交錯する時の流れ

 

第六話

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――俺は。

 

 俺は、悲鳴を上げていた。

 

 

 とても熱くて。とてもとても苦しくて。

 とても怖くて。とてもとても寂しくて。

 

 

 

 体が今にも溶け出してしまいそうで、必死に自らを抱きとどめる。

 精神(こころ)が今にも崩れてしまいそうだ。

 

 全身を削られていくような痛み。

 どんなに足掻いても抜け出せない闇。

 

 俺と言う存在が分子レベルまで粉々にされていくような、そんな気すらする。

 

 幾度となく気を失い、幾度となく目覚めさせられ、既に疲労は限界をとうに越えた。

 それでも終わりが訪れる気配はなく、ただ逃れられないと言う絶望だけが目の前に拡がる。

 

 なにもかもが曖昧で。

 ここには自分以外に何もない。

 しかし、自分以外の全てがある。

 

 矛盾した世界。

 

 

 

 『時の狭間』

 

 

 俺はなかば本能的に理解した。

 理解せざるを得なかった。

 理解を強制された。

 

 上下左右の区別の無い――いや、存在と“非”存在の区別すらあるかもわからない混沌の繰り返し。

 

 『気を失う』

 それが死だ。

 それほど気楽に、死が訪れてしまう。

 

 意識の喪失は、その認識は。

 この空間においては死そのものを指しているのだろう。

 

 

 抜け出せない。

 逃げられない。

 

 

 体がレトロスペクトに変換される過程での意識の途絶と再構成の失敗。

 それによる肉体の死。

 残った精神のみの逆行で『まだ死んでいない』時間に戻される。

 しかし『狭間』という特異な次元に俺の『過去』は存在せず、次元を越える為の案内人(ナビゲーター)もいない。

 必然的に俺がこの次元に迷い込んだ時間軸に戻ることとなり、その時点で既に未来は決定している。

 

 幾度となく崩壊する精神。

 それでも『まだ壊れていない』時間が再び訪れる。

 

 認識だけが、概念だけが、記憶だけが。

 繰り返し、繰り返す。

 繰り返される。繰り返される。

 

 地獄とはまさにこの世界か。

 この世界こそがまさに地獄か。

 

 ―――永続する苦痛(エターナル・ペイン)

 

 永遠すらも認識の一形態に過ぎず。

 死にたくても死ねない。壊れることも出来ない。

 

 これが、非ジャンパー体質者によるボソンジャンプの結果。

 

 遺跡に捨てられた者達の成れの果て。

 

 

 

【・・・これが、俺の運命・・・?】

 

 

 諦観が心を縛る。

 絶望が心を彩る。

 

 朦朧とする意識の中で、ぼんやりとそう思っていた。

 

 後悔していたのかもしれない。

 あいつを助けたい・・・そんな自己満足のために招いたこの結果を。

 俺は、きっと後悔していた。悔やんでいた。

 

 

 こんな筈じゃなかったんだ。

 こんな・・・つもりじゃなかったんだ。

 

 

 俺の命くらいなら捧げてもいいと、それくらいの価値はあると。

 確かに思った。

 みんなのために、そうすべきだと確かに思った。

 

 死が一瞬のことなら、それが刹那の苦しみなら。

 甘受出来るだけの覚悟は・・・あった。

 

 だけど、もし・・・分かっていたら。

 こうなることが、初めから分かっていたとしたら。

 

 俺には・・・出来なかった。

 

 アイツを見殺しにしてでも、愛した人たち皆を見捨ててでも。

 ここへ来なくて済むのなら。

 この混沌の世界に来なければならないことに比べれば、何でもない。

 

 そうさ、何でもない。

 ここから抜け出せるなら何だって、やってやる。

 どんなことだって・・・やってみせる。

 

 何だってできる。

 

 だから・・・

 

 

 

 

 

 

 だから・・・だから、だから!!

 

 

 

 

 だから誰か! 誰か!!

 誰か俺を!! 俺を・・・誰か!!

 

 ―――誰か、助けてくれよ・・・誰か、僕を・・・俺を!

 

 頼むよ、なぁ・・・誰でもいいんだ!

 俺をここから出してくれ!!

 僕を、この世界から・・・解き放て!!

 

 何でもする! 何だってやってみせる!!

 

 誰か!! 誰か!! 誰か!!

 誰か僕を!! 僕を・・・誰か!!

 

 

【―――!!】

 

 意識が途切れる。

 

 意識がはじまる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――俺は、悲鳴を上げていた。

 

 

 とても熱くて。とてもとても苦しくて。

 とても怖くて。とてもとても寂しくて。

 

 

 溶け出す身体。

 崩れる精神(こころ)

 

 

 

 けれど―――

 

 

 

 

 

 けれど希望は。

 けれど未来は。

 

 まだ俺を見放していない。

 俺はまだ、見放されていない。

 

 

 何時しか俺は、駆け出していた。

 

 

【・・・なんだ・・・?】

 

 

 突如として、目の前に光が現れる。

 温かい概念。心地よい存在感。

 強烈な・・・母性。

 

 

【・・・出れる・・・ここから・・・?】

 

 

 諦観の鎖を切り裂き、絶望の闇を切り払うその光。

 

 光の中に飛び込む。

 躊躇いなどあるはずもなく。

 一直線に、全速力で。

 

 

 ―――ココカラデラレルナラバ・・・

 

 

 

 

【俺は・・・僕は・・・】

 

 

 

 

 

 

 

 そして、俺は帰還者となった。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――だが。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

『・・・苦しい、な』

 

 意識を取り戻してから、まずそう感じた。

 呼吸器系を圧迫されることによる苦しさ。

 だが不思議なことに、その苦しみに幸福感すら覚える。

 何の変哲も無い『普通の』苦しみだ、と心のどこかで喜んでいる。

 

『ランダムジャンプ―――助かったのか、俺?

 なにかとても、怖い夢を見ていた気がするが・・・』

 

 思い出せない。

 思い出すことが出来ない。

 絶対に、思い出したくはない。

 思い出してはいけない。

 

 俺は浮かんできた認識を慌てて、それこそ脅えるかのように振り払う。

 

 

 とにかく今の状況を整理したい。

 

 まず・・・なぜこんなに息苦しいんだろう。

 ついでになぜこんなに視界が暗い、というか完全に真っ暗なのか。

 

 答えはすぐにわかった。

 完璧に、明白だった。確かめるまでもなかった。

 

 

『重い・・・って、いやシャレにならないくらいに重いんだけどっ!!』

 

 なにか柔らかくて大きな物体が俺の上に覆い被さっている。

 重い、で済んでいるのが不思議なくらいだ。

 普通なら圧死していてもおかしくないほどに差がある質量・体積。

 

『し・・・死ぬぞこれっ!?』

 

 俺はその物体の下から這い出ようともがいた。

 必死に。全力で。

 そして体の『違和感』に気付く。

 

『くそっ、体が、上手く動かない・・・?』

 

 まるで使い慣れた自分の体ではないかのように。

 

 気にはなったが気にしてられなかった。

 何よりもまず目の前に迫った命の危機に、とりあえず脱出を優先する。

 

 ぐいぐいと行く手を塞ごうとする柔らかな塊を押し退けて、ついに脱出に成功。

 眩しい光と新鮮な空気。

 生きているって素晴らしい。

 

 しかしそう思えたのは一瞬だけだった。

 

 光で一時的に眩んでいた視力が次第にはっきりとしていく。

 ぼんやりと映っていた光景が徐々に形を成していく。

 

 そこには・・・

 

 

 上手く言葉を紡ぐことが出来ない。

 

 けして長身ではないとは言え、一般男性の平均並には達しているはずの俺の頭上遥かにある天井。

 壁から壁まではこれまた信じられないくらいに広く、そのまま野球場でも建てられそうなほどだ。

 置いてある品も、その全てが巨大という形容詞をつけずには表現できないものばかり。

 だがそれらを冷静に観察すると、おかしなことにごく一般的な『家具』であることがわかる。

 スケールを別にすれば明らかに普通の、すこし少女趣味的な趣のある部屋でしかない。

 

 

 気配を感じて、はっと振り返った。

 

 そこにあるのは巨大な鏡。

 余りに巨大すぎて、余りに近すぎて。

 その全容を確認することは出来ないが、おそらく一般的な鏡台の形をしているのだろう。

 

 そしてその鏡に映るのは。

 たったいま、まさに目の前に、驚愕をあらわにしてこちらを睨み返すその姿は。

 

 

 

【う、うわあああああっ!!!!】

 

 

 思わず挙げたはずの悲鳴は。

 しかし明確な音に変換されることなく、空しく広大な部屋の中に消えていくだけだった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 ―――私は。

 

 私は、悲鳴を上げていた。

 

 

 とても熱くて。とてもとても苦しくて。

 とても怖くて。とてもとても寂しくて。

 

 

 でもそれは私自身が感じたものじゃない。

 私という個体は、きっと何の痛痒も感じていない。

 これは私の苦痛じゃない。

 

 ジャンプの発動と同時に私の中に入り込んできた、誰かの意思。

 その意思の持ち主が感じていた強烈な恐怖が私にも伝染したのだ。

 ・・・いや、あまりに直接的なそれは伝染と言うよりも共振に近い。

 

 鈍器で頭を殴られたような衝撃があった。

 私の中に逃げ込んだ後も興奮が収まらずに暴れまわるその人に、体が張り裂けそうになった。

 精神を切り裂かれるかのような心地がした。

 

 それでも私は、不思議とその人を拒絶しようとは思わなかった。

 思えなかった。考えもしなかった。

 

 

 その人が落ち着きを取り戻すにつれ、手に握り締めたプレート状の御守りがさらに輝きを増す。

 同時に私の体から見覚えのある別の光が新しく生まれ出る。

 

 それは青白い光。それは儚くも力強い光。

 

 木連式口伝最終奥義『武羅威』・・・その証である昂気の輝き。

 

 私の意に反して光は奔流となり、収束して一匹の獣の姿を形成する。

 

 

 私の中の獣。その姿は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【・・・・ミちゃん! アサミちゃん!】

 

 声が聞こえる。

 と言っても頭の中に直接響いてくるような感じで、それだけに無視することが出来ない。

 目覚めを拒絶する私の意思に、直接その声は抗議するみたいだ。

 

 いい加減にしてほしいな。私は睡眠をしっかりとる主義なのに。

 

 

【アサミちゃん起きてくれ! 起きろっ!!】

 

「う゛〜、あと5・・・・・・時間」

 

【・・・あーそうかい。

 そっちがそういう態度に出るならこっちも容赦はしないぞ! くらえ!】

 

 

 ぺしっ! ぺしぺしっ!

 

 

 頬をくすぐるように刺激するなにかに、私はうっすらと瞳を開く。

 

 何なんですか、と不満を抱きながらも身を起こしてあたりを見回した。

 傍らのぬいぐるみが、シーツと一緒にベッドから転がり落ちる。

 見慣れた・・・実家の私室。

 特に変わった様子も見られないし、私以外に誰かがいる様子もない。

 空耳だったのだろうか・・・?

 

「・・・・・・って、実家?」

 

 どうして私は実家にいるんでしょう。

 たしか・・・そう、火星での戦闘中に遺跡に囚われたジュンさん達と一緒にランダムジャンプしたはず。

 それがなんで、いまさらこんなところで呑気に惰眠を貪っているのか・・・?

 

 

【こっち! こっちだアサミちゃん!

 下だよって踏むなこらぎゃあああああっ!!!】

 

「え?」

 

 

 むぎゅ!

 

 

 なにか・・・踏んだ。

 

 

【死ぬ! 死んでしまう!

 ちくしょう圧死なんて最低だぐわ、ぐわわわっ!!】

 

「えええ?」

 

 わけが分からない。

 首を傾げて下を見るが、そこにあるのはフローリングの床だけ。

 ベッドから降ろした右足に何かを踏んでる違和感があるものの・・・

 

 とりあえずどける。

 足の下でぐにゃぐにゃと動く『それ』は、何か気持ち悪かった。

 

「うええええええ?」

 

 ぽつん、と床に残った『それ』を見て、私はますますわけが分からなくなった。

 ぴくぴくと痙攣している。

 くるくると目を回している。

 頭の周りをひよこの兄弟がくるくる散歩しているのが見える気がする。

 

【ひ・・・ひどいぞ、アサミちゃん・・・】

 

「え? ええ?」

 

 またも、頭に直接響いてくる声。

 きょろきょろと周りを見回す。

 

 ・・・誰もいない。

 

 部屋のいたるところに置かれているぬいぐるみの中に潜んでいいるのかと目を凝らしてみるが・・・

 人が隠れられるような大きな人形はあいにくと心当たりがない。

 

【まったく、君のお転婆は相変わらずか。

 ・・・たまにこっちは命が掛かるよ】

 

「だ、誰ですっ! 警察を呼びますよ!

 っていうか私は警察よりたちが悪いですから覚悟して出てきなさいっ!!」

 

 ベッドに横たわった姿勢から、何の予備動作もなく飛び上がり部屋の中央に降り立つ。

 両手を軽く握り、身体の前に。

 五感を解放し、全方位に同時に集中する。

 

 少しでも動きがあれば・・・即座に無力化できるように。

 

 『真紅の羅刹』直々に仕込まれた私の武術は、おそらく地球圏でも最高位にあるはずだ。

 生身による白兵戦なら、後れを取る謂れはない。

 

 けれど・・・

 

 

【何を殺気立ってるんだ?】

 

「いやああ! なにこれっ!!

 なんか頭の中に直接響いて気持ち悪っ!

 喋るならちゃんと声くらい出してくださいよー!!」

 

【いや、それが・・・出ないんだ、声】

 

「きゃあああああ!

 もうあっち行ってくださいっ!!!」

 

【ええい! とにかく落ち着いて!

 むしろ俺のほうがよっぽど取り乱したいんだ!!】

 

「逆ギレですかっ!!?」

 

【ああもう!!】

 

 頭の中の声が何かを思い切ったような気配。

 そのせいで一瞬集中が途切れ、目の前に飛んできた物体への反応が遅れてしまう。

 

 

 ぺしっ! ぺぺぺぺしっ!!

 

 

「きゃ・・・あた! あいたたたたっ!!」

 

 その物体はやおら私の鼻に引っ付くと、か細いながらも鋭いその手を何度も何度も繰り返し振るった。

 突然のことに、びっくりしてさしもの私も目をつぶってしまう。

 

「もう! 痛いって言ってるじゃないですか! この!!」

 

 

 ばちーーーんっ!!

 

 

「いたーーーいっ!!」

 

【い、いきなり何をするんだ! 俺を殺す気かっ!?】

 

 鼻先の物体に向けて振るった平手は、咄嗟に頭に駆け上った目標を見失う。

 つまり私は自分で自分の顔を思い切り叩くという間抜けをやってしまったわけで。

 

「も、もう許せません!

 こんな侮辱を受けたのは生まれてはじめてです!

 なんか最近まったく同じ発言をしたような気もしますけど、とにかくもうぜぇったい許しません!!」

 

【やれやれ・・・】

 

「むかっ! こいつ・・・!!」

 

 頭の上の感触に手を伸ばす。

 

 ・・・避けられる。

 

 また手を伸ばす。今度は本気で。

 

 ・・・避けられる。

 

 

「むきいぃぃっ!!」

 

【君って、集中力がないんだよなぁ・・・うわっと!】

 

 人の頭の上を縦横無尽好き勝手に走り回ってくれた『それ』もとうとう年貢の納め時。

 不意をついた私の動きに、その身体が宙に投げ出される。

 

「はっ! ちゃーんすっ!!」

 

 落ちていくその物体が何なのか。

 とりあえずそれは後ろに置いといて。

 とにかく私を散々コケにしてくれた存在に正義の鉄槌を下さなくてはいけない。

 私は、そいつの落下経路に絶妙なタイミングで迎え撃つが如く廻し蹴りを放つ。

 

 が・・・

 

 

  スカッ!

 

 

「わああっ!!」

 

 空振った。

 うわあ、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 

 もともとそんなに本気で放った蹴りでもなく、すぐに体勢を直して正面を向き直る。

 そして・・・

 

「こ、このっ・・・うええっ!!?」

 

【・・・とにかく、落ち着いてくれ。アサミちゃん。

 落ち着いて話し合おうよ、ね?】

 

 思わず。

 そう、思わず大声を発して硬直する私。

 

 

 そいつは、泰然とそこにいた。

 

 白っぽい緑の身体。

 か細く小さな手足。

 くりくりとした瞳。

 お尻から伸びる可愛らしい・・・・・・尻尾。

 纏う光は緑に輝き、重力なんて完全無視。

 

 

 目が合う。

 見つめ合う。

 

 時が止まり、空気が凍ったかのような一瞬。

 まるで世界に取り残された最後の2人であるかのように互いに見つめるその心は・・・

 

 

 

 

【・・・どうやら、俺たちは過去に戻ってきてしまったらしいんだ】

 

 

「そ、空飛ぶねずみーっ!」

 

 

 見事にすれ違っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「う、うぅ・・・ジュンさん。

 不幸な人とは思ってましたけど、まさかここまで不幸な人とは・・・

 まさにキングオブ不幸! ああ神さまはこんなにも不公平!

 不幸の星は貴方のために今日もひと際輝いてるんですね。うぅ・・・!」

 

【・・・余計なお世話だよ】

 

 

 話をした。

 面と向かって座布団敷いて、しっかりと鼻先あわせて話し合った。

 

 ・・・ねずみと。

 いや、ねずみの姿になってしまった、アオイ・ジュンさんと。

 

 まぁ、ねずみと言うかむしろハムスターなんですが。

 うーん、可愛いなぁ。のほほん。

 

 

「・・・やー世の中不思議なこともあるもんですねぇ」

 

【遠くを見るようなその目はやめてくれ。

 俺だって、好きでこんな姿になったわけじゃないんだから】

 

「そりゃまあ、そうでしょうけども・・・」

 

 そう、とても信じられないことだが、目の前にいるねずみはどうやら本当にジュンさんらしい。

 しかも、なぜかは分からないけれども私と精神的にリンクしていて、思念による意思の伝達が可能なようだった。

 実際、ジュンさんは全く声を発していない。

 発声するための器官が存在しないのだから当たり前なのかもしれないが。

 

【とにかく、いまの段階で分かっている事実を確認しておこうと思う】

 

「と言うか、明白な事実がいま目の前に座ってるんですけどね。

 『うわあいフルーツバスケット!』みたいな?」

 

【それはもういい!

 ・・・いやよくはないけど】

 

「あはは、冗談ですよ。怒っちゃいやですよー?」

 

【・・・さっき、君が眠っている間に俺なりに色々調べてみたんだが】

 

「ええ? その格好でですか・・・あ、御免なさい」

 

 うう、怒りの波動が伝わってきます。

 

【まあ、確かに出来るのは限られているからな。

 とりあえず、俺はそこに転がってるリモコンのスイッチを押した】

 

「テレビをつけたと。

 あー、それにしても乙女の部屋のものを勝手に漁るのは減点ですね。だめぷー」

 

【だめぷー・・・いや、悪かったよ。

 だけど、重要なのはそんなことじゃないだろう?】

 

 私にとっては重要なことですよ、それ。

 

【とにかく、だ。

 そのお陰で、いま現在俺たちがどういった状況にあるのかを凡そつかめた訳だけど・・・】

 

「ああ、それが先ほど仰っていた・・・過去に戻った、というやつですか?」

 

 頷く。

 

 ・・・可愛いようわこれマジやばいです。

 ねずみが、ねずみがちょこんってちょこんってうわあ―――

 

 抱き寄せようと伸ばした手は、緑光色に輝く光にぱしと弾かれた。

 

 

「うぅ・・・『ちくっ!』ってしましたー!」

 

【無造作に掴もうとしないでくれないか?

 君にとっては何でもないことでも、こっちからしたらもの凄く怖いんだ】

 

「ジュンさんのケチ・・・っと、そういえばその姿でも昂気は使えるんですね?

 さっきも浮かんでましたし?」

 

【ああ・・・別に、昂気自体は一度やり方を理解できれば使うのはさほど難しくないんだ。

 ほらあれさ、手を使わないで耳をぴくぴくさせること出来る人とかいるだろう?

 武羅威もほとんどあんな感じでね。出来ることがわかれば、使える。そういうものだよ。

 こいつは、身体能力じゃなくて認識能力の問題さ。

 それを理解するのに最低限必要な修練はあるにしても、だけどね】

 

「も、木連の武道家さん達が聞いたら怒り狂いそうですね・・・」

 

 最終奥義と謳われた『武羅威』が、よりにもよって耳ぴくぴくですか。

 私できますよそれ。

 

 これができたら昂気も出るのかな、と実際にやってみる。

 

【・・・おそらく、もう君は使えるんじゃないかな、昂気】

 

「(ぴくぴく)・・・へ?」

 

【言っただろう、認識の問題だと。

 感覚的なものだから言葉で表すのは不可能だけど・・・】

 

 ・・・イメージが伝わる。

 ジュンさんから私へ、言葉では言い表すことの出来ないそれが、伝わってくる。

 

 昂気とは何か。武羅威とは何か。

 木連式柔・・・その意味とは。

 

「・・・・・・・・・分かる。

 あ、分かります! 私、分かりました!!」

 

 

  ゴウゥゥッ!!

 

 

 私の身体に、白銀の光が纏わりつく。

 昂気の光。儚くも力強い、身体の奥底から溢れてくる力そのもの。

 

「これが、これが『武羅威』!

 凄い・・・この躍動感! 力が、溢れてきます!!」

 

【感覚的なものだからね。

 ・・・精神が俺とリンクしている君なら、ダイレクトにその感覚を理解できる】

 

 すごい。まさか本当に、私に昂気を使える日が来るなんて。

 いつかは・・・とは思っていたけど、ほとんど無理だと思っていたのに。

 

【そうやって単に身に纏うのは第一段階だ。

 それが次のステップに行くと、密度や流れを操ることが出来るようになる】

 

 やってみる。

 私の身の回りにあった白銀の光が、私の意思に伴ってその形を変える。

 

 右手に集まって輝きを増したり。

 まるでオーラのように全身を覆ってみたり。

 絶対量は変わらないのか、大きく展開すると薄くなってしまうが。

 

 いま思うと・・・北斗師匠とか絶対量からしてとんでもなかったんですねー。

 なるほど、影護の四天王が4人がかりで手も足も出ないのも納得です。

 

 

「これなら・・・次も」

 

【うん・・・第三段階は、こいつ】

 

 ジュンさんの纏っていた緑光色の昂気が輝きを増すと・・・

 その傍らに『鷹』を模した光の集合体が現れた。

 大きさはそれほどでもないが、それでもねずみ姿のジュンさんよりも遥かに大きい。

 

 ・・・後ろに立つその姿は、ジュンさんを捕食しようと狙っているようにも見えなくない。

 食べられちゃいますよー?

 

【誰しもが心の中に住まわせている一匹の獣。

 そいつを、昂気によって具現化させる。

 例えばテンカワは『龍』、北斗は『蛇』 俺は『鷹』でイツキは『狐』

 ハリ君に零夜君は・・・『熊』に『虎』だったかな?】

 

「心の中の・・・獣」

 

 目を瞑り意識を集中させる。

 両手を胸の前で合わせ、大きく息を吸う。

 

 確信はあった。

 出来る、という思いがあった。

 

 やり方は・・・わかっていた。

 

 

【・・・ん?】

 

 ジュンさんの発した疑問符。

 うっすらと、私は目を開ける。

 

「あれ、駄目かー・・・?」

 

 そこに私の獣はいなかった。

 うーん、なにがいけなかったんだろう。

 

「難しいなぁ・・・

 ね、ジュンさん。コツとかあったら教えてくださ・・・?」

 

 目の前にいたはずのジュンさんに目を向ける。

 しかしその視線の先にいたはずのねずみは・・・

 

 

【・・・・・・・・・・・・】

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 

 増えていた。

 

 二匹に。

 

 

【・・・・・・・・・・・・】

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 

 見つめ合うねずみ二匹。

 片方はうすい緑で片方は真っ白。

 白のほうは細かい造形が適当で、なんだか光り輝いていたが。

 

 

【・・・・・・なるほど】

 

「・・・・・・あう〜〜」

 

 

 静かな、静かなその声音に私は思わず呻く。

 と同時に白いほうのねずみの姿が掻き消える。

 

 

 なぜジュンさんはねずみの姿になってしまったのか。

 それは余りに唐突で、意味も不明で、なんの関連性もない。

 なぜジュンさんは私とリンクしているのか。

 それは余りに突然で、理由も不可解で、なんの必然性もない。

 

 

 けれど、わかる。

 つまりこういうことなのだ。

 

 私たちは同時に、それを理解した。

 

 

 

【つまり・・・俺が君の獣か】

 

「わ、私のせいなんですね・・・ジュンさんのその姿」

 

 

 私の中の獣は、ジュンさんと同じ形をしていた。

 ジュンさんは、私の中の獣と同じ形をしていた。

 

 持っていたはずの遺跡のプレートがいつの間にかなくなっていたことに、今更ながらに気が付く。

 どうしてかそこに思考が辿り着く。

 その結論へと、思考が誘導される。

 

「私が・・・ランダムジャンプで失われたジュンさんの肉体を、再構築したんですね?

 たぶん昂気と・・・ナノマシンプレートを使って」

 

 不可解な結論。

 けれど確信がある。

 間違いないと何かが訴える。

 

 私たちは、それを知っている。

 

 

【おそらく間違いないな。

 この身体、君の持っていたプレートを材料に構成されているんだ。

 あれは古代火星文明が作り出した遺跡と同じ特性をもつ記憶媒体の様な物だった筈だから・・・】

 

「そうなんですか?」

 

【ああ・・・いや、どうなんだろう?

 そうだと思ったんだけど・・・何故だろうな。確信は・・・ある、んだけど】

 

 首を傾げるジュンさん。

 その気持ちは私にも分かる。と言うか共有している。

 私の本来もっている記憶と、ジュンさんの記憶。

 それらが混ざり合って、認識があやふやになってしまっている。

 

「・・・あれですね。

 知ってることと、知ってるはずのないこと。

 ごっちゃになってませんか、私たち?」

 

【確かに、曖昧になってるのかもしれない。

 ・・・一応確認しておくけど、君はあのプレートが何か知っていたのか?】

 

「知りませんでしたけど・・・でも分かります。

 古代火星文明で一般的に使われてた記録メディアでしょう?

 これ、ジュンさんの記憶・・・じゃないんですか?」

 

【なんで俺がそんなことを知ってると思うんだよ。

 君こそ、ミカズチ大尉から何か聞いてたんじゃないのか?

 ・・・いや、そうじゃないな。

 わざわざ確認することなんてないんだ、俺たちは。繋がってるんだから】

 

 そんなこと言っても表層意識しか繋がってないんですから、認識してない記憶なんて読み取れるはずないじゃないですか。

 

 ・・・いや、待ちなさい私よ。

 いまなにを考えたんだろう?

 なんで、こんなこと知ってるんでしょうか。。

 知ってるって言うか、唐突に頭の中に浮かんできた感じですけど・・・

 

【・・・やっぱり、情報の元は君の方にあるみたいだ。

 しかし・・・そうか、意識しなければ伝わらないのか。いや、意識できなければと言うべきか】

 

 

 知ってる。

 私は、あのプレートが何なのか、知っている。

 

 そしていま、そのプレートがどこにあるのか。

 

 

 ジュンさん、ふむと頷きまして。

 

 

【・・・融合したのかもしれないな】

 

 呆然と呟く。

 

「ど、どうもそうみたいですね・・・あはは」

 

 頬が引き攣った。

 

 この体の中にあんな異物が入っているなんて・・・

 なんてことだろう。私の身体は大切な商売道具なのに。

 全世界、いえ全宇宙の財産なのに〜!

 

「もうお嫁にいけませぇん・・・」

 

【自分のことをそこまで・・・しかも本心か。

 何時ものことながら・・・歪められてるなぁ】

 

 あ、ジュンさん私を貰ってくれる気とか皆無だ。

 

 ちくしょう。

 こういうのまで分かっちゃうって、ちょっときついなー・・・はぁ。

 

 

 

【意識することさえ出来れば、どんなことでもわかるんだろうか?】

 

「う〜ん、そんな便利なものでもないと思いますよ。

 結局ただの記録メディアですからね。ディスク一枚に入る情報なんて高が知れてるでしょう?

 『時間無制限掴み放題のバーゲンセール、ただし10個限定販売!』みたいな?」

 

【分かるような、分からないような・・・?】

 

「ほとんどが現代文明とは全く無関係の知識で、そこに生きる私たちには想像すら出来ないってことですよ。

 分からないことは、分からないんです。

 そうそう都合よくアカシックレコードって訳には行かないんですよね。

 例えばほら、ジュンさん、イツキお姉ちゃんのスリーサイズって知ってます?」

 

【え、上から・・・いやいやいや!

 俺が知るわけないだろうそんなこと!!】

 

「でしょう? だって古代火星文明がそんなことを知ってる筈ありませんからね。

 ちなみに私も知りませんし、つまりこんな簡単な知識(データ)ですら入ってないんです。

 私が知ってることか、プレートにあらかじめ入力されている情報しかジュンさんは引き出せない。

 だからたぶん、私の中にあるのは、遺跡の中の極々一部のさらに一部分だけ・・・

 なんですけど、いきなりなんですかこのイメージ? むむむ?

 わわ・・・・・・あ、あ〜〜っ!」

 

【うわっ! 何だよいきなり!】

 

「え! うそっ! ジュンさん! お姉ちゃんとこんなことをっ!?

 うええっ! こんなことまで!!? きゃ〜〜〜っ!!」

 

【・・・って、うわああああ!!

 ちょっと待てなんだ何を見てるんだっ!!?】

 

 次々と頭の中に浮かんでくるイメージは強烈で・・・

 私は顔を真っ赤に紅潮させる。

 ふ、2人ともオトナだぁ・・・あ、ジュンさんって意外と・・・

 

「・・・ご、ごめんなさい。ごめんなさい!

 私、知らなくて! 知らなかったんですよぅ! うわ〜〜ん!!」

 

【待て待て待て! おかしいぞ!!

 俺がイツキに何をしたって・・・ええい! 落ち着けよ!!

 パニくってて何がなんだか読み取れない!】

 

「こんなことしといて今さら白を切りますか!

 ジュンさんサイテー!! 女の敵ですあんまりだー!!」

 

【なんだよそれ!!

 何もやってないぞ、俺は!!】

 

「男はみんなそう言うんです! わーん!!」

 

【う、嘘なんてついてないのに・・・って、うわあ! なに考えてるんだ!!

 こ、こここんなこと俺がイツキにするはずないだろう!!】

 

「うそつきー!! うそつきー!!」

 うわあああんっ! 私の気持ちが弄ばれたあああ!!」

 

【こ、こらっ!! 人聞きの悪いことを叫ぶんじゃないっ!!!】

 

 

 脳内に繰り広げられるオトナなイメージ映像。

 花も恥らう純粋培養乙女な私には強すぎる刺激で、思わず我を忘れてしまう。

 

 だってだってジュンさん!

 お姉ちゃんと付き合うつもりはないって断言してたくせに・・・あ、あああんな!

 ひどいです! ひどすぎます!!

 私にだってまだ望みはあると思ってたのに!!

 裏切られました!! う〜ら〜ぎ〜ら〜れ〜た〜!! きぃ〜〜〜〜〜っ!!

 

 

 

 ―――この後、数分間にわたる口論もとい考論が続き・・・

 

 

 

 

 

 

【つ、つまり・・・君は俺の想像の中での出来事を記憶と勘違いしたんだ。

 そもそも記憶自体が過去の体験を基にした想像行為でしかないんだし。

 他人にとっては区別なんて付きづらくて当たり前かもしれないな。

 いや、そ、そりゃ確かに俺も男だからちょっとくらいは・・・・・・何を言わせるんだ!?】

 

 言いたいことは分かるんですが、言い訳にしか聞こえなかったり。

 

 

「と言うか、お姉ちゃんであんな妄想を・・・」

 

【へ、変な想像は止めてくれ!】

 

「変な想像してるのはジュンさんのほうじゃないですか・・・」

 

【うぐっ! そ、それは・・・】

 

 私が漏らした不満に、焦る気配が伝わってくる。

 分かってたことだし、仕方ないことだ。

 ジュンさんはロリコンじゃないのだし、お姉ちゃんは私から見たってなかなかのナイスバディ。

 

 たとえ私のほうが可憐で清楚で慎ましくて愛らしかったとしても、色気だけは敵わない。

 

 保護欲を掻き立てられる細肩も、珠の様に艶々した柔肌も。

 ついでに『妹にしたいアイドルナンバーワン』の称号だって。

 

 結局フェロモンの前に敗退してしまうのだ。

 

 

 ・・・理不尽です。

 

 

 

「・・・・・・ジュンさんのえっち」

 

【・・・・・・・・・(涙目)】

 

 うえ〜ん、泣きたいのはこっちですよぅ。

 ・・・トラウマになったらどうしてくれるんですか。

 私、乙女なのに。

 

 

 

 

 

 

 

 とにかく、それから私たちは話し合った。

 

 あの日、あの時。

 何が起こったのか。

 火星の後継者たちとの戦闘。

 そのさなか、突如として現れた古代火星文明の遺跡。

 取り込まれようとするテンカワさん。

 身代わりになったジュンさん。

 そのジュンさんを助けようと、自ら遺跡の融合に巻き込まれようとしたイツキお姉ちゃん。

 その光景を見ながら、突然溢れ出した光に包まれ、意識を失った私。

 

 

 私たちは、ランダムジャンプをしてしまったんだ。

 という結論はすぐに出た。

 

 

 ランダムジャンプ。

 それは目標を定めず、出口を決めずに行うボソンジャンプの一形態。

 

 通常のボソンジャンプでは、まず目的地を設定することから始まる。

 そこへ行くために、跳ぶ。

 そこへ行くという目的があるからこそ、そのための手段としてのジャンプ。

 しかし目的地を設定しない、設定できなかったボソンジャンプは高い確立でランダムジャンプとなってしまう。

 それゆえに、目的地をイメージによって設定することが可能なA級ジャンパーのナビゲートが不可欠で。

 ナビゲーターを欠いたジャンプは、何が起こるかわからないのだ。

 最悪、時間連続体の中に取り残されてしまうという仮説も唱えられている。

 よほどの自殺志願者でもちょっと身を引いてしまうような行為なのだ。

 ランダムジャンプとは。

 

 その無謀さに、今さらながらに血の気が引く。

 五体満足でここにいることが、奇跡のように思えて仕方ない。

 

 ほんとう、よく無事だったものです。

 

 

 お互いに安堵のため息をつき、冷や汗を拭う。

 震える指先を隠し、誤魔化し笑いを浮かべる。

 

 生きてて良かった。

 

 

 神様とか世界とか、いろんなものに感謝しながら、思い出したようにジュンさんは口を開いた。

 ・・・じゃなくて、思念を発した。

 

 

 

【西暦2196年、ナデシコ出航の年。

 俺たちは、5年の年月を遡ってしまったんだよ。

 『漆黒の戦神』テンカワ アキトと同じように】

 

 

 

 でもテンカワさんは普通に逆行したのに、ジュンさんはねずみなんですね。

 かわいそー。

 

 とか思いはしたが懸命にも口には出さなかった。

 なのに。

 

 

【・・・聞こえてるんだけどね】

 

「ご、ごめんなさい!

 ひ〜ん、隠し事ができませ〜ん!」

 

 

 なかなかに厄介だった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 ―――某所

 

 

 

 

 

 

「第一次火星会戦敗退から一年余り。

 既に火星と月は完全に敵の制圧下、地球も時間の問題に過ぎない」

 

「え〜と、質問よろしいですか?」

 

「何かね?」

 

「要するに・・・ボクに何をしろと?」

 

「『スキャパレリプロジェクト』・・・聞いたことが有るね?」

 

「はぁ、まあ名前くらいは」

 

「我々の中でも従軍経験のある君を推薦する者が多くてね」

 

「従軍経験?

 ・・・あ、そういえば入社の時に適当にそんなこと書きましたね〜」

 

「・・・・・・・・・・・・なんだって?」

 

「ハクがつくかと思って」

 

「と言うことは軍に所属していたというのは・・・?」

 

「嘘ですごめんなさい」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「あ、でも一人知ってますよ。

 うちの社員で、元軍人のヤツ。しかも特殊部隊出身ですこぶる優秀ときた」

 

「・・・それは?」

 

 

「ゴート・ホーリー君。

 あっちを誘ってくださいよ。けっこう暇じゃないんですよね、ボクも」

 

「むぅ・・・」

 

「じゃ、もう行っていいでしょうかね。

 ちょっとこの後、事務所の娘と待ち合わせしてるんですよ」

 

「む・・・そういえばどうだね、彼女のほうは?」

 

「順調です。いや、順調ですよ。

 あいつは金の卵です。

 彼女との出会いがボクの運命を変えたと言ってもいい。

 何もなければ、ボクも貴方がたとこうやって円卓を囲んでいたのでしょうが・・・」

 

「最年少でネルガル重役へ成り上がった君が、よもや芸能事務所の一社員に身を落とすとはな・・・」

 

「満足してますよボクは。

 貴方達には分からないかもしれませんがね、一生」

 

 

 ピピピピピッ!

 

 

「おっと! すみません、どうやらお姫様がお怒りのようで・・・

 ほんとにもうそろそろ行っていいですか?」

 

「ああ・・・君には期待しているよ、Y.イケダ君」

 

「ありがとうございます。

 では、機会があればまたお会いしましょう」

 

 

 

 

 

 

 

「会長派のプロスペクターが彼を推さなかったのはこういうことか・・・

 やれやれ・・・・・・ゴート・ホーリーを呼べ。

 それから、プロス氏にも再度連絡を。先日の無礼を謝罪しよう。

 やはりスキャパレリ・プロジェクトには彼の協力が不可欠のようだ」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「チャーハン一つお願いします」

 

「ボク、餃子定食で」

 

「あいよ! チャーハン一丁に餃子定食!」

 

 サセボの一角にある、小ぢんまりした中華料理店。

 その店のテーブルの一つに、ボク達は陣取っていた。

 目の前に座るのは、年のころ12,3と言った風合いの少女。

 ジーンズにニットのカジュアルウェアで、さらに色のついた眼鏡を着用している。

 うんうん、外出の際にはサングラスを着用するの法則はちゃんと守れているようだ。

 

 注文を受け付けた店員をどこか呆然と見詰めていた少女は、我に帰ったようにボクに向き直った。

 

 

「あ、ごめんねイケダさん。

 いきなり呼び出した上にお昼までご馳走になっちゃって」

 

「いやいや、いいさこれくらい。

 にしてもアサミがこの店を知っていたとは意外だったけどね。

 知る人ぞ知るなかなかの穴場なんだが・・・なにぶん、女の子の好むような店じゃないだろう?」

 

「別に知ってたわけじゃないんですけどね。

 ジュンさん・・・ちょっと、知り合いの人に紹介されて」

 

「へぇ・・・ボクの知ってる人かい?」

 

「ううん、知らない人。

 ・・・ん? いや『人』?」

 

 他愛のない問いに、少女、アサミ=ミドリヤマは小首を傾げる。

 そんな仕草も・・・素晴らしく可愛い。贔屓目を抜きにしても、だ。

 彼女は今をときめく現役アイドル。

 ついこないだ出したばかりのデビュー曲はあっという間にミリオン・セラーを突破。

 街を歩けば、有線無線問わずに必ずどこかから聞こえてくるほどの人気ぶり。

 本名はアサミ=カザマ。ボクはそのマネージャーだ。

 

 ボクも、もともとはネルガル重工でエリート社員やってたんだけどね。

 傘下にある芸能プロダクションで彼女を見つけたときに、ボクの運命は変わった。

 

 その事務所はお世辞にも大手とは言えず、人材の発掘には秀でていても育成という点では他の事務所に大きく後れを取っていた。

 ボクが彼女を見つけることが出来たのは、全くの幸運でしかなかった。

 いや・・・それこそ運命だったのかもしれない。

 

 翌日には辞表を提出し、コネを使って事務所に就職。

 アサミのマネージャーを半ば強引に勝ち取り、ボクの全てを捧げて育成に励んできた。

 今では、本当の兄妹のような信頼関係を築けていると自認している。

 

 

「それで・・・」

 

「へーい! チャーハンに餃子定食、お待ちっす!」

 

 用件を聞き出そうと口を開くと、料理を運んできた元気のいい声に遮られる。

 

 この店を愛用しているボクにはなじみの顔だ。

 つんつんと跳ねた黒髪。

 そこそこに整った顔。

 

 彼はこの界隈ではなかなかの有名人だった。

 それは彼の特殊な悪癖によるものなのだが・・・

 

「あ、はい。

 どうもありがとうございますテンカワさん」

 

「「え?」」

 

 何気なく答えたアサミの声に、私と店員・・・テンカワ君の声が重なる。

 

「お客さん、俺のこと知ってるんすか?」

 

「え・・・あ、ああ!」

 

「・・・アサミ?」

 

 きょとん、とした後、何かを思いついたようにテンカワ君を見るアサミ。

 ・・・かなり挙動不審だ。

 

「い、いえいえそうじゃくて、わわ、えっと・・・その、私にこの店を紹介してくれた人が、あれで・・・!」

 

「「あれで?」」

 

「う〜〜〜っ!」

 

 顔を真っ赤にして唸るアサミ。

 ボクはテンカワ君と顔を見合わせて、同時に噴き出した。

 

「ははは、ごめんごめん。さてはあれだな?

 この店の常連から、テンカワ君の噂を聞いたんだろう?」

 

「ちょ・・・止めてくださいよ、イケダさん。

 まったく・・・俺だって好きでやってるわけじゃないんすから」

 

「誰にも長所短所はあるものだよ。

 君の作る料理は美味しいしね。

 まあ、まだまだマスターには敵わないだろうけど」

 

「マスターって・・・

 そういう呼び方すると、またサイゾウさんに怒られますよ?」

 

「ああ、それは勘弁願いたいな」

 

 じゃあごゆっくり、と言うと、厨房に引っ込むテンカワ君。

 店長のサイゾウさんは客にも厳しいので有名だ。

 

「あれがテンカワさん・・・?

 うわぁ、イメージ違いすぎ・・・ねえジュンさん?」

 

「ん、呼んだかい?」

 

「え? あ、なんでもないです」

 

 両手をぱたぱたと振り、苦笑いを浮かべる。

 ・・・今日のアサミはどこかおかしいな。

 

「それで、話ってなんだい?

 いや・・・ああ、こないだのCM撮影のことかな。

 あれは、確かにちょっとアサミには嫌な思いをさせちゃったかもしれないね。

 でもあの会社とパイプを持っておけば、これからのアサミにとって大きなチャンスに・・・」

 

「いえ、そういうことじゃないんです。

 ・・・イケダさんに、お願いしたいことがありまして」

 

「・・・電話では言えないことかな?」

 

「ええ、ちょっと」

 

 真剣な様子に、ボクもアサミに向き直る。

 

 改めてよく見ると、何か違和感を感じた。

 表情や体つきには変わりが無いけど・・・

 なんと言うか、仕草や雰囲気がより洗練されている。

 こう言っては可笑しいかもしれないが、隙の無いサムライのような感じを受けた。

 

 それは、いつもアサミを見ているボクにしか分からない程度の微かな違いでしかなかったが。

 

 

 いぶかしむボクを気にもせず、意を決したようにアサミは口を開く。

 

「あの、お願いのまえにちょっとイケダさんにお聞きしたいことがあるんですけど・・・」

 

「うん、何でも答えてあげるよ。

 ボクに分かる範囲のことならだけどね?」

 

 ボクは・・・侮っていた。

 どうせ他愛のないことだろうと、高を括っていた。

 

 それがまさか、あんなことになるなんて・・・

 

 

 このときのボクはまだ、なにも気付いちゃいなかったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・『スキャパレリ・プロジェクト』って、ご存知です?」

 

 

 その一言に、口に運んでいた餃子がぽろりと落ちる。

 醤油が跳ねて、真っ白なワイシャツに致命的な染みを作る。

 

 だが・・・そんなことを気にする余裕は、ボクには無かった。

 驚愕に見開かれた瞳を、しかしアサミは真っ直ぐと見つめてくる。

 

 

 

「アサミ・・・どこで、それを・・・?」

 

 

 

 それは・・・これから起こる波乱の時代の、幕開けにしか過ぎなかった。

 

 

 

 


 

 

 

 アサミ=カザマ。セイジョウシティ出身。

 マーズ・プロダクション所属のアイドル歌手。

 後に業界の異端児と呼ばれることになるY.イケダ氏の秘蔵っ子。

 芸暦15年のベテラン子役から、ある日歌手としてデビュー。

 その実力は高く評価され、新人賞の一角を担い2200年レコード大賞に輝く。

 性格は素直で礼儀正しい良い子タイプだが、思い詰めると突発的な行動をとることが多い。

 少しブラコン気味なところがあり、異性の好みも「兄のような人」らしい。

 代表的ヒットソング「星座の海へ行こう」

 一度狂信的なストーカーに狙われた経験から木連式影護流に師事。

 その素質を開花させ、影護流八高弟の一角に昇る。

 後にネルガルの新型機動兵器アルストロメリアのテストパイロットを志願するが・・・

 

 直後の火星の後継者の残党掃討作戦に参加した際に行方不明となる。

 

 史実どおりなら、彼女はこうなるはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私を、スキャパレリ・プロジェクトに参加させていただきたいんです」

 

「ア、アサミ? 君はいったい・・・」

 

 

 

 

 

 なんとか再起動を果たしたボクは、真剣な目でアサミを問い詰める。

 

 スキャパレリ・プロジェクトはネルガルでもほんの一握りの連中しか知らない、極秘計画だ。

 

 あってはならないことだった。

 知ってはいけないことだった。

 

 アサミ=ミドリヤマは・・・・・・兵士たちの士気高揚のために用意された戦争アイドルであり。

 それは、つまるところ彼女自身が戦争の道具として扱われていることを意味している。

 

 彼女は、そのカリスマ的なアイドル性に目をつけたネルガル上層部の商品なのだ。

 戦争のためのアイドルだからこそ、彼女は誰よりも戦争とは無関係のところにいなくてはならないのだ。

 兵士達に夢を、希望を与えるアサミに、現実性(リアリティ)など不必要。

 

 それがネルガルの、そしてボクの出した結論だった。

 

 ボクは・・・この世の穢れの一切を知らないかのようなアサミの瞳に、戦争と言う大悪を映したくなかったのだ。

 

 ボク自身が妹のように愛する少女には、何も知らせたくなかった。

 自分達の生きる世界が、どれほどに醜く汚いものかなんて、知って欲しくなかった。

 

 それなのに。

 

 くそ・・・誰だ、ボクのアサミに余計なことを吹き込んだヤツは!

 

 

「ちょっと・・・ちょっと待ってくれ。

 とてもいきなりな話だし・・・そもそも、誰から聞いたんだ!?」

 

「ふっふっふ、私の情報網を侮っちゃいけませんよ?」

 

 両手を顔の前で組み、口もとだけをにやりと歪ませるアサミ。

 ・・・ああ! そんな笑い方をしちゃイメージが!!

 

 アサミは、びしぃっと人差し指をボクに突きつけた。

 

「なんでも、今までにない新技術満載の新造戦艦を完成させたとか!」

 

「な・・・何故それを!?」

 

「さらにさらに!

 その新造戦艦を使って木星蜥蜴を蹴散らしつつ、火星まで行っちゃおうな計画だとか!!」

 

「そ、そんなことまでっ!!?」

 

「あわよくば火星に取り残されてる人たちを救出し!

 その超性能と人道的行為で大々的にネルガルの名声を全世界に広めようと画策してることだって!!

 ついでに戦艦の名前はナデシコっていいます!!」

 

「く・・・ボクの知らないことさえも!?」

 

「・・・ま、ほんとの目的はジャンプ関連なんでしょうけど」

 

「え?」

 

 椅子を後ろに蹴倒して立ち上がり、両腕を高らかと掲げる。

 

「ともかく私はぜ〜んぶ知ってるんです!!」

 

 

 ちゅど〜〜〜〜ん!!

 

 

 気のせいか、爆発の効果音まで聞こえてくる。

 空気がびりびりと振るえ、窓枠が軋んだ。

 

 びっくりしてよろけるアサミ。

 

「わたたっ・・・もう! なんですかいったい!」

 

 ・・・いや、本当にどこかで爆発が起こったみたいだ。

 

 窓から空を見上げると、ところどころで光が瞬いている。

 閃光。そして爆発光。

 この街の上空で、木星蜥蜴と連合軍がドンパチを始めたのだった。

 

 

「なんです・・・戦闘?」

 

 またか・・・

 

 溜め息が漏れる。

 

 軍に勝ち目なんてないのに。

 機動力も、火力も。木星蜥蜴に完全に後れを取っている現状。

 また・・・こんな一方的な戦闘を繰り返して。

 

 軍の指揮官は余程の無能か臆病か。

 どっちにしろ、それで散ることになる連合空軍のパイロット達は浮かばれない。

 

 行われてる戦闘の内情に思いを馳せ眉を顰めていると、にわかに店内が騒がしくなってきた。

 

 テレビのチャンネルを操作するもの。

 入り口を開け放ち、空の戦闘を見上げるもの。

 そして・・・大部分は店のさらに奥、厨房へと向かう。

 

 ここらへんが、この店の常連かそうでないかの分かれ目になるんだけど。

 

 

「いや、そんなことよりも・・・」

 

 

「うわあああーーっ!!!」

 

 

 話を続けようと身を乗り出すと同時に、身を切り裂くような悲鳴が上がった。

 出掛かった言葉が喉に詰まる。

 

「な、何ですこの『この世の終わりだー!』みたいな悲鳴は!?」

 

「あー、今日も始まったみたいだねー」

 

「始まった・・・?」

 

 状況がつかめず、きょとんとするアサミ。

 ボクはちょいちょいと人差し指で厨房の方向を示す。

 

 厨房には、野次馬の人垣が出来上がっていた。

 

「テ・・・テンカワさん?

 ・・・え、ウソ? なに? なにやってんです、あの人?」

 

「・・・・・・怖いんだとさ」

 

「怖い?

 何が・・・って、まさか!?」

 

「そう。テンカワ君はあいつらが怖いんだって。

 そりゃもう、人目を憚らず大声で悲鳴を上げちゃうくらい」

 

 つまりこれが、テンカワ君がこの界隈で有名であることの原因だった。

 重度の、異常なまでの木星蜥蜴恐怖症。

 あまりと言えばあまりな脅え方を面白がって、何度も足を運ぼうとする客が後を絶たない。

 もちろん、料理の味自体がなかなかのレベルであることも欠かせないのだが。

 

「ウソでしょう!?」

 

「そう悪しく言うものではないよ、アサミ。

 彼にも、彼独自の事情と言うものがあるんだろう。

 確かに見ている方にとっては滑稽だし面白いし馬鹿みたいなんだけど」

 

「いや、だって・・・漆黒の戦神が・・・?」

 

「なにそれ?」

 

「あ、いえ・・・でもそれにしたって、あれは。

 う〜ん、ちょっと信じたくないかも・・・や、正直ショックですよぅ」

 

 なにやら葛藤しているらしいアサミをよそに、ボクも厨房に目を向ける。

 

 そこには案の定、包丁を片手に硬直しているテンカワ君の姿。

 歯ががちがちと噛み合い、頬は真っ青を通り越して真っ白になってしまっている。

 小刻みな震えが包丁に伝わって、まな板とぶつかっていた。

 

 顔ににやにやとした笑みを浮かべてる野次馬の中にあって、ただひとり必死な表情。

 いままで、軍施設以外には被害という被害も無く、それ故に民間人にとっては木星蜥蜴も大した脅威と映っていなかった。

 所詮、人事だった。

 少なくともこの街ではそういう風潮が顕著である。

 

 まあ野次馬達も本気で心の底から嘲笑ってるわけじゃない。

 『しょうがねぇ兄ちゃんだ』ってくらいの軽い失笑程度だ。

 そんな根性の捻じ曲がったような客は、マスター・・・もとい店長のサイゾウさんが許さないだろうし。

 

 

「なんか、ひどいです・・・」

 

 必死の形相で恐怖と戦うテンカワ君と、それを肴に話を弾ませる客達。

 その光景に思うところがあるのか、アサミは眉を顰める。

 

「あの人たち、知らないのに」

 

「知らない? 何をだい?」

 

「だって・・・あんな近くで戦闘してるんです。

 テンカワさんもおかしいですけど・・・まったく怖がってないって、異常ですよ。

 万が一、もしもの時、何かあっても対する術も持ってないじゃないですか」

 

 ボクははっとした。

 アサミが言ったことの内容に、ではなく。それを言ったのがアサミだということに。

 

 正しい考えだと思った。

 置かれた状況を客観的に見つめた、正鵠を射た意見だと思った。

 

 

「あ〜あ、どうせ勝ち目ないのに」

 

「ほんとほんと。軍も毎度よくやるね〜」

 

「おい、それよりこっち! 始まったぜ!」

 

 観戦に徹していた客達も厨房に集まる。

 アサミは、そんな様子にさらに不機嫌そうに顔を歪ませた。

 

「・・・出ようか。

 アサミが見て楽しめるようなものではないし・・・アサミ?」

 

「私、ちょっと行ってきます!」

 

 ばんっと元気よく立ち上がる。

 慌てて止めようと腰を浮かせるが、その暇も無くのしのしと野次馬の群れに向かっていく。

 小柄な後姿に長い黒髪が揺れて・・・

 

「おおっ!?」

 

「な、なんだ押すなってはわーっ!!」

 

「待った、待ったひゃああーっ!!」

 

 ・・・人が飛んだ。

 

 いや待て。

 

 

「ちょっと! 通して! くだ! さいっ!!」

 

 

 よいしょっ、とばかりに掻き分けられる人、人、人。

 手当たり次第に掴んでは、無造作に放り投げていく。

 

 ボクは、口をあんぐりと開けた。

 おいおい・・・これは夢か?

 

 

「ア、アサミ!!」

 

 突然の闖入者に、人垣がモーセの十戒の如く開いていく。

 

 アサミ・・・いつからそんな乱暴な娘になっちゃったんだい?

 

 

「うわーーーっ!!」

 

「落ち着いてくださいテンカワさん。

 私、あなたの味方です」

 

 叫ぶテンカワ君の腕を取るアサミ。

 囁くように。にこやかに朗らかに。まさに天使の微笑み。

 

 ・・・しかしその背後には死屍累々。

 死神か君は。

 

 

「いやだ・・・もう嫌なんだよ、俺はあっ!」

 

 あれは・・・聞こえてないな、テンカワ君。

 恐怖のあまり周りのことなんてまったく気付いちゃいないか。

 アサミ=ミドリヤマの笑顔を完全無視なんて・・・いい度胸だな、え?

 

「落ち着いて・・・ほら、もう大丈夫ですよ。

 怖くないです。ね?」

 

「う、ううぅ・・・」

 

「大丈夫。貴方は、本当はとても強い人なんです。

 何を脅えることがありますか。

 貴方が恐れるものなんて何も無い。あっちゃいけないんです」

 

「・・・・・・ア、アイちゃん・・・?」

 

「え・・・?」

 

「うわあーーーーっ!!」

 

「きゃっ!」

 

 一見落ち着いたように見えたテンカワ君だったけど・・・

 誰かの名前を呟いたかと思うと、突然アサミを振り解いて立ち上がった。

 

 その場にぺたんと尻餅をついたアサミを、信じられないものを見るような目で見つめる。

 

 

「ごめん・・・ごめん、アイちゃん・・・

 守れなかった! 俺・・・守れなかった!」

 

「テンカワさん・・・?」

 

「うわーーーっ!!!」

 

 

 ダッ!!

 

 

 いきなり駆け出す。

 

「あ! おいこらアキト!!」

 

 サイゾウさんの制止の声も聞かず。

 入り口付近にいた客達にぶつかりながらも、店の外に飛び出る。

 

 

 

 その時。

 

 

 ひと際大きな爆発音が響き渡った。

 店の窓にびしっと大きなひびが入る。

 客達も一斉に身を強張らせた。

 

 これは・・・近いっ!?

 

 

「くそっ! 軍は何をやってるんだ!!」

 

「イケダさん!?」

 

 彼女を傷つけるわけにはいかない。

 誰かが傷つく様を、彼女に見せるわけには行かない。

 

 彼女のマネージャーとしての使命感がボクに告げる。

 一刻も早く、この場からアサミを遠ざけるべきだと。

 

 

「な、なんだぁ・・・?」

 

「おい・・・あ、あれ・・・!」

 

 

 店先で外を窺っていた客の声。

 少なからぬ脅えを潜ませた、その声。

 

 頭の奥で警鐘がなる。

 

 

 見れば、煙を吐きながらこちらに向かってくる一機の兵器。

 遠目では見慣れた、近くでは見たことなんてあるはずが無い黄色の殺戮機械。

 

 徐々に徐々に、確実にこちらに向かって・・・堕ちて来る!!

 

 

「やべえぞ、ありゃ・・・!」

 

「に、逃げろぉっ!!」

 

 

 ガシャアアアンンッ!!!

 

 

「くっ・・・!! アサミ!!」

 

「あ、バッタだ」

 

「落ち着いてる場合か!!

 ボクたちも逃げるぞ!!」

 

「はーい・・・? あ、ダメです。

 テンカワさんがまだ外に!」

 

「いいから来るんだ!!」

 

 ボクは強引にアサミの腕を引いた。

 テンカワ君には悪いが・・・ボクは人の命が平等だなんて思っていない。

 どこにでもある街のラーメン屋の従業員1人とアサミの命。

 そこには比べるべくも無い厳然とした差があるのだ。

 

 しかし・・・

 

 力いっぱい引いたはずの腕は、ぴくりとも動かなかった。

 逆にその反動でボクは尻餅をつく。

 

「うーん、そういう訳にもいかないんですよね。

 テンカワさんがここで死んじゃうと和平がどーなっちゃうか・・・

 あれ? でも実際の歴史じゃ生きてたんだからほっといても助かるんでしょうか・・・?」

 

 腕を組み、右手の人差し指を顎にあて。

 アサミが小首を傾げたその瞬間。

 今までにないほどの轟音と衝撃と振動がボクたちを襲う!

 

「うわああ〜〜〜〜っ!!」

 

 ガラスが全て弾けとんだ。

 目を開けていることが出来ず、誰もが頭を抱えて手近のテーブルに潜る。

 掴んでいたはずのアサミの腕の感触が無いことに、ボクは愕然とした。

 

 その時、ぽんと放られた何かがボクの手の中に納まる。

 

 

「そうですよね、やっぱり放っては置けません。

 イケダさん。すみませんけどちょっとジュンさん預かっててください」

 

「ア、アサミ!? 待て!!」

 

 咄嗟に伸ばした手はするりとかわされ・・・

 

「スキャパレリ・プロジェクトへの参加・・・私は本気ですから」

 

 アサミは、そのままテンカワ君を追って店の外に駆け出していった。

 

 ボクの手の平に残されたねずみが、ちょこんと頭を下げて・・・

 

 

「・・・・・・・・・え゛」

 

 

 全身がぎしりと硬直する。

 

 いや、ボク・・・ねずみ、大嫌いなんですけど・・・

 

 

 

 


 

 

 

「ちくしょう・・・なんだよ!

 なんでこいつがこんなとこに!!」

 

 

 ギギ・・・ギギギッ!!

 

 

 俺の目の前には半壊したバッタがいた。

 足が何本か折れて、体中の節々から煙を上げている。

 それでも・・・まだ動ける。生きている!

 

 体の震えを抑える事が出来なかった。

 がちがちと歯が噛み合う。

 涙が、溢れてくる。

 

 腰を抜かして座り込んでしまった俺の前で、バッタはのそりと身を揺する。

 

「あ、ああ・・・うあ・・・!」

 

 フラッシュバックする。

 

 

 あの時・・・

 

 守れなかったんだ、俺。

 誰一人守れなかった! 何も出来なかった!

 

 信じていればヒーローになれる。

 諦めなければ、みんなを守ることが出来る。

 

 

 そう思ってたのに。

 

 

 シェルターに侵入してきたバッタ達。

 燃え盛る火。横たわる死体の山。

 そして・・・・・・最後に俺を呼んだアイちゃんの声。

 

 何も出来なかった!!

 

 

「ちくしょう・・・!!

 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうっ!!」

 

 思い出して、体が萎縮してしまう。

 怖さと悔しさで涙が止まらない。

 

 死にたくない! でも・・・!

 

 

「動けないんだよおっ!!!」

 

 

 紅いカメラアイが鈍く光る。

 俺を、見ている。

 やばい・・・やばい、やばい、やばい!

 

 バッタの無機質な視線。

 近づいてくる。

 振り上げられる足。

 近づいてくる。

 

 何もかもがあのときと同じだった。

 あの時と同じ状況だった。

 

 そしてまた俺は、あの時と同じで何も出来ない・・・

 

 

 振り下ろされる凶器を、ただ呆然と見つめる。

 

 

「う、うわあ〜〜〜〜〜っ!!!」

 

 

 ・・・けれどいつまでたっても衝撃はやってこない。

 

 うっすらと目を開ける。

 まず映ったのは、ジーンズに包まれた小ぶりなお尻。

 続いて、さらりと流れるキレイな黒髪だ。

 視線をさらに上げると、こっちを見返す紫の視線とぶつかった。

 

「え・・・? うわあっ!!」

 

「すみませんけど早くどいてくれません?

 こいつ、結構重いんですから」

 

 俺は我が目を疑った。

 

 俺に襲い掛かろうとしていたバッタ。

 そいつが・・・たった一人の女の子によって押し留められている。

 

 女の子・・・さっき店にいたお客さんだ。

 俺の目と鼻の先に立って、バッタの足の先っぽを両手で掴んでいた。

 それだけで・・・完全に止めている。あのバッタを!

 

「ねえ、ちょっと! 聞こえませんか!?

 はーやーくーどいてって言ってるんですけどっ!!」

 

「あ、で、でも俺・・・腰が・・・」

 

 抜けていた。

 

「・・・・・・情けなさすぎですよそれ」

 

「し、仕方ないだろ!」

 

「ああもう! けっこう憧れてたんですからね! 私!

 ・・・あ、でもこういうテンカワさんもちょっと可愛くていいかも?

 なんか守ってあげたくなっちゃうっていうか・・・えへへ」

 

「何を言ってるんだよ!! つーか何で照れてるんだよ!!」

 

「こっちの話ですよ。

 ・・・さて、まあしょうがないですね。それじゃあ・・・うんしょっと!」

 

「げ・・・」

 

 押していく。

 軽トラック並の大きさのあるバッタを、ぐいぐいと押していく。

 いつの間にか、女の子の身体は白銀の煌きに覆われていた。

 

「昂気を使えるようになって初めての戦闘がバッタですか。

 ちょうどいいっちゃあちょうどいいですけどね。

 前はどんなに頑張っても壊せなかったし」

 

 戦闘? 壊す?

 何を言ってるんだこの娘? まさか・・・戦うつもりかよ! あれと!?

 

「北斗師匠は正面から小細工なしでこいつを破壊できる。

 お姉ちゃんだって、ジュンさんだって、出来ること。

 なら私にだって・・・」

 

 輝きが強くなる。

 鳥肌が立った。

 存在感が物理的な圧力にまで達している。

 

 徐々に、少しずつ開いていくバッタの足。

 カメラアイが赤く輝き、なんとか束縛を脱しようともがく。

 しかし・・・

 

 

「木連式格闘術最終奥義『武羅威』・・・

 おめでとう。この時代では貴方が最初の犠牲者です!」

 

 

 ガァアンンッッ!!!

 

 

 右足が跳ね上がる。

 下から上へ・・・バッタの頭を蹴り砕き、身体を両断する。

 響き渡った破壊音はとても人体が放ったそれとは思えなくて。

 返す刀で放った回し蹴りで、二つに分かれたバッタの残骸を遠く後方へ蹴り飛ばす。

 

 一瞬の静寂。そして爆発。

 

 衝撃によって起こった風が、少女の髪をたなびかせた。

 

 

「す、すげえ・・・!」

 

 非現実的な光景に思わず呟く。

 

 その声に気付いたのか、その娘は俺の方に視線を向けた。

 炎に照らされたその姿はなにやら神々しくすら見え、俺は状況も忘れて見入る。

 その娘が俺の目の前にちょこんとしゃがみ込むまで、全くなんの反応も出来なかった。

 

「大丈夫でした?」

 

「え・・・わあっ!

 だ、大丈夫! 大丈夫です!」

 

 なぜか敬語だった。

 だって、その女の子の顔が予想外に近くにあって・・・

 

「よかったです」

 

 少女はにぱっと笑う。

 不覚にも、どきっとしてしまった。

 

 よく見ると・・・この娘、すげえ可愛いかも。

 

 

「さ、もう行かないと。

 イケダさんきっと心配してるでしょうし」

 

 身体についたほこりをぱんぱんと払って、立ち上がった。

 遠ざかってしまった距離に、なぜか俺は落胆する。

 

「じゃあ失礼しますね。

 テンカワさん、貴方は本当にいろんな才能があるんですからもう少し頑張らないと。

 いつまでもそんなんじゃ・・・守りたい人、守れませんよ?」

 

「あ・・・は、はい」

 

「うん、よろしい」

 

 それだけ言うと、女の子はすたすたと歩いていってしまう。

 何とはなしに腕が伸びた。

 引き止めたかったのかもしれない。

 

 けど・・・ダメだ!

 今の俺には、そんな資格なんて無い!

 今のままの俺じゃあ・・・だけど!!

 

 俺は立ち上がった。

 体の震えは、とっくに収まっていいた。

 

 

「お、俺! アキト! テンカワアキト!!

 君は! 君の名前は!?」

 

 立ち止まる少女。

 止まれない俺は、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 

「俺、頑張るよ!

 君に負けないくらい! 頑張るから!」

 

 そうしたら、もう一度・・・

 

 その続きは言えなかったけれど。

 彼女は振り返ってくれて。そして満面の笑みを俺に向けてくれた。

 胸が・・・高鳴る。

 

「アサミです・・・アサミ=カザマ。

 頑張ってくださいね、テンカワさん!」

 

 そう言ってもらえただけで。

 

 体の奥底から、歓喜が沸いてくる。

 やってやるという気になる。

 心が踊った。心臓が早鐘を打つかのように高鳴った。

 

 よし! やってやる!

 さっさと蜥蜴恐怖症を治してあの娘に相応しい男に・・・って何考えてんだ俺は!

 

 べ、別にそんなつもりで言ったんじゃ・・・!

 確かに・・・・・・だけど、あんな可愛い娘に俺なんかじゃ・・・

 

 

 ・・・でも。

 

 会いたいな、もう一度。

 

 そうだ、助けてもらったお礼も言ってないじゃないか。

 もう一度会って、その時にちゃんとお礼を言わなきゃ。

 

 そうだよ。

 だからそのためには・・・

 

 

「何かをしなきゃいけないんだ・・・

 このままじゃダメなんだ!」

 

 アイちゃんを守ることが出来なくて。

 その喪失感が、無力感が、ずっと俺の心を苛んできた。

 

 でも・・・そうだよ。

 守れなかったから頑張らないんじゃ、ダメなんだ。

 守りたいものが出来たとき、それを守れるように今頑張ればいいんじゃないか。

 

 何を頑張ればいいのかなんて、そんなものはまだ分からない。でも!

 

 俺は・・・何かを成し遂げたい。

 何かを成し遂げて、誰かに認めてもらいたい。

 

 頑張るんだ。

 

 今はまだ、あいつらが怖くてしょうがないけど―――

 きっと、いつか克服してみせる!

 もう、逃げるのはやめるんだ!

 

 

 俺は・・・変わってやる。

 絶対変わってやる。

 そう、心に決めた。

 

 そして、もう一度・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――で、まあ・・・実際のところ、思いのほか再会は早かったんだけど。

 

 

「あ、テンカワさん。

 今日はカニチャーハンでお願いします」

 

「へい、らっしゃい!

 アサミちゃん、チャーハン好きだよね」

 

「だって、美味しいですよ?

 テンカワさんの作るチャーハン」

 

「え・・・あ、ありがとう・・・!」

 

 店自体の被害といったらガラスが全損したくらいで、次の日から営業を再開することが出来た。

 アサミちゃんはいつのまにか店の常連となっており、彼女目当ての客が大量に増えている。

 うむむ、店としてはほくほくなんだけどな〜。

 ・・・なんか、腹立たしい。

 

「こらアキト!! 鼻の下伸ばしてねえでさっさと厨房にいかねえか!!」

 

「は、はいサイゾウさん!!

 ・・・あ、じゃごゆっくり!!」

 

 俺はいそいそと厨房に行く。

 サイゾウさん、怒らせると怖いから・・・

 

 

「おい嬢ちゃん、あんまアイツを調子に乗らせねーでやってくれよ。

 ほんとあの馬鹿すぐ付け上がりやがる」

 

「あはは、ごめんなさいマスター」

 

「っ!! マ、マスターはやめろって言ってんだろ!!」

 

「きゃ〜!」

 

 おどけて逃げる振りをするアサミちゃん。

 サイゾウさん、顔を紅くして・・・・・・う、なんか疎外感。

 

 俺の日常生活にアサミちゃんが加わり・・・

 そういえばイケダさんが最近すごい目で俺を睨むようになっちゃったけど。

 なにせアサミちゃんと言えば、今をときめく売れっ子アイドルなんだそうだ。

 俺、テレビ見ないから知らなかったけど・・・凄いことなんだってことは何となく分かる。

 

 あの娘は・・・本当に、すごい。

 俺なんてまだまだだ。

 まだ、アサミちゃんに比べて俺の頑張りなんて全然足りない。

 

 もっと、もっともっと頑張って。

 いつか。いつか、俺は・・・

 

 

 

 ガラッ!

 

 

「アサミ。やっぱりここにいたのか」

 

「あ、イケダさん!」

 

「おう、いらっしゃい」

 

 うげ、イケダさん来ちゃったか。

 あの人いっつも俺のこと睨むから苦手なんだよな〜。

 

「家の方にいないからと思って来てみれば・・・

 ナデシコに乗りたいなら、早く行かないと間に合わないぞ?

 まだ荷造りもしてなかったじゃないか」

 

「あ、はーい・・・でも、出航までまだ1日あるじゃないですか」

 

「ギリギリに行くつもりだったのかい?

 乗員は出航の24時間前に乗艦完了してなきゃいけないんだよ。

 あれでも一応、戦艦だからね」

 

 ・・・出航?

 なんだよ、それ・・・

 

「なんだ、どっか行っちまうのかい?」

 

「ええまあ。

 ちょっと企業秘密なんで言えないんですが・・・」

 

「あ、火星に行くんです」

 

「ア、アアアサミぃっ!! お前はそうやってまた機密を軽々と!!」

 

 

「か、火星っ!!?」

 

 

 聞こえてきた言葉に、俺は思わず飛び出した。

 

 

「なんだぁ? いきなりでけー声出しやがって」

 

「火星って・・・アサミちゃん、火星に行くのか!?」

 

 サイゾウさんの声も、俺の耳には届いちゃいなかった。

 あたふたとアサミちゃんに駆け寄り、両肩をがしっと掴む。

 びくりと跳ねそうになった身体を、そのまま無理やり押さえつけた。

 

「は、はいそーですけど?」

 

「何しに!?」

 

「何しにって・・・あ、危な・・・」

 

 

 パシーーンッ!

 

 

「っっってぇ〜〜〜〜!!! 何するんすかいきなり!!」

 

「それはこっちの台詞だテンカワ君!!

 君こそ何をいきなりトチ狂った!! 

 君ごときが! 気安く! ウチのアサミに!! 触らないで貰いたいねまったく!!」

 

「い、いやだって・・・別にそれくらい・・・」

 

「それくらい!?

 ・・・なかなか勇気があるじゃないかテンカワ君!

 これからはせいぜい月の出ていない夜に気をつけることだな!」

 

「い、いぃぃっ!!?」

 

 こ、この人、目が本気だ・・・!

 

「はいはい、イケダさん。

 あんまりテンカワさんをいじめちゃダメですよ?」

 

「ふっふっふ、ボクの力を持ってすれば君1人を社会的に抹殺することも可能さ!

 さて、それが嫌なら二度とアサミには近づかないでもらおうか!

 さあ! さあ! さあさあさあっ!!」

 

「・・・・・・ていっ」

 

 

 とんっ!

 

 

「「おおっ」」

 

 アサミちゃんが首筋を軽く叩いただけで崩れ落ちるイケダさん。

 そうだ。この娘、見かけによらない武術の達人だった。

 

「すみませんけど、チャーハン、お弁当にしてもらえません?

 車の中で食べますから」

 

「すぐに出んのかい?」

 

「ええ。あんまりぐずぐずしてると、イケダさん心配しすぎで禿げちゃいそうだし。

 ・・・あ、そうだ。テンカワさん?」

 

「え?」

 

 なんか・・・俺はあまりのことに言葉を失っていた。

 アサミちゃんは、もう俺の日常の一部で。

 それがいきなりいなくなるとか言われても・・・

 しかも、行き先が火星・・・俺の故郷だ。

 

 もはや何がなんだかパニック状態なのにその上・・・

 

 

「・・・待ってますからね」

 

 俺の頭は、完璧に爆発しそうだった。

 

 

 

 そのまま、サイゾウさんが包んだ俺のチャーハンを持って、アサミちゃんは行ってしまった。

 イケダさん・・・引きずられてたけど。

 

 

 

「・・・追いかけねえのか」

 

「そんな・・・俺、そんなんじゃないっす。

 それに、俺みたいな一般人じゃあの娘に釣り合わないし・・・」

 

「そうか・・・ま、おめえがそう言うんなら別にいいんだがよ」

 

 俺は・・・ただのコックだ。

 いや、コックにすらなり切れてない、中途半端な男だ。

 

 頑張るって決めたけど、やってやるって決めたけど・・・

 ダメだよ、まだ。まだ駄目なんだ、今の俺じゃあ。

 ちくしょう・・・なんで行っちゃうんだよ。

 俺、まだ、何も言ってないのに・・・なんで!

 

 

「あちゃあ・・・アサミの嬢ちゃん、コート忘れて行っちまいやがった」

 

 突然、サイゾウさんが素っ頓狂な声を上げた。

 

「あ、それアサミちゃんの・・・」

 

「参ったな・・・

 火星に行くってんじゃもうしばらくこねーだろうし。

 ったくしょうがねえ! おいアキト!

 いっちょサセボの基地までひとっ走り行って来い!」

 

「え・・・?」

 

 強引に、アサミちゃんのコートを押し付けられる。

 ついでにとばかりに右手には一枚のカードを渡された。

 

「あの、これ・・・?」

 

「ついでだ、おめえも行っちまえ。

 そいつは餞別な。一応、今日までの分の給料が入ってる」

 

 はっとしてサイゾウさんを見る。

 腕を組んで、テーブルに腰掛けて、こっちをみるサイゾウさんは今までにないくらい優しい顔をしていた。

 

「お前は、クビだ。

 まああれだな。臆病者のパイロット雇ってるなんて、あんまいい評判ねえしよ。

 わりいんだけど、ここらで止めてくれや」

 

「そ、そんな! だって、俺ここ出たら他に行くトコなんて・・・!」

 

「ばーか。何時までも俺に甘えてんな。

 ・・・つーかお前。

 ここまで俺にお膳立てさせといて追いかけなかった日にゃ、本気で追い出すかんな。

 そんな腐った男はうちにはいらねえ」

 

 だけど・・・だけど、俺・・・

 

「お前よ、いつの間にか外でドンパチやっても動じねえようになったじゃねえか。

 それってあの嬢ちゃんのお陰だろ?

 ありゃあいい女になる・・・いい女ってのは男を変えちまうもんだからな。

 逃がしたら罰があたるってもんだ」

 

「だから俺はそんなんじゃないって・・・!」

 

「あのコのお陰でウチの店は大繁盛だ。

 ・・・きっちり、連れて帰って来いよ。

 そんでもって、帰ってくる頃にはお前も一端の料理人になってんだろ?

 そしたらまた雇ってやるさ。へっ、その頃にはテンカワ・アサミか?

 おっと、それにはまずイケダの旦那をなんとかしねえといけねえやな」

 

「な、なに言うんすかサイゾウさん!!」

 

 そんなんじゃないって言ってるのに・・・

 アサミちゃんは、なんか、妹みたいな感じで・・・ああ、でも。

 そうなったらきっと、幸せだろうな、俺。

 だって・・・俺は、誰よりアサミちゃんに認めてもらいたかったんだから。

 

 

「俺・・・行ってきます!」

 

 俺はアサミちゃんのコートを引っ掴むと、ばっと身を翻した。

 アサミちゃんは多分、軍のサセボ基地に向かうはずだ。

 ここらへんで宇宙船艦が入港でいるような場所はそこしかない。

 

 アサミちゃん、一回荷造りに帰るみたいだったから・・・

 自転車で飛ばせば先回りできる!

 

 

「おい、アキト!」

 

 店を出ようとした瞬間、サイゾウさんが俺を呼び止める。

 何かを言おうとして、やっぱり止めて、口をモゴモゴと動かして・・・

 最後に照れくさそうに、一言だけぼそっと呟いた。

 

「・・・達者でな」

 

「!!」

 

 目頭が熱くなった。

 視界がぼやけて、サイゾウさんの姿がよく見えない。

 

 俺はそんな顔を見られないように、深く深く、頭を下げた。

 

 顔を上げたときには、もう、迷いはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして・・・『それ』は起こった。

 

 

 

 

 

 

 ぐらりと、視界が揺れる。

 どくんと、心臓が跳ねる。

 

 自転車が横倒しに倒れ、俺は茂みの中にダイビングした。

 

「なんだ・・・なんだよ、これ。

 何か・・・誰かが、俺の中に・・・!!」

 

『済まない・・・ルリちゃん。ナデシコのクルー』

 

 頭が軋む。

 耳鳴りがする。

 立って・・・られない!

 

「や、やめろよ! なんで!

 く、くそっ・・・う、ああああっ!!

 ちくしょう! 変われたのに! 変われると思ったのに!

 まだ、何も・・・ア、アサミちゃんに・・・もう一度、俺は・・・!!」

 

『もう一度・・・やり直せたら・・・』

 

「なんで・・・ちくしょうっ!!

 誰だよ! 誰なんだよお前はああっ!!」

 

 疑問符だけが頭を埋める。

 訳が分からなくて、何も分からなくて。

 ただただ、俺が分解されていく。

 乗っ取られていく・・・誰かに。

 

 

『頑張ってくださいね、テンカワさん』

 

 あの娘の笑顔が・・・浮かんで消える。

 

『・・・きっちり、連れて帰って来いよ』

 

 サイゾウさんの姿が、浮かんで消えていく。

 

 ちくしょう・・・なんだよ、これ!

 くそっ・・・こんなとこで・・・こんな、とこでっ!!

 

 

  ドクンッ!!!

 

 

「うわあ〜〜〜〜っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・月が・・・見える・・・?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つの物語が終わり、一つの物語が始まる。

 それを知るのは・・・・・・たった一人の少女のみ。

 

 

 しかしまだ、少女は知らない。知りえない。

 

 アサミがその事実に気付くには、まだしばしの時間が必要とされていた。

 

 

 


 

 

 あとがき

 

 すみません書き直しました。

 と言っても次話に入れる予定だったシーンを持ってきて、今回のを次話にもってくだけですが。

 改訂版だけの投稿って抵抗があったんですけど、ちょっと時系列がぐちゃぐちゃになってしまってましたんで。

 あとがきから読んでる方(じつは緑麗ときどきやります)前半部分は読み飛ばしてください。

 

 さて、逆行モノの最大の疑問点。

 もともといた人格はどこに行ってしまうのか?

 ジュン然りアキト然り。交錯ではそこらへんにちょっと触れます。

 

 アサミは(ついでにリンクしているジュンも)逆行前と後のアキト両方を知ることになります。

 もといた人格を吹き飛ばして生きている逆行アキト。同じくイツキ、そして自分。

 その事実に彼らは何をを思うのか。

 そして、眠り続けるジュンの姿を見て。

 この時代の自分を消してまで、ジュンは身体を取り戻そうとするのかってことで。

 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

うむう。結構ヘヴィ?

タイトルの交錯ってのは逆行って事だけじゃなくてこう言った過去と現在の自分との交錯という含みもあるのかな。

今のアキトの存在がどうなってしまったのか、やはり消えたのかそれともしぶとくどこかに残っているのか。

どうなっちゃうんだろ。