ?・・・だったら私たちに付き合いなさいよ」
 話をさっさと切り上げたのが相当不満らしく、さらに眉を寄せながら言うエリナ。ラピスが俺の顔を見上げながらコクンと頷いて。

 「・・・そっか。じゃ、行こうか?」
 「――――何いきなり仕切ってるのよ??」
 どんどん不機嫌の度合いを増していくエリナにこっそりと嘆息と苦笑いをしつつ、3人並ぶようにして訓練場を後にした。





 5.

 そして再び夜になって。
 「・・・・・・で、テンカワ君。最近身体の調子はどうだい?」

 何故か俺はアカツキに呼び出されて、会長室の一角でグラスを傾けていたりする。
 俺の目の前、そのテーブル越しには薄く笑うネルガルの会長の姿。右には暗く濁った地球の夜空と、不規則に瞬く街の光がある。そしてその景色の片隅に、ラピスやエリナが今そこに立っているであろう、白くて小さな月が見えた。
 「いつもどおりさ。あいかわらずイカれているにしては良く動いてくれる」
 そう言ってグラスの中身を飲み干す俺。アカツキが目を細めながらその様を見てくる中、いい加減に慣れ親しんだその僅かな味の感覚が口の中に広がってくる。
 「そうかい、そいつは結構。まぁ、調子が程々でいてもらわないと困るんだけどね。上司としては」
 「―――それで、今度はどんな命令なんだ?ゴートを通さずにわざわざ直接伝えるってことは、また『面倒』なヤツなんだろ??」
 その俺の言葉に対してアカツキは、どこか意外といった顔をしてからソファにもたれかかった。
 「確かに、名目上は君は僕直属の私兵みたいなものだからねぇ。・・・・・・でも今日はちょっと違う。ていうかぶっちゃけたところ、仕事の話じゃないし」
 なぜか楽しそうな様子でアカツキは自分のグラスに上物のスコッチを注いだ。―――――ったく、流石に会長だけあって良いモノ飲んでやがるな。
 「じゃあいったいなんなんだ?」
 右手でグラスを弄びつつ、目の前の男にそう問いかける。ニヤリと笑うアカツキ。
 「いやさ、テンカワ君。正直僕も他人のプライベートにあまり口出しするのは好きなほうじゃないんだけどね」
 「嘘つけ。ホントは楽しくてしょうがないくせに」
 「それは誤解ってやつだよ?僕が他人事に首を突っ込むのは、あくまで利害が関わる時だけさ。つまり、今回もそうだってことなんだけど」
 「・・・・・・?」
 そして不意に真剣な表情になって。もっともこいつの『真剣な表情』ってもの程アテにならなくて尚且つ裏に色々あるものはないんだが・・・・・・
 なんでもないことのように口を開くアカツキ。


 「最近ねぇ、エリナ君の仕事の出来がいまいちなんだよ。なんか、心当たりあるんじゃないかい?」
 ・・・・・・で、ふられてきた話題がそれだった。
 「どうもスケジュールに無理やり余裕を作っては色々となんかやってるみたいでさ。ま、それでもエリナ君だから並以上の仕事はできてるんだけど・・・開発部のトップが過労でぶっ倒れましたっていうのは、勘弁して欲しいからねぇ」
 軽口交じりにアカツキは言ってくる。・・・多分、エリナがラピスの世話をしていることを言っているんだろう。考えてみれば、あいつが普通に仕事をしていればそんな暇があるわけないっていうのに。『あいつのことだから、なんとかしてやってるんだろう』なんて考えていたけれど、結局は無理をしてやっていたのか・・・・・・

 「ふぅむ、だまってないで何か言ってくれると助かるんだけど?」
 ふと目の前で、アカツキが困ったような顔を作りながらそう言葉を漏らした。空のグラスをぼんやりと眺め、それをテーブルにおいてからゆっくりと口を開く俺。
 「・・・あいつがラピスの世話をしているってのはお前も知っているんだろう?そのことで今日はエリナに散々言われたし、だからこれからはその分俺がしっかりと面倒を見ていこうと思う。それじゃ駄目か?」
 ・・・それを聞いたアカツキの目が、スッと細まる。
 「―――駄目じゃあないさ。ぜひともそうしてくれれば、こっちとしては助かるんだけどね。・・・・・・でも、なんで彼女、そんなにまでラピス君の事を気にするんだろうねぇ?」
 その、アカツキの思わせぶりな発言に。僅かに俺の心が苛立つのが感じられた。
 その動揺をねじ伏せるように無造作にグラスに琥珀色の液体をついでそれを飲み干す。

 ・・・そうさ、わかっているんだ。あいつのそういう気持ちは、なんとなくだが俺にはわかっているんだ。あの頃とは違うから、今だからこそ、あいつが俺に何かしらの好意を持っているってことはわかってしまっている。
 わかっていて、俺はあいつの気持ちに気がつかないふりをしている。
 だったらアカツキ・・・・・・お前は俺にどうして欲しいというんだ?アカツキ、お前は―――――



 「・・・ようするに、お前は俺を責めてるのか?」


 僅かに、小さく。まるでため息のように俺の口から出たその言葉。それを聞いたアカツキは、一瞬チラリと外の景色を眺めてから俺を見て口を開く。
 多分それは、目の前のこの男がほんの少しだけ本心を話す合図。
 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。・・・彼女が君に『好意』を持っていることに関しては君の責任であるわけはもちろんないし、それは彼女の自由だ。ただ僕が言いたいのは、君が今の漠然とした状況を変えようとはしていないこと、それがちょっと問題じゃないかということさ。
 これは何もエリナ君のことだけじゃないよ?君がまだ結論を出していない、ホシノ君やユリ――――」
 「アカツキ」
 ただ一言。口から言葉が漏れる。まるで『しょうがないなぁ』とでも言いたげな顔をするアカツキ。
 「ごめんごめん。・・・でも、そういうことなんだよ。一体その答えを出すのにどれだけかけるかっていうのは本人の問題なんだけどね、でもいつまでも保留しておくわけにも行かないんじゃないかい?
 つまり、微妙で居心地のいい空間も悪くはないと思うけどね・・・――――少なくとも彼女の気持ちには、はっきりと答えを示すべきだと僕はそう思うよ。・・・いつか、ユリカ君の元へ帰る日のためにもさ」

 そう言ってアカツキはなんともいえない、どこか懐かしそうな・・・何か幸福なものを思い出すような顔をながら、霞んだ夜空に浮かぶ白い月を見上げた。










 6.

 「・・・そういえばサブロウタさん、勤務中以外のときも私のこと、『艦長』って呼びますよね」
 「ん?いきなりどうしたんですか??」
 「なんかちょっと・・・・・・不満なんです。ハーリー君もそうですけど、プライベートの時くらい名前で呼んでくれてもいいじゃないですか」
 「・・・・・・」
 「・・・・・・」

 「・・・別に俺はいいですけれど、でも。俺はテンカワさんの代わりにはなりませんよ?」
 「・・・・・・そんなこと私、言ってません」
 「・・・あ、こりゃすいません。なんかちょっと、そんな気がしたんで・・・そんな睨まないでくださいよ」


 「・・・・・・」
 「・・・・・・」
 「――――――サブロウタさんはサブロウタさんです。アキトさんの代わりじゃありません」
 「・・・光栄、ですよ」


 「・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・」





 「あ!!艦長〜〜!サブロウタさぁぁぁん!お待たせしましたぁぁぁぁぁぁ!!!」
 「お?やっときやがったか、アイツ。・・・じゃ、『艦長』?そろそろ行くとしますか」

 「―――・・・・・・・・・ええ。サブロウタさん」


















 7.

 「・・・・・・ナデシコCが月に来てるですって?」
 「うん」
 昨日と同じように三人で夕食を取っていたその時、不意にラピスがそう告げてきた。途端にどこか警戒したような顔つきになるエリナ。
 「どうせいつもの巡航だろう。気にする必要もない」
 そんなエリナの態度にどこか引っかかりながら、そう言って俺はワインを口にする。

 ――――テーブルの向かいには少しだけ顔を曇らせたエリナ。横にはそんなエリナにちょっとだけ心配げな様子を向けてから、気を取り直したように目の前の料理に手をつけ始めたラピス。
 「・・・そういえばエリナ。アカツキが言ってたぞ?あんまりスケジュールを無理に詰めるなってさ」
 「アカツキ君が?」
 どこか『しまった』といったような感じの顔をしながら、エリナが手を止めて訊いてくる。
 「ああ。・・・その、いままで俺が全然ラピスにかまってなかったからな。これからはそんなに無理しなくてもいい」
 「――――ふぅん?」
 と、エリナがニヤリとしながらなんだか楽しそうな様子で俺のほうを見てきた。多分この前の訓練場での一件のことを言いたいんだろう。
 「・・・とにかく、そういうことだ」
 そんなエリナの視線が、どこかくすぐったくも何かが違うように思えて。若干ぶっきらぼうに言いながら俺は話を打ち切る。どこか残念そうな顔をしてヒラメのムニエルを口に運んだエリナは、続いてラピスのほうを向くとちょっとしたテーブルマナーなんかを丹念に注意し始めた。
 エリナ曰く、ラピスの教育も含めてこういうレストランで食事を取ってるそうだが・・・・・・まぁ、こういう『家族ごっこ』も悪くはないだろう。ラピスのほうも日頃鍛えられているのか、それほど遜色のない感じで食事は進んでいて。



 ・・・・・・そんなことを考えていると、不意に。近くのテーブルで談笑している家族の姿が目にとびこんでくる。
 ・・・その父親と、その母親と。そしてその小さな子供。まるで俺たちと同じような。――――そう、俺と、エリナと、そしてラピス。

 ――――――俺と・・・・・・ユリカと・・・・・・・ルリちゃん・・・・・・・・・






 ・・・今ここにある小さな安心と、心のそこで願っているかもしれないその小さな幸福と。その間で彷徨っている俺の、その小さな痛みを感じながら今夜の夕食は過ぎていった。










 8.

 「ホントに大丈夫なんですか?ここって一般企業エリアですよぉ?」
 ・・・後ろをついてくるハーリー君が、どこか情けない声をあげました。
 「心配要りません。最高責任者の許可はもらってますから」
 「そ、そ!だからそんなにビクビクするなっての!!」
 その声を一蹴するように私ははっきりと言い放ちます。続いて呆れたように声を上げるサブロウタさん。

 ・・・・・・つい昨日のことでした、アカツキさんから私宛に――――もっとも直接の送り主はプロスさんだったのですが―――プライベート・メールが届いたのは。
 中身はほんの小さなデータのほかに、単純な文が書いてあっただけ。
 『―――もう知っていると思うけど、彼の処分が最終的に決定したよ。放っておくと何処かに行っちゃうかもしれないから引き取りに来てくれないかい?・・・さもないと彼女が何かしでかしそうだからさ』


 アカツキさんにしてはあっさりしすぎている文章でしたけれど、それよりも『彼女』という単語はとても問題でした。あきらかにエリナさんのことを指していると思われますが、もしそれが他の女性だったとしても大差はありません。とにかく、アキトさんにちょっかい出して私たち家族の絆を引き裂こうとする輩がいること、それが事実ですから!
 ・・・って、なんか、こう。見事なまでにフラストレーションが溜まっているみたいです、私。

 ――――――どうも予想以上に、気分が良くない感じです・・・



 「・・・・・・・ねぇサブロウタさん?なんか艦長、機嫌悪いみたいですけど・・・」
 「てめぇは黙ってろ。話がややこしくなる」

 ・・・早足で通路を進む中、後ろから微かに聞こえてくるハーリー君とサブロウタさんの会話。気が立っているせいか小声のはずの彼らの声も丸聞こえです。
 そしてまた機嫌が悪くなっていくのをはっきりと感じながら、私はだんだんと駆け足になっていきました。『念のため』に持ってきた拳銃を右手でそれとなく触って確認して、アカツキさんに教えられた通りに通路のずっと奥を目指す私達。


 ――――目指すあの人は、もうすぐそこのはずです。









 9.

 「・・・・・・ふぅ。寝かしつけるってのも、結構大変なもんだな」
 「あら、言っとくけどラピスは子供なんかじゃないわよ?」
 ラピスに言われるまま彼女が眠りにつくまでその手を握ってやっていて、それからそっと寝室を後にして、俺はいつもの部屋でエリナと酒を交わす。
 俺の言葉に可笑しそうに笑いながらボトルを手にとるエリナ。向かいのソファにゆっくりと座った俺は、いつものようにではなくエリナにバーボンを注いでもらう。ついさっき仕事を終わらせたのだろう、グラスとボトルを用意して待っていたらしいエリナはどこか満足げにグラスを傾けると、何に対してでもなく『乾杯・・・』と呟いた。
 そしてそのまま一気にそれを飲み干してゆく。
 思わず『ご機嫌だな・・・』と言いそうになって、それは寸前のところでやめておいた。その代わりに俺もエリナを見習って、グラスを一気に空けることにする。窓越しに見える、澄み切った夜空と青い星。

 「どうも、地球よりこっちのほうが俺にとっては落ち着くらしいな。空まで綺麗に見えやがる」
 エリナのグラスにゆっくりと注いでやりつつ、俺はなんとなしにそう言った。僅かに顔色を変えるエリナ。そして何も言わずにグラスに口をつける。
 ・・・そうしてしばらく黙って酒を飲んでいて。
 「――――でさ・・・本当のところはどうなの?」
 そう、ボツリとエリナが言葉を漏らした。
 「・・・・・・・」
 ゆっくりと俺はグラスをあおる。目の前には少しだけマズそうな顔をしたエリナ。―――どうも最近のエリナはエリナらしくないと思う。今までとはほんの少しだけ違う接し方、今までとはホントに少しだけ違うその表情。・・・・・・そう、まるで何かを焦っているみたいに、時たま俺に対して『何か』の感情をぶつけてきているように思えて。
 「・・・さあ、ホントどうなんだろうな・・・・・・」
 「―――」
 彼女の目の色がはっきりと変わる。多分、投げやりな言葉に思えたんだろう・・・事実半分はそうで、でも半分はそうじゃなかった。グラスをそっと握り締めるエリナを見ながら、俺は言葉を続けようとする。
 俺の、心の中にある想いをはっきりさせようと足掻いてみる。
 「―――俺は・・・・・・やっぱり逃げている。前にお前が言った通りさ、ユリカの奴に今の自分を見せるのが怖いんだな・・・」
 『ユリカ』と言う名前、その久しぶりにこの口から出たその名前にエリナはなんともいえない微妙で寂しげで、そして苛立ったような表情を見せた。かまわずに俺は言葉を続ける。
 「アイツのことを信じていないんじゃない。でも、それでもやっぱりどこか不安があって・・・今の自分があそこで幸せに暮らしていける自信が、本当ならあったはずのその自信が今はどこかに消えうせてしまったから――――――だから、ビクビクしてるんだと思う。変わってしまった俺自身が、不安で仕方ないんだ。
・・・・・・たまに思うんだよ。『今俺が帰ったとしても、その先にあるのはアイツとの決定的な破局だけなんじゃないか』ってさ――――」



 ――――そう、だから少しだけ思ってしまう。『このままの俺たちでいたほうが、本当は幸せになれるんじゃないか』なんて、そんなくだらないことを。




 ・・・目の前には押し黙ったエリナ。いつのまにかボトルは空になっていた。そしてエリナが呟く。
 「―――じゃあ、私とラピスは貴方の逃げ場なのね・・・・・・」
 「・・・・・・・・」
 そのエリナの言葉に、俺は何も言うことはできなかった。






 ・・・・・・そして、エリナがポツリポツリと話し始める。


 「・・・わかりきっていたことでも、やっぱり悔しいし・・・悲しいわよね。私の気持ち、今はもう知ってるんでしょう?」
 「――――ああ」


 ・・・・・・・・・窓の外には、相変わらず美しい、どこまでも澄み切った青い星がある。


 「最近ね、ちょっとだけ期待してたのよ。もしかしたら貴方が・・・・・・ってさ。それでガラにもなく色々とやってみたりしたんだけど―――その度に悲しくなっていったわ。貴方の心の中があの人でいっぱいなんだって、改めて気づかされたから」


 ・・・・・・その青い星を悔しそうに見つめながら、エリナはゆっくりと立ち上がった。



 「でもこの間、これからはラピスや私のこともちゃんと見てくれるって言ってくれたから・・・もしかしたらって思ったのよ。今はまだ無理でも、もしかしたら――――って。
 ・・・でも、それは違ったのね―――」
 「――――済まない」
 ・・・その俺の発した小さな言葉に、エリナは最後の理性を失って大きな声で泣き叫んできた。
 「そんなこと言わないでよ!そんなこと言われたらもっと自分が惨めに思えてくるじゃない!!・・・だから、そんな・・・・・・こと・・・・・・!」

 あとは言葉にならなくて。ぐしゃぐしゃの顔のまましゃがみこんでしまった彼女の嗚咽だけがこの部屋の中を満たしていて。



 ―――――――全く・・・俺は、何をやってるんだろうな・・・・・・



 どうしようもない空しさをはっきりと感じつつ、この結果をまざまざとこの手で突きつけた俺にはどうすることもできなくて・・・ただぼんやりと立ち上がって、あのどこか懐かしさを感じさせる青い星をぼおっと眺めるしかなかった。













 ・・・Finale.


 ―――――そしてエリナがようやく泣き止んで。それから彼女は一つだけの『お願い』をする。
 その『お願い』に、少しだけ躊躇って・・・残酷な優しさからそれを肯定するアキト。・・・・・・後はもう、言葉はなかった。







 ・・・そして、ルリ。

 ――――――彼女はひたすらに走っていた。



 胸の苦しみも、気を抜けば止まりそうになる脚も。悲鳴をあげているこの胸も今の彼女には気にならない。



 ・・・なぜなら、目指すあの人は、きっとすぐそこにいるから。きっとそこで寂しそうにうつむいているはずだから。


 だから、彼女は走る。――――――彼を・・・・・・あのもう一人の『父』を、『兄』を。
 ・・・・・・彼女の『大切な人』を、失われたその時間から取り戻すために――――――――








 そして。


 そして扉は開かれて―――――――








 「??!」
 「「!!?」」


 ・・・・・・突然の出来事にただ驚愕するだけの二人。
 目の前の現実に、その理解しがたい現実に心が吹き飛ばされる一人。


 彼女の後ろから、誰かの驚いたような声が聞こえる。でもそれにかまうことはなく、肩を震わせる彼女。


 「どうして・・・・・・・・・どうして―――」



 誰かの発したその呟きは、彼女の静かな動作によってのみ打ち消されていった。

 ・・・静かに佇む彼女、その瞳には言いようのない悲しみと怒りが見える。
 その右手にはただ一つのモノが握り締められている。



 彼は何も言わない。彼女も何も言わない。
 ただ一人、その女性だけが呆然として座り込んでいて―――――――




 ―――――――そして最後の声が聞こえた。ただ悲しいその響きが。










 「・・・・・・Adieu,mon amour.(さようなら、私の愛しい人・・・)」







 そして幕は下ろされる。その後の彼女たちのことは、多分誰も語らない。


 End.










 後書きとか言い訳とか

 タイトルに堂々と『ルリ』って書いておきながら、実はこの話はエリナさんのお話だったんじゃないかと気づいたのは半分以上書き上げてから。結局予定以上にトンデモネエ話になってしまいました。
 お話終盤に関しては、これ以上どうしようもなく書くのもなんかなーと思って綺麗さっぱりうやむやにしています。いい加減疲れたのかもしれませんけど。・・・というか、色々と話を起こすだけ起こしといて、ちゃんと解決してるのってないんですよね。サブはうやむやにかわしただけだし、アキトはあーゆー有様だし。さらにエリナさんの三流役者ぶりはどうかなぁと思いつつ、このくらいが限界みたいです。
 では、最後までこのSSを読んでくださった皆様。どうもありがとうございました。

 (余談:『彼女』の最後の仏文は、「アデュー、モナムゥル」とでも読みます。とあるアメリカのゴシップ小説から拝借しましたが、それ自体ありきたりな言葉なのであしからず)








管理人の感想
モデレさんからの投稿です。
しかし・・・ここでひきますか(苦笑)
実質、ルリじゃなくてエリナが主人公なのは確かでしょう(爆)
このままサブとルリがくっいて、ハーリーがどん底に沈む姿も見たかったんですけどねぇ
やっぱり、年上に弱いのかルリは・・・
ますますハーリーの勝ち目はないじゃん(笑)