機動戦艦ナデシコ

英雄無き世界にて…

 

 犬河照一

「いちち。」

 まだ、完全に治りきっていない肢体を引き摺りながら、俺は、艦内を歩き回っていた。

 日常生活には、とりあえずだが、支障が無いほどには回復したが、やはり、昔の行為が響いてきているらしく、常人よりも治りが遅い。

 こうやって、歩き回っているのはリハビリ代わりだ。

 だが、一歩ごとに鈍い痛みが走る。

 しかも、それは日を重ねるごとに、治るどころか強くなってきているような気がした。

 幾ら、人よりも頑丈になってきているとしても、俺は所詮は一人の人間。

 それに、未だに不意打ち無しで、ゴートさんやプロスさんに格闘技で勝った事も無い。

 つまり、俺は人間の最強でも何でもなく、俺の上には上が居るのだ。

 射撃技術だって、今の俺よりも上手い奴が、上に四桁は居るだろう。

 打たれ強さだって、プロレスラーには敵わない。

 そんな人間が、根性の一言で、人外の化け物とも言える奴らとの連戦を潜り抜けて、無事で無傷である訳が無かった。

 でも… まだ…

 と、思った途端。ガクンと体から力が抜けた。

「ぐ… はぁ!」

 壁にもたれ掛かり、体重を預けながら座り込む。

 もたれ掛かった場所のすぐ近くに、火災警報装置があったので、間違えて押さなくて良かったと思った。

 息も荒く、咳き込みながら、小休止する。

 涙腺が暴走して、涙が滲んだ。

「仮に、生き延びたって… もう、幸福なんて手に入らないのかもしれないな…」

 ボソリと、そんな言葉を作った。

「幸福があるから生き延びる訳でもないか…」

 そうだ。現在では全世界人口の約半分が、軍人だ。

 それらの人間は、未来の幸福を手に入れる為に軍に入った訳ではない。

 ただ、今日を生き抜く為のパンと水を買う金を地獄の中でかき集める為に入ったのだ。

 そんな、人々の誰が、幸福を手に入れたがるだろうか?

 つまりだ。人間の幸福とは、大体は出世とか、そう言うものだろう。

 だが、それを手に入れられる人は、一握りしか居ない。

 他にも、平和が幸福と言う奴も居る。

 だが、それは何不自由なく暮らしている人の発言でしかない。

 そうだ。そもそも、平和が訪れたら軍隊は大規模な削減を受ける事だろう。

 大量の軍のリストラが起こり、大量の人間が路上に溢れる事は、目に見えている。

 その大量の人間の中で、軍隊で食い繋いでいた人間が居るとしても不思議でも何でもない。

 その類の人間の大半は、野垂れ死にが確定事項となってしまうだろう。

 平和が、必ずしも幸福とイコールで結ばれるとは限らないのだ。

 ほんの数年前、木星蜥蜴との戦争が始まる前は、この国は少年犯罪の激化で、最早無法地帯に等しかった事など誰も、もう覚えちゃいまい。

 ニュースで見ただけで、関係が無いと思っていた奴もかなり居ると思うが…

 それよりも目前の目まぐるしい変貌に、誰もがそれを忘れてしまったのだ。

 つまりだ。以前平和であったこの国は、果たして幸福な国と言えたのだろうか?

 20世紀半場から続いてきていたこの平和は、幸福な平和だったと言えるのだろうか?

 これで平和が幸福だといえるのなら、なんとまぁ、独占的な幸福だろうか?

 中小年層の自殺者が増加し、リストラの大量生産。暴力事件の増加。

 そりゃあ、平和の始まりは幸福だろう。だが、時間が経つごとによってその幸福は薄れていくのだ。

 そして、最終的に幸福は、腐敗と直結する。

 幸福が、腐敗になるのだ。幸福とは生モノなのだ。早めに食べないと腐るのは目に見えているのだ。

 平和が、幸福と直結するのは間違いだ。

 平和と直結するのは、正に腐敗と言えるのかもしれない。

 なら、幸福と直結するのは何なのか?

 色々な物がある。

 例えば、親しい人からの贈り物かもしれないし、尊敬した人から認められることなのかも知れない。

 つまりは、人それぞれと言えるだろう。

 人の幸福など、平和なんて大それた物ではないのだ。

 ただ、そうであったから嬉しいものなのだ。

 全員が手に入れるものではなく個人が手に入れる物なのだ。

 だが今の時代、だれもそんな物を求めるだけの暇も、意思も何も無いのだ。

 そして、何より理由が無い。

 今日を生き抜く為に精一杯になっている中で、贈り物を貰ったとて、激動する最中に瞬時にその幸福は忘れ去られてしまう。

 それに、そんな事をしているだけの金も殆ど無いのだ。

 正しく、それは遊び金なのである。

 全く持って、そんな事が出来るのならば、されたならば、そいつは嫉妬の目で見られるだろう。

「だから、この艦も嫉妬に包まれてるって事を、自覚しないとな…」

 俺は、うんせっ、と壁に体重を預けながらも立ち上がる。

 俺は、この艦に幸福を感じては居なかった。

 始めの頃の熱い気持ちなど長続きしない物だったらしい。

 ただ、あるのは友人と、戦友と、講師と、乾いて居た筈だが再び塗れた血に染まった手と…

 フンと、鼻で笑って次の言葉は口に出して言った。

「惚れた女だけか…」

 だが、恐らくアイツは、この艦の中には無い物だ。

 アイツは、俺の中の幸福なんだ。

 この艦に入る前でも、そうだったから…

 つまりは、この艦に俺は… 

 幸福なんて感じていなかった。

 ただ、感じていたのは。尊敬と感謝と…

 居心地の“悪さ”だけだった。

 

「ふぅ…」

 どうにか、艦内一周を終えた俺は、自分の部屋の中の一角に、新聞紙を敷き詰めて、その上に、分解した部品ごとのS&Wモデル500を広げていた。

 照明を付けるのは、面倒くさいので薄暗い部屋の中、電気スタンドの明かりだけが光源だった。

 昨日まで、ベッドの上で、碌な整備もしていなかった為に今日は念入りにして置こうと思っていたのだが…

「げ!」

 それは、俺の予想を遥かに上回る消耗ぶりをしていた。

 シリンダーの止め具が外れかけているし、トリガーのスプリングが外れる寸前にまでいっているし、ファイアリングピンに皹が入っていたり… その他もろもろ…

 正直、持ち合わせの工具で間に合わないどころか、修理が殆ど不可能とも言っていいというか…

「無茶な使い方してたもんな…」

 天を仰ぎながら俺は、そう呟いた。

 とにかく、部屋の中に投げてあった使い古しの工具箱を足で引き寄せると、出来る所までは整備… いや、修理しようと目を点にする。

「コイツの予備部品はあるのかな… ないよなぁ…」

 格納庫の倉庫の惨状を思い出して、俺は嘆息する。

 カチャカチャと、物音を響かせながら俺は、スプリング等の補強をしていた。

 だが、出来るのはあくまで補強までである。

 この銃は既に、壊れかけているのだ。

 しかも俺の整備の腕では、全く持って雑な補強しか出来なかった。

 実際、俺が今までしていたのだって銃の掃除レベルだ。

 だからと言って、これ以上整備員の人達を頼むのにも気が引ける。

 事実、俺は借りを作ってばかりで、何も返していないのだ。

 借りを作る。俺が、その度に出来る事は、土下座くらい…

 だから俺は、これは自分の腕だけでやると決めた。

 色々してみて、取り敢えずはマトモに機能できるだろう位に補強を終えると、組み立て始める。

「コイツもそろそろ寿命だな…」

 カチンと、元に組み立てて、取り敢えずは補強を終えたS&Wモデル500を手にとって見る。

 銃身に大量の傷が入っているし、撃鉄の方にもガタが来ている。

 ゴートさんから、コレを貰った時の事が、鮮明に思い出された。

「多分、次くらいでお別れだ。最後は華麗に決めてくれよ。仕事はチャンと果たした後でな!」

 バシッ! と、銃身を叩いて活を入れるような真似をする。

 愛着がある物には、自ずと意思が宿っているような感傷を受けるのは、俺だけでは無い筈だ。

 グリースで薄汚れたホルスターにS&Wモデル500を突っ込んで立ち上がると、俺は入れ歯の入った口で笑みを作って見せた。

 誰か、見るものが居れば、俺のその表情を見て、何事かと思っただろう。

 それほどまでに、この時の俺の表情は乾いていたのであった。

 まるで、不治の病に倒れた友人に対するような笑みを浮かべていたのだった。

「ごめん… な…」

 自らを責めるように呟いたその言葉。

 相手に届いているかなんてそんな事はどうでも良かった。

「ごめん…」

 ただ、謝りたかった。

 俺が、俺だけが寿命をすり減らすならば良かった。

 それに対して、道連れにする友など誰も居ないと思っていた。

 しかし、居たのだ。

 凶器の光を放ち、人を、獣を殺す為に作られた人工の友が…

 他人ではなく友が…

 既に、俺が先に送ってしまった奴らも居る。

 ドカッ! と、壁に治りきっていない腕を叩きつける。

 痛みが腕を、肩を、胸を、頭を突き抜けた。

 でも、その痛みが嫌に気持ち良かった。

 ドカドカ! と何度も腕を叩き付けた。

「ごめ……ん。」

 次の瞬間足の力が抜けた。

 膝が、ガクンと折れ曲がる。

「ごめ…」

 全身から力が抜けていく。

 完治していない身体で、リハビリ代わりとは言え、艦内一周と言うものはかなりキツイ物が有ったのだ。

 戦友達には、隠していたが…

 意識がまどろむ中、最後に一発壁に腕を打ちつけた。

 バン! と軽い銃声の様な音がした。

 その直後、完璧に意識が無くなり、俺は床の上に倒れこんだ。

 そして、俺の言葉は誰にも届かなかった。

 届かなかったが…

 俺が、腕を壁に打ち付けた時に…

 光源も殆ど無い所で、ホルスターの中に収められたS&Wモデル500が、輝いたように見えたのは錯覚だったのだろうか…

 俺は、錯覚では無かったと信じたかった。

 

 俺が、目を覚ましたのは日付が変わってからだった。

 体力は、かなり回復していたし、痛みもかなり引いていた。

 少なくとも目が覚めた直後はそうだった。

 後でどうなるかは、わからなかったが…

 そして、変わった後の日付に関しては…

「12月24日ね…」

 別に、信じても居ない宗教の祝祭だった。

 少なくとも、本来ならばそうであった筈の日付だ。

 元からの日本の祝日などでは決して無い。

「クリスマスか… こんな行事に金使うとは… 良く考えたら贅沢な艦だな…」

 飾り付けの為の手を動かしながらでは、全く説得力の無い台詞を吐きながら俺は、階段を上っていく。

 身体に、一先ず変調は無い。

 何も変調が無い事が、今の俺にとっては一番の変調なのだが…

 !!

「うぐ…」

 気を抜いた途端。無理して、飲み込んだ今日の朝食が、戻りそうになる。

 だが、吐く訳にもいかない。

 こんな所で吐くのは、迷惑になってしまうし。それに…

 ありったけの精神力を使って、吐き気を押さえ込む。

 最近の人間はエレベーターばっかしで、階段なんて殆ど使わない為に、この空間に今居るのは俺一人だが、殆ど使わないだけで、何時誰が使うか解らないのだ。

 その時に、嘔吐物を見られでもしたら…

「ぐ!」

 無理矢理、嘔吐感を押さえ込んだ。

「もう… 沢山だ!」

 息を荒げながら俺は、そう叫んだ。

 誰も居ない階段にその叫びが反響する。

「もう! 沢山なんだよ! “アンナ目”で見られるのなんて!」

 全ての過去など、一度では語りつくせない。

 以前、語った話でさえ過去の一端でしかなかったのだ。

「畜生! この野朗!」

 こんなに、嫌なのに! こんなに、辛いのに!

 なんで!

 ここで、吐いたら… 誰かに見られたら…

 俺が、見られるのは同情の目だ。

 あんな目で見られたくなんて無い! あんな目で俺を判断して欲しくなんか無い!

 以前、それをされた覚えがある。

 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!

 俺は、被害者になんて成りたくないんだ!

「っ! 戻ろう…」

 なんだか、最近は感傷的になり過ぎている気がする。

 無性に馬鹿をやりたかった。

 もしくは、さっさと寝ちまうのが良かった。

 だが…

 そうそう上手く事が運ぶのならば、人間はかなり楽をして生きられることだろう。

 ガコォォォォン。

 そんな機械音が、響いたのは直後だった。

『ヨコスカベイ地球連合宇宙戦艦ドックに着艦しました。責任者からのご挨拶があるそうなので、乗組員の皆さんは…』

 バキ!

 拳を、壁に突きたてる、

 能天気な通信士の声に、わなわなと身体を震わせて、俺は殺意すら抱いていた。

 

 態度はありったけの精神力で取り繕って、俺は、なんとか平静を作っていた。

 形式だけの挨拶と、関係者の言葉が続く。

 さっさと、しろ! こんな事で呼び出されたのかよ俺は!

「く!」

 イラツク思考を押さえ込む。

 頭の中から、湧き出そうになる黒い物を必死で押さえ込んだ。

 こんなものを一気に出す事なんて、八つ当たりに他ならない。

 黒く、燻ったドロドロした物を吐き出したいが、人に向かってなんて吐き出せない。

 物に向って吐いても吐きつくせない。

 俺は、自分との葛藤に全精神力を注ぎ込んでいた為に、多少、俺の様子を見て変わった視線に気付かなかった。

 責任者の話など、まるで頭に入らない。

 ああ、畜生! 聞かなきゃダメだろ!

 でも、聞えない。ほんの少しでも、この黒い物の拘束が緩んでしまっては、全てを吐き尽くすまで止まらないだろうし。このままでは、全身全霊を込めて押さえ込んでいる為にそんな所にまで思考をまわす余裕が無い。

 俺は、完璧超人でも何でもないのだ。

 これが、一般世間で言うストレスが溜まっていると言う事になるのだが、本人にはそんな事はわからない物であった。

 糞! どうなっちまってるんだよ!

 自分で自分の状態が正しく理解できない事で、イライラが更に募る。

 最近まで、娯楽など殆ど出来ないベッドの上の生活だった事も手伝って、俺の思考は爆発寸前と言う事なのだが、それすらも解らない。

 辺り一面の声が、俺に挑発的な言葉を投げかけているように聞える。

 物音すらもせせら笑いに聞える。

 あたり一面が、俺の敵だった。

 眠ってしまいたい。そうすれば少しは楽になれる。

 だが、無情の呼び出しによって俺はこうして立たされているのだ。

 けれど、誰に当たる訳にも行かずに、俺はこのどす黒い物を体の中に溜め込むしかなかった。

 許容量など、とっくの昔に越えている入れ物の中に…

 

 飯井川楽花

「?」

 呼び出しには、全員が応じる事になっていた。

 興味も無い話を、耳から素通りさせて聞き流しながら私は、ふと何の気なしに何処かの馬鹿野朗の方を見た。

 その瞬間、背筋に悪寒が走った。

 殺意。日常では殆ど感じたことの無いその意思が、まるで質量が有るかの如く、迫ってきたのだ。

 今までは、緩やか過ぎて全く気付かなかった変化。

 しかし、今回のは、気付くに値するだけの驚異的な変化だった。

 どう考えても様子が、おかしい。

 何か、おぞましい“物”がアイツに憑いている様な感覚。

 それは、飼う者の檻を破ろうと爪を立て続けている様に見えた。

 ビシビシと亀裂だらけの、檻を懸命に支えようとするのが目に見えて理解できた。

 理解できたのは、私だけの様だったが…

 その姿は、鮮烈で凄惨で繊細で… 殆ど消えてしまいそうなほどに。か細いのにそれでも燃え上がるような、ただの“火”の様に見えた。

 荒れ狂う暴風雨に叩きつけられ、堪えるだけの力も無いただの火が、己の持つ最大限の力を発揮して、それに耐え切った後のボロボロの姿。

 しかし、その痛みを隠し。隠し続けて胸のうちに溜めていた物が今、外から見えるほどに大きく膨らんでいた。

「照一…」

 アイツの苦しみなんて解らない。

 アイツの絶望なんて解らない。

 それが、有るのかどうかすらも解らない。

 ただ、解るのは自分の事だけ。

 あんな姿を見ると、酷く胸が痛むこと。

 傷つき、何度も骨折し、歯を折り、血を流し続け…

 それで、生き延びた先にアイツには何の救いが有ったと言うのだろうか?

 生きた事が救いなのか? 救いなんてそれだけじゃないか!

 でも、なんとなく解る。アイツは救いも何も求めては居ない。

 救われない事が唯一の救いだと思っている訳でもない。アイツはそんな貧欲な人間ではない。

 ただ、もう救われようが無いから、救いを必要としないだけ。ただアイツを生にしがみ付かせるのは、死への恐怖だけ。

 恐らくそうなのだろう。

 それは、グダグダ愛とか何とかの理屈を作るよりも、何よりも納得できる理由。

 死が怖いから…

 そんな寂しい火でも、暴風雨の中に入って見ると、そんなものでも鮮烈に見える。

 そんなだから、私はアイツが大嫌いだ。

 でも、そんなだから…

 その獣の様な道を歩く様な男から…

 目が離せなくなるのだった。

 ただの、遥か昔に思い出の彼方に去るはずだった男から…

 その感情なんて、正確に自分でも理解できていなかった。

「被害者面じゃないから… チョットは根性出して見るか…」

 そう思うと。ようやく挨拶を終えた責任者らしい人が、本題を話しだす所だった。

「まぁ、そんな訳でだ…」

 日本人ってのは、形式を重んじ過ぎだと言う人もいる。そんな、一世紀以上前から言われ続けていた事が未だに解消されていないのは、ご愛嬌だと思う。

 でも、幾らなんでも30分以上直立不動ってのは、キツイ。前置き長すぎ〜

「軍艦のクルーが、何時までも民間人と言う訳にもいくまい。」

「まあ、そんな訳で皆今日から、晴れて軍人って訳。了解した? ああ、階級はそのままよ。感謝しなさい。ああ、降りたい人は自由に降りていいからね。まあ、監視は付くでしょうけど。」

 そんな、提督の言葉に皆、何故か口を揃えて敬礼して言う。

【了解しました!】

 中には、快く思っていない人も居るのかも知れない。

 だが、そんな事を言った所で、時間と声帯の無駄だと言う事は解りきっている。

 だから、そんな事を思っている人は真っ先にこの艦を降りるという行動を取るだろう。

 そんな無駄を使うくらいなら、それを日々の仕事とトレーニングに当てたいと思っている人間ばかりになってきているのは、誰の影響だろうか?

 鮮烈過ぎるものは、全員が影響を受ける物らしい。

 少年がヒーローに憧れるのと同じだ。

「で、お給料の方は?」

 挙手をして発現したのは、何故かアカツキ少尉だった。

 こういう時には、真っ先にあの男が手を上げるのに、そいつは何かを噛み殺したような表情をして、敬礼の姿勢をゆっくりと解いていくところだった。

 確信した。完璧にオカシイ。

 ん? なんで私アイツの方、無意識に見てるんだろ…

「特に変化は無いが… どうした?」

「いえ… なんでも…」

 その言葉を聞いて、一気にガックリと肩を落したのは、今現在話をまるで聞いていなさそうな男を除いた全員だ。

 とんでもなくドンヨリとした空気が募る。

「ああ、それと犬河照一… え〜と、中尉。」

「………… は… はい…」

 かなり、遅れて、つぎはぎの答えを返す男。

「馬鹿者! 上に対してその態度は何だ! もっとシャキッとしろ!」

ギリィ!

歯軋りの音が響く。

「了解しました!」

 クソッタレとも言える口調で、吐き付ける様に言う照一。

 その様子に、不可解な物を感じ取ったのはこの場に居る全員だろう。

「貴様がもし、“軍に入る”としたら、貴様はテストパイロットをやってもらう事となる。了承するならな。これは、軍に置ける命令権が確立できた時に、最初に貴様に対して行う命令だ。解ったな。」

「解り… ました。」

 何かに堪えるように、声を荒げる照一。

 何故も、何も聞かなかった。聞いたところで不快な答えが返ってくるだけだという事も解りきっている事だ。

「ああ、それと補充パイロットの件だが… 無理だ。」

「まあ、確かに全員の階級を持ち越しなんてゴリ押しをしたから、その位のペナルティは甘んじて受ける事にするわ。」

 他にも色々ありそうな含みを見せて聞える提督の言葉が、この糞つまらない集会の最後を飾った。

 

 カツカツと、廊下を歩く。

 響く足音は、私の靴音唯一つ。

 恐らく、全員が今回の事について色々と考えているのだろう。

 そして、私はとある扉の前に停止した。

 コンコンと、とても控えめなノックをする。

 返事は無い。気配も無い。

「……………」

 バンバン! と、少々乱暴に扉を叩く。

 ……… まるで何処吹く風と言わんがばかりに、静かだ。

 はぁ〜 と、溜息を付くと、すぐそこの換気扇の蓋を外して入ろうかと思いつく。

 だが、この艦の換気扇は天井についている。

 何か、踏み台になるものが必要だ。

「え〜と、あったあった。」

 度重なる乱雑な修理で、置き去りにされた脚立を見つけると、目的の場所の下にセットして、上り、十円玉をドライバーの代わりにしてビスを外す。

「う〜ん…」

 これが、中々コツがいる物だ。

 ドライバーを借りて来ようとも思ったが、全員借りられる状況ではないとも思い直し、張り切って十円玉で、ビスを外す事にチャレンジする私であった。

 ビスと十円玉とのバトルは、30分で決着を迎えた。

 だが、十円玉は四枚使用してしまった。

 かなり力を入れながらまわした為に、途中で拉げて、使い物にならなくなってしまったのだ。

「ビス外すだけにしては、高い代金だなぁ…」

 とか思いながら通風口の中に潜り込んだ。

「暗いな〜」

 ほふく全身で前に進むしか、方法は無い。

「んよ! っと!」

 目の前に、アイツの部屋の中が一望できる通風口の窓があった。

 灯りは付いていない。

 取り敢えずは、気付かれないようにして、そこを通り過ぎて、足を、その窓の上に持って来る位置でストップし、足でその窓を蹴りつけた。

 ガァァァァン! と甲高い音が響く。

「!!」

 と、何か反応して飛び起きる気配が伝わってきた。

 良いザマだ。

 もう一発!

 ガキィ! と、ビスを固定する金具ごと天井から抉りぬけた。

 ガィンと、床に通風口の蓋が落ちる。

「イよっと!」

 その出来た穴へ、足から飛び降りた。

 下に有るのは床だ。

 スタッと着地したい所だけど… 無理。

 ドタァ! と、背中から落ちてしまう。

「いたたぁ…」

 !!

 ガチン!

 え? 何? 何の音…

 顔を上げた先には白金のように光る銃身が…

「えあ…」

 状況がよく理解できない。

 目の前には黒々と口を開ける銃口があって…

 ガァァァァァァン!!

 轟音と、マズルフラッシュが、薄暗闇の中に響き、光る。

 熱風を伴った風が、顔の直ぐ脇を通り過ぎた。

 ガン! と、後ろの壁に灼熱した弾丸が突き刺さる。

 息を荒げる音が、耳に届いた…

 

 犬河照一

 寝よう。

 部屋の中に帰り着いて、最初に思ったことがそれだった。

 今日の俺は、何処か不味い。

 疲れが溜まっているのかもしれない。

 このまま起きていたら、何をしでかすか、自分でも解った物ではなかった。

 寝てしまおう。

 明日になれば、少しは楽になっている筈だ…

 俺は、出しっ放しの布団の中に滑り込んだ。

 ちゃんと週に一回は、日に当てたり洗濯をしたりしている布団は、大して汗ばんでもいない。

 心地よい気分で、布団の中に滑り込む。

 此処こそが、至高の楽園の様に思える。

 目を閉じて、あっという間に眠りの世界に飛び込んでいこう。

 俺は、そうしようと思った。

 浅い眠りは直ぐにやってくる。

 暫くすると、遠い所でノックする音が聞えた。

 遠い、遥かな場所で…

 うっすらと、その音は消えていく…

 完全にトロロンと、歪んだ思考の中で、俺は浅い夢を一瞬だけ見た。

(どんな、大義名分抱えた所で、所詮人殺しだろ。)

 当たり前だ。そんな物が、免罪符になるとも思っていない。

(でも、気分は楽になっているだろ。そんな独善的な大義名分でもよ。)

 理由も無しに、事故以外で人を殺せるもんか… そんな“面倒くさい”事が出来るか。

 しかし、さっきからお前の問いには、疑問があるぞ。

 俺が、いつ大義名分を掲げたって言うんだ?

「うっ!」

 知らずに呻き声が漏れた。

 そうだ。掲げまくってるじゃないか。自分を楽にする理由なんて、どんな物でも大義名分になっちまう。

 敵だから殺す。

 俺が死ぬから殺す。

 殺さなきゃいけないから殺す。

 それを、仕方が無いで済ませてしまっている俺は、正しく、罪から逃避していると言っていい。

 いや、人間がすることなんて所詮は、全てが仕方が無いでカタが付いてしまうんだ。

「糞野朗!」

(仕方が無いで済ませてなんになる!)

(仕方が無いで済ませる以外での済ませ方があるのか!)

(人なんだぞ! 意思を持つ物をお前は殺して来たんだぞ!)

(黙れ! 燈子以外で、殺す以外で済ませられる奴が居たか!)

(それで、罰せられもしないで、のほほんと生きる気か!)

(それの何が悪い!)

 思考が堂々巡りに突入した。

 眠りながらのうたたかな世界の中ですら、俺は苦悩から逃れられなかったのだ。

 畜生! 畜生! てめぇはなんなんだ! 人の夢の中にまで入ってきやがって!

 俺を、苦しめる気か! お前は誰なんだ!

 そう思った。

 まるで、誰かの意見が俺の頭の中に入ってきて、俺と言い合いをしている感じだった。

 全く持って、正反対の思考がぶつかり合い、あたかも別人同士の対立の様に感じてしまったのだ。

 ガィン!

 !!

 この泡沫な夢の中、現実に響いたその音は、俺の意識を急速に浮上させた。

 俺の目が、蒼白に見開かれる。

 誰かが… 居た。

 アイツは誰だ! 誰だ! 誰だ誰だ誰だ!

 脳内の情報がバーストした。

 冷静さなど何処かへ吹き飛んだ。

 なんで、俺の部屋に入って来た? 泥棒か? でも、この部屋の中にある、金目の物といったら…

 俺の命位だ。

 途方も無く安っぽい物だろうけどな…

 だが、狙われる心当たりなどありまくる。

 じゃあ、どうするんだ?

 アイツが、俺を殺しに来たとして、俺はどうすればいい?

 ああ、そうだな。殺さなきゃ。死ぬよりは殺した方が良い。

 そっちのほうが、怖くない。知らない恐怖の中に落ちるよりも、知っている恐怖の中で生きる方が良い。

 殺そう。してしまってから反省しよう。それだけで、俺は生き残れる。

 俺は、何時も手元においておいた、S&Wモデル500を構えた。

 サムピースを引いてセイフティを外す。

 元々ダブルアクションリボルバーだ。少々重くなるが、撃鉄を上げなくても引き金を引くだけで弾は発射される。

 引き金を引く人差し指に力を込める。

 と、その時アイツは、此方の銃口を見定めた。

 ははは、残念だったな! 死神の元に召されるのは貴様が先だ!

 口元が、何故か緩むのを感じた。

 撃鉄は、完璧に起き上がっていた。後数ミリ引くだけで落ちる…

 雷管を叩かれた弾薬は、灼熱した悪魔の子を、銃口から吐き出す事だろう。

 そして、アイツはグジャグジャの肉塊になる筈だ。

「えあ…」

 その声が… もし… 聞えなければ…

 その声が聞こえたのと、撃鉄が落ち始めたのは、ほぼ同時。

 ガッ! と、殆ど反射で、無理矢理銃身を逸らした。

 撃鉄が完璧に落ちるまでに、ズレタのは、ほんの数ミリ…

 ガァァァァァァン!

 一瞬だけ、室内が昼間となった。

 何時に無く凄まじい反動が、腕を突き抜ける。

 銃身を逸らした方に、そのまま運動が掛かって、思いっきり手首を捻った。

 激痛が走る。

 銃声が、室内に反響し、未だに余韻を残している…

 息が上がる。鼓膜が破れたかもしれない。

 でも、そんな事など些細な事だ。

 なんだ、俺は…

 俺は、何をしようとした。

 俺は、誰を撃とうとした。

 俺は、何故誰かも確かめなかった。

 俺は、なんでこんな短絡的に引き金を引いてしまった。

 俺は、何故自分に歯止めを掛けなかった。

 俺は俺は俺は俺は俺は…

 何で、こんな真似を…

 何で、よりにもよってコイツを…

 思考が、真っ白になる。

 世界の全てが意味を無くした様に思えた。

 不味い、狂っちまった。俺は、狂っている。

 しかも、これは度が過ぎた狂いだ。

 ある程度ならば、狂いは何とかなる。

 でも、俺は越えてはいけない一線を越えてしまっている。

 嫌だ。でも、泣けない。叫べない。

 コイツの前では、そんなこと出来ない。

 ああ、どうすれば良いんだ! どうしたら良いんだよ!

 有りっ丈のポーカーフェイスを顔に貼り付けて、有りっ丈の虚勢を張って俺は怒鳴った。

 それ以外にやることなんて、俺の中にそんな情報は入っていなかった。

「ノックして入れよ! ビックリしたじゃねぇか!」

 言ってみて、我ながらなんて馬鹿けた台詞を吐いちまったんだ。

 硝煙の臭いが、鼻を劈いた。

 

 飯井川楽花

 何本かの髪が、引き千切られて宙に舞った。

 元々、短く揃えていた為に、銃弾が通り過ぎた近さが、目に見えて解る。

 本当に、間一髪だったのだろう。

 唖然と、マズルフラッシュで、瞳孔が縮んでしまったけど、目を見開いた状態で、私はそのまま白い煙を上げている銀色の銃口を見つめていた。

 静かな物である。

 今は、昼前なのに此処が夜のようだと感じられた。

 窓を閉め切って、電気を落としていたからだ。

 その夜の中で、眠っていた男に悪い事をしたかな? と、思う。

 怒りも何も湧いてこない。

 血走った眼が、この偽装の夜の中で、瞳孔が縮んだ状態でもハッキリと見える。

 二人っきりの状況で、苦悩と言うものの存在を私は感じた。

 何かに、潤んだような真っ赤な目が、それを証明している。

 そして、まるで何かに押されたかのように次の言葉が吐き出された。

「ノックして入れよ! ビックリしたじゃねぇか!」

 馬鹿けた台詞だった。

 だけど、何にも言わない。

 火薬の硝煙の臭いが鼻を劈く。

 沈黙が、偽装の夜に木霊する。

 破るのは、どちらも藪蛇のように感じるのだろう。中々話を切り出せない。

 早く言え… 馬鹿。

 何となく、そう思ってみたり。

 それが、通じたのか、照一は溜息と一緒に言葉を紡いだ。

「帰れ。」

 正しく。完膚なきまでに、この状況に合った台詞を。

 あんまりにも、格好つけたような。その仕草が可笑しくて。

 何故か、私は噴出してしまった。

「………」

 無反応だ。少々寂しい気がする。

「俺、寝るから帰れ。」

「私、帰るから寝るな。」

 ………

「寝るから邪魔するな。」

「邪魔するから寝るな。」

 ………

 ああ、子供の口喧嘩のような状況に陥ってしまったか…

 向こうも、それを感じたらしく方向を変えて来た。

「俺を、起こしていてどうすると?」

「寝るよりは、する事があるでしょ。」

 ほうほう、と頷くような仕草を取られる。

「何を?」

「掃除。」

「退院直後にか!」

 馬鹿なツッコミが帰ってきた。

「掃除しろ。」

「疲れてんだ。」

 一度ずつの口数が少ない。

 でも、こんな雰囲気じゃあ仕方の無い事なのかも知れない。

「もう、20でしょ。どうせ当たるんなら眠りじゃなくて、酒に当たんなさい。」

「激しく、励ましているのかどうなのか不明なのだが…」

「一応、及び300中146程励ましている。」

「なんて、中途半端な数字だ。どうせならきっちり揃えろよ。」

「面白くないじゃない。」

「面白がってたのかお前は!」

 少しずつ、雰囲気が変わっていくのが感じられる。

「とにかく! 私の前で、無防備晒して眠りこけたら、どうなるか… もう、骨の髄の髄まで刻み込まれて良いのなら、眠りなさい。」

「このアマ! ストレスがドンドン溜まって行っちまうじゃないか! これ以上行くと依存性の強くて、純度の高い現在所持中のクスリに当たっちまうぞ! そうなって良いのか! 俺を廃人にしたいのか!」

「このまま、腐れるよりは廃棄処分になった方が生ゴミじゃない分。周囲に迷惑が掛からなくて良いわね。って… 今なんか無視できない事を聞いたような…」

「その代わり粗大ゴミだ! 持ち運びが面倒になっちまうぞ!」

「臭いよりは重い方がいいわよ。22世紀の女子としては。」

「それは、21世紀から全く変わっていない考えだな…」

 何故か、話が奇妙な方向へと突き進んでいる。

「とにかく! 男なら起きて当たりなさい! 今日のアンタ見てられないのよ! なんだか!」

「起きて! って何にあたりゃ良いんだ! 周囲に迷惑をかけるだけだ!」

「まあ、それは、そうだけど! 眠りじゃ、すこししか当たれ無いじゃない! 不完全燃焼するくらいなら、いっその事完全燃焼した方がいいわよ! 寧ろそっちの方が被害が少ないから!」

 ガバァ!

「え…」

 強く手を、引かれた。

 重力がクルリと入れ替わる。

 そのまま、背中に暖かい毛布の感触が伝わった。

 照一が、眼を綺麗に光らせて私を見ていた。

 その目は、まるで月の様な… 遠くにある物を見るような…

 そんな不思議な輝きを放っていた。

「決めた…」

 聞いた事の無いような、透き通った声が響く…

 別人の様な声だった。

 その声の中にある物は、あんまりにも儚くて、けれども熱すぎて…

 脈動が早くなっていく…

 焦らさないで、次を早く言え! と、何故かそんな事を思ってしまった。

 冗談でも何でもなくて、これ以上焦らされると心臓発作を起こしてしまいそうだった。

 そんな、私の心を読んだのか、クスリと笑って…

「お前に当たる…」

 身体が火の様に熱くなったのを感じた。

 

 犬河照一

 馬鹿をやりながら俺はこう思いはじめていた。

 なんだ。俺の中にあるものはこんな事で押さえられるのか?

 何故か、コイツとこんな事をやっているだけで、俺の心は晴れていくようだった。

 馬鹿なのだろう、俺は。

 手前勝手な理由だと言う事が解ってきた。

 自分を包むものが、今までの不完全燃焼のツケだと言うことも…

 だから、燃えてやろうと思った。

 でも俺を完全に、燃やし尽くす物など一つしか考えられなかった。

 だから、俺は…

 楽花の手を、強く引いて…

「え…」

 そんな、戸惑いの声を上げる顔の上から…

「決めた…」

 自分でも、綺麗過ぎる声を発して…

 高鳴っていく脈動と、下半身で立ち上がっていく“モノ”を押さえつけて…

 血の滾りを感じながら…

 俺は、自然と力の抜けた表情を浮かべてこう言った。

「お前に当たる…」

 全然気の利かない台詞を吐いて、俺は胸元のファスナーを一気に引き下ろした。

 

 ホシノ・ルリ

 これ以上のプライベートの覗き見は、少女にはきつ過ぎると瞬時に判断して、私は今まで表示していた犬河さんの部屋を写すウインドウを閉じました。

 都合の良い事に、私の他には色々な理由で誰も人は居なかったので、少々イタズラ心を見せたてたら、こんな現場を見ることになってしまったのです。

「馬鹿…」

 言う事はそれ以外にはありません。

 コレが、どちらにとってのクリスマスプレゼントなのかは、解りませんが…

「ヤッホ〜、なんか赤いよルリルリ。」

 ミナトさんが、艦橋に入ってきました。

 赤い? いや、これは何ていうか…

 まあ今日は犬河さんと楽花さんに、お赤飯でも奢ってあげるのも良いとおもいますけど…

「その…」

 言葉を、言いかけた時に何か暗いものを感じました。条件反射で質問を無理矢理変えてしまいます。

「ミナトさんは… 暗いですね…」

 少々失礼か。とも思いますけど、気になりますので…

「ん? ああ、さっきね…」

 どうかしたんでしょうか…

「廊下で、男の人と二人っきりの状態になったのよ… 偶然。」

 偶然なんですか?

「それで、話があるって言われて聞いてみたら、もういきなり何て言われたと思う。」

 なんでしょうか… 想像できません。

 考え込む、私を見てミナトさんは、答えを言いました。

「『どうやら、君と私は合わなかった様だ。スマン別れてくれ。』ってさ… 三文役者風な台詞で振られちゃった。」

「お付き合い… してたんですか…」

 つい、そんな言葉が滑り出ました。

「誰かは、幾らルリルリでも言えないわね… でも、そうよ。あああ、また新しい男捜さないとね。」

 虚ろな笑い声が、二人だけの艦橋に響きました。

「ほんと、人生で最高のクリスマスプレゼントだったわ…」

 何にも言えません。私、少女ですから。

 

 犬河照一

「はぁ… とられちゃった…」

「………わ、悪い。」

 狭い布団の中、俺はむき出しの上半身だけを出して、脇で疲れたのか、タオルケットに包まっている楽花にそんな言葉を言っていた。

 こう言う時に下手に出てしまう奴は男だろう。

「責任は確りと取ってもらうからね。」

「嫌だ。取らん。」

 どうせ、取らされると解っているから、俺はそう言った。

「しかし、昼時にこんな事しちゃって、良かったのかな? それに契約書には…」

「俺達は、もう“軍人”だ。ネルガルの社員じゃない。」

 ここを、煙草でも吸って決めたら格好良いだろうなとか思いつつ俺は言った。

「降りる気は、無いの…」

「まだ、あいつ等とのケジメをつけてない… それに…」

 それに… なんだっけ…

「それに、まだまだ余生を遊んで暮らすには金不足だ。」

「老後の事まで考えてるんだ。」

 老後…

 楽花… 俺はそこまで…

 ふ、と顔に暗い影が掠めたのを、どうか楽花が見逃していると信じたい。

 頼むから、そう信じさせてくれ…

 ビービービー!

 ガバァ!

 敵襲の警報が、俺を叱咤したかの様だった。

 急いで、俺は衣類をつけると、廊下へ続く扉を開けて、廊下へ飛び出した。

 そして、振り向いて…

「行ってくるから… 待ってろ。」

 プシュウと、扉がしまる音が背後で聞えた。

 その音に混じって… 何かが聞えた気がした。

 だが、ソレすらも、俺の脳裏から消えていく…

 俺は今日。本当に少しだけ大人となったのだった。

 

機動戦艦ナデシコ

英雄無き世界にて…

第十九話 上

END

第十九話 下へ続く…