学生生活を1枚の絵に例えたとして、薔薇色や黄金色の絵の具を使う機会は生憎滅多にないけれど、逆にべったりと灰色や黒で塗りつぶす羽目になる人も、やっぱり殆どないものだ。

 そうすると、重っ苦しい試験の後にパアッと楽しく遊んで溜まったストレスを発散するのがお決まりの、文字通り絵に描いたようなお気楽学生である僕らの場合など、典型的に平凡な色使いの生活だと言えるかもしれない。

 ――というわけで、賑やかに宴会を楽しんでいた僕らだが、それも一区切りついた。先程まで大いに飲み、食い、しゃべり、かつ歌っていた仲間たちも、一時的にエネルギーを放出したせいか、比較的静かになっている。

 試験の打ち上げと言えば、鬱屈した状態から漸く解放されて大いに羽目を外すのが当たり前だけど、試験勉強の疲労が抜けているわけじゃないから、体力的な限界は必ずやってくるものだ。その時のみんなも、まだ騒ぎ足りないけどもう元気が残っていない、そんな表情だった。

 ――或いはそのせいだったのかも知れない。誰言うともなく、今までで一番怖かったこと、という話を披露し合うことになったのは。

 成績表を受け取る瞬間、恋人に別れ話を切り出した時、母親のヒステリーなどなど、何人かが自らの恐怖体験を語ったが、その後、吉田の奴が真面目くさった顔でこう話し始めた。

「これは昔、地球で何度か、ホントにあったことなんだそうだけど……。

 暗い夜道を、若い女性が1人で歩いていたら、突然横道から人影が現れるんだ。

 それは同じような若い女で、ただ、体形がやたらにスレンダーなんだって。

 でも痴漢ってわけじゃないから安心していると、相手が不意に『わたし、巨乳? それとも貧乳?』って問うてくるんだ」

「へえ、それで?」

 緒方が、興味深そうに続きを促した。

「うん。正直に『う〜ん。……まあ、ちょっとだけスリム過ぎな感じ?』とか言うと、途端に『おまえも同じにしてやるーっ!』と叫んで胸をがっと鷲掴みにされ、そのまま引き千切られて、殺されちゃうんだとさ」

「ひえええーっ」

 みんな、少し気の抜けた悲鳴を上げた。池田が尋ねた。

「じゃあ、逆に『とっても巨乳ですよ』って答えたら?」

「その時は『この嘘吐きーっ!』って言って、やっぱり胸を引き千切られちゃうんだって」

「あははー、何だよそれー」

「嘘ばっかりー」

 みんなが笑い出した。吉田はむきになって抗弁した。

「いや、本当なんだって。少なくとも、そういう話を聞いたのはホント!」

「うん、俺もそれに似た話は聞いたことがあるぞ」

 佐藤が頷いた。思わぬ加勢を得て、吉田は嬉しそうに続けた。

「だろう? ……これは取って置きの話だけど、なんでも相手の胸を引き千切るその女は、瑠璃色の髪を、ツインテールにしていたらしいんだぜ」

 池田が呆れたような声で、

「だから、その女に遭った人はどう答えても結局殺されちゃうんだろ? だったら何で、そういう話が後世に伝わるんだよ?」

「そ、それは……」

 口ごもる吉田に、今度は佐藤が追い打ちをかけた。

「う〜ん。俺が聞いた話では、問いかけの内容とかその結果は一緒なんだけど、質問してくる女は、真っ赤なストレートの長髪だったそうなんだけどなあ……」

「あれあれ〜?」

「ほーら見ろ。都市伝説なんて、所詮そんなもんなんだよ」

 吉田も含め、みんなでひとしきり大笑いした。

 ――その時僕は、それまで一言もしゃべらず、ただにこにことみんなの話を聞いている人が1人いるのに気が付いた。ほとんど20代前半の人間で占められている僕らの中で、ただ1人、老年一歩手前の域に達している人だ。

 仕事を引退した後、老後を再び大学で過ごそうと社会人入学してきた、歴とした僕たちの同級生なのだが、一見すれば僕たち若い学生を率いる指導教官のような貫禄である。

 また、年齢にふさわしい人生経験や深い社会知識を持ち、下手な教授より頼りになることもあって、僕らは彼のことを「先生」と呼ぶのが常だった。

 その「先生」が、さっきから僕らの会話に加わらず、かといって興味が無さそうというわけでもなく、黙って話を聞いている。それで、僕はあくまで軽い気持ちで「先生」に話しかけたのだった。

「『先生』はどうですか、怖い話? 僕らよりずっと長い人生を歩んで来られたんだから、きっといろんな経験をお持ちですよね」

 そこでみんなも口々に、「先生」に怖い話をねだった。「先生」は困ったような顔をして暫く僕たちの顔を眺めていたが、やがてこう言った。

「生憎、怪談というのはほとんど知らないんだが……。わたし自身が経験したことで一番怖ろしかったのは、なんと言っても先の戦争だね。

 とりわけ月を巡っての戦い、あれは……。実に怖ろしい体験だった」

 そこで僕たちは「先生」が、何十年も昔の木星・地球戦争 ――「懲罰戦争」とか「蜥蜴戦争」という言い方は、どちらかの立場に偏り過ぎということで使われなくなって久しい―― に従軍していたと語ったことがあるのを思い出した。

「今、この場で話してあげてもいいんだが……。何分昔のことで大分記憶も曖昧になっているし、何より、折角の楽しい雰囲気にはそぐわないとも思うんだ。

 ――どうだろう? わたしはこれから何日かかけて、昔自分で探した資料やら、戦友達からの聞き取りメモを整理して、その時の話を読みやすくまとめてみようと思う。その方が、今ここでとりとめのない昔話をしてしまうより良いと思うんだが?」

 みんなの中には、今話を聞きたいと言って頑張る者もいたが、大方は「先生」の言うことに納得し、その懐古談は後日の楽しみということになった。その後は、再びみんなで酒と歌に興じたのは言うまでもない。

 ――何日か、と「先生」は言ったが、彼が実際に約束を果たしたのは、それから2週間ほど後のことだった。その日の講義が終わった後、「先生」は10枚ちょっとのプリント綴りになったものを鞄から取り出して、僕らに1つずつ配ったのだ。

 それには、次のようなことが記されていた。

 

 


 装甲打撃艦『吾亦紅』の最期 〜機動戦艦ナデシコTV本編 第21話外伝〜

 

By 李章正


 

 

 遺恨百年一剣を磨き続けた後、遂に開始された地球連合への大反攻。

 だが、瞬く間に火星や月を奪回し、地球本土さえ席巻した緒戦の連戦連勝がまるで嘘のように、戦争後期、我々は日に日に乏しくなる後方からの補給と、逆に強力さを増してゆく前方の敵、その両方に苦しめられていた。

 当初、我が軍の快進撃を支えていた技術的優位はとっくに失われていた。――とりわけ、地球側に突如出現した、軽量の人型有人機動兵器。

 大きさの割に強い攻撃力と、極めて高度な運動性を有し、自前の重力歪曲場さえ備えたこの新兵器の威力は正に脅威的であり、それまで我が軍の主力を成していた無人戦闘機や無人艦艇を、単なる射的の的に変えてしまった。

 それに対抗するには、こちらも有人の戦力を繰り出す他はない。だが当時、次元跳躍門をくぐれる人間の数は少なく、無人兵器を戦力として計算に入れることができなくなった我々にとって、味方のあまりにも過少な兵力は、戦略上大きな足枷となっていた。

 既に、時間が地球側の味方になっているのは明らかだった。にも関わらず、ガニメデの総司令部から来る督戦と命令は、相も変わらず強気一辺倒なものでしかない。

 前線の我々には、ひたすら戦い続ける以外、選択肢は存在していなかった。

 

 

 

 戦争後期の山場の1つ。月面攻防戦の最終局面。

 既に、地球上に打ち込んだ次元跳躍門の殆どが潰されるか、故障して機能を停止するかし、地球上での勢力範囲をほぼ完全に失っていた我々にとって、月の裏側における占領地は、地球系に残されたたった1つの橋頭堡だった。

 ここを失えば、後は火星まで何の障壁も存在しない宇宙空間。そして我々の有人戦力は、広い火星を完全に制圧するには甚だ力不足。

 敵からはどう見えていたか知らないが、当時の我が軍の実情など、所詮そんなものだった。

 無人兵器で地球軍を抑えることが最早不可能になった以上、月の失陥は既に時間の問題に過ぎない。であるからには、月でこれ以上戦力を消耗することは当然避けるべきだったと言える。

 ……それでも我々が月に拘り続けたのは、そこが木連人にとって魂の故郷、聖地だったからなのは言うまでもない。多数の敵に抗し、貴重な戦力である優人艦隊を敢えて月の防衛に投入するなどという、無謀とまでは言えないにせよ、危険な作戦案が採用されたのも、偏にそのためだった。

 その考え自体はあながち誤りではなかったかもしれない。政治的に考えて、また士気の面からも、我々はみすみす月を失うわけにはいかなかったのだから―― 戦術的に如何に不利だったとしても。

 ガニメデにも、それはわかっていたのであろう。月方面部隊に、我が軍期待の新兵器である跳躍砲を装備した艦が、でき得る限り多く送り込まれて来ていたのがその証拠だ。

 そのため、本国を遠く離れながらも我々の士気はそれなりに高かった。兵力では遙かに劣るとはいえ、防戦に徹する限り、そうたやすく負けはしないという自信があったからである。

 そして、事実戦闘の前半においては、多くの跳躍砲を持った我が艦隊は、月面に設置した無限砲陣による弾幕援護も手伝って、数で優る敵に対しほぼ互角の戦いを展開していたのだ。

 

 

 

 破局は、たった1隻の敵艦によってもたらされた。

 地球で初めて相転移機関を装備した機動戦闘艦『撫子』。これが、月を隠れ蓑にしつつ進行し、単艦で我が艦隊の側背に出現したのである。

 当初、艦隊司令部はこれを取るに足りぬ陽動とみなして予備部隊の一部を振り向けるにとどめ、撃退されると、それ以上の対応は取ろうとしなかった。

 それもまた、必ずしも間違いだったとは言えない。常識のある人間なら一体誰が、前面に展開する大艦隊が言わば囮に過ぎず、側背に現れた僅か1隻の敵艦こそが主攻であるなどと思うだろう?

 ……だが呪わしいことに、事実は正しくそのとおりだった。『撫子』の放った新兵器 ――「相転移砲」という、なんの捻りもない命名がなされていたと戦後に知った―― が、我が艦隊に対し痛烈極まりない横撃を加えたのだ。

 結果、優人部隊月防衛艦隊は一撃で主力を破砕され、戦線は瞬時に崩壊。僅かに生き残った部隊も大混乱の状態に陥ったのである。

 

 

 

 相転移砲。我が陣営でも、理論的には既に考えられていた兵器だったとも言われている。

 ――だが、最前線で戦う一介の兵士たちにとっては、それは正に「想像を絶する新兵器」と言う他なかった。救いは、それが連射の利かない兵器だったため、『撫子』が再度それを放つことがなかったことくらいなものだろう。

 だが、それとてもほんの僅かな慰めにしかならなかった。一瞬に主力を失い、総崩れとなった我が艦隊に対し、地球艦隊が陣形を凹面鏡のような形に変え、半包囲の態勢を取って我々に十字砲火を浴びせてきたからである。

 ――その後の戦いは、正に悪夢そのものだった。地球の艦が獰猛な猟犬であるとしたなら、我々は正に哀れな獲物であった。圧倒的多数の敵を相手に或いは算を乱して逃げ回り、或いは絶望的な抵抗の末に、1隻、また1隻と撃ち減らされていく。

 一方、艦隊の上空援護を失った月面の無限砲陣も、月上と宇宙、双方から迫る圧倒的な敵部隊に三次元的に押し包まれ、抵抗空しく玉砕。かくして我々は、月面上の拠点を全て失ってしまったのだ。

 事ここに至ったからには、最早それ以上の抵抗に意味はない。そう判断した臨時の艦隊司令部は、遂に残存部隊に撤退を命じた。僅かに生き残っていた最寄りの次元跳躍門の近くに集い、傷ついた艦、小さく打たれ弱い艦から優先的に離脱させることにしたのである。

 とはいえその時点では既に、撤退自体極めて困難な状況であった。勝利に意気揚がる地球艦隊が、黙って我々を見過ごしてくれる筈がなかったのだから。

 勿論、全ての無人兵器が盾に回されたが、それだけではとても防ぎきれない。――そのため、辛うじて生き残った有人艦艇のうち最も戦闘力が強く、かつ損害の小さい艦が選ばれて、殿軍の使命を課せられることになったのである。殿軍は、今や我が艦隊の生命線となった次元跳躍門を死守し、他の味方が全て月周辺宙域から離脱するまで、その場で戦い続けるよう命じられたのだ。

 それまでは、どれほど多数の敵を相手にしても、一歩も引くことができない。――いわば、彼らは敢えて自らが全滅的打撃を蒙ることで、味方が逃げる猶予を購う役目を担わされたのである。

 そしてわたしの乗り組んだ艦もまた、血の代償を払うことになった1隻だった。

 

 

 

 わたしの乗り組んだ装甲打撃艦『吾亦紅』は、それから凡そ1時間に渡る戦闘の間に、見るも無残な損害を被った。

 まず主砲の重力波砲に敵弾が2発、重力歪曲場を貫いて飛び込むや、次々に内部で炸裂。指揮していた柿本大尉の眉間を破片が貫通した。彼は両手を宙に挙げるとばったり倒れ、そのまま息絶えた。

 同時に、側に居合わせた兵がばたばたと人形のようになぎ倒された。たった1人生き残った砲部員もまた重傷を負って砲塔から運び出され、砲は機能を失った。

 一方、左舷の光線砲は2門とも粉砕され、その破片が周囲に飛び散って、人間と言わず機械と言わず、周囲にあったもの全てを片輪にした。

 続いて命中した敵の誘導弾が重力波砲を木っ端微塵にし、内部にあった電子機器を爆発炎上させた。猛烈な火災が起こった。

 被弾した砲塔から噴き出す火の粉や灰は、煙と湯気とに入り混じって艦の内部へ押し寄せた。到底換気装置などで間に合うような量ではなく、ひりひりと滲みて眼を開けてはいられなかった。

 更に、長距離誘導弾が命中して電磁揚錨機を滅茶苦茶に破壊し、全然使えない状態にしてしまった。

 

 

 

 第1電磁軌道砲塔を指揮していたのは久江大尉だった。大尉は砲長席に着いて、眼前に表示された電子画面にひたと視線を据え付けたまま、指揮を執っていた。

 この画面は一見、原始的な電子遊戯機に似ていた。色は白一色。敵も味方も、丸と三角と数字を組み合わせただけのごく簡単な図形で現されている。処理速度を最も重視した結果、余分な情報を一切殺ぎ落としてあるのだ。

 砲塔は滑らかに動いていた。敵を探して、柔らかに音もなく上下左右にと旋回する。超合金製砲床の遙か下では、古びた相転移機関の音が耳を聾するばかりに響いていた。

 艦の最奥部に設けられた弾薬庫から、劣化核物質砲弾が昇降機に載せられ、ぐんぐん上がってきて砲の換装部に入れられる。そのたびに尾栓が重々しくがしゃんと開閉され、1分おきに黄色い火花がぱっと閃いて、轟然たる発射の音が周囲を震わせた。

 1発撃つたびに喧しい音を立てて冷却装置が作動し、砲身に溜まった摩擦熱を取り去る。そして、徐々に砲は再発射可能な状態に戻るのだ。

 ――いきなり、砲塔の中が目も眩むようにぱっと明るくなったと思うと、恐ろしい音響が耳朶を打った。艦の死角に飛び込んできた敵機動兵器が実体弾を放ち、それがもろに命中したのだ。

 5、6名の砲部員が、揃ってばたばた倒れた。久江大尉はがくんと前屈みになりながら、負傷した頭を両手で懸命に抑えていたが、それはまるで、頭が肩の上から転げ落ちるのを防ごうとしているようだった。

 やがて部下と周囲のものを見るため用心深く後ろを振り向いた時、その眉の太い顔に、嬉しそうな驚きの表情が浮かんだ。――俺はまだ生きている!

「畜生! 重力歪曲場なんて、これじゃ何の役にも立ちませんよ、砲長!」

たまりかねたように、生き残った砲部員の1人が叫んだ。

 しかし、久江大尉の耳にはその声が聞こえなかった。両耳からの夥しい流血。――鼓膜が完全に破れていたのだ。

 だが、それでも彼はその場に踏みとどまり、大きな声で訊ねた。

「電磁軌道砲に異常はないか?」

 直ちに、生存者による慌ただしい点検―― それにより、主送弾管が破壊されているのがわかったので、予備を使用することになった。

 また自動装填機が動かなくなっていたので、手動で装填することとして再び火蓋を切ろうとした時、中津川砲手の魂消るような声が響いた。

「……ああっ! た、大尉。あれを見てください! あれ」

 その指の先で、電磁軌道が先端から大きく欠け、無くなっていた。

 ――この時、久江大尉を含め誰も知らなかったのだが、ここからもぎ取られた重さ半噸ほどの破片は、風車のように回転しながら飛んでいった挙げ句近くにいた機動兵器を直撃し、味方の戦死者を増やしていたのである。

 

 

 

 艦内のほかの部分でも物凄い音響が湧き起こっていた。

 超合金板が粉砕され手摺が叩き折られ救命艇が破壊され、通路の壁には痘痕のように黒い穴がぽつぽつと開いた。

 荷電粒子砲の背後の壁に、まるで拳が障子紙を突き破ったように突然ぽかっと大きな穴が開き、次いでその穴から焔が迸り出た。――後ろの部屋が炎上したのだ。

 第8区画の薄い舷側を貫通した誘導弾が第11号室、というとその時腕を負傷して手術室にいた倉石大尉の私室だが、ここで炸裂した。

 扉は蝶番のところから吹き飛ばされ、合金の板は接合部から引き裂かれた。寝台、衣装棚、洗面台、ゲキガンガーの原画集、本や図面の乗せてある書卓、下着類、寝巻き―― こんな品々が悉く木っ端微塵になった挙げ句、宇宙へと吸い出されてしまった。

 これを目撃した西園寺機関兵が手術室へ駆けつけて、倉石大尉に報告した。――彼は、目の鋭い髭だらけの顔を上官の耳元に寄せて早口に話したが、まるで何らかの機密について囁いているかのような顔つきだった。

「うう、原画集なんか持ってくるんじゃなかった……」

 倉石大尉は努めて平静な顔をしようと努力した後、きっとなって訊ねた。

「その穴は大きいか?」

「凡そ半平方米くらいの広さです。火災が起こったのですが、空気が薄くなったのですぐに消えてしまいました。

 ――大きな穴はとりあえず応急充填剤で塞ぎましたが、まだ小さな穴が若干残っているようで、現在も少しずつ空気が抜け続けているようです」

「大至急、そこを修理しなければ」

と倉石大尉は命じた。

「いや、やってはみたのですが、まるで効果がありません。板や布を詰めてみましたが、とても駄目です。艦がひっきりなしに振動するんで、粘着力がない物では簡単に振り落とされるか、吸い出されるかしてしまうのです。

 ――応急充填剤は既に使い切ってしまいましたし。戦いさえ終われば、何とか方法があると思うんですが」

 そこまで言ったところで、西園寺機関兵は何か思い出したように、突然艦の後部へ向かって通路を駆け出していった。

 

 

 

 左舷第1光線砲は中田大尉が指揮していた。大尉は持ち前の低音で怒鳴りながら、必死に部下を激励した。

「おい、みんなしっかりせい! 大丈夫、万事うまくいっているんや!」

 その時突然、どこかつい眼と鼻の先で爆発の音が轟いた。

 と思う間もなく、皆の頭上を火焔がさっと閃き、砲塔内が一瞬ぱっと照らし出された。

 続いて、艦体が真っ二つに裂けたかと思われるような激しい振動が起こった。砲塔に閉じ込められていた人々は、むっとする強烈な瓦斯に息苦しくなって数秒の間意識を失った。それは敵の光線が命中して、丁度艦橋の下部と兵員室の隙間を貫通したのだった。

 中田大尉は無意識に体を屈めながら、刑事のような目つきで砲塔内をじろじろ見回したが、その時は別に異状はなかった。

 だがものの5分と経たぬうちに、艦の反対側のすぐ傍らで、敵の機動兵器数機にまとわりつかれていた無人艦が1隻、直撃弾を浴びて轟然と爆発した。

 重力歪曲場に守られて本艦には損害がなかったが、激しい揺動に晒されることは防げなかった。艦内の至る所で、人々は洗濯機の中の衣服のようにもみくちゃに振り回され、兵も将校もすっかり恐惶に見舞われた。――艦内に居た人で、この時、このまま本艦が爆散するものと思い込んで戦慄しなかった者が、果たして1人でもあったろうか?

 少しの間砲撃は途絶えたが、やがてまた始まった。

 艦に肉薄してきた敵の機動兵器を砲撃する時、既に自動照準射撃装置が故障していたので、中田大尉は手動で狙いを着けたが射線は大きく逸れた。そこで仰角を引き上げたが、

「逆! 行き過ぎです!」

と砲手が怒ったように怒鳴った。角度を変えて射撃するとすぐ、狂喜した声が響き渡った。

「よっしゃッ! いいぞ、次や! ガっ!……」

 中田大尉は突然そう叫んで指揮卓から転げ落ちた。

 大尉の額には紫色の打ち身ができていた。更に右眼は潰れ、左眼も飛び出して空洞になり、「餡麺麭男」という渾名の肥った顔は血に塗れ、顔色は真っ青になっていた。

 すぐさま救護用自走機械が駆けつけてきた。持ち場を離れて手術室へ運ばれる時、大尉は副砲長の石丸に頼んだ。

「おまえ、わいに代わって指揮を執ってんか。わいはもうあかん……」

 その後もこの砲塔に敵弾が2、3命中した。ある時などはその衝撃があまりに猛烈で、誰1人立ってはいられなかった。

 瓦斯の力に吹き飛ばされた或る砲部員は、恐怖のあまり失禁した。――誰もがほんの暫くの間とは言え事態を正しく把握する力を失って、自分たちが轟音と共に宇宙の彼方へすっ飛ばされたように感じた。

 やがてみんなが我に帰った時、破壊された計器、床の上に散乱した照準器類、ばらばらになった通話機、装填架から飛び出した消火器、穴から抜けた太ねじ、旋回部の側面装甲板に走る亀裂、などを見ることになった。

 近衛砲手は大きく両眼を見開き、砲床に手足を投げ出したまま動かなかった。軽傷を負った2、3の同僚が側へ駆け寄った。

「おい、どうした? しっかりしろ。起きろって!」

 ……彼は一見どこにも傷を負っていなかったが、完全に死んでいた。

「砲塔、右へ! どうした? 旋回30度だ!」

 石丸副砲長が大きな声で号令をかけ始めたが、砲の側板を壊され、更に支柱を歪められたこの砲塔は、放棄するしかないほど破壊されていることがわかった。

 となれば、もうここにいても仕方がない。それで皆、互いに傷口を包帯しながら艦奥へ降りていったのだった。

 

 

 

 左舷第2光線砲も同様の憂き目に遭った。

 1弾は側面装甲板を吹き飛ばし、1弾は掩蓋で炸裂して、砲手防御板を粉砕した。装填手台にいた男はそこから転げ落ち、四つん這いになって床をくるくる廻りながら周りに訊ねた。

「……ここは一体何処だ? ここは一体何処なんだ?」

 この男は、背中の真ん中で服がぼろぼろに裂け、そこから鮮血が噴き出していた。彼の精悍な顔は見る見る蒼白く変わり、やがて仰向けに倒れるとそのまま息絶えた。

 同時に砲長と砲手が1人負傷し、扉も歪んで開かなくなってしまった。

 で、砲塔外に脱出するには、宇宙服を着込んでから掩蓋の上に開いた穴を塞いでいる応急充填剤を除去し、そこをくぐるしかなかったのだった。

 

 

 

 本艦のもう1つの主兵器である跳躍砲では、回転部と固定部の間に破片が挟まった為砲塔が動かなくなり、照準をつけられなくなっていた。

 それを修理するため、猪狩少尉をはじめ砲部員一同で宇宙服を着込み、艦外へ出ることになった。

 危険を冒した甲斐あって砲の旋回は元通りになったが、代わりに砲手が1人戦死し、猪狩少尉の脚にも破片が食い込んだ。彼はいかにも女の子にもてそうな、優しげに整った顔をくしゃくしゃに歪め、床にへたばって叫んだ。

「――救護班! 早く、早く来て!」

 その時救護用自走機械はいずれも、故障したか他の者にかかりっきりだったので、部下が2人駆けつけて少尉を担架に乗せた。少尉は今にも死ぬようなことを言い続け、絶えず呻いていた。

 ところが、昇降口に近づいて艦奥へ昇降梯伝いに降りようとした瞬間、近くに敵弾が飛び込んで炸裂した。

 運悪く、担架の前を持っていた1人は即死。もう1人も重傷を負った。誰も支えてくれる者がなくなった少尉はそのまま放り出されてしまい、魂消るような叫び声をあげながら墜落した。その途中で森主計兵と衝突して、もう少しで相手の向う脛をへし折るところだった。

 それから、彼は1人で歩いて手術室へ飛び込み、床に並んだ負傷者たちをやたらに踏みつけているところを看護士たちに抱きとめられた。少尉は半ば錯乱しながら呟いた。

「助けてよ、誰か僕を助けてよ……」

 跳躍砲は、それから間もなく大口径の荷電粒子砲が命中して徹底的に破壊され、砲部員の半数が死に、残る半数は負傷した。

 負傷した兵は手術室へ運ばれ、死んだ者はそのまま放置された。

 

 

 

 艦内の至る所で火災が起こったが、谷口少尉に指揮された防火分隊は、献身的に火災と闘い続けていた。

 戦闘指揮所近くにも1度敵弾が命中したが、それは別に大したことなく済んだ。――荷電粒子砲で艦の横っ腹に開けられた破孔目がけ、敵の機動兵器が撃ち込んだ噴進弾が装甲掩蓋のすぐ上で炸裂するまでは、室内の人々は無事だった。

 隙間から飛び込んできた弾片が、電探を叩き壊し、艦内通話装置を滅茶苦茶にし、気圧計を壁からもぎ取ってしまった。

 また、砲火指揮管制用電子頭脳が機能を停止したので、砲術長佐伯大尉は命中精度ががた落ちになるのを承知で、各砲個別射撃を行うように命じる他なくなった。

 戦闘指揮所内の人々は殆ど全部が負傷した。片岡大尉はほんのかすり傷を左肩に負うと、すぐさま手術室へ姿を消した。

 乃木航宙士も、額と首筋に負傷したので手術室へ赴き、そのまま帰ってこなかった。

 だが残りの士官達、及び電子頭脳端末操作員は、程度の差こそあれ弾片で傷ついても持ち場を離れず、任務を果たし続けた。

 ――『吾亦紅』艦長金大佐は、就任当初酷く神経質で、つまらぬことでカッと昂奮することがよくあった。だから「不利な状況に追い込まれたが最後、すっかり逆上してしまうに違いないよ、あのおっさん」というのが部下達の下馬評だった。

 ところが、いざとなってみると予想が外れた。裂傷を負った頭部に包帯していたが、悠然と落ち着き払い、持ち場を捨てようとしなかった。――最早味方の敗北は決定的であり、全乗組員にとっての宿命的事態が、刻一刻と迫っているのを彼ははっきりと知っていた筈なのだが。

 いつもの激我心に溢れた表情は、とうに彼の顔から消え失せていた。黒い両の眼には、既にこの世に訣れを告げているような悲愁が満ち溢れ、その胸中を物語っていた。

 常時身だしなみのいいこの独身男が、純白の学ランが血で赤黒く汚れているのに脱ごうともしない。死神が招いたらいつでも応じるという風情で、悠然として包帯を巻いた頭をもたげ、じっと前方を睨みつけていた。

 彼に並んで立っていた副長の尾崎中佐は、濃い眉を心配そうに顰めながら、びっしり無精髭の生えた顔を手拭きで擦り、なかなか止まらない血を拭いていた。

 窪田大尉は前屈みになって腹を押さえていたが、それは小さな破片が刺さっていたからだ。――凡そ戦闘指揮所で全く負傷をしていないのは、航宙長の渡辺大尉、1人だけだった。

 電磁軌道砲で撃ち込まれた実体弾が艦内で炸裂する凄まじい音や、パッと輝く血のような焔、暗い宇宙空間を背景に、音もなく花火のように砕け散る味方の艦などを見ていると、次の瞬間この艦がどうなるのか、誰にもわからなかった。

 

 

 

 塗料室の火災を消し止めた花山院兵曹が艦尾の方へ向かおうとしている時、兵曹は鷹司整備士と出くわした。彼は、少しでも背を低くしようと懸命に身体を曲げ、廊下をそそくさと小走りに急いでいた。

 頭の上を殺人光線が掠めているとでも言うように、片手で頭を蔽いながらもう一方を猛烈に振り回す鷹司整備士。この脚の長い痩せた青年は、一体何処へどういう訳で急いでいたのか? 今となっては誰にも判らない。

 だが通路の遙か向こうで、敵弾が炸裂して稲妻のように閃いたのを見、整備士は思い惑ったように足を停めた。――その瞬間、兵曹は何か柔らかい物に弾かれて引っくり返った。

 むっくり飛び起きた兵曹の眼に映ったのは、そこら中激しく渦を巻いている煙の中で、鞠にじゃれつく仔猫のようにもんどりうっている人影だった。

 煙が換気装置の働きで薄まった時、兵曹は気でも狂ったかのような光景を目の前に見た。一瞬のうちに身長が半分になった鷹司整備士が、絶望的に死と闘っている!

 彼の鉄帽は左耳ごと消し飛び、口は激痛に歪んでいた。眼には苦悶の色が浮かび、膝から下はもぎ取られて血みどろの切り株になっていた。

 どうにか壁にすがって体を起こした鷹司整備士は、震える手で空を掴み、何処かへ駆け出そうと暫くもがいた。が、すぐに自分が作った血溜りの中へばったりと倒れ込んだ。

「母さん、母ざン、があ……!」

 彼はとめどなく口走ったが、やがて荒々しい叫び声ともつかず、狂躁的な慟哭ともつかぬ声を立てながら、割れ目だらけの床の上を転げ回った。

 突然、その声がはたと止んで動かなくなった。そしてこの短くなった体を断末魔の痙攣が走った。

 ――花山院兵曹は、この時やっと我に返った。そしてその場を飛び離れると、必死に恐怖を払い除けながら手近の昇降口へ駆け出していった。

 

 

 

 艦の中央部、機械と装甲で何重にも保護されたところに、負傷者に応急手当を施す所が2箇所あった。

 1つは常設の手術室で、もう1箇所は浴場を一時使った即製のものだった。常設の方は軍医長加藤少佐が受け持ち、速成の方では梅宮軍医大尉が働いていた。

 ――手術室。そこら中血だらけで、負傷者の青ざめた顔、熱病患者のようにぎらぎら光った眼ばかりの場所。手術台の周りには、最前まで人間の身体の一部だった物が無造作にごろごろ転がされている。

 床には、生きている人間に混じって屍体が横たわっていた。眩暈のするような生々しい血の臭いで、胸がむかつきそうだった。呻き声や苦痛を訴える声があちこちから聞こえた。

 誰かが哀願した。

「み、水。水をくれ……、体の中が燃えるようだ」

 運用科の下士官が、俯せのまま譫言を言った。

「来た! 敵だ、警報を鳴らせ……。うわっ酷ぇ! 瓦斯だ……」

 潰れた両眼に包帯をした砲長が隅に蹲り、ひっきりなしにぶつぶつ呟いていた。

「……俺の眼は何処へ行ったんだ? 

 糞っ! 地球の奴らめ。何の用があって、俺を盲にしやがった?」

 1人の兵が手術台の上で喚いていた。麻酔薬はとっくに底をついていた。

 血で真っ赤に染まった手術着を着た軍医長が、なんとか破片を取り出そうと肩の傷口をかき回した。――不具になった者がどんどん増えていった。

「おいこら、押すな。仕事ができないじゃないか」

と軍医長が文句を言った。

 誰も耳を貸さなかった。

 

 

 

 艦に命中する敵弾は、どれも想像を絶する凄まじい音を立てた。

 その度に撞木で突かれた鐘のように艦体全部がぶるっと震動し、負傷者達はその都度身震いして、いよいよこれで最期か? と訊ねるような眼で、周囲を見回すのだった。

 またもや救護用自走機械が負傷者を運んできた。その男は、脇下の肉が毟り取られてあばらが丸見えになり、折れた枯れ枝のような肋骨が1本、横へ飛び出していた。

 彼は泣きながら訴えた。

「早く助けてください、軍医長殿!」

「ここはもう手一杯だ。軍医の所へ回ってくれ!」

「あっちも一杯です。ここへ行けと言われて、連れてこられたんです!」

 再び、艦が酷く震えた。

 盲の砲長はびくんと飛び上がると、両手を前へ伸ばして叫んだ。

「駄目だぁ! 爆発するぅ!」

 負傷者達は呻き声をあげたり、断末魔の喘ぎを漏らしたりしてばたばた藻掻いた。

 しかし、砲長の警報は間違いとわかった。彼は悪態をつきながらまた隅に座った。

 ――だが、艦の震動する間隔はだんだん短くなっていった。手術室にいる者は、皆恐怖のあまり大きく眼を見開いた。

 軍医長だけが、己の最期が間近に迫っているのも顧みず、持ち場で仕事を続けていた。

 

 

 

 外では、相変わらず敵との砲火の応酬が続いていた。

『吾亦紅』は、少なくとも6隻の艦と10機以上の機動兵器から成る部隊に、集中的に狙われ、打ち据えられていた。

 艦の周囲の空間は光と熱に包まれ、音もなく沸騰していた。

 艦中央付近で重力歪曲場に跳ね返された大型誘導弾が、一瞬艦を包み込むほどの巨大な光球を出現させた。――次の瞬間、『吾亦紅』は巨人に鉄槌で打たれたかのように激しく震動した。

 弾丸により肉体を破壊された人、恐怖により精神を破壊された人の喚く声、呻き声、死の前の慟哭などが、敵弾炸裂の轟音やちぎれ飛ぶ合金の響き、火炎の唸り声と混じりあった。

 ――遂に、艦は全ての戦闘能力を失って全く沈黙した。荷電粒子砲塔の指揮官東条大尉は、最早これまでと考えて砲部員を解散させた後、腹を真一文字に掻っ切ってしまった。

 艦の最外郭にある区画は全て放棄されて真空になった。その内側では、荒れ狂う焔に防火分隊の連中が苦労して立ち向かっていた。

 既に1つの巨大な残骸と化し、破壊され不具にされ、まだ爆散してないだけという状態の『吾亦紅』は、今はもう最期を待つばかりとなっていた。――そしてとうとう、とどめの一撃がやってきた。

 敵を追い払う力を失った我が艦に、触れんばかりに接近した敵機動兵器が放った噴進弾。それは、弱体化した重力歪曲場をあっさり貫き、機関室付近で炸裂した。

 そのため、主な動力供給管が全て断ち切られ、艦内は暗闇に包まれると共に重力制御機能が停止した。

 照明はすぐ非常用のそれが回復したが、重力制御の方はそうもいかない。結果、艦内では人も物も、固定されていないものは全て宙を漂い始めた。

 持ち場に着いている者は磁力靴を作動させたが、手術室や付近の廊下に寝かされていた負傷者達は全て宙にふわふわと浮かび上がり、あちこちで互いに衝突した。

 新たに噴き出した血は床を汚す代わりに、死の紅玉となって空中を漂ったが、その頃にはもう、吸引機を持ち出す者もいなくなっていた。

 やがて、艦はぶるぶると間断なく震動し始めた。先ほどの機関室への直撃が致命傷になったと見えた。

 それは正に、艦の断末魔の震えに他ならなかった。手術室中に、そして艦内至る所で、絶望的な叫びが発せられた。

「爆散するぞ!」

「駄目だ、もう駄目だっ!」

「助けてくれぇ!」

 応急手当所から、負傷者達が悲鳴を上げながら宙を泳ぎ出てきた。うまく動けない者は、仲間に連れて行ってくれと哀願したが、最早誰も自分のことだけしか考えていなかった。

 1秒の猶予もなかった。血だらけになった人々が、お互いの体を掴み合いながら救命艇目がけて殺到した。巧く脱出することのできたのは、比較的軽傷の者だけだった。

 

 

 

 ほとんど負傷しなかったという幸運にも助けられ、わたしはどうにか救命艇の1つに乗り込むことができた。

 定員が埋まるや艇は急速発進し、できるだけ早く母艦から離れようとした。『吾亦紅』は、最早いつ爆散してもおかしくない状態だったから、巻き込まれないためには当然のことだった。

 生存者が全て無事に脱出できたとは到底思えない。戦闘で破壊され、使えなくなった救命艇もあったが、同様に戦死者も多かったから艇の空きが足りなかった筈はないが、あまりにも時間的な余裕がなさ過ぎた。

 聞いた話だが、救命艇に乗るのが間に合わずに取り残され、宇宙服を着たままで艦外に飛び出した者さえいたらしい。――らしい、というのはそれがあくまで伝聞に過ぎず、なんの証拠もないからであるが。

 金艦長は脱出を拒み、艦と運命を共にした。そして我々が艦を離れて数分後、『吾亦紅』は数多くの戦死者 ――そして恐らく、まだ息のあった人たちも―― を道連れにして、巨大な眩い光球と化したのだった。

 ――辛うじて虎口を逃れた我々が次に恐れたのは、救命艇が勝ち誇る地球艦によって拿捕、或いは撃沈されることであった。

 だが幸いと言うべきか、彼らは抵抗力皆無の我々を破壊して自らの殺戮衝動を満足させる代わりに、いまだ戦闘力を有している味方を叩く方を選ぶことにしたらしく、救命艇には目もくれようとしなかった。

 それでも全く無傷とはいかず、折角母艦から脱出しながら、流れ弾を食って一撃で消し飛んでしまった不運な艇もあったようだ。しかし、わたしの艇はそういう目にも遭わず、どうにか無事に戦場を縫って味方の艦列へ辿り着いた。

 そのうちの1隻に拾われ、漸く地獄の月周辺宙域から脱出して、本国へ帰還することができたのである。

 

 

 

 その後については、とりたてて書くほどのこともない。

 原隊に復帰したわたしは、程なく戦場で受けた心理的外傷によって戦争神経症に罹ったと診断され、予備役に編入後軍の病院に入った。――自分では正常なつもりだったが、「軍に復帰して前線に戻らなければ」と考えるだけで、自らの意志に反して体が震え出すのだから、やはりどこかしら心が壊れていたのだろう。

 もっともその点以外、知性や肉体にはなんの問題もなかったから、わたしは入院生活の徒然に自分の体験について書き残しておくことにした。自らの見聞きした範囲で書くことがなくなると、同様に入院していた脱出者たちから話を聞き、その体験談を書き留めていった。

 何故そんなことをしようと思ったのか。戦闘報告はやはり生還した上官が既に行っていたし、虐殺と見まがうばかりの一方的な敗北の詳細など、本にしたところで誰も読みたがる筈はなかった。ただ――、わたしはあの時、あの艦にいた者の1人として、彼らがどう戦い、どう死んでいったか記録して置かねばならないと信じたのだ。それが、生き残ったわたしの義務であると。

 だが、そんなわたしをよそにやがて戦争は終わった。眦を決し「滅ぼすか、滅ぼされるかだ」と悲壮な覚悟で始められた筈の戦いは、予想外に中途半端な形で幕を閉じることになった。――更に数年が経ち、「火星の後継者の乱」が打ち上げ花火のように終息した後になって、わたしは漸く退院を許されたのである。

 

 

 

 さて、ここまで色々と書いてはみたが、わたしの拙い文章では、恐らくあの時の状況の10分の1も伝えることに成功してはいまい。だが、敢えて一言で言うならば、「戦争とは『恐怖』そのものだった」ということに尽きるのではないかと思う。

 更に言えばわたしたちは、自分たちが「正義の戦争」を戦っているのだと教えられ、そう信じていた。――ならば、「正義」とは畢竟「恐怖」に他ならないのではないか。今、わたしにはそう思えてならないのだ。

 

 

 

(終わり)

 

 

 


(後書き)

 

 李章正です。どうも御無沙汰でありました。いい加減忘れられてそうで怖い(笑)。

 軽ぅいタッチで始めた今回のSSでしたが、書いているうちにだんだんと重い話になってきて、最後にはもうどん底。おかげで時間を食う食う。

 シリアス・ダークは、書くのに暇がかかり過ぎていかんなあ……。

 

 さて、この話はTV本編第21話「いつか走った草原」の挿話というか裏話です。ナデシコが放った相転移砲で、木連の艦隊は完全に殲滅されたように見えましたが、まあ少しくらいは生き残った部隊がいてもいいんじゃないかなと思いまして。

 相転移砲攻撃が、例えるなら水上の艦隊に戦略核を放り込むようなものだとすれば、素直に1隻残らず根こそぎになったと見るべきなのかもしれませんが―― まあ、そこは見逃してくださいな。でないと、話の大前提が崩れてしまう(笑)。

 

 にしてもその後、相転移砲で敵艦隊を掃滅して完勝したナデシコクルーの方が青い顔をしていて、味方に重大な損害を蒙った筈の木連軍人(草壁、白鳥、月臣といった面々)たちがやたら平然としていたのは何故なんでしょう? ――普通パニックに陥るか、意気消沈するかしていそうなものなんですが。

 意外と、あの敗北も計算ずくだったのかな? 或いは、TVアニメではよくあることなんでしょうかね(笑)。

 

 

代理人の個人的な感想

うわ〜、どシリアス。

良くも悪くも意表を突かれましたね(笑)。

まぁ、たまにはこんなのもいいかなと。

 

 

>計算ずく

たとえ玉砕覚悟でもいかにゃならん、と言う意識があったか、

あるいは既に戦略目標を火星遺跡に定めていたか、そのどちらかではないでしょうかね〜。