機動戦艦ナデシコ<灰>

 エピソード4−1/戦いの前の日常

 ミナトは疑問に思っていた。
 ここしばらく、義妹・ユキナの様子がおかしいのだ。気になって尋ねても、返事はいつも同じ。
「大丈夫よ、ミナト姉さんが気にするようなことじゃないから」
 そう言って誤魔化す。
 あからさまに誤魔化しているのは分かっているが、強く追求するわけにも行かない。
「ユキナちゃん、そんなにあたし、頼りにならない?」
「そんなこと無いって! 頼りにしてるよ! でも今回だけは、自分の力でやりたいの」
「それならいいんだけど……」
 ミナトはそう言い、ご飯をよそる。
 ごく普通の日常、朝の風景だった。
「それよりお兄ちゃんは? 昨日は帰ってこなかったみたいだけど……」
「ユキナちゃん、お行儀悪いわよ、ちゃんと飲み込んでから喋りなさい」
 ごくん。
「ふぁい」
「……九十九さんなら、東京よ。秋山さんの応援に行くとかで」
 以下、ユキナの思考回路より。
 1.疑惑の兄、外泊。
 2.親友、源八郎によるアリバイ工作。
 3.脈絡もなく、ジュンの女装姿が浮かぶ。
「……ミナトさん」
「何?」
「今日ルリルリの所に寄ってくるから、帰ってくるの7時くらいになるよ」
「女の子なんだから、気をつけなきゃダメよ」

 

 さてその頃。
 アキトは、目の前の人物を見て呟いた。
「さて、どうしようか」
 視線の先には先日知り合ったばかりの北斗という女性……ではなかった。
「あーくん、どうしたの?」
 そう言いつつ、その口からはエビ天の尻尾が飛び出ている。
「いいから食べなよ。ただの独り言なんだからさ」
 うん、と呟くとまた食べ始めた。
 その姿を見ながら、しかしアキトには朝食を取るだけの気力は出なかった。隣の人物については論外である。
「……食べないのかい? テンカワ君」
「ちょっと、な。今朝のインパクトが強すぎた」

 本日早朝。
 陽の光が顔に当たって、段々と体温が上がっていく。カーテンに遮られているからか、光そのものは柔らかい。
 ゆっくりと目を覚ます。
 取り敢えずイネスの研究所にかくまって貰っている状態なので仮眠室のベッドだが、寝心地は主任のイネスの趣味か、かなり良い。
「う、うぅ……もう、朝か……」
 何となく筋肉痛を訴える体。
「そういや昨日、大立ち回りしたんだっけ……平和ボケしたのかな……」
 そう言いつつ、トレーニングウェアのまま寝ちまったと苦笑しながら体を起こした。
 むに。
 布団に置いたはずなのに、とても特徴的な感触が手から伝わってくる。
「……え゛……」
 額から何となく危険な汗がぼたぼたと流れるのが止まらない。
 だが、何とか「戦場で鍛えた精神力」で顔を左に向けると、そこには、半裸どころではない状況で北斗が寝ていた。
 ぎぎぎ、と音が聞こえてきそうな動作で首を戻す。
 かかっていた毛布をめくり、中身を見て鼻血が出た。何を見たかは聞かないであげるべきだろう。それでも何とか精神力を振り絞り、確認する。
「……取り敢えず……無罪だ……」
 何を確認した、アキトよ。第一その鼻血は何だ?
「ん〜〜、おはよ〜」
 緊張感の欠片もない声が横から聞こえてくる。
「あ、おはよう」
 ついつられて、相手の顔を見ながら、いつものように挨拶を交わし、凍り付く。魅了されたのだ。
 幼さの残る笑顔、シミ一つ無い真っ白な肌、その白い肢体にパサ…と絡まる髪。
 そして何より!
「あの……何で何も着てないの?」
「楽だから」
「……それだけ?」
「うん」
 そこまで聞いて、寝るときに何も着けないと言う健康法があったよな、と思いだした。
 しかしここはイネスの研究所、いつ何時非常事態になるか分からない。火に包まれる研究所から逃げ出す可能性だってある。ならその時、この格好で逃げ出すのか、と考える。
「え〜と、じゃ今日はパジャマでも買いに行く?」
「それってデート?」
 そう聞いてくる枝織に、火星でのワンシーンがフラッシュバックされる。
『デートして上げる!』
「そう……なるね」
「やったぁ!」
 バンザイしながら、跳び上がった。
 ここでアキトの記憶は一時途切れた。
 目を覚ましたときの彼の横には心配げな彼女の顔と、自分の腕へと伸びる輸血のパックがあった。……だから何を見た?

 話は変わるが「朝の生理現象」は、起きあがるときに血圧が上がることで起こる一時的な現象でしかない。
 別にそう言う夢を見たから起きるわけではない。……多分。

 そこまで聞いてアカツキはチッ、と舌打ちをする。
「ところで北斗君」
「枝織だよ」
 訂正しながら、ピっと箸を向ける。
「それ、やっちゃダメだよ」
「うん」
 アキトがたしなめると、意外と素直に頷いた。
「じゃ、枝織君、何でテンカワ君の所に潜り込んだりしたんだい? 女性職員用の仮眠室だってあったのに」
「ん〜〜」
 と唸りながら考え始める。
 その隙にアカツキに耳打ちする。
「どう思う?」
「まさか、とは思うけどね」
「アカツキもそう思うか?」
「ああ……ドラマとかでたまに見るが……実際にこの目で見るとは……」
 そこで二人は同時に口にした。
「「ザ・二重人格!」」
 そこまで口にして、隣で手のひらを叩くポン、と言う音で気がついた。
「うん、あーくんが暖かそうだったから」
「はい?」
「湯たんぽ代わりって事かい?」
「ううん。優しそうだから……一緒に寝たいなって」
 そう言って笑う。
 あまりに純粋なその笑い顔は、逆につらい物を二人に見せた。
「……テンカワ君達は遊んできなよ。僕はイネス先生と話すことがあるから」
「……恩に着る」

 

 逃亡中のアカツキ、彼は紛れもなくネルガルの会長である。仲の悪い社長はそれなりに有能だが、それでも会長である彼の裁決を待つ書類という物も多数存在する。
「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
 極めて物騒な笑いが漏れだしている。
 ザガン!!!
 音の正体はナイフ。漆黒の刃、それは暗殺用の物か……手にしたプロスペクターの顔には、追いつめられた者のみが持つ笑い顔が張り付いていた。
「……大丈夫か、ミスター?」
 さしものゴートも顔が引きつっている。
「大丈夫? ええ、もお、これ以上ないってくらいに大丈夫ですよ、私は!」
 もうダメだ、そうゴートは確信した。口に出すような真似はしないが。
 そして壁に刺さったナイフは、その途中で一冊の報告書が縫いつけられている。タイトルは「ナデシコシリーズ第2次報告書」とある。
「会長が私の報告書をちゃんと読んでいれば、このような事にはならなかったと言うのに……」
 そう言いつつ、ナイフをぐりぐりと動かす。

 現在地球上にはチューリップは存在しない。
 地球・木星同意の下、少なくとも表向きには全て撤去された。裏はまた別であろうが。
 そして現在最も地球に近いのは月面の一基のみ。
 そしてそれが制圧されたのだ。
 木星の、市民にかかる負担はどれほどの物であろうか。
 もっとも「ネルガルからナデシコシリーズを強制的に徴収した連合の責任」とそうそうに見解を出しておいたが。世論など妖精にかかればいくらでも、どうとでもなる。

「……それでミスター……ヤガミ・ナオという人物とは連絡は取れたのか?」
「ええ。テンカワさんの名前を使わせて貰いましたから。取り敢えず協力は得られました」
 尋常な笑みではない。
「では、では彼女達はどうした?」
 ぴき。
 空気の凍る音と共にプロスペクターの顔色が元に戻る。
「彼女達なら……ラピスさんの協力で世界中を巡っています。どうやらあの二人、世界各地を転々としているようなので……」
 そう言い、コミュニケに世界地図を表示させ、アフリカの奥地を指し示す。

 白いシャツ、ハーフパンツに帽子。動きやすい格好を考慮したからと本人達は言うのだが、どこからどう見ても、1970〜80年代8時ぐらいから放送していた「アレ」にしか見えない。
 いわゆる「アカツキ捕獲隊」である。構成員はエリナ・キンジョウ・ウォンと各務千沙の二名である。
「エリナさん、反応は?」
「……ジャングルの奥地へと向かっているわ」
 そう言いつつ手の中にある丸くてボタンが二つ、格子の入った緑色の画面……デザインがヤバ気なレーダーの光点を確認する。
「今度こそ捕まえるわよ」
「ええ……今度こそ」
 そう言いつつ、麻酔銃とは到底思えない物をガシャン、と鳴らす。

『……というわけで、ホシノ君。二人が来たら誤魔化しておいてくれるかい?』
『いいですけど、後が大変ですよ』
『ま、僕が責任持つからさぁ』
 ……と、この二人、ここまでやってもルリに遊ばれている事に気づいていなかった。
 怒りは目を眩ませる物だ。
 ……ばれたら命は危ういだろう。
 特に逃げることで怒りの増幅されている現在なら。

「……」
「あら、どうしたの? 冷めるわよ」
 コーヒーを飲みながら、イネス。しかし対するアカツキはあまり乗り気ではないようだ。
「イネス先生、これしかなかったのかい?」
「普通よ、こんな物」
 そう言って、コーヒーを喉へ押し込む。
 コーヒーカップはどう贔屓目に見てもビーカーだった。ちなみにスプーンは薬匙。ケーキはどう見ても解剖用の銀盆の上。ちなみにそう言う目的では不使用なのでお気になさらずに、単にアカツキへの嫌がらせである。
 ちなみにアカツキのビーカーには正体不明の染み付き。
「あの娘の事、何か分かった?」
「……少し話したのだけど……あの子、警戒心という物がないわ。あの力があれば必要ないのかも知れないけど、異常よ」
「不自然だと?」
「いわゆる多重人格、それとは違うようね。記憶への連続性や、仕草、そういう物への共通点が多すぎるの。推測すると、一つの人格の多様性が出ている、と言う事かしら」
 何枚かのカルテを取り出す。
 多重人格ならば、人格が交代していたときの記憶は共有されない。しかし枝織の言葉は、間違いなく昨日以前のことを明確に覚えていることを示している。
 仕草も、「他人」である以上異なるはず、しかし体の動かし方のクセと呼ぶべき物が同じだ。
 しかし「嗜好」についてのみ違いが現れる。
 これはどういう事か。
「……先生の言った薬の件から考えて、薬物で精神操作した弊害、と言う事かな?」
「おそらくね」
 そう言い、イネスは考え込む。
「……先生?」
「ね、アカツキ君、ヤマサキという医者のこと知っている?」
「ヤマサキなんて医者、何処にでもいるけど……イネス先生がわざわざ持ち出してくるようなのは一人知ってるよ」
「そう、ヤマサキ・ヨシオ。最近知ったんだけど彼、クリムゾンの研究所で職員を何十人と殺した後、木星に行ったらしいの。優人部隊の開発とか、強化人間、サイボーグ……科学者の浪漫……じゃなくて、何その目は?」
「いえ、何でもないです、はい」
「その彼が最近発見されたの。それも草壁派と、南米の怪獣騒ぎの現場で。そして最後に、月へ向かったシャトル……これが何を意味するか分かる?」

 

 場所は変わって月面、旧連合軍ゲート管理施設。
 そして今は、草壁派の基地でもある。
 少々無理矢理にドックに係留されているコスモス、それを前にうっすらと獲物を狙う一瞬の蛇を思わせる笑み、そんな物を浮かべる男がいた。
「……つまらぬ」
 ただ、呟く。
 破壊の楽しみはあった。殺戮の喜びも。
 しかし、職業的暗殺者(エリミネーター)として、ある意味求道者とさえ呼べる彼にとってそれは余りに下らなかった。
「何処かに……我を愉しませる、強い男はいないものか……」

 整備を行う男達は、当たり前だがドックにいるし、場合によっては北辰の呟きの聞こえるような場所にもいる。
「北辰様と戦えるような人間はいないと思うんだが……」
 ミサイルハッチの開閉を確かめながら呟く。
「しかし北斗様の一件もある。何処にそれだけの男がいるともかぎらん。現に<黒いあ……」
 すかっ。
 あまりにも軽い音。
 命を奪うには、恐ろしいほど軽いそれを、その男は聞いた。
 目に映るのは、ただかすめただけであろう「クナイ」一本のみ。深々と裂かれた喉から、止めようの無いほどの大量の鮮血、自らの血で濡れた床に足を取られ、北斗の名を口にした男は、そのままコスモスの甲板から、遠く離れた床へと落ちていった。
 北辰は、それを最後まで見届けることなく、去っていった。

 ドックから去った北辰。
 それを見た、白い制服を着た、いわゆる士官の男が呟く。
「……やはり危険すぎるな」
 その言葉に副官であろう男も。
「ええ。しかしあの力は求心力として必要です。少なくともカキツバタとシャクヤクの改造、そして「アレ」の完成までは彼に頑張って貰わないとなりません」
「……『アレ』……か。それで、山崎博士は?」
「はい。延命機構はやはり博士の力が必要ですからそちらに。それと、『異端生命体』の試作体が12体ロールアウトしました。連合本部へ直接跳躍が可能となっております」

 

 そして、忘れてはいけない彼らがいる。
「アオイ・ジュン准尉、参りました」
 そしてビシ、と敬礼する。
「よく来てくれたアオイ少尉」
 どこぞのヒゲ眼鏡のようにデスクの上に肘をつき、手を組み、顔の半分を隠しながら睨め上げるミスマル・コウイチロウの姿があった。「自分は准尉の筈では」
「いや、本日付けで少尉に昇進だ」
 昇進と、喜ばしいことであるはずなのに告げるコウイチロウの顔は冴えない。だがジュンにそれを追求できるだけの気概はない。
「……我々は南米チリを皮切りに、アレに負け続けた。その所為で奴に組みする者が増え続けたのだ」
 コン、コン。
 ノックと共に、二人の人間が入室してくる。
「失礼します。白鳥九十九、秋山源八郎両名、参上しました」
「……ああ、東殿から聞いている……君たちが『そう』なのだな」
「「……はい」」
 何が「そう」なのか分からないが、自分達の上司なら何を言っているか知れたものではないし、反論すれば、その後ほど恐ろしい物はない。諦めきった表情を全力で隠しながら肯定の返事をする。
「……心苦しいことではあるが……」
 一つ、区切る。
「君達には……ある敵と戦ってもらう」
「敵……月面のテロリストですか!?」
 気色ばむジュンをよそに、コウイチロウは同情そのものの顔で資料を出す。
「違う……ブラックマッシュルームだ」
「「「は?」」」
 もの凄く、間抜けな、静寂が、空間を支配した。

 

 某所。
 某地下。
 某下水道。
 本来工事の際に機材を置いたり、休憩所として利用していたはずの部屋、そこにムネタケはいた!
 打ちっ放しのコンクリートに、食料としてキノコの胞子を植え付けたブナの木が大量に置かれ、下水に沈めた自家用水力発電器による電力、今まで散々略奪の限りを尽くした各地の名産品。
 それらを横に置き、中央には玉座が置かれていた。
 ムネタケの両隣には先行者が二体。
 そして視線の先には、闇の中に10人ほどの人影が。
『ハイル・ムネ茸!』
「よく来たわね、貴方達……何か気になるけれど」
『はっ!! お気になさらずに!』
 あの高い、オカマ声とさえ呼ばれるムネタケの声が彼らには玉音とさえ聞こえるのか、一層平伏してしまう。
「いい? 私達ブラックマッシュルームの最高目標は……そう、世界征服よ!」
 芝居がかった動き。
「その為には何をすべきか分かっているんでしょうね、……右大臣」
 右大臣と呼ばれた男が立ち上がる。
「その為にはまず世界の半分を」
「……左大臣」
 今度は左大臣と呼ばれた男が立ち上がる。
「世界の半分を手に入れるためには、その半分を」
(中略)
「そうよ…だから私達はまず、市街征服から始めるわ!」

 あまりと言えばあまりの状況。なのでとりあえず説明しておこう。
 要するに、どれほど異常でもムネタケは生物学上とりあえず人間に分類される生物、疲れることもある。
 地上は危険なので地下に潜って体を回復させていたところ、いつの間にか現在の政治に不満を持つ連中が部下に志願しに現れたというわけである。

「命令するわ、右大臣、兵を五人貸して上げるわ……サセボを支配しなさい」
 ババッ!!
 闇の中にいた男が目映いばかりのライトで照らされる!
 立ち上がった男は、どこからどう見てもキノコカットの頭で、しかし大まじめに大声で宣言した。
「この右大臣『略奪』のバール、必ずや!!」
 そう、この男こそ<黒い悪魔事件>で軍より追放された軍人の一人、アフリカ方面軍の副将だった男だ。
「くくくくくくく…頼もしいわね。これを使いなさい」
 そう言うと、天井からぶら下がったひもをグイ、と引っ張る。
 ぱかっ……ヒュウウウウウウウウウウ……。
『うわああああ……下水道名物、白い爬虫類がっ! 歯が、歯が、歯ガッ?!』
「あらやだ、間違えたわ。こっちよ、こっち」
 ぐい。
 反対側の壁が、ぶち抜いた跡が見て取れる壁の向こう、何十体ものロボット、そしてその内の一機が目を光らせる。
「おお……これは!?」
「このあたしが自ら改良を加えた超兵器……失敗は許さないわよ」
「は、ははーっ。必ずや、サセボを手に入れて見せます!」

 

 

あとがき
 すいません、予告は間違いでした。今回は戦いの寸前までと、暴れすぎたムネタケのクールダウンです。
 使い所のないキャラや、嫌われ者はムネタケの配下にぶち込みます。

 イズミはバーのママ、ヒカルは漫画家と、「ばらされた真実」で、連合に早々に見切りをつけた彼女達の籍は軍にありません。
 しかし正義かぶれでエステ好きのヤマダ、子供の頃から軍の空気中にいたリョーコなどは在籍しています。
 ……月がシリアスなのに、地球じゃギャグ? 何を書いているんだろう?

 ムネ茸軍団への対抗組織が次回発足。

 

 

代理人の感想

 

ハァーイルッ! イ・・・・・・ゴホンゴホン。

いや、つい条件反射で(汗)。

でも「イ」様ならまだしも「アレ」の下で市街征服に勤しみたくはないな(汗)。

 

 

・・・・しかしツッコミどころが多すぎて、かえってどれをネタにすべきか困りますね今回は(笑)。