機動戦艦ナデシコ

時の流れに

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CROSSROADS BLUES

プロローグ#2

 

『ここは、どこなんだろう。』

 彼―マキビ・ハリ、通称ハーリーは困惑しながら、周囲を見回した。

 彼は、さっきまで「ナデシコC」の艦橋に座っていたはずである。

 それが、目をさますと、なんだかよくわからない透明な緑色の液体の中にいた。

 実は、見覚えがないわけではない。しかし、理性が状況を正しく把握することを拒否していた。

 ハーリーは、とりあえず、自分の手足の有無を確認しようとした。少なくとも、死んでいるのなら、足は存在していないだろうから。

 結果、手足は確かに存在していた。ただし、かなり小さかったが。

『どういうことなんだ? 僕はまさか、生まれたばかりの頃まで逆行したとでもいうのか?』

 力の入らない手足で、軽く頬をつねってみた。確かに痛覚は存在している。と、いうことは、これは夢ではない。

『とにかく、現状把握が最優先課題だ。今は西暦何年なんだ?』

 ハーリーは、マシンチャイルドである。「電子の妖精」が存在しているため、実力以下の存在感しかないが、それでも彼には冷静な思考能力が存在していた。

 いざ、というときに頼りにならないようでは、「電子の妖精」の副官補佐は勤められない。

 ハーリーは、確かに現状を把握した。

 とにかく、このままではどうしようもないということを。

 なぜか、憧れていたはずの「電子の妖精」のことは思い出さなかった。

 

 三年が経った。どうやら、自分は今日で三歳になるらしい。

 とにかく、彼は自分の足で歩けるし、何より、もう普通に話しても、誰も奇妙に思わなくなった。

 即ち、もう「擬態」の必要はなくなったのだ。

 何でも、半年前から、「優秀な」マシンチャイルドになるための「教育」が始まったらしい。

(僕には、必要なかったけどね。………だって、IFS、オペレート用じゃないし。)

 ハーリーにとって、「未来」との最大の相違は、二つ。

 まずは、自分の年齢だ。「今年」は2187年。即ち、「ナデシコ」が出航する8年前である。つまり、その時点でハーリーの年齢は、当時の「電子の妖精」と同じ、ということになる。

 そして、もう一つ。彼の身体に移植されたナノマシンの形式の違いである。

 「未来」において、彼に移植されていたのは、オペレート用―即ち、非戦闘用のIFSだった。というか、マシンチャイルドのほとんど全ては、この形式のナノマシンを移植される。

 今、彼に移植されたナノマシンは、いうなれば機械操作用―しかも、かなり高性能な代物で、通常のIFSよりも、様々な点で優れている。

(もっとも、僕以外には、まともに扱えないんだけどね。)

 ハーリーは、年に似合わない苦笑を浮かべると、ベッドから身体を浮かせた。

 ここは、スウェーデンのどこかに位置する、ネルガルの、マシンチャイルド「調整工場」。

 「電子の妖精」の故郷だったらしい場所だ。

 そして、今、ハーリーがいるのは、そこの自室。深海色の壁に囲まれた、彼の「牢獄」だ。

『マキビ・ハリ、オ勉強ノオ時間デス。ハヤク、オ部屋カラ出テ来テ下サイ。』

 丸字で書かれたウィンドウが、彼の前に開く。

「ああ、すぐにいくよ。」

 勿論、独り言だ。なんというか、礼儀のようなものである。

狭い部屋の、半分を占めるベッドから立ち上がり、数歩ほど歩いて、無機質な、金属製のドアの前に立った。

 ドアノブに手をかけ、多少の力を込めて押した。

 そこから部屋の外に出、向かい側のドアの前に立った。

 このドアは何の冗談なのか、やたらと年代を感じさせる、木製だ。

 三歳の児童には重い扉を、難なく押し開ける。すると、ハーリーの目には、これまた冗談のような光景が広がっていた。

 やけに広い部屋の中には、大量に散乱したコードの海が広がっていた。その中心に鎮座するのは、モニターと簡素な金属製の椅子だ。

 ハーリーはその椅子に腰掛け、両の肘掛の先に備え付けられた、レバーを握る。

 その途端、モニターが起動する。

 その中心に写っているのは、小さくて判別できないが、どうやら「人型」らしい。

 しかし、1体だけではなく、どうやら5体ほどいるらしい。「らしい」、というのは、モニター下部に写された、レーダーのような表示に、五つの光点が表示されていたからだ。

ARE  YOU  READY

 モニター中心に、文字が表示された。

OK

 その下に、色の違う文字が表示される。

READY………GO!!

 モニター内の景色が、一瞬にして移り変わった。

 「人型」が急に大きくなったかと思うと、次の瞬間には、それの腹には、金属の右手が突き刺さっていた。

 モニターが朱色に染まるか、染まらないかの一瞬後、モニターには、さっきまでの後方の風景が表示されていた。

 そこには、自動小銃のようなものを構えた「人型」がいた。

 モニターの表示が横に流れる。

 ハーリーが、左のレバーのトリガーを絞った。

モニター横に備え付けられたスピーカーから、合成音声の銃声が響いた。

再びモニターが「人型」を写したとき、すでにそれの身体は、無残にも穴だらけになっていた。

 今度は、モニターの標示が下に流れた。半瞬遅れて、スピーカーから地面からの着弾音が聞こえた。

 モニターの表示が空中で加速し、中心にまた別の「人型」を写す。

「甘いよ。」

 ハーリーが呟く。その顔には、一切の表情が浮かんでいなかった。

 右の、レバー下部のトリガーを絞る。その右手には、本来、左手にのみ存在するはずの、ナノマシン投与を示すタトゥーが輝いていた。

モニターの中心には、ケーブルでつながった金属製の右腕が、「人型」を貫いている場面が写されていた。

 そのまま、モニターは横に流れる。青空を背に、「人型」がこちらに向かい迫ってくるのが見えた。

 ハーリーは、あわてずに、左のトリガーを思いっきり引いた。

モニター中心に向かい、光の筋が走る。同時にスピーカーからは銃声が響いた。

 それらが着弾するたび、「人型」は原型を失っていく。

 それを見届けると、モニターはまた横に流れ、回収してゆく金属製の右腕を写した。ついでに、爆散してゆく「人型」も。

 モニターが足元を写し、着地したことを示した。

 横に流れるモニター。そして、その中心に向かい、金属製のナイフのようなものが飛んでいった。

 その方向には、米粒ほどの大きさであるが、「人型」がいた。

 遠くで響く爆発音。たしかに上がる炎。

YOU  WIN!!

 モニターの中心に、そんな文字が表示された。その横には、クリアタイムまで表示されている。今回のタイムは、約一分半だ。

「ふぅ………」

 一つ溜息をこぼすと、ハーリーは椅子から立ち上がった。

これが、ハーリーに課せられた「お勉強」であった。

 後に開発される、近接戦闘用人型ロボットの、戦闘シミュレーション。

 「今」のハーリーは、どうやら後々に「これ」を乗りこなすために「製造」されたらしい。

 どう考えても、三歳の少年にやらせることではないが、そんなことを気にする「大人」は、ここには一人もいなかった。

「おなか、すいちゃったな。」

 二分にも満たない「勉強」時間だが、疲労度は、机の上の学習の比ではない。

 これの操縦方法は、基本的にイメージだ。頭の中で思ったことを、ロボットが忠実に実行する。トリガー操作やレバー操作は、それらのイメージを助ける、只の飾りでしかない。

 ここで重要なのは、それらのイメージを想像する場所が、身体で一番大食いの器官である、脳であることだ。

 体力作りも「お勉強」の一環であるハーリーは、結構、これでいて大食いであった。

「お昼にはまだ早いし、どうしようかな。」

 普通のマシンチャイルドには、午前十時と午後三時には「おやつ」がでる。しかし、何故かハーリーは、その「おやつ」にありついたことがない。

 考えていて、なんだか不公平感が生じてきたハーリーは、なんとかして「おやつ」にありつけないかと考えた。

 考えながら、コードの海から脱出し、廊下に出る。

 そんなことだから、前から歩いてくる人影にも、気づかなかった。

「きゃっ!」

ぶつかって、相手が尻餅をついてから、初めて気がついた。

「ご、御免なさい! 気がつかなくて………」

 そこまで言って、ハーリーは息を呑んだ。

 そこには、「三年前」までの「上司」の、幼き日の姿があったのだから。

「か………」

 言いかけて、止めた。そこにいた少女は、自分の上司である「電子の妖精」のような、透きとおる笑顔を持っていなかったから。

 彼女は、無表情だった。

 頭を一つ振ると、ハーリーは無理矢理、唇の端に笑顔を浮かせ、「彼女」に話しかけた。

「大丈夫……… かい?」

 「少女」は、コクンと、一つだけ頷いた。

「僕は、マキビ・ハリ。君は………」

「ルリちゃぁーん! どこにいるのぉー!」

 廊下の向こう側から、保育士らしい、間延びした、人畜無害の声が聞こえた。

 同時に、こちらに向かい、足音が近づいてくる。

「ルリちゃん、こんなところにいたのね。ここは危ないから、いっちゃダメって言ったでしょう?」

 三十代半ばほどだろう、女盛りらしい美人の女性保育士は、「少女」をハーリーから庇うように抱き上げると、ハーリーを故意に無視して、歩き去っていった。

「あの子はダメなのよ。だってあの子はね………」

 それに続く言葉は聞き取れなかったが、ハーリーは容易に想像することが出来た。

『殺人機械なのよ』

 ハーリーは、浮かべたままの微笑を押し戻し、先ほどの「少女」のような無表情を作り上げた。

 そう呼ばれるのには、もう慣れた。

 人殺しのためだけに「製造」された人間。「感情」さえもプログラム。近づくものは、皆殺し。

勿論、そんなことは無いのだが、普通のマシンチャイルドの、メンタル・ケアを担当する保育士たちには、そのような風評こそが真実だった。

 ハーリーは、「専用」のトレーニングルームへと向かった。こういうときこそ、身体を動かしたくなるものだから。

 

 普段の三倍強のトレーニングを行い、ハーリーは汗みずくでマットの上に横になっていた。

「はぁ、はぁ…… スポーツドリンクくらい、売っててもよさそうなのに……」

 ここはジムではないので、自販機は存在しない。喉が渇いたら、水道水をがぶ飲みするしか方法がない。

 そのハーリーの頬に、何かひんやりとしたものが当たった。

 びっくりして顔を上げると、そこには、あの「少女」が瓶詰めの牛乳を持ってしゃがんでいた。

「なっ! 何で、君が………」

「ルリです。」

 ハーリーの驚きは、言葉では表現できないほどだった。彼女には悪いが、結構、人見知りをするほうだと思っていたのに。

「ホシノ……… ルリ。」

 ハーリーは、驚愕を無理矢理押し隠し、とにかく口を開いた。

「だ、だから、何で君が……… ゴホッ! ゴホッ!」

 横隔膜がビンビンに張っているのに、大声をだせば、勿論、むせる。

 「少女」はハーリーに向かって、牛乳を差し出した。

「これ、飲みますか?」

 ハーリーは、彼女の好意に甘えることにした。

「…そうさせてもらうよ。」

 ハーリーは、彼女から牛乳を受け取ると、蓋を器用に開けて、一気に飲み干した。

 一気飲みには慣れているので、むせ返ることは無かった。

 飲みなれている筈の牛乳が、やけに美味く感じた。

「これ、どうしたんだい?」

 ハーリーは、飲み干した瓶を、軽く指し示して言った。

「牛乳、嫌いなんです。」

 無表情に答える彼女を見て、ハーリーは脱力した。

(ざ、残飯処理かよ。)

 彼女は、何かを期待するような目でこちらを見つめている。

「えっと……… ありがとう、ホシノさん。」

 彼女の金色の瞳が、輝いたように見えた。

 

 そんなことがあってから、「ホシノさん」はたびたび、ハーリーのトレーニングルームに顔を出すようになった。

 ハーリーとしても、人恋しかったのは確かだったので、たとえ残飯処理係でも甘んじて受け入れていた。

 四年が経ち、彼と彼女は七歳になった。

「調整工場」は、一年前にスウェーデンから日本に移っていた。

 ハーリーは、元々の「開発理論」上、社会に溶け込むために、小学校に通うことになった。

 学校では、目立たない生徒で通したが、クラスメイトのウリバタケ・キョウカという、ガキ大将的な少女に何故か気に入られ、放課後になると、ほとんど連れまわされていた。

 「ホシノさん」は、彼と触れ合うようになってから、笑うようになった。学校に通い始めてからも、ちょくちょく彼の部屋に遊びに来た。

 木星蜥蜴の侵略が始まったが、それこそ彼らにとっては、なんの関係も無かった。この時点では。

 

そして、四年が経ち、「ホシノさん」が「ナデシコ」に出向する日になった。

前日に、彼の部屋に「ナデシコ」のブリッジクルーの制服を着て現れたとき、彼は何故か焦燥感に見舞われた。

ハーリーは、衝動のまま「ホシノさん」を抱きしめると、その唇に自らのそれで触れた。「!!」

真っ赤になる「ホシノさん」。ハーリーは笑いながら、しかし真剣な表情で言った。

「おまじない。絶対にいなくならないための。」

 「ホシノさん」はハーリーの腕の中で、胸に顔を埋めて言った。

「いなくなりませんよ。絶対。」

 「ホシノさん」は、ハーリーの背中に手を回すと、力を込めた。

「いくつか、お願いしていいですか? “ハーリーさん”。」

 否応も無い。

「うん。何?」

「今だけ、名前で呼んでください………」

 今にも消え入りそうな声で、「ホシノさん」は囁いた。

「………解った。ルリ。」

 自然な微笑みを浮かべ、ハーリーは言った。

「それと…」

 耳の裏まで真っ赤にして、「ホシノさん」は、またも消え入りそうな声で囁いた。

「もう一回、して下さい………」

 ハーリーは、「ホシノさん」の注文通りの行動を取った。

 そして、今、「ホシノさん」は「ナデシコ」に向かって出発した。

 ハーリーは、見送らなかった。何故か、泣いてしまいそうだったから。

 部屋を出て、トレーニングルームへ向かった。少し、身体を動かしたかった。

 「彼女」がいないことが、解っていながら。

 

 翌日、疲れ果てて横になるハーリーの部屋の通話端末に、一本の直通電話が入った。

発信先は、「NADESICO」。

急いで通話ボタンを押す。映像は、流れない。

「“ハーリー君”ですか?」

 聞きなれた声、発音、しかし、ハーリーに対する三人称だけが、決定的に違った。

 無意識に、手が震えた。

「はい、そうです、“艦長”。」

 ハーリーは、声を出すのに細心の注意を払った。ともすれば、動揺が声に出るのではないかと。

 その後の「艦長」との会話は、一方的だった。身についた習性から、たとえ、動揺の中でも、話の内容は全て記憶していた。

 通信が切れたとき、ハーリーは初めて、自分が泣いていることに気づいた。

 自分が無意識に行ったことの残虐性にも気がついた。

 ハーリーは思った。せめて、記憶しておこう、と

 「ナデシコ」のクルーに、出航する前から「戦死者」がいた、ということを。

                      

(プロローグ#2 END 第一話に続く)

 

 

 

代理人の感想

うお・・・・・・・・・・・・泣ける。

泣けるよ。(ぐしっ)