2195年、第一次火星会戦と呼ばれる木星蜥蜴(現木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ・及び他衛星国家間反地球共同体、以後木連)艦隊と地球連合宇宙軍第一艦隊との激突で始まった蜥蜴戦争は、かの第二次世界大戦以来久しぶりの総力戦であり、新技術を駆使した嘗て無いほどの科学戦であった。

 相転移エンジン、ディストーションフィールド、グラビィティブラスト、ボソンジャンプ、この蜥蜴戦争を前後して起こった技術革新は第二次世界大戦において起こった技術革新と同じく戦況を一変する古今未曾有の科学大発展であり、それは現在我々の生活の一部にもなっている。今や我々はボソンジャンプ無しに恒星間国家など考えられない。
 まさしく戦争は文明の父であると言えるだろう。

 しかしながら、現代に伝わることなく蜥蜴戦争の戦火に消えた技術・兵器やその後の歴史の中で禁止され放棄された技術・兵器も数多く存在する。
 その中でも特に有名なのは地球連合において木連製無人兵器に対抗して開発された完全無人戦闘機『ラルク(弓)』シリーズや大出力相転移エンジンを装備し、強力なディストーションフィールドで敵の攻撃を弾きつつ、艦隊中央で相転移エンジンを暴走させ敵艦隊を屠る自動突撃艦計画『トータルアインザッツ(全面献身)』、さらには木連でも地上戦用にキャタピラと重力制御機関で機動する超巨大機動要塞『ねまちづき』等々、技術の大規模な発展期、過渡期にありがちな技術過信の兵器やアイデア倒れの開発計画が多数存在したのである。

 そうした数多くの失敗作、駄作の中でも一部の兵器は実戦投入され、蜥蜴戦争の戦野で技術発展の仇花として散っていった兵器も存在した。
 『I』計画と呼ばれる兵器開発計画もその1つである。
 『I』計画はかなりの完成度が高かったらしく実戦でも大きな戦果を上げ、その活躍は公史にすら登場している。しかし、その知名度は大変低く、また資料も戦中、戦後の混乱などで散逸してしまっていて『I』計画がどのような計画だったのか現代では知るすべはほとんど無いと言ってもいい。

 しかし、近年の情報公開や地道な資料収集などで『I』計画、また『I』計画が関わった戦闘などが徐々に明らかにされつつある。
 本書は蜥蜴戦争初期の混乱した戦場で戦い、そして消えていった『I』計画の全貌を明らかにしようとするものである。

『世界の珍兵器・迷兵器大全VOL15『I』計画〜ヨーロッパの孤独な鉄騎士〜』より 






 2196年3月11日 東部ポーランド 高度1万メートル
 
 地球連合空軍欧州第3戦術航空団に所属する第166戦術戦闘飛行隊の12機の戦闘爆撃機は戦闘編隊を組んでポーランドの高空の風を味わっていた。
 エアインテークから吹き込む風は亜音速なので、ろくに味わう暇なくエンジンを通過していってしまう。それでは微細な高空の風を味わうことは出来ない。

 ただ一つ分かることがあるとすれば、芯から体を振るわせる凍てた空気の痺れだけだろう。
 今日は雲ひとつ無い快晴であるけれど、高度1万メートル高空はどんな高山の頂上よりも冷えている。
 だがしかし、CECS(キャビン環境コントロールシステム)のおかげでキャノピの内側は小春日和だった。
 戦闘空域はまだ遠く、オートパイロットのおかげで何もすることが無い。
 自然と瞼が重くなる。

「ねむい」

 第166戦術戦闘飛行隊を率いるスバル・リョーコ中尉は生あくびを噛み潰すと機に持ち込んだ航空用魔法瓶から熱いコーヒーをカップに注いだ。
 カップも魔法瓶も分厚いフライトグローブを着用していても使用に差し支えないように大柄に作られている。その分一度に持っていける量も多い。普段から何か遠出することがあれば、リョーコはこの魔法瓶を必ず持参した。
 なみなみとカップに注がれたコーヒーをすする。

 キャノピにはリョーコ一人。少々さびしい。
 愛機のエンジン音は猛々しく、無視しがたいが、それも既に慣れてしまった。大推力ジェットエンジンの咆哮でさえ慣れれば子守唄になるのである。
 人間は偉大である。どんな劣悪な環境でも慣れてしまえば、そこに幸福すら見出せるのだから。
 
「暇だ」

 雑談する相手がいないので、知らないうちに独り言やぼやきが多くなってしまう。
 地球連合空軍の主力戦闘機"シエル"は高度にコンピューター化されていて、フライトオフィサー無しでも十分に電子戦ができるように設計されていた。

 シエルはその言葉が示すように、フランスのダッソー・ミラージュ社が開発した画期的なマルチロールファイターだった。ダッソー・ミラージュ社の伝統ともいえるデルタ翼にカナード・CCV・デジタルフライバイヤ・ステルスなど現代航空機の必須装備を完備し、その圧倒的な低価格で、これまで米国系企業の独壇場だった地球連合空軍の主力戦闘機のベルトを久しぶりに欧州に持ち帰った優秀機だった。

 価格が安いからといって、性能が低いと言うわけでもない。
 航空機で初めて採用されたIFSのおかげで従来では考えられないほどの柔軟で高速な操縦が可能になっている。
 とはいえ、この戦争にシエルが生き残ることが出来るかと言われたら、それはかなり疑問だった。
 近年の重力制御機関の発達のおかげで巨大な宇宙戦艦が平気で大気圏内を航行するし、文字どおり光速で飛ぶ対空レーザー砲などの対空兵器は超音速で飛ぶ戦闘機を簡単に捕捉する。ライバルは日進月歩で進歩するのに航空機はついていけなくなっていた。

 22世紀は航空機の黄昏の時代とも言える。
 既に軍備の中心は宇宙軍に移り、天敵の対空レーザー砲のおかげで迂闊な対地攻撃も出来ない。
 それでも空軍がなくならないのは、今や地球連合の成立によって大国間の戦争は完全に消滅したにもかかわらず、日々世界各地で起こる国境紛争や宗教紛争の鎮圧に最適だからである。
 大した対空火器のないゲリラやテロリスト相手なら、20世紀後半や21世紀前半に開発された技術レベルの航空機で十分だった。事実、21世紀の後半から航空機の性能は大して変わっていない。
 
 シエルは黄昏の空を飛ぶ。
 もう終の見えた空であるけれど、それでもシエルは己の本分を全うすべく、軸流圧縮式ターボファンエンジン"スリールX"を咆哮させる。
 リョーコはそんなシエルの境遇に同情的だった。
 リョーコが軍を志したのは父親が戦闘機のりだったからである。幼いころ父親に連れられて見に行った戦闘機が翼を休める巨大な格納庫の圧倒的な情景はリョーコが成人した後でも一定の憧憬と幻想を保っていた。
 それは自分がこうして戦空を駆けるシエルドライバーになっても変わらない。
 現実は移ろい易いものだけれども、思い出は決して変わらない。あの日の情景だけは永遠なのだ。

「らしくないな…」

 何時の間にか詩人めいたことを考えてしまっていた自分に気付いて、振り払うように頭を振った。
 自分の中にこんな感傷的なものが存在するのが信じられなかった。
 静かにISF端末を握りなおす。強化プラスティックの硬質な手触り。自分にはこちらの方が相応しい。この確かな実感があれば、他に何がいると言うんだ。
 一瞬でも血迷ったことを考えてしまった自分を呪い。出しっぱなしだった魔法瓶をしまった。
 対象の見つからないリョーコの苛立ちを諌めるように警告ランプが灯る。
 
「敵機か」

 後方で早期警戒任務についているAWACSが警報を鳴らしていた。
 リョーコが率いる飛行隊は完全に電子的な沈黙を保っている。各機は自ら電波を出すことなく、逆探知やIRST(赤外線探知装置)などパッシブ(受動)のみで周囲を探っている。アクティブ(能動)な索敵は後方のAWACSの大出力パルスドップラーレーダーが頼りである。
 これならば、自分が発信したレーダー波で自機の位置を悟られることは無い。AWACSからの敵機接近警報を受けたシエルの中枢コンピューターは自動的にオートパイロットからドグファイトモードに切り替える。
 
「2時方向。低空を高速接近中」

 AWACSの戦闘管制官の無機質な声がレシーバーに直接響くのと同時に、コミュニケーターの作り出したウィンドウに8つのブリップが光りだした。
 タクティクス・データーリンクによって後方のAWACSから送られてきた各種戦闘情報がウィンドウに高速表示されていく。
 敵の速度、高度、機種、脅威の度合い、自機の速度、友軍機の速度、気圧、風の状況、近辺を飛行中の友軍機の状況、エトセトラ、エトセトラ。
 そして、そこから導き出される最高の戦術がウィンドウに表示される。
 パイロットの仕事はコンピューターが用意した戦術を、飛行コースを、空戦機動を、確実に実行すればいい。自分で考える必要などない。22世紀の戦闘機パイロットに必要なのは盲信的なコンピューターへの信頼と殺人的な空戦機動に耐える体力である。

『周囲に援護可能な友軍機なし、撤退不可、自力排除』

「簡単に言ってくれる」

 ウィンドウの表示はリョーコの悪態に小揺るぎもしない。するわけも無い。
 第166戦術戦闘飛行隊は後方からついて来る攻撃隊の護衛を任務としている。敵機を放っておくわけにはいかない。

「よーし、あいつらを食うぞ。野郎ども!オレについて来な!」

「合点承知!」

 威勢のよい返事が編隊各機から返ってくる。
 それに負けないようにリョーコは声を張り上げた。

「よーし!フォックス・スリー!」

 中距離アクティブ・ホーミングミサイルが火薬の力でシエルとの結束を解かれた。
 ミサイルは針のように細く、そして槍のように異様に長い。最高速度マッハ12という奇天烈なまでの凶速を叩きだす為にそのような特異な形状をミサイルは与えられていた。従来のミサイルでは大気との摩擦に耐えられないのである。
 この最新型の超高速ミサイルを回避するのは絶望的なまでに難しい。

 アンチミサイル・ミサイルかパルス・レーザーガンで叩き落とすか、死人さえでる高機動回避でもしなければ逃げられない。
『黒鍵』と名づけられた超高速ミサイルは白煙を曳いて遥かかなたの敵へ向かって突進していった。それを見送る者はいない。
 AWACSは飛行隊がミサイルを放つと同時に、敵も同種のミサイルを放ったことをあらゆる方法を使って全力で飛行隊に伝えた。
 肉声で、ウィンドウで、データーリンクで、緊迫した空気が瞬時に伝染する。
 それを受けて飛行隊は回避運動に入る。

 リョーコは僚機を引き連れて、高性能な電子の魔眼から逃れるべく左旋回を開始する。
 ぎりぎりと、全身を軋ませる大G旋回の最中。リョーコはふと誰かの視線を感じた。背後から迫り来る高速ミサイルの電子の魔眼ではなく、普通の人間の視線を、である。
 大G旋回で血が回らなくなった頭がその意味を捉えようとしたが、背後で旋回についていけなくなったミサイルの自爆の衝撃で綺麗さっぱり脳裏から旋回中に感じた視線のことは消えてしまった。そして思い直す。
 他のことを考えている暇など無いことを。
 今は戦闘中で、木星蜥蜴に白旗は通じない。殺られる前に殺るしかないのだ。

「レディ・ガン!アクション!」

 高速射撃管制システム起動。機首の20ミリ6連装バルカンに火が入る。
 ミサイル掻い潜った敵戦闘機に向けて、シエルは猛々しい鉄の咆哮を上げた。



 2196年3月11日 オーデル川

「上手いものだ」

 中世の古城を臨むオーデル川のほとりで、少佐は空を見上げていた。
 左眼に装備された戦闘用高精度義眼"ロート・モーント"は良好に作動中。カール・ツァィス社製高精度レンズの視界は極めて良好。
 それにて空を眺める。視線の先には戦闘機の格闘戦が織り成す飛行機雲の螺旋階段。友軍機が木星蜥蜴と空中戦を繰り広げている。

「ハインツ、何を見ているんだ?」

 聴覚デバイスが接近する足音と人語を捉える。聴覚デバイス"JCV改"も作動状態は極めて良好。整備班の尽力と技師の努力に感謝。
 背後より接近してきたのは私の部下であり、そして私の唯一の友人であるマルダー・ユキカゼ曹長であった。

「ロート・モーントの動作試験を兼ねて友軍機の空中戦を観戦している」

「友軍機?まだ残っていたのか…」

 ユキカゼの顔には驚きが浮かんでいる。
 おそらく私も感情喪失手術を受けていなければ同様の表情を浮かべたことだろう。しかし完全義体化手術と感情喪失手術を受けた今では、そのようなことはありえない。

「おそらくは生き残りの精鋭部隊だろう。優勢に戦闘を進めている」

 武装義腕で空を指し示す。そこでは友軍機の編隊長らしき機が大G旋回を行っている。

「ぜんぜん見えない」

 ユキカゼは目を凝らしているが、見える道理はなし。対象の高度は優に10000メートルを超えている。さらに音速で機動中でもある。
 我が身に備えられし戦闘用義眼ロート・モーントは真昼に星を見ることすら可能な遠距離望遠能力を誇っている。これならば対象である編隊長機を捉えることなど造作も無い。

「その編隊長機に乗っている奴はどんな奴だ?」

 ユキカゼは諦めて米国人のように肩をすくめる。

「女性だ。頭髪を緑色に染めている。服飾規程違反だ」

「硬いことを言わない。それをいうならお前は違反だらけだろう?」

 ユキカゼは笑う。なぜ笑うのかは、感情のない自分には理解不能。しかし友人が笑うのは幸いである。ユキカゼが笑うのは1週間と12時間11分ぶりあった。

 ユキカゼ曹長との付き合いは戦前から続いている。戦前から続けられている『I』計画の被験者である自分は開戦前に完全義体化手術を終え、軍務に勤しんでいた。軍務の大半は『I』計画の主眼である新型機動兵器の各種テストであるが、それが済めば私は一人で毎日近くのバーでビアーを飲んで宿舎に帰る毎日を送っていた。

 それが変化したのは3年前、いつものように私がバーのカウンターで飲んでいると当時軍曹だったユキカゼが突然話し掛けてきた。もちろん私は全く相手にしない。これまでもずっとそうしてきた。誰にも話しかけず、誰からも話かけられない。私の行きつけのバーはそのような人間が行く店であった。

 しかし、ユキカゼは全く気にする様子もなく私につきまとった。長い時は一晩中、一方的に話し続けた。理由は不明。何度もついてこないように注意し、何度もその理由を尋ねた。しかしユキカゼは一度も明確な答えを返したことは無い。
 そのようなわけで、しばらく私は晩酌を諦めることにした。外にでると営門の傍で隠れていたユキカゼがついてくるのからである。ユキカゼは「偶然だ」と言ったが、明らかにユキカゼは待ち伏せをしていた。

 何故そのようなことをするのかは不明。一度は『I』計画を探ろうとするスパイである可能性を疑って、上官に報告したが、何故か上官は酷く私のことを叱った。その理由は未だに不明。
 兵営にいる限り、ユキカゼは私をつきまとうことはなかった。ユキカゼは公私混同をしない人間だった。
 そのようにして私はユキカゼのつきまといから逃れたが、月に数回外に出なければいけない日があった。

私の上官、ユキカゼの件で私を叱った上官は私の恩人だった。感情喪失手術を完全なものにするために過去の記憶は削除されているが、その上官のことは覚えていた。なぜ彼を恩人だと思うのか、理由は不明。しかし恩人であることは絶対的に確かだった。その上官はかなりの酒好きで、私は月に何度か外に連れだれた。

 それは月のない夜だった。
 私は酔った上官を車で兵営に送り返して、自分は歩いて帰ろうとした。帰る途中、私は酔った兵達に絡まれた。
 その兵達は部隊でも特に素行の悪いことで有名だったが、その日は特に機嫌が悪かったらしく、酷く酔っていた。相手が大尉であることに気付かないほどに。
 私には味方を攻撃しないようにIFF(敵味方識別装置)が備えられていた。既に私の体は"兵器"なのであるから当然の処置である。
 例え、それが酔った兵でもIFFは反応した。

 人気のない暗い路地裏で私が一方的に暴行を受けているとユキカゼが現れた。おそらく私のことを探していたのだろう。もしかすると車で送り返した上官の車をつけていたのかもしれない。走って戻ってきたのだろう、随分と荒い息をしていた。
 酔った兵達は反撃出来ない私を置いてユキカゼに向かっていた。私は激しい暴行で機能不全を起し、立つことも出来なかった。
 その時起こったことは私の記憶デバイスに削除禁止指定で保存されている。

 酔った兵がユキカゼに掴みかかろうとした瞬間、兵は紙切れのように宙に舞っていた。投げ飛ばされた兵と同じように掴みかかる寸前だった残りの兵が2人、明らかに動揺して足を止めようとした。
 しかし、彼らは勢いがつき過ぎていた。さらにユキカゼは既に一歩前に出ていた。
 一人は独楽のように回転しながら宙を舞い、もう一人は顔面を踵に割られた。
 鮮やかな手並みだった。感情喪失手術がなければ、その美しさにほれぼれとしていただろう。酔った兵達の粗雑な暴力の対極に私は息を呑んだ。
 私はその夜、ユキカゼの肩を借りて兵営に帰った。
 ユキカゼとの付き合いはそれ以来である。

「ユキカゼ、私のどこが服飾規定違反なのだ?」

 私の服装は正式なドイツ国防軍地球連合拠出軍団グロス・ドイッチェラントの定めた野戦服だった。3月の東プロイセンの気候に合わせた冬季迷彩仕様である。違反などどこにもない。
 ユキカゼはつまらなさそうに答えた。

「大隊のみんなはそんな服着ていないぞ。だからお前一人だけが正式なのはおかしい。正式なほうがかえって異常だ。多数決でお前の異常決定」

「隊の服装については憂慮している。しかし、それとこれとは別問題である」

 既に衣料の補給が途絶えて久しい、武器弾薬の補給はさらに途絶えて久しい。大隊の兵には夏服を重ね着している者も数人見受けられた。私物のコートを着ている者も多い。
 ユキカゼはますますつまらなそうに言った。

「別にどうだっていいんだ。そんなことは」

 完全に意味不明。ユキカゼは月に2回ないし、3回、私の理解を超えた行動に出ることがあった。
 その日は諦めて耐える他、道はない。
 とりあえず、話題を変える。

「ユキカゼ曹長。陣地構築の進捗はどうなっている」

 ユキカゼは私の意図を汲み取ったのか、顔を仕事用に切り替えた。

「はい、少佐殿。陣地構築は順調に進んでいます」

 ユキカゼは自分に理解できない奇行を多々成すが、それ以外ならば平均以上の能力を誇る。兵達の信頼も厚い。
 ウィンドウが展開される。野戦用のコミニュケは耐水、対衝撃能力をもたせてある為に非情に大きく、頑丈に出来ている。ユキカゼは腕ではなく、腰に着用して使用していた。

「既に塹壕は10割、その強化は7割、近くの放棄された町の家を解体して資材を作りました。コンクリートも僅かですが手に入りました。それで司令部を置くトーチカを作ります」

「武器弾薬の集積は?」

「それも予定どおり。撤退した部隊の遺棄した弾薬を確保しました。予定よりも10%の余裕があります」

「ルーデル中将は約束を違えなかったな」

「はい、これならば十分にやれます」

 ユキカゼは不敵な、自信に満ちた笑顔を浮かべた。自分も高い確率で防衛の成功を確信する。
 2週間前、自分が率いる第6機甲大隊は第5装甲師団長、ルーデル中将から後衛戦闘を命じられている。欧州地球連合軍の残存戦力がドイツ本国に撤退するまで2週間、後衛戦闘で時間を稼がなければならない。

 これまで1週間にわたる機動防御にて稼動戦車は尽き、新兵器のエステバリスも残すところ1機だが、組織的な戦力は残している。
 防衛に徹するのならば、まだ数度の戦闘に耐えられる予定。
 これにあらかじめルーデル中将に依頼していた武器弾薬と陣地構築があれば、更に長期間の防衛が可能。ならば、連合軍の残存戦力の再編し、増援として来援することを期待することもできる。

 最低限、後一週間。撤退中の残存部隊がオーデル川渡り終えるまで持ちこたえなくてはいけない。
 オーデル川が落ちれば、後はベルリンまで一直線である。
 既に制空権を喪失し、ベルリンは敵機に蹂躙されままであるが、まだ軍靴に踏みにじられたわけではない。

「それと、ロシア製ですが、戦車も何台か動くのを確保しました。これは埋めてトーチカとして使いたいのですが、よろしいでしょうか?」

「オットー(燃料)の不足か」

「はい、ライター分しかありません」

 燃料、現在でも戦車や装甲戦闘車両の大半は化石燃料で動いている。水素エンジンは馬力と耐久性に難がある。過酷な戦闘には耐えられない。
 
「待て、大隊の移動用トラックのタンクに燃料が残っていたはずだ。それを戦車にまわせ。機動防御用に動ける戦車が必要だ」

「はい、ですがそれでは撤退時の移動手段がなくなります」

「人間には2本の足がある。我々はここに戦争をしに来たのだ。戦闘能力の維持に資材を優先配分しろ」

「了解しました」

 表情に出ないが、ユキカゼは納得した様子ではなかった。
 それは自分とて同様である。しかし、不満が頭をもたげることは無い。感情喪失機構は良好に作動中。

「これが栄光あるGD(グロス・ドイッチェラント)軍団のなれの果てか・・・寂しいもんだ。クルスク戦さえなければ、こんな惨めなことにはならなかった」

 ユキカゼは愚痴を言っている。人間的な感覚。自分が消してしまったもの。
愚痴は戦術的に意味は無いが、戦略的には意味がある。愚痴やユーモアしか、この果ての戦場では精神を安定させるものはないからである。
 ユキカゼの愚痴を聞くのも自分の日課の一つだ。

「クルスク戦では近すぎる。この凋落はボルゴグラード攻防戦によるものだ」

「それを言ったら、モスクワ戦まで遡るぜ?あそこでロスケが負けたのが痛すぎた」

「ユキカゼ曹長。ロシアは地球連合国の構成国であり、友軍である。せめてロシア軍かロシア拠出軍と言いたまえ」

「お断りだ。ロスケめ!せめて給料分の仕事をしろ」

 人によれば聞くに堪えない悪態をつきながら、ユキカゼは土手を降りていった。ここへ来た時よりもストレスが蓄積したように見受けられた。時折このようなことがある。やはりユキカゼは不可解だ。
 私は再び戦闘用義眼ロート・モーントの動作試験に戻る。齢は50を超えているが、完全義体手術のおかげで軍務に問題なし。ロート・モーントの調整が済めばさらなる高性能を得ることが出来るだろう。
 私は再び、空戦を続ける編隊長機に視線を戻した。



 同時刻 オーデル川上空 高度1万メートル

「しつこい奴だ!」

 リョーコはじっとりとIFS端末に汗が滲むのに気付いて顔をしかめた。さらに聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせようとしたが、ミサイル・ロック解除の為の大G旋回で肺が潰されてぐうの音も出ない。
 敵機はリョーコの背後に吸いついたように離れない。流体力学を極限まで追求して得た優雅な肢体と威嚇的に突き出した前進翼、2基の大推力エンジンを備えた超音速の猛禽、ロシア製制空戦闘機Mig45"アインナッシュ"占領されたロシアの戦闘機工場で量産された無人タイプ。

 連続バレルロールを打ち、必死にミサイル・ロックをかわしつつ、同時に攻守逆転の作戦を考える。愛機の中枢コンピューターが戦術を提案するが、無視。この状況でこの程度の戦術は新兵だって思いつく。
 こんなときに役に立つのが人間の経験と勘である。コンピューターの言いなりになっていては勝てる戦闘も勝てない。相手は無人兵器。戦闘情報の処理スピードは神が創造した最も高性能なコンピューターである人間の脳さえ上回る。相手の意表を衝くのは難しい。

 しかし、人間の直感は精密ではないが、正確だった。
 ぎりぎりと体を締め付けるバレルロールの途中、直感的なひらめきが浮かぶ。こんな時にこそIFSの真価が発揮される。
 すぐさま命令が体内のナノマシンによって機体の中枢コンピューターに送られ、それを解読。中枢コンピューターは5基用意されているフライトコントロールシステムに命令を伝達し、フライトコントロールシステムが機体を制御して、リョーコの望む空戦機動を実現する。

 バレルロールの特徴的な樽をなぞるような螺旋軌道が一瞬にして崩れ去り、リョーコの愛機は強引な背面降下に入る。
 一瞬のブラック・アウト。回復。愛機は引き起こしに成功。スプリットS、成功!
 敵機はリョーコ機の機動に追随できず、オーバーシュート。
 慌てふためく敵機を尻目に、リョーコ機はさらにアフターバーナーを噴かして上昇宙返り、最初の高度に復帰する。目の前には敵機。一瞬にして攻防が逆転してリョーコ機がミサイル・ロックをかける。
 軽い電子音。FCS(火器管制装置)が短距離高速超ミサイルをセレクト。

「フォックス・トゥー!」

 軽い衝撃と共に短距離超高速ミサイル"ユニコーンZ"が機体を離れる。フライトコンピューターが自動的にあて舵を入れ、機体の進路を保つ。
 まるで鉄杭のように見えるユニコーン・ミサイルは加速。最高速度マッハ11まで35秒。弾着まで253秒。ミサイルの赤外線シーカーが作動。ミサイル、敵機を追尾。
 敵機はフレアーを放出。同時に大G旋回。回避運動を開始。
 その敵機の必死の回避を見てリョーコは笑う。どうしょうもなく唇が凶る。
 ああ、これこそ戦争。オレの仲間を殺した奴の仲間を、オレが殺す。死ね、死ね、死ね!

「遅いんだよ」

 ミサイルはフレアーの熱量と進行方向から欺瞞を看破、敵機へ向かう。22世紀最高の短距離空対空ミサイルの追尾能力はまさに魔弾、運命の猟犬。白煙を曳いて飛翔するさまは、さながら魔法の矢。
 ミサイルは敵機に肉薄。ミサイルのマイクロコンピューターはシエルの発信するレーダーのパルスと敵機から反射波のパルスのドップラー周波数を比較、敵機に最接近した時に発生するミニマム・ドップラーゲートを捉える。起爆信号発信。ミサイル、爆発。
 マッハ11の超音速衝撃波と最新のコンポジション炸薬の爆発、大量のスプリンターが半径25メートルの空間を制圧。敵機、爆散。

「よっしゃあ!」

 IFS保持者の特徴である手の甲のタトゥーが一際光り輝く。
 感情が昂ぶっていた。
 歓喜が脊髄を突き抜けていく。まともな人生では決して味わえないピュアな狂喜。全身が熱く濡れそぼった性器になってしまったような感覚。
 何物にも代えがたい、この強い衝動。

 白痴のように笑う自分を発見して頭を振った。いかん、このままだと本気で戦闘快楽者になってしまう。
 だが、思う。人さえ死ななければ、戦争は最高のゲームだ。いや、違うな。無意味なまでに命と金を盛大に浪費することが楽しいのだろうか。いや、それも違うような気がする。

 きっと、この全身が沈み込むような濃密な死と真正面からぶつかって生の喜びを体感することが楽しいのだ。素面では決して得られない、この感覚が酷く愛しい。この喜びの刹那がある限り、戦争は決してなくならないだろう。
 
「こちらトオノ。現在低空を通過中の攻撃隊が敵機の攻撃を受けている。手の空いた機は至急救援に向かえ」

 後方のAWACSからの命令が飛ぶ。
 既に戦空は混乱した格闘戦に入っている。この状況での救援はかなり厳しい。AWACSの航空管制官は必死に戦闘の管制をしようとしているが、うまくいっていなかった。
 攻撃隊は進撃中の木星蜥蜴の機甲師団を叩くために爆装している。敵機に狙われたらひとたまりも無いだろう。
 急がなくてはいけない。

「こちらナナヤ1。ナナヤ2、無事か?」

「こちらナナヤ2。姉さんの後ろにいますよ」

 ぴたりと、戦闘のさなかに離れ離れになっていた僚機がいつもの定位置についていた。キャノピの中で見慣れたひげ面が手を振っている。
 馬鹿笑いをしていて接近に気付かなかった自分が少々恥ずかしい。

「忍び歩きなんてすんじゃねーよ。お仲間を助けに行くぞ」

「合点承知!」

 機敏な動作でリョーコ機は機首を翻して、攻撃隊の救援に向かった。



 同時刻 オーデル川

 超音速の轟音が頭上を突き抜けていく。
 低空で侵攻する攻撃隊のジェットエンジン音である。回線を保守するために聴覚デバイスを一時的に遮断。
 戦闘用高精度義眼ロート・モーントは精密索敵モードにて目視監視を実行。
 IFFと目視にて攻撃隊の編隊に2機の敵機を発見、機種はSu−57と確認。Su−57はこちらに気付くことなく通過。
 攻撃隊の今後の作戦行動が危ぶまれる。同時にベイル・アウトしたパイロットの救助の必要性を認識。対策を打つ。

「ハーゲン技術大尉。"ファウケ"を起動する。準備にかかれ」

「ファウケをですか?敵はまだ来ていませんが」

 迷彩柄のノートパソコンのモニターからハーゲン技術大尉が顔を上げる。
 ハーゲン技術大尉との付き合いは長い。ハーゲン技術大尉は『I』計画の主要メンバーの一人である。主に観測機器の調整を担当。
 現在義体の調整中。自力での調整も出来るが、専門家にまかせるほうが効率的と認める。

「ベイル・アウトしたパイロットの救助を行う。空軍の救助ヘリはあてにならん」

「しかし、敵の機甲師団が接近中と聞きますが」

「その為のファウケだ。ファウケならば戦車やバッタなど問題にならん」

 わかりました、とハーゲン技術大尉は言い。頭を掻いた。
 長らく散髪していない髪から大量のフケが飛散する。義眼ロート・モーントが、飛散したフケがノートパソコンの隙間に入りこんでいくのを捉えた。
 同様ことが我が身にも起こっていると推察される。
 人間的な不快感はない。しかし、動作不良の恐れがあるために早期にここより離れることが必要と思われる。

「では、よろしく頼む」

 私は椅子代わりに使っていた空の弾薬箱から腰を上げた。ハーゲン技術大尉は先行。出撃準備に向かった。
 我が愛機ファウケはここより50メートル離れた林の中に偽装して待機させてある。空軍が敗れ、我が軍が制空権を喪失して久しい。今や機動兵器、装甲戦闘車両の昼間戦闘は無謀と言える。待機中も入念な偽装が必要。
 土手を降り、ファウケの隠されている林へ向かう。
 途中、土手で休む兵達を視認。兵達はラフな敬礼で挨拶。私も片手を上げるだけで返礼。
 記憶デバイスを検索、先ほどの兵達は以前放棄されたワルシャワ空軍基地の整備兵達と確認。整備する機体がなく歩兵として防衛戦闘を行っているところを、我が大隊と合流。現在はハーゲン技術大尉の下、ファウケの整備を担当している。
 記憶デバイスのログが間違っていなければ、兵達は既に1ヶ月以上笑っていない。兵達の笑顔が消えてどれくらいになるのか、正確な記録は無かった。

「少佐殿。出撃ですか?」

 ファウケの元にはユキカゼがいた。
 
「そうだ。ベイル・アウトしたパイロットを救助する」

「後方の師団司令部からファウケの出撃は、昼間は控えるように命令を受けていますが」

「通信機の故障だ。そのような命令は受けていない」

 ユキカゼはあきれたような、それでいて酷く楽しそうに笑った。

「不良だな。ハインツ」

「お前もな」

 ファウケは偽装ネットをかけられた状態で移動用のトランスポーターに寝かせられている。多くの機甲師団がトランスポーターの不足に苦しむ現状からして格別の優遇。『I』計画にかけられた重責を痛感する。

「支援はどうする?」

「無用。どのみち現在の大隊の戦力では何もできん」

 それもそうだ、とユキカゼは肩をすくめる。
 最先任下士官であるユキカゼは大隊の現状戦力に最も通じていている。今の言葉は社交辞令、冗談の類と推測。
 既に大隊の戦力は社交辞令も冗談とも取れるほどに衰弱している。
 
「少佐殿、ファウケはいつでもいけます」

 ハーゲン技術大尉が言った。
 ファウケの搭乗ハッチから身を乗り出して、頭を掻きつつ。帰還後は電子機器保護の為にコックピットの清掃が必要と思われる。

「では、行って来る」

「グッド・ラック」

 ユキカゼは米国人のように親指を立てて見送ってくれた。
 私の出撃を必ずユキカゼはそう言って見送る。
 ファウケに搭乗、コックピットは手狭。エステバリスを上回る8メートルの体高からは想像もつかないほど狭い。救助したパイロットの輸送は手でつかんで運ぶことにする。

 既に外部の発電機から起動用電源は供給済み、ジェネレーターは初期起動。各種機器プリスタート点検。ジェネレーターの出力をあげ、そしてアイドル状態に戻す。ジェネレーターの点検、調節。
 山ほどある点検項目をクリアーして、ようやく出撃準備が整う。
 最後に外部武装のグラウンド・セイフティーピンが抜かれる。安全装置解除。
 ユキカゼが大きく腕を振る。近辺に敵影なしの合図。

「ファウケ、鷹、空の王者、我が愛機」

 最後に、コックピットの一角にテープで貼り付けられた写真へ目を移す。出撃の見送りをするものは、いつもユキカゼとこの一枚の写真。
 色褪せた古い写真。写真には見知らぬ女性、笑顔、ひまわり畑、青い空と入道雲、遠い丘の小さな教会、そして見知らぬ己。
 瞑目、しかし感慨はなし。感情喪失機構は良好に作動中。

「ファウケ、起動」

 出撃、王の道に立ち塞がるものは皆一様に滅ぶべし。



 同時刻 オーデル川上空 高度600メートル

「くそっ!Su−57だ。振り切れない!」
「速い、速すぎる。化け物だ!」
「5番、ブレイクしろ。ロックされているぞ」
「駄目だ。振り切れない」
「くそっ!くそっ!戦闘機隊は何をしている!」
「シット!4番がやられた」
「救援はまだか」
「畜生!7番がやられた」
「8番もだ。エムデンが殺やれた!」
「全速だ。エンジンをぶん回せ!」
「ばかやろう。爆弾を抱いたまま狙われたらおしまいだ」
「諦めるな!」
「くそっ!エンジンがやられた。脱出する」
「ロックされた。誰か助けてくれ!」
「11番がやられた。もう駄目だ!」
「諦めるな!回避機動!」
「駄目だ!もう駄目だ」

「簡単に諦めんじゃねーよ。諦めた奴から死ぬんだぜ?」

「姉さんの言うとおりですぜ。フォックス・トゥー」

 高度1万メートルの高みから舞い降りた戦乙女がミュルニールを撃ち放つ。
 解き放たれた凶速のトールハンマーは獲物を追う肉食獣のごとき歓喜に身を震わせながら飛翔。攻撃隊を襲うSu−57"ゼル・レッチ"に飛び掛る。
 攻撃隊を襲撃する為に高度を下げていたSu−57は地面と上から被さるリョーコ機に挟まれて脱出不能。
 マッハ11の猟犬は次々にSu−57の喉笛に噛みつき、食いちぎる。敵機、撃墜。

「助かったのか…?」

「当たり前だろ?かってに死ぬなよ」

 攻撃隊の隊長らしい男が漏らした呟きにリョーコは律儀に答えた。
 どうも恐怖のあまり呆然として我を失っているらしい。

「しっかりしろよ。まだ来るぞ」

「あぁ。あの、ありがとう」

「礼ならいいって。帰ったらメシでも奢ってくれればいいから」

 ちょっとした軽口。ほんの少しでも口を開いていると人間は不思議となんとかなる。
 それ以外の方法もなくはないが、タバコやビールの類は既に貴重品だ。まず前線ではお目にかかれない。

「あんた腕利きだな。名前を教えてくれないかな」

 おずおずと隊長らしい男は言う。

「あん?オレはスバル・リョーコ。ラジオサインはナナヤ1だ」

「じゃ、じゃあ、あんたが噂の凄腕のパイロット。赤のモールデアーなのか!?」

 驚く隊長の声が多少恥ずかしい。賞賛の声は快いが、同時に恥ずかしくもある。だが残りの半分は少し許しがたい。

「誰がモールデアー(殺人鬼)だ!変な名前でよぶんじゃねえ!」

「いや、すまない。もうしない。もうしない」

 隊長の声は哀れなほどに弱弱しい。それが自分を怯えているように感じられて、ますます腹が立った。
 自慢ではないが、オレは一度も誤射も誤爆もない。何処かの星条旗の国のヘタクソな連中とは違うのだ。人を殺したことは一度たりとも無い。

 それをよりによって殺人鬼とは、いったいどういう感性をしているのだろうか。しかも"赤"ときた。
 振り返った視界のなかにはシエルの特徴的な可変垂直双尾翼がある。二枚の尾翼はオレのパーソナルカラーと言ってもいい赤で統一されている。
 日本が帝国を名乗っていた時代に200機以上の米軍機を撃墜した天才パイロットにあやかって赤く塗っているうちに自分のパーソナルカラーになってしまったのだが、今は気に入って使っている。

 それを赤の殺人鬼ときた。これは許しがたい。
 文句を言おうとして肺に空気を吹き込んだところで、なにか、酷く居心地の悪い感触を、まるで転んで手をついた先に潰れたゴキブリがいたような感触があった。
 背筋が一瞬で冷たくなる。まるで脊髄を抜かれて氷の柱をねじ込まれたような感覚。
 半ば無意識のうちにリョーコは機体をロールさせていた。
 次の刹那には、リョーコが今まで飛んでいた空間を光の矢が駆け抜けていった。同時に巨大な火球がきっちり15個、東欧の晴れた空に現れた。

 なにが起こった?!と考える暇もなく、連続ブレイク。
 高速で天地が入れ替わる視界の中で、十数機のジョロが一斉に地中から飛び出してくるのが見えた。
 ジョロは光の尾を引いて追跡してくる。高速垂直上昇用の補助ロケットブースター。

「くそったれっ!罠だ!」

 AWACSのレーダーにも映らず、リョーコ機のレーダーをも地中潜むことで逃れたジョロの群れがRATO(補助ロケット)の力を借りて垂直上昇。さらに備砲のパルス・レーザーで精密射撃を仕掛けてきたのだった。

 超音速のシエルも光速の光の矢にはかなわない。
 レーザーの射程距離内では超音速の猛禽もロビン・フッドに狙われた小鳥のようなものだった。
 全身を縛り付ける大Gと全身を突き抜ける悪寒と戦いつつ、アフターバーナーを噴かして加速、一目散に逃げる。
 だが、中枢コンピューターは無情にもリョーコ機がミサイル・ロックされたことを告げた。
 ジョロ、ミサイル発射。空対空短距離超高速ミサイル、3発。
人間の精神を痛めつけるために開発されたとしか思えない電子警告音がキャノピを満たし、それがいっそうにリョーコの冷静さを奪っていく。

 電子の魔眼の視線がリョーコの背中に突き刺さる。
 体は凍りついたように動かない、だが脳髄だけは灼けた鉛を飲み込んだようにくらくらする。酷く暑い。
 相手はマッハ10を超える超高速ミサイル。加速しても振り切れない。この距離では高機動回避も間に合わない。

 リョーコは暴れだしそうになる恐怖を押し殺して静かに覚悟を決めた。
 最早生き残るの方法は一つしかない。脱出?論外である。超音速で飛行するシエルから射出された瞬間、音速衝撃波でばらばらにされる。
 IFSを通じて機体に命令を下す。
 中枢コンピューターは命令を拒否。リョーコは苛立たしげに何度も同じ命令を下す。時間がないのだ。例え、その機動によって機体が空中分解することになっても、敵に殺されるよりはマシだ。自分の死様は自分で決める。

 中枢コンピューターはようやくリョーコの意図を汲み取ってGリミッタを解除。同時にベクターノズル、フラップ、尾翼とエアブレーキを操作、さらにアフターバーナーを全開にする。
 シエルは高度を保ったまま独楽のように回転。バイクのドリフトターンのように機首と機尾が逆転し、きっかり180度回転する。双尾翼の内の一枚が衝撃波で吹き飛ぶ。同時にリョーコの意識も衝撃波でこなごなに吹き飛んだ。

 だが、その前に吹き飛ぶ寸前の意識を振り絞ってリョーコはミサイルを照準。射撃命令を出した。高速射撃装置が作動。6連装20ミリバルカンが火を噴く。
 ミサイルはシエルから僅か200メートルの位置で爆発した。
 大量の衝撃波とスプリンターの嵐が、限界を超えた機動で青色吐息のシエルを打ちのめす。それはシエルに求められる苦難の限界を超えていた。

 大量の飛散したスプリンターの一弾がスリールXターボファンエンジンのコンプレッサーをズタズタに引き裂き、またある一弾はフライトコントロールシステムを細切れにした。衝撃波でキャノピが粉々に砕け、中枢コンピューターに電力を供給していた低電圧発電機と二次パワーユニットが停止。
 中枢コンピューターは我が身におきた悲劇を冷静に分析、戦闘不能、飛行不能の判定を下した。パイロットは意識不明。緊急自動射出。

 推力を失った機体は自由落下を開始する。生き残った回線で機体を操作、少しでもパイロットから離れるように、成功。機体はパイロットと正反対の方向へ向きを変える。
 そして、中枢コンピューターは残った最後の電力を用いて、世界の果てまで届けと、最大出力で救難信号を発信した。
 それはさながら我が子を救う術のない無力な母親の、神への悲痛な祈りに似ていた。
 


 第166戦術戦闘飛行隊、第112戦術攻撃飛行隊―――――――――全滅




 2196年 3月11日 深夜

「くそっ!ここは何処だ」

 右も左も見渡す限りの雪原が続いている。
 平野大国ポーランドの真骨頂ともいえる平野が何処までも続いている。時折雑木林の類が目にとまるが、人家らしきものは何処にも無い。さらに冬ということも手伝って、信じられないくらいに何も無い。

 幼いころから日本で過ごし、電線に覆われた空を見てきたリョーコにはどこか耐えがたいものを感じさせるものがある。
 しかも信じられない位に寒い。フライトジャケットは既に雪で濡れ、下着まで達している。もちろん服の隙間に入り込んだ雪は容赦なくリョーコの体温を奪っていく。
 凍死、という言葉がこの上なくリアルに感じられる夜だった。

 幸いにも空は明るい。雲ひとつ無く、三日月が青々とした夜空に浮かんでいる。星も綺麗だ。きっと死兆星がダース単位で浮かんでいるに違いない。
 木星蜥蜴なんてわけの分からない奴に殺されるのも嫌だったが、冬のポーランドで凍死は全力で拒否したいところである。

 だが本当に、今自分はどこにいるか、どちらへいけばいいのか本気で分からなかった。
 足の感覚も既にない。
 それでもなんとか前進しようとして、足をあげたら仰向けにすッ転んだ。もう前進のために片足を上げることすら出来ないようだった。

「ちくしょう。かっこわるすぎるぜ」

 悪態をつく位しか、もう体の自由がなかった。それすらも時間の問題だろうけれど。
 見上げた空は信じられないくらいに蒼かった。蒼い夜空に三日月が細い光を放っている。星々の織り成す夜天光を気遣うように。

 不意に昔のことを思い出す。昔母親にせがんで読んでもらった童話。星になったマッチ売りの女の子。あの時オレは女の子が死んで星になるラストを随分と嫌っていたように思う。死んで星になるのことの何処が幸せなのか、さっぱり分からなかった。でも今なら、この星空の片隅にでも加わることが出来るのなら、確かに幸せかもしれないと思っていた。

 ガラでもない、と嘲る。
 でも最後くらいは多少女らしいことをしてもいいだろう。スカートなんて着たいとは思わないけれど。
 少しずつ、スバル・リョーコという人間を生かしていたものが消えていく。心臓から盛んにあふれるそれは冷え切った大地に消えていくばかりで、もはや意識をつなぎとめておくことさえ出来そうに無い。
 
「ごめんなさい」

 よくわからないけど、ごめんなさい。これまで自分を生かしてきてくれたものへ、生かしてきてくれた人へ、生きるために自分が殺してきたものへ、ごめんなさい。
 自分はこんなところで終わってしまう。自分は何もなしていないのに、もう終わってしまう。
 これまで自分の為にたくさんの人ががんばってくれたのに、もう自分は終わってしまう。
 たくさん迷惑をかけてきたに違いない。償いきれないくらいに迷惑だったのに、自分はなにも出来なかった。
 一際強い風が冷たくなった頬を打つ。
 すごい暴風なのかもしれないが、自分にはそよ風ほどしか感じ取れない。

「Ka−155。死神か」

 閉じかかった瞳にサーチライトの光は強すぎた。細めた視界に逆光の向こうに黒塗りの禍禍しい影が厳然として其処にある。
 死神、黒死病と地上部隊から恐れられるロシア製対戦車ヘリコプターKa−155"ナルバレック"もちろんヤドカリに寄生された無人タイプ。
 
「やっぱな!キレイな死に方はさせてくんないか」

 サーチライトはこれ一つではなかった。他にも3つ。それに赤いモノ・アイが5、6個蒼い闇に浮かんでいる。
 おそらくオレと同じベイル・アウトしたパイロットを狙った落穂拾いだろう。実戦経験を積んだ優秀なパイロットの生還率を少しでも下げようと向こうも努力しているのだ。

 機体側面に装備された30ミリバルカン砲がゆっくりと旋回し、はっきりと自分に狙いを定めた。
 30ミリクラスの弾を喰らえば、人間など肉片ひとつ残らないだろう。ある意味キレイな死様かもしれない。
 ほとんど何かの冗談のように銃口が回転するのをオレはぼうっと見ていた。
 だけど、その6連装銃口が火を噴くことは遂に無かった。

 それこそ、本気でわけのわからない冗談のように、突然戦闘ヘリの機体の中央に馬鹿デカイ何かが突き刺さった。
 ヘリは自分が刺されたことに気付いていないのだろう。まるで生け作りにされた鯛のようにローターを狂狂と回している。

 それでも現実はやたらとハードで情けが無くて、ヘリに突き刺さった何かはゆっくりと、それこそ灼けたナイフでバターを溶かすように戦闘ヘリを切断した。
 雪原にずしりとした重量感のある音ともに、ヘリに突き刺さっていたモノが落ちる。
 それは刃とはいえない、しかしナイフというには凶悪な、実用性のみを追求した純粋な凶器だった。
 おそらく、高周波ブレードの類だろう。酷く耳障りな音がしていた。まるで1000匹の羽虫がいっせいに羽ばたいているような音である。

 地面に凶器が落ちてしばらくして、ようやくヘリは自分が攻撃を受けて、そして致命的なダメージを蒙ったことを悟ったらしい。
 オレに目には見えないが、きっとヘリを攻撃した奴がいる方向にヘリは急旋回をかけた。一矢でも報いたいらしい。どう考えても不可能だが。
 ヘリは急旋回をかけると、凶器に断ち切られたところから二つに分割して落下した。
 落下地点から10メートルも離れていないところにオレがいる。ヘリは燃料と大量の武器を積んだまま地上にダイビングしてきた。
 火達磨になったヘリの腹が迫る。
 その時オレは、動くことも、息をすることさえも忘れたようだった。きっと瞬きもしていなかった違いない。
 全てがSFじみたスローモーションで動く世界に、場違いなほどに速い奴が横っ飛びに現れた。そして、落ちてきたヘリを横から蹴っ飛ばした。
 そのままヘリといっしょにそいつも落ちていく。落下、爆発。
 そこでようやくオレは、オレを狙っていた戦闘ヘリと墜した奴の正体を知った。
 戦闘ヘリの残骸と吹き上がる炎の中に、一機の機動兵器が立っていた。最近配備され始めたエステバリスよりも二まわりは大きい。それにエステのような未来的なデザインではなく、まるで中世の全身甲冑を装着した騎士のようなイメージだった。
 しかも、機械の癖に服を着て、髪を生やしている。
 だが、それが噴き上げる炎にあぶられて揺れる様は、神々しささえ感じさせた。まるで炎のなかで雄雄しく立ち上がるジークフリードのように。

「伏せていろ」

 機械の騎士は私に向かってそう言った。いつのまにかオレは雪原に呆然と立ち尽くしていた。
 オレはわけも分からず、こくこくと頷き、ころんと仰向けに雪原に寝そべった。そして慌ててうつ伏せに伏せなおす。
 あれほど冷え切っていた体が今は火を噴いたように熱かった。
 一体全体、自分の体はどうしてしまったのだろうか。わけがわからない。
 自分でも理解不能な奇行を見て機械の騎士はどう思っただろうか、ひどく呆れられたか、それとも怒り狂ったか、オレは答えが欲しくておそるおそる顔を上げた。
 顔を上げた先には何も無かった。あるのは燃える戦闘ヘリの残骸だけ、機械の騎士は蜃気楼のように消えていた。
 重々しい脚が地面を踏む音もしなければ、アクチェーターのやかましい作動音もしなかった。ジェネレーターの重低音もなかった。
 ただ暴力的なまでの風圧だけが残っていて、オレは無様にも吹き飛ばされた。
 風圧で吹き飛ばされ、雪原を転がりながら見る機械の騎士の戦いは圧倒的だった。
 高速で機動する戦闘ヘリに悠々と追随して20ミリ機関砲弾でさえ墜せない戦闘ヘリを瞬時に3分割して、同時に投擲ナイフでもう一機墜している。
 慌ててバッタが攻撃に移るが、機械の騎士は速すぎた。
 まるで攻撃が見えているかのようにバッタの12.7ミリチェーンガンの攻撃をかわしてしまう。一秒間に数千発の重機関銃用の高初速弾を弾き出すチェーンガンを、である。
 そして、悪戯を働いた子供に鉄拳を下すかのようにバッタを叩いて潰した。
 生き残ったバッタは逃走を試みるが、肩のミサイルポッドから高速ミサイルが放たれ、魔法の矢のように追尾、撃墜した。
 本当に、何かの冗談のようにしか思えない。これまで苦労して撃破してきた木星蜥蜴の兵器が一瞬にして壊滅させられた。
 これで燃えるヘリの残骸がなければ、多分夢だと思って続きを楽しんでしまうに違いない。でも、これは全て現実だった。
 頬をなでる灼けた風も、揮発臭のきついガソリンスメルも、吹き上がる炎も、濃厚な硝煙の匂いも、全てがリョーコにこれが現実の光景だと教えてくれた。
 きっと自分以外の世界の全てがこれを現実と知っているに違いなかった。
 不意に、機械の騎士が跪く。それはまるで昔読んでもらった絵本の一場面、王様に忠誠を誓う騎士のようだった。
 機械の騎士は燃えるヘリの逆光になってよく見えない。
 でも、誰かがハッチを開けて出てくるのは見えた。どんな人かは、やはり逆光でよく見えない。
 
「もう大丈夫だ。しっかりしろ」

 声はとても深いバリトンだ。オペラ歌手でも食っていけるんじゃないかと思う。

「あんたさ、名前教えてくんないかな」

 こちらから聞かないと絶対に教えてくれなさそうなので、オレは先に聞いておくことにした。

「ハインツ・フォン・グロスマイヤー」

 なるほど、想像していたとおりの名前だった。
 どうやら名前を聞くぐらいが限界らしい。徐々に意識が薄れていく。
 だから最後の一つ。

「なるほど、騎士団長なのか。それならこの展開も当然だよな」

 グロスマイスター=騎士団長
 機械の騎士は騎士団長に率いられて、悪の木星蜥蜴を撃ち滅ぼしに来てくれたらしかった。






 オタな用語解説

 AWACS―――――空中早期警戒機。現代航空戦に欠かせない空飛ぶ司令部。大出力レーダーを有し、遠距離索敵で敵機を見つける。航空戦は先に見つけたほうが大抵勝つ。データーリンクを用いて味方機に敵機の情報や動静をしらせたり、ミサイルを誘導したりと、縁の下の力もちである。
 
「フォックス・ワン、トゥー、スリー」―――――対空ミサイルの発射を味方に警告するための無線符丁、ちなみにフォックス・スリーは長距離アクティブホーミングミサイル(AARAAM等)、フォックス・トゥーが赤外線誘導ミサイル(サイドワインダー等)、フォックス・ワンはセミアクティブ・レーダ誘導式(スパロー等)を表す。



後編に続く







圧縮教授のSS的



・・・おほん。

ようこそ我が研究室へ。

今回も、活きのいいIMIデザートイーグル50AESSが入っての、今検分しておるところじゃ。


・・・・・・ふむ。主役がオリキャラの戦記物かの?

感情喪失機構など、何気にロボコップを彷彿とさせる御仁じゃが・・・・・・やはり、過去に何か背負っておるのかのう。


閑話休題。

ほとんど戦闘描写のみで戦況の苦しさを描き出しているのは見事じゃが、「ならどうすれば(どうなれば)好転するの?」と言う部分にまで踏み込みが欲しいの。

恐らくはクルスクを奪還すれば良いのじゃろうが、それを成すための前提条件が解らんのでの。

リョーコ達の攻撃目標がはっきり提示されていれば、もう少し分かり易くなったかもしれんのう。

戦闘一つ一つに、はっきりとした「意義」を付与してやれば、臨場感が俄然増すのじゃ。

その為にも、戦術目標はまず最初に明らかにしておくのが常道なのじゃよ。



さて。儂はそろそろ次の研究に取り掛からねばならん。この辺で失礼するよ。

儂の話が聞きたくなったら、いつでもおいで。儂はいつでも、ここにおる。

それじゃあ、ごきげんよう。