Spiral/again 〜auld lang syne〜  第4話





一台のバスの中で電話が呼び出し音を鳴らし、伸びてきた腕が受話器を持ち上げる。

『私だ。ルリ君にばれてしまったよ。後は頼むが出来ればあの子の希望も叶えてやって欲しい』

「やっぱそうなるか」

沈鬱な雰囲気をまといコウイチロウがウィンドウにあらわれる。それに軽い口調で答える男。

『アカツキ君?なぜ君が?』

「ちょっとね。総司令には悪いけどさっきのお願いは聞けませんね」

『そうか』

「いまはまだ順番がきてないだけですよ。アキト君の気持ちもあるし、僕にも考えがあるんでしばらく静観してもらいたい」

『わかった。いい結末を期待しているよ』

ウィンドウが消え、アカツキがため息をもらす。

「プロス君」

「はい…」

普段と違い歯切れの悪いプロスペクターの返事にアカツキの眉がピクリと動くが、そのまま続けた。

「駅前からタクシーを追っ払っといて。ミスマル邸の方にも近づけないように」

「会長やはりダメでしょうか?」

「だめだね」

「……ですが会長もあのルリさんの様子をごらんになれば  

「僕が今のあの娘の事を知らないとでも?」

ネルガル会長の指示に秘書であるプロスペクターがめずらしく意見を口にするが、アカツキはそれを遮る。

「まったく、揃いも揃ってお節介な人間ばかりだようちの会社は。プロス君だけじゃない、ゴート君にドクター、エリナ君まで。もっともエリナ君はアキト君がユリカ君に再会するって聞いてからは言ってこないけど」

「あれを見れば誰でも何とかしてやりたいと思うでしょう」

あきれたと言った表情でアカツキが軽い口調で言うのと対照的に、プロスの顔も声音も沈んでいる。

「ルリ君と会えば、テンカワ君がふたりのところに返る可能性は高いけどね。それで?アキト君はユリカ君とルリ君の元でいつまでも幸せに暮らしました  かい?」

「少なくとも不幸ではないでしょう」

「今のテンカワ君がユリカ君のところに戻ってもこの先ずっと傷を舐めあうだけさ。そんなのが不幸じゃないって?」

「…………」

最後には自分を正面から見つめる上司の目にプロスは視線を落とす。

「仮にルリ君と一緒になっても似たようなものさ。傷を舐める相手が恋人から兄妹になるだけだよ」

「ルリさんはテンカワさんのことを  

「そういうもんじゃないよ。テンカワ君は彼女のことを1人の女性として見ていないし、ルリ君は甘えることができる相手としてテンカワ君を求めている。それは恋人じゃないね」

意外に的確に2人を分析してのけるアカツキにプロスは驚きを感じた。
交渉のプロとして他人の性格や感情を把握することに多少ながら自信を持っていた彼にとって、自分がルリへの同情から近視眼的な見方をしていたことと、それが極楽トンボの会長の言葉で気づかされたことは少しショックだった。

「………会長はテンカワさんに何を期待されておられるのです?」

「なにも。強いていえば大人になって欲しいってことかな。ついでに3人が幸せになってくれればいいとは思っているけどね」

恐る恐るといった風にたずねるプロスにいつもと違い素っ気なく答えるアカツキ。普段ならあるはずのちょっとカッコつけた物言いが全くなかった。それだけに本心からの言葉だとプロスには思えた。

「ではルリさんへの今度のこの仕打ちもそうなのですか」

「仕打ちっていう言い方はひどいよプロス君。せめて試練とでも言って欲しいんだけど」

今度は普段通りの言葉。プロスペクターもいつものように冷静になることができた。

「わかりました。あの方たちが本当に幸せになるのでしたら、今は私も鬼となりましょう」

シークレットサービスへ指示を伝えるためにプロスはバスの出入り口へ向かう。タラップに足をかけたところで振り返る。

「会長」

「なんだい?」

「確かに我が社にはお節介な人間が多いようですな。何せ会長が一番お節介を焼いておられるようですから」

ではと言い残しプロスペクターは出て行った。
秘書室長の姿が見えなくなってしばらくしてからアカツキはシートの背もたれによりかかりため息を漏らす。

「お節介か…こんな事になるんだったら早いうちに2人を再会させとくんだったよ」











泣き疲れて眠ってしまったルリをベッドに寝かし、ユリカはまた庭に出ていた。
あそこまでルリが思い詰めていたことには全く気づいていなかった。

それでもアキトと一緒にはいられない。
自分を助けるために苦しんでいたアキトを置き去りに幸せに浸っていた。そんな自分が一緒にいていいはずがない。

アキトの優しい目が痛かった。
夢をかなえられなくなったのにどこまでも自分に優しいアキトを見ているのが辛かった。



ふと見上げれば月。夜の中、自分とそばに立つ桜を煌々と照らす。
最後に言い忘れていた言葉を思い出す。

「アキト、さよなら」










アオバへ指示を出し終わったエリナは手近のエレベーターへ向かい駆け出す。

「おい、いったいどうしたというのだ!?」

ベロニカから降りてきた月臣が追いつき声をかけてくる。

「テンカワがドクタ−を連れていったぞ。状況を説明しろ」

「昔ナデシコに乗っていたパイロットが現れたのよ」

「顔も見てもいないのになぜわかる!?」

エレベーターを待ちながら月臣はエリナへくってかかる。

「ボソンジャンプしてきたのは彼がナデシコAで使っていたエステよ。私たちが遺跡を捨てたとき遺跡と一緒にどこかへボソンジャンプして行方不明だったんだけど  

「そいつはあのドックのことを知っているのか?」

月臣の言葉にエリナが固まる。カザマ兄妹が消えたとき、秘匿ドックは存在していなかったことを思い出したのだ。

「ジャンプするには目的地を知らなければ出来ないはずだ。ジャンプしてきたという事はあそこを知っているはずだぞ」

「アキト君!!」

ジャンプしてきたエステが敵である可能性が高いことに気付かされ、エリナは慌ててコミュニケを繋ぐ。
月臣は月臣でアオバを呼び出していた。

「アルストロメリアはあるか!?」

『廃棄するフレーム試験用しかここにはありませんよ』

「動けばいい」

『えっと昨日から解体しているので…使いますか?再組立しますよ?』

先程と違いいささかのんびりした口調で答えるアオバに、月臣は多少いらついてくる。そこへアキトのコミュニケがひらいた。

『月臣さん手伝ってもらえますか?』

「ドクターは避難させたか?俺もすぐ援護に向かう。それまでドクターを守れ」

『?』

敵襲に神経を高ぶらせた月臣は、疑問符をうかべたアキトの顔に気付かない。
ため息をつきながらエリナが後ろからその肩をたたく。

「とりあえず襲撃じゃなかったらしいの」

「…………」

『…………』

「……そうか」

1人で慌てていたさっきまでの自分が滑稽に感じられ、きまりが悪くなる月臣。

「私は緊急手術の手配をするからあなたはアキト君を手伝ってきてくれる?」

「…わかった」

かろうじてそれだけを答えるとエレベーターに乗り込む。
月臣を見送った後、エリナは再びアオバを呼び出した。

「手術室空いてる?」

『10分で準備できます』

「イネスが使うから5分で用意させて。必要なものは彼女の指示に従って」

『はい』

先ほどまでの慌てた様子を見せずにアオバは対応していく。性格的に突発的なことに対応できないのかしらなどとエリナは考えながら指示を続ける。

「それと病室もお願いするわ」

『手配します』

「2人分ね」




月臣が秘匿ドックまで来た時、アキトのエステバリスが濃緑のエステに突き刺さっている杭のようなものを抜いているところだった。

「テンカワ!」

『月臣さん、イネスさんを手伝ってくれ』

ウィンドウ越しのアキトの声に、横倒しになったエステのコクピットにむかう。

「ドクター?」

「この子の止血をするわ。アキト君いいわよ」

月臣がコクピットにたどり着くと、そこにはイネスと杭に貫かれた2人のパイロットがいた。手前にいる赤いパイロットスーツの女性を手当てしながらイネスはシートに座る後ろの青いパイロットスーツの様子も見ている。
イネスの合図と共にアキトが杭を徐々に抜いていく。

「なぜこいつを切らないのだ?」

「切れなかったの。レールガンの弾針みたいなのよ。彼女を支えていて!」

月臣の疑問に答えながら手当する手は休めない。そうこうするうちに手前のパイロットの体から弾針が抜かれる。続いてもう1人も弾針から解放された。
イネスが男のヘルメットをはずすと目元を機械に覆われた顔があらわれる。

「ナデシコの?」

「そう、カザマ・ヒデト。あの日遺跡と共に消えたはずなんだけど…」

月臣の問いかけに答え、一緒にあらわれたエステを見上げる。

〈なぜ、今になって?〉

もう1人のヘルメットに月臣が手をかける。長い黒髪が溢れ、日本人形のような整った顔と額で切りそろえられた前髪が目に入る。
その顔に月臣は見覚えがあった。極冠遺跡内の戦いで自分に戦闘をやめるよう話しかけてきた女性。
あの日と同じようにその顔立ちに見とれてしまう。

「タンカが来たわ、月臣さん2人を運ぶわよ!」

イネスの声で我に返り、ネルガルの医療スタッフと共に2人をストレッチャーにのせると、オペ室へ向け月臣は走り出した。










ダンッと言う音を店内に響かせ、リョーコは右手をコップごとカウンターに叩きつけた。

「アキトのバカやろー!!」

近所迷惑を顧みず、咆吼をあげる。

「…バカやろー!!」

「…………」

左に陣取ったヒカルが観念したように同じく叫び、右側のイズミは無言でグラスを傾ける。

「ユリカのバカやろー!!」

「…バカやろー!」

「…………」

カウンター内ではホウメイが後片づけをしながらその様子をながめている。

「草壁春樹のくそやろー!!!」

「くそやろー!!」

「くそ野郎」

ひときわ大きな声でリョーコが叫ぶとヒカルも同じように声を張り上げる。今度はイズミもボソリと続けた。
リョーコが目の前の一升瓶を鷲掴みにするとコップにドバドバと注ぎ足す。そのまま中身を半分ほど一気に飲み下した。

「アキトのバカやろー!!」

「はぁ……バカやろー!」

「…………」

再び叫び出すリョーコに呆れたのかあきらめたのか、ヒカルがため息をもらしつつ続く。

「ユリカのバカやろー!!」

「……バカやろー」

「…………」

「草壁  

「ねぇリョーコこれもう9回目だよ」

「…………」

ヒカルの言葉にリョーコが一瞬黙るがまた続けた。

「アキトのバカやろー!!」

「リョーコー」

「ユリカのバカやろー!!」

「イズミも何か言ってやってよー」

「…………」

「ホウメイさーん」

「…………」

ヒカルは他の2人に助けを求めるが、返事が返ってこない。

「リョーコもうやめようよ」

「…………わかってるよ、今更何言ったって無駄なのはよ」

空になったコップに一升瓶から酒を注ぎ、リョーコが答える。
中身はこうなることを見越してあらかじめホウメイが薄めていた日本酒だった。いくら飲んでも酔いがまわらないため、そのこともリョーコを不機嫌にさせている。

「あいつら結婚式挙げてたいして一緒にいなかったはずなのに、何で別れなくちゃなんねえんだよ?」

「そりゃあ、あんな事あったんだし…」

絡み酒である。ヒカルの言葉も耳に入らないようにリョーコは続ける。

「一緒にいられないって何なんだよ!?草壁の奴があんなことしなけりゃアキトとユリカが別れる必要なかったのによ!!」

「…うちの親も……いつも仲良かったわけじゃなかったしさ、あたしだって親戚の人とうまくいかなかったし……。血が繋がってても仲良くできるわけじゃないんだよ?結婚する前は元々他人なんだしさぁ」

「…………」

ヒカルの呟きにリョーコが黙り込む。そこへイズミがぼそりと付け加える。

「私に言わせれば、本当に会おうと思えば会える分うらやましいけどね」

「…………」

何の感慨も感じられない口調がかえって重く感じられる。
3人が口を閉ざし、店の中はホウメイが流しを片づける音だけが響いていた。キュッと水道のコックをひねる音を最後にそれも無くなる。

「あんたがここでわめいてたって何にもならないさ。艦長とテンカワの問題だからね」

「わかってるよ」

ホウメイの言葉はもっともだが、リョーコの気持ちにおさまりはつかない。その証拠にふてくされた顔で返事をする。

「でもさあ、なんか艦長らしくないよね」

「そうだね。艦長には去年の秋に会ったきりだけどそんなに変わったのかい?」

先程の重い空気が幾分軽くなり、ヒカルがホッとしたように言うとホウメイがリョーコに尋ねてきた。

「わかんねえ。けどよあいつだってアキトに会いたいって思っていたはずなんだ」

あの時の涙はそうだと思いたかった。

「だから俺は  

ユリカとアキトを逢わせると、ユリカの元にアキトを帰すと誓ったのだ。

「テンカワのことさ。今頃後悔しているに違いないよ」

「そういうもんかな〜?」

「そういう奴だよあいつは。そのうち自分から戻ってくるかもしれないね」

含み笑いをしながらホウメイが付け加える。
それを見ていたイズミが手に持っていたグラスをカウンターに置く

「師匠の失笑を買う。クフ、クフフ、クフフフフフ」

「あっははは」

イズミの駄洒落にホウメイが豪快に笑い出す。どう考えてもおもしろくないとヒカルが首をひねる横で、リョーコが1人コップの底を見つめていた。










暗い部屋に向かいラピスが声をかける。

「ルリ食事です」

「…………」

最近はそうであるように返事は返ってこない。

「食べないと体に悪いです」

「食べたくありません」

か細い声が返ってくる。いつもと同じ返事。
だからラピスもいつものように部屋にはいると布団をはぎ取る。ベッドで丸くなっているルリの腕を掴むと食堂へ向かう。
その後を抵抗もせずルリがついてくる。

「食べないとダメ」

ルリをテーブルの前に座らせると目の前の料理を機械的に口にしはじめる。だがそれも出された量の半分ほどだった。

「…………」

ルリは無言で箸を置くとフラリと立ち上がり食堂を出ていった。

「はぁぁぁ」

それを黙って見送った後、大げさにため息をつくとラピスも箸を置く。
自分がここに来てから一月余りになるが、ルリの様子は一向に良くならない。仕事を休みがちで、家では自分から何かをしようとはしない。最初は以前聞いていたルリとの違いに面食らったが、今ではこうして無理矢理日常生活をさせるのがラピスの役目になっていた。これでも少しはましになった方なのだ。

「ユリカさんは帰ってこないし………」

仕事に打ち込んでアキトのことを忘れようとしているかのように、ユリカは宇宙軍の総司令部に寝泊まりする日々が増えていた。

「どうしよう…………」

解決策はハッキリしすぎるほどハッキリしていた。それが難しいこともハッキリしているのだが。

「アキトのバカ」

口癖になってしまった言葉をつぶやく。
コウイチロウも先週からにわかに仕事が忙しくなった様で出張が続いている。もっともミスマル邸にいてもルリを目の前にオロオロするだけなので、あまり心強い味方とは言えない。

「うーーーーー」

食べかけの料理を目の前にしながらうなる。
ミスマル親子以外でルリを元気づけてくれそうな人を思い浮かべてみる。


リョーコさん。
初めて直接会ったのは先々週。そのときはアキトが帰ってこなかったと知って文字通り怒りまくって吼えていた。
あれではグーで殴って元気づけそうでルリが危ないから駄目。


ヒカルさん。
目の下のクマはルリと良い勝負だった。駄目。


イズミさん。
知ってはいたけど、あの駄洒落……。元気づくとは思えない。


アオイさん。
話をしようとしたら、宇宙軍の女性職員達に危ないから近づかないよう言われたのでどういう人かわからない。
なんでも「ジョシコーセー」を「ハラマセ」た「ジョソウヘキ」のある「ロリコン」だという。


高杉さん。
…………あの人は駄目。落ち込んだ女性を連れて行ってはいけない。女の感が告げている。


ハーリー。
却下。
顔を思い出すだけでイライラしてくる。あんなのが“兄”だなんて。


「…………はぁぁぁぁ」

ため息。
ナデシコクルーってろくな人間がいない。
そう思いながらテーブルに頭を乗せて両足をブラブラさせる。他に誰かいたような気がする。それももっとルリにとって身近な人が。
まだユーチャリスで火星巡りをしていた時アキトに聞いたことがあった。渋るアキトから無理矢理聞き出したことがある。誰だっただろう?

『操舵士はミナトさんっていって月臣さんの親友の白鳥さんが結婚するつもりだった人だ。ルリちゃんがよく  

ガバッと体を起こし時計を見るとまだ朝も早い時間だ。
朝食の残りをかき込むと、ルリを連れ出すためラピスは食堂を飛び出していった。










ベッドへ倒れ込むと混乱した頭を整理しようと目をつむる。
正直彼女の話の内容はにわかには信じられそうもなかった。だがあの顔は否定しようもない証拠を突きつけてくる。
そしてあまり考えるのが得意ではないアキトの頭でも、その内容が辻褄の合う話だというのはわかっていた。
だが認めたくはなかった。それを認めたら自分の夢は端から叶うことのない夢だったことになる。
いっそこのまま一生ネルガルでテストパイロットを  
そう考えつつ彼女の示したもう一つの道に惹かれる自分を否定できなかった。
そして自分を真っ直ぐ見つめる彼女の目に吸い込まれそうになったことも。

彼女、カザマ・イツキの。












初めて兄さんにあったのは春も間近に迫った雨の降る夜だった。

「父さん!母さん!救急車!!」

両親をおこそうと精一杯声を張り上げた。もう一度声を上げたが何の返事も帰ってこない。
家の中に駆け戻り、父さんを無理矢理おこす。最初は何が起こっているか分からないらしくのんびりと庭に出てきたが、倒れている人を見るとテキパキと動き出した。左目の傷に応急手当をすると救急車と一緒に病院まで付き添っていった。


1週間後、その人は家に引き取られることになった。
左目を無くし、お金も何も持っていない、ついでに記憶もない男の人は、父さんの提案で落ち着くまでしばらく家で暮らすことになった。
最初は嫌だったし、なぜ父さんがそんなことを言い出したのか分からなかった。でもしばらく一緒に暮らしていくうちに分かってきた。

似ているのだ、2人は。

人の良いところも。
馬鹿正直なところも。
真面目で。
頑固で。

そしてなにより、どうしようもなく優しいところが。

それが分かってから一緒にいるのが嫌にならなくなった。むしろ    






6月。

パイロット養成校に通い始めて2ヶ月たった頃、私達パイロット候補生は初めてシミュレーターに乗った。初めてのシミュレーターで学生20人全員がきっちり10回ずつ撃墜されるまで大して時間はかからなかった。
相手の教官はあの人−その頃には私の兄となっていた−だった。
教導隊に所属する父さんが、兄さんを戯れにシミュレーターに乗せたところ誰も勝てなかったらしい。父さんは軍に入るよう勧め、教導隊の方も欲しがったらしいが、正規の教育を受けていないこと、何より左目を失明していることからパイロットになることは出来なかった。
かわりに臨時採用扱いでパイロット養成校の教官として赴任することになった。
私にとってそれはうれしいことだった。一緒にいられる時間が増えるのだ。同時に他の女性パイロット候補生の存在が気になってしょうがなかったけど。
兄さんとの仲を同期の仲間にからかわれる様になるのに時間はかからなかった。私が隠そうとしなかったからだが、兄さんはその度に困ったように笑い、自分の気持ちを教えてくれることはなかった。






3年間の養成課程が半分ほどすぎたある秋の日、それは始まった。

木星蜥蜴による火星侵攻。

火星から第一艦隊が敗走するまで時間はかからなかった。火星に残されただろう人たちがどうなったか分からない。そのことが気にならないわけではないが、私たちパイロット候補生が想像もしていなかった実戦という現実を目の前に突きつけられ、私たちは重苦しい雰囲気の中で訓練を続けていた。
月軌道まで木星蜥蜴に制圧され、地表で戦闘が行われるようになるまであっと言う間だった。
その頃には地球側の兵器が木星蜥蜴のそれに太刀打ちできないことは同期の皆が知るところとなっていた。




兄さんに告白されたのはその頃だった。


養成校の卒業まで残り1年。1年後には私は前線で戦っている。それはつまり1年たったら私はいつ死んでしまうかわからないという事を意味していた。
だから今告白したのだと兄さんは言った。後悔はしたくないからと。
私に拒否する理由はなかった。告白が遅かった事を怒ったぐらいだ。
本気で付き合うことを決めた後、両親に報告したのはやっぱり兄さんだからだろう。
父さんも母さんも反対はしなかった。むしろ喜んでくれた。ただ節度ある交際をするようにきっちり釘は刺されたのはちょっと不服だった。

それからは好きな人といられる幸福感と、戦場が待ち受けているという不安感の中で私は過ごしていた。




その残酷な日が訪れたのは夏の終わり。
バッタと呼ばれる無人兵器が自宅に墜落した日だった。

家は全壊に近い状態だったが、母さんは庭に出ていたから多少の打ち身と腕を骨折するだけで済んだ。
周囲の家々も多かれ少なかれ被害を受けていたが、バッタではなく撃墜された味方の戦闘機でだったのは皮肉な話だ。
私と兄さんが自宅に駆けつけてきたとき、バッタはまだ動いていた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

初めて聞く叫び声を上げて、兄さんは手にした銃をバッタに撃ちまくりとどめを刺した。バッタが動かなくなっても、弾が無くなっても、兄さんは引き金を引くことをやめようとはしなかった。私が恐る恐る声をかけると、兄さんは私に縋りついて声を上げて泣いた。

母さんは後から駆けつけてきた父さんに病院へ連れて行ってもらい、私と兄さんは壊れた自宅の跡で焚き火を前に夜が明けるまで語り合った。
木がはぜる音とチロチロと揺らぐ炎を目の前にしながら聞いたそれは悪い夢だった。

残酷な過去。残酷な未来。残酷な現実。

そこに救いなんてものはなかった。

嘘だと言ってしまえばそれまでだったかもしれない。信じなければそれで済んだかもしれない。
目の前で話すのは私の兄ではない、知らない人だったのだから。

白々と夜が明けて焚き火の炎も消えかかった頃、その人は別れの言葉をおいて去っていった。
私に生き残るよう言い残して。自分のことを忘れろと付け加え。
その優しさは兄の持っていたものだった。他の誰でもない私の一番大事な人のものだった。




だから私はその人を追って乗ったのだ。“ナデシコ”という名の艦に。




1人でできないことも2人なら出来るかもしれない。

1人では泣いてしまうことも2人なら笑えるかもしれない。

1人では寂しいとき2人なら寂しくない。

残酷な運命が待っていてもあなたが一緒なら私は乗り越えてみせる。




だって私はあなたのことをアイシテイルのだから。







そして、兄と再会したその艦で、私は運命の人に出会う。



       その人はテンカワ・アキトといった       












目を覚ました女性がこぼした言葉を聞き取ろうと身を乗り出した時だった。
不意に伸ばされた腕が自分の頭を抑え、気がついたときは唇を奪われていた。



ふるえながらしがみつくカザマ・イツキをふりほどくこともできず、アキトはされるがままキスをしていた。



「あ、あ、あ、何やっ  

エリナが怒る前に月臣がアキトの後ろ襟をつかんでイツキから引き離す。

「見損なったぞテンカワ!女と別れて間もないというのにせ、せ、接吻など!!」

顔を真っ赤にしてアキトにくってかかる月臣。

「い、今のは不可抗力で  

「だったらなぜすぐに止めないのだ!」

「いやそれは  

あんなにふるえている娘を無理矢理にはふりほどけない。それが正直なアキトの気持ちだったが、初めて見た月臣の慌てた姿にそれを言いそびれてしまう。

「きさま二股かけていたのか!?」

「ナ、ナデシコに乗っていた頃はイツキちゃんには避けられていて  

「だったら何故だ!?」

さらに顔を真っ赤にして怒る月臣。その背後ににじり寄ったエリナがジト目でみながらボソリと言う。

「なにアキト君に嫉妬してるの。あの娘に一目惚れ?」

「!」

月臣がビクリとして掴んでいたアキトの襟元を離す。

「は、初めて会ったのはこれが初めてじゃない!」

「言ってることがわからないわよ。でも、否定はしないのね?」

目を白黒させ、おかしな言葉遣いをする月臣。

「ち、ちがう!そうではなくてだな  グフッ!?」

突然月臣の頭に衝撃が走る。

「病室で騒ぐんじゃない!」

カルテをはさんだボードの角で月臣を殴り、イネスが仁王立ちになっていた。
痛みに悶える月臣を無視してベッドへ近づく。

「ごめんなさいね、騒がしくして」

「イネ…ス先生?」

イネスの顔を焦点の定まらない目でイツキが見上げる。

「大丈夫?気分はどう?」

「私……ここはどこです?」

周囲を見回しそれが自分の知らない風景であることに気付く。

「月よ。ここはネルガルの施設内。あなた達ボソンジャンプで現れたのよ」

「ボソン…ジャンプ……」

「混乱しているのね。今はしばらく安静にしていなさい」

安心させるように笑みを浮かべイネスはきびすを返そうとした。
その翻った白衣の裾をベッドから伸びてきたイツキの手が掴む。

「兄さん……、兄さんはどこです!?」

「……後で説明してあげるから。とにかく今はゆっくり体を休めること」

ほんの少し悲しげな目でイツキを見つめ、イネスはイツキの手をほどこうとした。
しかし、かえってすがる指に力を込めイツキが必死に目で訴えてくる。

「兄さんに会わせて、兄さんの所に連れていって」

「…………わかったわ」

その目に根負けし、不承不承イネスはうなづいた。





車椅子に乗せられたイツキがたどり着いた場所は、人気のない廊下の奥の部屋だった。
部屋に入るなり目に飛び込んできたのは、ベッドに横たわる体とその顔にかぶせられた白い布。

「出血がひどくてどうしようもなかったわ」

イツキから目をそらしながらイネスが言う。

「最後にほんの少し意識が戻ったの。自分のことより先にあなたのことを聞いてきて……。あなたが生きているって言ったら………ちょっとだけ笑って……それが最後だった」

イツキの手が布をめくる。

「兄……さん…」

小さな声で囁くと、危なっかしい足取りで立ち上がる。
ベッド脇に跪くともう冷たくなった体にすがりつき嗚咽を漏らし始めた。

「ごめんなさい……私のせいで……ごめんなさい……」

慰める言葉をかけることが出来ぬまま、アキト達は悲しみに暮れる女性の涙を見ていることしかできなかった。








「テンカワさん……」

どれくらい経っただろう、イツキがアキトを呼んだ。

「聞いて…欲しいことがあります」

麻酔が切れかかり痛みが走るのか、怪我をした脇腹を手で押さえながらイツキが立ち上がりアキトの方を向く。

「あなたが知らなければならないことです」

「その前に一つだけ聞きたい事があるの。どうしてあなた達は知らないはずの秘匿ドックに現れたの?」

「それもお話しします…」

ただの偶然にしては都合が良すぎるジャンプアウトに、疑問を抱いていたエリナがたずねる。
いらえを返し、イツキはもはや動くことのない兄に口づけをする。
そしてゆっくりと顔を上げるとかけていたペンダントをはずした。

「私の兄、カザマ・ヒデトの名前は父さんが養子にしたときにつけたんです。本当の名前は……」

兄:ヒデトの両耳と両目を覆うカメラを仕込んだゴーグルに手を伸ばす。サイドに穿たれたロックにペンダントトップをあてがうと小さな電子音と共にゴーグルが外れる。

「北辰!!」

さらされた素顔にある左目の傷跡を目にし、アキトが叫び身構える。

「君なのか!?遺跡を草壁に渡したのは!!」

「テンカワ落ち着け!」

リボルバーを握ったアキトの右手を押さえ、月臣が制止する。

「よく見なさい、北辰じゃないでしょう?」

「落ち着いて、あれは誰?」

自分を見るイネスとエリナの言葉にアキトが動きを止める。
そのアキトを悲しみをまとった瞳で見つめていたイツキが静かに告げた。




















「本当の名前はテンカワ・アキト…………テンカワさん、あなた自身です」





















第4話−了



卑怯な引きで第5話に続きます

 

感想代理人プロフィール

戻る

 

代理人の感想

まさかとは思いましたが、こう来ましたか。

全体的な感想はとりあえず置いておくとしても、ハーリーは無残だなぁ(笑)。

既にこれでは、先が思いやられる・・・まぁ、毎度のことですが。