機動戦艦ナデシコ

時の流れに

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CROSSROAD BLUES

 

第八話

KID A

 

 ナデシコの現在位置は、月軌道から(宇宙的距離感覚で)少し離れた地点であった。この地点に到達するまで、約二週間の時間が経過している。

 それまでに散発的な戦闘は幾度かあったが、全てアキトが単機で殲滅していた。

 ブリッジは、適度な緊張感を保っていた。

「艦長。」

 ルリの涼やかな声が、ユリカの鼓膜を心地よく振動させる。正面スクリーンに投影された天の川を眺めていたユリカは、それを合図に視線をルリに向けた。

「何? ルリちゃん?」

 ルリはそのユリカの声を聞くと、正面スクリーンから天の川を消し、代わりに全方位レーダーを投影した。丁度、ナデシコの進行方向、そこには、“UNKNOWN”と表示された光点が一つ、ポツンと写っていた。

「“UNKNOWN”? じゃあ、『チューリップ』ではないんだね?」

 ルリは答えた。

「はい。『チューリップ』なら、レーダーにはその通りに表示されるはずですし、この感度では、『バッタ』や『ジョロ』なら表示されません。サイズ表記からすると、恐らく戦艦、それも、ナデシコとほぼ同サイズです。」

 ユリカは考え込むような動作をし、少ししてからルリに言った。

「ルリちゃん、ジュン君とプロスさんを呼んで。」

 ルリは言われたとおりの行動を取った。

 

 ルリは、艦長たちから見えない位置に、ウインドウを展開した。その向こう側にいるのは、アキトだ。

「アキトさん。大変です。」

 ルリは、表情には出さないが、非常に焦っていた。アキトは彼女の焦燥に気づき、とりあえず落ち着かせようと、笑顔を浮かべた。

「どうしたんだい、ルリちゃん?」

 一瞬、ルリは固まったが、固まっている場合ではないと思いなおし、真っ赤な顔のまま言った。

「ナデシコの正面に、謎の戦艦がいます。私達の“記憶”に間違いが無いのなら、正面にいる可能性がある戦艦は、『コスモス』だけですが、サイズが小さすぎます。」

 アキトは考え込むように、顎に手をやった。暫くして顔を上げると、真面目な表情でルリに答えた。

「イネスさんと相談してみよう。ルリちゃんも、勤務時間が終わったら、医務室に来てくれ。」

 ルリは頷いて、通信を切った。勤務時間の終了まで、あと三十分の時間が残されていた。

 

「ああっ、もう! なんで勝てねぇんだよぉ!!」

 リョーコは、筐体から出た途端に大声で捲し上げた。無論、その筐体はエステのシミュレーター(ウリバタケ作)である。振動、G、操縦性など、エステのコックピット内の環境を忠実に再現した代物だ。ちなみにワンプレイ:100円である。

「リョーコ……… 貴方、素直すぎよ。直線の動きが多すぎるわ。」

 イズミが的確に、彼女の操縦の欠点を指摘する。リョーコは頭を掻きながら言った。

「それだけじゃねぇ! アイツの操縦がエロいんだよ!」

 反対側の筐体を指差す。そこには、いやに自信満々の顔をした、アキヒトの姿があった。

 アキヒトは、厭味な笑いを浮かべながら(似合っていない)言った。

「ふ、リョーコ、君が悪いんじゃない。君のお父上がいけないのだよぉ! あははははははははははははははははは!!」

 最後は馬鹿笑いでしめた。しかも、微妙に会話になっていない。

「何でそこに親父が出て来るんだよ! しかもそのバカ笑い、うぜぇから止めろ!」

「断る。ぎゃははははははははははははは!!」

 無言で殴りかかってきたリョーコと剣舞を演じながら、アキヒトは部屋中を舞い踊る。呆れかえった表情のヤマダとイズミが、そんな二人を見て言った。

「アキヒト君、何で普段から真面目じゃないのかしら?」

 イズミの言葉に、ヤマダは苦笑しながら答える。

「普段から気を張ってたら、それこそ集中力が持たないだろ? アイツは“時と場合”っていう言葉をしっかり理解しているし、腕も確かだ。それに………」

 ヤマダは言葉を切った。イズミは不思議そうな表情で、ヤマダを見つめ返した。

「普段と非常時のギャップは、男のコロンみたいなもんだ。」

 

「いてて……… リョーコも本気で殴ってくるんだからよぉ………」

 制服をボロボロにしたアキヒトが、横のヤマダに聞こえるほどの声で独り言を言った。

「自業自得だろ、バカ。」

 ヤマダがそっけなく返す。

 格納庫で自機の整備の手伝いをしながら、二人は話し合っていた。

「だってよぉ、リョーコの表情が可愛くてなぁ〜。」

 アキヒトの頭の上にいたダイゴロウも、「キュウン。」と鳴いて同意を示した。

 ヤマダはいい加減付き合っていられないといった風に、作業を再開させた。

「アキヒト、ヤマダ、ちょっとイイか?」

 二人の背後には、ウリバタケがいた。二人は振り向くと、彼に問いかけた。

「おやっさん、何の用?」

 ウリバタケは珍しく、真面目な表情をした。

「ついてこい。良い物を見せてやる。」

 ウリバタケはそう言うと、背を向けて歩き出した。アキヒトとヤマダも、何だかよく分からないが、とりあえずついていくことにした。

 彼らが向かったのは、ウリバタケが私用に使っているハンガーだった。基本的に武器開発を中心に行っているらしく、エステのフレームらしき部品やら、グリースの缶、挙句の果てには、信管の刺さったC7までもが転がっていた。いつ爆発してもおかしくないのが恐怖心をそそる。

「あ、あぶねぇ格納庫だ…」

 ヤマダは、額に汗を浮かべながら呟いた。それに対し、アキヒトは涼しい表情で、ウリバタケに問いかけた。

「で、どんなプレゼントを用意してくれたんだ? おやっさん。」

 ウリバタケはアキヒトの、貰ったプレゼントの中身を楽しみにしている子供のような表情を見てから言った。

「こいつさ。」

 ウリバタケはそう言って、後ろの布がかかった作業台から、布を取り去った。

 そこにあったものは、エステサイズの剣の“柄”だった。何だこれはと、アキヒトが言う前に、ウリバタケは喋りだす。

「DFを収縮させてその空間に固定、それを刃とする剣。その名もディストーション・フィールド・ソード―――略してDFSだ。」

 ウリバタケは、DFSに右手を置いた。

「出力を上げれば、戦艦クラスのDFですら貫くことができる、絶対防御不可能の武器だ。残弾制限、及びエネルギー消費無し。射程が短いことを除けば、理想的過ぎる武器だ。」

 ウリバタケの台詞に、アキヒトとヤマダは絶句した。同時に、脳裏に疑問が湧いた。そんな都合の良い装備が実在するのか、と。アキヒトが呟く。

「おやっさん。それは圧倒的すぎる……」

 ウリバタケは頷いて言った。

「勿論、これにも弱点がある。コイツを展開している間は、エステのDFが完全に使用不可能になる。つまり、迫撃砲の一発でもオダブツってぇことだ。それに、コイツを展開するのには、ものすごい集中力が必要だ。普通の人間にゃ、使うことはおろか、展開することすらできねぇ……… コイツを展開する時点で、ソイツはもう人間じゃないね。」

 ウリバタケの言葉に、ヤマダが矛盾する点を見つけた。

「ちょっと待てよ。それじゃ、おやっさんはコイツを、誰のために作ったんだ?」

 ウリバタケは、DFSを見ながら言った。

「テンカワはコイツを、いとも簡単に扱いやがったぜ。」

 

医務室で向かい合っていたのは三人。アキト、イネス、そしてルリである。まず、ベッドに座していたアキトが口を開いた。

「結論から言おう。あれは間違いなく、ナデシコ級二番艦『コスモス』だ。」

 躊躇いがちに、ルリが口を挟んだ。

「根拠は… 何ですか?」

 アキトはルリの目を見て言った。ルリの頬が真っ赤になるが、アキトは気づかない。

「あそこには、ラピスが乗っている。俺とラピスは、未だにリンクしているから聞いてみたら、たしかにその艦は『コスモス』だと言ってきた。」

 イネスが口を挟んだ。

「ルリちゃん。この世界は、あちらとは違うのよ。向こうの歴史と違う点があっても、むしろそれが当然なの。」

 そういうものかと、ルリは納得した。しかし、今度はアキトが難しい表情で黙り込んだ。

「………アキトさん? どうしましたか。」

 ルリの声にアキトは顔を上げ、翳りのある笑顔で言った。

「いや、これから大変だなと思ってね。」

 

「全く… あの馬鹿は何所行きやがったぁ?」

 リョーコは愚痴を呟きながら、廊下を歩いていた。その横には、いつから付いてきたのか、ユキナの姿があった。

「あーう。」

 リョーコの袖を掴んで離さない。リョーコは少し照れながらも、そのままにしていた。ユキナは、ジュン、アキヒト、ヤマダについで、リョーコに懐いていた。なんとなく、頼りになるお姉さんだと思ったのだろう。リョーコがエステライダーで、アキヒトやジュンと会うことが多かったのも理由の一つだ。

 何故、彼女がユキナを連れて歩いているのかというと、艦内を徘徊していたユキナをたまたま見つけて、二人目の保護者(一人目は現在、会議中)のところに連れて行こうとしているのである。

「あのさ、ユキナ… 本当にジュンの部屋でいいのか? 俺の部屋に来ても良いんだぜ。」

 リョーコは何度も、ユキナに自分の部屋に来ないかと誘った。それは勿論、ジュンが男だからというのが最大の理由である。しかしその度に、

「あうう。」

 ユキナに首を横に振られるのである。どうやら、ユキナはジュンを無条件で信頼しているらしい。

 リョーコは、面倒見の良い、姉御肌の女性だ。そういうユキナを見ていると、非常に微笑ましくなる。同時に、彼女をジュンが裏切った時は、確実にぶち殺すと臍を固めていたりするが。

 廊下の向こう側から、茶色い毛玉が走ってきた。毛玉はユキナに飛びつき、顔を嘗め回す。ユキナもうれしそうに彼の親愛の情を受けている。

「ん? ダイゴロウじゃねぇか。今日はあの馬鹿と一緒だったんじゃねぇのか?」

 ダイゴロウは「キュン。」と鳴いて、肯定を示した。“彼”はユキナの耳元に口を寄せると、何事か呟いた。

 しばらくそれを聞いていたユキナだが、大きく一つ頷くと、リョーコの袖を大きく引っ張った。

「ん? どーした、ユキナ?」

「あうあうあう。」

 ユキナは一つの扉を指差した。リョーコはまさかと思ったが、もしかしてと思い、ユキナに問い返した。

「ユキナ… あそこにアキヒトがいるって?」

 ユキナは頷いた。リョーコの額に汗が浮き出る。

(んな理不尽な………)

 戦艦に民間人や動物が乗り込んでいる時点で理不尽だが、そんな問題は棚に挙げておこう。

 とりあえず、彼女はその、“瞑想室”と書かれた扉をノックした。

「おーい、アキヒトぉー。いるのかぁー?」

 扉が半分開き、そこからヤマダが顔を出した。ついでに小声で言う。

「悪い。今、あいつは特訓中だ。話しかけられる状態じゃない。」

 リョーコは意外な単語を聞いた気がした。そして、すぐにそれに思い至る。

「えぇ! あの馬鹿が特訓!」

 ヤマダはリョーコに向かい、人差し指を立てて言った。

「静かにしてくれ。集中力が大事なんだ。」

 リョーコは何をしているのか気になったが、詮索するのは止めておいた。ユキナをヤマダの前に押し出して、彼女は言った。

「じゃあ、ユキナを頼むぜ。」

「中は色々と凄惨な事態になっている。ユキナちゃんを入れるわけにはいかない。」

 そうヤマダが言った時、ヤマダの背後で何かが倒れる音がした。ヤマダは一瞬で事態を把握し、叫んだ。

「アキヒト! 悪い、すぐ戻る!!」

 ヤマダが中に引っ込んだ。リョーコとユキナは、唐突な事態の変化についてゆけず、立ったまま固まっていた。

 しばらくして、扉が完全にひらいた。

 中から出てきたのはヤマダと、彼の肩を借りてようやく立っているという雰囲気のアキヒトだった。

 リョーコとユキナは息を呑んだ。それほどにアキヒトの現状は凄惨なものだったから。

 鼻血を流している以外は、外傷は一切、無かった。ただし、顔色は青白く、今にも気絶しそうなほどだったが。そして、その死人のような顔色の中で、目だけは異常なほどにギラギラと輝いていた。

凄惨なのは、その目だった。充血し、白目が真っ赤に染まった瞳。そして追い討ちをかけるように、まぶたから頬にかけて流れる、二条の赤い線。

血涙だ。

「あ、アキヒト! お、お前何を―――」

 あまりの惨状に、一言、説教でもくれてやろうとしたリョーコを、ヤマダが止めた。

「黙ってやってくれ。こいつも必死なんだ。………詳しくは言えないが、な。」

 ヤマダの、優しそうに見えて強い口調に何も反論できずに、リョーコとユキナは彼に道を譲った。

 アキヒトの瞳が、二人に向けられることは無かった。アキヒトは、どこか遠くの仇敵を見つめるかのように、視線を前に向けていた。

 

「それでは、プロスさん。アレはネルガルの新型戦艦だということですね?」

 ユリカは毅然とした表情で言った。プロスは頷き、答えた。

「間違いなく、その機影はナデシコ級二番艦『コスモス』のものに間違いありません。サイズ、形状、全てが『コスモス』の特徴と合致します。」

 プロスの答えは明確で、反論の余地も無かった。ジュンは、少し困ったような表情で、プロスに言った。

「じゃあ、何故、その『コスモス』はこちらに主砲を撃ってくるんですか?」

 正面スクリーンには、艦首の主砲らしき穴をこちらに向けた、『コスモス』の姿が映っていた。二本の船体横のブレードはナデシコと同じだが、長く伸びた艦首に個性が存在した。よく見えないが、艦尾も艦首ほどではないが、長い。艦首の主砲らしき穴に高熱源反応。間違いなく、発射するつもりだ。ついでに言うと、これで二発目でもある。

 ナデシコのDFは強力だ。単なる艦砲射撃では、貫通することすら不可能である。先程の『コスモス』の主砲は、DFに阻まれて、船体に傷をつけることすら適わなかった。

「おかしいですなぁ。計画の変更が無かったのなら、『コスモス』の主砲は…」

 『コスモス』が、主砲を発射した。今度もDFを貫通することは適わない。

「? どうしたんですか、プロスさん?」

 ユリカがプロスに問う。プロスはポンと手を叩くと、言った。

「そうですか。たとえ反物質といえども、実体弾には違いありませんもんねぇ。」

 ジュンは、いささか緊張感を滲ませた声で言った。

「反物質砲…ですか。直撃したら、大惨事ですむはずがありませんね。DFの出力が強化された現在でなければ、恐らく貫通していたはずです。」

 ユリカとプロスは、背骨の代わりに氷を突っ込まれたかのような感覚に襲われた。ジュンはそんな二人を気にも留めずに言った。

「DFを最大で張っている以上、こちらからの攻撃は不可能… エステバリス戦しかありませんね。………ユリカ。」

 呼ばれて、ユリカはジュンが言外に言っている意味に気づいた。彼女は自分で気づいた風を装い、メグミに指示を出した。

 

「くっ…」

 アキヒトは、自室のベッドで明かりもつけずに、右腕を押さえながらうずくまっていた。目の充血こそ消えているが、額に浮いた脂汗は、未だに彼が不健康な状態にあることを示唆していた。

「はあっ………!」

 一息ついて、歯を食いしばる。彼の身体で何が起きているのかは不明だが、どうやら相当の苦痛を伴うものらしい。

 ベッドのシーツには、多量の汗がしみこんでいる。薄暗い室内で、彼のベッドに押し付けた右腕が、ぼんやりと赫く光って見えるのは錯覚だろうか。

 アキヒトは、突然仰向けになって倒れ込んだ。いつもは手袋をはめている右手も、今は素肌を露出している。

 右手を、目の位置まで持ち上げた。その右手には、火傷の痕など一切存在しなかった。ただ、通常とは逸脱した形状のIFSのタトゥーが施されていたが。

「いってぇなぁ… 全く。」

 脂汗に濡れた顔を、苦笑に歪ませ、アキヒトは呟いた。上半身だけ起き上がり、枕元に置いたドクターペッパーを一気飲みする。

 一部が気道に侵入し、むせ返る。咳を繰り返す途中で、何が面白かったのか、アキヒトは突然笑い出した。

「ごほ… は… ははは…… ゴホゲフッ…… ははははははは、ゴホ… あははははははははは………」

 突然、耳障りな警報が鳴った。アキヒトは、先程の様子からは想像できないほどの力強さで立ち上がった。ヤマダに肩を貸してもらわねば、歩けないほどの身体だったはずなのに。

 そのまま、走って格納庫に向かう。途中でヤマダにあったが、彼は何も言わずに格納庫へと向かった。

 パイロットスーツに着替え、エステのコックピットに向かう。

「あ、アマガワ! 何でお前がここにいるんだよ!! ぶっ倒れたんなら、部屋で寝ていやがれ!!」

 途中でリョーコとあった。リョーコが自分の身体を気遣っていることは分かったが、なんだか釈然としないものを感じて、顔をしかめた。

「自分の身体のことは、自分が一番理解している。それに………」

 アキヒトは、酷く哀しげな笑顔を浮かべた。激昂していたリョーコですら、はっ、と思うほど、哀しげな表情。

「俺の身体は特別製でね。」

 アキヒトはそう言うと、コックピットに飛び乗った。リョーコは一言、

「あ………」

 と呟き、その場に立ち止まっていたが、数秒後に躊躇いながら、自分のコックピットに納まった。

 座席に座りながら、リョーコはいつまでも発進許可がでないことを疑問に思った。

「イズミ、何で発進許可が出ねぇんだ? 出撃なんだろ?」

 コミュニケでイズミに通信するリョーコ。イズミからの答えは、簡潔であった。

「リョーコ、放送はしっかり聴きなさい。今回の集合は警戒態勢でしょ? すぐに出撃のはずないじゃない。」

 

 ブリッジの正面スクリーンには、見知らぬ男性が、一分の隙もない敬礼をして写っていた。ユリカはコスモス艦長との話し合いを選択した。無論、先程の警報は万が一のための伏せ札である。

「ネルガル重工製機動戦艦ナデシコ級二番艦『コスモス』艦長の、ヤン・パイフーです。何の用でしょうか?」

 ユリカは毅然とした表情で、返答した。

「ナデシコ艦長、ミスマル・ユリカです。貴艦が我が方に対し、砲撃を行った事実を究明したいのですが。」

 ヤン・パイフーと名乗った人物はどうやら職業軍人らしい。彼は、訓練された無表情で言った。

「失礼しました。貴艦の船影が余りにもデータと違っていて、宇宙海賊の類いかと勘違いしてしまった次第です。どうか、ご容赦を。」

 彼はそう言って、頭を下げた。ユリカもまた、表情の起伏を見せずに答える。

「そうですか。しかし、私も子供ではありませんから、ゴメンナサイで済ますつもりはありません。それなりの“誠意”というものを見せていただかないと…」

 ヤンはその無表情に、多少の驚きを含有させた。尤も、彼のことをあまり知らないユリカやジュンが、そのことに気づくはずも無かった。

「…分かりました。丁度、この艦は完熟航行中です。ブリッジクルーを三人、腕っこきのエステライダーをエステ付きで三人、整備班長に班員をつけて一人、貴艦に“研修”に行かせましょう。なに、別にそのまま“使って”いただいてもかまいませんよ。」

 ようは、賄賂代わりに人員を使うということだ。クルーは一応、ネルガル社員である。つまり、上司である艦長の判断で移動させることが可能だ。

この場合、ナデシコはヤン氏の進退と引き換えに、今後の航海の安全を買ったことになる。元々、最低限の人員しか乗っていない上、ネルガルから支給される兵糧にも結構な余裕がある。

「しかし、貴艦の人員が足りなくなるのでは?」

 ユリカの疑問も、もっともである。コスモスも、ナデシコと同様にギリギリの人員で動かしているのかもしれない。しかし、ヤン氏は相変わらずの無表情で答えた。

「いや、優秀でなければ、代わりのクルーなど幾らでも見つかるものですよ。ようは選り好みしなければ良いのです。よく言うでしょう、『部品は高いものほどいいが、消耗品にまで高いものを使うな』と。」

 ユリカは、身体中に怖気が走るのを感じた。彼はクルーを艦の「部品」としてしか見ていない。向こうに見えないように、ちらりと隣のジュンを見た。

 付き合いの長い彼女だから分かる程度だが、彼は明らかに不快そうな表情を浮かべている。戦術や戦略に関しては、過激なほどの冷徹さを示すジュンでさえ、唾棄する考え。

 ネルガルはクルーを集めるのに、完全実力主義の方針をとったらしい。確かに、ヤン氏は優秀な“艦長”だろう。消耗品なら、どれほど切り捨てても良心の呵責は覚えまい。

 ヤン氏の瞳が、油のように輝いた気がした。ユリカはそれの意味が分からなかったが、異常なほどの不快さと怖気を感じた。

 今度こそ、ジュンの眉根が不快げに寄った。ヤン氏の瞳の輝きの意味を理解していたから。ヤン氏の瞳は、明らかな性欲に濡れていた。

「貴方の考えは理解しました。それでは、人員の輸送をお願いします。」

 ユリカは一方的に会話を打ち切ろうとした。しかし、ヤン氏はその意図を理解していながら、あえて会話を引き伸ばそうとした。

「いやいや、今後のこともありますからな。特に、貴方のような女性とは、個人的に理解しあいたいのですよ。」

 ユリカは、今度こそ彼の瞳の中の性欲に気がついた。元々、箱入りのお嬢様として生活していた彼女である。直接的な性欲を向けられることには、免疫が無かった。

 彼女は、ヤン氏に視姦されていることを、しっかりと理解した。

「パイフーさん。この回線は公的なものです。私的な会話を持ち込まないでいただきたい。」

 ジュンがユリカに助け舟を出した。というか彼からしてみても、このヤン・パイフーという人物は、生理的な嫌悪感しか抱けないような人物だった。

「これは失敬。それで、貴官は?」

 ヤン氏の、悪意を滲ませた質問に対し、ジュンは持てる皮肉を総動員して対応した。

「ナデシコ艦長ミスマル・ユリカの副官、アオイ・ジュンです。それにしても、貴方も出世しましたね、パイフーさん。あれから“将棋”の腕は上がったのですか?」

 “将棋”とは、連邦大学における、戦略シミュレーションの俗称である。ヤン氏とジュンは、年齢の差こそあるが、同窓だった。無論、ヤン氏が無能だったのではなく、ユリカやジュンが優秀だったわけなのだが。

 ユリカは彼のことを覚えていなかった。それもそうだろう、なにせ、ヤン氏とユリカが直接会ったことなど、それこそ一度も無いのだから。

 ヤン氏は、学生の時分からユリカに対して、愛情を通してではない性欲を持っていた。元々、他人を人として理解できない性分であった彼は、肉体も、教養も、家柄も人並み以上なユリカを、始めは強姦して、自分のものにする算段であった。

 しかし、それは当時から付き人として、常に周囲にいたジュンに阻まれた。ユリカの人格はともかく、コウイチロウ氏に恩義の有ったジュンにとって、彼女を危険から遠ざけることは、常に至上命題であったから。

 それ以来、ヤンはジュンを一方的に攻撃した。時には食中毒に見せかけての毒殺、時には交通事故に見せかけての狙撃、時には喧嘩に見せかけての集団リンチ。それら全てを、ジュンはくぐり抜け、生還した。

 そして、ついにヤンはやりすぎた。事故に見せかけて殺すはずだったところを、誤って他人を殺してしまったのだ。

 良家の出身であったヤンは、事実を隠蔽しようと躍起になったが、たとえ彼の両親といえども完全に隠蔽することは適わなかった。

 事件は表沙汰にはならなかったが、彼は大学を中退。そのまま親の進めに従い、有名企業に就職したはいいが長続きはしなかった。

 つまり、コスモスの艦長に就任するまで、彼は無職であった。無職でも食うに困るわけではなかったが、屈辱感だけは拭いきれなかった。

 ジュンは自分を差し置いて、ミスマル・ユリカの副官として生きている。その事実がより一層、敗北感に拍車をかけた。

 彼はジュンを逆恨みすることでしか、自己を保つことができなかった。彼の悲劇は、同じ学校に、ユリカとジュンが在席していたことである。どちらか一方だけだったら、(唾棄すべき人生だが)本人にとっては幸福な人生を歩めたことだろう。

 ちなみに、戦術シミュレーションの対戦成績は、四戦中四勝零敗とジュンの一人勝ちである。ヤンは補給線を軽視しすぎる傾向がある上、味方の損害を殆ど無視して作戦を進めるため、ジュンの術中に陥りやすいのだ。

「少なくとも、上官に聞くことではないなぁ、アオイ君。上官侮辱罪で軍法会議にかけることにしようか?」

 ヤンの瞳には、明らかな愉悦が滲んだ。ジュンは冷静に、というか余りにも馬鹿らしかったが、とりあえず上官に対する礼儀を守りつつ返答した。

「失礼ながら、ネルガルは民間企業ですから、上官侮辱罪は適応されません。大体、我々に寄与された階級など、所詮は仮のものです。そのようなものを気にするなど、まさしく愚の骨頂ですね。というか考えが少々、発酵されているのではないですか?」

 つい、本音が出てしまった。ヤンは顔を真っ赤にして、一方的に回線を切断した。

 ジュンは一つ溜息をつくと、ユリカの方を見た。彼女は、信じられないものを見たような表情で凍りついていた。

 

 ヤンは図らずとも、約束の人員をこちらに送ってきた。無論、一般クルーに先程のやり取りは知らされていない。一般クルーからしてみれば、臨戦態勢からいきなり、「新入りを歓迎しろ」と言われたのである。混乱しないほうがおかしい。

 まあ、そこらへんは、生来の宴会好き連中(整備班全員+アキヒト、ヤマダ)の活躍により、何とか収まった。彼らからしてみれば、大っぴらに大酒かっ食らう機会を逃すことだけは、死んでもお断りだったらしいが。

 そんなこんなしている間に、一機のシャトルと三機のエステバリスがナデシコに接岸した。タラップが降り、シャトルの扉が開く。エステは、格納庫に降着姿勢で鎮座する。それらの映像がウインドウに投影される。そんな中、宴会室では着々と、これから始まる宴の準備が進んでいた。どこかのコック兼エースパイロットは、何故か身の危険を感じていたが。

 アキヒトとヤマダは、今からハイペースで飲んでいるジュンの相手をしていた。ユキナも心配そうに彼を見ている。

 リョーコは膝の上のダイゴロウを撫でながら、アキヒトに小声で訊いた。

「アマガワ… あのジュンの飲み方は普通じゃねえぞ。一体どうした?」

「俺が知るか。」

 憮然とした表情で、アキヒトは言った。彼の右手のタンブラーには、珍しくもスコッチの水割りが注がれている。

 ジュンの身体が、ぐらりと傾いだ。とっさにユキナが支えたが、彼女の細腕ではそれは適わなかった。彼女までもが倒れてしまう。

「ユキナ……!」

 とっさにリョーコが立ち上がろうとするが、アキヒトが抑えた。ダイゴロウは落ちてしまったが。

ユキナは自分で起き上がると、寝息を立て始めたジュンに膝を貸した。ジュンの表情は、 ユキナの膝を感じた途端、柔らかくなった。

 ワリを食ったダイゴロウは、ユキナの元に走り寄ると、ジュンの腹の上で丸くなった。ユキナの表情にも、出来の悪い兄を見るような笑みが浮かんでいた。

「ん?」

 アキヒトの声と共に、ガラスの割れる音が響いた。ユキナとジュンの光景に見入っていたリョーコは、驚いてアキヒトの方を向いた。

 アキヒトは呆然とした表情を浮かべていた。しかし、問題はそこではない。

 彼は、タンブラーを握りつぶしていた。本人も意識しての行動ではないらしい。手のひらにはガラス片が突き刺さり、真っ赤な血がどくどくと流れていた。

「ばっ……… アマガワぁ! 何やってるんだよ!!」

 リョーコは言い知れぬ感情に突き動かされて、アキヒトの手を取った。刺さっているガラス片を引き抜くと、近くにあったテキーラを傷口にかけた。

「くっ………!」

 アキヒトの表情が、苦痛に歪んだ。珍しいことだが、リョーコは気がつかなかった。

 リョーコはポケットからハンカチを取り出した。実用一点張りのハンカチではあったが、意外と清潔なところから見て、持ち主の意外な几帳面さを見抜くことが出来た。

 躊躇いもせずに、アキヒトの手袋に手をかけた。アキヒトの瞳に少し拒否の色が灯ったが、言っても無駄だと判断して、止めた。

 手袋を外し、ハンカチを巻きつけ止血した。手の甲にあるタトゥーには気がつかなかったらしい。無論、薄いハンカチの布ではすぐに血が滲んでしまう。

「もういい…… 悪いな、リョーコ。」

 アキヒトが、心ここに在らずといった風情で言った。リョーコはあえて無視し、彼の瞳を覗き込んだ。

 そこにあったのは、力強い漆黒の光。まともに見ていられずに、眼を逸らした。幸いだったのは、アキヒトが放心状態にあったことであった。

 頬を紅潮させ、眼を逸らすリョーコの姿は、傍目には恋する乙女以外の何者にも見えなかったから。

 主賓の連中が入場してきた。まず、彼らの自己紹介から入るらしい。司会を買って出たプロスが、一人の女性を指し示した。

 ブリッジ勤務を示す、オレンジの制服。金髪が印象的な、柔らかい感じの美女だ。

「サラ・ファー・ハーテッドです。オペレーターとして着任しました。以後、よろしくお願いします。」

 整備員連中から、歓声が上がった。美人は、いるだけで雰囲気が和らぐものである。よって、大歓迎だ。

 続いて紹介されたのは、パイロットの赤い制服を着た、プラチナブロンドの髪が輝く、勝気そうな女性であった。アキヒトとリョーコを眺めていたヤマダは、その女性と先程紹介されたサラを見て、顔の造詣が似通っていることに気がついた。

「アリサ・ファー・ハーテッド。パイロットとして着任します。以上。」

 無愛想な女性であった。だが、それだけにヤマダは興味を持った。そして、そんな風に女性に興味を示した自分に対し、苦笑する。

(どうやら、俺の“男”も枯れてなかったらしいな。)

 ヤマダは席を立ち、彼女のほうに近づいた。アキヒトの方は大丈夫だろう。何だかんだ言って、あの二人は仲が良いのだ。

 そんなヤマダの思惑を知ってか知らずか、壇上ではまた、女性が紹介されていた。

「レイナ・キンジョウ・ウォンです。整備副班長として着任することになりました。皆さん、よろしくお願いします。」

 整備員たちが絶叫する。掛け値なしの美女の上司がついてきたのだ。喜ぶなというほうが無理だ。

 黒髪の、レイナと目鼻立ちの似通った女性が壇上に上がった。ただし、彼女はどちらかというとキャリアウーマンじみていて、近寄りがたい雰囲気を漂わせている。

「エリナ・キンジョウ・ウォン。副操舵士よ。妹ともども、よろしく。」

 次に壇上に上がったのは、にやけた男性であった。ただの男性だったら、先程までの美女攻勢により、霞んで見えるだろう。

 その人物は、確かに美丈夫であった。しかし、それだけではない。

 よくは解らないが、彼には“翳り”があった。アキヒトやヤマダ、ジュンにも共通する“翳り”。

 何が起因かはわからないが、彼はまた、三人の“同類”であることは間違いなかった。

「アカツキ・ナガレ、パイロットだ。以後、宜しくお願いするよ、みんな。」

 そう言って、彼はバドワイザーの瓶の口を開けた。

 一気飲み。それで親しみが湧いたらしい。整備員たちは、壇上に上がってこぞって酒を勧めた。アカツキも壇から降りて、宴席についた。

 次の人物は、予想を反して小柄だった。というか、二人で壇上に上がっていた。片方は、桃色の髪の、どこか源氏物語の若紫を連想させる美少女である。

 対する一人に、ルリとアキトは面識が無かった。

「アキトさん。ラピスちゃんは分かるんですけど、隣の人は、誰ですか?」

 ルリは、アキトに問うた。むろんアキトも知っているわけがない。

 その人物は、黒髪であった。まとまりのないクセ毛であるのだが、不潔な感じはしなかった。

 目鼻立ちは、どちらかというと鋭角に近く、間違いなく美少年と言える。年の頃は十一、二ほどであろう、ルリとは同年代であるように見える。

 そして、何より目立ったのは、彼の着ている制服だ。赤い制服。つまり、彼はパイロットであるということだ。

 アキヒトは、彼の方向を見ていた。隣のリョーコにも分かるほど、瞳には複雑な感情が混じりあっていた。

 その彼が、口を開いた。

「マキビ・ハリ、パイロット見習いです。妹ともども、宜しくお願いします。」

 彼の隣の、桃色の髪の少女も口を開く。

「ラピス・ラズリです。………よろしく。」

 野郎連中は、「萌え〜」とか「ロリとショタ、同時参戦かよ!」とか叫んでいるが、とにかく無視。

 ハーリーは、アキトとルリのほうに向かい、歩いていった。ラピスも後ろからついて行く。

 何故か硬直している二人に対して、ハーリーの第一声はいささか無個性なものであった。

「アキトさん、ラピスを返します。」

 アキトは硬直を解いて、とにかく返答をした。

「あ、ああ、確かに返してもらったよ。ハーリー君。」

 ハーリーはルリのほうを見た。ルリは未だに固まっている。

 アキトは彼の瞳に、複雑な感情の奔流を感じた。言いたくても言えないような、そんな感情。

「お久しぶりです、ルリさん。」

 またもや、無個性な言葉。ルリも硬直を解くと、どもりながらも返答した。

「え、ええ、久しぶりね、ハーリー君。で、でも、何でそんな…」

 ハーリーは努めて表情を消し、答えた。

「僕は、この身体が生まれた時まで逆行したんですよ。イネスさんから聞きましたが、この世界がパラレルワールドなら、こういうこともありえるんじゃないんですか? 僕とルリさんの年齢が同じ世界だということですよ。ここは。」

 ハーリーの言葉に、ようやく腑に落ちた二人は、笑顔を浮かべて言った。

「じゃあ… 取り敢えず、今後とも宜しく。ハーリー君。」

「ハーリー君。あなたを歓迎します。」

 二人の笑みに、裏が無いことは分かっていた。しかし、ハーリーは何故か、完全に二人を信用することの出来ない自分を見つけていた。

 思って、心の中で苦笑する。どうやら、心の底まで他人を信用できない体質になってしまったらしい。

 ふと、右手に違和感を持った。背後を振り向くと、銀髪の男性と眼があった。彼の双眸は意思に満ち、ハーリーは圧倒された。

 

 マキビ・ハリと、アマガワ・アキヒト。後の歴史に多大な影響を与えるこの二人の人物は、ようやく邂逅をはたした。

“漆黒の戦神”と“電子の妖精”、“鋼鉄の断頭台”と“殺人機械”。

役者は揃った。後はこの、後々まで語り継がれる壮大な歌劇の幕が上がるのを待つだけ。それが悲劇に終わるのか、喜劇に終わるのかは、たとえ神ですら知る由も無く―――

(第八話、終了 第九話に続く)

 

 

 

 

代理人の感想

・・・いや、人員移動ってそんな無茶な。

高いレベルの人事権を持っている可能性のあるプロスさんならともかく、たかが一部署の責任者が自分の部下を(自分の管轄でない)他の部署に勝手に移動できるもんじゃないでしょうに。

これが戦時の軍隊で、かつそれなりの事情があるならそう言うことも無いとは言えないのでしょう・・・が。