紅の戦神

 

 

第十八話 サイドストーリー

 

 

 

 

 ―――2186年 火星ユートピアコロニー宇宙港

 

 

 

「ママー! ママ―!

 わたしね、このリボンがほしー!」

 

「う〜ん・・・・・・よし! 今日だけだからね?」

 

「やったーーー!」

 

 宇宙港の、何処にでもある売店の一つ。

 まだ幼稚園に入ったくらいの幼い黒髪の少女が、母親らしき女性の足に縋り付く。

 母親はその様子に呆れたような、それでいて慈愛に満ちた笑みを浮かべ、

 少女の持って来た赤い色のリボンを受け取るとそれを持って他の商品と一緒にレジへ向かった。

 目的を果たした少女はそれでも治まることは無く、今度はお菓子コーナーの物色を始める。

 

 私――ウォルフ=シュンリン=サトウがその場に居合わせたのはおそらく偶然でしかない。

 そしてその母娘に気を止めたのもおそらくは偶然なのだろう。

 その子供が・・・つい先日息を引き取った私の孫と同じくらいなのに気を引かれたのだ。

 

 目の前にあるほんの小さな幸せですら掴めなかった自分・・・。

 いまでは学会を追われ、極々小さな研究を細々と行う毎日。

 そんな中で少しずつ磨り減っていく私の心。

 それでもその日は・・・その日だけは久しぶりに晴れた気分で過ごせると思っていた。

 レジに並ぶ母親とお菓子を交互に見て、どうしようかと悩む少女。

 その姿に私も自然と頬が緩んでいく。

 

 微笑ましいと・・・そう、思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時までは。

 

 

 

 

 

 

 

 ドゴォォォォオオオオンンンン!!!!

 

 

 突然の爆発。

 それが全てを奪い去っていった。

 

 炎に炙られて焼死する男。

 瓦礫に潰されて圧死する女。

 割れたガラスが突き刺さり、真っ赤な柘榴と化した子供。

 

 それは一つの企業が己の利益のためだけに生み出した悲劇であり、

 それは一握りの人物を暗殺するためだけにでっち上げられた喜劇だった。

 ・・・ネルガルによるテンカワ夫妻暗殺事件。

 その証拠を爆破テロに見せかけて隠滅したのだ。

 もちろんのこと、その時の私にはそんなことが分かるはずも無かったが。

 

「!! 危ないっ!!」

 

 奇跡的に傷を負わなかった私は、はっと気付いて先程の少女に目をやる。

 見れば、今にも少女の横の壁が倒れようとしているところだった。

 咄嗟に駆け出した、いや飛び出した私は少女を抱えて大きく横に跳ぶ。

 

 

 ズゥウウウウンンン・・・

 

 

 間一髪、私たちが抜け出した直後に重々しい音が響き渡った。

 潰されていたら少女はもちろん、大人の私ですら怪我では済まなかっただろう。

 

「くっ・・・! 無事かね!?」

 

 パラパラと落ちてくる瓦礫の欠片を払い除け、抱え込んだ少女に問う。

 少女は呆然としていた。

 当たり前だ。たった今、目の前にあった全てが無くなってしまったのだから。

 

「・・・ママ・・・!」

 

 呟きはか細く、しかしはっきりと私の耳朶を叩いた。

 反射的にこの少女の母親がいた場所――レジの方に目を向ける。

 

 そこは・・・完全に瓦礫に埋もれてしまっていた。

 

「諦めなさい・・・あれではもう・・・・・・」

 

「ママ・・・・・・ママっ!!」

 

「諦めるんだ!

 早く脱出しなくてはここも危ない!」

 

 何があったのかはイマイチよく分からないが、爆発が単発などと言う保証は何処にも無い。

 今度同じような衝撃があったらここの天井は間違いなく崩壊するだろう。

 既にところどころに大きな穴が開いている。

 次は・・・ここにいる私たちごと押し潰してしまうはずだ。

 

「放してくださいっ!!

 ママを助けなきゃ!! ママが・・・・ママがまだあそこにいるの・・・!!」

 

「駄目だ!! 私と一緒に避・・・っ!!?」

 

「ママっ!!!」

 

 少女を抱き上げ、売店だった場所から脱出しようとする私の腕にその小さな口が思い切り噛み付く。

 私は思わず少女を放してしまった。

 自由になった少女は、私の言葉に耳を傾けることなく一目散に瓦礫の山に向かう。

 だが瓦礫が散乱している床は非常に歩き辛く、半分ほど行った所で少女は前のめりに転んでしまった。

 

 そしてその時・・・

 

 

 グラッ・・・!

 

 

 私の目の前で、一つの大きな瓦礫が天井から落下を始める。

 それはちょうど・・・最悪なことに倒れた少女の直上だったのだ。

 

「逃げ・・・・・!!」

 

 私は・・・動けなかった。

 咄嗟の事態に脳が理解する事を一瞬拒んでしまった。

 

 意味も無く伸ばした腕の先で、スローモーションのように場面が進んでいく。

 落ちていく瓦礫。

 それに気付いていない少女。

 そしてそれを目の前にしながら声すら出せなくなってしまった自分。

 

 気が狂うほどもどかしかった。

 それでも、私に瓦礫を吹き飛ばしてしまうような力は無い。

 

 そして無慈悲にも少女と瓦礫の距離は近づいて行き・・・・・・

 

 

 

 ガシャァァアアンンッ!!!

 

 

 ・・・零になった。

 

 

 

「ひぎっあああああぁぁぁぁあああぁぁぁあああぅぅっっっっ!!!!!!」

 

 

 

 まだ幼い少女が上げたとは思えない、裂くような悲鳴が上がる。

 声が上がると言うことは、命は助かったと言うことだ。

 それが幸いかどうかはまた別の問題となるが。

 

 私はすぐさま起き上がると少女のもとに急いだ。

 これでも医師資格は持っている。

 彼女だけでも・・・・・・助けたいと思った。

 

 

「ふぅっ!! ふっううううっ・・・!!」

 

 

 瓦礫は少女の下半身――太腿から下を完全に押し潰していた。

 赤い池が少女を中心に急速に広がっていく。

 あまりの痛みのためか、少女は爪が剥れるのも構わず固い床を掻き毟ろうとする。

 噛み締めた・・・噛み千切った唇からも鮮血が零れた。

 

「動くんじゃない! いま・・・止血するからっ!!」

 

 一目見て、止血などできるわけが無いことはわかった。

 言うまでもなく気休めだ。

 既に・・・助からないことは明らかだった。

 

 だと言うのに・・・!!

 

 

 ズリッ・・・!

 

 

「な・・・何をっ!!?」

 

「・・マ・・・マ・・・・・っ!」

 

 朦朧とした瞳に母親の沈んだ瓦礫だけを見据え、腕の力だけで這い出ようとする少女。

 皮一枚で繋がっていた両足は千切れ、傷口から夥しい血液が流れ散る。

 

 私は鳥肌が立つのを感じた。

 

 

 少女の気迫に戦慄した私が正気を取り戻した頃、宇宙港のレスキューチームが店内に入り込んできた。

 先程の少女の悲鳴を聞きつけたのだろうか。

 

「おい! 誰かいるのか!!

 いたら返事をしろっ!!」

 

「こ、こっちだ!! こっちに来てくれ!! 怪我人がいる!!!」

 

 私は叫んだ。

 そして少女はそんな私たちなど気にもせず、ただ一心不乱に瓦礫をどける。

 

「!! 生存者を発見!!

 ただし負傷している模様!! 至急医療班を!!」

 

 通信を使って応援を呼んでいるらしい。

 それが終わるとすぐさま三人のレスキュー隊員が慎重に駆け込んできた。

 

 そして私を発見し、その後で少女の様子に驚愕する。

 

「要救助者二名確認した!! 内一名は重症だ!!

 医療班、さっさと来い!!」

 

 リーダーらしき男性がいち早く立ち直り、通信機器に怒声を浴びせる。

 他二名は弾かれたように少女のもとに向かい・・・その姿に手を出しあぐねていた。

 

「何をしている!!」

 

「で、ですが隊長っ!!」

 

「待ってくれ! あの中にあの娘の母親がいるんだ!」

 

「くそっ・・・! おい! 掘り起こすぞっ!!」

 

 私の言葉を聞き、そして瓦礫の山から離れようとせず

 レスキュー隊員にすら噛み付く少女の様子に男がそう命令する。

 

 大の大人が4人、内こう言った事に関するプロが三人だ。

 瓦礫の山はあっけなく掘り起こされ、中からは数人の人影が出てきた。

 爆発が起こったとき、レジに並んでいた人たちだろう。

 

 その中の一人・・・先程の母親は奇跡的に外傷が見当たらなかった。

 少女が、そして周りの私たちも一縷の希望に鼓動を早くする。

 

 だが・・・

 

 

 

 ――――ヌチャリ・・・

 

 

「うっ・・・!!」

 

「お、おえぇっ・・・!」

 

「くっ・・・!」

 

 抱き起こそうとしたとたん響いた水っぽい音。

 何事かと確認しようとしたレスキュー隊員二名が嘔吐し、隊長の男もさすがに目を背ける。

 

「なんという・・・・」

 

 他にはなんの外傷も無い女の後頭部に・・・一本の鉄筋が深々と突き刺さっていた。

 動かした瞬間に、脳漿と血液が音を立てたのだ。

 絶命していることは誰の目にも間違いない。

 

「・・・ママ・・・?」

 

「やめろ!! 見るんじゃない!!」

 

 呆然と呟く少女の声に私たちは慄然とし、隊長の男が少女を抑えようとする。

 しかしその傷だらけの体の何処にそんな力があるのか、少女はその手を振り払って母親の体に縋りついた。

 そして・・・

 

 

 ズチャッ!

 

 

 母親の後頭部から鉄筋を一息に引き抜く!

 

「ママ・・・ママ・・・起きてよママ!

 もう大丈夫だから・・・! 抜いてあげたから・・・!!

 ねえ起きて!! ねえ!!」

 

 その光景は・・・・・・一種、異様な美しさを持っていた・・・。

 

 両足を失い、体中から流血している少女。

 そしてその少女に抱かれる無傷の母親。

 だが生きているのは少女であり、死を招き入れたのは母親だ。

 そのアンバランスが、私にはとても美しく見えた。

 

「た、隊長、医療班が到着しました・・・」

 

「・・・鎮静剤をもってこい」

 

「は、はいっ!」

 

 飛び出していく隊員。

 少女はなおも語りつづける。

 

「これだね、この穴がいけないんだね?

 だったら・・・ほら、塞いであげたよ?

 ね? もう大丈夫でしょう? 

 だから起きてよ!! 起きて!! 起きて!!

 う、ううううぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ・・・!!」

 

 どんなにしてももはや動かない母の体に、少女は嫌でもその死を認識する。

 最後の最後まで母を呼び、そして気を失った。

 失血過多によるものだ。

 既に少女の方にも確実に死が近づいていた。

 

「隊長・・・これは、もう・・・」

 

「馬鹿!! 泣きごと言ってる暇があったらさっさと運べ!!」

 

 レスキュー隊の二人が少女の体を持ち上げ、外に待機している医療チームのもとに運ぶ。

 私もそれに続こうとして・・・ふと、少女の母親の手を見た。

 そこに握られていた赤い色のリボンを・・・。

 

 あの爆発が無かったら、今ごろはあの少女の髪を結っていたかもしれない。

 そしてそれを結うのはきっとこの母親の役目だったのだろう。

 そこには笑顔が溢れるはずだったに違いない。

 だが現実は・・・二人の母娘を、リボンと同じ色の血が染め上げている・・・。

 

 

 私は女の手からその赤いリボンを拾い上げ、意を決して救助隊の人間に言い放った。

 

 

「その少女を・・・・・私の研究所に運んで欲しい」

 

 

 普通ならば助かるはずのないほどの重症。

 だが私なら・・・禁忌とされた私の研究成果を使えば可能性は無ではなくなるのだ。

 

 

 たとえ・・・・・・

 

 

 

 

 

 外道と蔑まれることになったとしても・・・。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

「・・・・・・あの日からもう十年か・・・」

 

「はい?」

 

 感慨深げな儂の呟きを耳にした少女が不思議そうに眉を少しだけ動かす。

 

 彼女と出会ってからもう十年。

 そしてかつてまだ四歳だった少女も思春期を迎える頃になり、

 いまも私の目の前でしっかりと『両足』を地につけて立っている。

 これをどう取るべきだろう。

 少なくとも儂は・・・儂らは幸福を感じることが出来ているはずだ。

 

「いや、独り言じゃよ。

 ・・・・・・では本社からの指示を伝える」

 

 口調を変え向き直った儂に、少女――アサミ=シュンリン=カザマも居住まいを正す。

 こういう反応もいわゆる普通の少女とはかけ離れてしまっているのだろう。

 

 四歳の頃から・・・いや、目を覚ました五歳の頃からアサミはこの世界にいる。

 儂は儂の研究に目をつけたエマージィの紹介でクリムゾンをスポンサーとして得た。

 自然、色々と世界の裏にも詳しくなると言うものだ。

 突き止めたあのテロ事件の真相。

 一時は復讐すら誓ったアサミ。

 彼女が生を永らえる副産物として得た様々な力がそれに拍車をかけた。

 

 アサミは言ってみれば遺伝子操作によって後天的に生まれた化け物だ。

 両足は生体移植(この時代ではもうそれほど難しいことではない)で取り付けたが、それはまだ序の口。

 既にほとんどが死滅していた肉体に足をつけたとて、何がどうなるものでもない。

 それに普通に移植してもそれを自分の足のように使うことは出来ない。

 

 儂が考案したその方法は、非常に単純なものだった。

 

 負傷したアサミの脳下垂体と脊髄に回復力を高める意味で儂の開発した擬似遺伝子レセプターを植え込む。

 そのレセプターが損傷箇所を修復し、新たな皮膚や骨を作り出す作用を助長するのである。

 それだけなのだ。

 成長期の子供限定ではあるが、病気にも掛からない怪我もしない丈夫な人間へと成長するという作用もある。

 そしてその効果だけが発生するならば儂が学会を追われることもなかっただろう。

 だがこれには見過ごすことの出来ない副作用があった。

 

 まず第一に成功確率が極めて低いことが挙げられた。

 二次成長を過ぎてしまった人間ではまず成功しない。

 その前段階の子供でも、よくて百人に一人だ。

 それ以外はレセプターとの適性が悪く、

 もし拒絶反応でも起きたなら全身が異常発達を起こし生きながらにして『奇形』となってしまうのだ。

 

 そしてもし成功したとしても・・・・それは既に常人ではない。

 レセプターが骨格の修復の際に生み出すバイオ・セラミックス。

 そして皮膚や筋肉に対して引き起こすホルモンの異常分泌。

 前者はその軽さにも拘わらずチタン合金以上の硬度を持っており、

 後者は通常の人間の六〜十倍程の筋肉密度の上昇を起こしたのだ。

 

 これをアサミに植え込んだのは一種の賭けだった。

 だが放っておけば間違いなく絶命していたのも事実。

 例え世間が認めなくても、儂はそのことについては間違ったとは思っていない。

 

 問題はその後。

 

 復讐の力を求めたアサミに、儂はもう一つの禁忌を埋め込んでしまったのだ。

 擬似遺伝子レセプターと適合したアサミならば大丈夫だろうという確信もあり、

 また自分の研究の成果を試したかったと言う欲望もあって儂は躊躇いながらも実行に踏み切った。

 

 そして見事成功。

 

 その結果・・・

 

 

 

 当時のネルガル会長が死んだ・・・。

 

 

「アサミよ・・・。

 お前はこれから西欧へと赴き、エマージィ・マクガーレンの補助をしてもらうことになる」

 

 おそらく誰も知らない。

 それ以前に予想すらしないだろう。

 十にも満たない少女が・・・一つの巨大企業の主を暗殺したなどと。

 

「主な任務の内容は?」

 

 ネルガルはその死の真実を隠した。

 だからその件に関して他組織にアサミのことが漏れる事もなかった。

 もっとも、ネルガル会長が死んだ現場では誰もアサミの姿を『見ていない』のだから心配することもないだろうが。

 

「ナデシコ隊所属、テンカワアキト及び影護枝織のスカウトだ。

 以下の二名は既に西欧方面軍への出向が決定している。

 ネルガルからの出張社員という名目でな。

 クリムゾングループは彼らの力を高く買い、自陣に組み入れたいと考えているらしい。

 カタオカ・テツヤの『真紅の牙』が実力をテストし、エマージィが交渉する。

 お前の任務はエマージィの指示のもとで交渉の席を整えることだ」

 

「・・・と言われても何をするのかよくわからないです」

 

「詳しいことは儂も聞いていない。

 現地でエマージィ本人に指示を仰いでくれ」

 

 クリムゾンは・・・ロバート会長は知っているのかもしれない。

 だがあの会長のことだ。

 会社に不利益を生じさせない限り、役に立つ限りはアサミを排除しようとはしないだろう。

 

「わかりました。『七星』は連れて行ってもいいんですか?」

 

「お前直属の七人のエンハンスソード、通称『七星』か・・・。

 もちろん同行を許可する。

 緊急時に備えて『貪狼』に指揮代行システムを組み込んでおいたから有効に使うといい」

 

 いくら人を遥かに超えたアサミでも・・・

 いくら死をも超越したエンハンスソードでも・・・

 正面から戦ってクリムゾンに勝つことはまず不可能だ。

 事が起きた場合、逃げ出すことすら難しいだろう。

 

 儂はいい。

 儂はもう十分すぎるほどに生きた。

 だがアサミは・・・アサミだけはいつかこの世界を抜け出して欲しいのだ。

 その為にいくつもの切り札を用意したが・・・果たしてどれほど役に立つのか。

 

「交渉が失敗に終わった場合、作戦目的は目標の捕獲へと入れ替わる。

 そこからはお前の独壇場だ。

 あの二人を相手にしたら・・・おそらく『真紅の牙』では手も足も出ないだろう」

 

「ええ、わかっています。

 諜報力に特化した彼らと違い、私たちは純粋に戦闘力を追及した部隊ですから」

 

「うむ・・・。ならばいい。

 それから・・・・・・これだけは覚えておきなさい。

 お前には私の代理としてエマージィと同等の立場が与えられる。

 つまり、あくまでも『協力』という関係だ。

 理不尽な、お前が従う必要性を感じない命令には拒否の意を示す権利が与えられている」

 

「はい、所長の代理として派遣される以上

 その尊厳を著しく傷つけるような命令には端から従うつもりはありません」

 

 即答するアサミ。

 だがそれは儂の求めている答えではない。

 

「そうではない。

 アサミ・・・そうではないんじゃ」

 

「・・・おじいちゃん?」

 

 溜め息をつき、力なく首を振る儂に思わずアサミも『素』に戻る。

 

「儂の名などどうでもいい。

 あ〜、つまりな・・・・・・もう少し『女の子らしく』しなさいと言いたいのじゃよ、儂は」

 

「はぁ?」

 

 予想だにしていなかったことにアサミは素っ頓狂な声をあげた。

 そして心外だとばかりに言う。

 

「・・・らしく、ないですか?」

 

「ああ、ない(きっぱり)」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 沈黙。

 アサミも即答で否定されてぶすっとする。

 こういうところは・・・儂の前でだけならば年相応の反応をするのだ。

 しかし他の者に対しては意固地にその素顔を覆い隠す。

 

「まず初めにその格好じゃな。

 何とかならんのか? 年頃の娘が何が悲しくて年中作業服で過ごす?」

 

「え・・・でもこの格好の方が戦闘行動の邪魔になりませんし・・・」

 

 儂は大仰に溜め息をついた。

 

「戦闘を前提としている時点で間違っているじゃろうが。

 ・・・まあ百歩譲ってそれはいいとしよう」

 

「はぁ、ありがとうございます・・・」

 

 苦笑する。

 そして耳の裏を右手の人差し指で軽く掻く。

 困り始めたときのアサミのクセだ。

 こういうのも、他の者の前では出なくなってしまうのが徹底している。

 

「じゃが十四にもなって・・・」

 

「十四にもなって浮いた話の一つもない、とか言い出さないでくださいね?」

 

「む・・・」

 

「研究所の皆さんにも言われましたが・・・。

 私にはそういうことをする気は全くありませんので」

 

 ・・・その研究員はクビだな。

 

「じゃが・・・」

 

「もういいでしょう? それともまだ何か?」

 

 もう話は終わりだ、とばかりに言い放つ。

 どうやらこの手の話はあまり好きではないようだ。

 だが・・・そもそも言いたかったことを儂はまだ言っていない。

 儂はアサミの目を見据え、重々しく告げた。

 

「普通の娘は・・・・・・・・・人を殺さない」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 二度目の沈黙。

 だが今度は同時に哀しみの空気が部屋を満たす。

 

 かつてアサミが最初で最後の暗殺を成し遂げたとき、彼女はあまりに幼すぎた。

 死に対して現実的でありながら、死を理解できていなかったのだ。

 そしてそれは今も同じ。

 だがもうそれを理解しなくては、この世界から抜け出すことは不可能になってしまうような気がする。

 儂は一刻も早く、殺人の禁忌をアサミに理解してもらいたいのだ。

 だが儂ではそれを教えることは出来ない。

 人の命を操り、侮辱することに生涯を捧げているようなこの儂には。

 

「私は復讐を成し遂げました。

 その後は貴方に言われた通り、誰一人として殺害していません」

 

「儂の言い付けだから、だろう?

 それでは駄目だ」

 

 目を覚ましてから、たった一人の男を殺害するためだけに力を求めたアサミ。

 そこにまともな倫理観が育つはずもない。

 閉鎖されたこの地下研究所には、儂も含めて人を人とも思わない狂科学者が犇めいているしな。

 このままでは・・・儂が死を迎えたあとでクリムゾンに使い潰されるのは目に見えている。

 

「お前は・・・もう少し自分の意志を持ちなさい。

 自分が嫌だと思ったことは、儂のことなど構わずしっかり嫌だと言いなさい。

 その為に拒否権を設けた。

 分かっておろう、アサミ・・・・・・儂を失望させるな」

 

 びくり、と目に見えてアサミが反応を示す。

 感情を押し殺すのに慣れた瞳に怯えの光が宿る。

 戦慄く指先で、耳の前に垂らした一房の髪を纏めている赤いリボンに一瞬だけ触れる。

 ・・・儂への依存が大きすぎるのだ。

 

「・・・・・・・・・ハァ、退室していい」

 

 俯いてしまったアサミに儂は溜め息を洩らし、椅子を反転させて退室を命じる。

 項垂れたままのアサミはそのままで部屋の出口へと向かい、

 取っ手に触れようとしたところで意を決したように振り返った。

 

「あ・・・あの! 私は・・・・・ちゃんと、自分で考えてます・・・!

 おじいちゃんの言ったこと、まだよくは分からないけど・・・それでも分かろうとはしてるんです!

 だから・・・・・っ!!」

 

 涙目で必死に訴える。

 

「ああ・・・期待している」

 

「!! は、はいっ!!」

 

 一変して優しげな儂の声に、アサミも活力を取り戻したかのように反応した。

 そしてそのまま退室する。

 

 アサミは、意志を持たない人形ではない。

 なのに彼女自身は自分を儂の人形という立場に貶めようとしている。

 自分が心の中に抱えている矛盾に気付きもせず。

 

 

 ピッ!!

 

 

『所長・・・』

 

「お前か・・・・何か用か?」

 

『いえ・・・随分とお疲れのご様子でしたので・・・』

 

 所長室に取り付けられている二つの専用端末の片方を介し、一人の若い女性の顔が中空に現われる。

 

「そうか・・・。

 そろそろお迎えが近いのかも知れんな・・・」

 

『・・・冗談でもそのような事を仰らないでください。

 私や・・・何よりアサミが悲しみます』

 

「ふっ、そうだな・・・儂としたことが弱気になっているようだ。

 済まん。忘れてくれ」

 

 年をとると、いい加減弱気にもなる。

 ましてそれまでの人生を何一つとして誇ることが出来ないのだから。

 

「じゃが儂ももう年だ。

 いつおっ死ぬか分かったもんじゃない。

 その時は・・・悪いがアサミのことを頼むぞ?」

 

『・・・・・・はい』

 

「うむ。

 まあ差し当たりは西欧じゃな。

 何事もなければいいが・・・」

 

 そんなもの、所詮は甘い望みでしかないだろうがな。

 

『何事があろうと、アサミは護ります・・・・・・私が』

 

「ああ、頼む・・・」

 

 儂は最後までウィンドウに顔を向けずに通信を終えた。

 

 この先も、儂は死ぬまでその顔を直視することはないだろう。

 自分で作り出しておきながら勝手だとは思う。

 だが・・・・・・その金色の瞳は儂にとっての罪の象徴だ。

 

 ロバート会長も知らない、アサミでさえも知らない・・・。

 マシン・チャイルド計画の初期型失敗作。

 期待された性能を満たせなかった為に処分されるところを儂が拾った。

 別に正義感からではない。

 アサミの両足の移植用と、レセプターの調整を行ったときに被験体として使った者達の一人だ。

 

 まさか適合するとは思っていなかった。まさか生き延びるとは思っていなかった。

 そして・・・・・・まさか感謝されるとは思いもしなかった。

 

 彼女とアサミ、二人の孫を得たことで儂は自らの研究の多くを破棄した。

 それはあまりに人と言う枠を越える悪魔の力を生み出してしまったことへの恐怖故。

 ほとんどがイレギュラーの産物だったとは言え、データが残ってしまえばきっと誰かが再び生み出してしまう。

 

 

「地獄か・・・・・・せいぜい苦しめるところであればいいがな・・・」

 

 儂が彼女の顔を見れないのにはもう一つの理由がある。

 

 儂は忘れたくないのだ、自分の罪を。

 自分が侵してきた孫達への冒涜を。

 優しいあの娘は、きっと儂からその記憶を消し去ろうとするだろう。

 何時まで経っても彼女の正体を『覚えることが出来ない』アサミのように。

 

 本当の意味で自由になれる能力を持ちながら、あえて影に生きる少女。

 それも儂のような老いぼれのために。

 

 

 

 

 願わくば、彼女等に幸せが訪れんことを・・・

 

 

 

 

 


 

 あとがき

 

 ソフトにダーク?

 と言うところでしょうか。

 とにかく読んで頂いて本当にありがとうございます。

 

 そう言えばヤーさんって、自分の子供にはカタギになって欲しいと願ってる人が多いみたいです。

 ですからウォルフみたいな半端なマッドがアサミを普通の娘にしたいと考えるのもあり得ることでしょう。

 アサミをアキト達の味方にするために、ここらへんは力づくで解決していきます。

 ウォルフはとりあえず根っからの悪人ではありません。

 モデルはアリスソフトの『SeeIn青』に出てくるマッドサイエンティスト。

 娘夫婦を失い、その悲しみに耐えられなかった老人が病弱だった孫を救うため

 人体改造に踏み切る、というような話だったと思います。

 そのゲームでは途中で老人が狂ってしまいましたが、ウォルフは正気を保っているということです。

 誰もが自分の正しいと思うことを出来るわけではなく、

 人道にはずれると分かっていてもやらなければならないということもあるのだ、と言いたかったんです。

 情景描写と心象描写がとことん苦手なので伝わるかどうかは非常に不安ですが(汗)

 ウォルフは世間には認められなかったけど本当の意味で天才です。

 アサミももう一人も、そしてエンハンスソードもこの時代では普通ならオーバーテクノロジー。

 多分にイレギュラーの要素を含んでいますが、この分野に関してはヤマサキですら追いつけないでしょう。

 まあアサミはDや沙耶には勝てないだろうし、もう一人は特殊能力型だから問題外。

 戦闘力にだけ的を絞ればヤマサキに軍配が上がりますが・・・あっちは寿命削ってますからね。

 こちらはもともと人を助けるための研究だったのでその点の心配はありません。今のところは。

 そしてもはやウォルフは年を取りすぎています。

 時代の流れに抗うほどの気力は既になく、今はもう孫達の無事を祈るだけの老人。

 だからロバートやエマージィにいいように利用されても逆らおうとしないのです。

 

 ・・・長々とした後書きですみません。

 それでは次回、紅の戦神外伝でお会いしましょう。

 

 

 

 

代理人の感想

・・・・いやはや。

正直言って、「紅の戦神」が始まった時にはこんな展開になるとは予想もしてませんでしたし、

途中で一瞬シリアスになった時にも正直不安だった物ですが・・・・

ここまで来ると掌を返さざるをえませんね。

いや、面白いです。