Spiral/again 〜auld lang syne〜  第8話





「あー、アキトさんこんなところでイチャイチャしてるー」

「いっけないんだー」

「ホウメイさんにいいつけちゃおー」

口々にはやし立てるホウメイガールズ。

「ち、ち、ち、ちが  

テンカワ・アキトは否定の言葉をあげかけたところで、自分(と見知らぬ少女)を見下ろす男が頭上に立っているのに気付く。
今まで見たことがないその男は黒のスーツに奇妙な大きなゴーグルをしている。
見知らぬ男と言うだけでなく、その身にまとう雰囲気がアキトに異様なプレッシャーをかけていた。プレッシャーを感じているのはアキトだけではなく後ろにいるホウメイガールズの3人も同じらしく、先程までかしましく騒いでいたはずが口を一様につぐんでいた。

「あの……」

目元を隠すゴーグルのおかげでその表情が伺えない。恐る恐るアキトが声をあげた。

「その子が迷惑かけた」

「あ、いえ、その…」

低い声。抑揚の少ないその声にホウメイガールズはさらにプレッシャーを感じたらしく、さっきまで自分達が押していた台車の影からアキト達をうかがっている
胸の上で縋りついたままの少女のおかげで起きあがることもできず、アキトはプレッシャーに耐えながら返事にもならない返事をする。

スーツの男が少女の耳に何かささやくと、ようやくアキトの首に回されていた腕がゆるめられる。

「……ヒデトさん…?」

〈ヒデト?〉

ヒデトと呼ばれた男は羽織っていたジャケットを少女の体にかけ、抱きあげる。
少女は抱き上げられたとき、アキトから離されるのを嫌がるかのようになおもこちらに手を伸ばしていた。

「あ……アキ  

この時になって初めて、アキトは少女の容姿をよく見ることができた。
銀色の髪。華奢な細いからだ。これまで見たことがない程整った風貌。

そしてなにより、すがるような瞳。

少しの間であったがそれはアキトの脳裏に焼き付いていた。
呆然としていたアキトに男が声をかける。

「葬式料理…忙しいのだろう?」

「いけね!」

飛び起きたアキトと、こちらを覗くジュンコ等3人にも聞こえるよう男が告げる。

「4人とも、この子の事は見なかったことにしておいてくれ」

女の子3人がコクコクと首を縦に振るのを見届けて、男は去っていった。
それを見送りながら、アキトは先程の瞳を思い出していた。






「大丈夫?怪我してない?」

「だい  

ひどく心配げな様子で尋ねてくる相手に顔を向け、大丈夫ですと言いかけたところでルリの動きが止まる。

「ゴメン、やっぱりどっか痛いところ  

なおも心配してくるアキト。一緒に暮らしていた頃のような優しい口調。先程までの心細さから反射的にルリは抱きついていた。


またいなくなるのはイヤだった。二度と独りぼっちになりたくない。


不意に懐かしい匂いがした。エプロンに染みこんだ色々な食材のごちゃ混ぜになった匂いに、あのオンボロアパートを思い出していた。けっして芳しい匂いではないが、今ようやく安心できる場所に自分がいるのだと思うことができた。


このままずっと  


そう思ったとき、耳元で囁かれた。

「ユリカが見てるよ」

その一言で我に返る。
顔を上げると奇妙なゴーグルを付けた顔が目の前にあった。
知らない顔ではない。何年も前にいなくなったはずの人。

「……ヒデトさん…?」

何故ここにいるのか。いつ帰ってきたのか。
わけがわからずルリの頭は混乱してしまった。

肩にジャケットが掛けられ、そのまま抱き上げられてしまう。

「あ……アキ  

アキトから離れたくなくて手を伸ばすが、そんなルリにお構いなしにヒデトがその腕の中に抱え込んでしまった。

「4人とも、この子の事は見なかったことにしておいてくれ」

ヒデトの言葉で台車の影から覗いている3人に初めて気付く。そちらを見たとき自分の目を疑ってしまった。
生活班の黄色い制服を着たミカコ、ジュンコ、エリ。そして先程まで自分が抱きついていたアキト。
全員ナデシコ“A”時代の制服である。


わけがわからない。


みんなで自分をからかっているのかとも思った。だがアキトがそんなことをする理由が思いつかない。
なにより自分を抱き上げたまま歩くヒデトの存在がある。
そして、自分達のいる通路。見慣れたナデシコCの通路と思いこんでいたが、よく見ると微妙に違う。先程の制服と同じくナデシコAの通路なのだ。

「あの……」

「シッ!」

どういう事か教えてもらいたくてヒデトに声をかけるが黙るように指示される。最初に目覚めた部屋にたどり着くと、ヒデトは自分を抱きかかえたまま入り口をくぐった。
ルリを降ろすと、ヒデトはドアにロックをかける。

「あの……」

ヒデトの背中へ声をかける。だが、何から聞けばいいのかわからないルリは、頭に浮かんだ言葉をそのまま言葉にした。

「……これ、夢なんですか?」

「…夢?」

「それとも……いままでのことが夢だったんですか?」

「いままでのこと?」

「アキトさんがユリカさんと結婚して…あんな事があって…」

目の前のヒデトが首を振る。

「違うんだよルリちゃん」

「?」

何が違うのかよくわからない。
と、ヒデトがゴーグルを持ち上げる。

「全部本当にあったことなんだ」

「アキト…さん?」

「そして、これから起こることなんだ」













結局、アキトがルリに完全に説明するまでにはかなりの時間を要することとなった。
アキトがうまく話せなかったこともあるが、一番の理由はルリにあった。じっとアキトを見詰めていたかと思うと不意に泣き出したり、急に震えだし自分の肩を抱きしめたりと、情緒不安定な様を示していた。その度に話が途切れることとなり、なかなか話は前に進まない。
そしてその間、終始ルリの手はアキトの服を掴んでいた。また1人置いていかれるのが不安なのだろう、その手はきつく握りしめられている。

「……アキトさんはこれからどうするんですか?」

「そうだな…」

天井を仰ぎ見る。この時代へ来ることは決めたものの、実はアキトの歴史を変えようという意志はあまり強くない。半ばイネスに脅かされるように決めたと言うこともあるが、未だそれが贖罪になるのか、正しいことなのか迷いがある。

「とにかく、助けられる人は助けようと思う」

イツキに色々と聞き、エリナやアカツキ達とどうするのがいいか、何度となく話し合ってはいる。うまくいけば死ぬはずの人間を死なせずに遺跡までたどり着けるはずだ。そのためにはアキトに強い意志が必要なのだが。

「けど、正直自信はないな」

半ば自虐的な笑みを浮かべたアキトの顔を見て、ルリが自分の胸元をきつく握る。

「…私のせいですか?」

「え?」

「私が無理矢理ついてきてしまったから」

泣き出しそうな顔でアキトの顔をルリが見上げる。

「だから  

「違うよルリちゃん」

「でも…」

アキトがルリの頬をなでる。やせこけた頬の感触がはっきりと手に伝わってきた。

「ルリちゃんの事は関係無しに、俺が何をすべきか、何をするのがいいのか自信がないんだ」

「……」

「けど、もうこの時代には俺とルリちゃんしかいない。アカツキやエリナやイネスさんも、誰も助けてくれないんだ」

この娘がこんなになるような思いをさせたのは自分なのだから。

「この先何があっても、俺が死んだとしても君だけは絶対に守ってあげる」

「……そんなこと言わないでください」

アキトの手にルリが自分の手を添える。

「私はただアキトさんがいてくれれば…、どこにも行かないでいてくれれば…、それだけでいいんです」

「それじゃダメだ 

「いいんです」

アキトの言葉をルリは強く遮る。

「だから、また死んだりしないでください…」

「…わかったよルリちゃん」

甘える猫のように自分の手に頬を擦りつけるルリに、アキトは頷いて見せた。







「とりあえず、このままじゃ不味いから……」

アキトの持ち込んできたスーツケースから染髪料でルリの髪を染める。銀糸が亜麻色に染められていく。

「……勿体ないな」

「しょうがないじゃないですか」

「そうだけどね」

アキトがスーツケースをあさり、使うはずだった変装道具を引っ張り出す。

「これはダメだ」

付けヒゲをゴミ箱へ。一緒に取り出したカラーコンタクトをルリに渡す。

「いらないと思ってたんだが…こんな風に役に立つなんてな」





「あの……これ、小さいです」

「あ…ゴ、ゴメン」

アキトが借りてきたナデシコAの制服に袖を通したものの、胸元のボタンを留められない。
最後に会った一年前に比べ、だいぶルリも成長している。それに気づいていなかったアキトは素直に謝った。







代わりの制服を持ってきてもらい、変装が完了する。
ルリの前に立ったアキトがゴーグルをかけ直した。

「ルリちゃん、いまから俺はテンカワ・アキトじゃなく、カノープスだ」

「カノープス?」

「ルリちゃんはアリス」

アキトの言葉にルリが眉をひそめる。

「…どうしてです?」

「ルリちゃんの名前を考えてなかったんだよ。そしたらユリカが勝手に勘違いしてな」

半ば諦めたような口調のアキトに、ルリが小さいがはっきりとした声で言う。

「違います、アキトさんの偽名です。どうして今更“カノープス”なんです?」

「……」

「南極星」

ポツリとルリの口からこぼれた言葉に、ゴ−グルの下からののぞくアキト=カノープスの口もとが歪む。

「北辰はあの時死んだじゃないですか」

「……戒めだよ」

「戒め?」

「コロニーをいくつも壊して、沢山人を死なせ…いや、殺して。罪も償わないでこの時代に来たんだ」

かけ直したばかりのゴーグルを持ち上げる。

「北辰と対になる星の名前だから、そのことを忘れないでいられると思った」

「でも、アキトさんの罪は特赦が出されたんですし」

「あんなの地球連合の都合だよ。ルリちゃんも解っているだろう?」

アキトの言葉にルリが俯く。

「それは 

「それに、俺が納得できないんだ。たぶんフクベさんもそうだったんだろうな」

遠くを見るようなアキトの瞳。それも少しの間だった。

「いこうか。みんなに挨拶しないと」

ゴーグルを再びかけ直し、ルリへ手をさしのべる。
ルリがその手を掴み、2人は部屋の入り口を開けた。













「アリスだ。俺の妹だ」

「はぁ……」

カノープスの言葉にユリカが間の抜けた返事を返す。
一度、背中を押され皆の前に出たルリ=アリスだったが、すぐにカノープスの背中に隠れてしまった。

ポニーテールにしてもなお腰まで届こうかという亜麻色の繊細な髪。
きめの細かい白磁の肌。
憂いを含んだ緑の瞳。

ほんの数秒であったが、その容姿がその場にいた皆の目を奪うのには十分だった。

「………すっごーい!綺麗!!」

さっきの返事は何だったのか、唐突に大声で叫び出すユリカ。
それをきっかけにブリッジにいる人間が口々に話し出した。

「ホントよね〜。こんなに綺麗な子がいるなんて初めて知ったわ」

「いやはや、想像もしてませんでしたな」

「なんて綺麗なんだ…あ、違う僕は、僕はユリカ一筋で 

「おおおぉ、いいぞー!恥ずかしがりやの美少女!!燃える!萌えるー!!次のフィギュアは  

「なーんか、兄妹って感じしないよね〜」

「色々あんだろ」

「ねえ、おびえてるわよ。あまりジロジロ見ない方が良いんじゃない?」

イズミの一言で皆が口を閉ざす。

「悪いがいままで色々あってな、知らない人間と話すのが苦手なんだ」

「あ、そうなんですか。大変だったんですね」

カノープスの言葉に、何が大変だったのかわからないがユリカがいかにも可哀想にという感じで言う。
そのユリカの前に、何もなかったかのようにプロスペクターが割り込んでくる。

「えーと、アリスさんはカノープスさんと一緒にサツキミドリ2号に行かれる途中でしたよね」

「ああ」

「何か契約で?」

一瞬、プロスの眼鏡が光ったような気がする。

「預けるところが無くてな。こんな状態だし、しょうがないから俺の行く先々に一緒に行くことにしているんだ」

「それはそれは…」

カノープスの苦しい出任せに相槌をうつプロスだが、2人の素性を探ろうという雰囲気がにじみ出ている。
余程気になるのだろう、普段なら笑顔の仮面で完全に隠すその好奇心を隠しきれていない。

「失礼ですがあなた方のご両親は?」

「いない」

「先程妹さんとおっしゃいましたが?」

「血が繋がっていないと言えば納得できるか?」

「これは申し訳ないことをお聞きしました」

ハンカチを取り出し、でてもいない汗を拭うプロス。

「この艦は火星に向かう途中ですので、他の乗員の手前できれば何か仕事をして頂ければと思うのですが」

「たとえば?」

カノープスの問いにプロスペクターが背後のオペレーターデッキを見やる。

「そうですなぁ……通信士の交代要員などどうでしょう?」

「えぇ?」

先程からしきりにアリスと自分の胸を見比べてはため息をついていたメグミが驚いたような声を上げる。

「あ、あの、私1人で大丈夫です」

「いえ、今はほとんど必要はありませんが、地球に帰る頃には忙しくなりますので」

「大丈夫です」

「そうは言っても 

「大丈夫です!」

「そ、そうですか…」

メグミがムキになったかのように強く言い切る。さすがのプロスペクターもこれには面くらい、渋々ながら諦めた。

「対人恐怖症気味のこの娘をどうして通信士にしようと?」

「いえ、まあ、これほどの美人がコミュニケででてくれば男性乗組員もやる気を出して頂けるかと」

カノープスのつっこみに今度は冷や汗を流しながらしどろもどろになりつつプロスが答える。
もちろん腹の中では別のことを考えていた。

〈本当は1人は私の目の届くところにいてもらった方が良いと思っただけなのですが…〉

「プロスさん、それってある意味セクハラ〜」

「なんか私のこと綺麗じゃないって言ってるようにも聞こえるんですけど」

操舵席でいつものように頬杖をついていたミナトが抗議し、メグミが頬をふくらます。
2人の間にいる銀髪の少女は冷めた目で見ている。

「いえ、いえ、いえ、そのような考えは全く持ってございませんでして」

「ホントに〜?」

「ほ、本当ですとも。メグミさんを通信士に選んだのも、声だけでなく容姿も十分考慮しておりますので」

またもハンカチで顔を拭っているが、今度のはポーズではなさそうだ。
話が関係のない方向へ行きかけたところで、カノープスのさめた声が皆を引き戻す。

「しばらくこの娘は特に仕事をしないでかまわないか?」

「そういうことなら仕方ないです。私が許可します」

「しかし艦長  はぁ…」

満面の笑みでユリカが宣言する。異議を唱えかけたプロスをその笑顔と共に一瞥し諦めさせる。

「しょうがありませんな……とりあえずそれぞれお部屋をご用意いたしますので」

「そうしてくれ」

プロスに答えたカノープスのジャケットの裾が引っ張られる。振り返ると涙目になったアリスが首を振っていた。
彼女が言いたいことにすぐに気付く。離れるのが不安なのだ。

「プロスさん、同室は不味いか?」

「他の乗員もいることですし、男女交際に関する契約書の条項も有りまして…やはりここは」

火星到着前に騒動の原因となった契約書の一文を思い出す。

「そういうつもりは全くないんだが…この娘をひとりにしておきたくないだけだ」

「それはわかりますが」

プロスペクターの言葉にリョーコが首をかしげる。

「契約書ってなんだ?」

「さあ?」

結局、カノープスの言葉よりアリスの涙が決め手となり、プロスも折れることとなった。

「くれぐれも間違いは起こさないようにしてください」

「間違い…ね」

オペレーターの少女がウィンドウに表示した契約書を読んでいるその横で、ミナトが含み笑いをしつつプロスの言葉を繰り返す。
その顔はどう見ても“間違い”を期待しているようにしか見えなかった。













「これはどこに置きます?」

「そこの隅にでも置いてくれればいい」

「他に何か手伝えることはありませんか?」

「持ってきてくれただけで十分だ」

カノープスがエステバリスに積んできたコンテナを、部屋まで持ってきた整備員を追い出す。
2人の整備員の鼻の下がのびているのが気に食わないのもあるが、アリスの怯え方が気になったからだ。

「もういいよ、アリスちゃんエルシー

部屋の隅に目立たないように立っているルリ=アリスに声をかける。

「そんなに怖かった?」

「あの人達の目つきが…」

彼らの目はかつての時間において、自分を意味もなく褒めそやした人々のものを思い起こさせる。それは同時に電子の魔女という言葉で抉られた心の傷をも連想させるものでもあった。

「本当にゴメン」

慰める言葉も思いつかず、カノープスは謝ることしかできなかった。

「謝ってばかりですね」

「……そうだな」

アリスは微かな笑みで答えるが、それが無理をして笑っているようにカノープスには見え、かえって痛々しく感じられる。

「それよりアキトさん、これなんですか?」

アリスが運び込まれたコンテナの方を見る。
答える代わりにカノープスがその肩を掴み、自分の顔へ向けさせた。

「カノープスだよ」

「でも…」

「2人きりの時でもそうした方がいい。普段から慣れていないともしもの時、本当の名前を口にするかもしれない」

アリスが小さく頷き、それを確認したカノープスが肩を掴んだその手を離す。

部屋に持ち込まれたトランク3つ分ほどもあるコンテナに近寄ると、側面のパネルにカノープスが暗証キーを入力する。
モーター音と共に蓋が跳ね上がると、いくつかの細々とした物と共に黒地に赤いマークの入った大きな円錐形の物体が現れた。

「それ…」

アリスの声に反応したかの様に円錐形が身震いすると、頭と腕、さらに8本の足を伸ばす。

「ヤドカリ?」

「アカツキが持っていけって」

2人の目の前でひとしきり関節を動かし、最後に大きく伸びをする。そこでようやく視線に気付いたかのようにこちらに向き直った。
どこからともなく筆と紙を取り出すとスラスラと書き出す。

【はじめまして、ヤドカリでさぁ。名前は付けてもらいやせんでしたが是非ヤックンと呼んでくだせぇ】

「……」

「……」

カノープスとアリスが固まっている前でまたも筆を走らせるヤドカリ。

【ハッキングから子守まで何でもござれとくらぁ】

「…意外と達筆だな」

「…そうですね」

【や、それほどでも】

これまたどこからか取り出した扇子でヤドカリはペシリと自分の頭を叩いてみせた。







ヤックンをオモイカネに接続してアリスに関する記録をでっち上げる。今現在は地球とは通信できないからやっていないだろうが、火星から帰った後にプロスペクターが2人のことをネルガルへ参照するはずだ。地球連合の住民データベースとアクセス可能になった時点で自動的に送り込むように設定することまでヤックンはしてのけた。
それと平行して支給されたカードキーを改造してナノマシンルームへ入れるようにする。そしてオモイカネにナノマシンの調整を依頼した。

「何を作るんです?」

「ジャンパー改造用のナノマシンだ。あと、イネスさん対策用にちょっと」

「?」

【お嬢、旦那ぁ2番目のはできやしたぜ】

首をかしげるアリスの目の前にヤックンが紙を差し出す。

「わかった。今からユートピアコロニーへ行ってくるからエルシーはここで  

「イヤです!」

カノープスの言葉にアリスが強い口調で拒否の声を上げ、腕にしがみつく。

「また独りになるのはイヤです…」

今度は消え入りそうな声。
カノープスが息をのむ。これほど自分に依存しているとは実はよく解っていなかったのだ。
しばしの間2人とも動けないまま寄り添っていた。

「……ゴメン、そんなにイヤだって思わなかったんだ」

アリスが返事代わりかカノープスを掴む手に力を込める。
カノープスはアリスが縋りついたままコンテナに近寄ると、チューリップ・クリスタルとプロスペクターが愛用していたのと同じ宇宙ソロバンを取り出す。

「一緒に行こうか」

カノープスの言葉にアリスは小さく頷いた。













地面に直接敷かれたマットの上でイネス・フレサンジュは目を覚ました。
体を起こしたところで頭に痛みが走る。おそるおそる手を伸ばしてみると見事なまでのコブができていた。

「もう、何があったの?」

「ああ、フレサンジュさん大丈夫ですか?」

不機嫌なイネスの声にグルグル眼鏡の男が声をかけてくる。

「サトミさん、何があったか教えてくれる?」

「上から瓦礫が落ちてきたようですよ」

「それにたまたま当たったって事?」

「みたいですね」

半ば廃墟と化したここユートピア・コロニーでは瓦礫が落ちてくる事は珍しいことではない。
それにしては頭のコブ以外、倒れたときに体のどこかを打ち付けたと言うことはなさそうだ。

「生き埋めにもならなかったし、運が良かったって事かしら」

独り言のようなイネスの言葉にサトミは何も言ってこない。
いつもは頼みもしないのにしきりに相槌を打つ人間が黙っていることに、イネスは違和感を感じたが気にしないことにした。生きている実感を持っていない自分にとって、ここに避難している人達が何をしようが大したことではないのだ。





しっかりとした足取りで立ち去るイネスを見送って、サトミ・ヨシタカは思考の海に潜り込む。


死にたくない。


それはここにいる避難民全員が共通して持っている願望だろう。
そのためにどうしたらいいのかがわからないのだ。
40人に満たない皆の中で、ただひとり生きる意欲を見せているイネスとてそれは同じだ。


いや、わからなかったのは先程までだ。あの2人が教えてくれた方法がある。


問題はどこまでその話を信じられるかだ。

月の独立運動……火星への核攻撃……木連……。

正直、突飛な話としか思えなかった。

それでも信じたかった。それで生き延びられるのなら。

「やはり、皆に話すべきですかね」

先程手渡された宇宙ソロバンを引っ張り出し、天井を見上げつつそう呟くとサトミは立ち上がった。
まずは皆の意見を聞こう。そう考えながら、何から話せばいいのか彼は途方に暮れるのだった。













ミナトがメグミとルリを伴って食堂に入った時、いつのも騒がしさの中に奇妙な雰囲気を感じた。
原因はすぐにわかった。黒尽くめの格好にごついゴーグルをかけた男と緑眼の美少女が並んで食事をしている。
皆、いつものように騒がしく食事をしながらも好奇心からこの2人をチラチラと覗き見しているのだ。

「あら、カノープスさんにアリスちゃん」

その空気を意に介さず、ミナトが声をかける。カノープスがゆっくりと振り返り、その隣でアリスが一瞬ビクリとするのが目に入った。

「2人でお食事?ここの料理、何を注文しても美味しいわよ」

「そうみたいだな」

ウィンクしつつ、愛嬌たっぷりに告げるミナトに対してカノープスの答えは素っ気ない。
そのミナトの後ろではメグミが顔をしかめている。

「あたしのお薦めは中華なんだけど…もう食べてるみたいね」

「ああ」

2人の前にはラーメン、チャーハン、餃子と並んでいる。

「それじゃあたし達も今から食事だから。ごゆっくり〜」

「座りに来たんじゃないのか?」

手を振るミナトにカノープスがたずねる。昼時で混み合う食堂の中にあって、この6人がけのテーブルにはカノープスとアリスしか座っていない。

「んふふ〜お邪魔しちゃ悪いから〜」

じゃーねーと笑いながらミナトは食券販売機へと向かい、その後をメグミとルリが続く。
と、カノープスの横を通り過ぎたところでルリの足が止まった。そのまま振り向きアリスを見詰める。しばし、そのまま。

「……あの」

「なんだい?」

アリスに向かって声をかけたのだが、返事をしたのはカノープスだった。それもさっきまでの無愛想と言っていい程のミナトとの受け答えから連想できない穏やかな優しさすら感じられる声だ。
余程意外だったのか、ホンの一瞬驚いた様に目を見開くルリ。

「…………」

「…………」

1人と2人の間で視線が飛び交う。

「ごめんなさい、何でもありません」

「……そうか」

結局、会話もなく、ただルリはお辞儀をしてミナト達の後を追いかけていった。
それを見送り、カノープスがアリスにたずねる。

「何が聞きたかったのかな?」

「……きっと…」

「きっと?」

そう聞き返した時、別の人影が声をかけてきた。

「あの、ヒデトさんって言いましたっけ?」

振り向けば、エプロンをしたテンカワ・アキトが落ち着かない様子で立っていた。








「ねえ、ミナトさん、どうしてあの人達に声をかけたんですか?」

テーブルに腰掛けたところでメグミがミナトに声をかけてくる。聞かれたくないのか、トーンを落とした声だ。

「ん〜、面白そうだったから」

「おもしろい?」

ミナトはそんなことを意に介していないのだろうアッケラカンとした態度である。そのくせそれ以上の説明は無しで、1人楽しそうに定食の焼き魚をつついている。

「んふふ〜、た・の・し・み」

「はぁ」

鼻歌まで歌い出しそうなミナトの笑顔に溜息を返すことしかできず、メグミは目の前のペペロンチーノをフォークで口に運ぶ。
以前はミナトと同じように昼も定食ものを食べていたのだが、先日アリスの姿を目にして以来、食事量をセーブしていた。

〈あーあ、たまにはおなかいっぱい食べたいな〜〉

胸の内で半ベソをかきながら、チマチマとスパゲティをたいらげていく。
ユリカとミナトには胸の大きさでとうていかないそうになかったが、わずかなりとはいえウェストで勝っていることでささやかな自尊心を守っていたのだ。

〈だけど、あの子……〉

アリスの容姿は同姓のメグミの目から見ても綺麗としか言いようがない。
恐ろしい程に整った顔はソバカスの残った自分と違いどこまでも白い肌でおおわれ、その細い手足は嫉妬を通り越し感嘆するしかなかった。
何よりメグミを落胆させたのは(かなりひいき目に見れば)自分とどっこいどっこいの胸の大きさに対するウェストの細さだったのだ。
こうなるとメグミにとってアリスの存在はコンプレックスを抱かせるだけとなる。
(実はパイロット3人娘もそういう意味ではメグミより若干スタイルは良かったりするのだが、彼女は意識していない。なにせ男女に奇人・変人の3人組だ)

斯様な経緯で、ただいまメグミは涙ながらのダイエットに勤しんでいるのだった。

「アキトさんもやっぱり綺麗な子の方がいいよね」

ポツリと言葉を漏らし、顔を上げる。するとアリスとカノープスのいるテーブルで話しているアキトが目に入った。
しかもだ、あれだけブリッジでは怯えていたというのに、アキトに対してはアリスが普通に接している。

「あぁー!」

皿の上に残ったペペロンチーノを瞬く間に平らげ、アリスを牽制するためメグミはダッシュした。 メグミの正面に座っていたミナトはこの光景を見た後、含み笑いを漏らした。

「も1つ、楽しみ」








「メグミちゃん違うんだってば!」

「だってアキトさん何となく楽しそうだったじゃないですか!」


あの人のところでテンカワさんとメグミさんがもめている。


「そんなこと無いって、このまえアリスちゃんをはねちゃったから謝って…」

「ホントですか?」


なんとなく不穏な目であの人を見るメグミさん。あの人はさっきまでと違い怯えた様子だった。


「ホントだってば」

「じゃあもう謝ったんでしょ?行きましょアキトさん」

「え?あ!メグミちゃん!」


メグミさんがテンカワさんの腕を引っ張りその場を立ち去る。
後に残ったのはあの人とそのお兄さんという人。




わからない。

どうして、あの人のことが気になるのか。




わからない。

どうして、自分のことを知っているか聞こうとしたのか。




わからない。

どうして、それはいま知るべき事じゃないと思ったのか。






胸の奥のざわめきの理由がわからぬまま、ルリはひたすらアリスを見つめていることしかできなかった。













「くっそ!」

罵りの言葉をあげながら、アキトはキャベツをザク切りにしていた。

「なんで俺に戦えって言うんだよ!」

先程アリスに謝るために声をかけたのだが、去り際カノープスにエステバリスの訓練をするよう言われたのだ。

「俺は戦いたくない!コックになりたいんだ!」

ダンッ!とまな板をふるわせ、3個目のキャベツを真っ二つにする。

「コックに!」

『守るためには力が必要だ』

ダンッ

「コックに」

『お前に力がなければ奪われるだけだ』

ザクッ

「コックに…」

『お前は守りたいものはないのか?』

トン

徐々にアキトの包丁とまな板のたてる音が小さくなる。

「……アイちゃん…」

小さな女の子1人守れなかった。

「ガイ…」

仲間を助けられなかった。

「なんで…俺なんだ…」

アキトの包丁を握る手は完全に止まっていた。

『お前の夢はただ料理をつくることか?誰かに食べて喜んでもらう事じゃないのか?』

アキトの心を見透かしたような言葉を紡ぐカノープス。

『ナデシコに乗っている人達を守りたくはないですか?』

アキトを信頼しきった瞳で見つめてくるアリス。

「なんで…」

「テンカワ!」

不意に声がかけられる。振り返ればホウメイが厳しい顔で立っていた。

「そんな風に苛立ったまんま料理をするもんじゃない。お前が切ったキャベツを見てみな」

見れば、ボウルに入れられたサラダ用のキャベツは極端に大きさが不揃いだ。

「こんな切り方をしちゃ、美味しいもんも美味しく食べられなくなっちまうよ」

側まで来たホウメイがアキトの包丁を取り上げる。

「俺 

「しばらく頭を冷やしてきな。それが出来ないんなら2,3日出入り禁止だよ」

「すいません」

トボトボと厨房から出て行くアキトの背中を見送りながら、ホウメイは苦笑いをこぼした。

「どうやら惚れた腫れたの問題だけじゃなさそうだね」

そう呟くとさっきまでアキトが話をしていた奇妙な男女を思い出す。
あの2人は周囲から明らかに浮いている。それなのに何年も前からここにいるのが当たり前のような雰囲気も併せ持っていた。
そのことに誰も気付いてはいない。ナデシコの中でただホウメイ1人だけがカノープスとアリスを冷静に見てはいたが、その意味までもわかるはずもない。

もう1人、気になる人物をホウメイは思い出す。

ホシノ・ルリ。

あの子もあの2人に対して何か思うところがあるようだった。
これまで見せていた他人への冷静な、ともすれば無機質無感動な態度と異なり、困惑の表情を見せていた。
自分の感情をもてあましている。それがホウメイの感じたところだ。

焦りを抱くアキトと困惑するルリ。

そしてカノープスとアリス。

ホウメイの中で何かが繋がりそうで繋がらない。

小さな溜息をつき首を振ると、没頭しそうになる思索を中断する。

「そのうち判るだろうさ」

自分にそう言い聞かせると、ホウメイは抜けたアキトの分をこなすためサユリ等に指示をし始めた。








第8話−了



カノープス:動きません
アリス:もっと動きません

キャラが動かない→筆が進まない→次の投稿が遅れる→焦りが発生→さらにキャラが動かない
作品名通りスパイラル……
笑…えない
一応10話以降は動いてますので何とかなりそうですが。

 

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代理人の感想

あー(苦笑)。

いっぺん思考がスパイラルに陥ってしまうと、中々難しいですよねー。

堂堂巡りになってあーでもないこーでもないと悩むうちに時間ばかりが・・・・。

いかん、他人事じゃない(爆)。