交錯する時の流れ

 

第七話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ハァ、間に合いませんでしたね」

 

 

【間に合わなかったですむかあっ!!!】

 

 

 冒頭で怒られてしまった。

 ジュンさん、いきなりそれはあんまりですよぅ・・・

 

 

 

【ユ、ユリカじゃあるまいし、まさかナデシコに乗り遅れるなんて・・・!

 だいたいなんで直前までなんの準備もしてないんだよ!? 普通するだろ! なあ!?】

 

 サセボ基地から少し離れた街の一角。

 私は・・・私達は、今まさに飛び立っていった白亜の戦艦を呆然と眺めていた。

 

 だって・・・

 出航までには確かにまだ一日の猶予はあったはずですし、敵襲で早まったからって私の責任じゃないですよね?

 って言うかそれを言うなら気絶して車を出せなかったイケダさんが悪いですよ。

 タクシー捕まえるのだって一苦労だったんですから。

 戦場の真っ只中だし。

 

【やっと始まると思ったのに・・・

 出だしからこれかちくしょう! どーせ俺なんてーっ!】

 

 さめざめと泣くジュンさん。

 私の頭の上でがっくりと項垂れる。

 

 ・・・そもそも敵襲のこと、忘れてたのは貴方です。

 

 

 この時代に来てから、とりあえず速攻でこの時代のお姉ちゃんとジュンさんに会いに行ったりした。

 気が付けばもう一ヶ月がたつ。

 

 結果を言ってしまえば、2人とも、私達の知っている2人ではなかった。

 

 ジュンさんはここにいるのですから当たり前ですけどね。

 お姉ちゃんが戻って来てないのは、正直意外でした。

 うーん、ジャンプアウトの時点に誤差があるだけかもしれませんけど。

 

 だとしたら、いったい『いつ』ジャンプアウトするのだろう?

 

 

「さて、どうします?

 ほっといても一年後くらいには帰ってくるんでしょう?」

 

【・・・サクラに行こう】

 

「はい? サクラ?

 ・・・ああ、宇宙ステーションの。

 う〜ん、サクラは軍の施設ですからちょっと難しいのではないでしょうか。

 私、一民間人に過ぎませんし」

 

 軍の人とはあんまりコネないしなぁ。

 ・・・ナカザトさんとか?

 や、無理ですよね。この時代じゃまだ面識ないですし・・・

 

【仕方ないだろう?

 他に思いつくところなんてないんだから!】

 

「そうですね〜、今からでも間に合いそうなのは・・・あ、そうです。

 サツキミドリ、でしたっけ?

 そこに行きましょうよ」

 

【サツキミドリ・・・ああ。

 あまり記憶に残ってないけど・・・確か立ち寄ってないんじゃないかな、ナデシコ】

 

「でも近くを通るでしょう?

 ネルガルのコロニーですから多少の融通は利きますよ、きっと。

 あ、ヒカルさんたちもそこで合流するんです? なら、善は急げですね。

 えーっと、たぶん地球から定期便が出てるんじゃないかと思うんですが・・・

 イケダさんも目が覚めたみたいだしちょっと頼んでみます」

 

 タクシーから、イケダさんが頭を振りながら降りてくる。

 

 うーん、軽く小突いただけなのにまさかあんなに長時間目が覚めないなんて・・・

 ちょっと鍛えてあげたほうがいいかもしれませんね、イケダさん。

 これから私のマネージャーやるんだったら、絶対に体力は必要だし。

 

「ア、アサミ? あれ、ここは・・・?

 いったい何が起こったんだっけ?」

 

「お早うございますイケダさん!

 あの、ちょっとお願いがあるんですけど・・・」

 

「ま、またかい?」

 

 笑顔を貼り付けたまま、イケダさんは数歩後退した。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 戦闘を終えデッキに戻った俺は、アサルト・ピットから身を乗り出す。

 エステの足元にはウリバタケさんを初めとするメカニックが群がっていた。

 ほとんど調整の出来ていない状態で出撃し、戦闘までやってしまったのだからきっと整備が大変なことになるだろう。

 

 ・・・いや、でもそれってガイのせいだよな。絶対。

 

 俺は悪くない。

 

 

「よう、お疲れさん! やるじゃねえかおめー!」

 

「まあ・・・これくらいは、ね」

 

「へっ! 言うねー!

 ま、後は俺たちに任せときな!

 そんかわり調整のときは立ち会い頼むぜ、新入りパイロットさんよ!」

 

「コック兼パイロットですからね。

 何か、差し入れでも作って持ってきますよ」

 

「おっと、そいつは嬉しいね! 期待しとくよ!

 よっしゃ、野郎共はじめんぞっ!!」

 

『へ〜〜〜〜〜い!』

 

 号令一発、一斉にエステに取り付くメカニックたち。

 その楽しげな雰囲気に笑みを浮かべつつ、俺はその場を後にした。

 

 

「そうだ、ルリちゃんにあのこと頼んでおかないと・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テンカワさんのウィンドウが、ブリッジに浮かび上がった。

 

 

「あ! アキトだーー!!」

 

『ただいま、ルリちゃん』

 

「お帰りなさい、アキトさん。

 お疲れ様でした。

 お怪我はありませんでしたか?」

 

『はは、分かってるだろう?

 あんなの、戦闘のうちに入らないさ』

 

「え・・・えええええっ?」

 

 ユリカ先輩、撃沈。

 それはまあ何時もの事なので置いておくとして。

 

 登場したそのウィンドウに全員が一斉に視線を集中させる。

 

 皆さん、この度の勝利の立役者を迎えようとしていたようですが。

 他には目もくれずにルリさんと2人だけの世界に突入するその姿に硬直しちゃってます。

 そんなんだからロリコン説が後を絶たないんですよ。

 

 ・・・元気出してくださいね、ユリカ先輩。

 

 

「アキトーーーっ!!」

 

「ユリカ先輩、落ちますよ」

 

 艦長用のコンソールから身を乗り出す先輩。

 今にも飛び掛らんばかりのその勢いに、無駄とは知りつつも忠告する。

 まあ、無駄でしょうけど。

 

 

 ごぉ〜〜んっ!!

 

 

 ・・・あ、落ちた。

 

「ア、アキトぉ・・・!」

 

『ば、馬鹿かお前は!

 いきなりブリッジから飛び降りるヤツがあるか!!』

 

「艦長、たんこぶ」

 

「いや、うん、ちょっと・・・

 ほんと、かなり真剣に痛いかな〜、あははは・・・ぐすっ」

 

「・・・馬鹿」

 

『まったく、相変わらず・・・くっ!』

 

 半泣きになってしゃがみ込む先輩の姿に、テンカワさんは何故か暗い顔。

 早速ダークモード突入ですか。

 きっと何か思うところがあるんでしょうけど・・・

 テンカワさんが何を考えてるかなんて私には到底分かりかねることですし。

 

 でもなんか・・・先輩のあまりの可愛さに今にも抱きしめちゃいそうな自分に葛藤してるって感じ?

 きっと当たらずとも遠からずの筈です。

 ・・・ケダモノめ。

 

 

「先輩! 大丈夫ですか!」

 

「イ、イツキちゃん・・・や、ちょっと大丈夫じゃないかも・・・」

 

「だから危ないと・・・あーあ、こぶが出来ちゃってるじゃないですかこれ」

 

「だってアキトが〜!」

 

『俺が悪いのかっ!?』

 

 憤慨する。

 

 

 

 戦闘を終了し、ナデシコのブリッジは高揚感に包まれていた。

 初めての戦いに初めての勝利。

 非日常の興奮冷め遣らぬ。

 ナデシコ全体が浮き足立っていたと言っても良い。

 

 おそらく仕方のないことなんでしょうけど。

 

 仮にも軍に所属していた私は、この頃の戦況がどういうものかをいやと言うほど知っている。

 民間人であるナデシコクルー達も、軍がどれほど劣勢にあるかを認識していたに違いない。

 

 そんな中、自分達が自分達の手によって軍に苦渋を舐めさせてきた木星蜥蜴を圧倒。

 浮かれるのも当然のことだった。

 

 

『あのさルリちゃん、俺、食堂の方に行くから・・・』

 

「ということは、やっぱりコックは続けるんですね?」

 

『ああ・・・未練がましい、かな?』

 

「いえ・・・嬉しいです、私。

 アキトさん、ちゃんと帰ってきてくれたんだなって思えますから」

 

『ありがとう、ルリちゃん。

 ・・・その、できたらルリちゃんには一番に俺の料理を食べてもらいたいんだけど・・・いいかな?』

 

「は、はい! もちろんです!」

 

 頬を染めて微笑むルリさんに集まる視線。

 プロスさんまで「ほほう・・・」とか言って見入っている。

 

 

「わ、私も食べたーーい!!

 待っててアキト!! それじゃ! ・・・ふぇ?」

 

 

 がしっ!

 

 

「ああっと艦長、その前にちょっとお話が」

 

「お話?」

 

 プロスさんが先輩の腕を掴んで引き止めます。

 

「ええ、今後の航行スケジュールに関しての調整を」

 

「え〜〜でもアキトが・・・」

 

「・・・・・・何か?」

 

 全員が、一斉に視線を逸らす。青い顔で。

 私も・・・怖いですから。

 

「い、いえいえ! 何でもありません!

 はいそれじゃあさくさく行っちゃいましょう! はいはい、は〜い!」

 

「あ、じゃあ私はお先に食堂へ・・・」

 

「ええっ! イツキちゃんずるい!」

 

「艦長! ・・・は、こちらに」

 

「あう〜〜〜〜! アキト〜〜〜!!」

 

「・・・分かりました、手伝いますから。

 はい、泣かないで下さいねユリカ先輩」

 

 やれやれ・・・

 

 プロスさんに引きずられ滝のような涙を流す先輩の姿にため息をつく。

 

「・・・じゃあ、ジュンを部屋に送ってからまた来ますね」

 

 車椅子のロックを外し、ブリッジを後にする。

 背中にルリさんの視線を強く感じたが、気が付かないふりをした。

 

 やっぱり警戒してるみたいです。

 貴方達に比べたら、私なんて全然怪しくないと思うんですけどね・・・

 

 

 

 

『それから、早速だけど相談が・・・』

 

「あ、はい・・・なんでしょう?」

 

『これからのこと・・・・・・ラピスと・・・』

 

「・・・アキトさん、けっこう悪知恵が・・・

 ハーリー君を・・・・・・資金の面でも・・・」

 

『ごめん・・・じゃ、あとで俺の部屋に・・・』

 

 

 

 

 うーん、断片しか聞こえませんけど・・・

 ほら、やっぱりお2人の方が怪しさ満点じゃないですか。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「・・・・・・ユリカ・・・」

 

 呟きが漏れる。

 

 ウィンドウ越しではあったが、その輝くような笑顔はやはり変わらない。

 安心すると同時に、複雑な心境になった。

 あの笑顔を見ていると・・・自分の中の箍が外れてしまいそうになる。

 どうしようもなく、抱きしめたくなる。

 

 だけど俺は・・・俺には、まだ、ユリカとどういう風に接すればいいのかわからない。

 

「あいつは俺の愛したあいつじゃない・・・」

 

 でもやっぱりユリカはユリカで。

 

 葛藤が、心を苛む。揺れ動く。

 

 だから・・・逃げるしかなかった。

 面と向かって、ユリカと話すことが、俺には出来なかった。

 

 

 俺は辺りを見回す。

 誰もいない空間で、大きく息を吸う。

 

 懐かしい匂い、しかし新しい感じのするそれにはやはり違和感がある。

 この艦も俺達といっしょの時を過ごしてきたんだよな、と思うと感慨も一入だった。

 

「まさか・・・また、これに乗ることになるとはな」

 

 過ぎ去った過去の残滓。

 幸せだった思い出の象徴。

 今、呼吸する空気は、踏みしめる鉄の床は。

 変わらずにあの時のままだ。

 

 俺は、戻ってきた。

 

 懐かしき日々。懐かしき思い出。

 そのために今、ここにいる。

 

 繰り返さない。

 繰り返してなるものか。

 あの忌まわしい未来を、繰り返しはしない。

 

 そのために今、俺は、ここに戻ってきた。

 

 

「守ってみせる・・・今度こそ」

 

「何をですか?」

 

「!!」

 

 突然掛けられた声に、思わず飛び退る。

 振り返ったその先にいた人物にさらに言葉を失う。

 

 そこにいたのは2人。どちらも見知った顔だった。

 

「あ、すみません。

 驚かせるつもりはなかったのですが・・・

 なにやら考え事をなさってるご様子でしたので」

 

「ああ、いや・・・君は?」

 

 鼓動を抑えて、表情を消して。

 動揺を悟られないよう最大限に努力しながら問いかける。

 

 そうだ・・・さっき、ブリッジにいた・・・

 いや、何故彼女がここにいる?

 彼女がナデシコに搭乗するのはもっとずっと先のはず。

 

「では改めて。イツキ・カザマです」

 

 差し出された右手を戸惑いながらも握り返す。

 

 聞くまでもなかった。

 目の前の女性の名前はすでに知っていたのだから。

 直接言葉を交わしたのは2つか3つ程度しかなかったが、その顔を忘れることなどできはしない。

 

 ・・・俺の代わりに木連の有人兵器と戦い、犠牲になった人だ。

 

 

「・・・あの、どうかされたんですか?」

 

「え? ・・・あ、いや、すまない。

 ちょっと・・・その、知り合いに似ていたものだから」

 

 そうですか、と笑う。

 その姿は、記憶にあるあの女性そのままだった。

 

「先ほどの戦闘、拝見させていただきました。

 素晴らしい腕前ですね。

 よろしければ、今度シュミレーションにつきあっていただきたいのですが」

 

「あ、ああ・・・それくらいならお安い御用だけど」

 

「本当ですか? ありがとうございます!」

 

 嬉しそうに笑う。

 そこに、芝居や演技は感じられなかった。

 

 ・・・俺の知っている歴史と違う。

 だけど・・・

 未来を知る俺やルリちゃんがここにいる時点で、歴史はもうだいぶ変わってしまっているはずだ。

 だとしたら彼女がここにいるのは、歴史の矯正力ゆえなのだろうか?

 

「あ、そうだ。紹介しておきますね。

 こっちはアオイ ジュン。

 一応・・・ナデシコ副長ということになっていますが、見ての通りですので。

 あ、でも世話とかは全部私が見ているので皆さんにご迷惑はお掛けしていませんから」

 

 車椅子に座り俯いた姿のジュン。

 その姿に、俺の胸は締め付けられる。

 

 どう見ても正常な状態ではなかった。

 かつての仲間の無残な姿に、呼吸が速くなる。

 

 ジュン・・・お前に、なにがあったんだ・・・?

 

「何が・・・あったんだ・・・?」

 

 声に出ていた。

 

「・・・・・・すみません」

 

 哀しそうに笑い、頭を下げるイツキちゃん。

 俺は慌てた。

 

「いや・・・こちらこそ、無神経だった。

 すまない。謝らないでくれ」

 

 ふるふると首を振る。

 少し、瞳が潤んでいるような気がした。

 ・・・こういうのは苦手だ。

 

 ジュンとイツキちゃんがどういう関係にあるのか、そういえば俺はよく知らない。

 ユリカを先輩と慕うイツキちゃんと、幼馴染であるジュン。

 確かに何らかの関係があってもおかしくなかったはずだけど・・・

 

 前の時は、2人が顔を合わせているのを見る暇すらなかったからな。

 あの時イツキさんが生き残っていたら、もしかしたらくっついていたのかもしれない。

 いや、そうなるとユキナちゃんと修羅場か・・・?

 

 

「何か、俺に出来ることがあったら遠慮せずに何でも言って欲しい。

 可能な限り、力になりたい。

 ・・・同じ艦に乗る、仲間なわけだしな」

 

 力の入っていないジュンの右手を持ち上げ、握手をする。

 その手は思っていたよりも温かかった。

 

 アカツキ、ガイ、そしてジュン。

 俺の・・・数少ない友人の1人。

 助けられるなら、助けてやりたい。

 

「・・・ありがとう。

 ジュンも、きっと感謝してるとおもいます」

 

 イツキちゃんは深々と頭を下げる。

 俺は、ジュンの手を元に戻し、膝掛けを掛けなおしてやった。

 

「じゃあ、俺、食堂に挨拶に行かないといけないから・・・」

 

「ええ、お呼び止めしてすみませんでした。

 ・・・実は私も、早くブリッジに行かなくちゃならなかったんです」

 

「ユリカの手伝いか?

 ・・・はは、大変だな。イツキちゃんも」

 

「先輩をご存知なのですか?」

 

「アイツから聞いただろ?

 幼馴染なのさ・・・火星に居た頃の」

 

「へぇ・・・なんかロマンチックですね、そういうの」

 

「そんな・・・・・・いいもんじゃない」

 

 暗くなった俺の様子に、眉を寄せるイツキちゃん。

 それ以上見られることに耐えられなくて、俺は顔を背けた。

 

「じゃあ、後で。

 よかったら何か食べに来てくれないか?

 ・・・じつはしばらく料理を作っていなくてね。ちょっと不安なんだ」

 

「え〜、私は毒見役ですか?」

 

「あ、いや・・・そういうわけじゃないが」

 

「ふふ、冗談ですよ。それじゃあ、後で先輩と一緒に伺うことにします。

 ・・・テンカワさんの料理、楽しみにしていますから」

 

 そう言うと、一礼して去る。

 歩く仕草には無駄がなく、かなり鍛錬されている感じを受けた。

 実はそうとうな実力者なのかもしれない。

 

 ・・・その実力も、ボソンジャンプに巻き込まれてしまっては意味がなかったか。

 

 廊下を曲がって見えなくなるまで、俺はイツキちゃんの後姿を見送った。

 

 

「テンカワさんの料理、食べてみたかったです」

 

 

 かつて出会った少女の言葉が脳裏に蘇る。

 

 

「・・・守ってみせるさ、今度こそ」

 

 

 再び、俺は呟いた。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「ううっ、アキトに会いにいけないよ・・・」

 

「ユリカ先輩? 手、止まってますよ」

 

「は〜い・・・」

 

 ユリカ先輩が呟く。

 もっとも、その呟きは呟きとは思えないくらいの音量と怨念が篭っているようだったけれど。

 ・・・もちろんみんな聞こえないふり。

 

 ナデシコが出航してから、艦のチェックや航行スケジュールの確認など、艦長の仕事が山のように積み重なり先輩を襲ってきているのだ。

 少しでも隙を見せればきっと先輩のこと。

 即座にテンカワさんのもとに駆け出すのでしょうが、それにはまずプロスさんという難関を越えなければならない。

 そんなの私だって無理です。

 

 出航は、木星蜥蜴の襲撃による止むに止まれずの船出だといってもよく。

 全ての作業が終了した訳でも、せずとも良い訳でも、決してなかった。

 ドック内でするべき予定であった艦内のチェックを、出来る限り早く終わらせなければならなかった。

 

 ルリさんにも手伝ってもらって、もちろん私も手伝っているけれど・・・

 一向に終わらない。

 

 ・・・以前は、これをほとんどジュンが一人でやってたんですよね。

 

 額に大粒の汗が出る。

 

 

 しばらくして。

 

 

「あのー・・・プロスさん、ちょ〜っとお腹空いたりとかしません?」

 

 ユリカ先輩が勝負に出た。

 

「ふむ、言われてみれば・・・おや、もうこんな時間ですか。

 ええと残っているのは、メイン・サブ核パルス主機の試運転にミサイル発射管の空撃ち試験。

 搭載携行火器の点検は・・・まあ、明日にしましょうかね。それから・・・」

 

「後、大気圏内での相転移エンジンの出力試験をやっておいたほうがいいと思います」

 

「そうですな。ではそれが終わったならば・・・」

 

「あ〜ん、ユリカお腹空いちゃったな〜・・・

 あ、そー言えばナデシコ食堂って出前とかもしてくれるんだよ。

 イツキちゃん知ってた?」

 

「テンカワさんならエステバリス格納庫ですよ。

 30分ほど前に、メカニックの方から整備作業の開始報告が上がってきましたから。

 パイロットには立会いの義務があります」

 

「あうぅ、アキト・・・お話したいよ」

 

 ブリッジに出前すればアキトに会える!

 ・・・とか考えてた先輩の思惑もあえなく撃沈。

 流石に少々気の毒になってきますね。

 

「まあまあ艦長。そのうち機会があるでしょう。

 彼にはパイロットになってもらう予定ですからな」

 

「・・・正式にパイロットとして雇うんですか?」

 

「勿論ですとも。

 何せ皆さんご覧になったとおりの実力です。無碍に手放すにはあまりに惜しい。

 あ、いえ、イツキさんに比肩し得るかどうかはまた別の話ですが・・・」

 

 ナデシコ搭乗にあたり、私がプロスさんに提示した条件・・・

 機動兵器過程の訓練教官全員との、同時対戦での完全勝利。

 そこまでする必要はなかったかもしれないが、所詮私は力が強いだけの兵士に過ぎない。

 全体を見渡すことの出来る人に、私の力量をある程度は把握しておいて貰ったほうがいいと判断したのだ。

 

 そして実際にそれを成し遂げた私に対するプロスさんの評価は非常に高いものだった。

 

 正直な話、優華部隊や夜天光たちとの戦闘に比べれば、実に簡単なものだったけれど。

 

 

「アキト! ユリカのためにいっぱい練習したのね!

 うんうん、やっぱり私の王子様!!」

 

「艦長、そこ、間違ってます」

 

「あ、ルリちゃん? ユリカでいいんだよ?」

 

「はい、ユリカさん。

 ・・・そことそこ、間違えてます」

 

「え〜〜〜! どこどこ〜〜?」

 

「そこです! いいから早く終わらせてください!

 一刻も早くアキトさんの手料理を食べたいんですから!」

 

「ル、ルリちゃん怖い〜!」

 

 ふつふつと始まる女の戦い。

 ・・・私には関係のないことだけど。

 

「・・・私なんかよりよっぽど上手いですよ、あの人は」

 

「いやぁご謙遜を。

 私の知りうる限り、貴女を超えるエステバリスライダーはこの地球には・・・」

 

「だったら、考えを改めたほうがいいと思います」

 

「む・・・」

 

「テンカワさん・・・あの戦闘では実力の一端も見せてない。

 ・・・私、分かるんです。そういうの」

 

 実際に、あの人の本当の強さをいやと言うほど知っているから。

 

 私だって、強くなった。

 木連式柔を学び、武羅威を極め、昂気を纏い。

 機動兵器戦闘も既知宇宙内では最高クラスと称賛された。

 事実、現段階の実質的な戦闘力という点でのみ見れば、武羅威を極めた私は彼よりも大きく先を進んでいる。

 

 それでも・・・勝てる気がしない。

 彼には。

 あの『漆黒の戦神』には。

 

 私の知る彼よりは随分と見劣りする感は否めないが、それでも。

 

 私では、勝てない。

 

 

 知らず拳を握り締めた私を、ルリさんが怪訝そうに見る。

 それに気が付いて、私は体の力を抜いた。

 

 

「そう言えば・・・イツキさんはどうしてナデシコに?」

 

「スカウトされましたから」

 

 ちらりとプロスさんに目配せしてから、ルリさんの問いにしれっと答える。

 後か先かは別にして、スカウトされたのは嘘じゃない。

 

「軍学校があったのにですか?

 ずいぶん変則的な卒業をしてきたみたいですけど」

 

「・・・調べたんですか?」

 

「いえ、聞いたんです。

 ・・・プロスさんが、自慢げに話しておられましたから」

 

 くるっとプロスさんを見る。

 

 ・・・思いっきり顔を背けられました。

 言いふらしたんですか?

 

「あいや、これは・・・はは、参りましたな。

 申し訳ありません。

 思わぬところで優秀なパイロットが手に入り、浮かれてしまったようでして・・・はい」

 

「隠すことないよ、イツキちゃん。

 だってすごいことなんだよ?

 私もね、いろんな人に自慢しちゃった!」

 

「せ、先輩・・・」

 

 あんまり目立ちたくないのに・・・

 私がテンカワさんより目立ってどうするんですか。

 

「まあ・・・学校で教わることなんて、もうありませんでしたから」

 

 教官たちには申し訳ないことをしましたが・・・

 なんたってこっちは蜥蜴戦争の最前線を潜り抜けてるんですからね。

 とくにIFS仕様の機動兵器の扱いにかけては、私のほうが能力も経験も上でしたし。

 

「それに・・・その、アオイさんも」

 

「ル、ルリさんっ! それは・・・!」

 

 ジュンのことを話題に上らせたルリさんを、慌てたように諌めるプロスさん。

 先輩も、言い辛そうに視線を彷徨わせた。

 事情を知っているのは、この2人だけなのだ。

 

「アオイさん、植物状態ですよね。

 そんな状態の人を戦艦に乗せるなんて、余程の理由があるんじゃないんですか?

 普通の神経をしている人なら、まず考えられないと思いますが」

 

「それはですな、いや実に深い深〜いわけがございまして・・・」

 

「そ、そうそう! これには深〜〜い訳があるんだよ!」

 

「それでも・・・しかるべき施設で治療に専念したほうがいいと思います。

 現代の医療技術なら、ちゃんとした設備があれば回復の可能性も・・・」

 

「ないんです」

 

 躊躇いなく、私は言い切った。

 

「地球の技術では、もう、彼を目覚めさせることはできないそうです。

 ・・・最後通告を、受け取ってしまいました」

 

 ジュンは、厳密には植物状態とは違う。

 そんな言葉では説明がつけられない、完全な異常状態だ。

 

 循環器系は安定しており、そのため血色もいい。

 瞳孔の反射もある。呼吸だって規則的だ。

 なのに・・・

 

 常に寝たきり、車椅子であるにも拘らず、筋肉の硬直がない。

 髪が伸びない。爪が伸びない。

 そして・・・目覚めない。

 まるでそう、時間が・・・止まってしまったかのように。

 

 さすがにそこまでは、誰にも教えるつもりになれなかったけど。

 

 けれどその異常が。

 通常では在り得ない、その状態が。

 私に希望を抱かせる。

 

 ジュンのこの症状は、医学的なものではないのだ。

 ランダム・ジャンプの影響か、はたまた別の何かか。

 

 何がしかの特異的な要因が、彼の覚醒を妨げている。

 

 それさえ分かれば、まだ希望はある。

 そしてそのための手がかりは・・・火星にあるのだ。

 

 

「ジュンに、火星を見せてあげたかったんです。

 ・・・私の生まれ故郷を」

 

「生まれ故郷って・・・イツキさん、火星生まれなんですか?」

 

 目を見開くルリさん。

 ・・・おそらく、私がA級ジャンパーである可能性を考えているんでしょう。

 

「ええ、向こうにいたのは幼年期までなんですけど。

 父が軍に所属していた関係で、私もほとんどこっちで育ちましたから」

 

「そう! そういうことでして、はい。

 アオイさんを同乗させることが、イツキさんの雇用条件でありまして。

 ささ、それではこの話はここまでということに・・・」

 

「・・・・・・恋人、なんですか?」

 

 無理やり終わらせようとしたプロスさんを無視し、続ける。

 

 ・・・ルリさん、結構ストレートにずかずか聞いてくるんですね。

 その質問、なかなか答え辛いんですけど。

 

「むっふっふ〜。もう、ルリちゃんだめじゃない。

 イツキちゃんとジュンくんはね、そりゃあもうラブラブな・・・」

 

「いえ、私の片思いなんですよね。

 告白したんですけど・・・まだ、返事もらえてなくて」

 

「え、え〜〜〜〜!!

 なにそれ! ジュンくんひどい!!」

 

「ほんと・・・ひどいですよね」

 

 くすりと、力なく笑う。

 視線を自分の手の中に落とす。

 何度も何度も彼に触れ、支えてきたその手。

 最近手入れをしていないせいか、少し・・・荒れてきたかもしれない。

 

「好きに・・・させるだけさせておいて。

 好きだって言わせるだけ言わせておいて・・・

 ・・・なんの責任も取ってくれないし、答えてもくれない。何もしてくれない」

 

 あの時、私は自分の命を捨ててでもジュンを助けたいと思った。

 本心から、彼のいない世界なんかに生きたくないと、そう思った。

 

 彼の中にはまだチハヤさんへの想いが残っていたのも知っていたし。

 きっと私なんかを振り返ってくれる望みがないだろうことも分かっていたけれど。

 

 だがそれでも。

 彼を失いたくなかった。私は、彼といたかった。

 

「・・・本当にひどいんです、あの人」

 

 ジュンの身体は温かくて。

 私はよく、髪を梳った。

 柔らかい黒髪が、私の手の中を流れる度に涙腺が緩みそうになった。

 

「イツキちゃん・・・」

 

「・・・すみません。

 ちょっと疲れてるみたいで」

 

 駄目だな、私。

 また先輩に甘えようとしてる。

 

 先輩は、とても母性の強い人だから。

 弱気になりそうな私の背中をいつも撫でてくれるし、押し出してくれる。

 私はいつもそれに甘えてしまう。

 昔から・・・ずっと昔から、そうだった。

 知り合いが他人に変わってしまったこの世界で、先輩の優しさだけは変わらない。

 そのことに・・・どれだけ助けられただろう。

 

 

「・・・すみませんでした。無神経なことを聞いてしまって。

 あの・・・私でよかったら、何か協力させてください。

 こうやって同じ艦に乗り合わせたのも何かの縁だと思いますし・・・」

 

「ありがとうございます、ルリさん。

 ・・・ふふ、さっきテンカワさんにも同じことを言われましたよ?」

 

「え・・・?」

 

「仲がいいんですね、ルリさんとテンカワさん」

 

「あ・・・」

 

 ほんのりと頬を染めるルリさん。

 うわ、可愛いんだ。

 ・・・『あの頃』のルリさんからは想像も出来ないですけど。

 

「え、えーーーっ!! だ、ダメだよルリちゃん!

 アキトはユリカの王子様なんだから!!」

 

「な、何を言い出すんですかいきなり!

 私は別にそんな・・・アキトさんは、大切な人ですから・・・」

 

「ほうほう、『大切な人』・・・うわ〜言ってくれますねまったく。

 あ〜熱い熱い」

 

「う・・・イ、イツキさんなんか親父臭いです」

 

「アキト・・・そんな、ロリコンだったの?

 ううん! そんなことない!

 だって・・・だってアキトはユリカの王子様!」

 

「・・・・・・・・・・・・私、アキトさんと一緒に暮らしてました(ぼそっ)」

 

「いやあああああああっ!!!」

 

「ファイトです! 先輩!」

 

「っていうかイツキちゃんどっちの味方なの!?」

 

「面白いほうに決まってますっ!!」

 

「うええええええっ!!?」

 

 これでいい。

 

 私が守るべきもの。

 私が守りたいもの。

 

 彼女達が彼女達らしく、彼らが彼ららしく。

 ナデシコがナデシコらしくあるように。

 

 和平の行方はテンカワさんたちに任せればいい。

 どんな困難が立ち塞がろうと、どんな敵が現れようと。

 彼らなら乗り越えられる。乗り越えていける。

 

 だから私は、この日常を守ろう。

 彼らの帰って来る、この家を守ろう。

 

 いつか・・・私の最愛の人を迎えれるように。

 

 私は・・・ナデシコを守る。

 

 

「頑張りましょう・・・ルリさん、ユリカ先輩。

 ・・・・・・・・・ジュン」

 

 

 

 

 

 

「女三人寄れば何とやらと言いますが・・・

 いや〜華やかでよろしいですなぁ」

 

「・・・(ずず〜っ)」

 

「おや提督。居られたので?」

 

「・・・はじめから居たのだがね」

 

「そ、そうでしたか・・・」

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 とまあ、そんなこんなで。

 

 テンカワさんの活躍で何とか無事にサセボドッグを出航できたナデシコ。

 現在はのんびりと海面航行をしていた。

 そこにはとりわけ目的は見られず。

 こう言っては何だが、行き場を失って路頭に迷っているようにも見えなくなかった。

 

 

 

 

 

『ジョー! ジョオオオオッ!!』

 

「ジョ、ジョーが!! 俺の、ジョーぉがああっ!!」

 

「あーはいはい。もう少し静かに見てくださいねヤマダさん」

 

「ダイゴウジ・ガイっ!!」

 

 ダイゴウジ・ガイことヤマダさんのバイブル。

 『ゲキ・ガンガー3』

 

 べつに嫌いではないのですが、既に一度見たものを何度も見させられるのは結構きついです。

 

「お前にはゲキ・ガンガーの素晴らしさがわからんのか!?」

 

 言いながらもちょっと音を絞ってくれる。

 基本的にいい人なのだ。

 

「いえ・・・ちょっと女の私にはハードすぎるかなぁ、なんて」

 

「そんなことはない!!」

 

 やんわりと否定しようとする私を、きっぱりと遮るヤマダさん。

 ちなみになぜ私がこんなとこ(ヤマダさんの部屋)でゲキガンガーなんて見ているかというと・・・

 

 

「正義! 友情! そして愛!

 これさえ見ればそこの青ビョウタンだって絶対に飛び起きる!!」

 

 

 という何の根拠もないヤマダさんの主張に引き摺られてのことだった。

 

 まあ内容はともかくとして、です。

 ジュンのことを本気で思い遣ってくれているヤマダさんの申し出。

 無碍に断るには・・・正直ちょっと、嬉しかった。

 

 

「しかし・・・この感動的なシーンに眉一つ動かさんとは」

 

「そうそう奇跡は起こりませんよ。

 ・・・でも、ありがとうございます」

 

「べ、別に礼を言われるほどのことでもねえよ!

 その・・・なんだ。結局、あんまし効果なかったみてえだしよ」

 

 頬を紅く染めて頭を掻くヤマダさんは、少し可愛かった。

 その時、私とヤマダさんのコミュニケに同時に通信が入る。

 プロスさんの顔がふたつ、中空に浮かび上がった。

 

 

 ピッ!

 

 

『イツキさんに・・・ああ、ヤマダさんもご一緒でしたか。

 お2人とも、お寛ぎのところまことに恐縮なのですが、ちょっとブリッジに上がって来て頂けませんか?』

 

「ブリッジへ?」

 

「なんだ? 敵でも来たのか?」

 

 私とヤマダさんは顔を見合わせる。

 

『いえ、そういうわけでは無いのですが・・・

 艦内も落ち着いてきましたし、そろそろここらでこのナデシコの目的を明かしておこうと思いまして』

 

「「目的・・・?」」

 

『ええ。まあ、詳しくはブリッジで』

 

 それだけ告げると、プロスさんは通信を切ってしまった。

 再び私達は顔を見合わせるが、どうせすることも無いのだし、と立ち上がる。

 

「じゃ、行きましょうかヤマダさん?」

 

「おう、帰って来たらゲキガンガーの素晴らしさについてゆっくり教えてやるぜ!」

 

「あはは、遠慮しときます」

 

 一足先に部屋を出ようとしていた私は、顔だけ振り返ってきっぱりとその申し出を断った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「動くな!」

 

 ヤマダさんと他愛のない会話に興じながら廊下を歩いていると、突然銃で武装した男が数人、立ち塞がった。

 

 なんとなくばたばたしてるな、とは気配で分かってましたが・・・

 いきなりですねこれは。

 ナデシコの対人設備ってどうなってるんですか?

 

 ・・・・・・いやどーなってましたっけ。

 そう言えばよく知らないんですよね、この頃のナデシコ。

 

「壁に手を突け!! 早く!!」

 

「なんだてめぇら・・・はっ、さては木星蜥蜴の手下うわなにしやがるカザマ!」

 

「従いましょう。ジュンもいますし」

 

 暴れようとするヤマダさんの首根っこを掴み阻止。

 

 だってこっちには動けないジュンがいますからね。

 暴れたりして、もし流れ弾でも当たったら最悪です。

 

 相手は4人・・・まあ、いざとなったらどうとでもできます。

 今は、大人しく従っておくべきでしょう。

 

 

「ぐぅ、人質とは卑怯な!」

 

「テロリストなんてそんなもんですよ。

 あ、でも制服着てるってことは軍人でしょうか?

 それにしては間抜けな顔してますけどね、あはは」

 

「無駄口を叩くなっ!!」

 

「ってほら、ヤマダさんが喚くから怒られちゃったじゃないですか」

 

「おめーのせいだろっ!! ・・・むぐっ!!」

 

 銃口を突きつけられ、言葉を飲み込むヤマダさん。

 

 それにしても・・・何故、軍が?

 それとも軍人に扮しただけのテロリストか。

 

「装備は・・・本物のようですが」

 

「ああ、極東方面軍だぞ。あの小銃」

 

 ひっそりと呟いた私に同じくヤマダさんがひっそりと返す。

 ちょっとびっくり。

 

 でも・・・なるほど、そういうことですか。

 ナデシコという戦力が惜しくなったんでしょうね、軍が。

 これだけの戦艦を火星に単独で向かわせるなんて、むざむざ戦力を捨てるようなものですから。

 

 と言うか、彼らが軍だとしたら命令を出しているのは副提督・・・?

 あまりいい印象はないのですが、あの人。

 

「よし、じっとしてろよ」

 

 ヤマダさんと並んで壁に手をつき、身体検査を受ける。

 

 ん、なんか手つきが・・・?

 

 

「きゃ!」

 

「あ・・・」

 

 突然、後ろから胸を鷲掴みにされ、私は思わず短い悲鳴を上げてしまった。

 

 な、何をするんですかこの人は!

 身体検査を装って身体を弄るなんて・・・それでも軍人!?

 情けない! 同じ軍人として恥ずかしいです!

 

「す、すまん! わざとじゃ・・・!」

 

 あたふたと手を振る軍人。

 振り返った私は、とりあえずその腕をむんずと掴んだ。

 

「いきなり」

 

 手首の動きを使って体勢を崩し、踏み出した足を軽く払う。

 風の如し、水の如し。力の流れは螺旋をイメージ。

 

「何を」

 

 浮いた身体に回転を加え、頭がちょうど真下になったところで手を放し。

 同時に逆の手の平を軍人の腹部に軽く添える。

 大地のように堅確に。炎のように大胆に。

 

「しますか貴方は!!」

 

 

  ドンッ!!

 

 

 軽く打ち付けた踵が震脚となって艦内を揺るがした。

 反作用によって生み出された波動が私の体内を通り、目標に徹る。

 インパクトの瞬間に円形の衝撃波を発生させ。

 目の前にいた軍人は、音も残さずに一瞬で数メートルの水平飛行を実行していた。

 

 本当は衝撃だけを通す技だけど、打点をずらせばコレくらいの威力は出る。

 

 ぽか〜んと言う間抜けな沈黙が、無機質な廊下を支配した。

 

 

「恥を知りなさい!!」

 

「お、大人しく従うんじゃなかったのかよ・・・?」

 

 ふん! 婦女子の胸に無断で触れた罰です!

 

 

 ジャキ!

 

 

「き、貴様らっ! 何をしたのかわかっているのか!?」

 

「『ら』って何だ『ら』って!? なんで俺まで入ってる!!?」

 

 我に返って銃を構えなおし、威嚇してくる軍人たち。

 1人が吹き飛んだ仲間を助け起し、1人は猛然と抗議するヤマダさんの鼻に銃口を突きつける。

 もう1人は、人質のつもりなのかジュンにその手に持った銃を向けようとし・・・

 

「何をしてるんです!?」

 

「ぐあっ!」

 

 腕を押さえ、銃を取り落とす。

 その右腕の甲には長さ15センチほどの針が突き刺さっていた。

 

 私が投擲した・・・『飛針』だ。

 両の手首に5本ずつ、計10本を常に装備している。

 手首から引き出して投擲、目標に命中するまで、10歩程度の距離なら銃よりも早い。

 

 今回は使ってないが、実際は昂気を纏って投げるのが正式。

 車のフロントガラスくらいなら容易に貫きますよ?

 

 

「どっせぇぇいっ!!!」

 

「ぷぎゃっ!!」

 

 仲間がやられて油断した瞬間を、ヤマダさんが松葉杖のフルスイングで弾き飛ばす。

 そのまま壁にぶつかって・・・うわ、危ない角度で行きましたね。

 完全に白目剥いてますよ、あの人。

 

 冷静にその様子を見ながら、片手間にとりあえず残った1人を気絶させた。

 首筋に針を差し込んでぐりっと・・・なんですかヤマダさん、その目は。

 殺してませんよ、人聞きの悪い。

 

「大人しくしてれば怪我もしなかったでしょうに・・・」

 

「ちなみに一番はじめに暴れだしたのはお前だけどな。

 ま、なにはともかく正義は勝ぁつ!!」

 

「ひぃっ!!」

 

 腕を組んで高らかと勝利宣言を挙げるヤマダさんの声に、脅えた息遣いが被さる。

 

 ・・・1人残ってましたか。

 

 右腕を押さえて蹲った軍人に私は歩み寄り、手に持った針を首筋にぐさっと・・・

 だからその目はなんなんですかヤマダさん?

 

 

「さて、どうしましょう?

 ブリッジが占拠されてなければいいんですが・・・

 とりあえず武器を、はいヤマダさん」

 

「おお、サンキュ。

 なんかお前手馴れてねーか? 別にいいけどよ」

 

「なに言ってるんですか。私、軍人ですよ?」

 

 お仲間な筈の軍人さんたちを適当に縛り、持っていた銃火器は再利用させてもらう。

 

 ああもう、何をやってるんですかテンカワさん。

 ルリさんとオモイカネの支配するナデシコ艦内でこんな武装蜂起を許すなんて。

 

 ・・・・・・・・・。

 

 ・・・いや有り得ないじゃないですか、そんなの。

 

 

「そうですよ・・・出来るわけない」

 

 呟く。

 腕を組み。唇に指を当てて考える。

 

 ここはナデシコだ。

 この中で起きる事象の全ては、艦内コンピュータのオモイカネが掌握する。

 それは即ち、彼らの行動は全てテンカワさんに筒抜けと言うわけで・・・

 

「なんだ。私、やること何もないじゃないですか」

 

「あん?」

 

 でもここで何もしないのも却って不自然なんですよね。

 私はまだ、テンカワさんの実力とかルリさんとの関係とか知らないはずなんですから。

 

「テンカワさんが何もしないと言うことは、放って置いても問題ないということなのでしょうか・・・?」

 

 ならば下手に動いて怪しまれるのは避けたほうが無難ですが。

 

「何をさっきからブツブツと・・・

 で、どーすんだ。一応ブリッジ行っといた方がいいんじゃねーかと思うんだが」

 

「・・・ええ、そうですね。

 とにかくそうしましょう。ブリッジにいれば何かあった時に対処がしやすいでしょうし。

 あ、ヤマダさん。そこらに刺さってる針、回収しといて頂けます?

 何せ10本しかストックがありませんので」

 

「お、おお・・・抜きゃいいのか、これ?」

 

「ええ、そうです。気をつけてくださいね。

 下手に曲げると・・・・・・」

 

「あ?」

 

 

 ぱきん!

 

 

 ヤマダさんが無造作に握った針は、軽い音を立てて真っ二つに折れた。

 瞬間、時が停止する。

 

 何とも言えない表情をしたヤマダさんとしばし見詰め合い・・・

 

「・・・下手に曲げると知りませんよ、って言いたかったのですが」

 

「お、おせぇ・・・」

 

 呆然として折れた針を握るヤマダさんの前では、横たわった軍人がぴくぴくと痙攣を始めている。

 

 

「・・・・・・ヤマダさん」

 

「・・・・・・」

 

「ヤマダさん」

 

「・・・・・・夢がっあっすっを呼っんでいる〜」

 

「・・・ダイゴウジさん?」

 

「・・・(ぴくっ!)」

 

「ヤマダさん」

 

「・・・魂のさっけびさレッツゴーパッション!」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 

 

 

 

 ざくっ!

 

 

「ぎゃん! ・・・って、刺すなコラっ!」

 

「無視しないでください。現実逃避しないで下さい」

 

「やかましいわっ!

 ちくしょう! この世に生まれて18年!

 いつか正義の味方になってやると公明正大弱肉強食をモットーに生きてきたのにいきなり失格人間の仲間入りか!

 こんなことなら大人しくガキ相手にヒーローショーやってりゃよかったー!!」

 

「うわあお似合いですね、怖いくらい」

 

「そーいう問題じゃねー!!

 ・・・っくうっ! お前なんかと知り合ったのが運の尽きか・・・!

 まさか人殺しの片棒担がされるなんて・・・泣けてくるぜ!

 はっ!! ち、違うぞ! そんな目で俺を見るな!

 俺が悪いんやない! 社会が悪いんだーっ!!」

 

 明後日の方向に向かって叫び始める。

 もはや末期か・・・

 

 

 

 と思ったらふと真顔に戻り。

 

 

「まあ、それはともかく・・・・・・・・・どこに埋めるか」

 

 

 ずしゃ!

 

 

 ・・・はっ、私としたことが思わずベタな反応を。

 

「馬鹿なことを言わないでください!

 ・・・・・・重石つけて海に沈めるんですよ。

 はいそっち持って下さい・・・って何やらせますか貴方はっ!!」

 

「いやお前が勝手に・・・」

 

「えい」

 

 

 ぐさっ!

 

 

「ぐわああっ!!

 て、てめー自分の都合が悪くなったからって人を刺しまくるんじゃねーよ!!

 この馬鹿女っ!!」

 

「ば、馬鹿女っ・・・!? 言うに事欠いて馬鹿とは何ですか馬鹿とは!!

 貴方みたいな馬鹿の代表格みたいな人に馬鹿呼ばわりされるなんて心外も甚だしい!!」

 

「誰が馬鹿の代表格だ! 一緒にすんじゃねーよばーか!!」

 

「ま、また言いましたね!?

 はん、馬鹿と言った方が本当は馬鹿なんですよ、知らないんですか!?

 やはり所詮はヤマダさんですね! ばーかばーかばーか!」

 

「語るに落ちてんじゃねーか!!」

 

 

 ぶすっ!!

 

 

「だああっ!! て、てめーまた・・・!?

 げっ! な、何だ、体が動かねー!!?」

 

「ふっ・・・影護流針術は生かすも殺すも自由自在です。

 動きを拘束するなんて序の口序の口」

 

「うわあ、なんかいきなり怖いことほざきやがるし。

 馬鹿に加えてサディストじゃ救いようが・・・」

 

 

 ぴぃんっ!

 

 

「おほおおおっっっっっっ!!!?」

 

「生かすも殺すも自由自在、と言いました。

 ふふふ、さあ・・・誰が馬鹿女です?」

 

「こ、この女・・・!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・おい、生きてるか?」

 

「な、なんとか・・・」

 

「・・・逃げよう。今のうちに」

 

「ああ・・・」

 

 

 こそこそ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 予定通りといえば予定通りに、ムネタケの反乱が起きた。

 

 

「どうするんですか、アキトさん?」

 

「いや、別段今回は動くつもりはないよ。

 一度、軍とは話をしてこないと駄目だろうし」

 

 そこらへんは主にプロスさんが。

 

 ということで俺達は今、武装した軍人に先導されて食堂に向けて移動中だった。

 その途中で・・・

 

「あれ、皆さんどうされたんですか?」

 

「イツキちゃん・・・に、ガイか」

 

 反対側から歩いてきた人影。

 俺達の身柄を拘束していた軍人が彼らに銃口を向ける。

 

 どうしましょう、と言いたげなイツキちゃんの目線に俺は首を振った。

 どうやらうまく伝わったらしく、両手を挙げて降参のポーズ。

 何か言いたげだったガイも素直に従うが、イツキちゃんと一瞬視線があっただけでふんっとそっぽを向く。

 ・・・何をやっているんだ、お前達?。

 

 程なくして隊列に加わった。

 

「ユリカ先輩はどちらに?」

 

「トビウメに行った。

 プロスさんも一緒だから心配はいらないと思うが」

 

「そうですか・・・そうでしょうね」

 

 トビウメだし、と呟く。

 ・・・どうやら彼女も知っているらしい、トビウメに乗ってきた人物のことを。

 

「で、結局なにが起こったのですか?」

 

「反乱、かな?

 ムネタケ副提督が数名の部下を従えてブリッジを占拠したんだ」

 

 しかしユリカのやつ、ああも躊躇いなくマスターキーを抜くとは・・・

 分かってはいたが、やはり頭が痛い。

 アイツにはアイツなりの考えがあるのだろうけど、もうちょっと他のやつに分かるような行動して欲しいよ。

 

「あの・・・放っておいても?」

 

「ユリカとマスターキーを抑えられてるからな。

 今のナデシコは全くの無防備状態だよ。

 こうなってしまうとお手上げさ」

 

 両手を挙げて降参のポーズをとって見せる。

 もちろん、俺がその気になれば即座に艦の奪還は可能だろう。

 だが未来を知る者として、そんな必要がないことわ分かっている。

 ここはユリカを信じて・・・・・・う、ちょっと不安になってきたかもしれない。

 

「貴方がそういうのでしたら、別にいいのですが」

 

 そう言うイツキちゃんは少し不満そうな表情をしていた。

 

 

「さあ、ここでしばらく大人しくしていろ」

 

 食堂へ到着。

 銃口で背中を押され、中に押し込まれる。

 既に他のメンバーは集められ、まとめて監禁されていた。

 

「ちくしょう覚えてろよ!」

 

 恨みがましく閉じたドアを睨むガイ。

 

「自由への夢が一日で終わりましたね」

 

「だ〜〜っ! あきらめるなカザマっ!

 まだ希望はそこにある!!

 っつーかお前いま鼻で笑っただろう!! いやぜ〜ったい笑いやがった!!」

 

「はいはい」

 

 わめくガイを軽くいなすイツキちゃんは、さっさと席につく。

 もちろんジュンも一緒だった。

 俺を含めたブリッジ組も、自然と同じ席に腰を下ろす。

 

「なんかがっかり。

 戦艦に乗ればカッコいい人いっぱいいると思ってたのに」

 

「世の中そんなに甘くはありませんよ」

 

 呟くのはメグミちゃん。

 それに対してどこか達観したようなイツキちゃんが答える。

 

「でもこの艦ってほんと変な人ばっかし」

 

「否定はしませんけど。

 テンカワさんとかどうです? まともそうじゃないですか?」

 

 って、こっちに話を振らないでくれ。

 

「う〜ん・・・いいとは思うんだけど。

 あの三角関係に飛び込みたくないっていうか」

 

「三角関係・・・あ、そうか。この頃ってまだ三角形なんですね。平和だな〜」

 

 ・・・もう勝手にしてください。

 

 

「どうした!! 皆、暗いぞ!!

 よーし俺が元気の出る物を見せてやる!!」

 

 歴史通り、ガイがどこからか旧式のビデオディスクを取り出しいきなりゲキガンガー上映会が始まる。

 俺も懐かしさからか、しばらくだまって見入っていたが・・・

 

 

 ズズゥウウン・・・!!!

 

 

 艦を揺さぶる細かな振動。

 続いて、連合軍艦隊よりチューリップの活動再開の報が齎された。

 

 さて、そろそろ動くとするか・・・ん?

 

 

 ダッ!!

 

 

 腰を上げようとした俺よりも、真っ先に動いたのはイツキちゃんだった。

 他の大勢がぽかんと見守る中、もの凄い勢いでドアに駆け出し、制止する軍人達を殴り飛ばす。

 

 まさに一瞬の出来事。

 俺も・・・さすがに唖然とした。

 

 

「な・・・! ま、待てっ!!」

 

「!? ちっ!」

 

 

 バキィッ!!

 

 

 我に帰った軍人がイツキちゃんの背中に銃口を向けたのを確認。

 次の瞬間には俺はその軍人を殴り倒していた。

 一撃で崩れ落ちる。

 

「き、貴様らぁっ!!」

 

「きゃあっ!」

 

 呆然としていた軍人達の一人が、サユリちゃんを押し退けながら銃を構える。

 位置はちょうど俺と正反対の厨房側。

 迎撃は・・・間に合わない!

 

「くそっ! みんな伏せろっ!!」

 

 咄嗟に指示を飛ばしたが・・・ダメだ! 反応が遅い!

 もとが民間人なだけあって、銃に対する対応が分かってないんだ!

 

 流れ弾が誰かに当たるのを恐れた俺は避けることも出来ず。

 銃口の向きから弾道を予測して、自分の体で受け止めるべく防御を固める。

 急所を外せば・・・なんてことはない!

 

 覚悟を決めた時だった。

 

 

 バコォンッ!

 

 

 銃を構えた軍人の顎先を、特大のフライパンが打ち上げる。

 狙い済ました急所への的確な一撃。

 ホウメイさんだった。あんた何者だ?

 

「テンカワ! やっちまいな!」

 

「は、はいっ!」

 

 ぽかんと間抜け面を曝していたのはほんの数秒。

 ホウメイさんの令を受けて、俺は弾かれたように飛び上がる。

 未だ混乱冷め遣らぬ軍人達の中に飛び込み、手当たり次第に当身をいれ。

 

 食堂を占拠していた人員を一掃するのには、数分と掛からなかった。

 

 

 

「すっご〜〜〜〜い」

 

「うわぁ、カンフー映画みたい」

 

 ミナトさんとメグミちゃんの拍手に片手で答え。

 

「ガイ! 何時まで呆けてる!

 出撃するぞ!

 ルリちゃんは通信の復旧に掛かってくれ!」

 

「はい、アキトさん!」

 

「お、俺のゲキガンガーがあああっ!!」

 

 ドサクサ紛れで軍靴に踏み潰されたビデオデッキに縋り付くガイの首根っこを引っつかみ。

 イツキちゃんの後を追うような形で、俺はエステバリス・ハンガーへと急いだ。

 

 

 


 

 

 

「全システム、オートからマニュアルへ移行!

 チェック関連全省略! ゲートの開放を要請!

 出撃準備、完了と同時に出ます!」

 

 迂闊だった。

 地球にはまだいたる所に木連の戦力が点在している。

 地図上の全ての場所において、常に敵襲の危険を孕んでいる。

 そんな中でこんな無防備な状態を曝すなんて・・・!

 

 テンカワさん、貴方のミスですよ・・・

 

 

「ブリッジ! こちらイツキ・カザマ!

 応答してください! ブリッジ!」

 

 ダメだ。マスターキーが抜かれているためか、戦闘用の緊急回線が繋がらない。

 ・・・そもそも占拠されたブリッジに連絡をいれてもどうしようもないか。

 ルリさんは食堂にいましたし、現状ではオモイカネへのアクセスも制限されていると見たほうがいいでしょう。

 

 くっ・・・ナデシコ、いきなり最大のピンチですね。

 

 

 ピッ!

 

 

『イツキちゃん! 何を考えているんだ!

 危うく怪我人が出るところだったぞ!』

 

 通常回線、コミュニケにテンカワさんのウィンドウが表示される。

 どうやらルリさんが回復させたらしい。

 

 先ほどの私の行動は、普通に考えればとても危険なものだった。

 銃を持った兵士達に囲まれた部屋からの強行脱出。

 集中砲火の危険性もさることながら、もし脱出に成功したとしても残された人質はタダでは済まない。

 それが分かっているのだろう。

 温厚なテンカワさんが珍しく目に見えて怒っている。

 

 しかし、私は知っていた。

 

 あの部屋には、後に『戦神』と呼ばれることになる人間がいたことを。

 だから私は、何の躊躇もなく脱出を強行したのだ。

 

「テンカワさん! 私が敵の注意をひきつけます!

 すぐにトビウメに連絡を取ってユリカ先輩を呼び戻してください!

 ・・・お叱りは後で」

 

『くっ・・・そうだな、今は君を非難している場合じゃない。

 ユリカなら既にこちらに向かっている。

 俺もすぐに出撃するから、しばらく時間を稼いでくれ!』

 

「了解!」

 

 ウィンドウが消える。

 同時に私は外部スピーカーのスイッチをオンにした。

 

 

『ウリバタケ班長! ハッチ開放お願いします!』

 

『今やってるよ! 無茶すんじゃねーぞイツキちゃん!』

 

『はいっ!

 エステバリス、イツキ・カザマ! 出撃します!』

 

『ば、馬鹿野郎! こんなところでバーニア吹かすんじゃ・・・!!』

 

 

 ゴオオオオオッ!!

 

 

 空戦フレームの背部バーニアが機体を一気に前方に向けて押し出す。

 重力カタパルトが動かないから、マニュアル発進だ。

 こんな室内でバーニア吹かしたりしたら、後の掃除が大変なことになるかもしれないが。

 

 

 外に出る。

 前方に浮かぶのは地球軍のトビウメ級戦艦が一隻。

 極東方面軍の旗艦。

 と言うことはそこに乗っている人物は・・・

 

「ミスマル提督、ですか」

 

 ユリカ先輩のお父様。

 極度の親ばかとして有名だが、それを差し引いても軍人としての優秀さは誰もが認めている。

 

 かつて、私をナデシコへ搭乗させるきっかけを作った人。

 

 

 突如、海面がせり上がった。

 

「なっ!?」

 

 現れたのは2隻の護衛艦。

 何かから逃れるように真っ直ぐ上空へと向かう。

 

 そしてその後から・・・

 

 

「チューリップ!!」

 

 あまりに見慣れた、それは落花生に似た無人兵器たちの母艦。

 空間を繋ぎ時間を繋ぐ、常世の門。

 口を開いたその姿は、さながら巨大なラフレシアの如く。

 

 ぐん、と。

 何かに引っ張られたかのように、上昇していた2隻の護衛艦がその場に停止した。

 そして・・・徐々に、後退を始める。

 

 まさか・・・

 

「そ、そんな!! 吸い込むつもりですか!?」

 

 青褪める。

 こんな攻撃方法は聞いたことがない。

 しかし・・・効果は絶大だ。

 ジャンパー処理も受けていない。ディストーションフィールドももっていない。

 なら・・・その先に待つのは明確な死のみ。

 

 

「いけないっ!!」

 

 最大速力まで機体スピードを増し、一直線にチューリップへと向かう。

 

 もどかしかった。

 

 その速度はあまりに遅く。

 携えるラピッドライフルはあまりに貧弱で。

 

 『白百合』さえあればチューリップの一つや二つ、瞬時に引き裂けるのに!

 

 

 徐々に近づいていくチューリップと2隻の護衛艦。

 一つの艦につきおよそ200名。

 合計して400名以上もの軍人の命がいま目の前で危機に曝されているのだ。

 

 戦いの中で死ぬこと。それは確かに軍人の仕事のうち。

 だがこれでは・・・あまりにも無残すぎる!

 

「間に合って!!」

 

 祈り、叫んだ。

 

 けれど分かっている。

 明らかに、間に合わない。相対距離が、縮まらない。

 

 まるであの時のようだ。

 

 記憶がフラッシュバックする。

 嫌な、気持ちの悪い光景が脳裏に蘇る。

 

 私は思い出す。

 

 船体を絡めとらんとする触手が。

 急いでも急いでも間に合わない、絶望に似た感情が。

 

 私に思い出させるのだ。

 あの悪夢を。あの悲劇を。

 

 

 心臓が、鷲掴みにされたようだった。

 

 まるで水の中を進んでいるような感覚が私を襲った。

 時間の流れが遅くなっているような気がした。

 リミッター解除装置に伸びる手を、歯を食いしばる思いで留める。

 

 いまリミッターを解除してしまえば、チューリップに到達するまでに機体が墜落してしまうかもしれない。

 そうすれば2隻ともが宇宙の藻屑だ。

 確証がない以上、そんな危険を冒すことはできない!

 

 

 

 ヒュゴオオオッ!!!

 

 

「―――っああああああああ!!!」

 

 1隻の護衛艦が、闇に消えた。

 光もなく音もなく。ただ静かに消えていった。

 その中に宿した、200余名の命とともに。

 

 私が見捨てた!

 

 

 

 

「落ち着いて・・・冷静に。状況を把握して適切な判断を・・・

 あっちはもう助からない。切り捨てて考えなければ。

 冷静になりなさい、イツキ・カザマ。

 割り切らなければ・・・何も救えない!」

 

 不意に流れた涙を振り払い、自分を叱咤する。

 もしかしたら、救えたかもしれない命を瞬時に頭から叩き出す。

 そう・・・もしかしたら、リミッター解除による回線の負荷が私の予想よりも小さかったかもしれない。

 もっと早く、墜落の危険を顧みずにリミッターを解除していれば間に合ったかもしれない。

 そんな可能性を氷の意志で滅殺する。

 

 全ては今さら。

 後悔したところで200人の命はもう帰らない!

 

 

 そして・・・もう1隻の後部推進機が次元の断層に差し掛かった!

 

 

「―――リミッター・ブレイク!!」

 

 機体に掛けられた安全装置を強制的に解除。

 瞬間的に増した推進力が、爆発を伴って速度ベクトルを増大させる。

 一瞬の加速。一瞬の賭け。

 あらゆる思考力を排除し、ただ直進することだけに集中する!

 

 

 ドォォオオオオオンッ!!!!

 

 

 次の瞬間、私はチューリップの先端側面に思い切り体当たりをかましていた。

 

 予期せぬ方向からの一撃に、その姿勢が大きく傾ぐ。

 センサーからの警告音。

 迫り来る触手をメインモニターに捉え、その向こうに脱出を成功させた護衛艦――クロッカスを捉えた。

 薄氷を踏むような緊張感からの解放に胸がぞくりとし、しかし思考は戦闘状態を保つ。

 今度は私が脱出しなくてはならない。

 私は一気にスロットルを押し込んだ。

 

 しかし・・・

 

 

「!? オーバーヒート!!」

 

 コクピット内が警告の赤に彩られる。

 操縦不能。熱源接近。迎撃不能。回避不能。脱出不能。

 不能。不能。不能。

 

 回線が焼ききれたエステでは咄嗟の反応も出来ず。

 私の駆るエステバリスは、チューリップの触手と言う原始的な質量攻撃の前に為す術もなく弾き飛ばされた。

 

 

 


 

 

 

 イツキちゃんに遅れること数分。

 俺も、ガイと一緒に戦闘宙域に躍り出た。

 2人とも空戦フレームだ。

 前回のようなへまはしない。

 

 開かれたハッチから飛び出すと、目の前には一面の蒼。

 

 本来なら息を呑むような澄んだ海の色を、グロテスクなチューリップが台無しにしている。

 

「クロッカスが離脱した・・・?

 エステ単体でチューリップに特攻か。

 人のことは言えんが・・・無茶をする」

 

 特攻と言えば簡単なように聞こえるが、しかし実際はそんな単純なものではない。

 最後の一瞬の加速は恐らくリミッターを解除したものだろう。

 タイミングが早すぎれば到達の前に墜落、遅すぎればクロッカスは離脱が不可能になっていた。

 

 ・・・本当に、いい腕をしている。

 

 

 その時、俺達の見守る先でチューリップの触手がカザマ機を空高く弾き飛ばした。

 最高点に達し、そのまま重力に引かれて真っ直ぐに落ちていく。

 姿勢を直そうとする動きすら見られなかった。

 

 

『お、おいアキト! やべえぞっ!!』

 

「分かってる!

 くそっ・・・操縦系がショートしているのか!!」

 

 落下するカザマ機に迫る触手。

 全速力で救援に向かいながら、俺はライフルを発砲した。

 20mm弾に貫かれた触手の先端が目標を見失って空振りする。

 

 

 だが、重力には逆らえない。

 

 

『カザマああああっ!!!』

 

 ガイが絶叫した。

 フィールドも纏わず、減速も出来ず。

 ただ真っ直ぐに墜落していったイツキちゃんのエステは、チューリップの中心あたりでばらばらに弾け散る。

 

 顔から血の気が引いていく。

 パイロットの生存は絶望的だった。

 

 

『この・・・! よくも・・・よくもカザマをやりやがったな蜥蜴野郎っ!!』

 

 怒り心頭の怨嗟の声。

 しかし俺には、それが俺自身に向けられているように感じていた。

 

 

(守れなかった・・・また!)

 

 悔しさに歯を食いしばる。

 不甲斐なさに拳を握り締める。

 

 ついさっき、誓いを立てたばかりだと言うのに。

 

「くそっ!!」

 

 右手のIFSが輝いた。

 搭乗するエステバリスのスラスターが勢いを増す。

 

 光芒を引き連れながら疾駆する2機の空戦フレーム。

 新たな獲物を見つけた触手が迎え撃とうと迫るが、最小限の動きでそれをかわす。

 

 右手を前に突き出した。

 

 ディストーションフィールドを纏った拳が、触手を根元から切り裂いていく。

 敵の攻撃を掠らせもしない、危な気ない操縦技量。

 けれどそんなもの、何の意味もない。

 結果が出せなければ意味がないんだ。

 どんなに力があっても、守れなければ意味がない!

 

「俺が・・・ユリカを止めていれば。

 もっと早くにムネタケ達を制圧していれば!

 ・・・こんなことにはならなかった!!

 何をやっているんだ! 俺は!!」

 

 だんっ、とコンソールを叩く。

 気付けばナデシコが浮上していた。

 いつの間にかユリカが帰艦し、マスターキーを戻していたようだ。

 

『アキト! ヤマダさん!

 グラビティブラストの射軸上から退避して!!』

 

「ユリカ・・・!」

 

 グラビティブラストの砲門を開いた状態のナデシコが、チューリップに向かって直進する。

 強固なフィールドに守られている外部より、内側を攻める作戦。

 俺とガイの活躍で攻撃手段を失い、さらに無人兵器を引き連れているわけでもないチューリップ。

 ナデシコの近接を阻止することなんて出来るはずもなかった。

 

 最後の手段とばかりに、パンジーを飲み込んだ時と同じように時空の門を開く。

 

 

『お、おい艦長! やめろ! なに考えてやがるっ!!』

 

 事情を知らないガイの焦った口調。

 しかしウィンドウに映るユリカは、自信に満ち溢れていた。

 失敗することなんて、まるで微塵も心配していない。

 成功を確信している。

 

 だが・・・ユリカはまだ、イツキちゃんの死を知らない。

 

 

「・・・すまん、ユリカ」

 

『ほえ?』

 

 きょとんとする表情に胸を締め付けられた。

 まともに顔を見ることすら出来ない。

 天使のようなこの笑顔に影が差すのを想像しただけで、張り裂けそうな苦しさを感じる。

 だが・・・伝えないわけにはいかなかった。

 

「カザマ機の撃墜を確認した。

 ・・・済まない、ユリカ。本当に。

 俺が・・・俺がついていながら、みすみす見殺しにしてしまった!」

 

『ふえ? アキト、なに言ってるの?』

 

 沈痛な声で報告する俺に、ユリカは信じられないと言った口調で返す。

 実際に信じることなんて出来ないのだろう。

 身近にいた人間が、ある日突然死んでしまうなんて。

 

 だが、これが現実だった。

 人間の命なんて、こうも簡単に消えていく。

 

 消えていってしまう。

 

 これが・・・現実だ。

 

「俺の力など・・・この程度か。

 未来の知識なんて、細分化する可能性の前では何の意味もなかったのに!」

 

 悔しかった。

 もう誰も死なせたくなかったのに。

 自分が許せなかった。

 

 

 悔しさに打ち震える俺の姿を見ながら、ユリカも漸く事態を認識したのだろう。

 息を呑み、押し黙る。

 続いて訪れるだろう悲哀の声を想像し、俺は耳を塞ぎたくなった。

 

 しかし・・・

 

 

 

『・・・あ、そっか。

 そう言えば、アキトはイツキちゃんを知らないんだったね』

 

「・・・なに?」

 

 俺の予想は裏切られ、発されたユリカの声は変わらずに軽いものだった。

 

『じゃあ仕方ないかな〜。

 でも、安心していいよアキト。

 イツキちゃんが・・・ジュン君を置いてどこかに行ってしまうなんて、絶対にありえないから』

 

 

 ユリカの声に澱みはなかった。

 完全に、信じていた。

 かつて共に暮らしていた俺にはそれがわかる。

 ユリカのことなら、俺は誰よりもよく知っているのだから。

 

 

『・・・っんなああああああっ!!!!』

 

「ど、どうしたガイ!!」

 

『み、見ろアキト!! チューリップの上に・・・!!』

 

「チューリップだと・・・?」

 

 ガイに促される形で、俺はエステのメインカメラをチューリップに向けた。

 目標はカザマ機が墜落した地点。

 残骸と化したエステバリスから、炎と煙が絶えることなく上がっている。

 

 生存は絶望的だ。

 しかし・・・この違和感は何だ?

 

『あそこだあそこ・・・って危ねえっ!!』

 

 ガイの指差す方向に、残っていたチューリップの触手が殺到した。

 一瞬で、埋め尽くされる。

 

 だがその直前、カメラは確かにその場にいた人影を捉えていて・・・

 

 

「・・・人影?」

 

 そう、確かに捉えていた。

 チューリップの表面を生身(・・)で走るイツキちゃんの姿を。

 

 

『か、カザマっ!!』

 

「・・・いやいやそんな馬鹿な」

 

 首を振る。

 こめかみを指で揉む。

 

 きっと夢を見ているに違いない。

 もしくは幻か。

 目を閉じてもう一度開ければ、そこにはきっと誰もいない・・・

 

「ほらやっぱり・・・のわっ!!?」

 

 確かにチューリップの上には誰もいなかった。

 しかし目をつぶっている間に触手が俺のエステの目前まで迫っていて、慌て回避行動を取る。

 

 さらに交差する瞬間、俺は信じられないものを見た。

 

 

『たぁあすぅけえええてええええええっ!!!』

 

 イツキちゃんが触手の先端にへばり付いて、涙を流しながら叫んでいたのだ。

 悲鳴もドップラー効果で遠ざかる。

 

『いやあああああ!!』

 

 縦横無尽、変幻自在。

 好き勝手に暴れまわる触手の先端。

 恐らく人類で史上初めてだろうな、あんなとこに乗ったのは。

 

『止めてえええええっ!!!』

 

『カ、カザマ!! 待ってろいま助けて・・・うわああっ!!』

 

 イツキちゃんを助けようとして向かったガイは、そのまま触手に弾き飛ばされた。

 きりもみしながら海に向かってまっ逆さまに落ちていく。

 

『ヤ、ヤマダさんの、ばかああああああっ!!!』

 

『ダイゴウジ・ガイだっつーの!!!』

 

 墜落しながらでも訂正は忘れないのか。

 

『アキト!! イツキちゃんを!!』

 

「あーはいはい、了解」

 

 ユリカからの指令。

 う〜む、安心して気が抜けたせいか、だんだん馬鹿らしくなってきた。

 

 

 ダァンッ!!

 

 

 照準を合わせて、タイミングを計って一発だけライフル弾を放つ。

 20mmの弾丸は目標を過たず、イツキちゃんの捕まっていた触手に命中。

 急反動によってイツキちゃんの身体は空高くに放り投げられた。

 

『いいいいやああああああっ!!!』

 

「オーライオーライっと!」

 

 落ちていくイツキちゃんのもとに飛び、慣性を殺しながら徐々に落下速度を緩めてキャッチする。

 エステの手の平の中で、風で揉みくちゃにされた髪を手で押さえたイツキちゃんが荒い息を整えていた。

 涙だらけの顔は引き攣り、興奮で真っ赤になっている。

 

 ・・・まあ、あんな絶叫マシーンも真っ青なところに引っ付いてたんだから仕方ないだろうが。

 

 

「大丈夫か?」

 

『は、はいテンカワさん・・・済みません、見苦しい処を』

 

「いや、無事でよかった」

 

 心からそう思った。

 

 

『グラビティブラスト、発射!!』

 

『了解。グラビティブラスト、発射します』

 

 

 ギュオオオオオッ!!!!

 

 

 ユリカとルリちゃんの声が通信越しに流れ、ナデシコから一条の黒い閃光が放たれる。

 既にナデシコとチューリップ本体は隣接しており、零距離射撃のグラビティブラストは容赦なくチューリップを塵に変えた。

 

 戦闘終了の狼煙は、奇しくも歴史どおりに落ち着いた訳だ。

 

 

 プシュ!

 

 

「よっ、と・・・失礼します」

 

 アサルト・ピットを開き、イツキちゃんを迎え入れる。

 どうやら落ち着いたみたいだ。

 涙のあとはどうしようもないが、表情は平静に戻っていた。

 

「災難だったな」

 

「し、死ぬかと思いました・・・」

 

「俺も・・・死んだとばかり思ったよ。

 済まない。危ない目に合わせて」

 

「いえ、仕事ですから。

 それに・・・ある意味貴重な経験でしたしね、あはは」

 

「ははっ、違いない」

 

 声を掛けると、ばつが悪そうに苦笑いで返してくる。

 とてもさっきまで生死の境界上の戦闘をしていたものとは思えなかったが。

 

 ・・・図太いんだな。基本的に。

 

 と、なんとなく失礼な感想で納得する。

 

 

『アキト、ありがとう。私のお友達を助けてくれて。

 イツキちゃん大丈夫だった?』

 

「あ、はい。

 済みません先輩。ご心配をお掛けしてしまったみたいで・・・」

 

 ウィンドウのユリカにぺこりと頭を下げる。

 その横顔を見ながら、俺は何か不思議な気分になっていた。

 

 『前回』・・・この戦闘で、クロッカスとパンジーの両方がチューリップに飲み込まれた。

 それは後に火星にて発見されるわけだが・・・

 

「まさか、助けてしまうとはな」

 

 正直なところ、俺はこれら2隻の被害を失念していた。

 当時は軍に対して悪感情しか持っていなかったし、クロッカスやパンジーの乗員に会ったこともない。

 火星で発見した時は既に誰一人その中にはいなかった。

 

 だから・・・この戦闘で、少なくない数の軍人が命を落とすことになることを、俺は忘れていた。

 

 忘れていた・・・知っていたのに。

 

 自分の命を顧みずに彼らを救おうとしたイツキちゃんの姿を見て、初めて思い知ったのだ。

 あの2隻の護衛艦の中には、俺達と何ら変わらない命があったことを。

 

 だから、思う。

 

 

 分からない。

 詳しく説明することが出来ない。

 

 だけど、この少女の存在は。

 イツキ・カザマというこの歴史にとってイレギュラーである存在は。

 

 俺達にとっても、イレギュラーであるということは間違いない。

 

 

「果たして、吉と出るか凶と出るか・・・」

 

 少なくとも、この世界の未来は・・・俺の思う通りには行かないだろう。

 全ての未来を知り、全ての悲劇を失くす。

 それが目的だった。しかし。

 

 

 だがきっと・・・それほど悪くもならないんじゃないだろうか。

 

 

 

 乱れた髪を必死に整える彼女の横顔を見ながら、何時しか俺は頬を綻ばせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『・・・あれ、そういえばヤマダさんは?』

 

『ヤマダ機の反応、ナデシコの直下。

 ・・・海の底です』

 

『あ、じゃあついでに回収しちゃいましょう!』

 

『了解。ヤマダさん、お疲れ様』

 

 

『ダイゴウジ・ガイ!!』

 

 

 

 ・・・アイツだけは変わらんだろうな、たぶん。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

『本日はネルガル・宙間シャトル定期便をご利用いただき誠にありがとうございます』

 

 

 サセボにある宇宙港の一画。

 ネルガル重工株式会社が独自に所有しているスペースシャトル。

 既に発進準備を終えたシャトルの中に、私達は座っていた。

 

 乗客は数名程度。

 

 目的地が特殊なため、この定期便の利用者はあまり多くない。

 一度上がれば、しばらくは帰ってくることは出来ないのだ。

 

 

【・・・よかったのか?】

 

「はい? 何がですか?」

 

 最近は帽子の中に常駐しているジュンさんが、思念を送ってくる。

 この頭の上がもぞもぞする感覚にも随分慣れてきたのは大きな進歩だ。

 

【イケダさんのことさ。

 置いてきちゃった・・・だけならまだしも縄で雁字搦めに縛って道の真ん中に捨ててきて】

 

「あっはっは! 些細なことですよぅ」

 

 あの後、いろいろ手続きを踏んでもらった後でもう一度気絶してもらい。

 一応念のために縄で縛ってサイゾウさんの店の前に転がしておいた。

 だって、放って置いたら私を追ってきちゃうかもしれませんからね。

 

 目が覚めたときのイケダさんの反応を想像すると笑いを堪えることが出来ない。

 ああ、でも・・・帰ってきたら怒られるんだろうなぁ。

 

 ひとしきり笑ったあと、私はふと真剣な表情を浮かばせた。

 

 

「まぁ・・・今後の私達の目的を考えると、やはり一般人のイケダさんを巻き込むのはどうかと思いましたんで」

 

【そっか・・・そうだな。

 その方がよかったのかもしれない】

 

「ええ、その方がよかったんです」

 

 イケダさんは、私の日常の部分の象徴みたいな人だから。

 だから、あの人だけは今までと変わらないままでいて欲しかったのかもしれない。

 

 

『発進5分前となりました。

 係員の指示に従い、シートベルトの装着をお願いします』

 

 放送が掛かり、後部から係員が出てきて乗客のチェックを始めた。

 ジュンさんも帽子の中にその小さな体を押し隠す。

 

 もし見つかったら『地球外への動植物持ち出しに関する条例』ってのに引っかかるらしい。

 

 まあ、よく分からないけど。

 

 

「テンカワさん、ちゃんとやってるかなぁ・・・」

 

 

 彼の作ったチャーハンの味を思い出して顔が綻ぶ。

 ついでに、少し頼りない印象のあるその顔を思いだす。

 

 たぶん元気でやっていることだろう。

 あの人、確かにちょっと頼りないけど芯のところでは結構強いから。

 

 

「ふふっ・・・きっとびっくりするんだろうな、テンカワさん」

 

 

 再会の時を思い、私はくすりと笑みを漏らした。

 

 

 

 


 

 

 あとがき

 

 第7話です。ナデシコ、まだ地球にいます。遅い。

 

 さて、今回の話について。

 数ある逆行作品の中で、そう言えばこのクロッカスとパンジーは毎回チューリップに飲み込まれます。

 何人乗ってるのか正確な人数は分かりませんが、結構な被害が出てるのは明白。

 普通の神経を持っていたなら助けようとするはずだと思うんですが・・・

 

 ということで、イツキに普通の行動をさせてみました。

 

 ちなみにイツキ、この頃のナデシコに関してはまるで知らないので逆行者としての利点なしです。

 

 ・・・え? 逆行モノの意味あるのか?

 今だけです。今だけ。

 

 ジュンが目覚めるか、アキトとアサミが出会うかしないと話が進まないっす。

 

 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

・・・カタストロフ3秒前って感じですねぇ。

「漆黒の戦神」と化したアキトとあったらどうなることやら。

今から胸が痛くなってきますわ。