機動戦艦ナデシコ

時の流れに

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CROSSROADS BLUES

 

第一話

WAKE UP

 

 人生は不確定要素の塊だ。いささかの驚きを持って、ホシノ・ルリは思った。

 先程まで、ナデシコCの艦橋で指揮を取っていたはずが、現在では初代ナデシコのオペレーター席に座している。

 とりあえず、同様に逆行してきたらしいアキトとは連絡を取り、その後、自らの丁稚(笑)であるところのマキビ・ハリ(彼も逆行してきたらしい。)にラピスの世話を申しつけ、自分は「過去」の通りに、ナデシコのメインコンピューターの「オモイカネ」と「会話」していた。

 ハーリーの声が少し低かったように感じたが、どうしたのだろうか。

 先程の連絡によると、ナデシコへはコックとして搭乗することになったらしい。アキトらしいことだと思った。

「もう、逃がしませんよ。アキトさん。」

 ルリは、含み笑いとともに呟いた。その表情は、年相応というには妖艶すぎたが。

 

「不本意でしょうが、登録は済ませてしまったので、あちらの方がさきほどから、法律上、“テンカワ・アキト”ということになります。」

 プロスは電卓を叩きながら言った。

 ここは、ナデシコ艦内のプロスの自室である。どう見ても執務室にしか見えないのはご愛嬌だ。

 来客用らしい、四人がけの机の向かい側には、銀髪の名無しさん(笑)が座っていた。

 他人の戸籍を、偶然とはいえ、改ざんしてしまったのは、プロスの過失である。このことから、取引により、銀髪の“自称”テンカワ・アキトは、独房から出ることができたのである。

 “自称”アキトは、憮然と腕を組みながら、プロスの話を聞いている。

DNAによる個人識別の落とし穴ですね。今の戸籍表には、写真の添付は義務ではないですし、双子以外で同じDNAを持っている人がいるなんて、普通想像しませんものねぇ。」

 情報公開が進んだ昨今、誰でも免許と料金さえあれば、特定の人物の戸籍を覗くことが可能である。プロスも言うように、写真の添付は義務ではないので、女性などは普通、添付しない。

 今時、戸籍に写真を添付するのは、犯罪者だけである(犯罪者は義務)。

「同じ戸籍で、二人の人物が存在するのは、どう考えても不可能です。よって、先程も説明した通り、貴方には新しい戸籍を使用してもらいます。」

 アキト(自称)は頷いた。

「見慣れない形ですが、IFSは所持しておられるのですね。ならば、再就職先は、この艦のパイロットなどというのは、どうでしょうか?」

 プロスは、アキト(自称)の左手を見ながら言った。ライダースグローブは外している。

「はあ……… ようやく真っ当な仕事にありつけたと思ったら、また人殺しか………」

 アキト(自称)は、大きな溜息をついた。

 プロスは、アキト(自称)の言動に、不可解なものを感じたが、黙っていた。

「それにしても、何故、右手の手袋は取らないのですか?」

 変わりに、当たり障りのないことを訊いた。

 アキト(自称)は、苦笑と共に言った。

「ガキの頃、焼けた鉄に手、押し付けてね。酷かったんで、火傷の跡がまだ、残ってるんだ。あんま、見てて気持ちのいいものでもないし、な。」

 アキト(自称)は言い切ると、右手を電灯にかざした。

 プロスは、営業用ではない笑顔をちらつかせた。しかし、数瞬後には、元の営業用の微笑に戻っている。

「それでは、新しく作り上げる戸籍ですが。」

「ああ。」

 アキト(自称)も、真面目な顔をする。こうしていると、確かに彼は美形である。

「姓、アマガワ。名、アキヒト。漢字名、雨河明仁。年齢、十八歳。ガソリンエンジン車両運転免許証及び、IFS使用許可免許証を所持。最終学歴は、中学校卒。両親は早逝し、親戚は無し。本籍はトウキョウの三流アパート。職業は………」

「フリーターだろ。どうせ。」

 アキト(自称)―いや、今からアキヒトか。―は、唇をゆがめ、笑った。

「ロクでもない経歴だなぁ。フリーターって事は、無職じゃないか。」

「そういうことになりますね。」

 プロスも笑った。どうやら彼といると、プロスほどの人間でも、本心を隠すことを忘れるらしい。

「それではお給金の方ですが、手取り、これくらいでどうでしょうか。」

 プロスは、先程まで叩いていた電卓を、アキヒトの方に向かって差し出した。

 アキヒトの表情が、僅かに曇る。

「………少なかったでしょうか?」

 それを見取ったプロスは、アキヒトに対し、確認をとった。

「いや、むしろ多すぎる。」

 そこに提示された額は、軍人の基本給としては僅かに割高だが、法外ではない量の数字であった。

 だが、アキヒトの運送会社の給料は、月給手取り約1万円。家賃と食費と光熱費は会社から出ているが、それでも少ない。それから比べたら、少なく見積もっても、ゼロが一つ多い。

「それでは、この契約書にサインを。」

 どこから出したのか、プロスの両手には、契約書とボールペンが握られていた。

 アキヒトは、多少、いぶかしみながら、契約書を受け取り、軽く目を通す。

「へぇー。まっ、いいか。」

 途中、僅かに苦笑して、契約書のサイン欄にサインを施す。

 決して達筆ではないが、味のある大きな字である。

 サインを終えると、アキヒトは、書類をプロスに向かって押し出した。

 プロスは微笑み、書類を受け取った。

「私物の方は、後で部屋に届けさせます。それでは、“アマガワ・アキヒト”さん。ようこそ、『ナデシコ』へ。」

 

 アキヒトは、プロスに連れられ、艦内の案内を受けていた。

 服は、ナデシコのパイロット用の制服に着替えている。だが、上着のボタンは全開で、下には例の、下品なTシャツ。スラックスも二周りくらい太い物を、やたらと下げて穿いている。それにシルバーのネックレスとピアス、スラックスにつけたチェーンにより、結局、普段着の不良スタイルと、なんら変わるところは無い。

 最初に向かったのは、格納庫。一応、パイロットとして乗員名簿に記載されている以上、自分の命を預ける機体を見ておきたいと、プロスに頭を下げたのだ。

「これが、俺が乗る機体… エステバリスか。」

 アキヒトの眼前には、巨大な「人型」が仁王立ちしていた。自然と、表情が緩む。

 これを駆る自分を想像したのだろう。意外と子供っぽい性格だ。

「そうです。ネルガル重工の誇る、近接戦闘用人型ロボット、エステバリスです。」

 プロスの声にも、誇らしさが滲み出ていた。

 しかし、アキヒトの方に向き直ると、すまなそうな表情で言った。

「ですが、貴方の乗ることになる機体は、現在、存在していません。」

 アキヒトの表情が凍る。

「すまねぇ、プロスさん。もう一回言ってくんない?」

 台詞が棒読みになっている。爆発寸前だ。

 プロスは、自分が地雷を踏んでしまったことに気がついた。

「で、ですから、貴方の乗ることになる機体は、現在、配備されていな…… ぐえぇ!」

 アキヒトは、プロスの首に腕を回し、思いっきり締め上げた。

「じゃあ、なんで俺をパイロットとして登録したんだ? ええ、プロスさんよぉ?」

 頚動脈こそ外しているが、かなり芸術的なチョーク・スイーパーだ。むしろ、頚動脈に入っていない分、絶対にオチないから、もっとヤバイ。

「が、がが、ぎ、ギブ………」

「え? なんか言った? 聞こえないなぁ?」

 冗談じみて言っているが、目がマジだ。

「ぎ、ぎび、ギブ…… あ、アップで………す。」

「ショウガナイナァ、ノビ太クンハァ。」

 二十世紀後半から、二十一世紀前半にかけて流行した、絶対にネコではない某ネコ型ロボットを真似た口調で(似てない)、アキヒトは言った。

 プロスを放してやると、プロスは酸素を求めて口をパクパクさせた。

「サテ、ノビ太クン。シッカリト説明シテモラウYO!」

 最後だけ、無意味にHip-Hop調だ。しっかり腕まで組んで、厭味な笑いまで浮かべている。

 アマガワ・アキヒト、シチュエーションには凝るタイプだ。

「は、はい… 実は、例の“テンカワ・アキト”さんですが、彼、コックとして登録されているんです。しかし、彼も火星出身らしく、IFSを所持していらっしゃったので、パイロットも兼業なさるそうなんです。それで、二機搭載されている内の、ピンク色の“01”の方を使うそうです。もう一機の青い“02”の方は、前々から正規のパイロットが搭乗する予定でしたので………」

 つまり、余りは無い。と言いたいらしい。

「つまり、俺の乗る分は無い、と?」

「正確に言うと、現在、組み立て中です。」

 そう言って、プロスは格納庫の一角を指差した。そこには、内部機関をさらした、組み立て途中のアサルト・ピットと、空戦フレームがあった。

「予備パーツを組ませています。後、三日もあれば完成するかと。」

(最初っから、そう言えよ…)

 アキヒトはそう思ったが、口には出せなかった。

 何故なら、目の前で、いきなり青いエステバリス(肩に02とある)が動き出したから。

「プロスさん。」

「何ですか? あれについては、聞かれてもお答えできませんが。」

 プロスは青い顔をしていた。どうやら、本当に知らないらしい。

「おかしいですね。貴方は例外としても、パイロットの着任は一週間後のはずなんですが…」

 アキヒトは、少しプロスに同情した。こうも予測不可能の事態が、立て続けに起こることなんて、恐らく、彼の人生では始めての事だったろうから。

『レッツゴー! ゲキガンガー!! かかって来いやぁ! トカゲ野郎!!』

 いきなり、青いエステバリスのスピーカーから、声が響いた。やたらとデカイ声だ。なにせ、ハウリングを起こしている。

 プロスは耳を押さえたが、アキヒトは何故か平気そうだ。

「一級品のシャウトだな。アイツ、どこのバンドだ?」

 何か微妙に間違っているが、気にしてはいけない。

「この声は… ヤマダさんですね。」

『ちがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁう!! ヤマダ・ジロウは、世を忍ぶ仮の名前! 俺の魂の名はダイゴ………』

 相変わらず、アキヒト曰く“一級品のシャウト”が続くが、何故か尻すぼみに小さくなった。

『いや、ヤマダでいい。今は、な。』

 声が、先程までとは違い、妙に真面目になった。それにあわせ、エステバリス02も何故か、真面目になったように見える。

「こらぁぁぁぁ!! ヤマダぁぁぁぁ! 俺の“エステちゃん”から降りろぉぉぉ!!」

 スパナを持ち、作業用のツナギを着た男が、「おいおい、どっかの刑事サイボーグもそんなスピードでねぇよ。」といった速さで走ってきた。

「あん? 妙に小さくなってんじゃねえか。なんか、エステん中で悪いモンでも食ったか?」

「『いや、食わねぇし。普通。』」

 アキヒトとヤマダの声がダブった。

 エステバリス02の瞳が、アキヒトを写した。

『? あんた、パイロットか?』

 アキヒトは、唇をゆがめて言った。

「ああ、これからあんたの同僚だ。よろしくな。」

 エステバリス02の瞳から、光が失せた。それから、コックピットハッチが開き、中から一人の男が飛び出してきた。

 そいつを一言でたとえるなら、熱血系だ。一昔前の主人公じみたクセ毛、太い眉、浅黒い肌、彫りの深い顔。

 見る人が見れば、男前に見えなくも無い。全身全霊でパイロットであることを主張しているような男だ。(こんなオペレーターがいたら、戦死者は二割増す。)

 そいつはアキヒトの目の前まで歩いてくると、胸を一発、軽く殴った。

「…意外と鍛えられてるな。それに、幾つ修羅場を越えてきたか知らないが、人を殺したことは、一回や二回じゃすまんだろ?」

 アキヒトの目に、剣呑な光が宿った。アキヒトも、目を見た瞬間に解った。

「それは、自分にも言えることじゃないのか? “ヤマダ・ジロウ”さん。俺よりも偽名クサイ名前じゃないか。」

 “ヤマダ”の瞳に、愉快そうな色が生まれた。

「ま、いいだろ。俺はヤマダ・ジロウだ。よろしくな、“相棒”。」

 ヤマダはそう言うと、“右手”を差し出した。

 アキヒトは虚を突かれたような表情をしたが、すぐに笑うと、ヤマダの“右手”を握り返した。

「どうやら、丸く収まったようですね。」

 冷や汗まみれのプロスが言った。右手に持ったハンカチは、もうびしょぬれだ。

「どうでもいいが、俺を無視するなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 プロスの後方で、スパナを振って大暴れをする、妙なおっさんがいた。

「ああ、ウリバタケさん! 頼むから暴れないで下さい!!」

 プロスは彼を、羽交い絞めにした。アキヒトとヤマダは、不思議そうな表情で彼らを眺めている。

「こちら、エステバリス及びナデシコの整備を担当される、整備主任のウリバタケ・セイヤさんです。」

「はーなーせぇぇぇぇぇぇ!!」

 ウリバタケは、未だにジタバタと動いている。

 ヤマダは一歩、退いた。しかし、アキヒトはその場に立ち止まっている。

「整備主任… 喫茶店… 店長… 『アミーゴ』…」

 なんだか怪しい言葉が、口から羅列され、こぼれ落ちている。

 アキヒトは、ウリバタケを指差して言った。

「そうか、そうだったのか!! よし! ウリバタケっての!! 今日からアンタは『おやっさん』だ!!!」

 空気が一瞬にして凍りついた。

「お… 『おやっさん』…?」

「やべぇ、ツボだ… クククッ!」

「そ、それは、幾らなんでも安直すぎるのでは…」

「おお! ラ○ダーか!! 燃えるぜ!!!」

 各人物がそれぞれ批評する中、そんなアダ名をつけられた当人は、

「お、『おやっさん』かよ… 俺、まだ三十路だぞ…」

 四十過ぎたら可、だそうである。

 そんな和やか(?)な空気も、長くは持たなかった。

 警報が耳障りな音をたて、敵襲を知らせた。

 

 艦橋ではその時、ちょっとした騒ぎが起こっていた。

 指揮をとるはずの人物が、未だに乗艦していないのだから、まあ、当然とも言えるだろうが。

 それでも、誰一人としてヒステリーに襲われないのは、流石とも言えるだろう。「性格はともかく、腕は一流」のフレコミは伊達ではないらしい。

「ちょっと? 艦長はどうしたのよ? 遅刻にも程度があるわよ!」

 ヒステリックに喚きたてるのは、ムネタケ・サダアキ副提督。ナデシコ運用に関する、軍のお目付け役の一人だ。

 木星蜥蜴との戦闘においては、最前線で勤務していた経歴もある、有能ではないが、無能でもない軍人だ。

 艦長の乗艦、及び提督からの指揮権委任は、本日の午前中に終わらせているはずだった。現在の時刻は、午後三時半。少なく見積もっても、三時間半の遅刻である。

「幾ら、この艦が軍艦で無いとしても、艦長が遅刻なんて、そんな笑えない冗談、止してもらいたいわね!?」

 この台詞、決してムネタケが規則に厳しいのではない。

軍隊において、遅刻とは無能であることの証明だ。

 たとえ五分の遅刻でも、その五分間で戦況は大きく変化する。それにより負けたのなら、遅刻した当人以外にも、大量の戦友が死ぬことになる。

 故に、五分前、十分前に既に配置についているのが、軍人にとっての基本なのだ。

「ムネタケ、それくらいにしておけ。ここにいない人物のことを、とやかく言っても仕方あるまい?」

 ムネタケを諌めようと、口を挟んだ初老の人物は、フクベ・ジン提督。彼もまた、軍人である。

 第一次火星大戦の輝ける英雄! 艦隊戦で初めて、敵の母艦、「チューリップ」を一隻、撃墜した人物である。

 ムネタケとは、その時以来の仲だ。彼は最近ではめっきり閑職に回されたフクベの副官までも、勤め上げてくれている。

 一年にも満たない付き合いだが、お互い、結構ウマが合うらしい。彼の不器用な性格は、よく解っていた。

「今、出来る範囲で最善を尽くすことが重要だろう。その程度のことを、解らないお前ではないだろう。」

 このやり取りで、この艦橋にいる全ての人物は、ムネタケ=悪役の構図を思い浮かべたに相違ない。

 実は、これは全て、ムネタケの演技である。自分が常に問題点を指摘することにより、本来なら、フクベが背負う筈の悪意を、全て肩代わりしているのである。

(本当に、私程度の人間には、過ぎた副官だ。)

 フクベは、目でムネタケに礼を言った。ムネタケはそれに対し、沈黙で返した。

「じゃあ、エンジン、暖めておきますね。」

 栗色のロングの女性が言った。彼女はハルカ・ミナト。操舵士だ。

「艦内、全ての回線を戦闘態勢に切り替えます。これから先、戦闘終了まで、全ての電源は最優先で、戦闘関連箇所に回されます。繰り返します…」

 マイクの前で、緊張した声で艦内放送を流す女性。彼女はメグミ・レイナード。オペレーターである。

「オモイカネ、戦闘態勢。マスターキー挿入まで、出来る範囲で。」

 淡々と、「オモイカネ」に向かい、話しかけているのは、ホシノ・ルリ。彼女もまた、オペレーターだ。

 着々と、戦闘態勢が整ってゆく。しかし、抑留中のサセボ基地の地上部分は、すでに半壊している。ナデシコまで攻撃が達するのも、時間の問題だ。

 民間から徴収されたクルーには、絶望の色が濃い。

 そんな重い空気を断ち切る人物は、能天気にも笑顔を浮かべながら、艦橋に上がってきた。

「お待たせしましたっ! 私が艦長でぇーす!」

 明らかに能天気そうな声、遅刻を全く悪びれない態度、そして、なによりその緊張感のまるで存在しないかのような笑顔。

「お待たせしましたぁ! 私か艦長の、ミスマル・ユリカでぇーす! ぶいっ!」

 “自称”艦長は、全く艦長らしく見えなかった。

「一応、僕が副長のアオイ・ジュンなんだけど… 誰も気にしてないよね…」

 その後から、大学生みたいな顔をした男性が自己紹介したが、提督と副提督以外は誰も聞いてはいなかった。

 

「警報か!」

「ヤマダ、俺は出られん! 俺の分まで稼いで来い!!」

 騒然とする格納庫の中、彼ら二人だけが冷静だった。

 彼らパイロットは、撃墜数に応じて、特別ボーナスが支給される。アキヒトが「稼いで来い」と言ったのは、そういうワケだ。

ヤマダは頷くと、エステバリス02のコックピットに潜り込み、システムを起動させる。

この間、約十秒。

 降着姿勢(立ち膝)から立ち上がり、エレベータへと歩き出す。

 警報発令から、発射位置に移るまで、約二十秒。早い。

「格納庫から、ブリッジへ。ヤマダ・ジロウ。エステバリス02、発進許可を請う。」

『許可できません。』

 冷静な通信が、ヤマダを引きとめた。

 ヤマダの眉根が寄る。

「…この“デカブツ”が出航するにも、“上”の敵を引き止める、“おとり”が必要だろ? 俺じゃダメな理由を聞かせてくれ。なるべく、納得できるヤツをな。」

 ヤマダの声は、明らかに不機嫌をあらわしていた。感情の抑制が出来ないタイプなのだろう。恐らく、それで苦労したに違いない。

『では、説明します。貴方よりも“優秀な”パイロットがいるから、です。』

『ブリッジ! エステバリス01、発進するぞ!!』

 エステバリス01(ピンク色)が、何故か起動していた。

 先程まで、ハンガーにいた機体なのに、だ。

『宜しくお願いします。“アキトさん”。』

『応ぅ!』

「“アキト”だとぉ!!」

 今まで拳を握り、静観していたアキヒトが、初めて声を張り上げた。

(あれが、もう一人の“俺”か。)

 そうこうしている間にも、陸戦フレームを纏ったエステ01は、地上に向けて打ち出された。

「コックに、パイロット……… 二足の草鞋で大成できる道じゃないぜ。“テンカワ”。」

 そういう声には、敵意が満ちていた。

 

「アキト!」

 コミュニケで繋がれた通信回線を見て、“自称”艦長のユリカが言った。

 瞳はキラキラ、声は大声。どう見ても、“恋する乙女”にしか見えない。

「アキト。アキトでしょ。アキトアキトアキトォ!!」

 “アキト”ばっか連呼すんなや、と一部のブリッジ・クルーは思った。

 一応、今は戦闘中である。“愛”を語らうのは後にしろ! とも思った。

『ユリカ、今は戦闘中だ。積もる話は後で、な。』

 そう言って、アキトは笑った。子供のように無邪気で、それなのに、妙に陰のある笑顔。ハルカを除く女性クルーは、みな頬を染めている。

「え? あ、うん! 解った。じゃあ、アキト。十分間、持ちこたえてくれる?」

 数秒後、再起動したユリカは、早速アキトに指示を出した。

『“持ちこたえる”だけでいいのか?』

 アキトは、不敵な笑みを浮かべた。それでも固まる女性クルー。

『切るぞ。後は宜しくな。』

 そう言い切ると、アキトは通信を切った。

 艦橋では、硬化したユリカの代理で各部署に指示を出すジュンと、固まっていても、自分の業務はこなすルリ以外、動くものはいなかった。(ハルカは機関始動まで暇。提督たちは元々することが無い。)

 

 戦闘そのものは、呆気なく終結した。アキトが敵機を一体も残さずに殲滅するまで、約七分。

敵機、コードネーム“バッタ”と“ジョロ”の出現数は、約五十体余り。

 この時点で、平均的なパイロットが一回の出撃で撃墜する“バッタ”の数は、三体。それから考えると、かなり異常な数字である。

 しかし、本当の“戦闘”はここから始まる。

 まずは、崩壊したサセボ駐留軍の再編。これは軍部が勝手に行うだろう。

 そして、破壊された地上施設の復旧工事。これが問題である。

 一応、エステバリスは兵器であるが、戦争が終了した後には、土木工事用ロボットとして活動することになる予定である。

 地上の駐留軍には、まともな土木工事用機械が存在しない。即ち、必然的にナデシコのパイロットがそのような業務を担当することになる。

 あと一ヶ月、ナデシコはサセボに駐留する予定である。時間もあるのだ。

 アキヒトとヤマダの初出撃は、ドカチン業務で決定された。だが、この時点でそれを知るものはいない。

 格納庫に帰還する、エステバリス01。それを眺めるアキヒトの表情には、露骨な敵意が表れていた。

 隣のヤマダも同様である。なにせ、“稼ぐ機会”を逃したのだから。

 ハンガーに位置するエステ01。降着姿勢をとり、瞳から光が消えた。

 ゆっくりと開くコックピット・ハッチ。そこには、“黄色い制服”を着た黒髪の男がいた。

「生活班… だと?」

 ヤマダの声も、苦さが漂う。同じパイロットである証の赤い制服を着ていれば、少なくともこんな思いはしなかったに違いない。

 だが、ウワサの“テンカワ・アキト”が着用していたのは、黄色い制服。この艦の中でそんな色の制服を着る部署は、保健衛生班とコックぐらいなものだ。

 「こいつの方が優秀」と言われた相手が同業者なら、仕方ない、自分の努力が足りないんだ、と思うことも出来ただろう。

 しかし、その相手はパイロットが専門では無かった。これを屈辱と呼ばずして、何と言おう。

 彼も人間であるから、最低量のプライドは持ち合わせている。自分の仕事を、他の部署の人間に侵されたら、それは腹が立つ。

 しかも、「自分よりも優秀」ときたものだ。二束の草鞋を履いている奴にも、自分は劣るというのだ。

「好きになれそうもないな。」

 ヤマダは呟いた。低い声だ。

「アキトぉー!!」

 突然、格納庫の扉が開き、そこから士官用の制服を着た女性が飛び出した。

 そして、そいつはアキトに抱きついた。

「おいおい、ここはハイスクールじゃないんだ。ラブコメなら別のところでしてくれよ。」

 隣のアキヒトが、額に手をあてて呟いた。何故か腰が引けているが、どうしたのだろうか。

「同感だ。」

 ここは格納庫。即ち、整備員たちの仕事場である。

整備員には男が多い。そして、油仕事の多い整備員は、女性にあまり好かれない。

 そんな場所でラブコメをするなど、はっきり言って、整備員を敵に回しているとしか思えない。

「ユリカぁー、ちゃんと仕事してよぉー」

 扉は、また別の人物を吐き出した。彼も士官の制服を着ているが、こちらは男性だ。女顔だが。

 対して、ユリカと呼ばれた女性士官は、聞く耳持たないかのように、アキトに抱きついている。アキトもまんざらではなさそうだ。

 ヤマダは、その士官に同情した。おそらく、彼女の副官なのだろう。我侭な上官を持って苦労する気持ちは、痛いほど良く解る。

「あのヒト、聞いちゃいないぜ。」

 ヤマダは、たっぷりの皮肉を込めて言った。士官の制服を着て、なおかつ副官までついているのは、この艦では艦長と提督しかいない。

 年齢から考えても、彼女は艦長だろう。正直、信じられないが。

 それに対し、青年士官は苦笑で答えた。

「よぉ、また会ったな。ジュン。」

 アキヒトが、親しみを込めて言った。顔見知りなのだろうか。

「ああ、君もこの艦に乗るのかい?」

 ジュンと呼ばれた青年は、苦笑を笑顔に変えると、アキヒトに向かって言った。

「そうだ。俺の名は、アマガワ・アキヒト。…今更だが、宜しくな。」

 アキヒトはそう言うと、男クサイ笑顔を浮かべた。ジュンはそれに、笑顔で答えた。

 

 

 

 マシンチャイルド研究所。日本のどこかに存在するこの研究所は、現在、壊滅的な状況にあった。

 それを行ったのは、たった一機の砲戦型エステバリスだ。元々、スクラップに近かったらしく、所々、補強の跡が見える。

 非合法の研究所だけあって、対空砲火やら迫撃砲やらの大盤振る舞いがあったりしたが、そのエステには、傷一つ存在しない。

 エステは研究所跡をくまなく見回していたが、一ヶ所にその無機質な瞳を留めると、そこに向かい、走った。

 そこは元々、マシンチャイルドの研究施設だったらしく、山積みにされた、羊水のような液体が入ったタンクと、巨大な発電施設が特徴的だった。今は、見る影も無いが。

 エステは、そこの近くに止まると、降着姿勢をとった。瞳から、光が消える。

 コックピット・ハッチが開き、中からナップサックを提げた一人の男性が降りてきた。

 若い。まだ十代前半にしか見えない。彼がこの惨状をひきおこしたというのだろうか。

 彼は、(比較的に)原型を留めたその施設に向かい、歩き出した。勿論、途中には、肉塊と化した人体も転がってはいたが、気にも留めない。

 施設の内部は、未だに電源が生きているのか、ぼんやりと明るかった。

 その中を、ゆっくりと進むと、核シェルターを思わせるような、観音開きの扉があった。

 彼は、ナップサックから、長方形の物体を取り出した。

 側面に書かれた銘は、「C7」。近年開発された、最新型のプラスチック爆弾である。

 彼は、腰からナイフを引き抜くと、それの梱包を切り裂き、中身を扉の隙間全体に押し込んだ。

 信管を埋め込み、そのコードを伸ばして、自身は物陰に隠れた。図らずとも、研究者らしい人物の死体と相席することになったが。

 ナップサックから取り出した、発火装置にコードを巻きつける。

 スイッチを、入れた。

 轟く爆音。

 「C7」の破壊力は、「C4」の約五倍。エステバリスの主要装備、「ラピット・ライフル」の装薬としても使用されている火薬を、改良したものだ。これで破壊できないものは、本物の核シェルターのみである。

 どうやら、あの扉は、核シェルターとしては手抜き工事だったらしい。向こう側に重そうな扉が倒れている。下敷きになった人がいたらしく、その下には赤い水溜りが出来ていた。

 彼は、そこから施設のさらに深奥へと侵入した。

 そこには、美少女が、羊水に似た液体に浮かんでいるカプセルが、数体存在していた。

 彼は、懐から拳銃を取り出した。無骨な拳銃だ。一見しただけで、破壊力が伝わってくる。

 カプセルの、一つずつに向かい、その銃口を向けた。

 三つ目で、ようやく“反応”があった。

 中の少女が、脅えたような仕草をしたのである。

 彼は、銃をホルスターに仕舞うと、そのカプセルに向かい、手近にあった鉄アレイ(多分、研究員のものだろう)を振り下ろした。

 四、五回目で、カプセルは砕けた。中から漏れ出す、血の匂いの液体。

 彼は、彼女にガラスで怪我をさせないように、細心の注意を払って、カプセルの残骸から引っ張り出した。

 彼女は、まだ、脅えを隠せない表情で言った。

「アナタガ、“マキビ・ハリ”………?」

 彼はゆっくり頷くと、表情の変化を感じさせない顔で言った。

「ああ、僕がそうだよ。“ラピス・ラズリ”さん。」

                          (第一話 終了 第二話に続く)

 

 

 

 

代理人の感想

ウリバタケって28じゃなかったっけ?

割と微妙なお年頃のはずですがw

 

まぁそれはさておき。

 

面白くなりそうな萌芽はあちこち見受けられるんですが、

「アキト」とユリカをわざわざ悪役に仕立てたのはちょっとあれだったかなと。

怒りとか反発とか、他人の悪意を見せられるのはあまり楽しくないですから。