機動戦艦ナデシコ <黒>
 10.「女らしく」がアブナイ→いつだって「女難」の男たち


 雨上がりの空の下、轟音を立てて走る巨大なトレーラーがあった。
 枝が大きくたわんだ。木の葉に付いた雨が水しぶきとなり、それが陽光を受けキラキラと光る様は美しい。しかし、剥き出しの大地に作られた水たまりが泥を跳ね上げる辺り、付近を歩いている人には迷惑だ。道路上にせり出した木や枝をものともせずにそれ、エステバリスキャリアは進んでいく。三台を連結しているが、先頭の車両に集まっており、他の二台には誰も乗っていない。
 キャリアの中にはキャビンが設けられており、また走破中に整備や就寝しなければならない事から振動対策は万全。無論、調理にも問題はない。
 問題、無いはずだ。
「きゃああああ、ラピスちゃん、それ塩じゃない、あ、油に火、水はダメぇぇぇぇぇ!!!」
 どうにも気になるが、気にすることはないだろう。もしもの時は特殊消火剤も搭載されている。
 しかし、助手席にいるトウヤは顔色が酷い。
「隊長……少しは気にされたらどうですか?」
「何かあっても、事故ったりしないから気にするなよ」
「いえ、そうじゃなくて」
「……何かあるのか?」
「……アレ、誰が食べるんですか?」
 その声でアキトは気がついた。
 ここにいる男は、自分とトウヤ、そしてハーリーだけだと。
「……1/3の確率で、俺?」
 真っ青になりながら、それでも運転に問題のないアキトをある意味尊敬の眼差しで見ながらトウヤは、重々しく、苦しげに頷いた。しかしそんな二人をよそにハーリーが口を開く。
「……いいえ。食べるのはきっと、3/3、つまり……」
 そこまでで、口を閉ざした。口にするのも恐ろしい、とばかりに。

 一日前。
 実験体であったハリ、と言う少年について、その両親に彼を巡る現状を説明した後のことだった。
「……これ、何?」
 役所から帰ってみれば、留守番をしていたトウヤの向こうに小山が出来ている。
「あ、隊長。彼らはお客さん…強盗のほうが適切ですね」
 マキビ夫妻の家に着いた彼らを待っていたのは、ボロ雑巾のほうがまだ綺麗と言うくらいにボロボロになった黒服の群れだった。
 マキビ女史はハリを抱きしめ、涙する。
「何で、何でこの子ばかり……」
「えっと……お母さん……その、気にしないで、僕は、ココにいるから……」
「大丈夫だ、私もココにいる。お前達は守ってみせる」
 マキビ女史の夫だろう。強い決意を見せる瞳で二人を見、抱きしめている。
 一歩下がった位置から
「……トウヤ、みんな今頃、何してるかな」
「結構しぶとくやってると思いますよ。ウチのは特に」
「……だろうな」
 火星での光景を思い出して、笑う。きっとあの子供たちの事だ、収容施設に居るであろう木星の、兵士相手に遊びまわっているに違いない。
 しかし笑ったのも一瞬だった。
「けど、これじゃ確かに問題ありますよね」
「……ああ。折角アカツキに紹介してもらった物件だったってのにな」
 顔は思案しているが、首から下は、何とか動き出そうとしている黒服をまるでゴキブリを潰す様に殴りつけている。このあたり、彼等が受けた戦闘訓練の過酷さをうかがわせる。

 彼等は少年を交えて幾つもの話し合いをした。
 そして得られた結果は喜ばしい物ではなかった。

 明けて翌朝。
 玄関先にはマキビ夫妻と、アキト、トウヤ。しかしハリはアキト達の側に居る。
「ハリを、私達の子供をよろしくお願いします」
 戦地を転戦すると言う彼等に、子供を預けると言う事態になってしまっていた。
 何しろ、黒服達の身元は全く分からず、警察に扮した増援まで来る始末。結果としてこれが双方においての妥協案、と言えなくもないのだ。
「お預かりします」
「行ってきます、父さん、母さん」
 そう行って、笑って見せる。子供なのに、自分の存在の意味がわかってしまう。そして、大人達が見出す価値も。
 この少年は、だからこそ自分が一時的にせよこの家から消える事を選んだのだ。

 しかし、そんなシリアスさも、彼等の家である二号キャリアのキャビン、そこを見たとき霧散してしまった。
 淡いパステルイエローの壁紙と、シルクのカーテン、窓際のハーブの鉢植え、面積の半分を埋めるぬいぐるみと衣装。そこに埋もれて抱き合う様にして眠るフミカと少女。
 フミカはいつもの普段着のままだが、少女は違った。フミカに連れられ、彼等の前に現れたときの無機質な検査衣ではなく、年頃の子供の着るような白いブラウスと水色のジャンパースカート。ただ、少女趣味なのは賛否両論だろう。
 それを見たトウヤは一言。
「ふ、フミ姉の病気が……」
 切実な響きを持ってこぼれた。
 そう、フミカの病気、それは「可愛い子供たちに対する飽くなき熱情」である!!
「……こうなるとさ、あの子、養子縁組に出せると思うか?」
「ハーリー君、君はどう思う?」
「ぼ、僕ですか!? …難しいんじゃないかと。だって『抱き枕』状態で眠る二人……引き剥がしたら怖そうですよ」
 その意見を聞きトウヤは手でアキトとハーリーを下げさせる。この辺りは同じ施設で育った者の方が良い、と言う判断だ。
「ま、そうなんだけどね。……とりあえず二人とも下がって! フミカさ〜ん、おきてくださ〜い」
 キャビンから退避して、そうっと声をかける。
 瞬間、唸りを上げて飛びかかる弾丸!!
 一瞬の後、それがギシ……と重い音を立ててめり込んだ壁から剥がれ落ちる。落下したときの音も、これまた重い。
「……暴徒鎮圧用のゴムスタン弾……」
「……何だ二人か……痴漢かと思ったわよ……」
 そう言いながら、バズーカにも遜色無い威力を誇った銃器……ペンギン(コウテイペンギン)のぬいぐるみの口を閉じる。そう、この部屋はファンシーグッズに偽装された武器の塊なのだ。もっとも普通の物のほうが多いのは当たり前だが。

 そしてハーリーは一言、漏らした。
「あのペンギン、銃が入ってたってことは、着ぐるみ?」
 彼は知らない。この着ぐるみと、長い付き合いになるなどとは。

 そして、この時から30分ほどして、冒頭に移る。
 結果として、胃薬だけですんだと言っておこう。味は……横になって唸っているハーリーの姿が如実に語っている。

 マキビ女史宅での事柄を説明する。内容は簡潔に、しかし情緒たっぷりに。この辺は長年子供の相手をしていたトウヤの特技と言うか癖である。
 しかしそれを聞き終えたフミカの言葉は。
「ふ〜ん、そんな事があったんだ」
 だけで済まされてしまった。
「そう、そんな事。でもマキビさんは一般市民ですから」
「なあ、トウヤ。その台詞は俺達が一般市民とは違うって言ってないか?」
「……言ってます」
 なんとなく物悲しい物を感じ、誤魔化す様に食後の茶を飲む。
 そして、最大の懸念事項を持ち出す。
「で、これからどうするの?」
「……マキビさんを襲ったのは、あの二人の能力を欲しがった奴だ。つまりオモイカネ級のコンピュータか、ナデシコ級の戦艦。ネルガルはコスモスの事もあるから対策は出来てると思う……フミ姉と隊長はどう思いますか?」
 そこでアキトは指を三本立てた。
「どっちにしろ、戦争が終わるまでは俺達で匿うしか無い訳だが……とりあえず、ルートは三つ」
 一つ折り曲げる。
「アカツキの世話になってもう一度ナデシコに乗る。これは……いろいろ問題があるし、別行動した意味がなくなるから没」
 二本目を曲げる。
「ナデシコ級を建造しているアスカ・インダストリーに接触する。けどこれは、二人を戦争に直に関わらせることになるから没」
 最後にもう一つ曲げて見せる。
「西欧へ行く。向こうは歴史が古いから、企業も介入しづらい。それに、俺達の隠れ蓑にもなるし」
 そうアキトが締めくくったところにフミカが口を挟んだ。
「その四。ウリバタケさんがDFSを完成させたから、テストして欲しい、取りに来てくれって」
「……出来たのか!?」
「そ。テニシアン島まで来て欲しいって」

 

 ナデシコ第二格納庫。
 厳重な封印が施された龍皇のコンテナ、使える人間の居ないEX。そして、今だ骨組だけのフレーム。がらんどうになった熊の檻の中には「反省中」と言うプレートとともにアカツキが閉じ込められている。プレートの下には女の子の写真が何枚も貼られていて、金字で「大関昇進」と書かれている。
 毛布にくるまって寝るアカツキを別として、その足元には人が居た。セイヤ、イネス、ルリ、そしてエリナ。
「……で、何があるってんだ、エリナさんよ」
「睡眠不足はお肌の天敵、納得のいく説明をして欲しいわね」
「……児童福祉法に違反……」
 漸く眠ろうとしたところを起こされたのか、三人とも機嫌が悪い。仮眠を終えたばかりのエリナの表情とは大違いだ。
「みんな、そう言わなくてもいいじゃない。私はこれから仕事なんだから」
 そう言いながら、コミュニケを操作する。
「これを見て」
 そう言って空中に現れたのは一枚の書類。
「……会長命令?」
「プロスペクターさんには内緒なんですか」
「ええ。これは経理を通さずに会長からの直接命令で、予算についてはかなり自由に扱えるよう便宜を図ります」
 書かれた物はかなりの好条件である事を示している。
「……これだけ有れば、完成させられる……」
 ウリバタケの目は、エリナに悟られる事なく骨組のほうへと向かう。
「つまり、会長からの要請は新型兵器であるDFSを完成させ実戦投入する事。そして、再びテンカワ君たちをスカウトする事……」
 微妙な静寂が落ちる。
 何も音を発する物は無いのに、何かが聞こえる。

 一人残ったウリバタケは骨組を見上げ、つぶやいた。
「デュアル……完成は近いな」
 整備を終え、再び主を待つEX。
 その隣に有るのはエステバリスとは一線を画す機体。大きさで言えばEXと同等、しかしコクピットが僅かに大きい。関節ごとに切り離し可能なエステバリスとは違い、完全な一体成型なのか関節にアクチュエーターを用いず、人工筋肉やケーブルを張り巡らしている。
 人に似た何かの人体模型。それがこれを見た人間の感想だった。
「俺達の誇りは、パイロットを生きてここへ帰らせる事だ。しかし……」
 その呟きは、誰にも聞かれる事無く空気の中に溶けていった。

 

 それはいわゆる朗報と言う物だろう。
 誰もが耳をそばだてていた。ルリなどはこの状況を館内放送で流したりもしている。この状況と言うのは、ブリッジでのプロスペクターの言葉が原因だった。
「プロスさん、それ本当ですか!?」
 今にもキスしそうなほどに顔を突き付けるユリカ。対しプロスペクターはその瞳に何かを見たのか内心を外に出さない事を信条とするネゴシエーターの身でありながら、筑波の蝦蟇の如く脂汗を流しているのが分かる。
 無論ジュンは何時もの如く、涙を滝の様に流している。
「は、……はい。テニシアン島で、私どもの仕事がありますので、調査作業終了後、48時間の有給が全員に認められています」
「そうじゃなくて!!」
 今度は身を引き、しかし代わりに指を突き付ける。
「テニシアン島に、アキトが来るんですね!!」
「はい。新兵器のモニターテストを依頼しまして、その受け取りに……」
 ダン!!
 そこまで聞けば、もうプロスペクターに用は無い、とばかりにユリカは脱兎の如くブリッジを走り去った。
「艦長、わかり易すぎますぞ」
 そう、何時もの笑顔という名の無表情を貼りつけながらプロスペクターは語った。ただ、流れどおしの汗が内心を如実に表している。走り去ってしまったユリカだけでは無く、眼下のオペレーター、通信士からユリカに良く似た気配が伝わってくるのだ。
 ごくり。
 誰かが喉を鳴らした。
 この瘴気にも似た空気の中、ジュンは意を決し、誰にも相手にされなかったと「夕べから」イジケているムネタケを放って発言した。
「え、え〜〜っと、今なら敵もいないからさ、オートモードにして休憩を取ってくるといいよ」
 と。
「オモイカネ、自動航行モード、お願いします」
<……OK>
 それだけ言うと席を立ち、ユリカのように立ち去るルリ。
 その彼女を見てオモイカネは安心していたが、きっちりバレている。何しろウインドウに「……」の部分まで再現しているのだ。後でルリの表情に何を感じていたのか問い詰められる事だろう。
「……ミナトさん、連絡事項があったら呼び出しお願いします。コミュニケ持ってますから、それと繋げば何処でもお仕事できますから」
「いいわよ〜」
 そう言って、これまた立ちあがるメグミ。まさに仮面の笑顔というのがふさわしいが、目だけは全く笑っていなかった。むしろ殺気をばら撒いている。
 どうやらミナトの顔を流れた汗には気づかなかった様だ。

 トレーニングルーム。
 見物に徹する同僚二人をよそに一人リョーコが延々と演舞を繰り返していた。
 スラリとした佇まいからゆったりと舞踏の如く踏み込み、その手は敵の命を絶つかのごとく白銀の煌きを虚空に向けて一閃させる。瞬間、もとのように佇む。
 残心、という物か。美しく、絵画の様に自らの体をとどめる。
 そこで、溜息が漏れた。
「す、っごーい。リョーコそんな事出来たんだ!!」
 素直に賞賛するヒカルと、構えを解きカメラを下ろすイズミ。リョーコ自身は納刀した刀をゆっくりと下ろしている。
「カッコ良かったわよ。リョーコの晴れ姿、きっちり撮ったからね」
「写真なんか撮るなよ。恥ずかしいじゃねぇか」
 そう言いながらも不満ではなさそうだ。ちなみにこのときイズミが撮っていた写真は地下組織を通ってナデシコ内の「百合系」の女性たちにかなりの値段で売れたと言う。
「でもリョーコ、刀なんか持ち出してどうしたの? お祖父さんから預かったって言う大切な刀なんでしょ」
 意かにも素朴な疑問、と言ったヒカルの声。
 対しリョーコは幾分バツの悪そうな声で、鼻の頭を掻きながら答えた。
「……ここ最近さ、ちょっと、その…情緒不安定、だったからな、刀でも振ってれば少しはマシになるかと思ったんだよ」
 しかし、そんな正直に答えた事をリョーコは一瞬で後悔した。
 キュピィーンとでも音がしそうなほど光ったのだ。ヒカルとイズミの、その目が!!
「……情緒不安定」
「ここ最近」
「もうこれは確定だね」
 そこで二人同時にリョーコにずずいと詰め寄った!
「リョーコ、良い事教えてあげようか?」
「良い事、良い事」
 まるでナメクジの様にペタリと貼りつき、うにうにと動く。
 その光景にリョーコは引き、後ずさり始める。
「な、何だよ一体……」
「今度ね、あたし達テニシアン島に行くじゃない」
「そこでね、来るらしいのよ、テンカワ君が」
 しかし彼女のリアクションは二人の予想、いや期待を裏切った。
「ふ〜ん、そうか」
「……リョーコ?」
「別に良いんじゃないか? テンカワがいたってさ」
「……つまらないわね」
「他に無いんなら、俺はシャワー浴びに行くぜ。汗かいちまったからな」
 そう言って、鞘ごと刀を持って一人トレーニングルームを出て行く。
「……おかしいね」
「おかしいわ」
 そう言って、二人はリョーコの出たドアを見ていた。

「……テンカワが、来る」
 そう呟いて、彼女は自分の体温が高くなり、心臓が踊り出そうとするのを自覚した。
 瞬間、顔に朱が散った。
 彼女は脱兎の如く走った!!
 後始末もそこそこに自室に刀を置き、シャワールームに駆け込み、目的地へと走った!!

 

 さて。ユリカ、ルリ、メグミが去った後のブリッジでは。
「……副長、お疲れ様です」
 そう言って、ハンカチを差し出すプロスペクター。ジュンも素直に受け取って汗をふき取る。
「見事だ、副長。見てみろ。提督など既に気絶しているぞ」
 ゴートが指し示す先には、屈葬を思わせる姿で気を失っているムネタケ。これ幸いとミナトが落書きをしている。
「……ミナトさん?」
「いいじゃない。お茶目ないたずらよ」
 確かにムネタケは嫌われている。サセボの基地での発言、ナデシコ占拠事件、<親善大使>の一件。
「かと言って油性はどうかと思いますけど……」
 何時の間にかムネタケの顔でマルバツゲームに興じるミナトとゴート。既にゴートが四敗している。
 そんな時、彼等の目の前に現れたウインドウが警告を発した。
<緊急報告>
「一体何事ですか!!」
<これを見て!!>
 そして、オモイカネが映したのは、何の変哲も無いナデシコの売店だった。

 人が生きていくためには衣食住が最低限必要となる。衣は制服が、食は食堂、住は各人毎に。別にそれがいやならプライベートタイムに私服を着ようと、売店や自販機で食事を取ろうと、部屋割りの再申請をすればいいだけの事。
 そしてネルガルは企業体である。商業原理で成り立っている。
 故に。

「てっめえ、これは俺んだ!!」
「ふん、そんな貧弱な体でこれを着ようって言うの?」
「あたしのはスレンダーって言うんです!!」
「……私、少女ですから」
 上から、両手でワンピースを奪い取るリョーコ。ハンガーを自分の体にあて胸を強調するユリカ、キュッと締まったウエストラインを見せつけるメグミ、我関せずとばかりのルリ。手にあるのはワンピースでは無くセパレート。ある意味自殺行為と言えなくも無い。
 店員は逃げ出し、既に止め役は居ない。ヒートアップする彼女等にも分別はあるらしく、破壊行為には至っていない。

「……プロスペクターさん……」
「どうしましたか?」
「そこ、アオイさんが」
「……お可哀想に」
 そう、ミナトが哀れむ声を書けた向こうには、塩の柱と化したジュンの姿が。反対側のムネタケの顔は、既に真っ黒になっており、現在はホワイトペンでの二周目になっていた。なお、ミナト・ゴートの相合傘が書かれているのと、引きそうになるぐらい顔を赤くしたゴートの姿が、異界を作り上げていた。

 トントントントン……
 カチャ……
 じゅわーーーっ……
 軽やかな音を立てて包丁が動き、具材が一斉にフライパンの上に踊り、芳しい匂い……かぐ、わしい?
 いや、違う! 刺激臭が立ち込め、空気が歪み、フライパンの向こう側が青白く変色して見える!! 第一、皿に移し替えた後のフライパン、なんで穴が開いているのか!
「はい、ジュン君お待たせっ」
 そう言って、エプロンを翻しながらユリカが満面の笑みを浮かべる。料理の邪魔にならない様にだろう、髪を纏めているリボンのポイントが高い。
「ありがとうユリカ…いただきますっ!!」
 そう言って、今死んでも悔いは無いとばかりに素晴らしい笑顔でかき込むジュン!!
 一秒。舌が脳に味を伝えたため、脳がフリーズ。
 二秒。脳が再起動を果たし、全身から汗が流れ、手足が震える。
 三秒。反射的行為として口内の物体が食道を通って胃へと流れこむ。
 四秒。全身にマーブル模様のエフェクトが表示され、動きが完全に止まる。
「アオイさん、これ飲んで!!」
 動きの止まったジュンを危険と見たのかメグミがドリンクを急いで手渡す!
「ユリカさん、一体何を食べさせたんですか!!」
「ぐはあっ!?」
 問い詰めようとするメグミを遮り、ジュンが絶妙な呻き声をあげながら倒れこむ。その手には不思議な泡の立つ「でろり」とした液体入りのコップが握られている。

 しゅばーっっ
 消毒液が勢いよく吹き出され、厨房内に特有の匂いが立ち込める。何人かは溶け落ち、滴り落ちるフライパンを鋼鉄製の箱に入れ、密閉容器にコップを入れ、運んでいく。防護服越しでもきついのか、窓の向こうの顔は歪められている。
「……ここで一体何があったんですか?」
「料理への冒涜さね」
 冷や汗混じりのイネスの問いに答えたのはホウメイ。しかし何時もの笑みは無く、撤去されようとするコンロを見つめている。
「ねえ、ドクター。いつも食ってる物だけで、あんな物が造れると思うかい?」
「……『出来てしまった』としか、答え様が無いわね」
「そうかい。で、アンタ達……反省したかい」
 目を向けた先にはユリカとメグミの姿が。二人とも胸に「ごめんなさい」と書かれたプレートを下げ、正座をしている。さぞかし足が痺れている事だろう。
「うう……ごめんなさい……」
「明日アキトが来るって言うから、練習しておきたかったんです……」
 静かな怒りをたたえたホウメイとは違い、興味津々と言った様子でイネスはたずねた。
「それで二人とも、一体何を使って、何を作ったの?」
 しかし返ってきたのは余りにも変で、この二人ならと納得させる物だった。曰く。
「「色々使ってナニかを」」
 と。
「ぬ、ぐ、が………」
 一方で、今にも何かに変身しそうな声を上げるジュンは放置されていた。

「……これなら、いいかな……」
 ちなみに三角の一角、リョーコは早々と料理する事を諦め、余り物を具におにぎりを作っていた。形が不恰好なのはご愛嬌。頬が可愛らしく桜色に染まっている。

 

 ザグン!!
 激しい音を立て、砂が大きく宙に舞う。
「リョーコちゃん、もっと右ーっ」
「ああ、違う違う」
「一歩前進!!」
「きゃーっ、こっち来ないで、反対よ反対!!」
 砂浜に幾つもあるスイカの群れ。テニシアン島に上陸した彼らは早速遊んでいた。中でもリョーコは剣術修行で慣れ親しんでいたのか、当たれば掠っただけでスイカが真っ二つになるほど。
「やめ、やめ!! アンタ達、誰かアタシを助けなさい!!」
「イズミちゃん、スイカの中にキノコが一本あるよ」
「毒キノコよ。食べたらまず死ぬわね」
「砂浜にあるなんて変なキノコ」
 ピュウ!
 風を切る音が、ムネタケの髪を数本持ち去る。
 まさかリョーコの目隠しが透けているなど、ムネタケ「だけ」は思うまい。

「まずいラーメン!! 溶けかけたかき氷! 俺は浜茶屋の伝統を受け継ぐ男!!」
 そう言いながら天を仰ぎ見るウリバタケ!!
 しかし!!
「なんで客がこねぇんだよ…」
 流石に不味いと標榜するラーメン屋に来るような物好きは居ないということだ。
 唯一悪食のジュンも今は一人医務室で地獄の責め苦を味わっている。

「はい、アオイ君、これが新作よ」
 そう言って奇妙なアンプルを見せるイネス。アンプルの表面には何も表記が無く、第一中身を吸い上げた注射器、その中身が光を反射しない紫色をしている。
「ド、ドクター…今の僕にそういう事はしないで……」
 殊更「今僕は弱っています。実験しないで」と訴えるジュン。
「大丈夫よ、このイネス特製”強制回復病気撲滅B−3号”に不可能は無いから」
 そう言って、近寄り始める。
 演出効果を狙っているのか、イネスの顔は逆光で見る事が出来ない。その上注射器の先端からは液が漏れ、しかもそれはイネスの体に触れない様に飛んでいる。
「さあ、アオイ君、楽になりましょうね……」
「へるぷみーぷりーづーーーーっ!!!」
 まともに動けないジュンの魂の叫びは誰にも聞こえる事無く、完全防音の医務室の壁に閉ざされてしまっていた。

 ビーチバレー。
 それは二対二で砂浜でするバレーボールのこと。
 まかり間違っても格闘技ではない。
 無いはずなのだが。
 バギ!!
「死ね、胸なし!!」
 激しい音と共にユリカの手から罵声をかき消さんとばかりにスパイクが一直線にメグミの「えぐれ胸(ユリカ視点)」めがけ、叩き込まれる。
「嫌われ者はすっこんでなさい!!」
 これまた激しい罵声。メグミはレシーブなどせずにパンチ一閃、ボールをいまだ空中、逃げ場の無いユリカの顔へと叩き返す!!
 しかし重力の力によってユリカの体が下に下がるほうが早く、ボールはそのままラインの外へ。
「……ふふ、やっぱり悪は負ける定めにあったのね」
 下手ではなくオーバーで、フラットな軌道のサーブをかけるユリカ!!
 だがメグミはあせることなく冷静にボールをユリカの胸にぶつける!!
「きゃあっ?!」

「……さて、僕は泳いでくるかな」
「そだな」
 水着姿の女の子が跳ね回ってビーチバレーをすると聞き、揺れる胸を想像した邪な気持ち120%のアカツキと、アクアマリン探しに余念の無いガイ。彼らはあまりに醜い女同士の喧嘩を見て、早々に逃げ去ることにした。


 ナデシコクルーが余念無く遊んでいる頃、沖に一隻の船があった。船舶名「らふれしあ号」。急遽作られたナデシコ用の漁業用装備。ただでさえ単独行動を余儀なくされているナデシコ、食糧事情は切迫している。よって現地調達が可能なようにと作られた新装備。ちなみに提唱・企画・開発はすべてウリバタケ整備士長による。「ひみつ兵器」の存在は未確認。
 積載量はナデシコの乗員数を考慮してか小型漁船でありながら「謎の動力機関」を搭載し、10トンまで対応可能と言う。
 そしてその甲板にはプロスペクターとシュウエイの姿。プロスペクターは明治・大正を思わせる横縞の水着を着ているのだが、シュウエイは何を考えたのか褌などを締めている。更に手に持った銛にはカジキマグロが丸ごと一匹突き刺さっている。
「プロスペクターさん、こいつを肴に一杯どうですかな」
「お相伴に預からせていただきます。と、言いたいところなんですがね、シュウエイさん、後で調査のためエステバリス隊に出撃してもらうんですよ。つまりあなたも――」
 そこまで言って、プロスペクターはいつのまにか眼前に現れた手に驚き、後ずさりながら口をつぐんでしまう。
「ご心配なく。今日は私は出撃しませんから」
 その言葉にプロスペクターの目が一瞬細まる。
「……なぜですかな」
「それはあなたの思惑。今日来るはずのアキト達にDFSの実験をさせようというのでしょう。刃は出せても機動戦の出来ないDFS。アキトなら出来る、そうあなたは考えている」
「はい。そうです」
「だからこそ。あいつに任せて今日ぐらいは休んでいるといい」
「何故、そう言われるのですか」
「……今の世界を作り出した兵器。それは全て遺産だ。彼ら……と言う呼称があっているのかは知らないが……彼らがDFの武器転用を考えなかったと思いますか」
「……つまり貴方は見たのですね?」
 そう言って、どこから取り出したのか、醤油の瓶と山葵、そして吟醸酒を取り出す。
「プロスペクターさん、貴方も今日ぐらいは」
 そう言って語りかけるシュウエイの目に、反論するほどプロスペクターも無粋ではなかった。コップを手に取り、自ら注いでぐい、と呑む。
「……これはまた……」
「美味いでしょう。最近見つけたばかりの代物だ」
「何故ですか? 私にこれを勧めて、……話せないのですか?」
 何も心を見せることのない、仮面の笑み。シュウエイはただそれを浮かべ、黙した。


 ぽたり。汗が滴る。
 ぞくり。寒気がする。
 今このとき、アオイ・ジュンは生死の境をさまよっていた。
「……あ、去年死んだ犬のベス。迎えに来てくれたのかい?」
 などという寝言をほざくほどに。
 ここはテニシアン島の海岸から40〜50メートルほど奥に行った森の中の木陰。ジュンは危険極まりない医務室からオモイカネに頼み込み、ビーチに遊びに出かけたイネスの目を盗んでここまで逃げてきたのだ。
「…うう…イネス先生…自動点滴交換装置は……やめて…あ、そんな真っ青な液体…紫もいや…助けてママ……」
 かさ。
 ただの葉ずれの音。
 しかしジュンは残っていた全体力と、なぜか湧き出た「火事場の馬鹿力」を同時にひねり出し、そこから全力で逃げようとし、なぜか転んだ。
「……大丈夫ですか?」
「あんまり……」
 そう言って、ジュンは完全に倒れた。


 テニシアン島を臨む位置を飛ぶ飛行機の中。
 とある五人の姿があった。
「わ……これが海なんだ……」
「そう。と言っても私達も最近見たばっかり。火星には海なんて無かったから。でも綺麗でしょ?」
「うん、とっても綺麗!」
 子供らしい表情を浮かべるラピスにフミカは笑いかける。彼女もまた、ナデシコに乗って地球に降りたときの、初めて青い海を見たときの感動を思い出していた。
 飛行機の窓から見下ろす、まさにマリンブルーの海。
 これでフミカの周囲にサービスのビールが大量になければこれ以上言うこともあるまい。

 だが一方。
 ガタガタ……ガタガタ……
「隊長……いいかげん覚悟決めてくださいよ……」
「アキトさん、往生際が悪いですよ」
 そんな声が投げかけられた。
「そ、そんなこと言ってもな……」
 そう、アキトはガタガタと、これ以上無いほどみっともなく震えていた!!
 近くにいた客は彼の身を案じ、スチュワーデスは客の中に医者が居ないか探す始末。しかしてその実態は。
「テニシアン島にはユリカが居るんだぞ! しかもその上カグヤちゃんまで来るって言うじゃないか!」
 全身を包む悪寒と、もう痛むはずの無い過去の古傷の痛みに震える始末。ほとんど登校拒否児童のノリだ。
「情け無い。これが火星の<黒い風>とまで言われたテンカワ・アキト守備隊長のお言葉とは……」
「僕、アキトさんの様な大人にはなりたくないです」
 酷い言い様だ。これほど情けない人間を前にしてはこの様な言葉も出ようというもの。しかしアキトも負けじと切り返す。
「二人とも、本当そう言えるのか?」
「そ、そうですか?」
「ち、違いますよね、トウヤさん」
 アキトは、ニヤリと。
「トウヤ、お前……フミ姉にぜんっぜん頭が上がらないだろ!?」
「ぐ!」
 10年前からずっと一緒に居る以上、知られたくないことなど、既に全部知られている。更に言えば、他言できないよう事さえ、おそらくは。
「それにハーリー君、君だってこの二日間でラピスに頭を押さえられているじゃないか!」
「は、はは……」
 笑いが乾ききっている。
 何しろラピスはたった数日とはいえ「フミカの教育」を受けたのだ。もともと頭が良かったらしく、水を乾いた砂漠が飲み込むように「男の扱い方」を教えられ、ハーリーで実践したのだ。
 そこで三人は同時にため息をついた。
「「「はぁ……」」」

 しかしそんな三人を見る二人はこんな言葉をこぼした。
「ま、それが男の甲斐性ってもんでしょ」
「もんでしょ」
 三人は溜息だけでなく、諾々と涙を流し始めた。
 そして飛行機は、そんな五人を無視してフロートを海へと着水させ、テニシアン島に着いたことを知らせるのだった。

 

 ほのかな潮の香り。爽やかな風が吹き抜ける高台のテラス。遠くには砂浜が見える。そこに、彼らは居た。
「わたくし、アクア・クリムゾンと申しますの」
「アオイ・ジュンです。助けてもらってありがとうございました」
 そう言って、互いにはにかんだ表情を見せる。
「それにしてもこんな大きな別荘に一人きりなんですか?」
「はい」
 ほんの少しさびしそうにうなずく。
「じゃ、この料理……あなたが?」
「はい」
 爽やかさを前面に押し出した笑顔で、いくつもの料理の載るテーブルの方を向く。
「どうぞ、お口に合えば幸いですが」
「……それじゃ、いただきます」
 昨日「実験台」にされてから何も口にしていなかったジュン。彼は並べられた料理の味わいに没頭し、アクアの顔に浮かんだ「絶妙な笑み」には気づくことは無かった。

 カシャカシャ、カシャカシャ……
 惜しげもなく魅力的なその肢体を南国の日の光に晒す美女達。
 いつのまにかヤマダに伝統を任せ、セイヤは男の情熱を全開にし、さながらゲリラのごとく緑の中に埋没し、望遠レンズを構えシャッターをきっていた。
「ふふふふふふふふふふ……これぞ砂浜の男の伝統、隠し撮り。あいつと一緒になってから捨てたコレクション……今日こそあの栄光を取り戻すときだぁぁぁ!!!」
「ま、僕としてはこういうのも風情があっていいかなとも思ったんだけどね……ん? あれは……」
「どうしたアカツキ」
「どうやらゲストが来たようだ」
 その言葉を聞き、レンズを向けたウリバタケの目に写ったのは、ユリカの抱擁(一般的にはタックルと呼ばれる)を受け、水上飛行機の羽の上から服を着たまま突き落とされるアキトの姿だった。
 ウリバタケは笑みを崩さず、どこから取り出したのかコミュニケではなく無線機を構え、ことさら平坦な声を出した。
「……テンカワ・アキト到着。われらは今より『漢の敵撲滅作戦・夏の海編』に入る」
『了解、しかしオブザーバーの行方が確認できません』
「仕方ない……アカツキ、お前が加われ」
「僕がかい?」
「……ああ。お前も『漢』だろう?」
 その目は、非常に、怖くて、アカツキは本能的にうなずいてしまっていた。彼が意識を取り戻したのは、血判状に捺印した後のことだったという。


 右腕から血が滴る。
「ぐっ」
 痛みが口から声を漏らさせる。
 ドン!! ドン!!
 しかしゴートはその痛みに耐えつつ、左手に持ち替えた銃を狙いが甘くなることを承知で撃ち放った。
 バス!! バス!!
「はずしたか!」
 想像していたよりも硬く、しかし軟らかい物、つまり木に当たった音が響き、ゴートは焦った。何とか片手だけでマガジンを交換し、立ち上がった瞬間、腹部に重い何かを感じ、吹き飛ばされた。
「ぐっ……はぁっ…」
 二メートル近く吹き飛ばされ、木に激しく叩きつけられ、痛みの所為で逆に意識の覚醒したゴートは、だからこそ動かない体を呪った。
(こいつは……危険だ!)
 目の前に居るのは20を少々出た程度の青年。サングラスで顔が良く分からないが、柄が良いとは言えない。しかしその動きには全く無駄が無く、油断が見えないことは場数を踏んでいる証拠だろう。
 声が出せない、つまり応援を―敵うとは思えないが―呼ぶことも出来ず、どうやって切り抜けるか考えることが出来ない状況だった。
「ネルガルのゴートだな。……この世界、顔が売れてる以上じゃ三流だな」
 SSとして手に入れた第二の本能が警告する。この男の声は挑発だと。ここで挑発に乗るのは危険だと。
 ぱり。
 わざと、足元の葉っぱを踏んで、威嚇しながら近づく。
「さて、ここに来た理由を言ってもらおうか?」
 ぱり。
 もう一歩近づく。
 ぱり。
 今度は遠く、後方から聞こえた。
「……何やってんですか、ゴートさん」
「……テンカワか」
 現れたのはアキト。ユリカに突き落とされ服が着れなくなったので、パーカーにバミューダという格好、しかも足は突っかけである。だがそれ以上に。
「……ほう」
「ま。多分に不意打ちだけどな」
「飛び道具の音を聞き逃すとは思えんし、血も流れていない。……無手、か?」
「ご名答」
 二人同時に、構えを取る。
「あんた、名前は?」
「普通はそっちから名乗るものだろ? それよりなんでお前まで構えるんだよ」
「ヤガミ・ナオだ。俺はこれでも武道家でね、こっちのほうが楽しいんだよ」
「なるほど。俺はテンカワ・アキトだ」
 その声が合図となったか、同時に踏み込んだ。

 アキトの狙い済ました、胸、いや鳩尾への一撃を腕でガードし、ナオはその勢いそのままに踏み込み、踏み込みの勢いそのままに足を踏み砕こうとする。
 しかしそれを避け、逆に踏む。
 動きの止まるその一瞬を狙い、安全に気絶させてしまおうと目論んだその一撃が放たれることは無かった。
「甘い!」
 瞬間ナオは密着した状態だからこそ有効な「肘」の一撃を。アキトはその肘の勢いを利用して後方へと飛び退る。
「安全靴だよ。見かけはただの革靴だけどな」
「なるほど。用意は万端というわけか」
 わずかずつ、にじり寄る。
「あんまり時間が無くってな。次で終わらせる」
「つれない奴だな、アキト」
 その言葉と共に、ナオの構えたアキトに向けられた拳、それの突き出る袖の中から激しい光があふれ、そしてそれはまぶたを閉じたところで防げるものではない。
 そして袖、サングラスによって目を守られたナオがアキトにフェイントを交えつつ襲い掛かった。

 ゴキ。

 重く、激しい音が響いた。
 声さえ出ないゴートが目を開くと、そこには腕を押さえるナオ、そして目を閉じたまま立ち尽くすアキトの姿。
「……どうして、ここに俺が居るって分かった?」
「簡単だよ。同じ特訓を師匠にされた。頭を完全に覆うヘルメットつけて猛獣の檻の中に放り込まれた。二、三度殴られたがこうして生き延びている」
 そう言って、目を開いた。
 いまだ違和感を感じるのか何度も目を瞬かせている。
「悪いが気絶してもらうよ」
 ド!!
 その答えが返ってくる前に、アキトの手がナオの首筋に叩き込まれ、当身を食らったナオの体がくたり、となった。

 そこでようやくアキトはゴートに聞いた。
「この騒ぎ、いったい何があったんですか? いきなり銃を向けられたんで『反省』してもらってますけど」
 そう言いつつ、どう見ても気絶―表情は悶絶―している男たちを軽く一瞥し、ゴートに問う。
 ゴートもようやく動くようになった体と声で答えた。
「クルーの誰かが、上に行ったらしい」
「上?」
「クリムゾングループ会長の孫娘、アクア・クリムゾンの別荘だ」
「仕方ない。ゴートさんは休んでてください。俺が迎えに行ってきます」
「テンカワ?」
 何も答えずに駆け出す。ゴートの声など全く耳に入っていない。
 今アキトの頭にあるのは、「クリムゾン」という名のみだった。



「ここにクリムゾン会長の孫むす……め?」
 そこまで言って、空気が凍った。
「……」
「……」
「……」
 えもいわれぬ、微妙いや絶妙な空気が流れた。
 アキトにしても「心中物」を演目ではなく実地で見るのは初めてだったし、水着と大差無いとは言え、半裸の男女が刃傷沙汰をしている現場にかち合えば、言葉も無くなろうというもの。
 そこでアキトはきびすを返し、肩越しに手をあげると言葉をかけた。
「ジュン、来世では幸せになれよ」
「うわあああああああ、さては僕を亡き者にしてユリカを弄ぶつもりだなテンカワ・アキトぉぉぉぉぉ!!!」
「ちとこら待てい!! 人聞き悪いことを言うんじゃない!! 大体俺とユリカは幼馴染という以外の接点は、過去現在未来、全てにおいて一切無い!!」
「ふざけるな、君はユリカの純情を弄んで捨てる気だ、うそをつくんじゃない!!」
 錯乱してとんでもない言葉を掛け合うアキトとジュン!!
「あのー、私のこと、忘れてませんか?」
「「忘れてないからちょっと待ってて!!」」
 瞬間、同時にアクアに向かって叫び、次の瞬間には向き合う二人!!
「大体ジュン、こんなとこで女の子ナンパしている暇があるならもうナデシコに戻らず、永遠にここで激甘な生活していろ!!」
 ゴガン!!
「ごぎゃる!?」
 その声と共に、意識していなかった手が出た。ついでにジュンの口からは意味不明な叫び声が飛び出る。
「ぜーはー、ぜーはー」
 肩で息をするアキトを見て、アクアは言葉を漏らした。
「戦う男達。そう、それはこのあたしの心と体を奪うため……さあ、私を奪って!!」
 その言葉と共に、まるで舞台の女優のようにアキトに縋ろうというアクア。そしていやな予感がしたアキトが下がった瞬間。
「あら?」
 間違って自分の体に注射器を刺し、あまつさえ注入するアクア。象か河馬にでも打つつもりだったのだろうか、瞬間的に眠りに着く。
「くぅ、すぅ」
 などとかわいい寝息を。
「……この世には、こんな女しか居ないのか……」
 そこまで言って、自分の言葉に戦いたアキトは、人身御供として、ジュンを置き去りにすることに決めた。
「……まあ、爺様当人に当たってみるか」

 ジュンを置き去りにした罰は、すぐさま当たることになるが。

「ゆ、ユリカさんが悪いんです!!」
「人の所為にしないで!! メグミちゃんの毒ドリンクが原因でしょう!!」
 バーベキューのいい香りが広がる砂浜。
 料理をセッティングしていたアキト、ホウメイ。その達人二人の目をどうやってかいくぐったのだろうか。
 今砂浜には「毒料理・夏の砂浜バーベキュー編」を食べて悶絶し、その一瞬後に「これを飲んで」と言われ反射的に飲んだ「自動意識放棄飲料・ver.2」により沈黙した、哀れなツンツン頭が砂浜に突っ伏していた。
 かなり過激に醜い女の争いをする二人をよそに、一人冷静なイネスと、狼狽しきったリョーコがそのツンツン頭をナデシコへ運んでいく姿が、陽炎の向こう側に見えている。

 後方50メートル、匍匐前進をする男たちの姿があった。気合の入ったその姿とは対照的に、その顔は気合が抜け切っていた。
「なあ、アカツキ」
「なんだい、ウリバタケ君」
「俺たちの、この振り上げた腕は、どこに下ろすべきなんだろうな……」
 サバゲースタイルの男たちは、出るタイミングを失ったため、途方にくれて砂浜から身を起こした。
『はんちょ…総長大変です!!』
「何だ、今撤退命令を」
『違います、裏切りだ!! オブザーバーが女と二人連れで、上の別荘に!!』
「「なにぃい!?」」
「あんた達、いいかげんにあたしを助けなさいよ!!」
 二人の絶叫に合わせ、足元から叫び声が聞こえたような気がしたが、今の二人にそれを幻聴かどうか確かめるような余裕はなかった。特に、むやみに高いオカマ声ならば。

 

 休憩時間も終わり、ナデシコへと戻るクルーたち。
 しかし砂浜に残った者も。

「フミ姉。ラピスちゃん大丈夫ですか?」
 ビーチパラソルの下、タオルを額に当てて眠るラピス。
「なんとか。……でも、いくら世間知らずだからってカナヅチなのに海に入るとは思わなかったなぁ……」
 なんだかなぁ。そんな表情でラピスを見るフミカとトウヤ。
「で、ハーリー君は?」
「……僕の口からはなんとも」
 言いにくそうにしているトウヤを無視して、フミカはそちらを見やる。
 するとハーリーは熱に浮かされたような表情で、延々とつぶやいていた。掠れて聞き取れないそれは、おそらくこう言っていたのだろう。
「ルリさん、素敵だな」
 と。
 これを聞いたフミカの表情を見たトウヤは、これからハーリーに降りかかる不幸の大きさを想像し、同情の涙をこぼした。一滴だけ。

「あぁ、酷い目にあった」
 胃の辺りを抑え、うがいを繰り返すアキト。イネスはその光景を楽しそうに見ている。
「けどアキト君、頑強ね。アオイ君なんか半日以上、指一本さえ動かせなかったというのに」
「……ハハ……まあ、ユリカもあれで結構上達してますよ」
 引きつった、その表現が哀れになるほど似合うその顔でアキトは語った。
「12年前、ユリカの作った目玉焼き……見た目は物体Xだったけど……食べたときなんかは一月入院しましたから」
 もっとも、退院パーティーで今度はカグヤ特製のケーキを食べ、三週間入院したのだが。
「あれを見て、俺は決めたんです。食わされるくらいなら自分で作ろうって。……そのうち作ること、誰かに食べてもらうこと自体が嬉しくなってコックを目指すようになったんですよ」
「アキト君、やさしいのね」
「そんな事はありませんよ。もし俺が優しいと言うのなら……今、ここには居ません」
 その表情は、火星で幾度かイネスの心を痛めた表情だった。
「アキト君?」
「俺が来た理由、それは真実を知るため。それだけです……」
 その時にはもう、笑顔という名の仮面をかぶっていた。

 

 ブリッジに着いたユリカは、違和感に顔をしかめ、それでも築くことが出来ずに、オモイカネに聞いた。
「オモイカネ、ブリッジにいつもと違うところ無い?」
<副長が居ませんが?>
 その言葉に誰もが周囲を見、それでようやく「ああ」と言葉にした。
「それじゃジュン君は?」
「艦長が医務室送りにしました」
「違うわよ。それはメグミちゃんよ!」
「ああ、それはいいですから。…ま、艦長がしっかりやってくれさえすれば副長は居なくても良いのですから」
 酷い事を言うプロスペクター。わずかながら酒気を帯びている。
「それと私、今日はもう有給を取りましたので、自室で休ませていただきます。シュウエイさんの有給も通っていますのであしからず」
 ここでプロスペクターは誰にも聞こえないようにこぼした。
『皆さんに死んで欲しくはありませんからね。鍛えさせていただきますよ』
 そう言って、それでも過酷な状況に若者を落とすことに悩みの色を見せながら、彼は廊下を歩いていった。
「チューリップに反応、開きます」
 そんな中、ルリの声が響いた。いつもと違い、声に何かが混ざっている。おそらく焼けた肌がまだ痛いのだろう。
 そして珍しく、オモイカネが素朴な疑問を口にした。
<ところでルリ、なんで水着なの?>
「終わったらすぐ遊びに行くためです」
 この日、誰もナデシコの中で、制服を着る者は居なかったという。
 一般職員は皆水着、食堂要員は水着にエプロン、整備員は今にも警察に連れて行かれそうな姿。一応とはいえ、軍に組み込まれた艦の光景とはとても思えなかった。


 そんな中、戦闘が始まった。
 調査を命じられたチューリップ。そこから現れた巨大なバッタ。しかしそれは今までのようにボソンジャンプによって現れたのではなく、中に入っていたのだろう。体のそこかしこから火花を散らし、到底五体満足とは言えない状況だったのだから。
 そんな物に、今の彼らが負けるはずは無い。
 厚い装甲に手を焼いたものの、容易といっていいほどの圧勝だった。

 勝利の凱旋、そうなろうかと言うときに、それは来た。
 ヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ……
 長く、長く、切なくさえ聞こえる巨大バッタの断末魔の叫び声。それは、「それ」を呼び寄せた。
 そしてモニターに現れる光点!
「ルリちゃん、何があったの!?」
「エネルギー反応増加!! テニシアン島周囲から4体、データ照合!」
 ルリの手が、IFSパターンが輝き、オモイカネに意思を伝える。
「メグミちゃん、みんなを呼び戻して! 補給させないと!!」
 既に巨大バッタとの戦いで、エステバリスにはロクな武装が無い。何が来るにせよ、
「皆さん戻ってください、補給します!! 格納庫、お願いします!!」
『任せとけ!!』
<照合完了。北極海で交戦したオウムガイと同型であると確認>
<更に格納されていたと推測されるバッタ、各40、計160体を確認>

 ドン!! ドン!! ドン!!
 ガキ!! ガキ!! ガキン!!
 チュイン! チュイン!
 激しい音が鳴り響いた。それは銃声であったり、何かを殴りつける音だったり、何かをはじく音だった。
「な、何これぇ!?」
「……効かないわね。リョーコ、そっちはどう?」
「わり、ブレードが折れちまった」
 銃弾を撃ち続けるヒカル、そしてイズミ!
 有用に思えたリョーコのブレードも、幾度か殻にヒビを入れただけで根元から真っ二つに折れている。
「ロンゲ、そっちはどうだ?!」
「だめだね、僕のもふつーのライフルだし」
 そう言いながら、フルオートで連射し、隙を見せずにナデシコへと後退をしている。
「とするとヤマダ君は!?」

「俺の名は、ダイゴウジ・ガイだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 ヒカルの呼びかけとどちらが早かっただろうか。
「クロウ・スラァァァァァァァッッシュゥゥゥゥゥ!!」
 ガイの叫びが、激しい衝撃をスピーカー越しに、そしてモニターが光景を映し出した。


「うー……腹が……腹が……」
 体を支えながらアキトがようやく格納庫に着いたとき、そこには見知った顔があった。
 ラピスとハーリーをつれたフミカとトウヤがシュウエイと会話をしているのだ。彼らの中央に開いたウインドウには武装の通じないオウムガイ相手に奮闘するエステバリスの姿が写っていた。
「あ、アキ君。おなか大丈夫?」
「多分……」
 確かに「多分」と納得させるようなものがある。
 返事もそこそこにアキトはウリバタケのもとに行き、声をかける。
「ウリバタケさん、EX使えるかい?」
「まあ使えるが……出る気か?」
「あの状況じゃ、俺が出るしかないですよ」
「あの三人は?」
「シュウエイさんは酒気帯び。フミ姉もトウヤも防御系に突出していますから、ここではあまり役に立ちません」
「僕らも機体、もって来てませんし」
「そうそう。もう西欧に送っちゃったから」
 そこでウリバタケはなるほど、と頷いた。彼らの「西欧」という言葉が意味する事を知って。
 そして拳をぐ、と突き出した。
「行け。後の責任は俺が取ってやる」

 ふぃん。
『起動キイを挿入してください』
 開いたハッチから格納庫の光が飛び込む中、円柱状のキイをコンソールの中央に突き刺す。僅かに光が漏れ、キイが吸い込まれていく。
<パスコードを入力してください>
 キーボードにコードを打ち込む。龍馬の設定したコード「平和のために戦う矛盾」という、戒めのためのコードを。
<マニュアル、IFSを選択して下さい>
「IFS」
<EX01起動。戦略AIエグザ起動しますか>
「起動してくれ」
<システム起動完了>
<連動して相転移エンジンの起動に入りますか?>
「起動だ」
 排気スロットが開き、激しい風が巻き起こる。
<チェンバー内、気圧低下。起動域突破。起動します>
 軽い音を立ててEXの目に光が灯る。
 それと同時に開いたウインドウ。写っているのはエリナ。
「ちょっとテンカワ君、何してるのよ!?」
「緊急避難、という奴です! 小言は敵を倒してから聞きますよ」
「テンカワさん、敵はオウムガイと呼ばれる新型です。強固な殻と比較的弱い頭部、50メートル超の触手とレーザー。ヤマダさんが今一機破壊しましたが、まだ三機が健在です」
「わかった。ありがとう、ルリちゃん」
「テンカワ、そこのウェポンラックの端っこにある円筒形のがDFSだ! 安全性を考えてかなりの代物にしてある、そいつを……ぬわぁぁぁぁ!?」
 そこまで言って、格納庫の中に居たウリバタケが排気に巻き込まれて後ろに飛ばされた!
 無論、火星の人たちはそれを知っているから、ここには誰も来ていない。
「あ、ウリバタケさん、ごめん……とりあえず……EX・テンカワ・アキト出ます!!」
 第二格納庫。
 ここは本来余剰資材等を保管する場所。よって。
「何で俺がマニュアル発進なんかしなくちゃならないんだぁぁ!!??」

 

 ががががががががががががががががががががががががががががががががが!!!!!!!!
 激しい音を立てて弾丸がオウムガイの頭に叩き込まれる。
 だが!!
 ごばあっ!!
 激しい音と共にエステバリスが触手によって弾き飛ばされる。

 がんがんがんがんがんがんがんがん!!
 幾度と無く叩き込まれるガイのシールドクロウ。だが、突破できない。既に爪が変形し、腕の関節から火花が散っている。
 やがて触手に掴まれ、海面へと叩きつけたれる。
「くそっ博士、こんなときに何か新兵器はねえのかよ!?」
「俺は博士じゃねえし、そこまで都合は良くねえ。けどな、応援なら行ったぜ」
「んあ?」

 ガイが間の抜けた声をあげた瞬間、モニターの前にウインドウが開いた。
 写ったのは周辺の地図と敵の位置、そして予想される敵の行動パターンの追加。
 幾つもの指示が目まぐるしく写り、敵は正確に一秒後、ウインドウ上の予想ルートをなぞった。

 そして警告の文字が、現れた。
 激しいシグナルと共に。


「エグザ、機体制御網にDFSとの通信経路確保!」
<確立済み。意思力第二段階を確保。起動可能>
 そしてアキトは、自らの意思を注ぎ込んだ。
「力を……全てなんて言わない…ただ、目の前にいる誰かを守れるだけの、それだけの力を!!」
 異様な感覚が右手から脳へと走りぬけた。体はいつものようにEXを操っているのに、しかし重なり合うように全く別の感覚が体を支配してDFSを振るおうとしている。
 まるで二つの体を一つの心で、一つの体を二つの心で操るかのような異常な感覚。
 だがDFSはそれを、戦いを、力を望むアキトの意思を正確に汲み取り、起動した。無色から、鮮血の如き赤。……そして。

 強制介入された、赤のみで視界に訴える文字の羅列。
<警告。高エネルギー反応あり>
 だが逃げる暇さえ無くそれは戦場を一瞬に支配した。

 闇の結晶の如く。
 夜の帳が落ちるかのごとく空の色を変えた。
 音も無く、光も無く、衝撃も無く。
 ただ、後からやってきた爆音が、それを現実のものと認識させた。

 そう、何かが上空から一瞬で通過したのだ。残像がまるでカーテンのように残り、そしてそれが現実である事を示すように海面を薙ぎ払って。

「な、何が起こった!?」
「今のテンカワか?!」
 アカツキが、リョーコが、エステバリスが爆風から身を守るように腕で自らを守ろうとしている。
「ぬがああああ!!!???? 爆風が、衝撃がああああああ!!!!」
 ただ至近距離で触手に捕まっていたガイだけが吹き飛ばされていたが。

 100メートル近い上空に一体、今まさに海原を切り裂いたその剣を、自らの手を見つめる一体の機影が逆行の中に見えた。

 だがそれをなしたアキトだけが、別の意味で驚愕に陥っていた。
「DFS……これじゃまるで奴の……」
 記憶の中にある、体の大半を失った<龍皇>の向こう側に存在した異形の巨人、<屍鬼>。その腕に宿っていた輝き。そう、闇色の、存在しないはずの黒い光。
 自分へと向けられた屍鬼の手の、揺らめく闇の色。
「ウリバタケさん!!」
「何だ、どうした、トラブルか!?」
 アキトの、これほど動揺する様など始めて見たウリバタケは、それほどの事態が起こったのかと焦った。しかし。
「そんな事はどうでもいい、この光、誰が使ってもこんな輝きになったのか!?」
 内心驚きつつもウリバタケは見た。ウインドウに写るEXの手にあるDFS。その光さえ完全に遮断する闇の刃を見て。
「いや、そこまで出力は上がっていなかったが……」
 そこまで聞き、アキトは知った。
 これで「敵」と同等になったのだと。
 あの単眼鬼<屍鬼>と同格になったと。

「エグザ、解析しろ!! 敵を破壊・殲滅する!!」
 その不明確な指示でさえエグザは答えた。
 敵を一撃で殲滅させるための剣筋を、今EXが、IFSがどれほどの力を出せるかを。敵陣を破壊する点を、それを繋ぐ線を。この場に居た全ての機体に指示する。そして、それが可能な機体がEXだけであることも。
 そして、万感の思いを込めた叫びが轟いた。
「全てを打ち砕け! 破斬翔破!!!」
 まるで三日月のように弧を描いた刃。唯の一瞬で、複雑な軌道を描き、右から左へと振りぬかれる。
 残像が布のように、絹の様に戦場を埋め尽くす。
 針の目に糸を通すように、正確に、敵をいや敵陣を切る。ただそれだけで破壊の渦が生まれ、一閃された剣だけで100を遥かに超える敵機がことごとく”消滅”した。
 たとえ消滅を免れたものも次の瞬間余波により自らの体を熱にあぶられた飴の様に歪ませ、周囲のバッタを巻き込み自壊した。
 それは残像とあいまって、まるで一枚の反物のように見えた。

 きぃぃぃぃぃぃぃぉぉぉぉぉぉぉおおおおおんんんんん……
 唯の錯覚に過ぎない。
 しかしそれは、単なる排気音に過ぎないそれはEXの、そしてアキトの破壊の喜びに打ち震える咆哮に聞こえ、空域に居た全ての者の耳、いや心に響いた。


「……アキ…ト…?」
 ポカンと、まるで痴呆のごとく呆然とした表情でユリカが呟いた。
「あんなの、アキトじゃない……」
「オモイカネ、今のアキトさんの様子、モニターできますか?」
<バイタルだけなら>
「それで構いません」
<よく分からない。でも声は苦しんでいることを告げている>
「苦しんでいるの? アキト、いったい何があったの……」
 答える声は無い。

「アキ君、やっぱりまだ力にとらわれているのね」
「あれは、僕だって。でも隊長は……」
 フミカは、トウヤはただ悔しさを。
「いまだ、時は来ないか。闇からは、逃れられぬのか」
 シュウエイは、封じられた、龍皇を見て。


 静寂の格納庫の中、誰もが固唾を飲ん片膝をつき停止したEX、そこから降りる人間を待っていた。
 とさっ。
 軽い音を立てて数メートルの高さから、コクピットから飛び降りて見せる。
 そして彼に駆け寄る人物が居た。
 ぱんっ!
「テンカワ、テメエ死ぬ気かっ!!」
 わずかに震える声、しかしそれ以上に激しいものを秘めた声、そして言葉に出せない全てを込めた平手打ち。
「死ぬ気は無いよ。ただ、DFS…あれは思い出させるんだ。無力さを、あのときの、奴を」
 言葉にはいつもの物は何もなく、ただ、これが等身大のアキトなのだと納得させてしまう、まるで迷子の子供のようなものがあった。
「…テンカワ、辛いときぐらい……その……愚痴ぐらい聞くぜ」
「ありがとう、リョーコちゃん」
「……はは。気にするなよ」
 はにかんだ笑みは、綺麗だった。
「アキト、教えてーーっ!」
「テンカワさん、この私に教えてください!」
 アキトの思いつめた理由を無理やり聞き出そうとするこの二人が現れるまでの、わずかな時間の笑みだったが。

 

 ―深夜。
「なるほどな」
 深く頷きながら、ウリバタケは苦々しく顔を歪ませた。何も言わないもののアカツキも似たような顔を。
「今のアキトが龍皇に乗れば、力は間違いなく暴走する。今の心ではまだ、EXでさえ危険なのだ」
 そう言いながらシュウエイは、EXのコクピットから抜き取った起動キイを弄んでいる。
「今はまだ、力を示す時ではない。ただ、戦う人間を集めるための時」

 誰も居ない、格納庫の中、照明の落ちた闇の世界でシュウエイは整備士班長であるウリバタケ、パイロット代表としてアカツキを呼び出し、日中のアキトの錯乱の理由を語った。

「ま、エリナ君が居なくて良かったよ。彼女が聞いていれば何を言い出したか分からないからね」
「確かにな。プロスペクターの旦那が居てもな」
 それぞれ、この場に居てはまずい人間を思い浮かべる。
 エリナなら間違いなくコンテナを開放し、龍皇を研究材料にしようと画策するはず。会長秘書として、それ以上の地位を野望に持つ彼女なら。
 そしてプロスペクター。理由は分からないが、企業人として自らの意思を頑なに押し貫く男。おそらくは、自らの意志を曲げてもエリナの考えを押すだろう。
「とりあえず、ネルガルに期待するのはアキトたちの姿を今のところだけでも隠してもらいたい。ということだ」
「でもよ、ネルガルを離れたアキトに会社が力を貸すのか?」
「いや。DFSの件があるからね。少なくとも彼らのことにしばらくは力を貸すと思うよ」
「アカツキ、なんでおめえにそんな事が分かる?」
「なんとなくさ」
 と韜晦してみせる。


 誰かが思った。
 今ごろアキト達は、地獄の最前線と呼ばれる西欧に着く頃だと。

 そして誰も思わなかった。
 今まさに貞操の危機にあるジュンのことを。
 今まさに生命の危機にあるムネタケのことを。

「さあ、覚悟を決めましょうね」
「誰か、助けてくれーーーっ、僕はユリカがいいんだっっっ!!!」
 甘い香りと熱い吐息、そしてたおやかな指先に触れられた頬、今にも流されそうになる意思。そして最後ともいえる理性の中の叫びを……。

「誰かあたしを助けなさいよーーーーっ!!!」
 顔に巻きついた立派な、4〜5メートルはありそうなクラゲの手足の隙間からの叫びを……。

 聞いていたのは海だけだった。



あとがき

 アクア・クリムゾン嬢。
 アキトは良くある。ガイは本編で。ならばここはジュン(不幸の代名詞)に!!
 ……最近出番、少ないし。

 必殺技の名前を、ほとんど無意識に叫んでいます、アキト君。
 なぜなら彼は幼き日を木連で過ごした男。アニメオタクRの影響が無くとも叫んでしまうのです。

 ウリバタケさんが画策してます。キーワードは「デュアル」フレーム。
 「時の流れに」の設定、DFSの項目で気づいたネタです。「刃を出すだけなら可能」という項目の。欠点だらけながら、複座という裏技でDFSの単独使用が可能。

 別行動を始めたばかりだと言うのに合流してしまったアキト達とナデシコ部隊。
 しかし次に彼らが接触するのは「西欧編」が終わるまでありません。

 次回、コンテナを開けます。
 エリナが勝手に龍皇の入ったコンテナを、無計画に。
 ギリシア神話にあると思うんですけどね、「パンドラの箱」って言う逸話が。


 中盤戦は後本編が二つ、西欧編が……死にそ。

あとがき2
 一部修正。
 ところどころに一文節くらい追加。
 MC25さんのご指摘を受け、DFS関連の描写を追加。


 

代理人の感想

 

いいじゃないか、「貞操」なら(爆)。

男の子なんだし傷物も糞もあるまい(更爆)。

 

・・・・・・・ま、キノコの事はこの際忘れるとして。

 

「不幸の代名詞」ジュンが某「不幸の枕詞」と並び称される日も近い・・・か?

(もう互角と言う意見もある(^^;)

もう一人の「不幸の代名詞」もちゃくちゃくと泥沼にはまりつつある様ですし(笑)。

 

 

後、ほんのちょっとだけ龍馬の死の真相が明らかになりました。

ひょっとしたら次回で更にわかるかもしれません。

龍皇が再び目覚めたその時に。