Spiral/Birth of Fairies − 前編






月ドッグにアームで固定された艦から傍らにラピス・ラズリを伴いテンカワ・アキトがおりてくる。
タラップのたもとにはエリナともう1人、秘匿ドックには場違いなカラフルなアロハシャツを着込んだ老人が待っていた。
フクベを目にしたラピスがかけ出し、ただいま戻りましたと声を掛ける。

「どうだったね?」

ラピスの頭をなでながらフクベはアキトに問いかける。

「こちらは問題ない、フクベさんの指示通りできた。アマリリスのセンサー範囲内だったし、10秒ぐらいその場で滞空していたしな」

「そう、うまくいったなら宇宙軍に動きがあるはずよ。アマテラスへ査察官が派遣されたらそれにあわせて出ることになるから、それまでしっかり体を休ませていてちょうだい」

「ああ」

いつも通り腕を組んで自信たっぷりという感じでエリナが言うが、対するアキトは不安げな表情だ。

「何か心配かな?」

「本当にうまくいくのか?」

「ムネタケのことだ心配なかろう。飄々としておるが抜け目のない男だからの、こういう機会を見逃すまいて」

「だといいんだが…」

フクベの言葉に一抹の不安を感じアキトは言葉を濁す。彼が知っている“ムネタケ”はまるで正反対の男だった。1人機動兵器で暴走し、絶望に駆られ目の前で拳銃自殺をした。
気を取り直し、ユーチャリスの格納庫から引っ張り出されているシラヒメのコンピュータバンクを指差す。

「注文の品持ってきたがどうするんだ?今更調べる事も無いんだろ?」

「ええ」

それでは何のためにと問いかける前にホッホッホと笑いつつフクベが答える。

「簡単なカモフラージュじゃよ」

「私たちがユリカさんの居場所に未だに気づいていないと思わせた方がやりやすいでしょ」

ウインクしつつエリナが補足する。

「あのデータバンクの中身が『火星の後継者』とまるで関係ないことは彼らの方がよく知っているから」

「そうだな」

頷きつつラピスに目を落とす。彼女はちょうど欠伸をかみ殺しているところだった。

「ラピス今日はありがとうな。疲れたろ?」

膝をつき目線の高さを合わせながら言う。

「いえ、このくらいならまだ大丈夫です」

「眠たいんじゃないのか?」

「……少しは」

「もういいから、先に休んでていいんだぞ」

「シラヒメのラボからハッキングしたデータはどうするんですか?」

もう一度欠伸が出そうになるのを押さえつつラピスが尋ねる。

「イネス先生がいるから大丈夫だろ」

「判りました。それではお先に休みます」

ペコリと3人にお辞儀をしてラピスは自分にあてがわれた部屋へ歩いていった。

「ルリちゃんのクローン…か」

それを見送りアキトはポツリとつぶやく。
その声音にかすかに苛立ちが混じっているのをエリナは聞き逃さなかった。
彼にとってつらい体験を思い出させている事がエリナにもつらかった。

「ごめんなさい、私たちネルガルまで人の体をもてあそんで   

「別にネルガルを責めているわけじゃない」

エリナの言葉を遮りつつも自分が苛立つ原因を思い出しそうになったときもう1人女性の声が聞こえてきた。

「アキト君は自分があの娘をルリちゃんのかわりにして接していると思っている。そしてそのことに自己嫌悪を感じているわ。“さん”;付けしないように言ったのもルリちゃんを思い出すからよね」

「イネスさん、説明好きだからってあまり人の考えていることまで説明しないでほしい」

白衣を翻しつつ歩いてきたイネスに視線を合わせず不機嫌さを隠さない口調でかえす。

「だんまりじゃ心配しているエリナさんに悪いじゃない」

「…………」

アキトは答えない。

「まあいいわ。どうしようもなくなったら何時でもカウンセリングするから」

結局そのことに関して何も答えないまま、休ませてもらうとだけ言い残してアキトは歩いていった。






「ホント自分のことを責めるのは変わらないわね」

アキトの背中が見えなくなるまで見送った後、エリナは呟く。

「私が見る限り自分で思いこんでいるだけよ。思うようにならない体を補うためと自分の戦い、この二つにラピスを利用しているという罪悪感とすり替えているだけ」

「そうなの?あなたがそう言うんだから大丈夫だと思うけど」

「一度、ホシノ君と会ってみれば本人も納得するのではないか?」

「そうですけど……」

今はそれができない。

「今度の件がなるだけ早く終わることを祈ろう」

フクベの言葉にあとの2人も頷く。





ミスマル・ユリカを求め『火星の後継者』の拠点をアキトが襲撃し始めてからかなり経つ。
あと一歩のところで目の前から連れ去られたこともある。だがアキトは焦りを見せることなく淡々とフクベ等の立てる作戦を遂行していった。

以前のアキトと比べ一番変わったことは機動兵器操縦の腕前でも素手の格闘技術でもなく、我慢できるようになったことだろう。
ナデシコに乗っていた頃、彼はひたすら真正面から目の前の壁にぶつかって行こうとしていた。背中をあずけられる仲間がいたあの頃と違い、今は1人だった。以前の様な戦い方をしていたらあっという間に死んでしまう。そのことが解ったから彼は変わらざるを得なかった。
それは戦い方だけでなく行動においても顕れていた。感情に任せての行動は影を潜め、大局を見据え耐えることが出来るようになったのだ。





火星方面駐留艦隊=連合宇宙軍第一艦隊・元提督フクベ・ジン。現在ネルガルにおける『火星の後継者』に対する戦略はフクベが立てていた。
2回目のコロニー襲撃ですでにミスマル・ユリカと遺跡の居場所はアキト達の知るところとなっている。
アキトをそこに直接ボソンジャンプさせれば、奪還は容易い。ジャンプを使えば脱出経路など考える必要もないからだ。しかし『火星の後継者』そのものを無くさなければ、奪還したとしても何度でも奪いに来るだろう。
そう考えたフクベは『火星の後継者』を社会の表舞台に引っぱり出し一気に殲滅する方針をとったのだ。

今回のシラヒメ襲撃も敵側の拠点を襲いユリカと遺跡を奪うためではなかった。連合宇宙軍にこちらの存在を見せ、地球連合と統合軍が押し進めるヒサゴプランに介入させることが第一だった。
今の段階で宇宙軍や自分たちのシンパに引き入れていない統合軍将兵が遺跡の存在を知るようなことになれば、『火星の後継者』は準備不十分のまま決起せざるをえない。
いかな理由を付けようと人間を遺跡と融合させてモノとして使用するなど許されようはずがない。自らを正当化するため彼らは自身を“従来の悪”から“新たなる秩序に拠る正義”の存在にするしかないのだ。

そして、今日の襲撃で全ての準備は整った。




己が求める眠り姫の居場所を知りつつ、雌伏の時間を耐えていたかつての王子が立ち上がる時がきたのだ。




 






〈パイロットを追加配属するとなると整備と医療関係の人間も増やさないとだめですね。〉

熱血パイロットと改造好きの整備員、説明好きの医師。
採用基準でそんな言葉が思い浮かんだが、自分の知る一番熱血(馬鹿)なパイロットを思い出し考え直す。

〈不注意で骨折されたり、フレームを使い捨てにされてはたまりません。〉

ムネタケ・ヨシサダ参謀長からその命令書が届いた時、ルリは新規採用するクルーについて思いを巡らせていたところだった。
命令書の内容を確認し、周りに気づかれないほどの小さな溜息を漏らす。自分が望む“ナデシコ”にするのは任務終了までお預けのようだ。


連合宇宙軍 第4艦隊所属 試験戦艦ナデシコB。



現在ルリが艦長を務めるこの艦のクルーの採用は彼女に一任されている。どこかかつてのナデシコを彷彿とさせるその人員は無意識のうちにルリが選んだものだった。



ナデシコの再現。



意識せず行ったこの行動はアキト達の死後、ルリの心の成長が止まってしまった顕れでもあった。あの時をもう一度過ごすためにルリは此処にいるのだ。思い出の中に居続けるために。


出航のために必要な手続きを行いながら、命令書に添付された大量の参考資料に目を通す。ボソンジャンプを行う正体不明の機動兵器についてアマリリスで得られたデータが全て送られてきていた。
確かにこの存在は無視できないが、査察理由は言い掛かりに近い気がする。もっともナデシコBに任務が回ってきた時点でまともな査察だとも思えない。

〈ま、なるようになるでしょう。〉

謎の機動兵器になにかひっかかりを感じながらもそう思い、ルリは出航の指示を出した。





 






「動き出したわよ」

「やはりルリちゃんか」

エリナへのアキトの言葉は疑問ではなく確認だった。あの娘を巻き込んでしまうことはすでに覚悟していた。それでも今の自分を彼女の目の前にさらす覚悟はまだつかない。

「テンカワ、手筈を間違えるなよ」

「ああ」

ユーチャリスの搭乗タラップへ向かいながら月臣元一朗が声を掛けてくる。

「ユリカさんを直接見ることになるでしょうけど冷静にね」

「わかっている」

「はずすなよ」

右手の拳の甲を左手のひらで叩きながら月臣が言う。
それまでの上の空の素っ気ない返事と異なり、アキトが力強く頷く。

「?」

エリナには意味がわからなかった。
アキトに尋ねようとしたとき彼が立ち止まっているのに気付く。タラップの前にフクベが佇んでいたのだ。

「どうしたんだフクベさん?」

「ちょいと一仕事しようと思っての」

「仕事?」

「その子に引き金を引かせるのは君もしのびなかろう」

アキトの隣を歩いてきたラピスを指す。

「バッタのタイミングは君に任せる。ワシがいた方がラピス君も仕事が減ってやりやすかろう」

「頼む」

わかるかわからない位であるがかすかに硬くなっていたラピスの表情が緩んでいるのを見てアキトは頭を下げた。ラピスの為ばかりでなく、ラピスに人殺しをさせる事が自分の気持ちに陰を落としていたことも確かだったからだ。





「あれってどういう意味?」

ユーチャリスを見送った後、先ほどの拳の意味をエリナは月臣に尋ねた。

「今まで相手をできるだけ殺さないようにしてきたテンカワが、まともに戦っても北辰に勝つことは到底出来ないからな」

「それじゃ何か策を?」

エリナを横目でジロリと見て月臣は続けた。

「今回は死なないことが第一だ」

答えになっていないのだが、それ以上の話をしようとせず月臣はドックから歩き去った。
何か策を与えたことは確かだろうが自分は専門外である。エリナとしてはとりあえずあの男を信用してみるしかなかった。




 






「少佐、改造人間?」

無邪気に、しかし残酷なことを聞いてくる子供達に自分でも思わず笑みがこぼれる。
アマテラスの見学コース。査察に訪れたルリは、あくまで一般向けであるはずの見学コースで子供たちに混じっていた。
ナデシコに乗っていたときの自分もずいぶん容赦ないことを言っていた気がする。周りの大人達がバカをやっているのを冷ややかに見ては「バカばっか」が口癖だった。
こうして子供達を見ていると自分も子供だったんだと納得できた。 そう思うと口元に笑みが浮かんでくる。

マユミお姉さんとヒサゴンの説明は続いているがなにやらウィンドウを1枚引っぱり出したところで続けられなくなった。
本来ならアマテラスの外観が表示されるであろう画面がアルファベットで描かれおかしな事になっている。焦ったマユミお姉さんがもう一つウィンドウを開いたところで事態はさらにややこしくなった。
次々と現れるウィンドウ。すべてが同じアルファベットに埋め尽くされていた。



周囲を飛び回る“OTIKA”とだけ表示されたウィンドウの乱舞を眺めながらルリはコミュニケを繋いだ。

「ハーリー君、どじった?」

『僕じゃないです。アマテラスのコンピューター同士の喧嘩です』

「喧嘩?」

喧嘩するというのなら同じような規模のコンピューターが二つ以上無いとおかしいわけだが、公式仕様書にはそんなものは無かったはずだ。

『そうなんです、そうなんですよ〜。アマテラスには非公式のシステムが存在します。今の騒ぎは    

ルリの誤解が解けたことでハーリーは嬉しくなったのか、嬉々として説明し始める。しかしルリは途中までしか聞いていなかった。
少し離れたところをウィンドウが裏返ったまま横切る。

“A K I T O  A K I T O  A K I T O”

『アキト、アキト、アキト〜〜〜ッ!』

死んだはずの義姉の声が聞こえ、ルリは走り出していた。

『艦長ちょっと待ってください!どこ行くんですか〜!?』

「ナデシコに戻ります」

ハーリーのコミュニケウィンドウを従えたまま通路をかけていくルリ。

『え?』

「敵が来ますよ」

『えぇ!?』






「ボース粒子の増大反応!」

「全長約10m、幅約15m、識別不能、相手応答ありません!」

次々とはいるオペレーターからの報告を聞きながら、アマテラス警備部副指令にして“火星の後継者”No.2のシンジョウ・アリトモは心の中でほぞをかんだ。
いずれは来ることが予想できたからアマテラスに配属される統合軍の警備部隊を“火星の後継者”のシンパと順次交代させているところだった。
未だ遺跡の所在を知らない筈の男が、いくら何でもこれだけの部隊が配備されたアマテラスにすぐにでも殴り込みをかけてくるとは思わず、もう少し時間があると読んでいたのだ。
現在、警備部指令アズマ准将等の極一部をのぞきアマテラス内の殆どの人員は“火星の後継者”に所属している。駐留している艦船と機動部隊は4割といったところだ。残り6割に遺跡の存在が明らかになれば後々やっかいなことは目に見えている。
しかも非常にまずいことに宇宙軍の“魔女”が来ている。ここであの男を遺跡に辿り着かせてはプランの変更をしなければならなくなる。






マユミお姉さんが運転する見学コース用の車でルリはアマテラス内を突っ走っていた。

〈あれは暗号?あれは偶然?でもあの人は   。あの人達は   。〉

そこで「死んだ」とは言葉にできなかった。
脳裏に思い浮かぶのは2人の葬式の風景。
コウイチロウがユリカの遺影を持ち、自分がアキトの遺影を抱え、その後をふたつの空の棺が    


“空”の棺?



私は2人の遺体を見ていない。
直接2人が死んだ所を見ていない。



ジャンプするエステバリス大の機動兵器?



エステバリスはジャンプできない。
エステは木連のゲキガンタイプと違いエンジンがないから。


違う、エステはジャンプできた。エステをジャンプさせた人が居た。
あの人なら。あの人が生きているなら。




『ルリちゃん』




忘れていた笑顔を思い出し、ルリは“それ”から離れられなくなった。








「コロニーに近づけるな。弾幕をはれ」

『肉を斬らせて骨を断〜つ!』

アマテラスはヒサゴプランの中枢であると同時に自分たちの計画でも重要な拠点となる。なるだけ傷つけずに   。そう考えるシンジョウの思惑をアズマ准将はあっさり吹き飛ばしてしまった。

「コロニー内及びその周辺での攻撃を許可する」

「え!?じゅ、准将それではコロニーが   

「飛ぶ蝿もとまれば討ちやすし。多少の犠牲はやむをえん!」

宇宙軍が来ていることで過敏になっているのだろうか、単に敵を撃退することしか考えていないのか。うすうす感づいていたがこの男は使えないという結論をシンジョウは出した。






過剰なまでの砲火をかわし、時にはフィールドで受け流しながら、アマテラスへ突き進むブラックサレナの中でアキトは目的の部隊を探していた。
突然アラートが表示される。

『ラピッド・ライフル装備エステバリス2:12機』

『エステバリス・カスタム:1機』

『警告:エステバリス・カスタムはレールガンを装備』

目標発見と同時にその相手が物騒なものを抱えていることが判明する。
逆噴射、緊急回避。直後に機体をひねると一瞬前まで機体があった空間をモノカーボンチューブでできた弾体が通過する。
命がけの鬼ごっこの始まりだった。






ナデシコBに戻ったルリはシステムを統括しながら、またアキトの笑顔を思い出していた。

「アキト…」

口からこぼれ出た言葉でかつてのナデシコブリッジを思い出す。



『アキト、アキトばっかり言ってんじゃないの!』



そうだ作戦中にユリカさんがアキトさんの名前を言う度、エリナさんが毎度毎度怒ってた。
その度にユリカさんが天然ボケな返事をしてかえってエリナさんを怒らせて。



クス



自分の口元に浮かぶ笑みをルリ自身気付いていなかった。
そして先程のこぼれ出た言葉がアキトを求めていたユリカの声音と同じことにも。







「ぬはははははは!見たかねシンジョウ君?これこそ統合軍の力、新たなる力だ!」

「はあ」

襲撃者を第2防衛ラインまで押し戻したことを自慢げに話すアズマ准将に、シンジョウは内心深いため息をはく。
こんな下品な男に用はない。統合軍の組織上、一応の上司であるが我らの崇高な目的を理解しようとしないだろう。これが終わったら何らかの理由を付けてここから追い出して    
そこまで考えていたシンジョウの考えはユーチャリスの出現で中断した。

「ボース粒子の増大反応!」

「なに!?」

「守備隊の側面へグラビィティブラスト!被害多数!」

「質量推定、戦艦クラスです!!」

オペレーターが報告する間にも被害は拡大していく。
シンジョウとアズマの目の前に浮かぶ防衛ラインを示す宙域図の中で、自軍の艦艇を示すマークに次々と撃沈を意味する×印が付いていった。

「ナデシコB、アマテラスより離脱!」

「あんな小娘ほっとけぃ!敵戦艦に反撃ぃ!!キルサンタスと宵待月をまわせ!速くしろ!!」

ガキの使いなど今は関係ない。自分にとって無用な事をいちいち報告するオペレーターに神経を逆なでされ、ただでさえエキサイトしていたアズマががなりたてはじめる。
見苦しいまでに唾を飛ばして命令しているアズマに愛想が尽き、シンジョウは今度こそ溜息を隠そうとしなかった。







ジャンプ直後にグラビティブラストを一斉射。こちらに横腹をさらしていた艦艇が多数撃破された。
フクベはさらに2射したところでディストーションフィールドを張るよう指示する。
リアトリス級戦艦のグラビティブラスを受け流しながら、バッタを放出するためユーチャリスはブレードの展開をしていく。
今のところこちらの思惑通り事態は推移していた。

「彼は目的の部隊を見つけたかな?」

思ったよりは展開の速い艦隊を見ながらフクベは1人呟く。







統合軍は大混乱に陥っていた。ブラックサレナに対して機動部隊、ユーチャリスに対しては艦隊が応戦体制を整えたばかりだった。そこへバッタが多数出現したのだ。ブラックサレナに引きずり回され直援の機動部隊が離れていたため、小回りのきかない艦隊はバッタに有効な対応が出来ない。

混戦に陥った空域からスバル・リョーコは直感に導かれたように飛び出してきた。自機からかなり離れた前方で目標と見定めた黒い機動兵器がアマテラスへ真っ直ぐ突入しているのが見える。

「そこか!」

レールガンを撃つがたいした効果が無かったらしく『敵機一部破損』『残念賞』の表示がコクピットに踊る。

「下手くそ!」

自分で自分に活を入れる。直後、コミュニケが繋がる。

『お供します』

部下のライオンズ・シックル隊々員が4人混戦から抜け出て来たようだ。

「来れればな!!」

彼らに向かって一吼えし、リョーコはエステバリスのスラスターを噴かした。







アマテラスの構造体に沿って中心部へ向かいながらアキトは後ろに付けてきた5機を観察する。1機はリョーコ、残りは彼女の部下だろう。この5機が全員あの6人に拮抗する腕前の持ち主ならこのまま連れて行くのだが。

無造作に予備バッテリーを1個切り離す。油断していたのか1機のエステバリス2が回避動作も見せずに激突する。残り2個のバッテリーも次々切り離す。またもバッテリーにぶつかり、もう1機も巻き添えにするエステバリス2。
呆気なく数を減らしていくエステバリスを見て、アキトは溜息を漏らした。この程度のイレギュラーに対応できないのなら連れて行くわけにいかない。
高機動ユニットのパーツをパージしながら残り2機の動きを見る。2機が切り離されたパーツを危なげなく回避し終わったところにハンドカノンの照準を合わせた。出力を最大に設定すると射出エネルギースピードが遅くなる。そのまま撃つとエステバリス2が真正面から打ち抜かれてしまった。さすがにこれ見よがしに照準していくハンドカノンの攻撃をリョーコのカスタム機は回避した。

〈まずは合格。〉

先に脱落した4機は合格にはほど遠い。こちらに追撃してきたのも単に隊長機を追いかけてきただけで、戦場での読みが出来る訳で無いらしい。

「部下の鍛え方はまだまだだなリョーコちゃん」

リョーコ機の出力に合わせ加速しながらアキトは背後の赤い機体に向け呟いた。
ラピスから遺跡の保管場所へ入るゲート開放をするか尋ねてきたが、先程の様子ではゲートに突入する前にもう一つ何かリョーコの腕を試した方がいいかもしれない。ふと見ると、アマテラスのセンターブロック上部に砲台フレームが集中しているのが眼に入る。

【ラピス、センターブロックを1周してから突入する。ゲート開放はそれをあわせてほしい】

【わかりました】

ウィンドウ通信をカットしているため直接リンクを使うのだが、気を緩ませると途切れそうになるリンクを操縦中に使うのはやはり難しかった。
センターブロックの北天側へ進入する。途端にブラックサレナは密集した砲台フレームの砲撃に曝された。120mm砲弾だけに気をつけて、残りをディストーションフィールドで受けると5秒とかからず砲撃範囲から脱出する。
リョーコのカスタムはというと砲火の中で踊っているのが見えた。ある意味自分より器用なのかもしれない。
センターブロックを回り込んで南天側から再び進入するとそれにあわせて目指すゲートが開くのが見えた。







『バッキャローーッ!てめえら邪魔なんだ、黙って見てろ!!』

「なにおー!?今はそれどころじゃないお前こそ邪魔だーっ!!」


目の前ではアズマ准将がエステバリスのパイロットと不毛な言い争いをしている。それを尻目にシンジョウは草壁直属のサワダから草壁の指令を伝えられていた。

「閣下より指示をいただきました。“遺跡の存在が露見した場合、プラン乙に従い直ちに武装蜂起。遺跡を確保せよ。”です」

「了解した」


『邪魔はそっちだ!!』

「き・さ・まーっ!!」

『ゲート開いてますよ、良いんですか?』

『「え?」』


アズマ准将らの言い争いに割り込んできた少女の声はシンジョウの耳にも届いていた。

「ゲートが見つかった以上一刻も猶予はない。閣下にはアマテラスを離脱するよう伝えてくれ」

「は!」

サワダに伝言を命じ、シンジョウは正面のモニターに向き直る。

「13番ゲートオープン!敵のハッキングです!」

オペレーターがシンジョウに・・・・・・報告してくる。それを聞き、シンジョウは後ろにいる警備員にアズマを拘束する合図を送った。
準備不十分で致し方ないが決起せざるをえない。

「13番?何だそれはわしゃ知らんぞ」

「それがあるんですよ、准将」

シンジョウの言葉に面食らった顔で振り向くアズマ。

「どういうことだ!?」

「茶番は終わり、ということです」

統合軍VS謎のテロリストというお遊びはこれまで。目の前の無能な指揮官の下で我慢するのもこれまでだ。
警備員2名に掴まれるアズマを無視して、シンジョウはゲートに突入していく黒い機動兵器をウィンドウ越しに見やる。

「人の執念……」

あの男は我々の犯した罪そのものだ。実験体にされまともな体ではないという。
それでも何度と無く我々の拠点を襲い、幾度も死にかけたはずだがその度に逃げ延びている。
そしてとうとうここまで来た。まさに執念の賜物。それほどまでに自分の恋人を追い求めたあの男は敬意を表するに値するだろう…。


そこまで考えたシンジョウの脳裏に同時に一つの疑問がわく。
もしあの男が私に銃を向けてきたとき、私は彼に対してどうするだろうか?







13番ゲートをくぐり、通路へと突入しようとするブラックサレナ。
アクロバティックな軌道で浮遊するステルンクーゲルやバッタの残骸を回避するアキトにラピスからリンクが届く。

【アキト、第2隔壁直後にトラップが有ります。無効化します】

【通過直後に無効化を解除してくれ。後ろのエステの腕をもう一度確認したい】

【わかりました】

ゲートに突入したアキトはラピスの案内に従い次々と隔壁を通過していった。







砲台フレームの砲撃にさらされた位置でアズマともめていたリョーコは、ブラックサレナがセンターブロックを回り込んで再びこちらに来たのを見つけ、後を追ってゲートに飛び込んでいった。隔壁を2つ越えたところで通路の左右にステルンクーゲルが10機あまりレールガンを構えているのに気付く。

「のわ!うお!どおっ!!」

いきなりレールガンが火を噴き、通路は一瞬の間爆発の閃光に照らされる。
短いが苛烈な戦闘が終わったあとには無傷の赤いエステバリスとステルンクーゲル10機分の残骸が浮いていた。
周囲に動く物の無くなったことを確認したリョ−コにルリがコミュニケを繋いでくる。

『お久しぶりです。リョーコさん』

「ああ、2年ぶり。元気そうだな」

懐かしい顔にリョーコはニヤリと笑ってみせる。ルリの方は以前と同じ淡々とした表情だが、心なし口調が柔らかい。

『相変わらずさすがですね』

「へっ、無人機倒したって自慢にゃなんねーよ」

『無差別に侵入する者を排除するトラップのようです』

「ほーう」

常識的な連中ならこんな物仕掛けないだろう。ということはこの先にあるのはかなりヤバメの物だとリョーコも気付く。

『この先にトラップはもうありません。案内します』

「すまねぇな」

だからといってさっきの敵を黙って見逃す気はリョーコにはない。このアマテラスの部隊配備をものともせず強襲してきた尋常でない敵に腕が鳴る。
ふと、ルリは宇宙軍で自分は統合軍であることを思い出す。

「ああ!お前ひとんちのシステム、ハッキングしてるな!」

『敵もやってますし非常時です。あ、ちなみに張本人はこのハーリー君ですので』

『艦長、ひどい!』

「あはははは」

小学生ぐらいの少年をウィンドウに引っ張り出すルリ。
さらりと受け流したあげく、別の人間になすりつける。すました顔でしれっと悪さをするルリのこういったところをリョーコも嫌いではなかった。
ひとしきり笑った後、敵のことを聞こうと思ったリョーコに、見たことがないような思い詰めた表情でルリがお願いをしてきた。

『リョーコさんお願いがあるのですが』

「なんだ?」

『あれに乗っている人と話がしたいんです』

「んなもん、お前ぇだったら簡単じゃねえのか?」

『通信回路にプロテクトがかかっているんです。強制通信のワイヤーをお願いします』

「それはわーったけどよ、素直にワイヤーを打ち込ませてくれるとは思えねーぜ?」

『私の予想が当たっていればそんなことはないと思います。だから    

頭を下げるルリ。ここまでされては無下にできない。それ以前にルリの表情が気になりリョーコは引き受けた。







中央に大きく陰陽を表す太極の模様が描かれた隔壁に辿り着き、アキトはこの扉を開く操作パネルへアンカークローを伸ばしながらリンクを繋ぐ。

【さっきのエステはどうしている?】

トラップを強引に突破したのは判っている。途中で迷ってここに来られないのなら、この隔壁の向こうのものを見せるためにこちらからナデシコに通信をつなげる必要が出てくる。

【後方に出てきます。通路の壁を壊して   

そこまで伝わってきたとき、爆発音と共に赤いエステが飛び出してきた。

『よーし、そのままそのままー』

外部スピーカーで話しかけてきたエステが左腕から通信ワイヤーをサレナに打ち込んだようだ。
カットしていたウィンドウ通信が強制的に開き、リョーコがあらわれた。







『俺は頼まれただけでね、この子が話をしたいんだとさ』

「こんにちは。私は連合宇宙軍少佐ホシノ・ルリです」

黒い機動兵器は思った通りなんの動きも見せず通信ワイヤーを打ち込ませてくれた。ルリはすかさず強制通信を開く。

「無理矢理ですみません。あなたがウィンドウ通信の送受信にプロテクトをかけているので、リョーコさんに中継を頼んだんです」

パイロットに対していつも通りしゃべれたのはそこまでだった。

「あの…教えてください」

期待と不安。


あの人かもしれない。
別人かもしれない。

しかし聞かずにはいられない。


「あなたは誰ですか?あなたは…」

“アキトさんですか?”とは続けられなかった。一瞬の逡巡の間に相手のパイロットが口を開いた。

『ラピス、パスワード解析』

こちらの質問は無視されてしまった。こちらとの会話を拒否するようにも見える
密閉された隔壁から空気が漏れる。と、相手のパイロットが突き放すように言ってきた。

『時間がない。見るのは勝手だ』




『無理矢理ですみません。あなたがウィンドウ通信の送受信にプロテクトをかけているのでリョーコさんに中継を頼んだんです』

アキトの目の前のウィンドウには2年前最後に空港で見たときと同じ整った顔立ちがあった。しかし、その表情は最初に会った時の様な無表情に近かった。
だがそれもそこまでだった。

『あの…教えてください。あなたは誰ですか?あなたは…』

すがるような瞳。捨てられた子猫を連想させるその表情に、思わず昔のように「ルリちゃん」と声をかけそうになる。

「ラピス、パスワード解析」

今はその時ではない。ざわめく心を押さえつけ、リンクで伝られることをわざと口に出す。
パスワードを打ち込むマジックハンド。
眠れるお姫様にあやかってかパスワードは“SNOW WHITE”=“白雪姫”だった。ついでにあの7人を童話に出てきた7人の小人になぞらえているのだろうか。襲撃を開始してからまもなく5分が過ぎるだろう。すぐにでもその7人が出てくる。

「時間がない。見るのは勝手だ」

大きく開いていく隔壁。その奥にかつての“故郷”が見えてきた。







目の前で開いていく隔壁にリョーコはここがアマテラスの秘密であることを確信していた。どうせお偉いさん方が大事にする物だ、自分たちにとってはつまらない物にすぎないとタカをくくってもいた。しかしその奥に有ったモノは    

「なにぃ!?」

一瞬我が目を疑うがそこにあったモノは    


「ルリ!見てるか!?」

『リョーコさん…』


違う。こんな所に有るはずが無い。


「なんだよこりゃ」

『リョーコさん落ち着いて』


それが何なのか頭では解っている。


「ありゃなんだよ!」

『リョーコさん!』


けど、心が否定する。


「なんなんだよありゃ!!」

『リョーコさん!!』


人の手にあってほしくなかったモノ。


『形は変わっていてもあの遺跡です。この間の戦争で地球と木星が共に狙っていた火星の遺跡。ボソンジャンプのブラックボックス。ヒサゴプランの正体はこれだったんですね』

『そうだ』


やけに冷静なルリの言葉が流れていく。たしかにあの時ナデシコのこの位置に積みこんだのは自分だ。それが解っていても認めたくなかった。


「ルリ…」

『え?』


あの時、これを誰にも渡すまいと自分たちがしたこと。
そしてそれを決めたあいつらのこと。
未だ帰ってこない2人と20歳そこそこで死んでしまった2人が、世界中すべての人のためにできたこと。


「これじゃあいつらがうかばれねえよ」

『リョーコさん…』


アマテラスで自分が守っていたのが遺跡だと信じたくなかった。
4人の遺志を無駄にしないため、ようやく終わった戦争がまたおこらないため、そのために自分は此処にいる。そう信じていた。

「何でこいつらがこんなところにあるんだよ…」

それは疑問ではなくリョーコの心の底からの嘆きだった。だが  


『それは人類の未来のため!』


『え!?』

「草壁…中将!?」

自分の呻きに答えが返ってくるとは思ってもいなかった。ましてやそれがかつて自分たちの最大の敵であり、死んだはずの人間だとは。

『リョーコちゃん!右!!』

「クッ!」

黒いパイロットからの警告。呆然として無防備だったリョーコのエステバリスは立て続けに攻撃を受けた。

「クッ!うゎ、うわっ!うわぁーー!!」







『占拠早々申し訳ない。我々はこれよりアマテラスを爆破・放棄する。敵味方民間人を問わずこの宙域から逃げたまえ』

「サブロウタさん、リョーコさん救出!急いでください!」

アマテラスでは“火星の後継者”を名乗る連中がアマテラスだけでなくヒサゴプランそのものの占拠を宣言している。彼らと先ほどの草壁が同じ服を着ているのに気づくがこちらからはコロニーに対して出せる手はなかった。
とにかく今はリョーコの救出しかルリにはできない。







『リョーコさん大丈夫ですか?』

「今度は…かなりやばいかな」

『動けます?』

「危ねえ、危ねえ。クッソ!」

アサルトピット内にもスパークが飛び交っている。いくら草壁に気をとられたとはいえ、一方的にやられたのはリョーコにとって腹立たしい限りだ。見あげると襲いかかってきた奴らと黒いやつが戦っている。

「!?」

後からの連中が奇妙な動きで黒いやつの銃撃をかわすのが見えた。




リョーコに対して錫杖を使ってしまった六連の3機は、遺跡があるここで爆発をおこすわけにいかずミサイルを使えない。
六連の攻撃を受け流しながら、アキトがリョーコのエステ・カスタムの様子を伺うと手足をパージしている。本人は無事のようだ。
後々のため、ここで傀儡舞を彼女に見せておくのが良いだろう。先ほどより少し出力を絞る。それでもエネルギースピードはかなり遅い。
1射、2射、3射……2機にむかい連射すると思った通り傀儡舞をしてくれた。
ハンドカノンの牽制に六連が離れたのを見計らってリョーコのそばに降りる。ここまで被弾するのは予定外だった。北辰が出てくる前に脱出させなければ不味いことになる。

「お前は関係ない早く逃げろ」

『今やってるよ!』

リョーコが怒鳴りかえす声が聞こえた時、爆発音と振動が伝わってくる。

『な、何だ!?』

〈不味いな。バッタを使うか?〉

奴らがアマテラスを爆破しはじめた今となっては、この状態のリョーコをつれての脱出は難しいことになる。
先ほどの振動後からかすかに浮遊感がしている。このブロックを切り離したのだろう。
そのとき錫杖を振る音が聞こえてきた。遺跡の上でボソンジャンプしてくるモノがある。

『一夜にて天津国までのびゆくは瓢の如き宇宙の螺旋』

聞こえてくる声。復讐を誓った男が目の前にいる。
深呼吸をひとつ。心を静める。
今はまだその時ではない。

しかしアキトが落ち着いていられたのはそこまでだった。

『女の前で死ぬか?』

嘲る声。ユリカを引き合いに出されて冷静さを徐々に失っていくのがアキト自身でも分かった。



目の前で開いていく花弁。そして眠れる姫があらわになる。



夜天光にむかい飛び出しそうになるアキトを押しとどめたのは背後のリョーコの声だった。

『アキト!!アキトなんだろ、だから“リョーコちゃん”って!おい!!』

自分が今戦えば身動きがとれぬリョーコが死ぬ事になる。そんな事になればいくら何でも自分を許せそうにない。

『滅』

アキトの葛藤などお構いなしに、北辰の掛け声と共に6機の六連が傀儡舞をしながら襲いくる。
背後のリョーコ機を連れて逃れるため両手のハンドカノンを排除しようとした時、天井から爆発の破片と共に青いエステバリスが飛び出してきた。

『まずい!遺跡を守れ!』

北辰の命令でサレナとエステ・カスタムに襲いかかろうとしていた六連は、飛んでくる破片を排除するため向きを変える。
その隙に青いエステがリョーコ機のアサルトピットを切り離し、アキト達が侵入してきた通路を一目散に遁走し始めた。
逃げ出す獲物の後を追おうとした六連の1機の前にアキトが立ちふさがる。フィールドをかすめ擦り抜けようとしたところを体当たりで床に叩きつけ、動けないようにのしかかった。

「行け!リョーコちゃん!」

残りの六連に牽制のハンドカノンを連射しながらアキトは叫んだ。







「バカバカ!引き返せ!ユリカとアキトが!!」

『艦長命令だ。悪ぃな』

スーパー・エステバリスの腕に抱えられたアサルトピットの中。人を食ったような相手の返事が狼狽えていたリョーコをほんの少し落ち着かせる。
だが落ち着いたところで今の自分が文字通り手も足も出せない状態であることを認識するだけである。
それがわかってリョーコは叫ぶしかなかった。

「ルリーッ!聞いてんだろ、見てんだろ!!生きてたんだよあいつら、生きてたんだよルリーッ!!今度も見殺しかよ!ちくしょう!ちくしょう!!」

ユートピアコロニーの時も。白鳥九十九が死んだ時も。シャトル事故の時も。そして今も。
何も出来なかった自分が悔しく、リョーコは涙を流した。







『女の前で死ぬか?』

赤い機動兵器からの声と共に遺跡が開いていく。
ルリは息をのんだ。遺跡が形を変えたからではない、遺跡の中に女性のシルエットが見えたからだ。


あのシルエットは    


ルリの予感が形をとる前に目に入ってきたのは、花弁の真ん中で花の妖精のように屹立するユリカの白い彫像だった。

『アキト!!アキトなんだろ、だから“リョーコちゃん”って    

その後に続いた出来事はよく解らなかった。
遺跡と結合したユリカ。その遺跡を目的とする機動兵器のパイロット。そんなのはアキト以外いない。



アキトさんとユリカさんが死んでいなかった。



その事だけが心を占めるルリは、かろうじてこの宙域からの退去を命じることしか出来なかった。





 






「草壁春樹。元木連中将。大戦中は実質的な木連ナンバーワン。反草壁派の若手将校達による熱血クーデターにおいて自ら出撃し、戦闘中に行方不明のはずが…」

「生きてましたな」

「うーむ。元木連組としてはいや、ほんとスマンです」


地球。


連合宇宙軍の非公式会議の席にクーデターを目撃した当事者としてルリも出席していた。
アマテラスのハッキングで得られたデータ。強襲してきた黒い機動兵器。アマテラス内に隠匿されていたナデシコと遺跡。




ユリカとアキト。




地球への帰還の途上、報告書作成のため、手に入れたデータをまとめていた時もルリの心を占めていたのはユリカと、そして何よりもアキトの事だった。
表面上普段と変わらない様子だが、会議中の今もそれは変わっていない。意識の極一部だけを会議に振り向けつつ、自分の手に入れたデータをぼんやりと眺める。

「いえ、カザマ大尉とイツキ少尉が…」

唐突に耳に入ったアオイ・ジュンの言葉に会議へと意識を引き戻される。

「まさかその2人が草壁に遺跡を渡したのか!?」

「それはありません」

「どうして言い切れるのかね?アオイ君」

「私が彼らを信用しているのもありますが、これを…」

出席者達の疑問をきっぱりと否定し、ジュンは1枚の映像を提示した。

「あ…」

ルリの口から息が漏れる。






目の前に映し出されたのは、ナデシコAの船体へ何本もの杭で縫いつけられているイツキの使っていた紫のエステバリスだった。







Spiral/Birth of Fairies − 前編 了