機動戦艦ナデシコ<黒>
西欧編第四話 銃声の告げる、日々の終わり。



 三日間。
 それは、人々が知らされた最後の日、そのカウントダウンの音だった。
 そして、世界は大きく動いた。経済界、政界問わずに。

 三日目が来る前に、人々はこの地を離れなければならなかった。

 一日目は、駆け巡った情報が世界を動かした。
 二日目は、厄災との戦いだった。
 三日目、全ては一時の決着を見せた……誰もが予想しない姿での決着を。




 噂という物がある。
 それ自体は他愛ない言葉なのだが、それの持つ影響は計り知れない。
 その中に奇妙なものがあった。
「木星トカゲは環境にやさしい侵略者?」
 まるで怪しいトンデモ本のタイトルだが、その中には非常に気になる書き出しがあった。
 原子力発電所のある町は襲わない。兵器を片端から「デビル化」するのに、海中に廃棄されている原子力潜水艦を使わない。無人の廃墟、人のいない街なのになぜかペットは数多く生き残っている。等々。
 時には「帰還を夢見る過去の亡霊説」まで飛び出る始末。
 ごく一部の人間たちは、それに頭を抱えた。

 そう、噂だ。
 西欧が、ヨーロッパが滅ぶなど、情報が規制された謎の空白と、逃げ出してくる人々のあまりの多さからの噂だ。
 しかしあまりにも……あからさまな隠蔽。
 ネットを見れば、子供だって何が本当かわかるほどの。
 百近いチューリップの一斉稼動。
 いくら軍が情報規制を敷いたとしても、そのようなものは無意味であるし、情報はいくらでも漏れる。
 だからシュンは越権であると知りながらも、避難警報を欧州全域に出した。
 その結果、上層部がどのように発表するかまごついている間に……人々は時間的余裕があることを理解した上で逃げ出す事に成功した。
 とはいえ、逃げる事だけが選択肢ではない。
 戦う事も、選択の一つであるし、この地を見捨てる事も出来ず、死ぬと分かっていて残る者も。




 二日前。
 警鐘は鳴らされた。
 人々は、自らの道を選択する時が来た事を悟った。

 スクリーンを挟んで、二人の男たちが向き合っている。西欧の軍を束ねる男グラシス・ファー・ハーテッド、極東の軍を束ねる男ミスマル・コウイチロウ。
 互いに苦虫を噛み潰したような表情をしている。何しろ虫とは、敵の無人兵器の蔑称、たとえ冗談でも口には出来ないが、そう言いたくなる様な二人の姿に、副官はトップ同士の会談に自分の出る幕は無い、とそそくさと出て行ってしまった。
「それは、彼らに死ねという事ですか? ……この事態を前に、西欧へ派遣しろなどとは……」
「否定はしない。いや、できない。……だが、今はそれが必要なのだ」
 コウイチロウの核心をつく言葉に、苦々しげに顔をゆがめるグラシス。
「せめて、一人でも多くの人間を避難させるためにも」
 言葉はそこで止まり、時間はただ過ぎていく。
 カチ……コチ……カチ……コチ……
 時計は正確に時を刻む。
 針の音が、嫌になるくらいにはっきりと響く。
 コウイチロウが立ち上がり、わずかに視線を外し、窓のほうを見やる。そして呟く言葉は。
「……彼らには拒否権がある……私から話してみよう……」
「ありがとう……」
 やがて切れた画面に再び視線を戻し、コウイチロウは苦渋を顔面に貼り付けたまま、その不機嫌さを隠さずに声を荒げた。
「ムネタケを呼べ。作戦を伝える」
 と。
 自らの愛娘を死地へと追いやる親の思いはいかばかりか。



 極東、ネルガル―アスカ・インダストリー合同ドッグ。

 最終調整のさなか、カグヤ艦橋において実際に「ナデシコ型」を運用した事のある人間たちを交えての講習が行われていた。
「……レイアウトはほとんど同じなんですね。……椅子がちょっと硬いですけど」
 そう言いながらも高さを調整して座るルリ。手は無論コンソールの上にあり、早速この戦艦……カグヤに搭載されたコンピューターと対話を始める。
 ルリの体の周囲をウインドウが取り囲むように現れ、カグヤの状況を伝えようと僅かずつ回転をし始める。
 処理能力は向上しているらしい。
「特に問題は無いようですね。……艦長」
「あ、それじゃ」
「違いますわユリカさん。この船の艦長はこの私、カグヤ・オニキリマルですわ」
 ルリの問いかけに半ば反射的に答えようとしたユリカを遮ってカグヤが訂正をする。無論ブリッジに漂うのはギスギスとした不穏な空気のみ。
「ホシノさん、特に、というのはどういうことかしら?」
 刺々しさは全く無い。ただその声には大切な作品を見られている芸術家の声に響きが似ていたが。
「現状では問題は見つからないと言う事です。一旦動かして見なければこれ以上は分かりません」
 そう言って事実だけを伝える。
 カグヤ自身についてルリは何の関係も無い。だから言葉は物凄くぞんざいだった。
「とりあえずはオモイカネとの対話用にソフトを入れておきました。これでIFSの無い人でもある程度はオモイカネと会話が出来るようになります」
 そう言ってルリは席を立つ。
『こんな魔界に長居は無用です』
 と、不穏な目つきをユリカとカグヤに向けながら。

 無論本人たちが気づくことは無く、他のクルーは心の中で羨ましいと叫んでいた。

 また別には。
「……と、なって、こうなるの」
「はあ、……そう、ですか……」
 僅かに横に視線を移せばミナトがホウショウに操舵について話している。
「まあ、他の艦とナデシコが違うのはオモイカネがサポートしてくれる幅が大きいって事なんだけど……」
「何かあるのですか?」
「計算できない場所じゃ、操舵士の腕に頼る事になるのよ。普段のサポートが無い分、逆に今まで意識しなかった事まで自分でやるようになるから。ほら、そっちにナデシコの戦闘経過行ってない?」
「概要くらいなら」
「北極海のときとか、座礁しそうな場所を通るときはホント、車の免許取るときのこと思い出したわ」
「……はあ」
「細い道を蛇行したり、妙にうるさくてプレッシャーかけるのがいたり」
 そう言って、ブリッジの片隅に目を向ける。
 今は席をはずしている「ナデシコ艦隊提督」なる人物の座ることになる椅子に。
「良く、分かりません」
「ま、取り合えず動かしてみれば分かるわよ。車のオートマとマニュアルくらいの違いはあるけど」
 このように仕事を真面目にする人たちも居れば……。

「あ、メグミさんってやっぱりライチの声やってた……」
「あ、見ててくれてたんですか?」
「ええ。教官が発声練習に声優さんを連れてきてこの人に習えって。その人に教えてもらってるうちに興味が沸いてきてアニメにはまっちゃったんですよ」
 などとブリッジにあるまじき会話をしているのはミナトから見て、ルリを挟んでちょうど逆、メグミとムラサメ、タカチホだ。
「……ムラサメ、タカチホ」
「メグミちゃん?」
 無論飛んでくる声はかなりきつい、対抗意識を飛ばした女傑。

 ブリッジはまさに瘴気の漂う場所だった。
 その原因といえば。
「そういえばユリカさん、あなたの影の薄い腰巾着はどうしました?
「ジュン君の事? 知らない。アキト以外の男の事なんて興味ないもん
 これまでのジュンの行動を評した遠慮容赦ないカグヤの一言を聞いたユリカは、これまた負けじと酷い言葉を返す。ただ後半は、カグヤのコメカミに響いたようだったが。
「それじゃユリカさんは一生独身ですわね」
「いえ、私はアキトと結婚するのが決まってますから。売れ残って行き損ねるのはカグヤちゃんに決まってるわ」

 初めはジュンの行方を聞いたはずだったのに、何時の間にかアキトの事、そして二人の結婚についてと飛躍していく。本人の居ないところで何を……といった状態であるが、メグミなどは顔が綺麗にこわばっているあたり、相変わらず不穏である。
「ねえ……ホウショウさん」
「ミナトさん……何も聞かないで下さい……」
 そう言いながらもホウショウの脳裏に映ったのはカグヤの部屋にあった……一部の隙も無いくらいにダーツの刺さったユリカの写真と、仲睦まじく(見える)カグヤとアキトのツーショット写真の事だった。
 もちろん、ユリカの部屋にも同じものがあるのだが。

 パンパン!!
「ラブラブ話はもういいの!」
 手が鳴る音がし、目を向けると何時の間にか誇らしげな顔をしたムネタケが立っていた。
「……と、いうわけで。ナデシコおよびカグヤはこれから西欧へ飛ぶことになったわ」
 いつぞやと同じ物言いのムネタケに、何人かが危機感を覚え、オモイカネのオペレーターたるルリへと目配せする。また「ナナフシ」クラスの敵が出たとでも言うのだろうか、と。
「お言葉ですが提督、われわれの現在の任務は」
「わかっているわ。でもね、これはミスマル・コウイチロウ中将の命令なのよ。何しろ西欧方面軍のグラシス・ファー・ハーテッド中将の要請らしくってね」
 と、ユリかの追及はさらりとかわされる。
 何しろ北極海の件とは違い、命令を下した上司の名をのみならず要請した人物の名前まであげているのだ。計算高いムネタケのこと、オモイカネに言質を記録される事などすでに計算済み……つまりは、真実。
「でも良いんですか? 今回の作戦ポイントですが、チューリップが90をこえて集まりつつあるんですけど」
「「「「?! 90!!」」」」
 ルリのその言葉に、ムネタケさえ含め、すべての人間の悲鳴がブリッジだけでなく、二隻の艦内各所から轟いた。
「うそ、でしょ?」
「本当です。また、戦艦クラスはその十数倍、無人兵器は計測不能。ですが戦力温存なのか、逃げ出そうとしている人々に攻撃を加えようとはしないそうです」
「提督!」
 しかしながら、ムネタケも青い顔をし。
「アタシ達はこの数の一部を足止めして、『穴』を作り、その隙に人々に避難してもらうの。別にこれ全部相手にするって言ってるんじゃないのよ」
『……何か悪いものでも食べたんですか?』
 とは、ムネタケの行状を知るナデシコ側クルーの心の中の大合唱であった。


 ところ変わって医務室。
 白衣を着た女性と、今ではもういないくらいに白が眩しいナースさんが一人ずつ。
「……他のお医者さんは?」
「すみませんドクター……まだこのカグヤは出航前でして、これから乗り込んでもらうんです」
「で、患者はあれ?」
「……はい」
 イネスの指差す先には徹夜が堪えたのかトーンナイフを自分の指に刺して、そのまま切り落としかけた大馬鹿者の姿が。
「ドクター、あの人……本当に人間なんですか?」
「ええ。骨格、筋肉、血液、CTおよびMRIによる内臓の検査にも全く異常はなかったわ。つい不安になって遺伝子検査までしたって言うのにね」
「本当の、本当に人間なんですね?」
 恐る恐る彼女が目を向けた先には、差し入れの缶ジュース(スチール)を三日前に手術したほうの指で握りつぶして暇つぶししているガイの姿があった。
 そしてベッド脇では、リンゴの皮をむく髪のカールした眼鏡の女性の姿。
 イネスは迷い無くカルテ整理用のコンピュータに『漢』と『ヤマダ』と打ち込んだ。……分かりやすいほどに分かる暗号……いったい誰に送ったのか……。
 いつもながらナデシコは、ある意味不穏で、ある意味お気楽だった。


 威勢のいい声が飛び交う場所で、一人の男が手に握るスパナの動きを止めた。
「なんつーか、上はえらく物騒な事言ってんな…」
「ウリバタケ班長、どうしますか?」
 サブリーダーの腕章をつけた整備士がウリバタケに声をかけた。ちなみに整備班にサブリーダーなどいない。これは「漢達の聖戦部隊」のものだ。メインターゲット不在の中、かつて「同盟」「組織」と呼ばれた存在から生まれた……「風紀委員会」の別名である。ちなみに会長はMr.Pと呼ばれる男だ。
 活動内容は謎。
 ついでに、恋愛が自由化したナデシコ艦内でいまだに一組のカップルも誕生していないことも謎である。
「死にたかねえが、やらんと後悔しそうな気がするんだよ。それにな、アイツの動いているトコ見たかねえか?」
 スパナを、向ける。
 そこにあるのは、砲戦フレームに、直線的ながら有機的イメージを兼ね備えた手足を持った巨体があった。対重量としてか、タスキ状にかけられた補強材。二連装ガトリング砲を両腕に装備し、ウイング状に装備された、エステバリス並の巨大さを持ったオーバーハングキャノン――塔を思わせる形状から<バベル>と呼ばれる――。カラーリングはダークグリーンにシルバーのパーツライン。
「見たいですね……あのEX04<ジェノサイダー>の雄姿……徹夜97時間の成果を……」
 テンパっているのか、呆けた様なその男に向かってウリバタケはもう一言、つい漏らしてしまった。
「それとな、上から来てるんだよ。EX01の最終整備要請がな」
「でもあれを使える人間は」
「……だから西欧なんだろ?」
 言外に、もらしている。
「と、言うことは…忙しくなりますね!」
「……おうよ」
 何が忙しくなるとは言わなかったが、男は腕章の位置を直していた。





 ナオ達のデートが終わり『接触』が起きたころ、同時に進行する事件があった。



 カジュアルな服装に身を包んだ青年たち。
「ん、今日は休みなのか?」
「看板が出てないしな……中に入ってみるか?」
 と、雰囲気そのものは大学帰りの学生ぐらいにしか見えない。
「今日は休みよ」
「?! 脅かさないでくださいよ。って、今日は休みなんですか?」
 気配を消して現れたフミカ。
 青年たちはそろって驚いている。ように見える。
「そ。男衆が遊びに出ちゃってね……で、本当の理由は何?」
「本当のって……」
 す…と手があがり、指先が一点を指す。
「肩、誤魔化しているのは上手いんだけど……脇が膨らんでるわよ。少しね」
「……成る程、な」
 銃の重みによって肩が下がる事はよく知られている。それを隠したところで、銃を携帯している事はそう簡単に隠せるものでもない。
 青年たちは、表情を変える。
 硬く冷たい、しかしフミカにとってはある種の見慣れたそれを。
「それを抜けば、引き下がれないわよ」
 慣れている。
 銃を突きつけられていると言うこの状況に。
 逆に男達のほうが身を引き締めるほどの、異様な感覚が襲った。
「付いて来てもらおう」
「最近、それにそっくりなご招待を受けた事があるわ。その時のおじさんたちはみんな自信を失って田舎に帰ったわよ。……それでもやる?」
「人質がいる事、忘れないでもらおうか」
 これは、あまりにも不用意だった。
「あなた達が……そう」
 笑った。
 これ以上無い位に明るく、楽しそうに。
 まるで、毒蛇の微笑だった。
 男たちの足が一瞬すくむほどに鮮烈な笑み。

 踏み込む。
 筋力は断面積に比例する。しかし筋肉の質自体において、男の筋肉に女のそれは劣る。ゆえに体重の軽さを生かし、速さを鍛える。
 彼女は、全身の筋肉と、速度の均衡を追及した。
 そして、たった一瞬でその身をおいた極限の領域。
 立ち尽くしていた彼女に目が慣れた男達には、消えたようにしか見えなかった。
 そのまま過ぎ去るように脇を抜け、肋骨に一撃与える。構造上折れやすいとされる部位に与えられる一撃は、まさしく折るための一撃だった。

「まずは一人」
 一瞬で襲ってきた、全身を苛むような激痛に男は身をよじる事も出来ずに苦しむ。
「動かないで。下手に動けば肺に肋骨が突き刺さるわ。死にたくは無いでしょう?」
 男達の背後から声がかかった。
「人質を取ったのでしょう? 人質がどれほど心細く、死の危険を感じるか……あなたたちも感じてみなさい」
 そこで男たちは悟った。
 どのように見えようと、この女は敵にしてはならなかったと。
 チャッ!
 ジャジャッ!!
「……付いて来い。それでこいつの分は問わない」
 震えている。
 何故?
 数的優位の上、武器を構えている彼らが何故?
「銃を抜いた……その意味はわかってるわね」
「お前の負け……抵抗はやめ!?」
 これこそが、最後の一線を突き抜ける一言だった。

 鈴の音が、ちりんと鳴った。



「……隣が騒がしいわね……」
「まあ良いじゃないアリサ。まだ横になってなさいよ……」
「流石にもう良いわよ。でもレイナはいいの? アキトがデートだなんて」
「面白くないのは確かね。でもサラのあの騒ぎようを見ると……
 ここであさっての方向を向き、
……身をつまされる様な気がして……
「ああ、なるほど」
 と、よく分かる言葉を返してきた。妹も、姉の性分を理解しているのか隣で何があったのか分かったらしい。
 カタン。
「……」
「……まさか」
「……レイナ、お願い」
 しぶしぶといった様子で、扉を開ける。
 カチャリ。
「楽しそうね、アリサ、レイナ」
 立っていたのは「美女」と言う要素を引くと、金色の髪に青い目、さらには逃げ出したくなるくらいに怖い表情。日本人の「鬼」観そのものだった。
 声も怖かった。
 二人が何とかサラを宥めるころには二時間が過ぎていた。
 ……サラが何か赤い物――廊下に設置してあったはずのそれ――を手にしているが、追求すべきではない空気だった。

「それでどうなったの?」
「何とか無事に終わったみたい。もうアキトたちが帰ってくるだろうから覗く意味もないし帰ってきたのよ」
「あ、終わったんだ。……でもミリアさんとナオさんのほうはこれからが本番じゃない?
「そうそう」
「……」
 レイナの問いに、答えるサラ。しかしその答えに同意するアリサ……。
 あまりと言えばあまりの言い分に呆然とする。
「あの、それじゃいくら何でも焦りすぎじゃ……?」
 引きつった顔を見せたレイナに、サラとアリサのほうが逆に戸惑いを感じて声をあげた。
「そうなの?」
「……何て言うか……本当に姉妹そろって箱入り……いい? 物事ってのは焦ると良い事なんて何も無いの! 婚姻届なんて持って追い掛け回さないで、ごく普通に接して自分を印象付けるほうがいいのよ」
「……そうなの?」
「……そうなの?」
 顔に「?」が張り付いた双子に、レイナの頭は本当に痛くなっていく……。
「そう! 第一、あなた達がやっているのは、どう考えたって変人よ! 異常者よ! おかしいのよ!」
「へ、変人……?!」
「おかしいんですか?」
「おかしいの。変なの。分かった? これからはそこら辺を抑えて行動するの! いい? ライバルに塩を送るのはもう終わりだからね!」
 とは言え。
 ここでレイナは、とても大きな間違いを犯した。
「そう、レイナ。あなたも「そう」なの……この間のは冗談じゃなかったのね……
へえ……宣戦布告ってヤツ? ……いいわ、買うわよ」
 じりじりと、にじり寄る。
 レイナもそろりそろりと下がるのだが、なぜかアリサがドアを塞ぐように位置を変えている。
「あの……サラ? アリサ? 気のせいか……目が……まぢなんですけど……」
「気のせいよレイナ」
「そうね、まぢですもの」
 何かが、ピシリと音を立てて砕け散った。……のは気のせいではないだろう。


「ん? タカスギ何か言ったか」
「いえ、何も」
「そうか? なにやら楽しげな声が聞えたような気がしたんだが……」
 サブロウタを連れ立って部屋に戻ったシュンを待っていたのは、限りなく情けない声だった。
「シュン隊長……手伝ってくれたっていいじゃないですか……」
 ひく……。
「良いかカズシ。そんな声を出してかわいいってのは10歳以下の子供か30前の女だけだ。……絶対に止めろ」
「まあ、聞いていて気分のいいものじゃないのは確かっすね」
 うんざりとしたシュンはそう言った。
 サブロウタも一瞬の隙も無く同意する。
「はい……でもこれを見てください」
 増援部隊が出たこと。
 避難経路を確保するために、幾つかのチューリップを足止めしていると言うこと。
 誇りからか? 「神風」を実行して3機のチューリップを沈めた事。
 そして、撤退を開始した部隊が、ほんの僅かな時間で言葉どおり壊滅したと言うこと。

「……東欧からの援軍部隊が……壊滅した? どういう事だ?」
「戦艦6隻にエステバリス34機……ものすごい大部隊じゃないですか」
「たった一機の新型兵器にやられたそうです。体高12メートル、人型。エステバリスに似た兵器だそうです」
「デビルエステバリス……じゃあなさそうだな。第一サイズが違う。蜥蜴がエステバリスを作ったと言うことか……いや、そのメリットが見えない……」
 敵はなぜ人型と言う不安定な物を作り出したのか?
 いや、それ以前に何故、攻めてくるのか。
 何故、人だけを執拗に攻撃するのか。
「……見えないな」
「そうですね。何も分からない消耗戦……ヨハンの気持ちが少しだけ分かりますよ」
「ま、逃げ出したい気持ちは俺にもあるな……」
「ヨハンって誰ですか? 自分は知りませんが」
「タカスギがここに来る前にアキトに叩き潰された馬鹿……最初は良い奴だったが……戦争に心をやられて暴れまわっていた可哀想な奴だよ」
「……」
「ま、先の見えない戦いをいつまでも続けていれば精神に変調を起こしてもおかしくは無いがな」
「……きっともうすぐ戦争は終わりますよ」
「そうだと良いがな……」
 言いたい事を言えない……もどかしさがサブロウタの胸を締め付けた……。



 血の一滴も流れてはいない。
 ただ、怨嗟のうめきが場を満たしていた。
「く、……そ」
「救急車を呼んで欲しかったら正直に言いなさい。もっとも自力で逃げ出せるような手の抜き方をした覚えも無いけどね」
 もはや、うめき声も出ないのか。
……鈴の音が心と体を惑わす……これが私が龍馬さんから教えてもらった本当の技……<幻音鐘>……」
 いつの間に手にしたのか、指先にはとても小さな鈴が三つずつ。
「女性が人を傷つけるのは……なんて言ってたから。……そんな古臭いことを言っていた龍馬さんに感謝しなさい」
 そう言って笑って見せても、到底……安心なんて出来そうに無い……男たちは指一本さえ動かせない恐怖から逃げ出そうと足掻いていた……。
「あなた達の所属は?」
「――――」
「黙秘? ……そう」
 ぎしり、と出るはずの無い音が男の腕から出た。
「クリム、ゾン……真紅の牙」
「……そう」
 地上にうめく男たちを見下すその目は、限りなく冷たかった。
「目的は?」
「あんた達を引き込む、事」
「馬鹿ね。最低のスカウト……敵を引き込むだけの事じゃない。それも分からない低脳なのかしら、あなた達の上司って」
 さげすみ。
「で、あなた達の上司は?」
「……カタオカ・テツヤ」
「嘘ね」
「本当、だ」
「じゃ、質問を変えるわ。この命令を下したのは?」
「……ライザ。姓は、知らない」
 それきり沈黙が落ちる。
 苦痛に身をよじった男が、痛みで気を失う。
「おい、しゃべった、から、助けを……」
「一つだけ教えてあげるわ。私は昔、誘拐された事があるのよ。火星空港テロの生き残りは『都合が悪い』って。……怖かったわ。龍馬さんやシュウエイさんが来てくれなかったらどうなっていたか分からない……だから、あなた達は許せない」
「なに、を?」
「もうしばらくしたら、警察を呼んであげるわ。もっともクリムゾンじゃ尻尾を切るだけ。あなた達はもう……」
 最後だけ、哀れみを見せて。
 そして、勤めて表情を変えて、顔を上げたとき、タクシーから降りようとする、慌てきったハーリーの姿が視界に映った。
「また、事件……か」
 その呟きは、聞えることなく、故にハーリーは気づくことなく。
「ハーリー君、どうしたの?」
 いつもの彼女の声と、思っただろう。

 しかし、ハーリーが途切れ途切れに語ったのは……とても平静ではいられない事実だった。
 そして、わずかな時間が過ぎた。



 西欧の地、再開発地区の廃墟前。
 地上の、月明かりの下。
 構えるライザ。破裂音。そして遅れて、吹き出す血。
「飼い主の手を噛む狂犬は、ちゃんと処分しなくちゃね」
 血が、べたりと顔を濡らした。

 破裂音は一つではなかった。
 二つだ。
 一つは正確にテツヤの心臓めがけて、しかし腕で防がれ、弾は貫通することなく腕に止った。
 一つはメティを守ろうとしたミリア、だがそれは盾となったナオの胸へ。
 恐怖で閉じた瞳。しかし顔を濡らす生暖かい液体。鉄のにおい。チノニオイ。
 しかし痛みはない。
「……え?」
 恐る恐る見開いた目に映ったのは、何時の間にか自分の前に立っていた、撃たれた……そう、自分を守ろうとして撃たれたナオの、崩れ行く姿だった。
「! …ライザァッ!!」
 走り出すテツヤ! 怒りが痛みを超越している!
「な、ナオさん!! ナオさん!!」
「おじ、ちゃん?」
「ミリアさん離れて! メティちゃんもだ! 動かしちゃダメだ!!」
 駆け寄り、縋ろうとするミリアをトウヤが押しとどめる。錯乱しているのか、慌てる彼女を牽制しながらトウヤはナオの体に目を向ける。
「揺らさないで! ……心臓も、肺も逸れている……多分、大きな血管も……急いで処置すれば助かる!! 救急車を!! 急いで!」
 創傷に、流れ出る血を押しとどめるためにシャツを脱ぎ、止血を!
 僅かに血の流れが遅くなったかもしれない。しかし……。
「けい、たい……あの人に取られて……」
「僕のポケットに入っている! 使って!!」
「は、はい!」


 遊底をスライドさせ弾丸を薬室へ。
 子供でも人を殺せる武器が熟練者であるカタオカ・テツヤという、殺意を抱いた男の手の中にあらわれた。
 視界に映った「それ」が何であるかなど考える暇はない。
 動いている、生き物に見える。
 走り出す。
 銃を撃つ。
 ただそれだけを、呼吸のように自然に。
 後に残ったのは、いつぞや見た「かつての」自分の部下だった。
 その胸に仕舞われた携帯が鳴り、自然に繋がった。
 聞こえてきた声は、まさしくライザの声。
『おあいにくさま。私はもうここには居ないわ。そうそう、覚えておきなさい、女は男とは違うって事を』
「何が…言いたい?」
『男を篭絡するのなんて簡単なのよ』
「約束しよう……お前は、殺す。誰でもない、この俺の手で」
『あら怖い。怖いからもうあなたには会わないわ』
 夜の空気の中に、救急車のサイレンと、物悲しい叫びが響き渡った。



 二日目へ。