第一話

 

 

 

 

「青い・・・・・・空?」

 

目に飛び込んできたのは青い景色。

所々に浮かぶ雲が空だということを教えてくれる。

 

最初は地球かと思ったが、すぐに違うと気づいた。

何故ならば、目線を少し下るとはるか向こうに赤い大地が横たわっていたからだ。

青い空と赤い大地が明確に別れている。よく慣れ親しんだ故郷の景色。

そう、ここは火星だ。

 

「火星、か・・・・・・」

 

故郷――と言うだけでは済まされない場所。

頭の中で様々な思いが交錯する。

言葉で表現することなどできない複雑な思い。

 

ここでは色々な事があった。あり過ぎた。

ただ、一つ言えるのは、全ての始まりは火星だということ。

 

古代火星の遺跡。戦争の原因。

人類には及びもつかない技術を持った者たちが造ったもの。

その遺跡のおかげでどれだけの人が死んだことか。

 

「そして、俺はどれだけの人を殺したことか・・・・・・」

 

そこではっとなって気づく。

 

「ラピス!?」

 

火星に居るという突然の状況に対処できずに思わず物思いにふけかけていたが、

それを打ち切って現状の確認をする。

 

一番気懸かりなのはラピスのことだったのだが、ラピスは――

俺の左腕を枕代わりにして寝ている。

微かに漏れる呼吸の音。そしてこちらに向けている安らかな寝顔。

その様子に安堵する。

 

ラピスの無事を確認した後、今の状況を整理する。

まず分かっていることは、なだらかな丘の草原に仰向けに寝転がっているということ。

まだ火星にこの様な草原が残っていたとは驚きだ。

火星に天然の草原などあるはずもなく、全て人工的に造られたものだ。

それらは戦火にのまれて全てなくなったとばかり思っていたのだが。

 

まあ、今はそんなことは些細なことに過ぎない。

自分達の状態を把握することの方が大切だからな。

ラピスの無事は確認できた。俺自身の体も異常は感じられない。

格好も、特殊スーツにマントそしてバイザーと、いつもの格好。

CCがまだ幾つか残っているのも確認した。これさえあれば何時でも地球に跳べる。

まだ火星への再入植は行われていないのだ。流石に誰もいない火星では生きていけない。

 

とりあえず心配はないと判断した俺は気を緩め、

バイザーを外してから大きく深呼吸をして体中の力を抜く。

暖かな空気が俺を包んでくれる。

 

微かな大気の流れ。木々の葉が触れ合う音。そして若草の匂い。

 

「なっ!?」

 

飛び起きそうになったが、腕枕で寝ているラピスを起こすまいと、何とか抑制する。

そして空いてる右手で草を千切り口へと運ぶ。

 

「これは・・・・・・苦み、だよな」

 

久しぶりに感じる味に戸惑う。

なくしていた感覚。

味覚が、いや、五感が戻っている。

昔に比べればかなり劣ることに違いはないが、それでも俺は俺自身の感覚で感じることができる。

 

俺が出会った古代火星人との会話を思い出す。

やつが言っていたことは嘘偽りなく実行されたのだ。

 

体中に感じていた違和感も大分なくなっている。

以前は死期が近いことをなんとなしに感じていたのだが、今はそれがない。

 

(やつは治療と言っていた。ともすれば寿命も延びているかもな)

 

自分でも楽観的だと思う。五感が、特に味覚が戻ったことで浮かれているのかもしれない。

だが、それでも自分の体のことはなんとなく分かるのだ。

少なくとも1、2年で死ぬようなことはないだろう。

 

「どうするか」

 

呟いて空を見上げる。

 

五感が少しでも戻ったことは純粋に嬉しいと思う。

しかし、それによって俺がするべきことが変わるわけではない。

罪が消えるわけでもなく、過去に戻れるわけでもない。

 

「ユリカ・・・・・・」

 

最後に見たユリカの笑顔を思い出す。優しさの中に力強さがこもった笑顔だった。

ユリカの側に居たいという気持ちは強い。だが、俺自身がそれを許すことができない。

逃げているだけかもしれない、だが、それでも俺はもう会わないという選択をしたのだ。

未練がないわけではない。けれども後悔はしない。自分で決めたことなのだから。

 

ラピスを見やる。

その穏やかな顔を見ていると自然と顔がほころびる。

風によって微かになびく淡い桃色の髪をそっとなでる。

 

ラピスが幸せになれるようにすること。それが今、俺のすべきことだ。

巻き込んでしまったことへの償い。手助けしてくれたことへのお礼。

そのことを除いても、心からラピスが幸せになってほしいと願っている。

 

だが、それは単なる代償行為なのかもしれない。

俺はラピスをユリカとルリちゃんの代わりにして満足しようとしているのかもしれない。

自己満足。ルリちゃんの言っていた通りだ。

何万人もの人を殺し、多くの人を不幸にしておきながら

一人の少女を幸せにすることで許しを請い、満足しようとしているのだ。

小さく、惨めで、身勝手な人間。

本当はラピスの側にいる資格など俺にはないのだ。

 

「俺は・・・・・・生きていても仕方のない人間なのかもな」

 

「そんなことナイ!!」

 

突然の大声に、というよりラピスが大声を出したことに驚いた。

 

「起きていたのか」

 

それには答えずラピスは俺の腹部に乗っかり覆い被さる様な格好になりながら続ける。

 

「そんなことナイ。そんなことないヨ」

 

ラピスの金色の目が俺の目を見つめてくる。

 

「アキトの心、なんとなくだけど伝わってきたヨ。

 ううン、今だけじゃなイ。今までもずっとアキトの心が私にも伝わってきてタ。

 アキトは、本当は誰よりも優しくて、そして人のことを思いやれる人だヨ。

 私は知ってル。アキトが戦っていたトキ、アキトは心の中ではいつも泣いていタ。

 アキトは自分が傷つくより他の人が傷つくことの方がよほど苦しかっタ。

 私はアキトの側にいてずっと見てキタ。だから分かル」

 

ラピスはそこまで一気に話すと、微笑みながら言う。

 

「私はアキトが好キ。私はアキトと一緒にいたイ」

 

それはラピスの偽らざる本心だろう。その気持ちを嬉しく思う。

 

「ありがとう、ラピス」

 

俺もラピスに微笑を返しながら言う。

その言葉を聞くと、嬉しそうにしながらラピスが抱き付いてくる。

 

納得したわけではない。だが、ラピスの純粋な言葉には不思議と救われる思いがする。

思えばラピスがいてくれたことで俺はどれだけ救われたことだろうか。

復讐に心を傾け孤独に身を置いていた俺。

ラピスはそんな俺の壊れ行く心を繋ぎ止め、そして孤独という闇から守ってくれていた。

ラピスがいなければ俺はとうの昔に狂っていたかもしれない。

 

「ありがとう」

 

もう一度重ねて言いながら、頭をゆっくりなでるとラピスはくすぐったそうに小さく笑う。

 

草を揺らす微かな風とラピスの体温がとても気持ち良く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

一時間ほどそうしていたと思う。

私はうとうとしながらアキトに身を預けていた。

できることならばずっとそうしていたいと思えるようなひと時だった。

 

「そろそろ行こうか」

 

そう言いながらアキトは私を支えるようにして体を起こしてくれる。

もうちょっとこのままでいたかったのだけど。残念。

 

立ち上がった私達の視界に、丘の向こう側の風景が飛び込んでくる。

 

「ばかな・・・・・・。ユートピアコロニーだと・・・・・・」

 

横でアキトが唖然としながら呟く。

 

そう、今見えているのは壊滅したはずのユートピアコロニー。

でも私にはそんなことはどうでもよいことだった。

もっと重要なことが頭をよぎっている。そのせいで心が不安で一杯になっていくのが自分でもわかる。

 

「ラピス?」

 

アキトが怪訝そうな顔でこちらを見る。

 

「アキト、見えてるノ?」

 

私はアキトの失った感覚を補う為にリンクして繋がっている。

正確に言えば、アキトは感覚そのものを失ったわけではない。

体内に投与されたナノマシンが、感覚を伝達する電気信号を途中で妨害し、脳が認識できていないだけ。

だから私はその途中の伝達の役目を肩代わりしている。

そしてバイザーは私とアキトを円滑に繋げる為のサポート器具。

本来はそこにユーチャリスのA・Iも繋ぎのサポートとして介入することでより細かに感覚をフォローする。

だけど、今アキトはバイザーもせずにものを見てる。

 

「ん?ああ、ラピスが眠っている間にちょっとあってな。多少は五感が戻っているんだ」

 

その言葉に私はますます不安になる。私は意を決してアキトに問いかけた。

 

「アキト、もう私は・・・・・・必要ナイ?」

 

悲しさと恐怖とで私は今にも泣き出しそうなのを自覚する。

アキトに感覚が戻ったというのならそれは喜ぶべきことだ。

だけど、それは私にとってはとても辛いことである。

アキトに感覚が戻ったのなら私はもう役に立てない

そしてユーチャリスが消滅した今、私はもうアキトの望みをかなえることはできない。

それは私がアキトのそばにいられる理由がなくなったということに他ならない。

 

研究所にいた頃のことが脳裏によぎる。

そこでは私は人としてではなく、単なるモノとしてして扱われていた。

でも、別段それが嫌だったわけではない。

私は生まれた時からそう扱われていた。そう扱われるのが普通だった。

そこには私の他にも幾多もの子がおり、私と同じ実験体として扱われていた。

最初は大勢いた。だけど月日が経つうちに段々と減っていった。

必要のなくなった、役に立たなくなったモノは次々と捨てられていったのだ。

私は液体の詰まった水槽の中からその光景を見て、

自分の番はいつだろうかと他人事のように思っていた。

いつ捨てられてもよいと思っていた。私にとって生きるということは

何ら意味を持つものではなかったのだから。

 

でも、今は違う。アキトに捨てられると思うと震える程の恐怖を感じる。

私はもう役に立たない、必要ない。だから捨てられる。

 

「なんでもスル。どんなことでも言うこと聞くかラ。

 だから・・・・・・だから、私を捨てないデ」

 

アキトと出会って私は変わった。

アキトはそれまでの人達とは違った目で私を見た。いつも私を見ていた冷たい目とは違った目。

初めてアキトの腕に抱かれた時、私は得も言われぬ温もりを感じた。

冷たい水槽の中では想像もできなかった温もり。

心に安息を与えてくれる、そんな心地のよい不思議な暖かさ。

 

私は初めて望みを持った。この温もりを手放したくないと。

私という存在を見てくれるアキトと一緒にいたいと。

だから私は自分の意志でアキトのそばにいることを望んだ。

それからずっと私はアキトのそばにいて共に歩んできた。

 

今の私にとって生きるということはアキトといる為の手段の一つでしかない。

アキトの役に立つ為に。アキトの望みをかなえる為に。アキトが私を必要としてくれる為に。

 

でも、今の私にアキトの役に立てることはない。望みをかなえる術もない。

アキトが私を必要とする理由がない。

私は捨てられるの?

 

そんなのはイヤ!私はアキトのそばにいたい!

 

「お願イ。私を捨てないデ・・・・・・お願イ」

 

 

 

 

 

 

 

「ラピス・・・・・・」

 

ユートピアコロニーが健在であることに驚いていて、

考えもせずラピスの問いに不用意に答えたのは失敗だった。

 

ラピスの俺に対する依存が強かったのは知っていた。しかし、まさかここまでとは思っていなかった。

だけど、よくよく考えれば思い当たる節はある。

ラピスは俺以外の者とほとんど口をきかなかったこと。俺ばかりを見て他人に関心を示さなかったこと。

何も言わずに、ただただ、俺について来たこと。そういったことがいくらでもあった。

それもモノとして生かされていた環境を思えば仕方のないことなのかもしれない。

俺と出会って初めて人というものを知り、人として生きたラピス。

俺はラピスにある種のすり込みをしてしまったのかもしれない。

 

「ラピス、どうしてそう思うんだ?」

 

「だっテ・・・・・・私はもうアキトの役に立たナイ。

 アキトには必要ナイ。だから捨てらレル。そうでショ?」

 

「そんなことはない」

 

俺は膝をつきラピスと同じ目線にする。そして出来る限り優しい口調で話す。

 

「役に立つとかそんなことで俺はラピスと一緒にいる訳じゃない。

 ラピスはさっき俺のことを好きだと言ってくれただろ。俺もだよ。俺もラピスのことが好きさ。

 だから一緒にいる。俺がそう望んでいるんだ」

 

「でも、私はもう役に立たないんデショ?アキトがそんな私を好きになる理由がナイ」

 

「人を好きになるのはそんな理由じゃない。もっと別のものだ」

 

「別のものっテ?」

 

「感情的なものや心の奥から込み上げるもの、ロジックではない何か。

 言葉で言い表すにはちょと難しいかな」

 

「よく分からナイ」

 

今だ不安そうな顔のラピス。言葉だけで分かってもらうのは難しいだろう。

ラピスは俺のことを好きだと言った。それは人を好きになるということを知っているということ。

だけど、何故好きになるのか、それが自分で分からないでいる。

だから誰かが自分を好きになるということが分からない。そこに明確な理由がなければ不安になる。

 

「今はまだ分からないかもしれない。だけどいずれラピスも分かるようになる。きっとな」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

ラピスはうつむいて黙りこんでしまう。

やはり不安を拭い去ることはできないか。今のラピスの不安を取り除くには、

明確な理由でもって俺がラピスを必要としていると思ってもらわなければならない。

 

「ラピス、俺は五感が戻ったとはいえまだまだ人並みには遠く及ばない。

 できることなら俺のサポートを続けてほしい。

 それに、今俺達はどういう状況に置かれているのか知らなければならない。

 その為にラピスに手伝ってもらいたいんだ」

 

「私が、必要?」

 

「ああ。ラピスが必要なんだ。俺を助けてほしい」

 

「ウン、分かっタ!」

 

一転して笑顔になり抱きついてくる。ここら辺の切り替えは小さな子供といっしょだ。

 

今はこれで良い。時間はあるんだ、ゆっくり分かっていけばいい。

自分の中にある感情や思いを。人を好きになるとはどういうことかを。

人と触れ合う中でそれらのことは自然と分かってゆくだろう。

 

 

 

少しの間、俺はラピスを優しく抱きしめながら頭をなでてやっていた。

これまでの経験からいって、これが一番ラピスを落ち着かせるのだ。

ラピスの不安も一応去ったようだし、とりあえず今はこれでいいだろう。

すぐにどうこうできるものでもない。

 

さて、今は一度コロニーに行ってみなければならないな。まあ大体の予想はついているのだが。

戦火の跡がなく、ユートピアコロニーどころか周辺のコロニーまでも昔と同じ姿のままであること。

これの意味するところは一つだろう。アイちゃんの例もあるしな。

まったく、二度も同じことをするなんてどこか抜けてるやつだ。

 

思わず苦笑が漏れらしてしまう。

 

「アキト?」

 

そんな俺をラピスが不思議そうに見る。

 

「いや、なんでもない。それよりラピス、今からあそこに見えるコロニーに行こうと思う。

 何故壊滅したはずのコロニーが存在しているのか確認する為、それから現在の状況を把握する為に」

 

「ウン、分かっタ」

 

「よし、それじゃあ行こうか」

 

ラピスの手を取りユートピアコロニーへと向う。無くなったはずの故郷へと。

 

 

 

 

 

 

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ」

 

俺は今ラピスを両腕で抱えながら――いわゆるお姫様抱っこをしながら――全力で走っている。

ラピスはなんだか嬉しそうにしているが、はっきり言ってそんな悠長な場合ではない。

俺たちは、いや正確に言うと[俺は]なのだが、街の安全を守る警官隊の面々に追われている。

 

何故そうなったかというと、コロニーに入るなり通報されたからだ。

原因は――

 

「待て〜このロリコン変態誘拐犯!大人しくお縄につけ〜!」

 

――ということらしい・・・・・・。

どうやら俺はロリコンの誘拐犯で、ラピスはそんな俺に誘拐されかかている少女といったところか。

どうもこの格好が行けなかったらしい。

確かに全身黒ずくめの男が年端もいかぬ少女に近づいていれば怪しく思ってもしかたがないかもしれない。

 

(この格好けっこう気に入っていたんだがな・・・・・・はぁ)

 

内心ため息をつきながらも走り続ける。

警官隊との距離はもうかなり開いており、微かに怒鳴り声が聞こえる程度だ。

ラピスを抱えた上に不自由な格好で走っているのにもかかわらず、自分でも不思議な程速く走れている。

これもやつのおかげか?何だが他にも色々おまけが付いてそうだな。

 

警官隊が完全に見えなくなったのを確認してから路地裏へと隠れる。

しばらくここにいればやり過ごせるだろう。

 

ラピスを降ろして息を整え、ようやく一息つこうとしたとこで人の気配に気付いた。

 

「おい、オッサン」

 

声をした方に顔を向けると、3人組の若い男達がいた。

その締りのない格好と軽薄な様子は、こんな路地裏にはピッタリといった感じだ。

 

(20世紀の日本じゃあるまいし、今だこんなやつらがいるとはな。保護するべきか?)

 

などど思っていることはおくびにも出さずに答えてやる。

 

「何か用か?」

 

「[何か用か?]じゃねーよロリコン野郎、その子を置いてとっとと消えな」

 

決して慈善で言っているわけではないだろう。その下ひた笑みからそれがうかがえる。

俺の嫌いな笑みだ。嫌悪感が湧き上がってくる。

 

「嫌だと言ったら?」

 

男の1人が小型のナイフを取り出し威嚇をしてくる。

まあ、俺には威嚇にも何にもならないけどな。

 

「痛い目をみるだ――」

 

その定番通りの言葉の終わらぬ内に俺はまずナイフを持った男に近づき、

横隔膜を無理矢理押し上げるように掌底を叩き付ける。

そのままその男が崩れ落ちていくが、それを確認すこともなく次の標的に移る。

棒立ちしているもう1人の男にも同じように掌底をくれてやると、

その男も先ほどと同じ様に物言わず崩れ落ちていった。

そして最後の1人、俺をロリコン呼ばわりしたやつだ。

左の拳で下から捻り上げるように鳩尾に拳を叩きつけ、右の肘鉄を顔面にくれてやる。特別サービスだ。

 

「ふう、雑魚どもが」

 

パンパンと手を払いながら呟く。別に手が汚れた訳ではないが、まあお約束というやつだな。

 

「お、そうだ」

 

俺は転がっている3人をよく見比べ、もっとも俺に近い体格をしているロン毛茶髪の男に目をつけた。

 

 

 

あれからすぐに俺たちはIDの偽造を行った。何をするにもこれがなければ始まらない

ラピスの手にかかればこの程度のことは至極簡単なことである。

 

先程慰謝料代わりに貰った服のおかげもあり、今度は街中を歩いても通報されることはなかったが、

はっきり言って貰い受けた服は俺の趣味じゃなかったし、ラピスのいでたちも結構目立っていたので、

ラピスは白いワンピースと麦わら帽子を、俺は黒を基調として服とジャケットを新たに買った。

ラピスが白を好み、俺が黒を好む。まるで心を表しているようだと内心苦笑した。

 

 

 

その後は宿泊場所の確保を行い――プラトンという名のホテルのスイートを借りた――、

簡単に身の回りの用意をした。

 

一段落ついたところで情報収集を行う。

もっとも、ホテルにたどり着くまでに見てきた街並みから既に確信を深めていた。

そしてラピスが集めた情報が決定打となった。

ここは俺の知っているユートピアコロニーそのものである。

そして日付は、西暦は――

 

2193年2月14日

 

――俺たちは過去へ来たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

それから一週間程の間、ホテルに閉じこもっていても仕方ないので

ラピスを連れながら町を出歩るいて過ごした。

買い物をしたり、映画をみたり、公園を散歩したり、一般人と同じ日常を過ごした。

 

そうやって過ごしながら、過去へ来た事について考えもした。

最初は驚きもしたが、別段ショックなどは受けなかった。

どうせ皆の前から姿を消すつもりでいたのだ。俺という人間が認識されていない世界に来たのなら

かえって好都合というものだ。

これからはラピスの為に。それだけを考えていればいい。ラピスのことだけを。

 

・・・・・・なのに何だこれは?この心の内にくすぶるものは何なんだ?

ここは過去だ。この時代の俺、テンカワ・アキトの存在は確認済みだ。

ユリカも、アイちゃんも、その他の人たちも。

この世界は間違いなく俺のたどった歴史と同じ道を歩むだろう。

だが、だからといってどうした?この世界では俺は異端なんだ。何をするというのだ。

何事にも関わらずひっそりと生きていけばよい。それでいいんだ。

たとえユートピアコロニーが壊滅しようとも、

たとえどれほど多くの人が死のうとも、たとえユリカやルリちゃんが・・・・・・・・・・・・。

 

「アキトどうしたノ?」

 

「――ん、ああ・・・・・・いや、なんでもないんだ」

 

「デモ、とても辛そうな顔をしテタ」

 

「大丈夫だよ、大丈夫」

 

顔に出ていたか。ラピスに心配をかけている様では駄目だな。

 

「なあ、ラピスはこれから先、何かしたい事とかあるかい?」

 

考えていることを振り払い、別の話題に無理矢理頭を切り替える。

 

「これからサキ?」

 

「そう、これから先。何かやりたい事や、為りたいものとかはないのか?」

 

「私はアキトと一緒にいたイ。それだけダヨ。アキトこそ何かやりたいことはないノ?」

 

「俺か?そうだなぁ・・・・・・特にはないかな」

 

「ウソ」

 

一瞬心臓が高鳴る。ラピスの鋭い一言に動揺しながらも何とか外見だけは冷静を保った。

 

「うそって何がだい?」

 

「アキトはウソついテル。本当はやりたいことがアル。

 ここに来てからずっと辛そうにしてるアキトを見ていて分かっタ。

 アキトは思い悩んでる、何かやりたい事があるんだっテ。

 過去に来てアキトがやりたい事といったら大体見当がつくヨ。

 アキトはルリたちを、ナデシコを守りたいと思ってるんデショ。

 歴史を変えてルリたちに幸せになってもらいたいと思っているんデショ」

 

ずばりだ。こうも言い切られるとは。

自分のことはまだよく分からないのに、俺の事に関してはこうも読み取るとはな。お手上げしたい気分だ。

 

「ああ、そうだな。ラピスの言う通りだ。俺は歴史を変えたいと思っている。

 だが、この世界にとって俺はよそ者なんだ。そんな俺がたどるべき歴史を変えるのは間違っている」

 

「そんなこと関係ないヨ。アキトは歴史を変えたいんデショ?

 だったらそうすればイイ。アキトの思うようにすればいいヨ」

 

「そんなわけにもいかないさ」

 

「なんデ?アキトはそうしたいんデショ?」

 

「確かにそうだが、たった一人の人間のわがままで歴史を変えていいものでもないだろう」

 

「大丈夫だヨ。この世界ではこれからたどるものがこの世界の歴史となるんだかラ」

 

「それは都合の良い解釈の仕方だ」

 

「それともアキトはまた大切な人たちを傷つけるノ?」

 

「――!」

 

胸に突き刺さる言葉だった。だが、ラピスは決してむやみに人を傷つけるようなことを言ったりはしない。

そう、この言葉もまた、俺のことを思って言ってくれたのだろう。

俺に決心させる為に。俺が後悔しないように。

ラピスは本当に俺のことを思っていてくれる。そして俺を知っている。

俺という人間は目の前で起こっている事に対して傍観していることなどできはしないのだ。

 

「ふっ、はは、ははははははは」

 

笑ってしまう。俺はラピスが自分自身の心を分からないでいると思っていながら、

俺もまた、自分の心が分かっていなかったのだ。

 

「そうだな。俺は歴史を変えたいと思っている。大切な人たちを守る為にな」

 

そうだ。あんな未来はごめんだ。未来を変えるために、その為に歴史を変えてやる。

俺が歴史を変えられたのなら、所詮はその程度のものだったということだ。

そう、過去に戻ってきたこと事体が必然。歴史を、未来を変えてみせろと、

そういうことだろう。世界がそれを受け入れるならば、それがあるべき姿なのだ。

 

「ラピス、俺は俺の大切な人たちを守りたい。その為に力を貸してくれ」

 

「アキトの望むままニ」

 

 

 

そして俺たちは動きだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2193年3月、火星に新たな会社が設立された。ライテックスという会社である。

最初はとても小さな会社であった。

その会社の出す製品、主に電子部品と電荷製品は他社よりも優れた性能で人気をはくして飛ぶ様に売れた。

その他の分野においても常に一歩先を行った商品を提供し続け、

ライテックスは僅か1年足らずで中堅クラスの企業へと成長を遂げた。

 

余談であるが、その会社から[火星料理を美味しく食べよう]という本が出され、

火星では一家に一冊はあるというほどの大ベストセラーとなった。

 

2194年1月、明日香インダストリーとライテックスで提携が結ばれる。

火星では急成長を遂げたが、地球では勢力のないライテックスである。

ネルガルやクリムゾンなどの他企業は一応の注意をしつつも、さしたる問題としなかった。

 

2194年7月、明日香インダストリーとライテックスで共同開発されていた

人型機動兵器ゼラニウムが完成。1ヵ月後、火星方面駐屯軍

通称火星軍に配備される事となる。それに合わせて独立人型機動兵器大隊が新たに設立される。

人型機動兵器という兵器としては未知数の物がこうも早く正式に採用されたその裏には、

明日香インダストリーと火星軍との間に癒着があったのは想像に難くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 =なかがき=

 

ようやくANの続きです。4ヶ月も開きました(汗)すんません。

 

中身について少し。

アキトのセリフにあるように、ラピスにはある種すり込みがなされていると思っています。

初めて[人]として接してくれたアキト。アキトがいるから自分も人でいられるという強い思い込み。

アキトがラピスの人としての全てになってしまってるんですね。

極限まで高まった依存症みたいなものです。

今のラピスはアキトなしでは生きていけない、アキトが全てである、と。アキト至上主義です。

 

数字の書き方ですが、アラビア数字と漢数字が混じっています。

一応いかにも算用的な数字はアラビア数字で、

それ以外のもので漢数字にした方がしっくりくるものは漢数字で書いています。

 

あ、あと、行間とか色々試行錯誤してるんですが、

読み易いか読み辛いか、意見くれると助かります。

 

第二話はなるべく早く出したいと思っています。出来る限り・・・・・・。

 

ではまた。

 

 

管理人の感想

信はじめさんからの投稿です。

暴行傷害、窃盗・・・アキト、それは犯罪だ(苦笑)

ついでに、世間様では幼児誘拐のレッテル付き。

よく指名手配されなかったな(笑)

きっとラピスが裏から手を回していたんだな。

明日香インダストリーの令嬢も、アキトが口説いたんだろうなぁ(爆)

では、ライテックスの未来を楽しみにしています。