機動戦艦ナデシコ

時の流れに

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CROSSROAD BLUES

第九話

GIMMIE SHELTER

 

 宇宙は生物に対して、無慈悲だ。惑星という箱庭の外は、有象無象の区別無く、圧倒的なまでの死を与える空間が広がっている。

 ハーリーは今、自機のコックピットで震えていた。眼前には「バッタ」の群れ。無慈悲な殺戮兵器。エステの右手は、既に失っていた。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」

 自分の呼吸音が煩わしい。操縦桿を握る両手を、覆う手袋の中身はすでに汗まみれだ。瞳に涙が浮かぶ。レーダーも、ウインドウも、何も見えない。

 意識の向こう側で、誰かが何かをわめいている気がする。耳に入らない。

 怖い。とてつもなく怖い。

 死が、途轍もなく間近にある感覚。いやだ。怖い。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない―――

「………いやだ。……いやだ、いやだ。…いやだ、いやだ、いやだ。いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ、うああああぁぁあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ!!」

 理性は、ここに留まれと言っていた。しかし、生存本能は逃げることを選択する。一度、火の付いた思考は留まることを知らない。

 IFSは、思考をそのままトレースするシステムだ。これの最大の特徴は、操縦に特別な技術を一切、必要としない点にある。

 そして、このシステムを搭載した兵器の最大の弱点。新兵が恐怖に負け、逃げることを選択した場合、それを止める手段が一切存在ということだ。

 ふと、背後に何かが接近してきた感覚があった。

「ひいぃ!」

 顔が引きつる。

「う、ウあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 左手に持った、ラピット・ライフルを盲射する。背後の気配は「バッタ」だったが、一発も命中しなかった。

 ボルトがロックする金属音が、エステの腕を通してアサルトピットに到達する。

 絶望が、音の姿を借りて襲ってくる。

「う、うあ、た、助けて、ほ、ホシノさ―――」

 失禁、思考は圧倒的に逃亡を支持。

 エステのスラスターが、全開になる。ウインドウの向こう側、誰かが何かをわめいている。聞こえない。

「あああああああああああああああああああああ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁああぁあぁあぁぁぁぁぁっああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 考えていないのに、口からは絶叫が飛び出る。

 ハーリーのエステは、虚無の空間へとその身を躍らせた。エネルギー供給フィールドを大きく離れ、帰還不可能領域に到達しようとする。無論、ハーリーは自分の行動を理解していない。怖い、恐ろしい、死にたくない、それらの思考で頭は一杯だった。

 ただ、一刻も早く、この間近に迫る「死」の顎から逃れること。それが彼の最優先課題であった。

 理性など存在しない。ただ、生存本能が彼の脳髄を支配する。

 突然、機体が静止した。いや、静止という言い方はおかしい。何かに衝突したかのような、唐突な停止だ。

 事実、コックピットには大音量で、金属同士が衝突する音が響いている。

 視界がようやく晴れる。眼前には、漆黒に塗られた装甲版。

『危ないじゃないか、ハーリー君。もうすぐ帰還不可能領域だよ?』

 なぜ、彼がいきなり出現したのかは分からなかった。しかし、そんなことよりも、この場では、その包容力のある声の持ち主の方が重要であった。

 ハーリーの思考に、冷静さが戻る。

「あ、ああ、あああ………」

 自分の行動に対し、重苦しい後悔が襲ってくる。それよりも、彼に心配をかけたことの方が、ハーリーからしてみれば心苦しいのである。

「あ、アキトさん…」

 恐怖心は薄れていった。彼が間近に居るだけで、まるで父親が傍に居るような安心感がある。

 それから先の展開は記憶していない。とにかく、彼自身はコックピットで気絶し、残った殆どの「バッタ」はアキトが殲滅したということを、人伝いに聞いた。

 少なくとも、その事実は彼のなけなしの劣等感を逆なでするだけだったと、ここに付記しておく。

 

「で、帰還早々から、三日間のお篭りか… 全く、アホらしい…」

 アキヒトはその、天の岩戸の如くに硬く閉ざされた、ハーリーの部屋の前で愚痴った。隣には何故か、普段は決して仲のいいとは言えない人物―――アキトと、ルリがいた。

「そういうワケです。私たちが言っても逆効果ですので、一番、第三者的なアマガワさんにお願いします。」

 アキヒトは言葉の代わりに、凄く嫌そうな表情で返答した。ルリの前なのに腰が引けていないのは、単にアキトに弱みを見せたくないだけの虚勢である。でも、足が震えているので、あまり虚勢を張っている意味は無い。

 アキトはそんなアキヒトに対して言った。

「別に、無償奉仕をしてくれと言っているわけじゃない。俺も、君に借りを作るのは願い下げだ。一つだけ、君の願いをかなえてやろう。それでどうだ?」

 アキヒトは、今度こそ胡散臭そうな表情で答える。

「その条件は魅力的だが、本当にお前に、俺の希望をかなえることができるのか? 俺からしてみりゃ、そっちの方が火急命題なんだが?」

 アキトはニヤリと笑った。他の人間が行うと胡散臭く見える表情だが、彼がそれをすると、妙に説得力があった。

 アキヒトは、大きな溜息をついた。

 そんな姿を見て、アキトは彼に問うた。

「ところで、何で俺の頼みなんてきいたんだ? 俺の事は嫌いなはずだろう?」

 アキヒトは、今度こそ見下げ果てたような瞳で、アキトを見た。

「ああ、お前は嫌いさ。でもな、これは依頼だろ? なら、私情は挟めねぇ。無償でやれと言われていたら、断っていたさ。」

 

 その後、アキヒトは二人を帰して、扉の前に陣取った。

 頼まれたと言っても、引き篭もりの人間を部屋の外に連れ出した経験なんぞ、あるわけが無く、表情は不快そうだったが、その実、内心は困惑していた。

「てか、こういうのって、女性に頼まないか? 普通。」

 いささか男女差別的な発言の後、コミュニケを起動した。助っ人を呼ぶために。

 

「で、何で俺を呼ぶわけだ?」

 リョーコはアキヒトに毒ついた。無論、リョーコも理由は分かっている。

「決まっているだろう。リョーコ以外の女性と、俺が話せると思っているのか?」

 アキヒトの女性恐怖症は、筋金入りである。エステの整備中に、自分の機体と色が被っているとアリサに言い寄られた時も、相手が男だったら言い返していたのだろうが、妙に萎縮していてらしくなかった。

 なんとなく、嫌だった。そんなアキヒトを見るのは。

 彼には、こういう無意味に自信満々な表情の方が似合っている。何の根拠も無く、そう思う。

 考えていたら、頬が赤みを帯びてきた。思わずアキヒトから眼を逸らす。

 アキヒトは黙っていた。錆び付いた脳をフル回転させ、ハーリーを部屋から出す方法を模索している。ゆえに、リョーコの表情には気付かない。恐らく、気付いていたとしても、冗談でその場を濁していただろうが。

 ふと、アキヒトは顔を下げる。リョーコの顔を両手で挟み、正面を向かせた。

「……リョーコ、ちゃんと考えてるか?」

 少し、真面目な表情。直視して、真っ赤になるリョーコ。

「かかかか、考えているさ!! ちゃんと!!」

 アキヒトの両手を振り払い、真っ赤な顔でアキヒトを睨む。アキヒトは、少し呆れたような表情で言う。

「んな真っ赤な顔しやがって、テンカワの野郎の事でも考えていやがったのか?」

 何故か、とても悲しくなった。顔の火照りが急速に冷めてゆく。

「……テンカワは、関係ない。」

 ボソッと、小声で言った。幸いにも、アキヒトには聞こえていなかったようだ。リョーコは少しだけ、顔を伏せた。こんな悲しそうな表情を、アキヒトに見せたくなかった。

 リョーコはまだ、自分の感情を理解していなかった。

 アキヒトは取り敢えず、ハーリーに呼びかけてみることにしたらしい。もっともらしいノックをし、話しかける。

「ノックして、もしもお〜し!!」

 リョーコは思った。そのノックじゃ、絶対に中の人間は出てこない、と。

「む、居留守を使うとは… 上級者だな。」

 何がだ?

「よかろう、貴様をカテゴリーA以上の引き篭もりとして認識する…」

 リョーコにも、流石にアキヒトの漂わせる、いつも以上に「ヤバめ」な雰囲気が察せられ、半ば呆れながら話しかけた。

「あ、アキヒト… 何する気だ?」

 アキヒトは腰のホルスターから愛用の、H&K USPを引き抜いた。リョーコは想像が当たったことに対し、軽い満足感を覚えながらも、とにかく何故か携帯していた特殊警棒で、アキヒトの頭を殴った。

 シャレにならない激痛が、アキヒトの頭蓋に到達する。

「今のは、痛かった……… 痛かったぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「やかましい。」

 もう一度、アキヒトの頭を殴った。今度こそ悶絶して、地面にうつ伏せで寝転ぶアキヒト。

 リョーコはしゃがみこむと、アキヒトに向かって問うた。

「で、んな物騒なモン引っ張り出して、何する気だった?」

 アキヒトは這いつくばりながらも、無理矢理不敵な笑みを浮かべて言った。

「き、決まってる。出て来ねぇんなら、ハジキで鍵、ブチ抜いて引きずり出してやろうと…」

 リョーコは心底、馬鹿にした表情で言った。

「アホか。」

 アキヒトは酷く憤慨した。

「アホだと! 俺のこのハイエンドな頭脳の、どこがアホに繋がるというのだ!!」

「全部。」

 即答された。アキヒトの精神へのダメージ大。

 この時点で、完全にリョーコの頭からハーリーの事は抜け落ちていた。無理も無いだろう。無意識だろうがリョーコの表情は、他の誰と話をしている時よりも、生き生きとしていたのだから。

 

 ヤマダは現在、格納庫にいた。機体の整備点検をしていたのだ。ここに来る途中で、アリサを誘ったのだが、あえなく袖にされてしまった。

 苦笑しながら、コックピット周りの調整を行う。火器用の仮照準位置の調整、ロックオン・プログラムの最適化、シートの位置修正など、パイロットでなければ不可能な調整である。

「よし、いい感じだな。しかし、俺に似て、かなりきわどい調整だよなぁ。」

 ヤマダ機の基本的な攻撃行動は、左手のラピット・ライフルで敵を掻き乱し、隙を見せた相手に対し、一気に接近してフィールド・パンチを打ち込む。このパターンである。

 これにフェイントや、アキヒトとの連携を織り交ぜて行動するのだが、このフェイント動作のために、脚部関節への付加が非常に大きいのである。

 これは実は、ウリバタケの設計ミスである。ボクシング用の動作を行う場合、上半身の関節への付加が非常に大きいことは考慮に入れていた。よって、脚部関節の事は、予算の関係もあるが、軽視していたのだ。

 ボクシングにおいて最も活用される部分は、その人のスタイルにもよるが、下半身である。ストレート、フック、アッパー、その他、全てのパンチは下半身を機軸に発生する。軽快なフットワークはボクシングの基本だし、何より、土台が安定していなければ、どんなに鍛え上げたとしても鋭いパンチを放つことは出来ない。

 これによりヤマダ機は、あまり足腰に負担をかけることが出来なくなった。尤も、ヤマダのファイトスタイルからしても、意図的に足腰をカヴァーすることなど不可能である。

 よって、エステの方に制限装置を取り付けたのだ。これにより、ヤマダ機の性能は著しく低下することになったが、それでも他機(アキト機除く)よりも高い破壊力を誇っている。設定が、ギリギリのきわどいラインで固定されているからだが、それを仕上げるウリバタケの腕は、相当なものである。

 ふと、隣に人の気配を感じた。

「やあ、精が出るね。」

 振り向かずとも分かった。ヤマダは両手を動かしながら、彼の方を向かずに答えた。

「そりゃあ、生死にかかわることだからなぁ、アカツキ。」

 制服の上にフライトジャケットを着込んだアカツキは、コックピットの縁に両手を置いて、身を乗り出して言った。

「振られちゃったねぇ… キミ。」

 ヤマダは手を止め、アカツキの方を向いた。その瞳には、何所までも純粋な笑みが浮かんでいる。

 ヤマダはアカツキの発言に、怒りもせずに言った。

「なに、簡単になびかれちゃ、拍子抜けだろ。忍耐と根性は男の美徳さ。」

 アカツキは違いない、と言って笑った。ひとしきり笑った後、アカツキはアキト機を指差した。装甲板は外され、中の配線が剥き出しになっている。C整備(分解整備)中らしく、右手は存在していなかった。

「キミに訊いても仕方ないことだけどさ、あの機体、妙に金がかかってない?」

 ヤマダは頷いた。

「スラスター部の大型化、関節の全体的な強化、高出力のジェネレーター、0Gフレームにもかかわらず、全天候型装備。乗ってみたことが無いから分からないが、戦績や映像から見ると、反応速度もこの機体やアマガワの機体よりも遥かに速い。…人間の乗る機体じゃないことは確かだな。」

 アカツキは、深く頷いた。アキヒトの機体やヤマダの機体、それに自分の機体は、元々エステが持っている反応速度を、ギリギリまで引き出している。そんな機体に乗りなれた人間だから分かることだが、アキトの機体の動きは、それらが冗談に見えるほどの速度と精密動作性を示している。それらは、反応速度に裏打ちされた代物である。

 どんなにポテンシャルの高い機体であっても、反応速度―――入力した動作が、機体に反映されるまでのスピード―――が遅ければ、宝の持ち腐れである。たとえば、最高速度。どんなに速くても、ブレーキを踏む動作と、実際に減速するタイミングがずれていたら、事故を起こす確率が急上昇する。しかし、それは速すぎれば、反射神経の無い者には逆に動かしにくくなる。

 つまり、アキトの機体は、映像を見る限りでは、人間の反射神経を遥かに超えた動きを見せていた。加えて、今日見せた瞬間移動のような超加速だ。どれほどのチューンナップが施されているのか、見当も付かない。

「かの“白銀の戦乙女”や“赤獅子”の機体ですら、あれほどの改造は施されていなかった… 全く、彼は本当に人間なのかねぇ…」

 ヤマダは、彼の発言に留意すべき点を見つけた。

「ちょっと待て、“白銀の戦乙女”に“赤獅子”だって? 連合軍のエースと、民間最強のエステライダーに会ったことがあるのか、アカツキ?」

 アカツキは、きょとんとした表情で答えた。

「会ったことがあるかなんて、毎日会っているじゃないか。“白銀の戦乙女”アリサ・ファー・ハーテッドと、“赤獅子”スバル・リョーコには。」

 ヤマダは腕を組んで、難しい表情をした。

「あの二人… そんなビック・ネームだったのか… 知らなかった。まあ、俺はそれ以上の有名人と会えたから、別にどうでもいいんだけどな。なあ、“空飛ぶキツネ(フライング・フォックス)”。」

 アカツキも、ニヤニヤしながら言った。

「僕も、それ以上の有名人と会えた。正直、凄く嬉しいよ。“ダイゴウジ・ガイ”。」

 ヤマダも笑いながら返す。

「何所で気付いた?」

 アカツキは、さも当然のように言った。

「アマガワ君とのスパーリングを見ていてね。ピンときたんだよ。それより、何で僕の二つ名なんて知っているんだい?」

 ヤマダは、足を組んでから言った。

「そのフライトジャケット、部隊章が付いてるぜ。それに、俺もキューバに居たんでな。アンタの“飛び方”のクセは、脳髄に刻まれている。」

 アカツキは、少し驚いたようだ。

「何所の部隊だい?」

 ヤマダは皮肉そうに顔をゆがめて言った。

「アンタの敵の傭兵さ。皮肉だな、何度かアンタに携帯用地対空ミサイル、ぶっ放したんだがな… ま、一発も当たらなかったが。」

 アカツキは少し、記憶を探索した後、答えた。

「ああ、あのキワドイ地対空ミサイルか… 覚えているよ、爆撃予定地点で攻撃を受けたんだ。避けるのに精一杯で、肝心の爆撃を忘れてたな、あの時は。一回、ミサイルと機体の翼が接触したよ。あれは死ぬかと思った。」

 ヤマダは、少し表情を歪ませてから言った。

「悪かったな、俺も生き残るのに精一杯でな。詫びと言ってはナンだが―――」

「上手いマティーニ一杯、それで十分さ。」

 間髪入れずに、アカツキが言った。ヤマダは、虚を突かれたような表情をしたが、直ぐに笑顔を浮かべた。

「ああ、特上のヤツを奢ってやるよ。いい店を知っているんだ。」

 アカツキも特上の笑顔を浮かべて、言った。

「楽しみにしているよ、ヤマダ君。」

 

 レイナは、珍しくも落ち着きが無かった。

 理由は、現在の居場所にある。ここはウリバタケの自室である。レイナは上司を信用していたが、それでもやはり男の部屋である。緊張しない方がおかしい。

 座っている彼女の目の前で、ウリバタケはお茶を淹れ、彼女に差し出す。そこでウリバタケは、単刀直入に切り出した。

「レイナよ、お前ぇ、テンカワの機体の専属になってくんねぇか?」

 レイナは、口に含んだお茶を、半ばほど吹き出しそうなほどに驚いた。少し気道に入ってむせたが、とにかく平静を装い、言った。

「何故ですか?」

 ウリバタケは、明らかに難しそうな表情で言った。

「あいつの機体はな、特別製なんだよ。世界最高級の部品と、世界最大級の出力のジェネレーター、その他にも、明らかに規定外の代物が大量に組み合わさって出来た、恐らく世界最強のエステバリスだ。

 でもな、あのテンカワの野郎は、それでも物足りないらしい。先回の出撃時の故障箇所だが、それらは全て、関節部やスラスターに集中している。つまり、アイツの操縦には、世界最高の機体ですらついていくことは出来ねぇってこった。無論、敵からの被弾は一切無し。……言いたかないが、化けモンだよ、アイツは。」

 レイナは、ウリバタケを睨んだ。ウリバタケは、彼女の眼光に少しひるむ。

 とにかく、話を続けるためにも、彼はお茶を口に含んだ。

「ま、まあ、とにかくだ。あの機体を整備するのは、まともな技術者じゃ不可能なんだ。整備班連中の中でも、及第点の整備ができるのは、俺とお前を含めて五人くらいか。

 勿論、俺には他の機体の整備の仕事もある。正直言って、毎回毎回、ぶっ壊してくるアイツの機体に、いちいち付き合っていられん。だが、俺以外の連中じゃ、まともに整備することは不可能。つまり、俺はこれまで、満足がいくまで、他の機体を整備したことは無かったのさ。

 だが、そこにお前が来た。お前さんの腕は、派手にぶっ壊れたハーリーの機体の改修の時に見せてもらったし、テンカワに好意を持っている様子だったんで、アンタに任せることにした。どうだ、悪い話じゃないだろう?」

 レイナは、少し考え込む素振りをしてから、顔を上げた。

「それでは、引き受けさせて頂きます。」

 彼女がそう答えた矢先、部屋中に耳障りな警報が鳴り響いた。敵襲である。

 

 警報が鳴り始めたとき、アキヒトとリョーコは、未だにハーリーの部屋の前に居た。警報を聞くと、リョーコは格納庫に向かって走り出そうとしたが、アキヒトが動こうとしないのを不審に思い、立ち止まった。

「アマガワ、どうした? 早く行こうぜ!」

 アキヒトは、ハーリーの部屋の扉を見ながら、リョーコに答えた。

「先に行け。俺は少し待ってみる。」

 リョーコは何か言いたそうな表情をしたが、直ぐに真剣な表情になる。そして、格納庫に向かって駆け出そうとして、アキヒトに背中を向けた。

「早めに、来いよ。」

 アキヒトは、彼女の頭に右手を乗せ、叩いた。それが答えの代わりだった。

 走り出したリョーコを片目で見ながら、アキヒトはコミュニケでジュンを呼び出した。

『? アキヒト、格納庫じゃないのか? テンカワが出撃不可能で、ただでさえ戦力が足りないんだ。今日だけはボイコットは勘弁してくれ。』

 ジュンはかなり切羽詰った表情で言った。どうやら、敵機の数が尋常ではないらしい。

 アキヒトは真面目な表情で返した。

「戦力不足なら丁度いい。ガキ一人を連れて行く。猫の手を借りるよかマシだろ?」

 ジュンは、同様に真面目な表情で返した。

『あの新人クンか? 無駄だよ。僕も、彼には元より期待していない。正直、戦争を甘く見すぎている。出撃させたところで、無駄に死ぬだけだ。それなら、芋の皮むきでもしてもらうほうが、適材適所ってものだろう?』

 アキヒトは、無闇に自信満々な表情で言う。

「莫迦野郎、アレには才能があるぜ。少なくとも、俺よりマシな人材には違いない。なにせ、初めての戦場で、逃げはしたが狂わなかったんだからな。」

 ジュンは、アキヒトを値踏みするような目で見た。

『……責任は、取ってもらうよ。』

 アキヒトは笑って返す。

「勿論だ。」

 

 ハーリーは電気もつけずに、ベッドの上で膝を抱えて座っていた。三日間、寝る時とトイレ以外は、ずっとこの体勢だ。

 外の人間は、信用できない。ラピスですら、自分の事を“臆病者”と侮蔑しているように感じる。

「おい、マキビ、ドアの前から離れろ。」

 突然、そんな声が聞こえた。続いて、部屋中に響きわたるほどの轟音が届く。ハーリーにとっては聞きなれた音、銃声だ。

 無理矢理にドアを開く音が聞こえ、暗がりに慣れたハーリーの目には眩しいほどの、光が差し込んできた。

 ハーリーは、唖然とした表情で、入ってきた招かれざる客を見た。

逆光においても鮮やかな銀髪。普段、艦内で何度か見かけたときとは違い、引き締まった表情。

 マキビ・ハリはこの時、アマガワ・アキヒトに見惚れていた。

「おい、警報は聞こえただろ? 何で格納庫に向かわねぇんだ?」

 自己紹介よりも先に、アキヒトはこう言った。ハーリーは名も知らぬ人物の、突然の言葉に面食らった。

「ぼ、僕が出撃しなくても、代わりは幾らでもいるじゃないですか! 何で僕が出撃しなくちゃならないんです!!」

 ハーリーは、思いついたことを叫んだ。対してアキヒトは、あくまでも無表情を崩さずに答える。

「別に。理由なんてねぇよ。ただ、弾除けが増えた方が俺の生存確率が増えるんで、そうしたかっただけだ。」

 ハーリーは、今度こそ面食らった。しかし、ここで言い負かされたら、出撃させられてしまう。それだけは勘弁だった。

「怖いんですよ! “殺すこと”には慣れているけど、“殺されそう”になったのは初めてなんです!! あんな怖いのはコリゴリなんですよ!! 貴方は、怖くないんですか!」

 アキヒトは、薄く笑った。普段の笑顔と比べて、かなり酷薄な笑み。ハーリーは、彼の瞳に、圧倒的な恐怖を感じた。

「さあな。ガキの頃から、殺すだの、殺されるだのやってるからな。どっか、頭のネジがイカレたんじゃねぇの? 怖いだの、怖くないだの感じる前に、それが日常だしな。」

 圧倒された。ハーリーは、身体中から冷や汗が吹きだすのを感じた。

 アキヒトは続ける。

「正気を疑うような目だな。……ああ、確かに俺は正気じゃねぇよ。正気で戦争なんか、やれるワケ、ねぇだろ。それに、正気じゃねぇのはお前も一緒だろう? ネルガルの契約書にサインした時、お前は何を考えていたんだ? まさか、“ボクがやらなきゃ、誰が戦争を終わらせるんだ。”みたいなコト、考えてたんじゃねぇだろうな?」

 最後は、冗談のつもりで言ったらしいが、それはまさしく核心を突いていた。アキヒトは呆れた表情で続ける。

「おいおい、ガキすぎるにも程があるぜ。馬鹿じゃねぇの?」

 ハーリーは、脅えた瞳に、精一杯の眼光を宿して言った。

「な、何が悪いんですか! 誰かがやらなきゃ、終わらないのは道理でしょう!!」

 アキヒトは、唇に嘲笑を乗せて言った。

「お前、自分の現状を理解しているのか? 口では勇ましいことを言いながら、その実は部屋の隅っこでガタガタ震えてる…… この現状を理解した上で、さっきの台詞を吐いたのなら、お前はどうしようもない馬鹿でマヌケだ。」

 ハーリーは、震える唇をどうにかして動かす。

「僕は、死にたくないんですよ… 怖いのは嫌なんですよ!!」

 アキヒトは、無言でH&K USPを引き抜いた。それを、ハーリーの額にポイントする。

 ハーリーは、恐怖で喉がカラカラになった。身体中の汗腺がひらき、汗が吹き出る。

 アキヒトは感情を感じさせない声色で言う。

「この船は戦艦だ。いつかは沈む。その時まで、この部屋でガタガタ震えているか? そんな無駄死にでいいのか? それなら、俺が今、ここで殺してやる。少なくとも、それなら、俺のイライラが解消できるから、無駄死ににはならねぇなぁ…」

 ハーリーのズボンに、黒っぽい染みが浮いた。部屋中にアンモニアの臭気が満ちる。

 アキヒトはそれらの異臭をものともせずに続ける。

「まあ、それは逃げだわな。自分で道を選択したんだろう? こうなることは覚悟してたんだろう? 逃げることは別に恥じゃないが、自分の選択を曲げるヤツは、男じゃねぇなぁ。本気でチンコ、付いてるんか?」

 ハーリーは、何も言い返せない。全ては自分で選択したことだ。目の前の人物は、論理は一方的だが、間違ったことは、ほとんど言っていない。

 俯いたハーリーを見て、アキヒトは薄ら笑いを浮かべた。

「おいおい、泣き落としか? 言ったろ? ガキにも程があるってな。」

 勢い良く、ハーリーは顔を上げた。その瞳は恐怖に滲んでいたが、底の方に、確かな意志の原石が見えた。

「先程の台詞、訂正して下さい。」

 アキヒトは、酷薄そうな薄ら笑いを消さずに答える。

「ほお、どうして?」

 ハーリーは、確かな声で宣言する。

「……自分の責任は、自分で取る。それが、今の僕の、“戦う理由”です。……だから。」

 アキヒトは、ハーリーの言葉の語尾に、違和感を抱く。視線こそは確かだが、足はガクガク震えている目の前の少年に、今は見えぬ何かを感じた。

 ハーリーは一拍、置いてから、言った。

「……僕に、生き延びる方法を教えてください。」

 アキヒトは銃を下げて、本来の笑顔を浮かべた。

「…アマガワ・アキヒトだ。宜しくな。」

 

 ハーリーは格納庫で自分の機体を見、愕然とした。

 灰色で塗装された、飾り気の無い機体の左肩には、腕全体を覆うほど大型の盾が取り付けられていた。

 無論、それに飾り気などある訳も無い。分厚い鉄板を重ねたような印象を受ける。

「こ… これは…」

 思わず漏らしたハーリーの言葉に、ウリバタケはいち早く反応する。

「ただの盾じゃねぇ。パイルバンカーやラピット・ライフルを搭載した総合攻撃システムさ。盾としては、局部的に超高圧のDFを発生させることの出来る、世界最強の代物だ。…試作品だけど。前面に対してだけなら、テンカワの操るDFSや、反物質砲みたいな常識の範疇を超えた武器で無い限り、鉄壁の防御を誇る。尤も、それ以外の場所は完全にガラ空きだがな。」

 自慢げなウリバタケに、ハーリーは信じられないような視線を向けた。

「右手まで修理されて… 僕が乗らないかもしれなかったのに、何で……」

 ウリバタケは、さも当然のような表情で言った。

「常に完璧を求めるのが、エンジニアさ。ぶっ壊れた機体が転がっていることが、非常に気に食わなかっただけの話だよ。ついでに、全機に施す予定の改造を加えただけの話さ。…まあ、それはともかく、お前さんの機体のフレームは新型だ。その名も、0Gアサルトフレーム。その名の通り、一点突破を目的としたフレームさ。基本はテンカワの0Gフレーム。まあ、あれの安価版だと思えばいい。」

 そう言って、ウリバタケは基本の説明を始めた。ハーリーはコックピットに収まり、彼の説明に耳を傾ける。

「鈍重そうな外見だが、機動性はアキヒトの機体に匹敵する。スラスターの出力でカヴァーしているからだ。その分、やたらとエネルギーを食う。エネルギー供給フィールド外に出たときは、死ぬ時だと思え。基本武装は、銃剣付きショット・ライフル。連射の出来ない、大口径のラピット・ライフルだと思えばいい。散弾と一粒弾の選択式だ。弾薬は左腕の“盾”の裏に入っている。銃剣はイミディエット・ナイフを改造したものだ。多少、手荒に扱ってもかまわん。一応、ワイヤード・フィストは使用可能になっているが、恐らく使うことは無いと思う。構造上、“盾”を外さなければ撃てないからな。」

 ウリバタケはそこまで言うと、コックピットのハッチに手をかけた。

「最後に一つ、必ず生きて帰って来い。以上だ。…Good luck!」

 そう言って、親指を立てる。ハーリーも親指を立てて返した。表情は強張っていたが。

 ハッチが閉まり、視界が一時暗転する。ヘルメットを被り、慣れた手つきで気密を確認する。

「……そうだ。エステを操縦することには慣れている。何度、シミュレーションを繰り返したと思っているんだ、マキビ・ハリ。……大丈夫だ。怖くない。」

 自分に言い聞かす。計器類に光が灯り、外の景色が正面スクリーンに投影される。

 操縦桿を握る。震えていたが、大丈夫だ。

 ハーリーの眼前に、ウインドウが展開される。向こう側に居たのは、アキヒトだ。

『ハーリー、別にビビることは悪いことじゃねぇ。悪いのは、自分の実力を、過小にしても過大にしても、間違った評価をすることだ。自分に確実な評価を行うこと、これがレッスン1だぜ。』

 ハーリーは、強張った表情で、「はい!」と答えた。

『いい返事だ。…先に出るぜ!』

「アキヒトさん!」

 ハーリーは、アキヒトを呼び止めた。怪訝そうな表情で、アキヒトは問い返す。

『何だ?』

「アキヒトさん、何でそんなに、僕に期待を?」

 アキヒトは苦笑して言う。

『さてな。強いて言うなら、“右手”が呼んだんじゃねぇの?』

 ハーリーは絶句する。

「あ、アキヒトさん… それじゃあ……」

 アキヒトは答えずに言う。

『そういう質問は、後でな。……アマガワ・アキヒト、出るぞ! 滑走路、空けとけ!』

 クロム・シルバーの機体が、無限の宇宙に消えてゆく。ハーリーはそれを追うかのごとくに、カタパルトについた。

『マキビ機、発進位置に固定。……出撃準備完了。発進許可、出ます! Good luck!』

 メグミの耳朶に優しい声が、ヘルメット一杯に響く。それに対し、ハーリーは変声期前の甲高い声で答えた。

「マキビ・ハリ、行きます!!」

 周囲の光景が、一瞬で様変わりする。あ、と思った次の瞬間には、彼は既に宇宙の漂流者であった。

『おい、新入り。遅いぜ。』

 いきなり目の前に、ウインドウが開く。そこに見えたのは、笑顔を浮かべた黒髪の男性であった。

『ヤマダ・ジロウだ。宜しくな、新入り。』

 ハーリーはそれに対し、震える声で答える。

「ま、マキビ・ハリです。宜しく、ヤマダさん。」

 ヤマダは苦笑した。

『強張るなよ。もっとラックリしろ。その調子じゃ、生き残れる状況でも生き残れないぞ。』

 ハーリーは裏返った声で答える。

「は、はい!!」

 もう一つ、ウインドウが開いた。向こう側に居たのは、アキヒト。

『さて、ハーリー。殆どの敵機は、ヤマダとアカツキのコンビが撃墜している。リョーコとアリサ、イズミとヒカルも奮闘して、現在、戦況は掃討戦に移っている。掃討戦の基本は、ハーリー?』

 反射的に、ハーリーは答えた。

「逃がすな。最小の行動で、最大の戦果を上げろ。なるべく大きい敵を撃墜せよ。」

 アキヒトは答える。

『優等生の答案だな。いいか、掃討戦といえども、むしろだからこそ、敵は必死に攻撃してくる。そこでレッスン2、逃げる奴から殺せ。倫理や道徳は無視しろ。戦場では、生き残った奴の“勝ち”なんだからな。』

 ハーリーは生唾を飲んだ。アキヒトは続ける。

『まあ、習うより慣れろ、と言うだろう。とにかくついて来い。』

 アキヒト機は目立つ。離れたハーリーの位置からでも、その機影が肉眼で確認できた。「はい。」と答えて、ハーリーはフットレバーを踏み込んだ。

 移動中に、アキヒトは声をかけてくる。

『移動の基本は、ジグザグ走行。圧倒的な速力が無い限り、これは基本中の基本だ。そうしないと被弾確率が高くなる。レッスン3だよ。』

 ハーリーは返答する。

「どんな軌道を描けば?」

 アキヒトはしれっ、とした表情で言う。

『身体で覚えろ。なるべくパターンにはならないようにな。』

「難しいですよ!」

『泣き言、言ってる暇があったら手を動かせ。敵はすぐ傍だ。』

 ハーリーは片目でレーダーを確認し、悲鳴を上げた。

「うわぁ!!」

 ほぼ2メートルの地点に、「バッタ」がいた。とっさに右手に持ったライフルを撃つ。

 腕を通して、単発の銃声がコックピットに響く。ラピット・ライフルよりも鈍く、重い銃声。

 スクリーンに映し出された「バッタ」は、身体の半分以上を、根こそぎ吹き飛ばされていた。しかし、主要機関を破壊していないため、決定打にはならない。

もう一発、ライフルを撃つ暇は無い。襲い掛かってくる「バッタ」。ハーリーは、意外とあっさりした心境で、その光景を眺めていた。

 視界の端に、銀光が走った。唐突に、「バッタ」が爆発する。

『レッスン4、簡単に死を覚悟するな。何のためにチームを組むと思っている。勝手に死ぬのは、命を賭けてお前を助けるパートナーに対して失礼だろう。』

 ハーリーは、震える声でアキヒトに問うた。

「あ、アキヒトさん……… さっきのは…」

 アキヒトは、唇の端に笑顔をのせて言う。

『ああ、おやっさん、俺の機体も改修したらしい。炸薬仕込んだ、投擲用ナイフだとよ。』

 あっさりとした声色に、さしものハーリーも歪んだ苦笑を浮かべた。

 アキヒトは、思い出したかのように言う。

『さて、ハーリー。レッスン5だ。銃を撃つ時は、残弾と隙をしっかり確認な。一時的に硬直するんだよ、エステは。弾倉交換と、射撃の後にはな。反動のでかい銃ならなおさらだ。敵との距離を正確に認識、反動で移動する距離を計測、残弾数を確認、それから冷静に狙いをつけて、射撃だ。これらを一瞬で行え。』

「む、無茶苦茶言いますね…」

 アキヒトは、人の悪い笑みを浮かべた。

『レッスン6、一秒たりとも、その場所の半径50メートル以内には留まるな… 集中砲火を受けるぞ。』

 顔から血の気が引くのを感じた。とっさに操縦桿を操作して、その場から動く。一瞬後、その空間には、文字通りの集中砲火が突き刺さっていた。

『さて、ハーリー。今までのレッスンを実践して見せろ。そこの「バッタ」でな。』

 ハーリーは、色よく返事をした。それから、神経を全て、前方の「バッタ」に集中させる。

『あー、ハーリー、レッスン7な。周囲もしっかり見ろ。この空間は敵だらけなんだからな。』

「へ? ……うえぇ!!」

 チラ、とレーダーを見ると、赤い光点が近くに五つほど光っていた。機体を左右に動かし、全光点の射軸から外れる。

 前方の「バッタ」は、ハーリー機に狙いを定めたらしい。こちらに、機関銃の銃口を向けてくる。

 ハーリーは左肩を前に出し、“盾”を構えた。心なしか、「バッタ」が嘲笑を浮かべたように見えた。

 断続的な銃火が、宇宙の闇を切り裂く。それら全ての銃弾は、ハーリーの展開した鉄壁の“壁”のより阻まれた。高圧DF、その防御力は完璧だ。

 「バッタ」の無機質な瞳に、焦りの色が見えたようにハーリーは感じた。高圧DFを解除。もう体当たりを恐れる距離ではない。

「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 “盾”の先端部の“槍”を、「バッタ」に突き刺す。浅い、これでは“致命傷”にならない。

 「バッタ」の瞳が、また笑った。機関銃を、無理矢理こちらに向ける。

「悪いね。もう“詰み”なんだ。」

 ハーリーの指が、左の操縦桿の銃爪に食い込んだ。

 重く、鈍い炸裂音。近くで聞くと、まるで艦砲のような銃声。

 その一撃で、「バッタ」の“身体”は爆発、四散した。

 爆炎の中から姿を現したのは、巨大な鉄槍であった。長く、太く、無骨な代物。

 エステの右腕が、左腕の上の、突き出たレバーを引き、その“槍”を激発位置に戻す。炸薬は自動装填式なので、すでに薬室に装填されている。

 パイルバンカー。DFSを除けば、接近戦最強の兵器である。普通は突くことの出来ない装甲を、炸薬による加速で無理矢理貫通させるという、なんとも大雑把な武器だ。

 単純ゆえに、最強。しかし、零距離でしか使用できないというのが、難点といえば難点かもしれない。突撃(アサルト)フレームとは、よく言ったものだ。

『おーおー、ハデな武器だなぁ、オイ。』

 アキヒトが、感心しているのかしていないのか、良く分からないようなことを言った。

「はぁ、はぁ、はぁ…… ぼ、僕にも、や、やれた… はぁ、はぁ、はぁ…」

 ハーリーのその感想に対し、アキヒトは笑って言った。

『レッスン8。戦う方法は、お前の身体が一番良く分かっている。俺と同じでな。』

 ハーリーは、アキヒトの言葉に機体を動かしながら答えた。

「アキヒトさん、やっぱり貴方は……」

 そこまで言った時、突然、レーダーに「チューリップ」を示す光点が現れた。

『ステルス・タイプの「チューリップ」だとぉ! んな非常識な!!』

 アキヒトですら、呆れた表情を浮かべている。光学迷彩とレーダージャマーを搭載した、隠密タイプの新型「チューリップ」らしい。現れたそれは、ナデシコの三倍ほどの大きさをしていた。

ハーリーの頬に冷や汗が流れる。

「や、ヤバイですよ、アキヒトさん… あそこの位置じゃあ、ナデシコは回頭しなければ、主砲が撃てません…… 間違いなくタコ殴りですよ!」

 

 アキヒトは、意外に冷静な心境で、ハーリーの言葉を聞いた。黙って、ヤマダに回線を開く。

「ヤマダ、頼みがある。」

 ヤマダも真面目な表情で答える。

『何だ? 無理なことでなければ、何でもやるぜ。』

 アキヒトは、この男には珍しい、口篭るという行動を見せた。

「その… 何だ… 俺は、アレを何とかできる。しかし、アレをなんとかすると、多分、俺は気絶する。だから、終わった後に、肩を貸してくれ。」

 ヤマダは、笑って言った。

『莫迦野郎! そんなこと心配するんじゃねぇ!! ダチを助けるんだろう、早くしろ!』

 アキヒトは苦笑した。苦笑して、その後、腹の底から笑った。

「じゃあ頼んだぜ! ヤマダぁ!!」

 そう言って、アキヒトは表情を消した。

「実戦で使うのは、何年ぶりだったか。何秒持つかな……」

 アキヒトは、奥歯を噛みしめた。右手に力を込める。

「さて、お前も一緒に化けの皮を剥ごうぜ。」

 左手で、エステの制限装置を解除する。アキヒトの機体の場合、その機動性能事態が制限の対象である。

 アキヒトの機体のスラスターは、アキトの機体のコピー製品である。無論、正規の部品でないため、耐久力に難があるが、出力は同程度だ。

 ここで重要なのは、アキヒトの機体は機動性重視の突撃機であるということだ。イミディエット・ダガーと「ジャックポット」、それに投擲用ナイフ数本+αという軽装備である。装甲も極力、削ってある。対するアキト機は、エステの主要装備を基本的に全て装備している上、装甲は普通の機体よりも厚い。その上に大型のジェネレーターを搭載しているため、機体重量はハーリー機並みである。

 そんなアキヒトの機体に、アキト機と同程度のスラスターを取り付けたらどうなるか。最悪、空中分解する可能性もある。それゆえの制限装置である。

「見せてやるぜ、テンカワ。コイツを操れるのは、お前だけじゃないってコトをな。」

 そう呟いた途端、アキヒトの顔中に、縦横無尽に赫い光線が走った。

 目が充血して、真っ赤に染まる。

 両目から、だらりと血涙が流れた。

「うをぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 フットペダルをベタ踏みする。アキヒトの機体は信じられない速度で、新型の「チューリップ」へと、文字通り飛び出した。

 その速度は、「チューリップ」との距離を、数秒でゼロにするほどのスピードであった。

 エステの右手には、いつの間にか、刀の“柄”が握られていた。

「長い間、コイツを維持するのは不可能… ならば、交錯の瞬間に全てを賭ける!!」

 エステが、右腕を振り上げた。「チューリップ」との相対距離、ただいまよりゼロ。

 

 一瞬、赫い光が、宇宙を両断したように見えた。

 

 推進剤全てを使って、クロム・シルバーのエステは急停止する。

 一時の間。

 その次の瞬間、「チューリップ」がずれた(・・・)。左右に真っ二つに両断される「チューリップ」。

 その光景を背負いながら、アキヒトの機体は身じろぎ一つせずに静止していた。

 ヤマダがアキヒト機に近づいて、牽引してくるまで、アキヒトの機体はぴくりとも動かなかった。

 

 リョーコは、帰還早々にアキヒト機のハンガーに向かった。あまりにも嫌な予感がしたのである。

 ヤマダ機の青い機影と、アカツキ機の紫の機影に挟まれるように、クロム・シルバーの機体が、二機に肩を貸されて戻ってきた。

 慎重に、ハンガーに立てかけられるアキヒト機。そこら中から、血のようにオイルが漏れ出している。

 ヤマダが機体を降り、アキヒト機に駆け寄る。ハッチ横の緊急排除レバーを引き、ハッチを強制排除した。

 リョーコも近づこうとするが、いつの間にか傍に来ていたイズミが、肩を掴んで止めた。イズミの接近にも気付かないほど、リョーコは心配していたのだ。

 ヤマダがコックピット内に飛び降りる。

 数瞬後、ヤマダはアキヒトを、肩で支えて出てきた。アキヒトは、酷くぐったりとしている。どうやら気絶しているようだ。

「アマガワ!」

 思わず、叫びが口をついて出た。ヤマダは気付かずに、衛生班を叫んで呼んでいた。彼も珍しく、非常に切羽詰っている様子であった。

 

 医務室に担ぎ込まれた、昏睡状態のアキヒトは、イネスの精密検査を受けていた。それを横目で見ながら、ヤマダは真面目な表情で、ハーリーを問い詰めていた。

「あの莫迦が気絶する前に、『俺の身体のことは、ハーリーに訊け』と言っていた。他人の秘密を暴くような趣味は無いが、あいつはダチだし、こればかりは話が別だ。一体、どういうことなんだ?」

 ハーリーは、得心のいったような表情で答えた。

「多分、僕がアキヒトさんのクローンだからですよ。」

 驚愕するヤマダ。ハーリーは、俯きながら続ける。

「僕の身体にも言える事ですが、アキヒトさんの身体には、ある特殊なナノマシンが存在しています。SM‐13‐S、通称『スーパーマン』。通常のナノマシンと違い、IFS搭載の機械を操る能力は備わっていません。」

 ヤマダは質問する。

「お前らは、しっかりとエステを操縦していたじゃないか。それは?」

 ハーリーは、至極当然のように答える。

「簡単です。通常のIFS対応のナノマシンも持っているんですよ。つまり、体の中に二種類のナノマシンが存在しているという訳です。まあ、それも市販の物よりは高性能の代物ですが… それはともかく、『スーパーマン』です。これを体内に注入すれば、その異名どおり、『スーパーマン』になれます。腕が切断されても、三分で接合することが可能な、超治癒能力を得、脳に直接働きかけ、動体視力と体感時間の倍増や、筋肉のリミッター解除、いわゆる“火事場のバカ力”を任意に発動させることが可能になります。」

「最高じゃないか。何でそれを、今まで使わなかったんだ?」

 当然のようにそう言うヤマダに対し、ハーリーは少し、間を置いてから答えた。

「勿論、弱点が有るんですよ。まず、超再生能力ですが、これを使えば、どんな傷も短時間で治療可能な代わりに、痛みが三倍になります。」

 ヤマダの顔色が凍った。ハーリーは続ける。

「一般市場に、このナノマシンが普及しなかった理由の一つが、これです。常人なら、かすり傷の再生でもショック死します。もう一つの“火事場のバカ力”の発動ですが、これにも似たような欠点があって、発動中に心拍数が異常なほどに高くなるんです。それによって毛細血管が破裂して、血涙、鼻血の類いが流れるんですが、最悪、脳の血管が破裂する場合があるんです。それを一瞬で再生するための超再生能力なんですが、とんでもない苦痛を伴います。多分、アキヒトさんは、その激痛で気絶したんだと思いますよ。」

 ヤマダは、ハーリーの台詞を聞いて、安心したような表情を浮かべた。

「? 何で、そんな表情を?」

 ハーリーの言葉に、ヤマダは一言で答えた。

「じゃあ、起きるんだろ。死んでないなら、それで十分だ。」

(第九話、終了 第十話に続く)

 

 

 

 

代理人の感想

・・・・・・・・・・・・・なんつーか。

この世界には精神年齢12歳未満の人間しか存在しないのか!?