風が頬を撫でる。
虫の囀りが耳朶を打つ。

「ここは…?」

アキトは静かに目を開き驚愕した。

「五感が…戻っている!?」

もう無くした感覚。
身体が感じるのは風が撫でる優しい感覚。
耳が感じるのは虫が囀る暖かな音。
鼻が感じるのは草木の爽やかな匂い。
目が感じるのはそれに輝く銀の真円を描く月。
忘れていた光景。
無くした光景。
蘇る思い出。
今はもう彼方の君…。
アキトの頬を涙が伝う。

「アキトさん…」
「!シンジ!!」

流れる涙を拭わず声が聞こえる方へと向き直るアキト。
そこに居たのはシンジであった。
ただし漆黒のコートと戦闘服に身を包んだ成長しているシンジではなく初めて会った時の様な背の高さのシンジ。

「アキトさん。ここは…?」
「分からん」

とアキトが言葉を返すと同時に聞こえる声。

《アキト!!》
「ラピス!!」

唐突に響いた声に一瞬驚きつつもそれがラピスだと気づくアキト。

《うん。アキト、今、私は昔居た研究施設に居るの…どうして?》
「昔の施設…」

アキトが呟く声を聞きふと考え込むシンジ。
シンジはラピスと繋がっているわけではないのでラピスの声は聞こえない。

《ラピス。今の時間を教えてくれるか》
《うん。今は2196年の……》

ラピスの返事を聞きその顔を驚愕に染めていくアキト。

「シンジ…どうやらここは過去のようだ」
「過去ですか…」
「ああそれも俺達がナデシコに乗る日のな」

そこまで言いアキトはふと気づく。

(俺が…望んだのか?)

かつて復讐の為に封印した想い。
忘れ去ろうとした思い出。
それが今この時に居ることになったのかとアキトは思う。

(だとしたら随分と身勝手な願いだ!)

心の内で自身への憎悪が荒れ狂う。
だがそれでも…。

(それでも時を戻れたというのなら守りたい)

かつて守れなかったから。
もう涙に濡れる彼女を…彼女達を見たくないから。

《ラピス…北辰より早く研究所から助け出す。だからやって欲しいことがある》
《うん》

そしてアキトはラピスに思いついたことを話す。
月がその姿を隠すまでに続いた長い長い話が終わる。

《ラピス頼んだぞ》
《うん》

そしてアキトはシンジに向き直る。

「シンジ。俺はこれからナデシコに向う。ちょうど今日が俺達がナデシコに乗った日だ。…お前はどうする?」
「では僕も行きます。アキトさんが行くというのなら」
「そうか」

そしてそれぞれ自転車に乗り漕ぎ出す。
目的地はネルガルのドック。

 

 

 

 

以前のように自転車を走らせていくとすれ違う危険な車。
その車よりトランクが落ちてくる。
アキトは器用に自転車を止めそのトランクを受ける。
降りてくるユリカ。
トランクを受け取りながらユリカは聞いてきた。

「何処かでお会いした事ありません?」

その言葉を聞きながらアキトは今にも泣き出しそうな感覚に包まれていた。

「いや…気のせいじゃないか」
「はぁ、そうですか」

そして走り出す車。
それをアキトが見送っているとシンジがアキトに話し掛ける。

「いいんですか」
「ああ、これでいいんだ」

アキトの返事に尚も目を向けるシンジ。
その目は語る。本当に良いのかと。
その視線を感じながらアキトは思う。

(これでいいんだ)

と。
だがその身は震えている。
ユリカと今この時再会したときは意志を以って押さえていた震え。
叫びたくなるほどに名前を呼びたかった。
その身を離したくなくなるほどに抱きしめたかった。
もう会えないと思っていた彼女を。
もう会わないと誓った彼女を。
それを知っているからこそシンジは問うたのだ。

「いいんですか?」

と再び。

「……かっている。分かっている!!どれほど諦めようと思っても忘れる事なんて出来ない!ユリカに話し掛けられたときどれほど抱きしめたくなった!
だがあの時誓った!もう彼女には近づかないと!そして北辰を殺す事を願った!もう今更だ!
だから…これでいいんだ。もう俺はユリカに相応しくない……」

今にも泣き出しそうな顔をシンジに向けながらアキトは叫ぶ。

「だから…彼女には近づかない。全てに決着をつけてもだ」

悲壮な決意。余りにも哀しい誓い。
だからシンジはもう問い返す事はしなかった。
そして無言でドックへと向う二人。
月の光だけが寂しく照らすのであった……。

 

 

 

 

以前と同じようにプロスと話しナデシコに乗り込んだ二人。
艦橋を案内するプロスに掛けられる言葉。

「こんにちはプロスさん」
「おやルリさん?どうしてこちらに?」


プロスの問いには答えずアキトとシンジ方へと向き直るルリ。そして…。

「こちらの人たちは何方ですか」
「ああ、この方たちはつい先程ナデシコに就職なさった…」

プロスの言葉の途中でルリは静かに言った。

「こんにちはアキトさん、シンジさん」
「おや彼らとお知り合いで?」
「ええ、そうなんですよ」

とプロスと受け答えをしているルリだがアキトとシンジは聞いていなかった。

「アキトさん。もしかしてルリちゃんも…」
「ああ・・・」

そうあの時のジャンプはユーチャリスのみではなかった。
アンカーを突き刺したナデシコCもまたそのジャンプに巻き込まれていたのだから。

「もしかして…ルリちゃん…かい?」

アキトが確認の言葉を発す。

「ええそうですよ」

アキト、シンジの両方に笑みを返すルリ。

「久しぶり…というべきなのかな?こういう場合」

シンジは早々にこの状況を受け入れたのか苦笑をしながら返事を返す。

「どうやら本当にお知り合いの様で…私は邪魔者みたいですからここから去りますか。ルリさん、テンカワさん達にナデシコの案内をお願いしますね。」
「はい」

そう言ってこの場を去っていくプロス。
去りながら頭を捻っているようだ。
途切れ途切れに聞こえる言葉ではルリがどうのとか明るかったかとか聞こえている。

「どうします?案内…必要ですか?」
「必要ないって知ってるだろう。ルリちゃん」

ルリの言葉に笑みを浮かべながら言うアキト。
その隣でシンジも笑っている。

「けどまさかルリちゃんまで過去に戻っているとはね…驚いたよ」
「私も自分がナデシコAに戻っているときには驚きました」

そしてルリが自分の近況を話す。

「それで待ってたんです。アキトさんとシンジさんが来るのを…例えあのアキトさんやシンジさんでなくても…」
「なら…もう一度乗るのかい?ナデシコに…」
「はい。私の大切な思い出の場所ですから。アキトさんやシンジさんやユリカさん達との」
「そう…か」
「…アキトさん。そろそろ戦闘が始まります」

コミュニケの時間を確認していたシンジが言う。

「そうか」

確かに以前はそろそろ無人機の攻撃が来る頃だ。

「では私はブリッジに戻ります。…気をつけてくださいね」
「ああ。ありがとう」

そう言って背を向けブリッジに向っていくルリ。

「シンジお前はどうする?」
「そうですね…一応前回と同じにしますか」
「そうか」

ならばとハンガーへ向かう二人。

 

 

 

 

ハンガーでは倒れたエステバリスが無様にあった。
今回はルリと話していたため倒れた時間にはその場に居なかった。
エステへ向う途中ウリバタケと適当に話をしてからコクピットに乗り込む。
そして揺れる船体。

「いくか…」
「はい」

エレベーターを動かし外に向う。

「アキトさん」
「ルリちゃんか。そちらは?」
「ユリカさんがマスターキーを使用しているところです。けど今回もシンジさんが乗ってるんですね」
「まぁ一応といったところかな」

シンジが苦笑しながら返事を返す。

「今更アキトさん達がバッタやジョロ如きでどうにかなるとは思いませんが…気をつけてくださいね」
「わかった」
「おなじく」

そしてかつてのように入る数々の通信。

「俺はテンカワアキト。コックっす」
「碇シンジ…扶養家族です」

変わらずなんじゃそりゃ?といった表情をする面々。

幾つもの通信が入り最後に…。

「アキト!アキト、アキト!!アキトなんでしょう」

ユリカの声が響く。
思わず崩れそうになる心の堤防を抑えアキトは言う。

「ああ、久しぶりだなユリカ」
「本当にアキトなんだ!あ!!今はそんな事より大変なの!!そのままだと戦闘に巻き込まれるよアキト!!」

ユリカの言葉に苦笑したくなるのを押さえながらアキトは手の甲を見せながら言う。

「パイロットが居ないんだろう?俺もIFSを持っているから囮役ぐらい引き受けてやるさ」
「本当?…うん、解ったよアキト!!私はアキトを信じる!!やっぱりアキトは私の王子様だね!!」

ユリカが満面の笑みを浮かべながら言う。
アキトはそれを微笑を浮かべながら見ている。
だがそんなアキトを見ながらシンジは心中で呟く。

(その笑顔、その言葉がアキトさん苛む。異なる『貴方』の為に得た悲惨な力を貴方は受け入られますか?…ユリカさん…)

それぞれの想いを抱く彼ら。
そんな彼らを見ながらルリは微かに目を伏せながら言う。

「テンカワ機。地上に出ます」

そしてアキト、シンジは再び無人兵器と合間見えるのであった。

 

 

 

 

自身の力を隠し以前と同じにナデシコのグラビティブラストで決着をつけさせたアキト。
今は薄暗いコクピットの中で回収を待っている。

「今はまだ隠すという事で?」
「ああ。まだ俺達の力は隠す」

シンジの問いに静かに答えるアキト。

「でも、隠せないでしょうねアキトさんは…これから死ぬ事になる人を見捨てられないでしょう」
「……」

無言のアキト。

「それが何を齎すのかは分かりません」
「そうだな」

アキトの脳裏を過ぎるのはかつて死んでいった人たち。
それを知っていながら見過ごす事は出来ない。
例えそれが何を招くか分からずとも。

「だが見捨てる事は出来ない…それがどれほど傲慢な事と言えど」
「僕は…アキトさんの望むがままに…」

そして静かになるコクピット。
喜ぶべきの繰り返しか、悲しむべきの繰り返しかそれを知るものは居ない。
悲劇か喜劇かどちらが最後に訪れるのか知るものは居ない。
それでも……

(それでも…足掻いて行こう…決してあの時が訪れないように足掻いて行こう……)

 

 

次回予告

全てが変わらず訪れる。

ムネタケの叛乱、ナデシコの徴発命令。

そんな事象の中、的確に動く三人。

それ故に変わっていくかつての未来の事象。

このまま動く事は一体何を齎すのか?

それを知ることは出来なくそれでも足掻かん三人。

彼らの思いの行き着く先は?


次回!!

「緑の地球」はまかせとけ…それでも足掻き続けん…






 

 

 

代理人の感想

 

おお・・・・こう来ましたか。

ひょっとして最初から三部構想&TVバージョンと「時の流れに」バージョン並行連載を意図してたんですか?

 

 

ちなみに「齎す」は「もたらす」と読みます。普通読めないぞ、こんな字(笑)。