機動戦艦ナデシコ<灰>

 エピソード1−1/すいません、その依頼……もう解決してます。

 

 アキトはなんとか自分の内心を気取られまいとポーカーフェイスをする。
 俗に言う「黒い王子」時代に身につけたそれは「いやな依頼人」を追い払うのにも役立っている。

「さて、ホシノ・ルリさんでしたね。依頼はご自分のルーツを捜したいとのことでしたが」
 いつもの口調で話しかけそうになるのをこらえながら、仕事用の言葉で応対する。

「はい。私はこの通り……マシンチャイルドです」
 一瞬言いよどむものの、ごく普通にお茶を入れているラピスの姿を見て「何を悩んで居るんだろう」と言った顔で答える。

 ドン!

「……ラピスもね。……はい、粗茶だけど」
 ぞんざいにお茶をテーブルに置くラピス。いきなり機嫌が悪くなっている。

 スタスタ……と、オフィスからランドセルを持ち出して帰り支度を始める。
「……帰る……」
 といって、止める暇もなく帰ってしまった。

「あちゃ……」
「どうしたんですか? ただ帰っただけじゃないですか」

 ラピスとルリに行われた実験は根本的に違う。
 ルリの行ったそれは彼女の能力を見定め、的確に伸ばすためのものだった。
 しかしラピスの受けたものは「マシンチャイルドの性能を限界まで発揮させる」為のもの。
 苦痛の桁が違う。
 それを思い出させる言葉を発したルリに嫌悪を持ってしまっていた。

「後が怖いんだよ。エリナに言いつけでもしたら乗り込んでくるだろうし」
「…恋人さんですか?」
「違う違う! ラピスの保護者! ……ま、腐れ縁……かな?」
 歯に衣着せたような物言いにルリの眉根が寄るが、それを気にすることはない。

「君の力なら簡単……じゃないとすると……その手の研究室のあった場所……ヨーロッパか」
 というか、全部知っている。ええ、もう全部。と言うか、成長したらかなりの美人になることも。
 不自然じゃない切り出し方を探りながら話しているのだ。

「私も多分……そう思います」
「じゃあ、そっちから捜してみるよ」
「あの……料金については……」
「別にいいよ。……この間大きい仕事があったから。その代わりにさ、ラピスの友達になってやってくれないか?」
 大きい仕事。
 あながち間違いではない。
 歴史に残る大仕事であったが。
 ちなみにその件での報酬は無し。しかし、ネルガルから「口止め料」をもらったので、さすがに国は無理でも、県の一つくらいなら買い取れる額だ。

「私は嫌われているようですが」
「人の心はそう単純なものじゃない。……たった数言、話してくれればいい。それがきっかけになる」
 そこで……この不器用な、けれど優しい心を持った少女に微笑かける。
「……頼むよ」
 ボッ!!
「は、はい!」
 オトナの魅力という物だろうか。「色々」な経験をしたアキトの微笑には「魅了」の属性が宿っているらしい。

 

 外に出たルリは、振り返りながらそっと呟いた。
「不思議な人でしたね……」
 慌てまくる姿といい、不思議な感じのする微笑といい……。
「流石に<黒い悪魔>その人ですね」
 あ、ばれてる。

 

「さて、どうするかな……?」
 とりあえず、ジャンプ事故に巻き込んでいないことを確認すると、ルリが「ルリちゃん」ではなく「ホシノさん」であることに軽い失望を抱きつつもほっとする。
 そう頭で考えながら、手は既に動いていた。
 なれた手つきでコミュニケを操作する。

 今回、実際には使われなかったナデシコ用コミュニケ。現在ネルガルは商品化に向け、モニターテストをくり返していた。

「はい、ネルガル会長室……おやテンカワさん、ご無沙汰してます」
「こちらこそ、ロクに挨拶もせず……で、アカツキ居ます?」
 急激にプロスペクターの顔が曇る。
「今はちょっとまずいですね。また厄介な仕事ですか?」
「大体のところは分かっているんですけどね。また、ですか?」
「なら良いじゃないですか。……また、です」
 そう言って、コミュニケ越しに顔を見合わせ、部屋の奥に視線が同時に移る。
「……また、連絡します」
「……そうして下さい」
 そう言いつつ通信を切る。
 扉の向こうから聞こえる「獣の唸り声」のような物を気のせいだと無理矢理納得させながら。

 二時間後。

「……何だい? テンカワ君」
 画面の向こうに立つ憔悴しきった、いわゆる男前、20を少々出た程度の青年。名をアカツキ・ナガレ。現在アキトに下僕状態でこき使われる男である。
 隣には秘書であるエリナ・キンジョウ・ウォンが立って居るが、その隣の書類は彼女よりも高くつもっている。

「……また脱走か」
「ええ。それも今回は、木星の親善大使として来ていた女性と……その……朝帰りを……」
 いいながら段々とエリナの頬が赤く染まっていく。
 実はエリナ女史、年若いこともあり、そちら方面に免疫を付ける暇なく、駆け足で人生を生きてきたのだ。最近、奔放に生きている妹と喧嘩が絶えないと言う。

 慌てて弁明に走ろうとするものの……。
「いやエリナ君! 僕は何もやましいことはしていない!! 千沙君がただ宴席で飲み過ぎて気分が悪いと言うから……」
「それで送り狼ですか?」
 ギロ!
 この時、アキトは戦慄していた。
 アカツキにしても、死を覚悟していた。

 

 エリナにしてみればネルガルの重役の椅子を狙っていたワケだし、横にいるのはまだまだ若いネルガルの会長様。しかも自分は美人。もう「勝った」と思っていた。
 それがいきなり国際的な要人と深い仲!?

 つまり、自分がのし上がる機会が無くなってしまったと言うことだ。
 今朝のテレビに映った木連の大使は足を挫いたそうで、妙にぎこちない歩き方をしていた。それを見たとき、何故かエリナの手でアカツキに未採決の書類の山が渡されたのだ。
「いや……その……はい……」
 いきなり尻窄みになるアカツキの声。
 この時のエリナの目は「視線で人が殺せる」レベルの物だったのだから。

 

 ちなみにその大使、「婚約者に逃げられて」やさぐれていたのをアカツキが「優しく」したのがこうなった理由だったりする。
 元・婚約者は地球−木星間における結婚第一号で、木星の食糧不足を補うために各種企業と会談をくり返している時、とある食料輸入会社の『社長秘書』と会談中に話があったことが「馴れ初め」らしい。
 それを知ったアキトの一言は、涙を流しながらの、
「……歴史を変えた甲斐があった……」 だった。

 

 先程の事務所の隠しカメラによる画像を見せながらこう呟く。
「ヨーロッパにおける遺伝子研究者、出来れば非合法で動いていた人間のリストを早急におくってほしい」
「……いきなり凄いね……でもそれ、テンカワ君が一発脅かした方が早くないかい?」
 エリナに聞こえないようにと、スピーカーの指向性を上げてこう告げる。
「せっかく居なくなった<黒い悪魔>がまた世間を騒がすのか? やっと暇になったのに、そんなコトしてどうするんだよ」

 政府関係者に<黒い悪魔>はこう告げたのだ。
「正体を探ろうとしたり、戦争を始めようとしたら……言い訳を聞かないで殺す。そのつもりで」
 バイザー越しにも分かる、とても爽やかな、春の日の暖かさを感じさせる笑顔と声。
 しかし何故か、全身から「普通死ぬぞ、それ」といいたくなるような殺気を振りまいていた。発狂者が出なかったのは不幸中の幸いといえよう。

 

「それと今度の依頼者、ラピスを怒らせちゃってね。後頼むよ」
「ちょっと待ってくれテンカワ君! 一体何を−」
 ぷつん。
 映像の途切れたそこで、アキトは呟く。
「すまん、アカツキ……お前の分まで俺が幸福になるから許してくれ……」
 その日、ラピスの気晴らしに、連合幹部の首が一ダース飛んだ。
 悪事は何時か、白日の下に晒される。しかし、気晴らしにされたい物ではないだろう。
 だが被害者リスト、トップのアカツキなどは目に見えて胸をなで下ろしていた。

 

 そこでアキトは地下に向かう。
 もう一度、自分を見つめるため、自らの半身、罪の象徴……ブラックサレナと向き合うために。
「お前はどう思う?」
 サレナが答えることはない。
「この世界、俺もお前も知らない世界なのに、みんな居るんだ……変だよな」
 寂しい笑みが、空虚さを増した。

 

 それから数日、アキトは秘匿回線を使い、何度かアカツキと相談する「フリ」をしていた。
 ちなみに秘匿回線というのは直通の物で、始点と終点以外にはターミナルのない、盗聴の一切出来ない回線のことである。ま、モデムの繋がっていないLANを想像してほしい。
 無論、ルリにバレない様にするためだ。
「……テンカワ君、確かに渡したよ」
「ああ。手間をかけたな……で、ラピスは?」
「不機嫌だよ、ずっとね。僕達がホシノ君のことで動いているのが気に入らないらしいよ。それにエリナ君が段々と……その……なんて言うか「母親の喜び」みたいなモノにはまってるらしくてね、ラピス君を「バカ親よろしく」構ってるモノだから……」
 どうも、アカツキの目の下にクマがある。
 いつものパターンなら、下記の通り。
 1.エリナがラピスを着飾る。
 2.着る物に無頓着なラピスにはストレスが溜まる。
 3.ストレスはアカツキで発散する。
 4.ついでに世界情勢が何故か動く。
 さらに、エリナに対するアフターケアも忘れてはいけない。
 ……今回はよっぽど、酷い目に遭わされたのだろう。

「前回は確か……」
「ああ。日本一周絶叫マシン巡りだ……今回は、コミケで『新刊』を買ってこさせられたんだよ」
「……ちなみにモノは?」
「……エリナ君の趣味かどうかは知らないけど……いわゆる「やおい本」48冊。それも僕に行ってこいって」
「ゴートさんやプロスペクターさんは?」
「買収済み」
 哀れの一言に尽きる。

「まあ……気を取り直せ。今度はこれをルリちゃんに渡して……」
「気づいているかい、君が僕に語った『未来』……もう、別世界としか言いようがないけど、彼女はピースランドのお姫様なんだろ?」
「ああ。確かにそう言ったな」
「もう、ピースランドはない」
「何!?」

 

 ほぼ同時刻。世界中が大騒ぎになった。
 ピ−スランド。
 世界最大規模を誇る銀行が国を買収したという、とてつもない過去を持つ国。経済の力は凄まじく、永世中立を謳うその国はまさに名前の通り平和だった。
 ……『だった』……そう、過去形だ。
 現在この国は、「草壁派」の兵士……いわゆる「徹底抗戦派」の男達によって占拠されていた。

 テロリストの習性。
1.自分は正義。
2.全て「尊い犠牲」である。
3.金持ちは悪人なので、自分達が没収する。
4.トップが死んでも、適当に新代表が決まる。

 現在ピースランドは彼らの財布にされていた。
 死の商人が出入りし、国庫に甚大な被害を及ぼす。
 これが世界経済に影響を及ぼし、弱い立場にある木星の人達が飢えるなど、思いもしないだろう。

 

 こぽこぽ……と、コーヒーを淹れるサイフォンの音がテーブルの上に響く。
 パンとハムエッグ、たっぷりのサラダ……ごく普通の朝食を取るアキトとラピスの姿がそこにはあった。
「ピースランド、凄いことになってるね」
「……そうだな」
 テレビの向こうの出来事とばかりにのんびりと言うラピス。
 一方、アキトは内心、気にかかることもあり、返事が僅かに遅れた。
「やっちゃうの?」
「やるよ。戦う者を、止める。例え、それがどのような手段であったとしても」
 そう言いつつ、IFSの印……いや、ブラックサレナに命令を与えてきた自分の手を見る。どれほどの命を絶ったのか、自分でさえ正確に把握できないほど、……罪にまみれたその手を見つめた。
「……ラピスは、民間人救助のためのプランを練ってくれ。俺は、その隙を稼ぐ」
「……で、またアカツキさんに頼むんだね?」
「俺には敵を倒すことしかできない。アイツなら救うことを考えた行動もできる」
 その時ラピスの目にはアキトが寂しそうに見えた。一緒にいたハーリーは養子になった。しかし、ラピスにはこの寂しい顔をした青年に自分と似た「何か」を見つけ、共にいることを選んだ。
「……やるか」
「うん!!」

 

 

あとがき

 ども、さとやしです。
 第二話。ネルガルの人々の現状説明と言うところですね、次の話の前フリもですが。
 ちなみにアカツキは、アキトが代替案を持ってきたときに「ある程度」の事情を聞いています。

 ナデシコ世界の最大の公害、「草壁」の残りカスが出てきました。
 作中にありましたが、少なくとも彼は草壁派には居ません。奥さんとヨロシクやっています。

 次はピースランド(草壁派)攻略戦だ!
 あ、今度はちょっと間が空きます。