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交錯する時の流れ

 

第五話前編

 

 

 

 

 

 ―――――2196年 10月

 

 

「・・・・・・眠っている、としか表現のしようが見つからんよ」

 

 白衣を着た中年の医師が目の前の女に告げる。

 

 医師はほとんど寝ていないのだろう。

 その顔はひどく疲れきっており、手元のカルテの上に刻まれた文字もどこか雑だ。

 

 突然入った厄介な仕事。

 

 断ろうにもこれはこの病院と浅からぬ繋がりを持つあのネルガルからの緊急要請であり、

 無下にすることも出来なかった。

 もしこれが新種の病などと言ったケースならばそれなりに好奇心が刺激されたのだろうが、

 検査が終わってみれば患者はただ睡眠を取っているだけ。

 その他一切の異常は認められず。

 まあ寝返り等も全く行わないからどちらかと言えば植物状態に近いかもしれない。

 どちらにしろ、特に真新しい症例ではないという事だ。

 

 だが女は医師に対して何ら反応を示さない。

 寝台に横たわる男をじっと見つめ、その手をしっかりと握る。

 

 大切な者を失ってしまったものの表情。

 

 こんな仕事をしているせいで見慣れてしまった医師だが、やはり掛けて上げられる言葉は見つからず、

 

「気の毒だが・・・」

 

 もう目覚めることはないだろう、とはあえて口にせずに席を立つ。

 

 医学はもうほとんど限界といえるくらいまで進歩した。

 だがそれでも手も足も出ない症状とは厳然として存在する。

 こういった永久睡眠に陥ってしまった患者もその一つだ。

 すでに医学ではどうすることも出来ない。

 時が癒してくれるのを待つか・・・・・・奇跡でも起こらなければ。

 

 医師はカルテを纏めながら続ける。

 

 

「・・・原因すらもわからないのではね。

 こちらも対処の使用がないんだよ。

 ―――しつこいようだが、本当に心当たりは・・・・・」

 

「・・・・・・・・・すみません」

 

 か細い声。まるで聞き取れるギリギリの音量を測ったかのようだ。

 

 医師は溜め息をつく。

 もっとも、彼女が何も知り得ないのはとっくに分かっていたことなのだが。

 

 患者は地球連合大学の卒業式において突如倒れ、そのまま意識不明に陥ったと聞く。

 対して彼女の方は同じく軍の所属とは言え、機動兵器のパイロット養成所の訓練生。

 当然卒業式の時には全く別の場所にいたのだし、実際に患者の許に駆けつけたのも最後だった。

 いや、それ以前に患者との繋がりがほとんどないらしい。

 患者の幼馴染と、彼女の先輩と呼ぶ人物が同じと言うことだけ。

 この二人の間に直接的な関係はない。

 最初はいぶかしんだものだが彼女の患者を案じる気持ちはどうやら本物のようだった。

 今も患者の両親に許可をもらって最後まで付き添っている。

 もちろん、ネルガルからの特例と言うことで許されているわけだが。

 

 

「明日の朝には退院を許可しよう。

 ・・・・できるだけ彼の心が安らぎそうなところで療養生活をおくるといい」

 

 医師は病室を後にする。

 

 

 扉を開けたそこには、患者をここへ運び入れる手筈を整えた張本人であるプロスペクター氏が立っていた。

 医師はプロスペクターを確認すると無言で首を横に振る。

 

「お手数をおかけしました。

 あとは私が・・・」

 

「ええ。私は退院の手続きを済ませておきます」

 

「お願いします」

 

 医師に代わり、今度はプロスペクターが病室へ。

 契約の解除を言い渡さなければならないからだ。

 心は痛むが・・・・仕方ない。

 ネルガルは慈善事業ではないのだ。

 使えなくなってしまった者に、給料を払うわけには行かない。

 

 

「・・・・プロスさん」

 

 音もなく入ってきたプロスペクターを振り返ることもなく、寝台の横に座った女が声を掛ける。

 プロスは少し驚き、片眉をぴくりと跳ね上げた。

 

「お気を確かに・・・・・・イツキ・カザマさん」

 

「気を使ってくれてありがとうございます。でも私は大丈夫です。

 まだ・・・・・・可能性はありますから・・・」

 

 患者――アオイ・ジュンとは既に正式な契約を果たしていた。

 連合大学を卒業した後、ネルガルの所属となってナデシコの副長となるはずだったのだ。

 ・・・こんな事態にならなければ。

 

 

「それで・・・・・・このような時にまことに申し上げにくいのですが・・・」

 

「契約の取り消し・・・ですね?」

 

「・・・・・・はい」

 

 どうやら既に事情は知っているらしい。

 それならば話は早いだろう。

 

 だが目の前の女性は予想もしてなかった提案を持ちかけてきた。

 

 

「そのことなんですけど・・・・・

 もしよかったら私をパイロットとして雇ってもらえませんか?」

 

「は?

 あ・・・・いえ、ですがアオイさんをお一人にしては・・・」

 

「もちろんジュン・・・いえ、アオイさんも今のままでお願いしたいんです。

 私が、彼の介護を全面的に受け持ちますから」

 

「それは・・・・・・申し訳ありません。

 失礼ですがあなたはまだ養成所も出ていない、言うなればひよっこです。

 我々ネルガルが求めているのは一流の人材。

 まあ、人格面には多少の妥協も認めていることは確かですが・・・」

 

 イツキ・カザマと言う人材は、この時点ではまだプロスペクターの目には止まっていなかった。

 そして彼は、自分のスカウト能力に絶対の自信を持っている。

 モットーは「性格に多少の問題があっても腕は一流の人材」

 ただでさえ成功確率の少ないスキャパレリプロジェクトを無事遂行させるために、人選ミスは許されない。

 

「卒業してきます。

 ・・・そうですね。だいたい一週間くらいで」

 

 一週間・・・ナデシコの出航日には余裕で間に合う。

 まさか知っていた訳でもないはずだが・・・。

 しかしどうやって卒業すると言うのか?

 

「私が既に一人前であることを教官たちに示せばいいんです。

 シュミレーション戦闘で教官たちに全勝でもして見せればそれで終わりですよ」

 

「ほう・・・面白いことを仰いますな。

 わかりました。ではもしそれが達成出来たのなら当社はあなたの採用を認めます。

 加えてアオイさんの契約の継続も。この条件でよろしいですか?」

 

 養成所、とは言え教えてるのはプロの教官だ。

 シミュレーターによる模擬戦が主であり、彼らにそれで勝つのは至難だろう。

 しかも彼女は全員倒すと口にした。

 もしそれが出来るのなら、ナデシコ搭乗の条件は十二分に満たしている。

 ・・・まあ、いざというときのために副長の代わりは探しておいた方がいいかもしれないが。

 

「ええ、それで結構です。

 ・・・ありがとうございます、プロスさん」

 

 

 

 

 

 それから一週間後、養成所を今までにない好成績で卒業した、と言う名目で彼女はネルガルに就職した。

 

 実際は訓練教官全てとの一対多数の戦闘において、

 無傷で勝利したと言う前代未聞の偉業を達成したのだが。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

「ユリカ先輩!! 急いでください!!

 もう時間です! 時間!!」

 

「だって〜〜〜!

 この制服ってださださでなかなか決まんないんだもん!」

 

「いいえ! 先輩はどんな格好でも最高です!」

 

 長年の癖か、思わず力説してしまう。

 

 私は今ユリカ先輩の部屋の中で、先輩の荷物を抱えているところだ。

 私の荷物は既に車に積んであるし、あとは先輩さえ準備が終わればいつでも出発できる。

 

 ・・・・だけどこれがまた時間掛かるのよね。

 ユリカ先輩の美しさはこう言った日々の積み重ねで形作られてきたのかも。

 

 

「私、先に車に乗ってます! 先輩もできるだけ急いでください!

 初日から艦長が遅刻してたら冗談では済まされませんよ!!」

 

「は〜〜〜〜〜〜い!!」

 

 

 ガチャ!!

 

 

「あ・・・!」

 

「ユリカ!! 学生気分もいい加減に・・・!!?」

 

 

「きゃ〜〜〜〜〜〜!!!!」

 

 

 先輩の投げた旅行鞄がミスマル提督の鼻先に激突する。

 

「ユリカ・・・立派になって・・・(滂沱)」

 

「はいはい、さっさと出てってくださいねー(怒)」

 

 うるうると涙を滝のように流し始めた提督を強制的に退室させる。

 

 それにしても・・・・・ああ、また時間が(涙)。

 気にしすぎる私がいけないの?

 

 

 

 

 

 

 火星の後継者との戦いのさなか、

 遺跡に取り込まれたジュンを助けようとして突入したところまでは覚えている。

 どうやらランダムジャンプになってしまったこともジャンプアウト後の周りの様子ですぐに分かった。

 

 テンカワさんという予備知識もあった。

 ここが2196年・・・ナデシコが宇宙へと飛び立つ前だと言うのにはさすがに面食らったけど。

 それでも、まあそういうのもありかな、と思えてしまった。

 命があっただけましだ。

 ランダムジャンプは最悪の場合、太陽の中とかにも行ってしまう可能性があるらしいから。

 

 目覚めてからすぐ、私はジュンに会うために連合大学を訪ねた。

 A級ジャンパーである私が無事でも、ジャンパー体質でないジュンはどうか分からない。

 とにかく一刻も早くジュンの安否が知りたかったのだ。

 

 だが・・・・・

 

 

 連合大学はその日が卒業式のようだった。

 異変が起こったのは首席・次席である先輩とジュンが卒業生を代表して答辞を述べ終わったときのこと。

 突然苦しみだしたジュンがそのまま意識を失い、

 それを聞きつけたプロスさんが設備の整ったネルガル系列の病院に入院する手配をしてくれたと聞いた。

 私が大学に着いたのはジュンがご両親の付き添いのもとで病院に運ばれた直後だったようだ。

 

 病院が診断した結果、ジュンはただ眠っているだけと言うこと。

 脈もあるし呼吸もしてる、瞳孔反射だってしっかりあった。

 視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚。計測機器には全て確認された。

 しかしどんな手段を用いても目覚めることはなかったのだ。

 まるで心をどこかへ置いてきたようだ、とは誰の言葉だったか。

 

 ジュンは・・・・・・もしかしたら耐えられなかったのかも知れない。

 もともとジャンパーじゃない彼は、あの場で死ぬはずだった。

 私が無理矢理イメージをサポートしたことで何とかこっちについて来れたはいいけど

 不完全な状態がこっちのジュンと干渉し、こういう状況になってしまったのかもしれない。

 だとしたらこれは私のせいだ。

 こっちのジュンが私の知らないジュンであったとしても、私には彼のために尽くす義務がある。

 

 

 

「イツキちゃんお待たせ!」

 

「遅すぎます! 早く乗ってください!」

 

 まったく・・・軍人が時間を護らないでどうするんですか。

 前に私がナデシコに乗ったときはたしか辞令が一日遅れで来たせいで完全に遅刻したけど、

 まさか今回まで遅刻しそうになるとは思いもしませんでした。

 

「・・・・・・やっぱり、ジュン君も連れてくんだね」

 

 先輩が、後部座席に固定された車椅子で眠るジュンを見て少し哀しそうに言う。

 ちゃんとナデシコの指揮官用標準制服姿だ。

 退院してから今まで、私はご両親に頼み込んで住み込みでジュンの介護をしていた。

 

 ジュンをナデシコに乗せる事は私の中では絶対に譲れない確定事項だ。

 最前線での戦闘が主となる以上相応の危険は避けられないし、介護にもかなりの制限がつくのは分かっている。

 それでも、ナデシコという要因なくして生活を送るなど私たちには考えられなかった。

 それにもしジュンが目覚めたとき、その場所はナデシコを置いて他にないだろうとも思う。

 

「ええ、ジュンもきっとそれを望んでいますから」

 

「そっか・・・・・・そうだよね!

 う〜〜ん、でも意外だな。

 イツキちゃん、私が知らない間にこんなにジュン君と仲良くなってるんだもん。

 ・・・ねね、いつから?」

 

 私の心情を汲んでくれたのか、先輩はわざと明るく言って場を和ませる。

 その気遣いに私は無言で感謝した。

 

「ふふ、秘密です。

 それよりも早く出発しましょう?

 いきなり遅刻なんてしたらなんて言われるか・・・

 プロスさんのカミナリが落ちても知りませんから」

 

「うぐ・・・そ、そうだね。

 ちょっと遅れ気味かもしれないかな〜・・・・ははは・・・」

 

 お互いに違った意味の微笑を浮かべながらシートベルトを占める。

 この車はアオイ家から譲り受けたものだ。

 介護用に後部座席が広く取られており、車椅子ごと固定できるのでかなり重宝していたらしい。

 ナデシコについたらプロスさんに交渉して格納庫の一隅に置かせてもらおう。

 事情さえ説明すればウリバタケさんだって妙な改造はしない・・・・・・・・・はず。

 

「さ、時間がないから飛ばしていきますよ♪」

 

「了〜解! それじゃ、出発進行!」

 

 助手席のあくまで陽気なユリカ先輩。

 

 とりあえず私が普通免許取得であることは乙女の秘密だ。

 

 本来なら養成所でそのうち取らせて貰えるんだけど、

 なにしろ私は力技で卒業してしまったので当然そんな余裕はなかった。

 まあエステに比べればおもちゃみたいなものなので問題はないだろう。

 

 ・・・途中、スピード違反で捕まってもサセボ基地まで逃げればこっちのものだし。

 

 ちなみに乗るのも今日がはじめて。

 ここまではお義父さま(?)が運転してくださったからね。

 こういうハンドル車というのもIFS使用車にはない風情があってなかなかいい。

 

 

 私は思い切りアクセルを踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・おや?

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・ねえ、それブレーキじゃないかな?」

 

「あ、あははは・・・冗談ですよ、冗談!

 え〜〜っと・・・あ、そーか! これがアクセルでしたね、たしか!」

 

「イツキちゃん・・・あなたが何を言ってるのか分かりたくないよ・・・」

 

 失礼な。

 バイクとエステとシャトル以外の操縦が数年ぶりだからちょっと戸惑っただけです。

 

 今度こそ、私はアクセルを力いっぱい踏み込んで車を発進させた。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「イツキちゃん!! ブレーキ!!

 ブレーキってわかってる!?

 あ〜〜!! それは違うってば〜〜〜〜!!」

 

 

「すみません先輩。

 すでにブレーキは踏み折ってしまいました」

 

 

「いやぁぁぁあああああっ!!!!」

 

 

「あ、でもハンドルはまだ辛うじて残ってるのでなんとかなると思いますよ?」

 

 

「“辛うじて”って何っ!!? “辛うじて”って!!?

 うわぁぁあんんっ!! イツキちゃんの馬鹿ぁぁああっ!!!!」

 

 

「え〜と・・・」

 

 

 とうとう泣き出してしまった先輩。

 もはや掛けて上げられる言葉が見つかりません。

 

 どうやら私はすっかり車の運転を忘れていたみたい。

 さらには昂気による細胞活性のおかげで

 ランダムジャンプ前と寸分違わぬ身体能力を保持していたことも災いした。

 

 人間とは、咄嗟の反射行動において手加減と言うものが出来ない。

 高速走行中に突如車体が右にずれれば左にハンドルを切るのは反射行動だし、

 その際に目の前に現れた障害物にあわててブレーキを踏むのも無条件反射だ。

 最悪なのはその時に私の力でハンドルはもげかけ、ブレーキはおしゃかになったこと。

 私の反射神経は抜群なので車の外装自体には目立った損傷はないのがせめてもの救い。

 

 まあジュンはしっかりと固定されているので大事は無いだろう。

 いざとなったら昂気で防御できるから大丈夫だけど・・・・・

 ああ、お義父さまごめんなさい。

 ナデシコについたらすぐにウリバタケさんに修理してもらいます。

 

「・・・あら? そう言えば何か重大なイベントを忘れているような気が・・・」

 

 頭の中のもやもやに首を傾げる。

 車の運転はダメだと言っても、もともと順応性が高くなければパイロットはやってられない。

 既にだいたいの操作はマスターしていた。

 ブレーキが無いからスピードが上がる一方なのは仕方ないけど、

 私にとってはこの車体の揺れも速度も恐怖に値するほどではない。

 白百合はもっともっと洒落にならないくらい速かったしね。

 

 助手席のユリカ先輩は一生懸命手足をふんばって揺れに耐えているところだ。

 私は先輩の身を案じて声を掛けた。

 

「先輩、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫じゃないよ〜〜・・・って、前見て!! 前ぇっ!!」

 

「え・・・・・?  ああっ!!」

 

 ユリカ先輩の視線を追って前方を見る。

 目の前に、こちらに全く気付いていないようにぼけっと立っている人影が迫っていた。

 慌ててハンドルを切るも・・・・

 

 

 

 

   ばこぉぉぉぉおおおおおんんんん!!!!!

 

 

                ・・・ぎゅるりりりりりりりりりっ!!!!

 

 

 

 

 ・・・・クリーンヒット。

 しかも車が停止するまで引き摺ってしまうとは・・・。

 

 間違いなく即死でしょうね。

 

 それこそヤマダさんやハーリー君でもなければ。

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 沈黙が痛い。

 たしか200キロ近くは出ていたはず。

 それが止まったと言うことはそれだけ逆向きのエネルギーが必要なわけで・・・

 

 

「・・・・・・・・・さ、ユリカ先輩。艦長が遅れては乗員に示しがつきません。

 幸い偶然にも一度止まることが出来ましたからブレーキを応急処置してすぐにでも出発・・・」

 

 

「イツキちゃん!!」

 

 

「・・・・・・はい。ちょっと見てきます」

 

 さすがに怒った口調の先輩に、私は渋々車を降りた。

 

 どうか生きてますように、とか思いながら、恐る恐る車の下を覗く。

 最悪の場合は・・・・・・どうしよう?

 

 いっそ埋めてしまおうか?

 いやいやそれより基地の側に連れて行っておけば木星蜥蜴との戦闘の巻き添えって事に・・・

 

 少しばかり危なくなってきた考えを振り払う。

 とにかく容態を確認しなくては。

 

 口の中でごもごもと信じてもいない神様に祈りを捧げた。

 べつに冥福を祈ったわけじゃありませんよ?

 

 とにかく私は車体の下に横たわっていた人物を一気に引き出し・・・

 

 

 

 

「・・・・・・・・・テンカワさん?」

 

 見知った顔に思わず凍りついた。

 

 倒れているのは間違いなくテンカワアキトその人だ。

 つんつんとはねている黒髪。けしてハンサムとは言えないがとりあえず整ってはいる顔。

 服装はオレンジ色のポロシャツにジーンズだ。いくらなんでも黒のマントは羽織っていない。

 傍らには調理器具の詰まったリュックサックにもはや再起不能の自転車。

 

 驚いたことに当人には外傷が擦り傷程度しか見当たらない。

 どうやったのかは分かりかねるが、咄嗟に受身を取ってダメージを最小限に食い止めたようだ。

 

 そう言えば確かナデシコ出航直前でしたね。テンカワさんと先輩が再会を果たしたのは。

 まあまさかはね飛ばすとは思ってませんでしたけど(汗)。

 

 イレギュラーですイレギュラー。

 もうこんなところから歴史は歪み始めているらしい。

 

 

「・・・とりあえず生きてる、か。

 テンカワさんの非常識ぶりに感謝しなくてはいけませんね」

 

 どうやらいきなり轢き逃げ殺人犯にならずに済んだようです。(←逃げるつもりだったらしい)

 あ、でもこのままにしておいたらまずいかな?

 いくらテンカワさんでも今から徒歩じゃあナデシコ出航に間に合わないだろうし・・・。

 

 

「イツキちゃ〜〜ん・・・どう?」

 

「あ、はい! 見たところ怪我は無いようです。

 ただ気を失ってるみたいですね。

 このまま放っておく訳にも行きませんからサセボまで運んでおきましょう」

 

 そしてどさくさに紛れてナデシコに放り込んでしまおう。

 なにせテンカワさんはこの戦争を終わらせるためには欠かせない存在だ。

 ここでリタイアさせるわけには行かない。

 

 とりあえず気絶したテンカワさんの体を後部座席――ジュンの隣りに放り込むと、

 今度はブレーキの修理に取り掛かった。

 と言っても私が勢い余ってブレーキペダルを折ってしまっただけなので応急処置は簡単だ。

 車のトランクから針金を取り出してぐるぐる巻きにする。

 ちょうど骨折したときのギブスみたいに。

 

 

 私は自分が未来から帰還してきた者であることをテンカワさん達に明かすつもりは無かった。

 未来の知識を持つと言うことは何も利点ばかりではないからだ。

 上手く立ち回れる反面、それは容易に視野を狭めることへと繋がる。

 ここはこうなるはず、あの人達はこのような行動を取るはずだと決めて掛かるのはどれほど危険なことか。

 二回目のテンカワさんもそのせいで幾つかの新たな悲劇を生み出してしまった。

 皮肉なことに、自分が過去に体験した悲劇を避けたい、という考えによって。

 今回はテンカワさん達が動く裏で、私がこそこそと逐次調整をしようと思っている。

 メティスさんやカズシさん。

 そして・・・チハヤさん。

 

 テンカワさんの事をどうにかするのは先輩やルリさん達の役目だしね。

 あ〜ゆ〜どろどろの多角関係に口を出すつもりはさすがにない。

 

 応急処置を終え、私は再び運転席に戻った。

 

 

「うわぁ・・・ほんとに怪我してないんだ。

 丈夫な人だね〜・・・・・・ん?

 どっかで見たことがあるような・・・」

 

 いけない!

 ここでユリカ先輩がテンカワさんのことを思い出してしまったら天真爛漫モードで遅刻は必至。

 ナデシコが木星蜥蜴の襲撃で沈んでしまう!

 

 ・・・・・・となれば

 

 

「・・・だいぶタイムロスしたみたいです。

 ユリカ先輩、どこかにしっかり捕まっていてくださいね?」

 

「あ、安全運転で行こう!

 別に怒られるのは平気だから! ね? ね?」

 

 先輩・・・ごめんなさい。

 あなたが平気でもナデシコは無事では済まないんです。

 

「安心してください。もう勘は取り戻しました。

 ―――ということで行きます!!」

 

 

 ブォォォオオオオンンン!!!

 

 

「いや〜〜〜〜〜〜!!!!」

 

 発車の勢いで前輪が浮かび上がり、続いて後輪が急加速で車体を前方に押し出す!

 さっきまでとは違ってちゃんと私の運転通りに動いてくれるので、

 スピードは同じでも到着時間はだいぶ短縮されるだろう。

 

 

 ・・・後部座席でテンカワさんがシェイクされてるみたいだけど、まあ些細なことですねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ・・・それでこの方が道に倒れていたと?」

 

「ええ。偶然私たちが通りかかったから良かったようなものの・・・。

 放っておく訳にも行きませんからここまで連れてこさせてもらいました。

 すみませんがナデシコの医務室で休ませて上げてくれませんか?」

 

「ふ〜〜む・・・わかりました。許可しましょう。

 出航はまだ先のことですしな。

 ゴート君、この男性を医務室まで運んであげてください」

 

「うむ・・・」

 

 どうにか木星蜥蜴の襲撃に間に合った私達は、プロスさんにテンカワさんのことを説明した。

 ・・・多少の脚色はあるにしても、ですけどね。

 プロスさんの指示を受けたゴートさんがテンカワさんを担いで去って行く。

 

 む、なんですか先輩。その怯えきった子犬のような目は。

 

 

「・・・ま、あなた方の乗ってきた車が人型に凹んでいるのは見なかった事にしておきましょうか。

 幸い命に別状はなさそうですし・・・」

 

「うぐぅ・・・あ、ありがとうございます」

 

 バレバレでしたか・・・。

 やっぱり勝てません。この人には。

 

「さて、一応彼の身元を調べなくてはいけませんから私は医務室の方に行って参ります。

 艦長はブリッジの方へ急いでください。他の方々はもうみなさん揃っていますよ」

 

「わっかりましたぁ!」

 

「私は格納庫の方へ?」

 

「イツキさんは・・・そうですな、やはりブリッジに一度顔を出しておいて頂きましょうか。

 ブリッジクルーとパイロットはなにかと連携を取らなくてはいけない事が多いですからな」

 

 言いながら私が押している車椅子のジュンにちらちらと視線を向ける。

 なるほど。

 つまりこういう状態の副長を搭乗させる理由を私の口から説明しろ、と言うわけですか。

 

「わかりました。それでは私たちはブリッジに向かいます。

 ・・・っと、先輩! 何処に行く気ですか! そっちじゃありませんよ!」

 

「え? そ、そうだっけ? あはははは・・・」

 

「笑って誤魔化さないで下さい・・・ハァ、まったく。

 じゃ、プロスさん。後のことはよろしくお願いします」

 

「はいはい、かしこまりました」

 

 私の言葉にプロスさんはにこやかに頷いた。

 身元を調べると言うことは遺伝子データを参照すると言う訳で、

 テンカワさんの存在はネルガルの興味を引くはずだから後は心配しなくても大丈夫だろう。

 

 私は記憶のままのナデシコ内部に懐かしさを感じながら、先輩を案内した。

 何処もまだ新品同様で、間違っても天井に足跡なんてついていない。

 なんだか奇妙な感じだ。とても見慣れた風景がまっさらに戻っていると言うのは。

 流れたはずの時間が無かったことになっている。

 

 かつてテンカワさんはこの状況に希望すら抱いたのかもしれないが、私はできれば遠慮したかった。

 遺跡がなぜ私たちをこの時間に送り込んだのかは全くわからない。

 確かにあの時間も万事満足のいくことばかりだったわけじゃなかった。

 それでも私たちは乗り越えようとしていたのだ。起こってしまった悲劇を。

 それをいきなりリセットするなんてあまりに理不尽すぎる。

 もっとも、私とジュンがこちら側に来たのは遺跡にとっても手違い以外の何物でもないのだろうが。

 

 とにかく済んでしまったことを言っても仕方ない。

 私のすべきことはジュンの覚醒を促し、目覚めたときに彼が笑って受け入れられるような状況を作ること。

 具体的にはカタオカ・チハヤさんの救出だろうか。

 恋敵を助けるのは吝かではないが、死人を相手にするよりはまだ遥かに勝機はある。

 

 だからその時までは流れに逆らわないでいよう。

 テンカワアキトという巨大な流れの中に身を隠していよう。

 

 不安も心配も胸の中にしまいこんで、とりあえず今は・・・

 

 

「早く・・・目を覚ましなさいね」

 

 それだけを望もう。

 

 

 

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 作者の懺悔(爆)

 

 だめだ・・・纏める能力があまりに無さ過ぎる・・・(泣)