紅の戦神外伝

 

「Rouge et Noir」

 

 

第五話

 

 

 

 

 

「今日からこの基地で、通信士(オペレーター)として任務につきますサラ=ファー=ハーテッドです!

 皆さん、どうぞよろしくお願いしま〜す♪」

 

 満面の笑みを浮かべ、愛想を出し惜しみ無く振りまく見知った顔に、私は眩暈すら感じた。

 姉さんがお爺様のコネでもって、この駐屯地に強引に入隊してきたのだ。

 

 ・・・なぜ、こんなことになってしまったんだろう。

 

 

 

 

「おい知ってたか! あの娘、アリサ中尉の!」

 

「姉さんだってんだろ! はっ! 情報が遅いぜ!!」

 

「そんなことよりアレ! あの娘だろ!

 いまどき生粋のメイドなんて天然記念ものだぞ!」

 

「活発なサラちゃん! 姉御肌なレイナちゃん!

 凛々しさ際立つアリサちゃんに、クールビューティヤシオさん!!

 ああ! 俺は! 俺はいったいどうすればあああっ!!?」

 

「「「いやどうにもならんと思うが」」」

 

 

 

 ふ、不安が鎮まらない・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、2人とも達者でな」

 

「は! オオサキ少佐!

 いろいろと、ありがとうございました!」

 

 俺の目の前で、2人の年若い士官が完璧な敬礼をしてみせる。

 

 ミカズチ・カザマ中尉。

 ラビオ・パトレッタ少尉。

 

 先日の作戦の際、俺たち『Moon Night』が救出した部隊の隊長と副隊長だ。

 敵勢力下にて有力な敵戦力に包囲されつつも、己が判断において反戦体勢を整備。

 先の作戦においては窮地に陥ったアリサ中尉の離脱を援護するなど、目覚しい働きを見せてくれた。

 まだ若い。聞けば20代の中盤程でしかない青年だったが、その気骨は相当のものらしい。

 

「あの・・・すみません。

 テンカワ アキト・・・さん、ってどちらに居られるのでしょうか。

 お別れする前に、ぜひ直接助けてくださったお礼を申し上げたいのですが」

 

 そう言い出したのはラビオ少尉だ。

 口上に筋道は通っているが、その目には隠せないほどの好奇心が浮かんでいる。

 若いな、と思う。

 しかし、その青臭さが好ましくもあった。

 

「アキトなら食堂だ。

 ああ、そうだな。どうせなら何か食っていくといい。

 うちのコックは・・・優秀だからな」

 

「は・・・はぁ・・・」

 

 含みのある言い方に戸惑いを見せるラビオ少尉。

 なに、嘘は言っていないからな。

 食堂に行ってからの2人の驚く顔を想像すると、自然と笑みが沸き起こってくる。

 

「では! 失礼します!」

 

 最後にもう一度、びしっと敬礼を決めラビオ少尉は退室した。

 ミカズチ中尉もそれに続き、仮設の隊長室には俺一人になる。

 

 舞い降りた沈黙は、随分久しぶりのもののような気がした。

 

「ああ、そういやカズシはサアードのとこか・・・

 待機任務以外のパイロット連中もついてったし、他は食堂、だろうな。

 まあ、たまには一人でのんびりするのも悪くないか」

 

 作戦の終了から、そろそろ一週間。

 隊員たちも、それぞれの生活に戻りつつある。

 

 俺は引き出しから、伏せてあった写真立てを取り出す。

 その下に、随分前にやめた煙草が入っていて、思わず口にくわえた。

 ・・・火が無かったな、そういや。

 そう思い至り、くわえただけの煙草をひょこひょこと動かす。

 

 改めて、手元の写真に視線を戻し、その表面をそっと撫でた。

 

 

 

「すまんな・・・

 まだまだ、そっちに行くわけにはいかんらしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この先に、あの人がいる。

 

 私たち、西欧で戦う者たちにとっての生きた伝説。

 エステバリス単独でチューリップを落とす化け物(モンスター)

 いままで、人伝にしか聞いたことのなかった最強のエステバリス乗り。

 

 『漆黒の戦鬼』テンカワ アキトがここにいる。

 

 極東方面軍ナデシコ部隊所属のエースパイロット。

 西欧方面軍独立遊撃隊『Moon Night』の最重要人物。

 

 そして・・・私たちをその圧倒的な戦闘力で守ってくれた人・・・

 

 いったいどんな人物なんだろう?

 どんな人間が、あんな無茶苦茶な戦闘力を身につけているんだろう。

 

 ずっとずっと、その名を聞いた夜から私を悩ませてきた英雄の謎・・・

 この部隊に駐在させてもらってから約一週間ほども経過したが、色々と処理しなくてはならない問題があって結局会えずにいた。

 そしてやっと、やっとの思いで機会が巡ってきたのだ。

 

 さあ、いまこそその実体を解き明かすとき!

 

 

「い、行きますよ先輩! 覚悟はいいですか!」

 

「・・・君、もしかしてすごく失礼なことをしようとしてないか?」

 

 ため息をつく先輩。

 私はそのやる気の無さに少し腹が立った。

 

 折角のチャンスなのに。

 謎に包まれた『漆黒の戦鬼』の正体を暴く、絶好の機会なのに。

 あわよくば捕獲して記念撮影して、入院中のみんなに自慢してやろうとか思ってるのに。

 

「カメラはまだいいとして・・・

 とりあえずその金属バットロープは置いて行ってくれ、頼むから」

 

 ・・・真実を求める行動には、いつも邪魔が付き纏うんですね。

 まさかこんな身近にジャーナリズムの敵が潜んでいようとは思いもしなかったわ。

 

 くっ・・・先輩、貴方のことは尊敬してますけどそれとこれとは話が別です!

 そう、真実の敵は私の敵!

 邪魔立てすると言うのならたとえ先輩と言えど・・・!

 

 バットを持つ手に力を込める。

 怪しく光る私の視線に、何かを感じたのか先輩は一歩後退さり・・・

 

 

「・・・お姉ちゃん達、何してるの?」

 

「・・・なんでこんなところにこんな娘が?」

 

 先輩の後ろに、見知らぬ女の子が立っていた。

 

 

 ・・・基地に非常警報が鳴り響いたのはその時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この地に来て、私はだいぶ成長したと思う。

 身体的なことではなく、精神的に。随分といろいろな事を学んだ。

 

 かつてあの戦争が終わってから、舞歌お姉さんや零夜ちゃん達は本当に様々な事を私に教えてくれた。

 

 命の重さ。殺人の禁忌。死別の悲劇。

 私が、それまで想像すらしなかったようなことばかり。

 

 私は、分かったつもりになっていた。

 みんなに言われたとおりに、もう誰も殺さないようにしようと決めていた。

 けれど、本当はちっともわかっていなかったんだと思う。

 

 誰かを殺せば、誰かが悲しむ。

 私は、私の周りにいるみんなが悲しそうな顔をするのがたまらなく嫌だった。

 みんなが悲しむのが嫌だから・・・殺しはもうやらない。

 そう決めていた。

 でもこの間、私は・・・本当に心の底から人を殺したくないと、はじめて思ったのだ。

 

 誰かが、じゃない。

 誰かが悲しむから殺さない、というのは本当の理由じゃない。

 

 人を殺すと言うことは、本当はとても怖いことなんだ。

 

 だから、人を殺そうとする人には覚悟がある。

 その恐怖を背負い、奪った命と同じ重さの枷を背負う覚悟がある。

 

 私には、そんな覚悟など無い。

 だから私には、もう人は殺せない。

 殺したく、ない。

 

 

 そう心に決めた。

 

 

 

「私・・・もう、殺さない」

 

 食堂で、ぽそっと呟く。

 自分への確認。

 口に出してみると、自然と頬が緩んだ。

 

 殺さなくていいと言う事実は、私にとっては何よりの救いだった。

 今までは考えたことも無かったが・・・すごく、安心感があるのだ。

 

 

 とん、と目の前に綺麗なデザートが置かれた。

 

「アー君?」

 

「パフェ、っていう地球のデザート。

 材料があったから・・・よかったらどうぞ」

 

「うん! ありがとう!」

 

 アー君は、何も言わない。

 何も聞こうとしない。

 でも、それが私には嬉しかった。

 

 アー君は分かってくれている。

 何も聞かなくても、アー君ならきっと私のことを分かってくれているんだ。

 

 頭を撫でて、褒めてくれる。

 抱き寄せて、囁いてくれる。

 

 この地に来て、様々なことを学んで。

 私はまた一つ、大切なものを手に入れることが出来た。

 その実感を与えてくれる。

 

 それだけのことが・・・

 

 

「・・・すごく、美味しいよ」

 

 

 私を幸せにしてくれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おう、久しぶり。

 テニシアン島では世話に・・・っと、邪魔したかな?」

 

 隊員用の仮設食堂に足を踏み入れた俺は、目当ての人物を見つけたことに内心ほくそえんでいた。

 『漆黒の戦鬼』テンカワ アキト。

 どうやらお取り込み中のようだったが、俺としても絶好の機会を逃すつもりは無かった。

 

「お前は・・・」

 

「おっ、どうやら覚えててくれたみたいだな。

 いや〜、光栄だね。漆黒の戦鬼に顔を覚えられるなんて」

 

 どこにでもいそうな風貌。

 しかし、その実力はこの身に染みて思い知っている。

 テニシアン島で相対した時は手も足も出なかったのだ。

 

「ヤガミ ナオだ。よろしく頼む。

 一応・・・まあ、就任の挨拶でも、ってね」

 

 右手を差し出す。

 テンカワ アキトは、イスから立ち上がると俺の真向かいに立ち、握手に応じた。

 

「テンカワ アキトだ。

 ・・・就任? クリムゾンはクビになったのか?」

 

 問うてくる声はとても楽しそうだった。

 

「あのな、誰のせいでお役御免になったと・・・まあ、いい。

 いまはお仲間だからな。

 あ、そっちの彼女もよろしく頼むわ」

 

「うん! よろしくね、ナオさん!」

 

「お! いいね〜、その反応!」

 

 この娘は確か、影護枝織という名前だったと記憶している。

 ・・・名前以外、ほとんどの情報が謎。

 特記事項に、テンカワ アキトに比類する白兵戦能力と書かれていたはず。

 

 ・・・どう見てもそうは見えないが。

 

「で? なぜこの部隊に?

 クリムゾンをやめて軍にでも入隊したのか?」

 

「ああ、違う違う。俺は軍人じゃない。

 これでも・・・軍人嫌いでね。

 といっても、他に俺の特技を活かせる職業といったら・・・ボディガードくらいのもんだろう?」

 

 肩を竦めて見せる。

 俺はグラシス中将の命に従い、サラちゃんの護衛としてこの部隊までやってきた。

 なぜ、サラちゃんがいきなり軍に入隊する気になったのか。

 なぜ、グラシス中将はそれを簡単に許したのか。

 一介の護衛でしかない俺には知る由も無かったが。

 

「まあ、ナオさんの取り柄といったらそれくらいでしょうね」

 

「・・・おいおい。初対面の相手に対してすいぶんだな」

 

 このやろう。

 全く悪びれないその様子に、脱力を感じた。

 

 しかし、すぐに気を引き締めなおす。

 

「初対面ってわけじゃないでしょうに・・・

 ところで、ナオさんの本当の目的を聞いてもいいですか?」

 

「・・・!」

 

 笑顔のまま、しかし目だけは真剣で。

 その問いに俺はぴくりと反応してしまった。

 誤魔化しに、右の人差し指でサングラスを直す。

 

 じわりと、冷や汗をかいていた。

 

「え〜と・・・何のことだ?」

 

「隠してるつもりでしょうけど・・・

 ばればれですよ。闘気が」

 

 おいおい、ここまで化け物かよ・・・

 となりの枝織ちゃんは素知らぬ表情で、山盛りの生クリームを口に運んでいる。

 

 ・・・先刻承知、というわけだ。

 やはりこの娘も普通じゃないらしい。

 

 しかしばれているのなら・・・いま、ここで仕掛けるべきか?

 

 

「―――ヤガミ様」

 

 聞きなれたよく徹る声が響き渡ったのはその時だった。

 

 

  ガタン!

 

 

 椅子を蹴飛ばすほどの勢いで立ち上がったのは枝織ちゃんだ。

 表情が・・・真剣なものに変わっている。

 その目はびっくりしたように丸くなりつつ、新たに現れた人物に向けられていた。

 

「ああ、お前か。

 ・・・いつからそこにいたんだ?」

 

「ヤガミ様が、テンカワ様に因縁を吹っ掛けようとなさった頃からです」

 

「はじめから・・・声くらい掛けろよ」

 

「申し訳ありません。

 それはヤガミ様の本意ではないと判断しましたので」

 

 全くの無表情。

 こいつ絶対悪いとか思ってないぞ。

 

 半眼で睨む。

 眉をフラットにした無表情の中、金色のように見える瞳が俺を見返す。

 ・・・こうして視線を合わせる時、いつも俺は、もっと奥まで(・・・・・・)覗き込まれているような気がして落ち着かない。

 

 肩の辺りで軽くはねた、緑がかった黒髪。

 黒のワンピースに白のフリルエプロンといった侍女姿。

 いまどき、そんじょそこらじゃお目に掛かれない、純正のメイドだ。

 これでもうちょっと表情にバリエーションがあったとしたら、かなり魅力的だとは思う。

 

「ナオさん・・・彼女は?」

 

「ん? ああ、ついでに紹介しておこう。

 こいつはヤシオ・シュンリン。

 ハーテッド家の専属メイドで・・・まあ、サラちゃんの世話係、か?」

 

「―――肯定です」

 

 一礼する。

 俺に対して・・・ではなく、アキトと枝織ちゃんに対してだ。

 ただし、愛想なんてものとはおよそ無関係な声音で。

 

「見ての通り・・・つまらんやつだ。

 だがまあ、能力のほうは一級品でね。

 とりあえず、ともどもによろしく頼むよ」

 

 そう言って、神妙な顔をしているアキトに笑いかける。

 だがその表情の強張りを解くことは出来なかった。

 驚いているんだろう。ヤシオの存在に気付かなかったことに。

 

「はじめから・・・? 枝織ちゃん?」

 

 振り返る―――枝織ちゃんはアキトの背に隠れていた。

 赤い髪の少女はそれに対し、ふるふると首を振る。

 

「はは、驚いただろ。

 というか・・・かの漆黒の戦鬼にも気取られないとはむしろ結構すごいのか、こいつ」

 

 改めて、少しその非常識さに感心する。

 

「まあ・・・落ち込むことは無いさ。

 何しろ見ての通りの根暗でね。

 影が薄い、っつーかそもそも存在感が無いんだ、この女は」

 

「・・・大きなお世話、と判断します」

 

 反論は黙殺した。

 

「しかも別段、殺気の類を放っている訳でもなし。

 センサーから外れちまうんだろうよ。

 こんなやつ気にするだけムダムダ」

 

 現に、集中していればその気配を見失うことは無い。

 ただ、気を抜くと近くにいるので驚かされる、というぐらいだ。

 

 ヤシオは本当に純正のメイドで、その働きぶりは徹底している。

 俺やアキトのように、裏の世界で生きる者達が身に着けている気配を消す方法―――

 気殺とはまったく異なった観念で、自らの存在をひっそりとした影のごときものに置き換えているらしい。

 確かに気配はあっても、それを認識することが出来ない。

 それが、一番的を射た表現だろうと思う。

 

 

「で、わざわざ声を掛けたからには俺に何か用があるんだろう?」

 

「いえ。

 ヤガミ様から不穏な気配を感知しましたので、お止めに」

 

「お前・・・俺をチンピラかなにかと勘違いしてるんじゃないか?」

 

「肯定です。

 統計から、ヤガミ様の行状は主にヤクザ・チンピラと呼ばれる職業の方々と似通っているものと判断します」

 

「ほほう。主人の雇った護衛をチンピラ呼ばわりか。

 ヤシオ、お前は本当に素晴らしいメイドだな。

 ・・・で、ご意見ご感想はどこに送ればいい?」

 

「はい、ピースランド諸国同盟メイド協会までお願いします。

 抽選で粗品を差し上げることが出来ます」

 

「・・・苦情のあて先は?」

 

「受け付けておりません」

 

 こんな感じで、顔を合わせるといつも言い合いになってしまう。

 別にいがみ合っている訳じゃないが・・・どうも気が合わないんだよな〜。

 ヤシオの方も、妙に俺に突っかかってくる節があるし・・・

 

 

「さて・・・悪いな。

 ほんとは手合わせでも頼もうかと思ってたんだが・・・気勢が削がれちまった」

 

 それが本当の目的だった。

 テニシアン島での一件以来、ずっと俺を悩ませてきた謎の男。

 その男が、突然目の前に現れたのだから。

 そしてそいつが『漆黒の戦鬼』として世を騒がしているテンカワ アキトだったことには、驚きを感じるとともに納得することが出来た。

 

 しかしそれでも、俺としてはアキトの強さに興味が尽き無い。

 アキトはこの若さで、既に俺を遥かに超える強さを持つ。

 俺は、いままで自分はそれなりに出来るヤツだと思っていたんだがな。

 まだまだ・・・上には上がいたというわけだ。

 あれから結構自分なりに腕は磨いてきたつもりだが・・・

 それがどこまでこいつに通用するか、確認してみたかった。

 

 ・・・もちろん、気勢を削がれたなんてのはまやかしに過ぎない。

 

 

「いや、こちらこそすいません。

 ちょっとびっくりしたもんで・・・」

 

 強張っていたアキトの肩から、ふっと気が抜けたのがはっきり見て取れた。

 普段なら有り得ないのかもしれないが・・・

 ヤシオの登場で張り詰めた緊張が、俺の言葉で氷解したんだろう。

 一瞬。わずかに一瞬に過ぎないが、アキトは完全に油断した。

 

「・・・ヤガミ様」

 

 俺にだけ聞こえる程度の声量で呟く、ヤシオの非難じみた声音。

 しかし、俺は敢えて聞こえなかった振りをする。

 

 俺は・・・ずっとこの瞬間を待っていたのだ!

 

 

「ヤガミ様―――」

 

「ほんと、悪いな―――っと!!」

 

 

  シュパアアァッ!!

 

 

 制止の声が発せられるより早く、俺は動いていた。

 

 懐から発光手榴弾を取り出し投擲。

 閃光が、食堂を包む。

 

 音と光。

 それが聴覚と視覚を撹乱する。

 例外があるとすれば、サングラスを掛けていた俺だけだ。

 

 顔の前に腕をかざし、目を瞑ったアキトの姿が見える。

 アキトの横にいたヤシオは、翻るメイド服が邪魔でその様子を伺うことは困難だった。

 もしかしたらもろに喰らってしまったのかもしれない。

 少し悪いことをしたな。

 

 もう一人・・・枝織ちゃんの姿を咄嗟に見つけることは出来なかった。

 予想外の事態に、少しだけ焦る。

 しかし、一瞬でそのことは意識から掃き出した。

 目の前の戦闘に集中しなくてはならない。

 

 俺は地面すれすれまでしゃがみ込み、テーブルをアキトに向かって弾き飛ばした。

 上空に投げられた閃光弾に気を取られていたアキトは、もろにテーブルを受ける。

 

 体勢が崩れ、隙が生まれた。

 俺は追い討ちをかける意味で、テーブル越しにアキトに肉薄し・・・

 

 

    バキャァッ!!!

 

 

「なっ! がぁっ!!」

 

 木製の丸いテーブル・・・

 その裏側から生えた一本の手が、勝利を確信していた俺の喉笛を握りつぶさん勢いで掴んだ。

 咄嗟のことに呼吸が詰まる。

 

 それは間違いようも無く・・・アキトの腕だった。

 

「ぐぅ・・・っ!!」

 

 力が、強まる。

 このまま落とすつもりか・・・!

 

 酸素を求めて喘ぐ肺を意識的に制御。

 反撃の機会を見逃さぬよう、集中を高めようとする。

 

 しかし、アキトはそのまま力を込めるのをやめ、静止した。

 と言っても、まだ俺の身動きを封じる程度の力は残している。

 俺は、自由になる両目を必死に動かした。

 状況を把握しなければならない。

 

 

 ・・・閃光は既に収まっていた。

 

 

 その中で、アキトは目を瞑っていた。

 確かに閃光弾はその効力を発揮したのだ。

 視覚・聴覚を断たれた状態で、しかもテーブルを突き破っての正確な攻撃。

 その実力に改めて冷や汗を感じつつ、俺はさらにその右に視線を移す。

 

 

 

 アキトのこめかみに・・・黒光りする拳銃が突きつけられていた。

 

 

 

「ヤシオ、お前・・・?」

 

 俺は呻くように言った。

 相棒の、想像もしていなかった行動に面食らう。

 

 

「手を・・・お放しください。テンカワ様」

 

 ヤシオ・シュンリンは冷たく言い放った。

 

 

「なるほど・・・よく訓練されている。

 ・・・要人護衛(エスコート)か?」

 

「肯定です。・・・発砲に躊躇いはありませんので」

 

 頭に銃を突きつけられて尚、アキトに動じた様子は無い。

 やはり無表情なヤシオからは、本気で引き金を引くつもりがあるのかを判別するのは困難だった。

 俺は冷たい汗をかく。

 

 ヤシオは銃を退かない。

 ぴたりと、まるで静止画像のように銃を構え、アキトと見つめ合う。

 

 

 いや、違う。

 ・・・ヤシオも、動けなかったのだ。

 

 

「・・・動くと、痛いからね」

 

 声は、ヤシオの向こう―――俺にとってはヤシオが陰になって見えない位置から聞こえてきた。

 ヤシオの顔はいまだに無表情ながら・・・額から、冷や汗が一滴だけ流れる。

 その喉元には銀色の食用ナイフが突き刺さり、その切っ先を食い込ませていた。

 不思議なことに血は一滴も流れない。

 

 影護枝織だった。

 

「アー君に何かするつもりなら・・・許さないから」

 

 さらに、切っ先がヤシオの首筋に埋まっていく。

 血は・・・やはり流れない。

 それが逆に、もともと色素の薄いヤシオの表情を蒼から白へと変化させた。

 

 

「ヤシオ、退け」

 

「枝織ちゃん・・・」

 

 

 俺とアキトの呼びかけは同時。

 そしてヤシオが銃を退くのと、枝織ちゃんがナイフを引き抜くのもまた同時だった。

 

 俺とアキトの、ほっとしたような溜息がこれまた同時について出る。

 

 

「・・・もう誰も殺さないんじゃなかったの?」

 

「死なないもん。あれくらいなら」

 

 苦笑いで、呆れた声を出すアキトに頬を膨らませる枝織ちゃん。

 ヤシオはというと、首筋に傷一つ残っていないのが不思議らしく、しきりに首をさすっていた。

 

「ヤガミ様、私は何をされたのでしょうか?」

 

「命拾いをしたんだ。俺のお陰だな。

 さあ感謝しろ崇め奉れ這いつくばって慈悲を請うのだうわははは!」

 

「・・・もともとの原因はヤガミ様にあると判断します」

 

 すっとさらに視線に篭った温度が下がったような気がした。

 ぞくりと背筋に鳥肌が立つ。

 

「そう怖い顔すんなよ・・・って、お前さっきの銃は?」

 

 ふと、気付く。

 ヤシオの両手は既に何も持っていない、素手の状態だった。

 さっきまでアキトの頭をポイントしていた、ヤシオの右手に収まっていた拳銃はどこに消えたのか。

 

 そういえば、そもそもこいつが銃を携行していたということに俺は気付かなかったわけで。

 ・・・う〜む、勘が鈍ってるのか?

 

「護身用とお考えください。

 黒ずくめの怪しい男性と常の行動を共にすることに、お嬢様と私の貞操の危機を判じましたので」

 

「しゃあしゃあと貴様・・・お兄さんは悲しいよ?」

 

「それが、グラシス様の御意思でありましたならば」

 

 あの偏屈ジジイ・・・

 

 ここにはいない雇い主に、思わず拳を握り締めた時・・・

 

 

 

 ビィーッ! ビィーッ! ビィーッ!

 

 

 突然の警報。

 食堂に設置された非常灯が、赤々とした光を撒き散らす。

 

 木星蜥蜴の襲撃だった。

 

 

「ふん!

 どうやら、のんびり挨拶してる場合じゃなくなったみたいだな!」

 

「残念ながら、そのようです。

 行こうか、枝織ちゃん!」

 

「うん!」

 

「では、私はサラお嬢様のもとへ。

 皆様のご健闘をお祈りしております」

 

 

 

 

 

 

 

 

 発令所へと向かう道すがら、私は今しがたの自分の行動を大いに後悔していた。

 折角ここまで潜入してきたと言うのに、それを全て無にしてしまいかねない行動。

 表の肩書きとして護衛侍女(メイド・エスコート)の資格は持っているものの、出来る限り怪しまれるような行動は避けなければならないはずだった。

 いざとなれば『ダスティーミラー』の使用に踏み切らざるを得ないが・・・

 不特定多数の人物に対しての能力の使用は、避けるに越したことは無い。

 

 それを・・・

 

「ヤガミ・ナオ・・・」

 

 あの男の存在だけが想定外(イレギュラー)だったのだ。

 だから失うわけにはいかなかった。

 その存在は私にとって、ある意味ではテンカワ アキトよりも大きな意味を持つ。

 

「―――A計画(アルファベット・プロジェクト)の生存者がこんなところにいるなんて・・・」

 

 信じられない・・・。

 しかしそれは、確かな『再会』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が発令所に入る頃には、既に戦闘が開始されていた。

 

「敵戦力はチューリップ2基! 無人兵器はおよそ600が展開中!」

 

 報告をしているのはサラちゃんだった。

 そういや彼女は、通信士としてこの部隊に配属されていたんだっけ。

 

 いや〜、あの娘にオペレートしてもらえるなんて羨ましい限りだ。

 

「よし! エステ隊は敵無人兵器の駆逐に努めろ!!

 アキト!! チューリップはお前持ちだ!!

 新しいDFSを壊すなよ!!」

 

 指示を下すのはシュン隊長。

 それをオペレーターたちが各隊員に通達し、部隊が動き始める。

 しかしその系統にアイツは組み込まれていないようだ。

 完全に独自の判断において行動しているのが、はっきりと分かる。

 

「いいのかね〜・・・軍隊だろ、ここ」

 

 あまりにも明白な独断先行に呆れ、思わず俺は呟いた。

 その声に、シュン隊長のそばにいたタカバ・カズシ副官が反応する。

 

「何だお前は! 発令所への入室を許可した覚えは無いぞ!!」

 

 う〜む、そういえば許可を得た覚えは無いな・・・

 

「いや〜すみませんね。

 アキトの戦闘ってのを生で見てみたくて・・・

 おっ! いいぞアキト! そこだっ、やっちまえ!!」

 

「・・・ヤガミ君。君の仕事はサラ君の護衛だったと思うんだが?」

 

 腕を組みながらシュン隊長が俺を振り返る。

 こりゃ追い出されるか・・・?

 

 

「オオサキ様。・・・構わないと判断します」

 

 憎らしいほど冷静で熱の無い声音は、シュン隊長の隣―――カズシ副官とは反対側から聞こえてきた。

 

 

「・・・そうか。では、いいだろう。

 ヤガミ君。君の入室を許可する。

 ただ、邪魔だけはしてくれるなよ?」

 

「そりゃモチロン! 有難うございます隊長!

 ・・・って、なんでお前がそこにいるんだよっ!!」

 

 俺は立っていたヤシオに詰め寄る。

 さも当然であるかのようにこの場にいるこいつだが、立場は俺と同じはずだぞ?

 

「グラシス様からの書類を提出いたしました。

 無論、正式な書類です。

 お嬢様と私の基地内においての行動は、全て私の裁量によるものとなっています」

 

「そういうのがあるならもっと早く言えっ!」

 

「申し訳ありません。

 ですがこの書類に、ヤガミ様の名前は明記されていません。

 明かりに透かそうが火で炙り出そうが、無駄であると判断します」

 

「試してみたのか!? 試してみたのかオイ!!

 もしかしたら出てくるかもしれないだろちくしょう!!」

 

「・・・それがヤガミ様のご要望でしたら、直ちに」

 

「・・・少し静かにしてくれんか、君たち」

 

 怒られた。

 いろいろ言いたいことはあったが、とりあえず黙って戦況に集中する。

 

「アリサ機! ソラシッチ機!

 敵部隊と接触! 戦闘に移ります!!」

 

「後続のエステバリス隊! 戦闘態勢に移行しました!

 フェルチ少尉より支援要請が入っています!!」

 

「空戦部隊を向かわせろ!! 展開中の地上部隊もだ!!

 ・・・カズシ! チューリップはどうなってる!!」

 

「もってあと数秒ですね。もちろん向こうが、ですが」

 

 

   ドゴオオオオオオオオンッ!!!!

 

 

 轟音が一つ、戦場の大気を揺るがした。

 カズシ副官の言葉通り、数秒を待たずしてまずは1基のチューリップが沈んだ。

 

「チューリップ撃破!! 無人兵器、統制乱れます!!」

 

 サラちゃんが間髪入れず報告する。

 

「あれがDFSか〜・・・とんでもねーな、おい」

 

「肯定します。

 ・・・素晴らしい、戦闘力です」

 

 チューリップを刻んだ白い刃―――DFS。

 漆黒の戦鬼の専用武装にして、最強の対艦兵器。

 

 光を反射しないヤシオの金色の瞳も、さすがに少しばかり見開かれていた。

 

 

『・・・こちらアリサ。

 敵部隊が撤退を開始しました。掃討戦に移ります』

 

「あ、アリサ? 無理しなくていいのよ。

 木星蜥蜴なんて、アキトがやっつけちゃうんだから!」

 

『・・・了解。無理はしません。

 ちなみに姉さん、戦闘中の私語は禁止されています。慎んでください』

 

「うっ・・・は、はい」

 

 アリサちゃんの諫言を受け、萎縮するサラちゃん。

 しかしこの姉妹・・・外見はほとんど同じなのに、中身は全然別物だな。

 まあ、温室育ちと戦場育ちの違いか?

 

 

   チュドオオオオオオンッ!!!!

 

 

 そして、最後のチューリップの沈む轟音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、気付く。

 

 あれ、私はどうしてこんなところにいるんだろう・・・?

 っていうかここはどこ?

 お爺様のお屋敷には、こんな殺風景な廊下は無かったと思うけど・・・。

 

「何ここ・・・? 軍の基地、かしら?」

 

 なんとなくそう思った。

 最近では街でも感じるようになった戦争の気配・・・それを濃密に感じたからだ。

 それは、お爺様や・・・アリサが纏っている雰囲気に近しいものだった。

 

「やだ・・・なんで、こんな・・・」

 

 ばさばさばさ。

 持っていた書類が地面に落ちる。

 

 持っていた・・・私、何時の間にこんなものを?

 

 何もかもが分からなくて、どうしようもなく不安だった。

 私は・・・そう、私はグラシスお爺様の屋敷にいたはずだ。

 

 街が、木星蜥蜴の襲撃を受けて・・・

 エマージィ=マクガーレンと名乗る方に救助されて・・・

 お父さんと一緒に、お爺様の屋敷へ・・・

 

「・・・あれ、お母さん・・・は・・・」

 

 徐々に、記憶が鮮明になってくる。

 掛かっていたもやが晴れるように、次第に色々なことを思い出してきた。

 

 

 ・・・お母さんは亡くなったんだ。

 

 

 その事実を、思い出した。

 

「ああっ・・・お母さ・・・んっ」

 

 世界が暗転する。

 悲しみが胸を満たし、へなへなとその場に座り込む。

 涙が、じんわりと目尻に浮かんできた。

 

 ああ、なんで私はこんなところにいるんだろう。

 帰らなければ。

 お母さんの死を、悼まなければ。

 こんなところで、訳の分からないことをしている場合じゃないのに・・・

 

 そんな時・・・

 

「―――サラお嬢様」

 

 声が、掛けられた。

 

 振り返ると、そこには一人の長身のメイド。

 しかし私には、そのメイドに見覚えが無かった。

 ・・・少なくとも、お爺様の屋敷にはいなかったように思う。

 

「誰・・・貴方、だれ?」

 

「・・・・・・?

 ああ。解けてしまわれたのですね」

 

 メイドは私の質問には答えず、一人で納得したように呟いた。

 その仕種が・・・私をたまらなく不安にさせる。

 

 誰だろう。

 この、不気味に無表情な女は、いったい誰なんだろう。

 

「大きな悲しみが、私の能力に抗うエネルギーと成り得たのでしょう。

 ・・・あまり強い暗示は、逆に目標に悟られる危険がありましたので」

 

「あ、貴方は・・・!」

 

「私が誰であるか、貴女は既にご存知のはずではありませんか?」

 

 途端―――視界がぐらついた。

 世界が震えたような気がした。

 ぐるぐると、何かが頭の中を蠢くような感覚。

 言い知れない不快感。

 

 そして・・・私は見る(・・・・)

 黄金色の光を。金色の相貌を。

 

 

 その瞳は、混沌を宿していた。

 

 

 私の中の全ての不安が、静まっていく。

 忘れていく。

 二度と浮かび上がることの無い、混沌にたゆたう塵のように。

 

 

「あ・・・ヤシオ、さん?」

 

「はい、お嬢様」

 

 割れた鏡(ダスティミラー)のような記憶の乱反射。

 あんなに大きかった不安が、悲しみが。

 小さく小さく千切れていって、心の奥底に沈んでいく。

 

 変わりに浮かび上がって来る、仮初めの記憶と感情。

 私はそれに違和感を抱くことが出来ない。

 

 

 さあ、アキトに会いに行こう。

 私はアキトに会いに行かなければならない。

 どうしようもなくそう思う。そう思えてくる。

 

 でも・・・これは本当に私の意思なの?

 

 

「ご安心ください。

 全てが終わったら・・・必ず元に戻りますので」

 

「え? 何の話?」

 

「・・・独り言です。

 どうか、お気になさいませんよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ〜・・・・・・軍曹、ヒマですよぉ」

 

「そうか、平和だな」

 

「結局みんな一回しかお見舞い来てくれませんしね」

 

「忙しいからな。

 ちなみに俺がここに来るのは3回目だ。新記録だろう?」

 

「ぶっぶ〜。新記録はアリサ中尉でした〜。

 中尉だけは毎日来てくれてますからね、へっへっへ」

 

「隊長が、ね・・・。

 ・・・おい、さっさと退院しろよサアード。

 アリサ隊長、お前に怪我させたことで変に思い詰めちまってるからな」

 

「え〜、無理ですよぉ・・・生きてたのが奇跡なんですから。

 とりあえず僕はしばらくここで休養させてもらいます。

 ・・・あ、軍曹。リンゴ剥いてくれます?」

 

「・・・・・・隊長も、こんなヤツのためにいちいち落ち込まなくてもいいのにねぇ」

 

「え? 何か言いました?」

 

「ああ、ウチのたいちょは真面目だなっ、と。ほれ!」

 

「うわ、何ですかこれ? どこ食べるんです?

 どうやったらこんな剥き方できるんです? リンゴに申し訳ないとか思いませむぐわわわっ!」

 

「あ〜あ、ここはこんなに平和なのにな・・・」

 

「むぐ! むががっ!!

 もがごごごごごごっ!!!」

 

「おい、吐き出すなよ勿体無い。

 リンゴに申し訳ないとか思わんのかお前は」

 

「むがー! むがー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ア、アリサ中尉っ!?」

 

「ああ、サラちゃん! ・・・とヤシオさん、だっけ?」

 

 食堂は、人で溢れかえっていた。

 さっきの戦闘がもろにお昼の時間と重なってしまっていたので、今頃になってようやくみんな遅めのランチをとっているのだろう。

 エプロン姿のアキトやウェイトレス姿の枝織ちゃんの他にも、見知った顔ぶれが揃っている。

 

 私はとりあえず、グラタンを食べていた特徴的な髪型の女性の隣に腰を下ろした。

 

「アキト、私にもグラタンをお願い。

 ・・・それから、そこのあなた。私はアリサじゃなくて、サラ。

 間違えるなんて失礼じゃない、もう」

 

 席に着くと同時に、私は早速目の前にいた男性に食って掛かった。

 いいかげん、間違えられるのはウンザリだったのだ。

 

「は? ・・・え、あ、すみません。

 ずっと前にお会いした中尉と、そっくりな顔立ちでしたので・・・」

 

「そりゃあ、そうでしょうよ。

 なんて言っても双子の姉妹ですからね。

 ・・・でも、アキトは間違えなかったわ」

 

「・・・すみません」

 

 ぽりぽりと頭をかく。

 しゅんとした東洋系の顔立ちが、ひどく情けなく映った。

 

「へぇ・・・そんなにソックリなんですか?」

 

 フォークをくわえた―――グラタンは食べ終わったらしい―――私と同い年くらいの少女が私に問いかける。

 落ち着いて見てみれば、この2人は『Moon Night』の隊員ではないことはすぐに分かった。

 着ている制服が違うのだ。

 2人の胸の部隊章には、戦車と人型のちょうど間くらいのロボットがデフォルメされて描かれている。

 

「ラ、ラビオ君! 失礼だぞっ!」

 

「えー、別にいいじゃないですかぁ。

 ・・・あ、でもでも。

 そんなに似てるなら、テンカワさんはどうして間違えなかったんでしょう?」

 

 素朴な、という感じの質問だったが、確かにそれは私も興味があった。

 出会ってから今日まで、アキトや枝織ちゃんが私とアリサを間違えたことはない。

 だいぶ慣れ親しんだ人達ですら、時々は間違えることもあると言うのに。

 

「そういえばそうよね。

 ねえアキト・・・どうして?」

 

 器によそったグラタンをオーブンに入れているアキトに、私は問いかけた。

 

「ん? ああ、そんな事か。

 いやだって・・・全然似てないだろう?

 アリサちゃんと、サラちゃん。どうやったら間違えられるんだ?」

 

 本当に分からない、といった感じのアキト。

 これにはさすがに驚いた。

 こんなことを言われたのは生まれて初めてだ。

 

「ああ・・・まあ、外見だけなら似てるかな?

 でも話し方や雰囲気とか、声の感情が全然違う」

 

「・・・普通はまず外見から判断するんじゃない?」

 

「そうかな?

 ・・・俺、昔ちょっと極端に視力が落ちたことがあってさ。

 今はもう治ってるけど、その時以来人を判別する時にあんまり外見にこだわらないって言うか・・・」

 

 ふーん・・・

 アキトにもいろいろあったのね。

 

 

「アキトお兄ちゃん!」

 

 突然、厨房のほうから女の子の声が聞こえてきた。

 ・・・なんでこんなところに?

 

「おっと! メティちゃん、気をつけて。

 いまオーブン使ってるから危ないよ。

 ・・・ナオさんは?」

 

「お姉ちゃんのところにいるよ!

 あのおじちゃん、お姉ちゃんを狙ってるんだきっと!」

 

 厨房に飛び込んできた女の子を、アキトは抱き上げる。

 ませた言葉でアキトに訴えるその子を、すごく愛しげに見つめるアキトの目が印象的だった。

 

「あの子は?」

 

「メティちゃん? 得意にしてる食材屋さんの子だよ。

 アー君、小さい女の子が大好きだから」

 

「それは・・・なかなか凄い物言いですね」

 

 苦笑しながら、さっきの男の人がそう漏らす。

 ちなみに枝織ちゃんにも悪気は無い。

 

「あら、そーいえばまだ名前も聞いてなかったわよね?

 私はサラ=ファー=ハーテッド。

 貴方、アリサのお友達?」

 

「いえ・・・そういうわけではないんですが・・・

 僕は、第11機械化混成大隊所属第1ラークスパー小隊隊長ミカズチ・カザマ中尉です。

 アリサ中尉とは、以前に何度か共同戦線を共にしてまして」

 

「ああ、お仲間さんね・・・」

 

「こっちは副隊長のラビオ・パトレッタ少尉。

 先日の戦闘では、みなさんには本当にお世話になりました。

 お礼を、言わさせていただきます」

 

 居住まいを正し、私に頭を下げるミカズチさん。

 こうやって隊員みんなに頭を下げて周っているのかしら。

 律義な人ね。

 

「私に礼を言う必要はないわよ。

 入隊したの、その作戦のあとだったから」

 

「あ、そうなのですか?」

 

「うん。

 ・・・アリサが心配でね」

 

 アリサを一人にはしておけない。

 ・・・そんな感情が浮かび上がってきたのはいつだったろう?

 よく、覚えていないな。

 

「あれ、そういえばミカズチさん。

 もしかして親戚か何かにイツキって娘がいたりしませんか?」

 

 メティちゃんを抱えたまま、アキトはテーブルに歩み寄ってきた。

 

 グラタンはまだ少し時間が掛かるみたいね。

 

 ラビオさんが立ち上がってメティちゃんを受け取り、座らせる。

 すぐに枝織ちゃんがジュースを持ってきてメティちゃんの目の前に置いた。

 

「ええ、いますけど・・・

 テンカワさん、イツキのこと知ってるんですか?」

 

「ああ・・・あ、いや、知り合いってわけじゃないんだけどね。

 少し雰囲気が似てたから・・・

 いやあ世界はけっこう狭いんだな、ほんと」

 

「イツキ・カザマは従妹ですよ。

 カザマ家は代々軍人の家系ですから。

 ・・・ああ、そういえばラビオ君の同期じゃなかったかな?」

 

「あははー、イッちゃんですかぁ?

 連大で同じクラスでしたよー。

 もっとも、向こうは私と違って成績優秀でしたけどね〜」

 

 

  ばさばさばさ!

 

 

 ここにはいない少女―――イツキって娘のことで盛り上がっていた三人が物音に注目する。

 書類の束が地面に散らばっていた。

 

 さっきまで私が持っていた報告書の束・・・

 いまそれを持っていたのは、ヤシオさんだったはず。

 

 いつも無表情なヤシオさんは、私にも分かるほどの驚愕を面に出していた。

 

「・・・失礼いたしました」

 

 何事も無かったかのように拾い集める。

 私たちには一瞥をくれたのみ、すぐに下を向く。

 

 ・・・頭の中を何かが過ぎったような気がした。

 

 そして次の瞬間には、私たちは本当に何事も無かったかのように会話に戻っている。

 誰も、ヤシオさんを気に止めない。

 

 

「・・・ああ、そうだった。

 仕事柄、優秀なパイロットの情報はけっこう拾いやすくてね。

 彼女のことは・・・そう、ナデシコの艦長から聞いてて」

 

「ナデシコ艦長! ユリカ先輩ですよね!!」

 

「あ、ああ、そうだけど・・・知ってるの?」

 

「知ってるも何も! 私たちの期ではアコガレ的存在ですよお!

 戦略・戦術シミュレーションの鬼才!

 いけ好かない訓練科の古狸たちを圧倒した時のユリカ先輩の勇姿と言ったらもう!!」

 

「へ、へえ、そうなんだ。ふーん・・・」

 

 顔が引き攣っているアキト。

 ラビオさんの迫力に圧倒されている。

 

 

「ユ、ユリカのやつ、意外と人望あるのか・・・?」

 

 なにか、自分の中のギャップにかなり悩んでるみたい。

 

 

「お〜いアキト! 搬入終わったぞ!」

 

「あ、ナオさん。

 すいません、手伝ってもらっちゃって」

 

 そう言いながら、私のガードでもあるヤガミ ナオさんが厨房に顔を出す。

 姿を見かけないと思ったら・・・

 あら? 隣の綺麗な女性は誰だろう?

 

「メティ!

 いなくなったと思ったら、やっぱりここに来ていたのね」

 

「お姉ちゃん!!」

 

 その女性の姿が見えた途端、メティちゃんが勢いよく立ち上がった。

 栗色の髪。藍色の瞳。

 長い髪を背中に流した、落ち着いた雰囲気の美人だった。

 

 こころなしか、メティちゃんもこの女性に似ている。

 彼女も将来はこれくらいの美人になるんだろう。

 

「済みません皆さん。

 妹がご迷惑をお掛けしませんでした?」

 

「迷惑なんか掛けてないもん!」

 

 つん、と胸を張るメティちゃん。

 そんなメティちゃんを愛でるように、頭を撫でる女性。

 ナオさんがイスを引き、2人を席につかせた。

 

「ミリアさん、折角だしお茶でも飲んでいくだろう?

 おいアキト! 特製の紅茶を二つだ!」

 

「あーはいはい。

 枝織ちゃん、カップを温めておいてくれる?」

 

「はーい!」

 

「あ、お構いなく」

 

 なんだかやたら張り切っているナオさん・・・

 ふと視線を下に落とし、書類をかき集めているヤシオさんに気付く。

 

「おお、いたのか馬鹿メイド。

 そんなところに這いつくばってなにやってるんだ?」

 

「・・・それは私のことを指しているのでしょうか」

 

「他にも該当者がいるんなら教えてもらいたいもんだな。

 ・・・っと、なんだこりゃ、報告書?

 何でこんなに・・・ったく」

 

 しゃがみ、ヤシオさんと一緒に書類をかき集める。

 ・・・そういえば。

 なぜ、いままで誰も手伝わなかったんだろう。

 ヤシオさんに「気にするな」と言われただけで、私たちは本当に彼女を気にしなくなった?

 そんな馬鹿な。

 

「結構です、ヤガミ様。

 私のことはお気になさいませぬよう・・・」

 

「あーあーうっさい。

 まったく、お前は変なところで抜けていると言うか・・・」

 

「ヤガミ様は、あらゆるところで抜け切っていると判断しますが」

 

「・・・ふっふっふ。残念だったなヤシオ。

 俺は今日、心の女神様と運命の出会いを果たした!

 お前の小賢しい皮肉なんぞでは今の俺の幸せ心はびくともせんのだ!!」

 

「・・・とうとう来る時が来てしまわれたのですね。

 もう手遅れと判断します」

 

「・・・なんだ、その哀れむような目は」

 

「ご要望とあらば、カウンセリングも可能です。

 が・・・やはり、効きませんか」

 

「・・・? 何がだ?」

 

「いえ・・・。感謝を。

 それでは、私はオオサキ様にこちらの報告書を提出して参ります」

 

 集め終わった書類の束を抱え、ヤシオさんは立ち上がる。

 

「おう、ご苦労さん」

 

「・・・では」

 

 一礼して、下がる。

 ヤシオさんの姿が見えなくなると、食堂を取り巻いていた奇妙な緊張感が霧散したような気がした。

 

 

「私・・・あの人、苦手だな」

 

 ・・・枝織ちゃん?

 

 人懐っこい少女の、意外な一言に私は反応する。

 まあ、確かにヤシオさんはあまり人に好かれるタイプじゃないけど。

 

 

「あ、それじゃあ僕らもそろそろ」

 

「そういえば・・・

 どうなるんだ? 貴方達は。

 所属部隊は・・・その、全滅してしまっただろう」

 

 言い辛そうに、テンカワさんが問う。

 ミカズチさんの所属していた大隊は、生存者36名を残し、全滅してしまったのだ。

 

「僕らの所属は英国(ブリテン)ですから。

 安全保障特別指導部に出頭して指示を受けなければなりません」

 

「たぶん第7旅団の方に編成されると思うんですけど・・・どうなるんでしょうね私たち。

 これから先、あの敵に対してラークスパーではもう限界かもしれないのに・・・」

 

 技術は刻々と進歩している。

 それは敵にも味方にも、同様に言える事だ。

 

 残念ながら先の戦闘で、人型戦車ラークスパーは進化した木星蜥蜴に大敗を喫した。

 

 それは個々人の技量ではなく、機体の性能。

 ソフトウェアではなく、ハードウェアの重大すぎる問題。

 

 彼らの分身たる人型戦車は、もはや進化する技術の流れの中で取り残された存在になってしまった。

 

 

「戦争は、まだ終わりません。

 戦い続けますよ、僕たちは。

 きっと・・・いつか訪れる、平和のために」

 

 それは決意だった。

 彼には、軍人としての覚悟と誇りがあるのだ。

 

「いつか・・・皆さんともう一度会える日を、願ってます。

 出来れば、その時には戦争が終わっているといいんですが」

 

「それじゃテンカワさん。グラタン、ご馳走様でした。

 ユリカ先輩によろしくお願いしますね」

 

 二人は立ち上がった。

 たぶん、二度と会うことは無いだろう。

 けれどどこか・・・この地球上のどこかで必ず、私たちは同じ目的のために戦っているんだ。

 

 

  チーンッ!

 

 

 タイマーが切れる音がして、厨房からチーズの香ばしい匂いが漂ってくる。

 

 運ばれてきたグラタンは・・・とても、美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 納得できない。

 あの軍人嫌いの姉さんが・・・

 私が軍に入るのに最後まで反対した姉さんが・・・

 たとえ他にどんなことが起ころうともそれだけは有り得ないと思っていたのに。

 

 2人きりになった部屋の中で、私は姉さんを問い詰めた。

 

 

「姉さん・・・何を、考えているのですか?」

 

「へ・・・? ど、どうしたのアリサ。

 そんなに深刻な顔をして・・・」

 

「答えて下さい!

 なぜ姉さんが・・・軍なんかに入るんですっ!!」

 

 与えられた隊員用宿舎の一室。

 ようやくになって落ち着きを取り戻してきた隊が、今まで私と相部屋だった姉さんに部屋を用意したのだ。

 床を埋める大量の荷物は姉さんのもの。

 本気で長期滞在を考えているらしいその量に、私は姉さんを問い詰めた。

 

「別にいいじゃない。

 それより、荷解きを手伝ってよ」

 

「誤魔化さないで!!」

 

 迎えた姉さんは私の剣幕などなんのその。

 さらりとかわして何時もの・・・以前より少しだけ大人びた微笑で私を見つめる。

 それが私と姉さんの間にある三年という月日のせいなのか、はたまたもっと他の何かのためか。

 勢いを失った私は、とりあえず大量の荷物の侵蝕を受けていないベッドに腰を降ろした。

 

「手伝ってくれないの?」

 

「話が終わってからです。

 どうして姉さんが軍に入るのか、納得できるまでは手を貸すことなんて出来ません」

 

「う〜ん、頑固なところは相変わらずよね〜。

 ・・・少し、安心しちゃったかな」

 

「姉さん?」

 

 膝の上に両肘を乗せ、その上にあごを乗せて脹れていた私は突然の優しげな声に思わず声を上げた。

 

「ちょっとね、しばらく会わない内にアリサが変わっちゃったように思えたのよ。

 何だか張り詰めてる感じがしたし・・・

 それに・・・アリサ気付いてる?

 貴女、再会してから一度も笑ってないのよ?」

 

 まあ帰ってすぐあんなことが起こったんだから仕方ないけどね、と続ける姉さん。

 はっとして頬に当てていた手を、私はゆっくりと下ろして行く。

 

 そんな私に背を向けて、備え付けの洋服棚の大きさに文句を言いながら姉さんは続けた。

 

「ねぇアリサ・・・

 お母さん、結局帰って来なかったわ・・・」

 

 悲しげな声・・・

 でもそこには、その感情に押し潰されてしまいそうな脆さが感じられない。

 それどころか前を見つめて歩む人の持つ強靭さすらあるような気がする。

 私は耳を疑い・・・そして自己に重ねて姉さんの背中から目を逸らした。

 

「戦闘の日から少し経って、マクガーレンさんの使いの人が来たんだけどね。

 やっぱり・・・どこにもいなかった、申し訳ありませんって。

 爆発に巻き込まれて遺体も発見できなかった人も少なくないみたい」

 

「・・・聞きました。

 でもそれと姉さんの入隊と、どんな関係があると言うのですか?」

 

 『マクガーレン』・・・その一言に、反射的に体が強張ったが・・・

 姉さんはとくに気付かなかったみたいだ。

 

 やっぱり姉さんを変えた一番の要因はお母様のこと・・・

 だけど、そういうことなら尚更解せない。

 母が死んで―――実際にはまだ無事なのだが、死んだことを正面から受け止められる程姉さんは強くない。

 十中八九、塞ぎこんでしまうか、最悪の場合は後を追おうとさえするはずだ。

 

 いったいあなたの身に何が起こったのですか、姉さん?

 

「お母さんは死んだんだって、はじめて聞いたときは信じられなくて・・・

 はずかしいけど、そのまま閉じこもったわ。

 食事もとらずにお父さんに心配ばかりかけてね。

 ちょっと・・・ううん、とても重いことだったから・・・私には」

 

「ええ、私もそう思ってました。

 昔の姉さんなら多分衝撃が大き過ぎて・・・部屋に閉じ篭ってしまうだろうと」

 

「ふふふ・・・さすがねアリサ。

 だてに生まれる前からずっと一緒にいたわけじゃない、か・・・」

 

 苦笑しながら姉さんは私を振り返る・・・

 やはり、変わりましたね。

 ・・・私とは、両極端な変わり方ですが。

 

「ずーっとベッドの上で枕抱えてね、何はともかく泣いてたわ。

 顔なんかもう涙でぐしゃぐしゃ。

 こんな悲しみを背負って行かなければならないならいっそ・・・なんてことも思った」

 

「・・・姉さん」

 

 ふっと影が差した姉さんの横顔に、胸が締め付けられるような痛みを感じる。

 

 しかし声を掛けようと腰を浮かせかけた私を見る姉さんの目は、とても力強い光を宿していた。

 思わず、息を呑む。

 

「でも、それではダメなのよね」

 

「・・・え?」

 

「いまは悲しいけど・・・それだけじゃ何の解決にもならないわ。

 もっと周りを良く見なくちゃ。

 私を、想ってくれている人間がどれだけ居るか・・・

 私が塞ぎ込んでちゃ、お母さんも安心できないじゃない?」

 

「ね、姉さん・・・?」

 

 いきなり何を言い出すの?

 

 確かに・・・言っていることは分かる。

 でも、それが姉さんの口から発されていることは、私にとってとても意外なことだった。

 

「・・・あのままじゃ何にもならなかった。

 これからは私も、自分の足で立って、自分の意志で歩き出さなきゃいけないの。

 そんな時にこの基地で通信士の募集してたから・・・

 アリサはどうしてるだろう、って思ってね」

 

 そう言って微笑む。

 

 ちょっと、待って。

 何かが・・・

 何か、重大な違和感があるような気がする。

 

「お父さんやお爺様、私を心配してくれているみんなに囲まれていてすら、あんなに辛かったんだもの。

 一人で、本当にたった一人で戦い続けてるアリサが心配だったの。

 私だけでも傍にいてあげられたらいいのになって、御爺様に」

 

 やはり・・・変だ。

 

 姉さんはいつからこんなに強い心の持ち主になったのだろう?

 私の知らないところで・・・何か、姉さんを変える様な出来事があったのだろうか?

 

 でも、それならばなぜ・・・私はこんなにも不安を感じているのだろう。

 

 

「さて! 何だかんだやってるうちに荷解きは終了!

 じゃあ早速だけどアリサも準備して。

 お爺様から、アキトを一度連れてくるようにって言われているの」

 

 不安がいや増して来る。

 この世で一番近しいはずの姉さんが、遠くにいるような気がする。

 

「できるだけ早いほうがいいから・・・

 アキトには、私のほうから話をつけておいたわ」

 

「姉さん・・・」

 

「ん?」

 

 

 貴女は・・・誰ですか?

 

 

 その言葉を寸でのところで留めた事に、私は何故だか安堵を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グラシス様。

 テンカワ様をお連れいたしました」

 

「ああ。ご苦労だった。

 下がっていいぞ、ヤシオ」

 

 一礼をして、長身のメイドが退室する。

 それを見届けながら、私はこれから顔を合わせることになる人物を思い描いた。

 

 テンカワ アキト・・・『漆黒の戦鬼』

 

 常軌を逸した兵器『DFS』を使いこなす、地球圏最強の戦士。

 その実力は一個師団に匹敵し、単独でチューリップの撃破すら可能とする。

 そして、独立遊撃部隊『Moon Night』を無敵の部隊とせしめた男だ。

 

 『西の月夜に東の撫子』

 

 いま、地球連合軍の軍人たちに「地球で最強の部隊はどこか?」と問いかけたならばこうなる。

 そのどちらもが、たった一人の民間協力者によって最強足りえているとは、皮肉以外の何ものでもないが。

 

 

 扉が開かれ、黒ずくめのガードが3人の人物を部屋に招きいれる。

 黒と金、そして銀・・・

 色取り取りだな、と口には出さずに感想を述べた。

 

「ただいま、お爺様。

 約束どおりアキトを連れてきたわ」

 

「グラシスお爺様・・・お久しぶりです」

 

「うむ・・・ご苦労だったな、サラ。

 アリサもよく来てくれた。活躍は聞いている」

 

 私は孫娘たちに労いの言葉を掛け、2人はそのまま私の後ろへと立った。

 ・・・間に黒ずくめのガード―――ヤガミ ナオを挟んで、テンカワ アキトと向き合う形だ。

 

 相対する男を見た瞬間、私は肉食獣の入った檻に放り込まれたような気分を感じた。

 一見して、平凡な風貌の青年。

 しかしその瞳には、けして底を見せない深みを感じる。

 ・・・果たして、どれだけの修羅場をくぐればこの様な目が出来るのか見当もつかない。

 

 

「お初にお目にかかる。

 私はグラシス=ファー=ハーテッド。

 ここ西欧における軍部の総指揮官であり・・・この2人の祖父にあたる」

 

「どうも。

 ・・・テンカワ アキトです」

 

 極々自然な挨拶を交わす。

 それだけで、部屋の空気がぴんと張り詰めたような気がした。

 サラもアリサも、その緊張感に身を強張らせたのが分かる。

 

 ・・・やはり、なかなか強敵だな。彼は。

 

 

「まずは、突然の呼び出しに応じてくれたことに礼を言わせてもらおう。

 ・・・掛けたまえ」

 

 勧めたソファに、どかっと座る姿に遠慮は見られない。

 まるで挑むように、こちらを見据えてくる。

 私もその眼光に負けないよう、腰を据えてその視線に対抗する。

 

 ・・・ふっと、テンカワ アキトの相好が崩れた。

 

 

「・・・どうしたのだね?」

 

「いや・・・少し、驚いたもので。

 いつか貴方から呼び出しがあるだろうとは思っていましたけど、まさかご自分の孫娘を使いに寄こすとは・・・

 その真意はどこに、と思いましてね。

 すみません。俺の邪推だったようです」

 

 素直に頭を下げる。

 しかし、私の目を見ただけで判断したのか。

 ・・・眼力も、侮れぬようだな。

 

「志願はサラ本人によるものだよ。

 しかし・・・予想していたと言うのかね? 私からの呼び出しを?」

 

「予想していたのは“出頭命令”ですが、ね」

 

 痛烈な皮肉だった。

 彼が軍人嫌いであるという噂はどうやら真実か。

 

「・・・何故、と聞いてもいいだろうか」

 

「それが、俺の目的でしたから」

 

 当然だ、という風に答える。

 あまりに唐突過ぎて、誰も反応することが出来ない。

 

 

「俺は・・・貴方に会うためにこの西欧にやってきたんです」

 

 言い切った彼に、私は今度こそ驚愕を隠すことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い液体が、白磁の綺麗なカップの中でふんわりと湯気を放っている。

 匂いは・・・悪くない。

 ただ、味のほうは信じられないくらい苦い。

 ほんの一口含んだだけで、私はこの珈琲とかいう液体を摂取することを断念した。

 

 それでもカップから口を放さないでいるのは、場の空気に耐えられなかったからだ。

 沈黙の帳が降りる中ひっそりと、それでいて妙にはっきりとした視線の圧力を感じた。

 

 ちらり、と視線を前方に向けてみる。

 だがその行動の結果として、私は金色の瞳と正面から見合うことになってしまい、慌てて下を向いた。

 

 なんか・・・苦手、なんだよね。

 

 別に嫌いとかそういうんじゃない。

 悪い人だとは思わないし、危険な感じも受けない。

 

 ただ・・・苦手なんだと思う。

 

 

(うぅ・・・見てる見てる見てる〜〜〜〜!!)

 

 じ〜〜〜〜〜・・・と、そんな音を立ててもおかしくないくらい、視線が集中しているのが分かる。

 というか、ここまで来ると視線が物理的に痛い。

 

 そう、この・・・眼だ。

 まるで自分が実験動物かなにかになっている様な錯覚すら感じる。

 金色の、珍しい眼。

 その視線が私を隅々まで調べてる、そんな気がしてどうも落ち着かない。

 

 

「あ、あははは! 美味しいね、これ!」

 

「砂糖とミルクをお持ちいたしますか?」

 

「あ゛ぅ・・・・・・お、お願いします」

 

 ・・・強敵だ。

 

 ヤシオさんが音も立てずに立ち上がる。

 同時に、私はため息をついた。

 ようやく開放された、という感じが強い。

 

 大事なお話があるからってアー君が言うから、しぶしぶこの部屋で待つことにしたんだけど・・・

 こんなことなら無理を言ってでも一緒に行けばよかったな。

 

 今さらながらに後悔する。

 

「枝織様、砂糖はいくつお入れしますか」

 

「あ、テキトーでいいよ」

 

「かしこまりました。

 テキトーに入れます」

 

 ぽちゃぽちゃぽちゃ!

 

 四角い形の砂糖が、言葉どおり適当に投下される。

 改めて差し出された珈琲は、黒から琥珀色へ、魔法のように変化していてとても美味しそうに見えた。

 

「ありがと」

 

「いえ」

 

 お礼をいい、一口すする。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・うわ、甘っ!」

 

「当然と判断します」

 

 やっぱり・・・好きになれそうに無いよ、この人。うえっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一つ、聞いてもいいかね?」

 

「なんなりと」

 

 ぴん、と空気がまた張りつめる。

 自分が目上であることの精神的優位は無かった。

 薄氷を踏むような緊張感のもと、長く生きてきたと言う矜持だけが平静を保たせる。

 

 部屋には静寂が下りていた。

 私と彼以外、他の誰も物音一つ立てようとしない。

 限りなく自己の存在を押し殺し、息を呑んで動静を窺っているようだった。

 

「私に会うために西欧(ここ)へ来た、と?」

 

「はい」

 

 淀みなく、彼は言い切った。

 

「俺は貴方に会うために、自分の意志でこの西欧に来たんです」

 

「馬鹿な・・・」

 

 それは私に驚愕を与えるに充分だった。

 

 彼が西欧に来たのは、単に優秀な駒として軍上層部が彼を欲したからだ。

 その存在を貴重な戦力に置き換えて、彼を忠信薄いナデシコから強制徴兵したのだ。

 この最悪の戦況を覆す切り札として。

 

 しかしこの少年は、それすらも自分の意志だったと言う。

 

「ちょっと、ウチの提督に掛け合いましてね。

 軍・・・正確には軍の上層部と結託したある企業が、俺と言う駒を獲得するために暗躍しているのは分かっていました。

 ですから俺はそれを利用して、他のどこの激戦地でもなく、貴方がいるこの西欧に派遣されるように仕組んでいたんです。

 その企業の思惑通りに踊っていれば、貴方と接触しようという俺の目的を悟られずに済む・・・」

 

「・・・その企業とは?」

 

 忌々しき事態だ。

 地球の総意たる連合軍の上層が、一企業と癒着するなど。

 

 しかし、私の問いへの答えは・・・

 目の前の少年ではなく、背後から聞こえてきた。

 

 

「クリムゾン・グループ・・・」

 

 アリサだった。

 驚愕に、眼が見開かれている。

 心なしか、声も震えているようだった。

 

「・・・その通り。

 俺を西欧へとおびき寄せたつもりでいるのは、戦争商人のクリムゾン・グループです」

 

 テンカワ君が、アリサの呟きを肯定する。

 

 クリムゾン・グループ。

 バリア関係では常に業界のシェアを独占している世界有数の兵器メーカーだ。

 明日香インダストリーのような歴史もない。

 ネルガルのように『鉛筆から戦艦まで』とかいう無節操さもない。

 ただ兵器のみを取り扱って、ロバート・クリムゾンがただ一代で作り上げたある意味新参と言っていい企業だ。

 その急速な成り上がり振りから、黒い噂も絶えない組織である。

 

「・・・証拠は?」

 

「ありません・・・

 ただ、厄介なやつが来ています」

 

「厄介なヤツ?」

 

 漆黒の戦鬼をして厄介と言わせしめるとは・・・

 いったい、どんな人物なのだろう。

 

「カタオカ・テツヤ。

 目的のためには手段を選ばない・・・非常に危険な男です」

 

「あの・・・狂犬がっ!!?」

 

 突然、ガードが叫んだ。

 

「知り合いか?」

 

「は・・・俺も、ついこないだまでクリムゾンにいたんでね。

 ・・・テツヤは、所謂汚れ役ってやつです。

 直属の『真紅の牙』の連中は、本気で人の命なんてなんとも思っていない」

 

「むぅ・・・」

 

 そんな連中が、この西欧で息づいていると言うのか。

 たった一人の民間人をスカウトするためだけに、軍部すら操作して・・・

 

 いや、それは我々にも言えることか。

 テンカワ アキトという『戦力』を欲しいが故、強制徴兵などという手段に踏み切ったのだから。

 たとえそれがクリムゾンの策略だったとは言え、いい様に踊らされた上層部には腹も立つ。

 ・・・まるで駄々をこねる子供だな、軍は。

 

 

「それで・・・そのような危険を犯してまで、私と接触しようとした理由は何だね?

 私と君は、とくに知己というわけでもないはずだが」

 

 この男の目的が判別できない。

 西欧方面軍総司令という肩書きを持っているとは言え、別段私は彼にとって利となる存在ではないはずだ。

 彼がもし、クーデターでも企んでいると言うのなら話は変わってくるが。

 

「それを説明するには、色々と話をしなければなりません・・・

 そして、それを知ってしまったがために、危険に曝されるということも充分有り得ます。

 いきなりで申し訳ないですが・・・それでも聞く覚悟はありますか?」

 

「私には、聞く義務があると自負しておるよ。

 ・・・それが私の驕りでなければだがね」

 

 さすがにここまで来て、聞かずにはいられない。

 

「私も聞かせてもらうわ。

 気になるもの」

 

「私も・・・聞きたいです」

 

 サラは気軽に、アリサは重々しく答える。

 

「あ、んじゃ俺は・・・」

 

「ナオさんには、選択の余地ないですから」

 

「・・・・・・おい。

 ま、いいけどよ」

 

 そしてテンカワ君が話し始めた真実は・・・

 私には想像も出来ないものだった。

 

 

 

 

 

「全ての事件の裏にはクリムゾン・グループが絡んでました・・・

 クリムゾンの目的は俺の戦闘データの収拾。

 そして利用価値があるのならばスカウトをする事」

 

「おかしいな・・・

 それが本当なら、奴らはお前が戦闘する場所を特定できたということになる。

 ・・・木星蜥蜴は正体不明の侵略者、って訳じゃないってことか?」

 

 ヤガミ君が指摘する。

 確かにそうだ。

 いくら西欧が最前線だからと言って、実際にはその戦場は多岐にわたる。

 戦闘データの収拾など、大きな設備を必要とするような作業には、予めその場所を特定しなければならない。

 もしくは戦艦などの大規模な移動設備を用いるか。

 

「その通りだ。

 ・・・クリムゾン・グループは、裏で木星蜥蜴と手を組んでいる」

 

 衝撃の事実だった。

 

 

「木星蜥蜴との交渉を、成功させたと言うのかね?」

 

 心を持たぬ無人兵器。

 なればこそ、話し合いの余地などなく、我々はただただ無謀な戦いを続けなければならなかったのだ。

 

「いいえ、違います。

 ・・・木星蜥蜴とは、言葉どおり木星に移住した地球人たちのことなんです」

 

「なんだと・・・!!」

 

 想像すらしたことがなかった。

 ・・・しかし言われてみれば、正体不明の外宇宙からの侵略者などというよりよほど納得できる。

 

 サラとアリサは驚愕に固まっていた。

 2人にとっては信じがたい、とりわけアリサにとっては認めるわけにはいかない事実だろう。

 

 

「木星人の正体は・・・100年前に月自治区で起こった独立運動家の子孫です。

 ・・・当時の軍は・・・彼等を開発途中の火星に追い詰め、さらにはその小さな実験区に核を打ち込んだ。

 ・・・そして、彼らの逃げ延びた先が、木星だった」

 

「所詮、人の敵は人ということか・・・」

 

「けど、よくもまあ今まで生きてこられたもんだな。

 追われて逃げて、何もない木星でここまでの戦力を配備する。

 ・・・可能なのか? そんなことが」

 

「もちろん、不可能さ。

 ・・・しかし木星にたどり着いた彼らが発見したあるモノが、不可能を可能にした」

 

「あるモノ?」

 

 逃げ延びた人々に、たった数十年であれほどの文明を築く技術を与える・・・

 そんなモノが、あの宇宙に存在していたのだろうか。

 

 

「古代火星文明が残したオーバーテクノロジーの塊・・・遺跡です」

 

 それは突拍子もない単語だった。

 古代火星文明? 遺跡?

 ここに来て、いきなり話がキナ臭くなっていく。

 

「信じられませんか?

 しかし、現にネルガルはその遺跡の技術を応用する術を手に入れています」

 

「・・・まさか、ナデシコか?」

 

「そう。

 相転移エンジン。ディストーションフィールド。

 そして・・・グラビティブラスト。

 すべて、火星遺跡から発見された技術なんです。

 この技術によって、彼らはチューリップや無人兵器を作り出しました」

 

 そう言えば・・・思い当たる節はあった。

 今でこそディストーションフィールドやグラビティブラストの技術は軍も使用しているが・・・

 それは、そもそもネルガルからの技術提供によるものだった。

 従来の科学力では有り得ない、突然に飛躍した技術力の向上。

 その超先進技術(スーパーアドヴァンスド)の由来を疑う声は常に在った。

 

 

「そして自分達を追い出した地球に復讐を、か・・・」

 

 ヤガミ君が厳しい声で呟く。

 

「いや。彼らはそんなに馬鹿じゃない。

 兵器や工業製品は資源衛星とプラントさえあれば何とかなりますが・・・

 彼らの持つ生活可能域が限界に達するのは時間の問題でした。

 木星の環境では作物を育てることが出来ず、食料用プラントを増設する技術もない。

 増え行く人口が、彼らにとっては何よりの死活問題だったんです」

 

 当たり前だ。

 もともと、宇宙は人が生きていくのは厳しすぎる。

 大地なくして人の繁栄などありえないのだ。

 

「だから彼らは、100年前の恨みをこらえて地球に通信を送りました。

 『過去の事件を発表し、謝罪をするなら・・・共に歩もう』と。

 しかしこの文章は・・・当時の軍上層部によって握りつぶされたんです」

 

「・・・愚かな」

 

 なんと、愚かな選択だ。

 過去の汚点を明らかにすることを恐れ、助けを求める大勢の人々を見殺しにしたか。

 ・・・それでは、いまのこの地球の状況は自業自得以外の何ものでもない。

 

 

「生きるためには戦い、新天地を勝ち取るしかない。

 彼らはそう判断した・・・

 これが、この戦争の発端です」

 

 溜息を一つ吐き、彼は締めくくった。

 我々は、ただの一言すら発することが出来ない。

 語られた真実の、あまりの重さに。

 示された過去の、あまりの愚かさに。

 我々はただ沈黙をもってしか応える術を持たなかった。

 

 

「そして、この真実を知っている君が私と接触するために西欧へ来た・・・

 その君の目的とは何だ?」

 

「和平を実現させたい。

 戦争の発端を作り出した当事者は、両陣営ともすでにいない。

 憎しみだけが残って、戦いを続けさせているんだ。

 それを、企業に目をつけられ利用されている。

 止めさせなければならない・・・こんな馬鹿げた戦争は。

 こんなことが続けば・・・悲しみだけが肥大化した世界になってしまう。

 終わらせなければならないんだ」

 

 テンカワ君の口調は静かだった。

 しかし、しんと心の奥にしみこんでい来るような重みがある。

 彼は心の底から、和平を望んでいるのだ。

 

「全ての鍵はナデシコに集約しています。

 あのナデシコだけが、今後の木星と地球の和平を実現する為の切り札だから・・・

 けれど、だからこそ・・・ナデシコだけでは駄目なんです」

 

 拳を握り、力を込めてテンカワ君が呟く。

 

「・・・貴方の力を貸してほしい。

 この地球に、そして木星に住む人々のために」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は・・・ただ私の手の届くところにいる者たちを守りたくて、軍人になった」

 

 それが私の戦う理由だ。

 建前でない、軍務の陰にひっそりと隠してきた本音だった。

 それがいつしか祖国へ、民へと移り変わり。

 気がついたときにはもっとも大事な者を失っていた。

 

「・・・君は、なぜ戦う?

 こんな戦争を一刻も早く終わらせなければならないと言う君の言い分は分かる。

 しかし、なぜ君がやらねばならない?

 君は・・・なぜ選択をしたのか。それを聞きたい」

 

 彼も私と同じなのだろうか?

 それとも、彼は私とは違うのか。

 まだ少年と呼んでもいいくらいの彼を前に、私は年甲斐もなく心踊っているのを感じていた。

 

「俺の隣に立つ人たち、俺にとって大切な人たちを守りたいからです。

 俺は、敵だからと言って、戦わなければいけないというのは嫌だ。

 木星か地球か・・・住んでいるところが違うだけで、大切な人たちが争い合うのが嫌だ。

 ・・・はじめは本当に、眼に見えるものたちの平穏だけを望んでいました。

 けれどそれは、木星と地球の和平なくしては在りえないんです」

 

「君は・・・まさか、木星生まれなのか?」

 

「いえ・・・

 けれど、確かに俺の大切な人はいます。木星にも」

 

「そうか・・・」

 

 彼は私と悲しいくらいに同じであり、そして決定的に違っている。

 ・・・在りし日の自分を見ているようだ。

 けして、取り戻すことの出来ないあの時間を・・・

 私は、見ているのか。

 

 

 

 

 

「・・・西欧方面軍総司令官として、君に聞く。

 いまの西欧が・・・持ち直すまでにどのくらいかかる?」

 

 私の問いに、彼はふむと考えるような仕種を見せた。

 そして答える。

 

「―――1ヶ月、あれば・・・」

 

「ほう」

 

「いま、俺の仲間が機動兵器を製作しています。

 動力機関を内蔵した、新型のエステバリス・・・

 その完成を待って、俺は西欧の木星勢力を一掃するつもりです」

 

 おそらく、出来るのだろう。

 彼がそういうのならば。

 それは、既に決定事項なのだ。

 

「西欧における戦力図が逆転するでしょう。

 ・・・一時的とは言え。

 けれど、一度ひっくり返った戦況を戻すには甚大な戦力が必要になる」

 

「そうなれば、従来の軍の戦力でも充分に戦線の維持が可能だな・・・。

 それをもって、君は無事ナデシコに復帰すると言うわけだ」

 

「はい」

 

 全て、最初から予定されていたことのように・・・

 彼は凱旋する。

 和平実現というパズルに必要な、私という一片(ピース)を持ち帰り。

 

 私は、そんな彼の姿を想像し・・・少し意地悪をしてやりたくなった。

 

「・・・ナデシコは、どんな艦かね?」

 

 その問いに、彼が動揺するのが分かった。

 一瞬、懐郷の色をその瞳に浮かべる。

 それだけで充分だった。

 

「あそこは・・・俺の、帰るべき家です」

 

 彼は、漆黒の戦鬼と呼ばれる英雄ではない。

 ただの、まだ二十歳にも満たない若者であった。

 

 私はそんな彼が、急にいとおしくなった。

 彼はとてつもなく重い責任を、その両肩に背負っている。

 英雄と呼ばれ、戦鬼と呼ばれ。

 しかしその強さはけして彼が望んだものではなかっただろう。

 

 これが、彼が漆黒の戦鬼と呼ばれるまでの強さを身に付けた源か・・・

 

「一ヶ月か・・・

 厳しいところだが、出来なくはないな」

 

「お爺様?」

 

 サラが、戸惑うように声を上げる。

 

「ではテンカワ君。

 戦力を建て直し、戦線を維持できるだけの力を我々が取り戻す間・・・

 悪いがその一ヶ月間、せいぜいコキ使わせてもらうぞ?」

 

「・・・覚悟はできてますよ」

 

「ならば君の願いを、私は聞き入れよう。

 地球・木星間の平和を模索する道を、このグラシス=ファー=ハーテッドが共に探すことを誓おう。

 1ヶ月・・・その期間が過ぎたならば。

 君が言うように西欧の戦力図を書き換えることが出来たならば。

 私は、西欧方面軍総司令官の名において・・・君をナデシコへと帰す。

 我が愛しき孫娘たちに誓って、な」

 

 私は誓った。

 

 彼はこの短時間で、あれだけの会話で。

 私という人物像を、正確に把握してしまったのだろうか。

 

 私の口約束を完全に信じ切ってしまっていた。

 

 恐るべき慧眼。そして自身に対する信頼。

 それは感心すべきものだったろうが、同時にひどく危ういもののように思えた。

 

 彼は・・・人を信じすぎるのではないか?

 自分が認めた人間を欠片も疑わない・・・それは何よりもの信頼の証。

 確かに素晴らしいことなのかもしれない。

 

 しかし、もし・・・

 彼を裏切る者が現れたなら、彼はどう対処するのだろう?

 

 そんな私の内心には気付かず・・・

 テンカワ君は、来た時と同じように颯爽と去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・さて。

 それではお前の話を聞こうか、アリサよ」

 

 アキトさんたちが退室した後も、私はその場に残っていた。

 2人きりになった部屋の中でまずお爺様が沈黙を破る。

 感じる気配は、柔らかな優しいお爺様のままだ。

 けれど、私を見据える眼光は、鋭い軍人のものに変わっている。

 

「話が、あるのだろう?

 一人で抱え込むことはない。

 私などでは頼りにならぬかも知れぬが・・・話してみなさい。

 言葉によって分かり合うことが出来るのが、人が進化してきた証しなのだと私は思っている」

 

「お爺様・・・」

 

 切り出そうとして、言葉が詰まった。

 緊張で唇が震えている。

 それでも・・・言わねばならなかった。

 

 

「お爺様・・・私は、軍をやめようと思っています」

 

 私は、毅然と言い放った。

 

 決意していたことだ。

 私はもう、軍にはいられない。

 テンカワ アキトのいる『Moon Night』には、もう戻ることは出来ない。

 

「そうか・・・」

 

 お爺様は、深く椅子に座りなおした。

 重々しい溜息が漏れ、私はびくりと肩を震わせる。

 

 ・・・お爺様の不興を買うことを、これまでの私は何よりも恐れていたのだから。

 

 

「・・・理由を、お聞きにならないのですか?」

 

「自分で、考えた末のことなのだろう?

 ・・・ならば聞かんよ。

 もともと入隊はお前の意志によるものだ。

 お前が辞める時も、私はお前の意志に任せるつもりでいた」

 

 泰然として・・・それでも優しいお爺様。

 本当に、本当に誇るべき人だ。

 私には、勿体無いくらいの立派なお爺様なんだ。

 

 言わなければならない。

 私の決意を、御爺様に言わなければならない。

 

 

「あの時・・・私が入隊を決意した時。

 お父様やお母様の言葉をもっと良く聞いておけばよかったんです・・・」

 

 そうすればこんな悲劇を生むこともなかったに違いない。

 お父様の言うとおりにして、お母様の心配にちゃんと答えていれば・・・

 夢を捨て、憧れを捨て。

 私は平穏を手に入れることが出来たはずだった。

 ・・・今ならまだ間に合う。

 

「後悔しておるのか?」

 

「いえ・・・ですが、もう決めました」

 

 耐え切れず、私は下を向いた。

 これ以上は言いたくない・・・

 でも、言わないで後悔するよりはずっといい。

 私は下を向いたまま言葉の続きを紡いだ。

 

 

「私―――クリムゾンに行きます」

 

 

  ガタン!

 

 

 私の言葉に、さすがのお爺様も表情を変えた。

 信じられない、と言った驚愕の表情。

 胸が痛くなる。締め付けられる。

 

「アリサ、お前は何を・・・」

 

「そこに、私の求めるものがあるんです。

 ・・・私は、この手の中に在った小さな平穏を失いたくない。

 私の戦いは、その平穏を守るためのものです」

 

 私は、顔を上げた。

 私は、毅然とお爺様の目を見返した。

 

「お爺様、私・・・地球の敵になるかもしれません」

 

 お爺様は無言だった。

 

「それでも、失くしたくないものがあるんです。

 取り戻さなくてはならないものが、あるんです・・・

 私は、クリムゾンに行かなければならない・・・

 だって、まだ・・・取り返しがつかないわけじゃないから」

 

 生きている。

 お母様は、まだ生きている。

 

 まだ希望はあるんだ。

 家族が笑ってすごせたあの日常を、今ならまだ取り戻せるかもしれないのだ。

 

 私のせいで、これ以上誰かが不幸になるなど耐えられない。

 だから私は、私の手にって平穏を取り戻す。

 たとえそれが、正義に弓引く行いだとしても。

 

「最後に、お爺様と会えて・・・嬉しかったです。

 お爺様。私、本当にお爺様のこと、誇りに思っていました。

 だから・・・お爺様は、アキトさんを助けてあげてください・・・」

 

 腰を上げようとするお爺様を、私は視線で押し留める。

 

「さっきの話を聞いてて分かりました。

 あの人も・・・アキトさんも私と同じなんだって。

 何も変わらないんだって。

 だから、お爺様はアキトさんを助けてあげてください。

 私の大好きなお爺様。貴方ならあの人をきっと助けてくださいます。

 だから私は・・・だから、大丈夫です・・・」

 

 アキトさんは、この地球のために絶対に必要な人だ。

 こんな・・・私なんかのために、大義を失わせるわけには行かない。

 あの人が和平を成功させてくれたならば、もうこんな悲劇は起こらないはずだから。

 

 だからお爺様は・・・彼を、妨害してはならない。

 お爺様は彼を、助けなければならない。

 それが私の誇るお爺様の姿なのだ。

 正義の象徴として私の中で厳然と存在している、お爺様の姿なのだ。

 

「本当に・・・大好きです、お爺様。

 ・・・私・・・お爺様の孫で、よかった・・・

 私・・・私、アリサ=ファー=ハーテッドで本当によかった・・・!」

 

 久しぶりに、心の底からの笑顔を私は浮かべていた。

 だから・・・溢れる涙も、気にならなかった。

 

 

「・・・私には、アキトさんの隣に立つ資格がありません。

 だったら・・・こうするしかない」

 

 間違いなく私はアキトさんの敵になる。

 自分を裏切り、仇敵の懐へと入る私は憎悪の対象にすらなるかもしれない。

 

 それは・・・アキトさんと私、2人の大切なものの違いのため。

 これははじめから定められていた運命なのかもしれない。

 

 だから・・・

 

「こうするしか・・・方法がなかったんです」

 

 お母様を、救い出すためには。

 

 

 

 

「お別れです、お爺様・・・」

 

 

 もう、私は戻れない―――

 

 

 

 

 

 

 

 あとがき

 

 む、今回は結構早めに書き上げることが出来ました。

 いつもこんなペースで書けたらいいのですが・・・(汗)

 

 まあそれはさておき。

 

 今回の話は、ヤシオ=シュンリンの紹介とアリサの決意が主題ですね。

 これからしばらくの間、アリサはクリムゾンで働くことになるんでしょうが・・・

 どうやって仲直りするかはこれから考えるとして(←おい)

 

 ヤシオさんの特殊能力『ダスティミラー』について。

 作中でもちょこちょこ書きましたが、これは彼女の眼球を媒介にして発動してます。

 モデルはお馴染みARMSの『ハートの女王』

 当初の設定では単純に『魔眼』みたいな感じだったんですが、本編に出てきてしまいましたしね。

 と言うことで名前を変え、能力をちょっといじりました。

 基本的には時ナデ2章のアレと一緒だけど、やっぱりちょっと違います。

 超視覚と催眠暗示。

 強力な暗示は記憶操作や感情操作も可能。

 まあもちろん他にも隠し技が・・・あるんですけど、それはまた先のお話で。

 

 ああ、ちなみにミカズチ&ラビオの本来の出番はもっと先です。

 なんとなく西欧編で出したのは、顔見せみたいなつもりでした。

 

 それでは。

 次回投稿は何時になるのか全く予想できませんが、今日のところはこれにて。

 

 

 

代理人の感想

うーむ。

弓が引き絞られ、矢が放たれる前の一瞬の静止。

前回の例えを引けばそんな話でしたね。

 

にしても、ナオとヤシオさんのコンビが非常にいい味出してますねー。

ゆけゆけヤシオどんとゆけ。