――10時間前。

 

「地球と木連の大船団、か」

ウィンドウに映されたレーダーの画面を見ながらシンジは呟いた。
数えるのも馬鹿らしいほどの数の光点が映し出されている。

「真の地球と木連の共同作業が僕等の殲滅とは……」

皮肉な笑みを浮かべて呟いた。
それまでにあったヒサゴプランは結局は草壁とクリムゾングループの計画にしか過ぎなかったのだから。
今、こうして映し出されたレーダーに映る光点はまさしく地球と木連の共同作業だ。
自分達にとって都合の悪い事実を知る者を抹殺すると言う共同作業。

「整備も碌にできず、動かす事がやっとに近い戦艦に対して随分と仰々しい数を向けてきたものだよ」

連戦に次ぐ連戦。気の休む間、どころか整備すらマトモにできない。
唯一ジュデッカのみが完全な状態であるのみだ。
ネルガルはその動きを封じられ、物資の調達すら裏のルートでなければ手に入れる事が不可能。
それでも戦い続けていた。
彼等の目を自分達に向ける為に、彼女達に向けさせない為に。

「だが、それももう終わり。流石にあれ以上の戦力なんて出せはしない」

例え名目が史上最大・最悪のテロリストを討つ為であろうと、あまりにも犠牲が出すぎているのだから。
シンジとアキトを討つ為に差し向けられてきた軍隊。
それは最早偏狂的な程に人と物と金を掛けてきたが、それにも限界が有る。

「アキトさん、これからどうしましょうか?」

そっと、傍らの青年に語りかけた。
微かに柔らかな笑みを浮かべて。
だが、それに対する言葉は返ってこない。
シンジもそれは分かっていた。アキトには答える事が出来るほどの力など残っていない事を。
シンプルなベッドに横たわり、こんこんと眠り続けるアキト。
バイザーと銃はサイドテーブルに置かれ、黒い戦闘服も、マントも壁に掛けられて微かに埃が積もっている。
鍛えられた身体は見る影も無いほどに痩せ衰え、その顔はやつれ果てている。
その中で異彩を放つ、光の線。
悪魔が弄したかの様に思えるほどの運命と呼ぶには惨たらしい時を証明する、それ。

「……」

そんなアキトの顔をシンジは暫し眺めて、

「どうして……どうして僕の周りから皆いなくなるんだろう……」

今にも泣き出しそうな声で呟いた。
この薄闇の部屋の中でまるで子供の様な表情と声で。
哀惜に満ちた声が最早言葉を返すことすら出来ないアキトには届いているのだろうか?

「貴方が眠る前に僕にあんな事を約束させなければ今すぐにでもイネスさんの所に連れて行くというのに……」

アキトがシンジと交わした約束は二つ。
一つは、例え目覚めずともユーチャリスに居続けさせる事。
もう一つは――

「もう、行きますね……。敵が来るから――貴方との約束を果たさないと」

もう、一つは……彼女達に害為す者達の走狗を討つこと。
それが、交わされた約束。
破っても誰も責める事などない約束。
それでもその約束を守り続ける彼を人は愚かと呼ぶかもしれない。
だが、それでもそれは、

「貴方との約束でなければ破ってしまうのに」

彼との約束だった。

 

――3時間前。

 

ジュデッカは現時点に於いて最高の機動兵器であった。
未だネルガルも含めて実現できていない機動兵器クラスへと積み込める相転移エンジン。
それがもたらした機動兵器に換装できるグラビティブラスト。
戦艦クラスのDFを瞬時に消去できるフィールドランサー。
これらはただ徒に換装されたわけではない。
アキトが最早起きる事が出来なくなり、連合に監視されている為、ネルガルよりの援助を受ける事が出来なくなったからだ。
ブラックサレナの追加装甲もパーツが無くなり、ユーチャリスも最早バッタはおろか、ミサイルすら無い。
必然的にシンジしか戦えないのだ。
だからこそ、実験的意味合いが強い相転移エンジンやグラビティブラストを換装したのだ。
一つなにかが間違っていれば塵すら残さず消える物を。
それでも運良く、まるで悪魔がついているとしか思えない程に運良く、暴走もせずに扱えた。
だがそれももう終わり。
今ハンガーにあるのは氷の様に澄んだ機体ではない。
装甲は所々ひび割れ、オイルなのか人の血なのかも判らぬほどに汚れきっている。
その左腕も脚部も無残に消し飛び、ガラクタの様な断面を見せている。
残った右腕ですら指のジョイント部分が人であれば骨折している状態なまでにぼろぼろだ。
次に出撃すれば戦う前に爆発しかねない状態なのだ。
そんな機体をシンジは見上げた。
シンジ以外誰もいない、静謐に満ちたハンガーの中で。
黒いコートの裾をたなびかせて。

「……」

何一つとして言葉を発する事無く、その頭部を見続ける。
アイガードは既に無く、壊れたメインカメラがまるで人の眼球が露呈しているかの様にぶら下がる。
スクラップ同然のジュデッカを見るシンジ。
それはまるで死者を見送る者の様に、神聖な情景であった。
長年――ではないが、数え切れぬほどに共に戦ってきた愛機を見送るのに真、相応しい情景であった。

 

――一時間後。

 

当ても無く彷徨するユーチャリス。
その果てに辿りついたのは、火星であった。
赤と緑が鬩ぎあっているかのような惑星。
全てがここから始まり、

「ここで終わるか……」

火星の後継者との決着も、今、この時の終わりも。

「ナデシコでここに来たのが随分と昔に思える……。そう、思わないかいルリちゃん?」
『今からでも遅くなんて無いです……。戻りましょう? 皆のところに、あの頃に』

ウィンドウに映された泣きそうなルリの表情。
最後に出会ったのはシャロン・ウィードリンと南雲の時か。
あの頃はまだ、アキトも戦えた時。
最後に三人で出会えた時。
結局はその時も戻ることは無く、戦いが終われば早々に引き上げた。

「今更だよ……本当、今更だ……。最早戻る気なんて僕等には無い」
『どうして……どうしてなんですかっ!? もう、アキトさん達を狙う人達はいません!』

数時間前の戦闘の責任を取らされ、汚濁とも呼ぶべき者達は全て失脚したとルリは言う。

「約束が……あるから。あの人と交わした約束が……」
『でもっ! アキトさんは……』

最後の方の言葉は発することが出来なかった。
言ってしまえばなにもかもが終わってしまう気がしたから。

「本当、どうしようもないくらいに馬鹿で愚かな約束だよ……。それでも、僕は約束したんだ……」

透き通る笑みを浮かべてシンジは答えた。
ただ一つの約束を愚かしいほどにも守る者の笑み。
だけどそれもその笑みの前ではなによりも神聖な約束の様に思える。

「だからルリちゃん……。もう、戻るんだ。君に幸あらん事を祈ってるよ」

ルリが口を開こうとするが、それには構わず通信を切るシンジ。

「ラピス、君はいいのかい?」

優しげにラピスへと目を向けるシンジ。
オペレーターシートにつくラピスがコクンと頷く。

「最後までアキトと一緒に居る」
「そうか……」

目を閉じるシンジ。
なにを邂逅するのか、なにを感じるのか。
その表情はバイザーに隠され窺い知る事は出来ない。
長くて短い時を邂逅し、目をそっと開くシンジ。

「ジャンプシークエンス、スタート!!」

コートの裾をマントの様に翻し、裂帛の声で言った。

「行く先は?」

ナノマシンの光の奔流の中、ラピスが問う。
苦笑するように唇の端を上げてシンジは言う。

「どこでもいいさ。例え宇宙の果てであろうと、時の果てであろうと、最後は変わりはしないのだから」

 

 

同時にナデシコCでもまた彼等に最期を迎えさせぬ為にルリが動いていた。

「今度こそ逃しはしませんっ! アンカー射出!!」
「ええっ!? 艦長、あれってウリバタケさんが……」
「ハーリー君! いいから射出!!」
「は、はいっ!!」

ウリバタケ謹製のアンカーが届くのが早いか、それともジャンプが早いか。
例えこのアンカーが届かずともルリは彼等を探すだろう。
奇しくもユーチャリスとナデシコC、それぞれで二人の言葉が重なり、唱和される。

 

 

「例え、宇宙の果てでも、時の果てでも……」
「例え、宇宙の果てでも、時の果てでも……」

 

 

「決して後悔はしない!!」
「決して諦めはしない!!」

 

 

 

To Be Continued!!