Generation of Jovian〜木連独立戦争記〜
●ACT7〔平和の国で〕
天道ウツキ編「姉妹」


「後数時間で空港まで到着します……今順番待ちで旋回中なんです」

「……そう」


 そっけない返事を返すと、私は再び連絡艇の窓から見える空を見つめ続けた。
 やる気が無い訳ではない。テンションが下がっているのでもない。
 むしろ逆だ。
 いまだかつて無い大仕事を前に、すっかり緊張してしまっているのだ。
 だから気軽に言葉を交わす事も躊躇ってしまう。


「……こ、今回の親善パーティーには多くのVIPが参加しますから……空港のほうも忙しいんでしょう」

「それだけ敵が続々と集結している訳……ね」

「そ、それは……」


 意地悪な言い方だと私も思う。
 彼が私を気遣ってくれているにも関わらず、こんなひねくれた言葉しか出ないとは……。
 全くもって可愛くない女だ。

「パーティーか……俺らにとっては飲んで食って終わるだけのドンちゃん騒ぎだが、あちらは正に別世界。メルヒェンの世界の如き優雅な舞踏会でもあるんだろうよ」

「……余裕、というより傲慢さの象徴ですね」


「いやいや、きらびやかに見えてもその実、激しい思惑が交差する戦場さ。以前クルムキン准将のガードである晩餐会に顔を出した事があるが……あんな所に常時いたらどうかなっちまうぜ。気を揉まないようにするにはもう自分を石か何かと思い込む事だ。出席者も俺等の事なんぞアウトオブ眼中だろうからな」

「経験者の言葉、ありがたく頂いておきます」



 とは言っても……今回石だけに徹する訳にも行かない。
 必要とあらば岩をかち割り飛び出す必要がある……って、私はどこぞの高僧の一番弟子か?

 全ての始まりは、一通の招待状からだった。
 外界からほぼ完全に遮断された豪州に、態々専用のチャーター便で送られたそれは、欧州の小国ピースランドからのものだった。
 ピースランドは観光産業を主力とする、国家的にはそれほどの規模ではない中立国である。
 だがこの国はその小さな体躯に恐るべき力を秘めている。
 ピースランドは観光産業ともう一つ、金融ネットワークがその大きな収入源となっている。
 国策である中立政策はここまで行き届いており、主が不明の口座が幾つも存在している。
 ……金は天下の回り物だと言うが、お金と言うのは使う額が大きければ大きいほどその用途が目立ちやすい。
 個人が巨額の資金を持つのは物理的にも防犯上の理由からも困難であり、殆どの資金は銀行などの金融機関に預ける事となる。
 銀行は顧客から預かった資金を元手に、融資を必要とする人間に貸すのだが……地球では、綺麗な事だけにお金は使えないらしい。
 いろいろな理由から表ざたになって欲しくない資金を、ピースランド銀行が何も言わずに預かっている為に、経済的な影響力はかなり強力である。
 実際、クリムゾングループも幾つかの口座があったようだが……その口座は全てシャロン派が先立って抑えてしまっている。
 もっとも、世界の金融ネットワークから完全に隔離され、木連さながらの自給自足生活を強いられている豪州には関係の無い話だ。
 現在の豪州は木連との交易のみが貿易と呼べるものとなっている。
 豪州からは鉱石や土砂、それに海水や動植物といった天然資源が。
 木連からは機動兵器を初めとした重機や、プラントで生産される合成食料や医薬品が、チューリップとモノリスを通じて次々と行き来している。
 プラントの圧倒的技術力と豪州の豊かな自然環境が合わさり、大抵の物は自力で生産出来るようになった。
 木連に足りなかったのは有機物であり、本来宇宙空間で採取不可能なそれらが得られた事で急速に国力が回復しつつある。
 豪州は単独での生産能力に問題があったが、プラントとの連携のお陰で安定し、仮初でありながらも独自の政治経済体制を構築しつつある。
 最早地球からは完全に自立してしまっていると言っていい。
 だがそのままでは、木連の様に百年経たないうちに歪が起こり、只の延命処置で終わってしまう……。
 そんな時に送られたピースランドからの招待状は、現在の状況をひっくり返す様な重大な意味が込められていた。
 表向きは数年間行方不明となっていたルリ=オブ=ピースランドと言うピースランド王家の王位継承者の帰還祝いだが、このパーティーの真意は別にあった。
 それは……我々木連と地球の和平を目的とした意見統合の場だというのだ。
 この宴の仕掛け人である……漆黒の戦神によると。


 私は反対した。
 漆黒の戦神は連合軍最強の兵士であり、欧州方面を足場にして大きな政治力を持つに至った男である。
 欧州でその噂を聞いた時からしばらく経ったが……彼は、道を踏み外してしまったのだろうと思う。
 勇敢な戦士として名をはせるのは悪くは無い。だが……その勇名を轟かせて覇道を突き進んでしまったらそれはもう、“英雄”である。
 己が内に眠る野心を隠そうとせず、周囲の賞賛と美辞を求めひたすらその力を振るうのは、見ていて醜いものである。
 情けない事に木連にも多くの英雄願望を持った愚か者がいたが、その誰もが命を落としている。
 英雄は、なろうとした瞬間に失格なのだ。
 そのような人物が真に和平を望んでいるとは考え難い。木連の正義と地球の正義……両方を納得させる答えなど持っている訳が無い。
 どうせ和平と言うのもこちらを油断させるブラフに違いない。目的はアクアの身柄だろう。
 だが、そんな心配を他所にアクアはこの招待を受けるつもりでいた。

「そんな……誘いを受けるにしても貴女本人が出向くのは危険よ! 誰か代理を立てるべきだわ!!」

「なら、尚更そんな危ないこと他の人には頼めないわ、ウツキ。それに向こうから話し合いの意思を表明してきた以上、答えるのが礼儀じゃない?」

「……! 舞歌様も何か言って下さい!!」


 私とドナヒューさんを初めとしたクリムゾンSS……豪州でのその権限は最早国家安全保障機関並みとなってしまったが……は全員反対した。
 現在のピースランドの状況を考えれば先の豪州攻略作戦時よりも遥かに危機レベルは高いからだ。
 連合の重鎮は勿論の事、シャロン=ウィードリンも呼びもしないのに参加を表明している。
 とどめに主役は漆黒の戦神……これだけの勢力が集結しているのだ。何も無い筈がない。


「舞歌様、今やアクア嬢は我々木連にとっても無くてはならない人物です! 彼女を失うような危険な真似は、私としては賛同しかねます!」

 月臣少佐の言うとおりだ。
 彼女の元からの優しさと親しみやすさに加え、先日放送されたゲキガンガー3第33話 「聖少女 アクアマリンの微笑み」の悲劇のヒロイン、アクアマリンの影響もあってか、優人部隊にとってアクアはナナコさんに匹敵するアイドルと化してしまった。
 そして、取り残された豪州の人間にとって精力的に人々に尽くす彼女は、復興のシンボルとなっている。
 下手に彼女が傷つく様な事があれば……折角歩み寄れた地球と木連の関係は豪州内部で終息してしまい、豪州、そして優人部隊は深い怒りと憎悪を地球に抱く。
 こうなればもう殲滅戦争になってしまう……と言うのは大袈裟かもしれないが、少なくとも私が理性を保てる保証は無い。


「んー、でも彼の情報も欲しいのよね……名前と、その圧倒的な戦果ぐらいしか彼を計れる要素が無いってのは逆に不安よ。私も月で二、三言葉を交わしたけど、それだけじゃあね……」

「しかし……」

「それにね、ウツキ……私は会いたいの」

 漆黒の戦神に? と問うとアクアは首を振った。


「私のたった一人の姉さん……シャロンに。母親は違っても、私の唯一の肉親だもの」

「ちょっとアクア……何処の世界に実の妹をサイボーグ雇って暗殺しようとする肉親がいる? あれはもう私達の……」

「あら? 世の中には親友の自由を奪って一緒に死のうとしたおバカさんもいるのよ? 誰にだって、間違いはあるわ」

 
 そんな風に言われてはもう、返す言葉は無かった……。
  


 結局私達はアクアに押し切られ、ピースランドに向かうことになった。
 だが私としても只手をこまねいている訳にはいかなかった。
 パーティー開催の数日前から現地入りして、徹底的に状況確認を行う事にしたのだ。
 私としてはドナヒューさんや月臣少佐にも同行して欲しかったが、豪州をがら空きにする訳にはいかない。
 その代わりに、私はタイラント少尉とアンダースン少尉に協力を依頼した。
 あの後二人は正式にクリムゾン旗下の空挺警戒部隊と“契約”を交わし、エアカバー任務についてもらっているのだ。
 今は連絡艇の試運転もかねて私を欧州まで送ってくれているが、この後戻ってアクアを連れて来て貰う。
 緊急事態の際にはピースランド城に連絡艇ごと突入し、アクアを救出するというプランも立てている。
 領空侵犯によるピースランドとの関係悪化? 知らないな……私達は元々外界とは遮断された世界の人間なのだ。
 大体、彼女一人守れないようなら……漆黒の戦神一人に和平を託そうとは二度と思わない。

「しかし護衛とはいえピースランド王家のパーティーに出席か……そんな白ランじゃあ味気ないぞ?」

「優人部隊の制服が私の礼服であり、仕事着なの……大体、私の様な女にドレスなど似合わない」


 想像して見る。
 たくまし過ぎる四肢が薄い布越しに垣間見え、顔に張り付いているのはきつい、にらみを利かせた表情。
 ……これでは参加者が気の毒である。目の毒にしかならん。


「そんな事ありませんよ! ウツキさんならきっと綺麗に……あわわわわわ!」

「わっ!」

“グラッ!”


 突如連絡艇に横揺れが起き、私は危うくコクピットの席にしがみついた。


「馬鹿だなタクナ! 操縦桿はしっかり握れ!!」

「す、すいません少尉! 大丈夫ですかウツキさん……」

「ごめん、アンダースン……! 私もちょっと話し込み過ぎた」


 他人の気を散らせてどうするんだ私!!
 情けないぞ……緊張ぐらい自分で押さえ込め!!

「わははははは、だからお前は馬鹿なんだよ。そんなのはな、顔を見せなくても伝わるもんさ」

「は、はあ……」

 そういうものだろうか?
 しかし流石はタイラント少尉、落ち着いている。


「まあ俺としてもドレス姿には興味が……っておや?」

「?」


 タイラント少尉が何やらチューナーをいじり出した。
 先の横揺れの際、気になる通信を聞いたようだった。


『こ、こちら受付前ぇ! 敵の攻撃凄まじく……うわ、来るな、来るなってばウギャー!!』


「……大変だ。国立病院が何者かの襲撃を受けている」  

「国立病院?」

「何時だったか……真紅の牙とかいうテロリストに殺されかけた少女がいたろう? その子の姉が入院している筈だ」


「……メティの事?!」

 事態は思った以上に深刻だと解り、私は一気に血の気が引いた。
 またしてもあの家族を利用しようとする輩がいるのか!!
 すぐさま私はコクピットから出ると、連絡艇後部に位置するエアロックまで走った。


「えーと……少尉?」

「諦めろ。あの娘はああいう性格だろ? 付き合うっきゃねえさ。進路変更ヨーソロ!!」


 後から二人の溜息が聞こえた気がする。
 本当にごめん、だが他人を助ける為には多少の犠牲は覚悟してもらいたい……!




「ええい! 機動隊でも歯が立たないのか?! こうなったら軍部に連絡を……ってゲッ!」

“ゴオッ!”


 警察及び機動隊が展開している病院前ロータリーに強行着陸を敢行した連絡艇は、私を降ろしてすぐさま上昇した。
 良い手際だ……これならば本番でも問題は無いだろう……。
 本番など起こって欲しくは無いが。


「ど、何処の馬鹿だ! 逮捕だ逮」


「問答無用!!」


 一喝した私からジリジリと後退する警官らに更に続ける。


「我が名はウツキ、弱者を守る剣なり! 卑劣漢の相手はこの私が引き受ける!!」


“ヴン!”


 返事を待たずに私は心刀を抜き払い、病院内に突入する!
 既に一部を除いて内部の人間の退避は完了しているようだ。
 目標確保の為に全てを賭ける所存なのだろうか……精鋭だな。 
 だがいかに相手が強敵であろうと、私は引かない!
 私の背中には、多くの人々の平穏がかかっているのだから!


“バッ!”

 通路の奥から飛び出してきた影が、埃を巻き上げ飛び上がった。
 早い!! だが、見切ってみせ……。

「ミリアを何処に隠したァァァァァ!!」

 羅刹の如き形相で迫るグラサン男。
 今まで警官隊と機動隊相手に熾烈な戦闘を繰り広げていただけあってスーツはボロボロ。
 髪もかなりほつれている……それだけに手に持ったほぼ無傷の花束が不気味である。


「……ヤガミ?」
「ってオイウツキじゃねえか! 丁度良かった一緒に探してくれよミリアがさァ……」

 お互い知った顔と解った途端急に殺気が消え失せた。
 が、ヤガミの方はまだ興奮気味のようで、しきりにメティの姉であるミリア=テアの所在を聞いてくる。
 そんなもん私が知りたいぐらいだ……ここに居ないなら一体どこに?

“ピピッ”

「……ごめん、ちょっと……はい、ああタイラント少尉状況は終了……え? ……本当ですかそれは……はあ、はあ……了解、お気をつけて」


 通信機から伝えられた事実に唖然となり、私はゆっくりとヤガミに首を向けた。


「あのねヤガミ。ミリアさんは……」


「ミリアが見つかったのか?! 無事か?! 何処だ?! どこにい……」

「彼女は三日前に退院しとるわ!! この馬鹿っ!!」

“ゴスッ!”


「ま、マジか……?!」  


 早とちりここに極まれりだ全く!
 一体どれだけの人間に迷惑かけたと思ってるんだ……ええ?!


「うはははは……ちょーっと舞い上がっちまったな。悪い悪い」


“ブチッ”


「……ウツキ?」


「我が名はウツキ、ボケを断つツッコミ成りぃ!!」

“ゴッシャア!!”


 この間抜け!
 反省の色全く無しか? 元同僚として恥ずかしい……。


“ゴス! ベキッ! スパァン! ”

『あべしっ』


 伸びているヤガミに、今までの恨みの限りを込めて警官隊と機動隊の生き残りが制裁を加えているが……私は知らん。自業自得だ。


「ったく、後先考えず突っ走る? 普通……」

「いやー久しぶりの再会だったんでつい、な」

 ボロ雑巾と化したヤガミに肩を貸しつつ、私はヤガミが指定した住所まで移動していた。
 ……あの後警官隊に対し私まで頭を下げなければならなかったというのにこいつは……顔が常時にやけている。
 そんなに嬉しいか?


「ヤガミは西欧方面軍総司令官の警護に当たってたんじゃなかったの? まさか、もうクビに……」

「人聞きの悪い事言わんでくれ!! 俺はちゃんとグラシス卿の依頼を受けて出張してたんだよ!」

「出張……? 何処に」

「ナデシコにさ」


“ザッ”


 世話話程度といった口調だったので危うく聞き逃す所だったが、その言葉を聞いた途端思わず脚が止まってしまった。


「どうした?」

「撫子って……あの漆黒の戦神がいるという、あの……」

「おおよ! やっぱりお前も気になるか? お前も女の子だしな……アキトの奴に惚れてるのか?」


 まだ甘い空気にドップリ漬かっているヤガミを、私は視線で覚醒させた。


「惚れる? まさか……見極めが必要な事は確かだけど」


「……ウツキ? そういやその制服、どっかで……」


 ヤガミが警戒している事は確かだが、左腕を私の肩から払おうとはしない……払ってしまえば、もうかつての関係には戻れないと畏れているのだろう。  


「……私はまだアクアの元で働いている。ドナヒューさんも含め元気だ」


「まさか……豪州か?!」


「既に同志とも合流し豪州は復興している……木星圏・ガニメデ・カリスト及び……」


「もういい! 解った……解ったから……」


 私の肩に更に体重が圧し掛かった。ヤガミが肩の力を落としているのだろう。
 もう既に私たちの歩みは止まってしまっている。


「……思えば不自然だったな。ロバートの爺から何の連絡も無しにシャトルが墜落したって話からして……」

「すまない。全てを明かす覚悟が出来る前に、お前は行ってしまったからな。私の正体は……木連優人部隊の一員だ」

「ほお……あの時潜入した白鳥とか言う奴とは、同期か?」


 今度は私が固まる番だった。
 白鳥と言えば三羽烏の一人である白鳥九十九艦長しか考えられない……月臣少佐の親友でもあっただけに、何度か顔を合わせた事もあった。それが……撫子に囚われていたとは!

「尋問をしたの?!」


「んな事する訳無いって……仮にも和平しようって考えているんだからこっちは……まあいささか乱暴な方法で奪還されたがな」


 いささか、乱暴……。
 四方天の“北”が動いたか。
 今現在積極的な諜報活動が可能なのは奴らしかいないからな……しかしヤガミの顔を見る限り苦労話の域を越えていない。
 まさか……北相手に死人を出さずに持ち堪えたのか?!
 恐るべし漆黒の戦神……!


「だからさ……俺はもうお前達を畏れたりはしない。まあ警戒すべき奴も中には居るだろうが、お前は大丈夫さ」

「……木連の下の下以下の連中とやり合ってよくそんな事を言えるわね?」

「だから、お前は特別なのさ……俺とミリアの、かけがえの無い宝物を守ってくれたお前は」


 その笑顔が、私だけにむけられたものではないと気付き、ハッとなって首を向けた。
 そこには栗色の頭を揺らして力いっぱい手を振り走り寄る、小さな小さな少女の姿が。


「メティ……」


 自然と笑顔が浮かんできたが、その小さな体躯の後に見え隠れする気配を感じ、表情が強張る。
 それほどまでに背が高いわけでもなく、顔もまあ……木連の基準から考えれば美男子とは言い難い。
 だが人間の感覚は全て目のみで得られる訳が無い。
 その目に見えない“何か”が……とてつもなく強大に見えた。
 温和な笑みを浮かべた黒髪の、青年の“何か”が……。




「どうぞ……」

「あ、御構い無く」


 私などより遥かに端整な容姿をした金髪の女性が、態々お茶を入れてくれた。
 だが私の緊張した面持ちに引きずられ、どこか態度が硬い。


「……君が天道ウツキさんか。話はナオさんとメティちゃんから聞いている」

「はぁ……」


 緊張しているのは私だけ。お茶に口につける余裕など無い。
 何せここは、あの西欧方面軍総司令官グラシス=ファー=ハーデット卿の屋敷であり……この歳相応とは言い難いプレッシャーを与えて来る青年、漆黒の戦神事テンカワ=アキトの滞在地でもあったのだ。
 幾ら漆黒の戦神の情報が不足していたとしても、本人そのものを相手にするのは無茶すぎる。
 とんでもない偶然の出会いに、私の頭は絶え間なく警告を鳴らし逃げ出すよう促していた。
 が、それもメティに腕を引かれた時点で沈黙させられてしまい……この状況である。


「どうしました……紅茶を飲むのは初めてですか?」


 まあいい……こうなったら私も腹をくくるまでだ。
 ここはもう、戦場だ。


「いえ……自分はナデシコ、そして連合軍にとって敵の女です。そのような者と直接会うのは、あまりにも不用心では?」

「……何が言いたいのです?」


 さっきの女か……只の令嬢ではないな?
 軍事訓練を受けた者特有の、警戒姿勢を取ろうとしているのだ……己の半身と共に。
 流石は欧州を任されているグラシス将軍……孫娘だからと言って例外も無ければ便宜を図る事もしないようだ。


「警備の者がいないこの状況……貴方の命を奪うには好機かと」

「……!」


 何せヤガミはミリアさんとすっかり己らだけの世界に浸っているからな……仲間外れにされたといった風に拗ねてるメティが少々可哀想だな。
 他に男が三人居るが……一人を除いて肉弾戦で役に立つ人材ではないな。
 大柄な男はヤガミ並みの実力はありそうだが……。


「じゃあ何故そうしない?」


 ……嫌な目だ。
 全て解ったといった調子の、底知れないその視線!
 私の実力では自分を止められない……そんな風にも見ているに違いない。


「私が貴方に試されていると承知しているからよ……漆黒の戦神。それに……メティの前で刃を向ける事は絶対にしない」

「優しいね……」


 メティに向いた微笑みを見て、私は一つ漆黒の戦神の認識を改めざるを得なかった。
 子供の前で純粋に笑える人間が……愚かな筈は無いからだ。


「ウツキさん……この欧州は木連によって大きな被害を受けた土地だ。防衛計画の失敗、上層部の無理解、幾多の戦略ミスを繰り返しながらもなお……俺達がこの場所を守る理由、解るかい?」

「……純粋にこの地を、この地に住む人々を愛するが故?」

「そうだ。この地の人々を守るための手段として、俺は和平を望んでいる」


 言い切ったな。
 その言葉には一切の迷いが無い……そしてそれを見守るあの双子を始めとした、周囲の人間の眼光にも。


「だが、無知蒙昧な連中のせいで和平への道は閉ざされつつある。今一度、それを切り開くには俺達だけでなく………木連や豪州もこの試練を乗り越えないといけないんだ」

「その事を知らしめる為に貴方は行動を起こした……と認識していいのかしら」


 そうだと言う風に、テンカワ=アキトは頷く。


 ……確かに、戦闘能力以外の実力もそれなりに高いようだ。
 人心の見極めに長け、場の雰囲気を維持し続ける才能もある。
 だが……気迫は先代会長ロバート氏に比べ僅かに劣るように見える。
 カリスマ性もありそうだが、舞歌様と違い老若男女問わず支持を集める事は出来そうにない。
 何故か……それは彼が優しすぎるからだ。
 ……故に非情になれない。
 敵に対し冷徹に振舞うならば、味方に対しても厳しく接するべきなのだ。だが……この男は戦闘中に敵を助けようとする程のお人良しだ。
 優しさと助け合いとは無縁の、権力闘争の世界において果たして本当にやっていけるのか? 私もこの世界を勝ち残り、優人部隊の栄光を手にしたのだ。その時の私は……少なく共今の私ほど他人を思いやる事はしなかった……。
 今度の闘争は、私が経験した修羅場など茶飯事に過ぎないほど規模が大きい。
 最後まで闘い続ける事が出来るのか、彼は?
 何よりも……。


「そこまで考えているならば、私からは何とも言えないわ。後はアクアを含め多くの人間の理解を得る事ね、ただ……」


 そこで唐突に、暇そうにしていたメティを手招きする。


「ん? なあに?」


 私に呼ばれたことでメティは、喜んで駆けつけてくれた……いや本当、こう表現するのが一番といった元気さだった。


「この子を二度と……厄介事に巻き込まない様にしなさい。さもないと、私は貴方を信じない」

「……?! メティちゃんを……何故だ?」

「答えなさい! 彼女を守る気があるの、無いの?」


 思いも寄らない問いにテンカワ=アキトと、その周囲の人々も戸惑っている。
 只一人メティだけが、私に頭を撫でられて無邪気に笑っている。


「……ああ、約束する。必ず彼女を守って見せる! もう二度と彼女を危険な目には遭わせない!」


 それは心からの力説だった。
 大切な物を失う辛さを知った者だけができる、誓いとも取れた。


「ありがとう……少数(マイノリティ)を切り捨てる様な考えの持ち主だったら、どうしようかと思ったわ」


 今度は私が、彼らを驚かせる番だった。
 ヤガミでさえもミリアさんとの会話を止め、こちらを見つめている。


「……木連も豪州も、地球と比べれば赤子同然だわ。そんな私達すら地球連合は許容する事をしなかった……大事の前の小事、大義の為の些細な犠牲、必要悪……そんなの私はもうウンザリ。目の前の弱きを守れずに何が大事よ、何が大義よ……! でも貴方にはその覚悟があると、私は信じたい。如何なる困難をもろともせず、その優しさで全てを正す覚悟が……」


「……木連にも君のような人が居てくれた事に……感謝したい」

「それはまだ早いわ……全てが終わってから、改めて礼を言いましょう……お互いに」


 この瞬間、私達の懸念は互いに消え去った。
 ……とは言っても彼に全幅の期待を寄せるような事はしない。
 世界は、誰よりも非情だからだ……何が起こるか、どういう結果が待つかは神すら知らないのだから。
 





「御馳走様。ヤガミ、ミリアさんのあの腕が、いずれ貴方だけに振るわれる事がかなり残念だわ」


 私はこの幸せそうな空間に、今宵一晩だけ馴染んだ。正直話が終わったら素早く退去するつもりだったのだが、またしてもメティに呼び止められ御馳走になる事に。
 そこで私は漆黒の戦神の恐るべき一面を垣間見る事となった。
 ……料理が美味いのだ。
 大抵のオーナーシェフならば裸足で逃げ出してしまうだろう……まだ豪州が連合の一部だった頃、何かとアクアのディナーに付き合わされていただけに舌はこれでも確かである。
 そしてミリアさんの料理も負けじと劣らずヤガミが褒めちぎるだけあって、美味だった。
 それだけに私はちょっと惨めな気分になった。
 何故私は女なのに料理ができないのだろうか、と。
 ……彼ほどとまではいかないが、いつか料理もできる女になってみせると、私は固く決意した。
 何故なら料理は、人に笑顔を与える事が出来る、痛みを伴わない技だから。


「言ってくれるなぁ。まあ俺だけ独り占めってのもアレだしな。何時か遊びに来いよ、メティも喜ぶ」


 夜も更け、見送りを受けつつ私はここを去る所だった。
 ヤガミとミリアさんは肩を寄せ合い、メティも眠そうな瞳を擦りながらここにいる。
 見送りはこれだけ。
 テンカワ=アキトとあの双子……サラとアリサと言うらしい……と二人の男は明日の出発に備え準備中。
 後もう二人、女性と少女がいたがこちらもいない。
 彼女らは、終始私の事を警戒していた。
 私の存在は常識から考えれば、獅子身中の虫なのだ……正しい反応ではある。


「ふあ……ウツキお姉ちゃんも泊っていけば?」

「ふふ、それは無理。今度遊びに来た時は、メティのお家に泊まらせてもらうから」

「本当? 約束……だからね……?」


 ここでメティは力尽きた。
 私なんぞの為に一生懸命寝ずにいてくれた事に、少々罪悪感を感じる。


「本当にありがとう。私……ウツキさんに何てお礼を言ったら……」

「そう思うならなら、貴女が今味わっている幸福をメティにも与えて行って下さい。ミリアさんはあの子を幸福に出来る、一番近い人なのですから」


 肉親こそが、子を幸福に導く事が出来る第一人者だ。
 故に、親に恵まれない子は幸福から遠ざかってしまう。
 私に親はもういない。
 だが別れる前に私に多くの幸せを与えてくれた。
 だから、例え他より遠回りになってでも、私は幸せを掴めたのだと思いたい。
 ……でも私は、一度たりとも何かを返せたのか?
 貰うだけ貰っておいて……それだけだった?


『そんな事は無いぞ……お前は……』


「……ゥくっ!!」

“ドッ!”


「おい?! ウツキっ!!」

「ウツキさん?!」

「あ、頭が……軋む……!」


 動けない……痛みで一切の体の自由が、利かなくなっている!
 まるで……頭の中身だけ炎であぶられている様だ……!


「しっかりしろ! おい……!」


 そのまま、私の脳は燃え尽きてしまったかのように……フッと何も考えられなくなった。



その2へ