紅の戦神

 

 

第十一話

 

 

 

 暗闇に――――

 

 

 

 一筋の光も入り込まぬ全き闇の中にひとつの影があった。

 

 ピクリとも動かないその影は、鎖の束縛によって雁字搦めにされている。

 また部屋自体も宇宙船の外壁に使われる特殊合金が三重になっており、

 同じ金属の鉄格子がこれまた三重

 高電圧処置の施された特殊扉に至っては外に出るためには七つもくぐらなくてはならない。

 部屋の天井には筋弛緩ガスの噴出口まで設置されていて、5台の暗視カメラが常に影の様子を探る。

 そしてこの部屋の見張り番の装備には対戦車ライフルなどの重装備までもが平気で配置されていた。

 すべて部屋の出口に常時銃口を向けて、だ。

 

 少しでも知識のあるものならこの厳重さに嘲笑を禁じ得ないだろう。

 

 何処まで臆病になるのか―――と。

 

 だがこれでもまだ足りない、とここの見張りを任された者は言う。

 事実その通りだった。

 

 

 ―――そう『だった』。

 既に過去形だ。

 つまり実証済みだということ。

 

 

 その影――真紅の羅刹、影護北斗――は力任せに引き裂いたストレイトジャケットに包まって昏々と眠り続ける。

 立てば足下まで達するだろうその赤髪は、長い間手入れを受けなかったせいで随分と傷み

 裸のままの肌にはかつての生き生きしさが全く見られず、所々にある注射の跡が痛々しい。

 

 ・・・そこにあるのはもはや生ける屍だった。

 

 生きていることと死んでいないこと。

 それらは完全に別物だと言うことが、彼女を見ればよくわかるだろう。

 

 もう2ヶ月近く食事も摂っていない。

 それでも頻繁に投与される栄養剤が命を永らえる。

 別に死ぬつもりはなかった。

 ただ生きるつもりもないというだけ。

 運び出される際の筋弛緩ガスも昂気を使えばどうとでもなるが敢えてしなかったのはその為だ。

 

 もうそこに『羅刹』と恐れられた木連最強の戦士の姿は影も形も見当たらなかった。

 

 

 

 

 ――――ガラッ・・・

 

 わずかに・・・彼女を拘束する鎖の擦れ合う音が、覚醒を知らせる。

 監視者たちの緊張もここで最大限だ。

 

 気分次第で全て壊す―――。

 

 彼女がそう言ったモノであることは十分承知の上だったから。

 そうだ。

 たとえ半ば屍となった状態でも自分達を皆殺しにすることくらいなら容易くやってのけてしまうだろう。

 

 前回はまずはじめにカメラ越しに彼女に睨まれた者の気が狂った。

 彼女の存在自体極秘であるために直接の警備に当たる者以外はほとんどが研究者だったこともある。

 とにかくその彼が反射的に鳴らしてしまった警報によって詰めていた人員が全て集結する事になった。

 はじまったのは――――悪夢。

 

 ミサイルですら一発では破壊できぬ鉄格子を引き裂き、

 さわった瞬間に黒焦げになるはずの扉を――錯覚だったろうか、紅く輝く拳によって吹き飛ばす。

 噴出される筋弛緩ガスは途中から高濃度の神経ガスへと換えられたが結局なんの役にも立たなかった。

 重武装にて集まった、木連の裏に属する手練れたちも例外なく絶命し、

 奥の手である乙型機動兵器も彼女の前では張りぼて以上のものとはならなかったようだ。

 最後には心を持たぬ無人兵器どもまでが逃げ出す始末。

 理由不明とは言え、あらかた破壊し終えた後で急に大人しくなったのは幸運だったが。

 

 

 ゆっくりと・・・鳶色の瞳が開かれる。

 監視係はいつでも警報を鳴らせるように態勢を整えた。

 これもいつものこと。

 

 

「・・・・・・・・・・・キト・・・・」

 

 

 

 ―――ドサッ!

 

 

 冷や汗を拭きながら席に座り込む監視員。

 北斗はなにやら呟いたようだがそれは重要ではない。

 大事なのは開かれた瞳が憔悴していたこと。

 これならば今日一日は安泰だ。

 

(転職・・・考えたいよな・・・。無理だろうけど)

 

 戦場でも暗殺でもなく、監視でこの世界にはいった事を後悔する事になるとは夢にも思わなかったが。

 

 

 

 


 

 

 

 あがってきた北斗くんの監視報告にもボクはたいして気を止めなかった。

 

 確かにあのコも興味深い実験対象ではあるんだけど、今はちょっと忙しいしね。

 それに大概調べられるところは調べ尽くしちゃったし。

 さすがに解剖は出来ないのが残念だったけど、まあそれも時間の問題かな。うん。

 

 

「―――ヤマサキ・・・・」

 

 突然かけられた声にボクは内心の驚きを隠しながら振り返る。

 

 ・・・ほんと、心臓に悪い人だよね。

 

「ああ、北辰さん。何か用ですか?」

 

「貴様が我を呼んだのであろう?」

 

 ・・・・・・あれ?

 ああ、そういやそうだったかな。

 北斗くんのことを相談しようと思ってたんだっけ。

 

「あはは、そうでしたね。

 じゃあちょっと待っててくれます?

 切りのいいところまでいったら休憩をとりますんで・・・」

 

「・・・・ほう、もうここまで成長したのか」

 

 ボクの言葉を見事に無視して北辰さんが逆に問い掛けてくる。

 その視線の先はボクと同じで、一本の立方体型の培養ケースだ。

 中には見た目十歳前後の赤髪の女の子がふらふら浮いている。

 楽しそうじゃないけどね。

 意識があることは確認してるんだけど、結構気難しいんだ。

 それでも今日は機嫌がいい方かな?

 やっぱし北辰さんがいるからだろう。

 刷り込みってのは強烈だからねぇ。

 

「驚きました?

 北辰さんが攫って来てくれた赤ん坊に例の因子を移植して、

 さらには北斗くんの情報も打ち込んだ生態兵器。

 体組織のほとんどをナノマシンっていう微小機械が形作ってるんですよ。

 そのせいか成長がやたら早くてね。

 北辰さんが出かけてた一ヶ月でもう十歳前後にまでなりました。

 最近になってようやく安定しましたけど、もしかしたらこれ以上年とらないかも・・・」

 

「・・・話せるか?」

 

「・・もちろん」

 

 ボクは横にいた助手の一人に目配せして音声を繋げる。

 それを確認するでもなく、北辰さんは円筒に歩み寄った。

 

 

『・・・・・・父上?』

 

「ああ・・・久しいな、沙耶」

 

『ふふ・・・まったくじゃ。

 父上は沙耶のことを忘れてしまったのかと心配したぞ』

 

「済まんな。仕事があったのだ」

 

 ・・・おお。北辰さんが普通のサラリーマンみたいな言い訳を言ってるよ。

 しかも笑ってるし。

 あんまし見たくない笑顔だぁね。

 

「明日、外へ出るが良い」

 

『―――!! それはまことか!?』

 

 いや勝手に決めないで下さいって。

 調整とかいろいろあるんだし・・・。

 もしかしてボクを寝かせないつもりですか?

 

「そろそろ外にも慣れておいて貰わなくてはな。

 いくら知識と能力があろうと経験が伴わなくては使い物にならぬ」

 

『・・・経験など沙耶には不要であろ?

 姉上の持つ戦闘能力に父上の持つ暗殺技能、

 加えて沙耶本来のこの異能があるのじゃ。

 どんな存在も沙耶を壊すことは出来ぬ』

 

「沙耶よ・・・父の言うことには従うものだぞ?」

 

『・・・・・・・心得た。

 父上がそう言うのなら従う』

 

「ふ・・・そうだ。それでよい」

 

 ふぅ、ダメだねこりゃ。

 どうやら今日も徹夜決定だよ。

 ボクがいったい何したってのさ?

 まったく、もう少しいたわって欲しいよね。

 

「ヤマサキ。『都市』の方はどうなった?」

 

「どっちのさ?」

 

「確保してない火星都市を聞いてどうする。

 エウロパに現れた方のだ」

 

 『都市』・・・いわゆる古代遺跡ってやつだ。

 無人兵器などの製造が行われてるとこもその一種。

 なんでも古代火星文明が残した遺産だとか。

 まあ使えるものは何でも使う姿勢は大切だよね。

 ボクとしては面白ければそれでいいし。

 

「ああ、アレはもう駄目だね。劣化が激しすぎるよ。

 沙耶ちゃんに埋め込む分の『因子』が摘出出来ただけ僥倖じゃないかな?」

 

 草壁さんは何としてでも『都市』を手に入れたいみたいで、

 それと似た物体がエウロパ付近に跳躍して来た時には狂喜して踊り狂った(嘘)。

 すぐさま僕のところに運ばれてきたんだけど、なんと言うか抜け殻って言えばいいのかな?

 調査中にもどんどん崩れてきちゃってまともに調べられたのはほんの一箇所だった。

 

 その一箇所にあったのがこの『因子』だ。

 これを生体に埋め込むことによって、ナノマシンによる肉体制御を可能にする。

 地球ではIFSなんてモノが流布してるみたいだけど、そんなものとは段違いだね。

 事実、沙夜ちゃんみたいに体組織のほとんどがナノマシンだなんてのは造れていないみたいだ。

 かく言う僕にも造れなかったけど。

 都市からギリギリで取り出した因子も、

 その特殊性からか既に成長しきった人間には極度の拒否反応を起こした。

 移植した『核<コア>』が瞬間的に被験者の全神経を読み取り、

 その情報を吸収するためにそれらを自分と同じような構造に変化させる。

 変化後、分解して吸収し、後には死体すら残らなかったのは強烈だったね。

 

 そこでためしに成長前の赤ん坊ならどうかって言ったら、翌日には北辰さんが攫って来てくれたんだけど、

 なんとこれが大当たり。

 一度は同じように分解してしまったものの、すぐに再構成したんだ。

 こんどこそ僕は踊りだしちゃったよ。

 

「それより、地球の方はどうでした?

 草壁さんのところに報告通信あったんでしょ?」

 

「うむ。順調らしい。

 取引先がこうも聞き分けが良くては我の出番はないな」

 

 ・・・って、そりゃあいきなり暗殺なんてしちゃったら取引なんて無理だしね。

 

「そういえばクリムゾンさんのところに興味深い研究があったんですよ」

 

「・・・・ウォルフとかいう男の『死人兵』か?」

 

「あれ? ご存知でした?」

 

「まあな・・・・なかなかに人の道をはずれた男よ。

 地球にも面白い人材がいるものだ」

 

 そう、クリムゾンとの取引の際にいくらかの技術交換があった。

 その中でボクの目を引いたのがその『死人を兵士として再利用』という項目。

 どうやら偏屈じじいらしくて詳細は載ってなかったけど。

 

「そうですね。

 それでまた技術交換の話になりそうなんですよ。

 ボクたちが彼らを満足させるような技術を提供したら、っていう条件付きだけど」

 

 失礼しちゃうよね。

 まあ気持ちはわかるけどさ。

 

「・・・・沙耶をか?」

 

「まさか。そこまで興味を引くものじゃありませんよ。

 D君たちの中間データで十分でしょう。

 向こうもまだ完成していない見たいだし。

 ま、沙耶ちゃんを出すにはちょっと魅力が足りないってことかな?」

 

 この沙耶と言う少女――少なくとも見た目は――の重要性は計り知れない。

 身体能力はデータ上では北斗くん並。

 しかも『因子』の中枢処理機構である『核<コア>』さえ無事ならば大概の損傷を修復する回復力。

 入力された情報を忠実にトレースする記憶力。

 すでにあらゆる格闘技や暗殺術をデータとして送信済みだ。

 きっと完全に使いこなすだろう。

 それもマニュアル通りの動きだけ、なんて言うオチはない。

 北斗くんの思考からダイレクトに書き込んだから少なくとも彼女とはそれなりに戦えるはず。

 簡単に言えば『死なない北斗くん』。

 いや〜、怖い世の中だねぃ。

 

「ところで北辰さん。

 沙耶ちゃんを実用化に移すって言うことは、北斗くんは・・・?」

 

「消しはせん。まだ利用価値はあるからな。

 牙の抜けた狼でも最後の骨までしゃぶり尽くしてやるのが情けというものだろう」

 

 あ〜・・・その情けを向けられる人は可哀相だと思うんですけど(汗)。

 っていうか利用価値って何さ?

 北斗くん、下手したらこっちに噛み付きかねないって言うのにね。

 

「北斗は沙耶の最終試験となってもらう。

 沙耶は腑抜けた北斗の代わりとなる草壁閣下の切り札だ。

 奴に勝てんようでは切り札足り得ぬからな」

 

「・・・北斗くんと戦わせるの?

 こう言っちゃなんだけど、今の北斗くんに勝っても何の自慢にもならないんじゃないかな」

 

「お前の作った戦気高揚薬があったであろう?

 アレを使えば十分戦える」

 

「あ〜あれか・・・って、あれ失敗作なんだけど。

 副作用バリバリで、使用後は廃人直行間違いなしだよ?」

 

 もともとお遊び程度に造ったものだし。

 

「構わぬ。一度戦えればな。

 そこで壊れるのならば・・・あとは貴様の好きに使え。

 子を成すもよし。解剖するもよし・・・」

 

「え? それほんと?

 じゃあ両方やっちゃおうかな。

 やあ、じつはそう言ってもらえるのを待ってたりするんだよね〜」

 

 まさに渡りに船。

 北斗くんの遺伝子情報はそれだけで結構貴重だからとりあえず7,8人はこさえて貰って・・・

 ああ、解剖用にもう2,3人必要かな?

 

「好きにしろ。して・・貴様の用事とは何だ」

 

 北辰さんがそう切り出してようやく今日の本題に入る。

 

「ああ、ですからその北斗くんのことですよ。

 最近は大人しくなったんでそこはいいんだけどね。

 どうにも非協力的で・・・」

 

 エウロパに『都市』が出現した頃、北斗くんの様子が一変した。

 突然暴れだしてわけのわからないことを叫びながら駆けつけた人たちを皆殺しにしたかと思うと、

 出張ってきた乙型や甲型をガラクタに変えながらいきなり笑い出したんだ。

 でもそれは乾いた笑いって言うか・・・。

 たまにボクのモルモットたちの中に同様の笑いを浮かべてた人たちがいたけど、そんな笑み。

 絶望とか狂気とか、そんな感じだ。

 とりあえずそれ以降さらに警備が厳重になったね。

 わざわざ北斗くんのためだけに特設の牢獄を造って何十にも仕掛けを施してある。

 直接外部に通じる通気口のような設備は完全に無くして、そのためのシステムを取り入れたりもした。

 

 いままでは舞歌さんや零夜っていう娘なんかが時々来てたみたいだけど、それもまとめて不可。

 だいたい前に北斗くんが暴れだしたのは零夜ちゃんが帰ってから。

 何があったのか知らないけどね。

 どっちにしろちょっとしたことで何人も殺されちゃ、商売上がったりだよ。

 ガスを使えば実験は出来るから放って置いたけど、ひとつだけ解明しなくちゃいけないことがあるんだ。

 

「・・・なるほど。我に枝織を呼び出せと言うわけか」

 

「そうです。悪いけどお願いしますね」

 

 枝織ちゃんの方なら北辰さんさえいたら言うことを聞いてくれるからね。

 逆に北辰さんがいなかったらなかなか言うことを聞いてくれない。

 だからこそ帰ってくるまで待ってたんだけどさ。

 

「しかし・・・あの腑抜けが『武羅威』を会得するとは。

 伝説も所詮は口伝。当てには出来ぬな」

 

 前に北斗くんが暴れたときに見せた紅い光。

 ボクにはなんなのか皆目見当がつかなかったけど、北辰さんは見た瞬間にわかっちゃったんだ。

 なんでも木連式の奥義で『武羅威』っていう技らしい。

 ・・・あれ? 昂気って言うんだっけ?

 ま、どっちでもいいや。

 あの光の正体さえ掴めれば。

 

 あの光が体を薄く覆っているせいか、戦闘中はガスも電撃もまったく通じなかった。

 紅い膜が完全に遮断してしまっていたんだ。

 ・・・・本当に北斗くんは人間なのかって、疑っちゃったよ。

 

「それじゃあ早速行ってもらえます?

 ボクは沙耶ちゃんを外に出すための最終調整しなきゃいけなくなったみたいなんで」

 

「承知した」

 

 精一杯の皮肉を利かせたつもりでも、持ち前のにやけ顔が災いして全く効きやしない。

 北辰さんはにこりともせずに部屋から出て行った。

 

 さて、急いでやらなきゃね。

 北辰さん怒らせると怖いし。

 

 

『・・・にやけるな。気色悪い』

 

 

 ・・・・冷たいよ、沙耶ちゃん(涙)

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 現実の始まりを思い出す

 

 

 

 

 ―――二ヶ月前

 

 

『・・・・零夜

 いったい何が起こったんだ?』

 

『へ?』

 

 目が覚めて・・・記憶の混乱していた俺はとりあえず入ってきた零夜の気配に話し掛けた。

 その時いた場所がこの座敷牢だったことも気にしながら。

 

『なぜ俺はここにいる?

 アイツは・・・アキトはどうなった?』

 

『あ、あの、北ちゃん?

 何を言ってるのかわからないんだけど・・・』

 

 思えば零夜には悪いことをしてしまった。

 当たり前だ。

 いくら幼馴染だからと言って俺の妄想の中での出来事など知ったものか。

 

『・・・ふざけているのか?

 ―――まあいい。とりあえずナデシコに行こう。

 話はそれからだ』

 

 なぜまた牢にいるのかも特に考えず、俺は無造作に鉄格子をこじ開けた。

 零夜はそれに驚愕しながらも、

 

『ちょっ――北ちゃん落ち着いて!

 脱獄なんてしたら北辰さんに何をされるか・・・・。

 そ、それにナデシコなんて私知らないよ?

 北ちゃん何処に行くつもりなの?』

 

『・・・・・・・・・・ナデシコを、知らない?』

 

 お互いの認識に食い違いがあったのを感じた俺は、零夜に説明を求めた。

 ゆっくりと言い辛そうに俺が牢に閉じ込められる過程を述べる零夜の声。

 すべて記憶の中にある通りだった。

 

 

 ・・・その中に『ナデシコ』や『テンカワアキト』と言った単語が一度も出なかったことを除けば。

 

 

『馬鹿・・・・な。そんなことがあるわけ・・・・!!

 そうだ枝織!! お前なら何か分かるだろう!?

 枝織! どうした! 返事をしろ!!』

 

 取り乱した俺の声が虚しく牢に響き、

 

『北ちゃん! ねえ北ちゃん落ち着いてよ!

 大丈夫!? 悪い夢でも見たの!?』

 

 俺の身を案じて問い掛けた零夜の言葉に俺は動きを止める。

 

 

 

 

 ―――――夢

 

 

 

 

 悪い夢・・・。

 

 

 

 

 

『ふざけるな!!

 夢・・・・・・あれがただの夢だった!?

 そんなことが―――!!』

 

 あるわけがない・・・と断言することが出来なかった。

 現に何も知らない零夜が目の前にいる。

 

 ・・・・・それが『現実』

 

 揺るぐことの無い『真実』

 

 

 

 

 

 

 その後のことはよく覚えていない。

 覚えているのは力の限り暴れ狂ったことだけだ。

 

 ただ茫洋とした意識の中で零夜が無事だったことを聞かされた。

 

 しかしそれすらどうでもいいことのように思う。

 

 

 

 今では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――カチカチ・・・ピーーー!

 

 部屋の電子ロックが外される音が耳に入る。

 とはいえ何者かが近づいていることには当の昔に気付いていた。

 思えば久しぶりのことかもしれない。

 ここに移されてからというもの零夜や舞歌が近づくことはなくなったし、

 ヤマサキの実験に付き合わされて外に出るときはいつも筋弛緩及び催眠ガスの世話になっている。

 

 まあ・・・どうでもいいことだが。

 暇潰しに血を浴びるのも悪くはないかもな。

 

 

 と、物騒な考えが頭を過ぎったとき、その人影が光とともに入ってきた。

 逆光で顔は見えないが、気配はよく知っているものだ。

 ―――いや、知っていたものだった、だな。

 

「・・・貴様か。何のようだ、この俺に」

 

 それでも声を出した自分に多少驚く。

 そしてそこにかつてのような殺意はない。

 人影―――北辰はそれをいぶかしんだ。

 

「ふ・・・もはや我に殺気を抱くことすら敵わぬか。

 落ちぶれたものだな、北斗よ・・・」

 

「用があるならさっさと言え。俺はこの距離でも貴様を殺せるぞ?」

 

 この北辰は強化処理を受けていない。

 はっきり言って俺の敵ではないということだ。

 もっとも、それは俺が万全の体調だったらの話だが。

 現状では奴の方に軍配が上がる、か?

 

 ここで死ぬのならそれもいい。

 また殺すことになっても別段不都合はない。

 

 どうせアイツのような・・・・アキトのような血沸き肉踊る相手など存在しないのだ。

 あの男は所詮俺の中の妄想でしかなかった。

 自分と同等・・・もしかしたら俺よりも強い奴と戦いたいと言う俺の願望だ。

 よく考えてみればそんな都合のいい話があるわけがない。

 

 あれは全て・・・まあ夢と呼ぶには長かったが、現実と呼ぶには短すぎた。

 それに馬鹿らし過ぎたこともある。

 

 この俺が他人をかばう? ・・・そんなことがあるものか。

 枝織の存在を認めていた? ・・・馬鹿な。証拠に目覚めてからは枝織の人格は消えた。俺が勝ったのだ。

 

 俺が・・・奴と添い遂げることをどこかで望んでいた?

 ・・・それこそふざけるな、だ。

 この俺が・・真紅の羅刹と恐れられたこの俺があんな浮気者に・・・。

 それが一番馬鹿らしい。

 

 

「生憎だが貴様に用はない。

 我が用があるのは・・・枝織、だ」

 

 そう言ってあの『笛』を口に当てる北辰。

 

 ・・・俺の中から枝織が消えたことにまだ気付いてなかったのか?

 いまさらそんな笛など何の役にも立たないというのに。

 

 

 だが―――

 

 

 

    ピーーーーー・・・

 

 

 

 聞き慣れた・・・とは思っていたけど実際にはあまり記憶に残っていない甲高い音。

 俺の中で眠る枝織を呼び覚ますためのそれは、

 呼び出すべき存在のない今じゃただの笛と同義であったはずだ。

 だが感じる。

 かつてと同じように意識が遠のいていく感覚を。

 

 ―――まさか・・・な。

 

 白く塗りつぶされていく意識の中でそんな事を奇妙なほど冷静に考える。

 あり得ない、とは思うが、それを全て否定する気にも何故かなれなかった。

 

 そして俺は完全に現世から隔絶される―――

 

 

 


 

 

 

 

 ・・・・・虹色の世界?

 馬鹿にしているのか。

 なぜ俺はこんなところにいる。

 

 意識を――取り戻したのかまだ夢の中かは不明だが

 とりあえず目を開けたときに視界に飛び込んできたのは上下左右の区別のない虹色の空間だった。

 俺はそこに立って・・・いや、浮かんでいるのか?

 そう言った感覚がまるで働かない。

 空気の感触すらないのだ。呼吸しているのかどうかも疑わしい。

 

 その奇妙な空間を手探りで進もうとする俺に、

 もはや忘れかけていた、それでもけして忘れることの出来ない声がかかってきた。

 

 

『・・・・・・北ちゃん?』

 

 

 なっ!?

 今の声はまさか・・・・・・・・枝織かっ!!

 

 

『北ちゃん!! ねえ北ちゃんどこ!?』

 

 

 なぜだ!? なぜ今さらあいつの声が聞こえるんだ!!

 もうあの夢は終わったはずだ!

 枝織はもう消えたはずだ!

 

 

『北ちゃん返事して!! 北ちゃん!!!』

 

 

 やめろ! これ以上俺を惑わすな!!

 

 

『いるんでしょ!? わかってるんだから!!』

 

 

 ―――黙れ!  ―――黙れっ!!

 

 

『―――!! 北ちゃん!!』

 

 

 声には出さなかったはずの俺の慟哭を聞きつけて、枝織の気配が近づいてくるのを感じた。

 そこには喜びの気が感じられる。

 無邪気で、ただ純粋な気配だ。

 それは間違いなく枝織のものだと確信できてしまい・・・

 

『北ちゃん・・・・・見つけた・・』

 

 目の前に、俺自身と寸分違わぬ女が同じように浮かんでいた。

 とはいえ纏う雰囲気は正反対であるが。

 

「・・・・枝織・・なのか?」

 

『うん・・・北ちゃん、だよね?』

 

 互いに互いの名を呼ぶ。

 あの時、夢の終わりと同時に別たれた俺の半身―――

 もう2度と邂逅することはありえないと思っていたのに・・・。

 

 

『北ちゃん・・・・こんなところで何してるの?』

 

 枝織は問う。

 その瞳にほんの少しの非難の意志を込めて。

 

「・・・何を言っている。俺の方が問いたいくらいだ。

 なぜ消えたはずの貴様がまだ存在しているんだ?」

 

 そう口にしながらも俺には既に答えはわかっていた。

 消えてなんかいなかったということだろう。枝織は。

 

 枝織の思考が頭の中に流れ込んでくる。

 普通ならば他人の思考がわかるなど異常なことだが、俺達はもともと一人だったこともあり、

 とくに違和感は感じなかった。

 枝織が俺を非難するのも、今の俺の状況がそうさせるのだろう事は容易に想像できる。

 

『私は消えてなんかいない。

 ちゃんと私として存在してるもん。

 北ちゃんにだっていつか会えるとずっと信じてたんだよ?

 でも北ちゃんは・・・・・自分であることをやめようとしてる』

 

 勝手なことを・・・。

 俺は俺だ。

 それが変わることなど無い。

 そう。俺のように呪われたものがそれ以外になることなど出来はしないんだ。

 

『そうやって勝手に自分を不幸な枠に押し込んでるんだよ。

 北ちゃんが変わろうと思わないなら変われないのは当たり前。

 今のままで本当にいいの?

 私・・・そんな北ちゃん嫌いだよ・・・』

 

 

 その一方的な拒絶に・・・俺の中で何かが弾けた。

 

 

 

「お前にっ!! ―――お前に何がわかる!!

 お前はあの孤独を感じたことがあるのか!?

 あの絶望に捕われたことは!?

 全てを失ったことがあるとでも言うつもりか!?」

 

 

 

 夢の終わりでは、確かに俺は満たされていた。

 あいつに負けて、そしてあいつをかばって。

 意識が消える瞬間までその存在を側に感じられたことに不本意ながらも充足感を感じたり。

 

 だが目が覚めたとき―――すべては幻だったことをはじめて思い知らされる。

 

 ああ、これが現実なんだ。

 みんな、夢だったんだ。

 

 そう認識したとき、生きることも含めて何もかもがどうでも良くなってしまった。

 何をどう足掻いたところで現実は変わらない。

 たとえ何かが変わったとしても、もうその時点でそれは夢。

 いつかきっと目覚めのときが来て、再びすべてを奪われてしまう。

 

 なら―――何もしない方がマシだ。

 

 

「お前も! 舞歌も! 優華の奴らも!

 ・・・・・・・・アイツも・・・!!

 ―――楽しかったんだ!

 ずっと・・・・一緒にいたいと思ったんだ!

 なのに・・・・!」

 

 不意に涙が溢れて来る。

 かつてない思いが俺の中を駆け巡る。

 でも止めることは出来なかった。

 特殊な空間によって解放された心はとどまることを知らず・・・

 

 

「なのに・・・・気がつけば一人だった。

 いくら呼んでもお前は応えなかった。

 どんなに叫んでみても無駄だった。

 手当たり次第に暴れて・・・殺してみても誰も俺を止めてくれなかった・・・!」

 

 そして確信する。

 ・・・俺は一人なのだと。

 

 以前ならばここまで取り乱すこともなかっただろう。

 生まれてからずっと、孤独は俺に憑いて回っていたからだ。

 だがもう俺は変わってしまっていた。

 それが弱くなったということだとは思わない・・・思いたくない。

 でももう一人には耐えられないんだ。

 人の温もりを知ってしまったから、それを断ち切ることは出来なかったんだ。

 

 ・・・・・・そう。狂ってしまう以外には。

 

 

『北ちゃん・・・・。

 本当に・・本当に夢だと思ってるの?

 ―――ナデシコや・・・・アー君のことも?』

 

「―――!! やめろ! 2度とその名を口にするな!!」

 

 それまであえて思い出そうとしなかった名前に、俺は無様に耳を塞ぐ。

 だが頭に直接響く枝織の声に、俺の行動は意味を持たなかった。

 子供のように頭を抱えて丸くなる俺に枝織の言葉は続く。

 

『アー君は北ちゃんのことを待ってるんだよ?

 もう一度北ちゃんに会いたい。もう一度北ちゃんと戦いたいって。

 でも北ちゃんは?

 北ちゃんはアー君と戦いたいんじゃないの?

 アー君と一緒にいたいんじゃなかったの?』

 

「俺は・・・・・アキトと・・・」

 

 戦いたかったのか?

 あいつを倒したかったのか?

 それともあいつに倒されたかったのか?

 

 ・・・・違う。ただ一緒にいたかっただけ。

 

 だからもし・・もし、もう一度会えるなら・・・

 

 

『いつまでも蹲ってたら駄目だよ。

 アー君は必ず北ちゃんを見つけてくれる。

 そんなときに北ちゃんが今みたいだったら、アー君はどう思うの?

 それを見て北ちゃんは、何を感じられるの?』

 

 

 ・・・・・・・・・・・・。

 

 

 会えるなら・・・どうなる?

 

 俺はどうするつもりだ?

 

 思うままに戦って、笑って、その後でまた全てを失うのか?

 

 

 そうだ。

 何をありもしない希望に縋ろうとしているんだろう、俺は。

 

 

 失うことを恐れてたら何も手に入れられない?

 違うさ。失いたくないから何も欲しくはない。

 

 もう・・・あいつを失うのには耐えられないから。

 

 

『―――北ちゃん!!』

 

 俺の思考を読み取った枝織が、驚愕と非難の視線を送る。

 だがもう俺の心は分厚い氷の壁によって閉ざされていた。

 それはもはや・・・2度と熔けることはない。

 

 

『北ちゃん、なんで・・・!?』

 

「もう・・・・いい。

 お前も消えろ・・・」

 

『北ちゃ―――きゃあっ!!』

 

 

 一閃―――

 俺が放った圧倒的な圧力に、枝織の気配が物凄い勢いで遠ざかっていく。

 寸前で俺を捕らえた左腕も、抵抗できたのはほんの一瞬。

 俺と同等の技量を持つ枝織も、不意をついてしまえば怖いものではない。

 

 

 ・・・枝織の気配が遠ざかるのと同時に俺の意識も再びぼやけてくる。

 虹色が混ざり合い、ぐねぐねと景色を変えていくのだ。

 それは、嫌でも現実への回帰を思わせた。

 

「ほら・・・・やはりお前は夢だった・・」

 

 呟く。

 

 それはたんなる確認だったのだろうか。

 だがそれでも俺の中では重大な意味を持つものであり―――

 

 

 ・・・またひとつ、希望の光が消え去るのを感じながら、俺の意識は闇に埋もれていった。

 

 

 

 


 

 

 

『・・・・おや? どうやら気がついたみたいだね』

 

『・・・貴様の言った通り、既に枝織は消えていたというわけか』

 

『う〜ん、推測の域を出てなかったんだけどね。

 まあ仕方ないよ。なくなっちゃった物は。

 ・・・でもこれで、本当の意味で北斗くんを操る糸が切れちゃったわけだ』

 

『牙の抜けた・・・そして意に従わぬ獣など、閣下の大望に百害あって一利なし。

 沙耶の完成を急がなくてはな・・・』

 

『・・・・・・わかりましたよ。休憩してる場合じゃないって言うんでしょ?

 やれやれ・・人使いが荒いよなぁ〜・・・』

 

『・・・・ふん・・・』

 

 いまだはっきりしない意識の向こうでそんな会話が聞こえてくる。

 

 忌々しい奴ら・・・だが現実であることを確信させてくれるのもこいつらだ。

 

 それだけは―――安心できる。

 

 

『一応北斗くんも検査しといた方がいいかな?』

 

『くだらん。もはや奴は使い捨ての木偶人形だ。

 そんなものに関わってる暇があるのなら・・・』

 

『あ〜〜はいはい! 沙耶ちゃんに回せってんでしょ?

 分かってますってのに・・・・まったく・・・ぶつぶつ・・・』

 

 

 明日からはまた今までの生活が繰り返される。

 変わらない毎日。

 変わらない闇。

 ・・・・変わらない現実。

 

 十分だ。

 

 

 

「・・・・・・・アキト・・・」

 

 

 これもまた、いつもと同じように呟く。

 

 たった一人だけの牢獄で、いつも見ていた夢を見る。

 

 

 それは・・・俺に許された最後の自由だから・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その左手には、奇妙な紋様が虹色の光を放っていた・・・・

 

 誰にも知られることなく――――ただ静かに・・・・・

 

 


 

 

 あとがき

 

 ・・・・これはいったい何の話だ?

 

 と、作者自身が思ったりしています(笑)。

 北斗・・・だいぶ追い詰められてますね。

 ファンの方にはこの場でまずお詫びをしておきましょう。

 ごめんなさい。

 でも、緑麗は北斗が好きです。

 今はひどい扱いとなっていますが、最後には間違いなく幸せになってもらいます。

 どうか、その時が来るまで見守っていて欲しいです。

 

 

 

 で、オリキャラの『沙耶』

 緑麗的に見ると年寄り言葉の小〇生は『萌え』に入るかと。

 北辰に絶対的な忠誠を置いておりますが、それらは全て徹底された刷り込みによるもの。

 北斗という一面を同時に持っていた枝織と違って、完全に北辰が最上位にランクされています。

 

 体組織の殆どがナノマシンとありますが・・・・

 

 べつに「力が欲しいか?」とかは語りだしません(爆)。

 

 イメージ的には『黒猫』の『イヴ』でしょうね。

 年齢は十歳前後。腰まで伸びる赤の髪。髪と同色の瞳。

 

 ・・・もしかしたら『紅の戦神』史上、最も不幸な少女となるやもしれませんが。

 

 




代理人の感想

小学生は犯罪です。


まぁそれはそれとして。

別の作品を読んでいるようにしか思えなかったのは私だけではないでしょう・・・・

と、言うか作風変わりすぎ(笑)