桜坂

第5話 葛藤



2191年大晦日
中華街は春節(旧正月)の方が盛り上がるといっても、やはり日本では、正月は正月の雰囲気がある。
大晦日、華慶は通常より2時間早く閉店した。その後、内輪で軽く打ち上げ、みんなで軽く騒いでもう1時間を 経過している。幾人かぱらぱらと家路につく人間も出てきた頃。 店内では大吾を含め5人ほどが残っている。 店の真ん中の朱塗りの中華テーブルに集い、今年の重大ニュース特集のテレビを見ながら酒をゆっくりと 飲みながら静かに談笑をしている。
テレビでは今年も多くのテロが有りました最大規模のテロでは 2000名の方がお亡くなりになりました等々、専門家、タレント等の意見とかがテレビから流れている。 オフィスビルであろうか大きな建物が爆破で瓦礫になってしまっている映像、 幼い少女が血を流しながら泣いている映像等が流れた。
その映像は、大吾の記憶の片隅に合ったある情景を刺激した。

シェルターに避難しているアキト、幼い少女、壁を破壊して進入してくる虫型ロボット、 何も抵抗できず虫型ロボットに惨殺されていく人達。

打ち上げ開始の乾杯前に助手への昇格をエンファさんから告げられ、 気持ちよく酒に酔い、ほころんでいた大吾の顔が急に険しくなる。
「いやな世の中だね。テロ、紛争。連合政府は腐ってるよ」 ホウメイさんがテレビを見ながらつぶやく。
“連合政府は腐ってるよ”ここ数年の世論の統括だろう。大国だった国はまだいい、暮らせている。 ただ搾取されるだけの小国だった国は、限界に近い。

また、大吾の脳裏にアキトの記憶が閃く。
蜥蜴戦争が終わり、ユリカと暮らし始め、本当にアキトにとって唯一の心安らぐ短い時期。
アキトの最上の幸せだった頃の記憶。

ベッドの中でユリカとアキトが寝転びまどろんでいる。ユリカはアキトに寄り添い、 アキトの胸板に頬を寄せ目を瞑っている。 ふいにユリカが何か思い出したようにつぶやき始めた。

「戦争の前ね。連合政府の上の人達は、もう連合政府はだめだろうって考えていたんだよ」
ユリカがアキトにつぶやく。
2050年に地球連合政府が発足したが、100年経ってすでに政府末端は紛争、 テロ等で連合政府の未来は無くなってたと、 また、一部の元大国の人々も他国のために犠牲になるのはもうごめんだと思い始めていたところもあると。 連合政府は2200年まで持たないだろうって全ての情報を知っている人達には思われていたんだと。
それが、蜥蜴戦争のきっかけの一つだったんだと。連合政府の敵と民衆の敵が同じになるようにと、 戦争を始めたんだと。

「ひどいよね」

ユリカはアキトに抱かれながら涙を流しながらつぶやいていた。 アキトはただ優しくユリカの髪をなでていた。終わったことだよとつぶやきながら。
蜥蜴戦争は色々な思惑が絡み合い発端し、終結した。そしてユリカは強くなった。
でも、アキトにだけは涙を見せていた。

終わったことだよと言ったアキトの言葉が、むなしく思える。 悲劇の開幕は、すぐそこに来ていた。

アキト、ユリカへの暴虐、陵辱。そして幾万幾千の命を奪ったアキト。穏やかな粛清対象のルリちゃん。 報復の連鎖、ラピスの死。


「どうした大吾?」
突然、険しい顔をし黙った大吾をいかぶしがり、ホウメイさんが声をかける。
「なんでもないっす」
努めて笑顔で答える。
記憶に浸ったのは一瞬である。 しかし、大吾は酔えなくなった自分がここに居ては場がしらけると思い席をはずすことにした。
何か言いたげなホウメイさんと、やはり何か言いたげな厳しい目つきで大吾を見つめるエンファさんに 見送られ大吾は店を出た。

帰り道、寒空の下を歩きながら先ほどのテロのニュースを思い出し大吾は思う。
俺も数万人もの人を殺したではないか。そんな俺が。
俺が?
俺は小林大吾だ。人殺しなんかしたことなど無い!
でも、この心は、感情は、記憶は、いったいなんだ?俺は誰だ?
俺は、大吾かアキトか?
俺は、大吾でも無ければアキトでも無いのか?
自分が何者かわからけれども、決めたことではないか。

何としても、アキト、ユリカ、ルリちゃんそしてラピスを救う!

偽善かもしれない、いや偽善だろう。 今さっきも、テレビで言っていたではないか、 今年だけでも何も非も無いのに数万人の人間がテロ、紛争で理不尽に殺されている。
しかし、アキト達みんなを救うことは、俺の決心だ。

体を動かそう。悪い夢を見そうだ。大吾はそう思い。部屋に戻るとトレーニングウェアに着替え 外に出た。軽く20分ほど走り、いつもの練習場にたどり着く。
小高い山の中、歩道から少し中に入った所に歩道からは周りの木々に囲まれて見えないが、 ちょうど8畳ほどの空間がぽっかり空いている場所が大吾の練習場となっていた。

大吾は、自然体で立ち、左足を肩幅ほど踏み出し膝に溜めをつくり腰を落とし半身の姿勢をとる。 脇を締め、左手は軽く前に突き出し、右手は顎の前。 両足に均等に体重がかかっているか?爪先、膝先、位置をチェックし、体の左に壁をつくる。

基本の稽古を始める。
立ち位置を変えずにワンツー、踏み込んでのワンツー、 立ち位置を変えずに捌いてから始まるワンツー、スッテップバックをして捌いてから始まるワンツー、 踏み込みながら捌いての投げの一連(裏投げ、首投げ、腕投げ、廻し投げ)、 相手の中段蹴りを捌いてから上段蹴り、相手の中段蹴りをインスッテップ膝で崩してのワンツー、 相手の踏み込みに対して下段蹴りで崩してからのワンツー、…
基本技を大吾は小一時間ほどした。冬の寒さの中だが、じっとりと汗が湧き出てくる。 シンと静まった月明かりのさえる寒空の下、大吾の呼吸音だけが大吾の耳に入る。
“対人訓練もしたいな”
大吾は下働きの時は時間があまりに取れなかった為、一人で稽古していたが、 助手になれば、少しは時間に余裕がでる。やはり対人訓練もしないと、どうしても間合いの勘が鈍る。 近くにある空手道場に通うかと大吾は思う。

そんな事を考えながら深呼吸をして気を収めたとき、雲が月にかかり辺りが暗闇に覆われた時、 かすかに左後方に殺気を感じる。すばやく大吾は左足を軸に体を回し、 殺気を感じた方に向く。すでに、殺気は消えている。 緊張が走る。大吾は全方向に意識を飛ばす。数瞬後今度は右側面から殺気を感じ、そちらに 大吾は向く。今度は殺気は消えたが、気そのものは消えずそのまま大吾に近づいて来る。人影が現れる。


「ほう、良い基本技であったが、探気まで習得しておるとは若いのに見事」
人影から声が発せられた。

大吾の中に大きく重い何かがうごめく、コールタールの用に黒く粘り気のある狂おしい何かが、

雲が流れる、月明かりが戻り人影を照らす。

大吾の目が開かれ、意識せず叫んでいた。

「北辰!」

大吾は、叫ぶと同時に体が動いていた。右足が大地を蹴る。大吾の右足が有った部分の地面がざっくりと削られ、 土が舞う。大吾は軽く猫背を保ったままの組み手前傾姿勢で、北辰に迫る。 4mほど在った北辰との間合いが初動で2mになる。そのまま滑るように 大吾の蹴りの間合いに入る、まだ北辰の攻撃は何も届かない間合い。勢いを殺さずそのまま左前蹴り、狙いは右膝。 北辰を下がらす目的の前蹴り、もちろん避けなければそのまま膝を蹴り折る。 そして北辰に体勢を整えさせず大吾の打撃の間合いに入りを反撃を与えずワンツースリー。 まったくの無警戒の北辰への、大吾の巨体から信じられないスピードでの攻撃、 圧倒的な重量、体躯差を生かした間合いの攻撃になる。

はずだった。

大吾の攻撃は最後までできなかった。前蹴りは軽く斜め前に出てかわされ、 ワンは軽くスウェーでかわされ、打ち終わりで接近され間合いをつぶされ、ツーは上段受けで捌かれ、 大吾がスリーを打つ前に北辰の上段受けをした腕がそのまま振り下ろされ大吾の顔面をしたたかに打っていた。 顔面を打たれ体勢がくずれ大吾が無様なスリーを打った時はすでに北辰は大吾の右前約2mに立っている。

大吾の初動で巻き上げられた小石が後方で静かに音を立てた。

一瞬の攻防、冬の寒空深々と冷え込む夜の静寂がもどる。 憤怒の表情で北辰を睨む大吾。
北辰は非常に何か面白くない表情でなにかつぶやいている。
北辰のその表情は目前の大吾を見ていないようでもある。 かすかに“あの女はまったく・・・”と言う台詞が大吾には聞こえた。

「どこを見てやがる!北辰!」大吾は叫ぶとともに、 体ごと突っ込む。ジャブを打ち引き戻さずどこでもいいから掴み、体勢を崩させ、 体格差を利用して投げか極めをする攻撃。

ジャブを打った大吾の左手首に何かの感触があった瞬間、ほぼ同時に肩、腰にもなにか感触があった。 次の瞬間大吾の巨体が宙を舞っている。乾いた大地に大吾の巨体が倒れ込み土煙が上がる、 大吾は仰向けに大地にぶざまに転がっていた。 大吾の視界に冬の月が入るがすぐに人影で遮られる。北辰が倒れた大吾の腕と肩を脚で抑えている、上半身は動かない。 下半身は動くが動くだけである。

「先ほどの基本技の1分も出来ておらんわ未熟者めが。本来であれば即止めを刺すのだが。 とりあえず約定が有るので質問を貴様にする。」

“こいつは何を言っているんだ?”暴れながら大吾は思う。

「貴様が憎んでいるのは間違いなくこの場に居る我か?また復讐するおぬしは誰だ?」

大吾の表情が憤怒を通り越し、鬼の形相になる。 瞼はこれ以上ないほど開き、唇はめくれ上がり、噛み合った歯は鉄をも噛み砕きそうな力が加えられている。
“何を、何をこいつは、ほざいているんだ!こいつが、俺にユリカにしたことは…"
大吾の頭の片隅に華慶の帰りに思った事が思い出される。
“俺は誰だ?”
“俺が大吾なら北辰に復讐する大儀が俺に有るのか?” “俺がアキトならこの北辰に復讐・・・、復讐?アキトは今幸せに暮らしているのに復讐? この北辰は俺に対してアキトに対して悪事を働いているのか?”
“なにがなんだかわからない。”様々な思考が一瞬のうちに大吾の脳裏を駆け巡る。

暴れていた大吾の体が止まり、ほどなく体から力が抜けると、北辰も大吾の上から離れ横に移動する。
大吾は呆然と横たわっている起きる気配も無い。視点は上を見ているのか定まっていない。

「ふむ、命冥加なやつ」

北辰はそう言うと林の中に消えていった。
大吾は大地の上に倒れたまま冬の月を眺めていた。


 

代理人の感想

少しずつですが更新。頑張ってください。

それはさておき、やっぱこうなったかぁ。

ホウメイさんのこともあるしどうなるんだこの先(汗)。