機動戦艦ナデシコ

『影(シャドウ)』

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、顔が目の前にあった。

 靄がかかったような頭で、顔を遠ざける為に手を動かそうとする。

 

 だけど、重傷を負った手は動いてくれなかった。

 酷使するなと、痛みが走る。

 

 その動作を相手は悟ったのか、近づけていた顔を離していった。

 部屋が暗いことや、顔が近かったことでわからなかったが、ラピスだった。

 

 ラピスは意識が回復したアキトのことを、じっと見つめている。

 

「なあ、ここどこだ」

 

 周囲を見渡すと、アキトの為に用意された個室らしい。

 寝ているベット以外には、最低限必要なものしか見当たらなかった。

 

 外は夜らしく、カーテンの隙間には暗い闇が広がっている。

 

「病院だよ」

 

「病院? クラウンの病院か?

 治療をするのなら、一般の病院だとダメなはずだが」

 

 体の中にあるナノマシンのせいで、一般の病院では拒否されてしまう。

 

「違うよ。ネルガルが運営する病院」

 

「ネルガル?

 でも、ネルガルは潰れなかったか?」

 

「潰れてないよ。

 同じ産業の他企業が不調になったことで、シェアの拡大を図っている。

 倒産どころか、旨くいけば利益拡大するかもね」

 

 暗い個室の中、淡々とラピスは語ってくる。

 ラピスの瞳だけが暗闇の中で、ぽっかりと金色に光っていた。

 

 まだ寝ぼけている脳は、寝る前との齟齬に対する答えを出さない。

 ラピスから伝えられる情報と、自分の頭の中にある情報の違いに気付かなかった。

 

 とりあえず体を起こそうとするが、ケガが痛む。

 また酷使するなと、体のあちこちからアキトに訴えかけてくる。

 

「あいつめ、派手にやってくれたな」

 

「まだ、寝ていた方がいいよ。

 ここ一週間、意識がなかったのだから」

 

「くそっ、そんなに寝ていたのか」

 

 その寝ている間に、ケガの回復や筋力の低下が起こったようだ。

 体が悲鳴をあげているのは、動かしていなかったのが原因だろう。

 

 布団をはねのけて立ち上がるが、眩暈がしてよろける。

 ベッドの上に手をつき、支えなくてはならない。

 

「行くぞ、ラピス」

 

 その立ち眩みを無視して、左右にふらつく体を歩かせる。

 

「どこへ?」

 

「――どこって、ユーチャリスだ」

 

 あの制圧された状況のことを考え、DF発生装置の施設とは言わなかった。

 破壊されているか、占拠されている可能性があるからだ。

 

 ドアのノブへに手をかけながら、ラピスの方へと振りかえる。

 

「ユーチャリス?

 今は改装中で乗れないよ」

 

 ベッドの横から動かずに告げてくる。

 

「なら、他にはないのか?

 フラクタルは、ブラックサレナは、この際ロボットでもいい」

 

 武器になるものを矢継ぎ早に口にした。

 興奮からまた眩暈がして、じわっと視界が狭くなる。

 

 暫く立ち止まり、やり過ごさねばならなかった。

 

 

「……もう、火星の後継者は活動していないよ」

 

 

「  」

 

 そうした体の不調に加え、告げられた言葉に眩暈が酷くなる。

 ようやく、ラピスが元の世界の話をしているということに気付いた。

 

「向こうで過ごした時間の間に、鎮圧化してしまったみたい。

 今では、火星の後継者は過去の団体となってしまっているよ」

 

 ラピスに対し、頭を抑えながら見返す。

 

「そんなの関係――」

 

 火星の後継者が活動を中止したことは、関係がなかった。

 もうアキトは、参加していた人間を倒すまで止まる気はない。

 

 ラピスの言葉を、振り払うように首を振る。

 だが、そんな態度を無視して、ぽつりぽつりとラピスは話し続けた。

 

「それに、テンカワ アキトは二度目の死亡扱い。

 今ではどの陣営からも、幽霊ロボの存在は疑問視されてしまっている」

 

(死亡? そんなの、元からじゃないか)

 

 シャトル事故から、世間的には死亡扱いだった。

 そのことを合わせれば、二度もアキトは死んだということになる。

 

 体もボロボロだった。

 書類上や社会的に死んでおり、体ですら一人では満足に動かせない。

 

 アキトとラピスを繋ぐリンク。

 これを外してしまえば、立っているのか、座っているのかもわからなくなる。

 

 ぎゅっと、感覚を確かめるように拳を握った。

 この握り締めた拳の中には、きちんと失ってしまった感覚がある。

 

 失ってしまった感覚のことや、誘拐された時の無力さが思い出された。

 

「……ラピス、俺は」

 

「アキトのしたいことをすればいいよ。

 アキトが決めたことに、私は反対しない」

 

 アキトの方に歩いてくる。

 そのゆっくりと歩いてくる姿に、アキトはドアのノブを手放した。

 

 気圧され、一歩後ずさる。

 

「でも、私も考えてみた。

 アキトが寝ている一週間の間に、何をしたらいいか考えてみたよ」

 

 目の前でラピスは止まった。

 そして、ドアの近くにあるスイッチに背を伸ばし、手を伸ばす。

 

 パチッと、白熱灯のスイッチを入れて部屋を明るくする。

 

「もう少し、落ち着いてから決めよう」

 

「……」

 

「皆に起きたことを教えてくるね」

 

 アキトの隣をすり抜け、ドアを開けて出て行った。

 それを追わずに、アキトはため息をついてからベッドに向かう。

 

(……明日、ユーチャリスの様子を見よう)

 

 布団に戻ると、直ぐに意識が途切れる。

 明るい光が瞼を刺激するが、そのまま明日まで目を覚ますことはなかった。

 

 

 

 

 

 ユーチャリスの補給や修理の作業は、ドッグ内で行われていた。

 

 二階の桟橋より、人が動き回るのを眺める。

 ただ、ドッグ内にいたとしても、ユーチャリスの作業は手伝えなかった。

 

(結局、ユーチャリスが使えないと無理か)

 

 移動しようにも動けない。

 それに、火星の後継者という集団は、表舞台に立っていなかった。

 

 主要なメンバーが消え、以前のような勢いはなくなったのだろう。

 もうネルガルが危険視しているのは、他のグループということだった。

 

 手に持っている雑誌に書かれた内容を見る。

 そこには、聞いたこともない名前の集団が起こした事件について書かれていた。

 

 死んでいる間に、時は流れてしまっていた。

 

「……バカみたいじゃないか」

 

 約一年半を、復讐の為に費やした。

 その復讐の対象は忘れ去られ、今や人の口にあがることも少なくなっている。

 

 さらに、それに復讐する為に努力していたことは徒労に終わった。

 元の世界に自分から乗り込むつもりが、強制的に戻されてしまっている。

 

 雑誌を握る手が、震えた。

 

「っ!」

 

 震えに耐え切れなくなり、雑誌を床におもいっきり叩きつける。

 静けさを裂く鋭い音がドッグ内に響き、驚いた顔付きで作業中の人間が見てきた。

 

 それには構わず、柵に縋るように体を預ける。

 胸の内を渦巻く黒い衝動が行き場を失い、心をかき乱していた。

 

 

「まったく、何やってるのよ」

 

 

 眉をへの字にしながら、エリナが中腰になって手を差し出してくる。

 手には、白いハンカチが乗っていた。

 

「使う?」

 

「別に、必要ない」

 

 実際、頬に涙は伝っていなかった。

 

 すくっと立ち上がり、エリナの手を押し返す。

 そのまま、先程の姿を見られた恥ずかしさから、別の場所へ行こうと歩き出した。

 

 痛む体の傷が、鬱陶しく感じられた。

 

「勝手に出歩く上に、昨日は起きたと思ったら寝る。

 貴方って、本当に勝手よね」

 

 その背中に向かって、エリナが涙声で言ってくる。

 

「――おい」

 

 振り返り、必死に我慢している様子のエリナに声をかけた。

 その言葉に苛立ちながら返してきた時、つうっと涙が零れる。

 

「なによ」

 

「……いや。

 俺なんかに構うより、自分のことに気を使え」

 

 ハンカチを指差す。

 その言葉に、頬を伝う涙を拭おうともせずに歩き去る。

 

 早足で立ち去る後姿を、アキトは追いかけることもできずに立ち止まっていた。

 

 途中、ラピスと擦れ違う。

 その擦れ違ったエリナの姿を見て、今度は少しアキトを見てから付いていった。

 

 リンクからは、非難する意志が伝えられてくる。

 そのラピスの非難には応えず、立ち去ろうとしたところへ来客が現れた。

 

「我慢していたみたいだけど、貴方達が帰ってきた時には凄かったのだから。

 もう子供みたいにわんわん泣かれて、引き取りに行った時は困ったわね」

 

「イネスさん」

 

「お久しぶり。

 要領を得ない説明だったけど、ある程度のことはラピスから聞いてるわ」

 

 入れ違いで立ち去った二人の方向を見ながら言ってくる。

 

 その言葉にアキトは、視線を床へと移す。

 先程の行動も、約一年半の行動も、頭がかあっと熱くなってしまう。

 

「どこに行っても、俺は迷惑をかけるみたいですよ」

 

 自嘲気味の声で話しかける。

 

「タイムパラドックスのこと?

 ――元々、世界はそういうところだった、ということも考えられるわよ。

 貴方がジャンプアウトした影響を、世界が反映した結果がそうなのだから」

 

「え」

 

「ま、それはともかくとして。私はお客さんを連れてきただけだから」

 

 そう言うと、話を中断して背後にある出入り口に視線を移す。

 その視線を追い、機能性だけを追及した真四角の大きい出入り口を見る。

 

 その出入り口の脇から、体を半身だけ出している人間がいた。

 じっと目をうるうるさせながら、近づこうともせずに見続けている。

 

 ユリカが、アキトのことを見ていた。

 

「――なんで」

 

「ラピスから聞いてないの? 貴方を最初に見つけたのは、ホシノ ルリよ。

 なんでも機械語で連絡があったとか。

 オモイカネが解読しなかったら、誰も気付かなかったでしょうね。

 しかも、情報の発信源が遺跡からというのが――」

 

 イネスの説明を、最後まで聞かずに走り出す。

 ユリカとは反対方向に、ケガを無視して走り出した。

 

「待ってよ、アキト!」

 

 ハイヒールの靴音を鳴らしながら、その後をユリカが追い始める。

 長い髪を靡かせて、涙の尾を引きながら、イネスの横を通り過ぎていった。

 

「まったく、成長してないわね」

 

 その言葉は、二人に届かない。

 二人が走り去っていった後を、イネスは懐かしそうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 必死に、床を蹴りつけるように駆ける。

 途中で人にぶつかりそうになるが、はねのけるように道を進む。

 

 カン、カン。

 一定のテンポで鳴り響く靴音が、アキトの足を進めさせる。

 

「待って! 待ってよ、アキト!」

 

 背後から聞こえてくる呼び声に応えず、通路を懸命に走り続けた。

 だが、どれだけ足を進めようと、足音が後ろから消えることはなかった。

 

 体は、進んでいる。

 確実に元いたドッグ内から、長い距離を逃げていた。

 

「ねえ!」

 

 いつのまにか、並走しているユリカがいる。

 必死になって逃げたというのに、体が速度をあげることを嫌がっていた。

 

「お願い! 待ってよ!」

 

 並んで走っているにも関わらず、そんなことを言ってくる。

 もう体はへとへとで、頭の中にはユリカの言葉だけが聞こえていた。

 

 待ってと訴えかける声に、心の中で反論する。

 

(そんなこと言われても、怖いんだ。ユリカの答えを聞くのが怖いんだよ。

 今の俺はどう贔屓目で見ても、あの頃の俺と比べて、幸せにできるように見えない)

 

 息が荒くなる。

 昨日から怪我人だというのに、体に無茶をさせっ放しだった。

 

 もう走ることもできなくなり、床に足がとられて転ぶ。

 

(ユリカに、答えを委ねることすらできない)

 

 床に転んだ状態から、目の前に立っているユリカを見上げる。

 倒れているアキトから顔を背けながら、淡々と小さい声で語ってくる。

 

 アキトが妄信していた天真爛漫な姿は、影を潜めていた。

 

「アキトが逃げたくなるのは、わかるよ。

 私、アキトが頑張っている間、ずっと夢を見ているだけだったんだから」

 

「……ユリカ?」

 

「そんな私に、怒ってるんだよね。

 私を庇って、自分から私の分の実験を志願して、アキトは五感を失ったのに」

 

「バカッ! お前!」

 

 今まで考えていた鬱屈した気持ちは、吹き飛んでいた。

 代わりに、目の前にいるユリカの勘違いに頭がいっぱいになっている。

 

 弱った体に、鞭を打って立ち上がった。

 

 痛みは、感じなかった。

 もう流れ出ている涙を溜め込もうとしているユリカが立っている。

 

 走っている間に流れた涙は、真横に涙の跡を残していた。

 その涙を拭ってやるよりも、頭をポカリ、と叩いてやろうとする。

 

「でも、一緒にいたいの」

 

 急に振り向いたユリカに、振り上げた拳を止める。

 今にも壊れてしまいそうな姿に、殴ろうとした考えが止まってしまう。

 

 何より、見つめられた瞳に見入ってしまっていた。

 

 

「私、アキトと一緒にいたいの。

 だって私、アキトが好きだから」

 

 

 もう、拳を振り下ろすことはできなかった。

 瞼を閉じて、ぽろぽろと涙を零すユリカに、拳を落とすことができない。

 

 アキトは拳を降ろし、同じように瞼を閉じた。

 

(――なんだ、同じだ。

 俺達、こんなに相手のことを想っていたのに、擦れ違っていたなんて)

 

 体のナノマシンが光り出す。

 そのアキトの気持ちを代弁するかのように、ナノマシンが輝き続ける。

 

 殴るのをやめ、代わりにユリカを抱き締めた。

 ぎゅっと、怖い何かや、誰かに連れて行かれないように抱き締める。

 

 顔に走るナノマシンの筋に沿い、涙が頬を伝って流れた。

 

「俺も好きだ。一緒にいたい」

 

 涙で、言葉が震えてしまう。

 これまで戦ってきたのは、ユリカの為だと信じて戦い続けていた。

 

 それが足枷となり、アキトはユリカの苦しみに気付かなかった。

 ユリカもアキトの苦しみに気付かず、消えた相手のことを想っていた。

 

 火星の後継者に誘拐された時から、共有できなかった想いを分かち合う。

 

 二人で涙を流しながら、抱き締め合う。

 ここがネルガルの月ドッグということも忘れ、泣き合った。

 

 二人の間にある溝を、涙で流してしまおうとでも言うかのように。

 そうして、落ち着くまで二人の時間は過ぎていった。

 

 ナノマシンの光も、頬を伝う涙も止まらない。

 

「あと、違うんだ。

 俺は別に、ユリカのことを怖がっていたわけじゃない。

 ただ拒絶されるのを、怖がっていただけなんだ」

 

「怖かったの、わかるよ。

 私も遺跡に同化されていた間と、流れた時間との違いが怖かった」

 

 体を離し、お互いに自分の涙を拭う。

 どちらも服の袖で拭うには、涙を流し過ぎていた。

 

 涙の跡や、赤くなった目に苦笑してしまう。

 そんな顔付きのユリカが、手を差し出しながら笑いかける。

 

「でも、もう大丈夫だよ。

 私や皆との間にある溝は取り除けばいいし、なんたって私は先輩なんだから」

 

「なんだよ、それ」

 

「えへへ、私の方が経験豊富なの。

 一年半の間に何があったのか、これからいろいろ一緒に話そうよ」

 

「――ああ、そうだな」

 

 差し伸べられた手を、握る。

 握り合った手から、ユリカの温かさが感じ取れた。

 

「ルリちゃんも一緒に来ているから、会いに行こ」

 

「ルリちゃん?

 でも、さっきは姿を見なかったけど」

 

 ドッグ内に会いに来た人間は、ユリカしか見ていない。

 そのことを言うと、少しだけ寂しそうにしてからユリカは答えた。

 

「うん、私だけでどうぞって」

 

「そっか……気を使わせてしまったか」

 

 二人は手を繋いで歩き始める。

 その繋いだ手を見ながら、ユリカが嬉しそうにはにかむ。

 

 その横顔を見て、アキトも微笑む。

 

「さ! いこ!」

 

 ユリカに引っ張られるようにして、ルリが待っている場所に連れて行かれる。

 家族が待っている場所に、二人は走り始めた。

 

 

 

 

 

 ナデシコが寄港している横に、ルリは立ちながら待っていた。

 他にも二人の人間が後ろに立っており、三人で二人が来るの待っている。

 

 それは、サブロウタとハーリーの二人だった。

 近づくにつれ、三人の特徴が段々はっきりと見えてくる。

 

 三人とも、一年半で劇的な変化はない。

 相変わらずの格好であり、ルリとハーリーの背が少し伸びたくらいであった。

 

 三人とも、走ってくる二人を見ている。

 向こうにも、ユリカに引っ張られながら走るアキトの様子が見えたのだろう。

 

 ルリは少し驚いたように目を見開いてから微笑し、

 サブロウタは「ごっつぉさん」と言ってから、ぼりぼり頭をかいている。

 

 ハーリーは、何やらアキトとルリを交互に見比べていた。

 何かルリへ言いたいようなのだが、言い出せずに苦悩している。

 

 誰も赤くなった目や涙の跡については問わなかった。

 

「仲直り、できたみたいですね」

 

 ルリがユリカに尋ねた。

 その質問にユリカは、問いかけるような眼差しをアキトに向けてくる。

 

 にこっと、さらに微笑みかけてきた。

 その微笑みに応え、代わりにルリへアキトが口を開いた。

 

「ああ、仲直りしたよ」

 

「それなら、もういいです。

 せっかく揃ったのですから、何も言いません」

 

 嬉しそうに二人の様子を眺めながら、ルリが返す。

 

「艦長! それでいいんですか!?」

 

 そんな考えに、後ろに控えていたハーリーが憤った。

 二人のことを思い、文句の一つも言わないルリに声を荒げる。

 

「おい、ハーリー!」

 

「この人には、言いたいことがたくさんあるはずでしょう!?

 それを、いま言わないままでいるなんてダメですよ!」

 

 そうルリだけでなく、三人に向かって言うハーリーをサブロウタが抑える。

 口を手で塞ぎながら体を拘束した。

 

「いや、あの、気にしないでください」

 

 驚いた顔をしている二人に、サブロウタが困りながら言う。

 まだ暴れているハーリーを抑えるのに、手一杯の様子であった。

 

「――ハーリー君、いいの。

 でも、ありがとう」

 

 そんなハーリーへ、ルリは告げる。

 すると、今まで拘束を逃れようとしていたハーリーは、ぴたりと止まった。

 

 悲しそうに、抱え込んでいるルリのことを見ている。

 

「さっ、これからどうします?」

 

 そんな心の内を見せずに、いつもどおりの顔付きで二人に問いかけた。

 

「……ルリちゃん」

 

「別に気にしないでください。

 お二人が手のかかるお兄さんとお姉さんなことは、知っていますから」

 

 仕方がないという風に、少し眉を下げながら言ってくる。

 その言葉に、二人はたらりと汗を流し、腕組みをしながら考え込む。

 

 二の句を告げずに、困り果てていた。

 

「アキト」

 

 そんな時、ラピスがやってくる。

 後ろの方に憮然とした表情のエリナや、やや困り顔のイネスが立っていた。

 

「言い忘れていたことがあったの。

 あのね、ぬいぐるみに送り返される時、ミユキと少しだけ話をしたんだけど」

 

「ミユキちゃん?」

 

 正確には、ほとんど帰った時の事情を聞いていない。

 

「うん、先にアキトが送り返されてしまって。

 その後でダッシュと私が送られることになったのだけど」

 

「どうした、遠慮せずに言え」

 

「……アキト、ミユキに給料を払ってなかった?

 給料が少ないからって、怒られちゃった」

 

「え、ちゃんと俺が貰ってる給料分を渡したけどな」

 

「ふん、誰に渡したのかは知らないけど。

 貴方を基準に渡すからダメなのよ、普通の人には危険手当とかいろいろあるんだから」

 

 エリナが、面白くなさそうに言ってくる。

 腕組みをしつつ、片目を瞑り、アキトとユリカが並んでいるのを見ていた。

 

 もう泣いていた様子は、その姿は見て取れない。

 

 それから、つかつかとアキトの方へと歩き出す。

 さっと素早くアキトの頬を掴み、力いっぱいぐぃっと横に引っ張った。

 

「なひふんだ」

 

「ふん……ま、こんなところで許してあげる。

 はあ、貴方に付き合ってると疲れて仕方がないわね」

 

「それは私もわかります」

 

 小さく頷きながら、ルリが同調する。

 その言葉に、苦笑いを浮かべてからエリナは引っ張っていた手を離す。

 

 そんな二人の気持ちを後押しするように、イネスが口を挟む。

 

「あら、私も気苦労が絶えないわよ。

 また帰ってきたことを知ったら、同意してくれる人がたくさんいるでしょうね。

 こんな調子だと困るし、専用の首輪でも付けてもらいましょうか?」

 

 楽しげに、腰に両手を当てながらそう言った。

 三人共軽快に会話を続けているが、その輪に入れない人間は話を見守るしかない。

 

「おお、怖ええ」

 

 大げさな身振りで、サブロウタが楽しげに笑う。

 

「ま、当然と言えば当然でしょうね。

 何しろ、この人が最初から戻っていれば良かったんですから」

 

 サブロウタとは対照的に、ハーリーは皮肉げに口を開いた。

 

 そんな雰囲気の場をよそに、ラピスは話を続ける。

 目の前で繰り広げられる話題に戸惑っているアキトに、ラピスは決めたことを伝えた。

 

「私は、エリナの傍にいたい。

 エリナの泣いている姿は、見たくないから」

 

「そうか」

 

 反論もせずに付いてきた相手の決めた答えに、アキトは短く答える。

 振り回してきた相手の意思を、尊重しようと目を閉じた。

 

 

「アキト、エリナを泣かしたらダメだよ」

 

 

 最後に、とっておきの爆弾を残して、ラピスは会話を終了させた。

 

 桃色の髪を翻し、エリナの腕にくっつく。

 飛びついてきたラピスに、エリナは嬉しそうに髪を撫でている。

 

 ぎこちない動作だったが、その目は優しくラピスのことを受け止めていた。

 

「……アキト、泣かしたってどういうこと?」

 

「えっと、だな」

 

 先程のアキトとエリナのやり取りを見ていなかったらしい。

 じっと疑わしげに、アキトのことを見ている。

 

 離れていた間に、女関係についての信頼が失われているようであった。

 

「ま、アキトも男の子なんだし。

 浮気については寛容なつもりだけど、私にも納得できないことがあるよ」

 

「……別に俺とエリナは、だな」

 

 後ろめたそうに小さい声で弁論する。

 だが、その自身を弁護する声に、観客の方から指摘があった。

 

「ユリカさん、浮気ではなくて不倫です。

 それに、アキトさんのエリナさんに対する呼び方が呼び捨てになってますよ」

 

「うわーん! やっぱりそうなんだ!」

 

「いや、そう、じゃなくてだな」

 

 ますますしどろもどろになるアキトに、ユリカは先程とは違う涙を滝のように流した。

 二人のやり取りに、他の人は囃し立てるようなことを言い出す。

 

 そんな大人の子供じみた行動に、ハーリーがじと目で見ながら口を開いた。

 

「いいんですか、艦長。

 また変な風にこじれたら、僕達が動かないといけないかもしれないんですよ」

 

 ここまでの苦労が無駄に終わるのが嫌なのだろう。

 目の前で繰り広げられる光景に、はあっと疲れたため息を漏らす。

 

 そんなハーリーの様子よりも、騒ぎを見ているルリが答える。

 

「放って置きましょう。それに、こうしているのは楽しいですから。

 楽しくありませんか?」

 

 見向きもされずに問いかけられた。

 そんな、尊敬している人が注目している騒ぎを、面白くなさそうに一緒に見る。

 

 

「――楽しいですけど。大人なのに」

 

 

 そうハーリーは答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後書き

まず、感謝すべき人にお礼を言っておきます。

 

この作品に付き合ってくれた方、ありがとうございます。

作品の更新と感想を下さった管理人さんと代理人さん、ありがとうございます。

 

そして、長い期間待たせて飽きてしまった方、ごめんなさい。

誤字脱字や、文章が読みにくいことで怒った方、ごめんなさい。

 

さて、完結ということで、今回は後書きも少しだけ長めにしますね。

 

そう、総連載期間約5年ものが完結しました。

よくもまあ完結できたものだ、というのが私の感想です。

 

経験値ゼロの、勢いのみでしたから。

この『影(シャドウ)』には、そんな私の未熟ぶりと下手さがもろに出ています。

 

そんな作品なのですが、完結して作者本人は寂しかったりします。

長い期間連載していたので、終わらせるのが苦痛になってしまったんですね(苦笑)

 

でも、これでお別れとなりました。

この作品を書いていて得たものを、別のものに活かしていきたいと思います。

 

それでは、幕を閉ざさせていただきます。

ありがとうございました!

 

 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

大団円・・・・かな?

ハーリー君がいつ「馬鹿ばっか」と呟くかとハラハラしてましたが(笑)。

後、ラストを彼のセリフで締めたのが妙にいい味出してますね。

 

何はともあれ、連載完結おめでとうございます。

そしてご苦労様でした。ありがとう!