紅の戦神外伝

 

「Rouge et Noir」

 

 

第三話

 

 

 

 

 父が死んだ―――

 

 まだ私が幼かった、そして愚かだった頃の話だ。

 彼は殺された・・・私の目の前で。

 だが父を殺した者達が罰されることはなかった。

 何故なら父はテロリストであり、父を殺した者達は軍の特殊部隊だったからだ。

 

 齢八歳にも満たなかった私は反吐が出るような『お情け』で死を免れた。

 虚ろな目で軍の特殊作戦部隊(SRT)を見つめる瞳―――

 しかしそこに憎悪の色はない。

 ただ、私は世の中にルールがあることを学んだのだ、と思った。

 それは実に単純で・・・そして絶対のルール。

 世の中には二種類の人間がいると言うこと。

 殺す側の人間と、殺される側の人間。

 搾取する側の人間と、搾取される側の人間。

 そんな二種類の人間がいる。

 それが、私の中の不変的で絶対的なルールとなった。

 

 

 

 成長して、私は傭兵となっていた。

 人間の歴史は争いで綴られている。

 実力さえあればどこへ行っても食い扶持に困ることはなかった。

 ただしテロには手を貸さなかった。そういう奴らは払いが安い。

 ・・・それ以外に含むものがあったわけではない。

 幾つもの戦場を経験し、幾多の人間をこの手にかけ・・・

 気が付けば私はこの世界では随分と名の知れた存在となっていた。

 当たり前だ。

 私は搾取する側の人間なのだから。

 そちら側の人間になることをあの時に決めたのだから。

 軽蔑の視線も、怨嗟の声も、全てが心地よかった。

 歯向かう者もいた。

 だがそんな者達は私の歩いた道を赤く染めるだけ。

 

 ・・・『奴』と出会ったのはそんな時のことだった―――

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・

 ・・・・・・

 ・・・

 ・

 

 

 

 “俺”は隠れていた。

 

 息を潜め声を殺し、鼓動すらも止めて隠れていた。

 

 消音された気の抜けた銃声が聞こえるたびに響く、一日限りの部下の断末魔に耳を塞ぐ。

 近づいてくる足音に身を強張らせ、遠ざかる気配に安堵の息を漏らす。

 

 突然の襲撃。

 

 それに対して俺が雇われ隊長を務めていた潜入部隊はあまりに無力だったのだ。

 場所は巨大企業「ネルガル」の所有する非合法研究所の一つ。

 お世辞にも人道的とは言い難い研究だったが、しかしそれを押してでも行うほどのもの。

 当然従来の技術とは比べるべくもない研究がそこでは成されていた。

 俺の任務はその研究データを奪取し、依頼主である新鋭企業のクリムゾングループに譲渡すること。

 歴史も人脈もない新鋭企業では「無いなら奪う」のは当然のことだ。

 金払いのいいクリムゾンからは、以前から数回に渡って仕事を請け負っていた。

 傭兵(プロ)は金が正当に支払われる限り裏切らない。それは俺も同じ。

 

 その仕事はけして簡単と言うわけではなかったが不可能と言うには程遠かった。

 俺なら出来る。そう確信できる程度。

 実際に途中までは拍子抜けするほど呆気なく計画が進んでいた。

 そう奴等・・・いや、奴が現われるまでは。

 

 

 

 

 

「・・・臭うな」

 

「隊長?」

 

 嗅ぎ慣れた気配・・・危険の警告。

 俺たちの息遣い以外には何も聞こえない通路に、きな臭い雰囲気が漂う。

 

「臭う・・・

 おい、ルートを変更するぞ」

 

「は?」

 

「聞こえなかったのか?

 ルート変更・・・いや、駄目だ。任務中止、一度撤退する」

 

「ば、馬鹿な・・・それは認められない!

 自分の立場を弁えることだ、傭兵! この機会を逃せば次は・・・っ!!」

 

「なら貴様は死ね。功を焦って先走るような諜報員(エスピオナージ)に未来はない。

 ついでに引き際を計れぬ程の愚物(バカ)にもな」

 

 冷たく言い放つ――――だがその時・・・

 

 左肩に灼熱を感じた。

 続けて、何かが空気を切り裂く音が複数聞こえた。

 それが投げナイフであることを悟ったのは、黒く塗られた刃がさらに大腿部を貫いた時だった。

 

「散開しろっ!!」

 

 慌てず、痛みも押し殺してそう部下達に言い放った。

 待ち伏せされていたのだ。

 警備についていたガードマン達とは別の・・・・・・同業者に。

 何の気配もなく潜んでいた一人の男。

 隠密性を重視したスローイングダガーに、部下達が次々と貫かれていく。

 それを合図にして――実際にそうだったのだろうが――すぐに数人の武装したSSが現われた。

 

「な、何だっ!! 何が・・・!!」

 

「シークレットサービスか!!」

 

 浮き足立ち、隊列を乱す部下たち。だがまあ腐ってもプロなだけあって対応は早い。

 ちっ、と舌打ちしながらも状況の把握に努める。

 任務失敗の苛立ちはあったが、恐怖は無い。

 何故なら俺は奪う側の人間だから。

 今までだってこういう状況が無かった訳でもないし、何時だって切り抜けている。

 今回もそうだ。

 俺は懐から愛用のH&K Mk23を取り出して発砲。確実に敵を減らしていく。

 射撃の精度も、ナイフの腕も、誰にも負けたことが無かった。

 一つの目標に二発、頭と心臓にそれぞれ11.43mmの45ACP弾を撃ち込む。

 当然外しはしない。

 そうやって俺はすぐさま活路を作り出した。

 

 が。

 

 ブツッ、という重い音と共に右の眼球に冷たい金属が差し込まれた。

 視界が一瞬で真っ赤に、そしてさらにその一瞬後に真っ白になる。

 見開かれた蒼の瞳を、寸分違わず両断しているナイフ。

 残った左の目には、その凶行を行った男の顔がはっきりと映っていた。

 

 声にならない絶叫が上がる。

 痛み、などと言う生易しいものではない。

 動いた拍子にナイフが抜け、引き摺られた眼球が血の潤滑油と共に崩れ落ちる。

 固い床の上で、金属がぶつかる音とゼリーを潰したような音が同時に聞こえた。

 よろめいた俺の履いているブーツが、容赦なく自らの眼球の残骸を踏み潰す。

 いい感触だった。

 だが気分は最悪だ。

 動揺した部下達の足も止まる。

 そしてそれを見逃すほどN.S.S――ネルガルシークレットサービスは甘い連中ではなかった。

 

 気付いたときには・・・俺はただただ転げるように逃げまわっていた―――

 

 

 

 

 

 俺は隠れていた。

 

 息を潜め声を殺し、鼓動すらも止めて隠れていた。

 

 空洞と化した右目がしきりに痛みを訴える。

 有り得ないことだった。

 何故なら俺は殺す側の人間なのだから。

 こんなふうに傷つくことなど有り得ない。

 

 俺は戦闘のエキスパートだ。

 目を瞑っていても敵を殺せる。

 だがあの男には一発の弾丸を掠らせることすら出来なかった。

 予備の弾薬まで全て使い切っても無駄だった。

 今ではこうやって成す術もなく身を隠すしかない。

 有り得ないことだった。

 これは俺のスタイルではない。

 これではまるで―――殺される側の人間のようではないか・・・

 

      カツン―――

 

 足音・・・を聞いたような気がした。

 一瞬だけびくりと体が震える。

 俺は目を閉じて深呼吸した。頭の中を空っぽにして、五感を開放する。

 もし近くに誰かいるのなら、それが発する何か――たとえば微かな心音、僅かな体温、仄かな匂い――

 それらが俺の研ぎ澄まされた五感のいずれかを刺激するはずだ。

 

 だが何も感じられない。

 ―――いや、かすかな気配。

 

 ・・・俺の体に戦慄が走った。

 あいつだ。あの男だ。

 俺の眼球を抉り、銃弾を避け、恐怖を刻み込んだあの男だ。

 そう確信した。その気配を体が覚えてしまっていた。

 あるいは危険を知らせる本能が―――

 

「ほほう・・・かくれんぼは得意のようですな。いや結構結構」

 

 呟き―――

 その侮蔑を含んだ声音の・・・なんと忌々しいことか!

 唇を噛み切る。必死の思いで憤怒を抑える。

 幸い周りは死体だらけだ。

 血の匂いが嗅ぎ付けられることはまずない。

 

「ミスター!」

 

 男が一人増えた。

 そこそこ出来るようだが・・・俺の敵ではない。

 こいつだったらすぐに殺せるだろう。

 

「おや、作業が完了したのですか?」

 

「うむ、撤収だ。

 この研究所は閉鎖。D−27に研究員共々移送される」

 

「赤い方々に嗅ぎ付けられてしまいましたからな。

 勿体無いですが致し方ないでしょう。

 ・・・爆薬は?」

 

「既に設置してある・・・が、人員の搬入が遅れている」

 

「そうですか、では所員の被害は5%まででお願いします」

 

「・・・了解」

 

 事が露見して損害を被るのはネルガルだ。

 どうやら爆破して証拠を抹消してしまうつもりらしい。

 ・・・ならばその隙に脱出できる。

 

「では・・・・」

 

 男が離れる。

 俺は笑った。

 生きていれば俺の勝ちだ。

 いつか必ずこの屈辱を数十倍にして返せばいい。

 俺は暗い悦びにほくそえみ―――

 

     ガァンッ!!

 

「―――――――っ!!」

 

 顔のすぐ横に着弾した銃弾に息を飲む!

 

「ふむ・・・手応えナシ、ですな。

 ああ、すみません。参りましょうか」

 

 今度こそ、本当に離れていった気配を確認して俺は一息に肺の空気を吐き出した。

 緊張で汗が吹き出ている。

 顔の隣を見てみれば、はっきりとした弾痕が刻まれていた。

 危ないところだった、と再度息をつき――――愕然とする。

 

 俺は今なにを考えた? なにを思った?

 殺す側の人間であるはずの俺が、殺されなかったことに安堵した?

 いやそれよりも、なぜあの男は俺を殺そうとしたんだ?

 俺は殺す側の人間なのに―――何故?

 

 理解できなかった。してはいけなかった。

 それは世界のルールに反することだ。

 唯一絶対の、純然たる掟を汚すことだ。

 俺は殺す側の人間であり、俺の敵は殺される側の人間だ。

 いや違う、敵ですらない獲物だ。

 戦い(ファイティング)じゃない。狩り(ハンティング)じゃない。これはただの殺し(キリング)

 俺はただ冷静に歯向かう者を処理すればいい。

 なのに―――

 

 俺は疑問を抱えたまま逃げ出した。

 

 

 

 

 

「クッ・・・クク、クハハハ、クハックハハハッ!

 フククク、クハハハ・・・・・・何だこれはっ!!?」

 

 合流ポイントに辿り着いたのは、結局俺一人だった。

 薄汚れた鏡に映る自分の姿にどうしようもなく笑いが込み上げてくる。

 続いて怒りが、そして憎悪が。

 

 奪う側の人間であるはずの俺―――

 だがそこにいるのは惨めで無様で救いようの無い塵同然の敗残者。

 有り得ない。有ってはいけない。

 こんなものは駄目だ。世界のルールに反している。

 

 そう・・・ルールに反している。

 あの男がルールを破った。絶対の禁を犯してしまった。

 ならば償わなくてはならない。罪を清算しなくてはならない。

 そしてそれを償わせるのは・・・俺の役目だ。

 

「覚えた・・・全て覚えたぞ!

 貴様の目! 貴様の顔! 貴様の声!

 足音! 呼吸! 匂い! 気配! 全てを記憶した!!」

 

 奪い尽くしてやろう。殺し尽くしてやろう。

 俺は許さない。みんな許さない。

 俺を侮蔑した奴を許さない。俺を脅かす存在を許さない。

 俺から奪う者たちを許さない。俺のルールを無視する連中を許さない。

 もう負けたくない、もう誰にも負けはしない。

 自分にも負けたくない。

 勝ちたい、戦って勝利したい。

 負けるくらいなら―――相手を叩きのめし、傷つけ、その上に立つ。

 血を浴び、嘲笑し、悦に浸りながら俺のルールの正当性を確かめる。

 

 だから待っているがいい。憎き男よ。

 この俺に・・・全てを奪い去られる日が来るのを。

 

 

 

 ・

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 その日を境に“私”は変わった。

 敗北と恐怖、そして何より崇高な目的を持った事が私を変えた。

 過去の名を捨て『エマージィ=マクガーレン』を名乗った。

 私はロバート=クリムゾンの片腕として、様々な場面であの男――プロスペクターと対峙した。

 現段階においては一進一退。

 奴から全てを奪い去るにはまだまだ力が足りない。

 だが問題はない。全ては計画通りに動いている。

 私のもとに、着々と力が集まっている。

 十年以上もの歳月を掛けて磨き上げた原石が、ついにダイアモンドの輝きを宿そうとしている。

 

 だが・・・ここに来て一人の不確定要素(イレギュラー)が現われた。

 テンカワアキト―――異常な戦闘力を持った本物の英雄だ。

 確かにイレギュラー。だが脅威ではない。

 それに・・・味方に引き込むことが出来たなら、それは駄目押しの一子となるだろう。

 

 まあ今回の責任者はあくまで真紅の牙のカタオカ・テツヤ。

 私としては会社の方針とは言えあまりイレギュラーに構っていられない。

 その力はもちろん欲しいが・・・欲を出せば本来の目的で失敗する可能性も出てくる。

 出来得る限りの事はしよう。不可欠ではなくても非常に有効なカードとなるだろうから。

 だがもし頑なに拒むのなら・・・早々に処分する手段も講じておかなければならない。

 

 

 まずはその為の保険を確保しておかなくてはな。

 

 

 


 

 

「アリサを・・・クリムゾンのテストパイロットに?」

 

 街の外れ。クリムゾングループのダミー会社が所有する屋敷の敷地内。

 きっちりと幾何学的シンメトリーを美として表現する中庭が、一望に見渡せるその場所。

 純白の椅子は3つ。

 屋敷の主となっている私――エマージィ=マクガーレンと招待客の二人。

 揃って金髪、蒼瞳をしたハーテッド親子だ。

 アリサ=ファー=ハーテッドの父親であるクレヴァーさん。姉であるサラさん。

 母親であるミシェルさんはこの場にいない。

 本日の午後に帰ってくる娘のために料理の下拵えをしている。既に確認済みだ。

 

「はい。我が社の技術発展にご息女のお力を貸して頂きたいのです。

 もちろん、出来得る限りの好待遇をご用意しております」

 

「はぁ・・・。

 しかし、本人がいないところでそういう話は・・・」

 

「仰ることは大変よく分かります。

 私もそう思って先日直接交渉に出向いたのですが・・・

 ご息女は、前線を離れるつもりは無い、と聞く耳も持たずに・・・」

 

「はは・・・でしょうね。

 アリサは昔からそういう娘です。

 こうと決めたら梃子でも動きませんよ」

 

 ため息を受ける純白のテーブルの上には豪奢なレースのクロスがかかり、

 上にウェッジウッドの最高級品である白地銀とブルーで縁取りされたティーセットが載っていた。

 三段重ねのティートレーには、ハムとタマゴ、チーズとレタスをメインとしたミニサンドイッチ。

 チョコレートケーキ、ラズベリータルト、レモンムース、プレーンのスコーン。

 たっぷりのメイプルシロップとクロテッドクリームが上品に場所を占めている。

 もちろんお茶もハロッズの紅茶のシャンパンの異名をとるダージリン。

 爽やかストレートなマスカットフレーバーでファーストフラッシュ。

 ささやかな英国式アフタヌーン・ティだ。

 

「でも・・・よろしいかしら、ミスター?」

 

「ええ、お嬢さん(フロイライン)。ご遠慮なさらずに仰って下さい」

 

 カチャリとほんの僅かな音を立ててカップを置き、尋ねるサラ嬢にこちらも笑顔で応対する。

 綺麗な長い金髪を後ろに流し、無邪気と言うよりは無知な蒼い瞳を輝かせる少女。

 なるほど、双子と言うだけあってアリサ嬢にそっくりだ。

 微妙にイントネーションに性格が現われているようだが、

 それだけで判別するには私のように相手を観ることのできる技能を持っていなくてはならないだろう。

 

「テストパイロットって・・・危険ではないの?

 試験段階の乗り物を操縦するんでしょう?」

 

「確かに試験段階ですが、安全基準と言うものが御座います。

 それを下回るような機体はその段階でテストなどせずに再設計ですよ。

 ・・・自爆するような兵器はまず売れませんしね」

 

「それに前線に比べたら何倍も安全、か」

 

「ええ、その通りです」

 

 もちろん、スカウトなどと言う話は嘘っぱちだ。

 テンカワアキトに比べたら、アリサ嬢の価値など無に等しい。

 だがハーテッド家に近づく口実にはこれ以上のものはない。

 テンカワアキトがこちらの提案を蹴った時のための交渉カード。

 人質としても良し、逃げ道を確保する時の囮役として使っても良し。

 なんなら全員処理してしまってもいい。

 心痛で腑抜けになったグラシス中将をクリムゾンの息の掛かった将校と挿げ替えるチャンスになる。

 もっとも、そんな不確定要素の多い賭けに出るつもりはないが。

 

 兎にも角にも保険は必要だ。

 

 先ほどの・・・リアルタイム映像で見た、あの『七星』すら相手にならなかった戦闘力。

 これは予定を変えて、彼らの手の届かないところに人質を一人確保しておく必要がある。

 もし人質全員が彼の保護下に入ってしまったなら、アサミさんや私でも手出しできない。

 最悪の事態を考慮してこうやって前々からハーテッド家に近づいていたのが幸いした。

 本当はサラ嬢を浚うつもりだったが・・・まあ、変わらないだろう。たぶん。恐らく。きっと。

 

 

 

「・・・?

 どうしました、ミスタ・マクガーレン?」

 

「ああ、いえ・・・そろそろご息女が到着する頃だと思いまして・・・」

 

 時間だ・・・

 

 とりあえずアサミさんの副官から足止め成功の報せは受けている。

 こちらの準備も整った。

 あとは・・・カタオカさんが予定通りにアレを動かしてくれれば―――

 

 

    ドゴォォォオオオオオンンンン!!!!

 

 

「「!!」」

 

 遠くで爆撃音―――戦闘開始のベルが鳴る。

 ・・・どうやらいらぬ心配だったか。

 

「街がっ!!?」

 

「木星蜥蜴・・・!!? ミシェルっ!!」

 

 ガタン、と椅子を鳴らして立ち上がるクレヴァーさんの顔は鮮やかに蒼褪めている。

 隣のサラ嬢も同様だ。

 私は内心そのあまりに予想通りの反応に苦笑しながら、しかしけして表には出さずに二人を制止した。

 

「お待ち下さい、お二人とも!」

 

「すみませんミスター!

 僕らは妻のもとに戻らなくちゃいけない!!」

 

「今から戻ったのではどの道間に合いません。

 幸いここへ来るにはまだ時間が掛かるでしょうからすぐに避難を・・・」

 

「ば・・・馬鹿な! 僕にミシェルを見殺しにしろと言うんですか!?」

 

「そうは言っておりません。

 奥様は街にいる私の部下がきっと保護いたします。

 ですがここであなた方まで危険に晒しては私もアリサさんに合わせる顔がありません。

 ここはどうか・・・私を信じて頂きたい」

 

 世の中に私ほど信用しちゃいけない人間もいないとは思いますが。

 

 今の二人の心境はどんなだろう?

 このまま逃げれば自分たちは助かり、妻であり母親である女性は死ぬ。

 かと言って助けにいけば全員死ぬ。

 だが見捨てることなど出来るはずが無い。

 ならば・・・私は救いの手をちらりと見せてあげればいい。

 万事全てが上手く行く、そんな空想を示してあげればいい。

 嗚呼、人の心を操るのはなんて簡単なことだろう。

 溺れる者にロープを投げてやれば、必死でしがみつく。

 途中で断ち切られることなんて考えもせずに―――

 

 二人は私の真摯な態度(笑)に何とか冷静さを取り戻し、誘導に従って避難を始める。

 ちなみに誘導しているのは屋敷の使用人に扮した真紅の牙のメンバー。

 私が本社から連れてきた人員は、何も知らない一般社員ばかり。

 だがそういう者達こそカモフラージュにはもってこいなのだ。

 

「あの部隊はおそらく先遣隊です。

 本隊と合流する隙に一度街へ戻りましょう」

 

「ええ・・・よろしくお願いします」

 

「お母さん・・・」

 

 さて、それじゃあ満を期しての英雄殿とのご対面と行きましょうかね・・・

 

 

 

 


 

 

 

 アキトのエステを積んだトレーラーの運転席。

 苛立ちを隠そうともせずにハンドルに拳を叩きつける俺。

 目の前には崩れた建造物。

 その前でぺたんと地面に座り込み、放心したように涙を流すアリサ中尉。

 炎に照らされた銀髪が赤く染まっている。

 

「お父様・・・お母様・・・!

 ―――姉さん・・・・・・!! わ、私・・・私はっ!!」

 

 そう―――俺は間に合わなかった・・・

 

 やり切れない思いだけが俺の心を埋める・・・

 中尉の姿が、妻と息子を失った時の俺と重なる。

 俺はあの日の悲しみを忘れない。

 だが後悔は腐るほどした。

 だから・・・今は動かなければならん。

 

「アキト・・・アリサ君と枝織君を連れて逃げろ。

 すぐにヤツらの本隊が来る」

 

 運転席のすぐ外、中尉の背後で立ち竦むアキトに声をかける。

 ・・・正直、肝が冷えた。今のコイツに触れるのは。

 抑えきれないほどの『鬼気』が全身から溢れてやがる。

 寄らば斬る、そんな感じだ。

 

「アキトっ!!」

 

「・・・シュンさん」

 

 車を降り、意を決してアキトに詰め寄ろうとした俺を枝織君が首を振って止める。

 何時も側にいる枝織君ですら、今のアキトには近づけない。

 ・・・いや、慰めの言葉なんぞが何の意味も無いことを彼女は知ってるんだろう。

 

 だがアキト、何故お前はそこまでの怒りを感じているんだ?

 お前には関係の無い人間の死に、なぜそこまで怒ることが出来るんだ?

 こんな時に不謹慎かもしれんが・・・

 お前は本当に不思議な男だ。

 疑いは隠せない。それでもどこか期待してしまうほどに。

 

 

「・・・俺は・・・何をやっている・・・?」

 

 ふと、アキトが呟いた。

 

「アー君・・・」

 

「何のためにいまここにいる!?

 悲劇を・・・こんな悲しみを防ぐんじゃなかったのか!!

 二度と繰り返さないと決めたんだろう!!

 何故だ! 何故いつもすり抜けていく!? 何故掴めない!!?」

 

 一度開き、そして握り締めた拳から血が滴り落ちる。

 爪が食い込み、肉が削げる。

 俺も枝織君も掛ける言葉を失い、ただ立ち尽くすしかなかった。

 

 そこに・・・後ろを向いたままのアリサ君の呟きが聞こえた。

 

「悲劇を・・・防ぐ?

 ・・・貴方が?」

 

 その声は我が耳を疑うほど冷たく、容赦が無かった。

 侮蔑、そして嘲笑―――

 ちっとも似合いやしない。

 

「ふふ・・・笑わせないで下さい、アキトさん。

 貴方にはそんなこと出来るはずが無い。

 貴方には悲劇を撒き散らすことしか出来ない!

 貴方には・・・!!」

 

「アリサちゃん、やめてっ!!」

 

 さすがに枝織君が止めに入るが・・・

 いまの中尉は家族を失った悲しみで興奮状態に陥ってる。

 理性的な判断は不可能だ。

 誰でもいいから誰かを憎みたいのだ。

 そうしなければ壊れてしまうから・・・

 

「英雄なんでしょう!?

 最強のエステバリスライダーなんでしょう!!

 なのにどうして!? どうして助けてくれなかったんですかっ!!!」

 

 アリサ君はアキトの胸倉を両手で掴んだ。

 それに対してアキトは何ら抵抗を見せなかった。

 

 振り解けないほど愚鈍でもないだろうに・・・。

 

「これで私を束縛するものは無くなりました!

 跡形も無く消え去ってしまいました!

 ありがとうございます! お陰で私は自由です!!

 だけどこんな自由なんて私は求めてない!!!」

 

「落ち着くんだアリサ中尉!

 アキトは何もしちゃいないだろう!

 君の言っている事は滅茶苦茶だ!!」

 

 支離滅裂。

 やはりよほどショックだったのだろう。

 涙を流し、夜叉のような顔でアキトに詰め寄るアリサ君。

 アキトは相変わらず抵抗もせず、ただ真っ直ぐにアリサ君を見詰めている。

 

「分かっています! 八つ当たりです!

 でも・・・なら私はこの人以外に誰を憎めばいいんですかっ!!?」

 

 アキトを恨むのは筋違いだ、と言うことが出来なかった。

 中尉の迫力に。

 不覚にも気後れしてしまった。

 

 そんなアリサ君を治めたのは・・・・・やはりこいつだった。

 

「俺は・・・英雄じゃない」

 

「嘘よっ!!」

 

「違うんだよアリサちゃん・・・英雄なんかじゃない。

 俺は、不完全な一人の人間でしかないんだ・・・

 それだけは分かって欲しい」

 

 胸倉を掴むアリサ君の指を、一本ずつ丁寧に解いていく。

 その瞳はとても哀しげだ。

 だがそれ以上に優しくもあった。

 さっきまでの自分に対する怒りが、全てアリサ君に対する慈しみに変換されている。

 ・・・後悔では何も救えないことを、この少年――いやこの男は知っているのだ。

 

「俺を憎みたいなら憎めばいい。

 罵倒し、殴打し、気の済むまで憎悪してくれて構わない。

 だが・・・それは今だけだ。

 憎しみに飲み込まれたら、君は駄目になってしまう。

 ・・・かつての俺のように救いようの無い人間になってしまう。

 御家族が生きていたら、そんな君をどう思う?」

 

「いまさら!!

 ・・・だって・・・だってもうみんな、し、死ん・・・・・っ!」

 

 ガチガチと歯を鳴らして声を絞り出すアリサ君をアキトはそっと抱きしめた。

 徐々に力をこめて体の震えを押さえ込む。

 

「今は泣くんだ。

 我慢しないで全部吐き出すんだ。

 そして生きよう。

 君に、憎しみは似合わない・・・」

 

 頭を撫でながら、落ち着いた声でそう告げるアキト・・・

 その腕の中のアリサ君の震えが、次第に抑えきれないほど大きくなっていき・・・

 

「うっ・・・うううあぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」

 

 燃え盛る街の中に・・・その慟哭だけが、ただ響き渡った・・・

 

 また・・・俺は守れなかったのだ・・・

 

 

 

 

 

 

 しばらくして、漸く落ち着いてきた頃・・・

 俺はふと違和感を感じた。

 ・・・枝織君だ。

 大きく目を見開き・・・つまり驚愕して俺を見ている。

 隣のアキトの服をちょいちょいと引っ張り、その指を―――

 

 ん? 俺の後ろか?

 

「なっ―――!!?」

 

 続いてアキトが声をあげる。

 そして俺が振り返ると―――

 

「―――アリサっ!!」

 

 金髪の少女が駆け寄ってくるところだった。

 その後ろにはカズシ達、救助部隊の一部がいる。

 他の連中はきっと行方不明者や負傷者の救助に当たっているのだろう。

 

 少女の声に一番過敏に反応したのは、やはりアリサ君だった。

 バッ、と音を立てて振り返り、涙で腫れた瞼をこれ以上ないほど大きく見開く。

 

「姉さん!!」

 

 そして叫んだ。

 

「無事だったのね、アリ・・・・ぷぼぁっ!」

 

 息を切らせて走り寄って来たところをアリサ君に飛び掛られ、

 少女はお世辞にも上品とは言えない声をあげて倒れこむ。

 ・・・見事なショルダータックルだ。

 

「げほっ! ごほっ!

 い、いきなり何するのよ!!」

 

「姉さん! 姉さん姉さん姉さん姉さん・・・!」

 

 抱きつき、息の続く限りに連呼するアリサ中尉。

 

 ・・・中尉の意外な一面だな。

 冷たい女性だと思ってたが・・・なかなか可愛い所もあるらしい。

 

「アリサ・・・ごめん、ごめんね。

 心配かけちゃったよね?」

 

 抱きついたまま何度も頷くアリサ君は、どうやらまた泣き出してしまったらしい。

 だが今度の涙はさっきのとは別格だ。

 失ったと思ったものがいきなり目の前に現われた・・・

 まるで幼子のようにしがみ付き泣きじゃくるアリサ君を、少女は優しく抱きしめて頭を撫でる。

 

 と。

 その光景に、呆然としていたアキトが動いた。

 緊張した面持ちだ。

 いや・・・警戒してるのか?

 

 きょとんとして見上げる少女に、無言のまま右手を伸ばし―――

 

 

 ・・・・・・待て。

 

 

「・・・?

 あの・・・なに・・か・・・・っ!!?」

 

 

     むにゅ♪

 

 

「・・・・・・・・・・・・・」(その場の全員)

 

 そら、凍るわな。

 

「・・・よかった。

 ちゃんと心臓も動いて・・・・・はっ!!」

 

 

「きゃあああああああああああああっ!!!!」

 

「ち、違うんだーーーーーっ!!!」

 

 何が違うんだ、アキト?

 さすがにいきなり鷲掴みは言い訳効かんぞ・・・

 

「ど、どうしたんだサラ!!」

 

「わーーん!! もうお嫁に行けないーーー!!」

 

「何ぃっ!!? き、貴様!! 僕の娘に何をしたぁっ!!?」

 

「待って下さいお父さん! 俺はただ心臓が動いてるか・・・!!」

 

「生きとるんだから動いてるのは当たり前だーー!!!」

 

「ち、ちち違っ・・・死んでも動いて・・・あれ?」

 

「死んだら動かーーんっ!!!!」

 

 うむ、正論だな。

 

「いいいいややや、うう動く奴がいたんです・・・ってギブギブギブっ!! がふっ!!

 

 アキトの口から赤い飛沫・・・血煙が舞う。

 前後逆式逆片エビ固め(ブルズ・グランパス)からフロントクロス・アームサルト

 とどめにリバースDDT(ブリティッシュ・フォール)・・・

 無抵抗の相手にここまでできるとは・・・

 ふ、父は偉大だな。

 

「・・・隊長、いったい何があったんです?」

 

 抵抗できないアキトに、突如現われたおそらくアリサ中尉の父親である男性が技をかける。

 そんな光景に呆れたカズシが、俺の方に小走りに駆け寄りながら尋ねた。

 

「ああ、なんつーか・・・アキトの奴があちらのお嬢さんにセクハラ行為を・・・」

 

「違ーーーーーーーうっ!!!」

 

 うお、完全に極まってたのを一瞬で解きやがった。

 

 ・・・だがその顔が一瞬で強張る。

 息苦しさで紫っぽかったのが怒りと羞恥の赤へ。

 続けて・・・・蒼白へ。

 

    カチャ!!

 

 聞きなれた機械音。

 俺の隣にいたはずの枝織君は一瞬で消え、アキトの額に黒光りする金属の塊を突き付けている。

 顔は笑顔のままなのがさらに俺たちの恐怖を誘った。

 

 俺はふと思い立って懐を確認する。

 ・・・何時の間に。

 これでも一応軍人なんだがな、俺は・・・

 

「やばいぞカズシ! 枝織君・・・殺るつもりだ!」

 

「た、隊長。止めたほうがいいのでわ・・・?」

 

「馬鹿野郎!!」

 

「ぐふぉぁっ!!!」

 

      ズシャアアアアア・・・

 

 修正する。

 ほんの5メートルほど吹き飛んで止まった。

 

「あーなった枝織君を人間(オレ)が止められるはずないだろう!

 せいぜい17分割されて絶命も出来ずに苦しむのが落ちだ!

 ・・・よしカズシ! お前行け!」

 

「・・・俺ならいいんですね(涙)」

 

 むくりと起き上がりつつも半泣き状態のカズシ。

 まったく、だらしない奴だ。

 

「ししし、枝織ちゃん待った! ちょっとタンマ!」

 

「うーん・・・じゃあ20秒あげる」

 

 ・・・なんか現実的(リアル)だ。

 

「お、落ち着こう枝織ちゃん・・・いや寧ろ俺が落ち着け! 違う違う、いやほんと俺そんなつもりじゃなくてね、別に下心とかがあってあんなことしたわけじゃないんだ、うんほんとに。でも触りたくなかったかって聞かれればこれもそんなことないよって言うしかないとは思うんだけどでもそれは男の本能と言うか悲しい性と言うか、とにかく何故触るのかという質問にはそこに胸があるからさってセイヤさんみたいなことを思ってはいるんだけど言うつもりはなくて、だけどそれはけしてああいう行為に及ぶことを良しとしてる訳じゃないんだ。今のはほら、さっき襲ってきた生きてる死体達みたいなこともあるんじゃないかなと思ってもしそうだったらそこにはクリムゾンの関わりがあるからサラちゃんに手を出すようなら奴らを許さないと言う思いが、そう大切な人たちを守りたいんだよ俺。だからこれは俺の英雄願望とかトラウマとかが複雑かつ幾何学的に絡み合った事情がきっとあると俺は確信してるんだけどもそもそもなんで脈じゃなくて心臓で確かめようかと思ったのはそーゆー願望があったかもしれない可能性が無きにしも非ずで――――
 ・・・って、安全装置(セーフティ)の外れる音がぁぁぁっ!!!!」

 

 見てるほうが息苦しくなるような長口上だな。

 ・・・どうにも墓穴しか掘っていないような気もするが。

 

「ね、アー君。

 どんな感じだった?」

 

「え?

 それは・・・そうだな、枝織ちゃんよりも大きくて揉み応えが・・・はうっ!!」

 

 ・・・・・・馬鹿。

 

     ガァンッ! ガァンッ! ガガガァンッ!!  ・・・ゴキンッ!!

 

 

 銃声が響き渡った・・・

 ・・・ちなみに最後のは素手による関節技(サブミッション)だ。

 どうもここらへんは達人が多いな。

 

 しかし・・・全部避けるか、ふつー?

 撃つ方も撃つ方ならそれを避けるアキトもアキトだ。

 

 

 

 

 

「うえ、えっ、ふえ〜〜ん!

 アリサアリサアリサ〜〜〜〜!!」

 

「あ〜・・・よしよし。

 忘れなさい、姉さん。犬に噛まれたと思って。

 大丈夫です、さすがに狂犬病の予防くらいはしてるでしょうから・・・」

 

「犬に噛まれて犬が嫌いになった人も多いのよ!?」

 

「嫌いだったら近づかないで下さいね。

 世間知らずの姉さんなんかアキトさんにかかれば三日で・・・

 あ、妊娠してませんか? うわさでは触れただけで妊娠させると言われてますが・・・」

 

「ア、アリサ・・・それはいくら何でも・・・」

 

「ごめんね、アー君って時々本能のままに突っ走っちゃうの・・・」

 

「もう、いい・・・(泣)」

 

 立場逆転で今度はアリサ君に慰められる・・・確かサラ、といった少女。

 で、二人に対して枝織君が正座して深々と謝る。

 座っているのが滝のような涙を流しながらうつ伏せに倒れているアキトの上なのはご愛嬌か。

 

「はぁ、はぁ・・・くっ、変質者め!

 アリサ! サラ! 感動の再会は後にするんだ!

 一刻も早くここから離れよう!!」

 

「お父様・・・」

 

 現われた男性の声に、アリサ君が涙でくしゃくしゃになった顔を上げる。

 父親・・・かつて俺もそう呼ばれていた。

 だからだろうか。目の前の親子の姿が、なにやら眩しく思えてしまう。

 ・・・もちろん倒れているアキトは視界から除けてるが。

 

 アリサ君はサラ君から離れ、父親にも抱擁で再会の喜びを示した。

 ・・・だが、離れるとすぐに怪訝な顔で周りを見回す。

 

「・・・お母様は?」

 

「「・・・・・・・・・」」

 

 その問いは沈黙を齎した。

 まさか・・・

 

「お、お母様は、どこに・・・?」

 

 沈黙に、中尉の表情が見る見るうちに歪んでいく。

 それを破ったのは―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「行方不明・・・ですが現在捜索中です。アリサさん」

 

「!! あ、あなたはっ!!」

 

 応えたのは一人の男―――携帯電話を懐にしまいながら近づいてくるその男に私は目を見開きました。

 こんな場所には不釣合いな真っ黒なスーツにオールバックにした銀髪。

 黄色のサングラス、口元に咥えた禁煙パイポ。手には白い綿の手袋。

 燃え盛り、砂煙舞う戦場において、埃一つついていないスーツは不気味でしかありません。

 

「いやあ、遅くなって申し訳ありませんでした。ミスタ・ハーテッド。

 今、部下に確認したのですが・・・

 どうも買い物にでも出かけたのか、彼らが救助に向かったときには既にお屋敷は(もぬけ)の空に・・・」

 

「そう・・・ですか・・・」

 

「・・・気を落とさずに。

 まだそうと決まったわけではありません。

 ご遺体も見つかっていないのですから・・・どこかで避難している可能性も考えられます。

 とりあえず私の権限で動かせるだけの人員を奥様の探索に割り当てておきましたが・・・」

 

「済みません、ミスター。何から何まで・・・」

 

「いやいや、人間として当然のことですよ」

 

 ・・・何故、お父様とあの男が当然のように会話しているのでしょう。

 何をやってるんです、お父様。

 その男は・・・私を脅しているんですよ?

 私はその男から脅迫を受けているんですよ?

 そして・・・目の前のその男は場合によっては私たちをその毒牙にかけようとしているんですよ?

 なのに何故・・・当然のように『そこ』にいるんですか。

 

「ミ、ミスタ・マクガーレン!

 何故・・・何故あなたがここにっ!!」

 

「おやおや・・・これは異な事を。

 我々はあなたのご助力を欲している立場なのですよ?

 そのご家族を守るのは当然のことではありませんか」

 

 守る・・・?

 クリムゾンが・・・守ったというの? 私の家族を・・・

 

 いえ・・・そうでしたね。

 彼らにとってはただ単に『取引材料』を守ったに過ぎないのでしょう・・・

 

「アリサちゃん、知り合いかい?」

 

 混乱気味な私の隣に、何時の間にかアキトさんが立っていました。

 マクガーレン氏の目がすっと細くなります。

 アキトさんも眉を顰めて氏を見ていました。

 

 私は・・・先ほどの自分の行為に、アキトさんの顔を直視することが出来ません。

 悪いのは木星蜥蜴なのに、頭に血が上って八つ当たりした挙げ句にあんなはしたないことを・・・

 いくら恐慌状態だったからってこの私が男性に抱きつくなんて思いもしませんでしたよ。

 

 一応ご迷惑をかけたわけですし、謝罪とお礼を言おうと意を決してアキトさんに顔を向けましたが・・・

 その背中に抱きついている枝織ちゃんに頬が引き攣るのを感じます。

 

 ・・・ほんと非常識な人ですね、アキトさん。

 こんなところでもいちゃつきますか。

 これではっきりしました。やっぱりあなたはそう言う男性なんですね。

 少しでも見直そうとした私が間違ってたみたいです。

 

「アリサさんには以前我が社のスカウトを断られましてね。

 その時に一度顔を合わせているのです。

 これでよろしいですかな、テンカワ アキトさん?」

 

「・・・自己紹介した覚えはないんだがな」

 

「貴方を知らないようではこの業界ではモグリです。

 失礼だが貴方はもう少し自分の立場というものを知った方がいい」

 

「ご忠告、痛み入る。

 ・・・クリムゾンだな?」

 

「ほう・・・

 仰る通り。私はクリムゾングループの派遣社員、エマージィ=マクガーレンと申します。

 口さがない知人は『消火栓(ハイドラント)』などと呼んだりしますが・・・」

 

「ハーテッド一家に何のようだ?

 振られたのなら早々に引け。しつこい男は嫌われる」

 

 ・・・ナンパの心得ですか? アキトさん・・・

 

「将を射んと欲せばまず馬を射よ。そう言うことです。

 私のような仕事は多少しつこい位でなければ無能とされるのですよ、ハイ」

 

 敵意を隠そうともせずに睨むアキトさんに、それをのらりくらりとかわすマクガーレン氏。

 

 少し・・・奇妙です。

 アキトさんはクリムゾンをやたらと敵視しているように見えます。

 ですがクリムゾンにはアキトさんとの接点はない・・・

 

「あぁ、これはいけない。

 ずいぶんと嫌われたものですな」

 

「貴様らが何を企もうが構わない。

 だが俺がいる以上、その企みはけして成功しないものと思え!」

 

「企みって、そんな・・・私、ただの一般社員ですよ?」

 

「その割には隙がないな。

 それに護身用にしては大きな銃を持っているようだが?」

 

「あらら・・・

 え〜と・・・銃マニアなんです、ってのはダメ・・・ですよね。

 ははは・・・いや参りましたなこれは」

 

 弱弱しく笑うマクガーレン氏。

 アキトさんが徐々に苛立ちを見せ始めます。

 

 私は・・・

 

「!! アリサちゃん、何を・・・?」

 

 マクガーレン氏を背に、両手を広げて立ちはだかりました。

 ・・・敵対、させるわけには行きません。

 事が失敗すれば、私達は彼にとって用済み。

 処分するのに躊躇いなど持ってはくれないでしょう。

 

「やめて下さい、アキトさん。

 貴方とクリムゾンの間に何があったのかは存じませんが・・・

 でもこの人は私の家族の・・・い、命の恩人なんです」

 

 けして言いたくなんてありませんでした。

 命の恩人? 笑わせます。

 でも・・・

 

「た、企んでるとか何とか・・・初対面の人に失礼じゃないですか。

 ミスターがいなかったら今頃姉さんたちは・・・」

 

 そう、思惑はどうであれ姉さん達が助かったのはクリムゾンのお蔭。

 マクガーレン氏が私と接触していなければ、木星蜥蜴の襲撃から逃れることは出来なかったでしょう。

 さすがのクリムゾンと言えど、無人兵器の考えなど測ることは出来ないのですから。

 

「アリサの言う通りだね。

 テンカワ君・・・

 君にも色々事情があるのかもしれないが、少し紳士的になった方がいい」

 

 私の肩に手を置きながら、お父様も隣に並びます。

 そんな私たちに対してアキトさんは・・・

 

「アリサちゃん、それから・・・」

 

「クレヴァーだ。クレヴァー=ファー=ハーテッド。

 この娘達の父親だよ」

 

「クレヴァーさん。確かに今のは俺が大人気なかったかもしれない。

 だけど一つ忠告しておきます。

 クリムゾンは・・・クリムゾンだけは絶対に信用しちゃいけない。

 それを・・・覚えて置いてください」

 

 敵意も怒りもなく、その瞳はただ真摯でした。

 お父様も息を飲んで押し黙ります。

 私は・・・言われるまでもありませんでしたが。

 

「済まなかったミスター。

 だがもしミスターが俺をスカウトしようとしているなら、それは無駄だ。

 どんな条件を出されても俺はクリムゾンに行くつもりはない。

 貴方個人ではなく、俺はクリムゾンという企業自体に嫌悪感を抱いている。

 ・・・とりあえず彼らを助けてくれたことには礼を言っておこう」

 

「いえ、それは構いませんが・・・不思議な人ですねー・・・。

 確かに社内で貴方の引き抜きが検討されているのは事実です。

 しかしまさか既にご存知とは・・・」

 

 とりあえず矛を収め、それでもまだ警戒した声でアキトさんは言います。

 マクガーレン氏は表面上全く気にしていません。

 私はひとまず胸を撫で下ろしました。

 

「検討? ・・・よく言う。

 既に実行されているんだろう。

 動いているはずだ。最悪の狂犬が・・・」

 

「・・・本当に不思議な方です、あなたは」

 

 笑顔のまま、マクガーレン氏の声色が変わりました。

 アキトさんは相変わらずの厳しい目。

 

 そんな重い空気の中、一人の男性がマクガーレン氏に近づき報告をしました。

 

「ミスター、住民の救助はほぼ完了しました。

 蜥蜴の本隊が近づいているとの情報があります。

 至急我々も避難を・・・」

 

「そうですか、ご苦労様です。

 貴方たちは救助した方々を連れて先に避難していてください」

 

「はっ」

 

 ・・・どうやらクリムゾンの社員みたいです。

 それだけ言うとすぐに来た道を引き返していきます。

 

「・・・隊長、こっちでも確認しました。

 現在この街に木星蜥蜴の本隊が接近中。

 部隊の奴らが指示を求めています」

 

「そうか・・・数は?」

 

「・・・・・・・・・・」

 

 カズシ副官が沈黙します。

 その顔が見る見るうちに青ざめて行き―――

 

「カズシ、どうし・・・」

 

「チ、チューリップ4基! 無人兵器その数800以上!」

 

 

「!!」

 

 

 一部を除き、全員の表情が驚愕に彩られます。

 ・・・大部隊です。

 今ここにいる戦力じゃ到底太刀打ちできません。

 

「くっ・・・救助の進行具合は!?」

 

「ほぼ終わってます!

 我々が到着するより早く民間の団体が救助活動を・・・」

 

「そうか・・・済まん、ミスター。恩に着る」

 

「いえいえ・・・」

 

 謝辞を述べる隊長にマクガーレン氏は笑顔で首を振ります。

 

「よし、カズシ! 全軍に退却命令だ!

 まず民間人を収容したトラックを退避させろ!

 俺たちで殿を勤める!」

 

「了解! ミスター、申し訳ないがご協力願いたい!」

 

「もちろんです。我が社の社員をご自由にお使いください。

 ・・・さて、ミスタ・ハーテッド。我々も避難しましょうか」

 

 大軍が近づいているというのに、全くのマイペース。

 もっとも、この人が慌てふためいている姿なんて私には想像できませんが。

 

「中尉は先頭で民間人を先導してくれ!」

 

「そんな! 私も殿で敵を食い止めます!」

 

 隊長の命令に、私は反駁します。

 

「これは命令だ。

 ・・・案内役も必要だろう?

 おいアキト! お前も枝織君を連れて・・・って、なにやってんだお前?」

 

 振り返った私と隊長の目には・・・

 

「き、救助!? クリムゾンのくせに人助け!!?

 ぐあああああっ!!

 悪党のくせにいいことするとはなんて悪どいやつ!! 貴様いい人かぁぁっ!!」

 

「や、やめ、やめめめ・・・!」

 

「テ、テンカワ君! 落ち着け! 殺す気か!?」

 

「アー君だめ! ここはシリアス! シリアスなんだよ!?」

 

 避難しようとしていたマクガーレン氏を激しくシェイクするアキトさんの姿がありました。

 

 ・・・ちょっといい気味です。

 

「悪党は悪党らしく世界征服でもせんかーーー!!」

 

「ああ! 予定外の反応(リアクション)!!

 信頼を得ようとしたのは逆効果かーー!!」

 

 慌てふためいています、慌てふためいています。

 

「アキト!! 遊んでいる暇はないぞ!!」

 

「はっ! し、しまった、俺としたことが・・・」

 

「そっかな? これぞアー君って感じだと思うけど・・・」

 

「な、なかなか愉快な人ね・・・」

 

 人差し指を顎に当て、小首を傾げる枝織ちゃんに姉さんが苦笑する。

 その脇ではマクガーレン氏が咳き込みながら襟を正しています。

 ・・・惜しい。

 

「隊長、民間人の先導はアリサちゃん一人で十分でしょう。

 俺は敵を殲滅してきます」

 

「馬鹿な・・・死ぬつもりか?」

 

「はは、まさか。

 殿は・・・枝織ちゃん、頼むよ。

 部隊のみんなを守ってやってくれ。さすがにこの人数でこの敵数は辛いだろう」

 

「らじゃっ!」

 

 自信に満ち溢れたアキトさんは・・・

 口元に笑みすら浮かべながら指示を飛ばしていました。

 そして、私をじっと見つめた後、隊長に向き直って口を開きます。

 

「シュンさん・・・さっき、俺は『自分は英雄じゃない』と言いました。

 ただの一人の人間に過ぎないと言いました。

 それは間違いありません。

 けど・・・」

 

 順々に、その場にいる人たちを見回していくアキトさん。

 その視線にある者は息を飲み、ある者は受け流し・・・逆に微笑み返します。

 私は前者でした。

 

 

「俺はこの地球で『最強』の存在であると・・・自信を持って言うことなら出来ます」

 

 

 それはある意味とても傲慢な物言いでした。

 しかし・・・私たちの誰もが、それを否定することが出来ません。

 目の前の一人の男性が、不可思議な『優しい闇』を込めたその目が、

 私たちを圧倒しています。

 ゆえに信じてしまいます。その言葉を。

 この男性こそが最強の存在であると・・・

 理屈じゃなく、私は信じてしまいます。

 

 そして・・・

 微笑みながらエステを積んであるトレーラーに向かうアキトさんを、誰も止めることが出来ませんでした。

 

 

 

「ちっ・・・エステバリス隊! アキトの援護に・・・!!」

 

「必要ありませんよ、オオサキ少佐。

 この程度、彼にとっては脅威足りえません」

 

 カズシ副官から通信機を引ったくり、命令を飛ばそうとする隊長をマクガーレン氏が引きとめます。

 

「貴方も軍人なら聞いたことくらいはあるのではないですか?

 極東方面軍の切り札。無敵の民間用戦艦。

 そして最強のエステバリスライダーを保有する、あの・・・」

 

「まさか・・・あいつがっ!?」

 

 無敵・最強・味方殺し・・・ナデシコ。

 そのエースパイロット テンカワアキト。

 もしあの資料が正しければ、この程度の敵はアキトさんにとって何の障害にもなり得ない―――

 

「さて、我々は安全なところで高みの見物と洒落込みますかな。

 なに大丈夫です。彼がその気になったらもはや死者など一人も出ませんよ。

 私達は精々、英雄殿のご活躍を生で拝見できることに感謝でもしておきましょう」

 

「お言葉だがミスター・・・俺たちは常に行動する。

 いくら強かろうとあいつだって人間だ。

 完璧でないのなら・・・俺たちは動かなければならん。サポートでもなんでもな」

 

 そして隊長は私と枝織ちゃんに対して頷き・・・

 私達はそれぞれのエステのもとへと急ぎました。

 

「『何処』まで知っているのかを最優先で探ってください」

 

 横を通る瞬間、マクガーレン氏が呟きました。

 私だけに聞こえる声で。

 頷き、速度を緩めて再び歩き出す私の背中に・・・

 

「ああ、アリサさん。

 お母上は我々が責任を持って捜索し保護します。

 貴方は気にせずご自分の『職務』を全うして下さい。

 ・・・その方が彼女のためにもいいでしょう」

 

「・・・わかって、います」

 

「ならば結構。

 ではお気をつけて。お引き留めして済みませんでした」

 

 私は・・・下唇を噛んで走り出しました。

 

 

 

 

 

 

 一条の黒い閃光が・・・鮮やかに晴れ渡る大空を引き裂いていく。

 信じられないほどの加速。

 黒い機動兵器は一直線にチューリップと呼ばれる敵母艦へ。

 進路上にいるバッタ達などまるで紙くず。

 次々とその手に持った光の剣で道を開いていく。

 

 ・・・さっきの痴漢と同一人物とは思えんな、こいつは。

 凄い・・・その一言で全てが言い表せる。

 

『テ、テンカワ機! チューリップに接触!! 交戦に入り・・・なっ!!?』

 

『そんな馬鹿なっ!!』

 

 指揮車の通信システムから、パイロット達の声が聞こえてくる。

 続く静寂・・・・・そして―――

 

 

    ドゴォォォオオオオオオンンン!!!!

 

 

 信じられない爆音が俺たちの耳を襲う!

 

『すげー・・・はは! すげーあいつ!!』

 

『本当にチューリップを切り裂きやがったっ!!』

 

『見てますか隊長!! これが俺たちのエースの戦いです!!』

 

 興奮したパイロット達の声・・・

 しかしそいつは俺も同じだ。

 驚きを・・・いや、畏怖を抑えることが出来ない!

 

「凄いな・・・これは」

 

「キレイ・・・」

 

 後ろで、ハーテッド親子が感嘆の溜息をついている。

 だがそれは素人故の甘い見方だ。

 美しささえ感じるほどの戦闘技能・・・

 戦いというものを少しでも知っているのなら、戦慄せずにはいられない。

 

 

 戦場では、常に英雄を祀る物語(フォークロア)が存在する。

 誰が言い始めたのか分からない。

 どこから広まったのかも分からない。

 しかし誰もが必ず知っている。

 そんな英雄譚だ。

 

 もちろんそんなやつが実在するわけがない。

 ちょっとした活躍に尾鰭がつき、それが噂の範囲を超えてそうなるのだ。

 英雄なんてのは、ちょっとばかり人より秀でた能力が集まっただけの兵隊に過ぎない。

 一機だけでチューリップを沈める? 軍を軽く凌駕する?

 トンデモ話だ。誰も信じない。

 信じるわけがない。

 ・・・そう思っていた。いまこの時までは。

 

 

『うおおぉぉぉぉおおおおおっ!!!!』

 

 

  ザシュ!!

                        ガギィンッ!!

 

ズズウゥゥゥウウウンン・・・

 

 

 二つ目のチューリップが、100m強の白い刃に切り裂かれる。

 ディストーションフィールド? なんだそれは?

 俺たちがどんなに火力を集中させても貫けなかったチューリップの鎧・・・

 それも奴の前ではダンボール同然だ。

 ここまで圧倒的だともはや驚愕を通り越して馬鹿らしくなってくる。

 

 これが・・・テンカワアキト。

 あのナデシコでエースパイロットと呼ばれた最強のエステバリスライダー。

 生きながらにして伝説にまでなった男・・・

 

 

 

 結局、その一方的な戦いは五分と待たずに終了した。

 自軍の被害は皆無。

 難しいと言われる退却戦だったが、近寄る敵は悉く枝織君の深紅のエステに切り裂かれたのだ。

 

 エマージィ=マクガーレンと名乗ったあの男は何時の間にか姿を消していた。

 胡散臭い奴ではあったが、俺たち軍の尻拭いをしてくれたのだ。

 改めて礼を言いたかった。

 クリムゾン・・・よく聞く名だな。もちろん悪名で。

 だが民間人にとっては自分達を助けてさえくれれば、軍だろうと企業だろうと変わらない。

 屈辱的ではあるが・・・な。

 それで誰かの命が助かるなら安いものか。

 

「何が・・・始まろうとしている?」

 

 俺は呟いた。

 何かが、この西欧で始まろうとしている。

 否、始まっている。

 俺の知らないところで、何かが着々と動いている。

 

 だが・・・その中心にはきっとあいつがいるんだろう。

 あのテンカワアキトが全てのキーパーソンだ。

 何の根拠もなかったが・・・それだけは確信できた。

 

 この戦いを見ていた兵士達によって、アキトに『漆黒の戦鬼』という綽名がついた。

 鬼神のような強さ、そしてその漆黒のエステバリスからとった名前だ。

 

 そして・・・『鬼』が『神』へと変わるとき。

 俺はあいつの本当の姿をこの目に垣間見ることになる―――

 

 

 

 

 

 

 

「・・・納得の行く説明を聞かせて貰えるんですよね?」

 

 基地に帰り着いて、まず初めに浴びせられた言葉がそれだった。

 なんの脈絡もなく・・・

 長身の副官を従えた小柄な少女が不機嫌そうに私に尋ねる。

 耳の前の一房の髪を纏めている赤い紐を弄っているのは苛々している証拠だ。

 

「止むを得ない状況だったと、理解して頂く他ありません」

 

「理解? 出来ると思いますか?

 よりによって母親を拉致してくるなんて・・・」

 

 またそれですか・・・

 

「おいおい、あんまり下らない事で騒ぐなよ」

 

「下らない!? 私にとっては大切なことです!!」

 

 横から口を挟んで来たのは『真紅の牙』隊長 カタオカ・テツヤ。

 今回の作戦全体を通しての責任者でもある。

 目標が社の利益に貢献できるかを彼が見極め、アサミさんが戦闘能力をテストし、

 そしてその両方に合格した時点で私が交渉に移る。

 それがおおまかな作戦目的だ。

 

「まあまあ、お二人とも。

 一時的とは言え共同戦線を張る仲間なんです。仲良くしましょうよ。ね?」

 

 ほんとはこっちから願い下げだが。

 ・・・これで能無しなら救いようがない。

 幸い、二人とも能力だけなら人並みはずれているが。

 

「別にこんな人と争うつもりはありません。

 ・・・じゃあ約束通り、人質の扱いは私に一任してもらいます」

 

「ちょーっと待った。

 なあ消火栓(ハイドラント)。人質はこっちにまわしてくんねえか?

 どうせ最後には殺っちまうんだから・・・ウチの連中の相手してもらっても構わないだろ?」

 

「!! 下種めっ!!

 貴方の頭の中はそーゆーことしか入ってないんですか!!」

 

「俺は別にいいんだよ。そこまで飢えてるわけじゃないからな。

 ま、折角の機会だから連中にもご褒美って事で・・・」

 

「ふざけないでっ!!」

 

「ふざけてなんかないさ。

 奴らだって生きてるんだ、性欲くらいある。

 とりわけこういう仕事なんかしてるとな・・・」

 

「いやらしい!」

 

「はん、お子様には分からんか」

 

 ・・・ああ、喧しい。

 顔を合わせればすぐに喧嘩を始めるんですからね、この二人は。

 お互いに自制というものを知りませんから・・・。

 

「・・・いやあ、喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったものですなぁ」

 

「「やめろ(やめて下さい)!!」」

 

「おや、結構気が合うじゃありませんか。

 その調子で仲良くしてください、せめて作戦期間くらいは」

 

「「だぁれがっ!!」」

 

 ・・・いや、もしかしたらほんとにいいコンビなのかも。

 

「だいたい、女性を見たらすぐに変なことを考える・・・

 男の人のそういうところって良くないと思います!」

 

「うお、いきなり委員長口調かよ。

 別にいいじゃねーか。何もお前を抱こうってんじゃないんだから・・・」

 

「と、鳥肌が立つようなこと言わないで下さい・・・!」

 

「女はな、30過ぎてからが食べ頃なのさ。

 な、ハイドラント。

 淡白そうな顔しちゃいるが、お前だってそう思うだろ?」

 

 そう言いながら気安く私の肩に腕をかけてくるカタオカさん。

 正直その場で殴り倒して踏みつけて火でもつけてやりたい気分だったがなんとか自制。

 変わりに思ったことを珍しく素直に口に出してみる。

 

「そうですか?

 私にとっては15歳以上は興味範囲外なんですがね」

 

 

   し〜〜〜〜〜〜〜ん・・・

 

 

 二人が固まる。

 ・・・無言だった貪狼さんは、何故かアサミさんを背中にかばった。

 ついでに周りで呆れながらも仕事してた真紅の牙の方々も凍りついた。

 

「す、済まん・・・もう一度言ってくれ」

 

「ですから私にとっては15歳以上は・・・」

 

「いやあああああああっ!!」

 

 突然アサミさんが叫んだ。

 ・・・何を想像しているのやら。

 例え14歳と言っても体の成長が平均よりも著しい彼女は私の射程内ではないというのに。

 

「あのー・・・」

 

「く、来るなぁ! この変態ロリコン爬虫類男!!」

 

「・・・・・・・・・・・・(怒)」

 

「あ、あ、あぁぁあ〜〜!!

 ごめんなさいごめんなさい! もう二度と言いません!

 命令も聞きます! 何でも聞いちゃいます!

 だからお願い! それ以上こっち来ないで下さい〜〜!!」

 

「お、おいハイドラント。落ち着こうぜ。

 いくらなんでも犯罪だろ、そりゃ。

 ほらカザマ、お前も泣くんじゃない。

 俺が悪かった。人質の扱いはお前に任せる。ハイドラントも近寄らせない。

 だから泣くな、な? な?」

 

 ・・・悪者は私一人ですか。

 っていうかカタオカさん。

 今さら犯罪云々をあなたに言われたくないんですが・・・

 

「心配いりません、隊長。

 着替えのとき、シャワーのとき、そしてベッドの中までも。

 24時間体制で私が貴女を守ります。

 男なんかに貴女の肌を見せるのは私も我慢できません」

 

「貪狼・・・(嬉泣)」

 

 じ〜ん、と瞳を潤ませるアサミさん・・・

 ある意味貞操の危機のような気もしますがね。

 ・・・ご冥福をお祈りします。

 

 結局、人質の扱いはアサミさんに一任することで落ち着き、

 本人はぐしゅぐしゅと泣きながら副官に付き添われて退室した。

 

「なぁ・・・お前ほんとに・・・」

 

「趣味嗜好は人それぞれですよ。

 私は自分の趣味を恥じたりなどしていません」

 

「そうかい・・・ま、いいけどな。

 俺はどっちかっていやぁ、あの副官の方がそそるんだが・・・」

 

「・・・死体愛好の気でも?」

 

「いや・・・あいつほんとに死体か?

 他の化け物どもはともかく、あの女だけやたらと血色がいいぞ?」

 

「資料では指揮代行システムのために他よりも代謝能力を高めてるとありましたが・・・

 まあ良いではありませんか。

 生きていようと死んでいようと、利用できるものは利用するだけ。

 何も変わりませんよ」

 

「・・・だな」

 

 そう、利用できるものは骨の髄まで全て使い潰す。

 それが礼儀。

 奪う側の人間である私にとって、奪われる者達に与える最低限の情け。

 私にとっては生きていようが死んでいようが、化け物だろうが人間だろうが・・・

 はっきり言って全く関係ない。

 最後には全て奪ってしまうのだから変わらないのだ。

 問題はどれだけ私の役に立てるか、すべてはそこに集約される。

 

「テンカワ アキト・・・まさかあそこまで嫌われてるとは思いませんでしたね〜」

 

 思いを今回の作戦目標に移す。

 彼に関しては余すところなどないくらいに調べた。

 それでも正確な経歴は分からなかったが・・・少なくともクリムゾンとの接点はない。

 それは確かだ。

 なのに何故あそこまで敵意を剥き出しにするのか・・・

 

「・・・考えても無駄ですね。

 とりあえずアリサ嬢の報告待ちです」

 

「ああ、ここからは俺たちの仕事だ。

 お前はそこで精々そのでっかい頭を悩ませていろ。

 俺があの英雄殿の化けの皮を剥いでやるさ」

 

「期待していますよ・・・カタオカ・テツヤさん」

 

 アンチ・メサイア・コンプレックス。

 それがこの男の病気とも言うべき行動理念だ。

 故に容赦なくテンカワアキトにその狂気が襲い掛かるはず。

 だがそれで潰れるようならば・・・クリムゾンにとっても私にとっても有益とはなり得ない。

 この地を彼の墓場とすることになるだろう。

 

 できれば・・・

 あの得体の知れない男と、肩を並べて戦ってみたいものだが・・・

 

 

 

 

 ちなみにアサミさんの貞操は守られたらしい。

 

 

 


 

 あとがき

 

 難しいです、今回。

 隠し事や思い込み、勘違いばっかりの会話ってほんとに難しい。

 外伝ってアキト視点はないみたいなのでそれがさらに難しい。

 お蔭で枝織ちゃんが全然目立ちません。

 「Angel Blood」の聖堂騎士(パラディン)としてはあるまじき事態です。

 エマージィは変態だし、テツヤはなんかいい人っぽいし、クレヴァーさんはもう出番ないし(笑)

 ・・・ついでにヤシオさんもなかなかやばげなご趣味をしてるみたいだし。

 

 ところで話は全く変わるんですが、皆さんにはバイオリズムとかあるでしょうか、執筆の。

 緑麗はその日その時でだいぶ文章の雰囲気が変わってしまいます。

 いつもは一話くらい一気に書き上げてしまうのでそれほど顕著ではありませんでしたが、

 今回はさすがに受験勉強の合間合間で書いたのでかなり文が凸凹してます。

 ・・・どこで日付が変わったか、一目瞭然ですね。

 素人とは言え物書きには致命的です。何かいい方法はないものか・・・

 

 あ、最後に代理人さま。

 メイド=銃火器はもはや当たり前だそうです。

 とある大学のメイド研究会の方に呆れられてしまいました(笑)

 なんでも、どんな不可能をも主のために理不尽に可能にすることがメイドの魅力の一つとか。

 あとはなんかメイドの迫害の歴史との関連性とかを語られました。このくそ忙しい時期に。

 

 ではまた次回、紅の戦神外伝第四話でお会いしましょう。

 

 

代理人の感想

なんてお茶目なテツヤだ(爆笑)。

にしても、段々シリアスとギャグとの境目の不自然さがなくなってきましたね。

上手いです。

 

>バイオリズム

あります。

そりゃもうきっぱりはっきりと。

特にGナデなんぞはテンション高めてからでないと碌に書けなかったりします(爆)

 

 

>メイド=重火器は当たり前

 

・・・・どこの世界の話ですかそれは(爆)。