紅の戦神外伝

 

「Rouge et Noir」

 

 

第四話後編

 

 

 

 

 

 ・・・その男をはじめて視たとき、思わず私の表情は凍りつきました。

 

 

 

 

 黒髪、黒スーツ、黒ネクタイにサングラス。

 正気を疑いたくなってしまうような全身黒ずくめ。

 しかし私の関心を引いたのはそんなことではあらず。

 むしろ、その黒ずくめは男にとても似合っているようにすら思えたのです。

 

 男は私が作戦の都合上潜り込んだ重要人物の屋敷に、護衛として雇われてきました。

 私が男と対面したのは、使用人や既に採用が決まっていた他の護衛たちとの顔合わせのとき。

 

 歪んだタバコを横にくわえ「よろしく頼むわ!」と、不必要に陽気な挨拶をしてくる男に溜息をもらす者もちらほら。

 しかし護衛達の中には旧知の者でもいたのでしょうか、親しげに会話を弾ませる者達も。

 

 私は、何者にも見られないようそっとカラーコンタクトを外し、金色の瞳で男を直に『視』ることにしました。

 私の眼球を媒介にして発動する『ダスティーミラー』が、男を詳細に分析し・・・

 

 

 

 私は凍りついたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 男―――ヤガミ・ナオは人間ではありませんでした。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 ――――爆風に煽られて、鉄の色をした巨人が踊る。

 

 

 

 

 

「あ・・・あああ・・・あああぁッ!!!」

 

 

 自分の喉から、意味を成さない叫び声が上がっているのにも気付かず、私はその光景に目を剥いていた。

 腕、足、胸部装甲・・・くるくると回転しながら、次々にパーツを剥ぎ取られていく。

 

 

 ―――『うわあ! かっこいいっすねー!!』

 

 ついさっきまで為されていた会話が脳裏に蘇った。

 何が起こっているのか、まるでわからない。

 

 呆然と立ちすくむ。

 その恐ろしい瞬間が、永遠に続くような気がした。

 

 

 新品だった鈍色の機体が、無残に崩れていく。

 先刻までの無邪気な笑顔が、色を失っていく。

 

 

 

『あ、あ、ああぁーッ!!!』

 

 

 サアード伍長の、信じられないという悲鳴が聞こえ―――途絶える。

 戦場に上がった紅い花火が、私の網膜を焦がす。

 

 

 

「い、いやあああああッ―――!!!」

 

 

 

 ウィンドウには『SIGNAL LOST』の文字が無常に浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

『・・・尉! ラビオ・パトレッタ少尉っ!!』

 

「!? は、はいっ! すいませ―――ごぎゃあ!!」

 

 ガンッ、という音とともに額に強烈な火花が散る。

 突然の痛みに、ラークスパーの操縦シートでうたた寝していた私、ラビオ・パトレッタの上げた悲鳴は予想外に奇怪なものだった。

 唇をわななかせ涙目になりながらも、なんとか正面に浮かんだ通信用ウィンドウに向き直る。

 きっと痣になるであろう額の痛みに、少しばかりほろ悲しくなった。

 

「す、すいません・・・何か?」

 

『いや・・・血が・・・』

 

 呆れ半分、心配半分といった口調に、いつもの事ですから、と適当に苦笑いする。

 正直なところを言えば、本当にいつもの事過ぎて嫌になるくらいだ。

 何も無いところですべる転ぶぶつける落ちるは、私にとっては日常茶飯事だった。

 当然、周りの人達にも迷惑を掛けっぱなしで、気が付けば謝罪の言葉を口にしている。

 おかげで謝り癖が付いてしまった。しかも治りようがなさそうで救われない。

 

 ともかく、ごほん、と一つ咳払いをして彼は続けた。

 

『まあ、その状態で居眠りできるようなら心配はいらないだろう』

 

「うぅ、恐縮であります・・・あ痛た」

 

 今度こそ完全に呆れた様子で呟くのは、私の所属するラークスパー小隊の隊長であるミカズチ・カザマ中尉だ。

 

 じつは私達は連合大学機動兵器操縦過程での先輩後輩関係にある。

 ここ西欧で再会したのは全くの偶然だったが、今では誰よりも気心の知れたパートナー。

 もちろんプライベートでも・・・と邪推する声は後を絶たないが、今のところそんな事実は無い。

 

 在学中は単に理知的な男性だという印象の強かったミカズチ中尉も、今ではやたらと野性味に溢れている。

 部隊に配属されてから、随分と逞しくなったようだった。

 まだまだ新人パイロットな私にとっては、憧れに値する自慢の先輩だ。

 

 

 だがここは軍隊であって、戦争をするための組織であるわけだから、

 そうそう私が考えているような平和チックでドラマチックな日常は訪れない。

 

 けれども、それにしたって今回のはあんまりだと思ってしまう。

 

 連合軍西欧方面隊統制区画エリア372ことドイツ・ハノーファー基地。

 私達西欧方面軍第11機械化混成大隊が常駐するその基地に木星蜥蜴の強襲があったのがおよそ3日前。

 当然のように迎撃命令が下され・・・

 その結果として、為すすべもなく敗北したのだ。私達は。

 

 ディストーションフィールドの強度上昇。

 戦術フォーメーションのパターンの多様化。

 何より、地対空戦を主目的とする人型戦車『ラークスパー』にとって、敵の機動力の向上は冗談にならない問題だった。

 

 結局、生き残ることが出来たのは私達ほんの一個小隊のみ。

 機体もほとんど使い物にならず、大破・中破した機体からパーツを取り集めて、稼動状態にすることが出来たのはたったの2機。

 人員に至ってはほぼ全員が重症患者だ。

 比較的怪我が軽いためにパイロットに志願した私ですら、骨折した左腕を三角巾で吊るしている状態なのだから救いが無い。

 わざわざ確認するまでも無く、この程度の戦力で敵の包囲網を突破することなど到底不可能。

 

 現在のところ、身を潜めて味方の救援を待つ以外に出来ることも無いのだが・・・

 

 未だ敵の勢力下であるという緊張は、私達の体力・精神力を徐々に追い詰めていった。

 限界が近い。

 誰に言われずとも、ミカズチ中尉はとっくに承知の上なのだろうが。

 

 

「センパ・・・いえ、ミカズチ隊長。救援部隊からの連絡は?」

 

『いや、電波状況が混乱している。

 どうやら僕らを包囲している木星蜥蜴が戦闘態勢に移行したようだよ』

 

 それはつまり、救援部隊が敵の索敵範囲内に侵入したと言うことだ。

 動くべきはまさに今この時。

 判断を誤れば、行き着く先は決まっている。

 

『動くならば、今しかないかもしれない』

 

「・・・死にたくないですよね、こんなとこで」

 

『そうならないように努力するんだ。

 ・・・2時間後、こちらも出る。行けるかい?』

 

 疲れた表情。

 だが瞳の奥にギラギラとした光を感じた。

 

 彼も私も他のみんなも、このまま没する気なんてさらさらない。

 

「はいっ! ラークスパー2号機、いつでも起動できます!」

 

 弾薬も残り少ない。

 戦闘継続能力は限りなく無に等しい。

 追い詰められた私達に与えられた最後の希望―――

 

 

 『Moon Night』

 

 

 それが、現在ここエリア372に進軍している救援部隊の名称だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、今回の作戦についての最終確認を行います」

 

 ビニールを剥がしたばかりの真新しいシートに深く腰掛け、私は通信機に向かって言った。

 作戦開始はもはや目前。

 後一時間もすれば、軍の統制区画で372と分類されたザールシュテット市に到着する。

 

 作戦の困難さに思いをはせ、私の体は火照っていた。

 命がけの任務を前に興奮しているのだと自覚する。

 でも、頭のほうは自分でも意外なほど冷静だった。

 

 今までにない最高の(ベスト)コンディション。

 今までで最高の機体。最高の仲間(チーム)

 

 失敗などするはずが無い。

 そう思うことが出来た。

 

 

「第11機械化混成大隊の生存者36名。

 これが現在、有力な敵により退路を断たれ、ザールシュタット市において潜伏していることが確認されています。

 彼らを救出し、無事にこちらの防衛ラインまで退避させること。

 それが今回の私達に課せられた任務です。質問は?」

 

 余計なことを考えずにいられるように、わざと簡潔な指示を下す。

 全員既に作戦の詳細は把握しているのだからこれで十分だ。

 

『目標を保護した後の行動の確認を』

 

 (ブラボー)小隊隊長、ディッキー=フェルチ少尉からの通信。

 私はウィンドウ越しに視線で頷く。

 

「可能な限り敵戦力を消耗させた後、撤退します。

 今回の目的はあくまで生存者の救出であるということを忘れないで下さい」

 

 物量の差は圧倒的。

 長期戦になれば勝ち目は無い。

 そもそも敵の総戦力の方が上なのだから。

 

『だ、大丈夫でしょうか・・・この戦力差で』

 

 上擦った声はサアード伍長だった。

 

 いつも通り、彼は緊張している。

 だからといって私は侮らない。

 これがサアード・ジャロノン伍長だ。

 彼はいつも表面上では子猫のようにおどおど(・・・・)しながら、それでいて恐ろしいほど的確に敵を追い詰める。

 

 まるでイタチのようだ、と思った。

 見た目は無害な小動物でも、彼は鋭い牙と爪を隠し持っている。

 

 それが私の評価だった。

 

 

「戦術画面を・・・第302飛行偵察隊からの最新情報です」

 

 

 ピッ!

 

 

 サアード伍長のウィンドウの右下に、高々度からの戦略平面図が表示される。

 それは私達よりも先行して現場に赴き、敵情視察を務めている飛行隊からの情報だ。

 

 そう、私達だけではない。

 この作戦は、ここ西欧におけるあらゆる部隊の支援のもとに成り立っているのだ。

 この絵を描いたグラシス御爺様の思惑の通りに、今日の西欧は今までに無いほどその力を合わせている。。

 そう思うと胸が誇らしさでいっぱいになる。

 

「作戦は、突破・救出・陽動・脱出の4段階に分けられます―――」

 

 概要を説明しながら、右手に力を込める。そうイメージする。

 IFSが煌めいて、輸送車両上の白銀のエステが戦乙女の槍(フィールドランサー)を握りなおす。

 

 この機体で。この槍で。

 私を認めさせてやる。

 グラシス御爺様に。エマージィ=マクガーレンに。

 そして・・・テンカワアキトに。

 

 

 思い知らせてやるんだ。

 

 

 戦乙女のいる西欧に、戦鬼なんて必要ないのだと。

 あの優しすぎる疫病神を、この地から遠ざけるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 防衛ラインでは、すでに敵の先遣隊との戦闘が開始されていた。

 

 

『MLRMS! 1番! 3番!

 目標方位右47度! 距離2000! 撃ぇっ!!』

 

 多目的長距離ミサイル発射システム(MLRMS)に指示を与えている士官に見覚えは無い。

 『Moon Night』のメンバーじゃないことだけは確かだ。

 だが彼らの中央に座し、両手に長大な狙撃ライフルを構えている黒のエステは見間違えようも無かった。

 

 『漆黒の戦鬼』テンカワ アキト。私たちの要となるエステバリス乗り。

 

 

    ドゥンッ!! ドゥンッ!!!

 

 

 黒のエステが構えている2門の長大なライフルから、立て続けに発射された砲弾が敵の戦艦に命中。沈黙させた。

 ここ西欧で戦ってきた者達にとって、それはきっと信じられない光景だろう。

 

 無敵の鎧、ディストーションフィールド。

 忌々しいそのバリアが、どれほど彼らに苦戦を強いてきたか。

 

 ミサイルなどの爆発による衝撃はフィールドに簡単に遮断されてしまう。

 貫通力重視の高初速実弾ライフル等ならばほぼ影響を受けることはないが、

 それではよほど重要箇所に当てない限り、たいしたダメージにならない。

 ジョロやバッタといった無人兵器には対抗できていた軍の兵器も、戦艦クラスのフィールドの前では為す術が無かったのだ。

 

 いや、はずだった。と言った方が正しい。

 

 現に、テンカワ君が使っているのは軍の採用している肩部180oキャノンをスナイパーライフルに改造しただけのものなのだから。

 

 

 

『射撃地点(ポイント)変更! Aの6!』

 

「了解、っととと―――きゃーきゃーきゃーっ!!」

 

 撃ちつくしたライフルを回収班のトレーラーに載せ、テンカワ君が叫ぶ。

 すぐさま支援部隊が展開移動。

 同時にそれまでテンカワ君が居座っていたポイントが、敵誘導ミサイルの集中砲火を浴びる。

 吹き飛んできた何かの破片が私の運転するトラックの近くにまで降り注いで来て、慌ててハンドルを切らなくてはならなかった。

 

 私達給弾班は彼らが新たな射撃地点へ到達するよりも早く急行して、ライフルをいつでも使用可能な状態にしておかなくてはならない。

 ラークスパー専用対戦艦用180mm(カノン)改。

 このライフル、威力はそこそこなのだが即席なだけあって給弾するのにいちいち整備兵が出張らなくてはならないのが欠点だった。

 

「・・・でも、やっぱそこそこはそこそこなのよねぇ」

 

 振動する車体を必死で操りながら一人ごちる。

 あのライフルのスペックでは、戦艦クラスのフィールドを貫けるはずが無いのだ。

 しかし・・・

 

 また一つ、敵の戦艦が沈黙する。

 

 私は、作戦前のブリーフィングでテンカワ君が支援部隊の責任者達を前に語った言葉を思い出した。

 

 無人型機動戦艦の構造的欠陥。

 半永久的に働き続ける無限炉、相転移エンジンの意外な落とし穴。

 

 なんてことはない。

 つまるところ、ここは大気圏内だったということである。

 

 真空を相転移してエネルギーを得る相転移エンジン。

 その出力は絶大で、それが生み出すグラビティブラストにディストーションフィールドの脅威も絶大。

 しかし、その三種の神器もけして無敵ではなかったのだ。

 

 たとえば、ミサイル等の波状攻撃による負荷の増大。

 それによるによるフィールドの希薄化、消失。

 

 たとえば、攻撃と防御の同時展開を不能とする構造特性。

 攻撃の気配を読み取って迎撃するテンカワ君にとって、そんな彼らは空飛ぶ的以外の何者でもない。

 

 長距離ライフルから放たれる一撃は、確実に機関部を、あるいは機動兵器の射出口を打ち抜いた。

 のみならず、彼の頭の中には敵の詳細な構造図が完璧にインプットされているのだろう。

 撃墜するまでには及ばないものの、主砲や射出口を失った戦艦にもはや戦力は無く、

 さらに機関部までも重大な損傷を受けたとあってはその場にいても邪魔なだけだ。

 すごすごと後方に下がり、戦線を離脱していく。

 もちろん、ろくな機械的サポートも受けずに超長距離狙撃を行えるテンカワ君の技量も重大な要因の一つであることは否定できない。

 

「敵もこれだけの決戦力を放っておくことはできない上に、近づこうにも近づけない。

 防御しても攻撃しても、問答無用で落とされる。

 ・・・これで、突入部隊は上空からの艦砲支援を気にせずにいられるわね」

 

 漆黒の戦鬼を前にして、そんな余裕は敵にもないのだろう。

 私の呟きは、MLRMSから発射された汎用型の多弾頭ミサイルの轟音にかき消された。

 

 

 A−6ポイントへ到達。すぐさま給弾作業に取り掛かる。

 私達整備兵は、普段実際に戦場に立つことなどほとんど無い。

 間近に迫る爆発や砲声は、否がおうにも私達の神経を圧迫する。

 

 私だって・・・そう怖い。認めるしかない。

 

 でも、直に戦場で戦っている人たちを誰よりも知っている整備兵達だからこそ、泣き言は言えなかった。

 絶対に言わなかった。

 

 緊張と恐怖で、下腹部がずんぐりと重い。

 まじで泣きそう。

 けれどもそんな心のうちなど露とも見せず、私はみんなに指示を出す。

 

 大丈夫。テンカワ君がきっと、私達を護ってくれる。

 そう信じて。

 

 

『レイナちゃん!』

 

 テンカワ君から催促の声。

 

「あと20秒!」

 

 返答と、給弾作業員への指示も兼ねてそう叫ぶ。

 轟音を立てて黒のエステバリスが到着したのは、作業完了とほぼ同じだった。

 

「退避ーっ!!」

 

 裏返った声が響き渡り、蜘蛛の子を散らすように整備兵が散会して各々の車両に乗り込む。

 指示を出した当人であるサイトウ・タダシ整備副主任も、わたわたと私の助手席に飛び込んできた。

 彼の担当は指揮車や補給車の整備関係なのだが、戦闘中においては私達兵器課の方に駆りだされる。

 

「へーきかい?」

 

「へ、平然と構えてはいるがじつのところ俺はいっぱいいっぱいだ!!」

 

 冷や汗をだらだら流しながら腕を組む整備兵の男は、意外と丈夫のようで安心した。

 

『無事かっ!?』

 

 すぐに応戦を再開しながら、テンカワ君が整備班の身を案じての通信を寄こす。

 その顔にはいつもほどの余裕が無いように見て取れた。

 だからこそ私は、散り散りになりそうなプライドを寄せ集め精一杯の余裕を持って応対する。

 すくなくともそう心がけていた。

 しかし・・・

 

「私はね。でも他のみんなは正直なとこキツいかも」

 

 ちらりと横を見ながら付け足す。

 息も絶え絶えなサイトウ君の精神状態はお世辞にもいいとは言えなさそうだった。

 

「・・・そろそろ限界かもね」

 

『・・・・・・すまない』

 

 苦渋の色を浮かべ、視線を落とす。

 自分がもっと早くに機体の不具合に気付いていればと、そう続けた。

 

 現在の彼の乗機は、色こそ漆黒だが以前までの特注品とは性能面で大きく差がある。

 そしてそれ故、私が彼を前線に立たせることを是としなかった。

 ネルガルの社員としての計算の結果だ。彼を失うわけにはいかない。

 

 何時だって、誰よりも前に出て戦ってきたテンカワ君。

 性能の劣る機体での後方支援しかできないのは、きっとひどく歯痒いのだろう。

 確かに彼が先頭に立つ作戦では、自陣にほとんど被害らしい被害は無かった。

 今までは。

 

「そうね、その通りだわ。

 ・・・ごめんなさい」

 

『え?』

 

「それは整備に対しての苦言でしょ?

 真摯に受け止めさせていただくわ」

 

 『今まで』がこれからも続くなんて、誰も思っていない。

 漆黒の戦鬼も無敵のヒーローと言うわけじゃないのだから。

 現状で、彼がその実力を振るえないのは私達整備班の責任だった。

 

「君の機体を用意できなかった、私達の責任よ。

 いわゆる自業自得ってやつね。

 安心して、その分ちゃんと働くから」

 

『いや・・・』

 

「謝らないで。

 許してくれるなら嬉しいけど、謝ったりはしないで。

 これは私達の技量不足が招いた事態なんだから、責任は私達にあるの。

 君に謝られたりしたら、私達は汚名を返上する機会を失うのよ。分かる?」

 

 落ち度があった。ならば改善する努力をする。

 それが当たり前だ。

 だから、テンカワ君みたいに何でもかんでも自分の不始末にしてしまうのは頂けない。

 落ち度を許すことと、そもそも無かったことにすることは絶対的に違うものだ。

 それは譲ってはならないけじめである。

 

 轟音が響き渡り、横一列に並んだ戦車部隊からの火砲が群がる小型無人兵器を追い払う。

 しばしの間、お互いに無言になった。

 だけど、私はまだまだ言い足りない。

 

「『Moon Night』はもう単なる一部隊じゃないわ。

 西欧の希望。戦況打破の大博打。

 誰もが私達に期待してる・・・『漆黒の戦鬼』も含めた『私達』にね。

 これだけ大勢の人を巻き込んでおいて、君はまだ一人で戦ってるつもり?」

 

 責めるような私の口調にさすがに気分を害したか、わずかに眉を顰める。

 

『そうは思っていないが・・・

 しかし機体の限界に気付かなかったのはパイロットである俺自身だろう?

 俺は、メカニックたちがいつも徹夜で働いているのを知っている。

 ほんの少しの余裕だって無いはずだ。

 無理は、してほしくない』

 

 無理をするのは俺の仕事だ。

 そんな言葉が言外に聞こえてくる。

 優しい言葉だった。きっと、本心なのだろう。

 

 しかし、だからこそなのだと思う。

 弱者を護るのは強者の義務だが、私達の求める関係は庇護ではないはずだ。

 何より、誰よりも無茶をするのは何時だってテンカワ君ではないか。

 君と対等でありたいと願う仲間達の想いを、そろそろ理解してもいいのではないか。

 

 これだから男ってやつは救いようが無いのよ。

 

 

「無理無茶は端から承知の上だわ。

 でもね、整備をしくじれば人が死ぬの!

 こっちだって命かけてこの仕事やってんのよ!

 つーか、知った顔して整備のことに口出しすんな!!」

 

 なんでもかんでも整備任せのパイロットなんか願い下げだ。

 しかしここまで来ると、テンカワ君は私達を信用してないんじゃないかという邪推もしたくなる。

 実際、そういう兆候が無かったわけでもない。

 

 なにしろ、彼は秘密が多すぎる。

 

 機体は特注品。

 ネルガル製と銘は打ってあるものの、およそ改造されていないところが見つからないくらいに相当いじられている。

 どこで改造を受けたのだか知らないが、当のネルガル職員の私ですらあれほどまでの機能向上は望めないかも知れない。

 フレームは8割がた換装されているし、各部関節の強度やアビオニクスにも新しい発想を持っている。

 何より、重力波にしろバッテリーにしろ、そのエネルギー変換効率がほとんど倍近い。

 こんな馬鹿げた改造を施したのはどこの天才だ、と問い詰めたくなる。

 ネルガルお家芸のエステバリスを、本家よりも数段優れたものに仕上げるなんてね。

 ちょっぴり悔しいわ。いやマジで。

 

 豹変した私の剣幕に驚いたらしいテンカワ君は、口をぱくぱくと開閉する。

 戦闘で少しばかり昂揚していた私の、単なる八つ当たりだった。

 さすがに怒るだろうかと思った。抑制の効かない自分の短気ぶりに辟易する。

 

 しかし、テンカワ君の反応は私の予想を大きく覆すものだった。

 

『・・・至らないな、俺は』

 

 微笑んだ。そして呟いた。

 

 「テンカワ君、金魚みたい」なんて失礼極まりない感想を頭の中に浮かべたりしていた私は言葉を失ったが、

 どうにもそれは独り言だったらしい。

 私としては本当にただカチンと来た事を言っていただけなのだが、こうも嬉しそうな顔をされると逆に気が引けてしまう。

 

『いや・・・ごめん。

 少し、暴走してたか。

 うん・・・治らないものだな、一度身に付いたクセってのは』

 

 今度は自分でうんうん頷き始めた。

 気付いていなかった自分の一面を再確認した、そんな風に。

 

『“前”も、さ。いつも一人で突っ走って、みんなに迷惑ばかり掛けてたんだ。

 でも・・・まあ、支えてくれる人がたくさんいたからかな? なんとかなってたけど。

 今は、振り出しに戻った状態だから、ときどき忘れそうになる』

 

 そうだった、と苦笑して、

 

『俺はもう、一人で戦ってるんじゃないんだよな・・・』

 

 本当に、本当に嬉しそうにそう言うのだ。

 

「・・・前は、一人で戦ってたの?」

 

『・・・・・・そう、“ずっと前”はね。“前”は仲間がたくさんいた・・・

 だから、レイナちゃんの言い方が“前”のみんなみたいで・・・ちょっと、思い出したんだ』

 

 遠い目をするテンカワ君・・・

 その口調が過去形であることに、私は気が付いていた。

 触れてはならないものを翳めたような気がして、少し胸が痛くなる。

 

「いい人たちだったのね」

 

 私がそう言うと、テンカワ君はきょとんとした表情になり、次いで微苦笑を浮かべた。

 そんな顔を見ながら、私はふと恥ずかしくなる。

 何故か思わず口を付いて出たのだけど、私はそんなにおかしなことを言っただろうか。

 

 

『ああ・・・君は変わらないな』

 

 

 え?

 万感の篭ったその言葉は、私に疑問符をもたらした。

 まるで過去に出会ったことがあるかのような物言い。

 しかしそれを問い詰めるまもなく・・・

 

『俺はいま、一人でも多くの信頼できる仲間を求めている。

 レイナちゃん・・・俺を、助けて欲しい。

 俺は弱い人間だから、気を抜くとすぐに自分を見失ってしまう。

 たくさんの人の助けが無くては、何も出来ないんだ。

 俺の目的を達成するためには、君みたいな人たちの助けが絶対にいる』

 

 テンカワ君の目的とはなんだろう。

 彼の台詞は私に対して謎を深めるものばかりだったが、それでも頼られているという優越感は大きかった。

 絶大な実力を誇る英雄が、まるで可愛い弟のように思えてしまうから不思議だ。

 

「見返りは求めてもいいのかしら?」

 

 挑むような物言い。

 半ば本気、半ば冗談のつもりだった。

 

 しかしテンカワ君は応えた。

 

『・・・勝利を』

 

 

 臆面も無く、力むことも無く。

 極々自然体で、まるでそれが当然のことであるかのように・・・

 

 彼は言い放ったのだ。

 

 それは傲慢だろうか。

 それは自惚れなのだろうか。

 

 そうは思えなかった。少なくとも私には。

 もし同じ言葉が彼以外の口から放たれたのならば、私は嘲笑とともに背を向けるだろう。

 しかし、他ならぬテンカワ君によってその言葉が齎されたとき、私は確信した。

 

 

 ・・・私達は勝つんだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンのアイドリング音が聞こえる。

 今までの指揮車なら、ここから微細な振動が車内の機器を揺らし始めるところだが、さすがに新型。

 車体のバランスがしっかりしているため、揺れや振動の類はほとんどない。

 精密機械満載の指揮車両は本来こうでなくてはならないのだが、生産ラインの悪化はそんなことも忘れさせていた。

 

 ポッ、ポッ、ポッ。

 

 大小様々な戦術状況画面(タクティカルスクリーン)がいたるところに投影される。

 通信機からは(アルファ)から(デルタ)までのエステ小隊、支援の戦車小隊群からの配置完了の報が流れている。

 

 俺はペットボトルに入ったミネラルウォータを、ごくりと一口飲み込んだ。

 

 

「全部隊、配置完了。いつでも行けます」

 

 オペレータが報告をしてくる。

 

「ああ。・・・・・・カズシ」

 

 声を掛けると、カズシはドライバーグローブをはめながら力強く頷いた。

 

 今回、この指揮本部車両には必要最低限の人員しか載せていない。

 エステバリス3機に指揮・情報処理車が1台を1小隊として、戦闘部隊を4個小隊に分けたのだ。

 市街戦では、小隊単位での精密な連携、迅速な情報の共有、そして継続戦闘能力が勝敗の鍵を握る。

 少ない人員を最も効率よく振り分けた結果、この編成となった。

 俺の副官であるカズシには指揮本部車両の運転手と、緊急時における銃手を兼任してもらっている。

 もっとも、この車両に備えられている貧弱な機銃を使うような時がきたら、それは即ちこの作戦の失敗を意味しているのだが。

 

「防衛ラインの戦況はどうだ」

 

「・・・いろいろと問題の多いところもありますが、とりあえず順調のようです。

 まあ、士気は高いですし」

 

 この作戦において、俺達が一番頭を悩ませたのがアキトのことだった。

 ・・・奴の専用機が使い物にならなくなってしまったことで、作戦の概要を大きく変更しなければならなかった。

 

 今までの俺達がいかにアキトの力に頼りきった戦いをしてきたかを思い知らされたわけだが、

 場合が場合だけに甘えたことは言ってられない。

 

 アキトには前線に出られない代わりに、支援の戦車部隊を率いて防衛ラインの守りに就いてもらっている。

 

 『漆黒の戦鬼』に率いられた部隊は敗北を信じない。

 それはもはや一種の信仰と呼んでも差し支えないかもしれない。

 奴らのテンションはかなり高揚していることだろう。

 

 

 地球連合軍西欧方面隊の本部は、ベルギーの首都であるブリュッセルに置かれている。

 欧州委員会が本部を構え、欧州議会加盟国が事務局を置くブリュッセル。

 欧州連合における事実上の意思決定地であり、多くの国際企業が欧州の事業拠点・本部をブリュッセルに置いていた。

 対して連合軍統制区画エリア372はドイツの北、ニーダーザクセン州を指す。

 

 ドイツ第二の広大な面積を有するニーダーザクセン州は、大きく三つの地方に分けられる。

 ハルツ山地とヴェーザー山岳地域、そしてリューネブルガー・ハイデを中心に広がる北ドイツ低地。

 高速自動車道と鉄道の東西予定線と南北予定線がそれぞれ交差し、

 またミッテルラント運河がラインとエルベとオーデルに接続して東西ヨーロッパの内陸水路を結ぶこのエリアは、

 軍事的に見てもやはり相当の重要性を持っていた。

 

 救出対象がその身を隠しているのは、ザールシュテットという人口1万8千の産業・住宅都市だ。

 ハノーファーやヒルデスハイムといった重要都市の中間に位置しており、街の規模からすると産業・経済はかなり発展しているのだろう。

 

 エリア372の現在の戦力差は87対13。

 木星蜥蜴が9割。残り1割が地球軍だ。

 ちなみにこれはつい3時間ほど前の最新記録である。

 

 つまり戦場は敵陣真っ只中。

 見渡す限り敵ばかりの舞台で、救出作戦という困難な任務を達成しなくてはならないという思いが、じくじくと俺の神経を刺激する。

 

 一般的に言って、戦闘に限定的な目的がつけばつくほど戦闘部隊の行動は制限され、損害を受ける度合いが高まる。

 今回のように敵の包囲から友軍を救出するような作戦はその典型だ。

 包囲解除が優先され、救出部隊の損害は二の次とされる場合が少なくない。

 

 普通なら、新参部隊にこんな任務が下されるはずも無いだろう。

 しかしそれは、従来の部隊ならば、という形容詞がつく。

 

 俺たちはそんな枠に当てはまるような大人しい羊どもではない。

 

 『漆黒の戦鬼』に付き従う夜の尖兵『Moon Night』

 ここ西欧において、最強であることを運命付けられた騎士達。

 この作戦が、俺たちの初陣となる。

 

「全隊員に通達! これより作戦を開始する!」

 

 負けるわけには、いかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無人兵器たちの動きが唐突に変わり、私達は戦闘の開始を予期した。

 

 こちらの動きを察知されないため、機体は待機モードに設定してある。

 私は潜んでいた建物の割れた窓から双眼鏡で様子を伺っていた。

 他に動ける人員がいないのだから、偵察なども私以外にやる人間がいないのだ。

 

「よし・・・」

 

 双眼鏡を下げ、窓から離れる。

 状況は整った。後は機体を、いつでも動けるように暖めておかなくてはならない。

 

 そう思って踵を返した瞬間―――

 

 

   ズドォォォオオオンッ!!!

 

 

「きゃあああっ!」

 

 突然の爆発と衝撃に、辛うじて残っていた窓ガラスが弾け、破片が降りかかる。

 鼓膜がびりびりと悲鳴を上げているような気がした。

 

『ラビオ少尉! いまの爆発はっ!?』

 

「す、すみません! いま確認します!」

 

 反射的に――どうもクセになってしまっている――謝罪し、再び双眼鏡を片手に窓から身を乗り出す。

 そしてすぐに先ほどまで展開していた無人兵器部隊を探した。

 炎が巻き上がり、煙が立ち込めているため視界はかなり制限されている。

 必死の思いで視線を凝らし、しばらくして呆然とする。

 

「まさか・・・そんな・・・!」

 

 木製蜥蜴の先遣部隊は半壊していた。

 一瞬だ。まさに一瞬だった。

 私が目を離した瞬間に戦闘が始まり、そして次の瞬間には終わっていた。

 

 おそらくは味方の救援部隊の勝利と言う形で。

 

「あ、有り得ないっ!」

 

 ヒステリックになるのを止めようが無かった。

 階下でわめくミカズチ先輩の声すら遠く感じる。

 あまりに現実離れした光景の中で、煙をかき分けて現れた機体に私は息を飲んだ。

 

 真紅の鬼―――

 

 真っ赤な、エステバリスだ。

 

『何をしている! 状況を報告しないか!』

 

「は、はいっ! すいません!」

 

 自失していた私を、叱咤の声が貫く。

 しかしなんて報告すればいいのか。

 一瞬の躊躇の後に、そのまま報告するしかないのだということを悟っていた。

 

「み、味方の救援部隊が敵の先遣隊と接触した模様!

 今の衝撃は、戦闘の余波によるものだと推測します!

 そ、それから・・・敵のおよそ半数が今の爆発で戦闘不能状態に陥りました!!」

 

 悲鳴に近い声で報告を完了する。

 こんなの有り得ない。

 パイロットとしての自分がそう叫んでいた。

 けれど・・・

 

『そうか・・・噂通りだな。『Moon Night』は』

 

 先輩の呟きには多少の驚愕はあったものの、どちらかと言えば感心の度合いが強かった。

 再び、私は驚愕する。

 

「なんで、そんなに冷静でいられるんですか。

 あんな・・・あんな戦闘力、異常すぎますよ!」

 

 味方である、という意識は希薄だった。

 さっきまで抱いていた希望も、不安に塗り替えられつつある。

 

 得体の知れないものに対する本能的な不安。

 

 たぶん私達が総掛りで当たっても、アレには指一本触れられないだろう。

 それくらい圧倒的な力の差を感じた。

 

『・・・何を言ってるんだ? 味方だろう?』

 

「でも・・・あんなの!」

 

『・・・『漆黒の戦鬼』だよ。君が見たのは』

 

「え・・・?」

 

 『漆黒の戦鬼』・・・

 その名前を知らない軍人なんて、この西欧に存在しない。

 

 単体でチューリップの攻略を可能とし、その実力は1個師団に匹敵する。

 その鬼神のような強さと、機体を染め抜くパーソナルカラーからいつしか『漆黒の戦鬼』と呼ばれるようになった。

 地球圏最強と呼ばれた機動戦艦ナデシコに所属するエースパイロットで、

 この西欧の戦況を覆すために軍によって最前線へと送られたのだと噂されている。

 

 しかし、たった一人の人員の異動に軍部が動くなんてのは他に類を見ない。

 

『漆黒の戦鬼 テンカワ・アキト。白銀の戦乙女 アリサ=ファー=ハーテッド。

 彼ら西欧の二大英雄を擁するのが、『Moon Night』が特別扱いされる理由さ』

 

 つい先日に出来たばかりのはずの部隊の情報が、既にここまで来ている。

 これも異常なことだった。

 それというのも、かなり信憑性の高い噂として、前々からその結成過程に至るほぼ全容が流れていたことにある。

 良くも悪くも注目度がもっとも高いのが、テンカワ・アキトというパイロットなのだ。

 

 しかし・・・

 『漆黒の戦鬼』という名前を出されたというだけで、落ち着きつつある自分がいる。

 彼は、異常で当然なのだ。

 彼を知る、いや一度でも彼の戦闘を見たことのある者たちは口をそろえてこう言う。

 

『漆黒の戦鬼と張り合おうなんて、バカな考えは捨てろ』

 

 ケタが違う。レベルが違う。

 そもそも存在している次元からして違っているのだ、と。

 

 それが誇張表現では無かったという事が、たったいま確認できた。

 ただそれだけのことだった。

 彼は異常であり、彼が異常であると言うことは私達にとって正常であるのだから。

 

 もう一度、双眼鏡を覗き込む。

 先ほどの機体はいずこかへ消え、今度は白銀に煌く美しいエステが見えた。

 鈍色の従者を2人従え、体勢を立て直しつつあった敵部隊を掃討する。

 その操縦手腕に、今度は惚れ惚れしてしまった。

 スゴイ・・・きっとあれが『白銀の戦乙女』なんだ。

 

「・・・あれ?」

 

 ふと疑問符が頭を掠め、人差し指を頬に当てる。

 先ほど見た光景と、先ほど聞いた言葉の不一致が、妙に気に掛かった。

 最強のエステバリスライダーは『漆黒の戦鬼』と呼ばれているのは知っている。

 だけどさっき見た機体の色は・・・

 

「紅・・・かったような・・・え、3倍?」

 

 何がだ。

 思わず口走ってから、心の中で自分にツッコミを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アリサちゃん、無理はするな。

 要救助者の確保に成功したら、じきに枝織ちゃんが駆けつける』

 

 敵勢の一角を突破し、目の前に展開した無人兵器を撃破したとき、アキトさんから通信が入った。

 

 大丈夫です、と反射的に応えようとしてふとその意味を考える。

 無理をするな? じきに枝織ちゃんが・・・?

 

 ・・・私はそんなに頼りないのか。

 枝織ちゃんの助けが無くては、先陣を任すことなど出来ないとアキトさんは思っているのだろうか。

 

 馬鹿にして。

 

 そんなはずがないことは分かり切っているのに、私は心が澱んでいくのを感じていた。

 

 

「ご心配なく! 今日は調子がいいんです!」

 

『アリサちゃん?』

 

 言葉の調子に不機嫌さを感じ取り、疑問符を浮かべるアキトさんとの通信を強制的に終わらせる。

 

 なんて嫌な女なんだろう、私は。

 自己嫌悪に頬が紅潮していた。

 

 いまは戦闘中であり、本来ならば私情を差し挟む余地など有り得ない。

 だと言うのに私は、個人的な事情でアキトさんとの接触を避けている。

 

 ・・・いや、きっとそれももう言い訳に過ぎないのかもしれない。

 

 結局、私には本気でアキトさんを恨むことなど出来なかったのだ。

 

 

 アキトさんがいなければ、クリムゾンに目をつけられることも無かった。

 お母様が人質みたいな扱いを受けることも無かったに違いない。

 

 だが・・・どうして恨むことが出来る。彼は同士なのに。

 西欧の民を守ると言う共通の目的を持った、仲間なのに。

 

 クリムゾンの走狗と成り果てた私が、失いつつあった軍人としての誇り。

 誰よりも自分を追い詰めて西欧の戦況を好転させようとするアキトさんの姿は、私にはひどく眩しかった。

 

 一連の悲劇の原因は確かにアキトさんかもしれない。

 でも私には、彼を恨む権利など無い。

 ただひたすらに平和を望み、それを実行せんとしてもてる全ての力で挑む彼に対し、逆恨みなど。

 一軍人としてのプライドが、強固に自身を否定するのだ。

 そして・・・だからと言って素直に彼の罪無きを認めることの出来ない私がいるのもまた事実。

 

 

「貴方のせいじゃない。それは分かります。

 でも・・・それなら私は―――」

 

 誰を恨めばいい?

 その問いに答えなどない。誰も応えられはしまい。

 

 目下のところ恨みのはけ口に困ることだけはなさそうな無人兵器の群れだけが、とりあえず唯一の救いだった。

 

 忘れよう。

 ともかくこの作戦が終わるその時までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ〜もう! メンドくさいなあ!」

 

 アサルト・ピットの中で、私は一人ごちた。

 ぴーぴーと燃料切れを知らせる警戒音が鳴り響いている。

 さっき大技を使ったからだ、と言うのは分かっていた。

 ナデシコからの重力波の供給がないここでは、機体のエネルギーは全てバッテリーから得られているのだ。

 考えも無しに大技を連発していると、すぐに命取りになる。

 機動兵器戦での大技も、そのうちの幾つかは昂気を身に付けたことでDFSなしでも使えるようになった。

 しかしそれも、滅多なことでは使うことは出来ないのだ。

 

 とにかく、バッテリーを換装しなければならない。

 

 既に、眼前には乙型無人機動兵器、通称バッタの群れが広がっていた。

 消耗を抑えるために時空歪曲場はあえて展開していないが、そろそろ電力が底をついてしまう。

 

 左足の、本来なら吸着地雷が収納されているホルダーから新しいバッテリーを取り出し、上空に投擲する。

 同時に底を突きかけていたバッテリーを離脱し、慣性に任せて機体を泳がせる。

 内部予備電力に切り替わるので、すぐに行動不能に陥るわけではない。

 私は機体の姿勢を微調整して、落下してくるバッテリーを背中のランドセルにセットさせた。

 

 ・・・この換装方法、バッテリーパックに余計な衝撃が加わるから、普段はやっちゃだめと言われてるんだけどね。

 

 

 換装を終え、電力が満タンに戻った私は、眼前のバッタの群れに機体を飛び込ませた。

 両手の先にだけ歪曲場を生成し、合間を縫うようにして通り過ぎざま手当たり次第に刻んで行く。

 バッタの人工知能に悟られることの無い機動は熟知しているので、数がいくら増えても私にとっては単純作業でしかなかった。

 

「しかもつまんないしー・・・

 あーあ、退屈だな。あーあ」

 

 溜息が出てしまう。

 私は、北ちゃんやアー君みたいなバトルマニアじゃないけれど、だからと言って手ごたえの無い相手は面白いとは思えない。

 こんなことを考えながら戦っていると聞いたら、アー君は怒るだろうか。

 

『枝織君。退屈なのは分かるがそろそろ目標ポイントに近づいてるはずだからな。

 見落とさないように気をつけてくれよ』

 

「あ、はい了解。

 でもでもシュンさん、最近アー君ってばちょっと冷たいよね。

 お仕事が忙しいのはわかるけどぉ。

 もう少しくらい遊んでくれたってさ〜・・・」

 

 ライフル弾をばら撒きながら頬を膨らませる。

 

『ははは。・・・あの甲斐性なしめ

 

「まったく、もう。

 ・・・家庭を蔑ろにする男なんて最低だ、って舞歌お姉さんが言ってたもん」

 

 そう言えばそれを聞いた九十九君ったら血の涙を流してたな。

 「誰のせいで帰れないでいると思ってるんですっ!」って叫んでたっけ。

 うーん、あっちのミナトお姉さんの気持ちが少し分かったような気がするよ・・・

 

「ま、いいや。

 コレが終わったらきっと少しくらいヒマになるよね。

 早いとこ終わらせて遊んでもらおっと」

 

 機体を宙返りさせる。

 私に体当たりしようとしていたバッタが、他のバッタに衝突して錐揉み落下して行った。

 

 2機のバッタはそのまま崩れかけの建物に突入する。

 私はそれを見届ける間もなく、救出対象の捜索のために機体を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラークスパー2号機に搭乗、起動させる。

 前々から調整していたためレスポンスは早かった。

 すみやかに全システムが正常に作動を開始する。

 

『こちらミカズチ。

 ラビオ少尉、状況を報告してくれ』

 

 ミカズチ先輩からの通信。

 どうやら向こうも準備は万端のようだ。

 

「こちらラビオです。

 ラークスパー2号機、起動完了。

 ご命令あらばいつでも出撃でき・・・」

 

 その時、メインカメラが窓の外から飛来してくる物体を捉えた。

 煙を上げ、くるくると回転しながら、まっすぐこちらを目指して落ちてくるそれは・・・

 

 ―――見慣れた虫型機動兵器のように思えた。

 

 

「・・・なさそうです! すいませんっ!!」

 

『は?』

 

 右手が踊るようにコンソールを叩く。

 両足が5種類もあるペダルを的確な順序で踏んでいく。

 骨折して使えない左手がひどく鬱陶しかった。

 

 

   ガシャァァアアンッ!!!

 

 

「もう!! なんでこーなるのよっ!!?」

 

 叫びながら、後ろ向きに急発進する。

 慣性で前に跳びそうになるのをなんとかこらえ、前方を見やった。

 ちょうど、2機のバッタが私がそれまでいたところに墜落したところだった。

 

『ラ、ラビオ君! 無事かっ!』

 

「平気です! ありがとうございます!」

 

 慌てた先輩の声から、本当に私を心配してくれたのだという気持ちが伝わってきて嬉しかった。

 自分は思ったより現金な性格をしているらしい。

 

 墜落してきたバッタは既にその機能を失っていた。

 だからそれを即座に意識から除外する。

 問題はこいつらがぶち破った壁の向こうに広がる戦場の方だと思った。

 

「!? あの機体・・・っ!」

 

 飛び交うミサイル。

 舞い上がる硝煙。その生涯を終えていく無人兵器たちの爆発光。

 

 そんな中で、その真紅のエステバリスは否が応にも私の視線を釘付けにした。

 

 状況から見て、このバッタをここに突っ込ませたのはあいつだと確信する。

 いや決め付ける。

 

 ふざけるなと思った。

 こっちはもう3日も極限の緊張の中でじっと耐えてきたというのに。

 いざ反撃という矢先にコレ?

 

「あ、あ、あ・・・!」

 

 すごく言いたいことがあって、だけどそれがなかなか言葉になってくれない。

 そんな経験、誰にでもあると思う。

 今の私には通信越しに呼びかける先輩の声も遠かった。

 

「紅いからっていばんなぁっ!!」

 

『・・・何を言ってるんだ君は』

 

 通信機越しに、先輩が眉を顰める。

 

 眼下の私達には気が付かなかったのだろうか。

 その紅いエステバリスはすぐに私の視界から飛び立って行ってしまった。

 なんだかとても空しい気分になる。

 

 

「うぅ、角も無いクセにぃ・・・」

 

 ほろりと涙が流れる。

 何かが許せなかった。

 

 

 ・・・・・・テンカワ・アキトのバカ。

 っていうかやっぱり紅かったな。うん。

 

『・・・無事なようならそろそろ進撃を開始しよう。

 ただ座して待つのは西欧軍人の名に悖る』

 

「あ、はい先輩。了解であります!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「はあぁぁぁぁああっ!!」

 

 白銀の機体から繰り出される槍の一撃が、強化されたはずのバッタを無造作に斬り飛ばす。

 出鼻をくじかれた無人兵器群の中央にライフル弾が打ち込まれ、まさにミサイルの発射体勢に入っていた一機に命中。

 周りの数十機を道連れに遊爆を起こす。

 立ち込める煙に目標を見失ったバッタが体勢を立て直すより早く、フィールドランサーの刃が顔面のセンサー部位に突き刺さる。

 火器管制システムに異常をきたし、これも周りを巻き添えにして爆発四散した。

 

 槍を振って煙を払い、甲冑を赤く照らす炎に突っ込むように次の敵に向かうその姿はまさに『白銀の戦乙女』

 アリサ=ファー=ハーテッドはその天才的な操縦技術を開花させていた。

 

 

 

 

『戦乙女ここに見参、て感じ・・・』

 

『なに落ち着いてるんですか! ばかぁ!!』

 

 通信装置を介して、私の後ろに続く両機の様子を確認する。

 憎らしいほど落ち着き払い、両手のライフルで次々とバッタを落としていくソラシッチ軍曹機。

 あたふたと危なげな操縦ながら、油断して近寄った敵を手当たり次第に殴り飛ばしていくサアード伍長機。

 

 見渡す限り敵・敵・敵の戦場で、その働きは超一流。

 

 しかし・・・

 その二人をしてさえも、今の私にはとてもノロ臭く思えた。

 

 

 作戦の開始からおよそ1時間。戦闘はなおも続いていた。

 敵の先遣隊の過半数を撃墜した枝織ちゃんの一撃を皮切りに、『Moon Night』は敵戦力を終始圧倒している。

 

 確保対象の保護の如何に関わらず、私達の任務は救護部隊の脱出を援護すべく敵部隊を引き付けることだった。

 つまり陽動部隊という訳だ。

 

 私のエステバリスは右手にラピッドライフル、左手にフィールドランサーを装備。

 救護対象の予想潜伏地点からは300メートルほど離れて戦っている。

 これと決めた相手に突撃し、槍を突き出す。あるいは薙ぐ。

 攻撃態勢に入る敵を敏感に見極め、誘爆狙いのライフル射撃で敵を減らす。

 一瞬たりとも気の休まる時は無かったが、私は1時間もの間、極限の集中を維持できていた。

 そしてひたすら敵機を討ち続けていたのだ。

 もしかしたら今日だけで昨日までの撃墜数を上回るかもしれない。

 

 

 ドンッ! ドドンッ!

 

 

 機体のすぐ近くで着弾音を感知し、自動回避に移ろうとするコンピュータを無理やり黙らせる。

 

 今のは軍曹からの援護射撃だ。

 私の死角にいたバッタを撃ち抜いたのだろう。

 もう少しで機体を掠るところだったが・・・それはあり得ないことがなんとなくわかる。

 

 まさに完璧のチームだった。

 私がトップを務め、死角を2人が支援する。

 暴れながら情報管理を行えるサアード伍長の人間離れした能力に導かれるまま、私の全身は反応し、敵陣に致命的な損傷を与えていく。

 

 正面にバッタを数体確認。

 各所に強化処理を施されて機動性が向上しているはずの敵が、何故かとても遅く見えた。

 一番左に位置していた一機がサアード伍長の一撃を喰らって爆発する。

 その影響で気流が乱れるが、何の影響も感じさせない機動で私は上昇し、上から残りのバッタに銃弾の雨を浴びせた。

 

「バッテリーを換装します! 軍曹、煙幕を!」

 

 命令と同時に後方のソラシッチ機から煙幕弾が発射された。

 眼窩に広がっていたバッタたちを全滅させた私とサアード伍長は、消耗したバッテリーを交換するために一度地面に降り立つ。

 

 

 建物の陰に身を隠して一息つくと、腕の筋肉が痙攣するのが分かった。

 ・・・自覚している以上に疲労が溜まっているのかもしれない。

 

『中尉・・・ちょっと先行しすぎじゃないですか?』

 

 現在地をGPSで確認しながら、真剣な顔でサアード伍長が進言する。

 私は頭を振って、不安を思考の外に追いやった。

 

 ・・・確かに、本隊からすでに1キロ近く離れてしまっているようだ。

 とはいえ、未だ救出対象が発見されていない現状では、敵の注意をできるだけ遠ざけておくに越したことは無い。

 

「・・・敵主力部隊の注意を引くことには成功しています。

 このまま、行きましょう」

 

 不可能ではないと思っていた。

 今日の私は、普通じゃない。

 必要ならばまだあと一時間でも二時間でも戦っていられるような気さえする。

 

『・・・了解。軍曹?』

 

『聞こえたよ。こっちも了解だ。

 ま、いいんじゃない? 今日の隊長殿はすこぶる調子がよさそうだし』

 

「あら、不満ですか?」

 

『まさか! 死ぬまでついて行きますって!』

 

「・・・そんなこと言っても何も出ませんからね」

 

 軍曹のリップサービスに冷たい視線で応え、がっくりした彼を見て苦笑する。

 

 今日の私には作戦中に笑みを浮かべる余裕すらあるのか、といま気が付いた。

 ここ最近、思いつめることの多かった私にとってはそれはとても意外なことだった。

 

 

 警戒音が響き渡る。

 

『発見された? 中尉!』

 

「散開! 各個撃破!」

 

『『了解っ!!』』

 

 上空へ飛び立つ。

 同時に多数のマイクロミサイルが着弾する。

 姿を現したのはたった3機のバッタだった。

 

「その程度の戦力で・・・!」

 

 急降下して1機を踏みつけ、さらにその隣の1機には槍の一撃をお見舞いする。

 離脱しようとした最後の1機を背後から撃墜したと同時に、センサーが新たな敵機を発見した。

 

 今度はたったの2機だ。

 迷わず飛び掛る。

 

『戦力を小出しにして来た・・・なんで!?』

 

『知らねーよ!

 少数だからって油断しないで下さいよ隊長!』

 

 言われるまでも無かった。

 

「断続的な戦闘で私達の疲労を誘うつもり・・・?

 ふ、所詮は無人兵器ですね!」

 

 またも、瞬殺する。

 数という暴力を放棄した有象無象に、遅れをとる私ではない。

 

 次々と現れる敵を、次々と屠っていく。

 自分が純粋な戦闘マシーンのように思えてきたが、今はそれが都合よかった。

 目の前の敵を倒すことだけに集中する。それができる。

 強さの証し。力の証明。

 

 私さえ強く在ることが出来たならば、全てが上手くいくような気がした。

 そう、お母様を救うのも。この戦争に終止符を打つのも。

 私が強くあればいいのだ。

 

 そう思ったときだった。

 

 

   ガクンッ!

 

 

「なっ!?」

 

 着地した地面が、唐突に沈んだ。

 急なことで、機体の姿勢制御に狂いが生じる。

 崩れた瓦礫とともに落ちていく機体を必死でコントロールしながら、自分の状態を冷静に分析した。

 

 落ちていく。

 

 戦場となっていた道路の地下には、こんな空洞があったのか。

 作戦前にマップは確認していたものの、地下のことにまでは頭が回っていなかった。

 

 失念していたのだ。

 たとえば・・・地下に張り巡らされた鉄道網を。

 

 

  ピピピピピピピピッ!!

 

 

 ロック・オンを知らせる警戒音が盛大に鳴り響いた。

 メインカメラにその大半を向けていた意識を、咄嗟に索敵用のサブモニターに移す。

 

 ・・・数え切れないほどのロック・オン。

 一瞬、時間が止まったような気がした。

 

 まさか・・・

 

 

「罠っ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『白銀の戦乙女』と言えば、西欧軍人にとって、とりわけ僕らみたいな若い世代にはまさに女神のような存在だ。

 

 連合大学機動兵器操縦過程を卒業し、すぐにここ西欧に配属された僕にとってもそれは例外ではない。

 アリサ中尉はアイドルだった。

 

 初めて彼女に会ったのは何時のことだったろう。

 少なくとも、アリサ中尉がその名を轟かせ始めたのは僕が小隊を任せられるようになって間もない頃だった。

 共同戦線を張ったことも何度かある。

 

 そして・・・僕は彼女を尊敬していた。

 

 

 彼女がいなかったら今の僕は有り得なかった。

 きっと、どこかの戦場で野垂れ死んでいた。

 一介の戦車兵でしかなかった僕が今日まで生きてこれたのは、あの日、彼女に命を救ってもらったからに他ならない。

 

 

 ヤドカリ、と呼ばれる種の無人兵器がある。

 戦車や戦闘機、最新型のエステバリスと言った機動兵器までをも乗っ取り、自由自在に操る敵だ。

 

 戦車兵にとっては、分厚い装甲の向こうにいるどの無人兵器よりも、

 隙を見せれば内部に入り込もうとするこの敵の方が脅威だった。

 実際、何人もの戦車乗りがこいつらの手に掛かって命を散らしている。

 

 上部ハッチを抉じ開け、カメラアイで中を確認したヤドカリは、まず中身の掃除からはじめる。

 戦車の操縦席は必要最小限のスペースしかなく、

 奴らは身動きの取れない操縦士たちに向かって口部三連機関銃の弾丸をばら撒くのだ。

 近接兵装を持たない戦車にとって、奴らに取り付かれることはそのまま明確な死を意味していた。

 

 あの時の恐怖は、今も忘れられない。

 僕の乗る戦車が、ヤドカリに取り付かれたのだ。

 

 半狂乱になって振り落とそうともがいた。

 味方に助けを求めた。

 しかし、鈍重な戦車が暴れたくらいでヤドカリを振り落とせるわけも無く、

 人型機動兵器の絶対数が極端に少なかったあの頃には、車体に取り付いた敵をどうにかできる有効な手段がほとんど無かった。

 

 部隊長は、あっけなく僕らを見捨てた。

 

 いや、僕が同じ立場だったとしても同様の判断を下したかもしれない。

 西欧方面軍の戦況はお世辞にもいいとは言えず、常に敗戦を繰り返すような状況だったのだ。

 旧式の戦車一個小隊などに、部隊全体を危機に曝す価値など無かったのだから。

 

 死を覚悟した。

 けれど生きたかった。

 

 破壊された上部ハッチから覗く赤いカメラアイと視線が交錯し、全身を諦観が縛り付けた。

 目を閉じる。

 惨めにも涙が溢れた。

 無駄とは知りつつ、両手で頭を抱え込んで少しでも生き残ろうとした。

 そんな僕の心情などお構いなしに敵は銃口を内部に侵入させ、僕は身を固くする。

 

 バキッ、という衝撃音を聞いたのはその時だった。

 

 いつまで経っても訪れない銃弾の雨に、恐る恐る頭上を見上げる。

 破壊されたハッチ。

 その先に広がる青い空。

 そして、その空に飛び上がるODカラーの人型ロボット。

 

 

 それが、アリサ=ファー=ハーテッドとの出会いだった。

 

 

 

 

「あの日・・・僕は君に命を救われた」

 

 僕らの無事を確認した彼女は、本隊への合流ポイントを指示した後、颯爽と飛び去ってしまった。

 顔を合わせたのは通信機越しに一度だけ。

 しかし僕は忘れない。

 絶望の淵から、僕を引き上げてくれた女神のことを。

 僕は忘れはしないだろう。

 

 いま、再び彼女がやってくる。

 白銀の戦女神が、いまこの戦場に降り立っている。

 

 ただ座して救いの手を待つなど出来るものか。

 

 あの時、僕は誓ったのだ。

 彼女のために戦うと。

 自らヴァルハラに馳せ参じようと、誓ったのだ。

 

 

「さあ・・・行こう。僕の“ラークスパー”!」

 

 

 あの日から僕は、白銀の戦乙女に恋をしていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に迫り来るミサイルの嵐に、私は呆然としていた。

 

 

 

  『中尉ィィイイイイッッ!!!』

 

 

 叫び声が聞こえると同時に、機体が大きく弾き飛ばされる。

 咄嗟に姿勢制御し、飛来した物体―――鈍色のエステバリスを振り返った。

 

 助かった・・・?

 そう思った瞬間、愕然とする(・・・・・)

 

 回避不能のミサイルの網から何故逃れられた?

 目の前の鈍色のエステバリス―――サアード伍長が身代わりになったからだ!

 

『くうぅぅっ・・・!』

 

 

      ズドドドドドドドッ!!!

 

 

「サアード伍長!?」

 

 向かってくるミサイルにエステの片手をかざし、フィールドを全開にして防御に徹する。

 干渉光は爆煙ですぐに見えなくなるが、私は確信していた。

 持ち堪えられない、と。

 

 限られたエネルギーで張られるディストーションフィールドは、使えば使うほど薄くなっていくのだ。

 

 

『フ、フィールド発生装置が・・・ッ!!?』

 

 オーバーヒートを知らせる警告音。

 エステ自体の装甲など、フィールドなしでは紙の鎧に等しい。

 私達の表情がサッと青褪める。

 

「サアード伍長・・・・・・っ!?

 推進器の故障!!? こんな時にっ!!!」

 

 援護に向かおうとして、飛び出した私はそのまま前のめりに瓦礫の山に突っ込む。

 背中から弾き飛ばされた衝撃ゆえか、私のエステは自力飛行さえ不可能な状態になっていた。

 そんなこちらの状況などお構いなしに、潜んでいたバッタたちがその姿を現していく。

 

『ち、中尉・・・!』

 

 自分の置かれた状況を正確に認識したのだろう。

 通信ウィンドウのサアード伍長の表情が恐怖に引き攣る。

 私はコクピット付近のパネルやレバーを手当たり次第に動かした。

 

「動いて! 動きなさいっ!!」

 

 しかしどんなに操作しても、私の愛機はぴくりとも応えてくれなかった。

 半泣きになり、訳の分からない事を叫びながら両手のレバーを我武者羅に動かす。

 だが、動かないのだ。

 

『中尉っ! 中尉ぃっ!!』

 

 一発が着弾したのを皮切りに、ミサイルが一斉に襲い掛かる。

 なんとか回避したものの、ディストーションフィールド発生装置は完全に沈黙してしまった。

 

 このままではただの的になってしまう。

 

「伍長! 離脱して!」

 

 ライフルを放り投げ、咄嗟に叫んだ。

 

 フィールドを失ったエステは、ミサイルの一発を受けただけでも命取りになる。

 空気抵抗を思い切り受ける形状では、高速飛行も不可能だ。

 一刻も早く戦場から遠ざからなければ、生存は絶望的となるだろう。

 

『で、でも中尉は・・・!』

 

「大丈夫です! いいから早く!」

 

 敵の罠にはまった・・・それが今の状況。

 周りを見渡せば、潜んでいた無人兵器たちがゆっくりとその姿を現しているところだった。

 防御を失ったサアード機に、機動力を失った私。

 どっちにとっても絶望的な状況に変わりは無い。

 

 頼みの綱のソラシッチ軍曹はまだ後方。

 私達に追いつくには、早くても30秒以上はかかってしまう。

 この距離なら、私達のどちらを撃墜するにも十分すぎる時間だ。

 

 通信機越しのサアードは、一瞬いつも通りの泣きそうな顔になった後・・・

 何かを決心したように瞳に力を宿らせる!

 

 

『軍曹! 中尉を頼みます!!』

 

「待ちなさいっ!!」

 

 

 躍り出た。

 瞬間、全ての敵のカメラアイがサアード機に集中する。

 既に攻撃態勢を整えていた敵機が、全てサアード機を目標に設定した。

 前後左右上下、あらゆる方向にミサイル発射寸前のバッタを確認できた。

 

 私は悲鳴のような声を上げる。

 

 

「軍曹っ!!!」

 

『向かってる・・・畜生っ! 向かってるよっ!』

 

 間に合わない。

 分かりきっていた。

 

 

『軍曹! 中尉をっ!!』

 

『うるせえっ! ふざけんな馬鹿っ!!』

 

 

 そして、私の目の前で・・・

 

『サアードっ!!』

 

 すべてのミサイルが発射された!

 

 

 

 

 

 

 

 ――――爆風に煽られて、鉄の色をした巨人が踊る。

 

 

 

 

 

「あ・・・あああ・・・あああぁッ!!!」

 

 

 自分の喉から、意味を成さない叫び声が上がっているのにも気付かず、私はその光景に目を剥いていた。

 腕、足、胸部装甲・・・くるくると回転しながら、次々にパーツを剥ぎ取られていく。

 

 

 ―――『うわあ! かっこいいっすねー!!』

 

 ついさっきまで為されていた会話が脳裏に蘇った。

 何が起こっているのか、まるでわからない。

 

 呆然と立ちすくむ。

 その恐ろしい瞬間が、永遠に続くような気がした。

 

 

 新品だった鈍色の機体が、無残に崩れていく。

 先刻までの無邪気な笑顔が、色を失っていく。

 

 

 

『あ、あ、ああぁーッ!!!』

 

 

 サアード伍長の、信じられないという悲鳴が聞こえ―――途絶える。

 戦場に上がった紅い花火が、私の網膜を焦がす。

 

 

 

「い、いやあああああッ―――!!!」

 

 

 

 ウィンドウには『SIGNAL LOST』の文字が無常に浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ふせて下さい! アリサ中尉!!』

 

 突然、見慣れない顔が私の目の前に現れた。

 

「え・・・あ?」

 

 咄嗟のことで反応できず、しかしようやく追いついたソラシッチ機が私を引きずり倒す。

 

 瞬間―――

 

 

   ズガガガガガガガガガガガガガッ!!!

 

 

 怒涛の火砲が、頭上を通過した。

 立ち込める炎と煙を蹂躙し、中空のミサイルを撃墜、その源たるバッタをも撃滅する。

 その時になってようやく、援軍が来たのだと思い至った。

 

 

『ご無事ですかっ!?』

 

 失いかけていた焦点を、目の前に浮かび上がったウィンドウに合わせる。

 見慣れない顔・・・しかし、どこかで見たことのあるような気もする顔。

 ぼんやりとしていた思考が、一人の名前をはじき出す。

 

「あ・・・ミカズチ、中尉?」

 

 頷く。

 ああ、思い出した。

 

 彼はミカズチ・カザマ中尉。

 何度か共同戦線を張ったこともある、優秀な戦車兵だ。

 

『先輩! 急いでください!

 敵の数が多すぎて、これ以上は持ち堪えられません!!』

 

 さらに新たなウィンドウが開かれ、こちらは見覚えの無い女性が映っていた。

 個性的に編み上げた髪が目を引いたが、少しばかり垂れた目尻が気の弱さを表している。

 

 外部モニターは2機の新たな機動兵器の出現を知らせていた。

 機体に搭載されたコンピュータが自動的に対象を既存データより検索。

 明日香インダストリー製準人型機動兵器『ラークスパー』

 今回の任務の救護対象部隊の主装備(メイン・ウェポン)だったはずだ。

 

『くっ・・・20ミリ重機関銃(ガトリング)は弾切れか!

 アリサ中尉! 後退してください!』

 

『すいません! 180ミリ、発射します!』

 

 

   ドゴォォオオオオン!!

 

 

 轟音が響き渡り、放たれた弾丸が集結しつつあった無人兵器たちを吹き飛ばす。

 しかし、それも焼け石に水を掛けたに過ぎなかった。

 次々と新たなバッタが現れ、私達を包囲すべく行動を開始する。

 

 危機的な状況だった。

 一刻も早くこの場を離脱しなければならなかった。

 しかし・・・

 

「いけない・・・サアード伍長が!」

 

 通信は途絶えた。

 しかし、まだはっきりと確認したわけじゃない。

 この場を離脱すると言うことは、まだ生存しているかもしれない彼を見殺しにするということだ。

 

 それだけは・・・絶対に出来ない。

 絶対に、許されない。

 

 

『何をしているんです!

 死にたいんですか!!』

 

「まだ私の部下がいるんです!

 見殺しにはできません!!」

 

『・・・そんな! あの爆発が見えなかったんですか!?』

 

 ラビオと呼ばれた女性隊員が、目を見開く。

 だが、私だって何の根拠も無くそう言った訳ではない。

 エステバリスは、アサルト・ピット方式をとった機動兵器だ。

 たとえ機体が失われても、コクピットが無事ならば充分生存は可能なのだ。

 

「貴方達は退がってください!

 後方に、救助部隊が来ているはずです!」

 

 彼らが何故ここにいるのかは分からないが、本来ならば既に救助されていなければならないはずだ。

 こんなところで危険に身をおく必要は無いはずだった。

 

 サアード伍長は私が助ける。

 彼は、私の油断と判断ミスのために危険を冒さねばならなかったのだから。

 このまま彼が助からなければ、それは私が、まるで私こそが・・・

 

 だから、私の手で助けなければならなかった。

 

 

『・・・僕が行きます。

 ラビオ少尉! アリサ中尉を後方へ!』

 

『ちょ・・・! 先輩っ!?』

 

「必要ありません! 私が行かなければいけないんです!」

 

 否定しなければならなかった。

 さっき頭を過ぎった考えを、否定しなければならなかった。

 しかし・・・

 

『今の中尉に何ができるんです!!』

 

「・・・・・・っ!」

 

 それが現実だった。

 いまの私は、自力飛行すらもままならない。

 

『離脱、します・・・隊長!』

 

 搾り出したような苦渋の声。

 それがソラシッチ軍曹のものだと認識して、私は驚愕した。

 

 見捨てると言うのか。

 ともに戦い、ともに生きてきた仲間を、見捨てると言うのか。

 信じられない。

 

「み、見損ないました、軍曹! 貴方って人は・・・!」

 

 軍曹だけは、私と同じ気持ちでいてくれると思っていたのに。

 裏切られたような気がした。

 

『そうだ! 見殺しにすることなんてない!

 僕が行きます!』

 

『先輩! 先輩が行くというのなら私も・・・!』

 

 ラークスパーの2人が私に続く。

 もちろん、たったこれだけの戦力では勝算などない。

 けれど、何もしないよりは絶対に・・・

 

 

『離脱するっ!』

 

「軍曹! お願い待って!!」

 

 有無を言わさず、ソラシッチ機が私の機体を抱き上げる。

 

『そこのガ○タンクもどきもだ!

 さっさとここから離れてくれ!』

 

『ガン○ンクって言うなぁ!!』

 

『ガンタ○クを馬鹿にするつもりか!!』

 

 反応はそれぞれだった。

 

 戦場が、急速に遠のいていく。

 サアード伍長の通信が途絶したポイントと、反対方向へ向かっていく。

 ラークスパー2機も、最大速力で後退しているようだった。

 

「戻って! 戻りなさい軍曹!

 サアード伍長はまだ生きています!!」

 

 暴れた。

 もし落ちたら、推進器が故障している私にとっては非常に危険だったが、そんな考えも浮かばなかった。

 

「見捨てられない! できない!

 このままじゃ・・・このままじゃあっ!!」

 

 目蓋から、涙が溢れてくる。

 仲間を失うことは初めてではない。

 だがそれがどうした。

 失うことに、慣れることなど無い。慣れたくも無い。

 彼を見捨てることは出来ない。

 だって、それをしたら私は・・・私が・・・

 

「お願い! お願いします軍曹!

 戻って!! ソラシッチ軍曹ォっ!!」

 

『シオリが来るんだっ!!』

 

 

   ゴウゥッ!!

 

 

 軍曹が叫んだ瞬間、ものすごい速度で紅い何かが私達とすれ違った。

 

 真紅のエステバリス。

 影護、枝織。

 

 

 ピッ!

 

 

「枝織、ちゃん・・・」

 

 現れたウィンドウ。

 何時に無く、真剣な表情の紅の少女。

 

『すまんシオリ・・・アイツを、頼む』

 

 頷いた。

 下唇を噛み、ぎゅっと眉を引き結んで―――それは今にも泣き出しそうな幼子のようにも見えた。

 真紅の少女は頷いた。

 

『・・・大丈夫だから』

 

 一言―――微笑みとともにその一言を発し、消える。

 理解した。

 私はようやく理解した。

 

 彼女が行くというのなら、確かにそれ以上の適任はそれこそアキトさんくらいしかいないだろう。

 彼女に救えないのなら、他の誰にも救うことなど出来ないのだろう。

 私など、足元にも及ばないほどの実力者なのだ。あの少女は。

 

 けれど・・・

 

 

「・・・違う」

 

 いけない。

 このままではいけない。

 

「私が・・・行かなければ・・・!」

 

 否定しなければならないのだ。

 私の手で。姿を現し始めた現実を。

 私は、否定したいのだ。

 

「私・・・私、が・・・!!」

 

 全てアキトさんのせいだと思っていた。

 

 突然訪れた不幸。

 望まぬ任務。

 踏みにじられたプライド。

 巻き込まれた家族。

 母の失踪。

 

 全て、あの『漆黒の戦鬼』が招いたことだと、思っていたかった。

 それはどうしようもなく甘美で、抗うことの出来ない誘惑で。

 私は、ただただ全ての災厄の原因をアキトさんに求めていた。強要していた。

 

 けれど、違った。

 

 

「私、だったんだ・・・」

 

 認めたくない。

 信じられない。

 でも、私は気付いてしまった。

 

「私が・・・! 私が・・・っ!!」

 

 戦争を侮っていた私。

 軍人というものに自分勝手な幻想を押し付けてきた私。

 何より、自分を過信し己惚れていた醜い私・・・

 

 私の独善が、一人の何の罪も無い少年を生贄にした。

 

 私の理想を乱すもの。

 勝手に厳然たるを信じていた平和を脅かすもの。

 絶対的な悪を、私は『漆黒の戦鬼』テンカワ アキトに求めていたのだ。

 

 

「なんて、醜い・・・!」

 

 涙が止め処なく流れ落ちていく。

 死にたい、と思った。

 

 

 

 

「私が・・・疫病神だったんだ・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛び込む。

 そして切り刻む。

 もはや遊びは無い。

 手加減も、油断も、それまで力を抑えてきた全ての要因は、完全に消えた。

 

 全力で叩き潰す!

 

 

 激しくなっていく機動のなか、私は一言も音を発していなかった。

 表情も、消えうせる。

 もっとも効率よく敵を壊せる、殺せる道筋をひたすらに奔る。

 容赦など、するつもりは無かった。

 

「許せない・・・」

 

 戦闘に突入して、初めて私は呟いた。

 脳裏に、さっき見たアリサちゃんの泣き顔が蘇る。

 

 あの顔を見た時、私の胸は絞めつけられるように痛くなった。

 それは耐えがたい苦痛だった。

 こいつらが生み出したんだ。

 こいつらが、この痛みの原因なんだ。

 

 許せなかった。

 

 

「お前達が・・・悲しいことばかりを生み出すから!!」

 

 心を持たない無人兵器たちの間に動揺が走る。

 一斉に背を向け、飛び去ろうとする。

 もちろん逃がす気などない。

 

 ・・・皆殺しにしてやる。

 

 私は、はじめて自ら殺意を放っていた。

 こいつらを許しちゃいけないと、私の中の何かが訴える。

 逃げ惑うバッタたちを、背中から撃ち、刻み、踏み潰す。

 

 その時圧倒的な存在感を放つ一条の閃光が、頭上の空を切り裂き疾った。

 青い閃光。

 それは蒼銀の尾を引きながら遥か後方に陣取っていた跳躍門を貫き、それを崩壊させた。

 

「昂気の弾丸(たま)・・・アー君?」

 

 見たことの無い攻撃方法。

 機動兵器戦における昂気の使用をアー君は完成させていたが、ここまでの威力を発揮するにはDFSなどの媒介が必要だった。

 おそらくは跳躍石、チューリップクリスタルを媒介に使ったんだろう。

 

 次元跳躍門を失ったバッタたちは、即座に撤退を開始した。

 私も、今度は追おうとは思わない。

 アー君の放った昂気が、私の中に芽生えた狂気をも一掃したのかもしれない。

 

 センサーが瓦礫の中から機体反応を感知したのはその時だった。

 

 

 

 瓦礫を掘り起こす。

 現れたのはぼろぼろになったアサルト・ピット。

 しかし、辛うじて原型を留めたその姿に私は安堵のため息をつく。

 

「運が、良かったんだね・・・」

 

 抉じ開けたコクピットに横たわるサアード君は、間違いなく生きていた。

 本当に運が良かった。

 絶望的な状況で、運だけが味方をしてくれていた。

 

 体を、一気に脱力感が襲う。

 

「・・・っはぁ〜〜〜!」

 

 大きく息を吐く。

 前髪が、冷や汗でべったりとおでこに張り付いていたことに始めて気が付いた。

 そうだ・・・私は、怖かったんだ。

 

 もし、助けられなかったらどうしよう。

 もし、既に死んでしまっていたらどうしよう。

 

 ずっとそんなことを考え、その焦りが殺意という形を成して爆発していた。

 それほどまでに命とは重いものなのだと、私ははじめて実感を得ることが出来た。

 

 これが生きると言うこと。

 これが死ぬと言うこと。

 

 途端に、自分と言う存在がとても怖いもののように思えてくる。

 

 

 私は、今までどれだけの生命を摘み取ってきたんだろう。

 何も知らず、知らされず。

 ただ命ぜられるがままに、何という大罪を犯してきたんだろう。

 

 悲しいことばかりを生み出す。

 さっきは思わず口を付いて出たが、それは私のことじゃなかったか。

 アリサちゃんのような人を、私はどれだけ生み落としてきたんだろう。

 

 

「これが・・・殺すと言うこと・・・っ」

 

 口に出してみると、思わず体が震えた。

 今さらになって殺人の恐怖を思い、両手で自らを抱きしめる。

 二の腕に鳥肌が立っていた。

 

 こわい・・・

 こわいよ、アー君・・・

 

 

「私・・・もう、だれも殺したくない・・・」

 

 いつの間にか、涙がこぼれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いったい・・・何が起こったの?」

 

 作戦が終わり、帰還したテンカワ君に私は詰め寄った。

 戦局を決めた最後の一撃。

 黒いエステから放たれた蒼銀の閃光。

 発射から命中、チューリップ撃墜に至るまで、全てが冗談のような出来事だった。

 

「高密度のディストーションフィールドによる空間歪曲。

 それによる攻撃。

 今回はC.C.を媒介にしたけど・・・DFSがあればもっと簡単に出来る。

 まあ、銃身の方がもたなかったみたいだが」

 

 見上げるテンカワ君の視線の先には、銃口が破裂したスナイパーライフルがあった。

 あの蒼い弾丸を発射したと同時に、暴発したのだ。

 お陰でエステの方もほとんど使い物にならなくなってしまった。

 

「滅茶苦茶ね・・・どうやったらあんなことが出来るのかしら?」

 

「うーん、こればかりは感覚的な問題だからなぁ・・・

 ごめん。上手く説明できないよ」

 

 ぽりぽりと頭をかく。

 どうも彼には、自分が大それたことをやってのけたと言う自覚が薄いようだ。

 

「ところで・・・アリサちゃんは?」

 

「・・・部屋に戻ったわ。

 そーとー疲れてるみたいだったし・・・ちょっと、ね」

 

 今のアリサはどこか危うい。

 自分のミスが、サアード伍長を危険に曝したと言うことを、ひどく憂いている。

 サアード伍長が無事だったと言う連絡は、アリサにも届いているはずだ。

 あの娘は根が真面目だから、変に思いつめなければいいけど・・・

 

「そうか・・・。

 救助した部隊の人達は、いま?」

 

「怪我人はみんな病院行きよ。

 ラークスパーで暴れまわってくれた2人組は、いまシュン隊長のとこ。

 さっきまではそこらでアリサに会わせろ、直に礼を言わせてくれって騒いでたけど」

 

 宥めすかすのに一苦労だったわ、と一人ごちる。

 テンカワ君の視線が私の右手のスパナに集中しているような気がして、何気なく後ろ手に持ち替えた。

 ぴちゃり、と生温かい液体が手に付着し、眉を顰める。

 

「ごめんレイナちゃん。

 エステのほう、よろしく頼む」

 

「あら? どっか行くの?」

 

「ああ・・・ちょっと、枝織ちゃんのとこに」

 

 そういえば彼女の様子もおかしかった。

 

「あ、そうだテンカワ・・・君?」

 

 伝えることがあったので振り返ると、既にテンカワ君の姿は無い。

 まったく忙しないことね。

 作戦の直後だって言うのに。

 

「ま、いっか。

 知らないほうが面白いかもしれないしね〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦が終わって、私はそのまま自室に飛び込んだ。

 まるでみんなとの接触を避けるように、一目散にここまで戻ってきた。

 

 ・・・いまは、誰とも会いたくなかったのだ。

 これ以上、誰かを不幸にしてしまうことには耐えられそうになかった。

 

 

 熱いシャワーを頭から浴び、髪も乾かさずにベッドに潜り込む。

 外界から遮断されることに安心感を抱いた。

 

 

  コンコン!

 

 

 部屋のドアが2回、礼儀正しくノックされた。

 誰が来たのだろう?

 思い当たる人物を2,3挙げてみたが、どれもこんな静かなノックをするような人物ではない。

 

 結局、他人との接触を避けたい思いが、無視する、という行動に結びついた。

 

 

  コンコン!

 

 

 再び、扉が叩かれる。

 もう一度無視した。

 誰だか知らないが、諦めるまで無視し続けよう。

 そう思った。

 しかし・・・

 

 

    ・・・カチャ、カチャ!

 

 

「っな! ちょっと・・・」

 

 

  ガチャ!

 

 

 ドアが開く。

 私も、反射的に身を起こした。

 

 開かれたドアの向こうに立っていたのは、針金を手にした長身のメイド。

 その場違いな姿に、思わず口をあんぐりと開ける。

 

 一歩、そのメイドが部屋に踏み込み、そして優雅に一礼した。

 

 

「申し訳ありません、アリサお嬢様。

 オオサキ様が合鍵をお持ちでないとのことでしたので、こちらで開錠させて頂きました。

 まさかご在室だったとは知らずにとんだ失礼を」

 

 綺麗な人だと思った。

 見た目は私と同い年か少し上。19歳くらいだろうか。

 緑がかった黒髪が肩のあたりで軽く外にはねている。

 女性の割りに背が高く、170センチはあるんじゃないかと感じた。

 瞳の色は・・・不思議なことに、今まで見たことも無いような金色だった。

 

 しかし彼女は誰なんだろう?

 そんな当然の疑問を私が発するよりも早く、その声は聞こえてきた。

 

 

「あ、開きました?

 ヤシオさん、変な特技をお持ちなんですねぇ」

 

 聞きなれた、この世に生まれるよりも以前から聞いていたような懐かしい声。

 間違えようはずも無かった。

 大きな荷物を一生懸命に運びながら、その綺麗な金の髪を揺らして歩み寄ってくる。

 

 その、姿・・・

 

 

「ね、姉さん・・・!」

 

 

 どういうことだろう。

 姉さんは、サラ姉さんはお父様と一緒にお爺様の屋敷へ行ったはずなのに。

 

 なんで、こんなところにいるの?

 

 

 訳が分からないと言った風の私に、姉さんは悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべる。

 抱えていたスーツケースを傍らに置いた。

 まっすぐ私を見つめる。

 笑顔がさらに強くなる。

 

 そして・・・私に向かって敬礼をした。

 

 

「サラ=ファー=ハーテッド。本日より『Moon Night』に着任します。

 職域は通信士(オペレーター)。よろしくね♪」

 

 

 訳が、分からなかった。

 

 

 


 

 あとがき

 

 すみません。

 ほんとすみません。

 またまただいぶ時間掛かってしまいました。

 作中に出てきたラビオの謝り癖は、緑麗の皆様に対する気持ちの表れでございます(嘘)

 

 さて、ようやくこの『紅の戦神外伝』も、話が動き始めてきました。

 どこどこ深みに嵌まっていくアリサ。

 謎のメイド、ヤシオを伴ってなんの脈絡も無く現れたサラ。

 命の重さを、本当に心から思い知った枝織。

 相変わらず存在感の無い主人公(笑)

 

 次回から、やっと、やっと話が展開していきます。

 アリサファンの方々、いじめすぎてゴメンナサイ。

 もうすぐ、もうすぐですんで(何がだろう)

 

 ではまた次回。

 

 

 

代理人の感想

・・・・・サラまで来るとは思わなかったなぁ。

そのうち、そのままナデシコになだれ込んだりするんでせうかw

 

 

>アリサファンの方々〜

え、そんな人い(バキューンッ!)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

そ、それはともかくとして。

ファンでなくても期待ですよ期待!

何せ丸二年もの間、ストレスを溜めつづけてきたんですからね、読者は!

ここで挽回しないようじゃ作者がすたるってもんですよ!

 

まぁ、人のことは全く言えないのですが(ううっ)、

なるたけ早く逆襲のアリサを見たいなとありおりはべりいまそかり。

アキトと枝織のダブルライダーキックを食らって

「クリムゾンばんざーいっ!」と叫んでから爆発するエマージィでもいいですが(爆)。