機動戦艦ナデシコ <黒>
 過去編02.木星編→必然の「再会」



 悠はアキトを伴い、茶室の中にいた。
 古来より茶室は人をもてなす場としていただけに。主人と来訪者を守るために厳重な警戒を施せるように作る。無論警備の者も居よう。しかしアキトは、そこにいる警備員の多くから血の臭いを嗅ぎ取った。
 そして、それ以上に目の前に座る男から、違和感を感じた。
「私が北辰だ」
 ただ名乗っただけ。しかし違和感は膨れ上がる一方。何かを含む声。ただ泰然と佇む様は、静かな岩のようにも見える。しかし、その岩の下はまるで、障気漂う毒蛇の巣窟のようだ。
「柳 秋人です」
 そういい、目礼をする。ほんの一瞬、視線を下げただけ。この男から目を離すことを本能が許さない。
 流麗な手並みで出された茶を含むこともせず、それを見た男の目が、笑っているように見えて気分が悪い。

 そんなやりとりの風景を覗いている二人の少女の姿があった。
 枝織と零夜。
「枝織ちゃんいいの? おじさまに見つかったら、怒られちゃうよ」
「大丈夫、大丈夫。ちゃーんとお父様から見つからないようになら許可するって言ってもらったもん」
 この様なやりとりをしているが、実際には中腰で木陰から顔を出した零夜、その背後にのしかかるように枝織がいる。最初っから顔を覗かせているのだ。つまりは零夜も興味津々なのだろう。
「でも、おじさまと真っ正面から話しているなんて凄い……」
「たいていの人、逃げ腰だもんね」
 北辰と面と向かって話す。それだけでも彼女らにとっては驚きなのか。しかし、逃げ腰というのも分からなくもない。


「柳殿の弟子と聞いた。出身は何処だ」
「木連未加入のコロニーの一つです。両親の死後、師に救われここで師事しています」
 嘘は言っていない。
 ユートピアコロニーは木連に加入はしていないし、死にかけたアキトを治療したのは間違いなく龍馬だったから。
 第一、木連の政治方針に従わず、独自路線で運営を続けるコロニーも、この木星圏にはないわけではない。もっとも「村八分」というか交流が極めて少なく、アキトのように木連に登録されていない者も多くいる。

 幾つもの問いが部屋の中、現れ、消えていった。そして最後に、と注釈をつけ問いを発する。

「何故、力を求める」
 不可解な問い。
 明確な答えなど無い。ただ、思っていたことを告げる。
「力に正義も悪もない。ただ其処にあるだけで力になる。全てを巻き込む無軌道な力に楔を打ち込むため。それだけです」
 僅かな静寂が落ちる。
 滲み出す汗に不快感を感じた。それが目の前の男による物か、それとも言葉にすることで気づいた自分の心に何かを感じたのか。
「保留とする。今より優人部隊二期生の選抜に加われ。合格と共に藤原の起こした訴訟を取り下げてやろう」

「藤原って、昨日の人…」
「……やっとく?」
 記憶がよみがえる。未遂で済んだとはいえ、間違いなく彼女の心に恐怖は刻み込まれた。その恐れに染まった姿は、枝織に行動すべきかと考えさせた。
「ううん……いいよ枝織ちゃん。そんなコトしなくていいから……」
 零夜は思う。
 枝織にさせてはならないと。この少女にこれ以上、哀しみを生ませてはならない。例え今は意味を知らずとも、知るときが必ずやってくる。その時、彼女が苦しむことは容易に想像できる。
 記憶によって震えだした手を必死に動かし、枝織の手を握る。
「枝織ちゃんが、一緒にいてくれればいいから……」
 無理しているのが分かる笑顔で、しかしはっきりと伝える。
 それを見た枝織はぎゅむ、と零夜に抱きつく。
「うん、分かった。ずっと一緒にいるね」
 幼さが残る笑みを浮かべる。それは幼さ故に純粋に、しかし強い決意をも併せ持つ。

 アキトの返答を聞かずに北辰が立ち去る。
 最後に振り返った時の目、それはまるで、獲物をいたぶる肉食獣、いや今まさに命を奪おうとする毒蛇の目だった。
「ぷはぁ……」
 思わず安堵のため息が漏れる。
 額を流れる汗を拭おうとし、掌がべったりと濡れていることに気づく。背には緊張のためか汗が滲み、シャツは肌に張り付いている。
 ふと隣を見れば、悠もまた同じ様な表情をしている。
「……寿命が縮まった……」
「それは同感ですね」
 このような場所は一刻も早く去りたい。漂う空気は依然粘度が高く、体中にまとわりつくようだ。
 だからこそ、感じる物がある。
 軽く手を振る。遠心力によって腕の内側に隠されていたナイフが滑り、手の中に収まる。その力を逃さずに、手首のスナップを利かせ、背後の壁に投げつける。
 サン……!
 壁に刺さった割りには澄んだ音を立て、根本まで刺さる。キィ…と羽虫の羽音のような物が聞こえたと思った瞬間、ナイフを中心に壁が砂になっていく。ナイフの振動が、壁の構成素材を、壁の状態が保てないほどに振動させたのだ。現れた向こう側には大人一人が難なく隠れられるだけの空間も見られる。
 空中に伸びた銀の軌跡、柄頭から伸びた鋼糸はアキトの手首へと消えている。スイ、と手を引いた瞬間にナイフはアキトの手に戻り、壁から血が流れていく。
「北辰殿の手の者か……秋人、いつ気づいた?」
「気配断ちは見事でも、匂いが残っていましたからね。後はカンです」
 僅かに流れた血ももう流れてはいない。壁の向こうにいた誰かは初撃こそ受けた物の、第二撃となる振動波は受けなかったようだ。もっとも逃げる時間を与えた、アキトの考えによる部分も大きい。
「それに……さっきのは偽者です。後ろにいたのが本物でしょう」
「何だと? じゃあ先刻の北辰殿は誰なんだ? あれほどの気を発する者など……」
 一瞬言うべきか、言わざるべきかを迷った後、口にする。
「気配を本体と分離する方法があるそうです。詳しくは知りませんが、ここが向こうから指名した場所ならそういう仕掛けがあってもおかしくはありませんからね」
 ヒュ! …カン!
「「キャッ!?」」
 言葉は普通に、視線も変えず、ただ庭の方へとナイフを投げる。ただ木に刺さっただけのそれは性能を遺憾なく発揮、木の幹を半ばから失わせ、背後に隠れていた少女二人の姿を晒す。
 その声を聞いてアキトは露骨に「しまった」という顔をし、次の瞬間、顔を赤くする。悠は別に顔色をかえはしないが、少々困った顔をする。
「イタタ…」
「ごめん、枝織ちゃんどいて……」
 子供とはいえ人が二人隠れられる木は、幹を失っても倒れることはなかった物の、その陰に隠れていた少女達が倒れた。それもなかなかにきわどい体勢で。枝織が抱きつくような状態、零夜が押し倒されているように見える。枝織のスカートがめくれ、零夜の足が絡まっている。
 アキトは、何故か火星の、二人の幼なじみを思いだした。このくらいあの二人の仲がよければ、自分の不幸はあれほど酷くならなかったのではないかと。
「え…っと。ごめん、大丈夫かい……?」


 別室で、茶室から誰もいなくなるのを確認してから上着を脱ぐ。
 防護能力に優れていたはずのそれは、たった一本のナイフによって難なく貫かれ、内側の肉体をも傷つけていた。消毒液を直接吹きかけ、自ら縫う。
「これは凄いな。まさかこんな傷が付くなんて…面白いですね、北辰さん」
 面白い物を見たとでも言うように、笑うヤマサキ。携帯していたルーペで切断面を見始めている。
「面白くなど無い。第一それは貴様が持ってきた物であろう」
「だから試作品、そういったじゃないですか……実に興味深い」
 脇腹に受けた一筋の創傷。鋭すぎる刃物は切れ味は鋭いが、治療も容易だ。
 麻酔を使うことによって起きる意識の混濁を防ぐために、治療の経過を身をもって感じ取るために麻酔の類を一切使わず、手ぬぐいを噛んだだけで縫合に耐える。
「く…」
 古典的と言わざるをえないが、火であぶった針に絹糸を通し縫いつけていく。気の弱い人間なら逃げ出したくなる、その匂いさえ苦ともせずに、見ようによっては笑みにさえ見える物を浮かべ縫いつけていく。
「よく麻酔も使わずに……」
 何となく、合理性から離れていると、不審そうに見ている。
 縫合を終え僅かな時間をおき、その目に彼本来の色が戻り、そして一言、こぼれる。
「……喰い甲斐が有りそうだ……」
 あまりの欲望の強さに、その目は濁るどころか、輝いてさえいた。
 そして、この男もまた目を輝かせていた。「おもしろそうな素材ですね」と。

 

 幾つもの気配がある、との理由で離れた場所に四人は来ていた。試験会場への移動という意味合いもあるが。
「えっと、改めて……柳秋人です」
 ここ一年ほど、「死と隣り合わせの生活」で女っ気がなかったためか幾分声が強ばっている。別に女の子が二人いるという状況が怖いわけではない。
「草薙悠。コイツの師匠の友人で、技術教官をしている」
 威厳を持って答える。
「紫苑零夜です。昨日はありがとうございました……」
 一歩下がった位置で答える零夜の姿に、心に負った傷の大きさを見、藤原という男に強い怒りを持ち、慰めていたであろう北斗に感謝する。
「枝織でっす。初めまして、秋人君」
 無用に元気に見える。とても明るい笑顔だが、影が無さ過ぎる事に少々引っかかりを感じる。
 そしてその表情でなく、その顔に気づく。
「そういえば枝織ちゃんて、北斗に似ているけど?」
 それに困ったのは零夜。知っていても言えないこともある。
「あのね、枝織と北ちゃんは……」
「事情があってあんまり会えないけど、兄妹よ、兄妹」
 言いかけた枝織を遮って零夜が答える。
 真実を知られてはならないのだ。
「何か複雑そうだね」
「北辰殿の家だ。何があってもおかしくはないな」
「悠さん、それ龍馬さんみたいな物言いですよ」
 話し始めた二人を見て、ほっとした表情の零夜。顔に出るあたり修行不足と言わざるをえない。そしてそのまま枝織に「言っちゃダメだよ」とクギを差す。
 昨日、アレだけの事をしたアキトが案外普通だと思ったのか、零夜も強ばりが取れていた。もっとも枝織の影にいることは変わっていないが。
 視線の向こうには試験会場が見える。
 どことなく誇らしげに見る悠、楽しそうな枝織、興味津々な零夜、そして呆れているアキト。
「どうだ、なかなか凄いだろう」
「うん、面白そう。……枝織にもやらせてくれないかな……」
「枝織ちゃん、今日スカートはいてるんだよ」
 試作なのか、女性パイロットを視野に入れていないのか、少なくともスカートをはいた人間を乗せられるようには見えない。
「じゃ、カボチャなら?」
 そういいつつ、スカートをカボチャにする。ごそごそとするその様は、試験会場にいる少年達の目も釘付けだ。止めるまもなかったと、零夜が顔をちょっとしかめているが、アキトは顔が引きつったままだった。
「悠さん、アレ、戦闘用なんですよね、本来は」
 区切り区切り、喋るアキト。
「思考制御とか、出来ないんですか?」
「んー、ロボットである以上それが理想なんだが、開発局の連中がこだわっててな」
 苦笑。しかしそれで済む問題でもない。
 こだわりというのは大事だ。それを実現するために発揮する力には侮れない物がある。しかし命に関わる現場にはそれの入る余地はない。第一「アレ」は将来戦闘用になる代物であり、反応速度ならどう考えても思考制御に勝る物はない。
「ま、相転移炉と重力波砲を搭載する予定だからそう簡単には負けんだろ」
 単艦に巨砲を搭載する時代は、軽く見て250年前、第二次世界大戦時にはもう終わっている。機動性の落ちる主力戦艦を、小回りの利く飛行機の群れが落としたその時に。
「……軍人って、何を考えているんだろう……」
 戦機高揚のためのジンタイプ。自らを正義と見なすためであり、また地球を一方的に悪と見るための物。例え敗北することがあろうとも、「英雄」にしてしまえばそれで済む。
 現場の下級軍人ならともかく、上の人間がそのような些末事を考えることはないだろう。

 

 二本足のロボットが闊歩していく。
 古めかしいそのデザインは、大きさこそ人と大差ないが、間違いなくゲキガンガーだった。背から伸びたコードの先にはごくごく単純な機構のシミュレーターが。操っているのはまだ十を少し出たばかりの少年、白鳥九十九。
 将来地球へと戦いに行く戦士、優人部隊。第二期生の選抜試験でもあるこの会場で、九十九は試験の緊張感と、このシミュレーターを楽しんでいた。楽しむぐらいの気概がなければ、戦場に行くなど無理な話だが、剛胆と言えよう。

 課題は人形(救助者)をその手に掴み、安全圏まで運ぶこと。表向きは正義の味方である以上、そういう訓練も一環になる。
 ロボットが手を伸ばすと、仕掛けなのか人形がぽんと飛び乗る。
「指を曲げろ」
 その声に従い、ロボットの指が曲がり、転落を防止する。
 右足に力をかけず、左ペダルの後ろ側に力を加える。するとロボットは右足を軸に、左足だけを後ろへと動かし、反転する。向き直ったところで今度は右足を前に力を加える。

 コクピットにあるのはシートと、手元に二本のレバー、幾つものボタン、そして足下に二つのペダル。
 レバーには武装を扱うためのスイッチと、腕を大まかに動かす為の機能。照準は網膜投射を利用している。
 ペダルはそれぞれの足に、どちらの方向に動くかを伝えるための物。キャタピラのように独立した動きを可能とする。
 最大の特徴は、まかないきれない機能を音声入力にした事だろう。「物を掴め」「ジャンプしろ」「ゲキガンビーム」等々……。
 命令を間違えれば握りつぶすこともある。捕まえ方を間違えれば、歩行の衝撃で落とすこともある。第一、あのスケールサイズで人工重力・慣性制御で守られたコクピットならともかく、手の平の上の人形に加わる衝撃は例えようもない。
 ロボットの手が10p動いただけで、救助者は2メートルは確実に跳ねる。そのまま数歩も歩けば、内蔵にダメージを負うのは確実。
 軽く腰を下げた状態で、腰、膝、足首だけで歩いていく。上半身は、遠巻きに見ただけでは水平に動いているようだ。

 その光景を見ている他の受験生達から、声が漏れる。
「さっすが九十九……ゲーセン王は伊達じゃないな……」
 髪を長くした子供、月臣元一朗が呟く。
「まあ、このシミュレーターもゲーセンの筐体も基本動作は一緒だからな」
 こちらは対照的に髪を短く刈り込んでいる。少々小柄だが、子供ながら筋肉質だ。名を秋山源八郎と言う。

 ロボットはゆっくりと、だが確実に、揺れを最小限で手の高さを保ちながら進んでいく。横にある計測器には救助者に対する揺れが10〜20pであると表示している。
 制御もほぼ完全で、彼が試験を終えたときは試験官達の間からため息が漏れたほどだった。
「……次のヤツ、大変だな……」
「ああ。今の九十九と比較されやすいからな」
 上手い人の次に歌いたくないと言う、カラオケ特有の感覚に似ているのだろう。
「次、月臣元一朗!」
「え。あ、ハイ!」
 呼ばれるとは思っていなかったのか、一気に緊張して強ばった声で返事し、急いで駆けていく。
 代わりに源八郎の元に歩いてくるのは九十九。試験用のヘルメットを脱ぎながら、緊張の汗を拭っている。
「上手いじゃないか、九十九」
「月臣のヤツに悪いコトしたかな? やりにくそうだしな」
 周りの人間の向ける賞賛と嫉妬を浴びながら、平然として九十九の姿を見る。彼らはもう試験が終わっているのだから余裕があるのだが、月臣はそうも行かない。
 二人が見つめる向こう側でロボットが、救助者の居るビルに体当たりをしていた。



 僅かに離れた場所、その試験風景を見る一団があった。それも、わざわざ高い場所から見下すように。
 優人部隊。
 木星の最エリートであり、来るべき日のための、栄誉ある戦士達。……あくまで、建前は。単純に「そこそこ強い」「身内が裕福」「政界に関係者が居る」など。つまりは草壁のパトロンの子弟が名誉を求めて集まっただけの三流部隊。
 いずれ配属されるであろう後輩達。しかし彼らの目に映るのは、擁護すべき後輩ではなく、自らの地位を脅かしに来る薄汚い庶民の子に過ぎない。
「全く。我々の真似をするとは生意気な」
「たかが庶民の分際で」
「アイツラ如きに栄えある優人部隊の名誉を与えるなどとは……閣下はどのようなお考えをお持ちなのだ……」
 極めて傲慢な物言い。
 彼らにとっての当然の権利を奪おうとする小汚いゴミども。
 そのような判断しかできない小物達。
「まあ良い。…潰してやるさ、自分から逃げ出したくなるようにな」
 自らをエリートと評し、また周囲の者もそう褒めそやせば、どれほどの者とて、こうなるのだろうか。
 否。
 自らに自信を持たぬから、人を貶めることでのみ自らを上位者として誇っていたから。自らを研鑽せずにいた者の歪み。

 彼らは知らない。
 草壁がどのような意図で彼らを集めたのかを。
 そして今、二期生を集めている本当の理由を。

 奇妙、と呼ぶべきだろう。
 無色透明、と言う言葉がある。無色とは「色がないこと」をさし、透明とは「透明という色」のことをさす。
 いわば紅色透明と言うべき大きな「存在」がそこにあった。
 はじめはただの鉄の固まりと言われていた。
 火星で見つけられ、撤退時に運び出したそれは長い間、正体不明の鉱石として認知されていた。ただそれだけだった。
 いつからか放置され、木連誕生から100年が経ち、研究施設が崩壊し、木々に、動物に踏み込まれていた。それだけのはずだった。
 見つけられたのは単なる偶然。
 過去の研究資料を求めてやってきた男が、木連と親交ある企業の者が見つけたそれは、獣の彫像だった。幾つもの生き物が混ざったその姿は鵺の如く。醜悪にならない、微妙な美しさを誇っていた。
 これもまた偶然だろう。
 天井に開いた大穴から舞い降りた雀がそれに触れた瞬間、その姿が変わった。じわじわ、じわじわと鵺の如き姿から、鳥の姿へと。
 そしてもう一つ、胸の部分に隙間があった。好奇心に負けた彼が近づくと、その変化にも無関心だった雀が元気良く逃げ出し、その隙間から人一人が乗り込める、まるでコクピットのような、その姿が見えた。
 この男こそ、若き日のヤマサキである。



 居心地の悪い空間と言う物は何処にでも存在する。
 例えば、周り中男だけなのに、自分と同じテーブルに、「形容詞が美少女という人物」が二人も同席し、夕飯を取っている現状は、間違いなく居心地の悪い空間だろう。
「う〜、このご飯おいしくないよ〜」
「好き嫌いしちゃダメだってば」
 確かに不味い。火星の物よりも間違いなく不味い。いやそれ以前に、下手をすれば賞味期限の切れている可能性がある。いくら軍の教練所とはいえレーションをただ暖めただけというのは問題がある。
「あ、枝織ちゃん、ソースついてるよ」
 そう言いつつ、ハンカチで口の脇を拭う。
 何となく、その仕草に二人を友人同士と言うよりも、姉妹のように見てしまう。どちらがより手の掛かる、いわば妹かは言うまでもないだろう。
 その様子を見、アキトはしみじみと呟く。
「あの二人、これぐらい仲が良ければな……」
 もの凄く、虚ろな顔をする。ここしばらく思い出さずに済んだ光景を思い出した所為で、顔から覇気が無くなる。
「秋人君、どうかしたの?」
「何だか、顔色悪いけど…」
「いや、か……故郷のことを思い出して。色々と苦労したからさ」
 その実感のこもった声に、さしもの枝織も聞いてこなかった。
「苦労って?」
「枝織ちゃん、そう言う事聞いちゃダメだって!」
「いや、そんなに気にしなくても良いよ。たださ、近所に住んでいた二人の女の子がもの凄い我が儘で、仲が悪くて、毎日のようにとばっちりを受けて……」
 ここで区切り、遠い目で明後日の方を向きながら、全く感情のこもらない声で呟く。
「ま、とにかく仲のいい女の子なんて、ほとんど見たこと無かったからさ」
 あの二人が怖くて、誰も近づかなかったという事もあるのだが。

 そんな三人の様子に気を悪くする者もやはりいる。
「見ろよアイツ。女二人も連れて来やがって……どっかのお坊ちゃんの来るところじゃないんだぜ」
「ああ、しかも草薙教官と連れだって……」
「どうせ裏金使ってきたんだろ」
 不穏な空気が漂っていた。
「ならアイツ、やっちまわないか?」
「おもしろそうじゃないか」
「もう少ししたら教官達は会議を始める……その時が狙い目だな」



 夜という物は、何処でも平等にやってくる。
 木星周辺に浮かぶこのコロニーにも人が住む限り、時間という物が存在し、昼と夜とを交互に繰り返す。眠りにつくための時間であり、明日への英気を養う時間でもある。
 そして、光の届かない時間でも……。

 グチャ!!
 バギィ!
 ベチャ……!
 鈍い音が三つ、鳴り響いた。最後に湿った音が聞こえたのは自業自得だ。

 朝もまた、誰にでも平等にやってくる。
 人は、光があると脳が活発化し、自然と目が覚める。太陽から遠く離れてコロニーとはいえ、人工光も含まれている光はほぼ太陽と同質。地球上の大気と変わらないフィルターを通しているので品質に問題はない。
 自然に目が覚めた、久しぶりに気分の良い朝。軍の宿舎だからか、龍馬の手荒い朝の挨拶もない。
「ん〜〜、こういう朝も久しぶりだな……」
 そう言いつつ、ゆっくりと起きあがる。朝のまどろみを楽しむほど、寝起きが悪いわけでもない。
「むぎゅ」
「あぎゃ」
「ぐえ」
 何か妙な感触を足の裏側に感じながら、タオルをひっ掴んで洗面所に向かう。ここは、特例で後になって割り込んできたアキト用に見つけた空き部屋。寝ぼけて殴り飛ばすなどということもありえない。だから、床に転がっているボロ雑巾は、前衛芸術か何かだろう。手に持っている鈍器がなかなかシュールで宜しい。

 洗面所に行くと、何となく、子供ながらに濃い顔の少年が顔を洗っているところに出た。
「おはよ……」
「ああ、おはよう!」
 眠気の抜けないアキトに対し、無用に元気な声で答える少年、白鳥九十九。寝間着なのだろう「激我」と書かれた青の浴衣がある意味とても似合っている。
「今日って、何の試験をするんだ?」
「対人戦闘訓練だ! 言っておくが、油断すれば骨の一本や二本持っていかれるぞ!」
「あ、そう」
 ここで空白が生じ、何かに互いに気づく。
「……そういや、お前は誰だ?」
「……名乗った記憶もないし……ま、取り敢えず、柳秋人。昨日から参加してる」
「昨日…そうか、草薙教官の連れてきた……お前か! 俺は白鳥九十九、木連のエースとなる男だ!」
 ポーズを取りながら、どうやったのか歯を光らせる。
 スコン!
 真横から飛んできたコップ(アルミ製)が九十九の頭に当たり、妙に軽い音を立てる。コップの来た方を見ると、長い髪の少年が一人立っている。
「何朝っぱらから馬鹿をやっている、九十九」
「何って今日の説明だよ、説明。ほら、昨日来たヤツで柳秋人。コイツに今日のこと教えてたんだ」
 指さしながらの説明。
「……柳……? 何処かで聞いた…」
「別に少ない名前でもないだろ? 気にすんなよ、ハゲるぞ」
「おい、それは聞き捨てならんな……俺がハゲるだと? それはそっくりお前にかえしてやる!」
「ハ! そんな長ったらしい髪じゃ、すぐハゲちまうよ、どうせな!」
 激しい言い合いと共に、次第に近付き、示し合わせたかの様に互いの手を同時に取り合って、力比べを始める。少なくともそこに友情という言葉は欠片も見あたらない。
「……どうして俺の周りには……こういう濃いヤツばっかり……」
 その声には悟りの響きさえあった。諦め、とも言うが。

 

 敵は四人。味方は自分ただ一人。10メートルほど間を置き、円を組み攻撃の意志を見せている。
 数を頼みにしたか、侮ったか。作戦も立てず、一人が突出し、遅れてもう一人が突っ込んでくる。
 構えることなく、ただ歩く。正中線を保ち、手を軽く下げる。接近してくる敵、その自分に向けられる拳を自ら半歩踏み込み、半身にすることで避ける。通り過ぎる際、敵の軸足を払っておき、バランスを崩したそれを他の相手にぶつける。
 ここで正しいのは、助けることではなく、見捨て、その隙に敵を討つこと。
 しかし、反射的に「仲間」の身体を支えてしまう。これで機動力は皆無。その隙を見逃す道理など無い。足首の瞬発力だけでとって返し、一人目の背に逆手を当て、順手を重ねる。大地を揺る出すような轟音と、背に加わった衝撃は敵を二人同時に貫く。
 残るは二人。手強いと知ったか、残る二人は手に棍、そして拳銃を構える。
 一人が棍を突く。
 かわせばいいのだ、ただ突いたそれなど怖くはない。手で掴み、引き、相手へと詰め寄る。
 武器を掴まれた瞬間、逡巡が生じる。武器を捨てることを選べば戦闘能力は落ち、武器の持ち続ければこの間合いではより危険。僅かな間とてこの距離では敗北に繋がる。単に首に手を当てただけで落ちる。
 最後は拳銃を持つ敵が一人。
 確かに銃は攻撃力、つまり殺傷力が高い。しかし弾道は直線。第一銃は狙撃でもない限りまず当たらないし、バレルの短い拳銃では命中率は低く、警戒するに値しない。
 一瞬、周囲に倒れる仲間の姿に、敵の鋭い視線に目を奪われ、飛来する物をかわすのが一瞬遅れた。
 鳩尾に感じた、棍の衝撃で霞む視界に、もう何も映らなかった。

 そんなアキトを見つめる者がいた。
「やっぱりやるな……」
 袖を落とした厚手の白のシャツ、動きやすいハーフパンツ、足首まで覆う革のブーツ、乱雑にまとめた赤毛。
 零夜を隣りに従えた少年、北斗。
「北ちゃん、本当にやるの?」
「俺の相手は親父ぐらいしか出来ないからな……面白そうだろ?」
 そう言って笑う姿は、あまりにも多くの物を抱えていた。対等に自分とつき合える人間が居ないこと。周りにいるのは、自分を利用しようとする者と、恐れる者だけと言うこと……。
 年若いことは、可能性を秘めるという。しかし、その可能性を恐れる者もまた、多いのだ。

 倒れた四人を睥睨し、呟く。
「ま、こんなもんか」
 そう呟くアキトの顔に、汗は一粒たりとも流れてはいなかった。

 

 観る者の中には顔色の優れない者もいる。
 多対一とは別に、一対一で行う訓練、つぎにアキトと組むはずの男だった。その男の肩にそっと手をかけ、言葉をかける男がいた。
「骨は拾ってやる。潔く散ってこい……元一朗」
「他人事だと思うな、九十九! おいそこ、笑うんじゃない源八郎!!」

 実際問題として、現状においてアキトと戦える者はここにいないだろう。少なくとも、人間の身体にかかっているリミッターを「自分の意志」で外せる者などそうは居ない。
 それが出来なければ、間違いなく一撃で叩きつぶされる。

「次、月臣元一朗、前へ!」
 コールが飛ぶ。
「げ!」
 正直な声が飛び出る。
「……月臣元一朗!」
「ほら行って来い!」
「いいか、逃げるんだ! タイムアップまで逃げ切れば勝てはしないが負けない! ……15分か……長いな」
 自分を呼ぶ声。激励とは到底呼べない応援。
 その声に背を押され……トン……そのまま前のめりに倒れた。人工とはいえ重力に逆らうことなく、大地に吸い込まれるように、鈍い音を立てて。
「元一朗ッ!?」
「誰……だっ!」
 激しく飛ぶ誰何の声。元一朗の背後から現れたのは、北斗。その後ろの零夜はいつも以上に困惑したように立ちつくしている。
「面白そうだからな……次は俺がやらせて貰うぞ」



あとがき

 IFSを持っていない木連。
 ジンタイプの操作系統はどうなっているのだろうか。エグザクソン、レイバーの操作系が、もっとも近いのでは?

 ところで過去編01話で「今まさに襲わんとするならず者」「様子からすれば未遂であったろう」と書いたはずなのに……なぜか、取り返しのつかない事になったと読みとった人が居ます。何故?
 最近の表現は規定が厳しいし、それに流石に可哀想だし。そこまでダークは趣味じゃない。

 ところでアキト=カシムとしましたが、カシムって、相良宗介の子供時代の名前でもある。……戦争ボケか……。

 

 

 

代理人の感想

 

>アキト=カシム=宗介

おお、言われて見れば(笑)。

アキトをワイルド&タフにするとあんな感じかもしれないですな(゚▽゚;)

もっとも、宗介は本質的に強い人間で、

逆にアキト(「時の流れに」においても)は本質的にはよわよわな人間ですから

あまり比較対象にはなりませんか。

 

さて次回。代理人待望の瞬間がやってきたっ!

アキトV.S.北斗! ガチンコの結果や如何にっ!?