彼は世界が煩わしかった。

彼は空が濁って見えていた。

彼は現実を過ごすのが面倒だった。

彼は自分の心が錆付いていると確信していた。










彼は……自分が生きていないと知っていた……。










そこは光り輝くネオンの裏側。
様々な物が腐り、腐敗臭を発し汚水がドロリと薄暗いビルを映し出している場所。
街の裏側。負の側面。決して誰も見ない暗黒面。
そんな場所を入ってすぐの所に彼は住んでいた。

 

 

 

 

薄汚れた建物。
灰色の外見を全く気にしていないような建物。
その中の一室。
そこは外見と同じように汚れている。
散らばった幾つものアルコールのビン。灰皿から溢れた吸殻と灰。
何時も閉められているカーテン。
この部屋の中にあるのはアルコールだけが入った冷蔵庫とクローゼットとカートンの箱ごと放り出されている煙草と……そしてベッド。
何時も部屋を締め切っている為か、かび臭い匂いが部屋の中、その部屋の中にあるベッドで乱れている男女。
女は火照って肌の色を紅潮にしながら嬌声を上げている。
そんな女の身体の部位を愛撫しながらも表情一つ変えないで居る男。
対照的な二人だ。
徐々に女の動きが激しくなり男もそれに応えるように身体を動かす。
汗と体液がシーツを濡らし部屋に一際大きな嬌声が響かんとしていたその時。

「こんばんは」

部屋の中に響いたのは女の嬌声ではなく男の声。
それも間違いなく場違いだろう挨拶の言葉だ。
その声の一声が聞こえた瞬間に彼は情事を止め枕の下にある銃を抜き、声を発した男の方に向ける。
銃を向けられた男は気にした風もなくただ眼鏡を指で押し上げてこう言った。

「これは失礼。どうやら睦言の邪魔をしてしまったようで…」

逆光でシルエットになっている姿の男は別段照れた風もなく邪魔してしまった事を詫びる。
それでも尚も銃を向け、空いてる手で女を抱いたまま彼は口を開く。

「…誰だ」

長年、油を射していない機械を無理矢理動かしたかの様な錆付いた声。
癖毛なのか汗に濡れても僅かに立っているダークブラウンの髪をした、ちょうど青年に差し掛かった頃の年頃であろう彼。
ただその年には、いやどの年にも相応しくないどんよりとした魔女の大釜の中身のような目だけが異彩を放っている。

「ああ、紹介が遅れました。私こういうものでして」

と言って名刺を差し出そうと懐に手を入れるが。

「もう必要ない…銃を向けられながらそのふざけた態度、ネルガルの道化師だろう」
「おや?随分と古い名を知っていますね。今はプロスペクターと言う、まあしがない会計管理人ですが」

それを確認しても銃を降ろさない彼。
別段気にしていないのか下ろしてくれとも言わないプロス。

「何の用だ」

そこで待ってましたと言わんばかりにプロスは口を開いた。

「そうですねまあ結論から言えばスカウトです。
 只今ネルガルではとあるプロジェクトが進行中でして…そこに必要な人材を私が集めている所なんですよ。
 それでパイロットが不足しておりましてぜひ貴方をと思ったわけなんです」

ようやく銃を下ろし今は胸に抱いている女の髪を梳きながら彼は言った。

「俺を?ネルガルも随分と酔狂だな
「いえいえそんな事ありません。以前は軍におりその中でも最強と呼ばれていた貴方ですから」
「最強?どちらかと言うと最狂って意味だったが」

皮肉気な笑みを浮かべ言う。

「もちろん戦績の方も確認しております。無人兵器753機、戦艦23隻、更に貴方はチューリップまで落としていらっしゃる」

きらりと眼鏡を輝かせるプロス。

「これがたった一年の記録です。さらに未報告分まで含めればどれだけの数になる事やら…」
「よく調べているな」
「これが仕事ですから」

彼の皮肉に真面目に返事を返すプロス。

「でいかがでしょうか?もちろんその力に見合った報酬はお渡ししますよ」 「……良いだろう」

数瞬考え込み何を意味するのか笑みを浮かべ彼は承諾した。
その返事に嬉しそうな表情をするプロス。

「おお、ありがとうございます。それではよろしくお願いしますね。…テンカワアキトさん…」

 

 

 

 

白亜の戦艦。
ナデシコと呼ばれる船。
そこを彼は歩いている。
その先にはプロスが艦内の案内をしながら歩いている。
すれ違う人間がアキトを見て訝しげな目をする。
アキトが着ているのは赤のパイロットを示す服。
だがアキトはそれを完全に着崩している。
前ボタンを一つも留めないでズボンからも出しているシャツ。
目をバイザーで隠しはっきり言って柄が悪い。

「プロスさん」

どこか得意げに所々を紹介しているプロスに掛けられる言葉。

「おや?ルリさんどうしたんですか?」
「いえ、オモイカネの調整も終わりましたから散歩です」
「そうですか。ああこちらナデシコのパイロットのテンカワアキトさんです」
「はい」

アキトの方を向くルリ。

「プロスさん。この方と少し話していて良いでしょうか?」
「私は構いませんが…」

と言いつつ少しばかり哀しげな表情をするプロス。
艦内を全部案内してないからと言うよりは喋れなくて不満なのかもしれない。

「俺も構わない」

何時も通り錆付いた声で言うアキト。

「そうですかそれでは私はブリッジの方に行きますので」

後ろ髪引かれる様に去っていくプロス。
その姿が完全に見えなくなったところでルリが口を開いた。

「あの…以前お会いした事ありませんか…」

それは疑問と言うより確認の言葉だった。
それを知ってかアキトは皮肉気に口を歪ませ言った。

「例えば…ユーチャリスとナデシコCでとか」
「!!」

アキトの言葉に驚愕を全面に表すルリ。

「アキト…さん」
「久しぶり」

顔を綻ばせ満面の笑みを浮かべるルリ。

「惜しいな」
「えっ?」

すぅとルリの頬に手を伸ばしアキトは言った。

「君が16歳のままだったらこのままキス一つでもするんだが」
「ア、アキトさん!」

途端に慌てるルリ。

「冗談だ」

そんなルリをみて唇を歪ませるアキト。

「アキトさん?」

アキトはそのまま小さく笑い歩き出す。

「アキトさん何処へ?」
「ブリッジに…知り合いが居るからな」

そういい残しアキトは静かに去っていった。
残されたルリ。

「アキトさん」

なぜか悲しげにルリはアキトの後姿を見送るのであった。

 

 

 

 

未だ艦長の居ないブリッジ。

「ふん!これがあたしの艦隊ね。まっ精々役に立ってもらうわ」

ときのこの髪型をした男がムネタケが呟く。
そんなムネタケの後ろに近づくアキト。

「久しぶりですねぇ。ムネタケ大佐」

その声にひっ!と小さく悲鳴をあげるムネタケ。

「テ、テンカワアキト!!」

必死にアキトから距離をとるムネタケ。

「どうして…どうしてあんたがここに居るのよ!?」
「これはご挨拶だ…一応ここのパイロットなんだがね」

何時ものように皮肉気な笑みを向けるアキト。
そのアキトを歯軋りをしながら見るムネタケ。

「最低ね。あんただけには会いたくなかったわ」
「それは意外。てっきりあの作戦に関わった人間全てに会いたくないと思っていたが
 …しかしムネタケ大佐、変われば変わるものですな人間。昔の貴方から考えられない変貌ですよ」
「黙りなさい!!」

一喝するムネタケだがアキトはそれを全く気にせず続ける。

「やはりアレですか?あの作戦が切っ掛けで…」

アキトの言葉最後まで続かなかった。
声の変わりに響いたのは鈍い音。
バイザーが落ちる乾いた音。
澱んだアキトの目。
そしてムネタケの荒い息。

「黙れって…言ったでしょう…」

アキトを殴ったムネタケ。
それでも更に殴らんとムネタケは腕を大きく動かす。
さすがにそれは見咎めた周りの人間に止められる。

「随分と気にしているんだな」

殴られたことを気にも留めずバイザーを拾い上げるアキト。

「あんなの…あんなの認めないわ!!」

身体を押さえつけられながらもムネタケは叫ぶ。

「だが事実だろ?それにあの作戦があったから准将に昇進できたんだ。喜んだらどうだ?」
「あんたは…あんたはぁーーーーー!!」

暴れまわるムネタケの姿を鼻で笑いアキトはブリッジを後にする。

「テンカワアキトォ!!あんなの認めないわ!!あんな作戦認めないわ!!」

と後方より聞こえる声を聞きながら…。

通路を歩くアキト。
殴られた頬が赤くなっている。
そこを一撫でしてフッと笑いながらポケットより煙草を取り出し咥える。
ライターで火を点け一吸い、静かに紫煙を吐き出す。

「艦内は禁煙ですよ」
「知るか」

と後方より聞こえたルリの声を一言で切り捨てる。

「アキトさん…変わりましたね」

哀しげに言うルリの声。

「くだらないな…変わらないとでも思っていたか?」

気だるげに後ろを振り向くアキト。
バイザーで隠されその目は見えない。

「それでもあの時のアキトさんは優しかったです…」

縋りつくようにルリは言う。

「いつまで夢を見ているつもりだ?もう現実は見る気が無いとか?」
「アキトさん…」

だが目を潤ませるルリを放ってアキトはまた歩き出す。
碌に吸っていない煙草を通路に捨て。
微かに響く水音。
静かに立ち上る紫煙。
それらを残してアキトはその場を辞した。

 

 

 

 

部屋へ戻ったアキト。
動く気も今更無いので再び煙草に火をつける。
紫煙が…揺れる。

「くだらねぇ」

髪をかき上げながらぼそりと呟く。
とその瞬間振動が走った。

「…襲撃か」

木星蜥蜴の襲撃。
以前もあったことのなので誰かに問う気もしない。
パイロットとして登録されているアキトはエステにて待機しているべきなのだが変わらず部屋のベッドで煙草を吸っている。
そこに入る通信。

『アキトさん』

返事を返さないアキト。
ルリもそれを気にせず続ける。

『敵襲です』

続けられた言葉にアキトは煙草を消し吸殻を持参した灰皿に放る。

「ああわかった。給料分は働くさ」
『アキトさん』

アキトの返事で終わりの筈なのだがルリは尚も続ける。
がアキトはそれに答える事無くウィンドウを消し立ち上がる。
そして静かに部屋を出る。
残されるのは灰皿の中で燻る仄かな火を点すものだけだった……。

 

 

 

 

『ブリッジ応答しろ…』

エステに乗り込んだアキトはブリッジに通信を入れる。
アキトが映し出されたウィンドウを見てムネタケが忌々しげにウィンドウを睨み付ける。

『はい』

アキトの通信に応えたのはルリだ。
哀しげに柳眉を歪ませアキトに声を向ける。

『状況は…』
『少し待ってください。艦長…パイロットが状況を説明してくれと」
『はい説明します☆えーと今ナデシコは多数の無人兵器に上を囲まれていますそれで相手を殲滅するには囮が必要なんです』

とエステに作戦の概要を記したデーターをまわす。

『つまり囮になってナデシコが出てくるのを待てと言うわけだな』
『はいそうで〜す』

お前は何歳だと言う幾人かのブリッジのクルーの視線を知らずユリカは言う。
それに異論が挿まれた。

「必要ないわ!」

ムネタケだ。ムネタケがウィンドウのアキトを憎憎しげに見ながら言ったのだ。

「あいつならあの程度の無人兵器、簡単に全滅できるわ」
「そんな無茶な!」

ムネタケの言う事をアキトの確執から来るものと思ったのかジュンが叫ぶ。

『生憎だが無茶じゃない…』

が以外にもジュンに反論したのはアキト自身だった。

「ほらね。あいつ自身そう言ってんだから…とっとと出しなさい!!」
「駄目です!!」
「なんでよ!」

ユリカとムネタケが睨みあう。
そんな二人を横目にアキトはエステを発進させようと動かす。

『アキトさん…どうするつもりですか?』
『いっただろう…給料分の仕事はするとな』

エレベーターが動く。
戦場へ向い、ゆっくりと。

『ええ〜〜!どうしていっちゃうの?』

ユリカが動くエレベータを確認し叫ぶ。
アキトはその声を聞き思った。

(なんだ。思い出していないのか)

と。以前はこのときには煩くユリカが騒いでいたのだが今は不満げな表情をしている。
別段思い出させる気もないアキトはただ無情に告げた。

『お前らがのんびりしてるからだ』

その一言を告げた後にエレベーターは地上に着く。

『ナデシコ!発進してください!!』

ユリカの声が通信機より響いた。
どうやらもう出たのは仕方が無いと言う事で作戦をそれにあわせてしまおうと思ったらしい。

「必要ねぇよ…」

嘲笑を浮かべエステの中で言い捨てるアキト。
映し出される無人兵器の姿を鼻で笑いアキトはエステは跳んだ。

 

 

 

 

「どうしてぇ?どうして行っちゃうの?」

命令を待つ事無く動いたアキトに困惑するユリカ。
それをムネタケが鼻で笑い口を開く。

「言ったでしょ。艦長。あいつならあの程度の無人兵器大した事無いわ。何と言ってもチューリップさえ落としたことのある奴ですもの」
「チューリップを!?」

ユリカではなくジュンが驚愕した。

「まさか彼は連合の!?」
「そう…Noir(ノワール)そう呼ばれているわね」
「なんですそれ?」
「ユリカ〜。何で知らないんだよ。連合のノワールといえば唯一チューリップを落としてる人って事で有名だよ」
「すっご〜〜い!!」

さすがにそんなことも知らないのかとムネタケまでもがユリカをジト目で見る。

「なんでも西欧のほうでは日本以上にチューリップの活動が盛んで最前線と言えば自殺しに行くのと同義だって言われてたくらいなんだ」

すぅと目を細め以前見たデーターを思い出しているジュン。

「そんな中で彼は腕が良いという事で西欧の最前線に送られたんだ。そこで伝説が起きた。
 誰も落とす事が出来ないチューリップを彼は落としたんだ」
「どうやって?」
「……さぁ」

と自分のことではないのに自慢げに話していたジュンの竜頭蛇尾のようなしめにブリッジの人間が溜息をつく。

「教えてあげるわ」

と言い出したのはなんとムネタケだ。

「あいつは自分を囮に使ってチューリップの近くに無人兵器や戦艦を集めたのよ。でいい数が揃ったときにあいつは適当な数の戦艦をおとし爆発させた」

なんか目立ってるムネタケ。

「戦艦位の大きさだとゼロ距離ともいえるような中で落とされたんだから他の無人兵器や戦艦も誘爆を起こしそれに巻き込まれたチューリップも…どかーんってわけね」
「それだと他の皆さんもできません?」
「出来るわけ無いでしょ!一体チューリップに近づくまでどれくらいの敵を相手にしなくちゃならないかわかってるの!?」

そこでムネタケは複雑な表情をする。

「最初あいつがチューリップを落とす為に突っ込んでいったとき誰もが死ぬ気だと思っていたのよ。空一面に敵機がいるから…」
「すごいんですねぇ」

ユリカが感嘆の声を出す。

「艦長…ナデシコでます」
「あっ!は〜い。グラビティブラストいけますか」
「いけます…けど必要ないです」
「はい?」
「敵、全滅してます」

とユリカがウィンドウに目を向けるとそこには無人兵器という染みなど一切存在しない夜明けの光景。

『ナデシコなにをしているんだ。もう敵は潰したぞ』

と入る通信。

『あ、お疲れ様です』
『さすがねぇ。テンカワアキト相変わらずいい腕だわ』

ユリカがねぎらいの言葉をかけるがムネタケが皮肉交じりの言葉を更にかけた。

『でなけりゃあの作戦に参加してませんよ』

ムネタケの皮肉に皮肉を持って返すアキト。
他のブリッジの人間には何のことだかわからないようだがアキトとムネタケの間では通じるようだ。

『っく!!あんたは!!』
『ふん。ナデシコに戻る』

歯軋りをするムネタケを歯牙にかけず帰還報告をするアキト。
結局ナデシコはその力を見せる事無く戦闘は終わったのであった。

 

 

 

代理人の感想

 

うわ、やさぐれてる(爆)。

ナデシコの逆行物も色々ありますが、ここまで堕ちた(墜ちた、壊れた、キレた)アキトというのは

指折りじゃないでしょうか?

普通、ダークネスアキトでも割と何処かに人間味は残っている物ですが

この話のアキト君は徹底しています。

 

「墜ちる所まで墜ちた」と言う意味を込めて、このアキトに

 

謹んでズンドコアキトの称号を進呈しましょう(核爆)。